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輪廻転生 何が輪廻転生するのでしょうか。古代の壁画に蛇の煽動の絵が書かれているのを思い出します。蛇は魂に例えられたそうで、煽動するほどパワーが増すそうです。東から太陽が出ると、人は起きて働き、西に太陽が沈むと寝て、魂の浮遊する時となるそうです。これは一日のことですが、人の一生にも言えることだそうで、生きている時は、肉体と精神・魂が一体化していて、死・涅槃の時に分離して、肉体はこの地上に帰り、魂は、この現象界から実在界に帰ると言われています。 輪廻転生は、肉体をもたない魂が煽動しているのでしょうね。実在界に戻った魂は、また母・女性の胎内の受精の時に宿って、誕生の門をくぐるのだそうです。 肉体は先祖からの血・血統・遺伝子が流れていて、その一統の種族保存となり、永遠に血統は受け継がれていくわけです。 そして、心・魂には、先天的な意識と後天的な意識が蓄積されていくそうです。 唯識は、8世紀半ばに玄奘三蔵さんが説いた教えで、六根[眼・耳・鼻・舌・身・意]即ち六識と七識・末那識「まなしき」・八識・阿頼耶識「あらやしき」が意識のほとんどを占めているそうです。先天的・後天的な貯蔵庫だそうで、前世から蓄積された意識に現世の知識・経験が無尽蔵に蓄積されていくそうです。そして、肉体の死後の魂は、また、増えた意識を含んで実在界へ・・・この繰り返し・煽動が輪廻転生だと・・・・・。 先祖からの血・遺伝子にはそれぞれの特徴が含まれていて、その中の悪いもの、人を迷い・葛藤し、苦しませるものを「業・カルマ」と言って、これを「種」に例えて、良い種を植えれば綺麗な花が咲くと・・・因果応報・因縁果報と言って、自己変革を促しています。因は種で、縁は水や土や日の光で、今の苦しみは既に植えた種が悪い花を咲かせているから果報は変わらないが、これからは良い種を植えるために、自己変革の必要性を説いているものでしょう。 具体的には、自分と周りの世界とのやり取り・応答・交信で、自分の気分・気まぐれ・都合・欲で交信すると、天につばを吐けば自分に戻ってくる、と言うように自分が苦しみ、人をも苦しませてろくな結果にはならない、と言う教えなのです。 「般若心経」では、「色受想行識」と言って、外からの情報を六根で受けて、考えて行う・交信することから、外との摩擦が生じて迷い苦しみが生じるわけです。 この現象界は、このような摩擦が沢山あるから、人は磨かれるのですが、なるべく円満に残りの人生を過ごすには、自己変革・自分を高める事は必要なことで、自分の魂を高めて、子孫の為にも「業・カルマ」を浄化して少なくする必要があるんですね。 人間は傲慢なもので、16世紀にコペルニクスが「地動説」を唱え、17世紀にガリレオが「それでも地球は回っている」と言うまでは「天動説」だったのだそうです。宗教界では猛反発があったそうですが、現実を受け入れざるを得なくなったそうで、天地がひっくり返る変革だったと思います。19世紀にはユング、フロイトによって心理学が生まれ、意識の分析が為されるようになりましたが、その千年以上前に玄奘三蔵によって「唯識」が説かれていたわけですね。 人は誕生の門をくぐって、1,2年くらいはまだ前世の意識が残っているそうで、それ以降は消えてしまうそうです。 以上、これをどう受け止めるかは自由だと思います。 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Monday, June 30, 2008 10:11 AM Subject: 30日の日記
2008年06月30日
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六波羅蜜・悟りへの道 布施 持戒 精進 忍辱 求道して 禅定重ねて 智恵 般若とし 布施 人に施しをする 人の為に無私の奉仕をする 自分の徳積みになる 持戒 法律ではなく、人として、地獄・餓鬼・畜生・修羅界に 落ちないように自分に戒めを持つ 十階・・・地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・ 菩薩・如来 精進 人として、道心・仏道・教義の元に努力し実践する 忍辱 如何なる屈辱にも不動心を持って耐え忍ぶ 禅定 座禅・喩伽・ヨガ等々の手法で心を平らかに鎮め、 三昧の境地・浩然の気に至る 智恵 全てを極めて実践し、身につけると何事にも対応 出来る状態 般若 最高の境地 以上、八正道「正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定」に照らし、「中道」を保ち偏りのない心境に至る時、菩提心「慈悲・慈愛」は人の為の光を放てるようになる。その為の行が「声聞・縁覚・菩薩」行であり、地獄・餓鬼・畜生・修羅界に落ちない、真の悟りへの道を極める為の求道となる。 人は、悩み、苦しみ、悔いを残し、迷い、葛藤の中から、回顧反省を重ねながら、上記の境地・心境に近ずくのでしょうね。 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Sunday, June 29, 2008 10:11 AM Subject: 29日の日記
2008年06月29日
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語録 悟りは「浩然の気」が身についた状態であり、剣のように振り回す理論ではない H18・5・5 苦しみは 耐え忍びての 果実とは 熟してのみぞ その甘さ知り H18・5・5 人は苦しむほどに 真実に近ずく 地下水脈は掘ってこその哲学 H18・5・5 人は自分の物差しで計ろうとするが、それは自分の育った環境でのみ通用する H18・5・5 人生は魂の修行成長の旅であり、旅の恥はかき捨てが許されないものである H18・5・4 人は淋しさとか苦しさとか悲しさを感じながら、葛藤し、迷い、執着するものですね。無難に何事も無く一生を過ごしたい願いは全て自分の期待どうりに進まず、孟子の残した言葉どうりの人生を歩むものですね。 この世は全て思うようにいかないものである 期待やロマンは水泡と化して現実の厳しさをいやというほど突きつけられるものですね。 信仰心・・・これは何かに自分を預ける心でしょうか・・・。 信仰心について、「人は死んだら終わり」ではないかも・・・後の世界がある、そして、そのつみ重ねが「輪廻転生」によってその魂を高めてゆく。人類の過去の風土風習が染み付いているように思われてなりません。何故心の道が有るのでしょうか、何故その道の選択で殺し合いをするのでしょうか・・・・・。 次のことを説明できれば 1、三世の仕組みと関連 2、魂と意識及び心について 3、魂の転生輪廻 4、肉体血統・遺伝子 5、業・カルマの所在 これを明確に説明納得できれば「人心の乱れ」は少しでもなくなると思われます。 これが今後の課題だと感じています。 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Saturday, June 28, 2008 10:12 AM Subject: 28日の日記
