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いろいろな場所の霊的な気配や縁の絡まり具合や諸々を視る場合に私は、その場にいない形で視ることが多いです。 つまりパワースポットにいる時間は何というか「主観」の時間であって、きちんと視ることはできない状態であると認識しております。自宅に帰り着いてから記憶の中のその場所を「霊査」する形になります。その方がクリアにしかも広範囲で深度も深く視ることができることに最初から気づいていました。 本質的に「審神者(さにわ)」的な立場にいるのだろう私にすれば至極当然な霊視になるわけです。ですからパワースポットの現場にいる私はレコーダーみたいなもので、記憶することは潜在意識に任せておいてその場を一般人として楽しんでいることになります。 自分をいかに客観視できるかということが審神者の本質です。それは霊能者の方達と全く異なる霊的なアプローチになるようです。それはとてもラッキーなことなのだろうと思っています。オンオフがしっかりとできる霊視というのはとてもありがたい機能というか技術だと思えるからです。
2017年05月31日
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神田明神と言えば平将門公を神様としてお祀りしている神社として有名です。 平将門公は祟り神として有名な方ですが、現在は完璧に封印されておられるので普通の神様と一緒だと思ってもいいのかもしれません。東京駅近くの首塚には一度お伺いして封印の状態を視てきたことがあるので間違いないと思います。皇居近くだし、聖なるものを守るのにこういう闇の力を封じて使うというのもなかなか古代の人というのは合理的というか恐ろしい論理を持っていたと思います。 神田明神の主祭神はオオナムチノミコト様ですが、この方もなかなか反逆者的性格の神様ですから、この方を一緒に祀るというのもなかなか合理的な考えだと感じます。神田祭というのは江戸っ子の大好きな祭りの一つだと聞いていますが、こういう神様たちの性格を思うと江戸っ子のへそ曲がり的な性向がうかがえて面白いようにも思います。 闇のそばにこそ「光」が強くあり、邪なるものにこそ聖なるものが寄り添うというのは世の真理なのかもしれません。
2017年05月29日
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新緑や よしきりの聲 雨誘う 全くへたくそな句ですが、ポツポツと少し青空がのぞく散歩の河原の道を歩いていると岸辺の桜やなにやらの新緑が目に飛び込んできてまぶしい感じで、そこに毎年のごとく鳴いているヨシキリという縄張り主張の強烈な野鳥の声が響き渡っていました。 新緑を冴え冴えとさせる小雨と野鳥の声が重なって初夏の風が遠くから吹いてくるように感じました。
2017年05月27日
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85歳の母が急の体調不良で早朝救急車を要請しました。救急隊の方は素早く的確に症状を把握してこちらが希望する近くの総合病院へ運んでくださいました。何しろ母は体重が小さい割にきっちりとある人なので動けなくなると私一人では運ぶことができません。救護隊員の方は二人かがりでしっかりと運んで行かれました。 幸いにも母は急性の胃腸炎のような症状で元々心臓にも持病を抱えているのですが、そちらにも大した影響もなく運ばれたその日に退院できました。現在は割と元気に動いております。 以前に亡くなった父も冬の凍った路面で転んで大腿頸部を骨折してしまったときにも救急車のお世話になりました。本当に救急隊員の方には感謝の気持ちしかありません。 いざというときに頼れるこういうシステムは在り難いことです。
2017年05月25日
