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行き詰まりのとき止まってしまえば宝の持ち腐れ梃子の応用も智慧の使い方次第でどんな試練でも超える道が有る頭と心は使い方次第で不可能が可能になる視界を広げれば打つ手はいくらでも出てくる和と理解と信頼が有れば協力者の恩恵が有る自分一人の愚かさを自覚すれば人の世のぬくもりを知る感謝、反省、敬意が道を拓く知っているだけでは智慧に成らず、使って身に付けて応用が利くように成れば、いつでも使える智慧になっている。袋小路や行き詰まりに成ったとき、転依して発想の転換とかチャンネルを変えて全く違うことをして、別の角度から見れば抜ける道も見つけ出せるが、止まってしまえば、宝の持ち腐れになっている場合が多い。テコの応用、智慧の使い方で、どんな試練でも超える道が有る。頭と心は使い方次第で、不可能も可能になる。天はその人に越えられない試練を与えないと言うが、視界を広げてみれば、打つ手や選択肢はいくらでも出てくる。人との和は大切なもので、その上に理解と信頼が有れば、良き因縁側の協力者にも恵まれる。自分一人の力の虚しさを知り、愚かさの自覚ができていれば、この世も捨てたもんでなく、人のぬくもりを知ることが出来る。托身してあずけてみること、任せてみることが出来れば、迷いも少なくなって、何かの仕組みがはたらいて救いの手も出てくる場合が多い。感謝、反省、敬意が道を拓かせてくれる。かけた情けは水に流せ 受けた恩は石に刻め 長野県善光寺の石碑 2016年10月31日 琢
2016年10月31日
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力が出なければ頭を使えば良い気力は心から出るもの気が萎えるとき人は立っていられなくなる経験の積み重ねは知識、智慧を豊富にして他の協力を得れば歓びの共有ができる自分一人と思わず多くの恩恵を得ることで自分一人でできないことが出来る感謝、報恩を忘れないこと自分だけの手柄にしないことで分かち合えば自分の歓びが他の歓びの中に有ったことに気が付くだろう自分の使命は、天職は何だろう。天は二物を与えずというが、一つくらいは自分にしかできないことが有るだろう。それが何だか分からず、自分が何ものかもわからないまま人生を終える人もいる。魂の中には潜在意識が有って、その中には思い出すべきも・答えのが入っていると言われるが、自分の使命を早く自覚して、迷わず、手ごたえのある歩みがしたいと、悔いの無い人生を歩みたいとみんな思っている。歩めば歩むほど自分の無力や愚かさに気が付かされるが、力を発揮できないときは、頭を使えば良く、気力さえ有れば、試練も超えられるが、気が萎えてしまえば人は立ってさえいられなくなってしまう。無知を埋めて学んだことは実践すること。使って体験することで身に付けば、それが先を拓く智慧に成ってゆく。他の協力を得れば、自分一人ではできないことが出来て、成功すれば歓びを共有し合って、感謝、報恩の心を深くすること。多くの知恵を出し合うとき、奇跡のような果報も得られるが、決して自分だけの手柄にせず、分かち合うこと、その恩恵に感謝の心を忘れないことだろう。自分が誰かの役に立ち、喜ばれたときに、自分もうれしく感じている。自分の歓びが他の歓びの中に有ったことに気が付くときが来るだろう。無私、利他の誠心には菩提心・愛が根底に流れている。 2016年10月30日 琢
2016年10月30日
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失望は一つ一つ訪れる自分一人では無理なこと機能が整わないこと自分の限界を知ること諸行無常は必然のもの光は消えることなく条件、制約の元では細分化された希望が持てる諦めさえしなければ相応の望みが叶う気を整えれば高くて無理な望みをもたなければベッドの上でも救済ができる足るを知れば相応の希望が持てる思い通りにならない苦は、誰もが体験することで、気に入らないことが多く、好きなことは何度失敗しても諦めきれずにできるまでやってみようと努力する。始めからうまくできるものは無く、失敗の原因を修正しながらできるようになってゆく。その時の自分は初めの自分ではなくなっていて、慣れることも有って、努力の積み重ねで以前の自分からは考えられないほど進化した自分に成っている。失望は一つ一つ訪れるもので、自分一人だけでは無理なこと、機能が整わないこと、自分の限界を感じて愚かさの自覚が出て来てしまう。迷いや葛藤の末に感じることが諸行無常で、それは必然のものだと。何が有っても希望を捨てなければ、光が消えることはない。どんな条件、制約の元でも、細分化された希望は持てるもので、高望みさえしなければ、諦めさえしなければ、相応の望みが叶う。体が動かなくなっても、ベッドの上からでも人の役に立ったり、助けたりすることが出来る。足るを知ることで、相応の希望が持てるもので、人は夢や希望さえあれば生きてゆけること、全く叶わなくても生かされていることに気が付くときが必ず来るだろう。 2016年10月29日 琢
2016年10月29日
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人脈の広がりは紹介によるもの親しい友ができればその友の人脈が有る果報側の関わりはその時のもの因縁側の関わりは無限に広がる許容範囲を広げ良い雰囲気に尽力すれば一生の友は多くなる和を保つことの大切さ人の特性はそれぞれ有って至らないところを埋めてくれる身勝手な交友は世間を狭くして本心で接する相手を少なくする可能性は限りなく広げる方が良い果報側だけでの関わりをすれば、いいとこどりばかりで責任も無く、苦労を共にすることが無く、いつも楽な方を選んで、とることばかりを考えて、感謝、反省、敬意が無く、掘り進めることをせず、進化することが無い。因縁側での関わりは、無私、利他の誠心から、親身になって相手を理解し、共に喜び合うことが出来るが、責任を共に負うことになる分、自分の進化も速く、感謝、反省、敬意の心から報恩に向かうもので、人格や品位を高めることになる。うわべだけのもので無い人脈は自分だけでなく人を救う可能性をもっているもので、出会いは紹介による場合が多い。人脈は、辞書のボキャのようなもので、その人の厚みのようなものだろう。心を広くして、常識の違いを許容し、相手を受け入れて本心で接することが出来る交友には、常に和の心掛け、赦す心で、因縁側の関わりから互いが切磋琢磨することで、信頼と強い絆が結ばれて、生涯の友になるものが多い。良き友は守護霊のようなもので、互いに心を寄せ合って、至らないところを埋めてくれることも多い。身勝手な交友は世間を狭くしてしまうもので、本心で接する相手を少なくしてしまう。可能性は限りなく広げる方が良い。 2016年10月28日 琢
