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学者や専門家の意見は参考にすべきもの中立的客観思考が無ければ自分の姿を観ることが出来ず業・カルマの修正浄化ができない事前に苦を味わうことに成るがことを為そうとすれば悔いを残さないためにも意見を求めておくべきだろう為すときに摩擦を少なくするためには改めるべきは改めておくこと願いの実現には不可欠のことだろう味方を増やすことより敵を少なくすることそのためには素直で謙虚であること偏った思考やこだわって意地を張って失敗した経験はみんな一度や二度は有っただろう。意地はその人を強くさせるものだが、間違っていることには意地を張らず、素直に謙虚になるべきで、それが人の器の大きさを示すことにも成っている。かたより、こだわり、とらわれの無いところに人の信頼が集まるもので、偏行が多ければ失敗も多く、角が立つとは円くなっていないことを言うのだろう。生まれたときには全くの無知から始め、勉強しながら成長するが、立てた願いを掘り進めるには、学者や専門家の意見を聴くことも必要なときが有るだろう。自分の欠陥を埋めながら、参考にすべきものや中立的客観的思考が無ければ、思い込みだけの自分の姿を観ることも出来ないだろう。何処にでも出てしまうのが業・カルマで、その修正浄化ができなければ、円く成れず、思わぬ障碍・試練に立ち往生することもしばしばだろう。苦しくても事前に整えておくことは、準備段階には必須のことで、ことを為そうとすれば悔いを残さないためにも、学者や専門家等の知識人に意見を求めておくべきだろう。摩擦を少なくするためには、改めるべきは素直に改めておくことは、願いの実現には欠かせないことだろう。味方を増やすより、敵を少なくすることで理解者が増えてゆくことに成るが、そのためにも懐を広くして、ただ素直で、謙虚であるべきだろう。 2015年4月29日 琢
2015年04月29日
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躾の大切さ身に付けておくものその意味は体験と共に解るその地の風土にも意味が有り準じて響働するときそのありがたさが身に滲みて懐かしい思い出としてもその地にしか得られなものに成っている人のこだわりに成る部分がその地では理解し合える地域ごとに躾が違っていても共生するために必要なこと反することは世間を狭くすることに成る仕来りに従うことは柔軟な心を育てることに成る育った環境の常識が地域によっては全く違う場合が多いが、その地での風土には合っているものが多く、一般的に不自然だと思われるようなことでも、その地ではそれが当たり前に成っていることも多い。仕草にも、国によっては正反対の反応が返って来る場合も多く、他地域を訪ねるときは、その違いを良くわきまえておくことが重要なことだろう。子供の教育は学問だけでなく、情操教育や躾が大切なことだろう。身に付けておくことが大切で、時として命や自分の身を守ることにも成るだろう。その意味は体験と共に解って来るもので、その地の風土にも意味が有って、それに準じて響働するときに、そのありがたさが身に滲みて、懐かしさと共に別の地域にいれば良い思い出にも成っている。その地でしか得られないものに成っていて、それが育ったもののこだわりにも成っている。その地では理解し合えるもので、地域ごとに躾が違っていても、決め事には従うことの大切さ、順応することの大切さを覚えながら、共生するためには必須のことにも成っている。それに反することはその社会を乱すことにも成って、世間を狭くしてしまうことも多い。会津の什のおきてのように”ならぬことはならぬものです”がその地の品格にも成っている。秩序、法,仕来りに従うこと、社会を乱さないこと、その枠の中でその条件、制約に従いながら自分の個性を延ばしてゆくところに人間としての味が出て来るもので、強いては柔軟な心を育てることにも成るだろう。 2015年4月28日 琢
2015年04月28日
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魅力を何処で感じるか先ず表層を見て仕組みや縁が有れば深層に掘り進み内容に共通する部分で接し方が能動的に成る目標や目的に向けて響働できれば交友の絆が深くなって同じ方向への良き縁に成り合える心の趣きに安心感が出て来て方法的懐疑が解消すれば迷いが無くなって人智を超えることが出来るはじめは誰でも自信が無いのは当然で、失敗を重ねるほど目処が立ってくる。何でも始めての事をするときは不安や迷いが有ってもおかしくは無い。意志を強く持ったものには何度でも挑戦しながら本質に触れられるようになるもので、弱気に成ったもののすべてが頓挫してゆくのは、自分の中の何かが足らなかったんだと思えるようになることで、自分のためにやることよりも、自分以外の何かのためにと思うほど強くなっている自分に気が付くことが出来る。やろうとすることの魅力を何処で感じるか、まじ表層から気が向いたものに取り組んだことに何かの仕組みや縁が有れば、深層に掘り進み、その内容に共通する部分で接し方が次第に能動的に成ってくる。目標や目的を設定し、縁有る仲間や同志と響働出来れば、交友の絆が深くなって何倍かの力を出すことが出来るだろう。同じ方向への良き縁に成り合うことで、信念や心の趣きに安心感が出始めて、疑問に思うことのほとんどが解消すれば、迷い、葛藤が無くなって、強い心で突き進むことが出来るようになって、人智を尽くすことから人智を超えるところまで進むことが出来るだろう。気力を整えて準備を怠らず、前向きな姿勢を崩さずに、人事を尽くすことが出来れば悔いを残すことには成らないだろう。未練が強いほど執着して、怠惰が悔いを多くさせて成仏できなくなってしまうのだろう。 2015年4月27日 琢
2015年04月27日
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天体と地上現象人は未来を見ることは出来ないが時と共に移動する星の周期宇宙の慣性の法則から常に同じ軌道を描く星四季の移り変わり星の位置そのときの地上現象から周期的現象が読み取れる天文学、考古学統計学によって地上現象の周期を予測できる易学もそこから発展して自然現象と個々の人生の予測が出来る人は霊的能力がなくても、永い間での人やものの傾向を知ることで、先を読むことが出来る。ルーツを辿れば過去と今の傾向からその延長線上の未来を推察することが出来る。1300万年前に人類が発生したと言われているが、海から陸に上がって肺呼吸をするようになったと言われている。どのあたりからは分らないが、洞窟の穴で暮らし、狩猟をして植物と共に食を支えていたのだろうが、毎日天体を見ていたのだろう。考古学で遺跡を発掘して見れば、今の科学から見ても理に叶ったものを発見出来る。天体と地上現象の周期を見れば、時と共に移動する星座、常に同じ軌道を描いている星から、宇宙の慣性の法則を知り、四季の移り変わりや星の位置を見ることで、そのときの地上現象から、先の周期的現象を読み取ることが出来る。天文学や考古学に統計学を併せれば、地上の周期的現象を予測することが出来る。易学も統計学・データー学で、個々の人々の先を予測することができる。時と共に変化するものでも一定の傾向が有って、そのままで進む先を推測することが出来て、このままで行けば末路はこうなると言うことが読み取れて、自分を変えることができれば運命を変えること、未来を変えることが出来る。時代の変化に自分も合わせながら、今のカオスにどう対応するかも、選択肢の選び方や対応の仕方に、自分主義としての”どうあらんとするか”が必要で、どう生きたかは、身の周りで自分を見ていた縁有る証人・あかしびとによって語り継がれることに成るのだろう。 2015年4月26日 琢