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お久しぶりでございます。 20、21日と久しぶりに愛知県知多半島のほうに小旅行に行ってきました。いつもの特大エビフライを食べにまるは食堂旅館への旅です。 今回は初日にイチゴ狩りをしてみました。いやイチゴはそんなに多く食べれるものではないですね。私は30個くらいでギブアップでした。シーズン終盤だったので一人1000円だったのですが、まぁ美味しかったし珍しい体験でした。 宿のエビフライはやはり格段に美味しかったです。ここではワタリガニなんかも出るのですが、食べ方をしっかり教わって食べてみるとなかなか美味でした。 二日目は知多半島の先端の師崎港から高速船で篠島という島へ渡って散策してきました。この辺りは「お遍路」のコースがいたるところにあって「島弘法」と呼ばれているようで、特に篠島にはお寺がたくさんありました。 それよりも狭い入り組んだ路地がたくさん走っていて家々が固まって数多くあって、なんだか異空間に迷い込んだような、そんな島でした。とてもきれいなビーチもありました。 鯛やらタコやら海産物が豊富でなかなか活気のある島でした。 島の神様はとても優しい方達で、のんびりと佇んでおられるようでした。
2017年05月23日
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昨日は霊界からお叱りメッセージが多い日でした。最近叱咤激励されるメッセージをお伝えすることが多くなっています。それでもそのメッセージのお陰で長年疎遠になっていた実母さんと仲直りできた方もおられて、よかったなぁと思ってもおります。 ちょっと明日のブログをお休みします。次回は23日になります。申し訳ありません。
2017年05月20日
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自分自身の霊的資質を知りたいと思われる方は少なからずおられるだろうと思います。 私自身で言えばとても幸運だったので少しは自分自身の霊的な資質がわかってきたというところだと思います。人の身体を癒すという道を突き詰めて行ったら「氣」というものに出会い、それを追い求めて行ったらいつの間にか霊的なものを分析できる能力が身についていたというところです。 最初からこうなりたいと望んでいたわけではなくて、何かに導かれるようにそういう場所に行きついたというのが本当のところです。何かの形で人の悩みや苦しみや痛みを救いたいと願うことで、何らかの霊的な手助けの力が働いたのだろうと思います。 霊能力というものを生まれつき持っておられるという方達はその力を純粋に他者のために使うことを考えていかなければならないのだろうと思っています。それを純粋に利益のために使えば、それこそダークサイドに落ちてしまうだろうと思います。 自らを客観的に冷静に分析判断するというのはなかなか難しいことです。目に見えない何かの手助けを得て、自らを知ることが出来ればとても幸運なのだろうと思っております。
2017年05月19日
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人の心というのは脆くて弱い部分があります。そしてそういう心の状態が身体の状態を作り出しているのは間違いないことだろうと思っています。 それなら「不動心」を作り上げればいいのですが、これがなかなかそう簡単なことではありません。ちなみに不動心とは何事にも動揺せず信念を持って生き抜く強くしなやかな心を言います。 そこで考えたのは「傾向と対策」そして「成功体験」です。どんな問題にもトラブルにも必ず「傾向」があり「対策」を考えることができます。受験勉強でおなじみの「傾向と対策」が便利な対処法だろうと思います。 トラブルの「傾向」を考えることで具体的な物事の情勢というものが把握できます。そうしたら「対策」を練ります。そして実行するわけですが、この実行力というのが不動心の無い人間にはなかなか難しいことなので、そこで「成功体験」というものが必要になってくるわけで、ちいさな成功体験を自分に与えていくことで少しずつ実行力を付けて行くわけです。最初からそう簡単にはできないでしょうが、「傾向と対策」を考える癖のようなものが心に付けば、何となく心の中の実行力は育まれていくように思います。 不動心を身に付ければ体の不調というものともおさらば出来るかもしれません。私は目指していきたいと思っています。
2017年05月17日
