全31件 (31件中 1-31件目)
1
自分に素直になることそれが出来なくて人生を変えてしまうそれを運命と思えばそれなりの道が有る違うと思えば自分を変えるしかない生い立ち、育ちで違う常識赦す心、受容する心が有れば交友に広がりができる視野を広げて和が保たれれば良き理解者に恵まれる何もしなければ何も起こらないが何かをしようとすれば協力者が必要になる良き因縁側で関われば共に向上に向かう願いの遂行には恩恵に感謝すること運命という字は命を運ぶと書くが、運ぶのは他でもない自分で、自分の歩み方次第で運命は変わってゆく。途上で苦労するのがもって生まれた業・カルマで、自己正当や意地を張るほど、何度も同じ過ちを犯し、隠しても何かで覆ってもメッキが剥がれて出てしまう。有るものは有るものとして素直な自分に成って、意地を張らずに修正浄化に努めること。それが出来なくて人生を変えてしまう。それを運命と思えば、それなりの道が有るが、違うと思えば、自分を変えるしかない。人は生い立ちや育ちで常識が違うもので、どの常識が正しいと正当化できるものではなく、常識の違いを受け入れること、そのために赦す心、受容する心が必要になる。運命は自分でつくり出すもので、交友を広げることで視野が広くなり、和を保つ努力をすることで、良き理解者に恵まれて、自分の可能性を伸ばすことが出来る。何もしなければ何も起こらないが、何かをしようとすれば、協力者が必要になる。交友で良き因縁側で関われば、共に向上に向かい、響働することで共有ができ、和と絆を深く結ぶことが出来る。願いの遂行には感謝、反省、敬意が絶対に必要だろう。 2016年9月30日 琢
2016年09月30日
コメント(0)
赦す心が有れば場の雰囲気は保たれる包容力が有れば理解して受け入れられる人の信頼関係はそこに結ばれる信頼が安定に導き報告、連絡、相談を密にすれば適切な対応ができる不安定なものにはそれが無く心を開かなければ憶測だけの仮の場で不安が膨張した架空のことに怯え有りもしない錯覚に陥ってしまう誤解は心に迷いを生じさせ道を歪めてしまう懐疑的で信じることをしなければ、いつも迷いばかりで、葛藤からのストレスで神経がやられてしまい、自分から崩れ去っていってしまう。信じて托身することが出来れば、懸念が少なく、不安材料が減ってゆく。日常の歩みに信頼が無ければ、一歩も踏み出せずに停滞ばかりで、不安から疑心暗鬼して、誤解、錯覚、取り越し苦労ばかりで、現実に起きていないことまで起きてしまった最悪のシナリオを迎えたような幻覚症状が出てしまう。未だ起きていないことへの恐怖が道を歪めた事例はたくさん有る。否定的、批判的であるほど信じることが出来ず、赦す心が有れば、場の雰囲気が良い状態に保たれる。包容力が有れば、理解して受け入れられるもので、人の信頼関係はそこに結ばれてゆく。信頼が安定に導き、報・連、相を密にすることで、カオスへの対応が適切にできる。不安定なものにはそれが無く、心を開かなければ、憶測だけの仮の場で、不安が膨張した架空のことに怯え、有もしない錯覚に陥ってしまう。誤解は心に迷いを生じさせて、道を歪めることに成ってしまう。赦す心が好転反応を引き出すことに成るだろう。 2016年9月29日 琢
2016年09月29日
コメント(0)
思い通りに成らなければ誰しも気分はよろしくないが思いを遂げるには法外な願いでないこと進め方の順序が有るみんなのために成ること真実で公平なこと友情を育むことその前提でも押し付け、恩着せが無いことみんなの理解が有ることちゃんとした道順を踏んだ願いは周りの協力や恩恵に恵まれて成就するときが来るその歓びを得ようと人は何かをしている人はいつも何かを考えながら行為している。特に好奇心のはたらくものに興味を以って、それを知ろうとしたりやってみようとしたりする。とらわれて執着したものには、どんなものかが分かるだけのものと、もっと深く掘り進めるものが有る。そこに潜在意識の中に有るもの、魂の願いが入ったものが有る。自分が生まれてきた意味と使命の自覚のために、迷いながら手探りの道を歩んでいるのが我が道で、どう生きたかに悔いが残らない歩みを求めている。途上では、初めからうまくゆくものは無く、ほとんどが思い通りに成らないものばかりで、自己改良と場を整えることなどの準備が必要になる。願いが法外でないことの確認、進め方の順序を間違えないこと、みんなのために成ること、真実で公平なこと、友情と絆を育むものが必須条件に成っている。それに合致するものであっても、自分だけの都合優先や、押し付け、恩着せが無く、代償を求めないもので、みんなの理解を得られるものだろう。ちゃんとした道順を踏んだ願いは、周りの協力や恩恵に恵まれて成就するときが来る。その歓びを得ようと人はいつも何かをしている。 2016年9月28日 琢
2016年09月28日
コメント(0)
客観の難しさ正見のつもりでも主観的偏見が有る正思惟のつもりでも自分の都合に左右される正語のつもりでも敬意が無く正業のつもりでも偏っている正命のつもりでも煩悩に惑わされている正精進のつもりでもピントが外れている正念のつもりでも視野が狭い正定は程遠い自分の信念が弱く、いつも迷いや葛藤に悩まされ、心の安定が得られていない。生い立ちや基盤での影響が強いと思うが、それだけでなく前世からの潜在的なものが遺伝していることも考えられるだろう。どういう基準で自己チェックをするかについては、仏教には「八正道」というものが有る。遍行でやってみて、どんなものかを知るが、別境ではその分類をして心の奥に刻み込んでいる。赦す心、受け止める心で常識の違いが有っても仕方ないことと良心・自然の摂理で受容することに成る。いつも相手の立場に立ってものを観る「客観」の難しさを理解はしているつもり。正見のつもりでも、主観が入ってくる。正思惟のつもりでも、自分の都合に左右されている。正語のつもりでも、敬意を払っていない。正業のつもりでも、偏った行いが多い。正命のつもりでも、煩悩に惑わされた生き方をしている。正精進のつもりでも、全貌が観えずにピントが外れた努め方が多い。正念・勝解のつもりでも、視野が狭く、正定・しょうじょうは程遠い。若い内に点数を付ければ、60点は取れているだろう、と思っていても、歳と共に限りなく零点に近付いてゆく。自分の判断は都合の良いものが多いからだろう。 2016年9月27日 琢
2016年09月27日
コメント(0)
