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部下を育てること部下が大きくなれば自分をさらに大きくし自分の存在を確かなものにする上の引き上げが有ってもついてくるものが無ければ存在意義が無くなってしまう子を育てる親も同じこと根が無ければ風に弱く浮草のように流される根が張っていればいつでも新たな芽が出てくる飛ばされないように流されないように基盤をしっかり整えておくことどんなに素晴らしい能力を持っていても、自分一人でできることは知れていて、自分だけのことを考えるほど、利己的になるほど人の心は離れて行ってしまう。孤立してできることは自己満足だけで、内が良くても外が伴わず、不満を抱えて悔いを残すことに成ってしまう。他のことを思い、無私、利他の心で、そのお役に立つことを重ねていれば、孤立することはなく、いつでも協力者の縁にも恵まれる。部下を育てることは重要なことで、その部下が大きくなることで、自分をさらに大きくすることにつながっている。自分の存在を確かなものにして、それが自分の基礎を固めることにもなるだろう。自分のことだけを考えて、上にへつらうことで、たとえ上に引き上げてもらうことができても、ついてくるものが無ければ、存在意義が無くなって失脚してしまうだろう。子を育てる親も同じことで、大地に根を張っていなければ、風に弱く、浮草のように流されるしかないもので、信念を強く持って、愛と真心で関わることで、子は大きく育ち、大きく広く根を張った大樹のように、子々孫々までが約束されたようになるだろう。根が張っていれば、いつでも新たな芽を出して、枯れることがなく、新たな種を育てることになるだろう。飛ばされないように、流されないように、しっかりと自分の基盤を補強しながら整えてゆくことも、人生での自分の使命の一つだろう。 2015年8月31日 琢
2015年08月31日
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先入観は第一印象から心の内は歳と共に明かさずその部分がカオスになっている気取られないようにするのが日本の風土で言葉や表情に出さず空気を読む、察することを美徳とし心眼で観ること脳と心を研ぎ澄ますことそれが奥ゆかしさと懐の深さになっている言葉は誤解されやすく態度で示すことが心の表れとされている気取られて第一印象が悪くならないように心掛けている心の中にある人の印象はなかなか変わらないもので、自信家、被害者、卑下者、幸福者に分類した印象・レッテルを変えようと思えば、相当自分を変えてその実績を積まなければ、心の中の印象を置き換えることが難しい。善人、悪人のレッテルを貼られれば、人生のすべての景色にも影響してしまうだろう。第一印象が先入観に成って人の人生を左右してしまうところが有って、悪く思われないように身だしなみを整えたり、使う言葉を美しいものにしたり、背筋を伸ばして胸を張って歩いたりで、極力印象を良くしようと心掛ける人が多い。日本ではそういう心の内を表に出さないのが風土に成っていて、歳と共に表情に出さず、気取られることを嫌うもので、言葉や表情で誤解されないように、空気を読んだり、心の内を察し合うことを美徳としている傾向が強いだろう。大切なことは、心眼で観ること、そのために脳と心を研ぎ澄ませておくこと、察しが良く、良く気が付くこと、どんなに大きなものでも心にしまっておくことができる人、その奥ゆかしさと懐の深さで器を大きくすることが、日本人の美しさに成っていることだろう。言葉は誤解されやすく、一度発した言葉は言霊として、人の心に突き刺さって、いつまでも残っているという恐ろしさが有るために、細心の注意を払う必要が有るだろう。態度で示すことが心の表れとされ、気取られて第一印象が悪くならないように心掛けている人が多い。 2015年8月30日 琢
2015年08月30日
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辱を恐れる心が辱をかくたびに人を深化させる耐え難いことを忍び改善を加えることで摩擦を少なくして他の苦しみも解るようになる相手の立場を思うことで他に辱をかかせることも少なくなって理解し合えるようになる和はそこに生まれ大慈大悲の心を培えば思いやり気配りができて奥深さにぬくもりが加わる他の心を察することができれば洞察力が増してくる自分のことだけを考えて、自分だけの都合を優先することで、たしなめられたり、怒られたり、誰も相手にしてくれなくなって孤立して淋しさを味わったことが有るだろう。集団生活・共生での孤立は、ある意味では死を意味することになる。孤独の恐ろしさは自分にしかわからず、成ってみなければ超え方も知ることができず、交友を大切にしながら、協調性を育んで、集団に溶け込んでゆくしかないことを学ぶことになるのだろう。集団の中で恥をかくことは、はじめは耐え難いことだが、慣れて経験を積むほど、恥をかくことの無い自分に変えることで、人は進化してゆくのだろう。耐え難いことを忍び、改良を加えることで摩擦が少なくなって、場に溶け込むことから自分の居場所が定まってゆくのだろう。相手の立場を思うことで、無死、利他に成れて、恥をかかせることが少なくなれば、理解し合えるようになって、そこには和が生まれて絆を深めることができるようになる。その上に菩提心・大慈大悲の心を培うことで、思いやり、気配りができるようになって、人の苦しみや悲しみを我が苦しみや悲しみと思えるようになり、奥深さにぬくもりが加わるように成れるのだろう。他の心を察することができるようになることから、洞察力も増してくるのだろう。四苦八苦の体験、忍辱の体験から学ぶことが多く、人の進化はそこから始まると言ってもいいだろう。 2015年8月29日 琢
2015年08月29日
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思い込み、勘違い、見識の甘さが分岐点の道を変える目的意識が強ければ修正することができるが成り行き主義なら永いスパンでは修正不能の道を歩むことになる無知であるほど道を歪めてしまう学ぶことの大切さその実践と応用の意欲的な取り組みそこで身に付いた智慧が自分を救うことになる怠けていればはるか遠く忘却と喪失の道を彷徨って悔いを残すことになるもっとやっておけばよかったと思ったことも多いだろう。”過ぎたるは及ばざるがごとし”と言うが、もう遅いと感じたことが何度も有っただろう。後れを取った悔しさ、焦りを感じたことも有っただろう。もうどうでもいいやと思ったことも有ったかも知れない。できなかったことにしがみつくのは格好が悪いと捨ててしまったことも沢山有ったかも知れない。投げやりや諦めから残った悔いの方がはるかに悔しかっただろう。思い込みや勘違いなどの見識の甘さが、その時の道を変えてしまう。夢や希望の目標などの目的意識が強ければ、滅を描いて修正することができるが、成り行き主義を通せば、永いスパンで見れば、修正不能の道を歩むことになって、使命感がなく、生き甲斐を感じることの無い荒んだ道を歩むことになってしまうだろう。無知であるほど道がゆがみ、考える人ほど学ぶことの大切さを知るだろう。学んだことだけのままなら、単なる知識でしかなく、それを実践、実行して体験すること、応用することを意欲的に繰り返すことで初めて自分の身に付くもので、それが智慧になって、先になって自分を救うことにもなり、人の役に立てたよろこびを知ることにもなるだろう。”怠惰に栄光なし”で、怠けていれば、願いははるか遠く、忘却と喪失の、なぜ生まれてきたのか、何をするために生まれてきたのかを自覚しないままの道を彷徨うことになって、大いなる悔いを残すことになってしまうだろう。 2015年8月28日 琢
