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人それぞれが縁で結ばれその因には相応の縁の恩恵が有って直接、間接につながっている良いことも悪いこともすぐに伝わるもので人には警戒心が有って悪いことほど伝わるのは速い信頼関係に大きく影響し信頼は人の可能性を広くする”人間の可能性は信じなければ開かない扉を幾重にも通り抜けた先に有る”信じ合うところに秘密は無く隠しても伝わってしまう縁に目覚めることだろう行く先々で会う人、すれ違う人、何かを感じる人、惹かれる人、嫌な人、怖い人、出会いは偶然のようで必然だと言う。その時の自分に必要な出会いが仕組まれていると言ってもいいかも知れない。特に苦手なものや嫌いなものと思っている自分には、そこが弱点克服の要因の場合が多い。快感を原則にしていれば、避けて通りたいこと、投げ出したいこと、諦めようとすること、そういう甘い心に負けてしまうだろう。楽な方を選んで進化することは少なく、苦に学ぶところが多い。人それぞれが相応の縁で結ばれていて、それぞれの因・心・種には相応の縁に恵まれて、開花をさせようとすることが仕組まれている。その恩恵に感謝することが大切なことだろう。縁で直接、間接につながっていて、良いことも悪いこともすぐに伝わってしまうもので、人には警戒心が有って、悪いことほど伝わるのは速い。信頼は可能性を広げるもので、”人間の可能性は、信じなければ開かない扉を幾重にも通り抜けた先に有る”のだろう。信じられなくなれば一歩も前に進めず、目をつぶっては歩くこともできないだろう。不安感が迷いを多くしてしまうもので、信じ合うところに秘密は無く、信頼関係が有れば、隠しても伝わってしまうだろう。察する心、思いやる心、いたわる心は言葉にしないことでも、感じてしまうだろう。縁に目覚めることは可能性が広くなるということだろう。その恩恵に感謝を怠らないことだろう。 2015年9月30日 琢
2015年09月30日
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怒らず、恨まず、憎まず四苦八苦の忍土に在ってもそれにとらわれず恩恵に感謝して明るく機嫌良く生きるその世界に病は無く光が有れば闇は無い不動の信念で無私、利他に生きれば業・カルマも修正浄化されて摩擦は無くなる自分を神の子と思えば自分の本心が観えてくる魂の願いはそこに有ってその自覚が悔いを少なくする何のために生まれてきたのか、自分の天職は何なのか、夢や希望を追い求めて生きるところに現れる障害や試練を必然のものと思えず、偶然のものと思うたびに運の悪さを思ってしまう。何でこんな目に合うのかと揺れ動く心を抱え、迷いばかりの道を歩んでいる自分に、摩擦が多く、何でうまくゆかないのか、思い通りにさせてもらえないのか、神仏を恨んだところで現実は変わらない。どんなことにも原因が有るはずだと、それに少なからず関与している自分にも、その原因に影響を与えていたんではないかと、素直に自己検証してみれば、修正事項が見えてくるだろう。原因と結果には必然の法則が有ると知れば、因縁果報や因果応報も自業自得だと分かって来るだろう。責任転嫁で人のせいにして逃げるほど自分に嘘が付けず、自分をずるい人間だと思うたびに、品格を落として自らを貶めてしまうのだろう。怒らず、恨まず、憎まずに、この四苦八苦も誰にも有る忍土のものと、それにとらわれることなく、光を探し、恩恵を自覚すれば感謝の念も湧いてくるだろう。感謝の世界に病は無く、光が有れば闇は消えている。明るく機嫌良く、無私、利他に生きていれば、無意識に業・カルマの修正浄化もできていて、そういう自分に変わることで周りも変化し始めて、摩擦が少なくなってゆくことに気が付くのだろう。自分を神の子と思えば、本心が観えてきて、その中に魂の願いを発見することができるだろう。その発見を自分に与えられた使命だと自覚ができれば、不動に成れて、迷いや葛藤も無くなって、悔いのない生き甲斐を感じられる道が観えてくるのだろう。 2015年9月29日 琢
2015年09月29日
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坊主だからと言って解っているとは限らず悟りの途上で在家だからと言ってできていないとは限らないあくまでも求道者で過大、過小評価は慎むこと秀でたもの、並み以下のものも有る確実に信頼に足るものは無く形だけて判断するのは危険だろう途上のものに頂点を求められず素直に謙虚になること心眼で観れば本物の見分けができる中道を行くことかたよらず こだわらず とらわれず ひろく ひろく もっとひろく生まれたときは誰しもが無知から始まって、乳をのむこと、食べること、音を聞くこと、触ること、言葉を覚えることなどから歩けるように成れば、すべてに不安を感じ始めて、体験することからどんなものかが分かり始めて、信じられるものから不安がとれてゆく道を歩んでいるのが人間だろう。信じることができなければ一歩も歩けず、憶えたこと・自分を信じなければ生きていられないだろう。生い立ちの違いからどれが真実かが分からなくなってしまうことも有るだろう。坊主だからと言って解っているとは限らず、在家だからと言ってできていないとは限らないだろう。すべては途上のことで、あくまでもみんな求道者と言っていいだろう。過大評価、過小評価は慎むこと、平均的には秀でたものや並み以下のものが有るが、それも確実に信頼に足るものではなく、形だけで判断するのは危険だろう。すべてが途上のもので、途上のものに頂点を求められず、自分としては、ただ素直なこと、謙虚なことが望ましいことだろう。心眼で観れば、本物の見分けができて、カオスの正体を洞察することができるだろう。すべてが中道を行くことだろう。かたよらず こだわらず とらわれず ひろく ひろく もっとひろく 2015年9月29日 琢
2015年09月28日
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気を整えても心が整っていなければ矛盾は消えず迷いや葛藤は続くたとえ霊的に少し見えたとしても確信には至らず解決策が見えて来ない現象の因・元を正さなければ違和感は消えない穏やかな居場所は不動の自覚の元に有り腰の引けた沈黙の中には無い和の尊さその中の一員になれたとき心は安定している心が不安定で疑問が有るときには説得力は無く、無理に自己顕示をしても、自分が小さくなってゆくだけだろう。知識だけでは自信に成らず、何が来ても動じない自分になるには、強い信念と共に智慧が増してゆくときだろう。単なる知識は、縁の無い種のようなもので、いくら上等な知識を持っていても自分の身に付いていなければ智慧にはならず、実践の意欲を起こし、多くの経験の中に使うほど智慧に成ってゆくものだろう。挑戦意欲には気力が必要だが、気を整えても心が整っていなければ、矛盾を感じるばかりで、迷いや葛藤は続くだろう。たとえ霊的に少し見えたとしても、確信には至らず、解決策は見えて来ない。現象の因・元を正さなければ、違和感は消えず、気力が整わないだろう。穏やかな居場所は、不動の自覚の元に有り、腰の引けた沈黙の中には無いだろう。自分がどうあらんとしているかを自覚して、何事にも動じない不動の状態と、和の尊さを思い、その中の一員になれた時には、自分の心は安定して、その状態になっていればどんなカオスにも、その正体を洞察できて、きちんとした対応ができているだろう。 2015年9月27日 琢
