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相談を受けるときすぐに自分の結論を言わず相手の結論を待つべきでそこに至る客観的情況を示し誘導することなく相手が納得する決断に任せること個人的都合を交えず相手の判断材料を示すこと選択肢は本人に選んでもらうこと人の人生を左右する決断は本人が責任を取れるもの自分の道は自分の足で歩けるようにアドバイスすることが望ましい人の生にして逃げないように助言すること良いときは自分のお蔭、悪い結果は人のせい、自分のやりたいようにやったあげくの責任を感じない人が多くなっている。心の中は迷いばかりで自分で結論が出せず人任せの人も多い。人任せと言うのは、他人に命や人生を預けたのと同じようなもので、主導権は自分に無く、どんな結果にも甘んじてそれを受けるしかないことに成る。逆に他人の相談に乗ることは、その責任の一端を担うことに成るもので、運命共同体に成ることだろう。人の相談を受けるときには、すぐに自分の思う結論を言わず、相手の出す結論を待つべきで、そこに至る客観的情況を示し、誘導することなく、相手が納得して責任を取れる決断に任せること。そこに自分の個人的都合を交えず、相手の言うことを良く聴くことで、相手の判断材料を示すこと、選択肢が多ければ本人に選んでもらうことが大切なことだろう。人の人生を左右する決断は、自分が責任を取れるもの、その自覚をもってもらえるように、自分の道は自分の足で歩くように、アドバイスすることが望ましいことだろう。自分の選んだ道でのすべての責任は自分に有ることの自覚をもたせ、他人のせいにして逃げないように助言することで、本人の強い意志を持たせるような助言が有効に成るだろう。 2015年2月28日 琢
2015年02月28日
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誰かの代理をする人でもその人の生い立ち、基盤が有って客観的に見ているつもりでも偏見や感情の動きは止められず上に報告するときにはその心で感じたものを伝えてしまう完全な代理人は無く代理をさせるものは幅をもった受け止めを必要とする観られていると思っておくこと双方はその自覚をもって中道の立場で対応することどちらにも言い分は有るもので信頼が保たれる対応をすることが嘆きを少なくすることに成るどんな組織にも命令を出すものとそれに従うものとその代理をするものがいる。すべてに信頼関係が無くては目標や方針通りには事が運ばず、個人的な感情や偏見が間にはいってしまえば、統率が取れなくなってしまう。統率はそのすべてが一枚岩になっていなければ、思うような方向に組織を率いてゆくことができない。人数が多いほど頂点からの指令は届きにくく、代理人を多くすることに成る。誰かの代理をする人にも、その人の生い立ち・基盤が有って、個人的な感情を滅して客観的に観ているつもりでも、偏見や感情の動きは止められないだろう。上に報告するときには、その心で感じたものを伝えたり、自分の都合の良いように着色して伝えてしまう場合も有る。完全な代理人は無く、代理をさせる方は、そのすべての責任を背負って、幅をもった受けとめを必要とする。互いに観られていると思っておくこと、双方はその自覚をもって中道の立場で対応することが望ましい。目的意識は一つしかなくても、どちらにもそれなりの言い分が有るが、すべては信頼が保たれていることが必須で、その上での対応はその人のセンスと能力によるものだろう。ちょっとしたミスも許されず、その組織の最終目標に向けて、みんなが納得できていて、嘆きが少ない状態で、小細工をせずに堂々と進めてゆくことが、みんなの満足感を導き出すことに成るのだろう。 2015年2月27日 琢
2015年02月27日
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対峙するとき相手を刺激する言葉を避け相手の受け方如何では末路を考えてその仏性に敬意を示し本筋が何で有ったかを思い出すすべて善意で解釈して平行線、衝突に成らないように相手が興奮するほど冷静を心掛け対立する前の願いを忘れず混乱を予測して避けること自分を乱すことではいてしまう言葉で揚げ足を取られないように無用な言動を戒めておくことその事態が自分を進化させる直情的に成ることの無いように、いつも自分を戒めておくことは自分を救うことにも成る。激高すれば、誰でも正常な判断ができなくなってしまい、何をしたかさえ思い出せなくなって、韓国の航空機事件のようになって、人生に汚点を残すことにも無いかねない。人にはそんな怖さ、脆さが有って、いったん興奮してしまえば何をするか自分でも解らなくなってしまう。人と対峙するときには、相手を興奮させる言葉や、刺激する言葉を極力避けること、どんな侮辱と感じても、基本的にはソフトランデイングを心掛けるべきだろう。相手の受け方如何では、末路も考えながら、その仏性に敬意を示し、本筋が何処に有ったかを思い出し、すべてを善意に解釈しながら、平行線や衝突に至らないように、相手が興奮するほど冷静沈着になれるように心がけることが大切なことだろう。いつも対立する前の願いを忘れず、自己顕示欲、自我我欲、醜い自己保存をしなくて済むように自分を整えておくこと、混乱を予測してそうならないようにすることが好ましいことだろう。自分が興奮して、鬱憤を晴らすような行為をすることで、揚げ足を取られないように気をつけて、無用な言動を戒めておくことが大切なことで、それがために自分の歩みをゆがめてしまうことの無いように忍辱することが、あとになってみれば自分を救うことに成るだろう。修羅場を何度も超えて、大人に成ってゆくもので、傍から見ればはらはらするような事態を、双方傷が付かないように切り抜けることが自分を進化させることにも成るだろう。 2015年2月26日 琢
2015年02月26日
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易しい方より難しい方を選ぶ頭の回転は難しいほど良くはたらき苦より楽な方が気分が良いが訪れる試練は難しいもの屈辱に耐え忍び超えるために改善する強い意志の力が必要で屈辱が長く続くほど精神力は強靭に成る攻めること、退くこと、待つこと蓄えた力は一気にぶつけること永い我慢がその力を倍増させる至った果報は通過点だがそれまでの過程が重要で楽より苦が人を強くさせる達人が分岐点に立つとき、数ある選択肢の中から最も難しいものを選ぶと言う。楽な方を選びたくなるのが人情だが、歩みの中では苦の方が多く、たまに楽を頂けるから、それを求めて頑張れる。いつも楽ばかりなら進化することも無く、忍土には安住の地は無いと思っておくほうが良いだろう。それでも自分の価値を高めて居場所を探すのが人の歩みで、怠惰に栄光はなく、進化を求めて歩むしかないのが人生だろう。易しい方より難しい方を選ぶことで頭の回転は良くなり、楽な方に安堵が有るが、訪れる試練は難しいもので気を抜くことは許されない。屈辱に耐え忍び、超えるために業・カルマの修正浄化をし、自分の願いの達成には強い意志の力を必要としている。屈辱が永く続くほど精神力は強靭に成るもので、望まぬ末路を迎えないように智慧を使って、攻めるとき、退くとき、待つときの選択をしながら、蓄えた力を一気にぶつける爆発力も必要に成る。永い忍辱がその力を倍増させ、目標を成就させるが、それは通過点で、まだその先が有る。その過程が大切なもので、単に努力の対価を得ること、果報を頂くだけのことでなく、その間に自分がどうあらんとして来たかが問題なのだろう。苦に照準を合わせておけば、たまに来る楽に癒されてまた頑張ることができ、苦を前に前向きでいられるようになれば、もっと強い生き方ができるだろう。 2015年2月25日 琢