2008年06月28日
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偶然か必然か ----- Original Messa 人の身のまわりにおきることを偶然ととらえるか必然ととらえるかによって心の持ち方が違ってくると思います。結果が出たときは人は必然だったと認めざるを得ません。何故そうなったかを考える時、「回顧反省」する人と、「他の何かの精」にする人があると思います。魂の成長はどちらに有るでしょうか。「責任転嫁」で「自己反省」の無い事件がこの頃多くなったような気がしています。偶然ととらえるときは「ついてないな」で気分転換し、必然ととらえるときは「何故かな」と人は「回顧反省」するのでしょうね。 では、・・・家に生まれた自分はどちらでしょうか。生まれた以上はその・・・家での責任を果たさなければ成りません。「何で自分はこんな苦労をしなければいけないのか」と思うか「自分が選んだ道だから」と覚悟してその・・・家の浄化をするかでしょうね。 「ふって沸いた」と思うか「覚悟」するかによって、今後の自分の対応が違ってくると思います。 「心の道」はここから始まると思われます。 「必然」ととらえるとき、前回の語録の課題を解くカギが見えてくるように思います。 「運命」は与えられるものか、自分で選ぶものか・・・これも、自分の心のとらえ方だと思います。この場合の「自分」は肉体がある現世だけでなく、肉体を持たない魂、即ち「過去世」「来世」をも含んで考えた方が良いと思います。 このことを前提に次に進めると思います。 琢 ge ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Friday, June 27, 2008 10:15 AM Subject: 27日の日記
2008年06月27日
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海 あらゆる個性を包容して、全体を一つに結ぶ・・・という切なる願いを成就する為に、「海のごとき広き心」を育んでゆきます。 海のごとき広き心を育みます あらゆる個性を包容して 亜鉛体を一つに結ぶ事ができるように 海には、数え切れないほどの川が流れ込んでいます。谷や平原を辿りながら、上流から運んできたさまざまなものを川が流し込んでも、海はそれをいとわず、すべてを受け入れ、浄化し、一つの命の中に再生させてゆきます.この世に生まれる事によって与えられる三つの「ち」・・・血・血統、血筋・・地・その土地に流れる風土・風習・慣習・・知・知識、時代・社会の常識や価値観・・・とうてい受け入れがたい事や排除したい事も、大いなる眺めの中で、愛と慈しみの海に自らを委ねるとき、それを受け入れ、生かしてゆく心を知るのでしょう。 広々とした海のような、すべてを拒まず、分け隔てず、あらゆるものを包容する心で生きることを自分に当てはめて、人生を光転する智恵を携えて、現在を生きていけると良いですね。 身のまわりに起きたこと、これからの決断によっておきる事・・・これをどう受け止めるかによって、「悩み」「迷い」は軽減するように思います。偶然ととらえるか、必然ととらえるかによって心の課題の数が変わると思います。必然と受け止める時、受容・包容・受納した事になり、沢山有る課題の大部分が通過した事になると思います。川が海に流れ込む必然を思うとき、人は沢山の課題を受け入れ、これからの問題点だけに搾る事ができると思います。人は今もっている課題から逃げ出す事は出来ないから、それを受け止めて次の肥やしにして、知識を智恵として、今立たされている分岐店の選択に自信をもって決断すれば良いのだと思います。 分岐点に立つとき 風の流れを見よ それを運命と信じよ 人生は、課題・問題点の消去によって、そのときそのときの心が軽くなり、「悩み」「迷い」が少なくなって、お釈迦様の言う「執着を取りなさい」が出来やすくなるものと思います。 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Thursday, June 26, 2008 5:12 PM Subject: 26日の日記
2008年06月26日
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座禅 ----- Original Messa 六波羅蜜の「禅定」、八正道の「正定」、ユカ・ヨガ 1、呼吸法・・・腹式呼吸・・・鼻ですって、口から全部ゆっくり吐き出す。丹田に重心を置いて胆力をつける・・・不動心、自在な対応 2、回顧反省・・・自分を遡って見つめる 3、空気に溶け込む・・・自然、鳥の声、風の音、植物の音、匂い・・・自然に溶け込む・・・「浩然の気」 4、真我・生まれた時から戴いている如来の心をひきだす。 等々、重要なことで、雑踏から離れて自分を見つめなおす事、五木寛之は、お寺さんに行き、仏像を眺めながら、山に行く人は自然の中に身を置いて自分を見つめて「置き去りにしてきた真我」に触れ、自然の草木や鳥や生物を愛でて、自分もその一員の確認をする。天・地・人を見つめなおして、「感謝」に至る実践法ですね。 琢 ge ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Wednesday, June 25, 2008 10:12 AM Subject: 25日の日記
2008年06月25日
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空 空のごとき自由無碍な心を育みます 何ごとにもとらわれず 無心に生きることができるように 空は、何処までも妨げるものがなく、高く、広がっています。心が何かにとらわれたり、沈んだりしているとき、大空をじっと眺めていると、なぜか心がふっと軽くなる・・・。そんな体験をしたことはないでしょうか。人間関係など日常生活のなかで何かとらわれているとき、私たちは不自由です。それはどこかで自分を守ろうとしているからかもしれません。自らを投げ出している無心な心は、裸の心であり、赤心「まごころ」そのものです。そして、まごころに生きるとき、私たちは素直になれます。相手との間に壁がなく、深いところでつながっていることを感じているからです。 そのような、何も妨げるもののない空のような自由無碍な心、素直な心で生きること・・・その人生を光転する智恵を携えて、現在を生きてまいりましょう。 「浩然の気」・・・宇宙大自然と一体化し、のびのびと安らかな心境になって、この地上の一員として、違和感もなく、溶け込むことができれば最高ですね。 仏教・般若心経では 「色即是空、空即是色」 と、人の心を表しています。「色」は六根でとらえられるもので、「空」はそのセンサーやレーダーに映らないものでしょう。 「唯識」では、「空」は言葉や意識で説明できないもの、表そうとすること自体が「執着」していることになるそうです。ですから、「六無為」・・・虚空滅無為・不動滅無為・釈滅無為・非釈滅無為・想受滅無為・真如滅無為・・・の状態だと・・・虚空も不動も分かってるとか分かってないとかも、意識にあるかないかも、悟っているとかいないとかも、執着から離れたものをいうそうです。 とにかく、意識とか認識とか定義ではなく、染み込んでいる、溶け込んでいるものでしょうね。 空は、果てしなく、奥深く、広い、すべてを吸い込んでくれるものだからこそ、小さな自分は素直な心になれるのでしょうね。 些細な事にとらわれずに生きていきたいものです。 琢 [高橋佳子先生・神理カードより一部引用] ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Tuesday, June 24, 2008 10:13 AM Subject: 24日の日記
