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信仰は神仏を信じて仰ぐもの判断基準になるもの神仏の代理をできるものは無く個人の邪気に利用するものでもない神仏に怨み憎しみは無く大慈大悲の愛そのもので人の都合で代理はできないもの代弁するものは恐れ多く畏敬の念の無いもの神仏は比較するものでなく人の心を癒し、安定させるもの至っていないものほど比較論争をして大宇宙を汚すものに成る大宇宙はこの地球のような太陽系宇宙が500億個以上有ると言われている。太陽系宇宙は太陽という恒星を中心に、水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星などの惑星が恒星・太陽の周りを自転しながら、慣性の法則で回っている。地球と同じ条件の星が有るはずだという説から、もっと科学が進歩している宇宙人がいてもおかしくないとの発想で、想像上の漫画から現実見のあるUFOや宇宙人の写真がいくつか撮られているが解明はできていない。人類は心の安定のために信仰を持つようになったが、太陽信仰が基本に成っているように思う。神はSAMETHING GREATE・創造主と言って偉大なものとして信仰の対象に成っているが姿形は無く、実在界の中心で畏敬の念と共に仰がれ、心の安定のための存在として正しい判断基準に成っている。神仏の代理をできるものは無く、個人の邪気に利用するものでもない。神仏に怨み、憎しみは無く、大慈大悲の愛そのものだと言われている。人の都合で代理はできないもので、代弁をしようものなら恐れ多く、畏敬の念が無いものとして孤立してしまう。神仏は比較するものでなく、比較するから名前を付けてしまったのかも知れないが、神に名前は無い方が、各宗派の対立がなくなって、良いのではないかと自分は思っている。神仏は人の心を癒し、安定させるもので、悟っていないものほど、やってはいけない比較論争をして人心を乱し、大宇宙を汚すものに成ってしまうのだろう。 2015年3月31日 琢
2015年03月31日
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人気商売には浮沈が多く、錯覚も多い幻想的なところが有って油断は禁物音楽や芸術には流行が有って作品で勝負するもの人気は個人についているようで目に見えないものについているもの票集めに利用するものでなくどの分野にも通用するものでもない本人や利用するものの錯覚は孤立してはじめて気が付くもの足るを知ること素直で謙虚であること幻覚に惑わされず、布施で徳を積んで置くことスポーツや芸能、芸術の世界は人気商売で、人気が出ればファンクラブができて、お金をいとわない追っかけも多く、高いプレゼントを贈られることも多い。人気にもそのときだけのものや生涯付いて回る人気も有って、易学では”紅艶”が付くもので、その時期だけのものと一生人気が有るものとが有ると言う。人気商売には浮沈が多く、錯覚も多く、空想、幻想的なところも有って油断は禁物だろう。芽がでやすいものやでにくいものが有って、あるとき突然名声を約束されたものは、それが当たり前のようになって、人の好意を粗末に扱うような別人のようになってしまうものも多い。音楽や芸能、芸術には流行が有って、作品で勝負するものが多く、人気は個人についているもののようで、目に見えないものに付いている場合も多い。人気を頂いたことに感謝して、その道の努力を怠らず、日頃の精進を積み重ねて、ひたすら謙虚でいることが大切だろう。票集めに利用するものでなく、どの分野にも通用するものでもないだろう。本人や人気だけを利用するものの錯覚は、孤立してはじめて忍土の厳しさに気が付くものだろう。足るを知ること、”かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め”、素直で謙虚であること。幻覚に惑わされず、錯覚を戒めて、受けた恩は順送りで、布施をして使ってしまった徳を積み直して置くことを忘れないようにすることが鉄則だろう。 2015年3月30日 琢
2015年03月30日
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今日の命は今日のもの行くところ、いるところ出会い、出来事、事態何が起きても迷わず日の出に生まれて日没に終わる明日は明日の風が吹く使命はどこでも果たせる時の変化にも柔軟に明るく機嫌良く恩恵に感謝して笑顔でいること雰囲気が良くなれば違和感が無く、構えない自分の居場所はそこに在る誰でもみんな居心地の良いところを探しているもので、自分の落ち着ける場所が有れば安心して、無理な割り込みをしないだろう。周りに嫌がられながらその場に居続けるあつかましさを持っていない。自分の出番は認知されなければ、いつまで経っても無いもので、自分を咲かせる場をいつも探している。一つ一つの場面は一期一会で二度と同じ場は戻って来ないものと、場に臨む心得が必要と知ることから、どんな場にいようと何かに一貫性の有る自分を貫こうとするだろう。今日の命は今日のもの、行くところ、いるところ、出会い、出来事、事態その全部がカオスだと思い、何が起きても惑わず、自分にしかできない対応をすることが、過去に悔いを残さない歩み方だと知っているだろう。今日の乱れを明日に持ち越さず、明日は明日の風が吹くと、その一瞬を大切にすること。使命は何処にいても果たせるものと心得て、時の変化にも柔軟に、明るく機嫌良く、恩恵に感謝しながら、笑顔を忘れないことが重要なことだろう。カオスは自分だけでなく、みんなも同じ不安を抱えているものと、良い言葉、誉める言葉、感謝の言葉を多くすれば、場の雰囲気を良くすることに成って、みんなが違和感を感じなければ構える心も持たず、和やかな場に成って、良き因縁側の仲間が多くなることで、感謝と共に、そこが自分の居場所に成るのだろう。 2015年3月29日 琢
2015年03月29日
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倫理、道徳の理性的見地物理的、科学的見地の前にこの地上に住む人間としてどうするかよりどうあらんとするか観自在を考えてみる悲惨な事件を前にして心を原点に戻し共生する良心に従うこと如何に文明の発達が有ろうが文明を使う人の心の有り方が過去の業に学び現在の業を改め未来に向う道を歩むこと人にはその使命が有る昔なら信じられない事件が多発して、これから先はどうなってゆくのかと不安な気持ちを抱えている人は多いだろう。地球環境の変化に伴う自然現象の変化、文明の発達に伴う地球の環境汚染、宇宙大自然の周期的調整期、各国益のための政策の対立に困惑する人類、身に迫ってくるカオスへの対応に、どう生きれば良いのかの迷いや葛藤が多く成って来ている。倫理、道徳の理性的見地や物理的、科学的見地の前に、この地上に住んでいる一人の人間として、どれだけ生きるかよりどう生きるか、どうするかよりどうあらんとするかについて観自在を考えて観ることが必要なときだろう。天工と人工に分けてものを考えてみる必要と、その根本の原因が有れば今改めておかなければならない時代に入っている。悲惨な事件や自然災害を前にして、すべての人が心を原点に戻して、自然の摂理、そこに共生するために必要な心に従うことが人間に求められている。如何に文明の発達が有ろうと、その文明を使う人間の心の有り方が問題に成って来ている。過去の業に学び、現在の業を改めることを原則として、今、この場に臨んで一人一人の身に迫ってくるカオスへの対応如何で、最悪のシナリオから最も良い未来に変えることができるだろう。人間にはその使命が有るだろう。 2015年3月28日 琢
2015年03月28日