2015年04月26日
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四つ葉のクローバーは邪気の有るときは見つからない探しても手応えがないとき欲を捨ててみる無邪気にじっと見つめていれば”ここよ”と見えて来るヒントは何処にでも転がっていて視点を変えてみれば気分転換と共に発想の転換も出来る縁有るものは思っても見なかったところから期待とは違うところから仕組まれたように現われて来る普通の人には霊的能力は皆無だと思っておく方が良いだろう。なまじっかちょっと見えるときほど危ないものはなく、調子に乗って見世物にしたり、お金にしようとすれば、その確率の悪さに失望するのが落ちだろう。それだけならまだ良いが、間脳・霊道がちょっと開けば先見能力や予知能力、洞察力の片鱗が見えるときも有って、超能力だと好奇心の的で人気が上昇するが、反面悪霊や憑依霊が入る隙間が出来たために取り付かれて苦しむ結果を引き起こす。そんな能力に期待をしない方が良いだろう。四つ葉のクローバーは、幸運や幸せの象徴に成っているが、邪気の有るときには見つからず、無欲な心境でじっと眺めているときに”ここよ”と見えて来るもので、愚かさの自覚が出来れば、自分でもくろんで思い通りに期待するものが得られるとは思えなくなってくるだろう。視点を変えてみたり、気分転換やチャンネルを変えて発想の転換が出来たときには、努力して積み上げてきたものが開花する相応の良き縁が、思っても見なかったところから、期待とは違うところから現われて来る場合が多い。自分は勘が良いと思っていても、それを自慢しないこと、足るを知ること・分相応を知ること、有頂天に成らないように戒めておく必要が有るだろう。幸運や幸せは、ショーペンハウアーの言うように、思うところにはないと思っておく方が、期待が外れてどつぼに落ちずに済むのかも知れない。それはある日突然に仕組まれたように現れてくるのだろう。原因と結果の法則を知っておけば、人事を尽くしたところには相応の果報が必然的に得られるもので、短気を起こさず、焦らずに堂々と自信をもって歩むのが良いだろう。欲界の煩悩を極力抑える精進と戒めが必要だろう。 2015年4月25日 琢
2015年04月25日
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行き詰まったときには一度自分を無くして見る何に凝り固まっていたかとらわれを外してみれば今生きていることに感謝できる見栄や体裁で張っていた意地これからどう生きるか何処から立て直すかが観えて来る落ちたとこから這い上がる先ず、食べることから向うべき方向へとらわれから解放されるとき清々しい気分に成れる正気に返れば、何でこんなことにひっかっていたのかと思うことも有っただろう。あの時、思い止まっていて良かったと思うことも、失敗したあとであれがいけなかったと思うことも有っただろう。人に言い訳をしようと自己正当化しようと、自分に嘘はつけず、自分のいけないところには気が付いている場合が多い。素の自分には良心と理性が有って、分っていながら留めることが出来ずにやってしまうことも有る。そこには周りの何かに対する甘えが有って、これくらい許してくれるはずだと傲慢な自分に負けているときが有る。行き詰まったときは、一度そういう自分を無くして見ることも必要だろう。何に凝り固まっていたか、とらわれを外してみれば、正気に戻ることも出来て、今生きていることだけでも幸いだったと感謝することができる。思えば、思慮の浅い、見栄や体裁が有ったのかも知れないと素直な自分に成ってみれば、何であんな意地を張っていたのかと恥ずかしい思いが湧き出してくるだろう。改めること、修正浄化することができれば、何処から立て直すか、これからどう生きるかも見えてくるだろう。先ず、落ちたところから這い上がること、その気力、勇気を出すこと、そのためには体力の回復のために食べることから始めて、良く見極めてから向うべき方向へ、自分を整えてゆくために、今までのとらわれから自分を解放することで、決心が固まれば、清々しい気分に成れて、明るい気持ちが湧き出して笑顔さえでてくるだろう。 2015年4月24日 琢
2015年04月24日
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三つの自覚忍土の自覚、愚かさの自覚、恩恵の自覚思い通りに出来る人は一人もいない世の中は自分だけに厳しいのではない生まれた時から優秀な人は一人もいない無知で生まれ馬鹿を見るために生かされている無駄なものは一つもなく何かを気付かせようとするもので生きていること事体がありがたい楽しいことに感謝してうれしいことに有り難く感謝すれば明るく機嫌良く成れるし人はみな歓んでくれている反応や評価、代償にとらわれないこと無知から始めて成長と共に智慧をつけてゆくのが人生だが、その智慧を何のために使うのかが分らず、先の保障も無い歩みの中で暗中模索しながら、迷い、葛藤の連続で自分の無力を思い知らされる歩みを重ねることから何かに気付きながら不動の自覚が出来上がってゆくのだろう。いつも思うのが三つの自覚で、生きている以上この自覚だけは付いて回っている。忍土の自覚は思い通りにならずことごとく厳しい結果を与えてくれる仕組みがあること、無知が如何に不便なことか、不完全な、未熟な自分に必然的に与えられる仕組みにも気が付かず、神仏さえも疑ってしまう愚かさの自覚、気付き、覚醒させるために必然的に仕組んでくれている、救いの手を差し伸べてくれている恩恵が与えられていることの自覚が出来て、それに感謝することは、素直に謙虚に成るために与えられている自覚だろう。世の中は自分だけに厳しいものでなく、等しく与えられる相応の四苦八苦に耐え忍ぶことから、その歩みの中から自分が生まれてきた意味や使命を思い出すための冒険の旅が、その約束してきた使命を果たす旅が、人生行路なのだろう。障碍や試練に無駄なものはなく、欠点を改めるために必然的に与えられるもので、未練を残さないための呼びかけと思うことが出来れば、生きていられること事体が有り難いことだと思えるようになるだろう。楽しいことに感謝し、嬉しいことに有り難く感謝できるようになれば、明るく機嫌良くしていられ、それを見る人たちがみんな歓んでくれている。反応や評価にとらわれず、思いやり気配りをしても代償を求めず、ただ今を決然として生きることだろう。かけた情けは水に流せ 受けた恩は石に刻め 長野県善光寺の石碑の言葉 2015年4月23日 琢
2015年04月23日
