夜明けのスキャット
作詞:山上路夫 作曲:いずみたく
ル ル ルルル ル ル ルルル
ル ル ルルル ルルル ル
ラ ラ ラララ ラ ラ ラララ
ラ ラ ラララ ラララ ラ
パ パ パ パパパパ
パ パ パ パパパパ
ア アアア ア ア アアア ア
ル ル ルルル ル ル ルルル
ル ル ルルル ルル ル ル ル
愛しあう そのときに
この世は 止まるの
時のない 世界に
ふたりは ゆくのよ
夜は流れず 星も消えない
愛のうた 響くだけ
愛しあう ふたりの
時計は 止まるのよ
時計は 止まるの
一昨年アメリカのジャズバンド、ピンク・マルティーニとの共演で制作した『夜明けのスキャット』のセルフカバーを含むCD『1969』は、世界的なヒットとなりました。
『夜明けのスキャット』は、由紀さおりの代表曲であり、デビュー曲(再デビュー)であります。
『1969』は世界20カ国以上でCD発売・デジタル配信され、2011年iTunesジャズ・チャート及びカナダのワールドミュージックチャート1位を獲得、坂本九の『スキヤキ』以来の海外でのヒット曲となりました。
ピンク・マルティーニのリーダーでありピアニストのトーマス・M・ローダーデールが地元ポートランドの中古レコード店で偶然『夜明けのスキャット』のアナログレコード盤を見つけ、その透き通った声に魅了されたところから物語は始まったのでした。
遠いヨーロッパで発掘されたそのレコード盤は、昭和44年発売、年間オリコンチャート1位を獲得し、無名の由紀さおりを一躍スターダムへ押し上げた日本の代表的歌謡曲です。
このコラム「昭和歌謡探訪」は、僕の少年時代を"回想"することでアンチエイジング効果を引き出そうというものです。
それで比較的一般に知られていない、個人的趣味のマニアックな曲を選ぶ傾向があったので、ビッグヒット曲は馴染まないのですが、実はこの曲には深い思い出があるのです。
この曲が世間に知れ渡る前に、僕はこの曲を知っていました。
幻想に漂うようなメロディーに、少年時代の僕の心を持って行かれる体験をしていました。
http://www.youtube.com/watch?v=tglhpWdVE68
もともとは、TBSラジオで夜の10時25分から45分までの番組『夜のバラード』のテーマソングだったのです。
ポエムやショートストーリーを朗読する地味な番組でしたが、僕はこの世界に引きずり込まれました。
『夜明けのスキャット』の調べに乗せて、清水紘治のナレーションがかぶさります。
「寂寥の向こうに何があるのだろう
私は確かめたくて夜汽車に乗った
夜明けになっても赤さびた風景の中を
線路はどこまでも続いていた
私の旅はいつ終わるのだろうか」
そして吉田日出子の声が「明治製菓があなたにお贈りする、『夜のバラード』」とつながる、
このタイトルバックがしびれました。
"詩"と言うものに始めて心を動かされました。
特に"赤さびた風景"というフレーズが、僕の生まれて初めて体験する、詩的表現に対する感動でした。
表現と言うより、感性ですか。
なぜこんなに傾倒していったのかと言うと、伏線がありました。
小学6年のとき、読書感想文の課題で選んだ、ヘルマン・ヘッセの小説『車輪の下』に衝撃を受け、以来僕の思春期は苦悩の中にさまよい始めていたからです。
(そういえば、主人公が恋をするのと同調して、僕もクラスの女の子を強烈に好きになったりしましたっけ。今思い出しました。)
特に小説に登場する、ハイルナーという詩人の少年に憧れてしまい、僕は詩人にならなくてはならないのだと何故か思い込んでいました。
さらに『夜のバラード』で度々朗読された「寺山修二」の詩が、暗黒世界に導かれるがごとく、僕の運命を連れ去って行ったのです。
それから真似事で詩を書きはじめ、真似事で人生に悩んで、真似事の自己満足に酔いしれる、そんな中学時代を過ごすのでした。