2015年02月25日
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生存競争には弱肉強食、下剋上は必然のこと勝つものがいれば負けるものがいる”求不得苦”の忍土では小さな願いを果たしたものがいれば叶わなかったものの失意も有る迷惑をかけていないと思っていても自分の意志を通せば遠慮するもの、我慢するものがいるそれは忍土の宿命と割り切っていても心のどこかでつぐないをしている供養はその表れで感謝が有ってこそ報われるものも有るこの世に感謝が無ければ地獄、餓鬼、畜生、修羅の世だけに成ってしまう自分は思い通りにやって来た、好きなようにやって来た、自分の力でやって来た、誰の世話にもなっていないと思うときが有れば、それは大間違いで、人間は一人では生きられず、多くの人との関わりが有って、自分だけの思い通りに成らない忍土だからこそ、耐え忍んで和を保ちながら、何もかも分かち合いながら共生していることを認識しておくべきだろう。円満に成るために互いの摩擦を起こす原因を改め、常に相手の身に成って無私、利他の心で考えることから自分の使命を発見するための道を行くのが、生きて歩む人生だろう。生存競争には、弱肉強食や下克上はつきもので、勝つものがいれば負けるものがいて当然だろう。求めても得られないこの忍土では、小さな願いを果たすものがいれば、叶わなかったものの失意も有るだろう。誰にも迷惑をかけていないと想っていても、自分の意志を通せば、遠慮するもの、我慢するもの、譲るものが何処かに必ずいるだろう。それは忍土の宿命と割り切ったつもりでいても、良心が許さず、心のどこかでつぐないをしているだろう。供養はその表れで、感謝が有ってこそ報われるものも有るだろう。この世に感謝が無ければ、地獄、餓鬼、畜生、修羅界の世だけに成ってしまうだろう。感謝こそ 道の極みと 仏道に菩提の心 にじみ出てこそ 2015年2月24日 琢
2015年02月24日
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偉い人から頂く言葉は名誉なことでもその内容が軽視したものであれば突き返すくらいの高い志が必要でただ頂いたからと言って歓ぶのではなく相手の正常な認識を求めるべきだろう大人の世界はそういうもので人間として対等な扱いを受けることその貫く基本精神を認めさせること言葉の意味を知ったうえで伝える正確な言葉を学んでおくこと適切な言葉は必ず有るもので礼儀を重んずる関係を構築するには静かな対応が必要に成る先人の重さ、偉大さは時代を超えて人の心の中心軸に成る昔の首相に宛てた後輩の手紙などを見れば、その文章、表現力、内容の深さ、重さに畏敬の念さえ湧き出してくる。論語の誠心が根底に流れているような表現には威厳と気品が有って、美しささえ感じてしまう。儒教誠心が何処に行ってしまったのか、日本人だけでなく、孔子を輩出した中国・元祖でも信じられないことが行われるように成っている。国家、一個の男児としての在り方、ぶれない中心軸を持っておくこと、それを疎かにすれば自分だけでなく周りに迷惑が及ぶことに成ることのわきまえが必要だろう。偉い人から頂く言葉は名誉なことでも、その内容が自分や国を軽視するようなものであれば、突き返すくらいの高い志が必要で、ただ頂いたからと言って歓ぶのではなく、相手の正常な認識を求めるべきだろう。大人の世界はそういうもので、人間として対等の扱いを受けること、その貫く基本精神を認めさせること、言葉の意味を良く知った上で、伝える正確な言葉を学んでおくことが重要なことだろう。適切な言葉、品格の有る表現法は必ず有るもので、相互に礼儀を重んずる関係を構築するには、厳しい、それでいて静かな対応が必要に成る。先人の重さ、偉大さは時代を超えて、今の人の心の中心軸に成るものだろう。 2015年2月23日 琢
2015年02月23日
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思い出の人、場所、景色、芳香は人の心の余韻、残像に残っている思い出は心の奥深くに刻まれて心の原点の故郷として有るべき理想を抱かせ如何に自分を変えようと迷ったときに戻る心の原点に成っている元はどうだったか何処から今の自分に成ったのか故郷の無い人は浮き草のように張っておくべき根をもっていない根を断ち切れば繁栄は無く自然の摂理に従わなければどんなことも実を結ぶことは無い全く根拠の無いものでも、心の趣くところには意味が有って、何故そっちに気が引かれるのかが解っていなくても、その人の心・魂の中に潜在するものが仕向けている場合が多い。分岐点に立つとき、考え抜いたあげくに、人生を変える決断をさせる何かが心の趣く方を選んでいる。その人の運命を変えるもの、宿命を感じるもの、それに関わっているのが人、場所、景色、芳香で、何処かに懐かしさと共に心に滲み込んだ余韻や残像が残る場合が多い。そういうものが思い出として心の奥深くに刻み込まれて、心の原点・故郷と成っている。生い立ちから来るものが基盤になって、有るべき理想を抱かせ、如何に自分を四苦八苦の中で変えていようと、迷ったときに戻る心の原点に成っている。元がどうだったか、何処から今の自分に成ったのか、自己回帰すれば戻るところをもっている。心のふるさとをもたない人は浮き草のように、張っておくべき根をもっていず、ただ風に流されてゆくしかなくなってしまう。不都合なことがあって根を断ち切った場合も、根無し草のように繁栄することは無いだろう。大地、自然の営みにはすべてに意味が有って、それに学ぶことが多く、その自然の摂理に従わなければ、何をやっても実を結ぶことは無いだろう。潜在意識の中には、そういうものが入っていて、それを思い出すことで、自分が生まれてきた意味や使命を自覚できるようになるのだろう。 2015年2月22日 琢
2015年02月22日
