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気圧の変化というのは人の身体に本当に大きな影響を与えていると思います。 天気が良い時は高気圧が頭上にあるわけで、体全体を空気がいつもより強く押していると思えばよいわけです。身体は血管が縮み、心臓は負担が強くなります。つまり心筋梗塞や脳梗塞になる確率は上がるわけです。交感神経というものも優位になり、病気を発症しやすくなるわけです。 天気が良いから気持ちが良いとうきうきするのは健康な人なら良いのですが、循環系の疾患をお持ちの方は逆に注意が必要なわけです。 逆に天気が悪くなると気圧は低下して人の身体の血管は拡張し血圧は下がります。こういう時は例えばうつ症状の人などはより落ち込みやすくなります。精神疾患をお持ちの方は低気圧が頭上に来たら気分が落ち込むぞと自分に言い聞かせる必要があります。 天気や気圧というものが人の身体や心に影響を強く与えているということがあまり知られてはいませんが、そういうこともあると常に自覚して生活することも健康な生活を維持するためにはとても大切なことだと考えております。
2017年11月29日
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生まれ変わる回数というのは人によってそれぞれらしいのですが、とても多い人もおられればとても少ない人もおられます。 転生回数の少ない方は魂の純度は高くて、言うなれば「純粋むなのですが、逆に魂としての経験値はとても少ないので根本的な「過ち」というものをしかねない危うさわ持っておられることがあります。 しかしそういう方には現世においてきちんと転生回数のとても多い魂の経験値の豊富な方が指導者というか守護者というか友人知人としてそばに就いていてくださるようにできているようです。 霊的なつながりというのは人知を超えた力で人と人を結びつけるように思います。汚れの無い魂というものはしっかりと守られることになっているように思われます。不幸にもそうでない場合もあるにはあるようですが・・・。 人はこころの奥底に皆等しく「孤独感むというようなものを抱えています。しかしそれは人に共通なものですから、お互いにそこに心を通わせれば「共感」することもできるはずだと思います。人は人とつながることで人として生きて行く力を持つことができるのだろうと思います。魂の本質は孤独かもしれませんが、それ故に人の本質は「助け合う」という心の力、働きによって成り立っているともいえるのかもしれません。
2017年11月27日
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根本治療が出来ないかと日々苦闘しています。表面的な痛みを取るだけでも大変なのに、原因治療までとは贅沢、我儘な思いなのですが、何とかお客様の身体と心の不都合な部分を治していけたらなと思い続けております。 コリや痛みを取るということは何とかできる部分もあるのですが、そのコリや痛みの原因となっているのは内臓の弱りだったり、血流の悪さだったり、心のストレスだったりするわけで、それを見出してお客様ご自身が気づいて生きて行けるようになれば、何とか恒常的なコリや痛みから解放されることにもなるかなと期待して頑張っています。 それでも人の心と身体というのは奥深くて、なかなか本当の姿を見せてくれるところまでは行きづらいものです。本心では見せたいと思っていても心も体もガードが固くて開いてくださらない場合もあります。 二十年続けてくると少しずつ傾向と対策が見えてきます。今でもお客様の身体に触れる最初は緊張します。あとは無我夢中でやっている部分もあり、冷静に客観的に観察・考察している部分もありで施療をしております。「命をもって 命を癒す」これをモットーに続けていきたいと思っています。
2017年11月25日
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蜂という生き物はスピ系のシンボライズされているものとしては「神威」であるということがなんとなくわかっています。 夢の中で在ろうと、氣視の中で在ろうと「蜂むは神様の「威」というものを表しています。蜂という生き物自体は「黒い動くもの」を狙う習性がありますが、これも穿った考えかもしれませんが「黒い」=「人の悪意、邪念」、「動くもの」=「増大する状態」と考えられなくもありません。 蜂は草花の受粉を助け、蜜を人に与えてくれます。神様というものの本質に近いものを表しているような気もします。 昨晩見た夢の中に蜂が出てきたのでちょっと書いてみました。
