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不平、不満、物足りなさで心が晴れないとき現実を観ることの大切さ他のせいにするのは簡単だがそうさせている自分がいるその経緯を振り返り何故摩擦が起きたかの原因を考える反感をもたせる事実が有れば直ちに修正して謝罪する和解しておくことで荷が軽く、悔いも少なくなる他の摩擦の修復にもなる意地を捨てること謙虚で素直になること摩擦の原因が多いほど何をしてもうまく運ばない何をやっても思い通りにならず、対立や失敗ばかりでそこから前に進めないことは誰にもよく有ることで、目の前に現れる厳しい現実を突き付けられるときに、その原因は自分に無く誰かのせいにして、言い訳や弁解をして自分を正そうとしなければ、修羅場を抜けるすべも無く、一皮剥けた自分になることができない。対立や失敗の元になる不平、不満や物足りなさの現実を正視することの大切さに気が付くこと。その原因が有るはずで、自分は悪くなく他のせいにするのは簡単だが、火の無いところに煙りは立たずで、必然の現象には火種が有ること、それが確実に自分と関係が有るものとして、そうさせている自分がいて、それが原因ではないかとその経緯を振り返って自己検証してみることが大切だろう。必ず有る原因が自分が引き起こしたものと思えば、直ちに修正して謝罪し、和解しておくことが重要なことだろう。そうすれば自分の心の荷も軽くなり、悔いの残らない歩みができる。その積み重ねが有れば、他の摩擦の原因も修復されている場合が多く、そのためには意地を捨てること。ただ素直に、謙虚で有ることが最も大切なことだろう。摩擦を起こす原因を多く抱えているほど、何をやってもうまく事が運ばないことを知り、その適切な対応ができるようになることが、先を拓く智慧になっていることに気が付くことだろう。和の大切さをもう一度考えてみることが必要だろう。 2016年3月31日 琢
2016年03月31日
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人も物も何かに当たれば傷がつく心に形が無くても傷がつくその修復を必要とするが当たった原因を正さなければまた同じことを繰り返すその痛みを忘れず時と共に通過するものの中に修正事項を放置するか正したかの記憶は残っているその成果は必然の結果をもたらすいつも現実を正視すること現実には必然の原因が有る良いときは更に改善し良くない原因を確実に正しておくことそこで得る智慧が先を拓いてくれるあの世を実在界と言い、この世を現象界と言うが、あの世は不変、この世は変えられる世だと言う。現象界は形・象に現れる世界で、その現象には必ずそれなりの必然の原因が有る。和を以って貴しとなし、逆らわずと言うが、逆らえばそれなりの現実が返って来ると言うことだろう。原因と結果の法則が有って、何をしようとその結果には必ずそれなりの必然の原因が有る。その原因を正しながら自分を変えてゆけるのがこの現象界なのだろう。人も物も何かに当たれば傷がつく。心に形が無くても傷がつく。その修復を必要とするが、当たった原因を正さなければ、また同じことを繰り返してしまう。その痛みを忘れず、時と共に通過するものの中に、修正事項を放置したか正したかの記憶は残っている。歳と共にさらなる改善を積み重ねることで、その成果は必然の結果をもたらすことになる。いつも現実を正視すること。現実には必ずその原因が有り、巧くいっても更に改善し、良くない原因は確実に正しておくことで、不安定なところが修復され、安定感が増すことで道を歪めることが少なくなって、他の信頼と人望が厚くなるのだろう。 2016年3月30日 琢
2016年03月30日
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宇宙の星は慣性の軌道を回っている地球は太陽の周りを月は地球の周りを月は見る位置で形が変わって見え丸いもので減りもせず増えもしていない大きさが違って見えても無くなることが無い立つ位置で変わって見えるだけ有るものは有る否定せず、疑わずに受け止めること空は無ではなくただ有って自然なもの大きく見せる必要も無く有るものは有って邪魔にならないもの自然の摂理に学ぶところが多く、この世の現象を見れば残酷だと思うことも多いが、無駄なものは一つも無く、相互に関連し合って共生している。自然淘汰や弱肉強食など、生命を保つための営みには人間の良心から見れば抵抗が有るものも有るが、そのままを共に生きるものとして受け止めて、その一員として共存共栄することが最も自然で、一個の生命体として有っていいものになっているのだろう。宇宙の星は、慣性の法則と共に同じ軌道を回っている。地球は太陽の周りを、月は地球の周りを、重なるときは見えなくなることが有っても、衝突することなく自分の軌道を回っている。月は見る位置で変わって見えることも有り、形が変わって見えるときも、丸いもので減りもせず増えもしない。大きさが違って見えても無くなってしまうことは無く、有るものは有る。寝ているときもその営みが止まることなく、すべてがいつもその働きを続けている。立つ位置で変わって見えるだけで、等間隔に有るものは有る。浩然の気で、宇宙大自然と一体化する心境に至れば、もっとのびのびと安らかな生き方ができるのだろう。すべての存在をそのまま受け止めれば、空は無では無く、有るものは有るものと自然に受け止めれば、疎ましく、邪魔になることも無く、時には恩恵になることも多い。ただ有って自然なもので、大きく見せる必要も無く、有っていいものと受け止めれば、心もその行う現象も整ってくるだろう。 2016年3月29日 琢
2016年03月29日
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思い違い、錯覚、幻覚その先には絶望が有る肉体の痛みと心の痛み耐え忍ぶこと精進の日々その時々の充実感も目標に疑問を感じれば違和感に迷い、葛藤が伴う修正の連続その先に観えてくるもの高すぎるのは野望でもっと絞れば現実味をおびてくる別の光を見出すとき確たる自覚が湧いて道を歪めなくなる四苦八苦、七転八倒の連続に耐え忍んで、自分の愚かさを知り、足るを知ってみれば、多くの恩恵に支えられてきた自分を発見できる。要所要所で何かに救われてきていることを思い出し、過去の反省と共にその恩恵の一つ一つを思い起こしてみるときをもてば、感謝の念でいっぱいになるだろう。もしその一つでも無かったら今の自分が有ったかどうか、感謝の意は気が付いた時にすぐに表しておくこと、誰も明日生きている保証が無いことを思えば、悔いを少なくしておくこと、後悔先に立たずと言うが、しそびれたことを少なくしておくことが大切だろう。未熟さ、自分に関する疑問が多いほど自信の無さになって、思い違いや錯覚、幻覚さえも起こし始め、その先には絶望や奈落の底に落ちることさえ有るだろう。忍辱はどんな痛みや辱めにも耐え忍ぶこと、強靭な精神力を培うこと、日々精進の積み重ねから自分が本心から何をしたいかが観えてくるのだろう。立てた目標に疑問を感じ始めれば、違和感や、迷い、葛藤が伴い、その修正の連続から観えてくるものも有るだろう。高すぎる望みは野望で、冷静になってもっと絞ってみれば、現実味の有る本心の願いが観えてくるだろう。別境で観えてくる光が自分の歩むべき確たる自覚になって、道を歪めなくなり、不動の自分に至ることができるのだろう。 2016年3月28日 琢
