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火車というのは妖怪の名前で元々は死んだ人の身体に取りつく魍魎のようなものという解釈がされているけれど、現世の人で「火車」に憑かれていると私が氣視してしまう人が時々におられます。 他人の裏の顔を見てしまう癖が出来て、人の心が信じられず、自分自身の生活も機械的に進んでいて無味乾燥した日々が続いていると思っている・・・そんな状態の人の中に「火車」に憑かれていると視える人がいます。 自分自身をしっかりと見つめなおして、人の心というものを信じて疑わず、前向きに生きて行こうとする限り「火車」に囚われることはないはずなのですが、自分に自信を持ち過ぎたり、人の悪い面に興味を持ったりしてしまうと「火車」はやってきて取り付いてしまいます。 この妖怪に憑かれている限りは人の言葉は自分の都合の良いようにしか聞こえなくなるので、何を言っても無駄になります。自らが気づいて立ち直るのを待つしかありません。 何故「火車」なのか?心の歯車が「欲」という火に燃やされて熱く燃えてしまっているという心の状態を「火車」と捉えているのかもしれません。
2017年08月31日
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何度も書いてきたことですが、改めて書いてしまいます。 空気、菌、電波、心・・・目に見えないものの大切さを本当に感じます。その目に見えないものの一つにご先祖様たちの思いというか、加護があります。 お年寄りでも最近は忘れている人が多いようです。亡くなられた肉親の方達の魂は現世の遺された人たちのことを深く強く守ってくださっています。それに気づかずに毎日仏壇に手を合わすこともせず、お墓参りも年に一度行けばまだよいほうという方が多いです。 ご先祖様たちが守っていてくださるからこそ平穏な日々が送れているということに気づくべきではないかと思っています。氣視させていただいていると家庭内に乱れがあるお家は必ずと言っていいほどご先祖様を疎かにしているようです。 見えない手に導かれて人は暗闇の中を歩いているのだと考えています。自分の目で何もかもが見えていると思うのは人の大きな勘違いだと私は思っています。生きている人間の愚かさを少しずつでも救って導いているのは目に見えないものたちの存在なのだと思います。
2017年08月29日
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難しい問題です。お金を目的に人は働きます。そして無駄なお金を使わないように人は節約をします。 けれど霊的な世界からのメッセージは「お金は人を活かすためにあるもの」というものです。お金を目的にしてはいけないらしいです。それはとても難しいこと。どうしても人は多くのお金を欲しがるものです。それによって世の中は成り立っていると言っても過言ではありません。 でもお金は自分を活かすために、周りの人たちを活かすためにあるものだと霊的な存在は訴えてきます。自分を活かし、周りの人たちを活かすようにしていけば必ずお金は結果として付いてくるということなのでしょうか? 人はパンのみにて生きるにあらずということわざが外国にはあるようです。これも似たような意味なのかもしれません。それでもお金もご飯も生きるためには必要不可欠なものです。 たぶんそれのみになってはいけないということなのかもしれません。自分自身のやりたいこと、周りの人たちの幸せ、そういうものを主体に考える生き方が本当の意味でのお金を自らに与えてくれるようになるということなのかもしれません。難しい問題ですが、考えてみる価値はあるように思います。
2017年08月27日
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夜から明け方にかけても気温が下がらず寝苦しい夜が続いています。暑さが苦手な自分にとっては厳しい毎日です。 エアコンがあるお陰で何とか生きていますが、大阪の方では突然の停電で何万世帯もの方達が電気の無い生活を余儀なくされていたとか、想像するだに大変なことです。電気というものの恩恵を人がどれだけ受けているかということがよくわかります。 子供のころは冷房などなかったですが、それほど苦も無く生活していたのは気候が今よりも人に優しかったせいなのでしょうか?それとも子供だったから適応力が強かったのでしょうか? 何しろ冷房によってお腹が冷えて、腹や腰に力が入らなくなって腰痛になる方が増えております。お腹を冷やさないようにして暑さを乗り切ってください。甘いもの、冷たいものの摂りすぎもお腹を冷やしますからご注意ください。 あとひと月余りで暑さも過ぎると思います。暑がりの皆様頑張りましょう。
2017年08月25日