感謝、反省、敬意人の世に共生するための基本どんな生い立ち、育ちにも忍土の自覚、愚かさの自覚、恩恵の自覚共に人としての心掛け唯物的、刹那的、利己的にならず無私、利他の誠心でカオスに対応する摩擦が障碍や試練を引き起こし消せない過去に学ぶ心を整えて臨場すればカオスの良き現象化は必然のものに成る感謝、報恩の心が共感と理解から信頼に成る観自在は自分の在り方を観ることで、身の周りの現象には、自分の影響を受けたものとそれから学ぶべき必然のものが有るだろう。自分のせいと認めず、全く自分には関係ないものとして、学ぼうとせずに、自分を改めようともしなければ、何のために生まれてきたのかの意味を分からずに返ってゆくだけだろう。一人では生きられないこの世での自分の在り方には、感謝、反省、敬意が必要で、これは人の世に共生するための基本だろう。忍土の自覚、愚かさの自覚、恩恵の自覚の元で、共に人としての心掛けとしては、唯物的、刹那的、利己的なことを滅して、無私、利他の誠心でカオスへの適切な対応ができる自分であることだろう。摩擦が障碍や試練を引き起こし、消せない過去に学ぶことから自分を整えて調和させれば、カオスの良き現象化は必然のものに成るだろう。感謝、報恩の心が信頼の元に成っている。信頼が多ければ、良き縁にも恵まれて、自分の居場所も確かなものに成り、そこに自分の使命を自覚して、そのミッションワークができるように成れるだろう。 2016年9月26日 琢
2016年09月26日
コメント(0)
自分を貶める行為を慎むこと不要なもの、他の迷惑になるものそういう煩悩を抑制する見えないものを観る目を育み気が付かずに犯す過ち常識の違いを理解する、赦す心他を変えようとせず自分を変えること消せない過去を悔い改めて爽やかな心に成ることお金や物に換えられないもの眼に見えないものが現象化する行動規範の元を正すこと自業自得に成らないように大自然の中で共生するいつも自分を戒めておかないと、調子に乗ると必ずやってしまうこと、後悔するようなこと、和を壊してしまいそうなこと、他の不評を買ってしまうこと、謙遜の尻からやってしまう傲慢なことなど、油断できないことを抱えている自分がいる。自分を貶める行為を慎まなければ往生できないと自戒している。不要なもの、他の迷惑になるもの、そういう煩悩の抑制にいつも務めておく必要が有る。閻魔大王は実は自分なのだという説も理解できる。見えないものを観る目を育み、気が付かずに犯す過ちや常識の違いを理解する、赦す心を培っておくこと。他を変えようとせずに自分を変えること。難しい条件を抱えながら、消せない過去を悔い改めて、爽やかで明るい心でいること。お金や物に換えられないものを大切にして、自分を粗末にしないこと。この世では、そういう眼に見えないものが現象化するもので、自分に対する反応がすぐに返ってきてしまう。常に行動規範の元に成るものを正しておくことが大切なことで、自業自得に成らないように、摩擦を起こさず、この大自然の中の一員として共生すること。そういう戒めをもっておくことが大切なことだろう。 2016年9月25日 琢
2016年09月25日
コメント(0)
失敗したときに愚かさを覚る失敗しない人は賢いという失敗無しに成功は無く賢い人は何もしないこの世は阿呆がいなければ文明の発達が無い阿呆にしかできないことは危険を承知でやること未熟を承知で挑戦すること辱と嘲笑を承知で取り組むこと1%の確率を捨てないことしてもらうばかりの人には理解されないが先が拓けない人は何もしない人だろう同じアホなら踊らなそんそん阿波踊りは日本の伝統的なお祭りの一つだが、そこで歌いながら踊るときに言葉は、「踊る阿呆に見る阿呆、同じアホなら踊らなそんそん」。やってみれば結構楽しいもんで、やらなければ後悔することが多い。人生訓のような歌だが、人間阿呆にならなきゃできないことが多い。人に何と言われても自分に正直になることが大切だろう。失敗して馬鹿だと笑われても、やってみなければわからないことばかりで、智慧はやってみることから身に付くものだろう。失敗したときに自分の愚かさを覚るが、他人は失敗しない人を賢い人だと言う。失敗無しに成功は無く、賢い人は危険を冒さず、何もしない。そういう意味では、この世に阿呆がいなければ、文明の発達は無かっただろう。阿呆にしかできないことは。危険を承知でやること。未熟を承知で挑戦すること。辱と嘲笑を承知で取り組むこと。1%の確率を捨てないこと。何もせずにしてもらうばかりの人には理解されないだろう。悔いを残す人は何もしなかった人で、賢く立ち回って危険を避けてばかりの人は開拓者に成れずに、傷は残らなくても悔いはたくさん残ってしまうだろう。 2016年9月24日 琢
2016年09月24日
コメント(0)
この世に生を受けるはことを為すにありそう思うのは坂本龍馬だけでなくみんなそう思っている何もしなければ何も起こらないと何のために生まれてきたのかとみんなそう思っているできないのはしないからだと勇気が出ないのは臆病だからだとみんなそう思っている自分がやらなくても誰かがやってくれると辱をかきたくないからとみんなそう思っているみんなが自分の適性を探している自分は何のために生まれてきたのだろう。何をしに来たんだろう。どんな意味が有るんだろう。何をやればよいのかわからない。そのために学校に通ったが、何が向いているのか、何がやりたいのかが見えて来ない。その答えは過去の歴史の中に探せばあるもので、夢や希望は感動の瞬間で、あれをやってみたい、ああなってみたい、人をよろこばせたい、役に立ちたい、そう思っていても自分の適性が解っていない。そのために好奇心が有って、何でもやってみること、初めからうまくできるものは無く、失敗を重ねて自分の欠陥を埋めてゆくことから何かが観えてくるのだろう。ほとんどが苦ばかりだが、時には楽しいこと、嬉しいことも仕組まれている。やってみる勇気を持つこと、自分の愚かさや無力を知っておくことも大切だろう。準備をしておかなければ、気力も勇気も湧いて来ず、挑戦しようとも思わなくなってしまう。自分がやらなくても誰かがやってくれると、恥をかきたくないからと、みんなそう思っているだろう。振り返ってみれば、何もしてこなかった。何もできなかったと言っても何もしようとしなかった自分がいたからだと、悔いを残す経験は誰にも有っただろう。失敗を恐れず、やってみなければ何も進まない。やってみれば自分の適性が何かが観えてくる。本心からの歓びも観えてくるだろう。 2016年9月23日 琢
2016年09月23日
コメント(0)