2016年03月28日
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世代が変われば常識が変わる時代の知は人のとらわれを変える昔当たり前が今当たり前でなく目標も変わる一本の道は継承されるが歩み方は変わる親の願いと子の願い個性は別のもので世代に合った生き方が有るそれも自然の摂理今を明るく機嫌良く生きることそれはどの時代も同じだろう人生の苦をゆく道の真理だろう文句を並べること、愚痴を言うこと、悪口雑言を並べること、心の中に納めきれないことを人に言うことで自分は発散するかもしれないが、口から出る怒りや恨み、憎しみは毒素になるもので、聞く側はそれを消化しきれない場合も多く、他に迷惑を与える過ちの一つになってしまう。家族のこと、恋人のこと、友人のこと、仕事のこと、社会のこと、国のこと、将来のこと、その悩みには個人差が有って、経験の違いによって未熟さを思い知らされることにもなってしまう。世代が変われば、常識が変わり、時代の知は人のとらわれを変えてしまう。昔当たり前だったことも、今は当たり前でなく、人の夢や希望の目標も変わってゆく。魂が願う一本の道に変わりが無くても、その歩み方は変わってゆくだろう。親の願いと子の願い、個性は別のものだし、肉体の遺伝子は同じものが流れていても、転生、前世の魂は別のものだろう。人の生き方には世代に合った、時代に合った生き方が有るが、それも諸行無常の自然の摂理の内だろう。今を明るく機嫌良く生きること、これはどの時代にも言える永遠のテーマだろう。人に毒を吐きかけずに自分の毒素を別の形で発散することも転依の内で、汗をかいて吐き出すこと、スポーツや趣味、山に入って森林浴をすることなど、気分転換は人に迷惑をかけずにできることだろう。人生の苦をゆく真理は重要なことだろう。お寺さんの役割にもそのためのものが有って、東大寺のお水取り、法隆寺の修二会、薬師寺での花会式などの悔過・けか法要はそのための明るい行事になっている。 2016年3月27日 琢
2016年03月27日
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身の周りのものはすべて必然の縁どれを選ぼうと学ぶものが有り開花に導く必然のもの障碍も試練も智慧を付けるためのもの運をつかむのも逃すのも天が与えた自分へのテスト正面で受け止めることその報は必然のもの望まぬ報は自業自得災い転じて福となすにはその原因の修正浄化をすること品種改良は因縁側の良き縁と共にその恩恵には感謝を忘れず互いに恩着せをしないこと何でも前を向いて受け止め、明るい対応をすることから道が開かれてゆく。好結果には謙虚に周りに感謝して、悪い結果には、関与した自分の原因を検証して修正浄化すること。うまくいったときは自分の手柄だと言い、良くない結果が出たときは責任転嫁をして、自分の関与を否定して自己反省することをしなければ、いつまでたっても進化しないまま残されてゆくしかない。どんなことにも今の自分に意味の有るもので、身の回りのもののすべてが必然の縁と思えば、選択肢のどれを選んでもそこに学ぶものが有る。自分独自の開花に導く必然に与えられた縁・条件ととらえ、障碍も試練も智慧を付けるための呼びかけだと思うこと。運をつかむのも逃すのも天が自分に与えたテストと思い、正面で受け止めてことに当たれば、必然の報が返って来る。因縁果報は必然のもので、望まぬ果報が有れば、それは自業自得と思うこと。ピンチをチャンスに変えること、災い転じて福となすには、その原因の修正浄化をして、決して逃げたり、放棄したり、諦めたりせずに、忍辱して乗り越えて次の力にすること、強靭な精神力を培っておくことで、身に付けた智慧を応用して、自分独自の道を切り拓いてゆくことだろう。そこに戴いたすべての恩恵に感謝を忘れないこと。かけた情けは水に流して受けた恩は石に刻むように、恩着せや押し付けをしないこと、決して自分だけの手柄にしないことが大切な心構えだろう。 2016年3月25日 琢
2016年03月25日
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浩然の気宇宙大自然と一体化する心境自然の摂理、大地の共生与えられた良心はその秩序と共に添う心人のつくった法律はその常識を破る犯罪を取り締まる調和された心のためにすべての和を大切に分かち合うこと助け合うこと害を与えないこと機嫌良く明るいこと人と人、国と国その境目が命の境目にならないようにその願いは永遠のものだろう怨み、憎しみのサタンに魂を売るようなことが無いように、この世のものに無意味なものは無く、すべてのものが共存できるように、親に教えられる以前に与えられているのが良心だろう。それは人間の原点で、その常識を感謝の無いものにしようと、怨みや憎しみのサタンに魂を売った者たちが起こす悲惨な現実を見るたびに「全人類よ、今、心を原点に戻せ!」との声が聞こえてくる。良心に従って生きること、思い通りにならない現実を整えるには心を整えること、和して逆らわずに自然に溶け込むこと、摩擦を起こす心を修正浄化すること、自己顕示、我欲を出さず保身をしないことが、原点回帰の条件だろう。調和された心のために、すべての和を大切に思うこと、利己的にならずに、分かち合うこと、助け合うこと、他に害を与えず、雰囲気を壊さないように、いつも機嫌良く明るいこと、これが人と人、国と国の調和の原点になるべき愛・菩提の心だろう。人と人、国と国の境目が命の境目にならないように、魂の中に潜在する個々の本当の願いを自覚すること、唯物的に、刹那的に、利己的にならず、いつでも心を原点に戻せるように整えておくことが大切なことだろう。初心に返ること、原点に戻ることの大切さ、その願いは永遠のものだろう。今必要な心は「浩然の気」・宇宙大自然と一体化する心境で、のびのびと安らかな心を求めることだろう。 2016年3月24日 琢
2016年03月24日