2015年09月27日
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直面する現実を受け止める試練や障害が過酷なものであっても仕組まれた必然の縁として自分に与えられたものとして愚痴を抑えて言葉に出さず素直に謙虚に自分を変えて学んだことを実践、応用して身に付いて体幹に入れば明るい未来が待っている変えるとは業・カルマを修正浄化して摩擦の少ない心を整え臨場で身に迫るカオスに適切に対応することで未来は変わる現実は厳しいものだが、忍土ではそれが必然のこととして、逃避せず、放棄せずに素直に受け止めること、原因の中に自分に関わるものについては、安易に先送りせず、その場で修正浄化しておくことが重要なことだろう。どんなに試練や障害が過酷なものであっても、自分に与えられた必然のものとして、愚痴を抑えて口に出さず、素直に謙虚に自分を変えることを日ごろの心構えにしておくといいだろう。耐え忍ぶことを口に出してしまえば、チャージに成らず、爆発力を失ってしまう。人知れず耐え忍んでいることは、見る人は見ているもので、その信頼度は高くなり、良き味方の縁、協力者や仲間に成ってくれるだろう。自分を変える挑戦をして、良く学んだことは実践して、応用が利くようになることで、身に付いて体幹に入り、智慧に成ったものが多いほど、適切な対応力が増して、混とんとしたカオスにも正面で受け止めて、自分にしかできない対応をすることで、常に自分がどうあらんとしているかを示すことができれば、明るい未来が待っているだろう。変えるとは、業・カルマの修正浄化をしておくことで、摩擦の少ない自分を整えて、臨場して身に迫るカオスに、適切な対応をすることで、未来は変わってくるのだろう。 2015年9月26日 琢
2015年09月26日
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背が高くなりスタイルが良くなったのは建築様式の変化によるもの数寄屋、わび、さびの畳文化は自然に叶ったものだが精神文化を残し肉体的文化に合理性を求めれば身も心も整ったものになる交流する異文化と共に品種改良が進めば世界の違和感が少なくなり人と物の交流で受け止めて開くことができれば不安材料が少なくなる異人種、異業種、異文化の交流は大切なものだろう信仰は心の安定のために有るもの、宗教は心の安定に導くもののように思っているが、宗教の違いが、それを信じる者の自己顕示、自我我欲、自己保存のために同族の殺し合いに発展することの虚しさ、心の不安定を招いているのは、神の名前が違うからかとも思ってしまう。古来より人は他と区別をするためにどんなものにも名称を付けて意思の伝達をしてきている。宗教には一神教と多神教が有るが、絶対神に名前が必要なのかと思ってしまう。日本はどちらかというと多神教に当たるが、衣食住の文化から、東洋的で背が低い黄色人種で、白色の西洋への憧れが有ったように感じている。最近は世界に門戸を広げたせいか、背が高くなり、スタイルも良くなって、美形が多くなってきたように思う。建築様式の変化も大きく影響していて、日本独自の数寄屋、わび、さびの畳文化は自然に叶ったものだが、O脚が少なくなってきている。精神文化を残し、肉体的文化に合理性を求めれば、身も心も整ったものになるかもとか単純に思ってしまう。交流する異文化と共に、品種改良が進めば、世界の違和感が少なくなるだろう。人と物の交流で、受け止めて心を開くことができれば、不安材料が少なくなってゆくのかも知れない。異人種、異業種、異文化の交流は世界平和には大切な通過点になるのだろう。 2015年9月25日 琢
2015年09月25日
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ショックなニュースが多いが時の変化の流れ世の中が動いているうつろいの変化好むと好まざるとに関わらず大自然と地上現象その中の小さな一員として相応に自分を変化させその覚悟ができていること地域性、土地柄の遺伝子の中には血の流れとは別のものも有ってその傾向が受け継がれているすべての国も国民性が違うのもその覚悟の違いからだろう使命の自覚もその中に有る遺伝子には肉体的なものと精神的なものが有る。顔や体つきが似るのは肉体的なもので、心の傾向、描く夢や希望や願いには、血筋からのものと永い間に育った地域に受け継がれているものが精神的な遺伝子として、両方の傾向が入っている。人の使命は二つ有ると思われる。横軸の血筋からくる使命と縦軸の魂の中に持っているものとが有るのだろう。自然の摂理の中で、時と共に変化しているのがこの世の日常だろう。最近は、ショックなニュースが多いが、時と共に世の中が動いている証拠、うつろいの変化で、大自然と地上現象には周期的調整が有って、人工のものと天工のものが入り混じっているのだろう。好むと好まざるに関係なく、天体と大自然と地上現象は周期的に動いているのだろう。その中の小さな一員として、相応に自分を変化させることは当たり前のことで、その覚悟はできているのだろう。地域性や土地柄の遺伝子の中には、血の流れとは別のものが有って、その地のものにはその傾向が受け継がれているのだろう。すべての国の国民性が違うのも、その自覚が違うからかも知れない。その中のどこかに必ず自分の生まれてきた意味や使命が有るのだろう。 2015年9月24日 琢
2015年09月24日
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最悪の状況にも最善の道を開く逆転の発想術!今、世界は大きく動いています。「これまでのやり方が通用しない」「今までうまくいっていたのに、どうして」「世の中どうなってゆくのか不安」従来の常識、通念、価値観が揺らぎ、まさにカオス【混沌】の時代を迎えています。その中で、どのように考え、何をなしてゆくべきかーーー。今、私たち一人ひとりがそう問われているのです。確かなことが有ります。あなたが変わることと、世界が変わることは一つ。同時に起こるということです。自らの手で、未来は変えられる。新たな世界を開くことができる。その揺るぎない希望と実践メソッドをあなたにーーー。”未来は変えられる!”2015年高橋佳子講演会11月1日 大阪城ホール 06-4861-4762 11月8日 パシフィコ横浜国際大ホール 050-3535-0515 開場 12:00 開演 13:00 終了予定 17:00 入場料 3000円 高橋佳子講演会実行委員会 03-5828-1587 2015年9月23日 琢
2015年09月23日