だから『夜明けのスキャット』を聞くと、あの頃の混沌とした精神の彷徨がよみがえるのです。
しかし内気な僕は、誰にも自分が詩人であると告げることも出来ず、投稿したりすることもなく(『夜のバラード』ではリスナーの投稿詩を読む日もありました)、時間と共に冷静になってくると、自分の才能には詩人の要素があまりないようだと気づきはじめました。
それで、詩人になる夢は徐々に薄れていくのでしたが、一方で『夜のバラード』で朗読されるショートストーリー(ショートショートと呼ばれます)に魅力を覚え、小説と言うものに興味が移るようになります。
詩は書いていても、自己満足以上のものは得られなかったのですが、何となく書いた友人を主人公にしたSF的漫画付き小説がクラスで大うけし、高校受験そっちのけでのめりこんでしまいました。
たしか、アメリカとソ連が冷戦で疲弊し国力が落ちた後、中国とフランスが世界の覇権を争って戦争をはじめるというストーリーでした(何でこんな話を書き出したのかは覚えていません)。
戦争を食い止めようとする国連事務総長が友人のM君で、ラストは何故かみんなにふんずけられて顔がぐしゃぐしゃになってしまうのでした。
そのラストの絵がM君のツボに入り、絶賛されたのでそこだけ印象に残っています。
それから高校に上がり、僕はショートショートを書くようになり、星新一や阿刀田高を目指すのですが、その話はまたの機会に・・・。
『夜明けのスキャット』の作曲は、いずみたく。
メロディーとイントロは、世界的ビッグデュオのあの曲に似ていますが、当初はあくまでラジオ番組のテーマソングとして作ったものなので、似てるというより似せて作ったのでしょう。
僕は誰かが指摘するまで気がつきませんでした。
いずみたくは、当時のヒットメーカーで、TVの学園青春シリーズ(『これが青春だ』参照)や『夜明けのうた』『希望』『みあげてごらん夜の星を』『しあわせなら手をたたこう』『世界はふたりのために』『いいじゃないの幸せならば』『いい湯だな』『恋の季節』・・・そして『それいけ!アンパンマン』。
平成4年、肝不全で死去(62歳)しますが、遺作は病床で口述筆記させたミュージカル『アンパンマンと仲間達』でした。
最期の時の肩書きは参議院議員でしたが、これは消費税強行採決に抗議の辞任をした青島幸男にかわり、比例区の繰り上げで当選したものでした。
作詞の山上路夫はこの時期に幅広く活躍した売れっ子作詞家で、いずみたくとのコンビでは、『世界はふたりのために』や『ハウスバーモントカレー』のCMソングなどがあります。
他に僕のお気に入りソングの中には『翼をください』『私鉄沿線』『ガンダーラ』『ひなげしの花』『学生街の喫茶店』『あの場所から』『瀬戸の花嫁』『許されない愛』・・・それから水戸黄門のテーマソング『ああ人生に涙あり』。
さらに『忍者部隊月光』も初期の作品にありました。
(以前、『忍者部隊月光』の中の"月影"が好きだったという話を書いたとき、自分のおじさんが月影を演じた俳優(渚健二)だという書き込みがありました。
インターネットってすごいなあと感じた事件でした。
http://plaza.rakuten.co.jp/sontiti/diary/200606160000/#comment
人間は、大人になってから世間の仕組みを学び、人間性を築いていくものだと考えがちですが、少年期の何気ない出来事が心身の基本を決定しているのです。
それは“運命”だったと思わざるをえません。
追記*歌詞の「ル~ル~ルルル」の部分は、メロディーを作ったいずみたくが、由紀さおりに適当に文字を付けてと言われて、由紀自身がつけたものでした。
雰囲気に合わせ、ル~からラ~に移り、サビはパ~に変えてしつこくならないようにア~で絞めると一応考えたとのこと。
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