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幸せは我が心に有り五感で感じる意識には好みと願いが有り教養は知性として理性は本能と感情の抑制に心は体を通して行為し行為の反応は現実に現れるこころ・因を変えようと思えば行為を改め現実が変われば考え方が変わり感じ、受け止めが変わってゆく芸術や音楽は人の心を癒やし常識を超えて人に歓びを与える誤解されることが多く、ちゃんと理解してもらうことができないことも多い。その原因は自分に有ると思えば観自在、止観で自分をチェックしてみれば、どの部分を変えるべきかが観えて来る。『美は観る人のこころに有り』、『幸せは我が心に有り』で満足感は内から湧き出してくる。心は体を通して自分を表現し、行為する。その行為の反応は現実に現れてくる。人を変えたいと思えばまず自分を変えるしか無く、心を変えようと思えば行為から変えてゆくことだろう。行為を改めれば現実が変わり、考え方も変わってゆき、感じ、受け止め方も変わってゆくことになる。芸術や音楽は人の心を癒やし、我が心の有り方を考えるようになる。常識を超えて人に歓びを与えることで充実感から幸せな心になってゆくのだろう。今日は「平成」最後の日で明日から「令和」になるのを機に自分を変えてみるきっかけにするのもいいだろう。 2019年4月30日 琢
2019年04月30日
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神仏が観ていると思えばこれまでに何度も救われたことその恩恵に感謝してその報恩に向かおうと思う多くの迫害を糧にして培ってきた強靭な精神力と学んで整えてきたある程度の智慧その命を何に使うかを考え自分にしかできないことを自分の使命と自覚して自分を必要とするところを自分の居場所として誰かの役に立てたいと思うようになった会社の倒産ですべてを失い、自分の人生は終わったと思っていたが、5回も6回も救われてきたことを思えば、自分は生きていると言うより生かされていると思う方がいいのだと思えるようになっている。唯物的には何の成果も得られなかった自分に何の役が残っているのかと思うが、すべて失敗して来たことの中には無いもの、それが自分の為すべきことだと感じている。自分の為には強く成れず自分以外の為には強く成れる自分がいる。人の役に立って歓ばれることをうれしく思う自分がいる。カンフル剤のとき、癒すとき、人と人を繋げて喜ばれるとき、そこに自分の歓びが有ると確信している自分がいる。多くの迫害を糧に強靭な精神力を培ってきているのかも知れない。余命を与命として活私奉公をしてくださいと立花氏て言われたことが有る。もうそんな年齢になっているのだろう。この命を何に使うかを思えば、自分にしかできないこと、それを使命と思うこと、自分を必要とするところが自分の居場所と思って、これまでのささやかな智慧を人の役に立てたいと思えるようになっている。 2019年4月29日 琢
2019年04月29日
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和を願うなら相手の身になって考え自分の都合優先をしないこと無私、利他の誠心でことに当たれば摩擦は減ってゆく認め合い、理解し合うこと常識の違いを超えた先に許容が広がってゆく和を保つ戒めと課行に努め信頼関係を構築すれば争いは収まり共通の願いに向けて響働することができる知り合いから友達に、交友を深めれば親友になって良き因縁側の関わりになってゆく。自分一人では視野が狭く、常識の違いが領域を狭いものにしてしまう。自分を高めてゆくためには良き縁が必要で、すべての出会い、出来事、事態には相応の意味が有って、その因の転換と共に好転反応が現れてくる。和を願うなら、相手の身になって考え、自分の都合優先をしないことだろう。無私、利他の誠心に成れば、良い言葉、誉める言葉、感謝の言葉が場の雰囲気を良くして、良き因縁側での交友ができる。認め合い、理解し合うことで常識の違いを超えて、和を保つ戒めと課行と共に信頼関係が構築されてゆく。種が良き縁と共に開花するように、自分も念ずることで花開くときが来るだろう。良き友は孤独にさせず、助け合う恩恵と共に夢や希望の成就には無くてはならないものだろう。 2019年4月28日 琢
2019年04月28日
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体への懸念は年齢と共に増えてゆくが一つ一つ処置をして暗くならないように明るくして見切ること、割り切ること車のように部品交換はできないが早期の手当てであとは托身すること人の寿命は自分で決められず同じ時を過ごすなら不安、恐怖、妄想にとらわれず自分を信じ、人を信じて諦めず、放棄せずに今を明るく機嫌良く生きること誰でも生まれればいつか死ぬときが来る。その瞬間は自分一人で超えてゆくしかない。生きていればどんな試練、痛み、苦しみも超えてゆくしかなく、超えてみればその体験が残ってゆく。その最中は不安と恐怖感が有っても超えれば先に向かうことができる。年齢とともに増えてゆくのが不安と恐怖だが、一つ一つ滅して暗くならないように明るくするには、見切ることと割り切ることしか無いだろう。諦めず投げ出さず、まだ生きていることに感謝すれば早期の手当てで長持ちができるのが人の命だろう。自分の寿命は決められず、托身して今を明るく機嫌良く生きてゆくことで、多くの経験と共に深化することになる。楽な方がいいが苦に学ぶことが多く、超えてみれば成ったひとにしか解らない体験が残り、それが人の心を癒やすときが来る。魂の輝きが増えてゆくことになるのだろう。 2019年4月27日 琢