2008年06月24日
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二つの使命 人の生まれた使命は、究極的に搾れば二つだと私は思っています。それは、横軸は・・・家に生まれて、ご先祖から戴いた命・血筋・血統を子孫につなぐこと、縦軸は誕生の門をくぐってから涅槃・死に至るまでの間、この世の摩擦に触れながら自分・魂を磨くこと・魂のランクを上げることだと思っています。仕事・職業は天の恵み、地の恵みを得て、いただいたこの命を保つ為のものと考えています。業・カルマはそれぞれの遺伝子のなかに含まれていて、自分が勉強して踏ん張って、その苦しみを食い止めれば子孫にまでは及ばない事と自分の魂のランクを上げることにつながり、浄化したことになると思っています。「子は親の背中を見て育つ」とよく言われますがこのことかもしれませんね。仕事はできれば自分が気分良く従事できるものの方がいいですね。 私のテーマは二十歳代は「一期一会」で、30代からは「人事を尽くして天命を待つ」でした。そして還暦前からは、目や歯が悪くなり、体にも不安が出てきて「克己」でしたが、それが出来ずに毎日悶々としていました。あれもこれも修理しなければと課題が多すぎたのだと・・・人生は「課題の消去法」だと思い一つ一つ消していくうちに、「そうか、自分がいたからだ」と、毎日自分の体を見つめている自分を発見しました。おぼれかかった子供を見たときに自分の体のことは忘れて助けようとする「無私の心」に気がついたとき、心が楽になりました。まだまだ「克己」が出来たわけでは有りませんが、そのヒントが分かって楽になり、次のテーマを「浩然の気」にしました。これは孟子の言葉で、「宇宙大自然と一体化する心境」「のびのびと安らかな心境」で、涅槃・死の時にはそう有りたいと思っています。 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Monday, June 23, 2008 10:17 AM Subject: 23日の日記
2008年06月23日
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無力なありんこ 運命とは 試練と受けて つずく日々 花開かぬも 我が果報なり H18・7・17 耐えてこそ 見えぬ出口も 近ずくと ただひたすらに 進んでこそと H18・7・17 観てるぞと 信じてこその 神仏と 心に聞かせ 求むる道を H18・7・17 ニュース見て 無力な自分 打つ手なし 責める心も 空しさ積みて H18・7・17 人の心は日に日に変化するもので、まったくダメな暗い日もあるものですね。梅雨の終わりだからでしょうか・・・。世の中には悪者がたくさんいるようです。ニュースを見ても、どうしようもない自分がいるだけですね。 天網恢恢 疎にして 漏らさず 老子 天の網は粗いようだが、悪者を掬い取って、漏らさない。 天罰が下る・・・の意味です。 神仏はその人に罰を与えはしない・・・そうですが・・・ 天につば吐けば 自分にかえってくる・・・ですね。 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Sunday, June 22, 2008 10:15 AM Subject: 22日の日記
2008年06月22日
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つぶやき 青空の飛行雲 高速道の車の走る音 その下を走るバイクの音 世の中生きてるんだ ベランダのピンクの花も 白いレースに差し込む日差し 虚空をぼんやり眺めながら 深海のカニのように ぼやけて見えるこの世にも 存在してると言い聞かせ 過去を辿って思い出を 良いこと探しの瞑想で どの種蒔こうと思いつつ いつも蒔くのは悩みの種で 今度こそはと希望の種を 淀君にささやいてみよう 川の流れに浮かべてみよう さわやかな風が運んでくれる 枯葉にのせて いつか必ずとどくと信じてみよう 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Saturday, June 21, 2008 10:16 AM Subject: 21日の日記
2008年06月21日
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感謝 ホトトギス 鳴くまで待つのが正解か 己の愚かさを知れば 静寂にして吉 H18・5・5 人は自分の物差しで計ろうとするが それは自分の育った環境でのみ通用する H18・5・5 すべてのものやことに 感謝できる心になる時 その人の人生は成功といえる H18・6・22 人は「縁」に目覚めると「菩薩」に近つく その時「如来」が引き上げてくれる 奈良薬師寺・松久保長老 大阪薬師寺会にて 何故か・・・「因」には必ず「縁」が必要不可欠で、それがあればこそ、「因」・「種」は芽を吹き「花」を咲かせる事ができるからでしょうね。今の自分があるのはご先祖有ればこそ、ここまで来るには周囲の恩恵有ればこそと思うようになると、そのものやことに「感謝」するように成れる、この「感謝」こそが人生での、心の求道の極みなのだそうです。これはいろいろの宗教を超えていえることだと感じます。「感謝」が土台になれば、すべてを受け入れ、楽しく、明るく生きていけるのでしょう。すべてのものとの和解、無償の愛、こだわりの無い「中道」の心が得られれば、「浩然の気」に至ることができるのでしょうね。 この道理がわかれば、あとは実践あるのみですね。 講話はいと尊きものなり さても実践はなほ難しきものなり 奈良薬師寺・故長老 橋本凝胤師日記より 人生は死ぬまで勉強 本当の「悟り」は、「煩悩」が「ゼロ」に成ったとき、それは「涅槃」死ぬ時でしょう。天寿を全うするには、生きなければなりません。生きるには食べなければなりません。食べるには働かなければなりません。楽しく、明るく生きるには、「中道」でなければ、この世では摩擦が大きくなります。 このように書くことは出来ますが、これは単なる机上の勉強で得た知識で、これを「智恵」にするには、「実践」あるのみでしょう。 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Friday, June 20, 2008 10:14 AM Subject: 20日の日記
