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成長具合は自分で気が付かず身に付いたものは自然に備わっている周りが感じるもので日頃の戒めや心掛けが当たり前のように成ったとき感じ方、受け止め方が変わる行いから正してゆくもので途上の積み重ねでしか得られない領域が有って現象感で至る領域から霊性感で至る領域へ多くの段階を経て更にその上を目指すのが我が道なのだろう果てしなく 険しく続く 天の道受容してなほ 観えぬ道のり行っても行っても行き止まりが無く無限に続く求道の過程はこの世に生きているときだけでは至れない領域に行こうとしている道なのだろう。ゼロからの出発から始まる我が人生も、魂の意識の蔵に刻まれてきたものを探し求める歩みで、多くの通過点を超えて次第に思い出してゆく道すがらなのだろう。自分がどう成長したかがわからず、昨日の自分と今日の自分はどこも変わていないと思っていても、周りから見れば明らかに変わってきているのが観えているのだろう。歩みには段階が有ってステップごとに気付きを得ながらの歩みに成っている。至らないところばかりだと自分では思っていても次第に周りが認め始め、理解し始めてくることで友に聞けばそれを教えてくれるだろう。自分は素直に謙虚な心で歩んでいれば気付かないことも写し鏡のように人の心には写されている自分がいるのだろう。それでも頂上ははるか上の方に有って見えて来ないものなのだろう。 2026年3月31日 琢
2026年03月31日
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信用されるまでには誠実の積み重ねと時間が必要なものだが失う時は一瞬で世間が狭くなってゆき行く先が狭まってゆく自分に嘘は付けず裏切った人の前には出られない信を失うことは可能性を小さくすることで必要とされるように成れば可能性に広がりが出てくる他の期待に応えることで信頼されるようになってゆく役に立つ自分に成れば自信が湧き出して他に尽くす歓びを知ることになるそこに自分は無く無私、利他の誠心に成ってゆく因果応報で良き縁と共に好転反応が始まってゆく自分を整えるためには、至らない部分の修正浄化が必要になる。失敗に学ぶことで過去の原因を正すことからできることが増えてゆく。出来るように成れば人にしてあげたくなるもので、そこに本心からの歓びと満足感が得られる。信頼関係の構築と常識の違いを受け入れた広い心に成れば赦す心で和が広がってゆく。信用されるように成れば可能性が広がってゆくが失う時は一瞬で、永い誠意の積み重ねも水泡に帰すことになる。魂・本心の歓びは救済に有るもので、人を助け、救うことが出来れば使命を果たしたような満足感が得られるだろう。学ぶことはその為のもので単なる知識だけで終わらせずに実践すること、体験して身に付ける智慧を得ることになる。人の役に立つということは他人の為に尽くすことで歓びを与えることが出来たときに本心からの満足を得ることになる。させていただく、して差し上げる謙虚な心構えが必要になるのだろう。してあげたと言えば恩着せ、押し付けに成ってしまうからだろう。運はそこから開けてゆくのだろう。 2026年3月30日 琢
2026年03月30日
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ものの見方は男と女では違う同じ情景を観ても記憶に残る印象が違う年齢によっても観方が違い同じ人でも時と場で違う同じ本でも感じ方が違う人は第一印象で分別するが人は常に変化しているもので深化と共に印象も変化する年齢と体験の積み重ねで考え方が変わり行為も変わる善行を積めば人相も変わってゆく周りの見方は段階によって変わって来る友との交友の場で感じることは生まれ育ちの条件の影響を受けていて考え方や常識に違いを感じることが有る。同じ情景や映画、本を観ても感じるところに違いが有る。感動は心に強い目的意識、夢や希望を持たせることに成るが人それぞれ願うことに違いが有る。同性同士でも男女でも心に刻む印象に違いが有る。感じ方に違いが有れば考え方も違ってくるもので、その違いを広い心で受け止めれば視野が広くなってゆく。受験勉強で精一杯のときでも男子が観るものと女子が観るものに違いが有る。人には好みが有るもので求めるものが違って当たり前ということだろう。主義、主張にも違いが有るもので、出来れば論争を避けて受け入れておくことが摩擦を起こさずに済むだろう。心の領域を広くしておくことで人としての心の奥行きが深くなってゆく。大局的思考での配慮が行き届いている方が交友の和に広がりが出来て来るだろう。人は第一印象でレッテルを張ることが多いが、時とともに変化してゆく途上ではレッテルの張替えも必要になるだろう。 2026年3月29日 琢
2026年03月29日
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似たように見えるときは有るもんで人の識別は難しい顔、髪形、体型、衣服によって流行やファッションと共に同じように見えるときが有るレッテルを張って識別するが会えば違いが分かる外見上の識別と内面の交流によって更に違いが観えて来る常識の違いを受け入れて認め合い、理解し合うことで心を開いた和が生まれる心の領域を広くして視野を広げて大局的に観ること器が大きくなってゆく似たような人はいるものだが付き合ってみれば全く違うことが分かってくる。外見で判断するのは危険で深層を洞察することで本当の姿が観えて来る。良き縁の恩恵を得ることで成長するのが人間だが、その選別を間違えることつらい歩みに成ってゆく。外見だけで判断せずに深層を観ておくこと、付き合って語り合うことで次第に本質が観えて来る。調子の良い人や話のうまい人には気を付けるべきで心の中を観ておくことが重要なことになる。自分を整えてゆくために同行することで深化向上するのが自分であることを冷静に見極めておくことだろう。因縁が有って果報が生じる世界ではその意識を持っておくことが大切だろう。分岐点は来るものでその時の選択如何で運命が決まってくることが多い。正常な判断が出来る自分であること、その為にどう歩むかを定めておくことが望ましい。選択の間違いは無駄にはならないもので、多くの経験で身に付ける智慧が未来を開いてゆくことを意識しておくことだろう。常識の違いを受け入れてひろい視野で大局的に観ることが重要な意味を持つことになる。 2026年3月28日 琢