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神経症は安堵を失うとき自律神経がバランスを崩したとき制約、条件の枠内で起きる意識の中で枠を恐れるとき自己を開放できないとき考えるのを止めなさいと言う比べる心を捨てること普通でなくても良いと心で思い迂闊な行動をしないことそれでも常人と変わらないと思うこと精神的休息を要するときで自己否定しないこと心の問題は採血しても異常は見当たらない先ず自分を解放して上げること受験のときや社会の荒波に接したときなどに、まだ未熟だと自分がみすぼらしく思うようになって、二見で見ることから劣っている自分を見つめてダメな方に追いやってゆくことから神経症が始まる。葛藤が増えてちょっとした失敗を許せず、どんどん自分を責め続けてバイオリズムの下降線をもっと下げていってしまう。心が安定せず、迷いばかりで、この先どうなるのかと不安に覆われて、そこから逃避したくなって来る。神経症は安堵の心を失うときが多く、自律神経がバランスを失って、自分の体にまで不安をきたし、自分を毎日眺める様に成ってしまう。条件、制約を圧迫と感じる時から、それについてゆけない自分に失望し始めて、マイナス思考に成ってゆく。自分を明るく開放できないときには考えるのを止めなさいと言う。比べる心を捨てなさいと言う。普通でなくても良いと心で思うこと。他人には普通に映っているもので、口に出さなければ誰もわからない。自信なさげな行動を取らなければ、自分で自分を落としこめることもない。それでも常人と変わっていないと思うこと。精神的休息を要するときだと冷静に思うこと。決して自己否定をしないこと。心の中のことは健康診断を受けても異常は見当たらず、単なる迷いとしか言われない。成った人にしかわからないことで、体を動かす体操やスポーツ、好きな趣味などの気分転換をして、明るい方にチャンネルを変える転依をしながら、全く違う発想に転換するのが良いだろう。先ず、自分を解放して上げることが必要だろう。 2015年4月22日 琢
2015年04月22日
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うつ病は条件、制約に真面目すぎて義務感と圧迫感の中で過剰な神経質と共に自分を責めること、いじめることから自分をダメにしてゆく状態で他の期待に応えられず自分を追い込んでやり場のない状態励まされ、同情されるほどダメに成ってゆく錯覚、妄想、放心状態に陥り自分の存在を否定し始める生きる気力を失った状態で転依して自分を解放してあげること他の評価を気にせずにいい加減に成ること明るい方を見ること自律神経失調症からうつ病に成ってゆくさまは、律儀に生真面目にすべてのダメな要素を自分に見付け出して、その責任を自分に取らせようと、こと有るごとに自分をダメな人間にしていって、自分の可能性を否定してゆく過程で、神経のバランスを失って、自分を閉じ込めてゆくために、雨のときや狭いところや地下に降りたときなどに恐怖感で押さえ込まれたように成ってしまう。食事は喉を通らず、飲んだ安定剤まで水ごと吐き出してしまう、のどが締め付けられて、人に会うことを避け、吐くことの恐怖感から食べることさえ受け付けなくなっている状態に成っている。誰にも有る条件や制約を自分にとっての義務感や圧迫感で覆い、過剰な神経質と共に頭を抱えた状態に成ってしまう。自分を責めること、いじめることから、自分を見失ってゆくさまで、真面目な分だけ、他の期待に応えられず、自分を追い込んでやり場のない状態に成ってしまう。励まされるほど、同情されるほどダメに成ってしまい、錯覚、妄想、放心状態に陥っている状態で、終いには自分の存在まで否定してゆくことに成る。生きる気力を失ったような状態で枠や摂理に合わせようとするほど外れてゆく状態で、そこから抜け出すにはいい加減な自分に成ること、転依してチャンネルを変えること、気分転換をして自分を解放して上げること、他の評価を気にしないことで、明るく機嫌が良くなる方に心を向けること、周りの人々の理解が必須だが、特別視せず、そっとしておいてあげること、そっと自分の必要性や、ここがその居場所だと居心地を良くしてあげることが良いだろう。 2015年4月21日 琢
2015年04月21日
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観自在には規範が有る抽象的規範と具体的規範カオスを前に取る行動に自分の思想、主義、哲学が流れ根底には愛・菩提心が有る本音と建前に一貫性を持たせるものどんな事象への対応にもその人の選択に一定の傾向が有る言い訳、こじつけ、正当化は不要で他の理解に委ねるもの自分に悔いが残らず不動で明るくしていられるものその信念の元で機嫌が良いことそれが使命を果たす条件だろう先が見えないから疑問を感じながら、迷い、不安を感じながら手探りの歩みをしているのが殆んどの人たちだろう。生まれたときは全くの無知で、それぞれ与えられた条件、制約の中での生い立ちの影響を受けながら人は成長してゆく。同じことにもそれぞれが全く違う受け止め方をしながら、社会の中ではしきたりや常識が有って、土地柄や時代の変化に自分を合わせなければ生きてゆけないのがこの忍土の現象界だろう。それぞれの観自在にもそれぞれの規範が有って、抽象的なものと具体的なものが混在している。カオスを前に取る行動に、自分の思想や主義、哲学が基本線上に有って、本音と建前に一貫性を持たせるもの、どんな事象への対応にも、その人の選択には一定の傾向が有る。言い訳やこじつけ、正当化は不要で、他の理解に委ねて自分には悔いが残らず、不動の心でいつも明るくしていられるもの、その信念の元で機嫌良くしていられるもの、こだわり、かたより、とらわれと言われようと、誰がなんと言おうと自分がこうあらんとすることを貫けること。それが使命を果たせる条件だろう。 2015年4月20日 琢
2015年04月20日
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好奇心は自分の知らないものに自分に無いものに常識の異なるものにもっと知りたいと思う心異なるものに惹かれる心無知を埋める知識欲で人の歩みに大きく影響している尽くされていないからこその心で学びを網羅したいと思う心単なる表層だけでなく深く掘り進めて得られるものその共通点を極めることから信念は更に強固に成ってゆく人の興味はそれぞれ違うものに向くもので、前世から持ってきているものや生い立ち・基盤に関係の有ることに魅力を感じて、好奇心がもっと知りたいと思う心を起こさせるものだろう。好きこそものの上手なりと言うが、興味が有るもの、好きなもの、心の趣くものに自分の夢や希望を重ねながら掘り進めようとする心をみんな持っている。嫌なものに楽しみはなく、詰まんないと思うものに興味が涌かないだろう。好奇心は自分の知らないものに、自分に無いものに、常識の異なるものに、もっと知りたいと思う心で、異なるものに惹かれる心だろう。無知を埋めようとする知識欲だが、一度掘ってみればその先を知りたくなってとらわれてゆく心が有って、人の歩みに大きく影響してゆくものだろう。尽くされていないからこその心が有って、それを網羅したいと思う心、執心する心は、単なる表層だけでなく、深く掘り進めて得られるものを求め、納得が行くまで追求したくなる心が、その根底に横たわっている共通点・哲学を極めようとさせるものだろう。その領域に近くなるほど、信念は更に強固なものに成ってゆき、そこに自分の生まれてきた意味や使命を重ねてゆくことに成るのかも知れない。それを見ている家族や友人、知人の同伴者がその人の証人になって、その人がどういう道を歩んだかを見届けてくれるのだろう。戒名にはそれを一文字にして入れてくれるもので、俗名の一文字と合わせて表示されている。戒名を見ればその人がどんな歩みをしたかが分るように成っている。 2015年4月19日 琢