2017年11月23日
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NHKのプロフェッショナルという特集番組で労災を専門のように頑張っておられる弁護士さんの企画を観ていました。 そう言えばと思い出す友人が一人。彼は小学校からの幼馴染で労働基準監督局に勤務しています。彼は正義感と倫理観に優れた男だったので、そういう仕事は適職だなと思っていました。国立大学を優秀な成績で卒業しながら、私同様卒業時に超氷河期の就職状況で小さなスーパーマーケットチェーンに就職して東北などに飛ばされて何年か苦労していました。 それから何年かして労働基準監督局に就職しました。そして何年か金沢で頑張っていたのですが、どうも職場の上司とやりあってしまったらしく島根のほうに移動になってしまいました。彼は普段はとても温和でおとなしい男なのですが、先にも書いたように結構な正義感の持ち主なので、きっと何か許せないものが目についてしまったのだと思います。 労災認定の弁護士さんの戦いと密接につながっているお役所に自分の友人が務めていることが何かこういう問題に体温を持って私に迫ってくるような感覚を与えてくれます。 彼は彼の地で嫁さんをもらい彼の地で骨を埋める覚悟をしたようです。時々肉親が住んでおられる金沢に戻ってくると私を訪ねてきてくれることもあります。私が心許せる友人の一人です。 過労死などというものはあってはならないことです。モーレツ社員などというものは過去の遺物であり、今は適正な労働環境というものがあってしかるべきだと思います。真面目な国民性から来ている「働く」という事への誤解を解消していかなくては未来の日本の社会は不健全なものになっていくと思っています。
2017年11月21日
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もうそろそろ初雪が降るかもしれないという季節になりました。当院も完全に真冬仕様になっております。 北陸の冬は太平洋側の冬とは違って湿度のある寒さとの戦いになります。小さいころから慣れ親しんできた寒さなので対処法は熟知しているわけです。しかし最近の暖房器具や防寒衣料は進化がすごくて、なかなか使いこなせない部分もあります。 何しろ我が家では炬燵というものが使用されなくなってしまいました。ガスファンヒーター一つで広いリビングは暖かくなってしまいます。昔の狭い和室で炬燵に潜り込んでいた冬が懐かしい気もします。 ヒートテック下着のお陰で寒さを肌がじかに感じるということも少なくなりました。快適さというものに人はすぐに慣れてしまいます。贅沢というものは人を堕落させますね。困ったものです。 それでも大好きな冬という季節を快適に暮らせて楽しめるのは在り難いことです。
2017年11月19日
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以前から子供さんを施療させていただくことが時々あります。 子供さんというのは本当に可能性の塊だなと子供さんの氣を読み取りながらいつも思います。 過去世の情報はとても読みやすいのが子供さんの特徴でもあります。そして彼ら彼女らの心はある意味でとても繊細です。感じていないように見えるのは子供特有の元気さに隠されている場合が多いようです。彼ら彼女らはその小さな心を敏感に震わせて周囲の状況を感じ取っていきます。大人の心の鈍感さとは比べ物にならないような鋭敏なセンサーを持っていると私は氣視していて感じます。 子供たちが一番喜ぶことは自分が理解してもらっていると感じることです。私が心の中の普段は見せない苦しみや悩みを親御さんに説明していくと嬉しそうに楽しそうにニコニコとし始めることがよくあります。人は誰でも自分を解ってもらっていると感じるのが幸せなのかもしれません。 どの子供さんにしても全ての子供たちが周りにきちんと理解されて、自分が望むように自由に生きていける家庭になっていけたら、社会になっていけたら素晴らしいのにといつも思っております。
2017年11月17日