2015年08月28日
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独断と偏見の許されない時代成熟した個性が求められ高品質のリーダーが望まれている政治、経済には不満が多く愚かさを知るほど完全は有り得ない世界でどうあらんとするか期待する側にも質の向上が必要な時代許容、受容、奥行きの有る理解度ただ揚げ足取りで批判するばかりでは育つものも育たなくなる教育はみんなで盛り上げるものその上で光を求めるべきだろう営利の都合は控えるべきだろう隙や抜けの許されない時代に成って来ているようになったと思うのは自分だけだろうか。三つの自覚{忍土の自覚、愚かさの自覚、恩恵の自覚}を思うが、リーダーであろうが、トップであろうが人間である以上、完全は無く、足るを知ること、素直で謙虚であること、自分に嘘はつけないことの自覚が無ければ、人間であること自体を疑わざるを得なくなってしまうだろう。報道の自由の濫用にも懸念を感じ、自社の都合の良い方へ国民を誘導しているかのように感じてしまう報道も多い。独断と偏見の許されない時代が来ているようで、成熟した個性が求められ、高品質のリーダーが望まれているのは、今日の自然現象【宇宙、大自然の周期的調整期と人工の地球汚染】の状況下では、衆生の不安が増大し、政治、経済には不満が膨張してきているからだろう。愚かさを知るほど、完全は有り得ない世界で、”どうあらんとするか”が問題で、期待する側にも質の向上が必要な時代に成っている。許容、受容、奥行きの有る理解度が必要で、ただ揚げ足取りで批判するばかりでは、育つものも育たなくなってしまうだろう。建設的な意見を出し合って、人智を尽くして人智を超える時が来ているのだろう。教育はみんなで盛り上げるもの、その上で光を求めることが大切で、ただ営利目的だけの都合は控えるべきだろう。 2015年8月27日 琢
2015年08月27日
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日本茶の苦味が甘味、旨味を敏感にして和の食文化の元になっている世界無形文化遺産として”粋”、”通”の注目を浴びているフランスに西洋文化を学び芸術と食文化に日本文化が加わって世界の文化的牽引の段階に入っている優秀な技術と共に日本製品に人気が集まっている違法な模倣も多く自己防衛の策も必要になっている文化、文明に自信がもてる国品位を重んじる必要が有るへつらう時代は終わった戦後の日本はアメリカに追従して合理主義を学び、追いつけ、追い越せとあらゆる努力を積み重ねて、驚異的な発展を遂げて復興し、世界第二位の経済大国にのし上がった。島国根性、狭い国、見識の甘い国と言われてきたが、人の良さ、親切、やさしさ、貧しくても品格を持った民族として、世界にあらゆることを学びながら一流に成った国で、誠実さと共に堅実な成長を遂げて、今は世界遺産に登録されたところも多く、美しい国、独自の文化を生み出した国として脚光を浴びている。和の食文化も、世界無形文化遺産として登録され、世界の”粋”、”通”の人々の人気を集めている。和の食文化は、独自の旨味の出し方が時流に乗っていて、日本茶の苦味が、甘味、旨味を敏感にしているそうで、その元に成っていると言う。フランスに西洋文化を学び、芸術と食文化に日本文化が加わって、世界の文化的牽引の段階に入ってきている。優秀な技術と共に、日本製品に人気が集まっている。違法な模倣も多くなっていて、自己防衛の策も必要になってきている。文化、文明に自信のもてる国として、品位を重んじる必要が有るだろう。もう、へつらう時代は終わったと言っていいだろう。 2015年8月26日 琢
2015年08月26日
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恐怖感は内から涌くもの警戒心を持っても、気の問題で現実のものでない自滅しない限り死ぬことは無い死ぬ覚悟が出来ていれば何も怖くない挑戦には危険がつきもので恐れていては何も出来ない現実は何も変わらない強い意志が気力を整えさせ気力が体も整える心は明るく機嫌良く否定的に成らず前向きが強いほど岩をも砕く力が湧き出てくる気力が無ければ、やる前から負けていて、一度や二度の失敗でへこたれていては、この世は渡って行けない。痛い目に遇うほど二度とそんな目に遇わないような自分の整え方ができるのが人間の智慧で、警戒心はその心を整えさせる。心が整って気力さえあれば、体も付いてくるもので、衰えさえ感じさせない自分に成るには、気力を整えることだろう。絶望が有っても、這い上がること。決して自分を悲劇の主人公のような気分に酔いしれて、拗ねたり、甘えたりしないこと。誰も助けてくれないから自助努力を自分のためにすること。恐怖感は内に湧き出すもので、警戒心を持っても、気の問題だと思って自分に負けないこと。想像のものは、現実のものではなく、自滅しない限り死ぬことは無いが、一度死んだつもりに成って、自分の甘えを吹っ切ることが重要で、死ぬ覚悟が出来れば、何でもできるし、何も怖いものは無くなるだろう。挑戦には危険がつきものでも、恐れていては何もできず、何もしなければ、現実を変えることは出来ないだろう。強い意志が気力を整えさせ、気力が有れば、体さえ整ってしまう。心は明るく機嫌良く、何ごとにも否定的に成らず、馬鹿と言われようと笑っていられる自分をつくり上げること。いつも心は前向きが強いほど、岩をも砕く力が内から湧き出してくるだろう。 2015年8月25日 琢
2015年08月25日
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世界は広い現有の駒だけに限定せず縁有るものは湧き出ると信じ協調はしても妥協せず新たな可能性を求め精進を怠らないこと因を転換すれば更に相応の縁に恵まれる他の道は他の道我が道は我が道共有が有ってもそれぞれの成就を祈る自分の道は自分の足で歩みその責は自分に有って責任転嫁や恩着せをせず悔いの無い道を歩む自分に自信が無いときは、人の歩む道をを羨ましく思い、迷いや葛藤の連続で、何をすればいいのかが全く見えず、成り行きに身を任せて、流されてゆくしか方法が見つからないだろう。人それぞれの生い立ちの条件や制約は全く違うもので、常識の基準点はそれぞれ異なっている。そういう基盤の元で、その人にしか選択できない、止むに止まれぬ正しさが有るのだろう。その中にも可能性はたくさん有って、小さく限定せず、大志をもって大きな可能性を求め、自分に出来る目いっぱいのものを引き出すことに生き甲斐が有るのだろう。世界は広い。現有の駒だけに限定せず、縁有るものは湧き出てくるものと信じ、協調はしても、その道だけは妥協せず、新たな可能性を求めて、精進を怠らないことだろう。因を転換すれば、心を変えれば、更に相応の縁に恵まれる。他の道は他の道、我が道は我が道。共有は有っても、一貫して真理を求めて、それぞれの成就を祈ることだろう。自分の道は自分の足で歩み、その責は自分に有って、決して責任転嫁や他への押し付けや恩着せをしないことだろう。明るく機嫌良く今を生きること、悔いの無い道を歩むことが自分に与えられた道なのだろう。真念一貫 不逃避 忘己利他 一隅を照らす真理を求め、逃げることなく 人のための 光と成れ 2015年8月24日 琢