2016年10月28日
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自分の時代から子供の時代へそして孫の時代へ時のうつろいを素直に受け止めてそれぞれの個性を生かしその特性を何に生かすかは次に影響を与えて受け継がれるそこに自分の使命を見つけて他への照らしになっているその効果は生きている内とは限らず見せた背、遺した言葉は次の魂の中に入っているどう生きたかが 誇りとして敬意の対象に成ればそれは確実に受け継がれてゆく誇示しなくても人は観ている自分の信じるところを最善の生き方をすることは、後進はその背中を見て学んでいるもので、他の生き方に少なからず影響を与えている。他とは最も近い家族、兄弟、親戚、友人、知人、その他すべての人のことで、自分に与えられた条件、制約の中で、その生い立ち、育ちが基盤になってゆくが、その一条件下では、これしかないという最善の生き方を探りながら必死に生きることが、他への光になることが有る。時のうつろいは自分の代から子供の代へ、そして孫の代に受け継がれてゆく。それぞれの個性を生かし、その特性を何に生かすか、その影響は受け継がれてゆくだろう。その歩みの中に自分の使命を自覚して、今を明るく機嫌良く、堂々として生きていること自体が、他への照らしになる場合が多い。その果報は生きている内に現れるとは限らず、その見せる背、遺す言葉は、次の魂の中に入っている。自分がどう生きたかが、次の誇りとして敬意の対象に成れば、それは確実に受け継がれてゆくだろう。自分で誇示しなくても人は観ているものだろう。 2016年10月27日 琢
2016年10月27日
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種はそのままでは芽を出さず何かを縁にして成長し花を咲かすように自分も良き縁と共に成長し願う花を咲かす身勝手な都合で縁は遠く互いの浮き因縁と共に念ずれば花開く和の大切さそのために赦す心を育み正面で受け止めて心を開き本心で適切に対応すれば和は絆を深く結び未来を変えることが出来るどんなに素晴らしい願いが有っても、自分一人で成し遂げることはできず、誰かの助力や地の利、時の利がうまく融合するときに、奇跡が起きるように、大きなうねりと共に世のためになる何かを引き起こすことが出来る。すべての花に種が有るように、人間にも心・因が有って、種が土や水や日の光などの縁と共に芽を出して花を咲かすように、良き縁を恩恵として開花させることが出来る。それが自然の摂理というもので、そこには必然的な因縁果報が成り立っている。原因が有るから結果が生まれ、この世は現象界だから、自分の心が現象に表れてくる。その原因を正すことで、心を整えることが出来て、良き縁との出会いの恩恵から、自己の改善に励むことで、芽を出し、葉を出して花を咲かすことになる。身勝手な都合優先では縁は遠く、仕組まれた恩恵を粗末に扱わずに、良き因縁と共に『念ずれば花開く』ように、和を保ち、赦す心を育んで、受け入れることで心を開き、本心で適切に対応することで、信頼関係が深く結ばれて、和と共に強い絆で結ばれれば、未来を変えることが出来る。 2016年10月26日 琢
2016年10月26日
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受け止めの大切さ煩悩とカルマの傾向を知り無にできない空の状態有のままを受け止めて有るものは有る状態でその正当化をしないこと邪魔なものも自分の一部と耐えるところは耐え、忍ぶところは忍ぶ邪気を抑制して理性で行動する自分を客観し他の身になって考える無私、利他の誠心で他の歓びを自分の歓びとして自己顕示をしないこと人は摩擦を起こしやすいもの。その元に成るものが煩悩と業・カルマだが、勉強に励むことで無知を脱却しながら、学んだことは実践、体験することで、身に付いて応用の利く智慧を得ること、摩擦の原因を修正浄化して克己に努めることだろう。受け止めの大切さ。煩悩とカルマの傾向を知り、無にはできない空の状態のまま、有のままを受け止めて、有るものは有るものとして、その正当化をしないこと。覆っても、隠しても、塗り替えたつもりでも、いつか油断と共にメッキが剥がれて、有るものが出て来てしまうことをわきまえておくこと。邪魔なものも自分の一部分と受け止めて、耐えるところは耐え、忍ぶところは忍んで、いつかそこをユーモアに換えられればと努力を絶やさないこと。邪気を抑制して、自分本位の都合を滅し、理性で行動すること。他の身になって考えること。無私、利他の誠心で菩提心・愛を育んで、それを根底に置いておけば、自分の本心からの歓びが他の歓びの中に有ったことに気が付くときが来るだろう。自分の存在価値が他の歓びの中に有って、それが自分の歓びだと自覚できること。癒やしてあげたい、役に立ちたい、助けてあげたい、繋いで差し上げたいなどの中に、その自覚を見つけることだが、決して自己顕示をせず、恩着せや押し付けをしないこと。代償を求めないことだろう。 2016年10月25日 琢
2016年10月25日
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始めからうまくゆくもの無く失敗の原因を修正し何度も挑戦してできるようになる好きこそものの上手なれで一度や二度の失敗で諦めず耐え忍ぶことも勉強で放棄さえしなければ必ず上達する甘い心を捨てて不安や失望を超えたところに成就の美酒が与えられるその過程で強靭な精神力が培われやればできる自信も湧いてくるその智慧が先を拓く原動力になる短気を起こさず耐え抜くことで強い生き方ができるようになる自信がもてずに初めから諦めて何もしなければ、いつも逃げる自分に成って、君子危うきに近寄らずと言い訳ばかりの歩みを重ねることになる。人は痛い目に遭うほど強く成ってゆくもので、その人の適性はやってみなければ何処に有るかも知らないままに、勇気を出すことも無く、失敗して笑われることを恐れるばかりで、自分が何のために生まれてきてどんな使命があるのかを自覚できないまま、浮草のような人生を送ることになる。迷いや葛藤、恥辱を超えるから進歩が有るもので、初めからうまくゆくものは一つも無いだろう。失敗が有るからその原因を修正できるもので、何度も挑戦を積み重ねることからうまくできるようになる。好きこそものの上手なりで、一度やのどの失敗を恐れず、取り組んだことを諦めず、放棄せずに努力を重ねること、耐え忍ぶことも勉強の内で、放棄さえしなけれな、必ず上達する。甘い心を捨てること、不安や挫折を超えたところに成就の美酒が与えられる。どんなこともやってみること、耐え忍ぶことから強靭な精神力が培われて、今までにどうしてもできなかったことが出来るようになる。やればできるという自信も湧いてくる。その智慧が先を拓く原動力になるもので、短気を起こさずに耐え忍ぶことで、強い生き方ができるようになる。 2016年10月24日 琢