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深化の途上で必ず訪れるものスランプの空しさ疑心暗鬼至らなさに焦りが出るすべてが無駄に思えピントが外れていると感じ価値の無い努力に思えるとき何も考えずに努力を重ねるか転依して気をほぐすか圧迫感に押しつぶされず着実に歩を進めているもの最悪のシナリオを思わず自分の欠陥を埋めてウサギより亀に徹すること振り返った差がそこに現われる受験勉強のときや目指したものの途中で、今自分がやっていることが有効なのか的が外れているのかと自分が信じられなくなってしまうときが有った。ボーっとしたまま手が止まり、思考が空回りし始めて、どうでも良くなってしまいそうな悲壮な気分に成るときはみんな同じかも知れない。自分がみすぼらしくなって人前に出るのでさえ嫌に成ってしまう迷い、葛藤の中で自分との戦いが続くことが多い。深化の途中に必ず訪れるものがそういう状態に陥ることで、何をやっても無意味な気がして、疑心暗鬼の塊のようになってしまうスランプ状態に苦しむことは、自分の至らなさを感じたときに焦ってしまう心が有るからだろう。どれもみなピントが外れているように感じて、すべてが無駄に思え、価値の無い努力を重ねているように思えて、諦めて投げ出したくなってしまうこともしばしばだろう。そういうときに何も考えず、コツコツと努力を盲目的に重ねるか、気分転換、チャンネルを変える転依をして気をほぐすかで、圧迫感に押しつぶされず、最悪のシナリオを想わずに、自分の欠陥を探しながらそれを黙々と埋めてゆくことで、着実に歩を進めてゆくものが残って、ウサギより亀に徹する実行をしたものが踏みとどまったものに多いだろう。自分の苦しさを誰かに解ってもらいたくて、もがいて停滞しているものや自分の甘さを露呈しながら、弱さを他に印象付けしたことの修復に時間を取られてしまうものも多いだろう。時が立って思い起こしてみればそこにその差が歴然と有ったことに気が付くだろう。 2015年2月21日 琢
2015年02月21日
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”馬鹿は死ななきゃ直らない”と言うが何度も同じ過ちを繰り返す六道輪廻の転生修正浄化ができていない業・カルマはそれほど根強いもので死んでも直っていない人の光になれるとき身を正すきっかけに成る肉体に煩悩が有れば魂には理性が有るそのぶつかり合いが葛藤で”克己”で感情の抑制の無い心に理性でどれだけのバランスを保てるかこの世で一番怖いものは自分善我を育み、真我に至るなら成仏日本人の多くは、その意味が解らなくても成仏したいと思っている。”なむあみだぶつ”と唱えていれば、阿弥陀如来さんが西方浄土に連れて行ってくれるという仏教観には多くの人々が従っている。神道ではご来光の日の出に拍手を打って拝み、日の入り・日が沈むときに感謝の念で拝む。人は東の日いずるときの朝生まれて、西へ日が沈むときに死ぬと言う”一日一生の思想も有る。”始め良ければ終わり良し”、”終わり良ければすべて良し”の思考も有って、人はその一日を精一杯生きることが大切なこと。”馬鹿は死ななきゃ治らない”と言うが、直さない内に死んでも次の転生で直っているわけが無いもので、何度も繰り返す同じ過ちが六道輪廻の転生の元に成っているという。解っていても止められず、何度も繰り返す過ちを、どうせ付いて回るなら放置したままでもと修正浄化をしないまま死ぬ人が多いという。身を正すきっかけが有れば良いが、人に恩恵を与えたり、光に成って救うことが出来たりすれば、自分の使命はこれだったと更に精進を重ねるように成れるだろう。肉体に煩悩の元が有れば、魂には理性が有って、そのぶつかり合いが葛藤と言うことで、『克己』に励み、迷いから来る葛藤で感情の抑制が出来なくなっている自分に打ち克つことの精進を積む道のりが人生なのだろう。この世で一番怖いものは自分で、その自分を理性で抑制して、善我を育み、真我に至ることが出来れば『成仏』することができるだろう。三つの自覚【忍土の自覚、愚かさの自覚、恩恵の自覚】をしっかり心に刻んで、明るく機嫌良く今を生きることだろう。 2015年2月20日 琢
2015年02月20日
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叩きのめされても立ち上がる人小さくても大男の腰が引ける人辱を忍んで歯を食いしばり笑顔で接する人強い人が恐れる人背伸びをせず謙虚な人素直に自分を改める人意地を張らず懐の深い人他に感動と勇気を与える人偏らずこだわりの無い人負け組みにとらわれない人行き詰りにも切り抜ける人人に頼らず、群れない人そういう自分に成りたい自分の歩んできた道で思うことは、強い生き方をして来なかったこと。喧嘩や争いを嫌うあまり、すぐに妥協して自分の意志を取り下げてしまったり、成り行き主義だと言われても仕方が無いような、背景の無い自分、無力な自分、孤立した自分を見ながらの敗北感を背負って、屈辱的な歩みをして来た自分がいたからだろう。忍土の自覚ができていなかったこと、自分の愚かさに気が付いていなかったこと、多くの恩恵、天の祐けが有ったにもかかわらず、二見にとらわれて大した感謝もできていなかったことで、自分のもてる徳を使い果たしてしまったのかも知れない。惨めな結果から自分を改める要因が見えてきたような気がしていて、目指してみたい人間像のようなものが浮かんできている。はじめは、叩きのめされてもすぐに立ち上がれる人、小さくても大男の腰を引かせる人、辱を忍んで歯を食いしばり、笑顔で接しられる人、背伸びをせずいつも謙虚な人、素直に自分を改められる人に成りたいと思っていた。次には、意地を張らずに懐の深い人、他に感動と勇気を与えられる人、二見にとらわれず、偏らず、こだわらずに明るく歩む人、行き詰りに遭遇しても切り抜けられる人、人に頼らず、群れない人、出来れば心眼が開いて、先が読める人、時代や世界を読める人、ピントの合った人に成りたいと思うように成って来ている。煩悩に惑わされること無く、いつも、明るく機嫌良く、今を生きることしかないだろう。 2015年2月19日 琢
2015年02月19日
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自分から気力を取れば何も無い力が無く、牽引力も無い単純で無能金も無く名も無いが人が元気になるカンフル剤でありたい人と人をつないで笑顔になってっ欲しいいるだけでホッとするような奴に未だ打つ手が残っていると思って欲しいどん底でも頑張っている人がいる這い上がってみようと思えるように他に小さな灯を与える人に諦めなくてもまだいけると思わせる人に小さな可能性でも追って見ようと思わせる人に馬鹿な人間でもできることが有ると思ってもらいたいそんな自分で在りたいと願っているどんなに頭がいい人でも、可能性をいっぱいもっている人でも、心が病んでしまえば、そこで歩みが止まってしまう。反対にどんなに貧乏でも、成績が悪くても、何か一つのことを掘り続けていれば、、いつか止まった人を追い抜いてはるか先を歩く人に成っている。ウサギと亀の競争のようなところが人の歩みには必ず有るだろう。結局勝つのはコツコツタイプの人で、遅くても確実に進んでいる人、放棄せず、諦めない人が陽の目を見ている。自分には気力しかなく、他に何の力もなく、牽引力も無い、金も無く、名も無いが、困った人が元気になるカンフル剤でありたいと思っている。交友を大切に、時間が経っても以前と同じように会える人に、その交友の中に他の人の良き縁に成れる人がいればと、人と人をつないで喜んでいる自分がいる。みんなが笑顔になれば雰囲気が良くなって和やかな場が出来る。そこにいるだけでホッとする奴に成っていたいと思う。どんなに追い詰められようと、思考力が失せようと、未だ打つ手が残っているはずだと思って欲しい。どん底に落ちても頑張っている人はいくらでもいる。這い上がってみようと言う気にさせる人に、他に小さな灯を与えられる人に、諦めなくてもまだいけると思わせる人に、小さな可能性でも追いかけてみようと思わせる人に、そんな人になりたいと思っている。自分がそうだったからも有るが、馬鹿な人間にも出来ることは有る、どん底に落ちて這い上がろうとしたときに、今までとは別の生き方をしようと思ったことが、そう思うことだった。 2015年2月18日 琢