2026年03月28日
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ハンドルには遊びが必要だが人の心にも遊びが必須で張り詰めた心は切れてしまう金剛は硬くて破れないが脆く柔軟性・しなやかさが必要凝り固まったときは転依で別のとらわれをつくる弦のように張れば切れて弛めば音が出ないほど良く張っていればよい音が出る本当の強さは強柔両面の備えのときで変化への対応も自然にできる人の心もただ強いばかりでは脆く壊れてしまう心の張りについてはよく弦にたとえて言われているように張り詰めれば切れて、緩んでいては音が出ずほど良く張っていればよい音が出るように気力充実、しなやかさ、明るさ、持続性が整っている状態を保つことだろう。すぐに切れてしまうのは直情的で感情の抑制が効いていないこと、自分の甘さに負けていること、人のせいにして逃げてしまうことで低品格の時のことを言う。動物は同族を殺さないが人間はそれをやってしまう。何故かは、人には自己顕示欲が有り、自我我欲、自己保存が有ってその障りになるものを殺してしまう。何ごとも経験を豊富にして柔軟な心、しなやかで明るい心を持続することだろう。目的意識と必要な理想を求めて意志が強いこと、赦す心が有って和を大切にすること、心の領域を広くしてひろい視野で配慮すること、忍耐力と強靭な精神力が必要になる。体験で身に付けた智慧が体幹に入っていることだろう。 2026年3月28日 琢
2026年03月27日
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交流の場では出会い、出来事、事態に遭遇するが相応に必然のもので仕組まれているように思ってしまうその対応は生い立ち育ちの違いで違うもので一期一会の心掛けで接すれば相応の対応をすることになる感じ方、受け止め方、考え方にそれぞれに違いが有るものでその結果与えられる現実が運の流れに成ってゆくその流れを変えたいと思えば行為を変えてみることでその反応が変わってきて好転作用が始まってゆく心も変わってゆくもので自信が湧きだすことで強い意志に一貫性が出来てくる体験と共に身に付けた智慧が未来を明るいものにする思い通りに成らないようなときが多ければ悲観的に成って間違った選択をすることが多くなるが、本心・魂の願いが違和感を感じさせて修正することも多い。迷いは常に付きまとうものだが自分の意志に一本通ったものが有れば選択に迷うとこが少なくなる。過去の失敗にとらわれていれば自信が無く,その場の良くない流れに従ってしまうことになる。信念の間違いを正しておくことが重要で既成概念や固定観念に流されることが無いように正見のまなざしが必要になる。人のせいにして逃げることから自己改善を怠ることで間違った選択をしてしまうことが多い。方法的懐疑は必要なもので疑問の解消をしたうえで責任を持って取り組むことは大切だろう。どんな結果をも素直に受け止めて改善に努めれば失敗が少なくなってゆき、自分の選択に自信が湧き出してくることになる。自分の選択に権威を持つことも大切なことだろう。自分にも周りにも不安を起こさせないように堂々と歩める明るい自分に成っておきたいものだろう。 2026年3月26日 琢
2026年03月26日
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やらなければ何も始まらないがやったことの責は自分に返って来る失敗の原因はすべて自分に有り自業自得は因果応報で因を変えなければ同じことを繰り返す心は体を通して行為し行為を変えれば結果が変わり与えられた現実が変わる感情のままに行為をする前に末路を考えてみること間を置くことで思い留まることが出来て悔いが少なくなる考え方を変えれば受け止め方も変わってきて感じ方が変わって来る心で思ったことは体の一部を使って行為することでその報いが返って来る。このことが自業自得、因果応報と言われていて、今与えられている現実は過去の行為からの結果で、すべて自分が起こしている事象と言える。歳と共に死を意識した上で心で行為するようになってゆく、その責を逃れることはできない。死の意識での選択は魂からの決断で、その心と行為は厳然としたものに成ってゆく。軽い決断ではなく、重い選択から意志の強さが見て取れる。それを読み取ることが重要なことで浅い思考での対応をしないことだろう。責を負うとはそういうことで、簡単に逃げだすことが出来ない決意が有る。大人に成ってさりげなくする行為には重たい根拠が有るもので、それを洞察できる自分に成っておくことだろう。それぞれの在り方を観ればどれが正しいというものは無く、その場その時の正しさは違うものに成ってゆくのだろう。どういう生き方をしようとこれが絶対に間違いだったということは無いだろう。どんな経験を積んだかが意味あるものに成ってゆくからだろう。自分をどう整えてゆくかがその人の独自の生き方に成っている。 2026年3月25日 琢
2026年03月25日
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履物を揃えることで自分を変えれば相手が変わる相手が変われば心が変わる心が変われば言葉が変わる言葉が変われば態度が変わる態度が変われば習慣が変わる習慣が変われば運が変わる運が変われば人生が変わる心掛け一つ課行と戒めの積み重ねその持続から信頼されてゆくまず自分から変えてゆくことだろうその気付きが身に付くことで未来を変える智慧を得ることになる苦の積み重ね、忍耐の積み重ね、善意の積み重ねから認められ、理解され、期待される自分に成って、それに応えてゆくことで他に歓びを与えて役に立つ自分に成ってゆく。自信が付き始めれば前向きな心に成って本心からの歓びを知ることになる。まず自分から変えてゆくことだろう。履物を揃えることで清々しい心に成れば周りの見方が変わってゆき、それに従う人も増えてゆく。認められ、理解されるように成れば信頼関係が構築されて期待に応えることから好転作用が始まってゆく。心・魂の満足が生き甲斐に成って、そこが自分の居場所に成ってゆく。その行いの途上に自分は無く、他の為に尽くすことの歓びが使命の自覚に成って魂願を果たすことになるのだろう。人はその為に生かされているように思う。 2026年3月24日 琢
