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いつもかわらない二子の弓状のルート。自然の岩場は何年たってもそこに同じルートがあるからいい。「おいしいよー」12cを触ったのはもう2シーズン前。その年は登れず、翌シーズン登るつもりでトライしていたら右肩を痛めた。腱盤(インナーマッスル)を故障し、4ヶ月間クライミングから遠ざかる。以前のようにクライミングができる状態になったのは秋も深まったころ、11月くらいだろうか。「おいしいよー」ってなんだ?ぜんぜんおいしくない。もう登るのを諦めようと思ったこともあった。でもふと気付くと、さんざんやった「おいしいよー」のムーブが頭をぐるぐるまわっている。クライミングをやっている限り、その呪縛から逃れられそうもない。登ってしまわなければ「おいしいよー」病が癒えないだろう。今シーズン、最初はこわごわ登ってみた。怪我したパートのムーブもできそうだった。なんだか一時染み出しがあり、コンディションが悪くなったものの、最近になってバリバリに乾いてきた。先日行ったらコンディション最高で、登れてしまいそうになった。でもぎりぎりのところでスタンスへの足上げを失敗してしまった。いいイメージを持って弓状へ戻ってくる。この日の予報は気温高めで、岩も乾いている。風は冷たいがそう強くはない。1トライ目は動きが固くてパンプしてしまい、上部の穴から先へ動けず。2トライ目、力が漲るように穴のポイントを抜け、8ピン目の、このルート最初にして唯一のレストポイントに達した。もう終了点までは簡単。じっくり休んで終了点まで確実に登る。「おいしいよー」はいったい何回トライしただろう。30回くらいまでは数えていたが、途中から数えるのをやめてしまった。12cとグレーディングされているが、もうそんなものはどうでもいい。「おいしいよー」については博士のように全て知っているし、もう登れたことにしてしまおうかと思ったが、ホントにのぼらなければ「任侠道」のトライの資格は得られないような気がしたし、なにより呪縛から開放されたかった。正直、決して好きなタイプのルートではなかった。でも登れたらやっぱり嬉しい。クライミングはやめられない。
2011.02.07
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しばらく立ち入り禁止になっていた河又の岩場も復活。久し振りに登りに行く。立川山岳会Kのさんと。祝日で天気もよく、たくさんのクライマーが登りに来た。コルネに少し染み出しがあるが、下の方のエリア以外はだいたい登れる。「ムーンビーム」5.9でアップ後、「デンジャラス」11cに取り付く。3ピン目のムーブが解決せず、ヌンチャクがけのあとのトライでいろいろ試す。前日の疲れが残っていて、結局つなげられず。次回持ち越し。Kのさんはグレード更新をかけ「タコ」11b。3便目で問題なくRPし、前回の太刀岡11aに続きまたもグレードを上げた。すばらしい。最後は「サファイア」10dで筋トレして終了。日が暮れるのが早くなって、4時半には暗くなり始め、いつの間にか随分日が短くなった。以前車を停めていたトイレ前は、クライマーには停められなくなり、下の、河原沿いの駐車場に500円で停めることになった。クライマーは皆これを守っているようだが、トイレ前のスペースに停まっていた地元以外のナンバーは棒ノ折のハイカーのようだ。以前の、休日のトイレ前駐車は、クライマーのものと思われていたが、ハイキングの車もかなり含まれていただろう。
2010.11.03
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クリント・イーストウッドの「グラン・トリノ」は公開時から評判がよく、見ようと思って見逃していた映画のひとつだった。ようやくDVDを借りて見た。監督もイーストウッド。頑固じじいと少数民族(モン族)の少年の交流の物語で、小品の雰囲気がただようが、そこはイーストウッドというビッグネームなだけに、それなりの映画にできあがっている。丁寧に人間とアメリカを描いていて、多民族国家アメリカの持つ複雑な背景が反映されたストーリー。民族紛争から逃れてアメリカに移住しても、若者たちは一方でアメリカ文化の悪しき面に毒され、一方でマイノリティの誇りを失うことなく、なんとか順化しようとする。軍人として朝鮮の戦地にも赴いた頑固じじいは、言ってみれば生粋のアメリカ人なのだが、そんなマイノリティのいざこざに巻き込まれ、それをきっかけに心を開くようになる。妻に先立たれた爺さん役のイーストウッドが、「素」なんじゃないかと思えるほど自然な感じでいい味を出している。アメリカのどこにでも転がっていそうな人々が描かれ、それでも、ラストはやっぱり軽い衝撃に映る。なんだかあんなことも、アメリカでは日常的なできごとのような気がするからか。「グラン・トリノ」は70年代のアメリカの名車。アメリカ人の男にとって、車は自分を表現する最重要アイテムらしい。だから、グラン・トリノはつまり頑固じじいなのだ。床屋で交わされるやりとりや、モン族の少年に仕事を紹介するくだりなど、他国の人間にとってアメリカの一種奇妙に映るであろう一面を、イーストウッドは意識して切り取って見せる。そのあたりに、監督として、表現者としての手腕を感じる。
2010.10.31
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「ゆうびん小説」として、一遍が50人に手紙として届けられたという伊坂幸太郎の小説。「バイバイ、ブラックバード」5人の女性とのそれぞれの別れを5編、そして単行本のために書き下ろされたラストの一編。といっても、ロマンチックさはなく、強烈なキャラの繭美が最高。身長180センチ、体重180キロ、粗野で、人の不幸をこの上なく喜びに感じるという女。見るもの、話す相手に対する反応が常軌を逸していておもしろい。どこかマツコ・デラックスにイメージが重なる。粗暴な繭美ではあるが、書き下ろされた最後の一編に至って、なんだか人間味が感じられてくる。本を読むことは単なる時間つぶしでもあるが、なかなかいい時間つぶしになる小説。
2010.10.29
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東京、武蔵五日市の奥にある払沢の滝は日本の滝100選らしい。初めて見に行った。沢登をやる者にとって、多くの大滝を見てきた目で捉えてしまうため、日本を代表する滝にとは映らない。滝を見て車に戻ってきたら、ちょうど昼食にいい時間で、看板に浅間峠に蕎麦屋があることを知る。見晴らしもいいらしい。「車で15分」蛇行する山道を車を走らせる。どん詰まりには車が数台置かれていて、峠の茶屋みたいなのが一軒ある。大岳山の山稜の眺めがいい。しかし蕎麦屋はさらにここから山道を歩いてゆく。5分ほど歩いてようやく行き着いたのが、「みちこ」という山の一軒屋の蕎麦処。桧原村の秘境。苔むした年代モノの水車が回っていて、これは現役で石臼を挽いているようだ。囲炉裏のある伝統的日本家屋の作りで、たいそう高い縁側から直接上がりこむ。客間は床の間のある部屋と、その手前の部屋をぶち抜いて作られ、炬燵が入っている。炬燵に足を入れると、そのまま寝転がりたくなるほどくつろげ、自分のうちにいるようだ。蕎麦は石臼挽きの天ざるを頼む。付き出しのカボチャ、芋や、こんにゃく、フキの煮物が先ずウマい。その上、いつだったかずっと前にたまたま飲んだお茶以来の、なんだかおいしいお茶。てんぷらは山菜で、軽め、蕎麦もいい。外にはなんだか知らないが爺さんが行ったり来たりしていて、その向こうには紅葉が始まりかけた深い山がある。何もかもが懐かしいような、日本の田舎を感じさせる空間。そしてまた、どこかネパール・ヒマラヤのトレッキングをして、茶屋で休んでいる気分になる。囲炉裏の燃える煙の香りが郷愁を醸し出すのだろうか。とくに行きたくて、狙って訪れたわけでもなく、たまたま立ち寄った程度なのだが、期待値が低かったせいか、最高の気分が味わえた。
2010.10.23
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「ロスト・シティZ」とは、なんだかサスペンス・チックなタイトルだが、NHK出版によるノンフィクション書籍。デイヴィッド・グランというアメリカ人ジャーナリストによるもので、20世紀初め頃、アマゾン探検中に消息を絶ったイギリス人フォーセットについてのノンフィクション。フォーセットは、当時北極、南極、エヴェレストといった極点踏査の探検以上に困難と言われていたアマゾン探検の第一人者だった。その困難さは、南極遠征に参加した経験のある者にさえ、フォーセットのアマゾン行で挫折したことからもうかがわれる。フォーセットはコロンブス以降もほとんど現代の文明に触れることのないアマゾンの民族に接触し、その地域の国境調査などを行っていたが、独自の見解から、その昔、ヨーロッパなどと同等に繁栄した都市があったと考えた。それを「Z」と名づけ、失われた都市を実証するための探検に出た。現地の民族に殺害されたか、餓死したか、定かではないが、結局フォーセットはアマゾンから戻ってくることはなかった。果たして彼は「Z」の確証を得たのか?それがこの本の主題で、デイヴィッドは残された資料や関係者をあたって突き止めようとする。翻訳本だが、やっぱり訳文は馴染めない。英語表現独特の形容があるが、それをそのまま日本語に置き換えるとなんだか妙な調子になる。原文がそうなのかわからないが、全体を通して平板な調子で、盛り上がりがないため、内容がなかなか入ってこない。そんな悪訳に目を瞑れば、内容は面白い。ブラッド・ピッドが映画化権を取得して、主演して映画化するらしい。興味深かったのは、イギリスに王立地理学協会というのがあり、そこに探検家養成学校みたいなものがあることだ。1年間、探検家として活動するにあたっての様々な訓練を行う。道具の使い方はもちろん、記録の残し方、物事の様相を捉える視点など、探検を有意義な活動として持ち帰るための知識を植えつける。イギリスは、国力の増大と、領土の獲得という、国を挙げての目的があったからだろう。アマゾンの旅は非常に過酷だ。湿度と虫のせいで、文字通り人々は壊れてゆく。現地民族による殺害なども含め、宣教師や探検家など多くの入植者が亡くなった。この辺の描写が、非常にナマナマしくて、ちょっとアマゾンには行きたくなくなる。現地民による殺害と書いたが、ヨーロッパ人の入植によって持ち込まれた文化、直接的には現地民には免疫のない病原菌が蔓延したことにより、より多くの部族が死に、さらには壊滅したりしている現実がある。ヘルツォークによるアマゾンを舞台にした映画「フィツカラルド」や「アギーレ/神の怒り」はかなり現実を反映している内容であるらしいことが分かった。著者デイヴィッドは、何人ものフォーセット捜索隊と同じように、アマゾンへ向かう。そこで、デイヴィッドは思わぬ事実を突き止める。その辺りが、映画向きのまとまり方なのだと思う。もっと翻訳を何とかすれば、非常におもしろいノンフィクションになっただろう。
