僕はそれを、始めたばかりのツイッターで知った。
上杉隆のツイートを見ていたら、タリバンの有力者に面会するとつぶやいた後常岡氏が消息をたったことが出ていた。
それで常岡氏のものを見ると、確かにこれから会うと言う緊張感漂うつぶやきがあり、その後ぷっつりと消えている。
TVでも報道され、大変なことになったと思っていたら、いつの間にか表に出なくなり、もっぱら上杉隆や江川詔子が心配のコメントを流すだけだった。
それが9月になってようやく消息がわかり、解放された。
この間は政府機関とマスコミの協定で、ゲリラとの交渉と言うデリケートな問題なので報道規制が敷かれていたのだと思っていた。
解放されたからには、どっとニュースが出るかと思ったのに、たいした扱いにならない。
僕はラジオで常岡氏自らの事件のあらましを聞いたのと、地方局のTVをユーチューブで見ただけ。
大手のメディアは追わなかったようだ。
考えてみれば、民主党政権は対外政策にまるで無知であり無力、なおかつメディアも崩壊寸前の迷走状態なので、何も語れないのだ。
この様子を見て、政府とメディアにある"トラウマ"が染み付いているように思えた。
2004年に起きた、「イラク人質事件」だ。
ボランティア活動家の30代女性とフリーカメラマンとジャーナリスト志望の少年が、危険地域とされるイラクに入国し、武装集団に拉致され、日本政府が身代金を取られたという事件だ。
身代金云々は公表されたわけではない憶測なのであるが、この後に起こった『自己責任バッシング』にはおおいに影響を与えた。
2004年に頭を戻して考えると、当時の僕は、小泉純一郎の政策に概ね賛成だった。
今思えば間違いだったと思えることも多々あるが、あの時は僕が総理だったとしても同じ決断をするだろうと思っていた。
イラク派兵も致し方ない、なぜなら日本は北朝鮮問題を抱えていた。
イラク問題は北朝鮮問題だった。
アメリカに従う他、選択肢はないように見えた。
政府としては、自衛隊の撤退を要求したゲリラに捕まった3人の行動は反政府行動に写っただろう。
日本国民の多くも、何でこんなときにそんなところへと奇異な感情を持った。
救命を訴える家族の主張も、自衛隊撤退をとまで言われると、勝手な言い分に聞こえた。
そこに身代金の噂が流れ、バッシングムードが沸騰した。
バクダッドで解放され喜びにはちきれる彼らと、日本に帰ってきてひたすら神妙に謝りつづける彼らの落差に悲壮感すら覚える。
彼らは自分達が人質だったことを解放の一日前に知った。
日本がこんなに騒いでいるなど夢にも思わなかった。
30代ボランティア活動家女性と報じられた高遠菜穂子は、帰国後思いがけぬ『自己責任バッシング』の責めに、生きて帰ってきてはいけなかったのかと自殺まで考えたと言う。
「イラク人を嫌いになれません」
「またイラクに行きます」
という発言に、水に落ちた犬に石を投げつけるような批判が容赦なくぶつけられた。
もともと『自己責任』というタームを使ったのは、当時経済産業相の中川昭一だ。
ご本人はこの後、G7での酩酊会見の自己責任で落選し、昨年失意の中に急死してしまう。
イラク戦争自体も、オバマ大統領によって間違いであったと認められ、アメリカ軍も撤退を急いでいる。
訳もわからずバッシングしていたメディアも国民もあのことはすっかり忘れ、検証も反省もなく過ごしている。
人質になってバッシングを受けた3人はというと、道はそれぞれだが今も世界の弱者のために活動を続けている。
『愛しているって、どういうの?』は、人質の一人、高遠菜穂子の事件に巻き込まれる前の著書である(2002年)。
何故、彼女がイラクへ向かったのか、謎の解明になるともいえる。
30歳になって、独身で現在恋人もいなくて、6年も続けてきた店を閉めて、インドに行くって?なんでそうなるの?
そんな問いかけに私は「夢だったんです」と答えることにしている。なんだかうまく説明ができないし、話せば長くなってしまう。だから、一言で答えることにしている。でも、私自身なにかしっくりこないのがホントのところだけれども・・・
30歳で高遠は人生のハンドルを大きく切る。
理由は『夢』だという。
これから起こることの重大さを思えば、夢でいいの?、と声を掛けたくなるが、人生の明日など見えないものだ。
27歳の時、世界を飛びまわっていた友人が私をベトナムに誘った。そして、ついに私は自分に最も欠落しているものを知ることになったのだった。友人は、様々な事情でストリートチルドレンとなった子どもたちをうけいれる"子どもの家"に私を連れて行ってくれた。アジアの純真、ベトナムのストリートチルドレンとの出会いは私を大きく揺さぶった。
子どもが愛したいと思うのは親で、愛されたいと願うのも親だとすれば、この子どもたちはその存在を失ってしまったのだ。なのに、笑顔。優しい、笑顔。そして、それは私を癒した。
高遠の出発は、自分探しだった。
カルカッタのマザーハウスで祈りを捧げ、サイババのメッセージを受け、ダライ・ラマを待つ。
精神世界に憧れる人ならゴールデンツアーとも言えるミーハー旅行だ。
その後、タイへ、スリランカへ、チベットへ、ネパールへと女一人旅は続く。
女ならではの危険な目に遭いながらも。
マザーテレサの「傷つくまで愛しなさい」という言葉の意味を求めて。
自分を好きになると、他人にやさしくなれる気がする。逆にやさしくできないと、自分が嫌いになったりする。それでも、以前よりずっと自分のことが好きになっている。それは、自分のことをあれだけ色々な状況に放り出してきて、最も肝心なことに最近になってやっと気づいたから。
"愛"、それは、モノもカネもアソビもお腹いっぱい状態まで堪能して、これじゃヤバイって思って"買った"ちっぽけな苦労を通しても、わからなかったものだ。自分を知りたくて、自分を好きになりたくて、愛したくて、愛されたくて・・・。もがいた末にわかったものが、自分に最も欠落していて、最も求めていたものだった。
おとなしくこの経験を生かして、国内のボランティア活動をする道もあったはずだが、一時帰国後、彼女は再びインドを目指す。
私は、マザーハウスで奉仕活動をすることを目的に来た。もう10ヶ月が過ぎようとしている。
"困っている人を助けたい"という気持ち、それがこの活動の原動力となっている。それなら、施設に向かう途中で倒れている人を見かけた時、私は何をすべきなんだろうか?
