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女性の方で外見や声などから受ける印象とご自身の内面の性格や考え方とのギャップに悩んでおられる方が時々おられます。 女性らしい優しい外見や声とは裏腹に内面はとても男らしくてさっぱりとした気性で、一般的な男の人よりも男らしい考え方を持っておられるので、その行動力や言動に周囲の人たちは違和感を覚え、困惑するわけでそれによってご本人は自分を抑えて行ってしまうことになるわけです。 他人が自分に抱くイメージに自分自身が従わなければならないということは決してなくて、人は自分らしく自分の思った通りに生きて行く権利を持っているものです。 しかし女性は男性よりも社会性の強い立場になることが多いので、そこでは自分を偽って生きて行かなくてはならない場合も出てくるようで、それは男性にしても見た目で相手を判断してしまう部分が強くてパートナーになる女性に対してでさえ内面を見誤ってしまうことがあるようで、もしくはそれを軽視してしまう傾向もあるようで、女性は自分を中から簡単に変えて相手に合わせることができる生き物なのだとか勝手に思っている部分もあるようで、それは悲劇を生んでしまうことにもなるわけです。 私は過去世の情報や内面の魂の本質を見抜くことを施療の根本に置いていますから、そういうギャップはすぐにわかるのですが、それでもその差異に驚くこともあります。男の人なら何の問題もないギャップだったりするのですが、女性は大変です。 自分をどんどん出していった方がいいですよ、そういつもお話ししています。自分らしく生きる権利を誰もが等しく持っておられるのですから。
2017年04月29日
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高齢の女性が相談に来られた自営している店舗で雇っているご主人の妹さんのことがストレスになってしょうがないとおっしゃる。要領が悪くて仕事のポカが続いて、いつまでたってもそういうことが続いて見ているとイライラしてしょうがないとおっしゃる。 その相談事の前にこの方の守護霊様をお招きして近くに居ていただいた。その方は江戸時代の歌舞伎役者で女形が専門の方だったらしい。その方がこの相談事を聞いておっしゃった「その子は貴女の娘だった子だよ。娘だったときも性格のきつい子だったけれどね。」そういうことかと納得しました。過去世で親子としてあまり良い関係ではなかったらしいです。お互いに反発しあうのはそのころから変わっていないようでした。 でもその過去世の縁を聞いたときにその高齢の女性は何か悟ったように表情が変わられました。「娘だったんですか・・・・」そうそしてその娘の旦那だった人が今世ではこの女性のご主人になっているらしいとのこと。 少し混乱しつつも女性は何となく心が落ち着いていかれたようです。今世では義理の妹でイラつかせている相手が過去世では娘として生きていた・・・それは人の縁というものの不思議さであり強引さでもあるのかもしれません。 否応なく結ばれている人の縁は時を超えて結ばれているものでもあるようです。それを思うと人は人に対してもう少し優しくなれるのかもしれません。
2017年04月27日
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左腕が痛いと訴えるお客様がおられて、左腕を調べていたら「心臓」が原因といつもの直観でわかりました。 自分自身でも半信半疑ながらいつものように背中の心臓の反射区を矯正すると、何とまぁ左腕の痛みが緩解してしまいました。心臓の不整脈等が出ていたようです。こういう症状は自覚症状がほとんど出ないものです。それでも身体は何とか知らせようと左腕の痛みという形で顕していてくれたのですね。 人の身体の何と行き届いたことかと思いました。この方は調理を職業とされている方だったのですが、食べ物万能という考え方にもしかしたら少し偏っていたのかもしれません。自分の身体を形作るものは食べ物だけではなくて、それ以外にも大切なものが色々とあるということに身体は気づいてほしかったのかもしれません。 閑話休題。 今年のゴールデンウィーク期間は定休日以外は祝日も営業いたします。13日の第二土曜日も今月は営業いたします。
2017年04月25日
