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ジェームズ・バリ(本多顕彰訳)『ピーター・パン』~新潮文庫、1953年~(Sir James Mattew Barrie, Peter Pan) ジェームズ・バリ(1860-1937)はスコットランド生まれ、新聞記者をつとめながら作品を書き始めたそうです(訳者解説、107頁)。 ピーター・パンはあまりにも有名ですが、ティンカー・ベルやフック船長はこの小説には登場しません。そちらは『ピーター・パンとウェンディ』という小説(戯曲)のほうのようですね。 舞台はケンジントン公園。公園の門がしまり、人々がいなくなると、公園では妖精たちや、木々が歩き回ります。そんな中に、家から飛んでやってきたのがピーター・パンです。人として生まれる前の小鳥でもない、人間でもない、そんな存在になってしまいます。 ピーター・パンはある日、妖精に頼んで家に帰ります。お母さんをみて安心しますが、飛びたい思いの強いピーター・パンは、一度家をあとにします。ところが、次に家に戻ると、窓は閉ざされ、家には新しい赤ちゃんがいました…。 またある日、メエミという少女は、閉ざされた後の公園になんとか残ることに成功します。妖精たちや木々の会話に心躍らせるメエミは、舞踏会に参加しようとします。そんな中、ある妖精を助けることになり…。 正直、フック船長たちが登場するピーター・パンの冒険物語を想像していると、(翻訳なのか原文もそうなのか)この物語は少なくとも私にはかなり読みづらかったです。 語り手の「私」も、よく引き合いに出されるデイヴィッドも、この物語にふれる等身大の子供たちの象徴のような存在なのでしょうが、物語の筋の中でしばしば言及されるので、筋がまっすぐ追いにくいです。メエミが登場する節や、ピーター・パンが家に帰るお話は、比較的筋が追いやすいですが、特に冒頭のケンジントン公園の紹介部分は読みづらく、はじめて本書に挑んだときはそこで挫折したような覚えがあります。 今回、なんとか通読することができて、メエミとピーター・パンとのやりとりなど、印象的なエピソードにも触れられたのは良かったです。(2025.07.11読了)・海外の作家一覧へ
2025.09.28
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兼岩正夫『西洋中世の歴史家―その理想主義と現実主義―』~東海大学出版会、1964年~ 著者の兼岩正夫先生は東京教育大学名誉教授。ホイジンガ『中世の秋』や、トゥールのグレゴリウス『歴史十巻』の翻訳も手掛けていらっしゃいます。 本書は、中世の歴史叙述について、キリスト教的な「理想主義」と、実際を描く「現実主義」という2つの概念を参照軸として、「個々の歴史家の歴史作品について過去の現実をとらえる方法を明らかに」しようとする試みとされます(31,36-37頁)。 本書の構成は次のとおりです。―――I 方法論の問題II 中世歴史意識の理想主義と写実主義III 中世の歴史研究の方法IV 中世歴史記述と表現註あとがき――― Iは、まず、第二次世界大戦後のヨーロッパ(イギリス、ドイツ、フランスを中心)における史学史を概観し、文学としての歴史や科学としての歴史など、様々な立場を示します。次いで、学問としての歴史は近代になって成立したと述べつつも、近代以前にも存在していたある種の歴史研究の方法を探求することが本書の目標の1つだと述べた上で、中世の歴史記述に関する研究史を辿ります。 IIは本書の副題にもある、中世の歴史記述の特徴として著者が掲げる「理想主義」と「写実主義」の二元性について論じます。すなわち、中世の歴史記述には、キリスト教的歴史観による「理想主義」と、特に作者の同時代に関する描写にみられる「写実主義」がみられるという特徴を指摘し、主要な史料を具体的に見ながらその現れ方を見ていきます。 IIIは、まずイギリスの歴史記述としてベーダ(本書ではビードと記載)などを概観した後、歴史研究の方法として過去の著作の利用などをみた後、「歴史の説明の論理」として、トゥールのグレゴリウス、ベーダ、パウルス・ディアコヌス、フライジングのオットーなどの主要な著作家たちの作品を丹念にたどります。 IVは、記述言葉としてのラテン語と話し言葉としての俗語の関係について着目します。中世ラテン語の展開を概観したのち、特にトゥールのグレゴリウスの著作のラテン語の特徴を指摘するほか、俗語作品として武勲詩や宮廷物語をとりあげます。 