2015年04月19日
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出来たものを維持すること変化に合わせてどう耐えて対応できるか歴史の変遷が物語っているあらゆる変化を視野に入れて守りの弱さを知り攻めの脆さを知り不動を求め時の流れに合わせて過去に学びながら過去にとらわれず常に新しいものをつくることその中に不変のものが有る無知から始めて、多くのことを学びながら足らないところを埋めてゆく、歩む道で体験しながら応用することで身に付いたものにしながら、歩むべき道を探し求めている。夢や希望が有ることで、目標が出来て、その実現に向けて歩んでゆくのが冒険のようなものだが、自分の中に有るもの、持ってきているもの、それが何か、自分の天職は何だろうかを探し求めるのが人生行路なのだろう。そうしながら出来たものを、自分を維持するために時の流れと共に変えてきたものを、カオスに臨場する中でどう対応させられるかでその人の歩んだ道が観えて来る。耐え忍んで来たものも、歴史・過去の変遷が物語っている。あらゆる変化を視野に入れて、末路を考えながら、守りの弱さを知り、攻めの脆さを知り、不動を求めながら、時の流れに合わせて自分をどう変えてゆくかの智慧を備えてゆくこと。過去に学びながら。過去にとらわれず、人智を尽くして人智を超えることから、常に新しいものをつくり出そうとする中に、宇宙規模の不変の心境に至ろうと、樹木の年輪のように、その積み重ねをしているのが、人の歩む道だろう。人の世は 必然の道 天の道歩むべき道 辿るべくして 2015年4月18日 琢
2015年04月18日
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酒の醸造と同じように寝かせること熟成を待つことの大切さ思いつきや発明を醸し出すときに待つことの大切さ発想の転換をしても様子を観ること良い種・因も良き縁と共に芽を出し始める短気を起こさず、焦らないこと、急がないことすぐに完成するもの無く自然の摂理に従うこと突然変異にも時を要する失敗したとき、その原因の中によく有ることは、趣旨が良くても手順の間違いや、待ってあげることが出来ず、結論を急いだり、焦ったりして、折角のチャンスが有っても自分の短気でぶち壊していることがよく有るだろう。末路を考えてみもせずに、無闇に強気を押し通そうとする、速く思い通りの結論に導こうとする、未熟はいまだ熟せずで、その前に先に甘えを出してしまったための失敗も結構多い。酒の醸造と同じように、出来たと思っても寝かせること、熟成を待つことの大切さを知ることだろう。思いつきや閃きなどから発明を醸し出すときには、急がず、焦らずに待つことの大切さが有る。開花させる因縁果報にも、発想や因の転換も、様子を見ながら念ずれば花開くで、良き縁が整うまで待つこと、時の変化と共に芽を出し始める状態を見守ること、短気を起こさず、焦らないこと、急がないことの必要性を知るにも過去の智慧【失敗でで得た智慧、耐え忍んで超えてきた智慧】を生かすことが大切なことだろう。すぐに完成するもの無く、自然の摂理に従うこと、突然変異にも時を要することを知っておくこと。足るを知ること、強欲を出さず、恩着せをせず、かけた情けを水に流し、受けた恩は石に刻む、その仏性に敬意を祓って、感謝を絶対に忘れないこと。善意や好意の恩恵には感謝の意を言葉にして伝えることの重要性、そういう恩恵を絶対に粗末に扱わないことが日常の心構えに、念頭に置いておくべきことだろう。感謝こそ 道の極みと 仏道に菩提の心 にじみ出てこそ 2015年4月17日 琢
2015年04月17日
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了解をとるとき納得してもらうとき認めてもらうとき賛同してもらうとき自分がしようとする前に丁寧に説明をすること目標に向かうために必要なこと周りの理解と支持は恩恵で恩恵の上に道は成り立っている自分一人でやっていると思うのは大きな間違いだと知っておくこと共生する社会に必要不可欠のもの他の協力無しでは何も出来ない自信過剰に成れば、思い込み、幻覚、錯覚が多く、和やかに会話しただけでもう自分のものだと思ってしまう場合が多く、過信からすべてが都合良く自分の思っている通りに進められると思ってしまう。強引に引っ張ろうとしても人は選ぶ権利があって、従うかどうかの意思決定は自分にはなくその人の思い方次第で決まるのが常識だろう。何かをしようと思えば、周りの理解と協力が必要で、自分一人で出来ると思えば感謝の念も無く、都合の良い人だと周りに疎まれてしまうだろう。了解を取ろうとすれば、納得してもらおうとすれば、認めてもらおうとすれば、賛同してもらおうとすれば、必ず経なければ成らない手順が有る。自分がしようとする前に、あらゆる視野に立った上で周りに迷惑に成らないこと、矛盾がないこと、やることの意味を理解してもらうために丁寧に説明することは大切なことだろう。成就させようと思えば、周りの理解と支持は必須の恩恵で、感謝して敬意を表することを決して忘れないこと、恩恵の上に道が成り立っていることの自覚を持っておくことが重要なことだろう。自分一人で出来たと思うことは大きな間違いで、共生する社会には絶対に必要不可欠のものが、他の協力で、自分の愚かさを知るほど、経験を積むほど思い知らされた自分の無力を補ってくれる縁の大切さに感謝の念でお応えすることが人の有るべき姿だろう。孤立、孤独を感じるときには何をする気にも成れないだろう。何かをしようとすれば、味方を増やすことも大事だが、敵を少なくする方がもっと大切なことだろう。 2015年4月16日 琢
2015年04月16日
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チャンスを幾つものがして来ただろう観えていないから必然の縁との出会い因の転換それが観えれていればもっと有効な道が有ったかも知れない歩みには無駄が多いものの無駄と思うものもどこかで生きているチャンスを逃すのも必然つかむのも必然観えないのも必然完全でないから転生して来る人生とはそういうものだろう無知と忘却から始まって、手探りの歩みを重ねる。思い方次第でその心境が表情に出たままの歩みに成ってしまう。楽観的な歩み、悲観的な歩み、明るい笑顔の歩み、暗く悔いの残る歩み、同じ時の歩み方次第で、心の持ち方次第で咲く花も違ってくる。良い種を地中に埋めて水をやれば、日の光のほうを向きながら芽を出して綺麗な花を咲かせる。自然の摂理は必然の因縁果報で、それは何にでも当てはまっている。思わしくない結果が出れば、それは必然の原因と結果の法則にしたがっているもので、その原因を正すこと、修正浄化することで、同じ苦を繰り返さなくなって、因・心・種の転換を試みることから納得できる花が咲く。自分の歩みを振り返れば、チャンスを幾つも逃して来ただろう。それが観えなかったから、必然の縁との出会いとも思えなかったから、他人のせいにしてその原因の修正浄化をして来なかったから、もっと有効な道が有ったかも知れないと思ったことも有った。今思えば、歩みには無駄が多いもので、それに気付くことで修正ができる、何度も同じ失敗を繰り返さなくて済む、無駄と思ってきたことも、夢や希望や忘却していた使命の自覚、ミッションワークのどこかで生きていることを、無駄じゃなかったと思えるように成っている。チャンスを逃すのも必然、つかむのも必然、観えていないのも必然、、人間は一転生では完全に成り得ない必然が有るから転生して来ている。人生はそういうものだろうと思うように成っている。悟らんと 重ねた無駄も 気が付けばあれも我が道 これも我が道 2015年4月15日 琢