2015年02月18日
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求めていないものを押し付ければ苦痛でしかなく説得も馬耳東風不随の苦に何かを求め始めれば適切な学びは歴史の中にいっぱい有る義務の押し付けを嫌悪しても屈辱の体験と共に無知の空しさを知る無いことの恐ろしさを知るまで待つしかなく不便を感じない人に便利は伝わらず行き詰りのときに後悔が始まる智慧は求めなければ智慧に成らない子供の教育、養育で親が苦労することは、親の願い通りに成らないこと、将来を考えて良いと思う本を押し付けても勉強せず、”鳶が鷹”を願うもそうは行かず、家の条件や制約には従ってもらえないことだろう。好奇心の向かうところが違う場合が多く、親の枠にはまらず、いつも遊んでばかりで不安だらけになってしまう。何でもそうだが本人の自覚が無いものに興味を示さず、自分も何をやりたいか好奇心の有るものを知ること、できるようになろうとすること、できれば親に見せて誉められたいと思っている。求めていないものを、押し付ければ単なる苦痛でしかなく、説得しようと優しくその必要を説いても馬耳東風の場合が多い。不随・思い通りにならないことばかりの不自由さ、不便さ、自分の無力を感じ始めて何か自分の心の趣く方向が見えてくれば求めはじめるものが有る。求めれば必要なものは身の周りにいくらでも有るし、適切な言葉や金言は、先人が残した多くの諺や名言に成って歴史上の何処にも、求める言葉が有るだろう。義務の押し付けを嫌悪しても、目の前の屈辱の体験と共に、自分の無知の空しさを知ることに成る。無いことの恐ろしさを知るまでは、不便を感じていない人に便利は不要で、行きつまりのときに後悔が始まる。三つの自覚【忍土の自覚、愚かさの自覚、恩恵の自覚】ができて初めて求め始めるのが智慧で、智慧は求めなければ智慧には成らないものだろう。子育ては大きく包んで、その個性の伸びる方向に褒めて上げること、自信をもたせて自分で自覚をもつまで大慈大悲の心で見守ることだろう。 2015年2月17日 琢
2015年02月17日
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解らないことを調べる疑問を解明する風土、慣習の常識を参考にして無知を埋めて智慧を多くする掘り進めた奥に共通するもの失敗の原因を修正浄化する何故思うようにならないかを考えて視野を広げて懐を深くする他の心の動きを読む思いやり気くばりで無私、利他の心多くの人との和を広げる仲間、同志、協力者との信頼関係を深め自分の因を転換して良き縁とともに開花する自分一人で出来ることは限られていて、誰かの協力がなければ自分の願いの達成は難しい。人の願いは、そのほとんどが自分だけのためのものでなく、人の幸せを願うものが多く、自分一人では不可能なことが多い。夢や希望の願いをもてば、その心・因の品種改良をして事に当たろうとする。基礎が無ければ土台造りから、誰かの縁の協力を恩恵として組み立て始める。解らなかったことを調べ、疑問を解明しながら進めてゆくが、どんなことにも障碍はつきもので、障碍は弱点の有るところに現われて、その試練を超えるたびに強くなってゆく自分を観ることができる。風土や慣習の常識を参考にしたり、応用したりしながら、無知を少なくして智慧を増やしてゆくのが人の道に成っている。道には共通する哲学のようなものが有って、失敗や試練の原因を正しながら、思うように成らなかったことに対処して、更に視野を広げて懐を深くできれば、以前出来なかったことも出来るように成る。他の心の動きを読み取って、思いやり、気配りのできる無私、利他の心に努めることで、多くの人との和を結ぶことができるようになって、仲間、同志、協力者との縁がつながりを強くして、一人では出来ないことの成就が観えて来るだろう。なんでもそうだが、みすぼらしい現在を輝かしい未来に変えたいと思えば、自分の因の転換を図って、種の品種改良をしながら良き縁に恵まれれば、願う開花のときを得て、大いに感謝し合えるときが来る。そのために苦に耐え忍ぶのが道の途上のことだろう。 2015年2月16日 琢
2015年02月16日
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生物には不思議な感覚が有ってどこかで何かを感じ取っている人間も同じで自覚が無くても六根のアンテナで受けている科学では見えない霊的なもの意識の何処かに有る本能的なもの時空を超えた交信が有る思いを念じるとき、祈るときその相手は通じている理論や理屈でなく信じ切ること思ったことは実現する守護指導霊の為す技か念じたことは通じ合っている『以心伝心』と言う言葉が有るが、同じ時期に同じことを考え合っていたと言う体験は誰にも有るだろう。朝出かけようとすれば、路上にいるはずの蟻が一匹もいなかったり、鳴いているはずの蝉の声が静かだったり、小鳥が一匹もいなかったり、そんなときには必ずしばらくして雨が降り出したりして、生物には不思議な感覚が有るなどと思うことが有っただろう。どこかで何かの自然現象を事前にキャッチしているもので、漁師やお百姓さんは雲の形や動きを見て天候を未然に知って、その日の対応をしている。六根【眼、耳、鼻、舌、身、意】のアンテナ・センサーで直感的にキャッチしているものが有る。科学では見えないもの、霊的なものを感じ取っていることが有る。第六感とか言うが、蝶が3000km離れた交信をしているとか、渡り鳥やサケの産卵を見れば、何処かに時空を超えた交信が有るのかも知れないと思ってしまう。思いを念じるとき、祈るとき、相手には通じているもので、坂村真民先生の言葉『念ずれば花開く』のように、理論や理屈ではなく、信じ切るとき、思ったことは実現するのは本当のことかも知れないと思う。人の心からの願いは思い続けることによって、諦めたり放棄さえしなければ、必ずその近くまで自分を持ってゆくことができる、時空を超えるような能力をもっているのかも知れない。守護指導霊の為す技かとか、神仏が見守ってくれていて、思わぬ恩恵・仕組みを与えてくれているとか、その必然に感謝の念が有るものが何かを成し遂げられているとかを思えば、念じたこと、祈ったことは通じ合っているのだろうと思う。それこそ”信じるものこそ救われる”だろう。 2015年2月15日 琢
2015年02月15日