2008年06月20日
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命 人はこの世に生まれた時、先ず、息・呼吸をすること、そして母のお乳を飲むことからはじめます。そして、その与えられた命を保つために、食べることを教えられます。与えられる食べ物には、その体の成長にとって必要な栄養素が含まれています。「天の恵み」、「地の恵み」にはそのすべてが含まれています。 そして、話すことや、遊ぶことを、教えてもらい、勉強しながら育っていきます。親戚、兄弟、友だちは、その勉強に必要なものを補ってくれます。 命を保つために、神さまが与えてくれた「食欲」、「生きる力」のために必要な「天の恵み」・「地の恵み」を得るために、働くようになります。勿論、働くのはその対価を得るためです。 この順番を間違えてはいけないことも、この「世の中」が教えてくれます。 そうして初めてその「有り難さ」に気付いて、「感謝」の気持ちが湧いてくるのでしょう。 今日は、広島平和記念式典の日です。 日本発「命の大切さ」、人にとって「何が大切か、生まれてきた目的は何か、そのために必要なものは何か・・・」を、よく考えなければならない日なのです。一族にとって「法事」は普段会えない人たちと会える日ですが、この地球・世界・国々・人類にとって「教訓の日」はなければいけないですね。 「命」・「自分は何のために生まれてきたのか・・・」を考えてみる為にちょっと立ち止まってみるのもいいですね。 「一期一会」、「人事を尽くして天命を待つ」、「浩然の気」 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Thursday, June 19, 2008 10:15 AM Subject: 19日の日記
2008年06月19日
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絶望の淵 戻るところさえあれば あの絶望の淵を思い出して 怖いものなし それさえあれば いくつもの試練・絶望、世の中・自然・何かわからない偉大な力・神仏に自分を任せるしかなかった時は、誰しもあることだと思います。その中で一番重たかった試練・絶望を思い起こせば、どんな試練に遭おうと怖くはないと・・・。過ぎてみれば、今の試練が一番重いものに変わっても、過去に乗り越えてきた経験さえあれば、時が解決してくれる・・・そう思えるものだと思います。 「人事を尽くして 天命を待つ」の「やるだけはやった」「能力の限界は尽くした」と・・・、明るく居直る事も必要な事でしょう。 「過去のつみ重ね」・・・経験・知識・知恵を駆使して実践すれば、いずれ、「智恵」「体で覚える・身についたもの」になるのでしょう。 人生捨てたもんじゃない こう思えるようになれば、エンジョイできた事でしょうね。 同じ時間・人生を過ごすのなら・・・楽しい方がいい・・・未知のことが人を不安にさせ、迷わせ、苦しませる・・・経験が落ち着きを与えてくれる・・・柔軟な不動の心をもてば、明るく楽しむゆとりが出てくると思います。 「気」に迷いや取り越し苦労がなければ、「気の病」がなく、「病気」にはならないと、先人たちが遺しています。 自分を信じるしかないでしょう 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Wednesday, June 18, 2008 10:18 AM Subject: 18日の日記
2008年06月18日
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毎日行 一、心配することを止めなさい 取り越し苦労することを止めなさい 持ち越し苦労することを止めなさい 悪いことがくるかも知れないと思うことをやめなさい。 二、「必ずよいことがやってくる」と毎日五回二十辺ずつ唱えること をしなさい (朝目が覚めたとき、三度のお食事の前に、夜、寝床に入って 眠りそうになったときに、目をつぶって一心に心で思うのです) 三、決して人の欠点(良くないところ)を見ないこと、また、世間話 にも人の悪口を決して言わないこと 四、人を神さままたは仏様だと見て、人の美点だけを語る 五、何か人に深切になることを考えて一つ以上してあげること この五箇条を実行してください。先ず、一日一日を一ヶ月続けてください。そうすれば、一年で家庭の空気が変わります。すべての人々が自分に好意をもってくれるようになります。この結果は必ずあらわれます。疑ってはなりません。読むだけではなく必ず実行してください。 谷口雅春著「生命の実相」より いろいろな机上で勉強した知識より、この五箇条の実践ができれば、豊かな日常の心を得られるように思います。 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Tuesday, June 17, 2008 10:16 AM Subject: 17日の日記
2008年06月17日
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価値観 ----- Original Message ----- よく言う言葉 あの世まで、お金や財産は 「もっていけない」 20世紀は文化文明が人が生きていく為に便利なものが網羅されて経済の活性化が進みました。理想的な共産主義よりも自由な競争によって豊かになる資本主義が主流になりました。これによって、貧富の差がより進みました。この弊害は世界各地に出てくるようになりました。もともと以前からあった民族紛争も加速し始めてきています。確かに、「発展」はこの地球上の人にとって、ある種の「目的」を与えてきましたが、「失ったもの」も多かったように思います。「死の恐怖から遠ざかる」、「安定」を求める人の心にとって、他を犠牲にしてでもさらに前に進まなければ競争には勝てないという風潮になってしまったのです。その結果、置き去りになったのは、「人の命の大切さ」、「求めて止まぬ心の安定」だったのです。皮肉なことにまったく反対の結果が生まれてしまったのです。「自分だけでも、豊かに安定していたい」心は人情ですが、「この世で自分ひとりでは生きていけない」事も分かっているのです。 今、この弊害による、これまでには無い事件が世界中に起こっています。20世紀末から、「人間性回復」の動きが出てきていましたが、21世紀に成ってますますその必要性がでてきて、「人命尊重」、「人の心のあり方」が人類のテーマになってきました。 「価値観」が変わってきたのでしょうね。このことが加速すれば人類にとって良い傾向だと思います。変形してきたこの地球の自然や命を元に戻す事は不可能かもしれませんが、やるっきゃないですね。 思いやり 気配り 心の切磋琢磨 個人、国、世界、地球全部に言えると思います。 「包丁」は使う人によって、「美味い料理」にも「凶器」にもなります。それを持つ人の精神・心のあり方が問われる時代になってきています。 琢 From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Monday, June 16, 2008 10:15 AM Subject: 16日の日記