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人には必ず困ったことが有るそれは幾つか有って一つ聞いても全部はわからないすべてを聞くのは心が開いているときでその困が幾つ有ろうと相互に自分が関連しているそれに気が付かない場合が多くその原因を認めたくない心を持っている縁ある交友はそれに気付かせる未来の花を咲かせるためのもので素直にならなければ平行線のままに終わってしまう愚かさを知るほど人に繫ぐこと縁を繋ぐことで因縁を良くするそれも智慧の一つだろう人は自分が何者かを死ぬまで知らないまま終わってしまうことも多く、自分が歩む姿を自分で見ることができないために人に見てもらうことでしか、自分を知ることができない情けない自分を感じているが、意地でもそんな恥ずかしい自分を見られたくないと思う自分を抱えている場合が多い。ただ素直に、謙虚にさえなるだけなのに、それさえも避けたい、弱みを見せたくない自分を抱えている。母性や心を開ける親しい友にしか、素直に成れず、心を開けるものにしか見られたくない心、反面誰かに解っていてほしいと思う心、淋しさ、孤独感を恐れる心も持っている。人には必ず困ったことが有るもので、一つだけでなく幾つかため込んでいるものが有って、その根っこには共通する原因を知らなかったり、認めたくなかったりする心が、その修正浄化を遅らせている場合が多い。そういう状態には、愛や友情が必要で、それを持った者には素直に心を開くことができて、見てもらうこと、聴いてもらうこと、相談すること、打ち明けること、一緒に成って考えてくれて良きアドバイスをいただくことができる。良き因縁側での交友から、自分の本心が分かって来るように成れば、迷いや困ったことが減少してゆくのだろう。本音と建前の本音だけでなく、本心で接することが、本当の自分を観ることができるようになって、因・心・種・胤を転換することで未来を変えることができるように成れるのだろう。人と人の輪・和を繋ぐことで、その可能性を無限に広げることができるだろう。 2015年9月23日 琢
2015年09月23日
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団体の一員に成れば有る部分の責任を負うことになる組織的、財務的なものか全体のものだが自分の愚かさを知るものは自分の存在価値を過信せず分相応を超えた荷を背負わず違和感の有る運営や唯物的、刹那的にならないように自分の本心で関わる不本意な果報を背負わず原点の道心を忘れないように観自在での本分を不動のものにする甘言に乗せられないよう錯覚や過信に惑わされないよう人智を尽くして人智を超えるいつも自分の軽さを反省し、相応の論とその実践、体験を積んで、あれやこれや迷わずにでんとして不動な自分に成れるように心掛けているが、確証を得ないままの歩みを重ねて気が付いたことは、本音と建前のギャップを少なくすることだけでなく、本心で向かい合っていなかったような気がして、自分の本心がどこに有るかを見つめるようになっている。心の奥の魂に入っているもの、魂願に成っているもの・自分が生まれてきた意味や使命に関するものに本心が有るのだろう。重みはそこを生き始めれば出てくるのかも知れない。団体の一員に成れば、有る部分の責任を負うことになる。組織的なもの、財務的なものや全体の大局的なものだが、自分の愚かさを知っているものは、自分の存在価値を過信することなく、分相応を超えた荷を背負わず、違和感の有る運営や唯物的、刹那的、利己的にならないように、自分の本心で、ただ素直に関わるのだろう。不本意な目標を掲げず、原点の道心を忘れないように、観自在での本分を不動のものにするだろう。甘言に乗せられないように、錯覚や過信を戒めながら、人智を尽くして、人智を超えるのだろう。背伸びをせず、有のままの自分がそうなっていることをいつも願ってやまない。 2015年9月22日 琢
2015年09月22日
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場に活気が有るか生き生きとしているか雰囲気で分かる場にも一人ひとりにも暗くなる要因が必ず有る想念が悪いとき体の具合が悪いとき矛盾や不満を感じているとき場の雰囲気を壊さないこと自分にされて嫌なことをしない全体を良くするにはまず自分から明るく機嫌良く良い言葉、誉める言葉、感謝の言葉を使い一つの細胞から全体にの努力を顔色を覗くのは卑屈だが、読むことは大切なことで、体調の変化、心境の変化を察知するためには、監視ではなく、興味深く、愛情を持って観ることが最も大切なことだろう。集団に入れば、その顔がいくつも有って、場全体の雰囲気をつくり出している。場に活気が有るか、生き生きとしているか、雰囲気を見ればわかるだろう。場にも一人ひとりにも、雰囲気が悪くなる要因は必ず有るだろう。全体や場の牽引者の想念が悪いとき、体の具合が悪いとき、どこかに矛盾や不安を感じているとき、恐怖を感じているときも有るかも知れない。自分として最も大切にしていることは、場の雰囲気を壊さないこと、自分がされて嫌なことをしないこと。集団の中では最も注意していることが、和やかな雰囲気を壊さないように心掛けることだろう。全体の雰囲気を良くしようと努力をすること、先ず自分から、明るく機嫌良く振舞うことが良いだろう。良い言葉、誉める言葉、感謝の言葉を使うことが大切で、場の雰囲気を壊す人に会わせないことなど、心配りも大切で、細胞のように、一つから全体に広がるように心掛けるのが良いだろう。集団に来る人は、何か一つでも自分に役立つ収穫を求めていて、争いや場の雰囲気を壊すことを求めてはいないだろう。 2015年9月21日 琢
2015年09月21日
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人との関わりをゲーム感覚で見ないこと二見にとらわれず人として有るべき姿で有ること緩めず、張り詰めず程良く気を締めておくこと驕らず、貪らず怒らず、恨まず、憎まずで無私、利他の精神であること押し付けず、恩着せず、足るを知ること寛容な心で臨場していること感情を抑制し、不動であることで心眼で観ること都合の良いところには矛盾が有ると知り場の空気を読むこと良いことを言っていても、正論を強調しても場違いのときが結構有るもので、よく聞くこと、場の流れを見ておくことが無ければ、嘲笑の対象に成ってしまうだろう。自分の中のとらわれを外に出してしまえば、それが本心からのものでない限り、思うような伝わり方ができないだろう。二見【勝った負けたのとらわれ、損得のとらわれ、プラスマイナスのとらわれ】で見ていれば、人との関わりをゲーム感覚で扱っているように思われて、本心での関りを結ぶことができないだろう。人として有るべき姿であること、緩めず、張り詰めず、程良く気を締めておくことが大切なことで、有頂天を戒めて、おごらず、むさぼらず、怒らず、恨まず、憎まずに、無私、利他の精神であることが、人との信頼関係を強く結ぶキーポイントだろう。押し付けず、恩着せをせず、分相応に足るを知っておくことで、外に出れば寛容な心で場に臨場することが望ましく、感情を抑制して、不動の心構えが必要だろう。泰然自若として冷静に心眼で観ること、その訓練をしておくことが大切で、自分にとって都合の良いことほど他から見れば矛盾の有ることだと知っておくこと、場の空気をよく読むことが重要なことだろう。かけた情けは水に流せ 受けた恩は石に刻め 善光寺石碑 2015年9月20日 琢
2015年09月20日