2019年04月27日
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知性で感じ本能と感情で受け止め自分の常識で考え理性を通して行為する止観して振り返り反省と共に修正してゆくその原因を知ることで自分を整えて調和する八正道で観自在し、自分独自の滅を描く課行と戒めで願いを果たす転識得智は学んだことを身に付けて先を拓く智慧と共に自覚した使命の道を歩むこと悔いや執着、未練を残さないように納得のゆく歩みをすること。自分の常識や領域だけでは気が付かないことが多く、他にとって迷惑なことを知らずにやっていることが多い。良いことをしたと信じていても別の常識から見れば迷惑なことが多く、必ずしも善行になっていないことが多い。カオスの対応から与えられる現実を観れば如何に修正点が多いかが分かる。自己回帰で止観してみれば、その原因が分かり反省と共に修正浄化することができる。自分の整え方には、止観【感じ、受け止め、考え、行為】、四諦【苦、集、滅、道】、八正道【正見、正思惟、正語.正業、正命、正精進、正念、正定】、六波羅蜜【布施、持戒、精進、忍辱、禅定、智慧・般若)がある。人の心の奥には魂が有り、根底には愛、慈悲慈愛・大慈大悲の菩提心が有って、無私、利他の誠心で行為すれば自分が本当に何をしたいか、何をすべきかの自覚ができるようになるのだろう。観自在は自分の在り方を観ることで癖や灰汁、業、カルマ、煩悩は無にはならず、こころを空にすることで安定が得られるのだろう。 2019年4月26日 琢
2019年04月26日
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『生きず』とも「生かされている」のが人間で生きようとすれば業・カルマに苦しむ煩悩を抑制できず他と摩擦を起こして望まない現実のすべてが自業自得で煩悩、カルマを空の状態にすれば「生きる」から「生かされている」に変わる自分より他の為に強く成れ他によろこばれる人間になる自分を滅するところに他の歓びが有るそこが自分の居場所になり生き甲斐を感じてそれを使命と自覚できるようになる自分は自分の意志で『生きている』と思って納得できる生き方をしているつもりが、思い通りにならず挫折から絶望、別の目標の模索の途上で今までになかった病の試練を超えるたびに何かの救いの恩恵に覚醒すれば『生かされている』と思うようになって来る。『なんのために』と思えば、この救われた命をどこに使うか、どのように使うかが残された目標になってゆくのだろう。業・カルマ、煩悩の抑制には心を空の状態にして、『かたよらず こだわらず とらわれず ひろく ひろく もっとひろく』、無私、利他の誠心で善我を育んだ先に、他の役に立てて歓ばれる、それが自分の歓びになっていることを知る。自分を滅するところに他の歓びが有り、そこに自分の居場所が有ることを知る。人の感じる生き甲斐はそういうところに感じることかもしれない。それが自分の使命と自覚できれば永年求めてきた不動の領域に至れるのかも知れない。 2019年4月25日 琢
2019年04月25日
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遠い先を目指すとき障碍や試練が角度を変えることが多いが方向性を失わないこと折れて曲がることは多いが苦難の先に光が観えて来る分岐点では角度を間違えないこと夢や希望はその方向を失わせず曲がっても修正することができる成り行きは方向性を失わせ着地は願うところで無くなる悔いの無いように歩むことだろう昔は一度行ったことの有る道を忘れなかったが、今は2,3度角を曲がってしまえばどの方位にいるか分からなくなっている。記憶があいまいになってゆくのはみな同じようで忘れっぽくなってゆくことが多い。目的意識を忘れないこと。遠い先を目指すときには障碍や試練が角度を変えてしまうこともあるが、方向性を失わないことだろう。目の前にお金を見せれば欲で目がくらんでしまいことも多く、折れて曲がることも多いが、苦難の先に光明が観えて来ることが多い。その歩むべき方向性を失わず、曲がっても修正することは可能で、決して欲に流されず自分の強い意志を以って歩めば、着地が違って嘆くことは無くなるだろう。ご都合主義で歩く人は着地点を考えていない場合が多く、自分は何でこんなふうになってしまったんだろうと嘆くことになる。夢や希望に向かい滅を描く人には歩むべき道が観えている人が多い。 2019年4月23日 琢
2019年04月23日