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未来・現在・過去はすべて自分の心次第良い結果も悪い結果もすべて自分の心未然のものはすべてカオス嫌いなものも好きに成れる縁は自分の心・因が引き寄せる快苦には偏見が有って中道を行けば自ずと見えて来る未生のものも光転できるカオスへの対応が未来を変え、過去にその歩みを示す運命は自分で変えられる怠惰を戒めておくことその人が何をしてきたか、何をしようとしていたかは、その歩みを観ればよく解る。歩んだ道は過去形で、済んだことは変えられないが、これから何をしようとするか、どう生きるか、どうあらんとするかは自分の心の組み方次第、整え方次第だろう。それは今この場でどう臨むか、どんな心構えで臨むかで先の歩みを変えることができる。これから自分が行こうとする道、その各場面が自分にとって有利か不利かは分らない、混沌としてどう転ぶか判らないカオスで、自分の対応次第で未来を変えることも出来る。結果・過去を良いものにするか良くないもので終わるかは自分の心次第ということに成る。未然のものはすべてがカオスで、嫌いなものも好きなものに変えられ、自分をどう変えるか、揺るぎ無い心をどう保っておくか、念ずれば、祈れば、花開くが、それに必要な縁は自分の心・因が引き寄せている。快苦でものを判断して、単にマルかバツかで分別するのには偏りが有って、中道を行くことで自ずと見えてくるものが有るだろう。未生のもの、いまだ現象に成っていないものも自分の心次第で光転させることも出来るだろう。カオスへの対応如何で未来が変わることに成り、運命も自分で変えることができるだろう。『怠惰に栄光なし』で、日頃からの怠惰を慎んで、どうあらんとするかの道を、諦めず、放棄せずに続けること、積み重ねることで、どう生きたかの過去の歩みが足跡として残されることに成っている。 2015年3月27日 琢
2015年03月27日
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人を観ようとすれば傍観、客観から自分を対象に観ず観察すること縁が有れば対象に入ってくる知りたければ自分から出向き交友は平等に対等にへりくだることなく、見下すことなくその仏性に敬意を払い明るく機嫌良く接し誠実、親切に品性と人の良さが表れるすべて善意で受け止めて次の世までと手間を惜しまず誠意を尽くすことパッと観て感じる第一印象、出会って感じるもの、会話して感じるもの、マルかバツかは第一印象で分別するが、自分で感じたその人の分類は間違ったものではなくても、ある一定の期間を通して感じた自分の印象ははじめのときとは変わってきている場合が多い。はじめは好きか嫌いかで見ているもので、自分の許容範囲かどうかを観る場合が多く、交友を重ねるほどその正体が観えて来る場合がも有って、洞察力を培っておかなければ人を観誤ってしまうことも多いだろう。昔とは違って、最近は平気で嘘をつける人が多くなっていて、オーム心理教の事件のような、自分にも嘘をつける人が多く成って来ているように感じてしまう。人を観ようとすれば、傍観、客観し、自分の対象として見ず、観察すること。縁の有る人なら必然的に対象に入ってくるもので、執着を起こしてこじつけなくても自然に自分の心の中に入っている。独占欲から束縛したり、繋縛することの戒めを持っておくことが大切だろう。知りたくなれば自分から出向き、その交友は無私、利他の心で、平等、対等を原則とし、謙ることなく謙虚で素直なこと、相手の仏性には敬意をはらって、明るく機嫌良く接することを心がけておくことは大切な心構えだろう。誠実に、親切に接する中には品性と人の良さが現われるもので、すべて善意で受け止めて、依存せず、被害妄想を避けて、良き因縁側でお付き合いをさせていただけることに歓びと感謝の念を忘れないこと。次の世までもと心に決めて手間を惜しまないことが、誠意を尽くすことに成るだろう。自分本位、都合優先は厳に戒めておくことが重要だろう。 2015年3月26日 琢
2015年03月26日
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人が求めるもの常識を超えた先のもの常に変化するこの世で変化した先に有るものそれを見越した斬新なもの既存のものに価値観を見出さず見慣れたものには振り返らない流行も回っているもので色彩の美的感覚も変化する気くばりも大きなものから細かいものに人はオンリーワンを求めている並みの能力に価値を感じず常識や基礎的なものの先に有るもの絶対から相対的に細分化されたもの今まで見えなかったものが見えるようになる難しいことをしようとすれば、先ず慣れること。苦手意識を無くすことから、先延ばしをせずに挑戦してみること。他のことに気を移さず集中すること。やってみて慣れて来れば工夫ができるようになり、前向きな気持ちが出てくれば、後は努力の積み重ねで、その人にしか出せない味が出てくる。みんながやっていることは並のことであれば、そこに人の求めるものは無く、常識を超えた先のものに価値を感じ、常に変化する諸行無常の中で、変化した先にあるものに注目が集まる。それを見越した斬新なものを好み、既存のものに価値観をもてなくなる。見慣れたものに振り返らず、先を切り開くようなものの仕掛け人に成ることのこだわりも持っている。流行は回っているもので、色彩の美的感覚も変化している。気くばりも大きなものから細かいものに成って、細分化された中に人はオンリーワンを求めるように成って来ている。並みの能力に価値を感じず、常識や基礎的なものの先に有るものに興味を持ち、絶対から相対的に細分化したものを見るように成っている。霊的な能力が無くても、訓練すること、慣れた先に有るものを見越す目は、心眼を開くことで、分別力も出て、未来のカオスに上手く対応することができるように成れるだろう。今まで見えなかったものが見えるようになれば、運命を変えられるようになって、眼を向けた先の未来を拓くことも出来るだろう。 2015年3月25日 琢
2015年03月25日
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人には夢や希望が有るがそれを裏付けるものが無い障碍を超える知恵が無い迫害に耐える自信が無いいつも不安、不満を抱えて迷いや葛藤が多く心の安定と不動の精神が無い”大丈夫!”と信じられるものが無い選択肢を決める根拠が無い失敗を恐れ、無難を望んでいる自分を信じ、判断基準を持つこと心の中に神仏を置くことで祈り、念じること強い意志と信念を持つことでしか歩む道に成就の保証が無い一番愚の骨頂なのは勉強も何もしようとせず、甘えに胡坐をかいた反抗期の子供のように、自分は何もさせてもらえないと嘆きながら遊びほうけていることだろう。やって出来た人を見れば、あんなの偶然のまぐれだと、いつも自分を別ものだと思い込んでいる人の多くは、自分が張った意地に自己正当の言い訳をするしかなく、現状を打破する精進の気力が涌いてこない状態に成っている。何をするにも準備が必要で、無知には勉強が、成就には必然の縁が、試練には挑戦意欲の根拠が、次の場の備えには原因を修正浄化した不動の心が求められ、視野を広げて豊かな発想ができるように成っておくことだろう。もっている夢や希望に、それを裏付けるものが無い場合。障碍を超える知恵が無い場合。迫害に耐える自信が無い場合。あらゆる場面の備えを怠っていれば、いつも不安、不満を抱えて迷いや葛藤が多く、心の安定と不動の精神が得られないだろう。”大丈夫!”と自分を信じることができず、どの場面でも、どの選択肢の前でも、どうあらんとするかを持っていない状態であれば、ただ失敗を恐れるばかりで無難を望むしかないだろう。自分を信じ、準備段階で培った判断基準を持っていること、勉強と同じく予習が有れば、復習しておくことで気が付かずに身についているものと共に、心の中に神仏を置いて、祈り念じることが大切だろう。”人事を尽くして、天命を待つ”、”人智を尽くして人智を超える”心境で、強い意志と信念を持つことでしか、自分の歩む道に成就の保証が無いだろう。何ごともやりつくした後のような、爽やかな心で、明るく機嫌良くしていたいものだと思う。 2015年3月24日 琢