以上、ざっと本書の内容を概観しました。 本書の中で気になったのは、現代(とはいえ、この記事を書いている2025年からいえば本書は60年前の著作ですが)の基準で、中世の価値判断をしている叙述がいくつか見受けられる点です。たとえば、IVでは、同一人物が日常では俗語を用い、書くときにラテン語を用いるという事情が、その思想の展開や表現に「好ましからぬ影響をあたえたと思われる」(148頁)とあります。また、IIIの末尾でも、「歴史の説明の能力において中世の歴史家は古代の歴史家に劣るといわざるをえない」(146頁)と記されています。 さらに、近年の研究状況からいえばアップデートされる内容も多いと思われますが、主要な著作家・著作の特徴を挙げていることから、概観を得るには便利です。 本書は、橋口倫介「中世の年代記」上智大学中世思想研究所編『中世の歴史観と歴史記述』創文社、1986年、39-67頁でも、「1960年代のいわゆる「中世ブーム」の華やかな所産に比して中世の歴史記述そのものに対する関心は必ずしも高まってきたとは言い難く……欧米の優れた研究書の翻訳を除けば、単行本としては兼岩正夫の『西洋中世の歴史家』がほとんど唯一の著作」(46頁)として言及されていることもあり、気になっていました。だいぶ前に購入はしたものの、なかなか読めずにいたので、このたび通読できて良かったです。(2025.07.10読了) ・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2025.09.27
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H・シュリーマン(佐藤牧夫訳)『古代への情熱―発掘王シュリーマン自伝―』~角川文庫、1967年~(Heinrich Schliemann, Selbstbiographie bis zu seinem Tode vervollst ändigt, 1892) 幼少期からホメロスの詩が史実と信じて、トロイアを発掘し、遺跡を発見したシュリーマン(1822-1890)の自伝的記録です。 「自伝」との副題ですが、実際には、著書『イーリオス』に含まれる自叙伝を抜粋しながら、アルフレート・ブリュックナーがシュリーマンの業績を時系列に紹介する体裁です。 幼少期、幼馴染のミンナと誓った結婚と発掘。しかし父が牧師職を退き、貧しくなったことを受けて様々な店で見習いをはじめ、やがて様々な縁もあり豪商となります。 貧しい見習い時代、シュリーマンはひたすら語学にいそしみます。「一生懸命に勉強すればこの貧乏から抜けだせるという確実な見通しこそが、なににもまして私をはげまして勉強させたのである」(22頁)。まず英語を、半年で身に付けます。ここでいうシュリーマンの勉強法は、声を出して多読すること、短文を訳すこと、一日に一時間は勉強すること、作文して先生に訂正を受けて暗記すること、などで、複数の語学を勉強していくくだりは印象的です。 やがて、実業家として成功して十分な収入を得た後は、仕事を退き、トロイアの発掘に専念します。その他、ミケーネ、ティリンスなどの発掘にも従事し、ギリシア考古学に多大な貢献をすることになるあたりが語られます。 誇張、思い違いなどもあるのでしょうし、このままうのみにはできないにしても、学問への思いの熱さが印象的な1冊です。(2025.07.09読了) ・西洋史関連(邦訳書)一覧へ
2025.09.21
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リチャード・バック(五木寛之訳)『かもめのジョナサン』~新潮文庫、1977年~(Richard Bach, Jonathan Livingston Seagull, 1970) 飛行家リチャード・バックが発表した小説です。 カモメのジョナサン・リヴィングストンは、まわりの仲間たちが食べることしか考えていないのに対して、いかに自分が飛べるか、スピードを上げたり様々な飛行法を試したりと、集団から離れて練習にいそしんでいました。両親からも心配されながら、練習を重ね、猛スピードで飛ぶことができましたが、ジョナサンは集団からの追放を命じられます。 一人になったジョナサンが練習に励んでいると、同じように高度な技術で飛ぶことができるカモメたちがやってきて…。「出る杭は打たれる」といいますが、集団とは明らかに異質の行動をとり続けたジョナサンは、上に簡単に概要を書いたように集団から追放されます。 その後出会った教師たちに学び、さらに能力を伸ばすジョナサンは、やがて同じような志をもつカモメたちを教え導く立場になっていきます。 そんな中、ジョナサンは、いわば「神」のようにみなされるのを好まず、あくまで誰にでも可能性があることを説きます。 いろいろな読み方があろうかと思いますが、努力の報いだとか、集団との関係性であるとか、いかに考えて生きるかとか、考えさせられる点は多いです。 豊富に挿入されたカモメの写真も素敵で、物語に彩りを添えてくれます。(2025.07.05読了) ・海外の作家一覧へ