2026年03月24日
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有と無の違いを心に有るものは無にはできず空じるには工夫が必要になる人は無から便利をつくり出すアイデアから発明へ見えないものから観えるものへ煩悩、カルマを空じるにはとらわれの転換、気分転換で転依・てんねが必要になる心は何かにとらわれるもの邪気のとらわれを滅して別のとらわれをつくる人は陰と陽、表裏一体のもの禅定して空じることの工夫かたよらず こだわらず とらわれずひろく ひろく もっとひろく心の領域を広げひろい視野で配慮することいつも何かにとらわれて一喜一憂している自分の心が有る。煩悩、カルマは無にはできず、抑制に努めること、他の迷惑にならないように心掛ける。人の心の中はすべてがとらわれで、凝り固まれば害に成ることが多い。有を無にすることはできず、空じるには工夫が必要になる。仕事のとらわれだけではストレスが溜まってしまうからリクリエーションが必要になる。すべてのものには陰と陽が有って表裏一体に成っている。人の心も時として別のとらわれに転依、気分転換が必須のものになる。空じるとはそういうことで、あることに凝り固まった心に別のとらわれを与えることで心が動くことが出来てくる。袋小路や絶望も通過点の一つだが、自由自在の心に成れば解放することが出来てくる。空じなければそこで留まって停滞して深化の妨げに成ってゆく。禅定して空じる工夫が必要になるだろう。それを自然体に保つこと、有るがままの自分であること、裏表で全く別人に成らないように日頃から心掛けておくことだろう。裏を見せ 表を見せて 散るもみじ 2026年3月23日 琢
2026年03月23日
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自分を観ておくこと止観で客観視してみる感じ、受け止め、考え、行為色受想行識を観ること自分を変えようと思えばその逆から観てみることで行為に課行、戒めを心掛けて実践で考え方を変えてみれば受け止め方が変わってゆき終いには感じ方も変わって来る心と行為を変えることから反応が変わってきて与えられる現実が変わって来る因果応報で因を変えれば報が変わって来るこの世は思い通りに行かないもので、自分だけのことを考えるだけでは摩擦が起きてしまう。人それぞれ生い立ち育ちの基盤、常識が違うもので、当然願うことも違っている。人との交流の場に臨んでみれば、生き方や考え方、夢や希望が違うものばかりで、その常識の違いを受け入れて心の領域を広くとることで、広げた視野への配慮が変わってゆく。相手の立場に立ってみることから自分の都合優先が出来なくなってゆく。過去の自分、与えられた今の現実に満足ができなければ回顧反省、止観して、感じ、受け止め、考え、行為の順に思い出して客観視してみればそのどこで変えるべきかが観えて来るだろう。願いは自分だけではなくみんな持っていてその具現化に向かっているもので、自分だけの都合優先が出来ずに思い通りに行かなくなってゆく。人は変えられず、変えられるのは自分だけで、素直に謙虚な心で至らなかった部分を変えてゆくしかないと思えるようになるだろう。 2026年3月22日 琢
2026年03月22日
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自分をどう使うかどういう道を歩むかどれだけ生きたかよりもどう生きるかが問題でこの自分をいつどこでどう使うかに魂の満足が有る魂に潜在する意識には願いが入っている望むものが違うとき違和感や不安感が有って選択を間違えれば与えられる現実が違ってくる光に向かうとき心に安堵が有り本心からの歓びを感じる魂願を充たすときそこに使命の自覚が有る前世から持ってきた宿命のように生き甲斐を感じる居場所が有る何をやっても手応えを感じることが無く、不満や不安に覆われてくるのは何故か、その違和感がどこから来るのかを考えることが多い。分岐点で何を選ぶか、どんな選択をするかに迷うことが多いが、それは魂の意識に潜在する願いが観えていないからで、何度もその違和感を潜り抜けることでこれしかないという選択が出来るようになってゆく。歳と共に体験・経験と共に次第にどう歩むべきかの自分を知ることが出来てくることで、ああ体験、ああそういうことだったのかがなんとなく分かってくるようになる。自分が人としてどれだけ長く生きるかよりも心・魂の満足はどう生きるか、どういう歩みをするかの魂の願いを思い出せるようになってゆくからだろう。本当の満足が心に安堵を与え穏やかな心に成ってゆくことで、何ごとにも動じることなく、意志が強いほど揺ぎ無い信念を持つことが出来るように成ってゆく。なぜ守られてきたのか、救いに恵まれて生かされてきたのかが解るとき、人間の本当の願い、満足は他人の役に立つこと、歓びを与えること、救済をすることに有ったことを知るようになってゆくのだろう。 2026年3月21日 琢
2026年03月21日
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人との出会いは関わりの縁の始まりだが交友を重ねる度に共通の人脈に当たることが多く関わりの経緯を知ればいい加減なことはできない信頼を広げるチャンスに成るが選択を間違えれば世間を狭くすることになる摩擦を起こさないように自分を整えて末路も視野に入れて的確に対応することで良き縁の広がりが得られる刹那的対応をしないことだろう自分の過去の歩みには多くの出会いが有ったが、粗末な対応をすることなく敬意を払って付き合った人が多かった。自分は争いが嫌いでいい加減な対応や感情を丸出しの対応をしないように心掛けていた。縁はその時だけのもののように思ってしまうことが多いが、自分としては永遠のお付き合いのつもりで接してきたように感じている。いつどこで誰に助けられるかわからないから争わないように心がけ、末路を考えた上で感情を抑えた対応をしてきたように思う。友を大切に思う自分としての接し方が有るもので、仕事上での出会いでも自分から切ったことは一度もなかった。顔が広いと言われたり、良い人脈を持っていると言われたり、八方美人だとか欺瞞だとか言われたことも有る。自分としては友との関わりをいつも大切にしてきたように思っている。因縁果報は後で知った言葉だが、子供の頃から遊ぶことが大好きで友達がいなければ遊べないからと人付き合いに専念してきたように思う。絶望に落ちたときに多くの友に励まされてきたことで良かったと思えるようになっている。関わりの再結は前世からのものだと教えていただいたことが、そうなのかもしれないと思えるようになっている。 2026年3月20日 琢