単身インドに渡り、西も東もわからぬ状態でマザーハウスを探している人に出会った時、私は何をすべきなんだろうか?
日本とはまったく違った環境の中で、貧困や病気に苦しむ人たちと触れ合った時、私の中で何かがものすごい勢いで崩れていく音を聞いた気がした。
マザーハウスでのボランティアワークを予定より早く切り上げたのは、インドに嫌気が差したわけでも、マザーハウスにうんざりしたわけでもなかった。ただ、私には限界だったというだけ。
"シスター"という響きの中に何か"絶対的な聖域"のようなものを連想してはいけない。すべては人間が引き起こしているのだということを受け止めなければならない。そうしなければ、前へはすすめない。心がかき乱され、沸き起こる怒りの波に自分が呑み込まれていくようだった。今の私には、その現実を落ち着いて受け止めることは難しかった。だけど、絶望したわけではなかった。
マザーハウスでのボランティア活動の中で、高遠はとらえどころのない壁に突き当たる。
それは人間関係であったり、理想と現実のギャップであったり、もっといろいろな世界をみなければという焦りもあった。
次に彼女が試練の地に選んだのは、タイ・バンコクのエイズホスピスだった。
この地でより深く"死"に直面する。
様々な感染症が、身体を文字どおり蝕んでいっているのがよくわかる。
やせ細った身体は自分の体を支えることもままならず、寝たきり状態や薬の副作用などで強ばった筋肉や骨の痛み、頭痛、胃痛、苦しい咳で、ますます体力は消耗されていく。そしてほとんどの人がだんだんと食事もごくわずかしか喉を通らなくなっていき、数滴の水で喉をしめらすことさえ難しくなっていく。HIVに感染していなければ、なんでもない病気の数々に太刀打ちできないまま、彼らは今ここにいる。
ここは"駆け込み寺"だ。都会には大きな病院もたくさんあるはずだった。だが、差別と偏見によっていることができなくなって、半ば家族に見放されてここに来る。息絶えるその瞬間に家族を見かけることはまずない。夜中にひっそりと呼吸を止める人も多い。
"死"よりも悲しいもの、それは死に向かう時の孤独だと、おじさんの背中を見て思わずにいられなかった。
その次に彼女はカンボジア・プノンペンに移動する。
次々と過酷な場所へ引き寄せられるのは、ボランティア活動家の習性なのだろうか。
プノンペン市内にあるトゥールスレイン博物館は元々学校だ。だがポルポト派はそこを恐怖の館にしてしまった。校庭の処刑場、狭すぎる独房、手かせ足かせのついた鉄のベッド、床に残る血痕、壁にかけられた拷問死した人の写真、捕らえられた罪なき人々の何千にもわたる顔写真、拷問の様子を描く絵の横に並べられた実際の拷問道具。狂った者が飛び降り自殺しないように張り巡らされた鋭い金網。そして、大量虐殺されたキリングフィールドには、掘り起こされた無数の骸骨が積み重なっていた。周囲を歩けば足元には骨が転がっている。今までたくさんの博物館を見学してきたが、涙がとまらなかったのはここが初めてだった。
簡単に人を殺せてしまう、簡単に人身売買ができてしまうというカンボジアの人の心が、いちばん悲しい傷跡だと私は感じていた。人を殺して御褒美をもらっていた少年兵士が、内戦が終結すると今度は殺しちゃいけないと言われる。なぜ殺しちゃいけないかがわからない。命の尊厳を教えることさえままならないのだ。
カンボジア滞在中に9.11が起きた。
平和は作るものではなく、その意味を知ることだと、私はインドで気づいた。平和は国家が築くものじゃない。人間一人一人が、一人一人生きていくことなんだと思う。淡々と生きていく、自分を探す人生を送ることが、そこにつながるんだと思う。怒りや憎しみは、自分以外の人間を自分だけの物差しで計るから沸き起こるんだと、私は知った。人間である以上、それを抑えることなんてできないかもしれない。だけど、湧き起こる怒りや憎しみをあふれさせてはいけない。爆発させてはいけないんだと思う。
私は報復に賛成、反対というより、戦うことに反対する。報復がさらなる報復を呼ぶだけであった、何もいいことはないと本当によくわかったからだ。カンボジアは、そう私にはっきり気づかせてくれた。
アメリカが報復攻撃を始めた日、朝7時に起きてニュースを見ながら私は号泣した。それは、頭で考えて出た涙じゃなかった。それはどうしようもなくあふれる私の魂が泣いていた。心が泣いていたのだ。それが私だ。今まで自分が経験したすべてをもって言えること。それは人を殺すことに正当な理由はない、正義はそんな時に使うことばじゃない、私の魂はそう叫んでいる。
近藤誠著『「健康不安」に殺されるな』 2023年04月15日
ダニエル社長著『コロナと金』 2022年09月27日
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