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まず人間としてどうか合理の前に人となりとして進むほど条件は複雑になるが裕福になっても悔いが少ないこと目的のために手段を択ばずでは道を外してしまう限られた人しかよろこべない道は全体の流れから離脱して暗運力を呼び込んでしまう自己回帰と自己検証で重経緯の原因悪循環、悪縁起の原因の改善低活力には気力を整えてその経緯を検証し今為すべきことをする道が歪まないようにどんな時でも打つ手はあるはずで、お手上げ状態になっても遅くはない。転依で発想を転換したり、視点を変えてみれば、突破口が見えてくる場合も多く、その原因を修正浄化することで活路が見えてくる場合も多い。袋小路に入っても焦らないこと、諦めないことが重要で、先生なら、神仏ならと冷静になって考えてみることも有効な場合も多い。苦肉の策のときにも、先ず人間としてどうか、合理の前に人となりとしてどうかを考えてみることも大切だろう。進むほど条件は複雑になるが、裕福になっても悔いが無いこと、自分が納得することが重要で、目的のために手段を択ばずでは、道を外して、運に見放されてしまうだろう。限られた人しかよろこべない道は、全体の流れから逸脱して、暗運力を呼び込んでしまうだろう。いつも動向に気を配っておくことが大切で、自己回帰と自己検証で、重経緯の原因を探し、悪循環や悪縁起と思えばその原因を突き止めて善処しておくこと。低活力に成っていれば、気力を整えて、活路を開くための挑戦意欲を強く保っておくことが大切なことだろう。経緯を検証して、今為すべきことをすること、絶対に先送りをしたり、逃げ出したり、諦めないこと、道が歪まないように正面で受け止めて、適切な対処をすることが、いつか白い道を歩むための条件になるのだろう。 2015年9月19日 琢
2015年09月19日
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昨日の自分と今日の自分は違う時と共に変化するものに迷わず自分を変化させ全体の一員としてその中で自分にできること自分の居場所と責任を感じられること自分独自の在り方が有る観自在本心でやることその自覚を持っていること悔いのない在り方そこに生き甲斐を感じ始める観えてくるまで不安だが不安が道を歪めないようにいつも不動を求める人のせいにして、いつも責任逃れをしていれば、誰にも頼られず、当てに成らない人というレッテルを貼られてしまう。武士道では責任を取らせていただくことをありがたく思い、打ち首よりも切腹を望み、自分の身は自分で処分することを誉だと思っていた。責任を取らせていただけることは、それだけ信頼が厚く、自分だけにしかできないことをお任せいただいているということで、そこに間違いなく自分の居場所が有ることとしてありがたいことだと思っていたのだろう。諸行無常の心得をもって、時の変化と共に対応策を考えて、世の流れに後れを取らないことが重要なことで、全体の流れの中の一員として、その中で自分にできることをさせていただけることはありがたい恩恵だと思えれば、どんなことにも命がけに成れるだろう。自分の居場所と責任を感じられることの有り難さ、そこに自分独自の在り方が有るのだろう。いつも自分の在り方を見ておく「観自在」が大切で、本当に自分がしたいと心・魂から思うこと、本心でやること、その自覚を持っていること、本心をいつも探してやまないことが、悔いのない自分の在り方だろう。生き甲斐はそういうところに感じ始めるもので、それが見えてくるまでが不安だが、不安が道を歪めないように、いつも不動を求めるのは当然のことだろう。生き甲斐を感じた生き方には絶対に悔いは残らないだろう。余計なことを考えずに、いつも明るく機嫌良く生きている方が他人も喜んでくれるだろう。 2015年9月18日 琢
2015年09月18日
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願いに挑戦自分が何を果たしたいかに向けて飽くなき努力を積み重ね煩悩やカルマの抑制が不完全でも自分を卑下することなく強い意志をもって他への迷惑がゼロでなくても愚かな自分にもできることが有る恩恵への感謝を忘れず一日一善を心掛けて他を喜ばすこと、癒すこと、元気にさせること、照らすことそのための一石を投じ続けることそこに自分の自覚できる使命が有る”為せば成る 為さねば成らぬ 何ごとも成らぬは人の 為さぬなりけり”やってできないことはない面倒くさい、失敗したら恥ずかしい、何もせずじっとしている方が安全だ、他に楽なことはいっぱいあるなどと、今やっておくべきことを先送りしてばかりでは、そういうことがどんどん溜まってしまい、収拾がつかなくなれば放棄して、自分の本当の願いまで諦めてしまう。本心ではダメな自分と思っていても、人のせいにして、自分を改めようとしない、それを分かっているのにやめられずに意地を張ってしまう。逃げてもついて回るのが業・カルマだと言われていて、他との摩擦の原因に成っているもので、その修正浄化のために生まれてきたと言ってもいいかも知れない。夢や希望はその途上でも諦めることなく、願いに挑戦すること。自分が何を果たしたいかに向けて、飽くなき努力を積み重ねること、その強い意志をもって気力を整えておくこと。煩悩やカルマの抑制が不完全でも、自分を卑下することなく、他への迷惑がゼロではなくても、愚かな自分にもできることは有ると信じて、温かい恩恵には感謝を忘れず、一日一善を心掛けておくことが重要なことだろう。他を喜ばしたい、癒したい、元気にさせたい、繋ぎたい、照らしたい、生まれてきた使命は難しいものではなく優しく簡単な言葉で表現できるものだろう。そのための一石を投じ続けることの大切さ、そのどこかに自分の使命と自覚できるものが有るだろう。やってできないことはない。”為せば成る 為さねば成らぬ 何ごとも 成らぬは人の 為さぬなりけり” 上杉鷹山 2015年9月17日 琢
2015年09月17日
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苦しいときほどもめ事、摩擦を起こさないようにいつも相手の立場を考え無私、利他の心で自然体、不動であること不安に迷うことなく堂々としていること沈静のときを待つこと明るく機嫌良くしていること自分を信じ切ること魑魅魍魎に揺るがない心迫害が有っても信念を曲げないこと四苦八苦から逃げないこと同志や友の縁を大切にすること苦から学ぶことは多く自己確立のときと信じること心がふらついていれば、相手に付け込まれて、足元を見られ、主導権を持っていかれてしまう。自分にしっかりした信念が無ければ、相手にいいようにされて、何でも言いなりに成って、不本意な時を過ごすことが多くなり、自分を毒してゆくことに成ってしまうことが多い。自分で自分にダメな人間だというレッテルを貼らないように、自分と戦い、克己ができるようにいつも強い心を持っておくことが大切だろう。苦しいときほど、もめ事や摩擦を起こさないように、微妙な運の流れを変えないように、いつも相手の立場を考えながら、無私、利他の心で、自然体、不動であることを心掛けておく必要が有る。不安に迷うことなく、堂々としていることが重要で、沈静まで待つ心のゆとりを持つこと、明るく機嫌良くしていること。自分を信じ切ることで、魑魅魍魎に揺るがない心でいること。どんな迫害にも信念を曲げず、泰然自若として、不動であること、その正体を洞察しておくこと、ゆったりとした祈り心でいることが大切な心構えだろう。四苦八苦は誰にも有るもの、与えられるもので、絶対にそれから逃げようと思わず、正面で受け止めることが大切で、楽なとき、快なときには調子に乗って有頂天になっているだけで、満足は有っても進歩のときでなく、苦しいときほど学ぶことが多いのがこの世の常だろう。自己確立のときを信じて、自分にしかできない歩みを歪めないことだろう。 2015年9月16日 琢
2015年09月16日
