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この広い野原いっぱい
作詞:小園江圭子 作曲:森山良子
この広い野原いっぱい 咲く花を
ひとつ残らず あなたにあげる
赤いリボンの 花束にして
この広い夜空いっぱい 咲く星を
ひとつ残らず あなたにあげる
虹に輝く ガラスにつめて
この広い海いっぱい 咲く舟を
ひとつ残らず あなたにあげる
青い帆に イニシャルつけて
この広い世界中の 何もかも
ひとつ残らず あなたにあげる
だから私に 手紙を書いて
手紙を書いて
手紙を書いて
フォークの女王森山良子のデビュー作です。
昭和42年1月の発表で、翌2月にザ・タイガースが『僕のマリー』でデビュー、さらに3月にはブルーコメッツがグループサウンズ最大のヒット曲『ブルーシャトウ』をリリースしています。
なんとなく印象では、グループサウンズの爆発的流行の後を受けてフォークソングブームがやってきたと思っていましたが、二つの山はほぼ同時に世の中に現われたのでした。
日本のフォークソングの草分けとされる、マイク真木の『バラが咲いた』は前年の41年だし、フォーク・クレセダース『帰ってきたヨッパライ』も42年で、フォークの神様岡林信康の『山谷ブルース』によるデビューは翌年の43年でした。
僕は自分のことをグループサウンズ世代から遅れをとったフォークソング世代だと思っていましたが、改めて年表にするとふたつのブームは同じ時期に芽吹いて、最盛期にズレがあったのですね。
森山良子は、今では森山直太郎のお母さん、あるいはお笑いコンビ"おぎやはぎ"の小木博明の奥さんのお母さん(ややこしい)という存在かもしれません。
従兄 妹 関係が有名でした。
フォークの女王と呼ばれていましたが、本人はジャズ志向でフォークソングでデビューすることに難色を示していました。
それでもレコード会社に拝み倒されて、パイロット版を録音するのですが、本人の承諾なしに売り出してしまったのです。
それがヒットしてしまうのですからめでたしめでたしなのですが、当時のレコードバージョンを聴いてみると少し声がおかしいのです。
プロになって歌いこむうちに、声が変わってしまう歌手もいますが、これはそうではありません。
あろうべきことか、レコード会社が勝手に録音した回転数を落として、つまりテンポを遅くしたものを作って、それを発売してしまったのです。
当然キーも下がり、森山良子の澄み切った声がくぐもって聞こえます。
どんな意図があったか解りませんが、この声が初公開された声になりました。
そのの声はこちらー
森山良子はこの後、『ふたつの手の思い出(♪ふ~たつの~手をにぎりあい~』『今日の日はさようなら(♪い~つまでも~たえる~ことなく~と~もだちで~いよう~)』『愛する人に歌わせないで(♪もう泣かないで~坊や~あなたは強い子でしょ~)』『雨上がりのサンバ(♪い~つのま~にか~雨が~あがった~)』とフォークソングの名曲を立て続けに発表し、深夜放送にどっぷり使っていた僕の耳を釘付けにします(あ~心がタイムスリップするな~)。
しかしこれらは深夜放送ファン限定で、TVで聴かれることはほとんどなかったと思います。
深夜放送はその名の通り、深夜0時以降明け方までの時間帯で、起きているには結構つらい時間帯です。
残念なことに、勉強のお供に聴いていたわけではなく、本当にラジオが好きだっただけなんです。
ひたすらじっと聴いていました。
ちなみにあの頃の深夜放送は、TBS・パックインミュージック、文化放送・セイ!ヤング、ニッポン放送・オールナイトニッポンがあり、僕は恥ずかしながらパック派でした。
なぜ恥ずかしいかは、深夜放送についていつか改めて解説したいと思いますが、とにかくこの時代に僕の精神性は深夜放送によって定着していくのでした。
深夜放送マニアのアイドルは、森山良子に始まり、石川セリ、荒井裕実、イルカ(?)、中島みゆきと移って行きます。
そしてフォークソングはいつしかニューミュージックと名を変え、日本の音楽シーンを牽引していくのです。
『この広い野原いっぱい』の作詞の小薗江圭子は、人形作家であり童話作家でした。
当然彼女の作品は絵本が主流で、作詞はしていませんでした。
この曲の詞は、森山良子が銀座の画廊で買ったスケッチブックに書かれていた詩でした。
それに自分が曲をつけたのでした。
森山良子が作詞をした曲には『涙そうそう』があります。
"イカ天(「いかすバンド天国」という三宅裕司MCのアマチュアバンド勝ち抜き番組)"出身のBEGINが提供した曲に、森山良子が付けられたタイトルに自身の兄を亡くした思い出を詞にしたもの。
BEGIN、森山良子双方がレコーディングしましたが、この曲が知られるようになったのはカバーした夏川リミの作品によります。
ビッグアーチストの作品を、無名の歌手がカバーしてヒットしたのは珍しい例ですが、僕も夏川バージョンが一番好きです。
"イカ天"は平成の番組なので、ここで解説することはないと思いますが、社会現象になるほどの一時ブームを起こしながら、登場した800以上のバンドの中で現在も活動しているのはBEGIN以外思い浮かびません。
(ジッタリン・ジンは『夏祭り』『プレゼント』など曲が残っていますが、あとは何かあったかなあ?)
グループサウンズやフォークグループがブームの後、雲散してしまったのと軌道が一致しています。
そういうものなのでしょうね。
話は戻って『この広い野原いっぱい』ですが、この頃の恋のツールは"手紙でした。
恋でなくても、けっこう手紙を書いたしもらいました。
彼女と別れた後も、未練がましく保管していました。
手紙に書かれたことが真実とも限りませんが、文字に残ったものには違う世界が広がります。
今の若者ならほとんどメールが人をつなぐ手段となっているのでしょうが、残って価値があるのは手紙でしょう。
いいな~、手紙来ないかな~。
メールでもいいけど・・・。
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