2016年10月24日
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理想と現実のギャップ理想に現実を近付ける現実ありきの正当化は先細りで消滅しかなく夢や希望の理想が未来を拓く現状維持では先が無く流れに合わせた変化が先を拓かせる多様性の時代には勝利は一時の通過点で初心を忘れずに挑戦を続けること奥は深い諸行無常の世界ではこれで良いというものは無い精進、努力の結果成功を収めても、そこで終わりでなく、まだまだ先が有る。天体と共に地上現象は止められず、時を刻むごとに変化してゆくのが、この現象界だろう。一っ処に止まることは許されず、動きを止めることもできない。常に先に向かうしかなく、自己保存もできない。微妙な変化と共にこれで良いというものが無い。理想と現実のギャップを埋めてゆくしかなく、理想に現実を近付けるしか道はない。現実ありきの正当化は許されず、先細りで消滅を待つしかない。夢や希望の理想が未来を拓いてゆく。現状維持では先が無く、流れに合わせた変化が先を拓くことになる。多様性の時代には、勝利は一時の通過点だけのもので、常に初心を忘れずに挑戦し続けるしかない。どんなものに取り組もうと、どれも奥は深く、これで完成というものはない。時と共に変化し、形あるものは変化しながら消滅してゆく「諸行無常」のこの現象界では、これで終わりということが無い。理想と現実のギャップを埋め尽くすことはできず、死ぬまでどころか、その先まで変化への対応の明け暮れだろう。果てしなく 険しく続く 天の道 受容してなほ 見えぬ道のり 2016年10月23日 琢
2016年10月23日
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良くないことは重なって起きてくる不運と思うか自業自得と思うかその原因は自分がつくっている過去は戻らず正面で受け止めること暗運力がはたらくときは次から次へと起きるもので試練と思えば自己改善の呼びかけととらえれば必ず超える道が観えてくる不機嫌で当たり散らすことなく一人鎮静化を待ち改善の努力と共に明運力がはたらくのを待つこと短気やせっかち、短慮やはやる気持ちを抑えきれなかったために損をしたことが多く、いつも反省しきりだが、グッと踏みとどまることが出来ずに流れを悪くしたことが多い。大きな失敗の原因もそこにさかのぼることが出来る。感情に突き動かされて相手や場を読むことなく、自分を抑えきれなかったことが運命の分かれ道だったことも有る。良くないことは重なったり続いて起きるもので、それを偶然と思うか必然と思うかで、不運と思ったり、自業自得と思ったりの違いが出てきて、その原因を自分がつくっている場合が多い。自分には全く原因が無くてもそういう出来事に遭遇するにはそれなりの意味があると思えば、受け止め方も違ってくるだろう。暗運力がはたらくときは、重経緯、悪循環、悪縁起、低活力、急暗転と奈落の底に落ちてゆく。絶望も試練で、いったん背負っていた荷を下ろして考えてみること、自己改善や新たな光への呼びかけと思えば、必ず超える道が観えてくるだろう。落ち込んで荒んだ心、不機嫌な心で当たり散らすことなく、一人鎮静化を待ち、原因の究明とその修正浄化の努力と共に、明運力がはたらくのを待つことも大切なことだろう。 2016年10月22日 琢
2016年10月22日
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体の衰えは体力に自信の有ったものには受け止めに時間を要する一時的なもの、一生のもの不安の原因が増えて時と共に慣れるしかない過去の体力が忘れられず無理は許されない心身のバランスが保てず歩くことにさえ不安が感じられ自信が失せてゆく気力も萎えてくる心の問題は大きく慣れて鎮まるまで慎重であることが望ましい体育会系の人は、体力は並み以上で、いつも元気モリモリのようだが、相対的にもろいところが有って、昔の体力のままのつもりの生活をし、あるときをきっかけに無理がきかなくなって、超えたときに倒れてしまう人が多い。誰でも歳と共に脈拍や心臓の鼓動が元に戻る時間が長くなってゆくもので、過信は禁物だろう。むしろ青い顔をしていつも薬をもっている人ほど自己管理ができていて長生きをする人が多い。体の衰えを認めるには時間が必要で、体力の有ったものほど過信している場合が多い。長いものか、短いものか、判断が付かず不安が増えてストレスになってゆくが、時と共に慣れるしかないだろう。過去の力が忘れられず、まだ若いものには負けはしないという気が有っても、無理は許されず、心と体のバランスが保てなくなってしまう。何かあれば、歩くことにさえ不安を覚えるときも有って、それが重なれば、自信が失せて、気力も萎えてくる。心の問題は大きいもので、慣れて鎮まるまで慎重であることが望ましい。自己管理の必要性、食事は運動量に合わせること、血管の詰まり、コレステロールの蓄積による場合が多く、おいしいものを多量に食べた付けが回ってくることへの心の切り替えが必要になる。 2016年10月21日 琢
2016年10月21日