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止観は感じ、受け止め、考え、行為をチェックする人の心境はそのときどきで変わる事件、事態の遭遇するときの心が動く傾向を観ておくこと喜怒哀楽の心瞬間的な閃きは置かれた状況にもよるが一定の傾向が有る直情型、塾考型許しか怒りか、愛かどう出るかは自分でも分からない自然な方が分析しやすく修正箇所も解る自分の心をつかんでおくこと摩擦が少ないように心掛けること人に迷惑をかけることは極力避けるべきだが、気が付かずに無意識に迷惑や困惑を与えている場合が多く、される方の心情を思えば、あまり好きに成れず、嫌ったり、憎んだりすることが多く、自分が何かをしようとすれば否定的になったり、邪魔をする方に回ったり、やること為すことがうまく運べずに失敗することも多い。自分に悪意が無くても、他の気に障ったり、怒らせたり、困らせたり、その時の心境如何で予測不能な行動に出てしまい、後で収拾がつかなくなって困り果ててしまうことも多い。仏教にはその自分の心を観るために止観が有って、事件や事態に遭遇するときに自分がどういう態度をとっているかを観ること、感じ、受け止め、考え、行為で色受想行識、観自在、どういう心で受けて、どう考えながらどういう行為に出たかを観ながら、どこでストップをかけるべきか、対立の原因がどこに有るか、未熟な対応をどこで気が付くかを観た上で、その原因を修正浄化することができる。そこから得る智慧は、何が起きてもその場で結論を出すことには危険が伴うこと、味方を増やすより敵をつくらないこと、どんなときにも明るく機嫌良く対応できる自分であることを自覚することだろう。他に迷惑をかけたり、困らせたり、人の心をかき乱したりして摩擦を起こさないような自分であること、その上で自分が何をしたいかの自覚をもっていることが大切なことだろう。 2016年3月23日 琢
2016年03月23日
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一人の人だけでもそのすべてを見通すことができず自分のことすら観えていない六方を敬う、前後、左右、上下その一方向でも何億人かいるだろう人間の愚かさを思うが考えても考えても結論が出ない迷いはそこに湧き出すもので相手の側で考えても何が出るか予想できず出会い、出来事、事態のすべてがカオス自分にどうあらんとするかが無ければその対応に一貫性が無く信頼されることが無い信じることの大切さ察することの大切さを思う人の出方は千差万別で、集団の中に入れば一人の人だけでも、そのすべてを見通すことはできない。自分のことですらどう出るかはその場になってみなければ分からないだろう。盲目同然と言っても良く、自分の愚かさを見る思いがするだろう。見極められないときは、相手の仏性に敬意を払うことが賢く、何も見えないところでは六方を敬うこと、前後、左右、上下、身の周りのすべてを自分より尊いものと思っておく方が謙虚で素直な自分になれるだろう。世界70億人もいれば、どの方向にも何億人かいるもので、その中には卓越した人も多いだろう。人間の、自分の愚かさを思うが、考えても考えても無知な自分に結論が出るはずも無く、そのたびに迷い、葛藤の連続の困惑が有るだろう。相手の側でものを観ること、相手の立場に立って考えてみても、何が出るか見当が付かないだろう。自分が何者かでさえ分かっていないものが人のことなど分かろうはずも無く、その出会い、出来事、事態のすべてがカオスと言っていいだろう。分かっていないものの扱いほど難しいものは無く、自分がどうあらんとするかの信念を持っていなければ、当たり障りのない対応しかできず、一つ一つの対応に一貫性が無いだろう。信念の無い対応では信頼されることが無く、自分の歩むべき道を定めて何ごとにも慎重な対応をすること、それには信じることの大切さ、察することの大切さを良く解かっておく必要が有るだろう。 2016年3月22日 琢
2016年03月22日
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確率を高めるには明確な判断力を要し物理的、技術的知識と法律的知識の修得洞察力と分析力を培うこと心理的、精神的、肉体的視野で一点に力を注ぐためにその勇気と気力を整えておくこと挑戦するタイミングが合えば奇跡は起きる毎回奇跡は起きないが決断力と重剛の力のバランスが不可欠で疑心暗鬼の迷いで力を分散しないこと地の利、時の利を視野に全力を注入すること愚かさの自覚と恩恵に感謝すること何でもやってみなければその結果はわからず、どんな障害や失敗の原因が有るかも知ることができない。勇気を出して挑戦してみること、やるからにはその周到な準備をしておくこと、初めからダメだと諦めずに自分の意志と力を信じること、失敗すれば格好が悪いなどと気にすることなく、何度でもできるまでやるんだと言う気構えが必要だろう。確率を高めるには、明確は判断力と、物理的、技術的知識と法律的知識の修得をしておくこと、確証をもっておくことが必要で、洞察力と分析力を培っておくこと、心理的、精神的、肉体的なものを整えた上で、一点に力を集中することが重要なことだろう。そのための勇気と気力を整えておくこと、挑戦するタイミングがを合わすことで奇跡は起きる、興す気で取り組むことだろう。奇跡は毎回は興るものではなく、一極に集中したとき、決断力と剛柔両方の力のバランスが不可欠だろう。不安からの疑心暗鬼の迷いで力を削いでしまわず、地の利や時の利を視野に全力と投入すること、愚かさを自覚して恩恵には感謝を忘れないことが最も大切なことだろう。 2016年3月21日 琢
2016年03月21日
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どんなカオスがやって来てもその時に必要な仕組みと思えば粗末に扱えずどんな障害や試練も自分を深化させる縁と言える必要と思えば必然のことととらえて正面で受け止めれば自分の欠陥が観えてくるこの苦を超えれば楽が来ると信じて放棄せず、諦めずに強靭な精神力と培うこと耐え忍ぶ先に光明が有るそのための呼びかけと思えば前向きな自分になれる心を開いて誠心で対応すればいつか花開くときが来るこんな理不尽なことが有っていいのか、何で自分だけにひどい仕打ちを、と恨む心は誰にも有るが、そのこと自体が自分に与えられた神仏のテスト、必然に仕組まれたもので、魂願を果たすために与えられた超えるべき仕組み、進化向上に必要なもの、それも自分だけに与えられた縁ととらえることが必要なときが有る。どんなカオスがやって来ても、その時に必要な仕組みと思い、粗末に扱わないこと。それが必然の障碍、試練と思って人智を尽くせば、自分を深化させる縁になる。必要なことだと思い、それが必然的に与えられたものと思い、正面で受け止めれば、自分の品格を上げるために改めておくべき欠陥が観えてくるだろう。この苦を超えれば楽が来ると信じて、投げ出さず、諦めずに立ち向かうこと、忍辱して強靭な精神力を培うことで、耐え忍んだ先に光明が見えてくるだろう。それまでにどうしてもできなかったことができるようになっている自分がいるだろう。どんな苦しいこともそのための呼びかけと思えば、前向きな自分になれ、心、意思を前に向かせることで勇気と気力が湧き出してくるのが分かるだろう。どんなことにも心を開いて誠心で対応すれば、いつか花開くときが来るだろう。 2016年3月20日 琢
2016年03月20日
