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圧力には肉体的なものと精神的なものが有る共に限界の有るもの鍛えるほど強く成れるもの四方八方からかかる重圧に弱い部分の補強を要する肉体が頑強でも心は脆いもの気力が有っても体が付いて来ない超えようと限界を尽くさなければ観えて来ないものが有る自分が有るから自分に負ける無私、利他のときのみ強く成れる他がために生きることの智慧それが自分を救う弱気、及び腰、引っ込み思案、先送り、放棄、諦め、これらすべては、人に厳しくても自分には甘いもので、やる前から自分に負けて克己が出来ていないときの症状だろう。人が自分の殻を硬くして破れず、旧態依然として一皮剥けた自分に成れない要因は、間違った信念、固定、既成概念のとらわれ、過去の失敗のとらわれ、他への責任転嫁だと言う。誰にも迷いや葛藤が有るが、勇気を持って挑戦しようとしている中で、克己が出来ずに一歩を踏み出せない情けない自分を見ている人は多いだろう。人にかかる圧力には、肉体的なものと精神的なものが有って、共に鍛えるほど強く成れる試練のようなものだろう。四方八方にかかる重圧には、弱い部分を補強しなければ耐えられずに、自分を壊してしまう。心も体も鍛えなければ強く成れず、気力を整えていなければ自己発揮が出来ず、自分のためには弱くても他のためには強く成れるところは誰にも有るだろう。試練を何度も超える体験で限界を尽くさなければ、観えて来ないものが有る。自分が在れば、自分に御うかがいを立て、いつも自分だけを見つめていれば、自分に負けている。この世で一番怖いものは他でもない『自分』だろう。無私、利他のときにのみ強く成れる自分がいる。他がために今を生きることの智慧、それが自分を救うことに成るだろう。そこに自分が生まれてきた意味や使命が有る。それを自覚することが悟りなのだろう。そのために自己管理をして自助努力を重ねていれば、いつも明るい機嫌の良い自分でいられるだろう。 2015年7月31日 琢
2015年07月31日
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球体の圧力は均等に全体にかかり弱いところから崩れてゆく忍土に生きる心もそうで均等に円くならなければ懐疑と共に迷いや葛藤の末に自ら崩れてゆく失敗や試練を超えることで弱点の補強をしながら恩恵と共にかろうじて保っている恩恵の支えに感謝することで支えが更に強固に成ってゆく人の心は小宇宙だと言われ、全宇宙はこの太陽系宇宙が500億個以上有る状態だと言う。人の心も宇宙も球体で、球体の圧力は全体にかかっている。もし弱いところが有れば、全体にかかる外からの圧力に耐え切れず、弱い部分から崩れていってしまうだろう。忍土に生きる心も同じで、四苦八苦の中で、道行きを放棄したり諦めたりすることでバランスが悪くなれば、業・カルマの修正浄化ができないまま、均等に円く成れずに、懐疑・疑心暗鬼と共に、迷い、葛藤の末に自ら崩れ去ってゆくだろう。願いが有るから弱いところに圧がかかって、障碍や試練が与えられ、それを超えてゆかなければ、失敗や試練の穴埋めが出来ず、願いが遠くなってしまう。この忍土での自分の力は小さなもので、他の助けや協力等の恩恵と共に、弱点を補強しながら、かろうじて自分を保っていられる。その恩恵に感謝することで人の心が離れてゆくことの無い関わりがもてて、一つ一つの恩恵に心からの感謝の心を捧げることで、和が広まり、強い信頼関係から強い絆が結ばれる。良き因縁側の友や同志、仲間と共に、自分を変えてゆくことで、念願の夢や希望が現実のものに成ってゆくのだろう。自分を変えるきっかけに成るものが障碍や試練で、それが何か・原因修正の”呼びかけ”と思えば、避けず、逃げず、諦めずに前向きに挑戦することが出来て、何転生も抱えてきた業・カルマもついには修正浄化ができて、不可能だと思うことも実現可能にすることが出来るのだろう。 2015年7月30日 琢
2015年07月30日
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見ない方が、聞かない方が良いことも有る知っても何も出来ないこと何もしてはいけないことが有る見れば口を出さずには居られない余計なことはしない方が良い見るから黙っていられなくなる笑っていられることも笑えない現実が有る未知は体験と共に明かされる智慧は苦の中で培われる余計な苦労をさせたくない親心見えないものにはそれが分らない黙って見ている度量を持つこと人は無知からはじめ、見て、知って、体験しながら智慧をつけてゆくもので、親の守護、教育、愛情の元で育ってゆく。子どもは好奇心旺盛だが、段階を経て次第に智慧をつけてゆく。三つの幸せ【もらう幸せ、できる幸せ、あげる幸せ】の段階が有って、育ててもらい、自分でできるようになろうとしながら、できるように成れば他人にしてあげたくなる。生い立ちの中には三つの『ち』【生まれた家の血筋、土地の風土、時代の知】がその基盤に大きく影響していて、個々の魂には転生の意識が潜在している。その度量に合わせて育ってゆくもので、次第によっては、見ないほうが、聞かない方が、良いことも有る。知っても何も出来ずに痛みだけが伴ってしまう場合も有り、見れば手を出さずには居られないことも多く、余計なことはしない方が良い場合も有る。見るから黙っていられなくなることも、笑っていられることも、笑えない現実が有る。未知はその体験と共に明かされるもので、知識はそのままでは智慧にならず、試練や障害を超えるための苦の体験と共に身につけてゆくのが、先で自分を救うことに成る智慧だろう。親としては子の段階を見ながら、余計な苦労を味わうことが無いように、自分が衝立に成って、外の風の強さをコントロールしている。見えないものにはそれが分らないが、如何に強い本能や感情があろうとも、じっと我慢すること、耐え忍ぶことを教え、黙って見ていることの度量を持たせることで、その懐の深さ、奥の深い器に育って欲しいと願っている。 2015年7月29日 琢
2015年07月29日
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気になる子供とその孫は夢に出てくる潜在意識に心配が有れば何処かに出てくるもので心理的夢判断ができる出るものはすべて良いと言うが歯や髪の毛が抜ける夢は良くない耳がかゆいのは良く足裏がかゆいのは良くないと言う心配することは魂の元に行くことで良いことだとされている見捨てたものに行くことが無く内容や筋書きにとらわれず思っていることはどこかで対応を忘れていない不安や迷いの多い歩みを誰もがしているが、現実に目の前にある試練や障害に対するもの、想像上のものなど、どうすればよいか、どうあるべきかを思いあぐねて、過去の悲惨な体験や失敗、痛い目に遇ったことにとらわれていて、自分の確たる信念をもっていない場合に、避けたり、逃げ出したり、諦めたりしてしまうことが多い。心にひっかっているものや気に成ることは、次から次へと増えてゆくもので、放り出していたり、先送りをしていれば、心の整理整頓が出来ずに、次第に自分の能力を超えてしまうほどの重い荷に成っている場合が多いだろう。夢にまで出てくることも多く、気になる子供やその孫のことになれば、気になって眠りも浅くなり夢に表われて来る経験は誰にでも有るだろう。潜在意識の何処かに心配事が有れば、何処かに出て来るもので、出るものはすべて良いといわれているが良くないものもある。夢判断では、歯や髪の毛が抜ける夢は良くないと言われ、耳がかゆいのは良く、足の裏がかゆいのは良くないと言う。自分の中に消えずに有るもの、心配しているものは、その心の奥に有る魂の元に行くもので、良いことだとされている。見捨てたものに行くことは無く、その内容や筋書きにとらわれず、いつも思っていることはどんな場合にも、それなりの対応が出来るように成っている。人は信じなければ道を歩くことも出来ず、疑心暗鬼が想念を悪いものにして、不安に迷い、葛藤の連続で、確たる信念の元で不動の状態であることを望んでいる。魂の奥にある自分の本心に目覚めれば、迷いや不安も少なくなってゆくだろう。生まれてきた意味や使命の自覚ができれば、不動に成れて、泰然自若として堂々としていられるようになるだろう。 2015年7月28日 琢