2015年08月24日
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風評の悪い学校でも中に入ってみれば気のいい奴が多く一見ダメを思う奴が卒業後にも友人に成っている一見惹かれる人も話しをすればダメな人もいる外見で人を判断できないが心の様相は何処かに表われている未熟なために見落とす部分が多く体験して身に付くほど見え始めるものが有る本性の洞察が重要だが心眼を開かなければ信じ切るところまでは行けない塞翁が馬と言う諺が有るが、人間万事そういうところを通るように成っているもので、思い通りにならなかったからと言って嘆くことはないということだろう。子供が出来れば、英才教育をして、出来るだけ良い学校に行かせることで子供は幸せに成ると思い込んでいる親は多いだろう。全部がそうなれば子供の個性は消え失せて、みんな同じ種類の人間ばかりで、自然の摂理に反し、全く面白味のない、人工ロボットの世界に成ってしまうだろう。風評の悪い学校でも、中に入ってみれば、いい奴が多く、一見ダメだと思う奴が、卒業後には友人に成っていることも有る。一見心惹かれる人も、話をすれば失望する人もいるだろう。外見で人を判断できないが、心の様相は何処かに表われているもので、その部分を未熟なために見落とすことも多いだろう。多くの出会い、出来事、事態を体験して始めて身につくものも有るだろう。そういう智慧が自分を守ることや他の助けになる場合が多く、体験、経験が多いほど、観え始めてくるものが有るだろう。本性の洞察が重要な意味を持つようになるが、心眼が開いていなければその洞察もままならず、人を信じ切るところまでは行かないだろう。信頼関係と友情と絆の意味を良く考えて、場に臨場する方が良いだろう。良き縁が無ければ、どんなにいい種・因・心・魂で有っても花を開かせることは出来ないだろう。 2015年8月23日 琢
2015年08月23日
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狙ったところに打てたときそのスイングは美しいがスイングを美しくすれば思い通りに飛ぶとは限らない狙いと形は別のものでここ一番で打たれるボールにはその意志が乗っている美とスコアーは別もので意識の置き所に左右される目的意識を何処に置くかで道は変わってしまう本番は練習どおりには成らず意志の強さが現われるもの静と動との間に心の影響が有る不動、無心の自然体である方が良いゴルフ等の球技をやって解ることも有る。どんな競技も確率がものを言うが、その実績と共に客観的に評価されるのが前評判だろう。競技が始まる前の予測と結果は別もので、日頃の練習で不安を解消して磐石な基礎を積み上げていても、本番で実力が出るとは限らない。スイングは理に叶ったものの方が良く、確率は高くなるが、本番でのここ一番のときにスイングの美しさにとらわれていれば、打たれるボールが狙い通りに行かない場合が多い。スイング中の課題は少ない方が良く、注意事項が二つ以上あれば、照準を合わせたつもりでも、狙ったところに打てないだろう。狙いと形は別のもので、ここ一番で打たれるボールにはその人の強い意志・魂が乗り移っているもので、スイングが美しければ良いというものではなく、本番では思い通りにまとめる集中力が有るかどうかにかかっているのだろう。美とスコアーは別もので、意識の置き所に左右されてしまうが、目的意識を何処に置くかで、必然の結果・果報を引き寄せることができるかが決まってくるのだろう。本番は練習どおりには成らず、その意志の強さが現われるもので、静と動の狭間での心の影響の方が強く出てしまうのがスポーツ競技だろう。迷いを振り切って、不動、無心の自然体であるほうが良いだろう。仏教は『無』を教えているのではなく、『色即是空、空即是色』、色は出て見えている状態、空は有るが見えていない状態のことで、そこに人の欲が加わることの無いように、”無に成ること”、”無私”に成れば、摩擦は少なくなって、悔いの無い道を歩むことが出来ると言うこと。何をやっても最後はそこに来るのだろう。 2015年8月22日 琢
2015年08月22日
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すっきりしない心には問題が残っているすべてが円く収まることは無く心配事が解消することはない それが忍土だと割り切れず末路のすべてを想像すればこれで良いということは無い混沌としたカオスを前に何が起ころうと不動であることの難しさ思い通りの状態には成れず迷うことの無い対応を目指し日々精進と祈りを重ねながら不測の事態にも動じることなく自分にしか出来ない対応をする難しくても解決策は見つけられるそういう安定した心を求めている未熟であれば有るほど、経験不足が有るほど、未知のものや未体験の事態を前に、どうして良いものかが判らず、頭が真っ白になることも多いだろう。そういう問題を抱えながら未処理のまま荷が重くなり過ぎて、暗い心に覆われてしまう人も多い。問題の先送りや放置が多いほど、心の荷が重くなって表情は暗くなるばかりで、終いには、もうどうなっても仕方ないと自分を諦めて、投げ出してしまいたくなるだろう。四諦【苦、集、滅、道】、消去法で、当面の問題を確実に処理しておくことの大切さ、そのために自分を無くして、無私、利他の精神で、見切ること、割り切ることで早めに問題を消去しておけば、次から次へと迫ってくるカオスへの対応も、自分なりのきちっとした処理が出来るように成るだろう。すっきりしない心には、問題が残っているものだが、すべてが円く収まることは無く、心配事が解消することもないと自覚しておく方が良いだろう。それが忍土だと割り切れず、末路のすべてを想像すれば、これで良いということは何一つ無いだろう。混沌としたカオスを抱えて、何が起ころうと不動であることの難しさ、心がすっきりしないことも多いだろう。思い通りの状態には程遠い心情の中でも、迷うことの無い対応を目指し、日々精進を重ねながら、不測の事態にも動じることなく、自分にしか出来ない対応をすること。自分の求めるものは必ず得られると信じ切ること。どんなに難しい問題に直面しても、必ず解決策は見つけられると、自分を信じきることから、心が安定してきて、何かが観えてきて、それで死ぬなら本望だと言う自覚がもてるようになるのだろう。 2015年8月21日 琢
2015年08月21日
