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クシシトフ・ポミアン(松村剛訳)『増補 ヨーロッパとは何か―分裂と統合の1500年―』~平凡社ライブラリー、2002年~(Krzysztof Pomian, L’Europe et ses nations, Paris, Gallimard, 1990) 著者のポミアンは、1934年、ポーランドのワルシャワで生まれた歴史学者。ワルシャワ大学で学び、同大学で助教授職を務めた後、政治的立場から職を失い、ワルシャワ国立図書館での勤務後、活動の場をフランスに移し、国立科学研究センターで主任研究員をつとめながら、社会科学高等研究院などでも教えているとのこと(訳者あとがき参照)。 本訳書はもともと1993年に平凡社から刊行されていますが、平凡社ライブラリー版として刊行するにあたり、タイトルにも「増補」とあるように、著者ポミアンからの追記が付されています。この追記はこの版のみでしか読めないとのことで、貴重な一冊。 さて、本書の構成は次のとおりです。―――日本語版への序文序第1章 ローマと異民族第2章 異教、キリスト教、ローマ帝国第3章 新たなラテン世界第4章 カロリング朝の組織の核第5章 ヨーロッパの出現第6章 内部破裂から拡大へ第7章 封建社会から身分社会へ第8章 最初のヨーロッパ統合第9章 エリート文化の革新―ローマへの回帰第10章 信仰の源への回帰―ヨーロッパの宗教的統一の終焉第11章 ヨーロッパの政治と軍事―中心地の移動第12章 第2のヨーロッパ統合―文芸共和国第13章 第2のヨーロッパ統合―宮廷、サロン、フリーメイソン第14章 戦争、絶対主義、近代化、革命第15章 アメリカとロシアの間で第16章 フランス革命、ヨーロッパ文化、国民文化第17章 諸国家の道―西欧第18章 民主主義、産業、国民統合第19章 諸国家の道―中欧と東欧第20章 第一次世界大戦まであとがき―第3のヨーロッパ統合に向けて平凡社ライブラリー版のための追記訳者あとがき解説―「周辺」から「内部」に浸透する眼(西谷修)文献案内索引――― 原題は「ヨーロッパとその諸国民[諸民族]」ですが、邦題は副題も含めて本書の本質を簡潔に示していると思います。副題にある「分割と統合」は、日本語版序文にあるように、著者が「ヨーロッパの本質」ととらえている特徴です。 本書は、その本質を念頭に置いたヨーロッパ史の通史ですが、細かい事件の年代を重視せず、大きく時代、時代の特徴を捉えていくというスタイルです。 通史なので、個々の章の紹介は省略しますが、本書の特徴と感じた点をいくつかメモしておきます。 一点目は、原著刊行の1990年頃を「第3のヨーロッパ統合」が近い時期ととらえ(その後EUが成立、2002年に単一通貨ユーロに移行)ととらえ、それまでに二度の「ヨーロッパ統合」があった、とする指摘です。第一の統合を論じる第8章では、12世紀以降、各国は政治的分割と戦争状態があったものの、ラテン・キリスト教世界の宗教・社会・文化面の統一を重視し、事例として大学や騎士文化、市民文化を挙げます(なお、この統合は、第10章において、プロテスタンティズムの勢力拡大により終わったと指摘されます)。第二の統合は目次でも示されていますが、こちらも16・17世紀の「文芸共和国」や宮廷・サロン文化などとされます。以上のように、著者は文化面での「統一」を重視しているように思われます。 二点目は、著者がポーランド出身ということをことさら強調するのもおかしいかもしれませんが、東欧・中欧の歴史・重要性にも目配りされていて、第19章では、第17章の西欧に対になるかたちで、東欧・中欧の諸国家[諸民族]の歴史が取り上げられます。 三点目として、一点目でも触れましたが、各時代の文化を重視している点が挙げられます。いわゆる各国の政治史を中心とした通史ではなく、各時代の政治的・社会的背景の中で生まれた文化(たとえば、第16章の革命→民族主義からの、文化面での「国民文化」の形成)の意義を強調した記述となっていると感じました。 全体を通して、特徴と感じた三点を挙げましたが、個々の章でも学びがあり、充実した読書体験でした。(2022.11.03読了)・西洋史関連(邦訳書)一覧へ