2015年07月28日
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絶対服従で反論を許さず言い訳無用の子育ては可能性を閉ざし個性の芽を潰すことに成る親が身の程を知ること思い期待をかけ過ぎないことオンリーワンを誉めること子は誉める方向に伸びてゆく好きこそものの上手なり子の疑問にはちゃんと答えること約束を守ること働く背中を見ているが詳細の言い訳をしないこと親の思いつき、そのときの時流、流行、かたより、こだわり、とらわれの押し付けを絶対にしないことは、子供の教育の基本だろう。親には親の、子には子の魂が有って、同じ血が流れてはいるものの全く違うオンリーワンだと思っておくことが重要なことだろう。子は親の背中を見て育つが、魂の願いは違うものを持っている。一般的に種類わけすれば、1、魂の修復と成長、2、関わりの再結、3、出来なかった願いの成就、4、内と外への照らしのどれかの課題・使命・宿題を持って生まれてきていると高橋先生は言う。親の思い通りにしようと、絶対服従、反論を許さず、言い訳無用の子育ては、その子の可能性を閉ざし、個性の芽を潰すことになる。身の程を知ること、自分の失敗を押し付けないこと、重い期待をかけすぎないこと、その子のもてるオンリーワンの部分を誉めることだろう。子は誉められる方向に伸びてゆくもので、親に誉められることに無上の歓びを感じるもの、心の趣くところ、好きこそものの上手なりで、旺盛な好奇心で好きなことをやり遂げようと、その方向へ掘り進む道を選んでいる。その際の、子の疑問にはちゃんと答えてあげること、約束したことは絶対に守ること、注意事項が一貫していること、絶対にダメだと教えていることもご機嫌次第で許したりしないことが大切なことだろう。素直で謙虚なこと、身を正すのは先ず親からで、背中を見られているもので、約束を果たせないときは礼を尽くして謝罪すること、詳細の言い訳をしながらうやむやにしないことが重要なことだろう。子が反抗的に成って外れてゆくのは、約束と言う大切なことを簡単に破られてゆくことからが、事例としては最も多いだろう。 2015年7月27日 琢
2015年07月27日
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子供が多いほど目が届かないが子は親の背中を見て育つものむしろ大事にするほど甘えが多く敏感になるほど反抗する共にじっと耐えることも必要で忍耐が本人を強くする子供の喧嘩に親は介入せず優しく見守ること教えるより自分で気が付くように自覚することがなによりで自主、自発を尊重すること親の間違いを子は真似ることが多い深い愛で包むことキリストの愛は、広く深い愛、与えっぱなしで代償を求めない愛、親が子に傾ける愛はそれに近いが、偏見が多く、他の子には向けられない。少子化に成って、その偏見やこだわりで子を監視する眼が多いほど、行き届きすぎて、子にとっては迷惑なもので、条件や制約が多くなりすぎて、一見は従っているようでも、いつかどこかで爆発するときが来る。子供が多いほど、眼が届かなくなるが、子は親の背中を見て育つもので、一子当たりの比重が多いほど甘えが多く、自立し難く、優しく手をかけるほど可能性を狭くしてしまう。寧ろ、愛が有っても行き届かない方が子が思考をし始めて、良く気が付く子に育つ場合も多い。親が敏感になるほど子は反抗するもので、共にじっと耐えることも必要で、忍耐が本人を強くさせるのだろう。大きくなるほど眼が届かなくなるもので、もし子の後をつけて素行を見れば親が気絶するほどの光景を目の当たりにして大きなショックを受けてしまうだろう。子供の喧嘩に親は介入せず、優しく見守ること、子の可能性を信じてあげることが大切だろう。教えるより自分で学んで気が付くまで見守ること、本人が自覚することが何よりだろう。自主、自発を尊重することが重要なことで、大事に育てた子ほど親の間違いを真似てしまうもので、同じ歪んだ道を歩ませないように、放つことも大切なことで、深い愛で包んでいれば、後は信じ合うことだろう。 2015年7月26日 琢
2015年07月26日
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命の尊厳も未必の故意に成らない程度には転んでも見ているだけで自分で気が付くまで待つしかないそれが親のスタンスと思い通りに成らないことを工夫することを学んでもらう魂の願いが同じものとは限らない親から見た危険なことも神仏が与えたものと子供の可能性を信じることてこ入れは反発の元と押し付けをしないこと親が子に傾けるひた向きな愛が子を救うことも有り、ダメにすることも有る。愛は与えっぱなしのものだが、与えてもらうばかりを当たり前に成って、甘えてばかりで自分では何もしようとしなくなれば、親の思う方向に行かそうとしてしまう。子は親の描いた青写真のように行かそうとすれば、子の個性は失われ、自分と同じ失敗を繰り返すことになり、子の伸びしろが無くなってしまう。心を鬼にしてと言うが、子育てには、命の尊厳も未必の故意に成らない程度には、転んでも見ているだけ、自分で気が付くまで待つだけ、子に与えられた必然の仕組みと思ってじっと耐えて見守ってあげるときも必要だろう。親のスタンスはそう有るべきと、思い通りに成らないこと・不随の定めが有ることを学ばせることも、自分で工夫することを学ばせることも大切な親の愛だろう。怒るのも愛、待つのも愛、案じるのも愛だが、子の魂の願いが、親のものと同じとは限らないと思っておくことも必要だろう。親から見た危険なことも、神仏が与えたものと、子供の可能性を信じ切ることが重要で、てこ入れをするほど反発の元に成って、転ばぬ先の杖も、その子次第で、自分で気が付くまでじっと耐えて待つこと、押し付けをしないことを心掛けておくべきだろう。 2015年7月25日 琢
2015年07月25日