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霊的な世界と深くつながっておられる方は氣視させていただくととても広く深いビジョンが視えてとても興味深いものです。 それこそ時空間を超越した様々な映像がどこまでも視えて興味が尽きません。ただそのまま見続けていると何だか日本という国の成り立ちまで視えてきそうでちょっと怖くなります。 こういう方達は「導かれ度」が半端なく強くて、向かうところ敵なしの状態で突き進んでいるようにも視えます。それは深い縁というものが織りなす世界なのだろうなぁと思います。人と、物事といつの間にか縁が出来上がり、それに導かれて遠い目標に向けて歩んでいくのだろうと思います。 私自身は人を癒すという役割のようなものを与えられて、世間の隅っこで少しずつ歩んでいて、与えられる導きは本当にわずかなページめくりというような感じです。しかし、霊的な世界がバックアップしてくださっているのはひしひしと感じます。さしたる能力もない私のようなものが二十年以上もこういうお仕事をさせていただけるのは、霊的な導きのお陰であることは間違いないことです。 この良運を無駄にしないように精進していかなくてはなりません。身を慎むこと、これは霊的な世界が現世の私達に最初に教え込むことのように思っております。ありがたいことです。
2017年05月15日
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人が生きているのは幸せと不幸せの間なのかもしれないとフト思ったりします。 幸せという実感は常にあるとは言い切れず、かと言って不幸せを感じてしまうのは心が良しとせず何となくその中間くらいにふわふわといるのがいいのかもしれないと思います。 周りの人たちを幸せにする努力を少しずつ頑張ってして、周りの人が不幸せにならないようにつくづくと願うようにしていくのが人の道なのかもしれないと思っております。 幸せか不幸せ化というのは人の主観に過ぎないという部分もあり、と言いながらも客観的に決して幸せとは言えない人たちも数多くおられるわけで、そういう方達をできる限り幸せという場所へ引っ張り上げて差し上げたいと思いつつなかなかできないでいるのが現状ということになります。 普通でいるということの難しさというのは在りますが、普通ではないといつか認識した時に底を乗り越える強さを持って生きて行かなくてはならないし、そういう心の強さを養っていかなくはならないと思ったりもします。 こういう事を考える時間があるということはきっと私は普通に幸せに近い場所にいるのだろうなぁ、ありがたいなぁと思います。常に何が起こっても「何とかなる」と思っている楽観主義の人間なようです。
2017年05月13日
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昨日はすこやか健診に行ってきました。身体の面倒を見るということはとても大切なことで、きちんと公的な制度を活用して自身の健康状態を測ることは必要です。 ただ「検査」というのは何故あのようにつらいものなのでしょうか?胃カメラの検査では食道や喉の麻酔をされ、大腸の内視鏡を使った検査などは拷問に近いような下準備をしなくてはなりません。 昨日は胃カメラだけで済んだのですが、これからは二年に一度は大腸の内視鏡をしなくてはならなくなりました。西洋医学の検査技術は日進月歩ですが、早くもっと体に負担の少ない検査方法になっていってくれないかなと思います。 病気を前もって知るということは大切なことですが、できれば楽に知りたいものです(苦笑い)。
2017年05月11日
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自分自身の過去と付き合うのは人それぞれではありますが、私自身はあまり過去にこだわらないようにしています。 過去の自分はもう過ぎ去ったものと思い、忘れていくべきなのではないかと思っているからです。良い思い出も悪い思い出もいつまでも思い返したり執着したりしていると、自分自身の「人生の呼吸」が出来なくなってしまいます。 「人生の呼吸」というのは人が日々悪いものを自分自身の中から吐き出し、何らかの良きものを吸い込む行為です。きちんとこの呼吸が出来ていれば人は生きやすくなりますが、一度これがしにくくなると「息詰まり」になって「生きにくく」なります。 過ぎたことは忘れ去って、良い思い出だけは時々思い返すこともあっても良いですが、執着することはせずに人生の呼吸を深く長く続けていきたいものです。
2017年05月09日