2010.10.18
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最近めっきりクライミングに行く機会が減ってしまい、危機感がつのってきた。パートナーがいないとロープのクライミングはできないから、一人で御岳のボルダーへ行く。トラバースをやる。片道ならほぼできるようになったが、往復はまだできない。往復すると5.12bくらいにはなるかもしれない。ほとんどがハングしているため、パンプするから、よいトレーニングにはなる。右から左の片道はいいが、帰り、左から右は、核心がふくらみの部分から、被ったフェース部分に変わる。パンプ核心になる。ムーブを確認するときはできるが、つなげると厳しい。そんなことにほんの一時間ほど熱心になった。
2010.10.15
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ベルナー・ヘルツォークの映画「フィツカラルド」を久しぶりにDVDで見た。ずっと疑問に思っていたことがある。オープニング、フィッツ(クラウス・キンスキー)とモリーがカルーソーのオペラ公演を見に行くシーン、「歌えない女優」として舞台に上がっているサラ・ベルナールなる人物が、どう見ても男性なのだ。オペラの舞台に立つ他の2人の男性歌手より上背があるし、アゴが張っている。白粉を塗って女形風の化粧をしているが、ありゃ男だ。その後のシーンで、富豪のアキリーノが「歌えない女優」と言うセリフがある。が、男が演じているというような説明は一切ない。19世紀末ごろの時代設定で、その頃は、日本の芸舞台のようにオペラでは女形があったのだろうか。それとも単にヘルツォークの演出か。オペラ狂フィッツは、アマゾンのジャングルに潜む原住民に対してオペラを流す。この映画のそんなシーンを以前はなんと突拍子もない発想をするのだろうと見ていたが、どうやらそれはヘルツォークによる完全なアイディアでもないらしい。実際20世紀初めのアマゾン探検において、そんなことが行われたこともあるようだ。
2010.10.09
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また、山の仲間をひとり、失ってしまった。昨年、実父を亡くしたが、それは末期癌という避けがたい運命のもとに訪れた死であり、気持ちの準備をする時間がある。山での死は、しかし突然にやってくる。この間まで当たり前のように話していた、そこにいた仲間が、もう今この世にいないことがどうにも信じられない。どうにもやるせない想いがつのる。どうしてそんなにも簡単に死んでしまうのだろう?山岳界の雄、八木原国明氏がかつて後輩を高峰で失ったとき、どんな屈強な登山家であったとしても「ああ、やっぱりな」と思ったという。そう、思おうとしたのだろう。何人もの仲間を失い、山での死はすぐそこにあることを覚悟し、そんな境地に達したのかもしれない。でもとてもそんなふうには考えられない。ただ、ある日突然、その人に襲いかかる山の魔の手があることも事実で、常にそれは頭の片隅にある。だからといって、死んだら「ああ、やっぱりな」とは思えず、にわかに信じがたい。何も抗えずに死に行く仲間の無念さが、そばにいなくても伝わってくるようで、なんだか苦しくなる。いったいどうしてそこまでして山に向かうのだろう。疑問を抱いて山に行くことが怖くなり、遠ざかろうとするのはほんの一時期のことで、結局また山に行きたくなることも分かっている。結局また、山に行きたくなるんだ。
2010.10.02
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3たび、さくらももこ。「もものかんづめ」「さるのこしかけ」「たいのおかしら」と、さくらももこのエッセイ文庫三冊が、BOOK OFF で186円だった。その三冊目「たいのおかしら」変わらぬ脱力エッセイ。静岡の八百屋の子として高校まで過ごして、貧乏暮らしだったらしいが、しかしそれはそれで決して不幸な少女時代とは感じていなかった。むしろそれなりに楽しくやっていたようだ。そんな子供時代を振り返りつつ、「ちびまる子ちゃん」を描く漫画家としての最近のできごとも織り交ぜた、気軽なエッセイ。しかしそこにはさくらももこ独特の世界が表現されている。感性豊かな目線でものごとを捉え、伝えることに長けていると言っていい。決して社会に鋭い批判を投げかけるわけでもなく、ただ、さくらももこ自身が感じて、考えたことを、そのまま書いているといったものだが、知識を笠につべこべ言うでもなく、知らないものは知らないといってそのまま物事を見ているところがいい。30分のTVアニメの脚本を1本3時間で書くという。だいたい原作者が脚本も書くということがめずらしいようだが、普通1本に何日もかけて脚本は書かれるらしい。つまりそれは感性をストレートに脚本に反映できるという、才能として長けた部分なのだと思う。そんなさくらももこのエッセイは、この初期3部作こそ評判が良いようだが、その後はどうなのだろう。
2010.09.30
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いろいろとやっているうちに、瞬く間に日が過ぎてしまった。電車に乗っている時間が長かったため、その間は本を読む。さくらももこのエッセイ「さるのこしかけ」前作「もものかんづめ」以上にさくらももこ独特の感性が出ていたように思う。ちょっとおかしく、気軽に読めるエッセイだが、その昔予備校に通っていて、その時の国語担当の講師が、さくらももこの文章を評価していたことを憶えていて、ずっと読んでみたいと思っていた。文型の大学を出たり、親が作家や教授のような作家が書く、ヘンなプライドを笠にしたものとは違い、さくらももこの場合目線が低い。とても低いといっていい。そのぶん親近感が湧くし文章も正直だ。こういうタイプは誰でも書けそうで、しかし実際そんなふうには書けない場合が多い。ちびまる子ちゃんに登場するのは親やじいさんばあさん、姉はもちろん、友人や近所の人など、さくらももこのまわりにいた実在した人をそのまま描いているらしい。電車の中だったから、笑うとはいかなかったが、なんとなく口元がにやついてしまい、ヘンに集中して読み疲れるということがない気軽なエッセイで楽しめる。
2010.09.28
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最相葉月のノンフィクション「星新一 1001話をつくった人」(新潮文庫)上下二巻の大作。最相葉月は「絶対音感」を読んだことがあるが、今回も、とにかく全てを書きすぎている。取材して取材して、題材を追及するのはいいが、外堀を固めすぎて、主題がぼやけてしまっている。多方向からの視点を提示され、ついていけなくなる。星新一は中学生の頃よく読んだ作家で、そのころはSFという意識はなく、単に読みやすくおもしろいから読んでいた。今回、初めて星新一が日本にSFというジャンルを広めた作家であることを知った。そして星製薬など、戦前の大企業の御曹司であったことも。ショートショートの第一人者だが、ショートショートという言葉自体星新一のためにあるようなものだ。つまり原稿用紙10枚~20枚程度のフィクション。星新一のちょっと変わった性格や、ショートショートの書き方、テクニック論など、それらがああいった魅力的な物語を生み出していたのだろう。売れっ子になって、しかし作家や画家、音楽家など、表現者特有の生みの苦しみを長く味わっていたようで、「死なないことに決めている」といって、海外の地であっけなく逝ってしまった父親星一と同じように、ずっと生きたいと思っていながらも、あっけなく亡くなってしまった。生前親交の深かった人に、小松左京や筒井康隆、その昔だと江戸川乱歩など、作家仲間や、タモリもいたという。最相葉月の視点は、星新一そのひとから、父親をはじめ親族、関係の深かった友人、作家、編集者に及び、さらにそれらの人々の仕事ぶりまで言及する。かなりストーカーチックだ。確かにエピソードを積み重ねただけの人物ノンフィクションより重厚感はあるが、新発見や、それまでの常識を覆すような驚きはあまりない。星新一ら作家と同じように、最相葉月も膨大な取材資料を抱えてどう表現するかに頭を悩ませていたかもしれない。読み物として、盛り上がり、フォーカス部分を強調するなど、単純におもしろさの波が欲しいと思った。
2010.09.22
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日和田の岩場で昼からクライミング。同行は初心者のSさんと、久しぶりのS本くん。湿気があって日向は暑かった。S本くんがSさんにエイトノットから教える。外岩でのクライミングはこの日が3度目だろうか。何本かSさんにトップロープで登ってもらい、最後は男岩右の、ややもろい薄被りフェース5.9に取り付いてもらう。一回目は途中敗退したが、二回目はテンションしつつも岩の上まで登りきった。ぶら下がりながら「もう限界」「力が出ない」と言っていたが、限界と思っても、「もう力を出し切った」と思っても、挑む気持ちを失わない限り乗り越えることができる。クライミングは1日で、ほんの2、3回のトライでそんな体験ができるし、それをクライミング以外の、例えば仕事に、その経験を置き換えて活かしてほしい。ただ、「登れた」「登れなかった」の結果だけがクライミングではないと思う。S本くんとは、アルパイン系のマニアックな話ができたのは楽しかった。平日でも日和田はやっぱり日和田クライマーで賑わっている。でもさすがにフリークライミングをするには役不足だなあ。
2010.09.21
