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大黒俊二『嘘と貪欲―西欧中世の商業・商人観―』 ~名古屋大学出版会、2006年~ 著者の大黒俊二先生は現在大阪市立大学名誉教授。商業・商人観の研究をはじめ、特に中世後期イタリアの説教活動や、リテラシーに関する研究を多く発表されています。 本書は、それまでに刊行された主要な論考をまとめあげた、先生の博士論文をもとにした一冊です。(第4章と「おわりに」は新稿。なお博士論文は大阪大学リポジトリからPDFが入手可能で、博士論文には本書には掲載されていない史料の訳も付されています。) 本書の構成は次のとおりです。 ――― はじめに―視点・史料・方法 序章 嘘と貪欲 I スコラ学文献から 第1章 徴利禁止の克服をめざして 第2章 石から種子へ 第3章 公正価格と共通善 第4章 清貧のパラドックス II 教化史料から 第5章 托鉢修道会と新説教 第6章 ベルナルディーノ・ダ・シエナと商業・商人観 第7章 ベルナルディーノ・ダ・フェルトレとモンテ・ディ・ピエタ III 商人文書から 第8章 為替と徴利 第9章 「必要と有益」から「完全なる商人」へおわりに―近代への展望 あとがき 註 引用文献 事項索引 人名索引 ――― はじめには、本書の問題関心、研究史の整理、そして主要な史料の概要を示します。本書の要点は、商人への非難としてのトポス(定型句)である「嘘と貪欲」から、商人を肯定するトポスである「必要と有益」への移行という商人へのまなざしの変化を、大きく3種類の史料から論じることにあります。 序章は初期中世から12-13世紀頃までの商人観の軌跡をたどります。 第1部は、フランシスコ会の急進的な立場である聖霊派の代表的論客ピエール・ド・ジャン・オリーヴィを中心に、スコラ的史料から商人・商業へのまなざしを論じます。 第1章は徴利usuraへの見方の変化をたどります。元々神に属する時間を売るものとして非難された徴利ですが、期待利益喪失の観点から―たとえば大市に向かう者に対して喪失するリスクを背負って金を貸す場合、元本以上に受け取りうる―一部容認されていきます。第2章は、そうしたリスクのない徴利を得る場合の考え方として、貨幣は何も生まない石なのか利益を生み出しうる種子なのか、というオリーヴィの議論を詳細に分析し、オリーヴィが貨幣の種子的性格を認めていることを明らかにします。 第3章は、渇きで死にそうな人にとっての水は命にも代えがたいが、そういう人に計り知れないほど巨額の金額で水を売ることが妥当か、という興味深い例題に見られるように、公正価格と共通善の問題を扱います。また本論は、共通を意味するcommuneの語の様々なニュアンスを使い分けて議論を展開するオリーヴィの言葉を、日本語に訳することによって、その戦略をより明確に明らかにしうるという大変興味深い試みとなっています。 第4章は清貧を理想としたフランシスコ会士であるオリーヴィが商業を肯定する議論を展開したという事態を「清貧のパラドックス」と呼び、彼の清貧と使用の観念を論じます。 第2部は私が関心を寄せる説教史料を主要史料として、商人・商業へのまなざしを論じます。 第5章は中世の説教史料の類型を、具体例を提示しながら紹介しており、邦語で読める西欧中世の説教研究の基本的文献にして必読文献です。 第6章はフランシスコ会士ベルナルディーノ・ダ・シエナが、オリーヴィの著作を丹念に読んでおり、その思想の一端を説教に織り込みながらも、決してオリーヴィの名前を口にしない(「危険ユエニ説教スベカラズ」)という興味深い事実を明らかにし、彼の「声の検閲」「文字の検閲」という戦略を浮き彫りにします。 第7章はそのベルナルディーノにあやかり名前を付けたベルナルディーノ・ダ・フェルトレが、モンテ・ディ・ピエタという公的質屋設立に尽力したこと、説教活動により人々にその意義を訴えかけながら、その前後に都市当局と綿密な準備を重ねていたことなどを示します。 第3部は商人文書を主要史料として、スコラ的文献や教化史料に見られる思想がいかに商人の中で消化されているのか、また商人はいかなる自己認識をもっていたのかを論じます。 