2025.09.20
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メリメ(杉捷夫訳)『カルメン』~岩波文庫、1960年第33刷改版~(Prosper Mérimée, Carmen, 1845) メリメ(1803-1870)による有名な作品。 調査のためスペインを訪れていた考古学者は、案内人がどんなに合図をしたにもかかわらず、盗賊のような男に話しかけ、親しくなります。その夜、考古学者は、案内人が盗賊をつかまえるために動き出したあと、ある行動に出て…。 後日。考古学者は、美しいボヘミアン(ロマ)の女性と出会った考古学者は、女に占ってもらったところで、あの男と再会します。 さらに後日。盗賊は、あの女―カルメンとの出会いから終局までを考古学者に語ります。 出世を目指していた騎兵の男―ドン・ホセは、美しい女、カルメンと出会ってから、運命が狂い始めます。女を逮捕すべき場面で、女を逃し、その後は女たちの窃盗団に加わることになります。やがてホセは女への思いから、人をも殺してしまうことになり…。 あまりにも有名でありながら、なかなか読めずにいましたが、読み始めたら引き込まれました。 考古学者の視点の1・2章に続く、第3章がドン・ホセの語りで、物語のメインを占めます。ホセが沼にはまっていく様子、そして彼を翻弄するカルメンの対比と、悲しい結末が印象的でした。(2025.07.04読了) ・海外の作家一覧へ
2025.09.15
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メーテルリンク(堀口大學訳)『青い鳥』~新潮文庫、1960年~(Maurice Maeterlinck, L’oiseau bleu, 1908) モーリス・メーテルリンク(1862-1949)は、ベルギーのガン市生まれで、詩人・劇作家・エッセイストなどとして活躍し、1911年にはノーベル文学賞も受賞しています(訳者あとがき、192頁参照)。 あまりにも有名な『青い鳥』は童話劇。チルチルとミチルの兄妹が、「光」「イヌ」「ネコ」「パン」たちと、妖女の娘を救うため、「青い鳥」を探す旅に出ます。「思い出」の国では、おじいさん、おばあさんや、亡くなった弟妹たちと再会します。生きている人が思い出すだけで、「思い出」の国の人々は生きている人たちに会えるというおじいさんたちの説明で、なんだかぐっときます。「森」では、植物や動物たちが、人間にされてきたことの復讐を試みます。考えさせられる物語であり、また「イヌ」の活躍が素敵です。 また「幸福の花園」での、様々な「幸福」たちとの出会い。 旅の果てに、チルチルとミチルは「青い鳥」を見つけられるのでしょうか。(あまりにも有名なオチかもしれませんが) 妖女のセリフで、とても印象的な言葉があったのでメモしておきます。「石はどれでも同じなんだよ。どの石もみんな宝石なんだよ。だが人間はその中のほんの少しだけが宝石だと思ってるんだよ」(29頁) 久々に読みましたが、素敵な読書体験でした。(2025.07.01読了)・海外の作家一覧へ
2025.09.14
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西洋中世学会『西洋中世研究』6~知泉書館、2014年~ 西洋中世学会が毎年刊行する雑誌『西洋中世研究』のバックナンバーの紹介です。 第6号の構成は次の通りです。