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魂は智慧の宝庫名前も年齢も無く永遠のもの未完成のもので菩薩、如来の領域を願いとして何度も転生している肉体舟に乗れば名前を戴いて一条件を充たそうと歩んでいる心の趣や好みは魂の中に有るもので業・カルマもこびりついている毒や灰汁抜きをするように準備段階の大切さそのままでは食べられないもののようにその空の在り方を転生ごとに積み重ねている魂は、時々使うもので、地域名や団体名に魂を付けて、大和魂とかなんとか団体魂とかに使われているが、良く分かっているようで説明しにくいものだろう。この世に生を受けて肉体舟に乗れば心の奥に有るもので、心の根拠になっていて、その中に潜在する意識は忘却、喪失、無知の状態で生まれてくるために、今生で何をするために生まれてきたのかは一から始めることになっている。魂自体は、霊魂不滅の法則というように、何転生も積み重ねた智慧の宝庫だが、名前も年齢も無く、永遠のもので、菩薩や如来の領域に至る願いをもっている。この世に生まれれば名前を戴いて、その一条件を充たそうと歩んでいる。心の趣や好み、願いは魂の中に潜在するもので、業・カルマ、煩悩が空の中に入っている。料理をするときの仕込み段階のように、毒や灰汁抜きをするように、準備段階が大切なもので、そのままでは食べられない生まれつきになっている。観自在で、その空の在り方を学んでいるのだろう。目指したいのは「無」でも、有るものは有る「空」をどう変えてゆくか、例えば「へんこ」「凝り固まったもの」をユーモアに変えてみれば面白さが倍増するようなものだろう。 2016年10月20日 琢
2016年10月20日
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人生の終焉いつ訪れるかは誰も知らず必ずいつか来るもの生老病死と諸行無常厳かな涅槃そこに向かってみんな生きている納得できる生き方をして悔いを残さないように至らないところを修正して他の迷惑にならないように与えられた一条件の元で人の歓びの中に自分の歓びを見つけ迷いを滅して果たそうとする歩みそのすべてが意識の中に湛えられているいやちがう、こんなもんじゃない、何をすれば、自分はどこから来て、どこに向かおうとするのか、何のために生まれてきたのか、何の意味があるのか、など、一度は考えたことが有るだろう。坂本龍馬の「この世に生を受けるは、ことをなすことにあり」はもっともなことだが、何もしなければ何も起こらず、始まらないことも良く分かっているが、むやみに動くことが出来ない。どんな生き方をしようといつか必ず死ぬときが来ることの自覚もある。それがいつか誰にもわからない。生老病死、諸行無常も、厳かな涅槃も、自然の摂理に学ぶことが多いのも、迷い葛藤の中で不動を求めているのも、何のためなのか。そこに向かってみんな生きている。納得できる生き方をして、悔いを残さないように、至らないところを修正浄化しながら、他の迷惑にならない自分に成ろうとしている。それぞれの生い立ち、育ちの条件制約の中で、今を明るく機嫌良く生きるのが一番と、みんなそう思っている。「答えはあなたの中に有る」、その答えを求める歩みを続けて思うことは、「人の歓びの中に自分の歓びが有った」ことだろう。誰かの役に立って喜んでもらえた時の嬉しさ、幸せを感じて喜んでいる状態がうれしく、自分の無上の歓びになっている。それを果たそうとしていること、そのすべてが意識の中に湛えられているものだったことに気が付くときが来る。 2016年10月19日 琢
2016年10月19日
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聞く余地、話す余地を残す人と接するとき余裕が無ければ話しが一方的で聞く耳が無いが他の意見は貴重なもので別の視野を教えてくれる生い立ち、育ちには常識の違いが有って一般的には通用しないものも有る自己正当化は他の遠慮を促し人の我慢の上で自分が成り立っている押し付け、恩着せは妥協、納得の域に至らず不和の元に成る自分が気付かないところで他の迷惑になっていることも多く、自分の常識ではこれは通るはずだと思っても、別の生い立ちの人から見れば、それは常識でないということも有る。人はいろんなところに生まれ、転生しながら魂を整えてゆくのだろう。魂の世界で観れば、一瞬の夢のようなものが人生なのだろう。常識の違いを知ること、絶対正しいものは無く、これが自分の条件、制約下では最善の道だと信じる道を歩むことだろう。人との会話は聴く余地、話す余地を残しておくこと、余裕が無ければ一方的で聞く耳をもてない会話に成ってしまう。他の意見は貴重なもので、別の視野を教えてくれる。生い立ち、育ちには常識の違いが有って、一般的に通用しないものがある。うまくいかないのは自分の見方と人の見方の違いがあるときで、そこで自己正当化をすれば、他の遠慮を促して、人の我慢の上で自分が成り立っているという傲慢なことに気が付かない場合が多い。押し付けや恩着せは、妥協、納得の域に至らないもので、不和の元に成ってしまうことも多い。 2016年10月18日 琢
2016年10月18日
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愛は大きな恩恵その愛で人生が変わる出会いの縁は稀有なことだが必然的に仕組まれている愛に甘えることなく粗末に扱うことなく感謝して報恩の志をもつこと感謝は悪霊の世界には無く迷うときは感謝して祈ることで憑りつかれることはないちょっとしたことで心配するのが人間で信じ切ること、托身することで迷いから離れることが出来る愛、菩提心、大慈大悲の心は必須のものだろう代償を求めず、与えっぱなしのものが愛、押し付けず、恩着せずに、ただ心の中に残っているぬくもり、思いやり、気くばりやいたわりの心が人を救うことが出来る。愛は大きな恩恵で、その愛で人生が変わる。生まれたときから親の愛に包まれて、もらう愛からできる愛、そしてあげる愛に自分の歓びが有ることを知る。出会いの縁は稀有なことだが、必然的に仕組まれたものと思う方が自然で、その縁の御蔭で念じた花が咲くことになる。家族や交友の中に流れているものが愛だが、その愛に甘えることなく、粗末に扱うことなく、感謝して報恩に向かう志をもつことが重要なことだろう。感謝という言葉は悪霊の世界には無く、迷うときは感謝して祈ることで、憑りつかれることはない。ちょっとしたことで心配するのが人間で、取り越し苦労や想像する錯覚や幻覚のすべては現実に起こったものではなく、過去にとらわれることなく、信じ切ること、托身することで、迷いから離れることが出来る。愛、菩提心、大慈大悲の心は、この世に生きてゆく上で必須のものだろう。 2016年10月17日 琢
2016年10月17日