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畏敬の念の大切さ分相応をわきまえ足るを知ること互いに尊重し合いはたらくものと守るもの相互の仏性に敬意を払うこと察して思いやること気配りをすることそこには菩提心が有る搾取すること、私物化すること自分だけが良い思いをすることそのために支配しようとする金さえ有れば何でもできると思う心地獄、餓鬼、畜生、修羅の世界そこに菩提心は無く分かち合う心も無いこの大地に共生するものに無駄なものは一つも無い。それぞれには相互に何かの意味が有って、その恩恵で生かされていると思うことができれば、自然の摂理に合致した生き方ができて、自分の在り方や願いも整ってくるだろう。自分だけが良ければと唯物的に、刹那的に、利己的になって、思い通りに運ぼうとすること自体が煩悩、邪気の表れだと知ること、それを戒めることですべてのものとの和が生まれて丸く治まる、整うことになるのだろう。畏敬の念の大切さ、分相応をわきまえること、足るを知ること。互いに尊重し合うこと、相互の仏性に敬意を払うこと、察して思いやる心、気配りをする心、そこには愛、菩提心が有る。反面、自分だけが豊かになろうと搾取すること、私物化すること、良い思いをしようと相手を利用すること、そのために支配しようとする心、金さえ有れば何でもできると思うさもしい心が人を地獄、餓鬼、畜生、修羅界に引きずり込むことになり、そこには愛や菩提心のかけらもない世界が有って、共に分かち合って感謝する心が全く無い荒んだ世界が有る。そのどちらを選ぶかは自分次第で、前者を選んでいるつもりでも気が付かずに後者のやり方をしてしまっているときが有るのが、人の業・カルマだろう。六道輪廻を脱すること、それができれば、魂の願いは果たしたことになるのかも知れない。 2016年3月19日 琢
2016年03月19日
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覚者は悟りを開いたものでなく理由の解かったもの分相応を知るもの愚かさを自覚しているもの豊富な知識が有っても傲慢にならず常に謙虚で素直なもの眼を開いて観ているもの煩悩で聞かず学ぶ姿勢を崩さないもの自分だけの求道にとどまらず他のために学ぼうとするもの良き因縁側で関わり人脈の交流に努めるもの金銭や名誉名声を求めないものだろう生きて悟りは無いのだろうが、その境地を目指しているのが求道者だろう。自己の煩悩の抑制だけでなく、転識得智したものを他の救済に向け、素直に自分を正せるもの、発菩提心と共に修菩薩行に励むものだろう。覚者とはものごとの理由・わけの解かったもの、分相応を知っているもの、自分の愚かさを自覚しているもので、豊富な知識が有っても傲慢にならず、常に謙虚で素直であるものだろう。心眼でものを観て、煩悩で聞かず、いつも素直に学ぶ姿勢を崩さないものだろう。自分だけの求道にとどまらず、他のために学ぼうとするもの、良き因縁側で関わり、その関わりを繋ぎ合い、人脈の交流に努めるもので、金銭や名声を求めないもの、すべてを分かち合って共生に努めるものだろう。唯物的なものを求めず、刹那的な場当たり的なことをせず、自分だけ良ければと言う利己的なことを厳に戒めているものだろう。自分が何のために生まれて、何を果たそうとするか、その使命の自覚ができていて、ただ素直に、今を明るく機嫌良く生きようとしているものだろう。柔軟な不動心、その状態になっているものだろう。悟らんと 重ねた無駄も 気が付けば あれも我が道 これも我が道人の世は 必然の道 天の道 歩むべき道 辿るべくして 2016年3月18日 琢
2016年03月18日
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心は眼に表れる敵か味方か、悪意か好意か違和か同調か、異論か賛同か解かっているか否か安心か要注意か話しをすればそのどちらかを感じ慎重に油断せずに語るか心を開いて語るか心地良い方に傾くが気を抜けないところに学ぶことが多い楽な方は楽しいが苦に学ぶことが多い楽が有るから頑張れて楽のために働く歓喜のために苦を超えられる人の心は明るい方に向こうとするもので、向日葵が太陽に向いて大きな花を開かせるように、日の光を吸収しながら大きく育ってゆくのは人間も同じだろう。この世は苦であると言ってよいが、忍土で出遭うのが苦ばかりなら人は生きてゆけないだろう。嬉しいことや楽しいことが有るからそのためにどんなことにも耐え忍ぶことができる。楽しみのために働くのが人間で、障碍や試練は願いが有るからぶち当たってしまうのだが、自分の未熟が原因の場合が多く、その欠点や弱点を克服することで心眼が育まれてゆくのだろう。心は眼に表れるもので、自分が理解されているかどうか、その場に自分の居場所が有るかどうか、居心地が良いかどうかはその雰囲気を読むことで自分をどう変えれば良いかも観えてくるだろう。自分のチェックは八正道【正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定】に照らしてみて、慎重にことをはこぶ必要が有るだろう。快感を原則にしてしまうのは人情だが、有頂天にならないように戒めておくこと。気を抜けないところに学ぶことが多く、楽な方が楽しいが、苦に学ぶところが多い。時々与えられる楽しみやうれしさが有るから人は頑張ることができ、そのために苦を耐え忍んで働いていると言ってもいいだろう。歓喜のために苦を超えようとする、苦を超える智慧を身に付けながら先を拓いてゆくのが人間だろう。 2016年3月17日 琢
2016年03月17日
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頭で考えて心で決める心の根拠は魂の中に有ってどうあらんとするかは 前世にも関係している永い転生で願ってきたことは意識の蔵に潜在しているどれだけ生きるかではなくどう生きてどう果たすかが問題で道草も無駄でなく寛容の幅と深さになっているどれだけ愛して許せるか今は敵でも良き縁にできる気力は根源の力を引き出し無限のエネルギーを湧き出させる知能を転じて智慧にするその意志決定は心でする人間の意志決定はどこでしているのかを問えば、頭のいい人は頭脳だと答えるが、普通の人は頭脳は計算機のようなもので意志決定は心ですると答える。見えるものしか信じない人は頭脳だと答えるかもしれないが、見えないものの大切さを知るものは心がその奥に有る魂を根拠に決めていると言うのかも知れない。普通は頭で考えて心で決めると言っている。知識は頭の中に有るが、智慧は身に付いたもので体幹の中に入っている。どういう生き方をするか、どうあらんとするかは前世にも関係が有って、永い転生で願ってきた魂の願いは、その意識の蔵の中に潜在しているもので、その状態を空と言っている。道草や無駄、無意味だと思える失敗や超えてきた試練、障碍のすべてが寛容の幅と深さになっている。どれだけ愛せてどれだけ許せるか、今は敵でも良き縁にすることもできる。勇気が有るか、気力が充実しているかが問題で、やる気になれば根源の力を引き出すことができて、無限のエネルギーを湧き出させることもできるのが人間だろう。知能を転じて智慧にすれば、あらゆる障碍や試練を超えさせ、さらに新たな智慧を身に付けて未来を変えることもできる。納得するもの、満足するものは心とその奥に有る魂の中に有って、どれを選ぶかの意志決定は心でやっているのだろう。 2016年3月16日 琢