2026年03月20日
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愛の上に愛が有りそのまた上に愛が有る愛は次元を超えるもので怨みや憎しみを癒し怒りも愛あればこそのもの批判、反抗も愛からのもの親の愛から人間愛大地、大宇宙のすべてのもの太陽は遍く大地を照らし月は闇を照らす人の信仰の原点に愛が有る心・魂に安心を与え他の安心を歓ぶすべてを包む愛に恵まれた恩恵を感じ報恩の愛で包まれてゆく経典に父母恩重経・ぶもおんじゅうきょうが有るが、親の大きな愛に包まれて子は育ってゆく。子は親の愛の結晶で、子は命を頂いた愛に感謝してやまない。初めはもらう愛に幸せを感じ、出来る幸せを感じれば、あげる幸せを感じるようになってゆく。日の光、空気、水、海の幸、山の幸、そのすべての愛に感謝して生きること、至らない自分を守り、救い、助け合う愛がすべてを包み込んでいる。その愛に報いようとする心・魂が更に愛で包んでゆく、愛の無い世界は闇で、傲慢、高慢はその愛を当たり前と錯覚してしまう。地獄は当たり前から落ちてゆくもので、感謝の無いところの扉は開けないことだろう。自分が生かされていると思うようになるほど大きな愛に感謝できるようになってゆく。その段に至れば報いたいと思うのが人間で、人はその救済のために生かされているのだろう。 2026年3月19日 琢
2026年03月19日
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心の赴くところに縁が有る心の趣はそれぞれで自分の好みを探し出会いと共に深めてゆく偶然のようで偶然でなく結果はすべて必然のもの変えようのない過去に未来を変える要因が有る過去に学ぶものは心の趣く途上で自分を変えながら魂の願いを発見して本当の歓びを知る通過点ごとに自己改善をして菩提心の赴くところで使命の自覚が出来てゆく魂の意識の蔵に自分のすべてが潜在しているが、ゼロから始める人生は忘却、喪失、無知の状態の為に自分が何ものかさえわからず、どんな使命を持って生まれてきたかが分からない。その自分探しが人生で、意識に潜在するものを思い出す旅だともいわれている。まず自分を知るところから始めて失敗した過去からその原因を見つけて自己改善をしながら、自分を整えてゆく途上で次第にそれを思い出してゆくことになる。多くの障碍や試練を超えて身に付けた智慧が先を拓くことになる。大因を持って生まれ大果に向かって歩んでゆく途上で中果を観て方向修正をしながら、魂の願いの成就を果たそうと日々励んでゆくことになる。心と体は繋がっているものでその赴く方向に歩んでゆき行為を重ねてゆく。その結果が与えられた現実で、自分を整えながら願う方向に歩んでゆくことになる。本当の歓びや満足感を知る為には歳を重ねて目的意識に向かうことに成っているのだろう。 2026年3月18日 琢
2026年03月18日
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どんな条件制約でもそれはそれなりに自分の生き方が出来る慣れれば普通になる家柄、土地柄、国柄、時代の風潮その影響を受けた基盤独自の常識が出来る自分は世界80億人の一員ただ一つの存在だが共生には和が必要で助け合いの恩恵で生きている自分だけの常識は通らず互いに認め合い、理解し合うこと良き縁に感謝しながら深化成長を続けてゆく人との交流でそれぞれの生き方や願いを聞けば、生い立ち育ちの影響を受けた常識が違うことに気が付き、自己正当化を避けてその常識の違いを受け入れながら心の領域を広くしてゆくことになる。自分だけの都合優先が許されず、周りとの和を大切にすることで自分の生き方が認められるようになってゆく。和は認め合うこと、理解し合うこと、補い合うこと、助け合うことから赦す心と共に広がってゆく。思い通りに成らない社会でどう自分の生き方を続けてゆくのか。皆が好き勝手に生きれば摩擦が無くなることは無いだろう。遠慮や譲る心が必要なときも有る。和を保つためには赦す心が必要になる。その為には心の領域を広くしておくこと、大局的見地から思いやりや気配りの配慮が人の器を大きくしてゆくことになる。良き縁や恵まれた恩恵に感謝を怠ることなく、自分を横に置いて他の為に尽くすことから友情や絆が強く結ばれてゆくのだろう。願いの成就はその先に有るのだろう。 2026年3月17日 琢
2026年03月17日
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学んだことはすぐに忘れ思い出しては心に刻む実践、体験で使えば身に付いた智慧に成る人の体も使わなければ劣化する筋力の劣化は鍛錬で回復できる心は歳と共に輝きを増すが身体は歳と共に劣化してゆく身体は心を表現する道具で表現が現実に反映される与えられた現実は過去の因から因縁果報として今の結果・現実に成っている心と体の使い方で運命は変わってゆく絶望も通過点の一つで光に向かう努力の積み重ねで明るい未来を引き寄せる自分の心掛けと行い次第で望む現実を掴むことが出来る深化の結果だけを観て羨むことなく、隣の庭は綺麗に見えるが相応の努力の結果を観ているもので、自分ならもっとという強い意欲を持つこと、目的意識を持つことで、その具現化に向かう準備を重ねながら自分を整えてゆくことで失敗が少なくなって、他の期待に応えられる自分に成ってゆく。善意の心を育んで他の為に尽くすことから本当の歓びを知ることになる。もらうばかりの幼い心から他にして差し上げることで与えた歓びの顔を見ることで幸せ・満足を感じることから為すべきことが観えてきて、他人の役に立つ自分に自信が湧き出してくるだろう。人の魂の願いは布施・奉仕をすることで徳積みをすること、試練を超えて自分を整えて役に立つ自分に成ることに生き甲斐を感じることで、そこが自分の居場所に成ってゆく。人はそういう救済のために守られ、救われ、生かされているのだろう。他を癒し、救に成り、元気を与えることが本能的な歓びに成っているのだろう。整えた自分をどう使うかで未来を明るいものにしてゆくことが出来る。 2026年3月16日 琢