第8章は、為替の使用により、徴利を正当化する商人の戦略を明らかにします。 第9章は、「商売の手引」と呼ばれる史料群をもとに、「必要と有益」のトポスがいきわたり、さらに「完全なる商人」像が描かれることになる過程を、ベネデット・コトルリ、ジョヴァンニ・ドメニコ・ペリ、ジャック・サヴァリという3人に着目して描きます。 このように、本書は大きく3種類の史料をもとに、商業・商人観の変遷を丹念に明らかにする興味深い試みです。 なお、大黒先生の論文には非常に興味を引き付けるタイトルが多く、本書のタイトル『嘘と貪欲』もそうですが、たとえば第5章の初出は「声の影」、第6章の初出は「危険ユエニ説教スベカラズ」です。さらに本書は、各章冒頭に史料からの引用文を掲載しており、この趣向も読者の興味をかきたてます。 本書刊行当時に通読し、その後も適宜必要個所を読み返していますが、この度久々に通読し、あらためて興味深く、また重要な著書と思います。 なお、大黒俊二「『ハーメルン』と『無縁』から『嘘と貪欲』へ―出会いと対話の創造力―」『日本史研究』700、2020年、3-13頁は、本書執筆への網野氏、阿部氏の影響と対話の重要性を指摘する論考で、こちらも興味深いです。 また、赤江先生による書評(赤江雄一「書評 大黒俊二『嘘と貪欲―西欧中世の商業・商人観―』」『史学雑誌』116-7、2007年、89-97頁)は、本書の内容を明解に整理し、適宜批判を加えながら、研究史上の評価を行っています。データベース・サービスのCiNiiなどからダウンロードもできます。(2021.12.04読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2022.01.29
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高田崇史『試験に出ないパズル 千葉千波の事件日記』 ~講談社ノベルス、2002年~ 千葉千波の事件日記シリーズ第3弾。5つの短編が収録されています。 ――― 「《9月》 山羊・海苔・私」川渡しの問題が現実に…。鞄を奪って逃げた犯人は川の向こう岸へ。こちらには二人しか乗れない舟が一艘あるだけ。いろんな人間関係などから、ダメな組み合わせがあり、千波くんは一生懸命組み合わせを考えますが…。 「《10月》 八丁堀図書館の秘密」図書館で関連のなさそうな3冊の本を読む男。彼は警察にマークされた密売人で、本は引き渡し人を示す暗号となっているようだが。 「《11月》 亜麻色の鍵の乙女」千波くんの学校の文化祭に参加した僕たち。7人の乙女を探し、キーワードを聞き出して暗号を解読すれば、景品がもらえるとのことで、奮闘するが、最終的に、8人の乙女からキーワードを聞いてしまった。偽の乙女は誰なのか、その正体は。 「《12月》 粉雪はドルチェのように」千波くんがクリスマスにフルートを演奏することになっていた教会で起こった事件。ろうそくがなくなったと思えば、意外な形で戻ってきたり、子どもたちのパレードの予定順路を邪魔する形で雪だるまなどが作られていたり、また夜には奇妙な光景も目撃されていて…。 「《1月》 もういくつ寝ると神頼み」初詣で、3組の老夫婦に話しかけられた千波くんたち。老人たちは、決して相手の名前を正しく言わないという特性がある中、その中の誰かが荷物を盗まれてしまった。 ――― 9月、1月はパズルが小説になった体裁が強く、かなりシュールな感じです。有栖川有栖さんの解説にもありますが、そんな中でも11月と12月は物語性があり、特に12月は風情もあってよかったです。9月、10月に顕著な、パズル的解決への皮肉のような描写も印象的です。 また9月には、桑原崇さんと思しき人物も登場するのが嬉しいです。QEDシリーズと千葉千波シリーズと、カンナシリーズの一部しか読んでいませんが、シリーズごとにリンクしていますね。(2021.11.27読了)・た行の作家一覧へ
2022.01.27
