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先日、定期健診を受診した。カラダが資本の自営業者には欠かせないミッションだ。そのメニューの中に、「胃がん検診」がある。そう、バリウムを飲んでクルクル回らされる、あれだ。あれが好き、という人はおそらくほとんどいないだろう。私も嫌いだ。ただあれが嫌いなのは、バリウムを飲むことによる膨満感だとか、クルクル回らされることのしんどさとか、そういうことでは無い。検診が終わった後は、速やかにバリウムを体外に排出する必要があることから、例外なく下剤を飲まされる。ただ私は慢性的に腸が弱いせいか、日頃からよく下痢気味になる。そんな私が下剤を飲もうものなら、もうあとは推して知るべしだ。そんなことなら飲まなきゃいいじゃないか、とも思うこともあるが、万が一のことを考えると、指示に従わざるを得ない、と思ってしまう。検診そのものよりも、終えて帰った後の方が、私には地獄なのだ。汚い話ですみません。
2018年06月28日
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サッカーのFIFAワールドカップが始まった。連日の熱戦に、日本中が沸き立っている。私は、といえば、サッカーは一応のルールくらいは知っているものの、戦術レベルでゲームが語れるほど詳しくもない。正月の高校サッカーは準決勝くらいからは観るが、Jリーグのレギュラーの試合はほとんどスルー、そんな程度だ。そんな私でも、もちろん日本代表の試合は気になる。そして日本が絡まないカードでも、深夜にふと点けたテレビでたまたま放映されているゲームにいつの間にか吸い込まれている自分に驚くこともある。やはりジャンルによらず、世界最高峰というのには魅了されるものだ。ただこういうメジャーなスポーツイベントにもいろんな見方がある。すべてのメディアがこぞってこの報道に偏ってしまうのはいかがなものか、という声も多い。それは私も同じように感じている。加計学園理事長の会見など、ワールドカップを隠れ蓑にしようという動きも無視できないし。それとは別に、そもそもワールドカップなど端から興味が無い、という人も少なくない。そしてその中には、皆がこぞってワールドカップに熱狂している風潮をシニカルに語ったりする人も多い。でも若い頃の私にもそういう面があったので、何となくわかる気もする。メジャーなものにあえて背を向けることに優越感を感じる、そういう気分だ。オレはオマエ達とは違うんだぜ、みたいな。もちろんそういう天邪鬼的な考え方は齢を重ねるとともに変わっていったが、若い頃の私がタイムマシンで今の私に会ったら、何て言うだろうか?
2018年06月23日
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フェイスブックを利用されてる方なら今さら言うまでもないことだが、フェイスブックには「誕生日メッセージ奨励」の機能がある。アカウント登録する際に自分の生年月日を入力しているので、私の誕生日には自分の友達すべてにそのことが通知され、たくさんのお祝いメッセージが届く。そしてまた同じように、「今日は誰それの誕生日です。お祝いのメッセージを送りましょう」という通知がほぼ毎日のように表示され、任意でこちらからメッセージを送る。つまりフェイスブックがユーザー同士の誕生日メッセージ交換を推進しているわけだ。私も生真面目な性格なので、少なくとも自分の誕生日にメッセージを送ってくれた人には、こちらからも返さないといけないと思い、友達の誕生日ごとにメッセージを送り続けていた。ただそういうことを2~3年続けていると、何だかもやもやした気持ちなってきた。私にかなり近しい人や、普段からよく交流している人であれば、そんなことは無いのだが、ただ繋がっているだけ、という人との間でお祝いのやり取りをするのには、違和感を感じた。しかもお互いメッセージを送り合うのはすべて送られる側の「ウォール」に表示されるので、第三者から丸見えなのである(もちろん自分のFB友達に限られるが)。そういうのを眺めていると、気の利いた文面で送る人もいるが、たいていは紋切り型の文章だ。そして誰に送る時にもまったく同じ文面で送る人も少なからずいて、一目でコピペと分かる。ここまでくると何割かの人は、指示に従って機械的に送っているんじゃないかと思えてくる。私のフェイスブックつながりの方で、昨年他界された方がいる。アカウントはそのままにされているので、今でも閲覧することができる。で、先日その方の誕生日だったのだが、ちょっとその方のウォールを覗いてみた。予想通り、というと失礼だが、少なからぬ誕生日メッセージが届いていた。もちろんその方が今はこの世にいないという前提で書かれたメッセージも少なくはないが、ただ単に「お誕生日おめでとうございま~す」という能天気なノリのメッセージも多かった。そして極めつけはこんなメッセージが.... 「お誕生日おめでとうございます。 健康第一で充実した一年になるよう頑張ってください。」アナタ、この方がすでにお亡くなりになっていることが分かってないでしょ!と言いたくなるようなメッセージだった。何のことはない、ただ機械的に送っているだけ、というように私には見える。これはもう「虚礼」そのものでしかない。先日、私は自分の誕生日をアカウント情報から削除した。これで私の誕生日に、おびただしいメッセージが寄せられることもないだろう。それと同時に、他人の誕生日にメッセージをウォールに投稿することもやめた。どうしても祝いたい特別な人には、ダイレクトメッセージを送っている。他の人たちに、私の真似をしろというつもりはサラサラ無いが、こういう“虚礼”は止めていった方がいいんじゃないだろうか?
2018年06月14日
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