2026年03月16日
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誰にも癖が有る身体についているもの心について回るもの知らぬ間に真似ているもの業、カルマの癖のようなもので戒めていても出てしまう何度も繰り返す過ち解っていても止められず逃げてもついてくるもの禅定で空に成っても心、感情の動きは止まらない止観で、感じ、受け止め、考え、行為済んだことを思い出して反省してみてどの部分を変えればいいのか直接的な行為を改めるか心の流れを変えるか厳に戒めて行為を変えればその結果心も変わってゆく良い癖はユーモアに悪い癖は抑制すること無意識にやっているのが癖で、気がついて注意していても出てしまうもの、逃げてもついてくる、相手の立場に立って考えても出てきてしまうもので人に不快感を与えて自分に返ってくる。業、カルマもそういうもので宿命的について回り無にはできないものだろう。運命は変えられるが宿命は変えられない。この世は可変でこの人生の途上で変えてゆくしかないのだという。あの世は不変で宇宙の星のようにいつも同じ軌道を回っているように、心・魂・霊魂の意識の刻まれたものは不滅だと言われている。前世からの宿題のようなものや意識に潜在するものを思い出すために生まれてきているという。この世でしか変えることが出来ない、段位を上げることが出来ないのが魂の品位だという。この忍土の世は思い通りに成らない世で苦が多いところで、仕組まれた障害や試練を超えて自分を整えて行くしかないところだという。四苦八苦をどう越えてゆくか、忍辱・にんにくしてどんな気付きを得るか、体験でどんな智慧を身に付けるかなのだろう。 2026年3月15日 琢
2026年03月15日
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感謝、反省、敬意人は忘れることが多く常に励行すべきこと振り返って確かめることかけた迷惑の気付き至らなかった自分を恥じて時と共に体験したこと自分を整えておくこと時を逸したことへの償いは今後の戒めとして心深く刻んでおくこと恩恵はまわりまわって返って来る未熟さ、至らなさは気付いた時から正しておく素直に、謙虚に自己正当をせず出会い、出来ごと、事態が必然的に教えてくれる何でも体験しておくことで、学んだことの実践から身に付ける智慧が有る。智慧と知識は違うもので、ただ博識も良いが、自分のものに成っていず、実践体験することで成ったもの、超えてきたものにしかわからない智慧を得ることになる。その智慧が未来を開いてゆくもので、気付かないうちに自助に成っていることも多い。救われてきたこと、守られてきたことは恩恵に恵まれてきたことで感謝を忘れず、回顧反省しながら自己の改善に努め、教えてくれた関わりに敬意を表することを怠らないことだろう。かけた情けは水に流し、受けた恩は石に刻むこと、人との交流の場に臨めば必然的に与えられる出会い、出来事、事態が有って、そこに良き縁を感じることで自己の深化成長の元に成ってゆく。助力、協力の恩恵に報いようとする心が湧き出してくれば、人としての本当の歓びを知ることになるだろう。自分の居場所や生きがいを見つけられることにもなり、為すべきことが観えて来ることにもなるだろう。そこに必然の道が観えて来る。 2026年3月14日 琢
2026年03月14日
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燃焼し切ったのか燃え残りはもうないのか不完全燃焼が残っていないか出し切っていなかったような気がして歳を考えてみれば強い意志はもう通り過ぎていったのかこのままで良いのかいまさらと思ってしまうが可能性は見えないところに残っている奮起を促してまだ挑む気を高めてゆく過信ではなく未燃焼の部分魂はそれで満足出来ていない召されるときがわからず燃え尽きるまで行こうと今を明るく機嫌よく行けるところまで行こうともう馬鹿になるしかないのだろう過信や妄想に走っているわけではないが、このまま終わっていいのかという気がどこかに有って、共有、共振、共鳴、響働の仲間がどこかにいるような気に成ってゆく。まだ思い出せないことが残っているかもしれないと自分に言い聞かせながら日々を過ごしている。もういい加減足手まといだよとどこからか聞こえてくるような気がするが、まだ自分を捨てたくないという気がどこかに残っている。この世での歩みはすべて必然のもので、自分の場合10度も救われて、4度のがんを抜けてきたこと、生かされてきたこと、そこにはそれだけの意味が有るのかと思えば自分の能力はこれ以上は出ないだろうと思ってしまう。反面、まだやるべきことができてはいないではないかと責める自分がいる。今となっては自然の流れに沿うしかないと思っている。人の世は 必然の道 天の道 歩むべき道 辿るべくして山下清展で浮かんできた言葉だが、お前にはまだ卒業免除は出せないと言われているように思ってしまう。唯識を学んだからと言って、思い出す意識はもう無いと思う反面、すべてが中途半端だったのが気にかかっている。 2026年3月13日 琢
2026年03月13日