2015年03月24日
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快苦を判断基準にすれば表層の部分で判断し快は少しの自信と意欲を増すが苦になれば逃避して苦を超える智慧や哲学が得られない苦手意識に弱点があるもので困難を超えることで欠陥を埋めることができる達人は苦を選択し苦手を無くすことで本当の域を求めようとする神仏は時に快を与えるが挑戦意欲をもたせるためで苦を超えなければ並以上には成れないからだろう快のときは嬉しく楽しいいもので、毎回続くことがなく、いつもそのときがくるのを楽しみに苦を超えながら働くために神仏が仕組んでくれた恩恵だと思うことができるようになれば、快はもっと嬉しくありがたいものだと、その恩恵に感謝することができるように成れるだろう。とかく快苦を判断基準にすれば、表層の部分で判断し、快が有れば自信と意欲を増すが、苦になれば逃避して、苦を超える智慧や極意を得られないだろう。苦手意識に弱点があるもので、どんな困難をも越えることで、自分の欠陥を埋めることが出来る。達人は分岐点に立つとき、難しい方、苦手な方を選択し、苦手を無くすことで今まで未知のものだった本当の領域を求めようとしている。神仏は時に快を与えてくれるが、それは願ったことに、どんな試練が来ようとも、どんなものにも挑戦しようと思う意欲をもたせるためのものだと思って、決して放棄せず、諦めないための、歓喜の成就の瞬間を迎えさせるためのものだと思うことだろう。苦は長く続くもので、それに耐え忍んで超えることで、やっと並以上に成れるのだろう。思い通りに成らないこの世では、何かちっちゃなことでも一つのことを、投げ出さず、諦めずにやっとできるようになった体験が、どの分野にも通ずるものだと気付かせる、尊い極意を求めて歩む冒険の道をゆくようなものだろう。 2015年3月23日 琢
2015年03月23日
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場の雰囲気を大切に一人一人が和やかで機嫌が良いこと良い言葉、誉める言葉、感謝の言葉が場を良い状態にするもの殺気や怒号は禁物で場は人の品性が問われるところマナーの良さが求められ笑顔が雰囲気の良さを表わすセンスの良さは感性の良さで人の心を盛り上げるものその目的に向かわせるもの雰囲気を壊すことを戒め和を大切にするための智慧を育むみんなが和やかにしている場、それぞれが楽しく歓談している場、家族が微笑ましい場、愛を育んでいる場、思いやり、気くばりに包まれている場、二人でも意気投合している場、場の雰囲気の良いところで信頼関係が保たれている。そういう場の雰囲気を壊さないこと。無神経な、他に不快感を与える、恐怖感さえ持たせてしまう態度をとらないこと。強くその戒めを持っておくこと。場の雰囲気の大切さ、一人一人が和やかな心で機嫌が良い場には、良い言葉、誉める言葉、感謝の言葉に溢れている。場が良い状態に成るのはそういう言葉が多いところ。殺気や怒号、批判や否定的な言葉でうっ憤晴らしや欲求不満の解消をしようとする独りよがりの、他の善意に甘えた心を出さないこと。場は品性が問われるところで、マナーの良さが求められ、全体の笑顔が雰囲気の良さを表わしている。センスの良さは感性の良さで、他の心を盛り上げるもの、その目的に向かわせるものだろう。雰囲気を壊すことを辱と思い、和を大切に、雰囲気を良くする智慧を育んでおくことが、他の警戒心を解かせ、理解され、信頼されて、良き縁にも恵まれる下地をつくることにも成るだろう。 2015年3月22日 琢
2015年03月22日
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分析してこじつけなくても義務で苦痛を与えなくても有るがままで良いものがある人の持つ雰囲気やセンスは個性的なものが多くその人にしか出せない味が有る流行を真似れば思い出す姿はみな同じイメージが残り生き生きとしている方に好感が残る衣服や装飾品は値段でなく中身の明るさや笑顔が最高のもてなしになる品格は飾りで無くにじみ出るもの気相を高めるほうが良いだろうへつらうことなく堂々としていること自分に自信が有れば、媚びることなく、あげつらうことも無く、ゴマを掏ることも無い。親切で人が良く優しく、何も無くても品格が有るのが、日本人の本来の姿だろう。ものに溢れる時代に成って以来、唯物的、刹那的、利己的な人生を歩む人が多くなって、自分の人生の本当の使命を思い出すことができない人が多くなっている。一億総中流と言われた時代が去って、見えないもの、触れないものの大切さが身に滲みてわかる、根っこや基礎の大切さを思うように成って来ている。勇気を出して挑戦すること、その前の準備の大切さが、何が起きるかわからない不穏な時代に成って、気を整えることの大切さを感じ始めてきている。分析してこじつけなくても、義務で苦痛を与えなくても、有るがままが良いものが有る。人の持つ雰囲気やセンスは個性的なものが多く、その人にしか出せないオンリーワンの味が有る。流行を真似れば、記憶に残っている姿はみな同じイメージで、本物の、生き生きしている方に好感が残っている。付ける衣服や装飾品は値段で判断せず、心の自己満足より、中身の明るさや笑顔の方が最高のおもてなしになるのだろう。人の品格やセンスの良さは、飾りではなく、にじみ出るもので、気相を高めるほうが良いだろう。諂うことなく堂々としているところにその人の品格が表れて来るのだろう。 2015年3月21日 琢
2015年03月21日
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不安なときは狭くなり安心が有れば広くなる不安にさせる疑問を解消すれば行動範囲が広くなる狭いところに行き止まりが有って心配を無くせば広くなる問題が多いほど不安に覆われ見切り、割り切りで消去すれば肩の荷が降りて心が軽くなる溜め込まないこと、先延ばしをしないこと課題をすぐに処理して未来の目的に向かうこと不安が歩みを遅らせ、停止させる人には好奇心が有って、自分の興味の有るものを知ろうとし、極めたいと思う反面、自分にとって危険が無くなるまでの警戒心をもっている。無知であれば有るほど痛い目に遭うことが多く、無知を解消するまでの知識がそろってくるまでは、心に不安を抱いていて、堂々と歩むことができない。慎重な人ほど歩みが遅く、よく確かめなければ一歩を踏み出さない。人は信じることで強くなってゆくもので、信頼が有るほど自由に泳ぐことができる。知らないところでは不安が多く、小さくなっているもので、安心するほど行動範囲が広くなって心を豊かにさせてくれる。心を不安にさせる疑問を解消することが重要なポイントだろう。心が狭くなれば行き止まりを作ってしまい、心配を無くせば、自由に成って広い心に成れる。問題をたくさん抱え込むほど危機感に覆われて、一つ一つ問題を見切り、割り切りで消去すれば、肩の荷が降りて心は軽く、明るく機嫌良く成れる。処理能力の高さは、溜め込まないこと、先延ばしをしないことで受け入れが多くなって、人の信頼を得るようになることから評価されるようになる。課題が有ればすぐに処理しておくことで、次の意欲が涌いて、先の目標に向かうことが出来るように成る。人には心の安定が必須のことで、信じるものが無いほど不安が多くなって、その歩みを遅くさせたり、停止させてしまったりする。人間の可能性は、信じなければ開かない扉を、幾重にも通り抜けた先に有る 高橋佳子 2015年3月20日 琢
2015年03月20日