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お客様の知人の方が家の立派なお仏壇を燃やしてしまったというお話を聞きました。神道に切り替えるためだったそうですが、何ともひどいことをされるなぁと思いました。 日本という国は外来の宗教を何となく受け入れてしまう寛容さがあります。仏教にしてもキリスト教にしてもいつの間にか受け入れていますし、日本人のほとんどは仏教徒でもあり神道も信仰している不思議な国民です。 その割に島国だからか来訪者に対しては保守的な部分もあり、それも最近の情報過多の社会性のせいで薄れてきているようでもあります。 他国を見るとほとんどの国が一つの宗教に統一されていることが多いですし、個人性というものをとても大切にしている国が多いようです。 日本人は個よりも集団の倫理や論理を優先する場合が多いようです。宗教も他の人に倣う部分が多かったりします。 宗教の混在する日本人の精神性が私は好きです。八百万の神々をいまだに心の深いところで信じている日本人の精神的風土の在り方が好きです。 それは自然というものに対して「寄り添う」気持ちが生み出したものではないかと思っているからです。自然というものに逆らわず、支配しようともせず、ただ寄り添う心が日本人の本質にあると思っています。
2017年08月23日
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江戸絵画の美術展を21世紀美術館に見に行ってきました。 丸山応挙や狩野派の様々な絵画、岸駒のすさまじい掛け軸など素晴らしい作品の数々を鑑賞してきました。 江戸時代という平安の世が何百年も続くことによって、これらの成熟した美術品が東洋の片隅で醸し出されて行ったわけです。人の「美」というものに対しての追求というのは本能的なものなのだろうかと考えてしまいました。日々の生活さえも二の次にして生み出されていく「美」というもの、そこに人は何を見出そうとしているのでしょうか? 丸山応挙のヤマドリの掛け軸絵の「鳥の目」のすさまじい迫力に「真美」というものの究極を見たように思いました。その同じ作者が子犬たちの何とも愛らしい姿にも「美」を見出していることに人の心の多様性を感じました。 偉人とともに巨人とも呼べる人達がこの世にいるのだと感じた次第です。
2017年08月21日
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氣視させていただいていると出てくるスピリチュアルシンボルには様々なものがあります。トラは本当にトラブルの象徴だったり、カニは源氏や平氏と関係があったりで、その中で「蜂」についてはこれまで解らずじまいでした。 しかし、今回何となくうすぼんやりとですが「蜂」は神仏への畏敬の象徴なのではないかと思いいたりました。人の目に見えないものへの恐れや不安感のようなものが「蜂」という形で表れているのではないかと思います。 例えば平安時代や奈良時代の人たちは神様の祟りというものを極端に恐れていました。そのために神社を作ったりしていたくらいです。神罰というものに対する畏敬の念がスピリチュアルイメージの中では「蜂」という形で顕されているように思います。 例えば「蛇」などはスピリチュアルイメージの中では「財運」を示していますが、「蛇」というものについては怖れや気味の悪いものというイメージもあります。人にとって「お金」というのは「怖れるもの」でもなければならないのかもしれません。
2017年08月19日
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昔のことわざというか「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世」という人の縁の強さを表したものがあったように思います。 先日来院されたご夫婦は過去世を視ると、この主従関係がありました。奥様が過去世ではご主人の家臣だったわけです。個の家臣の方は戦国時代ですが、武勇に優れ優しく思いやりにも富んだ方だったようなので、奥様としてご主人を補佐するには最適な魂を持っておられました。 こういう来世を超えた夫婦関係を視させていただくと、人と人の魂の結びつきというものは中々大したものだと思ってしまいます。 どんな人にも助けてくれる、手伝ってくれる存在というものを何か神仏か霊的なものが用意してくださっているのだなと思います。それに気づいて感謝して生きて行けるなら最高だなと思います。 本当にどんな人にも助けてくれる存在は就いていてくれるのだと思います。気づけるか気づけないかという心の問題だけがあるようです。 本当は周り中のあらゆるものが支えてくれているということに気づいていけれれば一番なのですが、そういう実感を持つことができるのは一部の人だけなのかもしれません。 でも本当に空気も風も雨も日光も草木も何もかもが私達を支え助けてくださっているのだと感じます。何が一つ欠けても私達は生きていけない弱い存在なのだと思って生きて行かなくてはならないと思います。 人と人の魂の結びつきはそういう弱い存在だからこそ与えられた仕組みなのだと思います。