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未熟を埋めるほど愚かさを知る至らない自分を観ればすべて中途半端で更なる精進を求めて宇宙の広さを知る深く掘り進むほど奥の深さを知り地下の水脈に至れば根底に流れる共通のものを知る知識と智慧の違い障碍や試練を超えて得るもの次の備えになるもの智慧を使って何をするか何をするために生まれてきたか人生はそれを果たす場なのだろう勉強より遊ぶ方がずっと好きで、いつも友達と遊びまわった結果は如実に成績に現れて、高校の受験ではどこにも行くところが無いほどだった。それでも今生きている。ガラが悪いと言われた唯一入れた高校では、気の良いやつばかりだった。受験地獄も体験しながら、何とか遊びながら大学を卒業できて、夢多き社会に出たとたんから絶望の連続が待っていた。未熟を知るほど無知を埋めるが、知るほどに自分の愚かさを知ることになるのは皮肉なことだった。至らない自分を観れば、すべてが中途半端で、更なる精進を求めて、また絶望で、立ち直れないほどのどん底では、ゼロから光を求めて這い上がるしかなかったが、今思えば、絶望は夢や希望やそれまでの課題のすべての荷を下ろすときだったように思う。新たな光に向けて発心するときだったのだろう。そうして宇宙の広さを思えば、小さな自分に気が付いて、”浩然の気”の心境{宇宙大自然と一体化する心境}を目指そうとしている。どんなことでも、深く掘り進むほどに、奥の深さを知るが、さらにその奥の地下の水脈に至れば、根底に流れる共通のものを知ることになる。知識と智慧の違いは、実践して体験し、応用することができるように成れば、その積み重ねで身に付いたものに成って来るもの、自分の意志と意欲の賜物が智慧なのだろう。障害や試練を超えさせるもの、次の備えになるもの、そういうものが体幹に入って、何をするのか、何をするために生まれてきたのか、自分の天職は何なのか、足跡の意味を知り、その中から何がしたかったかの確証と自覚を探って、それを果たす場が与えられた人生なのだろう。 2015年9月15日 琢
2015年09月15日
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内を整えて外と関わる色受想行識に学び外の反応から内の心・魂を整える魂は心の根拠で転生からのものが入っていてそこに今生の使命も入っているあらゆる経験を通して何が使命かを探求する意義有るものに迷いは無くそこに本心が有る本心で生きれば迷走は無くなり生き甲斐ができて悔いが残らない人は死ぬまで己が何者かわからないのかも知れないが、欲望のままに生きるのには迷いが多すぎて、動物的に生きるのは自然の摂理に叶っているように思ってしまうが、人間に生まれればそうはゆかず、幸せ【三つの幸せには、もらう幸せ、できる幸せ、あげる幸せが有る】を求めれば、自分の能力を知ろうとし、それを役立てる方法を四苦八苦から学ぶことになる。初めから自分の天職が分かっている人はいなく、自分が何者で、何をすれば与えられた生・命を生き切ることができるのかが、怠惰に流されるほど、一生分からないまま六道【地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天】を輪廻することになると言う。自分の本心がどこに有るかも分からないもので、そのために迷いが生じ、そこが摩擦の原因に成っていることが多い。自分の行いで返ってくる外からの反応を見ながら学んでゆくしかなく、原因と結果の法則を学べば、すべてが必然のものだととらえて、自分の内から整えてゆくしかないと自分を変えようとするのだろう。魂は心の根拠で、転生からのものが潜在していて、その意識の中に今生の使命が入っていると言われている。あらゆる経験を通して、忘却、喪失しているものに気が付こうとし、無知を解消しようと知識を得て、願う夢や希望の欲望を満たそうと精進しながら「転識得智」で智慧に換えて先に備えようとするのだろう。本心はそこに有って、その本心の中に自分の使命を見つけ出すことができるのだろう。その自覚ができれば、迷いは無くなってゆくのだろう。 2015年9月14日 琢
2015年09月14日
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練習で精度を上げ結果の確立を信じること始動前のテーマは三つ以上でも始動時は一つに絞る雑念を少なくして焦ることなく無心に自分を信じ切ること基本を忠実に守り自然体で柔軟なこと結果は偶然でなく必然を信じること必ず実力は発揮できるその繰り返しはデータに残っている自分を卑下することなく迷う前にデータを信じること試練が精神力を強くする実力が有って、誰にも認められているにもかかわらず、結果を出せないときが有るだろう。運が悪いからで済ますものでなく、実力は過去のデータから認められるもので、その過去での努力の積み重ねとそれに伴って高められて来た精度がその実力を物語っている。誰にも心や体調にバイオリズムは有るもので、数字が上がらないときも有るだろう。ゴルフや野球などもそうで、どんなに実力が有っても、メンタルなところが多く、不安感や追い込まれた圧迫感に弱い場合には、迷いばかりで数字が残せないときも有るだろう。練習で精度を上げて、結果は確立を信じること。スイングの始動前のテーマ・確認事項、注意事項は三つ以上有っても、始動時には一つに絞って、あとは自分を信じ切ることしかないだろう。雑念を少なくして、焦ることなく、無心に自分を信じ切ることしかないだろう。基本を忠実に守り、自然体で柔軟さを失わないこと。結果は偶然でなく、必然と信じ、欠陥が有れば改めること、埋めておくことをしておけば、必ず実力は発揮される。その繰り返しはデータに残っているもので、自分を卑下することなく、数字にとらわれることなく、迷う前のデータを信じることが重要なことだろう。気力を整えて、試練が精神力を強くすると信じて精進を怠らないことだろう。 2015年9月13日 琢
2015年09月13日
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自分を小さく思う時空虚に覆われるとき障害や試練に逃げ出したいと思うとき臆病風が吹くときは悪霊に支配されそうになっている気をしっかりもつこと憑依されないように自分で払い除ける除霊してもまた引き寄せてしまう負けない強い意志を持つこと想念が暗いところに憑きやすく明るく感謝の有るところには憑りつかない妄想や錯覚からくる場合が多く気を明るくして感謝の念を強くもつこと逃げようとせず立ち向かうこと主導権を自分に取り戻すこと中心軸がどこに有るか全く分からなくなってしまい、自分を見失ってしまうときは誰にも一度は有ったかも知れない。何が悪く、何が正しいのかの基準は人それぞれで、三つの「ち」の生い立ちや与えられた条件や制約に影響されたそれぞれの基盤の違いから、心の中に有る常識が違ってくるために、どこにゼロ地点が有るかが全く分からなくなって、妄想や錯覚から、世の中自体が信じられなくなってしまうときが有るだろう。想念が悪く、顔色も良くない状態には、昔から悪霊に取りつかれやすいと言われ、お祓いをしてもらったり、厄除けをしてもらったりして気分を転換することも習わしとなっている。自分が小さく思うとき、空虚に覆われるとき、障害や試練に出会えば、逃げ出したいと思うとき、臆病風に吹かれたときには、お人好しな人は、悪霊に支配されようとしていると思った方がいいかも知れない。そんなときも有ると思って、気をしっかり持つこと、憑依されないように、そういう場【例えば、無縁仏のある墓や、臭いが良くないところ、じめじめしたところなど】に行かないように、もしそういう場にいれば、自分で払い除けるくらいのしっかりした気を持つことが大切だろう。除霊してもらっても、自分の弱いところがまた引き寄せてしまうだろう。負けないように強い意志を持つことが重要で、想念が暗いところに憑きやすいと思っておくこと、明るく感謝の有るところには憑りつけないという。妄想や錯覚から抜け出して、気を明るくして感謝の念を強くもつことが大切だろう。逃げようとせず厳として立ち向かうくらいの気力を持つことから、何事にも人を頼らずに、主導権を自分に取り戻すことが重要なことだろう。 2015年9月12日 琢