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いつも行き着く心行動パターンが前向き、積極的主導型なら自信家批判的、正論型なら被害者消極的、後ろ向きなら卑下者従順、依存型なら幸福者自分の傾向を知り、対策を練ること何故そうなったかを考えてみること感情の動き、流れを知っておくこと失敗した過去の中に同じ繰り返しのカルマが有る危険を承知に上でも進めたいこと損得に関わらず成就したいこと本能的に向かってしまう苦の道そこに生まれてきた課題が入っているミッションワークはその自覚が有ること生まれれば、十二縁起【無明、行、識、名色、六処、蝕、受、愛、取、有、生、老死】が時計のように回っている。ゼロから始めて、転生する魂の中に入っているものを思い出そうと、無知を埋めながら忘却、喪失しているものの中に自分の天職・使命が何かを探って道を歩んでいるのが人間なのだろう。その答えは”あなたの中に有る”と高橋先生は言う。ミカエルとしては、”人生は、問題を追及するのではなく、既に有る解答に気がつくことである”と言っている。いつも行き着く心、行動パターンが、前向き、積極的主導型なら自信家、批判的正論型なら被害者、消極的、後ろ向きなら卑下者、従順、依存型なら幸福者と言い、自分の傾向はそのどれかに入っている。先の自分の傾向と対策を練ろうとすれば、自分がどんなものかを知っておく必要が有る。何故そういう傾向が有るのかを考えてみること。いつも動いてしまう感情の動きや流れを知っておくこと。その原因の多くは、痛い目に遇った、失敗した過去の中に有る場合が多く、そこに何度も同じ過ちを繰り返し、分っていても止められず、逃げても付いてくる業・カルマが有る。その修正浄化に努め、本心で、危険を承知の上でも進めたいこと、損得に関わらず成就したいこと、本能的に向かってしまう苦の道、そこに生まれもって来た課題が入っていると言う。ミッションワークに就くとは、そういう自覚ができていると言うことだろう。 2015年8月20日 琢
2015年08月20日
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微妙な変化をキャッチするとき対応を慎重に我を出さないこと時の変化か心境の変化かすべてをカオスと観てその正体を洞察すること本音と建前のギャップを少なくして本心を定め丹田に重心を置く本心の願いを念じながら何が起きても慌てず短慮を戒めて些細なことと侮らず感情の抑制を心掛ける突発的に起きたことには、アッということが多く、不意を突かれて為すすべが無いときが有る。真っ先に動いてしまうのが感情で、理性的判断どころか、驚きや怒りの気持ちがあるだけで、事態の収拾に心が向かわず、無意識に出てしまう言葉で後悔することが多い。その原因は、必ず有るはずで、内外の検証を要するもので、事前にその兆候が出ている場合が多く、今後のためにも、自己の修正と対応の仕方を、納得できる自分の在り方を確かめておく必要が有るだろう。微妙な変化をキャッチするとき、対応を慎重にして、我を出さないこと、そのすべてをカオスと観て、その原因を見極めておくこと、目前に迫ってくるものの正体を洞察する心のゆとりを持っていることが大切だろう。内のことでは、本音と建前のギャップを少なくしておくこと、本心を定めておくこと、場に臨場するときは、丹田に重心を置くことで不動であることが重要なことだろう。本心の願いを念じながら、何が起きても慌てず、短慮を戒めて、些細なことと侮らず、感情の抑制を心掛けておくことだろう。本心で語り合うには、先ず、訊くこと、受け止めること、心を開くこと、そうすれば相手の心も開いてきて、その本心が観えて来るだろう。 2015年8月19日 琢
2015年08月19日
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有る状態を表すことは尽くしきれないもので心の様相は観る人の体験と智慧と共にその一部分から察することでしかつかみとることができない一を聴いて百を知るには学び、実践、体験と共に共有できたときだろう長々と説明をするに及ばずある一点を説明することで観るものにはその状態が解る表情に、言動に表れるものそこに生い立ちや基盤が観えて来るそういう空気を読むことで先が観えて来る先見能力や予知能力が無くても、無知の穴を埋め、得た知識を智慧に転じることで、カオスの洞察や先を読むことが出来るように成る能力はすべての人に与えられている。向上心や好奇心から知りたいと欲するものの知識を得ることが出来れば、それを体験して出来るようになりたいと、身に付いた智慧にしたいと誰もが思うだろう。出来るように成れば他に施してあげたいと思うのも人情で、そういう菩提心が有るから和が保たれているのだろう。伝えようと思うとき、状態を表わそうとするほど尽くしきれないもので、本人としては自分の表現力の無さを嘆くことに成るが、観る人が見れば、その智慧と体験から、その一部分を観るだけで全体像を察してくれている。一を聴いて百を知るようになれば、宇宙や自然の摂理を学ぶことから、有る程度の先を読むことが出来るように成るだろう。長々と説明をするに及ばず、ある一点を表現することで、観ることが出来るものには、その全体を理解することが出来るように成っている。顔や表情、その姿や言動から、その生い立ちや基盤が観えて来る。そうなれば、場の空気を読むことが出来るようになって、先が見えるように成れるのだろう。観て信じるだけでは行動範囲が狭く、広い視野を持って大局的に観ることができるようになれば、びくびくせずに堂々と歩くことが出来るように成るのだろう。 2015年8月18日 琢
2015年08月18日
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快感を原則とするから苦しいことや悲しいことから逃げようとする快苦をマルかバツかで分けるから快苦の本当の意味が解らない楽だけを求めれば安易に成って上を求めれば限が無い本当の満足は苦を超えたところに有って逃げていては得られない心を癒すのは快で有っても魂の成長は苦の中に有って感謝の心も得智も域を求める途上に有る心の安定は不動の状態で確信を持って歩む道に有る知識がたくさん有っても、実践で体験しなければ身に付かず、智慧に成ることは無い。博識は時と共に消えてゆくもので、身を持って体験したものだけが智慧に成って自分を救うことにも、他人を助けることにも成って、信頼関係が深くなれば、夢や希望の成就を引き寄せることに成って、確信に至るのだろう。本心からの歓びはその途上の何処かに有って、それが見つかるまでが迷いや葛藤の連続なのかも知れない。快感を原則とするから、苦しいことや悲しいことから逃げようとする。快苦をマルかバツかで簡単に分けようとするから、楽だけを求めれば安易に成って、上を求めれば限が無い。本当の満足は、悲苦を超えたところに有って、逃げていては得られないものだろう。心を癒すのは快で有っても、魂の成長は苦の中に有って、忍辱や辛苦を超えたところに湧きだす感謝の心や先を開く得智は、域を求める途上に有るのだろう。人間がどの時代にも願って止まない心の安定は、宗教そのもののではなく、その法を身につけてこそ得られる不動の心で、自分が生まれてきた意味や使命を自覚した上で、確信を以って歩む道に有るのだろう。 2015年8月17日 琢
2015年08月17日