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好きなものを求め嫌いなものを避ける好きこそものの上手なり前向きなところに道が拓かれる嫌いなもの、苦手なものは弱点でそこに自分の修正課題が有る何をやってもうまくゆかなければ嫌いなもの、苦手なものを克服しストレスが溜まれば気分を変える原点に戻れば違いが見えてくるとらわれが心を狭くして偏りを取れば違和感が受容できる明るく機嫌良くなれるように許容範囲を広げ、怒らず、怨まず、憎まないこと誰でも気持ちが良いに越したことなく、気分が悪くなることを嫌う。快感を原則として歩んでいるもので、それで幸せかというと、それだけとは思えず、慣れたり飽きたりするときも有る。この安心をずっと続けたいと思っても、忍土にいれば多くの苦に出会うことに成っている。何かの助けや恩恵に救われることが有っても、自分の力ではなく、毎回救われるとは限らない。自分の力で苦・試練を超えようとすれば、何でも出来るような自分に成っておくしかない。救いや恩恵のありがたさに感謝できなければ、協力者や仲間や同志も出来ずに、やりたいことも頓挫してしまう。好きなものを求め、嫌いなものを避けるのが人情だが、好きこそものの上手なれで、気の向くところではどんな障碍にも前向きになることができて、超えるたびに道は拓かれてゆく。本当は楽なところに進歩は無く、嫌いなもの、苦手なものは弱点に成っているもので、そこに自分の修正課題が有ること、試練はその呼びかけだと思うほうが良いだろう。何をやってもうまくゆかなければ、嫌いなものや苦手なものを、いずれ超えなければ成らないものと思って、今それを克服しておく方が良いだろう。ストレスが溜まらないように時々転依・てんねして、チャンネルを変えたり、気分転換をしたりすれば、発想の転換もできて、気力を整えることもできる。原点に戻ることから違いが見えてくるもので、とらわれが心を狭くし、偏りに凝り固まらなければ、違和感が受容できるようにも成れるだろう。許容範囲を広げて、怒らず、怨まず、憎まずをモットーに、明るく、機嫌良くなれる材料を増やすことが大切だろう。素直に改めること。 2015年3月19日 琢
2015年03月19日
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以心伝心は有るもの心に湧き出すものは相手も同じ伝えなくても感じている邪気の無い誠心は届くもの霊的能力に関係なく肌で感じるもの変化しているものにまで宇宙の一点でつながっているその一点に念じ祈る心から魂へ肉体を離れても転生のすべての過程の中に意識の空の中に蓄えたものは消えることなく入っている意識の中に有るものは顕在意識と潜在意識が有って、六根【眼、耳、鼻、舌、身の五感と意】と心の連動に、顕在する意識・六識と魂の奥に有る空の中の潜在意識【七識のマナ・末那、八識のアラヤ・阿頼耶が有って、マナは希望、意思、趣、英語で言えばWILL+動詞、アラヤは智慧、常識、自然の摂理、宇宙の一点に通じるもので、SHALL+動詞】で心が成り立っている。潜在する意識の中には、永い転生の間に蓄えた意識が入っていて、霊的なものも有る。転生するたびに忘却、喪失しているもので、生まれるたびに一から始めて、それらを思い出し、体験、確認する道を辿ることに成っている。心のすべての状態を『空』と言っていて、しいて言えば六無為の状態【不動滅無為、虚空滅無為、釈滅無為、非釈滅無為、想受滅無為、真如滅無為】だと言われている。転生は十二縁起【無明・行・識・名色・六処・触・受・愛・取・有・生・老死】の繰り返しで、現象界・三次元のこの世に生まれて菩薩、如来への道を歩んでいる。遍行で、作意・さい、触・そく、受、想、思、すなわち色受想行識をしながら、別境では、欲、勝解・しょうげ、念、定・じょう、慧でアラヤ識に記憶されて魂の意識の蔵の中に入っている。玄奘三蔵の唯識の教えがこれで、奈良薬師寺・法相宗の中心に成っている。大阪薬師寺会は、故橋本凝胤師のあとを請けて現松久保秀胤長老が各奇数月にこの玄奘三蔵さんの唯識の講義をしている。釈迦・三蔵の深さ、僧侶の修行の深さと共に1300年以上前から人間の心の仕組み、意識の仕組みが解き明かされていたことに驚嘆している。かたよらず こだわらず とらわれず ひろく ひろく もっとひろくこれが般若心経 空のこころなり 2015年3月18日 琢
2015年03月18日
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ニシン御殿や炭鉱の町大漁が来れば裕福に成る発明が当たれば一生食べてゆける一族郎党も潤う働き者が減ってきた今類似品が出回る今その時代は過ぎ去った起業した会社は化け物のように経費だけが増えて収入が無い出るものは確実で入るものは不確定上昇志向のムードが変わった”稼ぐに追いつく貧乏なし”楽を求めるほど苦が多くなる追われる立場の苦しさの時代戦後の復興では、国民全員が立ち上がって一丸と成ってはたらいた時代が有った。島国、鎖国の遅れを取り戻して先端を行く軍事大国に、敗戦後の立ち上がりの速かったこと、一丸と成れば驚異的な速さで発展する国、大和魂、規律正しい国民性、思いやり、気配りのできる誠心、先端文明に学び、いまや最先端を行くようになったにもかかわらず、少子化による人口減、減らない国家、自治体の管理費、大赤字に悩む国に成っている。飛鳥・白鳳・天平時代や今を思えば70年ごとに諸行無常のサイクルが有るように思える。ニシン御殿や炭鉱の町、大漁が来れば裕福に成る。発明が当たれば、一族郎党を含めて一生食べてゆけるような時代が有った。働き者が減った今、類似品が出回る今、その時代は過ぎ去った。起業した会社や国も、地方自治体も、化け物のように経費だけがかさんで収入が少なくなった。出るものは確実で入るものが減少して、上昇志向のムードが無くなった。意気消沈の国民感情、”稼ぐに追いつく貧乏なし”、楽を求めるほど苦が多くなる。大きな自然災害を警戒する今、終われる立場の苦しさを味わいながら、必死に再起因しようとしているのが今の日本なのだろう。時代の変化と共に自分を変えてゆくことが出来て、回復力の速さも随一の日本、東京オリンピックに向けて、明るく美しい国、和の食文化を知ってもらう、最上級のおもてなし、どんなことにも前向きにプラス思考で、全員が明るく機嫌良く、準備を整えて、活性、再生の道を歩む自覚を持つことが重要だろう。 2015年3月17日 琢
2015年03月17日
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信頼、人間性が問われるとき他のものを奪い取るとき、騙し取るとき出すべきときに出し渋るとき作為的な嫌がらせをするとき自分の無能を他のせいにするとき責任を取らず逃げてばかりのとき試練で他の助けを当たり前と思うとき感謝せず自分だけの手柄にするときいつも自分だけの都合を押し付けるとき他人の好意を粗末に扱うとき裏切りをするとき嘘をついたり約束を何度も破ったりするときこれらの一つでも平気でやっていれば人の心は離れてゆく人には許す心が有って、一度や二度の過ちで関係を壊してしまうことをしない。むしろ犯した過ちの原因を一緒に成って考えて修正できるような手助けをする。人の向上を喜び、笑顔が戻ってくるのを嬉しく思っている。人の苦しみや悲しみを見ればほって置けなくなって、無意識に手を差し伸べようとする。そのことで背負う責任を共に背負おうとする。生まれたときから頂いた良心に従って共生しようとするのが普通の人間だろう。その良心を自分だけの都合を優先しながら利用しようとする邪気には失望し、乱れた心を整えるために距離を置くようになる。生きていれば、何度も失敗を重ねるものだが、人は一度の失敗を見守りながら修正浄化をして這い上がってくるのを待っているもので、人の許容範囲を超える甘えが有れば、相談に乗ったり、アドバイスしたりしながら改心するのを待つことができなくなってしまう。信頼関係が結ばれれば、信用して何でも分け合うようになる。困ったことが有れば因縁側で一緒に考えて改善策を見出そうとする。その人の本質を信じて、間違いを犯した現象を正そうとする慈悲の心をもっているが、それを悪用するような行為が続くように成れば、信頼関係が薄れ始めて、距離をおくように成ってしまう。信用を集めるには時間がかかるが、失うのは一瞬だと言われ、その戒めを強くもって、人の信頼を自分の人生の可能性だと自覚して、常に理想とするところに向って歩んでいるのが人間だろう。禁を犯して他人の心の許容範囲を超えないように、理性を強くもって、甘えすぎないような自分で在りたいと切に願っている。 2015年3月16日 琢