2017年08月17日
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毎年恒例のお墓参りに行ってきました。父方、母方、そして我が家は分家なので我が家の新しいお墓の三か所です。 今年は曇り空で少し小雨の降る天気だったので、それほど暑くもなく快適と言ってよい行程でした。今年は弟夫婦の娘お二人がともに結婚したので、そのお婿さんたちも同道したお墓参りになりました。 家族・身内・親戚と言いますが、本当に近しい身内と言えばこの塊になるんだなぁと思いつつ、ご先祖様はやっぱりこうやってみんなが一堂に会して会いに来ることを喜んでくださっているのだろうと思いつつ粛々と行事は終了しました。 夜には一同会しての夕食会になり、今年は当院のお客様がやっておられるイタリア料理店で美味しいイタリア料理とワインを楽しみました。とは言っても私は飲まないのでウーロン茶で済ましていましたが(笑)。 この席にこそご先祖のお酒好き、宴会好きの方達がいっしょに同席していたように思います。亡くなられた方達全てのお陰を持って生かされている私達だということを改めて思いつつ今年のお墓参りは無事終了しました。
2017年08月15日
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金沢の中心部に住んでいますが、少し歩いて河川敷まで出ると川の上流の山並みがきれいに見えます。 昨日から少し夜雨が降ったようで晴れた市街地から見ると、山の木々が雲霧を吐き出しているのが見えてとてもきれいです。川の水は緑色と茶色の中間のような色をして少し勢いよく流れています。 自然と町がとてもうまく調和しているのが金沢の一番良いところなのですが、最近の自然災害の多さを考えると金沢もいつまでも無事に済むわけもないだろうと思っています。ただ運よくこれまで大きな災害に遭っていないこの土地もいつ大きな災害に襲われても不思議ではありません。 日々の普通の生活というものが送らせていただいてるというのは奇跡に近いことなのだと改めて全てのことに感謝して生きて行かなくてはならないと、遠くの山並みの雲霧を見つつ思っていました。
2017年08月13日
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お盆休みに入ったようで世間では帰省ラッシュの話題が流れているようです。 故郷に住んでいる幸せで、私には帰省ラッシュというものを経験することはありません。 生まれた土地に住んで暮らしてご先祖様や親せきの人たち、友人知人に囲まれて幸せな日々を送らせていただいていることに深く感謝している毎日です。 亡くなった人たちの魂が帰ってきているのを強く感じます。土地の地底深くに流れている霊脈のようなものが道しるべになって亡くなった方達の魂は帰ってきているように思われます。 人はこの大地の上に生かされているんですね。
2017年08月11日
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台風がやってくる直前の町の河川敷を歩きながら、ふと昔の人は天気予報などというものがないから台風のような大きな自然災害をどういう風に予測したり、対応したりしていたのだろうと思ったりしていました。 きっとそれは「言い伝え」のようなものを大切にして予測していたのだろうと思います。こういう事があった後は大風が吹くぞというような言い伝えが人々の間に伝わっていたのだろうと思います。 そういえば母親がいつも餌を与えている自宅の庭へやってくる雀の数がこの数日半数くらいに減ったと聞きました。雀のような小さな野鳥は台風が来るとなれば風を避けられる安全な場所へ避難する本能を持っているのかもしれません。そういうことを昔の人はきちんと見て大風が吹くことを予測したりしていたのかもしれません。 現在は気象衛星のお陰で現実の台風の姿を画面で見る事さえできて、風水害の予測がきちんとできる時代になりました。それでも昔の人たちが大切にしていた「言い伝えむというものも、もし身近に伝わっていてるのであればおろそかにはできないなと思います。 先人の知恵というのは大切な何かを残しているように思います。
2017年08月09日