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とらわれに引かれると急く心と焦りで周りが見えなくなるせっかちは自分の都合だけで短慮で行き届かず心を乱すことになる待つことの大切さ間をおいてみれば我に返ることになり冷静に成ってゆく正常な判断をすること急いては事を仕損じると云う思考をひろくすることで見えなかったものが観えてくる末路を考えてみることで思い留まるようになる気が急く時は抜けが多くなることが多く、見えるものが観えなくなってゆき、自分の都合だけを通そうとしてしまう。場の空気を読むことが大切で、せっかちを戒めて間をおいてみることで冷静に成ってゆけば、焦ることが無くなって穏やかな心に成ってゆく。周りが観えなくなることは危険なことが多く、分相応や足るを知ることさえできなくなってゆく。急くとらわれが孤立を引き寄せて思うような結果を引き出せなくなってゆく。末路を考えて踏みとどまるように心掛ける必要が有る。重心を丹田に落とすことで何ごとにも動じることが無くなって冷静に適切な判断が出来るようになってゆく。多くの体験を積むことで身に付けた智慧が転ばぬ先の杖に成ることが多い。与えられた現実を素直に受け止めて本来の自分に返ることで場の空気を壊すことなく、悔いが少なくなってゆき、周りへの配慮が出来るようになってゆく。 2026年3月12日 琢
2026年03月12日
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心が行為をさせる見るもの、表情、態度、言葉言うことも言わないことも心からの指令が有って人はそれを観ている見ている自分、見られている自分試されている自分苦に感じる元は自分の心に有り認められ、理解されることは恩恵に成る恵まれた恩恵に感謝して報いようとする心が自他の歓びに成る感謝を伝えれば温もりが返ってくる施す心が徳積みに成る一日一善の心掛けすべて善意で解釈して暗い考えを捨てることで明るい返事が返ってくる。心は光を観れば輝き始めるが、闇に入れば不安と恐怖感に覆われて、耐えられないものから崩されてゆく。人生には四苦八苦が有って苦を感じることからどう明るい自分に持ってゆけるかで深化成長の段階に違いが出来てくる。真念に揺るぎが無ければ中心軸が動くことが無く、何ごとにも動じることなく明るい光に向かうことになる。障害や試練は自分を整えるための呼びかけで超えることで強靭な精神力を培うことになる。必要なのは、強い意志、しなやかさ、明るさ、持続性を維持する自分で、自分との葛藤に負けないことだろう。甘い方に向けば楽な方を選択して成長の段階が低いものに成ってしまう。誰もが救われ、守られて生かされるのは何故かを思ってみること、その恩恵に感謝を怠らないことだろう。次の段階では報いようとする心が芽生えて善我を育み、他の為に尽くすようになってゆく。そこに本当の歓びが有って生き甲斐を感じ始めれば、そこが自分の居場所に成ってゆくだろう。一日一善の心掛けを積むことで充実した人生に成ってゆく。 2026年3月11日 琢
2026年03月11日
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自然の摂理はものの道理を教えている共生のしきたり、ならわしすべてのものに意味が有る躾は体に覚えさせる智慧どの地にも通じるもの共有、共鳴、共振するもの行為に規範が有り生き方、在るべき姿の原点人としての在り方既に魂の意識に刻まれている有るがまま、在りのままに自然体での歩み方どの時代にも通じるもの変化の流れに従うものそれを学びに来ている自然界に生きとし生けるもの、動植物と人の共生する世界には自然の摂理が有る。すべてのものに意味が有り、役が有る。無限に続く有限のものの輪廻は時代の変化にも通じるものだろう。すべてを生かすものが愛なのだろう。太陽、大地、空、海、川、山、泉、風、火、月、植物、動物、人の関わる世界、宇宙が何億個も有る大宇宙の中の一員として守られ、生かされている。有漏、無漏、うろとむろで意志と煩悩の有無で区別している。その輪廻には一定の摂理、原理、原則が有って仕組みやならわしがどの地にも流れているのだろう。あの世・実在界からこの世・現象界、不変から可変への輪廻が繰り返されている。明るい世界と暗い世界でどう生きてゆくかが試されているのかも知れない。一個の人間の中にも宇宙が有って、魂と心、体、無限と有限が有る。永い輪廻を思えば有るがままに、在りのままに生きることなのだろう。すべてが他の為に守られ救われて生かされている。 2026年3月10日 琢
2026年03月10日
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必要なのは自分の判断基準いつどんな時に何を選ぶか自分に何をしてくれるかでなく自分に何が出来るか相手から何をしてもらうかより相手の立場に立って考え何をどう期待されているかそれに応えられる自分であること嬉しさはそこに見つかるもので相手の歓びに満足感が有る他の癒しに成ること温もりを与えられること救いの恩恵に感謝して恩返しができることそこに生き甲斐を感じてそこが居場所に成ってゆく役に立つ自分に自信が湧いてくる自分の努力に何の手応えも感じられない時の虚しさ、せっかくの善意が空回りをしているときに自分が何を求めてきたかを考えてみること。愛、善意の押し付けや恩着せをして、相手には有難迷惑に成っていたのではと反省することが大切だろう。求められていない善意を押し付けることを戒めて、肝心な時にそれが出来ていないことに気が付くことだろう。手応えを感じるときの歓びや満足感は役に立った自分に自信が湧く時で、さりげなく自然な形で他の為に尽くしてその歓びの顔を観るときに報われた気がしてくるのだろう。癒しが出来ていること、真心ののぬくもりが伝わったときに本心からの歓びを感じ、それを生き甲斐に感じるとき、そこが自分の居場所に成ってゆく。自分の使命を果たしたような気がしてくることで心の満足が得られるのだろう。 2026年3月9日 琢
2026年03月09日