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名前には親の願いが入っている求める歩みに影響している歩んだ道を示すのが戒名歩みにはどう歩みたいか何処かに一貫性が有ってその人生観の中にその人の使命が有る振り返ってみれば名前に関係していてその道を歩めば悔いが残らない人の信頼はその一貫性に有って互いに良き縁に成り合うことその自覚が迷いを少なくして不動の境地に至らしめるどう歩めば良いのかはっきり見えている人は殆んどいないだろう。食べんがためにもった仕事も生き甲斐を感じるほどのものでなく、いい加減な勤め方では所得が上がらず、くびに成ることも有る。家族を養わんがために忍辱に耐えているが、どれが自分の使命・天職なのかがわからない。酒で紛らわすにも、趣味に没頭するにもお金が乏しく、迷いや葛藤を重ねる毎日を過ごしている人は多いだろう。ふと思えば、自分の名前を考えてみれば、その中に親が良かれと思って付けてくれた文字の意味が、深く考えるほど自分が歩いてきた道、これから歩むべき道に共通しているものが見つかるだろう。親の切なる願いが自分の名前に込められていることを感じれば、それに応えるのが孝行でも有って、迷いを少なくすることにも成るだろう。名前は歩みに影響しているもので、歩んだ道を示すものが戒名と知れば、どう歩もうとするのか、どうあらんとしているのかが、自分の人生観が見えたような気がしてくるだろう。何処かに一貫性が有って、それが名前にも関係していること、そこに自分の使命が有るのかも知れない。そう思った道を歩んでいれば悔いも残らず、その一貫性の中に人の信頼も寄せられている。共通する何かの願いをもつもの同志が寄り合えば、互いの良き縁に成り合って、その良き縁と共に開花することも出来て、自分一人では出せない力が加わって、更に迷い、葛藤は少なくなるだろう。あの世にいる親も微笑んでくれていると思えば、心が安定して不動の境地に至らしめてくれていると感謝の心も涌いてくるだろう。親孝行は生きている内にと思う人が多いが、あの世からいつも見てくれているもので、親の願いに応えることで、本当の自分の道が見えてくる場合が多いだろう。 2015年2月14日 琢
2015年02月14日
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潮の満ち干きはぎりぎりのところで関わっている人は満ち潮で生まれ引き潮で死ぬ引力の関係で普段気にもかけないことでも微妙なところに分岐点が有る人事を尽くすときにも”潮時”が有る全知全能の上に有るもの”地の利””時の利”の意識運はそれを智慧として応用するとき先が開けてくるもので視野をあらゆる角度に広げておくこと紙一重で超えるために女の子は育ちやすい、出産時の苦しみは男には超えられない、ウサギと亀の喩えのように、男児の精子は速いが弱く、女児の精子は遅いが確実に卵子に到達する。”神は男には力の強さを与え、女には心の強さを与えた”からかも知れず、双方にはそれ相応の役割が有って、”男は遠くを見て生き、女は近くを見て生きる”、は相対的には当てはまっているかも知れない。”男尊女卑”の時代が終わって、共に分担し合う時代になって来たように思う。極限のときに発揮される力も自然の摂理の影響を受けているもので、潮の満ち干きはぎりぎりのところで関係している。人は満ち潮で生まれ、引き潮のときに息を引き取る場合が多い。引力の関係、重力の関係は地上に住む生命体に密接な関係が有って、普段気にもかけずに生きているが、微妙なところ・分岐点のときに大いに影響している。人事を尽くすにも”潮時”と言うものが有って、”分相応を知る”こと、”足るを知る”ことも必要で、全知全能の上に有るものも有るだろう。戦うとすれば必ず勝利に原因するものが、人の智慧と”地の利”、”時の利”が影響している。運は変えることができるもので、そういう仕組みを、体験して得た智慧を使うことで先が開けてくるのだろう。視野をあらゆる角度に広げておくことは重要なことで、願いを達成するときには紙一重の力が大きく影響していることを、ハード分野とソフト分野の両面で弁えておく必要が有るだろう。祈ること、念じることはそういう意味では大きな力の元になるだろう。 2015年2月13日 琢
2015年02月13日
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体調が悪くても笑顔を失わず自分に負けない意志をもち目標を変更しない強く生きること願いを強くもっていること誘惑に負けず行き詰りにも諦めず甘い心を捨てて理性を強くもち快感を原則とせず苦の先に有るものを求める孤独なときが有っても和に誠心を尽くし我が道を歩む自分は意志が弱かった、能力を生かす勉強もしなかった、才能が無く判断はほとんどピント外れだった、失敗ばかりで何一つ勝ち取ったものが無かった、だから、一度死んでみろと神仏から絶望を与えられた、そう思って来た自分が確かにいた。総じて強く生きて来なかった自分がいて、いつも自分を苛め抜いた結果神経症・うつ病になっていた。何も食べられず酒ばかりの日々を重ねて、これで死ぬならしょうがないと居直っている自分がいた。ただ、本性は別に有って、どんなに体調が悪くても笑顔を絶やさず、自分に負けない強い意志を持ち、負け組みにいても目標の変更をしない自分を求めていた。強く生きることは、願いを強くもっていること、誘惑に負けず、行き詰りにも諦めず、放棄せず、甘い心を捨てて理性を強くもっておくこと、それが自分に言い聞かせていたことだった。快感を原則とせず、苦の先に有るものを求め、無知を補う智慧を尽くして自分に負けず、孤独なときが有っても、和に誠心を尽くすこと。これが今を生きようとする自分の関わりの再結の自覚に成っている。何も勝ち取ったものが無かったのは、お金や物や名声・唯物的なものを追いかける才能が無かったから。そういう意味ではすべてが無駄な努力だったかと言えば、そうではなかったのかも知れないと、今、気が付き始めている。悟らんと 重ねた無駄も 気が付けばあれも我が道 これも我が道 2015年2月12日 琢
2015年02月12日
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頭で憶えたことはすぐに忘れるが体で覚えたことは残っている魂の中に潜在するものも思い出すときが有る前世から入っていたもの心はその影響を受けている無意識にはたらくもの何と無く心の赴くところしっくりするもの合理や理屈以前のものが有る霊的なもの、直感的なもの当てようとして当たるものでなく感じるもの心の赴くところに結果的には理に叶ったものが有る何と無く感じているもの、説明できないが何かそこから離れがたいもの、目が点に成って釘ずけに成るもの、それまで感じたことも無い何かに引き寄せられることが有る。生まれて以来未知のはずのものに好きなものや苦手なものが有れば、その感じは前世からもってきているもので、魂の中に潜在しているものと思う方が納得しやすい。医学や科学で説明不能なものはたくさん有って、遺伝子の中に伝え残されている何かが有ると思った方が受け入れやすい。人の感覚にはまだまだ説明できないものが多い。頭で憶えたことはすぐに忘れるが、体で覚えたことはいつまでも残っている。魂は心のもっと奥に有るもので、指針を与えているもの、心の趣の根拠に成っているものだろう。そういうものを思い出すとき、不思議な感覚を味わって、潜在意識の中には未知のもの、前世からのものも入っていると思う方がすっきりするだろう。無意識に自分を信じながら、自分は死なない、変な事故にも遭わない、何かに守られていて自分だけは特別だと思う心が何処かに有るだろう。好き嫌いで言う方が受け入れられる、変に言い訳や理屈を言えば弱点を突かれるような恐れを感じるときが有る。人の心には合理や理屈以前のものが有るだろう。当てようとして当たるものではないことを、霊的に感じるとき、直感的に感じるときが有る。心の趣くところに行く途中で貴人に出会うことも有るし、そのお蔭で救われたり、人生が変わったりすることも有るだろう。心の趣くところに、好き嫌いに、結果的には理に叶ったものが有る。このことを否定できる科学の証明も無いだろう。信じるものは救われると言うが、分別、弁えとして持っておく方がいい場合が多く、その方が落ち着くことも多いだろう。 2015年2月11日 琢