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(多摩動物公園のペリカン)多摩動物公園で息抜き。「今日見た動物の中でうちで飼うとすれば何がいい?」とめぐに訊く。「ウォンバット」オーストラリアの有袋類で、まるっこくて、歩く姿がかわいい。猫くらいの小さいイメージがあったが、実は体長80センチくらいあるだろうか。タスマニアに行ったとき野生のウォンバットを見たことがある。草むらに何気なくたたずんでいて、視界の隅を過ぎったとき最初は岩かと思った。良く見ると動物で、小さいと思い込んでいたウォンバットのその意外な大きさに驚いた。先日生まれたばかりのアムールトラの子供3匹も公開されていて、これもかわいい。トム・クルーズがドイツ軍人役の「ワルキューレ」のDVDをかりる。ヒトラー暗殺計画の実話らしい。爆薬を携えヒトラーに近付く場面は、「ゴッドファーアザーPART2」のアル・パチーノが始めて人を殺すシーンを彷彿とさせる緊張感を孕んでいて素晴らしい。架空のフィクションでもサスペンスでもない物語だから、展開に意外性はなく、かなり堅実な話になっているし、登場人物が多いから理解が追いつかないこともある。ヒトラーの現体制への反逆、転覆をたくらむ者たちの熱情と緊張が、今我々個々が置かれている立場にも置き換えられ、そういうところはかなり伝わってくる。全編を通して引き締まったテンションを保ち、悪くない映画だった。
2010.09.20
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立川山岳会Kのさんと甲府幕岩。連休中日だが、空いていて静かな岩場で、空気も秋風が吹きさわやか。「HIVE」10aでアップのあと「初夏」11dをトライ。終了点クリップが悪く、そこで2回もフォールする。ほとんど一本登りぬけておきながら、最後に落とされると、集中力が続かなくなり、ラストのムーブを修正してRPは次回にまわす。Kのさんは、RPグレード更新を目指して「ピッコロ」10dをトライ。最初は苦労していたが、3便目に無事RP。自分は以前から気になっていた「キルト」11b/cをオンサイト狙いで取り付く。出だしハングのボルダーとなっていて、ここを右から巻けば11aらしい。つまり出だしをこなせれば11aの上部は登れる可能性が高い。出だしが核心だと、ホールドが目の前だから決めてかかれる。じっくりと手をよんで取り付く。上部も一応使うホールドをイメージしておく。出だし、見た目よりカチホールドに指がかかり、たいしたボルダーでもなく抜けられた。中間部で休めてしまうが、上部フェースは予想よりホールドが悪い。デッド足ブラの強引ムーブでこなしてなんとかオンサイトする。Kのさんもトップロープでトライし、初の11台だけど登れそう。ムーブを決めればあと数トライで登れるだろう。ボルダーをやっているから、ムーブはできる。最後は「きのこ狩り」10b/cをクールダウンで登る。甘かったり、辛かったり、甲府幕岩はグレーディングに首をひねるルートがかなりあるが、「きのこ狩り」は妥当。さわやかな森の岩場でのクライミングは気持ちいい。帰りは中央道一宮御坂から八王子まで「4時間以上」と見たこともない電光掲示があり、柳沢峠を越えて帰った。
2010.09.19
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リドリー・スコットの1996年の映画「白い嵐」のDVDを借りた。1960年代に実際に起こった、帆船の訓練航海時の沈没事故の話。船長役にジェフ・ブリッジス。人を成長させてくれる場という意味で「男にしてくれるのは山、砂漠、戦場、そして海だ」と船長は言う。「山」も入っているじゃないか。高校生の年代の若者たちが、2万キロの訓練航海に出る。船長の指導のもと成長する彼らが描かれる。なぜこの映画を見たかというと、ここで描かれるのは冒険や野外での体験を通して、学び成長する姿を描いた示唆に富む題材だったから。以前のイギリスの例で、そうした海上での困難から生き延びるには、ひとりひとりの成長とチームの結束が大事であることが分かった。冒険的な活動を通してそういうことを学んでいこうというプログラムは、今世界中で行われていて、日本でももちろんある。それは子供たちの体験教育以外にも、学校や企業の研修としても行われていて、野外活動の体験教育は、以前より格段に見直されてきている。「白い嵐」はそういったことを主題にしているわけではないが、物語の中に自然とそんなことが描かれている。訓練を終え、帰港する際に白い嵐という暴風雨に遭い、帆船は沈没、4名が海に沈む事故となる。指導者として船長は責任を問われるが、そこで乗船していた成長したチームに救われることになる。青臭い友情は、大人になるに従って気持ちから薄れていってしまうが、その時は最も大切だと思っていたそうした関係は、大人になってからも必要なものじゃないか、と思う。監督のリドリー・スコットは、どちらかというとエンターテインメント、ポップ寄りの兄弟監督トニー・スコットと比べ文芸寄りというか、まじめな題材を撮る印象がある。憶えているのは、「作り物はできるだけ自然に、自然のものはできるだけ作り物っぽく撮る」ことを心がけているということば。「白い嵐」は入魂の傑作というほどの作りではなく、映画としては平凡だったが、題材がよかった。
2010.09.18
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2週間限定公開されていた映画「Split The Difference」Mr. Childrenの音楽映画で、レコーディング・スタジオで少人数だけを招待したライブをやろうというもの。マイケル・ジャクソンの「This Is It」や、その他のミュージシャンの映画は、大抵が大きな会場でのライブを実現させるまでの道のりを描いているのは対照的。すでにアリーナやドーム講演を成功させてきたMr. Childrenにとって、作家(音楽を提供する側)と受け取る側の垣根をできるだけなくそうという目的があった。それは映画の中の打ち合わせシーンでの桜井の言葉で表されている。「俺らはMr. Childrenだけど、聴いてくれているみんなもMr. Childrenなんだ」名実ともにNo.1バンドの仕事ぶりを垣間見る楽しみはある。CDを出せば売れ、ライブをやれば常に満員。その表現は、曲を作る桜井と、小林武史の才能による、すばらしい質の音楽によるところが大きいが、聴く者に届けようとするまでの彼らの和気藹々としたミーティングの様子がいい。こうして彼らのパフォーマンスは成されていくのか。そんな取り組みを自分もしてみたいと思った。人に刺激を与え、感動してもらえるものを提供したい。打ち合わせシーンはモノクロだが、曲を聴かせるシーンになるとカラー。キーボード、ピアノの小林武史の演奏中の指が何度かアップになったが、無駄な力が入っていて、ピアノのタッチではないのがやけに気になった。演奏家というわけじゃないし、キーボードは音色は関係ないからあれでいいのかもしれない。詩、曲ともどれも不思議なほど聴き入ってしまう。彼らにしかできない音楽を聴き、彼らにしか作れない映画を見た思いだ。
2010.09.17
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雨の日、ランナウトへオートビレーでのトレーニング。5.9、10a、10b、10c、11aとアップで登り、今日は高めのグレードを集中してやってみる。11cを一撃して、11dを2撃。違う11dを触ったが、厳しくてクライミングが崩れる。飛丸氏の11bはホールドが悪くて敗退。その後垂壁10c/dを登る。雨のせいかリード壁が混雑してきて、ハーネスをはずしてボルダー・エリアへ移る。ハング課題を中心に登るが、ぎりぎり登れるかどうかという課題に打ち込んでいたところで突然力尽きた。ハングは厳しい。
2010.09.16
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2009年のSABU監督の映画「蟹工船」をDVDで見る。小林多喜二原作の、なぜか一時期話題になった「蟹工船」閉ざされた船の中で抑圧される労働者が決起するという社会派小説だが、映画はあくまでSABU監督の世界で表現される。1996年の監督デビュー作「弾丸ランナー」から「ポストマン・ブルース」「アンラッキー・モンキー」「MONDAY」など、ひたすら疾走感(実際に走っている)ある映画を作り続けてきた。また、登場人物のイメージをも挿入するコメディタッチの作風は、とくにこの「蟹工船」に受け継がれている。前作「疾走」に続いて作家小説原作の映画を作った。自分の意思に反して奇妙なことに巻き込まれてしまう人たち、というSABU監督のいつもの描き方は、脚本も書いている「蟹工船」でも健在。しかもシュールな展開はSABU作品の期待を裏切らない。皆で時化の船内で首を吊ろうとするシーン、ロシア船、そしておとなしかった青年が意を決して海へ飛び込むシーンなど、滑稽極まりない。蟹工船監督役(悪役)の西島秀俊は役不足な印象だったが、労働者リーダーの松田龍平は案外よかった。ただ、労働者の不満が募ってゆく感じが希薄だった。
2010.09.14
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立川山岳会Kのさんと天王岩へ。夏の天王岩は週末でも空いていて、3人パーティーと、いつも来る、天王岩職人みたいな2人組み、我々のみ。Kのさんが前回からの課題だった「蜃気楼」10cをすんなりRPし、「ミンミン」10dのムーブ固め。自分は名もないルート(10bくらいか)、「涅槃の風」10b、「ドロボーカササギ」11aなどでアップ後、これも前回からの課題「エスパー」12a/bに取り付く。前回とは違うムーブで、全体を通してはRPを狙える形になってきたものの、とにかく指が痛い、ホールドが尖っていて、何度もできない。RPトライは次回にする。核心は飛ばしとデッドが5手続くところで、ルートがかぶっているため、ここで落ちたら後ろの斜めに伸びた木に激突する。木への激突覚悟で突っ込むしかない、怖楽しいルートだ。2回ほど木にぶち当たった。Kのさんの「ミンミン」をちょっと登らせてもらう。最後は「蝉時雨」10bを軽く登って、用事があるため早めに終了。若干岩に水分が多いような気がしたが、クライミングに問題になるほどではない。「ミンミン」を登ってもミンミンゼミの鳴かない季節になって、時折つくつくぼうしが鳴く。つくつくぼうしの本名はなんだろう?ミンミンゼミも本当はもっと正式な名前があって、つくつくやミンミンはあだ名じゃないのか?