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出世と保身のために妥協できない境遇では原点に戻れず素直に成れないときがある突き進めば厳しい現実が訪れる分岐点に立つときは良心に従って行為する方が傷が浅く済むことが多い見直しをすべきとき責任転嫁は禁物で客観的思考が求められる理想に照らして神仏に問うとき新たな道が観えて来るふと気が付けば大変な事態になっていることが有って元には戻れないと思うことも有るが、原点に返って腹を据えるかどうかが大きな分岐点になる。間違った信念を改める決意には勇気が必要だが、人としてやってはいけないことに気が付けば、覚悟を定めなければならないときがある。出世と保身のために妥協できない境遇に立てば原点に戻ることが難しい。素直に成れない時が有るが、意地を通せば厳しい現実からアリジゴクのように這い上がれなくなってしまうことも多い。分岐点に立つときは回顧反省して信念の間違いを正すべきときがある。良心に従って行為すれば傷は小さくて済むが責任転嫁は禁物で、諦めず、投げ出さずに踏みとどまって自分を整えることができれば好転反応の恩恵に恵まれるときが来る。ものごとを客観的に見て思考すべきときが必要なときが多い。描く理想に照らして神仏に問うとき、新たな展開が始まって来るだろう。感謝、反省、敬意を以って原点に戻れる勇気をもっておくことが思わぬ救いの恩恵を引き寄せることになる。 2019年4月22日 琢
2019年04月22日
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意識に置くべきはすべてのことには意味が有ること出会いは人にはつくれないこと試練は何かの呼びかけと思うこと経験と共に一本の道が観えて来ること学んだことは使うことで身に付けて智慧を得ること智慧は自然体のときに適切な対応をさせる無知を埋めてゆく途上で得た知識を身に付ければ四苦八苦と共に自己の改善をして歩むべき道が観えて来る魂には前世以来の記憶が刻まれていて、智慧もつ意志のエネルギーと言われているが、生まれたときはそのすべてが忘却、喪失、無知の状態で、三つの「ち」の条件制約の中で一から人生を始めることになっている。何のために生まれてきたかを模索しながら歩んでゆくことになる。心の奥に有る魂がその根拠になっているが、それが見えないために迷うことになる。意識に置くべきは、すべてのことには意味が有ること、出会いは人にはつくれないこと、試練は何かの呼びかけと思うこと、経験と共に一本の道が観えて来ることだろう。学んだことは単なる知識のままにしておかず実践して身に付けてゆくことで智慧を得ることになる。智慧は自然体のときに適切な対応をさせてくれる。四苦八苦は必然のもので、カオスへの対応如何で自分を整えたものには歩むべき道が観えてくる。 2019年4月21日 琢
2019年04月21日
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固定観念は思考範囲を狭くして新たな発想が湧き出さず乏しい考察から行動範囲が狭くなる意識に記憶されるものは狭いところのもので領域に広がりが無いその中でも果たせる使命は有るが全体への影響が小さく魂の願いは広い領域と高い次元だが分相応のものが有る今生では足るを知ることからだろう若いときほど大きなことを考え大きな果報を望んでいるが歩を進めるごとに失敗ばかりで思い通りにならず、自分の小ささを嘆くことになる。四苦八苦と共に忍土の自覚を知り自分の愚かさ無力を自覚することになる。救われた恩恵に自分が他の人間とは違う運命をもっているように感じてゆくが集団に入ればみな同じことを知り、その恩恵をありがたく感じ始める。固定観念は思考範囲を狭くして別の発想が湧き出さず、乏しい考察から行動範囲を狭くしてゆく。途上で記憶される意識は狭いもので領域に広がりがない。その中で果たせる使命は有るが、始めの望みとは違って全体への影響は小さいものでしかない。魂の願いはもっと高いところに有るが怠惰であった分低くなってしまうもので、素直に受け入れるしかなく愚かさを自覚するほど分相応のものが有ることに気が付くことになる。六道輪廻【地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の繰り返し】の覚悟と共に足るを知ることになる。かけた情けは水に流せ 受けた恩は石に刻め 長野県善光寺石碑 2019年4月20日 琢
2019年04月20日
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困ったことは重ねて起きるもの自業自得と解っていても心は重くなってゆく四諦はその解決法だが今滅せるものから消してゆく時間のかかるもの、未来のこと直ぐ消せるもの先送りは禁物で病のように進行するものほどその原因を滅しておくこと体は歳と共に老いてゆくもの見切り、割り切りも必要で先の問題点は焦らず適切に処置することだろう破たんが来るときは、重経緯、悪循環、悪縁起、低活力、急暗転だが、問題点はいくつも有って、その一つ一つを丁寧に滅してゆくことで最悪の事態を予防することができる。一番良くないことは放置することで、重なってゆくほど心に対応力が減ってゆくために自己主導では解決不能になってしまうことだろう。困ったことは重ねて起きるもので、自業自得とは言え心にはストレスが堆積してゆく。四諦【苦、集、滅、道】はその解決法だが、自分にしかできない滅し方が有って、問題をただ消すだけでなくどう生きるかの方向性を以って滅することが大事なことだろう。問題点を書き出して今滅せるものから消してゆく。先送りは禁物で病のように進行するものほどその原因を正しておくことだろう。体は歳と共に老いてゆくもので、部分的に見切り、割り切りも必要になるときがある。先の問題点は焦らず適切に処置しておくことが重要なことだろう。滅は目標、目的意識と共に歩むべき道を教えてくれる。 2019年4月19日 琢