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G. R. Owst, Preaching in Medieval England. An Introduction to Sermon Manuscripts of the Period c.1350-1450, Cambridge, 1926 (2010) 著者も前書きの中で、「説教の主題に関する最初の導入」ということを言っています(p.xii)が、本書は今なお参照される、中世後期イングランドにおける説教活動に関する古典的文献です。 本書の構成は次のとおりです。(のぽねこ拙訳。本当に拙いですが…。) ――― シリーズ全体の前書き(G. G. Coulton) 著者前書き 第1部 説教師 第1章 「司教と助任助祭」 第2章 修道士と托鉢修道士 第3章 「放浪する星」 第2部 説教の舞台 第4章 「荘厳ミサの中でInter Missarum Sollemnia」 第5章 「十字架の場で」そして「行列の中で」 第3部 説教 第6章 説教文学とその類型 第7章 手引書と概論 第8章 説教作成、あるいは聖なる雄弁の理論と実践 付録 索引 ――― 第1章は誰が説教できるのかという問いかけから始まり、ロマンのフンベルトゥスという人物が女性による説教を不可とする議論を展開していることを紹介(p.5)したうえで、表題にある司教と助任司祭による説教を、何名かの人物を取り上げて具体的に論じます。 第2章は、まず修道院で祈るのが中心である修道士の説教について簡単にふれたのち、説教活動を主に展開した托鉢修道士の説教活動を、ジョン・ウォールドビー(Yuichi Akae, A Mendicant Sermon Collection from Composition to Reception. The Novum opus dominicale of John Waldeby, OESA, Brepols, 2015参照)などの人物を取り上げて具体的に論じます。 第3章は、説教師による誤った免償などについてみたのち、説教を行った隠修士などについて論じます。 第4章は説教が行われる時期として、ミサ、四旬節、教会会議の場などを挙げ、教会建築の一部としての説教壇について論じたのち、説教の中の聴衆の反応―居眠り、おしゃべり、邪魔、拍手など―という興味深いテーマについての議論を展開します。 第5章は説教が行われる場として、教会や墓地の象徴的な「十字架」と、行列の2つを中心にみていきます。 第6章は、説教の言語の問題(ラテン語か俗語か)にふれたのち、説教史料の類型として、聖節説教集sermones de tempore、聖人祝日説教集de sanctis、身分別説教集ad status、葬礼説教集、大学説教などを挙げ、それぞれについて論じます。 第7章は説教作成の補助手引きとしての、美徳悪徳に関する概論、詞華集、例話集などについて論じます。 第8章は説教の構造(主題、副主題、分割……。たとえば、Th.-M. Charland, Artes praedicandi: Contribution à l’histoire de la rhétorique au Moyen Âge, Paris-Ottawa, 1936を参照)についての議論です。 私が専門に勉強している時代・地域ではないのでかなり流し読みとなってしまいましたが、説教研究の古典的な著作であり、このたび目を通すことができてよかったです。(2021.11.24読了)・西洋史関連(洋書)一覧へ
2022.01.22