2010.09.11
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結局台風は予想のかなり南部を通り進路の左側に入った穂高周辺は大きな影響を受けなかった。神奈川県に大きな被害が出た。3日目は台風一過といってもよいくらい晴れ、上高地を散策する。河童橋からは穂高岳沢の有名な景色が眺められた。いつもこのあたりは曇りか雨の天気の悪い印象があって、なかなか岳沢と吊尾根の景色は見ることができないものだが。何度も上高地に来ているが、帝国ホテルに初めて立ち入る機会を得た。この日がちょうど誕生日の参加者がいて、帝国ホテルラウンジでケーキセットを頂く。帝国ホテルは予約がとれず、一泊4万も5万もするという、一般の感覚からは程遠いスタンスで、利用するなんて考えもしなかった。しかしこのケーキセットさえ、一人1500円。従業員が多く、ちょっと離れたところに、そこらの山荘以上にホテルっぽい立派な従業員宿泊施設もある。屋根が赤くピカピカと光り輝いている。周辺は透明な小川の流れる、上高地の深い自然。ケーキはとろけるように口の中へ消えてしまった。重い荷物を背負って、汗だくになって、雨の中テントを張って、濡れモノの全く乾かない山行。空腹、寒さ、乾き、疲労。その挙句に、山行が成功するか半々の報われない登山の世界。そんなものとは無縁の世界が麓の帝国ホテルにある。あまりにも違う。山ヤはやっぱり来なくていいかなと思う。1500円のケーキセットには山の価値などどれほども見出せない。
2010.09.09
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ひたすら台風の進路ばかり気にして、結局朝、槍登頂の中止を決める。進路予想はどう見ても直撃か、大きな影響を免れないと思われた。そんな状況で3000メートルの稜線に突っ込むなんて、正気とは思えない。雨が降る中氷河公園を目指す。なぜか風は穏やかだし、雨もそれほど強くない。視界こそ良くなかったが、不安もなく氷河公園へ着き、池を眺める。槍沢ロッジに戻って、そのまま横尾へ下る。徳沢に着く頃にはほとんど雨も止むほどになった。いったい台風はどこへ行ってしまったのか?消滅したか、大きく外れたか。やっぱり槍ヶ岳に登れたのか?そう考えるのは単なる結果論で、あの場面は絶対に上へ行ってはいけない状況だった。昨年のトムラウシのツアー登山遭難のことがちらつく。死者が出るまで、行くか退くかの判断ラインの限界は見極められないのか?料金を払って参加する登山者がいるツアーではぎりぎりの判断なんてするべきじゃない。生きて帰ってこられるか?と不安を感じるような状況は、その時点で行き過ぎていると考えるべきだ。だから今回の槍ヶ岳は残念ながら槍沢ロッジを出る時に登頂をやめた。その日は明神の嘉門次小屋に泊まった。囲炉裏で岩魚を焼く、非常に風情のある小屋で、今の建物は昭和初期に建てられたという。嘉門次小屋自体はこの場所になんと130年も前にあったらしい。穂高は山深いところにあり、当時は険しい徳本峠を越えて谷に入っただろう。そんな小屋に、日本の風情を求めてスウェーデン人カップルが泊まっていて、インターナショナルで、楽しい夜を過ごすことができた。
2010.09.08
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参加者8名の槍ヶ岳ツアーへ同行。しかしカメラが壊れてしまい写真が撮れなくなった。台風が接近中で一時は中止する話も出たが、先ずは催行決定。上高地から横尾への梓川沿いの道を歩くのは何度目だろう。いつも長く感じる。先日読んだ芥川龍之介の「河童」に出てきた河童橋を通る。横尾から先、もうすぐ槍沢ロッジというところで雨が降ってきた。この雨はそのまま降り続けることになるのだが、ツアーだから山荘泊まり、雨の心配はない。
2010.09.07
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勝沼へ「ぶどう狩り」¥1800-で食べ放題。こんなにたくさんぶどうを食べたのは生まれて初めて。腹の中でワインができただろうか?子供連れの家族が多かった。少子化と言われるが、こんなにたくさん子供はいる。
2010.09.05
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8月末まで半月、ランナウトのリード壁に改装工事が入り、一新されて初めて登りに行った。ハング形状のパターン壁だった面は垂壁になり、パターン壁はそのまま外壁に移されていた。コーナーのハングはなくなり、全面が平面となった。薄被りの傾斜面はそのままで、ハング流行のフリークライミングの時流に逆行しているような改装。まだルートは多く設定されておらず、限られたラインをオートビレーで登る。5.9×3、10a×3、10b×3、10c×2、10d でウォームアップ。11a、11b、11a、11a、10c、10d、10b×3、10d、スラブ壁の10a、10a、10b、10a後半はもうどれを登ったか憶えていないが、25~26本くらい登ったと思う。グレーディングが甘めになったのか、テンションは一度もしなかった。壁の高さは7,8メートルだから、登ってクライムダウンして登ってという1セットでも、20メートル余りにしかならない。手数はそれなりにあるとはいえ、外岩ならそれで1ルートくらいのパンプ具合だろう。だから25本と言っても、外岩なら10本分にもならない程度の疲労感だ。でも限られた時間でのトレーニングと割り切れば効率はいい。
2010.09.03
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トモ・チェセンといえば、ローツェ南壁疑惑の単独登攀で世界的に有名になってしまったクライマー。その手記と、ヒマラヤ・クライミング史、疑惑の検証をまとめたのが「孤独の山」(山と渓谷社)トモ・チェセンの手記は、アルプス三大北壁冬季連続登攀から、ヒマラヤ遠征、今も評価の高いジャヌー北壁、そしてローツェ南壁までを書いているが、どれもがかなりサラリと触れているに過ぎず、登攀の詳細は書いていない。しかも相変わらず、近藤等の悪訳で読みにくい。日本語の表現になっていない部分もあり、文意がつかみきれない。おもしろいのは、池田常道氏による「疑惑の系譜」チェセンが本当にローツェ南壁から単独登頂したのか疑われ、その経緯をまとめている。ローツェ南壁はヒマラヤ最大の課題とされ、1970年代からヨーロッパの屈強な登山家たちによる遠征が繰り返されたにもかかわらず、チェセンがやるまで13隊、ことごとく登頂に失敗してきた。登攀がなされたのは1990年4月末。単独無酸素アルパイン・スタイルで一撃。当時にしてはそのあまりの完璧な登攀で賞賛されたが、ディテールのコメントが変わったり、写真盗用の疑いが出たりして「本当に登頂したのか?」と疑われるようになった。そもそも登山やアルパイン・クライミングは自己満足の世界であり、自分が納得すればそれでいいものだ。トモ・チェセンが犯した最大の失敗は、疑惑に対して反論したことだ。登山家が「登った」といえば登ったと信じられた。でもそれがまだ人類が成し得なかった困難な「初登」だったら、羨望や嫉妬心が絡んで本当かどうか疑いたくなるものだろう。トモ・チェセンがローツェ南壁登攀に納得しているのなら、もうそれでいい。「登頂」とは山頂に立つことで、アルパインの場合はルートそのものの登攀に主眼が置かれるから、必ずしも「登頂」はその登山の成否に必要な要素ではない。ローツェ南壁の場合、壁を抜けてから8516メートルの山頂まで、悪絶なリッジが続いているという。そのリスクを背負ってまで山頂に行く必要はない。だからトモ・チェセンが登頂したか否かという議論は、ローツェ南壁単独登攀を評価するうえでいささか的が外れている。そもそもローツェ南壁自体本当に登ったのか?とも疑惑が持ち上がっているのだが。チェセンによれば上部8200メートルで困難な登攀を強いられ、ピトンを残してきたらしい。「それが証拠になる」とチェセンは言った。その後旧ソ連の隊がローツェ南壁から登頂しているが、チェセンとは違うラインを辿った。2006年12月、日本隊が稜線まで抜けて、登頂はしていないが南壁の冬季初登攀に成功。ここではチェセンとほぼ同じラインをとったが、8200メートルのパートは別ラインをとっている。だから未だに「証拠のピトン」は確認されていない。稜線に抜けた隊長の田辺治氏は「山頂まで高差41メートル、距離にして2~300メートルの悪いリッジが続いており、時間も遅く山頂まで行くと生きて還ってこられないかもしれない」として、登頂せず、南壁登攀の成功までで納得して遠征を終えた。その田辺氏はチェセンの登頂を「信じたい」としてはいるが、単独無酸素で、あのリッジを山頂までトレースすることは想像できないと言っている。「我々よりずっと優れた登攀能力を持ったチェセンなら可能かもしれない」とも。その後、チェセンはアルパイン・クライミングの前線には一切登場していない。それはチェセンが嘘をついていたからという見方もされているが、おそらく疑惑をかける登山界に幻滅して背を向けたのだろう。どうやらフリークライミングは続けているようで、5.13を登る実力を維持しているらしい。ヨーロッパのフリークライミングのコンペで裏方をやったりしている。登頂の証明なんてどうでもいい。伝えて欲しいのはその登攀を成したスピリッツであり、それこそが登山界に限らず人に刺激を与えるものだと思う。日本において、最近では山野井さん、今はGiri Giri Boysたちが、世界のアルパインの先鋒に立っているが、彼らもまた自分が納得できるクライミングができるかどうかで、山に向かっているだろう。
2010.09.02