―――【特集】中世とルネサンス―継続/断絶<序文>徳橋曜「中世とルネサンス―継続/断絶」<論文>出佳奈子「ピエロ・ディ・コジモの絵画における伝統と革新―15世紀フィレンツェにおける美術品受容の観点から―」徳橋曜「15世紀イタリアの文化動向と書籍販売」小林宜子「記憶の浄化と英文学史の創出―宗教改革期の好古家ジョン・リーランドをめぐる考察―」坂本邦暢「変容する存在の大いなる連鎖―中世とルネサンスにおける最善世界論―」伊藤博明「シビュラの行方―アウグスティヌスからパラッツォ・オルシーニまで―」上尾信也「音楽史におけるルネサンス再考―作曲家と作品の「越地域性」をめぐって―」【論文】高山博「中世シチリアにおける農民の階層区分」菊地重仁「複合国家としてのフランク帝国における「改革」の試み―カール大帝皇帝戴冠直後の状況を中心に―」辻部(藤川)亮子「「至純の愛」再考―オイル語宮廷風恋愛歌のレトリック解釈を通じて―」紺谷由紀「コンスタンティウス2世治世(337-361年)における聖室長官エウセビウスの位置づけ―宮廷宦官の人的関係に関する一考察―」【新刊紹介】【彙報】松田隆美「西洋中世学会第6回シンポジウム報告「西洋中世写本の表と裏―写本のマテリアリティと西洋中世研究―」」新井由紀夫・菊地重仁・町田有里「2013年度若手交流セミナー「マーガレット・ボニー氏による古文書セミナー」報告記」近江吉明「第8回日韓西洋中世史研究集会報告」――― 特集は、同題の2012年度西洋中世学会大会第4回シンポジウムでの5名の報告を踏まえた論考に、音楽の分野の上尾先生の論考を加えた6本の論文を収録(なお、同シンポジウムの概要は『西洋中世研究』4、2012、233-236頁参照)。 序文は問題提起と各論文の概観。 出論文は、財産目録と絵画の分析から、絵画に対するルネサンス期の態度の変化を指摘します。 徳橋論文は、印刷術の生まれる中世後期の教育的背景の確認から始まり、財産目録や書籍商の在庫目録を手がかりに、書籍販売の状況や読書傾向が14世紀から大きく変わるわけではないことを明らかにするとともに、印刷本による著者の意識変化など、まさに「継続と断絶」を示す興味深い論考。 小林論文は、イングランドでの修道院解散前後に、王から与えられた権限により教皇至上権を批判する目的で修道院写本の調査を行ったリーランドに着目し、過去との断絶を強調しようとする一方で、彼がいかに過去との連続性を見出そうとしたのかを明らかにします。 坂本論文は、哲学の観点から、神は世界を最善に作ったとの説と、これ以上善くすることができるという説がある「世界最善論」のあり方をめぐって、特にスカリゲルという人物に着目し、中世とルネサンスの継続と断絶を検討します。 伊藤論文は古代ギリシアの巫女たちの1人「シビュラ」がいかにキリスト教の著作などで描かれているかをたどり、古代からルネサンスにかけて、古代とキリスト教の連続性が強調されていたことを示します。 上尾論文は、音楽史における「ルネサンス」概念を研究史を丹念にたどりその位置づけを明らかにするとともに、ルネサンス期の音楽の諸相を論じます。 高山論文は、ラテン語、ギリシア語、アラビア語の史料の丹念な読みにより、中世シチリアにおいて農民が2つに分類されていたという通説を批判する興味深い論考。歴史学の営みの面白さをあらためて感じられる刺激的な論文です。 菊地論文はカール大帝の「改革」の様相を、特に君主の代理人ミッシ・ドミニキに着目して明らかにします。 辻部論文は、北フランスのオイル語宮廷風恋愛歌を史料として、そのレトリックに着目することで、詩人が愛を捧げる奥方を「封主」になぞらえる大前提を踏まえた論法による説得レトリックを用いていたことを具体的に示します。 紺谷論文は、宮廷宦官エウセビウスへの批判的な見方をとる先行研究に対して、宦官以外の官職の活動とも比較しつつ、彼の活動の具体的な側面と意義を再考します。 新刊紹介は43の洋書の紹介。中世地理・地図学を対象とした、ブレポルス社から刊行されている「中世学者のアトリエ」シリーズ第13巻についての小澤実先生による紹介や、栗原健先生による子供たちの謎かけなどを扱う書籍の紹介を特に興味深く読みました。 彙報は3本。第6回シンポジウムは実際に参加しましたが、八木先生によるご発表もさることながら、八木先生による特別展示「さわって体験―羊皮紙と中世写本」では、実際に羊皮紙にさわる経験ができましたし、羊皮紙片もいただけて、貴重な体験だったことを覚えています。また、若手交流セミナー(古文書セミナー)の報告、第8回日韓西洋中世史研究集会の概要報告のいずれも興味深いです。(2025.06.28再読) ・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2025.09.13