2023.01.29
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西洋中世学会『西洋中世研究』14~知泉書館、2022年~ 西洋中世学会が毎年刊行する雑誌です。 今号の構成は次の通りです。―――【特集】中世のユダヤ人<序文>佐々木博光/田口正樹「特集「中世のユダヤ人」に寄せて」<論文>志田雅宏「中世西欧のユダヤ教における対キリスト教論争文学の嚆矢―ヨセフ・キムヒ『契約の書』とヤアコヴ・ベン・ルーベン『主の戦い』―」嶋田英晴「『レシュート(Reshūt)』研究序説」佐々木博光「中世のユダヤ人迫害、その動機づけの歴史」関哲行「中近世スペインのユダヤ人とコンベルソ―異端審問制度と「血の純潔規約」を含めて―」黒岩三恵「1370年ブリュッセルの聖体冒瀆事件―出血聖体崇敬、ユダヤ嫌悪とサント・ギュデュル参事会聖堂の装飾―」【講演】ティル・ホルガー・ボルヒェルト(杉山美耶子訳)「ブルゴーニュ公領ネーデルラント及びヨーロッパにおけるヤン・ファン・エイク芸術の遺産(1440-1470年頃)」【論文】桑原夏子「ピサ、サン・フランチェスコ聖堂サルディ礼拝堂壁画―タッデオ・ディ・バルトロ《聖母のよみがえり》の制作背景―」伊丹聡一朗「ウシクイニクとは何者か?―中世ロシア河川賊とノヴゴロド政治権力の展開―」藤田風花「キプロス王国における宗派併存体制の成立―「キプロス勅書」の意義をめぐって―」【研究動向】武藤奈月「古代物語(roman d'antiquité)の研究動向」【新刊紹介】【彙報】小澤実「西洋中世学会第14回大会シンポジウム報告「危機を前にした人間:西洋中世における環境・災害・心性」」松本涼・福田智美・頼順子「2021年度若手セミナー報告「頭と舌で味わう中世の食文化:レクチャー編」」――― 特集序文は、まず、関連する基本的な研究史を整理します。ここでは、迫害を中心とする研究から、共存を強調する研究へのシフトが見られることを指摘したのち、本特集としては、迫害の歴史も共存の歴史も軽視せず、双方の研究動向のいずれにも配慮するという方針が示されます。その後、特集の各論文を紹介し、「迫害の歴史がなぜ繰り返すのか」という問題提起を行います。 志田論文は、対キリスト教文学の歴史を概観したのち、副題にある2つの主要史料について詳細な分析を行います。当該ジャンルの著者たちが持つキリスト教文学に関する知識(=キリスト教との相互関係)の重要性や、主要史料がキリスト教への論駁だけでなく、それを通じて「ユダヤ人社会のための規範を提供」(22頁)するという、教育的な目的もあったことから、読者として同時代のユダヤ人を想定していたという興味深い指摘を行います。 嶋田論文は、イスラーム社会におけるユダヤ教徒の境遇を考察するうえで、ユダヤ教徒同士の強固な信頼が彼らのネットワークを支えていたことを指摘し、それを示すものとして史料に現れる「レシュート」(「学塾の歳益権」を意味するが著者は「管轄」と訳)という語に着目します。「レシュート」分析自体は末尾で、今後の課題として取り上げられますが、ここでは(少なくとも私にはなじみのない)イスラーム社会におけるユダヤ人のネットワークに関する状況について知見が得られ、興味深いです。 佐々木論文は本特集の中で最も興味深く読みました。ユダヤ人迫害の動機付けとして、「儀礼殺人」、毒物投棄疑惑、経済的動機などが挙げられ、それぞれの実態を史料をもとに示します。興味深いのは、毒物投棄疑惑について、ユダヤ人の毒物投棄によりペスト禍がもたらされ、迫害されたとの説明が多いが、同時代の目撃者の説明では、毒とペストを結びつけて説明している史料はわずかと指摘されることです。また、高利モチーフで迫害を説明する事例は前近代にわずかであり、近代以降に増加するという、歴史叙述におけるイメージの変容も明らかにされます。 