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在るときは当たり前居なく成れば困る親はつい立外からの風圧を止め世の厳しさをやわらげる命をかけて子を守る子が巣立てば生きているだけで良い孫を可愛がっても親に成ったこの邪魔をせず自己管理して機嫌良く今を生きている思いやり気くばりもさりげなく有るがままに生きていれば良い親の愛は永遠のもので、してもらったばかりの思い出が残り、死んでも心の中にいつまでも残っている。無私の心、利他の心、与えっぱなしの心、代償を求めない心、大慈大悲の心、そういうものを親の背中を見て子は育っている。子にとって親は在るときは当たり前で、拗ねて甘えて我儘も許してもらえる。強気でいられるのも親がいるからで、居なくなってしまえば、この世の忍土の厳しい風をもろに受けることに成る。親は衝立と言うが、外からの強い風を止めてくれ、忍土の厳しさをやわらげてくれていて、いつでも自分を守ってくれる正義の味方で、命を懸けてでも子を守っている。子が巣立てば、黙って見守っていて、生きているだけで良いと、孫を可愛がっても、親に成った子の邪魔をしない。歳と共に老いてゆけば、子に迷惑をかけまいと自己管理をして、機嫌良く今を生きていようとしている。思いやりや気配りもさりげなく、恩着せをせず、押し付けもしない。子は誉める方向に向かってゆくことから、子の天職が見つかればと、いつも誉めて伸びしろが何処にあるかを見つめている。子はそんな親に心の中でいつも感謝して、自分が親に成れば、同じ愛をその子に傾けてゆく、この世のすべてが順送りで、恩恵への感謝は後進に継がれてゆけばいいのだろう。 2015年7月24日 琢
2015年07月24日
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愛が有っても歓迎されないときが有る疎まれるときが有る邪魔なときが有る数に入れられないときが有るただ黙々と生きていること出来れば明るく機嫌良くとらわれを無くして過去の恩着せをせずさりげなく、そこを自分の居場所として存在価値を主張せず耐え忍ぶのではなく与えられた環境に感謝して他の生きる道の支えに成る太陽が東に昇って、西に沈んでゆくように、晩に成れば月の明かりのように、太陽から月のように、人も歳を重ねるごとに、そのスタンスが変わってゆく。世に活躍する時から徐々に見守る立場に、”老いては子に従え”と言うが、もう主導権を譲るときが来るのだろう。愛が有っても、歓迎されないときが有る。疎まれるときも有るだろう。邪魔なときも有るだろう。数に入らないときも有るだろう。自己顕示をせずに黙々と生きていることが自分の仕事に成ってゆく。出来れば明るく機嫌良くして、場の支えのときも、朧月夜のように闇を照らして、前にいるものの足元を照らす役回りに成ってゆくのも人生だろう。過去の恩着せをせず、さりげなくそこを自分の居場所にして、存在価値を主張せず、蔭の支えに徹すること、それを耐え忍ぶと思わず、与えられた環境に感謝して、ただひたすら、他の生きる道の支えに成るのが老いの心構えに成ってゆくのだろう。どんな偉い人でも、偉大なことを成し遂げた人でも、死ねば三日で骨壷に入っているのが、人間の儚さを思わせるだろう。分相応を弁えて足るを知っておくこと。お釈迦さんは”人は第一の矢に当たっている”と言って、生まれた以上必ず死ぬときが来る、死を恐れるあまり第二の矢に当たらないようにと言ったとか・・・。芽が出て葉が茂って、花が咲いて実を落として枯れてゆくように、自然の摂理に添って生きてゆくことが重要なことだろう。かけた情けは水に流せ 受けた恩は石に刻め 長野県善光寺内石碑の言葉 2015年7月23日 琢
2015年07月23日
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神や仏は心の中に有るもの道心は道を求める心歩んで感じるもの他にも通じる智慧分別の基準になるもの心眼の元になるもの宗教団体や組織に入らなくても求道する心を持っている経済活動をしながら道の哲学を求めている自分がどうあらんとするか使命が何かその自覚・悟りを得たいと思っている障害や試練に遭うたびに迷い、葛藤し、真っ直ぐに歩ける道を求めながら、ゆがんだ道を歩んでいるのが、必然的に与えられた道なのかも知れない。確たる基準が見えず、人それぞれゼロ地点が違い、生まれた時代、土地の風土、血筋による生い立ちによって感じている常識がすべて違うもので、すべてがカオスの中に臨場しているのが自分が生きている社会だろう。神や仏は、それぞれの心の中に有るもの、道心は中道を求める心、歩んで感じるもの、他にも通じる智慧、分別の基準になるもの、心眼の元になるもの、唯物的な判断基準ではなく、心の道で求めるもの、与えられた条件、制約の中で、止むにやまれぬ正しさを選ぶことだろう。最善の道はこれしかないと悔いの残らない正しさは、こうだったからこうなったから、ああだったけどこうなれた、その先にああだったからこそこうなれた、の道行きに有るのだろう。そこへの導き方は千差万別で、自分の心の趣く道、先祖から継承されている道、自分が好きな道、自分に合っている道、人はそのどれかの道を頂上に向かって上っているのだろう。経済活動をしながら、家族を養い、生きるための生業をもって求道する心・仏心を持っている。そこで得るものは単なる知識だけではなく、誰にも通用する、他人にも自分にも救いに成る、根底に流れる共通の智慧、哲学だろう。自分がどうあらんとするか、使命が何か、これで死ぬなら本望だと思えるもの、その自覚、悟りを得たいと思っているのだろう。 2015年7月22日 琢
2015年07月22日
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学んだことは使うこと復習すること今までのおさらいをして実践して体験すれば身に付いて共有が出来る良き縁には感謝が出来てその恩恵の自覚が出来る前向きになれば予習もできて見識が広くなり、面白くなってくる正しい解釈が出来れば伝えることが正確になり何かの役に立てるようになるその背中を見て子は育つ人を喜ばせたい、人の役に立ちたい、貢献したい、癒したい、つなぎたい、などの気持ちには愛が有って、良き縁に成りたい、そのために自分を向上させたい、成長したい、もっと上を目指したいと思うのは本能的に持っている向上心なのかも知れない。歓喜の姿、感謝と感涙、を見れば自分もそう在りたい、そうなりたいと誰もが思うだろう。そのために学んでゆくが、学習成りがたしで、単なる知識もそのままでは智慧にならず、忘れないように、劣化しないように復習することが大切だろう。それまでのおさらいをすること、実践で使うこと、体験することの繰り返しを積み重ねることで次第に身に付いてきて体幹に入ってゆき、それが智慧に転じてゆく。その智慧を応用しながら共有できれば、その良き縁に感謝が出来て、その恩恵の自覚が出来て、何ごとにも前向きになれるだろう。予習することも大切なことで、見慣れておくこと、疑問を持つこと、概要をつかんでおくことで、授業に臨めば正しい理解が出来て、忘却しにくい知識が得られるだろう。正しい解釈が出来れば、伝えることも正確に成って、説得力も増して、何かの役に立てるように成れる。ただ素直に、謙虚に生きていれば、その背中を見て子が育ってゆくのだろう。 2015年7月21日 琢
2015年07月21日