2015年09月12日
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平穏なとき乱れるとき内と外の状況如何で対応の仕方が変わる信念が一貫していても体の具合が悪いとき外からの圧力が加わったとき不動ではいられず迷い、葛藤で揺さぶられる時が有る優柔不断で言動に一貫性が無くなれば信頼は損なわれてしまう揺れる心を治めること気力を失わないとこ死んでも使命を果たす覚悟が有ることその自覚が未来を左右する無の境地に成っていれば、何が起ころうと揺らぐことの無い自分でいられるはずと、多くの経験を積み、チャレンジもして身に着けたつもりの智慧をもってしても、突発の事態や出来事には揺れる心をどうすれば良いのかが分からなくなってしまう時が有る。自分の無力、未熟を感じるときだが、そういう負の体験が多いほど、どん底から這い上がるたびに人は強くなってゆく。平穏なとき、思うようにならないとき、乱れるとき、内と外の状況如何で対応の仕方が変わってくるだろう。信念に一貫性が有っていても、体の具合が悪いときや外からの圧力が加わっているときは、不動ではいられず、迷い、葛藤で揺さぶられることも有るだろう。優柔不断で、言動に一貫性が無くなってしまえば、信頼関係が損なわれてしまうことも有る。百戦錬磨とは、経験の豊かさ、懐の深さ、何が有っても慌てず、及び腰になっていない状態、受けて整え、次の体制に成っていて、その備えができている状態を言うのだろう。揺れる心を治め、姿勢を整えて、次に備えて、気力を失っていない、そういう自分に成ろうと、飽くなき努力を積み重ねながら、死んでも使命を果たす覚悟ができている、そういう自覚が有れば、未来は変わってくるだろう。 2015年9月11日 琢
2015年09月11日
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挑戦せずに勝ち取れるもの無く気力が無ければ挑戦意欲が湧いてこない心と体の具合が悪いとき勝てる気がしないとき直感的に避けてしまう気力の充実にはそれなりの準備を必要とする否定的でうまくゆくもの無く批判的では取り組めない条件を整えること飽くなき努力の積み重ねをすること自信ができれば試したくなる基礎を積まずに建てるものは無く積み上げれば更に求めいつも限界を尽くして道を上ること決して諦めないこと放棄したときにそれまでのすべてが終わってしまい、達成感の無いまま、次のものを探すとき、そのことに苦手意識がはたらいて、その繰り返しを続けるたびに自信を失ってゆく。矢尽き刀折れて、何をするにも自信が湧かず、どうせ何をやっても駄目だろうと思ってしまう。情けない自分、みじめな自分を思う時、自分の弱さや勇気の無さに、他のせいにして神仏を恨むことも有っただろう。人は歳と共に体が衰えてゆくもので、気力の大切さを思うようになる。病は気から、肉体は衰えても、魂・心に衰えはないという。何をするにも気を整えることが先決で、いかなる技術が有っても、能力が有っても、はじめから負けていては、チャレンジする気にもならず、成し遂げられるものは一つも無いだろう。挑戦せずに勝ち取れるもの無く、気力が無ければ、挑戦意欲も湧いて来ないだろう。心と体の具合が良くないとき、やる前から気が引けているとき、直感的に避けてしまうだろう。何をするにもそれなりの準備が必要で、真っ先に整えておかなければならないのがやる気だろう。否定的でうまくゆくもの無く、批判的では取り組めない。本心の赴くところに従うこと。人智を尽くし、人智を超える、基礎から積み上げて下地を整えておくことから自信も湧いてくる。条件を整えること、そのために飽くなき努力を積み重ね、下地を整えれば、自信も湧いてきて試してみたくなってくるだろう。基礎を積まずに建てるもの無く、積み上げれば更に上を求め、いつも限界を尽くしていれば、自分が何のために生まれてきたのかの自覚も整ってくるようになるだろう。決して放棄せずに諦めないことだろう。 2015年9月10日 琢
2015年09月10日
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よく考えてみればやること、準備はたくさん有る準備無しに整うもの無く結果が伴わない原因を検証すれば抜けている部分が多く当然のことが支障に成っているチェックは確実にすること思い込みの抜けには対応策が浮かばない”たら””れば”の言い訳が多く”でも””しか”は通らない大事故には単純チェックの抜けが多く単純作業ほど大切なものはない甘く見ること、軽く見ることは許されず責任転嫁もできない自己検証は必須のことだろう思い通りに行かず、困り果てて、何をすれば良いかが分からなくなったときは、原点に戻れ、初心に返れと言う。うまく運ばない原因にはいろんなものが混在している場合が多いが、ときほぐしてさらに混迷することを思えば、原点に戻ること、初心に返ること、一からやり直すことで、基本がずれてしまっていることに気が付くことが多い。常識や基本は、すべての組み立ての基礎の部分で、掘り進めるうちにそれから外れてゆくことも多く、当然やっておくべきことの抜けから、何が何だか分からなくなってしまっている場合が多い。よく考えてみれば、やっておくべきことを省くことなく、準備をしておくべきことはたくさん有るだろう。準備無しに整うもの無く、欠如したままでは結果が伴わない。原因の検証をすれば、抜けている部分が多いことが分かって来るだろう。そういう時は当然のことの欠如が支障に成っている場合が多い。チェックは確実にすること。思い込みからくる抜けが有れば、対応策が浮かんでこないもので、”たら””れば”の言い訳が多く、”でも””しか”は通らないだろう。大事故には単純なチェックの抜けが多く、単純作業ほど大切なものはないことを知ることになるだろう。甘く見ること、軽く見ることは許されず、責任転嫁もできないだろう。道が歪むとき、袋小路に入ったとき、絶体絶命のときにも、原点に戻ること、初心に返ること、自己検証することは必須のことだろう。 2015年9月9日 琢
2015年09月09日