2015年02月11日
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人の為すことは”善し悪し”で断定できない暫定的評価は出来ても試練に遭うたびに変化していてことの”善し悪し”で計ることは見識の甘さを示し”葦の髄から天井覗く”のたとえで一概に人を判定できない変化が停止したときでしか全体像は確定しない選手生命は引退したときその記録が確定するようにその人生の記録は死んだときで生命体はどんな場合も変化している奥の深さはそこに現われている人の歩みはその生まれ育った血筋や土地柄や時代に大きく影響されていて、それがその人の基盤に成っている。判断基準や評価基準はそれぞれ違うもので、基盤の違いでゼロ地点が全く違っている。心の中の常識も三つの”ち”【血筋、地の風土、時代の知】によって異なるもので、何を以って正しいとするかは、その人の止むにやまれぬ正しさが有って、それが最善の判断だったと言う歩みが有って、その人の飽くなき努力、血と汗の積み重ね、精進による尊さで判断するしかない。人の為すことも”善し悪し””葦芦”で断定できず、暫定的評価は出来ても、試練に遭うたびに変化していて、ことの”善し悪し”で計ることは見識の甘さを示すことに成る。”葦の隋から天井覗く”のように、小さな部分をとらえて大きなものを掴んだような錯覚をするようなもので、一概に人を判定できない。変化が停止したときでしか全体像の確定は出来ない。スポーツで言えば、選手生命は引退したときに確定し、その記録が確定する。その人の人生の記録は死んだときに確定するもので、有る一点の行為で善人か悪人かの判断は下せない。生命体はどんな場合も変化しているもので、その歩みを知れば知るほどその奥の深さが観えて来るだろう。『因縁果報』で見ても、『原因と結果の法則』で見ても、『必然の仕組み』がはたらいていて、その人の魂の潜在意識の中に有るものに影響されている生き方が多く、確定したその人の人生には、前世からもって来た潜在的な意識が有ったとしか考えられない歩みが有る。 2015年2月10日 琢
2015年02月10日
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支えるにはあらゆる試練に耐え荷重に耐え生きた知恵が有ること無私、利他の心が有ること準備できていることぶれないこと基礎が堅固でなければどんな夢も叶わない表には出ないこと舞台裏の大切さ舞台に立つものを引き立たせ無難に役をこなす表の感動は裏の涙ぐましい努力が必須に成る人にはそれぞれの役割が有って、表に立つ人、裏で支える人、役者と裏方のような分担が必要だろう。子供の頃の夢は表に立って有名に成ることを願いとするが、実際に遊んでいるうちに無意識に自分の有り方がわかるような位置にいる自分がいる。何故かは解らなくても日常の積み重ねの中から自分の有るべき姿を知るように成っているのだろう。人の集まりには、お山の大将が一人で、それを支える人、盛り上げる人たち、観衆がそれぞれの役を果たすように成っている。人に言われなくても無意識のうちに自分がどの位置にいるべきかが次第に解って来るのだろう。大将の器が無ければ、支えの側に回ることに成るが、あらゆる試練に耐えて、荷重に耐えて、生きた知恵が有ることが条件に成る。陰陽のように、どんなものにも表と裏が有って、蔭で支える方には、無私、利他の心が有ること、準備がいつでも整っていること、邪気に惑わされずぶれないこと、堅固な基礎ができていること、そういう条件が充たされていなければ、面に矛盾が噴出すことに成ってしまう。舞台裏の大切さは舞台に立つものを引き立たせて表には出ず、当然のように無難に、さりげなく役をこなしていることが重要なことで、そのお蔭で見るものに感動を与えるのだろう。表の感動は裏の涙ぐましい支えが有るからで、主役には蔭の良き支え・縁が必須のことに成る。自分の居場所は自分をよく知ることから、周りの認知も受けたところに有るもので、それで悔いの残らない、機嫌良くしていられるところだろう。 2015年2月9日 琢
2015年02月09日
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時の流れ一期一会その一刻は戻らず、消えず心に刻まれている粗末に扱えないもの懐かしい思い出もその一刻生きた証として人の歩んだ時代と場所が残像は意識の中に刻まれ進化の過程の中に足跡が残っている誰の歩んだ道も後生に刻まれたものが有る今を生きることどう生きるかはその人次第だろう自分に嘘はつけず、自分のやってきたこと、見てきたものは心・意識の中に刻み込まれているもので消し去ることは出来ない。言葉の大切さ、発した言葉は周りの他人の心の中に残っていて、自分の意識の中にも残っている。紙に書かれたものは法律的に有効になっても消去することができるが、言霊は心に残っていて消去は出来ない。時の流れも同じで、今の瞬間は戻ってこないが心の中には残されている。『一期一会』は今のひとときを大切に過ごせ、絶対にその瞬間は二度と戻らず、同じ瞬間は絶対に有り得ないということで、今をしっかり、大切に生きろということだろう。その一刻は戻らず消えず、粗末に扱うことも出来ない。皮肉なことに人には忘却と言うものが有って、何度も使わなければ身に付かず、覚えたことは劣化したり、忘却したりで使いたいときに使えない悔しさを何度も味わうことに成っている。懐かしい思い出はその一刻の中に有って、生きた証として残っている。人の歩んだ時代と場所、残像は意識の中に刻まれているもので、残心は進化の過程の中に足跡として残されている。誰の歩んだ道にも、後生に刻み込まれたものが有って、逆に言えば、今の心・魂の中の意識の蔵には前世に刻み込まれたものが入っている。前世に遣り残したものが次の世の宿題・課題として魂の中に入っていると言うことで、それを思い出せば今生での自分の使命・成すべきこと・生まれてきた意味が自覚できて、迷いが無くなって不動の心を得られるだろう。そのことを自覚しながら今を決然として生きることが大切だろう。どう生きるかはその人の心次第だろう。死んだあとの、乗り間違い、切符の買い忘れ、行き先の買い間違いの無いようにと心の奥に刻んでおく必要が有るだろう。 2015年2月8日 琢
2015年02月08日