2015年04月15日
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人は生きるために働く夢や希望が有ればその分野に向かい、関わりを深める専門分野の集団に入り協力者や仲間との縁を結ぶ他の友は別の縁を結び共に進化してゆく人の交友はそういうものでその集団を動かすことが目的でなく人それぞれの特性を分担し合っているそこでの邪気や身勝手は許されず暗黙の紳士協定が有って信頼関係で成り立っている生きていれば歳と共に、その地や人間としての常識が身に付くようになって、その上で信頼関係が暗黙の常識として、紳士協定のようなものを根底に、縁の有るもの同士が寄り添って生きている。類は友を呼ぶと言うが、思考の組み立てが同じような人が寄り添うもので、全く常識の違う人との交友は、気を使うばかりで疲れてしまうから敬遠してしまうのだろう。衣食住は生きるための三原則で、そのために人は働いているが、仕事に人生の目的が同居している人と、夢や希望を別に持っている人が有るだろう。仕事は分業していても、人脈・交友の関わり合いは、友情や絆で結ばれていて、協力者や仲間の縁として、互いの願いが達成できるように、良き因縁側の関わりを持っている。人生の目的が別に有っても、生き甲斐が別のものでも、交友は親しく保たれている。仕事とは別の集団で学んでいても、その集団を動かすことを目的にしなくても、専門知識を掘り下げたり、関わり合い・人脈を広げることで、自分の願いや使命を果たすための、協力関係を分担し合っている。そこでの邪気や身勝手は許されず、暗黙の、口に出さない約束が出来ているような信頼関係で集団が成り立っている。常識、良識有るものとして、口に出さなくても認め合える関係、そこに信頼関係が結ばれて、それぞれが相互にその期待に応えようとしているのが社会で、そこでは善意が基本でみんなが人生を歩んでいる。そこで広い愛,菩提心を育んで、それぞれがミッションワークに就くことができるのが、みんなが求める社会だろう。 2015年4月14日 琢
2015年04月14日
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目指す至福に無欲な心欲を出せば無理をする目標が無ければ流されるただ素直に、謙虚に成って重ねた日々の努力は必然の果報で実を結ぶ黙々と耐え忍んだものは願いを引き寄せる理論は単なる裏付けで実行有るときのみ幾つもの山を超えた先に意識の忘却、喪失が無い限り想いを果たすときが来る心の根拠は魂に潜在しているもので、胎児のときに入った魂の中に有る意識の蔵の中身が何で有るかを思い出すほどに、願いに向けての歩みが確かなものに成ってゆく。人は真っ白な状態で生まれ、育つに従って無知を埋めてゆくものだが、勉強したものを実践して体験したことが智慧に成ってゆき、自分が何をしたいか、何をすべきかの使命のようなものを少しずつ思い出してゆくもので、夢や希望の先のものを目指すと共に過去の歩みから自分が何をしにこの世にやってきたのかの自覚が出来るようになってゆく。前世から持ってきた宿題のようなものが潜在しているのが魂の意識の中に潜在していて、それを思い出して実行するのが与えられた人生だと言われている。はっきりと見えていないままに求める至福には、無欲の心で臨み、欲を出せば無理をして信頼を損なうものと思っておく方がいいだろう。夢や希望の目標は持っておくほうが良く、場に臨んでただ流されてしまうより、素直で謙虚に成って、目標に向かう強い意志を持っておくことが重要だろう。重ねた日々の努力は、必然の果報で実を結ぶもので、黙々と耐え忍んだものは、必ず願いを引き寄せてくれるだろう。評論的な理論は単なる裏付けで、実践、実行あるときのみ、幾つもの障碍、試練の山を超えた先に、忘却していたもの、喪失していたものを思い出して、間違いなく自分がこの世でやらなければ成らないことが見えてきて、その自覚を持つようになれば不動の心に成っているだろう。そうして見えなかった想いを果たすときが来るのだろう。 2015年4月13日 琢
2015年04月13日
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違和感を感じるときその原因を考える表層だけを見ず深層を探ってみること雰囲気を壊さず空気を読むことに慣れれば自分の居場所が与えられる人の世はそういうもので和を第一義にすれば摩擦は少なく他の協力も得られてその恩恵に感謝が有れば自分の存在が認められる違和感の無いところに自分の居場所が在る集団の中で、何か心が落ち着かず、孤立したかのように話す相手が見つからず、周りの空気も気まずいような感じがするときが有るだろう。そういうときには自分の表情が硬いか、難しい顔をしているか、心の中が批判的でしらけたような場合が多く、周りにその心を見抜かれているときは警戒されている場合が多い。どんな場合でも、集団に入れば、明るく穏やかで柔和な表情をしている方が良く、とっつきやすく、人懐っこい表情の方が周りに溶け込みやすいだろう。臨場して違和感を感じるときは、その原因を良く考えてみること、表層だけでなく深層をよく観ることが重要で、空気をよく読んで雰囲気を壊さないように心がけることは大切なことだろう。陰気で上手く話ができない人も、自分を変えてみようと努力する姿は必ず誰かが見ているもので、何度も試みるうちに慣れてきて、顔見知りに成れば、次第に会話も合わせることが出来るようになって親しみも増して来るだろう。自分の居場所は、認知を受けることで与えられるもので、和を第一義にすることで、摩擦も少なくなって、他の協力も得られ、その恩恵に感謝することで、なごやんだ心から笑顔も出てくるだろう。自分の存在が認められることから違和感が無くなって、周りの雰囲気も和らいでくれば、そこに自分の居場所が有るのだろう。いつも相手の側でものを考えていれば、その苦を理解することも出来て、許容範囲も広くなって、摩擦が少なく、違和感を感じることも無くなるだろう。 2015年4月12日 琢
2015年04月12日
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思い通りにできたとき誰かの協力、遠慮で成り立っている生き方の違う人々の中で不随が当たり前だが行きたい方向には進める交差するときが問題で摩擦を少なくすること無私、利他でも方向性は出せるそこに経験と智慧がものを言う意地を通せば道理が凹む甘えは何度も通用せず違和感が有れば改める三歩進んで二歩下がる下がる屈辱も一歩は前に行ける人の世はそういうものだろう上手くことが運ぶときほど気をつけた方がいいだろう。上手く行かないのが普通で、都合よく行くほど落とし穴が待っているもので、この忍土の世ではそれを勉強するために生まれてきたようなものだと思って置く方がいいだろう。とんとん拍子ほど危ないものは無く、石橋を叩いて渡るくらいの方が転ぶ回数が少なくなる。もし、思い通りにことが運ぶことが有れば、運が良かっただけではなく、自分以外の誰かの蔭の協力や愛ある遠慮のお蔭で、決して自力だけでうまくいったなどと思わないことだろう。それぞれが違う生き方の人々の集団の中で、障碍や試練が有っても自分が向かおうとする方向へは進むことができる。それだけでもありがたいことだと思って、自分の意志と気力だけは整えておくべきだろう。交差するときが問題で、摩擦を少なくするには、いつも相手の立場を考えながら、思いやり、気くばりをしながら、無私、利他の精神で歩んでも自分が行きたいと思う方向性を出すことが出来るだろう。そこに経験と智慧がものを言うもので、意地を通せば道理が凹んでしまい、甘えは何度も通用しないことをよく承知しておくことが重要だろう。もし、違和感が有っても、その原因を探して少しでも自分の改めるべきところが有れば、素直に改めておくことが、先の障碍を少なくする唯一の方法だろう。三歩進んで二歩下がる、急がず、焦らず、コツコツと亀のように前に進むことが大切なことで、下がる屈辱は有っても一歩は前に進んでいると、着実な歩みをすること、人の世に住んでいれば、それが覚者の智慧だろう。 2015年4月11日 琢