希望は現実に無いものを求める心甘い夢と言えるがそれを支えに自己修正をする闇に在っても希望を捨てず絶望しても新たな光を探すそれまでに積み上げたものは無駄には成らず経験は尊いもので次のステップの布石に成っている失敗の学ぶもの多く頂点を思えば落ちる恐怖を味わう更に上を求めればいつも未熟を思うが至らないから次の転生が期待できる思い通りに成らないことばかりで、無知と愚かさを感じ、架空のはるか先の夢や希望をもてば、それの近付けようと勉強を重ねて無知、未熟を埋めようとする。何もせずに待っているだけでは能が無いので、何かをすれば失敗ばかりで、他のせいにして自己の改善をしなければ、同じ失敗を繰り返すだけに成る。夢や希望は現実に無いものを求める心で、甘い考えと言えるかもしれないが、それが支えに成って障碍や試練を超えて、自分の欠陥を埋めることが出来る。闇に在っても希望を捨てず、絶望しても新たな光を探す。積み上げてきた苦の経験は無駄には成らず、その過程は尊いもので、途上の経験は次のステップの布石に成っている。失敗に学ぶもの多く、頂点に上れば、後は落ちる恐怖を味わうことに成る。更に上を求めれば、上には上があるもので、分かったつもりが単なる通過点だと気が付いて、いつも未熟を思ってしまうだろう。至らないから次の転生に期待ができるが、次の転生でもまたゼロから始めることに成って、その期待を思い出せない場合が多い。円環的思考はどこで生まれても続くものだろう。疑問が消えなければ、迷い、葛藤の苦は無く成らず、それを超えるために生まれてきているのだろう。 2016年9月22日 琢
2016年09月22日
コメント(0)
人は何かをするために生まれるが何かをしなければ何も起こらない忍土の自覚、愚かさの自覚、恩恵の自覚と共にどう生きるか前に進むには感謝、反省、敬意の念を以って何に生き甲斐を感じるか一番納得できること心・魂が不動に成れることそれを自覚して迷わず托身すること歩む道に一貫性をもたせあらゆる選択の基準にすればどんな試練も超えられる人智を尽くして人智を超えるそこに安住の地が有る無知であれば有るほど、解らないことが多く、痛い目に遭うほど迷いが多くなってゆく。迷うこと、葛藤することは考えること、想像する力を育むことに成るが、あまり重ね過ぎればストレスの原因に成ってくる。摩擦の原因を思えば、少なくするために相手の身に成って考えることが出来るようになる。思いやり、気くばりは想像力からくるもので、そこに流れる心には愛・菩提心があるだろう。人は何かをするために生まれ、そのために無知を埋め、学ぶことから体験するたびに智慧を増してゆくことに成る。何もしなければ何も起こらず、三つの自覚ができるようになる。生い立ち、育ちの基盤からくる常識だけでは摩擦が多く、違う常識に翻弄されながら、受け止めることで心を開いて、本心で対応することから、赦す心、包容力が生まれ、交友と共に和が広がってゆく。縁に恵まれて向上しながら、悔いの残らない、納得できる何か、その自覚をもてるようになってゆく。その何かは、お金や物でなく、名声を得ることが目的ではなく、心・魂が一番納得できるものだろう。歩みに一貫性をもたせること、その基準をもてば、他の歓びが自分の歓びに成っていることに気が付くだろう。それを基準に分岐点の選択をすれば、どんな試練をも超えられて、自己の向上と共に、人智を尽くして人智を超えることが出来るだろう。 2016年9月21日 琢
2016年09月21日
コメント(0)
限界を尽くす姿は観る人の励みに成る天はその人に越えられない試練を与えないものだ黙々と挑戦する姿何度も何度も改良を試みて点滴石を穿つようにある領域を目指し必要なメニューをこなす目標達成も単なる通過点でじっと耐えてその先を目指す日々の積み重ねの尊さ普通でないものが普通になるまで口で言い表せないほどの歓びを求めていつか必ず成就すると信じて一皮剥けた自分に成ろうとするその努力は一生続く四苦八苦は誰にも訪れるものだが、自分の業・カルマのために何度も窮地に立たされながら、それを超えようとしている自分。苦を自分から求めてゆくように、納得のゆくものを求めてやまないのが、夢や希望の目標の定まった人だろう。その中には必ず自分の魂の願い、約束事、果たすべき使命が入っている。それは具体的なものでなく、唯物的なものでもない抽象的なもので、それを続けるには絶対に必要なものが愛・菩提心だろう。自分のためには強く成れなくても、人のためなら信じられないほどの強さを発揮できるもので、本心からの歓びはその時に得られている。限界を尽くす姿は見る人の励みに成っている。天はその人に越えられない試練を与えないものだと言うが、その試練は自分に願いが有るからこそのもので、そのために黙々とそれに挑戦する姿、それが人の心を動かすのだろう。何度も何度も改良を重ねて、点滴石を穿つように、ある領域を目指して、必要なメニューをこなすこと。じっと耐え忍んで励みながら得る目標の達成も束の間のもので、必ずその先が有ることを知る。日々の積み重ねの尊さ、普通でないものが普通になるまで続くもの、口で言い表せない歓びを求めて、いつか必ず達成すると信じて歩んでいる。一皮剥けた自分に成ろうとする試みは、一生続くものだろう。 2016年9月20日 琢
2016年09月20日
コメント(0)
人には何かの制約が有ってちょっと不自由なくらいが丁度良いのだろう何でも思い通りに成る方が危険でいつも何かブレーキをかけている方が良い楽な方に落とし穴が多く多少の不満が有る方が反省が有って道を歪めない感謝、反省、敬意が有れば良き縁に恵まれてどん底から這い上がれる自覚した願いの方へ日々の積み重ねができるとらわれも忘れることで時と共に円く治まっている愚かさを知ること、思い通りにしようと作意をしないこと心と姿勢を整えておくこと理に叶うとは自然の摂理に叶うことだと、歳と共に分かって来るもので、自然の流れに逆らって思い通りにしようとしても、矛盾だらけになって、口先だけでは言い訳や釈明も空しいものに成って、自分の愚かさを厭と言うほど知らされるのがこの忍土の世だろう。救いの仕組みも有って、何とか助けられることも多く、相手に敬意を払うこと、感謝すること、報恩の姿勢が有ることが大切だろう。人は何かの制約が有って、思い通りにできないくらいの方がちょうどよく、むしろうまくいきすぎる方が危険が多い。いつもブレーキをかけているくらいの方が良く、楽な方に落とし穴が多く、多少の不満が有る方が、謙虚になれて、その原因を探している方が道を歪めることが少ないだろう。感謝、反省、敬意が有れば、適切な対応ができて、良き縁に恵まれることも多い。どん底から這い上がる気力も出せるもので、自覚した願いの中に光を求めて日々の積み重ねができるだろう。とらわれも忘れることで、時と共に円く治まっている場合が多く、自分の愚かさを知って、思い通りに収めようと作意しないことで、気が付けば場が整っていることも多い。自分の心と姿勢を整えておくことで、この現象界での現象で表現する場に変えることが出来る。 2016年9月19日 琢