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すべてはとらわれで好奇心を充たし夢や希望に向かって歩みだす失敗の原因を正して至らない部分を整えてゆく善と悪のとらわれが有る不安、恐怖感に覆われるのも妄想や錯覚状態になるのも傲慢、高慢になるのも恋や愛もとらわれに成る人はとらわれに固執して分岐点の選択をするかたよらず こだわらず とらわれず ひろく ひろく もっとひろくこれが般若心経 空の こころなり 奈良薬師寺故高田好胤師雑念はとらわればかりで瞑想の邪魔に成ってゆく。誰にも円環的思考が有って夢や希望の具現化に向かう選択の時も迷いの中で不安、恐怖感に覆われてしまう。四苦八苦【生老病死、愛別離苦、求不得苦、五蘊盛苦、怨憎会苦】の出遭いは必然の仕組みでその苦を超えることで自分を整えてゆくことになる。障害や試練は必然の呼びかけととらえて超えてゆくことだろう。逃げていては何も始まらず常に挑戦を重ねてゆくことで出来ることを増やしてゆき、その自分を使って他の為に尽くすことから本心・魂の歓びを知ることになる。超えるときに必要なのが気力で大きな病を超えるのも気力だろう。人は気力が失せれば立つことさえできなくなってしまう。その為には強い意志、しなやかさ、明るさ、持続性を保っておくこと。何ごとにも動じることなく揺ぎ無い信念と共に前向きに成ることだろう。救われた恩恵に感謝して報恩に向かえば、為すべきことが観えて来る。 2026年3月8日 琢
2026年03月08日
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心の至れる領域は人それぞれで魂によって領域の違いが有る現象感と霊性感そのバランスの取れた領域にもそれぞれの魂願の違いが有る如来や菩薩の領域は常人では至れない領域で自分の魂の意識さえ思い出せない常人そのすべてを観ている眼には見えないもの線香や蝋燭で観える領域も一転生一条件の領域を超えてすべてに共通する悟りは不可能だろうだから何度も転生して来るのだろうほとんどの人たちは自分が何ものでどのような使命を抱いて生まれてきたかが分かっていない。魂の意識の蔵に刻み込まれて潜在する意識を思い出そうとして生まれてきているのだろう。日々の取り組みで自分を整えてゆく努力を重ねても晩年でしか潜在する意識の一部分しか思い出せない転生を重ねている。いたるところに生まれ育っても意識に記憶され刻み込まれた魂の願いのすべてを思い出すことが出来ないだろう。六根・眼、耳、鼻、舌、身、意の六識にマナの七識、アラヤの八識に刻まれてきた意識を思い出すことが出来ない。ああ体験で、ああこういうことだったのか、そういうことだったのかの一部分を思い出せば上出来だと思うしかない。奈良薬師寺の高僧の唯識の講演を、玄奘三蔵さんの唯識を何度聞いても思い出せない意識が有ることだけはちんぷんかんぷんでも分かったような気がしている。梵語・サンスクリットを学ばなければだめなのかと思ってしまう。バラモンは克己が出来たものでお釈迦さんでしか至れない領域が有るのかも知れない。それでもあの世から転生して来るのは何十億年か先に至れる領域を求めて行じるしかないのだろう。弥勒菩薩は56億7千万年後に下生して来ると言われている。天上界では既に如来に成っているという。 2026年3月7日 琢
2026年03月07日
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独占欲は煩悩の一部だが分かち合うべきものを独り占め種族保存の本能自然の摂理の一部でもある自己満足を充たすもの所有することは一時的満足欲は際限の無いものだが無くてはならないものでもあり抑制すべきものでもある煩悩、カルマは誰にも有るもので束縛、繋縛になるものでも強弱の存続の意味が有るある程度の縛りは心地よく強すぎれば反発するかけた情けは水に流せ受けた恩は石に刻めこの言葉は長野県善光寺の石碑に書かれたものだが、かけた情けは恩着せや押し付けをせずにさらりさらりと受け流しておくべきもの、救いや助けに恵まれた恩恵は一生忘れてはいけないものだということだろう。感謝して報恩に向かう心が人としての人情でもある。所有欲は一時的なものだが独占欲は一時的なものと永遠で有って欲しいものでもある。血筋は清らかなものであってほしいと思わせるのが種族保存で本能的なものが有る。20世紀の三毒と言われる見えるものだけを信じて欲しがるもの、とらわれるものが唯物的、刹那的、利己的な心だが、すべては見えないものから始まっていることのわきまえが必要だろう。人生の目的はお金や物を獲得することではなく、穏やかで明るくしなやかで強靭な精神力を培って何ごとにも動じることなく、揺ぎ無い不動の心に至る道を行くこと、心眼を開いてすべてを見通す心・魂に至ることだろうと自分は思っている。 2026年3月6日 琢
2026年03月06日
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虹や玉虫は美しい色をしているが玉虫色と言えば本心を明確に出さないこと本音と本心の違いのように本音はその場その時に動く心本心はどの状況下でも変わらない心カオスはどうなるかわからないもの色即是空 空即是色は心の状態で有るものは無にはできず有るものは出てしまうもの隠しても消せないもの心・因は行為に現れその反応が現実に成っている無に出来ないものは変えることが出来る変えられるのは自分の心だけだろういつも思うことは何で自分ばかりにこんな仕打ちが与えられるのかと神仏を恨み、親や親族に拗ねて、自分を棚に上げていることが実に多い。この世は現象界で自分が心で行ったことへの反応が相応に返ってくるもので、自分は悪くないと思っていても受ける相手には酷いことであれば、その仕返しが与えられることに成って、それが与えられた現実に成っている。どんな結果にも相応の原因が有るもので、その原因を正さなければ自分が期待する応えは返って来ないだろう。因・心の中に有るものは無にはできず、抑えても出てしまうものだろう。失敗はそういうときのもので必ずある原因・元を正さなければ思うような結果を与えられない。人の心は変えられないが自分の心を変えることはできるもので、自分の心を改善して整えてゆくことで認められ理解されるようになってゆく。火の無いところに煙は出ないというが因縁の無いところに果報は生まれないというのが因縁果報ということだろう。 2026年3月5日 琢
2026年03月05日