関論文は中近世スペイン帝国におけるコンベルソ(改宗ユダヤ人)やマラーノ(偽装改宗者)に対する審問の在り方を、メキシコなども含むグローバルな観点から論じます。 黒岩論文は、副題にある聖堂装飾における、ユダヤ人が関与した聖体冒瀆に関する事件・物語を扱う装飾を題材とした分析です。 ボルヒェルト講演は、ファン・エイク及びその工房の技術が伝播していった様子を概観します。 桑原論文は標題壁画に描かれた、ほとんど類例のない《聖母のよみがえり》図像が描かれた理由や意義について、製作者、発注者、聖堂を管理していたフランシスコ会士たちの3者の状況の詳細な分析を通じて明らかにする興味深い論考です。 伊丹論文は、中世ロシア河川賊「ウシクイニク」について、その構成員、活動時期、活動範囲、活動内容の分析を通じて、「ウシクイニク」の定義を与える論考。一点、史料により「ウシクイニク」に肯定的視点を持つものと否定的な視点を持つものがあるとのことで、図表2(「ウシクイニク」の活動年、場所、構成員について整理した表)に、当該活動を記録した史料の立場も付記しておくと、より議論が分かりやすくなったのではないか、と感じました(本文で十分読み取れない私の読解力不足もありますが)。 藤田論文は、第三回十字軍後、キプロスにカトリック系王朝が創始されたのちの、同王国におけるギリシア正教とカトリックの宗派併存体制の在り方を、教皇勅書などから分析します。 武藤論文は12世紀に創作されはじめる、古代の作品(『テーベ物語』、オウィディウス作品など)に着想を得た、古代物語と称される俗語作品の研究動向を、3つの局面に整理して概観します。 本号でも、新刊紹介では興味深い文献がいくつも紹介されており、いくつかはいずれ読んでみたいと思いました。 彙報は、オンラインと実地のハイブリッド形式で開催された第14回学会シンポジウムの概要と、中世食文化を対象とした若手セミナーの報告及び体験記です。特に前者はオンラインで拝見しましたが、たいへん興味深い発表が多く、本誌の中でも中世環境史に関する基本文献が紹介されているなど、あらためて勉強になります。 私が主に勉強しているテーマではない論考が多かったですが、ふだん読むことのない分野に関する知見が得られ、今号も大変勉強になりました。(2023.01.22読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2023.01.28
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宮沢賢治『銀河鉄道の夜』~新潮文庫、1961年~ 宮沢賢治さんによる童話8編と戯曲3編を収録した作品集です。 簡単に内容紹介と感想を(戯曲はタイトルのみ)。―――「虔十公園林」子供たちにばかにされていた虔十は、杉苗を植え、林をつくります。しかし、その林もばかにされるのですが、やがて…。「よだかの星」みにくく、ほかの鳥からばかにされていたよだかが、遠く遠くへと飛んでいく話。「やまなし」蟹のこどもたちが「クラムボン」の話をしたりする物語。(むかし、教科書で読みました。「やまなし」というタイトルだったのですね。)「雪渡り」二人のこどもが、子ぎつねに、幻灯会に招待される話。「銀河鉄道の夜」父親のことを旧友に悪く言われていたジョバンニが、祭りの夜に出かけ、気づけば列車に乗っていました。中には、友達のカムパネルラもいます。二人は、様々な乗客と話しながら、遠く列車に乗って進んでいきます。「双子の星」ボウセ童子とチュンセ童子が、カラスとサソリのケンカを仲裁し、感謝されます。しかし、悪い彗星にだまされて、海の中に落ちてしまい…。「ざしき童子のはなし」タイトルどおり、ざしき童子がどんな存在かを、いくつかのエピソードで紹介します。「グスコーブドリの伝記」イーハトーヴの森に生まれ、飢饉の際に両親と妹と別れたブドリがたどる生涯を描きます。