2019年04月19日
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秩序は調和のために有るものだが血筋、土地柄、時代によって風土、風習、願いが違い習わしやしきたり、条件制約の違いが有るそれが常識になっていて集団には出身地や願いの違うものばかりでそれぞれがその基盤の元に生きている常識の違いを受け入れて理解し合い、認め合うことで和が生まれてくる信頼関係は無私、利他の誠心と共に深くなり絆が結ばれてゆく人脈は可能性を広げるもので心を整えたものほど可能性が大きくなる一人の虚しさ、孤独の寂しさは不安感、恐怖感を越え難く、妄想や錯覚と共に自分を閉じ込めていってしまう。良心は共生のための原点で、血筋、土地柄、時代を超えて人として有るべき姿を見ている。秩序は調和のために有るものだが、生い立ち育ちやしきたり、習わしや風土、風習の違いの中での条件、制約になっている。常識の違いが摩擦の原因になることが多い。共生はその常識の違いを受け入れて理解し合い、認め合うことで和が生まれてゆく。誰にも救いの恩恵は有るもので、それに感謝、報恩できるかによって道が違ってゆく。信頼関係は自分だけの都合優先をせず、無私、利他の誠心と共に深くなり、絆が結ばれてゆくことになる。観自在と共に心・因を整えてゆくことで人脈に広がりができて、その願いの可能性を大きくしてゆく。 2019年4月18日 琢
2019年04月18日
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人は正直なもので自分を騙すことができず病気も想念の悪さも顔に出てしまういつもと違う表情を感じ取り人は相応の受け答えをする明るい人、暗い人明るいとき、暗いときもその分別ができている心の中は見えないものだが一定のスパンで変化が分かる進化は一瞬で読み取れないものでも時と共に現れてくるいつも素直に有るがままに、有のままで背伸びしなくてもいいだろう人が見てよく使う言葉は顔に書いてあると言う。親子も友達も知り合いも顔を観ればいつもとの違いが分かる。言葉を交わせば考え方が分かる。口で言っていることとやっていることの違いも分かる。人は正直なもので、自分を騙すことができず、本音と建前のギャップも自分が一番良く解かっていて、そのギャップを少なくしようと理想の建前を掲げて課行と戒めを実行しようと努力する。心の様相は顔に出てしまうもので、人はそれを感じ取ることができる。顔色が悪いと言えば、何か困ったことが有るのではという意味が有ったり、観自在を促す言葉であったりする。人は態度や仕草を良く観ているもので、心の中は見えないと思っていても一定のスパンで見れば以前との違いをキャッチしてしまう。進化は一瞬の見分けは難しくても時と共に現れてくるもので、努力の成果は自分では気が付かなくても人には観えて来る。背伸びの必要はなく、いつも素直に有るがままに、有のままでいいのだろう。 2019年4月17日 琢
2019年04月17日
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受け止め方の違いは百人百様でその生い立ち育ちの基盤によって反応が違うもので人は思い通りにならないもの反応を変えたいと思えば自分が変わるしかない心は体を使って表現するもので感じ、受け止め、考え方を変えようとすれば先ず行為から変えてみること自分が変われば心が変わる心が変われば言葉が変わる言葉が変われば態度が変わる習慣が変わり運が変わる人生が変わる思い通りに進めたいとみんな思うが、思い通りに運ばないのが世の常で、願った通りになる人はいない。強い願いをもてば、その具現化を目指すことになるが失敗や不具合を改め無ければ願いを果たすことが不可能になる。この大地に共生すれば自分だけの都合は通らず、助け合い、補い合いの協力無しにうまくゆくものは無いだろう。人を変えることは不可能で自分を変えるしかない。心は体を使って表現するもので、感じ方、受け止め方、考え方を変えようと思えば、先ず行為から変えてゆくことだという。行為を変えれば相手が変わる。相手が変われば心が変わる。心が変われば言葉が変わる。言葉が変われば態度が変わる。習慣が変わり、運が変わり、人生が変わる。焦って腐ったりせずに今から行為を変えること。意地を張らずに自分から変わってみることで明るい未来が観えて来るだろう。 2019年4月16日 琢
2019年04月16日