2008年06月16日
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蓮の花 どうしてだろう あんなに汚れた水の中から 何故あんなに綺麗な花が 咲くんだろう 汚れているから 綺麗に見えるんでしょ この汚れぬいた人生でも 曲がった人生でも 汚れていたくない 心だけは いろんな道を歩いてきた この身の汚れ 思い出したくない 足跡でも あんな綺麗な花みたいに 心だけは 汚れを知ったからこそ その上で 咲かせてみよう せめて心にだけは 誰かの声が そうですよと だれだろう だから仏さんも その上に座ってるよと さわやかな朝の日ざしが 射し込んでいる 分け隔てなく 太陽は輝いている 誰かがそれで 割り切れたと 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Sunday, June 15, 2008 10:15 AM Subject: 15日の日記
2008年06月15日
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オーラの花 穏やかな雲が ゆっくりと流れてゆく 今の心の中のように 凛々として それでいて柔らかく 冬空を 温めながら かまくらの中は ほっとしながら 夕張の空は 寒いだろう 小樽の景色には 心の癒しがあるだろう 心や足の向くままに 想いをなげてみよう はるかな大地 北の王国 雄大な 心の里 空には日の光の花が 地上の何処から見ても 心の満足は 思うことで得られる 幸せは そこに湯気をくゆらせて 光は 放射状の花を咲かす その人のオーラを照らしながら 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Saturday, June 14, 2008 10:14 AM Subject: 14日の日記
2008年06月14日
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自分流 人の世は 苦しみ 悲しみ 痛みに耐えて 過すもの その積み重ねこそ 後の智恵とて 必然の道を歩む H、18,11,26 感謝こそ 道のきわみと 仏道に 菩提の心 にじみ出てこそ H、18,11,26 幸せは 貧しきほどに 味深く 満ち足りてこそ 不安多くて H、18,11,26 大自然 貯えせずに 守るもの 人の身勝手 すべて破壊し H、18,11,26 二十世紀の産物の気がかりな忘れ物の為に取り残された心が起こす事件が、二十一世紀になって噴出してきているように感じるのは私だけでしょうか。たいがいの戦争は、食、衣、住と過去からの遺恨によって起こり、その為や便利さや豊かさの為に人は、多くのものを発明、開発し、かつて無かったほどのエネルギー・資源を使うようになったと思います。自分の体や、家族を犠牲にしても手に入れる対価は努力することに比例して勝ち取ることができました。しかし、今、その代償を払わなければならないことが噴出すようにしておこって来ているのではないでしょうか。人命尊重、安全、健康への配慮の欠如がもたらす事件や事故が多発しだしてきたように感じます。 人が生まれてから死ぬまでにしなければならない本当の目的はなんでしょうか? 何か順番を間違えてきてはいないでしょうか? 人類に必要なものは文明だけだったでしょうか? 何故、宗教や思想が同時に必要だったのでしょうか? 水のあるところに人は集まり、文明が興り、宗教や思想が人の心の安定の為に必要だった。ピラミットや古墳のようにお墓も発掘されているのは、魂への畏敬の念のように思うのですが・・・・・。 ちょっと考えてみることもいいように思いますね。 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Friday, June 13, 2008 10:20 AM Subject: 13日の日記
2008年06月13日
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供養について 10日間ずつ3回合計30日間行う 第一部 瞑想して在りし日のことを思い起こす 故人の霊の周りに結界を2本の指で結ぶ 第二部 その一つ一つを故人の霊に声を出して語りかける 第三部 その瞑想や故人に教えてもらったり、感じたり、勉強したこと に感謝の気持ちを伝える ありがとうと言って結界を解く これをする時は最後までやり通す 供養の目的は「絆の再結、「魂の成長」で「愛念」をもって行う 自分に光を入れる(心に太陽をイメージし、燦々と光が注がれているように光をいただく) 要するに、故人・俗名と自分の思い起こし、交信、その結果いただいたものに感謝の3部 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Thursday, June 12, 2008 10:17 AM Subject: 12日の日記
2008年06月12日
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熊野詣で ----- Or 和歌山県,奈良県,三重県に渉って,世界遺産になっています。神道・真言密教の聖地で,熊野三山と高野山をつなぐ道が何本もあります。熊野三山は,那智大社,熊野本宮が有名で,那智の滝は観光の目玉になっています。修験道の修行の聖地になっています。渡海寺があって,昔は修行僧が,渡海船といって,小さな舟に乗って渡海するのが,最後の目的として死での旅で漕ぎ出して二度と帰ってこないのです。 高野山は弘法大師空海が後醍醐天皇に許可を得て,開いた真言密教の地で,金剛峰寺が総本山で,京都の東寺が大本山となっています.空海は,今の香川県生まれで,灌漑用水工事や,池ずくり,中国語に長けていて,遣唐使で最澄と行くまでは無名の人でした.第一船に乗ったそうで,唐・今の西安に行き,青竜寺に行き,恵果和尚に,密教〔金剛界・胎蔵界」の伝法灌頂を受けて帰国しました。青竜寺は,横綱朝青龍の名前の元になっています。その頃最澄は流れ着いたところから天台山に行き勉強したのです。天台山は,天台の智ぎさんが,釈迦の教えを漢訳したので歴史に残る人が開いた山です。ただ,あまり時間がなかったので,帰る時に慌ててかき集めたのが,密教の金剛界の資料だけだったのです。ですから帰国後,桓武天皇から双方は大変喜ばれたそうですが,密教の足らない部分を最澄は,空海の教えを乞うたそうですが,弟子を送った為に,空海に怒られたそうです。 密教修行は,必ず二人以上で行じるのが普通で,危険な修行なのだそうです。 