死んだ男の残したものは
作詞:谷川俊太郎 作曲:武満徹
死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子供
他にはなにも残さなかった
墓石ひとつひとつ残さなかった
死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子供
他にはなにも残さなかった
着物一枚残さなかった
死んだ子どもの残したものは
ねじれた足とかわいた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった
死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残さなかった
平和ひとつ残せなかった
死んだ彼らの残したものは
生きてる私生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない
死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来る明日
他には何も残っていない
他には何も残っていない
作詞の谷川俊太郎は現代日本を代表する詩人で、昭和27年に『二億光年の孤独』で世に出てから、いろいろな分野において新世代の若者のオピニオンリーダーとして牽引してきました。
子供のいる家では、マザーグースとか絵本が何冊かあるかもしれません。
スヌーピーのシリーズの翻訳もしています。
僕の世代では『鉄腕アトム』や『ビッグX』の主題歌は愛唱歌でしたし、最近は『ハウルの動く城』など宮崎アニメでも活躍しています。
映画は『股旅』『火の鳥』『小鹿物語』などの脚本もやっていますし、『東京オリンピック』や『時よとまれ、君は美しい/ミュンヘンの17日』とオリンピック映画の脚本にも名前が出ています(ドキュメンタリーに脚本って何だろう?)。
さらに発見は、校歌の作詞も多く、我が息子の「和光国際高校」もそうでした(知らなかった)。
と解説していて、これで谷川俊太郎を正しく伝えているのか不安です。
中島みゆきも卒論にしたように、とにかく僕らの世代にはカリスマ的詩人です。
作曲の武満徹も短いスペースでは語りきれない天才作曲家で、作品はむしろ海外において評価が高かったようです。
映画音楽やNHK大河ドラマ等の作曲も多く、ただ黒澤明とは『乱』の時に意見の対立から喧嘩になりました。
そんなふたりによる『死んだ男の残したものは』は昭和40年「ベトナムの平和を願う市民の集会」のために作られたものです。
以来日本の反戦歌の代表となって歌い継がれています。
歌っている歌手は、森山良子、高石友也、カルメン・マキ、長谷川きよし、石川セリなどのフォーク(世代)シンガーに倍賞千恵子、竹友正則なども名を連ねています。
この詩の主張は4番の、兵士の残したものです。
ゆがんだ地球とは、冷戦による代理戦争のことだったかもしてません。
昭和40年はソ連の介入により、ベトナム戦争がどんどん拡大していった頃です。
日本の若者は「’60年安保闘争」の燃えカスを、ベトナム反戦運動に継ぎ火し、新たな若者が息を吹き起こし始める頃でした。
ベトナム戦争はその後昭和48年のアメリカ軍撤退で一応の終結を見せますが、その間日本人は佐藤栄作政府こそ基地の使用などアメリカに協力しますが、マスコミも含めみんなベトナム戦争反対だったような気がします。
(一方韓国は、自らアメリカに申し出てこの年(1965年)に派兵を開始、ベトナム特需により"漢口の奇跡"と呼ばれる高度成長を達成しました。
この時の韓国兵のベトナム人虐殺(9000人)などの狼藉・暴行被害は30万人といわれ、両国に禍根を残しています。)
この頃の日本の若者は、ベトナム戦争から平和とは何かを学び取ろうとしますが、もっと根本的に自国の引き起こした戦争に対する検証を深くする必要がありました。
今からでも遅くないので、戦争と言う悪魔の罠に取り込まれないために、正しい心、正しい考え方を持たないとならないのです。
僕がこの歌を始めて聞いたのは誰の歌声だったかわかりません。
いろんな歌手が歌っていて、それなりにインパクトがありましたから。
でも、先週『この広い野原いっぱい』を書いている時、友人の女性の訃報が入ったのですが、その亡骸と対面し、ふとこの歌がよみがえった時の声は森山良子の声でした。
葬儀の時、彼女の妹さんが「白雪姫みたいでしょ」と言っていたように、真っ白な肌で目を閉じたままの友人の顔を見て、死んだ女の残したものは、と声が聞こえました。
でも彼女はたくさんのものを残しました。
おしゃれが大好きな彼女はいっぱい服を買いました。
トールペイントの先生でもあったので、たくさんの作品が壁に飾られていました。
きれいな花がいつも咲いていました。
本当に楽しそうによく笑って、接する人に幸せをふりまいていました。
その人は18年前に子宮頸がんを発症し、手術の予後が悪く、余命半年を宣言されていました。
自宅で療養するうちに奇跡的に復活し、僕が最初に会った時はとても明るい元気な女性でした。
http://plaza.rakuten.co.jp/sontiti/diary/201102180000/
K子さんが、余命半年から奇跡的に回復したのは、自宅に戻りガン治療を止めたからです。
ガンで死亡する人は、ガン細胞の影響で死ぬのではなく、ガン治療で体力を落として死ぬ場合がほとんどです。
今回も定期的に通っていた病院で、ガンの再発が発見され、人工肛門の手術をして、その結果が良くなかったのでした。
手術をしなければガン細胞による臓器の圧迫で死にますが、手術をしても体力の低下、不具合で死にます。
がん治療は、ガンが治るかもしれないけど、寿命は確実に縮めてしまいます。
運が良くて命を取り留めても、治療の副作用で苦しみます。
どちらがより長く、幸せに過ごせるかは、神様にしかわかりません。
選んだ道は、神様の導きだと信じるしかありません。
今起きていることは、すべて正しいのです。
K子さんを喪ったことは残念ですが、不思議と悲しくはありませんでした。
亡くなる一週間前に自宅に見舞いに行き、自分の選んだ道に迷いの無いことを確信したからです。
介護休暇を取った夫と、自分の替わりに仕事にしていた化粧品の配達をしてくれる息子に介護され、今すごく幸せだと言っていました。
死の淵に立って初めて解る"真理"があります。
どんな環境でも、今を大切に、今が幸せと思えるようになることが、人生の到達点です。
ガンに侵されて、人生の真理にたどり着いた人の言葉がここにあります。
『がんになって前向きに生きられる100 の言葉』 萩原英昭
生きていることは奇跡だ。手術後も生かされている自分に感謝しよう。
究極の幸せは、自分だけの満足の世界を超えたところにある。
ひとりでは何も出来ない自分。自分以外のものに感謝。そう気づいた自分にも感謝。
「これで良かった」と言い切れるようになると、人生が一挙に良くなる。
自分で生きているのではない、すべて生かされている自分と思えば感謝せずにはいられない。
何があっても「今、幸せ」 変な人と思われようと、生きていることが喜びだから。
生きてよし、死んでよし、どちらにしても『いい人生だった』で終えよう。
甘えるときは思い切り甘える。喜んで甘えるひとときを味わいつくす。
「嬉しい、楽しい、幸せ、大好き・・・」ネガティブ思考もこの口ぐせで前向きになれる。
「これで良かった」は前向きに生きられる万能の口ぐせ。惜しみなく使い倒そう。
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