「ポランの広場」(戯曲)「植物医師」(戯曲)「飢餓陣営」(戯曲)――― あまりに有名なのにもかかわらず、恥ずかしながらおそらく表題作や「グスコーブドリの伝記」を読んだのは初めてなので、物語の面白さもともかく、単純に勉強になりました。 特に好みだったのは冒頭の「虎十公園林」。ばかにされていた少年が残した財産が素敵です。 「よだかの星」も有名ですが、好みでした。 表題作は正直よく分からない部分もありましたが、印象的なことばに出会えました。「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでも、それがただしいみちを進む中でのできごとなら、峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから」(99頁)。また、青白い顔のおとなが紹介する、地理と歴史の辞典の話も印象的でした。 「グスコーブドリの伝記」は、ひたむきに働き、学ぶブドリが素敵です。(2022.10.30読了)・ま行の作家一覧へ
2023.01.22
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C. H. Lawrence, The Friars. The Impact of the Mendicant Orders on Medieval Society, London-New York, I. B. Tauris, 2013 多くの文献(*)が引用する、托鉢修道会に関する基本的概説です。 (*)たとえば、赤江雄一「托鉢修道会―中世後期の信仰世界―」『西洋中世研究』9、2017年、2-7頁、三浦麻美『「聖女」の誕生―テューリンゲンの聖エリーザベトの列聖と崇敬―』八坂書房、2020年。 著者のローレンスはロンドン大学ロイヤルホロウェイカレッジの中世史講座名誉教授。本書のほかにも、中世修道制の基本文献としてMedieval Monasticism. Forms of Religios Life in Western Europe in the Middle Ages, 2015があります(が、のぽねこ未見)。 本書の構成は次のとおりです(拙訳)。―――謝辞脚注で用いられる略号新版への序文第1章 危機のなかの中世教会第2章 アッシジの聖フランチェスコと小さき兄弟会[フランシスコ会]の起源第3章 小さき兄弟会の成長、危機と変容第4章 聖ドミニクスと説教者修道会[ドミニコ会]第5章 新たな修道士たち第6章 都市への伝道第7章 学校の獲得第8章 聖職者の不平第9章 王への宮廷で第10章 教皇職への奉仕第11章 遠く異邦人のためにエピローグ 失われたものと得られたもの精選参考文献目録索引――― 新版への序文で、本書の焦点は、(1)托鉢修道会が13世紀に興隆した社会的文脈と、(2)托鉢修道会が社会や宗教的経験に与えた影響の2点とされます。常に、托鉢修道会と社会とのかかわりが意識された論述となっています。 目次をなぞるようなかっこうになりますが、本書は、エピローグを除き、大きく3部に分けることができるでしょう。 第1部にあたる第1章は異端や大学の誕生など托鉢修道会誕生の背景を描きます。 第2部にあたるのは第2章から第5章で、主要な托鉢修道会の概観です。第2章~第3章がフランシスコ会の成立と展開、第4章がドミニコ会の同じく成立と展開、第5章がその他の托鉢修道会を見ていきます。 第6章以下は、托鉢修道会の社会での活動の諸側面を論じます。内容は章のタイトルどおりですが、第11章について補足すると、アラブ人やモンゴル人への宣教活動が取り上げられています。また、面白かったのは、第7章で論じられる学校(大学)に托鉢修道士が進出し授業を行うようになるのですが、その目的のひとつに学生を自分の修道会にリクルートすることがあったという指摘です。 ざっとの記事になりましたが、本書は、中世における托鉢修道会の概要を得られる基本文献です。(2022.10.27読了)・西洋史関連(洋書)一覧へ
2023.01.21