奈良仏教は,小乗仏教ですから,天台宗の比叡山とは異なり,中は良くありませんが,高野山とは良い関係でいるようです。 小乗仏教は,得度して〔出家〕して,声聞・縁覚,菩薩の行をするので,菩薩行のみでも救われると言う大乗仏教とは,違うからです。 比叡山ではその後、学僧たちの勉強で,ご存知のように沢山の有名な人が出ましたが,高野山では,その後有名な人は出ませんでした。しいて云えば,聖宝・覚鑁,木食応碁くらいでしょうか。木食応碁は,秀吉と仲が良くていろいろ便宜を図ったそうです。 種子島の鉄砲伝来以後,堺にその製法が伝わり,根来衆や雑賀衆が沢山の鉄砲を持っていたので,信長以来戦法が鉄砲をつかうように成って来た時ですから,秀吉もこれに目をつけたのでしょう。 高野山には,沢山の有名な武将のお墓があるそうですよ。 熊野詣は,そんなことを頭に入れて歩くと,また違う心境でお参りができるんじゃないでしょうか。 それから,忍者の里は,三重県,奈良県,伊賀,甲賀,柳生の里あたりでしょうね。これに触れると長くなるのでまたの機会に・・・。 琢 iginal Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Wednesday, June 11, 2008 10:29 AM Subject: 11日の日記
2008年06月11日
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青春とは 青春とは人生のある期間をいうのではなく心の様相をいうのだ。優れた創造力、逞しき意思、炎ゆる情熱、怯儒をしりぞける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こういう様相を青春というのだ。年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時にはじめて老いが来る。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悩や狐疑や、不安、恐怖、失望、こういうものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂を芥に帰せしめてしまう。年は七十であろうと、十六であろうと、その胸中に抱きうるものは何か。曰く、驚異への愛慕心空にひらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探究心、人生への歓喜と興味。 人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる 人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる 希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる 大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大偉力との霊感を受ける限り、人の若さは失われない。これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が、人の心の奥までも、蔽いつくし、皮肉の厚氷が、これを固くとざすに至れば、この時にこそ、人はまったく老いて、神の憐れみを乞うる他はなくなる。 「作・サミュエル・ウルマン、訳・岡田義夫」 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Tuesday, June 10, 2008 10:30 AM Subject: 10日の日記
2008年06月10日
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和顔愛語 人から『アホ』と言われて ニコニコしてる それさえできれば 楽になるのに 三日乞食をやれば やめられなくなるそうだ 何もかも捨てたからだろうか それとも・・・ 人は死ぬまでに必ず『絶望』を味わうそうだ それを知るものは 逆境にあわてないで接することができる 生まれたときにそれを体験した人は もっと強いだろう 自分の意地や面子を無くさなければならない波が通りすぎ それをやり過ごした後に平穏が来る 何もかもにとらわれなくなるからかもしれない ゼロや無一文になると かえって物にとらわれなくなる 今、そんな時代が来ているのかも知れない 難しいことだけれど それに慣れていくしかない 出会いはその時のためのものかも知れない それなら、微笑を失わずにいこう 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Monday, June 09, 2008 10:22 AM Subject: 9日の日記
2008年06月09日
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自然の中で ----- Original Message ----- のどかさに 間眠{まどろ}む大樹 木の芽時 縄文の里 まだま{真魂}村にて 2007、,5・20 念ずれば 花ひらく碑に うなつきて 古代を想ひ 浩然の気と 2007、5・20 観自在 浩然の気と 等しくて 何処にいても 内に在るもの 2007,5・24 我が居場所 息するところ すべてにて 安堵如何は 心次第と 2007,5・24 今までにわからなかったことが徐々に理解しやすくなったこと 1、『縁』に目覚めてくると、『菩薩』に近つく、そうなると『如来』が引き上げてくれる 2、『断末魔』を過ぎると『痛み、苦しみ』は無くなり、『涅槃時』・『幽体離脱』までに少し時間があること 3、その時に気がかりなこと・執着が出るために、その魂がこの世に残る。覚者たちは乗り物に例えて『乗り間違えないように』・『行き先の切符を間違わないように買うこと』等々という 4、唯識では輪廻転生即ち『もう一度生まれ変わりたい』と『意識・意識の蔵・魂』にインプットする必要がある・・・と、その少しの時間にやるべきことを教えている 5、『菩薩』『悟り』は一回のこの世の人生では得られないので何回も積み重ねないとその境地には到達できない 6、現象界の心には、魂に胎蔵された意識の蔵は潜在的なもの・『業・カルマ』も含まれているので、人は煩悩に迷い苦しむがこれを浄化・光に転換できるのがこの現象界しかない 7、その魂に相応しい試練・教材がこの世で与えられるが、『天は超えられない試練は与えない』ので求道を怠らないこと 8、彼岸・霊界・実在界の魂・霊は『どうすれば人を救えるか』を勉強しているそうだが、この世に気がかりなものがあれば降りてくるそうで、幸せそうな姿を見ると安堵して帰るそうです 思いつくことを書いてきましたが、回顧反省して執着を取り除き人生を明るく楽しく過ごすことが一番みたいですね。 琢 From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Sunday, June 08, 2008 10:16 AM Subject: 8日の日記