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シャルル・ペロー(巖谷國士訳)『眠れる森の美女―完訳ペロー童話集―』~講談社文庫、1992年~ シャルル・ペロー(1628-1703)による、1697年刊『過ぎし日の物語集または昔話集 教訓つき』と1695年刊行の『韻文による物語集』の全訳です。 表題作「眠れる森の美女」は、妖精の贈物により100年の眠りについた美女が王子によって目覚める…だけでなく、その後に王子の母が人喰い鬼の一族の出自で、王子夫婦を襲おうとするというエピソードが続きます。末尾の教訓はぴんときませんでした。「赤ずきんちゃん」は救いのないお話。 ジル・ド・レなどがモデルといわれる「青ひげ」は、夫が留守の間、決して開けてはならないと言われた小部屋を開けてしまった妻を待つ衝撃の展開です。「猫先生あるいは長靴をはいた猫」は、猫しか遺産をもらえなかった三男ですが、その猫が大活躍して…というお話。「サンドリヨンあるいは小さなガラスの靴」は、サンドリヨン=シンデレラの物語。「まき毛のリケ」は、ぶかっこうですが才知あふれる王子と、美しいけれど才知に欠けた王女のお話。「親指小僧」は、7人兄弟の末っ子で体も小さい「親指小僧」が、存在をうとまれながらも大活躍するお話です。 以上の8話が散文の物語で、後編には3編の韻文物語が収録されています。 最長の「グリゼリディス」は、美しい妃グリゼリディスと王の物語。作者は末尾にいろいろ書いていますが、王の非道さは、私には目に余りました。「ろばの皮」は、亡くなった妃の言葉で、美しい娘との結婚をくわだてる王と、王から逃れるためろばの皮をかぶり貧しい姿で暮らす王女の物語。これもなかなか…。「おろかな願い」は、3つまでなんでも願いごとを聞いてもらえることになった夫婦の話。 訳者解説もとても分かりやすいです。(2025.06.27読了) ・海外の作家一覧へ
2025.09.07
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ボーモン夫人(鈴木豊訳)『美女と野獣』~角川文庫、1995年改版~(Madame de Leprince de Beaumont, Le Magasin des Enfants, Paris, 1757) ボーモン夫人(ジャンヌ=マリ・ルプランス・ド・ボーモン)は1711年ルーアンに生まれ。ボーモン某という男性と結婚するも相手が性格破綻者で、1745年に離婚、その後筆を執るようになります。再婚後、イギリスに渡り、子供たちの教育事業に打ち込んだり、様々な作品を発表したりします。1780年に亡くなります(解説、256-258頁参照)。 本書は彼女の代表作『子供の雑誌』(Magasin des Enfants, 1757)の翻訳ですが、全訳ではなく、物語部分の訳出とのこと。というのも、『子供の雑誌』は単純な「童話集」ではなく、女教師と子供たちの対話があり、それに関連する物語が導入される、という構造になっていますが、本書の意図は、「作家としてのボーモン夫人の作品を紹介する」ことで、「教育家ボーモン夫人を語るための本では」ないため、物語部分のみを訳出したと訳者は述べています(265-273頁参照)。 と、前置きが長くなりましたが、本書には15の物語が収録されています。 全てを紹介すると煩雑になるので、印象的だった作品のみメモしておきます。 心優しい商人の末娘が野獣の住む館に送られることになるというあまりにも有名な表題作のほか、同様にいじわるなきょうだいと心優しいきょうだい、あるいは甘やかされて育って破滅する登場人物と若い頃に不遇な目にあって成長してから成功する人物の対比とそれぞれの行く末を描く物語がいくつもあります。 特に印象的だったのは「どれいの島」という物語。主人である令嬢エリーズと女どれい―ミラが船で出かけると嵐にあって漂流し、たどりついた島は、本国でどれいだった人たちが主権をにぎる「どれいの島」でした。そこでは、まず一週間、どれいが、主人に対して、今まで主人がしてきたようにふるまわなければなりません。エリーズはその一週間で、自分が今までしてきたことを反省することになります。一方ミラは、それでもエリーズに忠実で…というお話です。 その他、講談社文庫のペロー昔話集には「おろかな願い」と題されて収録されているのと同様の、3つまでなんでも願いごとをかなえてもらえることになった夫婦を描く「三つの願い」など、どれも興味深く読みました。(2025.06.21読了) ・海外の作家一覧へ
2025.09.06
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