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人脈を通じて和の輪を広げること縁とゆかりの有るものを手繰ること相互の心の安定のために地域の枠を超えて和を結ぶこと他との友好を深めること互いに与え合うこと響働して絆を結ぶこと笑顔が場の雰囲気を良くし善意の言葉、誉める言葉、感謝の言葉で因縁側で接すること否定的、批判的にならず人智を尽くして人智を超える使命はそこで果たされる何をするために生まれてきたのか、天職は何か、何を使命とするか、自分に最も合った必然の仕事は何か、など、いつも心のどこかに有るが、何だか分からず、迷いや葛藤の連続の毎日を送っている人が多い。それは魂の中の意識の蔵に入っているというのが奈良薬師寺・玄奘三蔵さんの唯識だが、相対的には、その答えは自分の中にあると言い、高橋先生はミカエルの言として”人生とは、問題を追求するのではなく、既に有る解答に気が付くことである”と言っている。それを探して思い出せず、なかなかその必然に気が付けないのが人の歩みなのだろう。信念と共に確かな道を歩むこと。その中で、人脈を通じて、和の輪を広げること。縁とゆかりの有るものを手繰ってみること。心の安定のために、心の趣くところへ地域の枠を超えて、和を結ぶことが大切なことだろう。他との友好を深め、互いに与え合うこと、響働して絆を結ぶこと。明るい笑顔が場の雰囲気を良くし、いつも善意の言葉、誉める言葉、感謝の言葉で交流し、因縁側で関わることを常識とすることが大切なことだろう。否定的、批判的にならず、対立しそうになれば末路を考えて、相手の仏性に敬意を払い、臨場するカオスには、泰然自若として不動の心で、その正体を洞察し、すべて祈り心で接すること。どれだけ生きるかよりどう生きるか、どうあらんとするかの信念を固めておくことが重要なことだろう。そうする中で自分の使命と自覚できるものに気が付き始めるだろう。 2015年9月8日 琢
2015年09月08日
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ただ素直であること以心伝心が有っても表現しなければ分からず察することは推測で心の内に有ることは嬉しいことは聴きたく歓びは共有したいと思う辛いことは言わせずに察すること辱をかかせないこと白状させることは優位に立つためのもので上下を示そうとすることは醜い自己顕示をすること相手の善意に甘えないこと控えめの方が奥ゆかしさが出る逃げ道を残す思いやり生い立ちや基盤によって人の心は影響されて、それが性格になっているところが有るが、日本という土地柄には、古来からの遺伝子のようなものが伝え遺されていて、ザビエルが言った”この國の人々は、やさしく、人が良く、貧しくても品格を持っている”、大和魂にはそういう思いやりや気配りが流れているのだろう。西洋人は言うことを美徳とし、東洋人は言わないことを美徳としている。万葉集以来「言霊の幸はふ国」・ことだまのさきはうくに「言霊の祐くる国」・ことだまのたすくるくにと言われ、表現には奥ゆかしいものが多く残っている。観察力もこまやかだが言葉数は少ない方が、察する部分が多くなるのだろう。ただ素直であること。以心伝心が有っても、表さなければ分からず、察することは推測だが、心の内に有ることは、嬉しいことは聴きたく、歓びは共有したいと思うのが人情だろう。辛いことは言わせずに察してあげること、恥をかかせないことで、秘密は守ってあげること、苦しいことや悲しいことを我がものと共有し、白状させて優位に立つことをせず、上下の差を見せつけることをしない、醜い自己顕示をしないこと、相手の善意に甘えないことなどの精神が流れているのが日本の国民性だろう。法を犯した場合は別だが、相手の人格を重んじる心が必要で、控えめの方が奥ゆかしさが出るのだろう。 2015年9月7日 琢
2015年09月07日
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めでたいこと長年の努力が実ったとき開発に成功したとき店や商品がはやっているとき発明で恩恵が広がったとき不動の領域に達したときさえすべてが途上のことで得た先には次の目標が待っている終止符は無く延々と続くもの宇宙も地上の歴史も有る限り変化するものそれが周期に成っている努力に終わりはなく上には上が、下には下が有るそのどこを見るかで生き方が違う常識って何だろう、中心軸って、ゼロ地点て、標準は?、何を、どこを中心にするのかは人それぞれの生い立ちや基盤によって違い、与えられた条件や制約の違いが有って、何が基本的な正しさかは、三つの「ち」【生まれた血筋、土地の風土、時代の知識】の生い立ち、生まれ育ちの基盤の違いで全く違ったものに成っているだろう。法律や時代の風潮を決め手にしているが、何年か先には見たこともないものが現れているだろう。価値観もそれに準じて変化してゆくだろう。めでたいこと、長年の努力が実ったとき、開発に成功したとき、店や商品が流行っているとき、発明で恩恵が広がったっとき、不動の領域に達したときでさえ、すべてが途上のことで、成就が有っても変化に終止符は無く、延々と続雲の、宇宙も地上の歴史も、有る限り変化しているもので、それが周期に成っているという、その「諸行無常」の自覚を持つことが重要なことだろう。努力、精進に終わりはなく、上には上が有り、下には下が有る。霊魂不滅の法則が有るというが、魂は永遠に有るもの、滅しないもので、輪廻転生するもので、人間としては、そのどこを見るかで生き方が違うのだろう。 2015年9月6日 琢
2015年09月06日
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学びと実践、体験の末に何度も考え抜いた心境伝えたい言葉は先人の遺した言葉を探せば必ず適切なものが有る世界の進化と共に達する領域には高度な発見と共に表現されたものが有る未熟な自分の中にも似た領域を得ることが有るその呟きは延々と語るより今有る本心を伝えることで人は察してくれる学を振りかざさなくても聴く人には解ってもらえるだろう勉強不足を嘆いたり、多くの書を読まなかったことから、表現力の無さを嘆いたり、ああすれば良かった、こうすれば良かったと後悔しても後の祭りで、文学的な表現をとってつけたように言うより、子供にもわかるような言葉、いやらしさの無い言葉、当てつけの無い言葉、誰かの揚げ足をとるような批判的な言葉を避けながら、刺激的な言葉を使わずにでも、真心・本心で伝える言葉はたくさん有るだろう。学びと実践、体験の末に、何度も考え抜いた心境、伝えたい言葉は、先人の遺した言葉を探せば、必ず適切なものが既に有るだろう。世界の進化と共に達する領域には、高度な発見と共に、表現されたものが必ず有る。未熟な自分の中にも、それに似た領域を得ることが有る。そのつぶやきは、延々と語るより、今ある本心を伝えることで、人は察してくれるだろう。単なる知識やまだ身に付いていない悟りのことばなど、学を振り回さなくても、聴く人には解ってもらえる言い回しが有るだろう。自分が節目ごとに目標にした言葉は、「一期一会」、「人事を尽くして天命を待つ」、「克己」、「浩然の気」で、いつも心に置いている言葉は「足るを知る」、「分相応」、「かけた情けは水に流せ 受けた恩は石に刻め」・長野県善光寺だったが、人それぞれに適切な相応の言葉は、探せば必ず見つけられるだろう。奈良薬師寺・故高田好胤師の「かたよらず こだわらず とらわれず ひろく ひろく もっとひろく これが般若心経 空のこころなり」も良かったと思う。 2015年9月5日 琢
2015年09月05日