2016年09月19日
コメント(0)
人は過ちを犯すものだが知った上で犯すもの知らずに犯すもの知っていても犯してしまうものどう整えるかで自覚するものに違いが有るすぐに正せるもの一生かかって償うものその歩み方で値打ちが違う無形のものを求めるか有形のものを求めるかセンスの違いが表われている利己にこだわるか無私、利他の誠心かは点では測れず、幅で観るしかない良いことをするにも、人前だけのものか、人知れずにしているかで、その評価は全く違う。その人の信念によるもので、見た目を重んじるか、自覚したものかで、人の評価は全く違うものに成る。本音と建前のギャップやその本性がよく観えてしまう。人は過ちを犯すものだが、知った上で犯すもの、知らずに犯しているもの、知っていても犯してしまうもの、それをどう自覚するか、どう整えるかで、その人柄が観えてくる。業・カルマは何度も犯す過ちの中に有るもので、誰もがもっているもの。無にはならず、空の中に有るもので、隠しても取り除いたつもりでも、有るものは有るもの、有ったものは有ったもので、完全に無にはできないだろう。無と空の違い、有るがままの状態で、どう自分を整えるか、調和させるかが、精進の仕方に関係している。自戒して、どれだけ生きたかよりどう生きたかが問題になって来るだろう。すぐに正せるものと一生かかって償うものが有る。その歩み方でその人の価値が分かって来る。無形のものを求めるか、有形のものを求めるか、見えるもので評価するか、見えないものを評価するか、人のセンスの違いが現れるところだろう。利己にこだわるか、無私、利他の誠心で行くかは、点では見えず、線と幅で観るしかないだろう。見た目だけにこだわらないことだろう。もっと奥に有るものを観る力を培うことだろう。 2016年9月17日 琢
2016年09月18日
コメント(0)
経験が豊富であるほど相応の智慧が有る頭で覚えたことは身に付かずとっさの判断にその心が表われる何度も繰り返す過ちに業・カルマが観えてくる体感に入ったものは無意識に出てくるもので歩みの積み重ねでその本性が観えてくる口で良いことを言っていてもやっていることを観れば相反することが多く人の信頼はそこが分岐点に成る矛盾は愚かさの表れで謙虚な自覚が爽やかさに成っている素直が一番だろう経験が豊富ということは、無駄なことや失敗の数が多く、痛い目に遭った数も多い。人はそこに学ぶことが多く、挫折や絶望から立ち上がるほど強く成り、未知のものには慎重になって分別が付くようになる。好奇心即行動でなく、調べた上で準備を始めるようになって、成功の確率を高くしてゆく知恵をもっているということだろう。学んだことは使ってみること、実践することから得た体験で身に付いたものが智慧に成ってゆく。頭で覚えたことは身に付いていず、忘れやすいものだが、とっさの判断にはその心が表われる。何度も繰り返す過ちには、浸み込んでいる業・カルマが観えてくる。体幹に有るものは無意識に出てくるもので、歩みの積み重ねを観れば、その本性が観えてくる。口先で良いことを言っていても、やっていることを観れば、相反することが多く、人の信頼はそこが分岐点に成っている。矛盾は愚かさの表れで、調整のつかないことが多いのは、自然の摂理に反することが多い。謙虚な自覚が、その人を爽やかに見せている。ただ素直なのが一番だろう。忍土の自覚、愚かさの自覚、恩恵の自覚がそうさせるのだろう。 2016年9月17日 琢
2016年09月17日
コメント(0)
眼を見れば分かる眼光とその送り先笑う眼、怒る眼、喜ぶ眼、悲しむ眼、恐れる目何でか分からなくても区別できる場を読むことの一つどの眼にも通じるものが有る善意の言葉、誉める言葉、感謝の言葉挨拶の次にかけた言葉で会話が始まるその内容からカオスへの対応をする適切な言葉とセンスある行動で人の心は開いてゆくすべてを受け止めて本心で語ることで通じ合えば共有が始まりその縁で開花が始まる念ずれば花開く正しく理解したものは心の奥に念として刻み込まれ、それを実践して体験することから、身に付いて体幹に入ってゆく。心身に刻み込まれた状態が「定」・じょうで、それが先を拓くその人の智慧に成っている。人は遍行で、作意・さい【やる気を起こす】、触・そく【やってみること】、受、想、思で、どんなものかを知る。別境では、欲からのものか、正しく理解したもの・勝解・しょうげか、それが心に刻み込まれ・念、定・身に付いてくれば、慧・えとして智慧に成る。転識得智・てんじきとくちが無ければ、単なる知識だけで劣化して忘却してゆくだけだろう。そういう状態も眼を見れば分かるもので、眼光やその送り先、笑う眼、怒る眼、喜ぶ眼、悲しむ眼、恐れる目、何でかは分からなくても、区別はできて、場を読むことの一つに成っている。どの心にも受け入れられるのが、善意の言葉、誉める言葉、感謝の言葉、それが場の雰囲気を良くする。会話をしてみれば、その内容からカオスの洞察ができて、適切な対応ができるようになる。センスはその人の品格を高めるもので、信頼のきっかけにもなっている。その言動と受け止めから人の心は開いてゆく。本心で語ることで、通じ合えば共有が始まり、因縁側の交友から開花が始まってゆく。『念ずれば花開く』ということだろう。 2016年9月16日 琢
2016年09月16日
コメント(0)
救済はすべて善意のもの正当論議に意味は無くそれはそれ、これはこれで好みや合う合わないもの縁と慣れで正解は無く幸せを感じられるものを選ぶ学ぶだけでなく実践で使うもの導きの趣旨を身に付けて智慧にして報恩するもの体験したことを他に応用するもの他の歓びが自分の歓びに成る根底に愛が有れば、他の救いに成って自分の使命とも思えるもの押し付けるものでなく、恩着せるものでもない代償を求めないのが救済だろう信仰は心の安定のもの。宗教はそのための導きで、すべて善意のもの。人にはそれぞれの歩み方が有って、自分の常識に合ったものを自由に選べるものが宗教だろう。先祖から受け継がれた根強いものも多く、好みや合う合わない、慣れと縁有るものがその導き方と作法だろう。自分が幸せと感じるものを選ぶ権利が有る。無知を埋め、智慧を得るためのもので、学ぶだけでなく実践で使うもので、その導き方の主旨を身に付けて体幹に入れ、先を拓く智慧にして、報恩に向かうものだろう。その善意の導き方での他宗派の批判や論争は人の心を乱すもので論外のことだろう。自分を調和させ、整えて他に応用するもので、他の歓びが自分の歓びに成っている。根底に無くては成らないものは愛・菩提心で、広く与えっぱなしのものだろう。自分のいつも求めている願い、使命はそのどこかに有るものだろう。導きは押し付けるものでなく、恩着せをするものでもないだろう。ただ、ただ、代償を求めない救済をするものだろう。 2016年9月15日 琢