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ある女性を氣視していたら地獄の鬼が通り過ぎていくのが視えました。手にごっつい鋸を持っていたから地獄の羅刹鬼だと思います。 でも何故か恐ろしいとか悲惨な感じがしませんでした。そしてフト思ったのは地獄の鬼というのはお地蔵様の化身なのではないかということです。 仏様というものについての固定観念としては人の魂を救ってくださるものということがありますが、昔から恐れられている地獄の光景が本当にあるものではなくて、人の罪悪を善なるものに転化するために必要なものなのだとしたら、それは魂を救う行為なのかもしれないと思います。 地獄のすさまじい世界のどこかに地蔵菩薩様は必ずいてくださって何とか地獄から人の魂を救おうと歩いておられるというのは通説ですが、本当は地獄という世界そのものが人の魂の罪悪を救おうとする仏様の一大プロジェクトなのかもしれないと思うのです。 鋸を持って歩いて行った恐ろしい鬼の姿はその裏側に地蔵菩薩様の優しいお姿を宿しているものなのかもしれないと感じました。
2017年04月23日
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妊婦さんの施療を続けています。妊娠される前から通院されていて、予定日は来月初めでとても大きなお腹なのですが、施療は横臥でさせていただいております。 赤ちゃんがとても大きな子でいつも来院されているときには眠っています。寝る子は育つとはよく言ったもので、お腹の中にいるときからよく寝る子は発育が良いようです。お母さんは大変でもう予定日近くだから足は太くなってむくんでしまっていて大変そうです。 こんな風に予定日ぎりぎりまで施療させていただくことはなかったので、とてもうれしい経験になっております。逆子に一時なっていましたが、これはある個所に千年灸をして治りました。 無事に何事も無く元気で健やかな姿を見せてくれることを祈って施療していこうと思っています。
2017年04月21日
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ご縁を頂いて福井県のお客様にはとても懇意にさせていただいている方が多いです。昨日もそういう方達に呼んでいただき福井市のほうで出張施療をさせていただきました。 ご縁については以前にも書いたと思いますが、私の過去世で僧侶わしていたときに吉崎御坊という浄土真宗大谷派の一大拠点があるのですが、ここで越前宗徒の方達の多くと深く強いご縁を頂いていた記憶があります。 その時のご縁が今世につながっているのだと確信しております。不思議なもので人というのは一人一人完全に別々の道を歩んでいる存在でありながら、必ずどこかで何時かの時に重なりともに歩む場合があるということ。それを「縁」というのですが、それこそが人の魂を成長させ進化させるきっかけになっていくのかもしれません。 今の時代はネットというつながりがそれこそ全世界につながっている時代。成長や進化のチャンスがそこかしこに存在する時代なのかもしれません。ただ外に向ける目も大切ですが、自らの内へ向ける目も大切なのだということを考えていかなくてはならないとも思っています。 縁を醸す(かもす)ということにはその人の心土壌が豊かでなくてはならないからだと思っております。
2017年04月19日
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お陰様でスピ系のお客様と同じくらいに施療のみを希望してくださるお客様が増えてきました。20年近く院をさせていただいていると凡人の私でも少しは経験値が増えて、施療の要領が掴めてきたのかもしれません。 何よりも「診」ということにポイントを絞って施療を続けていくことが大切だと考えています。「診」の無い施療というのは意味がないとさえ思っています。どこまでお客様の身体の状態を診切れるかが重要です。その基礎となるのは東洋医学、経絡指圧です。 昔、さる民間療術師の会の勉強会に呼ばれて行ったときに、体の中のバランスが崩れているというようなことをチラッと言ったら参加者の一人の偉そうなおじさんに「体の中のバランスなんて無い。」と一喝されてしまいました。ご自分の狭い料簡で他人を判断する。その行為がどんなに愚かなことかその時にわかりました。 自分の独断や偏見に決してとらわれてはいけないと思っています。まださらに別の見方が無いのかと常に探し続ける気持ちを持ち続けなくてはならないと肝に銘じております。
2017年04月17日
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「慮る」おもんばかる という言葉です。相手のことを考えるというような場合に使う言葉ですが、そういうことが自然とできる方がおられます。私の周りにはそういう方が多いです。よく気を使ってくださるお客様が多くて、そういう方は逆に氣の使い過ぎで気疲れが起きて弱っている場合もあります。 身体で言うと三焦経という末梢循環や体温調整を司る経絡が弱ります。慮る人は奥床しくもあり、思いやりの尽きない人でもあるようです。そういう人は現代の情報過多の時代には生きにくいのかもしれません。 私自身の考えていることも他者の心を慮って地味に目立たないようにひそかに生きて行くことです。と言いつつこんなブログを書いているのは矛盾しているかもしれません(笑)。