2008年06月08日
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貴人 ----- Original Message - ある時、身分の高い人が思うことあって山に登りました。急に雨が降り出してあわてて雨宿りの場所を探して岩陰で止むまで過ごしたのですが、雨が止んで、もとの道を探しましたが、方角がわからなくなって、日も沈みかけてきて困り果て、恐ろしさに座り込んでしまいました。どのくらい経ったでしょうか、木の枝を踏み砕く音がしたような・・・熊だったらどうしよう・・・、息を潜めてじっとしていると、お爺さんでした。山菜を取りにきたそうでホッとして助けを求めて、そのお爺さんの家に案内されて、山菜をご馳走になり、一晩泊めてもらい翌日に帰る道を教えてもらったそうです。その人にはそのお爺さんが仏様か神様のように見えたそうです。 この場合、その人にとってはそのお爺さんは『貴人』になるのですが、そのお爺さんはいつもの場所には行かず、なぜか違うところに足を向けていたそうです。その気持ちがおきたのは何故でしょうか。そこで人に会うことなど考えてもいなかったそうです。 こんな様なことはよくあることのようですが、山だけでなく町や別の似たようなことで、救われたことはたくさんあると思います。 『貴人』は身分の高い低いではなく、その人にとってそのときの命の恩人になるわけで、人はいつ誰に助けられるかわからないので、人を見下してはいけないという教訓と恩恵への感謝を忘れないようにとの自覚を促す出来事でしょう。 ここでもう一つ思うべきことは、霊的に観て見ると、『何故あの時、お爺さんがいつもとは違う場所に足が向いたのか・・・』なのです。人にはよく守護霊や指導霊がついていると言います。霊は物を動かすことはできませんが、心を動かすことはできるそうです。霊的な交信ができるそうです。困ったときや迷ったときに誰かが救いの手をさし伸ばすことはよく聞くことです。『ついていた』ではなくそうなるべくしていた、『やっぱり、神様はいるのかも知れない』と思うことはたくさんあったと思います。 過去の人生を思い起こすと、そんな、自分の力では到底解決できないことがあって今自分はこうして元気に生きている・・・こんなことは何度も経験してきたことでしょう。 ここで、魂・霊・意識・心を再度考えてみてはいかがでしょうか。 心は生まれてから死ぬまでの人の内側にあるものです。そして、その人の中心でその人を動かしているものです。良い動き方をするか悪い動き方をするかは心次第ということですね。その生まれてからの心は果たしてゼロからの後天的なものだけでしょうか。 今池の中に一石投じました。暇なときに瞑想してみては如何でしょうか。 琢 ---- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Saturday, June 07, 2008 10:18 AM Subject: 7日の日記
2008年06月07日
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何かがひたひたと迫っている ----- Original この地球上では、環境の変化、温暖化、海水位の上昇、面積の減少、地下のマグマの変化による地震、過去からの民族間の宗教と土地の争いの激化、資本主義と自由主義による生き残り競争による弊害、地上に生きる生物が幸せな生き方をするため、共存するための不安材料がどんどん増えてきています。 日本ではその影響による変化が顕著に現れてきています。大地震による不安、大和民族のあるべき姿の喪失、それによる今までには無かった犯罪が毎日のように紙上を賑わせています。言葉使いの間違いや自己正当化の人や体制への責任転嫁が寂しい限りの世の中を支配し始めてきています。また、地方自治体の破綻や生き残りのための合併や国家的矛盾ももっと顕著に現れてくるでしょう。 教育や心のあり方を修正する時期に来ているようです。人・ヒュウマンビーイングの傲慢なこの地上の支配を原点に戻って考える時期が来ていると思います。 『ハルマゲドン』とはどうゆうことでしょうか。元レーガン大統領は『世界最終戦争』と言っていますが、仏教では『末法の世』といい、ほかの宗教では『ハルマゲドン』と言って『終わりの日』が来た後『楽園』が来て心の綺麗な人だけが残る等々といっています。何かがひたひたと近寄ってきているのかもしれません。 自分の場合も何かが迫ってきているように思われてなりません。孟子の生まれた日に生まれた自分はその遺した言葉の通りの歩みをしてきました。強靭な精神力を養わせるための試練だそうで、而して偉大なことをさせる為だとありますが、自分にはそれは無いように思っています。今までに有形の功績や物は何一つ無く、心の中の変化、向上は目には見えません。家族や周辺の人たちにも見えないでしょう。ただ、魂の絆を結んだ人だけはわかってくれる人もいると思います。なんだかわかりませんが自分にも何かがひたひたと近ずいてきているように思います。 毎日を穏やかな心で過ごしていければと思っています。 琢 Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Friday, June 06, 2008 10:32 AM Subject: 6日の日記
2008年06月06日
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人はみんな『間違った心』を持つときがあると思います。人は瞬時の『悟り』・『菩薩』の状態になることもあります。それを永続させることは難しいのでしょうね。『怒らず』・『恨まず(怨まず)』・『憎まず』の戒めを守ることは大変なことですが、心の動きは日常ではいつも瞬時におきることだと思います。この三つの心は基本的には『間違った心』になると思います。『怒ること』には『愛情』があればやむをえないことだと思いますが、他の二つの心はできるだけ永く持たないようにするべきだと思っています。この二つの心からは毒素が出るし、病気をつくる細胞に力を与えるものだと思いますので、極力永くこの心を持たないようにするべきでしょう。人間にはみんなその細胞はあるのですが、それを抑える遺伝子も持っているから、その遺伝子の力が強いうちはそんな病気にはならないそうです。遺伝子工学の権威者村上和雄先生はその遺伝子のスイッチを『オン』にすれば病気を作る遺伝子を抑えることができると言って、『大きな声で笑うこと』を勧めています。『笑う門は福来る』と昔から言いますがこのことなんでしょうね。 病気をつくる細胞に力を与えないためには、その心に歯止めをかける必要があると思います。その為に仏教では『止観』と言って、心が動いたときにチェックすることを進めています。そのたびに『回顧反省』をして自分の心のコントロールをすれば、『間違った心』を修正することができるので、『迷い』や『苦』から自分を解放することができやすいといっています。 