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(奥多摩川乗山山頂)さわやかに晴れ渡った空。どこにも行かずにいられなくなって、奥多摩の地図を開く。夏、暑い日に行くなら沢登りだが、時間が遅い。川井から入る大丹波の林道から川乗山へ向かう。キャンプ場が連なる一帯を過ぎると、舗装はされているがかなり山奥の風情になる。原付バイクでのんびり上がる。林道のどん詰まりまで行こうと思ったが、途中から荒れたダートになり、すぐあった左のスペースにバイクを停めた。道標があり、「川乗山、獅子口」方面へと向かう。林道から左の沢へ降りたところにいきなり迷う分岐があった。左の方が踏み跡がはっきりしているが、川乗山はやや藪っぽい沢左岸の道。気にせず藪へ突っ込む。あまり人が入っていない様子で、道はかなり荒れているし、踏まれている感じもない。盛夏だから鬱蒼とした感じなのだろう。しかしこのトレイルは密かに素晴らしい。清冽な沢に沿って苔と緩やかな谷の、気持ちの良い場所。奥多摩にあってこんな清らかなところは初めてだ。「お気に入り」に追加しよう。バイクを停めたのは、林道の中間部のようで、獅子口の小屋跡まで一時間近くかかった。獅子口の小屋跡は、打ち捨てられたような場所で、なぜかネパールのトレッキングで休むカルカのような雰囲気がある。獅子口には「獅子の口」から湧き出ずる水があり、これがまた奥多摩になかなかない冷たい清らかな水で、ほとんど人が入らないせいか、その場所は静謐に保たれている。ここから急登で稜線へ出て、しばらく歩くと川乗山山頂へ至る。(山頂から雲取山方面)一時間半余りの登り。大気の状態が安定しているのか、午後にかかっても雲が広がらない。9月に入って、空気が少し入れ替わったような肌感覚。単独と2人組の3人の登山者が休んでいる。トンボがひたすらたくさん飛んでいる。同じ道を下り、帰りは林道の末端に上がって大丹波の谷を感じながら林道を歩いた。
2010.09.01
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「月に囚われた男」DVDで見た。監督はダンカン・ジョーンズで、なんとこれが初監督作。主演はサム・ロックウェルだが、ほとんど唯一といっていい登場人物。近未来、資源採掘のために月に派遣された男の話で、3年の任期をたった一人で過ごす。残り2週間になって、地球に帰れる日を心待ちにしているが、任意か、偶然か(おそらく仕組まれたと見える)採掘現場で事故に遭う。登場人物一人?の密室劇。よくできた脚本で、地球に残してきた妻と幼い娘の存在が、郷愁をさそう。もう一人の「自分」が登場するあたりから、雲行きがおかしくなってくる。ガーディという世話焼きコンピューター(声をケビン・スペイシーがやっている)の存在が物悲しくももっとも人間味溢れている。宇宙を舞台に人間を描いた映画といえば、タルコフスキーの「惑星ソラリス」や、キューブリックの「2001年宇宙の旅」があるが、そうしてもそれらは哲学的で、やや難解だった。しかし「月に囚われた男」は、愛情や郷愁といったより身近な感情を題材にしているから、移入しやすい。発想がこれまでにないタイプだし、展開も興味深い。自分が長い間旅に出て、そこで抱く感情や、もし自分が月の男と同じように3年間も一人だったら自分を失わずにいられるか?などと想像して、イメージを喚起してくれるおもしろい映画だ。
2010.08.31
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阪本順治の「カメレオン」のDVDを借りてきた。主演は藤原竜也。30年も前に、脚本家が松田優作主演を前提に書いたものを、2年前に改めて映画にしたもの。松田優作の世界が、「カメレオン」には色濃く反映されている。阪本順治は日本映画界の中でかなり監督の特色を出すタイプで、結構好きだ。引退したばかりのボクサー赤井英和が主演した「どついたるねん」がデビュー作で、静かながら妙なリアリティを醸し出した、優れた映画だった。「カメレオン」の公開は、タイの臓器売買を扱った「闇の子供たち」の前だったと思う。「どついたるねん」の雰囲気を受け継いだ、阪本順治がやりたいように撮った魅力的な映画になっていた。その前作の大作「亡国のイージス」は、巨大な制作費に埋もれてしまった印象があったが、そんな映画の匂いは感じさせなかった。詐欺師のゴローらが、偶然誘拐を目撃したことで追い込まれてゆく、というだけのストーリー。藤原竜也が演じるゴローは、いったいほんとは何者なのか、仲間にも見ている者にもはっきりしない。そしてはっきりとは語られない。謎めいた存在感のあった松田優作をまさに彷彿とさせる。長回しを多用し、驚くのは、一連の格闘シーンもカット割りのないまま流している。派手な音楽も使用せず、石井隆の作品でも雰囲気を作っている安川午郎の音楽が時折BGMに使われるのみ。藤原竜也のアクションはキレがあるし、比較的おとなしく、コメディチックでもある平常のシーンとのコントラストがメリハリがある。無駄と思わせるたるんだ場面もなく、テンポもいい。決して名作映画ではない。たぶん見た人は、「なんだ、この映画」と思うことが多いだろう。だからメジャー公開されるヒット作にはなり得ない。しかし、多作に埋もれる日本映画の中で、特異な魅力を放っているおもしろい作品であることは間違いない。
2010.08.30
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2004年の韓国映画「氷雨」山が舞台の映画。アラスカの遠征登山で、3人が下降中に墜落し、2人が生き残る。一人は足を骨折して動けず、それを救おうとする若手が付き添う。会話の中で、二人が好きだった女性が同一人物であることが知れる。ストーリーとしてはそれだけのもの。山での遭難と、回想場面が交互に展開する。ラブストーリーの一種だが、その辺りはかなりソフトな感じで、6年前の映画だがなんだか古ささえ漂う。登山場面はそれほど多くはないが、美しい山脈の映像は素晴らしい。ただ、山岳モノというと、必ず出てくるシーンが、「氷雨」にも出てくる。岩壁をフォールしてぶら下がってしまい、相方を救うために自分のぶら下がっているロープをナイフで切断して落ちるシーン。「バーティカル・リミット」では子供たちを救うためとはいえ、あまりにも潔く父親が自らのロープを切って落ちる。自分も本チャンの時には、ロープを切って落ちれるように、ポケットにナイフを入れておかないといけないだろうか。「氷雨」のシーンはしかし、自分の加重がなくなったところで、相方も落ちかねない状況であり、ロープを切る方は、そこまで考え及んでいないのか、相方も一緒に死んで欲しいのか、それともドラマチックに偶然墜落せずに相方だけ助かると思い込んでいるのか、ちょっと不自然だ。ハーケンが徐々に抜けてくることはあり得ず、抜けるなら「スパーン」と一気にすっぽ抜けるだろう。まあ、山映画のお約束は踏襲しているということかな。リアリティは必ずしも面白くないから。
2010.08.29
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小川山方面は午後から雨が降りそうで、昼から登れれなくなってしまっては痛い遠出になるから、近場の天王岩に登りに行くことにした。同行はKのさん、M木くん。先日の北川以来、復活2日目のM木くんは、さすがにきびしそう。「ミンミン」10dの出だしハングにはね返される。Kのさんは前回登れなかった「涅槃の風」10bを安定してRPし、隣の「蜃気楼」10b/cをやるが、ラストの乗っ越しで惜しくも1テン。その後「ミンミン」をムーブ固めする。自分は「涅槃の風」「蜃気楼」でアップ後、天王岩の登り残していた難課題「エスパー」12a/bを触る。中間部核心はなかなか目論み通りにムーブができず、終了点手前まで6手がこなせない。だいぶかかりそうだ。「エスパー」が登れずに苦労して、登りが崩れた状態で隣の「ミンミン」をやったら、こちらもムーブがむりやりのパワームーブになってしまい、登れたはいいがスマートな動きができなかった。高めのグレードのルートをOSやRPした後やや余裕のあるグレードを登ると、体外はうまく動けるが、登れずに鬱憤晴らしにやると、うまく動けないことが多い。クールダウンに「勉太郎音頭」10c、「クラックジョイ」5.9をやって終了。週末の夕立もない天気なのに上の岩場は他にパーティーは来ず、ほとんど一日貸切だった。皆、どこに登りに行っているのだろう。暑くてさすがに汗をかくが、岩はよく乾いていた。一本登るとバテバテになり、熱中症注意だった。
2010.08.28
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もう20年近く前のエッセイだが、「ちびまる子ちゃん」の作者さくらももこの懐古話は古くない。「もものかんづめ」(集英社文庫)「爆笑」とのふれこみも、今読めばちょっと大げさだし、エッセイの内容も辛口な表現も含まれる。でも「おしあわせ」そうなさくらももこの人柄が出ているし、気軽に読める。あまりに気軽に読める本だ。「ちびまる子」の漫画自体がさくらももこのエッセイの風情だが、モデルは家族や友人にせよ、エピソードはフィクションらしい。でもまる子みたいな家族やともだちに囲まれていたらたのしいだろう。たのしい、と思うのはさくらももこフィルターを通しているからかもしれない。
2010.08.27