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小川幸司(責任編集)『岩波講座 世界歴史01 世界史とは何か』 ~岩波書店、2021年~ 岩波講座 世界歴史シリーズの第3期全24巻の刊行が2021年から始まりました(第2期から四半世紀を経ての最新シリーズです)。 本書はその第1回配本にして第1巻。個別の地域・時代ではなく、世界史実践の様々な諸相を論じます。 本シリーズは大きく、対象地域・時代の通史や概観を描く「展望」、通史・概観の中で特に大きな問題となるテーマについて掘り下げる「問題群」、個別的なテーマの考察により時代像を補完する「焦点」の3つの部からなり、適宜コラムが配置されています。 本書の構成は次のとおりです。 ――― <展望> 小川幸司「<私たち>の世界史へ」 コラム 後藤真「デジタル技術を活用した歴史研究の展開」 <問題群> 佐藤正幸「人は歴史的時間をいかに構築してきたか」 西山暁義「世界史のなかで変動する地域と生活世界」 コラム 吉嶺茂樹「「民族共生象徴空間」と高校「世界史」―『ウポポイ』upopoi(原意:「歌うこと」)」 長谷川貴彦「現代歴史学と世界史認識」 <焦点> 三成美保「ジェンダー史の意義と可能性」 コラム 川島啓一「対話で学ぶ世界史の実践」 粟屋利江「「サバルタン・スタディーズ」と歴史研究・叙述」 金沢謙太郎「環境社会学の視点からみる世界史―先住者の生活戦略から探る持続可能な社会」 飯島渉「「感染症の歴史学」と世界史―パンデミックとエンデミック」 吉岡潤「ヨーロッパの歴史認識をめぐる対立と相互理解」 コラム 三沢亜紀「世代を越えた問いに向き合う―満蒙開拓平和祈念館」 笠原十九司「東アジアの歴史認識対立と対話への道」 勝山元照「新しい世界史教育として「歴史総合」を創る―「自分の頭で考え、自分の言葉で表現する」歴史学習への転換」 コラム 池尻良平「教育工学からみた歴史学習の未来」、325-326頁 ――― 内容が多岐にわたるため、<展望>と<問題群>について簡単にメモ。 小川論文は、東日本大震災を経験した消防士の回顧から始まり、「世界史実践」の説明につなげていきます。本稿の中では、家永三郎氏の教育論(教育=子どもたちの「可能性を花として開かせる」営み≠「時の権力がその権力の欲するような人間像を造り出す政治的目的のための手段」が紹介されており、興味深かったです(48頁)。その他、本書全体を概観する位置づけとして、古代から現代までの世界史実践の通史や、ジェンダー史など新たな研究動向の概観も見通せるので有用です。 佐藤論文では、紀年法の歴史や地域差が論じられます。ここでは、世界で使われてきた紀年法を、「直線型」(過去・未来の両方に無限に延びる=キリスト教紀年法のみ)、「線分型」(始まりと終わりがある=元号、年号など)、「半直線型」(始まりはあるが未来に無限に延びる=ローマ建国紀年など)の3つに分類し整理しているのが興味深いです(94頁)。 続く西山論文は、時間に対して地域・地域史に関する論考です。本章では、「幻想国境」論(ポーランドなどのように国境線が何度も書き換えられる中で、過去の国境線がどのように人々の空間的な認識や行動を規定しているかを主題とする)の紹介が勉強になりました(124頁-)。 長谷川論文は社会史→言語論的転回・文化論的転回→空間論的転回・時間論的転回という、現代歴史学を特徴づける潮流を簡明に整理しています。個人的に関心の強い分野なので特に興味深く読みました。 メモは省略しますが、<焦点>の各論文やコラムも興味深く読みました。 ただ1点、勝山論文が論じる「歴史総合」についてメモしておきます。高校での歴史教育は、従来の「世界史A」又は「世界史B」にかわり、近現代を中心として「自分の頭で考え、自分の言葉で表現する」ことを目的とする「歴史総合」が必修化されます。勝山論文では、その際の実践事例を紹介しており、「歴史総合」必修化自体にあまり批判的な論調ではありません。一方、従来の記憶偏重自体の是非はともかく、高校で世界史を一通り通史的に学ぶことができたという「強み」を、すなわち前近代の世界史教育を切り捨ててしまい(従来の「世界史B」にあたる「世界史探求」は選択制)、さらに中学校での教育と重複的な取り組みになってしまうことへの批判を強く主張する論文として、たとえば津田拓郎・コンラート フレンツェル「日独の中等教育課程における歴史教育の現状と課題」『史流』48、2021年、59-84頁(北海道教育大学学術リポジトリからPDFダウンロード可能)がありますので、紹介します。 西洋中世史の勉強に特化しているので、このように「世界史」を概観する書物に触れるのは久々で、良い刺激になりました。このシリーズは今後も(できればすべて。せめて西洋史関係だけでも)追いかけていきたいと思います。(2022.01.01読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2022.01.19