2015年04月11日
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人は仮我・偽我そのやることは遍行そこから学び始めるいつも戒めて置かなければ障碍や試練の元をつくり出す途上での修正浄化が智慧に成って次の備えに成っている思い通りに成らない自分の愚かさを知れば自分の都合だけを優先せず自己管理をすることで快苦だけの判断でなく、苦から学ぶことが多く快は期待できないものと思っておけばたまに頂く快に感謝ができてそのために頑張ろうと思うことも出来る苦を忍土の常と自覚して慣れてしまえばたまに来る快に本当の歓びを感じるだろう自分のしたことが人の役に立っていれば嬉しく思うのは誰にもあることだが、人にしてもらうことばかりでは、はじめは満足感や幸せを感じるときが有っても、何の役にも立っていない自分に腹が立つようになって、不機嫌に成ってしまうだろう。人は生まれたままでは無知で、仮我・けが、偽我と言われ、何のために生まれてきたかも分らないまま手探りの歩みから始め、そのやろうとすることは遍行ばかりで、他に迷惑をかけたり、ひんしゅくを買ったりで、いつも自分を戒めて置かなければ、進もうとする先の障碍や試練の元をつくり出してしまう。歩む途上での修正浄化が智慧に成って、学んだことを実践して体験することが次の備えに成ってくる。何をやっても思い通りに成らない自分の愚かさの自覚ができれば、素直に、謙虚に成ることができて、自分の都合だけを優先することをせずに、自己管理ができるようになれば、快苦だけを判断基準にせずに、苦【嫌で気が進まないこと】から学ぶものの多いことに気が付いてくるだろう。快【気分が良く心地が良いもの】は期待できないものと思っておけば、たまに頂く快に感謝することが出来て、その嬉しかった快のために頑張ろうと思えるようになるだろう。苦を忍土の常と自覚して慣れてしまえば、苦を恐れることも無くなって、強く生きるように成れて、たまに来る快にはご褒美を頂いたような嬉しさと、またそれをいただけるように頑張る気力が出て来て、いつかもっと大きな願いを達成できるように成れるだろう。 2015年4月10日 琢
2015年04月10日
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仏教は『無』を教えているそう思うのは間違いだと言う『有る』ものは有るそれにかたより、こだわり、とらわれるそうならないような広い心に成ること 人間は有情、植物は無情『有る』状態を意識しなければ『空』に成る色即是空 空即是色邪気も『有』の状態意識から外せば『空』に成る自己顕示欲、自我我欲、自己保存が有るからそれを外すとかたよらず こだわらず とらわれずひろく ひろく もっとひろく なれる仏教では煩悩の有りや無しやを判断基準にしている。有る状態を『う』、『有情』・うじょうと言い、無い状態を『む』、『無情』・むじょうと言って区分している。生きとし生けるもの・プドッカラと言って有情、アヌッサヤ・植物は無情としている。人や動物も生きている三分の一は寝ているもので、寝なければ死んでしまうように成っている。それも煩悩だとし、論争に成っているのは、いねむり・ずいみん・隋眠は有情か無情かで、今のところはノーカウントとして扱っていると言う。お経の中に『無』と言う字が多いから、仏教は『無』を教えていると思う人が多いそうだが、そう思うのは間違いだと言う。『有る』ものは『う』で、それにかたよる、こだわる、とらわれるこころが有って、そうならないようなひろいこころに成ることを勧めている。『有る』状態を意識しない状態が『空』で、存在を主張しない状態だが、有るものは有る状態で、色即是空、空即是色と般若心経に説かれている。邪気は煩悩『有り』の状態で、自分の都合も意識から外せば『空』に成る。動物と違うところは人間の脳は新皮質脳で同族同士の殺し合いをやってしまうこと、その原因は、与えられた新皮質脳には、自己顕示欲、自我我欲、自己保存が有るからで、それを慎むことを勧めているのが仏教だろう。それを外すことが出来て、相手の立場に立って考えることが出来れば、余計な摩擦を起こさなくなる。それを言っているのが般若心経の空のこころだろう。かたよらず こだわらず とらわれず ひろく ひろく もっとひろく 2015年4月9日 琢
2015年04月09日
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求める領域ははるかなものより高いところのもの知識、智慧、奥ゆかしさ、応用力まるい視野、心、宇宙の広さ大慈大悲の心代償を求めず、足るを知る繊細でも大きなもの判断、決断が速やかでゆきわたっている思いやり、気くばりが篤い菩薩、如来の状態生きて達し得ない領域を求め人は精進を重ねる究極は無の状態素直さ、謙虚さ壮大な宇宙の一員と自覚する人の心の中には宇宙が有って、そのうえで神が包んでいる。理想を求めて歩んでいる。忍土は泥水の中にいるようなもので、四苦八苦の中で、どのように自分を保ってゆくか、身は汚されていても、心はいつも綺麗でありたいと願っている。泥水の中であのように綺麗な花を咲かす蓮のように、心だけは綺麗でありたいと願っている。求める領域ははるかなもので、”浩然の気”・宇宙大自然と一体化する心境、のびのびと安らかな心境を目指しながら、より高いところに有るものを求めて積み上げようとするものは、知識、智慧、奥ゆかしさ、応用力などを培い、円い視野、心、宇宙の広さで、大慈大悲の心・愛を育み、決して代償を求めず、足るを知った上で、無私、利他の心でありたいと心掛けている。繊細でも大きなもので、判断、決断が速やかで、ゆきわたっている、素の自分に成れば、本気でそれを願い、目指して精進を重ねているつもりに成っている。思いやり、気くばりが行き届いていて、気働きが篤い状態で、菩薩や如来の状態を頂点に仰いで、、生きて達し得ない頂点を目指して精進を重ねている。究極は”無”の状態で、それが『空』なのだろう。ただ、素直、謙虚であること、壮大な宇宙の中の一員としてどうあらんとするかの自覚ができていること。その域を求めて、諦めたり投げ出したりしない自分で在りたいと思っている。かたよらず こだわらず とらわれず ひろく ひろく もっとひろく 般若心経『空』のこころ 2015年4月8日 琢
2015年04月08日