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この世に生きるということは現象界の荷を背負うこと死後は四次元に止まり四十九日間でその荷を下ろして成仏する未練、とらわれ、執着が残れば成仏できずに幽界に残る日頃の問題は四諦・消去法で消化して先送りせず、放棄せず、諦めないこと心が整っていれば思い残すことは無くなる邪心で処理したものはいつまでも残ってしまうこの世に生きるということは、多くの人々と共生すること、社会の一員として影響し合うこと、条件や制約の枠の中で生きること、和を保つこと、その中で自分の願いを果たそうとするのが人の歩みだろう。一人では生きられず、その関わりに発生する荷を背負うことになる。死ねば魂は肉体を離れて四次元・幽界に留まり、四十九日間でその荷を下ろすことになると言う。未練やとらわれ、執着を残せば霊界に昇天できずに成仏できないと言われている。日頃の問題、課題は先送りをせず、投げ出さず、諦めることなく、四諦【苦・集・滅・道】、消去法【切り捨て、割り切りで消去する】で消化し、願いにはつきものの障害や試練を乗り越えて、業・カルマの修正浄化をしながら心を整えて自己の確立をすることで、思い残すことは無くなるだろう。四苦八苦【生老病死、愛別離苦、求不得苦、五蘊盛苦、怨憎会苦】に出会うのは誰しも同じで、背負った荷を願いと共に果たすこと。邪心・自分だけの都合で処理したものは、悔いと共にいつまでも心に残ってしまうもので、悔いの残らないようにいつも自己回帰しながら検証して、自己の修正浄化をしながら、割り切ったり切り捨てたりして、心の中に引っかかるものを無くし、いつもすっきりした心で明るく、機嫌良く、確かな足取りで、臨場している今を生きることが大切なことだろう。 2015年7月20日 琢
2015年07月20日
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場に流れる空気は肌で感じるもので読むことで対応を考える常識の違うものには臨機応変な対応を空しさが有っても心に留め押し付けをせず気が付くまで待つしかないサービスする人、受ける人プロ意識はそれを感じさせないおもてなし精神は内からにじみ出るもの違う心でのサービスは伝わらず満足感を与えられない接客の真心は、縁の大切さを知らなければ伝わらず、別の心でただサービスをすればいいというものではないだろう。良く観察すること、善意のかたまりであること、ただ公式どおりのサービスをすれば良いと言うものでなく、心の洞察をすることが重要なことだろう。表情にも気を配り、感謝の心で明るく機嫌良く接すること。個人的な感情を混ぜることなく、優しく、親切な代償を求める事の無い奉仕の精神で、無私、利他で与えること。場に流れる空気は肌で感じるもので、良く読み取ることで対応を考える。常識の違うものにも真心で接すれば伝わるもので、身につけた智慧で臨機応変な対応を、空しさを感じても表わさず、場・自分のいる持ち場に発生した縁を大切に思うこと、守ること、支えること、癒すこと、喜びを与えることが重要なことだろう。押し付けをせず、冷たい仕打ちが有っても、表情を変えず、真心に気が付くまで待つしかないだろう。サービスする人、受ける人、プロ意識はそれを感じさせない。おもてなし精神は、内からにじみ出るもので、そっぽを向いた心でのサービスは伝わらず、不快感を与えるだけだろう。不動の心で、祈り心で、ただ善意の真心を与え続けることが基本だろう。 2015年7月19日 琢
2015年07月19日
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好奇心が多いほど疑問が多く”なんだろう”を消すことで概要が見えてくる経験することで種類分けが出来て何をしたいかが分ってくる失敗を重ねることで自分の弱点が分って修正浄化することでミスが少なくなる安易な分類は軽率な対応を増やし後悔を多くするいつも慎重であること自分に疑問を持つことから進化が始まり、自分を変えることから未来を変えることに成る。自分の欠陥や弱点の修正をしない限り、摩擦、障害などの試練が無くなることは無く、ちゃんとできるはずのものもうまくゆかず、自分を変えることから周りも変わってきて、それまでうまくゆかなかったものも、しっかりと出来るように成る。何にでも疑問を持つこと、それを解明することから足取りがしっかりしてくる。好奇心が多いほど疑問が多く、”なんだろう”を消すことで、概要が見えてくる。経験が多いほど種類分けが出来て、自分が何をしたいかが分って来る。試練、障害、失敗を超えるたびに、自分の欠陥や弱点が克服され、途上のミスも少なくなって、道が開けてくる。そういう意味では”試練は呼びかけ”で、超えるたびに強い自分に成れるのだろう。安易に分類することは危険なことで、軽率な対応を増やすことに成って、何度も同じ失敗を繰り返すことに成ってしまう。悔いを少なくすること。そのためにいつも、何をするにも慎重であることが望ましい。何度も失敗して、同じスタートラインから始めることは無駄ではないが、挑戦意欲を失わない内に、自信を無くさない内に、一皮剥けた一歩を踏み出すことで、夢や希望を引き寄せることに成って、未来を変えることにもなるのだろう。 2015年7月18日 琢
2015年07月18日
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ハードとソフト眼に見えるものと見えないもの利便性が有るもの心を充たすもの心は変化するもの変化しないものには慣れてしまえば飽きがくる感謝はそれを超えたものに涌いてくるやってやればいいというものでなく誠意と真心を尽くしたものに明るい笑顔が向けられる雰囲気が良い場はそこに有る空気を読むことの大切さそこに人は集まって来る勢いの有無は、人気が有るか、人がたくさん集まっているかを見れば分る。無価値なものに人気は無く、何か意味の有るものに人は価値を見出す。満足の有るところは雰囲気が良く、居心地が良い。顔色を見る必要も無くみんな明るい笑顔の場に人は集まって来る。真新しく新鮮で、今までに体験したことの無い満足感を得たいとみんな思っている。ハードとソフト、眼に見えるものと見えないもの、利便性が有るもの、心を充たすもの、心は時と共に変化しているもので、変化しないものには慣れてしまえば飽きがくる。感謝はそれを超えたものに、ジレンマを超えるきっかけをくれたものに、救いを感じたときに湧き出してくる。やってやればいいというものでなく、誠意と真心を尽くしたものに、明るい笑顔が向けられる。そういう場の雰囲気は良いもので、そこに有るのは美しい・綺麗な言葉、誉める言葉、感謝の言葉が使われていることだろう。否定的、批判的に成って、くさすことなく、揚げ足をとってやっつけようとする心が流れていない場、場の雰囲気を良くしようと思えば、空気を読むことの大切さを知ることだろう。六根【眼、耳、鼻、舌、身、意】の『意』は顕在的な心をキャッチするもので、六根を清浄にしておくことで、受け止めることが出来て、開くことが出来るように成る。 2015年7月17日 琢
2015年07月17日
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はじめから何かを感じる人途中から感じる人縁を持ちたくない人そこに天の仕組みがはたらいている好きなタイプで近付きたい人とは縁が無い場合が多い”本当に好きな人とは結婚できない”人気が集まる人ほど傲慢になる傾向が強く他の好意を粗末に扱うようになる試練はどの傾向には与えられるが試練が無いのも試練だろう明るい笑顔をどう保つかが今を生きる最大条件の一つだろう人の心は歳と共に、経験と共に、時の変化と共に変わってゆくもので、好きなもの、心の趣くところも気が付かないうちに変わっていて、許容範囲が広くなって、懐も深くなっている。受け止めること、心を開くことができるように成ったからだろう。人との出会いには、はじめから何かを感じる人、途中から感じる人、縁を持ちたくない人・嫌いなタイプなどが有るが、そこに天の仕組みがはたらいていて必然のものだと認めざるを得なくなってゆく。多くの四苦八苦の体験から、自分を変える必要を感じて修正浄化するほど、試練はその必然の呼びかけだと思えるようになってゆく。好きなタイプだからと言って必ずしも縁が有るとは限らず、むしろ縁が無い場合が多い。女性のつぶやきに”本当に好きな人とは結婚できない”と言う皮肉な現実も否定することは出来ないだろう。人気が集まる人ほど傲慢になる傾向が多く、もてはやされて自分の魅力に確信がもてるようになれば、他の好意を粗末に扱うようになって、終いには放蕩の末に人望も財も失ってしまう人が多い。生い立ちや基盤の強い影響を受けて重ねてゆく歩みの中には、必ず試練、障害はつきもので、業・カルマの修正事項の呼びかけとして仕組まれているものだと思えば前向きに成れる、そのように高橋先生は説いている。羨ましいことに見えても、試練の無いのも試練なのかもしれない。いつも機嫌良く、明るい笑顔をどう保つかが、今を生きる最大の条件の一つだろう。 2015年7月16日 琢