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西洋中世学会『西洋中世研究』13 ~知泉書館、2021年~ 西洋中世学会が毎年刊行する雑誌です。 今号の構成は次の通りです。 ――― 【特集】中世貨幣の世界 <序文> 図師宣忠・西岡健司「中世ヨーロッパ貨幣研究の可能性」 <論文> 城戸照子「中世イタリアの貨幣の機能と製造」 内川勇太「アフルレッド王・エドワード古王・エセルスタン王の貨幣制度―『第2エセルスタン法典』第14条の「1つの貨幣制度」と「王の支配地域」の考察から―」 高名康文「ファブリオーにおける貨幣」 辻内宣博「中世スコラ哲学における貨幣論の展開―トマス・アクィナスとジャン・ビュリダン―」『西洋中世研究』13、2021年、64-78頁 【論文】 白川太郎「故郷における預言者―キアラ・ダ・モンテファルコ81268-1308)をめぐる崇敬・対立・権力―」 【講演】 ヴァレリー・トゥレイユ(向井伸哉訳)「戦争の暴力と市井の人々―ジャンヌ・ダルクの家系に関わる新史料:ジャン・ド・ヴトンへの国王赦免状―」 【研究動向】 井口篤「重要であり続けるということ(Staying Relevant)―中世英文学の研究動向―」 【新刊紹介】 【彙報】 山内志朗「西洋中世学会第12回大会シンポジウム報告「中世における感情」」 草生久嗣・有田豊「西洋中世学会第13回大会シンポジウム報告「異端の眼、異端を見る眼」」 ――― 簡単にメモしておきます。 特集序文は、中世貨幣研究史の簡明な整理で、貨幣研究から社会史、文化史など様々な観点がみえてくることが示されます。 城戸論文はイタリアの貨幣の通史的概観で、紀元千年以前の銀の重要性や13世紀後半からの金銀複本位制について論じます。シエナ施療院で巡礼者が金を預けていたという事例は興味深く、その巡礼者はそもそもどのように金を手に入れて巡礼に出発していたのかなど、いろいろ気になりました。なお、12頁注9のアナール学派概観で、雑誌名について「1946年以降『年報―経済・社会・文明』」とありますが、さらに1994年以降は『年報-歴史、社会科学』(Annales. Histoire, Sciences Sociales)となっていることへの言及がありませんので補足しておきます。 内川論文は9-10世紀のイングランドにおける貨幣制度について論じます。『第2エセルスタン法典』の条項の成立年代を関連資料の内容分析を通じて示すスリリングな論考であり、また、同試料中の「1つの貨幣制度」という言葉が意味する内容も先行研究によりつつ説得的に論じており、興味深く読みました。 高名論文は13-14世紀に成立した滑稽噺であるファブリオーを主要史料として、ファブリオーに現れる貨幣の文言を洗い出し、貨幣が「他人をだまし、あるいは自らが間違いを犯す」機能を持つものとして描かれていることを示します。 辻内論文は哲学の観点から貨幣の機能を論じています。なお、同論文には言及がありませんが、大黒俊二『嘘と貪欲』にも、中世後期イタリアの貨幣論(徴利論)について興味深い議論がなされています。 白川論文は、中世後期イタリアの聖人キアラ・デ・モンテファルコを主題とし、先行研究に対して、生前の彼女の聖性の脆弱性を指摘する興味深い論考です。しかし、先行研究への批判の中で、「預言者は自分の故郷では敬われない」(90頁)と断言しているのはやや言い過ぎのような印象を受けました(少なくともキアラの個別事例では説得的にそれが示されていますが)。とはいえ、それはその他の事例研究の積み重ねにより議論を深めていく論点と思われ、重要な指摘だと思われます。また、キアラは修道院長をつとめていましたが、院内で彼女同様に幻視をみた修道女がいれば、それは悪魔のしわざとして、自分だけが「真正な」預言者であり、自身に競合する存在を排除していた(95頁)という指摘が興味深かったです。 講演は、ジャンヌ・ダルクのおじに関する新発見の史料をもとに、彼が歩んだ人生を描く、こちらも興味深い内容でした。 井口論文は、レスター大学でのカリキュラム見直し(チョーサーなどの除外)を出発点として、現在における中世英文学の動向、成果、課題、展望を示します。 新刊紹介以下は省略しますが、今号もたいへん興味深く読みました。(2022.01.09読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2022.01.16