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踏み止ること押し切られず土俵際で止めること放棄せず、諦めず死に体に成っていても気力で持ちこたえることそこからが本当の勝負と粘り越しから勝ちをとる迫る試練を超えることから未知の可能性を知る信じ切ることが粘り越し、しぶとさとなり本当の智慧になる”転識得智”この世はやってみなければ何も出来ず可能性は無限に有る自信が無くなれば、何をやってもうまく行きそうに無いと思ってしまう。どうせダメだろう、無駄だろうと、過去に痛い目に有った人ほど、何かをしようとするときの一歩に大きな勇気を必要とするが、気が萎えているほど、時間だけが過ぎてタイミングを逃し、結局何も出来ないまま、自分をダメな人間だと思ってしまう。何をするにも動機が必要で、勇気を出してしようとすれば、必ず相応の障碍や試練に出会うことに成っている。それを超えること、踏み止ること、失意に押し切られず、土俵際で踏み止ること、傍目には死に体に成っていても、気力で持ちこたえること、そこからが本当の勝負だと思っておくことが大切なことだろう。粘り越しから勝ちをとった例はいくらでも有って、迫る試練を超えることから、未知の可能性を知ることに成るのだろう。”人間の可能性は、信じなければ開かない扉を、幾重にも通り抜けた先に有る” 高橋佳子信じ切ることが、粘り越しやしぶとさとなり、踏み止って超えた実績は自信に変わり、そのたびに自分の欠陥を埋めることから本当の智慧を得ることに成る。唯識ではそれを『転識得智』・てんじきとくちと言っている。この世はやってみなければ、何も生み出せず、学んだ知識も実践、体験して身に付けなければ、単なる知識・能書きだけに終わって、忘却、喪失してしまうだろう。すべて自分にその欲が有るか、願いが有るか、気が有るか、その自分からの強い意志が有るか、単なる知識を智慧にするのは、自分からの意志だと言う。そこで得た多くの智慧が自分を救うことに成り、いずれは夢や希望の願いを成就させることに成るのだろう。 2015年8月16日 琢
2015年08月16日
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自分で自分の責任をとる如何に優位、支配をしてもその責任を取れなければ信頼されることは無くそのすべては自分の意志によるもので他のせいにして逃げられず保身のために自分に嘘をつけない素直であること、謙虚であること”信”が人の価値を決める背伸びや虚飾は信頼を失う自画自賛で自己満足しないこと『観自在』でその評価は他にゆだねること何処にいてもそこが居場所に成るように誰も誉めてくれなければ自分で自分をアピールするしかないと、自画自賛をしている姿を見れば、奥の深さを感じられず、ちゃんとみんな観ているのにと思ってしまう。自己顕示は自分に注目を引き寄せたくてしてしまうのかも知れないが、自分の都合を優先しようとするだけで、他の苦労を全く無視しているようにしか見えない。自分の評価は自分でするものでなく、他人の評価がその価値を決めるものだろう。身の周りで起きていることには少なからず自分の影響が有るものと、その原因を正すこと、自分で自分の責任をとることが重要なことだろう。如何に優位、支配をしていても、その責任を取れなければ、単なる自己満足の”ええとこどり”だけで、信頼されることは無いだろう。すべてが自分の意志によるもので、他のせいにして逃げられず、保身のために自分に嘘はつけないだろう。素直であること、謙虚であることが望ましく、”信”が人の価値を決めるもので、背伸びや虚飾は、自分をダメにして他の信頼を失うことに成るだろう。自画自賛で自己満足しないこと、『観自在』で、自己回帰して、自己検証からその原因の修正浄化をしておくことが大切なことで、自分が”どうあらんとするか”には妥協せず、その評価は他に委ねることが潔く、摩擦を少なくする努力、忍辱を重ねることで、何処にいてもそこが自分の居場所に成っているのだろう。 2015年8月15日 琢
2015年08月15日
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どれだけ技能が優れていても修行の成果を発揮できなければ臨機応変な対応が出来ず体幹に入っていても心が整っていなければ集中できず、雑念に覆われて実力を出せない放心状態に成らず乱されない不動の心でなければ適切な対応が出来ない幾多の試練を超えて技能が整っていても心の未熟が邪気に負けてしまう克己の大切さ両面を整えておくことどんな努力を重ねていても、どんな修行を積んでいても、専門分野での最高の技能を身につけたとしても、気力を失い、やる気が失せたときは、意味の無いものに成ってしまうだろう。反面、やる気が有っても夢や希望の目標が無ければ、力が分散して成し遂げられるものも空回りに成ってしまうだろう。いつも何かの手応えを感じながら確信を得たいもので、自分が何に向いているか、何をしに生まれてきたのか、どんな天職、使命が有るのか、それさえ解れば極限の力も出せるし、無限のエネルギーも出せるだろうと、誰もが思っているだろう。現実は自分の無力に打ちひしがれる歩みを重ねているのが実情なのだろう。どんなに技能が優れていても、どんなに良い包丁でも使う人の心次第で凶器に成ってしまうように、心が整っていない限り、集中できず、雑念に覆われるばかりで、実力を発揮する場をつくれないだろう。どんなときにも、どんな場に臨場していても、乱されない不動の心でなければ、適切な対応ができず、幾多の試練を超えて、技能が整っていたとしても、心の未熟が、邪気に負けてしまうことは往々として有るだろう。考え方によっては、試練は外からのものではなく、内からのものとも言えるだろう。そういう意味では、この世で最大の敵、最も怖いものは、迷いや葛藤、圧迫感に負けて逃げ出したくなる、諦めてしまう”自分自身”なのかも知れない。『克己』を心掛けて、自分に負けず、幾つに成っても気力が自分を奮い立たせるように、心技の両面を整えておくことが大切なことだろう。 2015年8月14日 琢
2015年08月14日
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ホテルに行けば外国人の宿泊客が増え風土の違いなのかマナーが悪く成っている屑籠や灰皿の汚れ方が違う黄色人系が多く子供より大人のマナーが問題で入国者の事前マナー教育も必要だろう経済効果はありがたいが日本の自然保護が必要で外来種に乱されない工夫を要する以前には無かった犯罪の形態への対応も国際化する中で世界を牽引する自覚を持つことが必要だろうおもてなしの整備が必要で敬愛される国に成って欲しいと思う貿易国として国際交流が盛んになるほど、海外の文化文明への対応だけでなく、自然の生態系保護も必要に成って来ている。今までに無かった生物の繁殖、害に成る生物への警戒、常識の違いへの対応、島国的な狭い考え方から、インターナショナルな、グローバルな、広く均整の取れた対応が求められる時代に入ったのだろう。ホテルに行けば、外国人の宿泊客が増え、風土の違いからかマナーが悪くなっている。屑籠や灰皿の汚し方が違い、傾向的には黄色人系が多くなっていて、子供よりも大人のマナーが問題で、入国者の事前マナー教育も必要かも知れない。経済効果はありがたく、感謝に値するが、日本の自然保護の政策も必要で、外来種に乱されない工夫を要するだろう。犯罪の傾向も、以前には無かった、日本人的発想ではない形態が多くなっていて、厳格な対応が求められるように成って来ている。国際化する中で、日本の注目度は世界的に高くなっていて、国民全員が世界を牽引するくらいの自覚を持つことが必要な時代に成って来ている。ホテルの国際的なサービスの常識だけでなく、どの国にも有るホテルのマニュアルを超える”おもてなし”の心がにじみ出るようなサービスが必要だろう。景勝や日本独自の文化、和の食文化など、世界に敬愛される国に成って欲しいと思う。世界平和の牽引的存在と成る国に成って欲しいと願っている。 2015年8月13日 琢