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在り難いことなのですが、お客様からの「念」を感じることが時々あるようになりました。 つまりそのお客様が当院へ行こうかなと思うと、その念が飛んでくるわけです。もしくは相談したいことがあってそれを私に相談したいと思っていると、そういう「念」が来られるのでこちらはその方のことをふと思い出したりするわけで、そうすると大体近日中にその方から予約が入ったりするわけです。 どうしても強く早く相談したい方が一途で念の強い人だったりすると、こちらは何だかその方のことばかり思い出したり、考えたりするようになって困ってしまうわけです。20年以上も人の「氣」というものを扱っているとオンオフができる技術があるとはいえ、強い「念」が送られると遮断するのはなかなか難しいわけで改めてオフの状態の時にでさえ「心に空」を作らないとならなくなったりするわけです。 恋人同士がお互いを思いあったりすると、こういう「念」が行きかうのだろうなぁと思います。そういう「思い」の通じ合いは良いなぁと思いますが、お客様の「念」は困りものです。とは言え意識して送っておられるわけではないので、お客様のせいとは言えませんし、こちらで遮断もしくは通過させるようにしていきたいと思っています。何かこんな風に書くと自分がとんだ思い上がり野郎ということになってしまうような気もします(笑)。
2017年08月07日
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除霊を受けて心身ともにおかしくなってしまったという方を施療させていただきました。 安易な気持ちで除霊などを受けるものではないとつくづく思いました。霊能者の力が強くて相手に対する配慮というものが無いとひどいことになってしまうものです。 元々霊能者の方でも「呪われている」とか「祟られている」とか脅す文言が出てくるような霊能者の方は怪しいと思ったほうが良いです。それと料金がバカ高い場合、新興宗教色がある場合、これも要注意です。 これはあくまでも私個人の考えですが、霊的な存在は基本的に「慈愛」に満ちていて現世の人に悪さをしようというのはほとんどおられません。雑霊や邪霊についてはほとんどの方が守護されていますから、よほど精神的に弱っていたり乱れた生活をしていない限り、そのようなものに憑かれることはありません。 そして霊的な存在は金銭的なものをあまり好きではありません。 この方の場合は守ってくださっていた神様そのものまで祓われてしまって、霊体の中に小さな真空地帯のようなものが出来てしまっていました。何でもかんでも祓ってしまえばいいというものではないのに・・・・。力技で祓うというのは最低レベルの仕事だと感じました。 これから修復・調整作業が始まります。大変です。
2017年08月05日
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真夏です。冬生まれの私には一番苦手な季節のど真ん中です。 まだ夜から早朝が涼しければ生きて行けるのですが、台風が接近したりすると熱帯夜みたいになって寝苦しい夜になり、生きていけないと思ってしまいます。 こんな気候の時に屋外でお仕事をされている人たちを見かけると頭が下がります。本当にご苦労様ですと言いたくなります。私は冷房の効いた室内で少しだけ汗をかいて仕事をしております。 早く涼しくならないかなと思いつつ、夕方のヒグラシの鳴き声を遠く懐かしく聞いております。 皆様ご自愛ください。
2017年08月03日
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先日お客様の若い女性が「声が聞こえてきて、それを神様の声だと思って従っていたら心身ともにリズムを崩してしまった。」というお話をお聞きしました。 私は「霊的なメッセージというのはわかりにくいのが基本です。わかりやすい霊的メッセージというのは雑霊や邪霊のものなので無視するべきです。霊格の高い方からのメッセージというのはとてもわかりにくい形で伝えられるものなのです。」とお伝えしました。 霊界と氣を通じてつながった際に教えていただいたことは、本当に前述の通りで神仏からや守護霊様からのメッセージというのは一般的に「気づかせ」という形でぼんやりとした訳の分からない形で伝わってくるものです。 それは人にとって「自らが努力して気づくべきもの」という原則があるからです。たまに霊能者の方のお話で分かりやすいメッセージのお話がありますが、それは宿縁で結ばれている特殊なご神体か、霊格が割合と低い霊体からのメッセージで在る場合なのだろうと考えております。 天は自ら助くるものを助く というのは霊的な大原則です。自らが努力しないのに簡単に手に入るメッセージというものは紛い物だと思ったほうが良いと思います。
2017年08月01日
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