2017年04月15日
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十何年ぶりで福井の永平寺へ行ってきました。家内の父親が運転免許を返納して以来ドライブもままならないで寂しくしているというので、いっしょにドライブに行こうということになり、白山麓のホワイトロードを通って、福井の勝山市へ向かいました。 本当は福井県立恐竜博物館へ行こうとしていたのですが、何と水曜日で定休日でした。ネットではそんなこと書いてなかったように思ったのですが・・・・。それで急遽永平寺へ行くことに。 久しぶりの永平寺は何だかとっても立派になっていて、足の弱い義父にとっては在り難いことにエレベーターもあって義父も楽しく参拝できました。近くのお土産物屋さんに車を止めたのですが、その駐車場に可愛い子狸がいたのにはびっくりしました。お店の人によるとこの辺りは野生動物が人を怖がらずにひょこひょこ出てくるそうです。写真撮っておくのを忘れた・・・。 季節は春。でもホワイトロードの峠道はまだまだ残雪が多くて路面凍結注意の電光掲示が出ていました。それでも永平寺は木々の緑もまぶしく清々しい空気に包まれていました。 永平寺の修行僧の方達は昔来たときには美男が多かったのですが、今回の場合は普通の僧侶の方が多かったように思います(笑)。 久しぶりの永平寺でしたが、きっと今日はここに導かれてきたのだろうなぁと義父が熱心に参拝している姿を見て思いました。
2017年04月13日
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経絡指圧というものを創始され方に増永静人先生という方がおられます。私が師事させていただいた永井先生、遠藤先生の先生ともいえる方です。 増永先生の著された著書を何度も読み返すことがあるのですが、そのたびに新しい発見やら今の施療の中で気づくことやらが数多くあります。何十年も前にこれだけ先進的なことをされていたんだという驚きがあります。 20年ほど指圧をさせていただいていると悪いところ、痛いところに触るとその原因になる体の部位がわかるようになってきました。とても不思議です。実証も重ねてやりますが、大抵正確に見極めているようです。こういうことの積み重ねの上に増永先生は「経絡を見る」という奇跡を重ねて行かれたのだろうなぁと思います。 昔の人の身体の体質は現代の人たちと微妙に違いますが、そういうことを超越して普遍的な生命観のようなものが増永先生の教えの中に貫かれていて、そういうものがこの頃やっと少しずつ見えてきました。 生命の本質とは何か?何となく今の私は「氣」ではないかと思っています。霊というものの本質も「氣」ではないかと考えています。現実世界と霊界というものをつなぐものがあるとすれば、それは「氣」というものなのだろうと思っています。 先生の築かれた経絡指圧という道筋は人や世界の本質とつながっていて、それを解き明かす手がかりともなっているように私は感じております。それはどんな道を歩んでおられる方にも共通して感じられる真理なのかもしれないと思っております。
2017年04月11日
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昨日の休日は母と能登の雪割草を見に行ってきました。 能登の西側の先端部分あたりの猿山岬付近に雪割草の群生地があります。金沢からは車で二時間半ほどかかります。この辺りはまだ何というか「秘境」と言ってもいいくらいのところで土曜日だというのに目的地近くは車もほとんど走っておらず、細いワインディングロードが続いて居てました。 到着して母のお尻を押して坂道を上がると群生地の入り口に地元のおじいちゃんおばあちゃんが番をしていました。環境保全金として一人300円払いました。群生地は傾斜が急だったり、珍しい草花が多いから盗掘もあり、こういう地元の監視があって保全されているようです。 崖地の斜面のそこかしこに様々な可憐な小ぶりの花々が咲き乱れていました。断崖の下百メートルくらい下には海面が見えていました。素晴らしい景観の場所です。 能登は本当に特別な土地で、たおやかともいえるような特殊な雰囲気に包まれた場所です。ただ通ってくる途中の部落には間垣と言って海からの冬の強風を避けるための竹で編んだ家壁が並んでいました。住むのには厳しい土地でもあります。 だからこそ春のこの季節には天もこの雪割草のようなご褒美をくれるのかもしれません。 帰りには門前総持寺の近くのお蕎麦屋さんでお蕎麦を頂いて帰ってきました。心配していた雨にも合わずうす曇りではありましたが、涼しい風に吹かれた小旅行でした。
2017年04月09日