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基盤の違うものが生活を共にすれば許容、受容したものを共有し重ねた時の積み上げが含まれている楽しいこと、うれしいことばかりでなく悲しいこと、苦しいことを超えて双方の親と子や孫に至るまでの責任ある苦楽が入っている十年より二十年、五十年の蓄積は重くその忍辱と精進の軌跡が残っている言葉で言えば簡単だがどんな状況でも生きる意志が有れば共に生きることの共通の責任のために時の変化と共に自分を変えて納得できる生き方ができる生命力はそれほど強いものだろう離婚という言葉を簡単に使うようになって、忍土の厳しさの中で自分本位を通そうとした結果、子供に苦を与え、最悪の被害者に成って、その親と同じような道を歩む運命を与えてしまう人々が多くなってきている。我慢すること、耐えることから得る智慧、ほとんどの智慧は苦労から得たもので、その智慧が先を拓かせることになるが、すぐに切れてしまって、唯物的に、刹那的に、利己的に目先のことだけで生きようとする人間が多くなってきている。基盤の違うものが結婚して生活を共にすれば、許容、受容したものを共有し、忍耐と妥協の積み上げたものが、子供と共に絆となって、家族の支えに成っている。楽しいことやうれしいことばかりはなく、悲しいことや苦しいことを超えてきたこと、双方の親と、子や孫に至るまでの、責任ある苦楽が入っている。その歴史が長いほど、超えてきた忍辱と精進の軌跡が残っている。五十年、金婚式、言葉で言えば簡単だが、家族と共に超えてきた歴史は相応の尊さと重たさが有るだろう。どんな状況にも生きる意志が有れば、共に生きることの共通の責任のために、時の変化と共に自分を変えながら、納得のできる生き方が有るだろう。人の生命力はそれほど強いものだろう。不安に負け、迷いには楽な方に走る生き方には信念が無く、協力して工夫することが無ければ、自分を信じることさえできなくなってしまうだろう。自分の可能性を信じ、自分の弾力性、懐の深さに、もっと自信を持つことだろう。 2015年9月4日 琢
2015年09月04日
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自分が不利な立場になるとき運が悪かったでは済まされずそうなる原因が必ず有る自分だけの正当化をせず周りの状況を考えること相手のことを洞察すれば無私、利他であったか時期を間違えたか原因に修正事項が無かったか誤解される言動が無かったか素直に謙虚に自己検証してみること無言でも表情や態度に現れるもので二見で無く中道の心で接すること反省材料はいくらでも有る自分が出す雰囲気が場を壊さないように明るく機嫌良い方がいいだろう自分が入ったことで場の雰囲気がいつもと変わったように感じた時、場には相応の変化が出ているもので、自分のどこかにその原因が有ると思うべきだろう。その原因がどこにあったのかを回帰してみる必要が有る。心当たりはどこかに有るはずで、他のせいにしたり責めたりすれば、もっと孤立することになる。素直に改めること、謝罪すること、謙虚に受け止めることが大切なことで、自分の判断だけでなく、親しい人に意見を求め、どこが良くなかったかのはっきりした原因をよく訊くことが重要だろう。自分が不利な立場になるとき、運が悪かったでは済まされず、そうなる原因が必ず有る。自分だけの正当化をせず、自分だけの都合で観ることなく、周りの状況をよく考えてみることが必要だろう。相手のことを洞察すれば、自分が無私、利他の心であったか、時期を間違えていなかったか、その原因に以前からの修正事項が無かったか、誤解される言動が無かったか、これらを素直に謙虚に自己検証してみることが重要なことだろう。無言でも表情や態度に現れるもので、二見でなく、中道の心で接することから、反省材料はいくらでも見つけられるだろう。自分が出す雰囲気が場を壊さないように注意しながら、明るく、機嫌良く対応できる方が良いだろう。 2015年9月3日 琢
2015年09月03日
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自分を試さなくてもやせ我慢をしなくても奥ゆかしさを示さなくても心と体の限界は限界で表れてしまうことはしかたのないもので作為的で無く自然に出るものは周りも理解してくれる害を為す方もその限界を試そうとしている体験と共に限界にも慣れてくるがその修復力に甘えも出てくる他を甘やかすことは愛でなく厳しさを理解させることも愛の一部だと言える基本的にはこの自然界の摂理を神仏の愛の仕組みだと思っておく方が良いだろう。自然の法則は厳しいもので、甘えは許されず、我が儘も通らない。その渦中にあれば、神も仏もないとつい恨み言を言ってしまいそうになるが、よくよく恩恵を思ってみれば、ありがたいことばかりで、生かされている自分に気が付く時が来るだろう。自分を試さなくても、やせ我慢をしなくても、奥ゆかしさを示そうとしなくても、心と体の限界は自然界のもので、表れてしまうことは仕方がないものだろう。作為的で無く、自然に出てしまうものには、周りも理解してくれるだろう。迫害を加える方も、その限界を試そうとしたり、興味本位の好奇心や自分の無力さのうっぷん晴らしをして、どこまで我慢できるかを試そうとするだろう。体験と共に、限界にも慣れてくるものだが、不安感が限界を大きくしてしまうところが多い。業・カルマが出やすいときで、その修復力にも甘えた妥協が勝ってしまい、自分を楽な方に向かせてしまう場合が多い。他を甘やかすことは愛ではなく、厳しさを理解させることも愛の一部だと言え、そう信じて心を鬼にするときも有るだろう。 2015年9月2日 琢
2015年09月02日
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心境は毎日変わる割り切れるとき、できないとき見切れるとき、無理なときとらわれるとき、気にならないときこだわるとき、ひろいとき交友の中でも居心地の良いとき、悪いとき視線が気になるとき、気にしないとき感情のコントロールは強い戒めが必要で油断すれば苦の元に成り自分を失う時が有る止観して自分の心を整えること一貫した願いを持つことそのための自己管理をすることやってみれば自分を変えられる身の回りに起きることで、真っ先に動くのが感情だろう。場合によっては自分で抑制できないほど高揚してしまうのが感情で、表情や言葉、行動に出てしまうことで失敗した経験は多いだろう。それ、言わなきゃ死ぬの?と言いたくなるような、人を叩きのめすような言葉を吐いて、交友関係が断ち切れになったことも多いだろう。初めて接した人の印象は、この人は凶暴な人で”君子危うきに近寄らず”と遠のいてしまうだろう。人の心境は毎日変わるもので、割り切れるときもあれば、できないときもある。見切れるときもあれば、無理なときもある。とらわれるときもあれば、気にならないときもある。こだわるときもあれば、ひろい心のときもある。交友の中でも、居心地の良いときもあれば、悪いときもある。他の視線が気になるときもあれば、気にしないときもある。機嫌の良し悪しは誰にも有ることで、感情のコントロールには強い戒めが必要だろう。油断したり、気を抜いたりすれば苦の元に成り、成り行きによっては自分を失ってしまうことも有る。そのために止観【出会い、出来事、事態を前にして、感じ、受け止め、考え、行為したことを思い出し、摩擦を起こしたのがどこで有ったかを観て、ストップをかけるところの見分けをすること】して、自分の心を整えておくことは大切なことだろう。それには、一貫した願いをもって、そのための自己管理を怠らないことが必要なことで、それをやってみることから自分を変えることができるだろう。 2015年9月1日 琢
2015年09月01日
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