2015年07月16日
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求められなければ智慧の出番は無く転ばぬ先の杖も単なる邪魔時代の原動力は若者で辛苦に困り果てたときにしか経験ゆたかな年寄りの出番は無い困ったときの神頼み宗教も求めるものにしか役に立たず予めの準備には道を求めるものにのみ有効で復習は大切なことだが予習が有れば前向きな学びができる幼い頃によく思ったことは、何でも前もってわかっていればこんな目に遇わなくて済んだのにと言うことだった。予知能力が有れば、何でも出来るだろうと思っていた。せめて的を得た準備が出来ていれば良かったのにと何度も思ったことが有る。いろんな道を歩みながら気が付き始めることになるだろうが、この世には知らない方がいいことも多く、知ったために自殺するものも多い。都合の良いものだけの先見能力は与えられないものだと自覚が出来るようになってくる。もっと早くになんでそれを、と責められることが有っても、すべてが必然と思うようになれば、避けられない現実が有るからこその智慧が身に付くのだろうと思うように成れる。求められなければ智慧の出番は無く、転ばぬ先の杖も、都合次第のものにとっては単なる邪魔なものでしかない。時代を引っ張る原動力は若者だが、辛苦に困り果てたときにしか、経験ゆたかな年寄りの出番は無いだろう。困ったときの神頼みで、宗教も求めるものにしか役に立たず、成り行き主義で、予めの準備は、道を求めるものにしか有効な方法が見つけられないだろう。基礎から学ぶことが重要で、学んだあとの復習は大切なことだが、予習が有れば、単に煩悩だけで聞くだけでなく、先を求めて聴く、訊ねてでも訊くようになって、前向きな姿勢が出来れば、忘却しないように記憶の中に刻み込むことが出来るだろう。空気が読めるようになれば、先が読めるようになって、予知しているかのような適切な準備も出来るように成れるだろう。 2015年7月15日 琢
2015年07月15日
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心が乱れるとき理性的判断ができなくなる焦りが出れば不可解な行動をとる衝動的で末路を考えず意地が自分を支配してしまう子供でも分ることに気がつかず沈静化には時が必要で血圧と同じように一呼吸置くこと多くの惨めな体験から貴重な智慧が得られる智慧は苦から得るものが多い無知を恥ずかしく思って勉強をすることに成るが、時と共に博識にはなっても、知識はそのままでは智慧にならない。得たものは歩みの中で使わなければ、劣化したり、忘却したりして消えていってしまう。得た記憶が残っていても、意識的に使わなければ身に付かず、試練や障害に出会うたびに四苦八苦しながら超えてゆくことに成るが、夢や希望が強いほど、その成就のために工夫するのが人間で、何度も実践し、応用することで始めて自分の身について智慧になる。智慧は自然に、気が付かない内に得られるものでなく、自分の意志で得ようとして得るもので、唯識ではこれを”転識得智”・てんじきとくちと言っている。心が乱れてしまえば、理性的判断ができなくなって、焦りが出るほど不可解な行動をとってしまう。感情や本能の抑制をしなければ、衝動的な行動をとってしまい、末路が見えなくなってしまう場合が多い。二見にとらわれれば意地を張ることが多く、意地に支配されれば、子供でも分ることが、そのときには訳が解らない自分に成ってしまう。心の沈静化には時間がかかるもので、間を置いて、一呼吸置くことで、血圧と同じように高揚した、興奮してしまった心から我に返ることが出来るようになる。恥をかくときで、多くの惨めな体験から貴重な智慧が得られるもので、智慧は、搾り出すように、押し迫って逃げ道を失い、立ち向かうときにこそ出て来るもので、苦から得るものが多いのが”転識得智”なのだろう。 2015年7月14日 琢
2015年07月14日
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たとえ人工知能が如何に進化しても情報量が一兆の一兆倍に成っても推し量れないものが有る世界人口の70億人の観自在でどうあらんとしているかを割り出すことは出来ない生い立ちや基盤の条件、制約とすべての思考回路の違う人との交流でどれを選択するかは千差万別で人工知能が人間を支配できない転生している魂、意識その意識の中から何を選ぶかはどの意志をはたらかせるかでその人生は決まってくる知識の豊富な人、頭のいい人は、人間の意思決定は何処でしているかの質問に対して”頭脳だ”と答える。心ではないのかと聞いても頭脳だと言う。初めて計算機ができたときに、便利な世の中に成ったと思ったが、コンピユーターが出来てからは情報量や速度の競争が始まってIT革命の時代に突入している。情報社会に成って以来、情報量が増えて、人工頭脳と言われるように成っている。それを使いこなせば、自分の頭脳の情報量を高めれば心は不要だと言うことに成るのか。魂・心の科学的な解明が行き詰まっている今、人工のものは使うもの、どれを使うかの主導権は心・魂に有ることを思えば、たとえ人工知能が如何に進化しても成り代わることが出来ないだろう。情報量が一兆の一兆倍に成っても、推し量れないものが有る。世界人口の70億人の観自在で”どうあらんとしているか”を割り出すことは出来ない。生い立ちや基盤の条件、制約と、すべての思考回路の違う人との交流で、人工知能が人間を支配することは出来ないだろう。転生している魂、その中に有る意識の蔵に何が蓄積されているか、持っている意識が何を選ぶかは、心・魂がどの意志をはたらかせるかで、その人生は、未来は決まってくる。遭遇するもののすべてをカオスととらえ、その対応で自分がどうあらんとしたいかを見極めて、その本心で、泰然自若として不動の状態、自然体でカオスの本性の洞察をすること、祈り心で接することで、どんな最悪の状態からでも、未来は変えられる、と高橋先生は言っている。 2015年7月13日 琢
2015年07月13日