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自覚症状が無くても体のどこかに疾患が有ればバランスを失って不安感に覆われるどんなに体力が有っても何かが違う感じがして具体的症状が出るまで医者に行こうとしない検査結果に末路を想像するからその恐怖感に怯えて日々弱い生き方しかできず他に心配をかけまいと葛藤する浮かない表情は親しいものには解るもので早期に対処すべき問題だろう病院が怖いと思う人は結構いるもので、なるべく行かなくても良いように我慢してしまう人が多い。今は不治の病と言われるものも早期発見で直るのが分かっていながら、病院に行くのを先送りして、気が付いた時には手遅れということも多い。自助努力が自分を守ることになるもので、体に違和感を覚えたときには勇気を出して診断を受けることが望ましい。自覚症状が無くても、体のどこかに疾患が有れば、バランスを失ってしまうもので、人知れず不安感に覆われて暗い表情になっている。体力がある人ほど、具体的な症状が出るまでは医者に行こうとしない場合が多い。検査結果に末路を想像してしまうから、その恐怖感を抱えて、日々弱い生き方しかできなくなってしまう。他に心配をかけまいと葛藤するものでも、浮かない表情は親しいものにはすぐに解かってしまう。体は歳と共に衰えても、魂は輝きを増してゆくものだというが、心と体は別ものだと思えれば、ちょっとした勇気を出すことで早期に治療ができて、医者に救われることも多い。 2016年10月16日 琢
2016年10月16日
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落胆したとき立てなくなる立つ力が有っても気力を失えば人は歩けなくなる心の作用の大きさ病気と診断されれば病人らしくなってしまう自己暗示も有る疾患が有れば医療で直すがその間に有るものは不安感不安が迷いに成り不動でいられなくなる心の安定を求め不安を無くすのが修行だろう無知や未知のことには対応不能で、そのために勉強をする。全く知らないものより知っている方が安心感が有るもので、体験したことは忘れることが無く、知識も使ってみることで応用が利くようになり、身に付いたものが智慧に成ってゆく。疑問があるうちは警戒心が強く、痛い目に遭うほど先の不安が多くなり、想像力がはたらくようになれば、末路を想定できるようになって、未然に防げるようになる。不安が有れば、勇気が出ず、気力も萎えてくる。人は落胆したときに立てなくなり、立つ力が有っても、気力を失えば動けなくなってしまう。心の作用は大きいもので、病気と診断されれば病人らしくなってしまう。自己暗示も有るが、本当の疾患は医療が直す。その間に心を覆っているものが不安感で、不安が有れば迷いが多く、選択に迷いが有れば不動でいられなくなってしまう。恐怖感や怯えが有れば正常な判断力を失って、とっさの事態や出来事に出遭えばパニックになって、どうすれば良いのか全く分からなくなってしまう。人は心の安定のために祈り、それぞれが自分の歩み方に信仰が必要になる。不安を無くし、苦から解放する道を示すのが宗教で、心の中には神仏を置いて、道を歪めないように歩むのが人間だろう。 2016年10月15日 琢
2016年10月15日
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人の意見は経験上の正当性が有るその人にしかできない体験は無視、無評価はできない生い立ち、育ちからくる常識の違い共通のわきまえから程度は違っても分類分けをすれば他に応用できる部分が有る自分の経験を正当化せず柔軟であること受け止めることで和が生まれる自分の奥行き、懐が深くなる赦すこと、受け入れることで他との融合ができる自己顕示、自我我欲、自己保存には他の意見は無用になってしまうが、謙虚に反省するには、何が正しいか、妥当かを知る必要が有る。人との交友から考え方の違い、その元に成る生い立ち、育ちなどの基盤の違いから生まれる常識の違いが有って、何が正しいかの基準が異なっていることを知る。人の生き方にはそれぞれの条件、制約が有って、その中で生きるには最善の道が有っても、絶対的な正しさの基準は無い。素直に他の意見を聴けば、経験上の正当性が有り、その人にしかできない体験を無視、無評価はできないだろう。違う常識を受け入れて、共通のわきまえをもち、程度の違いが有っても分類分けをすれば、他に応用できる部分が見つけ出せる。自分の経験だけを正当化せず、柔軟であること、受け止めることで和が生まれれば、自分の奥行きや懐が広くなってゆく。和を広げるには赦すこと、受け入れること、本心で語ることで、他との融合ができるようになるだろう。へこ意地は進化の妨げに成ってしまう。 2016年10月13日 琢
2016年10月13日
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知り合う場が有ること次は挨拶を交わすこと会話をすること次の約束をするとき連絡手段を交換することそのどれもが縁に成るもので自己向上の出発点に成る和顔愛語は警戒心をやわらげ因縁側で接すれば和が生まれ友情が育まれれば絆が深くなる共通点を探せば縁有る別のつながりが観えてくる類は友を呼ぶこの世の羅網【天がかぶせた一本の糸で編まれた大きな網】では、円環的な思考と円環的なつながりに必然的なものが仕組まれていると思って良いだろう。縁有るものは必然的に出遭うようになっているもので、前世からの関わりが有ったのかと思うほど、互いに引き寄せ合い、開花するための良き縁に成っている。互いの向上を願い、良いところも悪いところも受け止め合って共有し合い、良き因縁側の関わり方をする。そういう人とまず知り合う場が有ること。次には挨拶を交わすこと。自己紹介と共に会話をすることから、次の約束のための連絡手段の交換をすること。そのどれもが縁に成るもので、自己向上の出発点に成る。和顔愛語は警戒心をやわらげ、心を開ける、素直に接する心の元に成るもので、本心からの関わりは因縁側のもので、そこには和が生まれ、友情が育まれて、強い絆で結ばれてゆく。互いの共通点を探せば、縁有る別のつながりも観えてくる。多くの人々の中では、似たような常識、生い立ちや育ちから培われた常識に必然の縁を感じてつながってゆく場合が多く、「類は友を呼ぶ」ということだろう。 2016年10月12日 琢
2016年10月12日