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ほとんど血縁のないほどの先祖の墓が都心にあり、残っていた縁者も亡くなったりしていたからいよいよ永代供養に行った。臨済宗。同じ仏教にせよこれまで全く関わりのなかった宗派の読経を拝聴する。般若はらみた心経は禅宗派だから同じだったが、寺の経済状態なのか、宗の違いなのか、木魚が大きく、音が叩いた後に微妙に変化するちょっとめずらしいものだった。帰りに乗り換えで高田馬場に降りた折、昼食を食べようと外に出たら、目の前に「サイゼリヤ」の看板があった。そこで何か食べようと信号を渡ったら、駅の斜向かいあたりにバーガーキングがあるのを発見した。バーガーキングは抜群に自己評価の高いファストフード店で、そこで昼を食べる。バーガーキングは一時日本から撤退してしまい、日本にいる間は残念なことに食べられなかった。その頃は海外に行く機会があるたび、空港でバーガーキングを見つけては待合時間に入って食べていた。北米路線の乗り継ぎの場合、先ず間違いなく空港にバーガーキングがあるから、それを食べることを念頭に飛行機に乗っていたくらいだ。バーガーキングのうまさは、なんといっても直火焼のハンバーグだ。一押しのビッグサイズバーガー、Whopper(ワッパー)にチーズやベーコンを挟んだのをだいたい食べるが、世界共通レシピは、まさにどこで食べても同じ味がする。日本はもちろん、北米の空港や街中、しばらく滞在していた中米グアテマラのアンティグアにあった店も同じ味だった。トマト、オニオン、レタスにピクルスと、ケチャップベースのソースが入っている。何年前のことだったか覚えていないが、バーガーキングが再び日本に入ってきたことを耳にして嬉しくなったが、生活のベースはどんどん都心から離れてしまい、食べる機会はなくなってしまっていた。久しぶりのバーガーキングはやっぱり最高だった。高カロリー、健康に良くないとかそんなことは関係ない。ただうまい。「クレイジー・バーガー」などという超激辛素材を常識を超えた量を使用した、激辛バーガーを販売していて、そのバカバカしさがまたいい。アメリカは歴史が浅く、移民国家で、とりわけ食文化を馬鹿にする発言をよく聞くが、ハンバーガーはなんだかんだ言ってもうまい。自転車でアメリカ、カナダを旅していたが、ドライブインなどで食べるハンバーガーは、それぞれの家庭の味わいみたいなものがあり、どこもおいしかった。チェーン店として最高峰に君臨するのは間違いなくバーガーキングだ。
2010.08.26
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再び笹本稜平。「サハラ」(徳間書店)は前回の「天空への回廊」と同種の国際謀略小説。記憶を失った主人公の日本人傭兵が、自らの記憶を探りゆくと共に、大国が絡んだ謀略が明らかになってゆくという物語。他の笹本稜平の小説と比べ、かなりご都合主義な展開で、ちょっと首をかしげる部分もあるが、さすがの筆力で先へと読ませられてしまう。記憶がなくなったのはキーになる部分だけで、それ以外のことは憶えていたりと、ちょっと??なところもある。敵か、味方か、記憶のない主人公には直感に頼るしかないが、敵が味方になったり、はっきりどちらとも区別がつかない者たちも登場する。かなり複雑な構成と、二転三転する展開で、読んでいても混乱してきそうだが、ラストにはうまくまとまってくる。ただ、一匹狼的だったはずの主人公の日本人傭兵が、結局仲間や愛する人に囲まれてゆくのは、読んでいて面白いが、好みの展開ではなかった。「え、そんなことないでしょ」と思わせるところもあり、そのあたりを解決すれば映画にしてもスケールが大きくちょっと面白いかもしれない。
2010.08.25
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奥秩父の大常木谷はこれまで3回敗退した。1回目は水量が多く最初の大きな滝五間ノ滝が突破できずに戻った。2回目は一之瀬川の本流に降り立ったまではいいが、なぜか大常木谷の出合が発見できなかった。埋まってしまったのだと思った。3回目はさあこれから入渓というときに、突然の大雨に遭い取りやめ。だからずっと行きたいと思って気になっていた。M木くんとTのくんが竜喰谷へ行く、というので、自分も大常木谷だったら行きたいと言うと、あっさり大常木谷に行くことに決まった。当日はI上くんがもうひとり加わり、4人。7:20に車を出発し、一之瀬川へ大常木谷の位置を意識しながら尾根状を下る。かなり下った末、一箇所小ピークの登り返しがある。1回目に来たときにここを確かに通過したことを思い出した。ピーク直下を右から巻くように通過し、急な下りで、最後は大木から25メートルの懸垂下降をして流れに降り立つ。ここから上流へ5分ほど行くと、大常木谷の出合だった。うまく発見できた。車から40分ほどかかった。1回目だったか、2回目か、一之瀬の本流をいきなり泳ぎで対岸へ渡った。そんな水量だと、すでに大常木谷の遡行は無理だったろう。出合はしょぼいが、遡行してゆくと素晴らしい渓相が展開する。しばらく行くと1回目に敗退して見覚えのある五間ノ滝。8メートルほどの広めの滝を、腰まで釜に浸かって右から直登。その後はしばらく小さな滝や風情あるナメが出てくる。そして25メートルの千苦ノ滝。一般的には右から巻く。滝の下まで行って、直登の可能性を探る。右から取り付いて中間部で滝裏のバンドを左へトラバースし、左から抜けるライン。落ち口が傾斜があり、上に手がかりがなさそう。水流右から真っ直ぐ登るライン。ここも一見して上部、落ち口が核心。見た目より実際は傾斜がなく、上部までは難なく登れるだろうが、どちらにしても落ち口の突破でエイドになるかもしれない。ただ、装備さえあれば千苦ノ滝直登の可能性は充分ある。そんなことを考えながら、右から巻く。釜で泳いだり、倒木の上をバランスで歩いたり、次から次へとおもしろいポイントが現れる。不動ノ滝は10メートルくらいだろうか、釜が深く、ダイビング・ポイント。左を皆、フリーソロするが、落ちても釜。会所小屋跡周辺は倒木も多く、歩きで、ちょっとたるむ。一箇所、新しい崩壊跡があり、水流も完全に隠れていた。いつ頃の崩壊だろう。上部はいくつも沢が出合い、どちらへ行くか迷う。最初の(1:1)は左の方が沢床が高く、右を選ぶ。すぐ上にも再び(1:1)があり、標高1570メートルあたり。ここは相当迷った挙句、右を行く。岩盤がまだしっかりしていて、水流もそれなりにある。さらに(1:1)が出るが、右は倒木に苦労しそうで、一見脆そうな左の急な沢から一気に詰めることにする。途中で水流がなくなり、ガレを辿るとほどなく登山道に出た。12:20分。いいペースだ。結局遡行では一度もロープを使わなかった。登山道のどの辺りに出たのかよく分からない。ただ、詰めにそれほど苦労しなかったことから、ベストなラインを選択したのだと思われる。ようやく念願の大常木谷を完全遡行できた。奥多摩と一線を画し、広めの谷と、たくさんの釜、長い流程の割りに内容の詰まった沢で、素晴らしい谷だった。将監小屋からは車も通れるほどのしっかりした林道で、一之瀬高原の集落へ至る。さらに舗装路を車まで歩くが、途中で雷雨に遭い、沢で泳いだよりも濡れてしまった。
2010.08.23
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再び、文学作品の山を描いたシリーズ。太宰治の「富嶽百景」は、富士山を描いたエッセイに近い作品。太宰の書いたうちでも文学的感性のかなり優れたところが読み取れる。井伏鱒二を訪ねて御坂峠の峠の茶屋に行き、そこから見える富士山を「おあつらいむき」「まるで風呂屋のペンキ画だ」「恥ずかしくてならなかった」と表現する。「やっていやがる」このあたりの感受を、高校か予備校だったか、日本の文学作品を読み解く授業で学んだ記憶がある。御坂峠から見える富士は、ぴったり「お約束」の姿で、わざとらしいということ。そんな感覚は、学生を終え、人生経験をつむことで捉えられるようになるが、授業でやったときには、「そんなものなのか」とだけ思ったことを今でも憶えている。御坂峠は河口湖の北側にあり、今では峠の茶屋に宿泊はできないと思うが、戦前、太宰治は井伏鱒二が去った後、長いこと滞在して仕事をしていたようだ。たまに三ツ峠にも登りにいっている。心の動き、機微の表現に優れ、滞在記、紀行としても非常に味わい深い。今の紀行でも手本としたい内容だと思う。作家であってもただ起きたことや、見たものを書くだけの俗な紀行しか書けていないものも多く見る。「女生徒」もそうだったが、句読点がおおくあるにせよ、文節が長いところがあるが、これはロシア文学の影響だろうか。改めて読んだ「走れメロス」は感動してしまった。人の気持ちを汲み取って表現する才能に長けた作家であることを改めて知った。太宰治はこの御坂峠の滞在中に婚約している。結婚に際して師事していた井伏鱒二に世話になっているようで、単なる師という以上の関係があったようだ。しかし39歳で入水自殺をするが、それは心中であり、御坂峠の相手とは違う女性である。太宰とは、それだけ魅力的な人間だったのだろうか。
2010.08.21
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昼から天王岩に行こうと思ったが、朝方まで雨で乾きそうもない。ベースキャンプへ行く。現地でU崎くんと待ち合わせ。I上さんやH川さん、Tやくんなどに会う。2回目のベースキャンプはリードトレーニング。10a~11cまで19本ほど登る。11aまではオンサイトできるが、11cになると俄然厳しくなって、3本やったが全て敗退してしまった。最後は10bでもホールディングできなくなって、久々、ワークアウト。腕にきた。外岩だとここまで登りこめない。クライミング・ジムならではのトレーニング。相変わらず11cが限界グレードだが、登れるクライマーはインドアでも自然壁でも登れる。インドアでせめて12aが普通に登れるようになりたいものだが、そのためには相当通わないといけないだろう。外岩のグレードを上げるにも、もはや相当打ち込まないと登れない感覚で、頭打ちみたいだ。12台が当たり前にならないと、その壁を打破できない。でもモチベーションが上がらんなあ。
2010.08.20
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ヤマケイか何かの雑誌に芥川龍之介の「河童」が上高地が舞台と書いてあって、なんとなく興味を引かれて読んだ。ずっと前に読んだことがあったはずだが、全く覚えていない。精神病院の狂人の噺。穂高岳に登ろうと、上高地に行って歩くが、霧で視界がない。そこへ突然河童が現れ、追いかけていったらなぜか河童の世界に迷い込んでいた。河童の世界といってもそれは人間の写し絵。晩年、といっても自殺したからまだ年はいっていない頃の作品で、発表は昭和初期。上高地が舞台といっても、上高地や山の描写は最初と最後だけで、ひたすら河童の世界での時間が語られる。その頃の芥川が捉えていた日本をブラックなオブラートで包んで描いているのだと思う。登場するのは全て河童だが、医者、事業家、哲学者、詩人、作曲家、芸術家、そしてヘンな学生など、およそ普通のじゃない者ばかりが描かれる。作家というのは、そういった文化人とつながりができるものなのか。それぞれが河童の世界を語るのだが、言い換えれば芥川の思想を表現したものだろう。当時はもちろん現代ほど作家の数は多くなかっただろうが、自らの思想に行き詰まり、思い悩み、表現に惑い、自殺するに至る作家の割合が多いように感じる。他に太宰も同じような道を歩んだイメージが強いからだろうか。現代の読み物に慣れてしまったせいか、この頃の文学作品に、読み物としての純粋な面白さは感じない。ただ、ビッグネームの後期の作品として、また当時の社会を垣間見る手段として、背景を含めてちょっと興味が沸く。当時の社会も結局今と何ら変わりがない。ただ、モノや情報が昭和初期より圧倒的に増えただけで、それなら果たして溢れるモノや情報は我々の思考を変化させたのかと疑問を持つ。良くもなっていないし、また悪くもなっていない。河童の世界から脱出して主人公の人間が見たのは槍ヶ岳の姿。ちなみに、この時すでに上高地に「河童橋」があったらしい。