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何をするにも周到な準備が必要で料理は食べるには五分でも材料を用意して仕込みをした上で時間をかけて調理に入る一瞬の満足のためには蔭の準備と支えが必要で素材の生かし方には毒や灰汁抜きの仕込が必須でつくる献立の命に成っている美味しい料理が人を喜ばせそれが料理人の使命に成っている真心が完成度を高くする人は肉体に魂が乗っていると言われ、生まれてから心がその体と共にその人の人生を歩み始めている。日常の意識には心と体しかなく、魂の存在に気が付くのは相当の精進を積んでからで、すべてが偶然と思ってきたことも必然であったことに気が付くには、相応の体験を積んでからのことだろう。何にも解らない無知の状態から始めて、自分の使命を自覚するまでに、忘却、喪失のために迷い、葛藤しながら、手探りの悪戦苦闘を続けることに成っている。運命は変えられるが宿命は変えられない。料理で言えば、運命はそのときにつくる献立のようなもので、宿命は使う素材のようなもの、その素材をどう生かせば美味しくなるか、どのような仕込をすれば美味しい料理に成るか、真心がその料理を完成させるのだろう。何をするにも、周到な準備が必要で、材料を用意して、仕込みの準備をした上で調理に入ることでその料理の命を決めることに成る。食べるのは五分もかからないが、一瞬の満足のためには、蔭の準備と支えが必要で、素材・宿命の生かし方は、毒や灰汁抜きなどの下準備が必須で、つくる献立の命に成っている。美味しい料理が人を喜ばせ、それが料理人の使命に成っているように、人もその素材と成るものは、育った環境の影響を受け、血筋、風土、時代の生い立ちがその基盤に成っている。誰にも業・カルマが有って、料理の素材で言えば、毒や灰汁抜きをすることで下準備をすることから、最も美味しい食べ物に変えることが出来る。どんな料理もつくる人の心でその味が決まってくるのだろう。真心・菩提心がその完成度を高くするのだろう。 2015年7月12日 琢
2015年07月12日
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本性の洞察には第一印象で振り分けず接して感じるもの話して感じるもの蝕して感じるもの心を開かなければ伝わって来ないもの相手の立場に立ってみること人にはやむにやまれぬ正しさがあること人の苦しみ、悲しみを我がものと思い直感的なものだけで見ないこと点を線にして面で観ることが時と共に本質を教えてくれる出会いと交友が孤立、孤独からゆたかさを与えてくれる不動の心、祈り心で接すること今の自分にとって有利か不利か、有益か無益か、敵か味方か、快苦のどっちか、好きか嫌いか、マルかバツかがはっきりしない混沌としたもの、先に向かって歩んでゆけば遭遇するもののすべてがカオスと思って置く方が良いだろう。忍土では、自分に都合良く、思い通りに行くものなど無いと思って置く方が良いだろう。その本性の洞察には、第一印象だけで振り分けず、接して感じるもの、話して感じるもの、蝕して感じるもの、心を開かなければ伝わって来ないものが有って、心眼で観なければ不透明なものが多い。相手の立場に立ってみることが重要で、白と黒は全く正反対もので、黒、敵に回してはいけないものばかりと思って置くことで、極力摩擦を少なくすることが大切なことだろう。人にはやむにやまれぬ正しさが有って、人の苦しみ、悲しみを我がものと思い、直感的なものだけで見ないこと、点を線にして面で観ることが、時と共に本質を教えてくれるだろう。孤立、孤独は不安を増殖させ、自分を被害者や卑下者にさせて、破壊や放棄、諦めから絶望の底に落とさせてしまう最悪の末路さえ引き出させてしまうものだろう。出会いと交友が、同志や仲間の相互の理解を深くすることから、自分の心にゆたかさを与えてくれるだろう。何ごとにも不動の心・泰然自若として接し、軽挙妄動を慎んで、祈り心で接することが大切だろう。本音だけでなく、本心で誠実に歩むことが最も大切なことだろう。 2015年7月11日 琢
2015年07月11日
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神経症に成る人は生真面目な人が多く良くないことが起こればすぐに自分を責めて自分を追い込んでしまう直接的な原因だけでなく生い立ちやそれ以前から持っているもので超えるべき恐怖感に覆われ強気な自分に成れず悲観的な思考を繰り返してしまう人一倍迷いや葛藤が多くいつも最悪のシナリオに怯えている圧迫感や取り越し苦労が多く自分を解放する以外に楽になる道は無い家族の帰りが遅ければ、あれやこれや考えて心配し、何かに取り組もうとすれば失敗したことを思ってしまう。過去のショックを蘇らせて、マイナス思考を繰り返してしまう。怒ることも心配することも愛情の一部だが、転ばぬ先の杖が取り越し苦労ばかりに成って、空回りをし始めたり、妄想や錯覚が多くなって、恰も現実に成ってしまったように、いつもびくびくしている人も多いだろう。神経症に成る人は生真面目な人が多く、良くないことが起きれば、すぐに自分を責めてしまう。良くないことの結果を他人事のように思えずに、自分に当てはめて、自分を追い込んでしまう。直接的な原因だけでなく、過去の生い立ちやそれ以前・前世からの因果にこじつけたりして、超えるべき恐怖感に覆われ、いつも自分をダメな人間だと自分を責めて、強気な自分に成ることができない。悲観的な思考を繰り返しながら、想像、妄想の世界が多く、人一倍迷いや葛藤を多くしてしまう。いつも最悪のシナリオに怯えて、そんな圧迫感や取り越し苦労が、妄想や錯覚を起こさせて、しまいには体にもどこかがおかしい症状を引き起こしてしまう。落ち着けず、いつも重心が浮いていて、不安定な心で落ち着きが無くなって、自分の居場所さえ無くしてしまう場合も多い。抜け出すには、語弊が有るかも知れないが、もう少し大雑把な自分に成ること、いい加減な自分に成ること、自分をもっと解放してあげることしか楽になる道は無いだろう。 2015年7月10日 琢
2015年07月10日
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歳と共に振り返る過去が多くなる足跡の傾向を思えば自分が選択した道が見えて来る何気なくして来たことにもかたより、こだわり、とらわれが有って何をしたかったかが観えて来る未練や悔いを少なくするために再起因して大果に向かうこと生き甲斐に向かえば試練の超え方を変え人智を尽くして、人智を超える自分が生きた証しはそこに有る何をするべきか、何をしたいかが見えないまま過ごす日々の空しさを抱えて、探し求める自分の道、どの道を選択しても間違いはないが、何と無くしっくりしない心、何処をどう掘っても無駄には成らず、布石として体験して来たものは残っている。迷いや葛藤はつきもので、不動の心を求めて暗中模索するのが人生の大半を占める人も多い。歳と共に、振り返る過去が多くなって、迷い、葛藤の末に、多くの失敗を体験しながら、何を求めていたかが解らないまま、自分が選択した道が足跡として残っている。そこに流れる共通したものには一定の傾向が有って、何気なくやってきたこと、かたより、こだわり、とらわれの中に、何をしたかったかが観えて来るだろう。未練や悔いを少なくするために重ねた日々の結果が今の自分で、大因【生まれてきた意味や使命】をどの程度果たせたか、大果【どんな死に方をしたいか、死ぬまでにやっておきたいこと】に向かって再起因【新たな気分で目標に向かう心の設定】をすることで、定まった自覚を持つことが出来るだろう。使命と自覚した心をもてれば、障害や試練の超え方も変わり、人智を尽くして人智を超えることが出来るように成れるだろう。自分が生きた証しはそこに有って、同志や仲間、友人がその積み重ねを観てくれていて、自分の証し人に成ってくれるだろう。人との和の大切さ、友人や同志、仲間のありがたさが解って来るだろう。 2015年7月9日 琢
2015年07月09日