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E・ダーガン(関田寛雄監修・中嶋正昭訳)『世界説教史I 古代―14世紀』 ~教文館、1994年~ 著者のダーガンは1892-1907年までケンタッキー州ルイヴェルの南バプテスト神学校の説教学教授をつとめた方(訳者あとがき、299頁)で、本書の原著初版は1905年に刊行されています。100年以上前ですね。 表題どおり、古代から14世紀までの説教の変遷を、各時代背景も見ながら見ていきます。 本書の構成は次のとおりです。 ――― 1954年版への序 はしがき 序論 第1期 古代または教父時代 70-430年 第1章 最初の3世紀間の説教 第2章 4世紀における古代説教の全盛期 第2期 中世初期または暗黒時代 430-1095年 第3章 5、6世紀における古代説教の衰退 第4章 7、8世紀における説教の低迷状態 第5章 夜の声もしくは9、10、11世紀の説教 第3期 中世盛期またはスコラ時代 1095-1361年 第6章 11、12世紀における暁の先ぶれ 第7章 13世紀における中世説教の全盛期 第8章 13、14世紀における衰退と神秘主義 訳者あとがき 人名索引 引用文献 ――― 冒頭にも書きましたが、章ごとにその時代の政治的・社会的背景について簡単に概観したのち、その時代の説教の特徴についても概要を指摘したうえで、具体的な説教師の略歴とその説教について紹介する、という構成になっています。 いわば古代から中世後期までの説教史概説なので、章ごとの具体的な紹介は省略しますが、いくつかメモしておきます。 ・時代区分の考え方。国や主題によって時代区分は異なりうるし、また正確な日付(年代)も特定しがたいとしつつも、上掲の構成のとおり「できるだけ正確に」(30頁)説教史の観点からの時代区分が試みられています。 ・トリノ司教マクシムス(465年没)の説教に、月蝕を扱ったものがあり、その中で「異教徒の習慣である、大声を発することを戒めている」という、興味深い事例紹介があります(131頁)。 ・具体例は省略しますが、かなり価値判断や評価がある記述となっています(説教の質がひどいとか、子どもっぽいとか、初版1905年という時代背景もありますが「暗黒時代」という評価もあります)。 原著には豊富な脚注が付されているそうですが、本書初版は1905年ということで、この訳書からは省略されています(ほぼ1世紀前の著作の引用は煩瑣と思われるため、とされています)。必要なら原著にあたるしかありませんが、訳も読みやすく、中世後期までの説教の概要をつかむには非常に便利な一冊です。(2021.11.23読了)・西洋史関連(邦訳書)一覧へ
2022.01.12
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高田崇史『試験に敗けない密室 千葉千波の事件日記』 ~講談社ノベルス、2002年~ 千葉千波くんシリーズ第2弾の長編小説。 高校生の千葉千波くん、いとこで浪人生の「ぴいくん」、その友人の饗庭慎之介さんの3人が、千波くんのおじさんがもつ別荘に行くつもりが、ひなびた村にたどり着き、いくつもの密室事件に遭遇する、というお話。 善人だけが助かるといういわれのある土牢に、慎之介さんが入ってしまい、柵が閉じてしまいます。何かの仕掛けでオートロックがかかるようで、内側から押しても外側から引いても動きません。果たして慎之介さんの運命や……。 