2015年03月16日
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かたよりを少なくこだわりは主義としてやり方を自分流にすべてのとらわれを見切り、割り切りで処理する身の周りに迫る問題にあたるとき過去、現在、未来に分類して四諦で整理する残ったものが今抱えているもの見切れないもの、割り切れないものそれには必然の因縁が有る問題の原因には業・カルマが絡んでいて修正浄化して摩擦を少なくするかたよらず こだわらず とらわれずひろく ひろく もっとひろく六方を敬う心で突発の事態に備えて、心を乱さないように、今抱えているものを心の負担の軽いうちに処理しておくことが大切なことだろう。先送りするほど重くのしかかってくるもので、思わぬ問題に直面すれば、どうすればいいか冷静な判断ができなくなってしまう。ものごとの順番を間違えるときがそういうときで、心を乱したときに汚点を残して後悔することを多くしてしまう。いつも心を軽くしておくために、かたよりを少なく、こだわりは自分の主義としてそのやり方は自分流で、すべてのとらわれに見切りを付けたり、割り切ったりで処理すること。身の周りの問題にあたるとき、過去、現在、未来のものに分類して、『四諦』【苦、集、滅、道】で整理する。苦になっている問題を集めて、神仏のようにではなくても、悔いを残さないように自分流に見切り、割り切って消去することで、自分の道を確かに歩むこと。残ったものが、いま自分の手元に有ることを自覚しておくこと。見切れなかったもの、割り切れなかったもの、それで残ったものは必然の因縁で、前世からかも知れない深い関わりの有るものを自分の意志で残したものとして、それを大切にすること。問題が起きれば、そこには必ず原因が有って、自分が関与するほど、その原因に深く影響を与えているものと、責任転嫁、他人のせいにすること無く、修正浄化しておけば、身の周りの摩擦が少なくなってゆくだろう。六方【前後左右上下】を敬って、いつも心を清浄にしておくこと。かたよらず こだわらず とらわれずひろく ひろく もっとひろく 空のこころで 2015年3月15日 琢
2015年03月15日
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人生の出会い、結婚、家族、一族家の内での学び友人、知人、社会の外での学びこれですべての学びは網羅できず埋めきれない隙間がたくさん有る情報と縁のつながりで学ぶもの知っているだけでは智慧にならず実践して体験することで身に付けるがすべての悲苦を癒すまでに至らず広い愛を求め、代償を求めないほんの一部分でしか役に立たず身の周りから隙間を埋めてゆく生きて神仏には成れずへばりついた業・カルマさえ修正浄化は難しいどんな人生行路を歩むか、どう生きるか、どうあらんとしているか、世界人口70億人の生い立ちや基盤はすべて違うもので、それぞれの人々が模索しながら自分の生きる道をそれなりに歩んでいる。つまずいたり転んだりしながら、そうならないような智慧を付けながら、自分の人生が何なのか、使命は何処にあるかを思いだそうとしながら歩んでいる。失敗の多くの原因が業・カルマだと知っても、その修正浄化は、小さな願いを叶えようとするだけでも、この一転生では到達できないと高橋先生は『魂主義という生き方』で言っている。それぞれの菩薩行の頂点は遠いものだろう。人生の出会い、結婚、家族、一族などの内側での学び、友人知人、社会の外での学び、これだけですべての学びは網羅できず、世界中を見れば、埋めきれない隙間がたくさん有るだろう。情報と縁のつながりで学ぶもの、ほんの一部分しか見えていないものも、知っているだけでは智慧には成らない。学んできたことを実践しながら、何度も繰り返し使うこと、応用すること、体験することではじめて身に付くもので、同志や仲間と何かのことで響働しながら共有することで、絆が深く結ばれて、因縁側での生き方を身に付けることができる。すべての悲苦を癒すまでには至らず、更に広い愛を求め、決して代償を求めない無私、利他の心で接していても、ほんの一部分でしか人の役には立っていないと、ただ素直に、謙虚に成ることだろう。できることから、身の周りから隙間を埋めてゆくことの繰り返しの中で、自分の有り方がおぼろげに見えてくるのだろう。生きて神仏には成れず、へばりついた業・カルマの修正浄化をしながら、これで死ぬのなら悔いは残らないと思う何かの自覚が出来れば、それを生きてできる悟りだと思うしかないだろう。 2015年3月14日 琢
2015年03月14日
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この世は一人では生きられず同伴者や仲間の協力が有ってはじめてやりたいことが貫徹できる否定的で叶うものは無く勇気と挑戦が有って前に進むことができるどんなこともやってみなければ叶わず恐れていては前に進めない失敗は欠陥が有るからで失敗が有るからその原因を改めることができる全員の賛同は不可能でも成し遂げられた自信と感謝が有れば共有し合うことができて次の新たな協力者の縁にも恵まれる否定者にできないことも、肯定者には叶うことが多いやる前から、どうせダメだろうとか億劫だから止めておこうとか、為せば成る努力と挑戦を省略して、待っていればいつか誰かが、なんて考えている自分が何処かにいるだろう。そういう自分を棚に上げて、自分の夢や希望を強くもてず、働き口や居場所を見つけられずに反社会的行為に走ってしまいそうな人が多くなっている。心にロマンがもてず、何かに夢中に成ることもできない、自分を燃やしてくれるならどんなことでもいいと思う人が多くなっている。どんな夢や希望も今の自分のままで叶うことは無く、準備を積み重ねて勉強しながら自分を整えてゆかなければ、何をやってもうまく行かないだろう。この世は自分一人では生きられず、同伴者や仲間の協力が有ってはじめて、やりたいことが貫徹できる。否定的で叶うもの無く、肯定的準備を重ねて、勇気と挑戦が有ってこそ前に進むことができる。どんなこともやって見なければ叶うものは無く、失敗を恐れていては前に進めない。失敗は欠陥、原因が有るからで、失敗が有るから、その原因を改めることで成就することができる。何をするにも全員の賛同は不可能で、強い意志をもって、孤独感が有っても、成し遂げることができれば、それが自信に成って、頂いた恩恵に感謝することができれば、共有し合うこともできて、次の新たな協力者や仲間の縁にも恵まれるだろう。何ごともそうだが、否定者にできないことも、肯定者には叶うことが多いのが現実だろう。 2015年3月13日 琢
2015年03月13日