2016年09月15日
コメント(0)
人には潜在的な力が有るやる気が有れば全力で挑戦する秘めた力には根源の力が有る目的に向かう無限のエネルギーが出せる難局を突破する力が有る挫折しても生まれ変わる力が有る照準が合えば、七番目の感覚も有る先を予測して備えることもできる協力し合う縁に恵まれれば一人ではできないこともできる感謝、報恩の心が有れば他の理解と信頼を得ることが出来る信じれば無限の可能性をもっている孤立はさみしく、怖いもので、人は自分一人では生きてゆけないだろう。何でも自分一人でやろうとすることには無理が有って、理解し合い、助け合って生きることから自分の道を歩むことが出来る。大自然の摂理に学ぶところが多く、どんなものにもそれぞれの意味が有って、その役を何かの形で果たしていて、無駄なものは一つも無い。すべてが他のために成るもので、人もそこに生まれてきた意味が有って、他のために役に立てたときに自分の歓びを感じている。それが人の使命なのだろう。その歓びを得るためには、心と体を使ってどんなこともできるように成れる。人には潜在的な力が有って、やる気さえあれば全力で挑戦し、秘めた力には人のもてる根源の力が有る。火事場の馬鹿力と言うが、普段出せない力をもっていて、強い目的が有れば、無限のエネルギーも出てくる。難局を突破する力、挫折しても生まれ変わる力を備えていて、研ぎ澄ませば、先見、予知能力が有るような、第七番目の感覚が冴えてきて、先を予測した備えをすることもできる。気力さえ有れば、何でもできるし、協力し合えば、一人でできないことも成し遂げられる。感謝、報恩の心で向かえば、他の信頼と協力を得られて、信じることでその可能性は無限に広げることもできる。 2016年9月14日 琢
2016年09月14日
コメント(0)
おすすめ自分を整えれば、現象も整う。高橋佳子講演会の案内 「テーマ」 運命の逆転「人生はこんなもの」「なるようにしかならない」あなたは、そう思ったことは有りませんか?しかし、それは違います。これまでの流れを一変させ、運命を逆転させる道が有るのです。その鍵をあなたにーーーー。日時 2016年11月3日〈木・祝日〉 大阪城ホール 06-4861-4752 2016年11月6日〈日〉 パシフィコ横浜国立大ホール 050-3535-0515 2016年11月13日〈日〉 名古屋国際会議場センチュリーホール 052-321-8167開演 13:00~終了17:00入場整理券 3000円主催 高橋佳子講演会実行委員会 2016年9月13日 琢
2016年09月13日
コメント(0)
極めようと努力しても未熟を責める自分そう言う姿を好む人には誉め言葉を戴くが自分の不満を謙遜と誤解される言い訳や釈明は空しいものでただそのままを素直に受けて明るい表情で返せばかわいい人と思ってくれる人との受け答えは相手の状態を読んでおくこと誉め言葉には感謝の言葉で受ける人は相手の歓ぶ顔を見たいと思っているひねくれた人と思われないように邪念を捨てること 謙虚さも人によっては嫌味になることも有る差別、優位を嫌う人が多く、表情と共に余裕を見せようとする作為有りと視られることも多い。自分にはそんなつもりが無くても、そう思う人にはそれなりの対応をするしかない。対応が適切でなかったことで、後に成って苦労することも多く、人の第一印象を変えることは困難なことで、ただ自分の背中を見てもらうしかないだろう。極めようと努力を重ねていても、自分では至らないことばかりで自分を責めてしまうが、その段階を好む人には褒め言葉を戴いても、自分の不満を誤解されることが多い。言い訳や釈明は空しいもので、ただそのままを素直に受けて明るい表情で返せば、かわいい人と思ってもらえることも有る。人との受け答えは、相手の状態を読んでおくことが大切で、誉め言葉には感謝の言葉と笑顔で受けること。人は相手の歓ぶ顔を見たいと思うもので、ひねくれた人と思われないように邪念を捨てて、むやみに謙虚さを強調しないことだろう。 2016年9月13日 琢
2016年09月13日
コメント(0)
不機嫌になる原因は心配ごと、心に引っ掛かりの有るとき心が整っていないとき体が整っていないとき業・カルマの抑制ができていないとき表情に現れ要注意のとき転依で気分転換を試みて別の楽しみを探すとき次第にその原因が観えてくる結果未生の内に止観、反省して整えておくこと良いことを探しその恩恵に感謝すること無償の報恩を心掛ければ心が晴れて明るく機嫌良くなれる何故か心が晴れないときが有る。すっきりしないときが有る。天候にも左右されやすく、何か心か体に原因が有る場合も多く、ちょっとしたことに微妙に反応するのが人の心と体だろう。感情は一瞬のうちに動いてしまうもの。分かっていても同じ過ちを繰り返し、いつもついて回る厄介な業・カルマの抑制ができないこと。苛立ちはどこか調和されていないものが有る場合が多い。不機嫌になる原因は、心配ごとや心に引っ掛かりが有るとき、心が整っていないとき、体が整っていないときと業・カルマの抑制ができていないときに現れる身の周りの現象によっておこる。表情に表れてしまうもので、浮かない顔をしているときは要注意のときで、原因が分からないとき、袋小路に入ったようなときには、転依・てんねして、気分を転換して、チャンネルを変えてみるのもいいだろう。緊張の連続はバランスをくず場合が多く、心と体のバランスは、リクリエーションで保たれるもので、全く別のことをしてとらわれを転換してみることが必要だろう。全く別の楽しみを探すことから、次第にとらわれから解放されて、その原因が観えてくることが多い。まだ心の内に有って外に出していない、結果未生の内に止観、反省して整えておくことが賢いことだろう。過去の「よかった探し」をしてみることから、多くの救いが有ったことや恩恵が有ったことに感謝を忘れないこと、心に刻んでおくことが大切なことで、無償の報恩を心掛けることで、心が晴れてくることも多い。 2016年9月12日 琢
2016年09月12日
コメント(0)