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未来に向おうとすればあらゆるカオスが迫ってくる封印していようといまいと苦手なものにも弱点にも向うも、除けるも、諦めるも自分の意志による願いに向えば前に向うしかなく欠陥の修正浄化をしながら超えるしかない迷わず、不動の精神でカオスの正体を洞察し祈り心で接すること変化に対応できる自分で有ること何処に向かおうと何も障害が無く、思い通りに歩める道なんて皆無だろう。忍土では何が起こるかわからないまま、先に進むしかなく、どんな試練でも超える強い意志と願いを持っていなければ、一歩も踏み出せずにその場にたたずんでいるしかないだろう。厳しい試練や障碍を超えてこそ、その実績が信念を強くさせ、混沌とした場に臨場しながら、自分にしか出来ない生き方が出来るように成るのだろう。未来に向おうとすれば、あらゆる混沌としたカオスが迫ってくるだろう。何かを封印していようといまいと、苦手なものにも弱点にも、向うも、除けるも、諦めるも、自分の意志によるもので、願いを果たしたいと思えば、前に向かうしかない。欠陥や弱点を克服して、業・カルマの修正浄化をして、自分を整えながら超えてゆくしかないだろう。迷わず不動の精神でカオスの正体を洞察し、祈り心で対応しながら、未来に向う強靭な精神力を培って、自分を整えながら、気力で突き進んでゆくしかないだろう。魂願を自覚して、自分の都合を優先せず無私、利他の心で、明るく機嫌良く、今を生きることが重要なことだろう。 2015年7月8日 琢
2015年07月08日
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日々心がけること始めは違和感が有っても苦に慣れること日々の行とすれば次第に身に付いてゆく突然迫ってくる障碍にも慣れることで対応できるように成れるこれだけやっていると思う甘えが元の自分を引き出して感情のコントロールができなくなる末路を考えるようになればその抑制が出来て冷静に成れて摩擦が少なくなる懐を深くして置くことが必要だろう時の変化と共に、自分を変える必要を感じたときは、周りを変えることは不可能で、強い自覚の元に、今までに無かった新たな取り組みの決意をすることが大切だろう。自分には無かったものを取り入れようとすれば、始めは違和感が有っても、諦めず、放棄せず、努力を積み重ねてゆけば、慣れることも有って、苦痛が苦痛でなくなってくるだろう。それを日々の行として精進すれば、次第に身に付いてくるだろう。試練や障碍に先を閉ざされたとき、目標に向かう意志を強くして、逃げずに立ち向かうことから学ぶことが多く、今までの自分では通用しないことを覚れば、自分を変えることしかなく、それを機に、竹の節目のように、新たな自分に変えてゆくことで、簡単に折れたりしない自分に成れるだろう。突然の障碍や試練に見舞われても、慣れることや自分を変えることで、道を歪めない対応が出来るように成れるだろう。これだけやっていると思う甘い心が出てしまえば、元の自分を引き出すことに成ってしまい、感情のコントロールができなくなる場合も多く、過去に体験した失敗の末路、自分の甘えを許さない忍土を思えば、愚痴も出せなくなるだろう。甘えた自分の抑制が出来れば、必然の流れを自覚できるようになって、冷静に判断できるように成れ、摩擦が少なくなった自分に気が付くことが出来るだろう。自分を変えるときは懐を深くしておく必要が有る。かたよらず こだわらず とらわれず ひろく ひろく もっとひろく 2015年7月7日 琢
2015年07月07日
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東京オリンピックを機に観光客が増えている国際交流、文化文明の交流の場として国境、風土、言語の違いを超えて解り合えるときどうあらんとしてのおもてなしの心を伝え美しさとぬくもりを知ってもらうその誠心のかけらが世界平和の役に立てば笑顔が世界に広まるだろう唯一の被爆国として素直に謙虚に復興を遂げた国として優しさ、人の良さ、品格が伝われば悪戦苦闘の歴史の理解も深まるだろうどの国にも有る栄枯盛衰の歴史、良いことも有り、悪いことも有る。この地上の変化の歴史が有って原始時代を思えば、今の豊かに成った文化文明の変化の歴史が有る。島国で鎖国していた日本が文明の遅れに気がついて、追いつけ追い越せの悪戦苦闘が有って、今の豊かさに至る時間は驚異的に短いものだっただろう。どの国にもつぐないきれない歴史があるだろう。今、日本は世界的な理解を得る絶好の時を迎えているのだろう。東京オリンピックを機に、観光客が増え、世界遺産が認められた場所も、和の食文化も、観光と味覚のおもてなしを通じて、国際交流、文化文明の交流の場として日本の理解が広まることを願っている人が多いだろう。国境や風土、言語の違いを超えて、解り合えるとき、どうあらんとしているかの、おもてなしの心を伝え、各地の美しさとぬくもりを知ってもらいたいと思う。その誠心のかけらが、世界平和の役に立てば、オリンピックの開催国としては最高のことだろう。笑顔が世界に広まって、唯一の被爆国として、素直に謙虚に復興を遂げた国、多くの試練を短い時間で超えてきた国として、あの布教のときのフランシスコ・ザビエルが感じ取った日本人の印象、優しさ、人の良さ、品格が世界に伝わればと思う。 2015年7月6日 琢
2015年07月06日
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人は主観で判断する場合が多く自分を客観することが難しい信用できる人に観てもらうことの大切さ友や仲間の意見は重要で自分だけの快苦で判断せず冷静に見る眼を養っておくこと自分に都合の良いことは他には都合が悪い場合が多く足るを知り、押し付けをしないこと優先順位を間違えないこと相手の立場で考えること対立すれば末路を考えておくこといつも相手の仏性に敬意をはらいいつでも原点に戻れる中道をゆくこといつも相手の立場でみんながものを考えるようになれば、この世の揉め事は無くなってしまうだろう。主義、主張の違いで意見が食い違う場合が多く、そこに意地を張ることで水掛け論の応酬になってしまう場合が多い。意地を通せば道理がへこむで、人の意地ほど厄介なものは無い。ただ素直に、謙虚に成れるか、双方の顔が立つ解決策を模索するが、間に中立的な人が入って和解策を考えてその場を収めるしか、出してしまった意地を引っ込めることが出来ないだろう。人は主観で判断する場合が多く、自分を客観することは難しい。信用できる人に見てもらうことの大切さ、友や仲間の意見は重要で、自分だけの快苦で判断せず、冷静に観る眼を養っておくことも道の一つだろう。自分に都合の良いことは、他には都合が悪い場合が多く、足るを知ること、恩着せをしないこと、押し付けをしないことが大切で、優先順位を間違えないことは重要なことだろう。相手の立場で考えることが大切で、もし対立するようなことに成れば、必ず末路を考えて対応すること、いつも相手の仏性に敬意をはらうことが重要で、感情の抑制をしながら、いつでも原点に戻れるような中道をゆくことが望ましいことだろう。それが出来なくて道を歪めてしまった人がどれだけ多いことか、自分で解っていながら、望んでもいなかった荒んだ道を歩んでいる人はたくさんいるだろう。自分の描いている中心軸を簡単に動かさないこと、不動であることが大切なことで、悔いを残さないことにも成るだろう。 2015年7月5日 琢
2015年07月05日