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心境の変化で気分が変わる自分を変えるきっかけにもなり悪循環が好転し始める紙一重の見えないところで新たな目標に目覚めちょっとした出会い、出来事、事態で試練を超える勇気が涌いてくるチャンスを掴むこと上がるも落ちるも微妙なとらえ方次第で人を変えてしまう油断大敵とはその微妙なところに分岐点が有る自分のいやなところが見えてくれば、自分の限界が見えてくれば、劣等感に覆われ始めて、引っ込み思案に成ったり、腰が引けたり、マイナス思考になってくる。失敗を重ねるほど自分がみすぼらしく思えて、何をやっても後手に回り、やること為すこと上手く行くはずが無いと思うようになってしまう。厭世的に成ったり、引きこもりに成るかどうかは、甘えが有るかどうか、克己ができるかどうか、挑戦意欲を出せるかどうか、強い意志を持っているかどうか、気力が有るかどうか、夢や希望の目標が有るかどうかにすべてが懸かっている。人は心境の変化で気分が変わる。自分の嫌な部分を変えたいときにはそのきっかけにも成っている。ちょっと変えてみることから今までの悪循環が好転し始めれば、周りの評価や見る目も変わり始める。紙一重の見えないところで、新たな目標ができることも有る。何でもやってみなければ分らない、やってみなければ何も始まらないことを思えば、目標の定め方も変わってきて、ちょっとした出会い、出来事、事態にも前向きな姿勢が出てくる。前向きな心に成れば、試練を超える勇気が出て、新たな挑戦が始まるだろう。チャンスを掴むこと、上がるも落ちるも自分のちょっとした心境の変化や、微妙なとらえ方次第で、自分も変われて周りの他人にも変化が現われ始める。チャンスはいつ来るか分らないもので油断は禁物だろう。人の分岐天は、ちょっとしたきっかけや周りの反応の変化等、意識過剰に成らない程度に敏感になっておく必要が有るだろう。読んだ空気にちゃんと対応できているかも、分岐点の選択に関係するだろう。自分を改めることからすべてが新しくなるきっかけに成るだろう。 2015年2月7日 琢
2015年02月07日
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良いことが有ったり確かな自覚をもったり覚醒が有れば目は輝いて頭の回転も良くなる心にゆとりが有れば相手を観ることが出来て心の奥を読むこともできる恩恵にも感謝できれば確かな歩みができる気負うことなく、背伸びしなくても一歩一歩の手応えを感じてつまずくことも無くなるただ素直に謙虚になることが出来る重要なことは乱されないこと、心の中が混乱すれば平成を保てず、とんでもない行動に出るのが人の常で、辱の上塗りをしていることにさえ気が付かなくなってしまう。自分の未熟さをいたいほど感じて自信を失ってしまうことになる。冷静に成ればわかることも思考力が低下し、周りを失望させて自分の居場所さえ無くなってしまう。思いとどまることが大切で、高揚してしまった感情を抑えること、自分を抑えること、耐えること、忍ぶこと、短絡的な決断をしないこと、踏みとどまることが出来れば、その葛藤を理解してくれる人も現れてくる。快苦はいつも、誰にも、何処にも有るもので、超えたときにいつも満足感が来るだろう。良いことがあったり、確かな自覚をもったり、何かのことに覚醒すれば、目は輝いて、頭の回転も良くなり始める。ちょっとした心境の変化で心にゆとりができるもので、相手を見ることだ出来たり、その心を読むことが出来たりするようになる。恩恵ははたらいているもので、それに感謝することが出来れば、良き縁にも恵まれて、確かな歩みを重ねることができる。気負うことも無く、背伸びしなくても、一歩一歩の手応えを感じられて、つまずくこともなくなるだろう。どんなときにも必要な心は、ただ素直なこと、謙虚なこと、そうなれるようにいつも心がけておくことは大切なことだろう。どんな絶望に覆われても、その心が有ればいつでも這い上がってくることができるだろう。 2015年2月6日 琢
2015年02月06日
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代謝が良くなれば艶が出て美しくなる心に張りが有れば食欲も出て細胞が活性化する滞留が無くなれば悪いものが排泄されて血行も良くなり明るく機嫌良くなる心が晴れれば少々のことにとらわれず許す心が懐を広くして循環が良くなり明るいオーラが出てくる迷いや葛藤で悶々としているときは、体の具合も悪くなるもので、医者も認める”病は気から”体の調子まで狂ってきてしまう。心に溜め込んだ困惑やマイナス思考は、信念を弱くさせ、自信を失わせてしまう。孵化できなくなるくらい殻を硬くしているものは、間違った信念、過去のとらわれ、既成概念のとらわれ、責任転嫁で、一皮剥けた自分に成るにはその殻を硬くさせた自分の心の中の原因を取り除く必要が有る。心を整えれば、代謝も良くなって、艶が出て美しくなってくる。心に張りが有れば、体も活性化して、食欲も出て、60兆有る細胞も正常に活発に細胞分裂して滞留するものが無くなって来る。体に滞留しているもの、悪いものが排泄されれば、血行も良くなって、明るく機嫌良く、すっきりした気分に成れる。心がすっきりと晴れてくれば、少々のことにとらわれなくなって、許す心のゆとりが出てきて懐が広くなってくる。心と体は切り離すことが出来ないもので、心の様相は体にも現われてくる。心が整っていれば、不要な試練にも出会わず、余計な考えが無くなれば余計なこともしなくなって、迷いや悩みが少なくなってくる。想念が悪いときは顔色も優れず、暗いオーラに包み込まれて、厭世的に成りやすく、すべてを否定的にしか見れなくなってしまう。心を整えておけば、すべての循環が良くなって、明るいオーラに包まれるようになるだろう。そうなればすべてが好転して明運力がはたらき始めて、すべての恩恵に感謝できるように成る。そうなれば周りもそれに応えようと善意の心を向けてくれるようになるだろう。バイオリズムの悪いときは、落ち込む前に転依して、気分転換やとらわれのチャンネルを変えて発想の転換をすることで、心の回転を整えておくことが必要だろう。 2015年2月5日 琢
2015年02月05日