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口に出せば分る心見せなければ分らない隠しておけば良いのでなく分らないうちに直しておく露見しなければ責任は無いようでも日常生活には無意識に出ている見えるものは氷山の一角で感情の動きは表情に表れ未熟を隠すことはできない平素から心を整えておくこと素直で謙虚でなければ改めることもできないその修正浄化が無ければ何度も同じ過ちを繰り返す幼い頃の教えには、何度も同じ失敗を繰り返すのは、三日経っても同じことを言っている人は馬鹿だと言われていたものだが、二度と同じ失敗をしないように心掛けているのに歯止めがかからないのは何でだろうと、その正体が業・カルマだと知ることに成って、自分では悪いと思っていなかったことの中に、一生かかっても取れない厄介なものが有ることに気が付かされている。口に出せば分ってしまう心に、言わなければ、見せなければ分らないと思うことも、隠しておけば良いのではなく、分らないうちに直しておくことの大切さを思うようになった。露見しなければ責任は無いようでも、日常生活の何処かに無意識に出てしまっている、それが他に大いに迷惑に成っているものかも知れず、隠したつもりでも、頭隠して尻隠さずで、見えてしまうものは氷山の一角だと、もっと悪く解釈されてしまうことも有る。感情の動きは表情にも表れてしまっていて、気取られないようにしていても未熟を隠すことはできないだろう。平素から心を整えておくことの大切さ、いつも素直で謙虚でいなければ、摩擦を起こしてしまうことを改めることもできない。その責任転嫁をしたり、自己保存をすることで、いくら逃げていても、その修正浄化が無ければ、何度も同じ過ちを繰り返すことに成ってしまう。それを意識化するために仏教には『悔過』・けかが有って、奈良薬師寺では毎年三月末に花会式と言う年間最大行事の悔過法要・けかほうようが有って、過去の過ちを悔い改める催しを行っている。キリスト教で言えば『懺悔』の法要だろう。 2015年4月7日 琢
2015年04月07日
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見えない部分何を思い何を考えているか発想と閃き、アイデア具現化の努力で見えるものに成るすべてが心の作用で言わなくても伝わるもの敏感な人には感じるもの心の動きも読むことができる心眼で観ること自分のバイオリズムを知ること下降気味のときは注意深く心の自己管理ができていること自由自在に成ること見えないものが予兆に成っているどんな事件や現象にも、その前には警鐘が鳴っているもので、どんな事象にも予兆が必ず有る。それをよく読むことができれば、観察を怠らなければ、相応の対応ができるはずだろう。家族も交友でも、よく観察していれば、考えていることや使う言葉にいつもと違う感じがするのに気が付く場合が多く、このままではよろしくないと思えば、相応の対処が出来るだろう。人には見えない部分が有って、何を思い、何を考えているかや、発想とひらめきやアイデアも、具現化の努力で見えるものに成ってくるが、親しいものにはそれが見えている場合が多い。すべてが心の作用で、言わなくても伝わるもの、敏感な人には感じるもの、心の動きを読むこともできるだろう。心眼を開いて観ることと同時に、自分のバイオリズムを知って考慮に入れておくことが大切だろう。下降気味のときは注意深く、無理をせず、自分の心の自己管理を怠らないこと。準備段階で身につけたもの、体幹に入っているものは、自然体のときに、不動の状態で、背伸びをせずとも、肩の力が抜けた状態で、自由自在な対応ができるように成れる。自分に起きることも誰に起きることも、必ずその前には予兆が有るもので、行動、使う言葉、出した雰囲気を読んでいれば、、最悪の末路を迎えずに済む適切な対応ができるだろう。 2015年4月6日 琢
2015年04月06日
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教室での取り組み日常生活での実践と応用取り組み方と応用実践学んだことは実践しなければ単なる知識で身に付かず応用するとき自分のものに成る学校で学ぶ理論は社会で活用してはじめて体験と共に智慧になるいくら理論武装していても説得力や含蓄には成らない頭でっかちと言われるのが落ちだろう実践の無い正論は人を傷つける”銭湯の湯”とよく言うが、”せんというばかり”で、何もせず言うばかりでは人はついて来ない。能書きばかりで理屈っぽいのも嫌がられてしまう。本をよく読む人の中には、優越感や上から目線で、知らない人の前でデカルトがとか、カントがとか、ソクラテスがこう言ったとか、その本当の意味さえわからずに、出来ていないことを自慢げに言う人がいる。無知な自分にとっては屈辱にしか過ぎず、正論は出来ていない自分には反論する余地も無く、引き下がるしかないが、良く考えてみればその人も言うばかりで何も出来ていない場合が多い。教室での勉強や取り組みは、日常生活で実践してみること、友達との話の中で応用してみることが大切で、劣化しないうちに、忘れないうちにすぐに使うように心がけることが重要だろう。学んだことは実践しなければ、単なる知識で身に付いておらず、応用できるようになるとき自分のものに成るが、それでも忘れてしまうものが学習だろう。学校で学ぶ理論は、社会で活用してはじめて体験と共に智慧に成ってゆく。いくら理論武装していても、説得力や含蓄には成らず、頭でっかちと言われるのが落ちだろう。人それぞれ生い立ちや基盤が違っている社会の中では、自分が感じたことそのままを感じ取ってもらうことは難しく、相手の立場に立って、学んだことをさりげなく応用しなければなかなか伝わらないだろう。学んだことをそのままとか、自分にも出来ていないことを正論で人に押し付けるようなことをすれば、人に屈辱を与えて傷つけるばかりで、終いには自分が孤立してしまうだけだろう。 2015年4月5日 琢
2015年04月05日
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悪い細胞は誰もが持っている善と悪の基準がどこに有るかある人には良いことも別の人には悪いこと生きる糧は同じもの悪も善の生み出すものを糧に生きている生きるために働いてその糧を得るそれを横取りするものが悪なら搾取するものを悪とすれば大金持ちは悪に成る資本主義の矛盾分かち合うことギブアンドテイク三つの幸せが基本に成るそのバランスが大切だろうがん細胞が有れば、そこにつながる血管から養分を吸い取って大きくなってゆくが、その血管を封鎖してしまえば枯れてしまう。この世には善と悪が有って、サタンや悪魔は別の食べ物で生きているのかと思えば、善と同じものを食べて生きている。善と悪の基準が何処に有るか、ゼロ地点が何処で、何処から良くてどこから悪くなるのかには個人差が有って、三つの”ち”【血筋、生まれ育つ地、育つ時代の知】を基盤にした生い立ちによって常識が全く違ってしまう。ある人には良いことも別の人には悪いことに成ってしまう。生きる糧は同じもので、生きるために働いてその糧を得ている。それを横取りするものが悪なら、大金持ちは悪に成ってしまい、搾取するものを悪とすれば、資本主義の根幹を揺るがすことにも成りかねないだろう。基本は”分かち合うこと”、”ギブアンドテイク”で共生するということだろう。三つの幸せ【もらう幸せ、できる幸せ、あげる幸せ】を思えば、自分にできることをして働いて、受けた恩には感謝して、その恩返しをしながら、もらうばかりでなくできるようになれば、他にして差し上げたくなり、それを歓びとするのが人間だろう。世の中が多様化するほど分業が盛んに成って、交換経済によってどんなものでも手にすることができるように成っている。お金さえ有れば何でも買えると錯覚する人も多く、大金が有っても不幸を感じている人も多い。人生の目的や使命は唯物的なものでも、刹那的なものでも、利己的なものでもなく、この地に共生することで光に成ったり、何かのために働くことで誰かの救済に成ったりすることに歓びや生き甲斐を感じて、未練や悔いや執着を残さないように、どんなことも受納できる菩提の自覚をもって今を決然と生きていくことだろう。 2015年4月4日 琢