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確か武者小路実篤先生の色紙によく書かれていた言葉だったような気がします。 本当に毎日が良き日々です。嫌なことや悪いこともありますが、それよりも日々病気もせず家人もそれなりに健康に生きていてくれて、お客様も毎日来てくださって一生懸命施療させていただいて感謝し続けているような毎日が送られていることがあり難い限りです。 普通の生活ということがどれほど贅沢なことかということを毎日噛み締めています。息を吸って吐く、この一瞬にすべてが詰まっているように思います。 吸って吐く、吸って吐く、その繰り返し。いつかそれが出来なくなるまで一生懸命生きようと思います。
2017年11月15日
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お客様の中に男性でもののけというか精霊たちに好かれる性質の方がおられます。人の好い基本的に遊ぶことや物事を楽しむことが好きな性質をお持ちの方で、こういう方が好かれるのだろうということは納得できるような気がします。 精霊たちは別に人に悪さをするわけではなく、その人のそばに顔を見に来るだけなので問題は何もないのですが、どうしても霊的に吸引力のようなものが出来てしまうので悪いものに対しても吸引力が多少できてしまいます。 それで念のために「導きの神様」に就いていただくことにしました。お話を聞くと以前からそちらの神様には呼ばれていたようで知らないうちに一度お参りには行かれていたようなので、今度は改めて守護していただくようにお参りに行かれるようお願いしました。 こういう方は無防備になりやすいので、知らないうちに邪霊・雑霊が憑いてしまうこともあるようです。だからと言って強い守護を無理に就けてしまうと精霊たちは寄ることが出来なくなってしまいます。こういう場合は悪いものがいる場所に近づかないように導いていただくのが一番良いのだと思います。 善きものは守って差し上げなければならないと思っています。
2017年11月13日
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亡くなられた方の遺骨をいつまでも手元に置いてお墓へ入れないという方がおられるようです。 若い年齢で亡くなられた息子さんとか娘さんであれば、親としてそのお気持ちはわからないわけでもないのですが、ご遺骨はやはり早めにお墓へ入れられてご供養されることが亡くなった方の為にもご遺族の為にも必要なことではないかと思います。 そうしなければもしかしたら魂は浮遊霊や地縛霊になってしまうかもしれません。そんなひどいことにはならないとしても亡くなった方の思いとしては、自分に対しての未練、後悔、そして妄執というようなものは生きて行くについては不要なものなのだと思っておられると思います。 決してこういうことを喜んで嬉しく思っているなどということは無いと思います。 心の平安というものは普通の生活を続けていく中に生まれて、人にとっては無くてはならないものです。普通の生活の中に「遺骨」がいつもそばにあるというのはありえないことだと私は思います。死んだ人は決して還ってはきません。生きている人には現実の生活をきちんと前向きに生きて行く義務があります。そのためには納骨をし、供養を重ねていくことが大切なのだと思います。
2017年11月11日
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風邪のタイプはいろいろありますが、私は「のど」から来るタイプです。引き掛けにはのどが変になり、それを放っておくと症状が重くなっていきます。 もうこれくらい自分の身体と付き合っているとどう対処すればよいかはわかっていて、風邪の引き初めにはのどのツボである足の甲のポイントに透熱灸をします。ここは本当に効くポイントで一発で喉が楽になり風邪は治まってしまいます。 鼻からくる風邪のタイプやら、ほかにも様々なタイプの風邪がありますが、たぶんそれぞれに対処できるツボがあるのだろうと思います。 自分なりのきちんとした対処法を見つけておくと万病のもとであると言われている風邪には楽かもしれません。
2017年11月09日