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負けが多くなれば被害者意識が強く批判正論で相手を潰し自分の欠点を補おうとしない正論を強調するほど自分に甘く周りに苦を与えることは毒を撒いているようなものでいずれ自分を毒して破滅する人は誉めた方に伸びるもので雰囲気を壊さず明るい方へ機嫌が良くなる方に向かうほうが理解者も多くなって願いが叶う縁にも恵まれる批判的、否定的に成らないほうがいいだろう何をやってもうまくいかず、気持ちだけが前のめりに成っているときは、自分の欠点に気が付かず、無修正のままことに当たるために失敗が多く、自分の勉強不足を棚に上げて他人の批判ばかりになってしまう。人の成功を歓べず、疎ましく思ってしまうときには、自分でさえできていないことを他に要求して、他の失敗に拍手をするような卑劣な行為をする自分に成っていることに気が付いていない。二見でものを見れば、相手を引き摺り下ろすことを考えることが多く、客観視するものからは、醜い争いとしか映っていないだろう。負けが多くなれば被害者意識が強くなって、批判正論で相手を潰し、自分の欠点を補おうとしないずるい人間になってしまう。自分では出来てもいない正論を押し付け、強調するほど、自分に甘く、周りに苦を与えることが多くなってしまう。見方を変えれば、毒を撒いているようなもので、いずれ自分を毒して破滅するのが落ちだろう。人は誉めた方に伸びるもので、他の良いところを賞賛し、自分にも取り入れて、雰囲気を壊すようなことをせずに、明るい方へ、機嫌が良くなる方に自分の心を整えてゆくことが大切だろう。そういう心掛けが有れば、理解者も多くなって交友も広く、自分の願いを叶えるための協力者や同志の良き縁にも恵まれる機械も多くなるだろう。何ごとにも批判的に成らず、否定的に成って暗病反の言動を多くしないことが、ただ素直で謙虚でいる方が、願いが叶う確率を高めることに成るだろう。 2015年3月12日 琢
2015年03月12日
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宇宙は止まることなく時を刻んでいる人生はその中に有って変化する時の渦の中に有る理想とその目標を期して自分の道を歩んでいる同じ一秒も期した時の前後では違う振り返って変化を見ればその節目が見え先をつくろうとすればある一点を境に心境が変わる日頃の一秒と変わらないようでも自覚した時から異なる一秒を重ねる一年の変わり目には新たな一年の目標を立て気を新たに意志を強くすることができる人間には惰性に流される心が有って、宇宙の慣性の法則と同じものが流れている。良い流れを続けたくても、長くは続かず、悪い流れを断ち切るのは相当の強い決意を必要とする。心機一転という言葉が有るが、いつもそう思ったときだけで終わってしまい、後は慣性の法則の通りになって、流されっぱなしの自分をいつも責めることに成ってしまう。竹のように節目が必要で、その節目からは別人のようになることも、自分次第と言うことだろう。宇宙は止まることなく、時を刻んでいる。人生はその中に有って、変化する時の渦の中に有る。その変化と共に自分を変えてゆかなければ、滞留するばかりで何の進化も無い時を刻むことに成ってしまう。人は皆、理想とその目標を期して、自分の道を歩くことに成っている。同じ一秒も期した時の前後では違うもので、振り返ってみれば、その節目が見えて、先をつくろうとすれば、ある一点を境に心境が変わる。刻んだ時は日頃の一秒と変わらないようでも、自覚した時からは異なる一秒を重ねることに成る。一年の変わり目や、何かのショックが有って自分を別人のように変えようとするときには、新たな時の目標を立てて、気を新たに強い意志を以って、未来に向けてのときを刻むことが人間にはできる。心境を新たにして流されること無く、決然として今を生きることだろう。 2015年3月11日 琢
2015年03月11日
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人脈は可能性を豊かにする認め合い、信頼で結ばれた縁ゆたかな人には見えない積み重ねが有る広い心でつなぐことで更に互いの可能性が広くなる自分の力を出し切れる準備をする権力、剣幕、威圧で抑えず相手の力を利用し合うスポーツや武道と同じで正々堂々と競い合う対峙する前に整えておくことどの段階でも有効なのが人脈だろう日頃の精進でしか整わず自分の都合だけで利用するやり方では永くは続かない誠意と信頼関係が根底に流れている忍土に生きれば、理解不能なことが多く、信頼関係が無ければ、自分にとって危ないことばかりで、いつも心に張りを持っていなければ、いつ何処で落とし穴に落ちるか分からず、何でも方法的懐疑で、疑ってみて、それを解消してゆくしか、どう歩めば良いかが見つけられない。速くそれに慣れることで、無知なほど不安が多いだろう。信頼関係で結ばれたものが多いほど、良き縁に成る出会いも多く、安心して付き合える人が多く、いつでも助けてくれる交友が多ければ、それが人脈と言われ、相互に縁でつながっている。人脈は可能性を豊かにするもので、認め合い、信頼し合える間柄で、ゆたかな人ほど見えない積み重ねが有るのだろう。広い心でつなぐことから、相談相手が多く、更に互いの可能性が広くなる。大切なことは、自分の力を出し切ることができるかどうかのときのために、その準備を怠らないことだろう。権力や剣幕、威圧で抑えることをせず、相手の力を利用しあうこと、スポーツや武道と同じで、正々堂々と競い合って、わが道を行くための強い縁が必要なときがある。対峙する前に整えておくもので、どの段階でも有効なのが人脈だろう。日頃の精進でしか整わず、自分の都合だけで利用するやり方では通用せず、永くは続かない。誠意と信頼関係が根底に流れているのが人脈だろう。 2015年3月10日 琢
2015年03月10日
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結果を見て文句を言わず自分が選んだことと納得し同じ道を他に押し付けず参考以外の比較をしない改善点はどの道にも有って整ったときには他がその背中を見ている良き模範と成っているが欠点を隠そうとして正論で相手をねじ伏せようとしたり自分が攻め込まれないようにしたり自分を正当化しようとするとき雰囲気を壊して反感をもたれてしまう相手を認めてその上を行くように互いに力を出し切れるようにすればそこに本当の理解が生まれている正々堂々と生きること。競争相手を誹謗中傷したり、揚げ足を取ったり、嫌がらせをしたり、卑怯なことをして戦意を喪失させたりしないこと。他を踏みつけにして自分を浮き上がらせようとせず、他に敬意を示しながら、努力を重ねて自他共に認め合うようにすること。結果を見て文句を言わず、自分が選んだことと納得し、同じ道を他に押し付けようとせず、参考以外の比較をしないこと。改善点はどの道にも有って、整ったときには、批判の対象にならず、他がその背中を見ていて、良き模範に成っている。うまく運ばず、欠点を隠そうとしたり、自分が攻め込まれないように、正論で相手をねじ伏せようとしたり、自分を正当化しようとすれば、雰囲気を壊して場を膠着させ、反感をもたれてしまう。自分に自信を持つこと、余計な過ちを増やして孤立しないように、自分で自分の落とし穴を掘らないようにすること、強い信念を持っていること。心に余裕ができれば、相手を認めてその上を行くように成れる。互いに持てる力を出し切れるように切磋琢磨ができるようになれば、そこに本当の理解が生まれるだろう。認め合って、響働すれば、そこに友情が芽生え、深い絆が結ばれて、良き因縁側の信頼関係も生まれて、互いに綺麗な花を咲かすことができるだろう。 2015年3月9日 琢
2015年03月09日