というところで、柵を壊すための斧を旅館に取りに戻る二人。しかし、斧を探しに納戸に入ったおばあさんを探しに行くと、納戸のカギは閉ざされ、中でおばあさんは何者かに後ろでに手を縛られ、しかも納戸のカギは口の狭いビンの中に入っているのでした。 またまた、旅館で目撃される女性が、きれいさっぱり部屋から消えてしまったり。 たくさんの密室のなぞに、千波くんたちが挑みます。 前作よりは、パズルがそのまま小説になった感が少なく、個人的には読みやすかったです。 カバーそでや作中のクイズも楽しいです。(2021.11.21読了)・た行の作家一覧へ
2022.01.08
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谷崎潤一郎『痴人の愛』 ~新潮文庫、1985年改版~ あまりにも有名な谷崎潤一郎(1886-1965)の長編小説。 電機会社の技師、河合譲治が28歳のとき、カフェにつとめる15歳のナオミを気に入り、女中としての人手も欲しかったので、声をかけ、一緒に暮らすようになります。英語と音楽を習わせ、自分の理想のハイカラな女性に育てようとしながら、やがて二人は結婚します。しかしその年齢差から、夫婦とはみえないように外では振る舞いながら暮らし、またナオミのために多くの服を買ってやっているうちに、やがてナオミの奔放さが目につき始め…。 こうした奇妙な夫婦の生活を、河合譲治が告白する形式で物語は進みます。 家のことを手伝ってもらうつもりもあったのに、ナオミはやがて料理も片づけもしなくなっていき、服もあまりに欲しがるため、主人公はしっかりあった貯金も底が尽きるまでになってしまいます。……読みながら、どっちもどっちのように思わずにいられませんでした……。 もとは大正13年~14年に連載された作品。ナオミズムという流行語もできたそうです。 磯田光一氏による解説「谷崎潤一郎 人と文学」(318-326頁)、野口武彦氏による解説「『痴人の愛』について」、いずれも興味深く読みました。先日紹介した北村紗衣先生の『批評の教室』で、どこかに焦点を当てて批評するという技術が紹介されていましたが、野口氏が作品における「白」に着目して議論を展開しているあたり、なるほどこういうことか、と勉強になった次第です。(2021.11.19読了)・た行の作家一覧へ
2022.01.06
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ヤコブス・デ・ウォラギネ(前田敬作・今村孝訳)『黄金伝説1』 ~人文書院、1979年~ 13世紀に編纂された、聖人伝の集大成です。 著者のヤコブス・デ・ウォラギネ(1230頃~1298)は、説教を中心に行うドミニコ会に属し、ジェノヴァ大司教もつとめました。『黄金伝説』のほか、『ジェノヴァ市年代記』や説教集などの著作があります。 本書の構成は次のとおりです。(カッコ内に、訳注を参考に該当の祝日や当該聖人の生没年などをメモ) ――― 序章 1 主の降臨と再臨[待降節、現行では11/27~12/3にはじまる] 2 使徒聖アンデレ[祝11/30、X型十字架] 3 聖ニコラウス[祝12/6、4世紀前半] 4 聖女ルキア(ルチア)[祝12/13、304年没] 5 使徒聖トマス[祝12/21、インドに布教しそこで殉教したと言われる] 6 主のご降誕[12/25] 7 聖女アナスタシア[祝12/25、304年頃殉教] 8 聖ステパノ[祝12/26、キリスト教最初の殉教者] 9 福音史家聖ヨハネ[祝12/27] 10 罪なき聖嬰児ら[祝12/28、ヘロデ大王の命令で殺された男の子たち] 11 カンタベリーの聖トマス[祝12/29、1118-1170] 12 聖シルウェステル[祝12/31、第33代教皇、位314-335] 13 主のご割礼[祝1/1] 14 主のご公現[祝1/6、東方三博士来拝の日] 15 初代隠修士聖パウロス[祝1/15or1/10、228-342頃] 16 聖レミギウス[祝1/13、440頃-534] 17 聖ヒラリウス[祝1/14、315頃-367] 18 