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春は眠い季節ですが、それは冬の寒さで引き締められていた心と身体が緩むからではなくて、気温の変化が激しかったり、気圧・湿度の変化も他の季節に比べると激しいことで体の体温調節の機能や体圧の変化がバランスわ崩してしまうことも原因のように思われます。 冬は基本的に湿度が低いのですが、北陸の場合は雪のせいでそれほどではありません。今年の春は逆に長い間雨が降らなかったりで乾燥した期間が長かったりして、体の中の水分調整もバランスを崩すことが多いようです。 基本的に春は新しい変化が数多くあったりします。それだからこそ日々の生活のリズムを乱さないようにして暮らすことが大切で決まりきった一日のルーチンワークを守って生活することが体調を崩さない一番の秘訣となります。お酒を飲んで騒いでも次の日はきちんと日常の普通の繰り返しを続けることが身体と心を守るために必要なことになるようです。 春になってどれだけ寝ても寝ても眠いと言っておられる貴方は日常のルーチンワークが崩れているのではないかと思ったほうが良いのかもしれません。
2017年04月07日
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県内のあるお寺の坊守の方ですが、心身ともに変調を来たしていて当院の常連さんの方が連れてこられました。 視てみると何度も神仏を招いて「助けてくれ」としておきながら、神仏がこられると「何故来た、お前らに用はない」と追い返すというようなことを何度も繰り返していました。人格に二重性があり、そういうことの繰り返しによって精神が破たんしてしまっているようでした。 ご住職が立派な方らしく常連さんもそのご住職のために何とかして差し上げたいと尽力されているようでしたが、ご本人にはもはや自分を救ってほしいという気持ちも無くなっていて、こうなってしまっては誰も救えるものではありません。 これはいつも思うことですが、自分から助けてほしいと願っている人でなければ他者がその人を救うことなどできるものではありません。心の本質に浄化や進展わ望むものがなければ他者の教導や助言は心に届かないものです。 神仏にすがるというのは相当究極的に追い詰められている状態なのですが、そういうときに助けに来た方達を拒否するというのは、もしかしたら自分自身に対して「甘え」のようなものがあったということなのかもしれないなぁとも思ってしまいます。
2017年04月05日
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化学反応を起こすのに必要な起因となり、仲介役を果たす「触媒」のような役割の方がお客様の中にはおられます。その方がおられるとスピリチュアルの世界ととてもつながりやすくなります。 大抵そういう方はとても素直な性格をされていて善意にあふれている方が多いです。こういう方は霊界から好かれていると言ってもいいのかもしれません。 こういう方がお友達などを連れてこられると私はとても楽しくなります。視るのに何の苦労も無いからです。導かれるままに映画を観ているかのように過去世や霊的なメッセージが伝わってきます。 またこういう方のお友達はとても面白い(と言っては失礼かもしれませんが)霊的な背景を持っておられる方が多いので興味深い氣視になります。 触媒タイプの方にも様々な方がおられます。少し気難しいタイプの方もおられれば、とても無頓着な天真爛漫なタイプの方などもおられます。共通しているのは素直な目ととても賢い大脳を持っておられるということでしょうか。 ちなみに私から「貴方は触媒タイプです。」などということは決してお話しません。どうもそういうことは霊界では禁じられていることのようです。
2017年04月03日
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山の痛ましい事故が起きたばかりですが、金沢の犀川べりから眺める山々にまた白く雪が積もりました。 神々しく見える山を彼方に望んでいると冬の神様がこの土地を去り難く足踏みをしておられるように感じられます。 季節はもうお花見が楽しみになるころなのに肌に感じられる風はまだ寒く穏やかな春の気配はまだ少し感じられるだけのようです。 それでも川べりの草地には雑草の花々がそこかしこに咲き誇り春の下準備を始めているようです。 人の営みは別離と出会いの瞬間を迎えているようですが、自然の営みは淡々と速やかに次の時間に移っていくようです。子供のころの春の記憶を楽しみつつ、今の春の過行く時間を眺めて行こうと思います。
2017年04月01日
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