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言葉や何気ない行為は自分の心の表れで他の印象に残るもの理解も得られるが誤解も生じるもの注意しなければ誰の迷惑になるか分からない調子の良いときほど気を付けること課行と戒めは願いを果たすためのもので夢中になれば忘れやすく暗転のときはもう遅い人の反応は敏感なもので粗末に扱わないことだろう気が付けば何でこんな現実が与えられたのか、無意識にやってしまったことで後悔することが多い。現実はすでに起きてしまった過去のもので取り返しがつかず、先のためにその原因を修正浄化しておくしかない。人は愚かなもので失敗しなければ欠陥の修正浄化ができず、何もしなければ無知、未熟のままで挑戦と失敗から学ぶことが多く、その修正浄化のたびに成長してゆくものだろう。言葉や何気ない行為は心の表れで、理解も得られるが誤解されることも多い。注意しなければ誰の迷惑になっているか分からず、調子の良いときほど気を付ける必要が有る。願いの成就には心に誓いを立てて課行と戒め【あれはします。これはしません】を心に刻んでおく必要が有る。夢中になっているときに忘れやすいものだが暗転のときはもう遅い。人の反応は敏感なもので、気が付かなかったでは済まされず、粗末に扱わないことだろう。修行は何もお坊さんだけのものではなく、誰でもがやるべきことだろう。菩薩行とはそういうものだろう。 2019年4月15日 琢
2019年04月15日
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守備の難しさ攻撃は一方向でも守備が全方位整えて自然体で受けるしかない重心を丹田に置いて六方に意識を置くことで隙のない対応ができる整え方は偏りの無いもので安易な妥協をしないこと学びを網羅して実践と体験と共に身に付けておけば智慧は自然体で適切な対応をする人は出会い、出来事、事態と共に多くの障碍や試練を越えながら成長してゆく。そのすべてに意味が有って、途上では自分の至らない部分の修正浄化をしてゆくことになる。この忍土の厳しさと自分の愚かさを自覚し、救済の恩恵に感謝して報恩に向かおうとする。背伸びや過信はすぐに打ち砕かれてしまうもので、基本的には自分で自分を守ってゆく必要を感じることになる。甘えは許されず克己に努め、六方【前後左右上下】を敬えとは感謝、反省、敬意のことで、守備の難しさを身を以って体験するほどそれが大切なことを知る。どんなことが起きようと自分が歩むべき道をゆくこと。そのために自分を整えてゆき、調和できる自分をつくり上げてゆくしかない。カオスへの対応は、与えられた現実を観れば、その成長の度合いを表わしている。かたよりの無い自分、こだわらず、とらわれず、ひろく、ひろく、もっとひろく、じぶんのこころを整えておくことの大切さを知る。学んだことは実践し、体験と共に転識得智をすれば、智慧は自然体で適切な対応をさせてくれる。 2019年4月14日 琢
2019年04月14日
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文や言葉、行為に疑問を感じれば良い結果と悪い結果を洞察し悪い方は打ち消して良い方の対応をする投げかけられたことにとらわれ深く考えずに行為すれば思わぬ落とし穴に落ちるカオスへの対応は心を反映した現実を与えられその現実は消えずに残ってゆくすべて自業自得で何ごとも善意の心を必要とする善意に邪気は消され真理の道が歪むことはないすべてのものには意味が有り、そのとらえ方如何で正反対の解釈ができてしまう。人のとらわれはその生い立ち育ちや条件制約の常識によって全く違うもので、興味の有ることにとらわれてゆくが、行為によって全く違う現実が生まれてゆく。文や言葉、行為に疑問を感じれば、悪い結果より良い結果を洞察して対応する方がいいだろう。、とらわれに深く考えずに行為すれば思わぬ落とし穴に落ちることが多い。カオスへの対応は心を反映した現実が与えられることが多く、その現実は残ってしまう。すべて自業自得、因果応報で、何事も善意の心が必要になる。邪は善には勝てず、善意のこころ・菩提心で対処する方が良い結果が生まれることが多い。身勝手な解釈をせず、無私、利他の誠心で臨むことで道が歪むことは無くなるだろう。 2019年4月13日 琢
2019年04月13日
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謎かけカオスは自分が試されているもので好転も有るが暗転も有って隠れた部分を読み取ることその対応如何で人生を変えることも有る邪気はさらりとかわし固執を避ける対応をしておくこと誤解されない善意の対応で周りの和を保つこと感情に左右されず中道をゆくことが自然に身を守ることになる途上には幸運も不運や迫害が迫ってくるもので、人を信じ自分を信じて丁寧な対応をすることで恩恵に救われることが多い。岐路の選択や判断は自分次第で、一瞬迷うことも多く、目的意識をもっていなければ気が付かずに流されて行ってしまう。謎かけカオスも有って、自分が試されていると思う方が良く、いい加減な、粗末な対応は避けた方がいいだろう。好転も暗転も自分次第で、隠れた部分を読み取ることが大切で、恩恵に救われることも有るが、人生を変えてしまうことも有る。邪気が有ればさらりとかわし、固執を避けてさりげない対応をしておくことが大切だろう。障碍や試練は何かに気付かせるためのものや超えた先に自分の智慧になってゆくものも多く、何かの呼びかけととらえれば前向きに成ってゆける。誤解されない善意の対応が重要で、感情に左右されず中道をゆくこと、自分の強い意志を持っておくことが自分を守ることになる。生きているということはそういうことのすべてを超えてゆくしかないだろう。 2019年4月12日 琢