家を出れば周りの社会学校、クラス、職場、サークルの縁交流の始まり選択基準は好み、相性、好奇心まず、外見の容姿、姿勢、センス次に表情、仕草にとらわれ話す機会が有ればもっと観えてくる単なる果報側から因縁側に三次元から二次元の付き合いが始まる友達や恋の意識時と共に和が広がって絆も深くなる一瞬の出会い、出来事、事態が人生を変える恩恵の救いを感じれば感謝して、報恩を歓びと感じる縁は縦横につながっている親、兄弟、友達、恋人との思い出は、いろいろな場所での情況として、人の心の奥に残っている。似たような景色を見れば、その時のことを思い出し、懐かしさと共に自分の成長過程として、その時のとらわれを思い出させてくれる。いろんなところでの影響を受けながら歩んできたことや経験してきたことがその人の心の財産に成っている。家を出れば周りの社会が有る。学校、クラス、職場、サークルでの縁が有る。その縁で交友が始まる。その選択基準は好み、相性、好奇心の赴きに従って、先ず外見の容姿、姿勢、センス、次に表情や仕草が気になり始め、話す機会が有れば縁が有ると感じて、心を開き始めれば、もっと観えてくるものが有り、その影響を強く受けることに成る。始めは自分の都合本位の接し方から、親しくなるほど因縁側での交友、三次元の傍観的なものから二次元の対面の付き合いが始まってゆく。時と共に和が広く、絆も深くなってゆき、振り返ってみれば、一瞬の出会い、出来事、事態が人生を、進路を変えてしまうことを知る。幾度の救われた経験を思えば、その恩恵に感謝して、報恩ができる自分に成ろうと努力し、それを歓びと感じるようになる。視界が広くなれば、そういう縁が縦横につながっていることに気が付き、人の心、好意を粗末に扱うことが出来なくなるのだろう。 2016年9月11日 琢
2016年09月11日
コメント(0)
一転生ー一条件与えられた生・三つの「ち」血筋・姓、土地の風土、時代の知その条件制約の中で覚ること宇宙のある一点での自覚真の悟りはそのすべての積み重ねからその全貌に菩薩、如来の状態が有るすべてが通過点で、その先が有る原理は時と共に変化し多様性が有ってそのすべてに通じる状態を求めて魂の転生が有る夢や希望の目的の成就もその一点での単なる通過点で最終というものが無いよく悟りの開いたとか解脱したとか言うが、どういう状態を言うのかが分からず、何を求めて掘り進めても奥は無限に深いもので、たとえその域に達しても、必ずその先が有るもので、悟ったということ自体が錯覚でしかないとしか思えない。何か目標の達成を得たわけではないので、自分にはそれを語る資格など無いが、高僧も言うように、菩薩なんてとんでもないことだと自分も思っている。高橋先生が言った「一転生ー一条件」という言葉にハッと気が付いたような気がした。ある一族に生まれた今生、その場所と土地の風土、時代の知・風潮で、その条件・制約の中で、その歩みの中で覚ること。自分のもっている魂と体の遺伝子と共に、宇宙のある一点での自覚ならと思う。真の悟りはそのすべてのかけらの積み重ねからで、その全貌が観えるのが、菩薩、如来の状態なのだろう。ジグソーパズルのひとかけらのように、それが分かったとしても、それは単なる通過点で、その先には宇宙が広がっている。原理は時と共に変化しているもので、多様性が有って、そのすべてに通じる状態を求めて魂の転生が有るのだろう。夢や希望の目的の成就も、その一点での単なる通過点で、最終というものが無いのだろう。 2016年9月10日 琢
2016年09月10日
コメント(0)
気分転換の大切さとらわれて何も考えられないとき解決策が見つからないときマンネリが続くときつまらなくて何も思いつかないときには全く違うことをやってみる外出、趣味、娯楽、スポーツそれぞれにも掘れば深いものが有る転依の重要性は別のヒントが観えてくること行き詰まりにとらわれないために全く別の思考から応用できることが有る発想の豊かな人は視野が広く全く違うヒントを見つけ出せる柔軟な思考は奥行きを深くして幅の広い人間にしてくれる自分は無能だとか、頭が悪いとか思ってしまうことが有るが、ただ使っていないだけのことで、人の能力の可能性は無限に与えられている。気が向かないだけのこと、あまり好きでないだけのことで、何故か心の趣くことや、好奇心が強くはたらくことが有るもので、好きこそものの上手なりというように、好きなこと、知りたいことを覗いてみること、やってみることから、楽しさが倍増してそこにとらわれてゆくことから、どんな達人も生まれているのだろう。障碍や試練は必ず有るもので、超えることで向上してゆくが、袋小路に入ってしまうことも多い。そういう時は気分転換をしてみること。とらわれて何も考えられないとき、解決策が見つからないときなどは、全く違うことをやってみること。外出したり、趣味や娯楽をやってみたり、スポーツをしたり、心のチャンネルを変えてみること、転依してみること。どんなことにも掘ってみれば深いものが有ることに気が付いて、そこに有る共通点が解かってくれば、別のヒントが観えてくるだろう。行き詰まりにとらわれないために、全く別の思考から応用できるときが有る。発想の豊かな人は、視野が広く、全く違うヒントを見つけ出せることが多い。柔軟な思考は人の奥行きを深くして、幅の広い人間にしてくれる。 2016年9月9日 琢
2016年09月09日
コメント(0)
生きていれば何かをしようとする準備無しにできるもの無く夢や希望を抱けばその願いに向けた準備をする目標無しにすることに一貫性は無く到達するところが無い障碍や試練はつきもので超えるために自分を修正浄化する角をとって円くなること岩石が下流では円くなっているように角をとるのも準備の内で人の世の摩擦は他のせいにせず、自分を整えること流れが悪いのは自分が原因だと思うことその呼びかけが自分を変える動機に成る何をやっても思うようにうまくゆかず、イライラの塊のようになってしまうのが、この忍土だが、自分が未熟だから、思いやり、気くばりが足らずに周りの協力を得られないことも、その原因の一つだろう。良いアドバイスや自分を理解してくれる、助けてくれる人との縁は大きな恩恵に成るもので、自分の歩く道での良き縁を選択するのも、一つの与えられた仕組みと思えば感謝の念が湧き出してくるだろう。この世に生きていれば、何かをしようとするもので、準備無しにできるものは無いだろう。夢や希望を抱けば、その願いに向けて準備をするもので、目標無しにすることには一貫性が無く、到達するところが無いだろう。障碍や試練は途上ではつきもので、超えるためには自分を改良するしかなく、角をとって円くなること、岩石が下流で円い石に成るように、流れやすくなるのも準備の内だろう。人の世の摩擦は、自分の都合優先のときに多く、自分が原因の場合が多い。人のせいにせず、自分が丸くなること。それには人の立場に立って考えること、相手に思いやり、気くばりができていること。良き縁に感謝して報恩の心が有ることが大切なことだろう。自分が変わること。その動機付けが必要だろう。 2016年9月8日 琢