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本多孝好『MISSING』~双葉社、1999年~ 本多孝好さんのデビュー短編集です。本書所収の「眠りの海」は、第16回小説推理新人賞受賞作で、本書には加えて4編の短編が収録されています。 それでは、簡単にそれぞれの内容紹介と感想を。「眠りの海」自殺に失敗した私の前に、一人の少年が現れます。私はなりゆきで、その経緯を少年に語ります。教員だった私は、一人の女子生徒を保護することになりました。しかしある夜、事故で彼女を死なせてしまいます。少年はしかし、その事故の裏にある事情を推理し、私に現実を突きつけます。 * 謎解きが鮮やかだけでなく、主人公の過去と少年の関りなど、様々な人のつながりで、深みを感じる物語です。「祈灯」妹の友人の「幽霊ちゃん」は、幼い頃に事故で亡くした妹の名を名乗り、妹になりきって生きていました。ある日、妹とともに招かれ、幽霊ちゃん一家と食事した僕は、彼女の両親に対する悪意を感じ取ります。そして、幽霊ちゃんが妹のふりを続ける事情と、過去の事故にとある解釈を与えることになります。 * 主人公の妹さんのつらい過去と、幽霊ちゃんの過去。苦しい過去を抱える二人がリンクし、つらい気持ちになる真相(と思われる物語)でした。「蝉の証」祖母の暮らす老人ホームを訪れた僕は、同じ老人ホームの相川さんの様子が変わってしまったので、原因を探ってほしいと頼まれます。派手な姿の男性が相川さんを訪れた日から、彼の態度が変わってしまったとのことで、僕はその男性を探すところから始め、そして男性の過去と態度の変化の理由にたどりつきます。 * 男性の態度の変化、そしておばあさまの最後の言葉や蝉の声と、印象的な物語でした。「瑠璃」堅い親戚の多い中、奔放に生きるいとこのルコちゃんにあこがれていた僕と、ルコちゃんに訪れる変化の物語です。 「彼の棲む場所」テレビでも人気のコメンテーターとなった学者の「彼」から声をかけられ、親しかったわけでもない旧友の僕は「彼」と話をします。同級生の死の思い出から始まり、話は、僕も含めほとんどのクラスメイトから存在自体を忘れられているある少年のことにつながります。 * きっと誰もが一度は抱いたことのある、ある思いを突き詰めた物語です。「祈灯」「蝉の証」同様に印象的でした。――― いわゆる、がちがちの謎解きメインのミステリではなく、人の死が描かれる中でも、あえていえば「日常の謎」に近いスタイルの物語と感じました(たとえば、「祈灯」は、幽霊ちゃんの妹の死がありますが、主題はなぜ幽霊ちゃんが妹さんのふりを続けているのか、にあります)。 そして、「日常の謎」といえばあたたかい物語も多いですが、本書収録の短編は、どちらかといえば重たい物語も含め、深く、印象的な物語と感じました。 かなり前に読んでいるのですが、記事を書いていなかったので久々の再読でした。良い読書体験でした。(2022.10.20読了)・は行の作家一覧へ
2023.01.15
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広瀬正『エロス―もう一つの過去(広瀬正小説全集3)』~集英社文庫、1982年~ 有名歌手、橘百合子さんが、雑誌の取材で「あのとき、ああしていたら」という問いに答えます。もしあのとき、映画を観に行っていなければ、自分は歌手になることはなかっただろう……。そう考えた彼女の、実際の過去の、ありえたもう一つの過去を描く長編小説です。 橘さん―本名赤井みつ子さんのほか、彼女が若い頃に出会っていた片桐慎一さんがもう一人の主人公です。 東北から東京にやってきた赤井さん。彼女が身を寄せるおじ・おばの家のラジオを片桐さんが修理に行ってから、二人は引かれ始めます。実際には、赤井さんはそのなまりと歌声を認められ、歌手として成功、片桐さんはある事件がきっかけで視力を失うことになってしまうのですが、もし赤井さんが映画を観に行かず、歌手となるきっかけを手にしていなければ、二人の人生の交わり方は変わっていたかもしれない…。 