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矛盾を感じながらの歩み差別の心は比較から与えられた道と自覚して不平を言わずに我が道を行く理不尽はこの世の常と思い理想に向かう強い意志いつか道は拓かれると信じ耐え忍ぶことを糧にして跳躍のときに備えておく間違いを正して安易を選ばずピンチをチャンスに変えながら悔いの無い歩みをすることそれを天職と思うこと人それぞれに天賦の才が有ると言われ、それを見つけて納得の行く道を歩むことがその人の道であり使命でも有る。ミッションワークに就くときは、手応えを感じ、満足感があり、本当の歓びを味わいながら、悔いの残らない歩みができる。金や名声のためにではなく、金で買えないもののために、人は何かにこだわって生きている。自分は金やもので売り買いできない人間だと感じているもので、この世の評価が金額で示されることに理不尽を感じてしまうだろう。確かにお金やものは多い方がひもじい思いをすることも無く、人はそれを目当てによってくるが、その淋しさは言いようの無いものだろう。そんなこの世の矛盾を感じながらの歩みは、比較する心から差別が生まれることに抵抗を感じつつ、自分が選んだ道を与えられた道と自覚して歩むしかない。不平を言わず、我が道をゆくことだろう。理不尽はこの世の常と思っておくこと。理想に向かう強い意志を持つこと。いつか道は拓かれると信じ、耐え忍ぶことを糧に、跳躍のときに備えておくこと。素直に間違いを正して、安易を選ばず、辛くても四苦八苦を超えてゆくことで、ピンチをチャンスに変えながら、試練もそのための呼びかけと思うこと。願いを放棄せず、諦めずにコツコツと、亀のように確実に前に進むことの積み重ねが尊いことだと信じ、それが自分の天職だと自覚が出来れば、それが生きた悟りに成っているのだろう。悟らんと 重ねた無駄も 気がつけばあれも我が道 これも我が道 2015年3月8日 琢
2015年03月08日
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功名心を捨てて相手を認めその仏性に敬意を示す代償を求めず与えっぱなしの愛でかけた情けを水に流し受けた恩は石に刻む真念一貫 不逃避忘己利他 一隅を照らす確たる信念の元に理想には妥協せず原因と結果の法則を知り既にある解答を自覚している信じることで可能性を追求して自覚した道を歩めば迷いなし信念が揺らぎ、どれが本当かも見えなくなって、どう進めば良いかも解らなくなってしまうときが有る。何も信じられなくなって目先が真っ暗になってしまうことも有る。自分本位で何でも思い通りにさせようとするときに、周りから孤立してしまうことが多い。どんなことにも必ずその原因が有って、大概その原因を自分が作り出している場合が多い。素直に謙虚になって自己検証してみれば、思い当たることが見えてくる。自分では邪気は無いと思ってしていることが、人には恩着せや押し付けに成っていて、それが原因で疎遠に成っていることも有る。人が陥る最悪の事態はすべて自分がつくり出すもので、日頃から自分を甘やかさないように、唯物的、刹那的、利己的思考を戒めておく必要が有るだろう。自分でつくった落とし穴にはまらないように、功名心を捨てて、相手を認め、その仏性に敬意を示すことが重要なことだろう。してやったと思わず、させて頂いたと思う謙虚な心で、代償を求めず、恩着せをせず、与えっぱなしの愛で、かけた情けを水に流し、受けた恩は石に刻む、そういう心に成れるように努力すること。真念一貫 不逃避 忘己利他 一隅を照らす心理を求め 逃げることなく 人のための 光と成れ確たる信念の元に、自分に掲げた理想には妥協せず、原因と結果の法則を忘れず、無私と利他の心でただ素直であること。魂の奥底に潜在する自分の本当の願いを見定めて、心の趣く、うれしいこと、楽しいことの中に自覚できる使命のようなもの、それが、既に有る解答の一つだと自覚できれば、信じることで自分の可能性を広げることができるだろう。そう自覚するに至れば、もう其処に迷いは無くなっているだろう。 2015年3月7日 琢
2015年03月07日
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型にはめず、押し付けずその個性を生かすいかなるカオスをも否定せず何処かにその善意の生きる道を探し柔軟な対応をするどの道をも光明に導きじっと耐えて待つことができる自分の道を正当化せず愚かさを知り恩恵に感謝できる意地を張らず素直で謙虚に成っているその積み重ねが智慧に成っている状態忍土に生きるための理想を求めて厳しい持戒が有ること大きな夢や理想をもてず、次第に部分的な状態を求める風潮に成って来ているのが今の時代なのかも知れない。昔は天下国家に自分の夢や理想を掲げて、それに向けた自己形成を目指すものが多かったが、今はナンバーワンからオンリーワンを目指す人が多くなっている。広い裾野の中にも光るものが有って、それだけでもミッションワークに成る時代のようで、個性を重んじるように成って来ている。天は二物を与えずと言うが、人には磨けば光りだす可能性がたくさん有って、努力の積み重ねが尊いもので、偏見の多い仮我・偽我に善我を育んで真我に至れば、光転する時を得られるのがこの現象界なのだろう。これから先に迫ってくるもののすべてがカオス・混沌としたもの、どう転ぶか判らないもので、自分の対応如何でその結果が現われてくる。そのための心得が必要になってくるだろう。型にはめず、押し付けず、その個性を生かすこと。何処かにその善意の生きる道を探して柔軟な対応ができること。どの道を歩もうと光明に導き、じっと耐えて待つことができる自分で有ること。自分の道を正当化せず自分の愚かさを知り、与えられた恩恵に感謝できる自分で有ること。意地を張らず、素直で謙虚にいつも成っていること。歩んで来た道に学び、業・カルマの修正浄化をしながら、それが智慧に成っていること。この忍土に生きるための、理想を求めて厳しい持戒があること。夢や希望に向けて理想をもって歩むこと。邪気を祓って、自分だけの都合を優先させず、いつも無私、利他の心でいることを自分は目指している。それが、発菩提心、修菩薩行なのだろう。 2015年3月6日 琢
2015年03月06日
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器の大きい人はかたよらず こだわらず とらわれず懐に深さが有る包容力と許す心が有る大きな理想と愛が有る視野が広く信頼が有る受容、受納の幅が広く不動のこころをもっているどんな場面にも冷静を失わず理性的な対応ができている多くの苦を理解して癒すことができる観える末路を防止する力をもっている場の空気を読み、センス有る接し方ができている自己顕示をせず、邪気を滅し、自己保存をしない人望はそういう人に集まる”人智を尽くし、人智を超える”潜在力を持つこと、それを目指して努力を怠らず、自分の生きる道を模索しながら、自分の中に潜在する答えを見つけ出すこと、それを使命・天職と思って悔いの無い歩みをしたいとみんなが思っているだろう。にもかかわらず、やること為すことに業・カルマが顔を出して障碍だらけの砂利道を歩いている自分に失望することも有るだろう。器の大きい人に成りたいとも思っているだろう。どんなことにも、かたよらず、こだわらず、とらわれない自分に成りたいと思う。懐が深く、包容力と許す心が有る。大きな理想と愛が有る。視野が広く、どんなこともそつなくこなし、違和感をもたせず、受容、受納の幅が広く、いつも不動の心に成っている。どんな場面に遭遇しても冷静を失わず、理性的な対応ができていて、周りの人々の多くの苦を理解して癒すことができている人。見える末路を防止する力をもっていて、場の空気を読んで、センス有る接し方ができる人。自己顕示をせず、邪気を滅して、自己保存に走らない人。そういう人に人望と信頼が集まるのだろう。自分もそう在りたいといつも思うが、まだまだ遠い存在で、今生では到達できない領域だと感じてしまうが、その方向の何処かに自分の使命を見つけ出して、不動の自覚をもちたいといつも願っている。人生は自分との戦いの場なのかも知れない。『克己』ができれば『浩然の気』に向いたいと願っている。『浩然の気』は孟子の言葉で、宇宙大自然と一体化する心境、のびのびとして安らかな心境。 2015年3月5日 琢
2015年03月05日