何が正しい心なのかについては『発菩提心』と言って、『菩提心』・・・『慈悲慈愛の心』を発掘しなさいと言っています。『発掘』とはすでにあるものを掘り起こすことです。無いものではなく、人間には生まれたときからいただいている『この地上に生きるものとして、すべての生物と共生するための心』が備わって生まれてくるのです。子供の純粋な心にはそれがあるのです。『良心』はその心のことだと思います。自分にうそはつけない、それをしたときは人間で無くなる、この地上に生きる資格を失うと言うことでしょうね。それが『菩提心』なのでしょう。これが整えばあらゆる摩擦ごとは起きないとされています。 科学・医学的な遺伝子のコントロールの研究も進んできていますが、『心』のコントロールが必要だと思います。人間の細胞は60兆あり、すべての細胞分裂の時には心の作用が大いに影響するとされています。怪我や爪や髪の毛は数日で入れ替わって跡形も無く新しくつくり変わるそうです。体全部も1~2年で入れ替わるそうです。 もし病気になってもその細胞に力を与えずに笑って過ごして、間違った心さえ持たなければ、病気の細胞は抑えられて、良い細胞に入れ替わっているかもしれませんね。 琢
2008年06月03日
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仏壇 仏壇はあの世とこの世の窓のように思えてきました。 毎日仏壇の前に座り、ろうそくをともし、線香を立てて、鐘を鳴らし、ご先祖を呼んで、お題目を唱えると、心に落ち着きが出てくるのは何故でしょうか。諸霊は、この世に残したものが気になって『幸せでいるだろうか』と観にくるそうです。楽しそうに暮らしていると安心して帰っていくそうです。 もともとは、この世に残された者たちの為の物だそうで、戒名も生前にどんな事をしていたのかを表し、その魂・霊の階位をつけているもので、その魂には関係がないそうです。ですから、話しかけるときには俗名を使うほうが良いそうです。 仏壇は心の三面鏡のようなもので、座って自分の表情を見、整えて、顔だけでなく心を三方から整えるためのものと思うほうが良いと思いますね。 そして今自分が生きている事のご先祖への感謝と現況の報告と今後の自分の生き方の覚悟を確認するのが良いと思います。 あくまでもこの世にいるものの心のよりどころと思っておくべきでしょう。 今はやっている歌に『私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません・・・・・♪』とありますが、そういうことなのですね。 自然界の一員としての人間を思うとき、共存する動植物の恩恵を感じざるを得ません。樹齢何百年の巨木はその周りに生きてきた人々の生き様を見ているそうです。植物やペットの動物がその家の誰かが亡くなったり、病気をしたりするとそのエネルギーをくれる為に枯れたり死んだりするそうです。又、妊婦が子供の胎教のために音楽を聴くと良い様に、植物も音楽を聴かせると活性化して成長が良いそうですね。 この世には、目には見えなくても、その活性化や成長に良いことをしておくと、心に何かの安心感が生まれてくるようですね。このすさんだ事件が多くなってきた今の世の中には必要な事だと思います。 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Tuesday, June 03, 2008 10:23 AM Subject: 3日の日記
2008年06月03日
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葛藤の流れ 夕凪に 雲の隙間の 星見つけ 今日の明運 秘めた心に 2007・9・29 雲浮かぶ 山筋見つめ ガラス越し 空虚な心 癒し求めて 2007・10・5 鳴けぬ声 川の流れと 思いつつ 我が人生を かけぬけようと 2007・10・5 ほっとして 緩む心を 戒めて 中道こそと 決意新たに 2007・10・12 試練とて 不動の心 養ひて 静かに受けて 空の心に 2007・10・19 診断結果・・・初期の喉頭がん あなうれし 気ずきを胸に 封印し 行く道のりを ともに歩もう 2007・10・22 年経るに 未踏の道も 止む無くて 不動の心 和した顔にて 2007・10・30 この一ヶ月の心の流れですが、人の心の葛藤はこのようなものでしょうね。わかったつもりでいても浮沈はあるものです。 この後、33回の放射線照射治療が始まった。診断前には長年の死に対する恐怖が何故か薄れていたので病院での検査・手術入院も何の動揺も無かったのです。 今は少しずつ声が出るようになりました。 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Monday, June 02, 2008 10:24 AM Subject: 2日の日記
2008年06月02日
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徒然に 樹々の下 首をすくめて 小走りに 春の訪れ 苦手な毛虫 2008・5・14 石楠花に 鶯の声 親しみて 厠に立ちて 満ちた心に 2008・5・24 まだま村にて 縄文の里 刻みても 未だ至らぬ その境地 雲にみたてつ 思い遥かに 2008・5・29 雲上の 無間の青さ 思いつつ 心のみ行く 虚空を超へて 2008・5・29 今はなき より結ぶ愛 熟熟(つらつら)と 懐かしむ日々 一期一会と 2008・6・1 今朝は何故か小学校の恩師・鴻田より先生を思い出して かけた情けは水に流せ 受けた恩は石に刻め 善光寺石碑に 思い出は 心の栄え のちの糧 時空を超えて 遥かかなたへ 2008・6・1 2008年6月1日 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Monday, June 02, 2008 10:24 AM Subject: 2日の日記
2008年06月02日
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幻の文明 南米アンデスに輝く神秘の里 太陽の光が燦々と輝き アステカやマヤやインカの文明が花咲く 宇宙を意識して太陽を命と思う マチュピチュは心の故郷 女王は絶大な力 里人は先祖とともに生きる スペインに滅ぼされた後も 生き続ける文明 この地球のあちこちに残る文明の跡 今人類に学ぶものはたくさんある たとえ人類が滅んでも遺跡は残るだろう 人の足跡は消えない この世に自分がいたことも すべてを消し去る事はできない 太陽は観ている 幾億もの恒星も 宇宙は幾億年も続くだろう 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Sunday, June 01, 2008 10:22 AM Subject: 1日の日記
2008年06月01日
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