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よく気が付く人は善我を育んだ人で日頃思いやりや気配ができる人相手に立場に立って考え適切な配慮をする願いの誓願を立てるときいけない心を戒めて善行の取り組みをする体験で身に付く智慧の共有をし常識の違いを受け入れて赦す心で和を広げてゆく感謝、反省、敬意と報恩に努め人を変えようとせずに自分を変えてゆく強い真念と共に戒めと心掛けを励行する夢や希望の願いを持てば、まず思うべきことは誰もが願いに向かっていることへの配慮を考える。人の基盤は生い立ちや育ちと魂の影響を受けていてその常識に違いが有ることを視野に入れて歩んでゆく。その心の領域は広がってゆくものでその常識の違いを受け入れて赦す心を培ってゆく。その思いやりや気配りが和を広げてゆくことになる。先を行く人は常に感謝、反省、敬意に努めながら守られ、救われる助力や協力の恩恵に感謝を忘れず、それに報いようとする善我を育んでゆく。信念の間違いを正し、既成概念に縛られず、過去の失敗の修復をしながら素直で謙虚な心で現実を受け止めて責任転嫁をせずに自分を整えてゆく努力を重ねている。その積み重ねから好転反応に恵まれて深化成長をしてゆくことになる。視野を広げて大局的見地に立つことで全体を見渡すことが出来るようになって全体の流れを把握することが出来てゆく。そのような自分に成りたいと常に努力を積み重ねている。準備なしに整うことは無いだろう。 2026年3月4日 琢
2026年03月04日
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業は心でする行為すべて心が決めるその結果が与えられた現実になる自業自得、因縁果報、悪因悪果その法則は因縁果報で因縁有るところに果報・結果が生まれる外見・表層だけでなく深層にはその経緯が入っているそれを洞察することで見えたものが観たものになる失敗は未熟・至らない部分が原因で心の状態が現実を生み出す過去の因を知らんと欲さば現在の果を観よ未来の報を知らんと欲さば現在の業を見よ自分は不運だとかついていないと思ったりする人が多いが、神も仏も有るものかと拗ねてみても、自分がやった結果与えられた答えが今の現実に成っている。自己正当化や言い訳は無意味なもので、自分がつくり出した結果の原因を正すことが無く、逃げれば深化成長が止まってしまう。自分は悪くないと思う人が多いが、どんな理屈を重ねても現実が変わらない。素直に謙虚に現実を受け止めてその原因を修復しておくことで失敗が少なくなってゆく。自分の至らない部分を整えてゆくことが歩むべき道ということになる。すべてが至るための準備ということが出来る。怠惰に栄光は無く、準備なしに整うものは無いだろう。与えられる障害や試練は弱点克服のために仕組まれた必然の呼びかけと思って超えてゆくことだろう。逃げれば何度も同じ過ちを繰り返すことになるのがこの世の常だろう。素直に現実の原因を受け止めることから好転作用が始まってゆくのだろう。 2026年3月3日 琢
2026年03月03日
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人の運命はその場その時の瞬間ごとに変化している信号一つで景色が変わる選択と共に変わってゆく親子、兄弟で遺伝子は同じでも魂は別もので何を好み、選択するかわからない皆光に向かうしかなく願う未来に向かってゆく目的ごとに道が有るもので自分を整えながら歩んでゆく悔いの無いように満足感を求めて紆余曲折が有っても理想の中心軸が有る世の流れ、現実を観て修正してゆく人は肉体舟に魂が乗っているもので、親、兄弟で同じ遺伝子でも魂の願いは違うものを求めてゆく。親は子に自分の夢を託して命名してその道を歩ませようとするが、子には子の魂が有って別に潜在する意識を持っている。前世でどんな課題を残してきたか、どんな宿題を背負ってきたかは親子、兄弟でも違うものを背負って生まれてきている。子が思うようにならないのは自分の過去を振り返ってみれば気が付くだろう。誰にも恩着せや押し付けはしないこと、個性と自由意思に任せて見守ることが親の仕事だろう。自分がそうだったように束縛、繋縛は手かせ、足枷のように強いほど反抗することになる。あまり重い期待を背負わせないことだろう。出来たことを誉めて自信をつけさせることが重要なことだろう。同じ血が流れていようと魂はそれぞれ違う宿命を背負っていることを理解することだろう。意識を軽く見ないことが大切なことだろう。 2026年3月2日 琢
2026年03月02日
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少年よ、大志を抱け人には目的が必要で志はその方向性を示す願いは大きい方が良く大きな岩石も下流では円い小石になるように至るには整えること角をとってゆく度に小さくなる初めから小さくまとまらないこと器は大きくすること入れものを大きくすれば容量が多くなる知識も実践で智慧に成る多くの知識で論ずること体験で身に付けた智慧では説得力に違いが出る障碍や試練を超えることで迷いが少なくなり強い意志を持つようになって不動の自分に成ってゆく心は常に変化しているもので、見えるものだけを信じることから見えないものを観ることでとらわれることが違ってくる。発想の転換で生み出すアイデアを製品にしたもの、出来上がったものを手に入れようとするとらわれは唯物的、刹那的、利己的に成って間違った目的に向かうことになる。すべてそこに至るまでの見えない過程が大切で、見えるものだけを信じて追いかけるから人生の目的を間違えてしまうことになる。この世に何をしに生まれてきたかを想えば、未熟な自分・仮我を整えて行くことで心・魂の領域を大きくしながら修正してゆくことから本心からの満足を得ることになる。自分で作り上げてゆくものが人生の目的に成ってゆく。みんなで分かち合うべきものを独占することが目的にはならないだろう。至らない自分をどう整えてゆくかの過程が大切なのだろう。克己をして不安、恐怖感を超えてゆくこと、自分の甘さに負けないこと、楽で安易な方向に行かないことが定めなのだろう。 2026年3月1日 琢
2026年03月01日
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