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感謝の念はやってやったと思う心には向けられない効果を求めれば恩着せに成る真心はさりげなく流れるものさらりさらりとした歩の中に気が付く恩恵が有る煩悩の都合の中には無く受けるものの心境の中に有るもの代償を求めれば圧力でしかなく書面にすれば義務に負われ”かけた情けは水に流せ受けた恩は石に刻め”恩返しは受けたものにするのでなく順送りで後進に向けるもの恩恵は神聖な仕組みだろう”ありがとう”は、心からの気もちで、恩恵を頂いた人や神仏の仕組みに対して言う言葉で、世の中を感謝の念で円く治める言葉だろう。試練多く、厳しく、貧しいときにこそ、忍辱に耐えて何かの恩恵に感謝するときに、拝むように出てくる言葉、念じる言葉なのだろう。何の不自由も無く、孤独感も無い、人気の有るときほど、人の好意や善意を粗末に扱ってしまうもので、ぬくもりを感じるとき、大慈大悲に包まれたときが多く、不遇なときほどその恩恵に感謝して神仏に恩返しをしたくなる。感謝の念は、してやったと思う心には向けられず、その効果を求めれば恩着せになってしまう。真心はさりげなく流れているもので、さらりさらりとした歩みの中に見出すもの、気が付く恩恵が有る。煩悩の都合の中には無く、代償を求めれば圧力でしかなく、書面にすべきもものではないだろう。”かけた情けは水に流せ 受けた恩は石に刻め”は、善光寺に有る石碑の言葉だが、忍土に生きる人々に向けた言葉だろう。恩は、直接的に返すものでなく、むしろ受けたものに返さずに後進に返すもので、順送りに成っているもの、人の世のぬくもりに、天・神仏に感謝しながら出す言葉が”ありがとう”なのだろう。言えと言うから言った”ありがとう”ではなく、心に感謝の無い”ありがとう”の言葉だけのものではなく、心の底から湧きだしてくるもので、恩恵は救われたものには神聖の仕組みと思っておく方がいいだろう。感謝こそ 道の極みと 仏道に菩提の心 にじみ出てこそ 2015年3月4日 琢
2015年03月04日
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弱気に成るとき迷い葛藤の末自分を卑下するようになる間違っていないことの確認とそれを信じる心が有れば諦めなくてもよいところで諦めず意志を突き通す気力と信念を歪めない強い心でそれが必然の仕組みと信じること打ち砕かれれば改めることその修正浄化をして何度も挑戦することでその一念が岩をも砕くときが来る他人の顔色を見るから見下されてしまう自分が信じられないときに、迷いや葛藤ばかりで心が揺れてしまう。無知や経験不足から、何の根拠ももてずに放棄したり諦めたりの歩みに成ってしまい、終いには何をやってもうまく行くはずが無いと自分を卑下するようになってしまう。出る釘は打たれると言うが、本物かどうかが試されたり、疑われたりするのは当然のこの世だと思っておくことが重要で、障碍や試練は必然的に来るものだと思っておけば、そこに自分を失敗から成功へ導くためのヒント・原因を見付けられるようになって、失敗の積み重ねから智慧を得た経験豊富な強い自分を引き出すことができるだろう。自分がやろうとすることには間違いは無いと信じきること、無私、利他の心で邪気を交えなければ、放棄したり、諦めたりする必要も無く、信念と共に自分の意志を突き通す気力を整えて、その成就が必然の仕組みだと信じきること、失敗で打ち砕かれても、その原因を探し出して修正浄化する成功への『呼びかけ』と思って、何度も挑戦すれば、その自分の一念が岩をも砕くときが必ずやって来るだろう。人の顔色ばかりを覗くことなく、自分の信念に間違いは無いと信じて、気力を整えておけば、心が安定して不動に成っているだろう。その表情は明るく、機嫌良く、いつも笑顔を保っている状態に成っているだろう。 2015年3月3日 琢
2015年03月03日
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人にはこだわりが有る深いところから湧き出させるもの競争心や意地を引き出させ厳しい試練をも超えさせる高い志についているものその人の主義やセンスを通じて出せるもの感動を与えるもの嫌われることを恐れていては何もできず勇気は裏付けと共に強く挑戦は根拠と共に突きを鋭くさせる強い意志がその人を動かし弱点を克服させて必然の成果を得るときが来る一念発起すれば、人は何でもできる能力を持っている。ただ、なかなかその気に成れず、勉強不足で、出来ると言う自信が涌いてこないもので、やらないうちからどうせダメだろうと、やれば出来ることまで引っ込めて身の安全を考えてしまう場合が多い。やらなければ何も生まれないことは重々承知しているがその勇気が出て来ないのだろう。日延べや先送りは禁物で、自分をダメ人間にする要因を作り出してしまうが、人にはこだわりが有って、深いところから湧き出してくるものをもっている。競争心や意地をも引き出させ、厳しい試練をも超えさせることも有る。高い志についているもので、その人の主義やセンスを通じて出て来るもので、他に不快を与える場合も有るが、感動を与えることも有る。嫌われることを恐れていては、何もできず、勇気は裏付けと共に強く、挑戦は根拠と共に突きを鋭くさせ、強い意志がその人ををうごかしている。失敗で弱点を克服させ、尚目的意識を失わなければ、必然の成果を引き出させるのは人の強い意志とこだわりの力が有るからだろう。為せば成る 為さねば成らぬ なにごとも成らぬは人の 為さぬなりけり 上杉鷹山 2015年3月2日 琢
2015年03月02日
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”きく”にはただ何と無く『聞く』耳を傾けて『聴く』伺って『訊く』自分に都合良く煩悩で聞けば真意を汲むことができず訪ねて訊いたことは残っている『聞くは一時の辱、知らぬは一生の辱』無知を補うものは六根を通して受け発信することで反応がわかる自分の間違いを知ることが出来る憶えたことは使わなければ劣化して消え去り繰り返さなければ忘却してしまう縁の有るものは忘れてもまた出会うその必然に気が付くことは重要なことだろう都合が良ければ自分の力だと思い、不都合な事態が起きれば自分のせいではない、不運だ、偶然だと思っているが、実はそれが偶然ではなく、必然の結果だと思うように成れれば、何故その結果が出たかの原因を自分の中に探すことができて、その原因に成った自分のいけなかった部分の修正浄化ができる。自分が知りたい情報や結果は聞くことから心の中に入ってくる。『きく』には、ただ何と無く『聞く』、耳を傾けて『聴く』、伺って、こちらから出向いて『訊く』ような聞き方が有る。自分に都合良く煩悩で聞けば、その真意を汲み取ることが出来ず都合の良いことだけしか残っていない。真剣に耳を傾けて聴くことで憶えることもできる。出向いて訪ねて訊けば、相手のしぐさや雰囲気と共に心の中に残っている。『聞くは一時の辱、知らぬは一生の辱』と言われているが、無知ほど自分を情けないものにしてしまうものは無く、無防備にさせ、やられっぱなしのサンドバックのような自分を見ることに成る。無知を補うものは、眼、耳、鼻、舌、身、意の六根で受けて、自分の心で受け止めた反応を返す発信で、外の反応が返ってくること。『色受想行識』、『受・発・色』をしながら今を生きる中で、多くの反応で試練を受けながら、それを単なる偶然と思わず、必然でおきたことと受け止めれば、自己検証をする内に、その原因が解って、『呼びかけ』だと思うことから自分の修正浄化が出来るように成る。学んだことは使わなければ劣化して消え去ってしまうし、繰り返し使うことで忘却を免れることに成る。この世には必然の仕組みが有って、縁の有るものは忘れていてもまた出会うことに成ることも有る。そういう必然に気が付くことは重要なことだろう。 2015年3月1日 琢
2015年03月01日
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