2019年04月12日
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自分を変えるときは髪形や服装を変え気分転換も必要だが因・心の転換には行為を変えることでカオスへの対応が変わり与えられる現実を変えること内外合一の世界では外見を変えることでなく中身・深層を変えることで心を変えることから行為が変わり与えられる現実が変わる若いときの苦労が晩年を良くし何もせず、逃げたものには晩年の苦は必然のものに成るこの世には原因と結果の法則・自然の摂理が有って、失敗という結果にはその原因・心が必然のものに成る。無知、未熟を埋めるには挑戦有るのみで、失敗が多く思い通りにならないことばかりだがその因の転換から好転反応が現れてくる。進化は自分を変えてゆくことから始まり、外見だけを変えても与えられる現実は変わらないもので、好まない現実は自分のこころを変えれば行為が変わり、行為を変えれば与えられる現実が変わってゆくことを知る。心に与えられる現実は内外合一で、因果応報、自業自得ということだろう。中身、深層を変えることでカオスへの対応が適切に成り、共生では他に必要とされる自分に成る。自分の居場所は他に必要とされるところにあり、そこでどう生きるかから自分の使命の自覚ができるようになってゆくのだろう。 2019年4月11日 琢
2019年04月11日
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何気ないやり取りが大きな波紋になってしまう配慮不足が自己正当化をし解釈の違いが誤解を生みだす一人の興味も他の憂慮になるもので責任の取りようがなく危惧するほど軽い内容も大きくなってゆくカオスへの対応はあらゆる配慮から好転に向かわせる智恵が必要になる人の運命を変えることも有る忖度と失言から大きな波紋を起こすことが多い。ある人への思いやりのつもりが対立する側では傷つく人も多く、善意も悪意に聞こえてしまうことも多い。そんなつもりではなくても発した言葉は消えることが無く人の心に残ってしまう。何気ない行為が摩擦を大きくすることになるのは配慮不足が有って、その解釈の違いが誤解を生みだすことになる。行為するときは視野を広くとって、周りへの配慮が必要になる。一人の興味が他の憂慮の材料になることも多く、そこに邪気が有れば悪意ととられてしまうことが多い。気が付かずに人を傷つけていることも多く、責任の取りようのないことも多い。常識の違いは、その生い立ち育ちや条件制約の違いによって大きな失敗を誘引することが多く、外でのたくさんの経験が必要に成る。視野や配慮の広さは多くの常識の違いを受け止めるところから生まれてくるのだろう。忍土の自覚、わきまえと愚かさの自覚が必要になることが多い。恩恵の自覚と感謝、報恩の心構えが無ければ、信頼されず協力者を得ることが難しくなる。 2019年4月10日 琢
2019年04月10日
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進化の過程ではどこかに変化が現れるが自分では気が付かず観る人には分かるもので人に言われても自分にはまだまだとしか思えない身に付いたものは自然にできているもので慣れることで違和感が無くなり努力の継続が人を変えてゆくその挑戦が無知、未熟を埋めてゆく何もしなければ何も変わらず自分に疑問を感じてゆく過去の因を知らんと欲さば、現在の果を観よ。未来の報を知らんと欲さば、現在の業を観よ。他人は変えられず自分を変えることはできる。思い通りにならない時に人を変えようとすれば嫌がられ、正論は自分の至らない部分を責めてくる。自分を変えようとする途上では、どこかに変化が現れるが自分では気が付かないもので,観る人にはそれが分かるもの。人に言われても自分ではまだまだとしか思えず、身に付いたものは自然にできるようになってゆく。自分の中の異物は出せるが体幹に入った智慧は出すものでなく自然体のときに適切に出てくるものだろう。学んだことはすぐに実践して身に付けてゆくことで転識得智は何にでも応用の効く智慧になって先を拓いてゆくことができる。挑戦有るのみで、無知、未熟を埋めてゆくことになる。何もしなければ自分を変えることはできず、自分に疑問を感じて引きこもりになってゆくしかなくなってしまう。この世を否定すれば、何で生まれてきたのかの意味が無くなって、摩擦の多いこの忍土だからこそ魂の領域を広めて次元を上げてゆくことができることを放棄することになる。 2019年4月9日 琢
2019年04月09日