2016年03月16日
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山芋を掘る過去の非を次々と引っ張り出すこと我慢の積み重ねから出てくるもの心に抱えた不満が溜まれば病気になることが多いストレスが原因の病が多く発散することが望ましいチャンネルを変えて気分転換をする転依すること視点を移すことで何が原因かが観えてくる原因と結果の法則を知り改めて浄化することの大切さ責め合えば平行線で和解ができなくなる初期化の大切さ、初心に戻ること日本人の魂の中に有るものは、聖徳太子以来、和を以って貴しとし、逆らわずの精神がしみ込んでいる。相手の身になって察する文化が根底に有って、表現する日本語も言霊として「言霊の幸はふ國、祐くる國」と言われている。美しく、奥深く、繊細な表現法はその魂の流れの中に入っている。無私、利他での思いやる心、気を配る心は察してこその心だろう。忍辱はつきもので、耐え忍ばなければ出て来ない言葉が有る。口さがないのは、我慢の積み重ねから、理解も察してももらえずに出てしまう言葉、山芋を掘ると言って芋蔓式に出てくるもの、心に抱えた不満が溜まってくれば、発散しなければ病気になってしまうことが多い。病気はストレスからくるものが多く、転依する必要が有る。チャンネルを変えること、気分転換をすること、視点を別のものに移すことで気分が変われば、何が原因かも観えてくる。そこに原因と結果の法則や因縁果報・因果応報・自業自得を知ることになって、その原因を正し、修正浄化することで、障碍や試練を超えて転識得智して、先を拓く智慧にすることができる。責め合ったり、責任転嫁したり、人のせいにして自分を改めることが無ければ、平行線のままで、和解することも無く、恩恵への感謝も無く、仏性に敬意を払うことも無いまま進化が止まってしまう。初期化したり、灰汁抜きをして毒消しをすること、初心に戻ることの大切さを思う。 2016年3月15日 琢
2016年03月15日
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答えは待っていても出ず自分で出すもの一般的な教義を知っていても自分にしかない答えは出ない人工知能でも計り知れず生まれてから得た智慧だけでなく転生の中に有るもの魂の中に蓄積されているものその潜在を思い出さなければ迷いは消えず揺らぐ心も止められず不動には成れない他に自分の代役は務まらず過去の因を現在の果で知り未来の報のために現在の行いを改める過去の因を知らんと欲さば、現在の果を見よ。未来の報を知らんと欲さば、現在の業を見よ。これは因縁果報、因果応報のことで、良くも悪くも今の自分に自業自得が与えられていると言うことだろう。その原因は過去の中に有って、それを修正浄化しなければ、同じ延長になるだけだと言うことだろう。答えは待っていても出ず、自分で引き出すものだろう。一般的な教義や常識を知っていても、自分にしか出せない答えは出せず、人工知能でも計り知ることはできない。生れてから後天的に得た智慧だけでなく、もっと先天的な転生、前世からのものが魂の中に蓄積されていて、それを思い出さなければ、自分が生まれてきた意味も使命も気が付くことが無いまま六道【地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の世界】を輪廻する・繰り返すだけだろう。迷いはいつまでたっても消えず、揺らぐ心を止められず、不動の状態には成れない。他に自分の代役は務まらず、自分が何のために生まれてきたのか、何の使命を果たすために生まれてきたのかに気が付くための、必然の現象が仕組まれていること、一皮剥けた自分になること、固い殻を破ることでしか、自分の心を安定させることができないだろう。それにはこういうことがしたかったんだと言うものを自覚すること、それを自分の使命だと思ってミッションワークを果たすことだろう。未来の報を整えたければ、先ず自分の心を整えるしかないだろう。逆に自分の心を整えれば未来は変えられると言うことだろう。 2016年3月14日 琢
2016年03月14日
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自然の摂理に学び不変の法則を見つける方程式のように同じ答えを見つけるために因縁果報もそうだが分かっていても出せない応え適切かどうかが分からないから迷いが止まず自分で体得しなければ解かったことにはならない解答だけを知っていてもその過程を経なければ見切り、割り切りができないそれがカオスへの対応だろう自分の身代わりは誰にもできない人間は都合の良いもので、良いことが有れば自分の御蔭だと言い、悪い結果が出れば人のせいで、その原因を見つけようともしない。自分はちっとも悪いことをしていないと言い、自分に嘘をつくことも有る。原因の修正が無ければ何度も同じ過ちを繰り返してしまう。自己回帰の大切さ、自己検証をすること、ただ素直に謙虚になって反省したことを改める人との差が歴然と現れてしまうのがこの現象界の必然の現象だろう。自然の摂理に学び、不変の法則を見つけ出す。方程式のように同じ答えを得るために、因縁果報や原因と結果の法則もそうだが、解っていても認めたくない心が答えを出させない。適切かどうかが分からないから迷いは消えず、自分で体得しなければ分かったことにはならない。知識が豊富でも答えだけを知っていても、その過程を経て自覚していなければ、四諦、消去法で見切り、割り切りができず、永遠に迷いから抜け出すことができないだろう。カオスへの対応は、その準備と自覚が無ければ心や現実は整ってこないだろう。自分の身代わりは誰にもできず、自分がどう生きるかの自覚が無ければ、過去に流す現実に一貫性が無く、悔いを残し、執着を断ち切れない、不変、不動とは程遠い迷いだらけの足跡を残すことになってしまうだろう。あの世は不変、この世は可変の現象化する世界、自分を変えられるのはこの現象界でしかできない。 2016年3月13日 琢
2016年03月13日
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長い間に人の心は変化する進化するほどそこにとどまれず生き残るのは金持ちでも権力者でもなく自分を変えられる人で人気は永続せず常に新しいものを求めている上には上が有り未来はいつもその先に有る創造は破壊の始まりで人智を尽くし、人智を超えたところに途上の暫定的な満足が有る継続は力なりだが同じ形では慣れと共に消えてゆく人は時の変化と共に生かされている仮面ライダーは変身することで強く成る。人間も一皮剥ければ、垢抜けした自分になって、強い信念と共に確かな歩みができるようになる。過去の自分を捨てて、固い殻を破ること、それには信念の間違いを修正すること、既成概念にとらわれないこと、過去のとらわれを断ち切ること、責任転嫁をしないこと、ただ素直になって、投げず、諦めずに正面切って目的に向うことだろう。長い間に人の心は変化するもので、進化するほどそこにとどまれず、生き残って命を全うしようとする。生き残れるものは金持ちでもなく、権力者でもなく、通過点で満足せずに、線と幅に満足しようと自分を変えてゆける人だろう。人気は永続せず、世の中は常に新しいものを求めている。上には上が有って、未来はいつもその先に有るものだろう。諸行無常の世界では、創造は破壊の始まりで、人智を尽くして、人智を超えたところに途上の暫定的な満足が有って、それが節目になってさらに強く生きてゆくことができる。継続は力なりと言うが、同じ形の継続は慣れと共に消えてゆくもので、一っ処にとどまっていては時代の変化についてゆけず落伍してゆくもので、時の変化と共に自分を変えながら生きてゆくことだろう。それも、今を明るく機嫌良く生きることだろう。 2016年3月12日 琢