2015年08月13日
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摩擦が何処から生じたのか自分では気が付かない場合が多い善意の照準を何処に置くかで解釈に違いが生じるどうあらんとするかの違い方向に違いが生じれば平方線に成るが時の変化と共に理解し合えるときが来る待つことの大切さそこに邪気は入れない感謝を忘れず相手の仏性に敬意を表し更なる精進を重ねる揉め事が起きたときは、片方の言い分だけを聴いて、対面している人を正当と判断することは危険な場合も多く、相手も同席の上で双方の言い分を聴かなければ、片手落ちの判断に成って、真実が見えてこない場合が多い。親しいものを信じたいのは人情だが、判断基準は人それぞれ違っていて常識も違う場合が多い。善意で客観的な、偏見の無い思考で観なければ、、判断を誤ってしまうことも多いだろう。摩擦が何処から生じたのか、自分では気が付かない場合が多く、善意の照準を何処に置くかで、解釈に違いが生じてしまう。どうあらんとするかは、善意で観れば、その人の生い立ちや基盤から来ている場合が多く、絶対的な正しいものの基準は無く、分岐点で選ぶもの、これしかなかった止むにやまれぬ正しさが、人それぞれに有るだろう。善意の方向の違いは平行線になる場合が多いが、時の変化と共に、必ず理解し合えるときが来るだろう。マインドコントロールが有ったり、嘘偽りで塗り固めていても、真実は時と共にあらわに成るもので、待つことの大切さ、石の上にも三年と言うが、それ以上のスパンで、永い目で見なければ、判断を間違ってしまうだろう。そこに邪気は入れず、自分のスタンス、どうあらんとするかは、感謝を忘れず、相手の仏性に敬意を表して、更なる段階に向けて精進を重ねることが重要なことだろう。 2015年8月12日 琢
2015年08月12日
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集団の中で自分の心を変えれば相手が変わる因の転換をすれば相応の縁に恵まれる人の好意を粗末に扱わずその恩恵に感謝で接すれば良く聴くこと、受け止めること、心を開くことで本心での交友ができる建前や本音でなく本心での対応が和を深めて念ずれば花開くように明るく楽しく機嫌良く今を生きること道を歩めばごつごつした砂利道ばかりで、夢や目標に向かえば、試練や障碍に道を塞がれそうになる。誰一人はじめから真っ直ぐに続く道が与えられているわけは無く、忍土の厳しさに慣れさせること、四苦八苦の出会いでは甘い道は無いことを知らされる、そういう仕組まれているような必然を受け止めること、体験することで、それらを超えるための智慧を自分の意志で身につけてゆくことから、真っ直ぐな白い道を見付け出せるのだろう。一人では生きられず、集団の中に共生するように成っているもので、それぞれが自分の心の安定を求めて生きているのが人の人生だろう。集団の中では、自分の心を変えることで、無私、利他に努めれば、相手も変わってくるもので、因・心・種の転換をすれば、相応の縁に恵まれ、因縁側の交友と共に、その恩恵に感謝で接することから、信頼関係が深まって、本心での交友が出来るように成る。人の好意を粗末に扱わず、良く聴き、受け止め、心を開いて接することから、建前や本音ではない本心で語り合うことが出来るように成る。本心での対応が和を深めることが出来て、心に安定がもたらされることで、念ずれば花開くように、自己開花の道を不動の心で、明るく、楽しく、機嫌良く、今を生きることで、悔いや執着、未練を残さない道を行きたいと思う。 2015年8月11日 琢
2015年08月11日
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好意的か批判的かが分らず有利化不利かも分らない混沌として読めない場ではかたよった発言を避け様子を見ること空気を読んで馴染むこと無闇に自己顕示をせず洞察すること善意の祈り心で臨場し謙ることなく堂々としていること場の雰囲気を壊すことなく溶け込む努力を重ね自分の姿勢を保ち屈辱的な迎合をしないこと『中道』を保つ努力は、いつも心の中に戒めとして持っておくこと。勇気の要ることだが、信頼を損なわないように、足るを知り、身の程を知っておくことは、自分の人となりを崩さないための大きな心構えだろう。初めての場に臨むときには、場の空気を読むこと、雰囲気を壊さないことが鉄則で、そのためには混沌としたもの・カオスがどのようなものかが見えてくるまで身を慎んでおくことが大切なことだろう。望まれているか望まれていないかが分らず、好意的か批判的かも見えない状態では、濁った水の中に居るみたいに何も見えず、沈殿して見えてくるまでは動かないことだろう。自分にとって有利か不利かも分らない場に立てば、かたよった発言を避けて様子を観ることが大事なことで、空気を読んでなじむことを心掛け、無闇に自己顕示をしないこと、良く洞察することが必須のことだろう。心の状態は善意の祈り心で、菩提心で対応しながら、へりくだることなく堂々として不動で居ることが重要だろう。場の雰囲気を壊さないように、場に溶け込む努力を重ね、自分の姿勢を崩さないこと、屈辱的な迎合をしないことが重要なことだろう。洞察が出来ない内に、他の評価を口にしないことも大切なマナーだろう。慣れて馴染んで来ても、背伸びをせず、我欲を出さず、押し付けや誘導をしないこと、他人のせいにして自己保存をしないことも重要なマナーの一つだろう。和の心掛けが最も大切なことだろう。 2015年8月10日 琢
2015年08月10日
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二見にとらわれれば自分のことだけで精一杯で相手のことなど考えられず刹那的、利己的に成っていて事態が収束した先が観えない末路の視野を持つことの大切さ思いやる心、気を配る心の大切さ自己回帰の大切さその原因をつきとめること改めるべきを改めること発心して先に備えること未来への準備の大切さ知識を智慧に転ずるのは自分の意志準備して気力を整えるのも自分の意志カオスに対応して願いを引き寄せるのも自分の意志そこに魂の成長が有るのだろう何でもそうだが、やる気が失せてしまえば、何も出来ずにただ成り行きで生きているだけの人生を送ることに成ってしまう。気を萎えさせることの恐ろしさ、目は腐った鰯のように、生気が無く、自分を卑下して拗ねる醜い甘え、絶望の渦中にいれば、どうせ何をやっても上手くゆくはずがないと、投げ出して諦めようとする、そんな厭世的な自分に成りたくないと思う。痛い目に遭うほど迷いや葛藤が増えるが、勝った負けたや損した得した、プラスかマイナスかだけに気をもんでしまう二見のとらわれの末路がそういう状態なのかも知れない。二見で見ているときには、自分のことだけで精一杯で、相手や場の空気を読むことさえ出来なく成っている。刹那的、利己的になって、ただ唯物的なものだけを求めていて、事態が収束した先を読んでいない場合が多い。末路の視野を持つことの大切さ、思いやる心、気を配る心の大切さ、自己回帰、回顧反省の大切さ、を思う。失敗の原因を突き止めて、それに影響している自分を自覚して、改めるべきを改めておくこと、一念発起して先に備えること、未来への準備の大切さを知っておくことだろう。すべてが自分の意志で、知識を智慧に転じようとするのも、準備して気力を整えるのも、カオスに対応して願いを引き寄せるのも、そうしようと決意している自分の意志だろう。そこに魂の成長が有るのだろう。 2015年8月9日 琢