第一長編『マイナス・ゼロ』のインパクトや『ツィス』のどんでん返しのような衝撃に比べるとやや地味かもしれません。また、『マイナス・ゼロ』の解説で、星新一さんが、広瀬さんは「題名の付け方で損をしていたのではなかろうか」(433頁)と指摘していますが、本書はタイトルこそ『エロス』ですがいわゆるそういう要素の話ではありません。愛の女神を意味する、作中でも重要な役割を果たすことばではあるのですが、たしかに作品のイメージとはあまり結びつきにくいタイトルではあります。 とはいえ、本書の小松左京さんによる解説にあるように、過去の記述の中のすさまじいまでのディテール、二人の人生の交わりなど、印象的な物語です。(2022.10.16読了)・は行の作家一覧へ
2023.01.14
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広瀬正『ツィス(広瀬正小説全集2)』~集英社文庫、1982年~ ツィス(ドのシャープ)音が聞こえる…。精神科医・秋葉医師のもとに一人の女性から訴えがあってから、日本中を巻き込む騒動につながる、という長編作品です。 女性からの訴えを受けた秋葉医師は、女性が郷里に戻ると症状がなかったことを確認します。しかし、神奈川県C市に戻ってきた女性は、再び音が聞こえると訴えます。 その時期、有名なフランスのバイオリニスト・モレル氏が、とつぜんコンサートを中止するという事件が起こります。 モレル氏にもツィス音が聞こえたため、演奏どころではなくなったのではないか。そう考えた秋葉医師は、音響学の権威・日比野教授に相談をもちかけます。教授は、ツィス音測定機を作成し、実験を重ねた結果、いずれ東京にも音が聞こえるようになる、そしてツィス音はどんどん大きくなるという予測をたてます。 そこで、テレビ局で、ツィス音の状況を専門に解説する番組が開始されることになり、教授は今後の予測と対応について、人々に発信していくことになるのですが、ついに東京でも耳栓なしには暮らせなくなるほどにツィス音が大きくなるという時期が近づき、政府とともに解決策を練っていくことになります。 謎のツィス音、そしてそれがどんどん大きくなるといういわば大災害というテーマに加え、マスコミの役割・ありかた、災害への政府の対応など、様々なメッセージが感じられる作品でした。そして物語が反転するほどの結末の衝撃……。これは面白かったです。(2022.10.05読了)・は行の作家一覧へ
2023.01.07
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広瀬正『マイナス・ゼロ(広瀬正小説全集1)』~集英社文庫、1982年~ タイムマシンに関する著作を数多く発表した広瀬正さん(1924-1972)による第一長編です。 本書も、まさにタイムマシンをテーマにしています。 戦時中、隣家の「先生」と啓子さんと交流のあった浜田俊夫さんですが、戦争により、「先生」は亡くなり、同日、啓子さんは行方不明になっていました。そして18年後、「先生」との約束で、「先生」たちが住んでいた建物横のドームを訪れると、全く変わっていない啓子さんと再会します。 啓子さんがあの日からここに、タイムマシンでやってきたことが分かった俊夫さんは、あの日に戻ろうとしますが、誤ってさらに過去にさかのぼってしまい…。 なんとかその時代を生き抜く俊夫さんに訪れる「未来」とは。 といった流れですが、俊夫さんが身を寄せるカシラ一家の人柄や、推理小説を中心に本を大切にするレイ子さんなど、過去を生き抜く中で俊夫さんが出会う人々との関係も素敵ですし、なんとかもとに戻ろうとする俊夫さんの奮闘も興味深いです。そして、待ち受ける未来も衝撃的で、印象的な物語でした。(2022.09.30読了)・は行の作家一覧へ
2023.01.02
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