2016年09月08日
コメント(0)
知っているだけでは語れない体験したこと、受け止めたことしか語るべきでないが比喩やたとえ話としては使える人間には想像する力と察する力が有る知らなければ影も形も無いがその状態を想い浮かべることはできるその能力の優れたものが日本人だろう察する文化そのための教養素朴の積み重ねそれが人の深さに成っている転じてこその智慧それが人の支えに成っている魂の中に入っているものを忘却し、喪失した状態、無知で生まれてくるのが人間だが、その魂の願いを思い出して果たすのが、自分に与えられた人生だろう。それが人の使命で、初めから思い出した人はいないだろう。自分の中に有る人生の答えを探す歩みが、潜在する八識の確信に成るのかも知れない。人生は問題を追求することでなく、既に有る解答に気が付くことであるとミカエルが言っているように、生まれてきた意味やその答えは自分の中に有ると言うことだろう。無知を埋めようと勉強して知識を貯めてゆくが、使わなければ劣化して、忘却してしまう。人に語れるのは自分の体験して得たもので、ただ知っているだけの知識を語っても、説得力や人の心を打つことは無いだろう。体験したこと、受け止めたことしか語るべきでないが、比喩やたとえ話としては使えるだろう。人間には想像する力と察する力が有って、知らなければ、知識が無ければ影も形も無いが、その状態を思い浮かべることはできる。その能力の優れたものが日本人だろう。察する文化、そのための教養、素朴な実践の積み重ね、それが人の深さに成っている。世界の人々もそれに気が付き始めて、日本の文化、美しい景色を体験したい国の一番に上げている。日本人は今それを背中で教えること、目指す目標に成ることが求められ、人間としての有るべき原点を示すときが来ているのかも知れない。転じてこその智慧が、未来を拓くことに成り、それが人の心の支えに成っている。転識得智・てんじきとくち。単なる知識を正論に使うべきではないだろう。 2016年9月7日 琢
2016年09月07日
コメント(0)
あの戦後、幼い頃食べるものも無く遊ぶものは何も無かった今ならひもじいと思うかも知れないが卑屈な心は全くなく遊ぶところはいくらでも有った大森海岸、新川、ため池、焼け跡チョコレート、ガム、バナナは遠い世界のものヤンマー、オニヤンマーを探し夕方は新川でエビガニをとった配給は芋が多く時には小麦粉でパンをつくって食べていたおかずは雑草を炒めたもの毎日笑って遊んでいた焼け跡にクリーニングの会社が建った石炭、コークスの山ができたが恒ちゃんとの思い出が懐かしい自分たちは国が戦争を始めたときに生まれ、敗戦後上海からあわてて帰ってきた家族だった。2歳半のときだった。日本の地を踏んだ時見えたのが、汽車の中から見える煙の出ている山で、後で聞いたのは、桜島だった。ということは鹿児島港に戻って来たのだろう。船の中では、隣の円座のおばちゃんが乾パンをくれたのを憶えている。お爺ちゃんのいる京都、山端の駅からすぐのところで、今は宝が池に成っている。その長男が父だったから、そこでしばらく住んだ後、仕事の関係で横浜、六角橋に引っ越した後、大森の広大な焼け跡に残っている工場の管理棟に写ったのが「たくみ5ちゃい」で、5歳のときだった。7家族が住んでいた。あの戦後の幼い頃は、食べるものも無く、遊ぶものは何もなかったが、卑屈な心は全くなく、ひもじいとも思わなかった。それはみんなが同じ状態だったからだろう。ものは無くても、遊ぶところはいくらでも有った。大森海岸、新川、ため池・ポリドールほか、ヤンマー、オニヤンマーを探し、夕方には新川でエビガニ・今のザリガニをとったり、水鉄砲をつくったり、三角ベースでみんなとよく遊んだものだった。配給は芋が多く、時々小麦粉で母がパンを作ってくれた。おかずは雑草を炒めたものだっただろう。毎日楽しく、笑って遊んでいたように思う。そのうちに焼け跡に石炭やコークスの山ができたかと思えば、デイーベンロイというアメリカ人のクリーニング会社ができていた。今思えば、あの頃の心は豊かで、ものは何もなかったが、幼なじみの恒ちゃんといつも一緒だったことを懐かしく思う。 2016年9月6日 琢
2016年09月06日
コメント(0)
集団に入れば場の空気を読むこと観えるまではむやみに動かないこと自己正当をしないこと人それぞれの生き方を知ること基盤による常識の違いを知ること皆止むに止まれぬ正しさをもっているそこではこれが最善と思うものをもっている場に溶け込んでその制約の中で行動する和の心掛け赦す心を広くもっておくこと最小公倍数の思考の組み立てで分岐点での選択をすれば争いは少なくなる勉強すること、自分の欠陥を正して埋めること、自分を変えることでしか、この忍土をわたってゆくのは難しく、他を変えることは不可能で、自分の未熟を充たしながら、納得できる自覚の元で生きてゆくしかないのだろう。何度も同じ過ちを繰り返す業・カルマは簡単に消せるものでなく、有るものは有るものとして、あまり表には出さない努力を心掛けるしかないだろう。自己顕示、自我我欲、自己保存をしないこと。集団に入れば、場の空気をよく読むこと。観えてくるまでむやみに動かないこと。人それぞれの生き方、生い立ち育ちの基盤を知ること。基盤の違いによる常識の違いを良くわきまえておくこと。皆止むに止まれぬ正しさをもっている。そこではこれが最善と思うことをもっている。場に溶け込んで、その制約の中で行動すること。和を心掛けて、赦す心を広くもっておくこと。最小公倍数の思考の組み立てを原則とすること。そういう心構えで分岐点の選択をすることで、争いや摩擦が少なくなり、心の安定が得られるようになってゆくのだろう。 2016年9月5日 琢
2016年09月05日
コメント(0)