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体だけを思えば少しずついつもと違う感じがして内臓の変化、関節の痛み運動神経の低下と共に今までできていたことが微妙にできなくなって無理が効かなくなってゆく気力が有っても空回りのことも増えてその自覚は感覚として行動範囲が狭くなってゆくかと言って家でじっとしていれば動けなくなってゆく思考は広がってゆくが体がついてゆかなくなってゆく諸行無常を肌で感じるときは、長年の自業自得と言おうか、体を思えば、すっきり、さっぱりで何の問題もないという時期が過ぎ去ってゆくような感じがする。魂は歳と共に輝きを増してゆくというが体はその逆のようで、まだ若いつもりでいても無理なことを思いとどまるようになっている。体調不良に心が折れてゆくことの無いように気力を整えているが、車のように部品交換ができず、その修理やオーバーホールで賄ってゆくしかない。日頃から何ごとも気力だと言ってきた自分でも、異変にはすぐに医療のお世話になるしかない。お陰で6回も救われてきたと思う。最悪のことを恐れるあまり病院に行かず、ただ不安,恐れの妄想や錯覚にとらわれていれば、病の細胞は生きて成長するもので放置が最悪の結果を招くことになる。生老病死はすべてに言える四苦で、岩石、鉱石のようなものも時と共に変化して形を変えてゆくように、人、動植物も時と共に変化してゆくものだろう。それでも使い方如何では人の役に立ち、救いになって喜ばれ、笑うことも多くなってゆく。使命の自覚が有れば簡単に諦めず、投げ出したりはしなくなってゆく。 2019年4月8日 琢
2019年04月08日
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生きているということは苦を耐え忍ぶしかなくその体験と共に成長が有る人の痛みや苦しみが解り安心を与えられる今生きているのはそのすべてを超えてきた証しでなってみなければ解からないことも思いやりや気配りができること苦は人に不安と恐怖を抱かせるものでそこに安心を与えられる人は体験した人だけだろう恩着せや押し付けをせずさらりさらりと生きていることが他の恩恵になっている解らないことが有れば人に聞くこと、特に経験を積んだ人に教えを乞うことでその対応法が観えて来る。この世は分からないことばかりで、初めての経験には不安や恐怖感に覆われることが多い。この苦をどうすれば抜けられるのか、いつまで続くのか、そのとらわれをどう見切るか、どう割り切るかにも相応の智慧が必要になる。与えられた苦にも相応の意味が有って、その知識だけでなくどう抜けてどう修正したか、その必然の意味は体験することで転識得智ができて他に応用の効く智慧になってゆく。生きていれば迫る苦を耐え忍ぶしかなく、体験することで人の痛みが解って来る。今生きているということはそのすべてを超えてきた証しで、なってみなければ解からないことにも、思いやりや気配りができるようになっている。人の苦しみ我が苦しみというが、それ苦を体験した人はもっと深い意味の癒しができるということだろう。その智慧は恩着せることでなく、押し付けるものでなく、さらりさらりと生きていることで他の恩恵になっているのだろう。 2019年4月7日 琢
2019年04月07日
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歳を重ね経験を積むほど未熟や愚かさを感じ八正道でチェックすれば至らない自分が情けなく年齢とともに点数が低くなる過ぎた時間は戻せず有るがままに、有のままに生きるしかなく今を明るく機嫌良く生きることこれからの一瞬一瞬を大切にここまで来れた恩恵に感謝して少しでも報恩に向かうこと今自分に出来ること必要とされることに応え自分らしいやり方でカオスへの対応をするもう今さらと思うことは多く、手遅れの感が有っても、まだ為すべきことはいつどこにも有るのが自分がいるべき場所だろう。無力、未熟、愚かさの自覚が出来ても生きていれば超えるしかない試練を超えて、ああしておけば良かった、こうするべきだったの改善は続けることが重要で、自分を見捨てないことだろう。八正道【正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定】に点をつければ、60点くらいはと思ってきたことも歳と共に限りなく0点に近付いてゆくだろう。過ぎた時間を戻すことはできず、これからは自然に生きようと、同じ時を過ごすなら、有るがままに、有のままに、今を明るく機嫌良く生きようと思う。これまでの恩恵に感謝して少しでも報恩ができる自分に成ること、それは人に歓びを与えること、自分にしかできないことで、人に元気を与えるカンフル剤になればと思う。今自分に出来ること、必要とされていることに応え、自分らしいやり方で迫るカオスに対応することだろう。 2019年4月5日 琢
2019年04月05日
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季節の変わり目気温の変化風邪、インフルエンザ、病気体調不良でも明日はやって来る摩擦によるストレススランプや闇にも生きていれば超えるしかなく生きるということは超えた体験の積み重ねで人は打たれるたびに強く成る魂は智慧もつ意志のエネルギーでそのすべてを越えさせる夢や希望が有ればその成就如何に関わらず挑戦を続けさせるどんなに楽しいことや苦しいことも時と共に過ぎ去ってゆく。待ち望んだことも思わぬ災害も迫害も通りすぎてゆく。残ったものは自分の魂に刻まれて記憶されてゆく。季節の変わり目や気温の変化から風邪やインフルエンザ、病気になっても日々は続いていて明日はやってくる。体調不良や摩擦によるストレス、スランプや絶望の闇に入っても、生きていれば超えるしかなく、生きるということは超えた体験の積み重ねで、人は打たれるたびに強く成ってゆく。恐怖感や不安感も慣れることで薄らいでゆく。心の奥には魂が有って、魂は智慧もつ意志のエネルギーと言われ、転識得智で身に付けた智慧が先を拓いて、夢や希望は成就の如何に関わらず挑戦を続けさせる。もうダメだと思っても妄想や恐れは未生のもので、起こってしまった現実ではなく、まだ可能性を秘めたカオスと思えば、決して諦めず、投げ出すことはできないだろう。 2019年4月4日 琢