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眼に見えるものは交換できるが眼に見えないものは何にも換え難い人の心はお金で変えず金さえ有れば何でも買えると思うのは傲慢な錯覚だろう唯物主義は刹那的、利己的にさせ見えるものしか信じず冷え切った道を歩むしかない人のぬくもりは見るものでなく感じて歓びに成るもの見えないものは泉のように湧き出すもの有形のものは盗めるが無形のものは盗めないその分別ができない人が多い新しい形は見えない発想が元に成っている人の道に外れたことを重ねた人が懐古反省するときに、涙をこぼすところは、人のぬくもりや愛に触れたときが多く、申し訳ないことをやってきた相手への謝罪は赦しを請うものが多く、与えられた救いや恩恵に感謝して報恩の心や償いの心に本心から改心するには、更なる時を要するだろう。眼に見えるものは交換できるが、見えないものは何にも換え難い。人の心はお金で変えず、金さえ有れば何でもできると、金集めに執心すれば、傲慢な錯覚や幻覚に陥る場合が多い。唯物主義の歩みには刹那的、利己的なものが多く、見えるものしか信じずに冷え切った道を歩むしかない。人のぬくもりは見えるものでなく、感じて歓びに成るもので、慈悲慈愛の心を湧き出させるもの、見えないものは泉のように湧き出してくるものだろう。有形のものは盗むことが出来るが、無形のものは盗むことが出来ず、力で奪い取ることもできない。その分別ができない人は多いが、新しい形やもの、発明は、見えない発想が元に成っている。見えないものを信じることから夢や希望をもつことが出来るのだろう。 2016年10月11日 琢
2016年10月11日
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順風のときは何もかも順調だが調子に乗れば我が出始めて傲慢、身勝手、都合優先に成り気が付けば孤立している目前のすべてのカオスがオセロゲームのように裏目に成っている信頼を得るには時を要するが失うときは一瞬の油断暗運力を止めるには10倍の力を必要とするいつも謙虚に、丁寧に、適切にを心掛け有頂天を戒めておくこと初めて取り組むことは結構うまくゆく場合が多く、簡単だと思っていると、だんだん首が閉まって来るのが常だろう。痛い目に遭わないと分からないのが人間で、何もかもうまくいくときほど要注意のときが多い。油断大敵と言うが、順風のときには何をやってもうまく運ぶように見えるが、調子に乗れば、我が出始めて、傲慢、身勝手、都合優先に成り、周りのひんしゅくを買い始めて、気が付けば孤立して、運の流れが逆風に成ってしまうことが多い。そうなったときの現象は、目前のすべてのカオスがオセロゲームのように裏目に出始めて、四面楚歌に成ったように思えて来てしまう。人の信頼を得るには長い時間がかかるのが常だが、失うときは一瞬の油断からが多く、そうなってしまえば、すべてが敵になったように感じたり、錯覚、妄想から何も信じられなくなってしまう人も多い。信じることが出来なくなれば、無明に入ったように、すべてが闇の中のように感じて絶望感に覆われるようになってしまう。暗運力がはたらき始めれば、重経緯、悪循環、悪縁起、低活力、急暗転からどん底に落ちてしまう場合が多い。暗運、転げ落ちる岩石を止めるには、その十倍の力が必要で、手持ちの札では不可能になってしまう。そうならないように、いつも謙虚さを失わず、何事も粗末に扱わず、丁寧に、適切に対応することが大切で、厳に戒めておくことは有頂天に成らないことだろう。 2016年10月10日 琢
2016年10月10日
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日々小さなロマンを見つけダメなことにも挑戦してみる何をやっても駄目と思えば楽しいことは一つも無くやってやれないことは無いと思えば明るい心でいられる大きなロマンは心に秘めてコツコツと努力を重ねいつか必ず成就すると思えばどんな試練でも超えられる希望を失わないこと必ず道は拓ける少年のように目を輝かせちょっとした歓びに感謝すれば仕組まれた救いを恩恵と思い報恩を心掛けるどんなときにも、どんな試練、たとえ絶望しても希望を失わないこと。未熟の解消に努めることで、どんなに大きな試練をも超えることが出来る。完成するまでは何をやってもうまくゆかず、大きな試練と思っても、既に超えた人には単なる通過点の一つと、その先に立ち向かっている。慣れてくれば慌てることも無く、まだ駄目なところを教えてくれていると、成就への呼びかけと思えば、自分さえ折れてしまわなければ何でもできるようになる自信さえ湧いてくる。日々小さなロマンを見つけ、ダメなことにも挑戦してみること。やってやれないことは無いと気付けば、いつも明るい心でいることが出来て、心にゆとりが出てくる。大きなロマンは心に秘めて、コツコツ先を目指せばいつか必ず成就するときが来ること、その途上には必然の恩恵も仕組まれていて、その恩恵に感謝すること。少年のように目を輝かせて、希望を失わないこと。道は必ず開けてくる。ちょっとした歓びにも感謝を忘れず、救われた恩恵も何かに必然的に仕組まれたものと思って、その報恩を心掛けることが重要なことだろう。 2016年10月9日 琢
2016年10月09日
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日々心に決めたことを為すさらりさらりと為すか義務で為すか前向きか圧迫感か明るいか、暗いか義務感はストレスに変わり先送りすれば荷が重くなる日々の積み重ねの重さは積み残すほど気が重く重圧で自分をダメにする一回や二回と思う軽い気持ちが投げ出しや諦めに変わる自分に甘ければ相応の報いが来る同情で自分が救われることなく持戒が無ければ要の無い扇に成るま、いいかとか次からとか、そういう心で生活していれば、コツコツ努力を重ねている人との差が大きく開いて、追いつけると思う甘い心が諦めに変わってしまうときが来る。行いや勉強に差ができてしまうのはそういうところからだろう。日々心に決めたことを必ずやること。そのやり方も、さらりさらりと為すか、ねばならない義務で為すか、前向きな気持ちか圧迫感でイヤイヤか、明るい気持ちでするか暗い心でするかは大きく違ってきてしまう。義務感が有ればストレスに成り、自分を甘やかしていれば楽だが、安易な心が怠惰に向かわせてしまう。先送りを続ければ荷が重くなり、日々の積み重ねの重さは、積み残すほど重圧に変わって自分をダメにしてしまう。一回や二回という軽い気持ちが長いスパンで観れば、差が開きすぎて投げ出したり諦めたりで、自分の意志の弱さに嘆くことにもなって、自分に甘えれば相応の報いが来るのが必然になってしまう。言い訳や言い逃れも自分を騙すことが出来ず、同情を得ても空しさが勝って、自分が救われることが無い。途上にか一貫した自覚が無ければ自戒も無く、要の無い扇のようにバラバラの足跡を残すことに成ってしまう。 2016年10月8日 琢