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滋賀への旅行で行かせていただいた太郎坊という御宮は巨岩で出来上がったお山がご神体であるような神社でした。 巨石信仰というのは人の宗教観の中では古い形態のものなのだろうと思います。その根本にあるのは山岳信仰であり、海洋信仰であり、それは自然崇拝で在るのだろうと思います。 誰であれ人であれば皆、自然の巨大な存在に接するときに自らの小ささと何がしかの偉大なものの力を感じずにはいられません。 「そこにある」ということに大地や海洋の大きな脈動を自らの中にも共鳴して感じるのだろうと思います。 日本人の中に残っている自然崇拝の念はとても大切なものだと思います。自然の力のそのすさまじさを近年まざまざと見せつけられてきています。だから自然が嫌いになるということはありえないことで、その自然の恵みを得て生かさせていただいていることも間違いようのないことです。 自然の力を敬い、しかし恐れずきちんと対峙し理解し、受け流せるものは受け流す術を学び、ともに生きる道を歩んでいかなくてはならないのだろうと思います。
2017年11月07日
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昨日は家族で滋賀県へ日帰りバスツアーへ行ってきました。 小堀遠州ゆかりの寺院と太郎坊という山の中腹にある神社がメインの旅行でした。どちらもなかなか見ごたえ、体験し甲斐のある場所で秋の時雨交じりの天気も手伝って晩秋の風情をたっぷりと感じてきました。 しかしパックツアーのお昼ご飯というのはいつ食べてもあまりぱっとしませんね。これだけは毎度のこととはいえ改善の余地ありと思ってしまいます。 実は今回の旅先は先日の弟が住む近江八幡市そのものとその近くになっていて偶然なのですが、同じ地に二度も呼ばれるというのは最近読んでいる時代小説の主人公織田信長公に呼ばれているのかもしれません。 時代小説の三英傑で誰が好きかと言われれば私は織田信長公かもしれません。一瞬で散ったような感じの英雄ですが、なぜか惹かれます。もし信長公が本能寺で亡くならないで生き続けていたら日本はどうなったのか、興味深いと思っています。 旅の途中でそんなことを思いつつ旅から帰ってまいりました。写真は後日載せたいと思います。
2017年11月05日
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テレビ番組を見ていてこういうような言葉に出会いました。 人生の中で苦しい時に自分の人生を自分に問うてはいけない。人生がかけてくる問いに自らが答えようと努力することが大切なのだ。 生きて行くうえで苦しみはいつでも突然にやってくる場合が多いのですが、何故今なのだとか何故自分にだけなのだとか思うのではなくて、それは人生という自分の生きる「道」そのものが自らに「お前は自分に真摯に生きているのか?」という「問い」を投げかけている瞬間なのだと言うことのようです。 人生というものは常に「お前はまじめに地味にこつこつと自分に向き合って努力をしているのか?」と問いかけているのだと自覚すると、悩んだり苦しんだりというのが少し遠くのことのように感じられるような気がします。「今」をきちんとこなしていくしかないと思います。 主観の中の主観で在れということなのかもしれません。自分の人生に責任を取らなければならないのは結局自分自身でしかないのですから。
2017年11月03日
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当院のお客様は素直な方がほとんどなので、生活習慣に対するアドバイスなどをさせていただくときちんと守っていただける場合が多いのですが、世間一般的には他者からのそういうアドバイスは聞き流されることが多いようです。 私の母などは自分自身が健康には人一倍気遣うほうなので、様々な自己健康法を実践していて民間のそういう健康法教室にも通って勉強もしています。85歳を過ぎても腹筋50回や金魚運動5分間など数々の健康法を毎日実践しています。 その母がいつも嘆くのは「こういう運動法を取り入れたらいいよ。」とかいうアドバイスを仲間のお年寄りに伝えても決して実践してもらえないということです。皆、聞き流すだけで面倒なのか軽く考えているのか、誰もやってくれないそうです。お年寄りに限って自堕落な生活わ送っている人が多いそうで、少しずつ運動不足や食生活の偏りで寝たきりになっていくのだそうです。 母は若いころに大病を患い何度も死にかけた体験者なので、自分の健康管理には異常に執着する方ですが、それにしてもなかなか他者のアドバイスというのは聞いてもらえないようです。 何かアドバイスを聞いてもらうためには特殊なひと工夫が必要なようです。
2017年11月01日
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