2016年03月12日
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過分の愛情を期待せず少しの愛情を喜ぶ期待が大きいほど失望が大きく受けた恩恵に感謝して報いようとする確認せずとも察すればわかるうわべだけの心を求めず心遣いで感じること誉め言葉に酔うことなく言霊の中味を洞察し程度に合わせたさりげない受け止めをする雰囲気を大切にして壊さず思いやり気配りを施すことそれが品位を高くする日頃の心構えや戒めは表に出るもので、乱されたときに本性が現れてくる。口で言っていることとやっていること、本音と建前に大きなギャップが有るほど信頼されなくなる。集団に入れば、初めはよく見えていたものが次第に色あせてくるもので、表層だけで人を判断できないことを戒めるようになる。第一印象は大切なものだが、メッキはすぐに剥がれてしまうもので、飾った自分を見せていてもすぐにバレてしまうもので、心を開いて本心で接することが信頼される要因になる。過分の愛情を期待することなく、少しの愛でも孤独感は無く、他の好意を感じれば感謝して喜べる自分であること。期待するほど失望が大きく、受けた恩恵に感謝して報いようとする。「かけた情けは水に流し、受けた恩は石に刻む」。愛は確認せずとも察すればわかるもので、うわべだけの心を求めず、心遣いで感じられる自分であること。誉め言葉やうわべだけの美しい言葉に酔うことなく、言霊の中味を洞察し、程度に合わせたさりげない受け止めをすること、感情に流されないようにして、場の雰囲気を大切にして壊さず、思いやり、気配りを施すことを心掛けておく。その積み重ねが品位を高くするのだろう。 2016年3月11日 琢
2016年03月11日
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秀作に答えを見つけても修練を積まなければその領域を得ず贋作に値打ちは無く独自の味を出さなければ満足は無いさらに高いところを求めるのが人間の性で足るを知らなければ分相応の満足感を得られない高すぎれば欲求不満ばかりで自己満足だけでは世界が狭くなる自分の心を整えなければ納得できずに悔いが残るこの世で一番難しいのは自分だろう人には蝋を得て蜀を望むところが有って、希望には際限が無く、高望みをしてしまうことが多い。欲を言えば限が無く、高いものを見ればよじ登ってみたくなるところが有る。若いほど好奇心が旺盛で、未熟を思うほどその穴を埋めようと、何でも知りたいと思う。やさしいものより難しいものを選択してしまうが、そこには苦が多いが自分を深化させる材料はたくさん出てくるもので、障碍や試練を超えるたびに身に付く智慧と自信が先を拓く元に成っている。秀作に答えを見つけたつもりでも、修練を積まなければその領域を得ず、贋作をつくってみても値打ちが無い。自分独自の味を出さなければ満足は得られない。一定の目標を達すれば、さらに高いところを求めてやまないのが人間なのだろう。三つの自覚{忍土の自覚、愚かさの自覚、恩恵の自覚}をすれば、足るを知ること、分相応をわきまえるように成れて、高すぎる望みを抑制することができる。自己満足だけでは世界を狭くしてしまうことを知るようになる。大自然は天工のもので、それに逆らうことなく受け入れること、その恩恵に感謝することができて苦が少なくなって行く。望まない現象には自分を整えておくことが重要で、それを怠っていれば何も得られず、納得できない歩みでは悔いを残すことになる。この世で一番難しいのは自分で「克己」がその条件なのだろう。 2016年3月10日 琢
2016年03月10日
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根も葉もないことそこに草木が無いこと責任の取りようのないもの人のうわさはそういうもので惑わされないこと自分で確かめること対立が有る場合は双方の意見を聴くこと邪気を祓うこと煩悩で聞かないこと信念と共に不動であること一方通行は平行線で理解し合うことなく、交わることが無い信頼はそれを超えたもの可能性はそこに有る自分の信じる道を歩むこと。懐疑的なものを消去しておくこと。幅広く歩むための知識を得ておくこと。実践、体験から身に付いた智慧を信じ切ること。過去の失敗に学び、変化に合わせて自分を変えること。不動の信念を持っておくこと。何をするにも準備は必須のもので、それを怠らないこと。そういう努力と共に自分の基盤を固めておくことが、摩擦を起こさず、迷いの無い自己形成ができるのだろう。根の葉も無いもの、責任の取りようのないもの、人のうわさはそういうもので、そういうものに惑わされず、洞察できる自分になっておくこと。対立が有れば双方の意見を聴くこと、中道を保ち、邪気を祓っておくこと。煩悩で聞かないように自戒して、信念と共に不動であること。一方通行にならないように、平行線にならないように和を心掛けること。理解し合うことが無ければ交わることが無く、正しく正面で受け止めること。心を開いて本心で語り合うこと。信頼はそういう積み重ねの上で成り立っているものだろう。可能性はその先に拓かれてゆくものだろう。人間の可能性は、信じなければ開かない扉を、幾重にも通り抜けた先に有る 千年の風 2016年3月9日 琢
2016年03月09日
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解答が分かっていても段階を経なければ到達できないそこに至る過程、体験と共に気が付くもので今生の使命の発見もその途上で自覚できるもの上から下へ辿ることはできず積み上げてゆくしか得られない自覚上から目線は錯覚が多く根の無い樹木は倒れてしまう尊い年輪を重ねて育つもの太く高く伸びてゆくもの錯覚、幻覚は根の無い妄想で一歩一歩上るしかないだろう愛や菩提心、慈悲慈愛の心は与えっぱなしのひろい心、与える智慧もあらゆる分野に横たわっているもので、どんな智慧が有れば苦労しなくて済むのかが分かっていても、自分の歩む道に必要な智慧は自分が編み出すくらいのものでなければ自由に使うことはできない。こんなものと知っていても単なる知識が智慧になることは無く、実践して体験してやっと身に付いて得たものが智慧だろう。こんなものだと教えてもらっただけでは自分のものではなく、地図を見てここから登って、こうしてゆけば頂上に早くゆけると指さしてゆけないのが人生で歩む道だろう。解答が分かっていても、段階を経なければ到達できないもので、そこに至る過程、体験と共に身をもって気が付くもの、発見するもので、今生での使命の発見も、その途上で自覚してゆくものだろう。上から下へ辿ることはできず、積み上げてゆくしか得られないのが自覚、悟りの領域に有る智慧だろう。上から目線は錯覚が多く、師の目線で生徒が語ることには師の自覚は有っても、自分の身をもって編み出したものではなく、説得力に欠けるものだろう。根の無い樹木は倒れてしまう。尊い年輪を重ねて育ってゆくもの、太く高く伸びてゆくものが樹木だろう。錯覚や幻覚は根の無い妄想のようなもので、一歩一歩積み重ねて上ってゆくしかその自覚をもつには至らないだろう。 2016年3月8日 琢