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おめでたい報告がありました。お客様で不妊施療のために来ておられた方が無事妊娠されました。当院の不妊施療成功率七割を達成中です。ありがたいことです。 妊娠されるとご夫婦のお家のご先祖様が見学ツアーのようにお腹の赤ちゃんを見に来られるのはいつもの行事です。この方にお話をお聞きしたところ妊娠直前に滅多に行かれなかった能登の実家のお墓参りに行かれたとのこと。そういう事なんだよなぁと納得しました。赤ちゃんを授かるということはご先祖様あってのことなのだなと。だってそのご先祖様の何方か一人が欠けても赤ちゃんは存在しないわけですから、綿々とつながれてきた命の糸の先に赤ちゃんがいるわけです。 お客様には身体を冷やさないこととお仏壇にはできる限り手を合わせるようにとお願いしました。 新しい命の誕生のお手伝いが少しでもできて嬉しい限りです。
2017年05月07日
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三日の定休日、富山県朝日町のヒスイ海岸へ遊びに行ってきました。娘のリクエストです。 ヒスイ海岸はヒスイが無料で拾える海岸として有名なところです。立山連峰の裾が日本海へと落ち込んでいるあたりにあり、山から流れてきたヒスイを含んだ砂利というか丸石が大量に海岸を埋め尽くしています。 これまでにも三度ほど来ているのですが、娘は心行くまで十分に時間を取ってヒスイを探したかったようで、今回は自分で高速代を払ってまでリクエストしてきました。 天気も良くて海岸にはいつもよりも数多くのヒスイ探しの人たちが出ていました。それでも風が気持ちよくて娘も家内も一時間以上ゆっくりとヒスイ探しをできたようです。 この辺りはヌナカワヒメノミコト様の領域です。ご縁を感じる神様でもあるので感謝の念を送りつつ帰途に就きました。
2017年05月05日
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若い女性にどんな男性が好きかと聞くと必ず「優しい人」という答えが返ってくるのをよく見かけます。 しかし「優しい人」というのはある意味で注意しなければならない部分も含んでいると思います。この優しさは見かけだけという場合もあるし、「弱さ」を含んでいる場合もあるし、それは「不実」という要素も含んでいる場合もあるからです。 私が女性なら「誠実さと優しさを兼ね備えた人」と答えると思います。誠実であることは「正直」であることにもつながります。また人の心を無下にしない思いやりにもつながります。そういう人の優しさは真実の優しさであり、一見するとぶっきら棒な風にも見えても心の美しさにつながるように思います。 男同士で見ていても優しいだけの男はよく見かけます。簡単に嘘をついたり見栄を張ったり無神経で自分勝手な本性が見え隠れするものです。本当に誠実で優しい男は案外無口でぶっきら棒で見た目で損をしている人が多いように思います。 人として成長していくためには人の心を大切にして、人を裏切らず嘘をつかず、人の陰口を言わないそんな人になっていかなくてはならないと常に思っていますが、なかなか難しいものです。ただ優しいだけの男にはなりたくないとこの歳になって思っています(笑)。
2017年05月03日
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古事記に載っているお話しに「返し矢」に関わるものがあります。人が放った矢が相手に当たらず、それを狙われた相手が拾って打ち返した場合必ず放ったものに当たるというお話です。 人は他者に対して言葉や態度で「矢」を射ることがよくあります。しかしそれは自分が人にされている言葉だったり態度だったりすることが多いようです。自分がされて嫌だった言葉なり態度なりを自分がまた他者に投げ返している場合もあるようです。 車を運転していて無理な割り込みをしてくる車をそのまま見ていると必ずその車もすぐに無理な割り込みをされているのをよく見かけます。 人というのは自分がされたくないことを他者にしてしまう弱い生き物なのかもしれません。そして必ずまた自分がしたことは自分に返ってくるようです。 自分がされて嫌なことは他者には決してすまいと思っています。逆に相手の方がどうしてほしいのかなと常に考えて行動・言動を考えるべきなのかもしれません。 人に優しい言葉をかけて差し上げることは、また自分自身がどこかで応援していただけるようになることにもつながってくるような気がします。 返し矢が天使の矢になることもあるはず。そういうことを心掛けていきたいものです。
2017年05月01日
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