2015年08月09日
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心が安定しているとき思考が正常にはたらいて柔軟で素直に成っているものの識別も正確で的を得た対応が出来ている不慮の出来事にも体幹に有るものが自然に出てくる心が乱れているときは偏った思考にとらわれてピント外れの煩悩に覆われて自分らしさが消えてしまう二見のとらわれが多く唯物的、刹那的、利己的に成っているかたよらず こだわらず とらわれずひろく ひろく もっとひろく苦しみや悲しみに覆われているときは、他のことを考えられず、袋小路に留まっているような状態に成っている。大きな試練は、それを超えるために仕組まれているようなもので、自分の決定的な弱点を修復するための呼びかけと思って、逃げずに受け止め、諦めずに人智を尽くせば、人智を超える自分に成ることが出来て、信念をより確かなものにすることが出来る。心が安定しているときは、思考が正常にはたらいていて、柔軟で素直に成っている。ものの識別も正確で、的を得た対応が出来ている。突発的な不慮の出来事にも、慌てずに落ち着いた不動の自然体に成っていて、体幹に有るものが自然に出てくるだろう。未熟や煩悩のとらわれが有るときには、心が乱れやすく、偏った思考にとらわれてしまうことが多く、更にピント外れの想像や妄想や錯覚に覆われて、幻覚症状が出るくらい異常な自分に成ってしまい、自分らしさが全く消えてしまうことが多い。二見【勝った負けた、損した得した、プラス・マイナスの刹那的な見方】のとらわれが多くなれば、そのたびに心が揺さぶられて、唯物的に成ったり、刹那的に成ったり、利己的に成っている自分を観ることに成る。そうならないように定期的に自己回帰しながら、観自在で自分の在り方の検証をしてみることが大切だろう。 2015年8月8日 琢
2015年08月08日
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大自然には甘えられず他人には甘えが出る変えられないものへの対応変えられるものへの対応体は自律的に対応しているが心には駆け引きが有って自分の思い通りにしたいと思うその甘えを包むのが愛情と思うのは大きな誤りで叱ること、正すことも愛情有ればこそで痛い目に遇わなければ分らないことが有る自分だけの陣地を広げようとするそれが人間のカルマかも知れないダメなことはダメなものだろう子供の頃は、親に食べさせてもらい、育ててもらう。何にでも好奇心を示して、自分でやろうとし、できるようになろうとする。人は誉められる方に伸びてゆくもので、好きこそものの上手なりと言うが、あまり誉め過ぎれば図に乗って錯覚してしまうことも多く、与える方は、甘えの塩梅を上手く調整しなければ、先で苦労させることに成ってしまう。大自然には甘えられないが、他人には甘えが出てしまう。良くわきまえておくべきことは、変えられないものへの対応と変えられるものへの対応を間違えないことだろう。人の体は自律的に対応しているが、心には駆け引きが有って、それを上手く使うことで自分の思い通りに運びたいと思うのも人情だろう。それが甘えの一つで、その甘えを包むのが愛情だと他に押し付けをするのは大きな誤りで、叱ること、正すことの苦言も愛情有ればこそだろう。人は幾つに成っても痛い目に遇わなければわからないもので、自省して戒めを持っていなければ、初めは聞き分けが良いように見せていても、次第に自分の陣地を広げようとしてしまうところは誰にも有る甘えだろう。それは本能的な人間のカルマなのかも知れない。会津の什の掟のように、ダメなことはダメなものだと厳に戒めて置かなければならないことだろう。 2015年8月7日 琢
2015年08月07日
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孤立、孤独を恐れ時代の流れに取り残されないように添うように自分を変えてゆく個性を残しながら自分の居場所を求めそこにいる意味が有るように存在に違和の無いように場の雰囲気を大切にして溶け込んでいる自分自己顕示をせず、我欲を出さず自分だけ助かろうとする保身をしない連帯意識の中で感謝される自分で在りたいと思う受容し合う自分でありたい”過去の因を知らんと欲せば、現在の果を見よ 未来の報を知らんと欲せば、現在の業を見よ”{日本霊異記}は、因縁果報、因果応報のことで、中果を見て大因を知ろうとし、大果を得ようと再起因して、今までの生き方とは違う生き方を、生まれ変わったように自分を変えて、今を悔いの無いように生きること。どんなものにも原因と結果の法則がはたらいていて、自分の望まない花が咲けば、種・因の転換をして良き縁と共に思うような花を咲かせることが出来る、と言うのが仏教の教えだろう。人は孤独、孤立を恐れ、時代の流れに取り残されないように、周りに沿うように自分を変えてゆく。自分の個性を残して自分を失くさないように、、自分の居場所を求め、そこにいる意味が有るように、存在価値が有るように、自分を変える智慧を持っている。存在に違和の無いように、場の雰囲気を大切にして、場に溶け込んでいる自分を目指している。自己顕示をせず、我欲を出さず、煩悩を極力抑えながら、自分だけ助かろうと人のせいにして責任逃れをする自己保存・保身をしないように、いつも自分を戒めている。連帯意識の中で、感謝される自分で在りたいと、無私、利他に努め、相手を受容・受け止めて、心を開いて、本心で関わることで、信頼関係を深め、安定した心、不動の心で大果・どんな死に方をしたいかの、新たな自分に変わりたいと誰もが思っているだろう。カオスに臨場すれば、一つ間違えば命取りと思い、泰然自若として堂々と不動の心で、その本性を洞察し、祈り心で、適切な対応をすることで、自分がどうあらんとしたかの足跡を過去に残してゆきたいと願っているのだろう。 2015年8月6日 琢
2015年08月06日