2016年10月08日
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緊張の中で人は強く成ってゆく学んで受験するとき行いの検査を受けるとき病の診断を受けるとき最悪のシナリオを視野に人事を尽くして天命を待つように圧迫感に押しつぶされないようにどんな結果をも受容して次に備える覚悟をする何が起きるか分からないカオスを前に自分の定めを受け止めて不動の心に成ること冷静に洞察して適切に対応する祈り心で最善を尽くすこと生まれた以上いつか必ず死ぬときが来ること。それがいつかは誰にも分らない。どんな人にも明日生きている保証が無く、寿命は決まっていて、それぞれの条件制約の中で、頂いた生を全うするのが人に与えられた宿命なのだろう。魂の願いや自分が果たすべき使命を探しながら、心の趣く方に運命を変えてゆくのが、その人の必然の定めとなってゆく。そういう緊張感の中で人は強く成ってゆくのだろう。受験、何かの検査、病気の診断を前にするとき、最悪のシナリオを視野に入れて、圧迫感に押しつぶされないように、どんな結果が宣告されようとも受納できる自分、その迫力や切迫感はその人にしかわからず、そんな瞬間は誰もが経験することだろう。何が起きようと次に備える覚悟ができていること。前に進むことは、何が起きるか全くわからない道・カオスをゆくこと、適切に対応しながら歩むことだろう。それが必然の運命と受け止めて、不動の心、ただし素直な心に成って、状況の洞察をして、祈り心で最善を尽くすこと。そこに何か自覚できているものが有るだろう。悔い、未練、執着を残さないことだろう。 2016年10月7日 琢
2016年10月07日
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凄いものは常識的には有り得ないものを言うが別の目からは大したことでないものも有る個人差が有るが見て思うこと、観て想うこと奇跡のようなもの知らなければ分からないもの自分の目標にするもの表現が難しく他に伝えたくても口に言い表せない状態理論的には可能でも自分には不可能なものそういう感動が大切なもので目標の無いものには何の感動も無いのかも知れない感動することの大切さ。感情が動かされ、涙が出るときも、驚くときも、飛び上がるほどうれしいときも、心が突き動かされた状態に「すごい!」という感情がはたらく。怒り、悲しみ、苦しみなどの感情は動かない方が良いと思ってしまうが、自分には止めようがないのが感情の動きだろう。いつも鎮静化を心掛けていても、瞬時に動いてしまう。凄いと思うものは、常識的には有り得ないようなものだが、別の目からは大したことでないものも有る。個人差が有るが、観て想うこと、見て思うこと、奇跡のようなもの、知らなければ分からないもの、自分の目標にするものが有る。表現が難しく、他に伝えたいが口で言えない状態のものも有る。理論的には可能でも、自分には不可能と思えるようなものに「すごい」という感情が動いてしまう。そう思われたいと思う人は、自分の目標を立ててそこに向かって飽くなき努力を重ねる。そういう他の目標に成るような感動が大切なもので、目標の無いものには、何の感動も無いものかも知れないが、感受性豊かな人間でありたいと思う。 2016年10月6日 琢
2016年10月06日
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同じことを為すにもその場その時の心境が違うその心境を察するには相応の教養を必要とする発する言葉は言霊、言の葉と言われ日本は「言霊の幸はふ國】、「言霊の祐くる國」個人の感情には直接的なもの、時代背景、置かれた境遇の影響が有るその三つを察しなければ真の意味をくみ取ることが出来ない恋の歌一首にも言霊の意味が深く心に残る察し方が有る言わないことを美徳とする日本でしか察し合うことが出来ない万葉集などの昔の歌を理解するには、作者の直接的な心境だけでなく、時代背景、制約、置かれた境遇などのすべてを察しなければ、その本当の意味を理解できず、相当の教養が無ければ、作者の本心を読み取ることが出来ない。人の作意・さいは、同じことを為すにも、その場その時の心境が違う。発する言葉は、言霊とか言の葉と言い、心の奥に有る魂に響いて消えないもので、日本は「言霊の幸はふ國」・さきわうくに、「言霊の祐くる國」・たすくるくにと言われている。個人の感情は上記の三つの背景を察しなければ、その真の意味をくみ取ることが出来ず、本当に理解したことにはならない。恋の歌一首にも、その言霊の意味が深く心に残る受け止め方が有る。習慣的なものだろうが、言わないことを美徳とする日本でしか、そのすべてを察し合うことはできないだろう。大和魂の深い心、優雅な心、人の良さや思いやり気配りの行き届いた心には、他の国にはない品格が有る。大きな災害時にその特徴が現れるもので、その落ち着いた行動を観れば、歴史の深さ、風土の遺伝子のようなものを感じて誇らしく思う。感謝報恩にも、唯物的、刹那的、利己的なものが無く、その精神は永く受け継がれていってほしいと心から願っている。 2016年10月5日 琢
2016年10月05日