2019年04月04日
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梵語はサンスクリットのことで梵は宇宙の根本原理のこと普通のことを平凡というが平凡ほど難しいものはない背伸びをせず有るがままり、有のままに最も低い人間として学ぶ姿勢で高慢、傲慢にならずただ素直であること謙虚に生きることがストレスを溜めず自然な生き方で個性は個性として意味有るもので引け目を感じなくてもいいだろう自分は自分でこの世に一人しかいなく、生い立ち育ちの条件制約の影響を受けながら、それを基盤とした常識で生きている。世界には80億人の個性が有るわけで、この地上に共生しているが、そのうちの一人が自分だろう。共生に自分だけの思い通りは有ってはならず、有り得ないことだろう。自分勝手が許されないところでは摩擦の原因になることを正してゆくことが人生と言える。誰にも業・カルマは有るもので、行為に現れてしまうし、生きてゆくための煩悩も有るために、みんなが好きなように生きることができないのがこの忍土の世だろう。その成長過程で自分を整えてゆく手法をお釈迦さんはサンスクリット・梵語でその教義を説いている。それぞれの常識は違って当たり前で、その違いを知ることから領域に広がりが出てくるのだろう。背伸びの必要はなく、有のままの自分、有るがままの自分で素直に生きること、そこに意味が有ることに気が付いてゆくこと、自分がこの世に生まれてきた意味を知ってその自覚ができれば迷いは消えてゆくだろう。自然に生きればいいことで、個性は個性として意味の有るもので、巧くゆかなくても引け目を感じる必要は無いだろう。 2019年4月3日 琢
2019年04月03日
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反面教師は嫌いな部分が有ってそうならないように努力するがどの時代、どの地域に育っても嫌なものは有るもので全部充たすものは無く永遠のテーマとも言える菩薩の領域は違う領域、次元のもので如来の次元は更に高いものだろう常人、凡下の理想になるもので到達不能な悟りと言える自分は平凡がいいと思うがそれさえも難しいものだろう人気い役者が言ったのは「悟りなんて有るわけねえだろう」だったが、求道の途上ではいつもそう思っている。高僧さえも『菩薩』なんてとんでもないと言い、口にするのも恐れ多いことだという。まして如来、仏ははるかな領域、次元にいるものと思ってしまう。もしできるとすればある部分の自覚の領域に至ることだろう。忍土に生きていれば不完全なものばかりで摩擦が多く、他の迷惑にならないように善我を育んで発菩提心、修菩薩行に励むことしかできないだろう。嫌なことは多いもので、反面教師として理想に近付けてゆくこと、そのために自分を整えることだろう。人生は地上のあらゆるところに有るもので、菩薩の領域への準備をすることだろう。成就することは有り得ず、遠望して自分にできること、自分にしかできないことの自覚と共に他の救いに向かうこと、そこに命を使うことだろう。万人を充たし、満足させる絶対的なもの、完全なものは無く、自分としては平凡でありたい思うが、それさえも難しいことだろう。 2019年4月2日 琢
2019年04月02日
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今は完璧なデザインでも時のうつろいと共に劣化してゆく時と共にすべてのものが崩壊してゆく創造は破壊のはじめなりで時代に合ったものその場その時その地のニーズは変化しどんなものにも栄枯盛衰が有る理想を描いても百年先には理想でなくなる今求めているものも進化と共に変わってゆく何が絶対に正しいよ云うものは無くその時代、その場でどう生きるかが問われている5年先には今考えても見ないものが現れてくる。便利なもの、新しいもの、魅力的なもの、まさかと思うものが出来上がってゆく。時代と共に人のニーズは変化してゆくもので、それに応えるものをつくり出してゆくのが人間だろう。今最高と思うデザインも時の流れと共に劣化し、また新しいものがつくり出されてゆく。諸行無常は形あるものは時と共に変化して崩壊してゆく。まさに創造は破壊のはじめなりで、便利なものは更にもっと有効なものに変わってゆく。人の心も自然の流れと共に変化し、経験と共に深化してゆく。いつも理想を描いて努力、挑戦してゆくが更に高いところを求めて理想は変わってゆく。今求めているものも時と共に深化し、新しものに変わってゆくのが常だろう。それを思えば、何が絶対に正しいかというものは無く、それぞれの生い立ち育ちとその条件制約の中で、その時代、その地で、どう生きるかが問われているのだろう。長寿国と言っても、ただどれだけ生きたかでは悔いが残ってしまうだろう。 2019年4月1日 琢
2019年04月01日
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