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一皮剥けた自分に成るには硬い殻を破る必要が有る信念の間違いを正し過去から逃げず、その原因を検証し既成概念にとらわれず他人のせいにして責任転嫁をしないこと心身を整えて発想を豊かにする背伸びをせず、分相応を知ること一から組み立てなおす勇気を持つこと何でも前向きに挑戦し失敗してもマイナスと思わずゼロと思って一から始める積んだ体験から智慧を得て、自分を卑下しないこと否定的、批判的にならなしことその積み重ねが自分を不動にする何でもやってみて失敗することから学ぶことは生きた学びで、単なる知識との違いは、その失敗の原因を知った上で修正している体験が智慧に成っていることだろう。何度も辛酸をなめることで、慣れること、対応策が出来ること、通用する自分に変えることが出来れば、少々のことでは動じなくなってくるだろう。一皮剥けた自分に成るには、固い殻を破る必要がある。信念に間違いはないか、過去の失敗に恐れるだけでその原因を正していないのではないか、既成概念にとらわれすぎて自由な発想に蓋をしていないか、他のせいにして責任転嫁をしていないか、を自己検証してみること。心身を整えて発想を豊かにすれば必ず突破口が観えて来るだろう。背伸びをせず、分相応を知っておくこと、自分の愚かさを知れば、素直に謙虚に成れるだろう。気力を整えて一から組み立てなおす勇気を持つこと。何でも前向きに挑戦して、失敗してもマイナスと思わず、ゼロと思って一から始めること。積んだ体験から得た智慧に自信をもって、自分を卑下しないこと。否定的、批判的に成って、出来てもいない正論を振りかざさずに、あらゆることの準備を怠らないこと。その積み重ねが自分を不動にするのだろう。 2015年7月4日 琢
2015年07月04日
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善我を育まなければ中道をゆけず八正道の基準が解らない何が正しいかに個人差が有って生い立ち、基盤の包容柔軟な思考人智を尽くし、人智を超えなければ常識の先に有るものが見えてこない時の変化と共に人も変化している変わらなければ生きてゆけない忍土どう変えるかは過去に学び目先のものに惑わされないこと人はゼロから生まれて、無知を埋めながら三つの幸せ【もらう幸せ、できる幸せ、あげる幸せ】を求めて、自分の特性を何に生かせば良いのかを探求する道【真我を開放する道】を歩んでいる。神の子といわれているが、仮我・けが・偽我から始めて、善我を育みながら真我に光転するために転生を重ねていることに気が付くことになるのだろう。かたよらず、こだわらず、とらわれずの中道をゆくこと、それをチェックする基準は八正道【正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定】で、自分の戒めとしている。一皮剥けるために、信念に間違いが無いか、既成概念に固執していないか、過去のとらわれが無いか、他のせいにして責任転嫁をしていないかをチェックしながら、自己の修正浄化をして自己の形成をしている。何が正しいかには個人差が有って、その生い立ちや基盤の影響を包容し、柔軟な思考から奥行きを広くすることを求めて歩んでいる。人智を尽くし、人智を超える歩みの中で、新しい自分を求めて、時の変化と共に、自分を変えてゆこうとしている。自分を変えることで、カオスに臨場して、過去に学んだものを転識得智で、自分の身に付いた智慧として不動の対応をすること、カオスの正体を洞察すること、菩提心での祈り心で接することで、目先のものに惑わされないように善我を育んで置くことが絶対に必要なことだろう。 2015年7月3日 琢
2015年07月03日
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声のトーンで心が読める語りには心が表われ使う言葉と表情を見れば全体像が見えて来る点で見るより線と面で見る方がその正体の洞察が出来る善意の目で見ることが基本で過去のとらわれや偏見で見ないこと推測、憶測で結論を出さず見る方も煩悩を抑制して正しい分析をすること言動に出したことだけでなく本心が何処に有るかを見抜くこと表層だけで判断しないこと人やものを見るとき、生い立ちや基盤から来ているものの影響が強く、偏った見方をしている場合が多い。嫌な場面に流れていた音楽を聴けば、その場面が浮かんできて避けて通るように、五感に浸み込んだ先入観は誰にも有るだろう。パッと見た目で判断してしまうことが多いが、間違った判断をしてしまうことも多い。善意で素直な心で見なければあとで損をすることが多く、曇った目が人生を変えてしまうことさえ有るだろう。語りには心が表われ、声のトーンで心の内を読むことが出来る。眼だけでなく表情を観たり、使う言葉も判断の対照に成って全体像が見えて来る。点で見るより線と面で見る方が、正確にその正体の洞察が出来るだろう。善意の眼で観ることが基本で、過去のとらわれや偏見で見ないこと。推測や憶測は参考のもので確定でないことを自覚しておくこと。見る方も煩悩で見ないように広い心で見ることを心がけること。誤解や良くない先入観で観ることが、どれだけ他人の迷惑に成るかを良くわきまえておくことも必要だろう。言動に出したことだけでなく、正しい分析をして、その本心が何処にあるかを見抜くこと、心眼で観ることが大切で、表層だけで判断することが如何に危険なことかを良く熟知しておくことが重要だろう。 2015年7月2日 琢
2015年07月02日
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お金に関わる醜い争い無いと思えばとらわれず有ると思えばとらわれる心で思うことを口に出せば傍目には醜く品格を落としている食べ物に集まる害虫のように唯物的、刹那的、利己的な有り様は人の心を曇らせる二見にとらわれないこと心眼で観ること他の信頼を裏切らないこと正直で素直なこと人の本性は何処かに表われてしまうもので、苦に出会うたびに顔を覗かせてしまう。迷い、葛藤、疑心暗鬼の末の錯覚の四苦八苦の中で、思わず出てしまう未熟さに何度も失望する自分を見ても、どうしても消せないものが有る。多くの体験から得た智慧を使っても拭い去れないもの、何度も犯す過ち、解っていても止められず、逃げても追いかけるように犯してしまうもの、心を整えたつもりでも出てしまうもの、それが業・カルマで、一転生では滅しられないという。お金に関わる醜い争い、無いと思えばとらわれないのに、そこに有れば欲しくなってとらわれてしまう。心で思うことを口に出せば、傍目には醜く映り、自分の品格を落としてしまう。食べ物に集まる害虫のように、唯物的、刹那的、利己的な有り様は、人の心を曇らせてしまう。二見にとらわれないこと、負けたと思わず人を喜ばせたと思い、損をしたと思わず布施をして徳を積んだと思い、マイナスに学んで智慧を得たと思えば良いだろう。神仏の仕組みを思い、必然の因縁を視野に心眼で観ることの大切さを知り、他の信頼を裏切らないことは、未来を変えるための必須事項だろう。いつも正直で素直な自分で有ることが、原点回帰にも成って、自分に嘘をつけない綺麗で清々しい心を保つための、人生に悔いを残さないための心構えだろう。 2015年7月1日 琢
2015年07月01日
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