2016年03月08日
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一つの出会い、出来事、事態で人生が変わる人生の苦の中で師、友、伴侶や一つの事件ユニバース的な体験の中に転換、救いの恩恵が有る感謝しきれない恩恵とそれに報いようとする心報いることは順送りでその心で無償の愛を傾けるかけた情けは水に流し受けた恩は石に刻むように押し付けや恩着せをせずただ与えること苦悩の道をゆく者たちに過去を振り返ってみれば、今の自分に導いた出会い、出来事、事態が有ったことを思い出す。人は必ず何かの影響を受けて育ち、それに見合った道を歩んでいる。友や師、伴侶との出会いを境目に人生が変わることも多い。人生の苦の中で、必然的なそういう縁のめぐりあわせがユニバース的な体験が有る。それによって転換して救われた恩恵が思い出される。感謝しきれない恩恵とそれに報いようとする心が湧き出してくるだろう。とらわれを転換すること、思い通りにならないと思ってきた心を、自分の心が引き起こす現象、必然のものと思い、在るものを変えるのではなく、そのまま受け止められる自分に変えようとする心になること。自分の心が思い通りにならないものを引き出していることに気が付くこと。どれだけ報われたかより、どう報いようとするか、直接的ではなくても神仏にその恩返しをするつもりになること。そういう心掛けを後進に向けて、かけた情けは水に流し、受けた恩を石に刻むように絶対に忘れないこと。押し付けや恩着せをしないこと。ただ与えること。大慈大悲の心を同じ苦悩の道を歩む者たちに傾けること。過去は変えられないが未来は変えることができる。過去は自分の智慧にして生かすもの、未来はその智慧で切り拓くものだろう。 2016年3月7日 琢
2016年03月07日
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憶えたことは使うこと実践して体験すること使えること、応用すること単なる知識は劣化して忘却するまずトライすること他に強いることなく身に付いた智慧が含蓄になり臨機応変の対応ができる他が行き詰まったときその効果を発揮する知っているだけでは説得力が無く単なる引用は空しいもの身に付いたものの言葉は重く奥の深さを知ること表層、うわべの軽さを知ること人の心を打つ言葉、重い言葉、その意味を理解できなければその良さが分からず、自分の苦の中に本当の意味を探し始めたときにその有り難さが身に染みてくる言葉が有るだろう。すべてが自分に関係の有る苦の原因を改めて、たくさんの試練や障碍を抜けたときに、二度と同じ失敗をしない智慧が身に付いている。試練を超えるたびに強く成ってゆくのが精神力で、知識だけにとどめることなく、憶えたことは使うこと、実践して体験することから応用が利くようになる、それが「転識得智」で、体で覚えたことは忘れることなく、いつどこででもカオスに接するたびに応用することができる。智慧はそういうもので先を拓こうとする自分と他の助けになるものだろう。そういう日々の積み重ねがその人の含蓄になっている。人の役に立ちたくて、人の助けになりたいと思うこと、それができたときに無上の歓びに成る、そういう愛の、菩提心の有る心はみんながもっているだろう。知っているだけでは説得力が無く、単なる引用は空しいもので、自分が使えるようになって人の助けになったときに、それが自分の使命だと思えるようになる。身に付いたものの言葉は重く、そういう道を目指せば奥の深さが分かって来る。表層やうわべの軽さを知ること、自分の愚かさを知っておくこと、今在る自分に与えられてきた恩恵に感謝してそれに報いようとする心が大切なものだろう。 2016年3月6日 琢
2016年03月06日
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発想も対立も間をおいてみること興奮した心を鎮静させれば広く冷静な見解を得ることができる即断即行は要注意で感情が動くままの判断は未熟さを露呈させる常識の違う集まりの中ではある程度の理解を得ておくこと行動に移すときはタイミングを大切にすること度胸を定めて重心が丹田に有る状態なら如何様にも対応ができる自然体を心掛ける対峙して未熟や敗北感に覆われるときや優位、圧力をかけられるときも、必ずその末路を想定しながら対応することが大事なことだろう。相手の仏性に敬意をもって対応することも大切で、二見【勝った負けたや損得でものを見ること】にとらわれず、何のためにその場にいるのかの原点に戻ることが望ましい。自分の本分も邪気に覆われてしまえば、あらぬ方向に向かってしまう場合が多い。発想も対立も間をおいてみることが大切で、興奮した心も鎮静させてみれば、冷静で視野の広い見解を得ることができる。落ち着くこと。即断即行は要注意で、感情の動くままの判断は危険で、恥をかく結果を生み出すことが多い。常識の違う人々の集まりの中では、へりくだる必要もへつらう必要も無いが、ある程度の理解を得ておく必要が有るだろう。群れを成す必要は無いが、自分のスタンスに矛盾の無いことの確認をしておくこと。行動に移すときは、タイミングを大切にすること、雰囲気を壊さないように心掛ける必要が有るだろう。気力を充実させて勇気を出すこと、度胸を定めておくこと、重心が丹田に有る状態なら、何が起きても慌てることが無く、体幹に有るものが適切に出てくる状態をつくっておくこと、それが自然体のときだろう。 2016年3月5日 琢
2016年03月05日