聖マカリオス[祝1/15、300頃-380/390頃] 19 ピンキスの聖フェリクス[祝1/14] 20 聖マルケルス[祝1/16、第30代教皇、位308-309] 21 聖アントニオス[祝1/17、251頃-356] 22 聖ファビアヌス[祝1/20、第20代教皇、位236-250] 23 聖セバスティアヌス[祝1/20、3世紀後半] 24 聖女アグネス[祝1/21・1/28、3世紀末or4世紀初殉教] 25 聖ウィンケンティウス[祝1/22、304年殉教、スペイン人最初の殉教者] 26 司教聖バシレイオス[祝6/14(東方では1/1)、370年頃活躍] 27 慈善家聖ヨハネス[祝1/23、610頃-619アレクサンドリア総大司教] 28 聖パウロの回心[祝1/25、パウロがキリスト教迫害者から伝道者へ転身] 29 聖女パウラ[祝1/26、347-404] 30 聖ユリアヌス[全5人のユリアヌスに言及。祝1/27ほか] 31 七旬節[その主日は復活祭から9週間前の日曜日] 32 六旬節 33 五旬節 34 四旬節[灰の水曜日から復活祭の前日までの6週間半] 35 四季の斎日[春は四旬節第一主日、夏は聖霊降臨の大祝日、秋は9/14、冬は12/13の各直後の水、金、土曜日] 36 聖イグナティオス[祝2/1、117以前没] 37 聖母マリアお潔め[祝2/2、聖燭祭とも。主の降誕後40日目に聖母マリアが神殿に行って潔めの儀式を受けたことに由来] 38 聖ブラシオス[祝2/3、3世紀末頃or4世紀初頃殉教] 39 聖女アガタ[祝2/5、250年頃殉教] 40 聖ウェダストゥス[祝2/6、540年没] 41 聖アマンドゥス[祝2/6、679or684没] 42 聖ウァレンティヌス[祝2/14] 43 聖女ユリアナ[祝2/16、4世紀初頭殉教] 44 聖ペテロの教座制定[祝2/22・1/18] 45 使徒聖マッテヤ[祝2/24、ユダの裏切りにより欠員が生じた十二使徒に、主の昇天後くじで選ばれた] 46 聖グレゴリウス[祝3/12、第64代教皇、位590-604] 47 聖ロンギヌス[祝3/15、現在では聖列に入っていない] 48 聖ベネディクトゥス[祝3/21、480頃-547] 49 聖パトリキウス[祝3/17、385頃-461頃] 50 主のお告げ[祝3/25、大天使ガブリエルによる受胎告知の日] 51 主のご受難[四旬節の第五主日] 解説 ――― 構成だけで53行使ったので簡単にメモ。 訳注が充実し、解説でヤコブスの経歴や主著、本書の意義も論じられているなど、非常に便利。 訳文も読みやすいです。(「すたこらさっさ」とか「桑原桑原」という訳文が印象的。) 本論は、聖人についてはその名前の意味を解き明かすところから始まり、その経歴を紹介したり、その聖人が行った主な奇跡を紹介したりといった構成。ある言葉や出来事の複数の意味を論じるあたり、説教と同様の構成と持っています。 序章での、期節の区分についてメモ。(カッコ内の丸数字は教会歴の順番) ・迷いの生活の時代=アダムの原罪~モーセの時代=七旬節~復活祭(④) ・呼び戻しの時代=モーセ~主のご降誕=待降節~降誕祭(①) ・贖罪の時代=キリストの誕生~死=復活祭~聖霊降臨(⑤) ・巡礼の時代=現代の人間の時代=聖霊降臨~待降節(⑥) ・贖罪の時代(2)=降誕祭~ご公現の祝日の8日後まで(②) ・巡礼の時代(2)=ご公現の祝日の8日後~七旬節(③) 時代の名前の当て方が、私が勉強を進めているジャック・ド・ヴィトリと同様で、ジャックは迷いの時代(待降節~七旬節)、呼び戻しの時代(七旬節~復活祭)、回復の時代(復活祭~聖霊降臨)、巡礼の時代(聖霊降臨~待降節)と、期節の区分はやや異なるものの、その類似性が気づきになりました。(参考:Lecoy, pp.272-273) 全4巻中、とりあえず第1巻を読みました。第2巻以降も徐々に読んでいこうと思います。(少し先送り中)(2021.11.10読了)・西洋史関連(史料)一覧へ
2022.01.02
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