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頭脳に有るデーターは生まれて以来のもの魂の意識に有るデーターは転生で蓄積されてきたもの心は肉体と共に有り心が体を使って何かをするとき奥に有る魂・意識の指示が有る知能だけでないもの人工知能が莫大な量に成っても知識がそのまま智慧にならず”どうあらんとするか”の識別が出来ない天工を超えられず如何に科学が進歩しても超えられないものが有る学習したものは知識として脳に情報を積み上げてゆくが、しょっちゅう使っていなければ、劣化したり、忘却したりで、時と共に記憶から消えていってしまう。薫習・くんじゅうしたものは、燻製のように体にしみこんでなかなか消えず、智慧として使うことも出来る。頭が良いと言われる人の多くは、人間の意志決定は頭脳がすると思っているために、本や講演、学者や知識人、専門家との会話からあらゆる情報を頭脳に蓄積しようとしている。普通の人は頭脳は使うもの、計算機やコンピューターも使うものと思っていて、心とその奥に有る魂が何をするかの意志決定をしているのだろうという。頭脳に有るデーターは後天的なもの、魂の意識に潜在的に有るものは、転生で蓄積されてきた先天的なもので、心は生まれた時から体と共に有るもので、忘却、喪失、無知から始めて経験と共に智慧をつけてゆくが、なかなか魂の意識の蔵のものを思い出すことが出来ずに、前世からの宿題、課題を思い出せず、何のために生まれてきたか、自分の天職、使命を自覚することができないまま人生を送っている。分岐点に立つとき、多くの選択肢から悔いの無いものを選ぼうとするときは、積み重ねた経験と智慧と心の趣くこと、好きなこと、与えられた仕組みと割り切れるものを選ぶことに成る。それを自分の運命だと覚悟して選ぶことに成るが、心の奥の魂に相談して結論を出している。知識はあらゆる選択肢の中の情報として使われるものだが、実践、体験の中で次第に身に付いてゆくもので、他に応用して役に立ち、共有するようになったときには、体幹に入った智慧に成っている。それが『転識得智』・てんじきとくちだろう。人工知能の情報量が一兆の一兆倍に成ったとしても、一人の人の”どうあらんとするか”の識別は出来ないだろう。 2015年8月4日 琢
2015年08月04日
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前向きに未来に向かう迫り来るカオスへの対応は過去に得た智慧を使い処理し、処置したものは過去の積み重ねに加えられ地中で根を張る大樹のように土の水分や養分を吸い上げて地上の幹に送っている茂る枝葉は日の光を吸収して地中地上の養分を縁に堂々と上に伸びてゆく根が張っていれば、新たな芽を出して枯れることが無い巨木はその周辺に根を張って、お地蔵さんのように、何千年も周辺に生きる人々を見ているそうで、そのあたりでは神のようにしめ縄で祀られ、崇められている。大樹の年輪は、その過去の歩みを示すもので、何千年もの間に何が有ったかが見て取れる。人の歩みもそういうもので、顔のしわも年輪のようにその歩みを示している。たとえ地上の何かの原因で消失しても、地中の根が張ってさえ居れば、いつかは芽を出して新たな大樹に成ってゆく。人が死ぬまでに為すべきことは、その魂の意識の蔵の中に潜在しているもので、気が付いた時から再起因して大果に向かえば、その前世から持ってきている使命を果たすことができる。どんな歩みに成るかは自分次第で、樹木の年輪のように、前向きに未来に向かい、迫り来るカオスへの対応を見れば、その足跡は残されて、その人がどう生きていたかが解るように成っている。過去に得た智慧を使って処理したもの、処置したものは、その歩みの積み重ねに加えられて、死後に付けられる戒名のように、誠、真、正、聖、道、明、智など、一文字に形容詞をつけて、その人がどうあらんとしていたかを表わしている。忍土では多くの四苦八苦に出会い、一時的に枯れるときが有っても、葉を落とし、枝を落とし、上から幹を切り落として、最後には木こりの腰掛に成ったとしても、地中で根を張ってさえいれば、再び、捲土重来、新たな芽を出して、地上の堂々とした大樹に育ってゆくだろう。 2015年8月3日 琢
2015年08月03日
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人の顔を曇らせるのは苦しみや悲しみの困惑だが願いが有るから試練が来るその超え方を誰かが見ている超えるたびに強くなり体験のたびに不動に成る超え方が智慧に転じ心に念じることで智慧が身に付いてゆく無駄な体験は一つも無く幅を広くして脆さを無くし夢や希望の大志を引き寄せる無駄が先の布石に成っている単なる知識はそのままでは智慧にならず、憶えたことは使うことで忘却や劣化を防ぎ、実践して体験することで転じれば、身に付いたものが体幹に入って、始めて智慧になるというのが『転識得智』・てんじきとくちだろう。体験と確信と共に確たる信念が持てて、次第に迷いや葛藤の見切りや割りきりが出来るように成る。だんだん不動の心が自分の奥行きを広くしてゆくのだろう。人の顔を曇らせるのは、苦しみや悲しみの困惑が有るときで、自分の中に願いや希望が有るから、何をやっても思い通りに成らないこの忍土では、その障碍や試練を超えるために、その原因に成っているものの修正浄化のための”呼びかけ”が仕組まれるのだろう。すんなり行かないときにはどこか自分の中に問題が有るからで、その超え方を誰かが見ているもので、超えるたびに強くなってゆく、不動に成ってゆく自分がいる。知識も体験とともに確信に成ってゆき、その試練の超え方が智慧に転じてゆくのだろう。心に念じることでゆとりも生まれ、智慧が身に付いてゆくことに成る。その過程にに無駄なことは一つも無く、空回りと思っていた時間も、その人の幅を広くして脆さを無くし、不動の心の基盤に成っている。智慧は夢や希望の大志を引き寄せることに成って、無駄と思われたことも先の布石に成ってゆくのだろう。忍土では捨石も必要で、気を高めてゆく過程には、石を穿つまでの多くの無駄に見える点滴が必要なのだろう。成功は無駄の産物なのだろう。 2015年8月2日 琢
2015年08月02日
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君が輝くときのために何かに気付かせようと明るく元気になって迷いが無くなるように如来は微笑んでいる大きく包みながら苦しみや悲しみに負けないように君の後悔を解かってくれている業なんか自分で浄化できると強い君になれるように悩むときはそばに居てくれて君の心の中にはその微笑が有るいつもどこでも、どんなときにも君を輝かせずにはいられない如来は優しいよ 大きいよ菩薩はいまや悟らんとしている状態、今悟った状態、如来は既に悟っている状態、仏像で言えば、何かを持っていたり、顔や手がたくさん有ったりして衆生を救おうとしているのが菩薩、衣だけで何も身に付けていないが、魔が近寄れない状態、大慈大悲の大きな愛で衆生を包んでいる状態が如来さんで、共に心の中に有るもの、置いておくものだろう。阿呆な、愚かな人間には目で見せなければ、どんな仏様を心の中に入れておけばいいかわからないから仏像にして見せていると言う。人にはそれぞれに元々から光が有るもので、忍土に居れば何がなんだか解からない四苦八苦に出会い、人天の罠・係蹄【忘却、喪失、無知】をかぶせられてこの世に生まれて、身はどんなに汚されようと、心だけは、泥水の中であのように美しく花を咲かせている蓮華のように有るために、神仏が大きな愛で包んで見守ってくれていると言うのが、仏教や神道の導くところだろう。お地蔵さんは人々がどんな生き方をしているかを観ていると言う。だから、閻魔大王に、あの世の最高裁判長に成っているのかも知れない。観音さんもたくさんの形をしていて衆生を救っていると言う。仏さんの中でも観音さんと如来さんは美しい女性のような感じがしているもので、大慈大悲の母性に包まれているような気がして、ついつい甘えてしまいそうになる。時には好きな菩薩さんや如来さん、仏さんの前でじっと手を合わせて、心を清め、清々しい心に成って、爽やかな気分を味わってくるのも良いだろう。 2015年8月1日 琢
2015年08月01日
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