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誰もが途上では聞くもの、見るものにとらわれ触って確認をする認識すれば安心し慣れと共にとらわれなくなる満足の先を求め理想を求めてやまない見切り、割り切りで次に進み縁有るものが残っている縁の無いものは求めても得られず無理に求めればケガをする飽きが来れば忘却し未確認のものに好奇心がはたらいて興味有るものに埋没して人智を尽くそうとする高いところが有れば上ろうとし、やってみれば極めたくなるのが人間だろう。どんなものにも作為すれば触ってみて、どんなものかを知った上で歩んでゆく・遍行【作為、触、受、想、思】で、別境では欲、勝解、念、定、慧の分別をして意識の中に入っている。誰もが途上では聞くもの、見るものにとらわれを起こして触って確認して前に進んでいる。認識することで安心し、慣れと共にとらわれなくなってゆく。満足の先を求めて永続したいと思うことが増えすぎれば、見切り、割り切りで次に進もうとする。そこには縁有るもののみが残り、縁の無いものは求めても得られず、無理に求めればケガをする。飽きが来たものは忘却する。無知から始めた人生の途上では、未知のものに不安や恐怖が有って、出会うもの、出来事、事態への対応には認識の有るもの、意識に入っているものを使って自分なりの歩みを重ねている。何でもまず知っておくこと、経験しておくこと、失敗の原因を修正しておくこと、どんなものにも逃げず、投げ出さず、諦めずに、自分がしようと思うことを成し遂げたいと思っている。未確認のものには好奇心をはたらかせ、興味有るものに埋没、とらわれてゆく。人智を尽くして人智を超えようとするのが人間なのだろう。 2016年3月4日 琢
2016年03月04日
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決意したときから別の時を刻む大晦日から元旦への1秒も節目から変えることができる以前からの弱さを断ち切り苦しさの中に強さを育める人の意志は何かを超えさせる昨日の自分に流されず意志を固めれば別人のように成ることができる甘い気持ちを捨てて持戒すれば新たな挑戦ができてその積み重ねが自信に変わる強い信念が何かを自覚させ不動に至ることができるしてもらう幸せの中にいれば、甘えばかりで危険なことや面倒なことに挑む心が無くなってしまう。無知から始める人生も、自分で何でもできるようになりたくて好奇心のはたらくものを知ること、やってみてできるようになることを歓びとすることから、他に見て評価してもらいたくなる。今度はそれを他にしてあげることを無上の歓びとするようになるのが人間としての幸せと思うようになる。何でもできるようになれば誰かの役に立てること、困っている人の救済ができることに歓びを感じる自分に満足できることを知る。その慈悲慈愛の心・愛は誰の心の中にも有って、それがその人のぬくもり、やさしさ、人の良さになっている。世の中の変化に合わせて自分を変えることから、新たな自分になろうと試みるとき、心機一転の節目をつくることができるのも人間だろう。そう決意したときから別の時を刻むことができ、大晦日から元旦への1秒も、全く違う1秒を刻むことができる。それを節目と心に刻めば、以前からの弱さを断ち切ることができ、苦しさの中に強さを育むこともできる。自己暗示をかけて錯覚を起こさせるのも一つの手法で、人の意志は何かを超えさせることができ、昨日の自分に流されず強い意志を固めれば、全く別の自分になることもできる。甘い気持ちを捨てて、新たな挑戦をすれば、その積み重ねから自信も湧いて信念を堅固なものにできる。その強い信念が何かを自覚することで、不動の自分に至ることができるだろう。 2016年3月3日 琢
2016年03月03日
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夢を描くことは方向を定めること目的のために目標を掲げその障碍や試練を超えること到達できなくても途上で学ぶことは別の分野でも生かすことができる奇跡はやらなければ起きずたとえ分不相応な夢でも途上に光は見えてくる方向を歪めなければ迷いや挫折の先に求める本当の光を発見できる本心の自覚ができれば道は歪まない不動の心境はそういうことだろう人の歩みには目的意識が必要で、夢や希望を描くと言うことは、方向を定めることになって、そこに向かって邁進することができて、適切な計画を練ることができる。夢や希望の成就のためには当面の目標を設定し、その一つ一つをクリアーしてゆく途上に自分のスタンスが観えてくる。障碍や試練は当然のごとく出現するもので、それをどう超えてゆくかで自分のもっている信念の強さが分かって来るだろう。迷いや挫折、失敗はつきもので、そこにどう学び、どう自己改革をするかで、過去の失敗の原因を見つけ、修正浄化することから、自分の生まれてきた意味や使命を発見することができる。到達できなくても途上で学ぶことは別の分野でも生かすことができて幅広い自分をつくり出すことができる。奇跡はその途上で起きるもので、止まって、一歩を踏み出さなければ起きないだろう。その夢がたとえ分不相応のものでも、その途上に光を見つけ出すことができる。目的意識の元に歩みの方向を歪めなければ、迷いや挫折の先に、本当に求める光を発見することができるだろう。建前や本音の先に有る本心での自覚ができれば、心の奥に有る魂の願いを確信することができて、道は歪まなくなり、それが不動の心境に至る道筋をつけることになるのだろう。 2016年3月2日 琢
2016年03月02日
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何かを目指せば必ず障碍が有る得意分野は難なく越せるが苦手な分野が不可能を思わせるその克服は不可欠で次から次に訪れる必然を思えばその落とし穴を埋める呼びかけととらえ超えるたびに人は強く成る願いが有るから試練が与えられるじっとしていては何もできず勇気を以って挑戦すること強い意志を以って気力を充実させること何の準備も無しに得られるもの無く何かを得るための場が与えられた人生なのだろう何をやってもうまくゆかず、やろうとするたびに苦に直面する。その繰り返しにやる気が失せて、暗い気持ちになるならやめておこうと思ってしまう。失敗ばかりに神も仏も無いと思ってしまうこともしばしばで、何でダメなのかの原因が失敗の中に有ることに気が付かず、他のせいにして何の修正浄化もせずに次のことをしても、また苦がやってくる。それを耐え忍ぶことだけでもプラスになっていることに気が付いていない。何かをしようとすれば必ず障碍が現れるのは当たり前で、得意分野なら難なくこなせても、苦手な分野が不可能を思わせる。その克服は不可欠で、次から次に訪れる試練の必然を思えば、自分の愚かさを埋める呼びかけととらえ、失敗した恥ずかしさに耐え、その原因の中に自分の欠陥を探して修正浄化しておくことから、失敗が少なくなって、試練を超えるたびに人は強く成ってゆく。願いが有るから試練が来るのは必然のこと、それを超える術を身に付ければ同じ失敗は無くなってゆく。じっとしていれば失敗は無いが何も得られず、後悔ばかりが心の中に積もってゆく。勇気を以って挑戦すること、何をやってもうまくゆかないのは当たり前のこと、誰でも同じことの繰り返しから、足元を固めて準備に励むこと、強い意志を以って気力を充実させることが肝心だと分かって来るだろう。何の準備も無しに叶うものは何もないと知り、何かを得るために与えられた場が人生なのだと気が付くことが、初めの一歩なのかも知れない。 2016年3月1日 琢
2016年03月01日
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