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貫くこと、ぶれないことどんな事態が起きようと目標を失わず曲げて正当化をしないこと強い意志と心その元は魂から発するもの自分の主義に一貫性をもたせ金太郎飴のようにどの断面も同じものカオスを恐れて弱い対応をすれば悔いを残す結果が観えている泰然自若として堂々と自分の意志と信念を貫くことそこに他の理解と信頼が集まる弱い生き方をすれば、あっちフラフラ、こっちフラフラでつかみどころが無く、自分も何の手ごたえも無い歩みに成って、欲求不満の塊から厭世的になって、自分で自分をダメにしてしまう。強いものに飲み込まれ、媚びたりへつらったりで、これでいいのかと自分を責めて、ストレスから神経症や自閉症に成ってしまう。自分の信念、意思を強くもって、それを貫く気構えが必要だろう。貫くこと、ぶれないことが大切で、どんな事態にも目標を失わず、曲げて正当化をしないこと。強い意志と心で臨むこと。その元は魂から発するもので、良心に従って本心から自分の主義に一貫性をもたせることが大切だろう。金太郎飴のように、どこを切っても同じものが有ること。辱を恐れ、失敗を恐れていれば、カオスを恐れて弱い対応をしてしまえば、人生に悔いを残す結果が観えている。カオスには泰然自若として堂々としていること、同時にその本性の洞察をすること、自分の意志と信念を貫くことだろう。そこに他の理解と信頼が集まって来るのだろう。真念一貫 不逃避 忘己利他 一隅を照らす 真理を求め、逃げることなく、人のための、光となれ 2016年10月4日 琢
2016年10月04日
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自然の摂理に神仏の愛あり生命体はその恵み生きていることで何かの役に立っている願いは生命の燃焼特に自己顕示の必要も無く我欲は他の迷惑になる自己保存をしなくても守られているその恩恵に感謝すること自分の至らなさを反省し他への敬意を示すこと心が調和されていれば表れる現象は整っている死を恐れることなく今を明るく機嫌良く生きること他の心を惑わすものは毒に成るもので、聞いてもらおう、解ってもらおう、助けてほしいと思うことも、誰もが遭遇する苦の場合が多く、他の心を曇らせたり困らせたり、惑わせるもので、自分一人で滅するべきものを、気休めに成ることは毒に成るものが多い。苦の原因はほとんどが自分からの場合が多く、全く関係の無いものも、自分に与えられた必然の教えと受け止めて、それに対応すべきものだろう。すべて身の周りの現象は自分を調和させ、整えるためのものだと思う方が良い。自然の摂理には神仏の愛ありで、生命体はその恵みだろう。生きていることで何かの役に立っている。その願いは生命の燃焼を促すもので、特に自己顕示の必要も無く、我欲は他の迷惑になる。自己保存を浅はかにしなくても、どんな事態に遭遇しようとちゃんと丸く治まるように守られている。そういう恩恵が仕組まれていることに感謝して報恩の志を持つことが重要なことだろう。自分の至らなさを反省し、他への敬意を示すこと。そうして心が調和されていれば、現れる現象も整っている。むやみに死を恐れることなく、今を明るく機嫌良く生きることが大切だろう。 2016年10月3日 琢
2016年10月03日
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失望、改善の途上にあるときどうすれば良いか欠点が重複していれば一つ一つ欠点を直し電気の配線や簿記のように合うまでその機能を果たせない答えが合わないのはどこかに間違いが有るからで心の通じ合いも身勝手が有れば、がっかりの連続で自己検証して改めなければ意気が合わず平行線に成る間違った反応が出なければ直しようが無く古びたラジオのように情報を得られない反応は自分を正す呼びかけだろうすべて初めからうまく機能するものは無い生まれれば親の愛情に包まれて育ってゆくのが普通で、食べさせてもらい、歩けるように成れば、興味のあるものもできるようになりたいと取り組んで、できるようになれば見て欲しいと思い、人にしてあげたいと思うようになるのが人間だろう。三つの幸せ観が有って、もらう幸せ、できる幸せ、あげる幸せに成長してゆく。人の育ちはある意味ではプラモデルの組み立てのようなところが有って、材料がそろっていても、組み立て方が間違っていれば機能を果たさないように、育て方が間違っていれば、本人だけでなく育てた親にもその報いが返ってきてしまう。手順の間違いも有って、間違いのある個所に戻って一つ一つ直してゆかなければ、使えない人間のままで終わってしまう恐ろしさも秘められているのが人生だろう。心の通じ合いも、どこかに身勝手なものが有れば、他を失望させる。他のせいにして自分を直さなければ、いつまでたってもうまくゆかない歩みばかりで、摩擦の多い障碍や試練を超えられず、道を歪めてしまう。現実、反応、現象を観れば、どこを直すべきかが観えてくる。反応は自分を正すための呼びかけだと思う方がいいだろう。どんなことも初めからうまく運べて、その機能を何の修正も無く果たせるものは無いだろう。 2016年10月2日 琢
2016年10月02日
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因縁果報を知れば原因と結果の必然を知り弁証法的論法が成り立つ自分がいなくなっても世の中は変わらない何もしなければ悔いが残り自分の存在価値が無く自分が参加することで周りがそれなりの影響を受ける参加するには調和が必要で自分を整えて気力、勇気、挑戦意欲を育めば分相応の願いを果たす希望が生まれる共生の作法に従えば良き縁と共に自分を咲かすこともできる整った心に整った現象が起きる結果未生のカオスも自分次第だろう悔いの残らない対応に一貫性をもたすこと自然の摂理を学べば、因縁果報の必然を知る。原因には相応の果報が生まれ、心の有り方が現象に表れてくる。自分の心如何で相手が相応の反応を返してくるのがこの現象界だろう。その反応を観て反省し、自己修正を行えば、今まで起こしてきた摩擦が少なくなってゆく。成功は何度も何度も失敗を重ねて、その都度修正した結果、必然的に生まれるものだろう。自分がいなくても世の流れは変わることが無く、かといって、何もしなければ悔いが残ってしまう。自分の存在価値を感じられず、自分が参加することで、周りには相応の影響を与えることに成る。参加するには調和が必要で、それぞれの違う常識を受け止めるには自分を整えること、今までとは違う自分に変えてゆくことが必要になる。気力、勇気、挑戦意欲を育めば、分相応の願いを果たす希望が生まれてくる。共生の作法に従えば、良き縁と共に自分を咲かすことが出来る。折角の種も良き縁が無ければ開花することは無く、因・心に合った果報が生じるもので、整った心には整った現象が生まれるのがこの現象界だろう。結果未生のカオスへの対応も自分次第だろう。悔いを残さず、一貫性をもたすのも自分次第だろう。 2016年10月1日 琢
2016年10月01日
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