我が道をゆく信念と強い意志で人の目を気にせずに自分の信じることを行う信頼は必然的についてくる果報はその必然的な積み重ねで障碍や試練には正面で受けて超えることものの道理を知り体験して身に付けば先を変える智慧に成る真念一貫 不逃避 忘己利他 一隅を照らす真理を求め、逃げることなく、人のための、光となれ道心は国の宝なり人生は苦であると言われ、記憶に残るのは楽より苦の方が多い。日常は苦ばかりのようで、たまに嬉しいことを戴けるからこそ、その恩恵に感謝して、その楽のためにどんな苦をも乗り越えられるのだろう。快苦を思えば、人は快のために働いているようなもので、四苦八苦・生老病死、求不得苦、愛別離苦、怨憎会苦、五蘊盛苦はこの忍土の世では必然的に出遭うものだと言う。みんなそこで頑張っているからこそ、今を明るく機嫌良く生きることが目標に成るのだろう。何もしなければ何も起こらず、何かをしようとすれば必ず障碍や試練に出遭うことに成る。忘却、喪失、無知で生まれてきた人は、その積み重ねから智慧を得て、先を拓くことに成るもので、自分の強い信念と意志で、人の目を気にせず、自分の信じることを行うこと、それを我が道として、自覚した道を歩むことに成る。人の歓ぶことをすれば、それが自分の歓びに成っている。それが必然の果報を生み出すことに成る。障碍や試練がどのように来ようとも、それを正面で受け止めて、自分を修正、改善して行くことで、摩擦が少なくなり、協力者の縁にも恵まれることに成る。ものの道理、自然の摂理を知ることで、知識を実践して体験することで身に付ければ、それが先を拓く智慧、柱に成っている。真念一貫 不逃避 忘己利他 一隅を照らす 道心は国の宝なり 伝教大使 最澄 2016年9月4日 琢
2016年09月04日
コメント(0)
何でも続けることしたいと思う強い意志苦しくても成し遂げたいと思うこと良かれと信じること心に決めたことはどんな試練が来ようとも信念と共に立ち向かうこと変化に惑うことなく目移りせず一貫して継続することそれが自信になり、確信になる人の信頼はそこから始まる日々の勤行を続ければその持続が信念を更に強くして不動の状態を得る他が認めれば仲間が増えて良き縁に恵まれ咲く花の未来が変わる一度やろうとしたことは、どんな障害に出遭っても、超えてやり通すことで、一皮剥けた自分になることが出来る。今までとは違う自分、事なかれ主義だった自分も、やり始めたことを諦めずにやり通した時の自信、あらゆる失敗にも挑戦意欲を失わなかったことで勝ち取った強靭な精神力、そういう自覚ができれば、どんな事態に遭遇しようと不動の自分に成れる。どんなことでも続けること、したいと思う強い意志、苦しくても成し遂げたいと決意すること。邪気が無く、無私、利他でみんなのためになることだと信じ切ること。変化に惑わされることなく、安易な方針変更をしないこと。一貫して継続することが力になってゆく。人の信頼はそこから始まるもので、甘い心を捨てて自分に打ち勝つこと、何かをやってくれるという期待を裏切らないこと。そういう一つのこと、何かをやり遂げようとする強い意志で日々の勤行と心に決めて実行することが、投げ出さず、諦めずに持続することが、ピンチをチャンスに変える原動力になる。その自覚が不動の自分に成れて、信頼してくれた仲間と共に、今までどうしてもできなかったことを成し遂げさせてくれる。良き因縁側の関わりから、自分の因の転換を図ることで、咲く花の未来を変えることが出来る。 2016年9月3日 琢
2016年09月03日
コメント(0)
自分を特別視しないこと誰の相手にもされていないと拗ねないこと拗ねる心が自分を破壊する同情を求める心、甘えた心が自分を社会から外してゆく絶望の試練にも恩恵が有るすべて仕組まれた必然のこととここで死んでたまるかと這い上がって見せること人が必死に生きようとする姿が他に勇気を与える誰が見ても立ち上がれそうもないところを黙々と這い上がることが他の感動に成り、目標に成っている何が有っても絶対に諦めないこと平然と笑顔で明るくしていることバネになることを重ねれば、その忍辱の体験が、自分を強くして強靭な精神力を培わすことになる。跳躍の前のタメが、準備が無ければ、高く飛ぶことはできない。失敗するのは当たり前のことで、失敗せずに成功することはできず、もしできたとすれば、それは極めて脆いものだろう。どんな人でも初めは苦労の連続で、無駄を重ねてて初めて、無駄が無駄でなくなり、日々の精進の積み重ねから何かを自覚できるようになる。自分を特別視しないこと。誰にも相手にされていないと思う意識過剰にならず、決して拗ねたりしないこと。拗ねる心が自分を破壊することになる。同情を求める心、甘えた心が、自分を社会から外してゆく。たとえ絶望の試練が有っても、そこには仕組まれたようなありがたい救いの恩恵が入っているもので、新たな光を求め、ここで死んでたまるかと、這い上がって見せること。人が必死に生きようとする姿の尊さを見れば、他に勇気を与え、誰が見ても、もう立ち上がるのはできないだろうと思うところで、黙々と這い上がることが、他の感動に成り、目標にもなるのだろう。何が有っても絶対に諦めたり、投げ出したりしないこと。平然と笑顔で明るくしていることが、他の心の癒しにもなっている。 2016年9月2日 琢
2016年09月02日
コメント(0)
一匹のありんこはありんこ山奥の一輪の山ゆりも鳥や虫たちも生あるものの一つ大自然にはそのすべてが有るはたらくのも寝るのも埋もれたものにもすべてに意味が有り自分には何の価値も無いと思うは大きな間違いでこの大地のすべてがそれで成り立っている自覚した何かを続けること大きなことを考えずひたすら続けることに意味が有って自分より周りが認めるようになるそれが生き甲斐になる誰かがそれを見ている孤立しても、孤独になっても、ただ耐え忍ぶこと。恥さらしは、自分で思う場合と他がそう見る場合が有るが、それにも耐え忍ぶことで強靭な精神力が培われる。脚光を浴びるもの、人知れず生きるもの、人にはもって生まれたものが有る。運命は変えることが出来るが宿命は変えられず、ただそれを明るく機嫌良く生きるかどうかだろう。一匹のありんこはありんこで、大自然の中で目立つものも有れば、ひっそりとその生涯を終えるものも有る。はたらくのも寝るのも、埋もれているものにも、そのすべてに意味が有る。自分には何の価値も無いと思うは、大きな間違いで、生きているだけでもその一つの役を果たしている。この大地のすべてがそれで成り立っているもので、自覚した何かを続けることの尊さが有る。大きなことを考えず、目立ったり、注目を集めて気分良く成ろうとしなくても、ただひたすら続けることで、自分より周りが認めるようになる。それが生き甲斐になるもので、他の役に立って喜ばれること自体が自分の無上の歓びに成っている。孤独と思っても、いつも誰かがそれを観ている、待っている。 2016年9月1日 琢
2016年09月01日
コメント(0)
全31件 (31件中 1-31件目)
1

![]()