2010.08.19
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辺境ライターとして突っ走る高野秀行の20代~30代の11年間を過ごした、三畳部屋の話「ワセダ三畳青春記」(集英社文庫)1980年代後半から1990年代、バブルがはじけ、不況に陥った時代にあって、何十年も変わらず「野々村荘」は月12000円。大学探検部時代から「7年で奇跡的に卒業」し、さらに高野氏は野々村荘に住み続ける。不況と環境問題を逆手にとり、「人間が働くと経済が活性化するからな。環境を守るなら働くのも消費するのも最小限にすべきだ」と考えてできるだけ「出し入れしない」生活をする。まあ部屋でごろごろするわけだが、食欲を減らすために「忘れようとして」眠る。同荘の奇人は「寝過ぎて疲れて、また眠るという『永久睡眠法』を実践」したりする。そんな野々村荘で過ごしたエピソード集で、高野氏の感性が凝縮されていておもしろい。すべてがおそらくノンフィクションというわけではないとは思うが、本当にそんな生活をしていても不思議はないと思わせるのが高野氏の偉大さだ。辺境ライターの仕事を細々とやっている頃の話だから、長期で海外に出ていたりする。その間も三畳間は借りっぱなしで、探検部関係の者達が勝手に出入りして「住んだ」りしてしまう。あまりにも野々村荘に依存しすぎて、「マザコン」「ファザコン」ならぬ「ノノコン」(野々村荘コンプレックス)に陥っている自分に気付くに至って、愕然とする。そのあたりのエピソードは、氏のものの捉え方をよく表している。結局突然恋に落ちて、いよいよノノコンから解放されるわけだが、11年間の物語は、辺境ライターの出自を暴露するような、奇妙な魅力に溢れた本になった。自分も似たような道を志していただけに、(今でも志は持っているつもりだが)ここまで純粋に自分の道を追求?した高野氏が羨ましくもある。
2010.08.18
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北川に久々のM木くんと行く。染み出しはほとんどなく、コンディションは良かったが、なにしろ暑いし湿気があって、一本登ると大汗でしばらく動けなくなる。熱中症の危険がある。これもまた過酷だ。ずっと前にちょっと触って、難しくて登れていなかった「謙譲の美徳」11a。ヌンチャクがけ兼ムーブ確認のあと、ようやくレッドポイントする。これも奥多摩グレードか、11bとしてもおかしくない。M木くんは外岩は何ヶ月ぶりか思い出せないほどで、「謙譲の美徳」をトップロープで何度か練習。暑さにやられる。自分は以前登った「ミンボー」の右に抜けるライン「北落師門」12aをトライ。ハングの最後の終了点間際の2手が核心だが、ここがこなせず。ヌンチャクがけのあと2トライするが、登れなかった。難しくはないのだが、12がついているだけあってパンプする。汗でぬめるし、もっと涼しくならないとこなせないかも。最後にまた「謙譲の美徳」を登って終了。さすがにこの陽気で誰も登りに来なかった。
2010.08.17
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昼食に奥多摩の秘境蕎麦屋「とちより亭」へ出かけた。先日食べに行って、他と比べてもうまいソバだと思った。ソバ好きブログの中には、この「とちより亭」でさえ「たいしてうまくない」というコメントもあるようだが、いったいどれほど舌がこえているのかと思う。何を食べてもおいしいと感じないのだろうか?ヤマメの炭火焼も食べてみた。表で、ほんとに炭火で焼いているのだが、一尾づつ大きさが揃っている。養殖ものだろうか。山へ入って、親爺が毎日釣っているわけではあるまい。それに奥多摩にそう釣れる沢があるとも思えない。沢登をするから、奥多摩の渓にもちょくちょく入ったことがあるが、奥多摩は沢に関してはかなり貧相に思う。魚影はほとんどないし、大滝のある沢も多くない。また、樹木が高く、常緑樹で鬱蒼としていて暗い沢が多い。透明で清冽な水の西丹沢や、広く、渓のスケールも広めになる奥秩父の方が、沢登りの対象として考えれば魅力が多い。まあ、釣堀なんかで育ったヤマメであってもとちより亭の風情は帳消しにしてくれる。冬は休みだし、週末と月曜の昼時しかやっていないから、ファンのような客が平日でもやってきて、ほぼ満席の状態が続いていた。
2010.08.16
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山岳がらみの冒険小説をまた読んでみた。笹本稜平「天空への回廊」いくつか山岳小説を書いている笹本稜平の比較的初期の作品で、エヴェレストが舞台。主役は日本人クライマーだが、それ以外の登場人物、舞台はアメリカやネパールなど、ことごとく海外。日本は一切出てこない。エヴェレストの山頂近くに人工衛星が墜落し、たまたま登山中だった登山者たちが回収を手伝わされることになるのだが、衛星には世界を危機に陥れる謀略の種があった。話が進むにつれ、徐々に裏が語られていき、次へ次へと読ませる。以前読んだ本格山岳小説「還るべき場所」と同様、矛盾や破綻がなく、表現も角ばった重厚感に統一されている。ただ、後の作品のような人間の内奥に迫る内容ではなく、あくまでストーリーの面白さで勝負している。山岳シーンはこの頃すでに知識のベースを持っていたようで、クライマックスまで迫力があってすばらしい。一箇所、切断されたフィックスロープを補修しながら下る場面は、わざわざ登り返す必要があるのか、と思ったが。文庫本で650ページの大作だが、後半は一気に読んでしまった。「還るべき場所」の主人公の青年もそうだが、この日本人クライマーも8000メートルの高所で5日も行動するとは、あまりに超人的。しかも最もコンディションの厳しい1月(冬季)だ。2度も山頂を越えるうえ、敵と戦う。そこだけが、あまりに現実離れしている。誰が黒幕か、誰が悪人か、という部分は多少読めてしまう部分もあるが、ジェームズ・キャメロンばりに終わったと思っても終わらない展開でつい目が離せなくなってしまった。ちなみに冒頭で日本人クライマーはエヴェレストに冬季単独無酸素登頂という、それだけで現実離れした登山を成し遂げている。今でさえ、そんなことを実際にできる人はまずいないが、冬季ヒマラヤ登山の最大の課題でもある。
2010.08.14
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またまた久しぶりになってしまったランナウト。16日から2週間リード壁のリニューアル工事に入るらしい。お盆休みのせいか土日ではないのに人が多い。そのなかでオートビレーで登る。5.9×3、10a×3、10b、10c、10d、とやって11aは上部で敗退。10d、10c、10d、10c、10c、10b、10c、10c、10a、5.9、10aと、はっきり憶えていないが20本余り登る。ホールドが新しくざらつきがあるカランバやベースキャンプと違って、かなり触られて磨かれているランナウトのホールドは指皮がひりつかない。後半はパンプしてくるかと思ったが案外持続した。オートビレーがあると筋持久力トレーニングができるから、それがランナウトにわざわざ来る魅力だ。3時間じゃワークアウトまでいかず、時間がきてしまう。30本くらい登るにはこれだけの人がいると無理だ。すいてて、ほとんど休まず登ってようやくいけるかという本数になる。高グレードは触っていないが、11台になるとインドアはたちまちホールドが持ちにくくなる。グレードをトライしに来ているわけじゃなく、トレーニングとパワーのコンディション維持と割り切って来ているから、登れるグレードじゃないと手数が足りずに意味をなさなくなってしまう。たまにランナウトに行くたびに、昔なじみの顔は減り、新しい人たちに入れ替わってきて、クライミングの裾野は広がっているのだと感じる。
2010.08.13
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「インセプション」を見に行った。監督のクリストファー・ノーランは「ダークナイト」でその世界観を圧倒的に示し、一気に注目の監督となった。クリストファー・ノーランのすごいところは、複雑難解なアイディアの映画を興行的に成功させてしまうところで、しかも映画の評価も各界から相当高い。初期の10分しか記憶がもたない男を描いた「メメント」ですでに片鱗を見せていた。「インセプション」も期待していた。出演はレオナルド・ディカプリオ、渡辺謙。音楽は往年のハンス・ジマーが担当し、ノーランの世界を重厚に表現している。人の夢の中に入りこみ、アイディアを盗むということを仕事にしている男が主人公。企業家(渡辺謙)の依頼で、ライバル会社の社長に今度はアイディアを植え付ける仕事を引き受ける。そこに主人公ディカプリオのトラウマが絡んでくる。夢の中へ入り込み、さらに夢の中の夢へとどんどん深くに潜入してゆく。この映画の着想がすごい。そしてそれをひとつのストーリーにまとめ上げ、しかも映像化してしまった。まさにクリストファー・ノーランは表現者として才能を兼ね備えた映画監督だ。ディカプリオが創造した退廃的な都市も素晴らしいし、ストーリーも絶妙な展開。この映画の注目すべきポイントは、戦いが繰りひろげられるのにも関わらず、考えてみたら悪役が出てこない。そして誰も破れ去らず、不幸にならないところだ。どうしようもない運命に翻弄され、感情が揺り動かされ、苦悩する主人公というのは、「メメント」や「ダークナイト」などノーランの映画に共通するタイプだと思う。潜在意識や夢を扱った映画はこれまでにも作られてきたが、「インセプション」ほど真正面から突っ込んだのは見たことがなく、しかも期待を裏切らなかった。