2015年04月04日
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球体はその中心から放射線状の光を放ち外からも中心に向けた重力と圧力がかかっている人の心もそういうものでかたより、こだわり、とらわれが有って片側に引っ張られやすくバランスを崩し易い六方に神経を配り常に戒めを持っていなければ変形して壊れてしまう感情に流されず非道が有っても、先ず耐えること衝動的選択をせず相手にゆさぶられ無いこと弱点克服が先だろうこの三次元の現象界では、共生する人々がそれぞれに自分の好きなことをしようとしながら摩擦を起こして、その邪魔をし合っているようなもので、思い通りに成らないことばかりでストレスが溜まりやすい社会の中で生きている。本気に成って何かをしようと思うほど障碍が多く、そこで起きる摩擦を少なくするために自分の角を削って、摩擦が少なくなることで、障碍の苦を少なくしてゆく道行きが、必然に仕組まれているそれぞれの歩みなのだろう。宇宙の星は球体で、その中心から放射線状の光を放っていて、外からも中心に向けた重力と圧力がかかっている。人の心にも宇宙が有って、同じ状態なのだろう。かたより、こだわり、とらわれが有って、片側に引っ張られやすく、バランスを崩しやすい。人それぞれに業・カルマが有って、その厄介なものが無意識に出てしまうことから摩擦を起こしやすく成っている。誰もが生きていれば四苦八苦【生老病死、愛別離苦、求不得苦、怨憎会苦、五蘊盛苦】に出会うことに成っているこの忍土で成仏への道を歩んでいる。あの世・実在界・宇宙は不変で、この世・現象界は可変だから、自分の因・心・魂を如何様にでも変えることができる、唯一の修行の場だと言われている。六方【前後左右上下】に神経を配り、いつも心に戒めをもっていなければ,変形して壊れてしまう脆いものが心なのだろう。本能や感情に流されず、非道が有っても先ず忍辱することで、決して衝動的選択をしないこと、相手にゆさぶられないような不動の心に成れるよう精進すること。試練を通して自分の弱点に成っている業・カルマの修正浄化をして置くこと。学びを網羅して無知を解消し、学んだことを実践して体験することで多くの智慧を備えて置けば、克己したところに願いの成就が有るのだろう。 2015年4月3日 琢
2015年04月03日
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違いが差に誰にもできることやれば出来ることみんなそう思っていることただ怠けて取り組まなかっただけのこと日頃の積み重ねを怠ったことから時と共に格段の差ができてしまうやろうとするものに関連するものも一朝一夕では取り返せないことそれを知りながら避けていたことだけかがやってくれると言う甘えもすべて怠惰に起因している後悔先に立たず愚直にやるしかないのが人生だろう引越しのときに思うことは、人もありんこのようなものだと、あれとこれしか無かったはずが、トラックをいっぱいにするほどの荷物に成っていたことだろう。毎日の積み重ねの凄さを自分が感じたときだろう。自分が歩んで来た道でも、思わぬほどの知識や体験が積まれていること、単なる知識も体験と共に貴重な智慧になることも、思い出すたびに知っていたことに気が付くだろう。ただ好奇心を充たすためだけで的が絞れていなかった、それが自覚したものとの差の大きさに驚きと同時に、悔しさ、情けなさ、敗北感から、放棄したり諦めたりの自分への、意味の無い慰めでしかなかったことを知ることに成る。違いからできる差は、誰にでもできること、やれば出来ること、みんなそう思っていても着目していなかったこと、ただ怠けて取り組まなかっただけのこと、そこから差が付きはじめている。日頃の積み重ねを怠ったことから、時と共に格段の差が付いてしまうことを知ることに成る。やろうと思っていたことに関連することも、気が付いてみれば、その差を一朝一夕では取り戻せないことを知ることに成る。それでも避けていたこと、誰かがやってくれるだろうと言う甘え、いくら人のせいにしても自分をだますことはできない。すべて自分の怠惰に起因している。そうだったからダメだと言うことでなく、後悔先に立たずといえども、怠惰に栄光無しと言えども、気が付いた時から臨場の心構えを変えることで、今までの延長線上に有る未来を変えることができる。不動の心でカオスの正体を洞察し、一貫した道、自分の信じる道をゆくための対応をすること、念じること、祈ることで、未来も変えられ、どうあらんとしていたかの通過点にも一貫性が出てくるだろう。 2015年4月2日 琢
2015年04月02日
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敗北感は投げ出したことから先延ばしたことから諦めたことから些細な逃避から未熟な挑戦をしたことから油断したことからいつか決定的な大きな穴が開いてそれが人のトラウマになってしまう苦手意識が消極的にさせ肯定派から否定派へ怠惰や甘えたところに精進を積み重ねたものとの差が気が付いたときには大きくなっている悔いは長いスパンから始まっている何でこうなってしまったんだろう、不運ばかりだ、神仏に見放されているんだろうとか、何かのことで一度は思ったことが有るだろう。自殺者が4万人を超えたとか、自殺を考えたこと、ちょっとでも思ったことが有る人を入れるとかなりの人数に成るだろう。卑下者に成るときも有るだろう。被害者意識が強くなったことも有るだろう。厭世的に成ることも有るだろう。みんなその山を超えて自分が納得できる道を歩んでいるのだろう。この忍土では何をやろうとしても思い通りにならず、失敗が多く、敗北感に覆われることも多い。その原因を良く考えて、責任転嫁をせずに自分の中にも修正事項が有るかも知れないと思えば、原因と結果の法則が観えて来るだろう。その原因の元は、投げ出したことから、先延ばしたことから、諦めたことから、未熟で準備が整っていないまま挑戦したことから、油断したことから、いつも決定的な大きな穴が開いて、それが自分のトラウマになってしまっている場合が多い。苦手意識が消極的にさせ、肯定派から否定派にさせていたり、怠惰や甘えたところに、到達を不能にさせている原因が有る。永い積み重ねを見れば、精進を積み重ねたものとの大きな差ができてしまっていたことで、未練を残し、永いスパンの自分の怠惰から悔いを残してしまうことも有るだろう。そのことに気が付いた時から、人は変心することができて、別人のような自分に成ることも可能だろう。 2015年4月1日 琢
2015年04月01日
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