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周りに左右されない純粋な生き方川の流れのようにさらりさらりとして穏やかな心でいること社会の中で、仕事に生きれば制約条件に惑わされあっち立てればこっち立たず自然の摂理に叶った生き方は二見のとらわれから開放されるとき皮肉なことに金銭感覚を離れたときで勝ち組、負け組、損得勘定を抜けたとき死ぬ準備段階・終活を意識の中に入れるとき歩みの中に無私、利他の心で愛・菩提心、大慈大悲の心に成ること感謝の心に充たされて汚れた水の中から綺麗な花を咲かせる蓮華のように売り言葉に買い言葉、意地の張り合い、二見のとらわれ、無意味な平行線上を歩んでいるときには、ちょっと考えてみればわかることでさえ、そこに考えが及ばず、虚しい心だけを抱えて自己正当化や自己保存を繰り返している。そんなときには自分を無いものにして、虚しくして空っぽに成ってしまう方が、有る意味では絶望したときの方が、素直に謙虚に成りやすい。目指すは自分の生き方に自信をもって不動の心に成ること。周りに左右されない純粋な生き方。川の流れのようにさらりさらりとして、穏やかな心で生きること。社会の中で、仕事に生きれば、制約、条件に惑わされ、あっち立てればこっち立たずで、達観して自然の摂理に叶った生き方をすること。二見のとらわれから開放されるとき、皮肉なことに金銭感覚を離れたとき、勝ち組・負け組、損得勘定から抜け出したとき、明るく機嫌良く、穏やかな心境に成れる。一定の年齢に成れば、死に顔を、死に方を意識の何処かに入れ始めて、流行り言葉の『終活』のように死ぬ準備段階のことを意識に入れ始める。歩みの中に無私、利他の心に成れて、愛・菩提心を根底に置き始め、大慈大悲の心に成れるようになる。小さな恩恵にも感謝の心に充たされるようになれば、汚れた水の中から綺麗な花を咲かす蓮華のように、たとえ社会の中で汚されようと忍辱しながら、強い願い、強い意志をもって初めて、心にゆとりができて穏やかな心境に成れるのだろう。感謝こそ 道の極みと 仏道に菩提の心 にじみ出てこそ 2015年2月4日 琢
2015年02月04日
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海外に行けば高級ホテルでも蛇口の水は飲めない水は”茶色”と思っている人が30%はいる日本は幸せな国だろう健康食品にはより良いものが多いが生きる、使命を果たす最低条件それが充分に整っている”どれだけ生きるか”より”どう生きるか”ではもっと戒めるべきことが有る刹那的、利己的に”自分さえよければ”でなく心をもっと爽やかにする生き方高度な生き方、平凡な生き方、半端な生き方何処にも人間として最低条件が有るそれにこだわることも必要だろう良心に従って生きることは重要な意味をもつ苦よりも楽な方が良いと誰でも思っているが、育った時代や国や土地によって快苦の差が有るだろう。貧しい国では今も子供が死んでいる。日本では有り得ないことだが、そういうところに生まれてくる子供も多い。一億総中流と言われた国では考えられないことだろうが、現実の厳しさでは考えられない苦を背負ったところが多い。漫画の見すぎか、人はリセットすれば生き返ると思っている若者が多く、平気で人を殺す人もいて、厳しいところにいる人が見れば、何不自由なく生きていられる豊かなところで育って、食べるものも多く、贅沢三昧だと思うだろう。海外に行けば高級ホテルでも、蛇口の水は飲めない。水は”茶色”と思っている人々が世界中に30%はいるという。日本は幸せな国だろう。生きること、使命を果たすこと、その最低条件が充分に整っている。”どれだけ生きるか”より”どう生きるか”では、もっと戒めておくべきことが有るだろう。刹那的、利己的に自分さえ良ければでは無く、心をもっと爽やかにする生き方、高度な生き方、平凡な生き方、中途半端な生き方でも、どの生き方にも人間としての最低条件が有る。そこにこだわりをもつのも必要だろう。良心に従って生きることは、今の時代、地上現象、世界情勢を見れば、重要な意味をもっているだろう。9・11以来、今も、”全人類よ 今 心を 原点に戻せ!”と言いたい人は、あのときよりもっと増えているだろう。 2015年2月3日 琢
2015年02月03日
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日本人魂には”これで良い”が無い完成は無いと思っているだからこそ品質の良いものができるいつも”これでいいのか?”の疑問をもち改善を怠らない素直で謙虚なところが底知れぬ力をもっていると評価される人間の愚かさを知っているからか死ぬまで精進だと思っている諸行無常を知っているからか変化への対応力が有る大義名分に従えば底知れぬ結束力をもっているそれが大和魂の誇りだろう永い眠り・鎖国からの開国、黒船に文明の差を見せ付けられて恐怖を感じたあと、すぐにその差を縮めて見せた。世界に仕掛けた一本気の戦いに敗れて廃墟に成ったときも、歴史的には短期間で復興して経済大国にのし上がっている。”神風”の脅威、神仏に護られた島国、と言うより、ザビエルが言ったような、人が良く、親切で優しく、貧乏でも品格をもっている人々、その中に有る大和魂が結束するときには、無私、利他に成って偉大な力をもつ民族、他国から見ればそう思われているのかも知れない。日本人魂には”これで良い”が無く、完成は無いと、いつも必死に頂上に向って上っている途上だと思っている。だからこそ品質の良いものが生まれる。いつも”これでいいのか?の疑問をもち、改善を怠らない、素直で謙虚なところが、底知れぬ力をもっていると評価されるのだろう。人間の愚かさを知っているからか、死ぬまで精進だと思っている。諸行無常を知っているからか、変化への対応力が有る。大義名分に従えば、底知れぬ結束力をもっている。それが大和魂の誇りだろう。万葉集以来言霊の大切さを知り、奥ゆかしさを求めてきた民族、何をすれば良いかを一人一人把握できたときには全体の力を引き上げることができる民族、、人が良く、親切で優しく、品格をもった日本人が世界各地で、その地の改善に貢献している。無私、利他で悔いを残さないようにしているのが日本人だろう。 2015年2月2日 琢
2015年02月02日
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発明が有れば製品化が有り努力を怠れば類似品に負ける便利さは生産台数に比例して時と共に変化する劣化は改善点を教え価格競争は省力化を教える新製品の優劣は耐用年数に比例する市場調査の大切さ改良策と生産台数は需要に比例する間違いの無い信念が人に大きな決断をさせる諸行無常を熟知すれば成熟したものを育て悔いの無い歩みをさせる文明の発達は世の中を活性させ、生活水準を上げて便利なものを行き届かせる。人口が増えればアイデアや労働力が増加して、生きるための職場を増やすことに成る。生存競争は厳しいもので、より良い製品がくまなく出回ることに成る。人の生命や企業の生命はその有るべき姿勢と共に生かされているように長命に成っている。発明が有れば製品化が有って、努力を怠れば類似品に負ける。便利さは生産台数に比例して、時と共に変化する劣化は、改善点を教え、価格競争は省力化を教える。新製品の優劣は、生産台数と耐用年数に比例する。市場調査の大切さを思う。改良策と生産台数は需要と比例している。欠陥を極力少なくすることは人の心の有り方に比例するもので、迷いや葛藤は超えるときほど頻繁に起きるもので、間違いの無い信念が分岐点での大きな決断力の支えに成っている。現象界の特徴は、永遠が無く、形有るものは時と共に変化して崩壊してゆくこと、思い通りに成らない世の中で、常に進化を求められていて、新しいものが出来れば古いものは消えてゆく、創造は破壊の始まりで、諸行無常の世界で有ることの自覚が無ければ生きてゆけないだろう。諸行無常が有るから、永遠をロマンとして、極力成熟したものを育てさせるのだろう。その精進を積むほど悔いの無い歩みができるのだろう。 2015年2月1日 琢
2015年02月01日
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