2010.08.08
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立川山岳会Kのさんと小川山へクライミング。お盆の入りの週末で道や駐車場は少し混雑していたが、岩場はすいている。先ずマラ岩を見学しながら姉岩へ行く。下の姉岩で「た・タんか」10a、長めの「グラッシオ」10bでアップ。Kのさんも「た・タんか」と「牛脂ライス」10bでアップ。ふたりで「Ojos Asi」11bに取り付く。下の姉岩は部分的に脆く、気を使うが、このルートの上部核心はかなりしっかりしている。ムーブに迷いがあったが、首尾よくオンサイトできた。Kのさんも、登ったことのないグレードだったがトップアウト。トライを続ければ一日でレッドポイントできそうだったが、次回にまわす。一旦戻って午後は弟岩へ移動。気になっていたハングルート「屋根の上のバイオリン弾き」11bをトライ。上部のラインがいまいちしっくりこないが、オンサイトする。100岩のトポにあるコメントで「二番目のハングの乗越しが核心」とあるが、二番目のハングとは上部の大きなハングのことだとばかり思っていた。そこを左から抜けたのだが、たいして難しくない。よく見れば、ハングは3箇所あり、二番目とは最初のハングのすぐ上のようだ。確かにここがムーブ的には一番きついところで、しっくりこなかったが、ルートのラインはそれでいいようだ。Kのさんは隣のオンサイトしにくい「ケンタウルス伝説」10bをうまくオンサイトする。なかなか粘りのいいクライミングだった。最後は3ピッチの「小川山劇場」(5.9, 10d, 5,9)を登る。以前は2ピッチ目の10dを登れなかったが、ここをなんとか登る。10dはやや辛めで、11aくらいの体感。すいていて虫もなぜか少なく、快適なクライミングの日。
2010.08.07
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暑い日が続き、涼しいところ、避暑にいいところはないかなと考え、白馬の大雪渓に行ってみた。先日、槍ヶ岳山頂から遠く見えた白馬岳。深夜に自宅を車で出て、猿倉の登山者用駐車場に着いたのは御前4時過ぎ。ちょうど夜が明け始め、4時20分ごろ歩き始める。堰堤工事をしていて、北股の谷にはダムのようなでっかい堰堤が出現している。春には白馬主稜に2回来たことがあって、白馬尻あたりの景色は雪の印象しかなかった。雪のない景色は、まったく違う。春にはテントも張っている渓のこんもりした雪の丘は、夏には20メートルくらいある小山の中洲で、下を轟々と水が流れている。僅か3ヶ月でこうも違うものか。白馬尻小屋から少し先で雪渓に乗る。アイゼンは不要なくらいの傾斜だが、アイゼンをつけてしまった方がスピードが速い。数年前の夏のシーズンに上部のガレが崩壊し、登山者数人の犠牲者を出したところで、今も崩壊途中の両岸から落石がある。だから雪渓上でのんびりしていられない。予報より天気は悪く、雲とガスがかかり始める。大雪渓を抜けるとお花畑。(スイスのアルプスのイメージ)葱平(ねぶかっぴら)という場所で、花の株数と種類は北アでも飛びぬけているだろう。天国のような楽園を楽しみながら急登を登ると、もう白馬頂上山荘に着いた。東側はガスが上がってきているが、西側は晴れている。旭岳の岩山が印象的に大きい。たいそうご立派な白馬山荘を通過し、ほどなく山頂に着く。8時少し前。標高差は1600メートルくらいで、それを3時間半ほど。雪渓が長く、それが歩き易く速いから、高差の割には楽に登れる。(白馬山荘、上は特徴ある山頂)30分近く、ガスが晴れるのを待っては写真を撮り、のんびりする。下山時には天候も徐々に良くなり、晴れてくる。(葱平のお花畑)青空の下に広がるお花畑は天上の楽園。これだけの世界と、有名な大雪渓のある白馬岳は、北アルプスにあってかなり俗化している。家族連れや団体、観光客スタイルの人までたくさん登ってきて、他の北アルプスの登山者の世界とは雰囲気がちょっと違う。(雪渓の靄の中続々と登ってくる登山者)人がそれだけ多くやってくるところは、やはりいいところだが、自分の山を登ったという満足感には欠ける。駐車場に10時45分頃戻る。下山は写真を撮りながらでも2時間20分。ほどよい避暑だった。
2010.08.06
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毎日暑くて、水根沢に避暑に行った。更に埋まったのか、水量が少ないのか、釜はほとんど足がつく。ハーネスもロープも、遡行図、地図も、食料、水さえ持っていかないで、一見無謀で山を甘く見ているようなスタイルで入渓する。もう5,6回は遡行しているから、水量や渓相を比較できるし、半円の滝上で登山道に上がってしまうと、遡行時間もほんの1時間余り。多少の水の濁りは、時々あるにわか雨のせいか。泳ぎこそしなかったが、暑い夏、水に吸い寄せられるように流れに入ってしまった。山ヤの夏は沢だ。
2010.08.04
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(車山からの眺め)北八ヶ岳のピラタス・ロープウェイで北横岳の麓の坪庭に行った。夏の八ヶ岳を訪れるのは北南通じて初めてのことで、八ヶ岳というのはアルパインをやっていると本当に雪の季節しか来ない。坪庭は標高2200メートル余りで、本来ならもっと高山植物が多いようだが、今シーズンは終わってしまった花も多く、それほどでもなかった。先日行った雲ノ平にも劣らぬ風情が坪庭にはあり、近付きがたく秘境の雲ノ平と比べ、アプローチがいいから逆に有難さが貶められている。そのまま車山へ向かう。目的はニッコウキスゲだったが、今年はほとんど花が咲かず、ほかの花が、緑の草原の山肌にぽつぽつと咲いているだけだった。(はっとするほど紫あざやかな花)夏休みの日曜は人出が多い。リフトで半分登り、車山山頂はめぐとゆっくり歩いて往復する。北海道を思わせる雄大さ。「アルパインをやっていると俗な山には来ない。でも人が大勢来るということは、それだけいいところなんだね」めぐはそう言った。北、南、八ヶ岳など、大きな山脈に囲まれた盆地に盛り上がった丘のような車山、霧が峰は視界がよければそれは絶景だ。俗な山でもやっぱりいいところはいい。世界でも有数の観光地カナディアン・ロッキーも、俗だけど、それでも最高だった。
2010.08.01
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「いちばん危険なトイレといちばんの星空」は石田ゆうすけ氏による自転車旅ものの続編。「世界9万5000km自転車ひとり旅2」というサブタイトルがついている。中身は「どこがいちばんよかった?」とよくきかれるから、「いちばん」をピックアップしたエピソードをまとめたもの。北アルプスの歩きに文庫版を持っていったのだが、読み出してまたショックを受けた。なんか憶えある話だな、前作の自転車旅の本と内容が重なっているのか、と思ったが、単行本を図書館で借りて読んだことがあったのだ。自分で読んだことを忘れていて、文庫になった同じ本を買ってしまった。しかも山に持っていってしまった。でも「文庫版あとがき」にあるように、内容にはだいぶ加筆修正があるようで、読んだ記憶にない内容も含まれていた。帰国してライターをやっている石田氏だけあって、文章がだいぶこなれてきた印象を受けた。ラストに置かれた「世界一すごいところ」などは、なかなか紀行としておもしろいと思ったが、全体を通して軽いノリで、味わい深さがない。読み手が求めているものとの違いがそういう印象になってしまうのだろうが、自転車旅モノは書き手が少ないだけに、もう少し中身のあるものを書いて欲しい。どういうものを求めているか。それはより心情(リアクション)をよく表現したもので、書き手の考え方、視点、世界の見方を読みたい。紀行であっても、何を食べて、何が起きて、楽しかった、悲しかった、という旅行記などは興味がない。そこにいて、どう世界を理解したか、そしてできることならドラマチックな、ストーリーを読みたいと思う。
2010.07.31
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藤沢周平の時代劇が原作の映画「必死剣 鳥刺し」監督は平山秀幸、主演の剣士は豊川悦司。藤沢周平原作の映画は何本か見ているが、舞台は武士の時代だけど、話は現代にも置き換えられる人間のドラマで、ちょっと見やすい。「必死剣 鳥刺し」はタイトルの隠し剣を扱う武士が主人公で、その必死剣を使わざるを得ない状況に翻弄されゆくというストーリー。妃を殺めたものの寛大な処分により3年後に要職に復帰するのだが、殺める場面から罪を償う場面が丁寧に、静かに描かれる。まじめな一武士がそんなことをした理由ははっきりとは語られない。そのあたりは、ややたるむ時間帯で、ラストがいいだけに、この部分を引き締めればなかなか見ごたえがあったかもしれない。なぜ寛大な処分になったかは、上層部の目論見があったのだが、そのせいで、必死剣が登場する。なぜ必死剣というのか、なぜ鳥刺しか。中盤の何気ないシーンにその由来が挿入されたり、ジョン・ウーの香港ノワールの世界にも通じる展開が触れ幅が大きくていい。セリフに機微が感じられ、そこは素晴らしいが、(原作に忠実なのだろうか)雰囲気が平板で、もう少し映画的な色を出してほしかった。新聞の映画評などでもあったように、ラストの殺陣(唯一の殺陣シーン)は一見の価値がある。豊川悦司のそれまでとはまるで豹変する振る舞い、やむにやまれぬ思いが暴発する、感情を揺さぶる場面。まさに「男たちの挽歌」だ。
2010.07.30
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