オキナワの中年

オキナワの中年

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

大野隆之

大野隆之

Favorite Blog

YOSSY’S DI… Yossy☆さん
あいすまん みやじ。さん
不動心 瀧澤達也さん
1999Web miya-zyさん

Comments

坂東太郎9422 @ 琉球料理伝承人 「宮国由紀江(薬膳でメンテ)  ~ 身近…
元シラドウ@ Re:ひさびさの退院(03/07) 大野ゼミ卒業生の元シラドウと申します。 …
大野寛之@ 家族より御礼 大野隆之の弟、寛之です。 このたびは兄…
金坂嘉一@ Re:ひさびさの退院(03/07) 昼過ぎ、訃報が届きました。 高校の恩師、…
07AA120@ Re:ひさびさの退院(03/07) 大野先生がこのブログに書かれた、学生た…

Freepage List

書評1


魂込め(まぶいぐみ)/目取真俊


沖縄文学の情景/岡本恵徳


果報は海から/ 又吉栄喜


反近代の文学/三田英彬


*神様の失敗/勝連繁雄


面影と連れて/目取真俊


98年沖縄文学 回顧


99年 沖縄文学回顧


00年 沖縄文学回顧


海鳴り/長堂英吉


01年 沖縄文学回顧


大城立裕全集発刊・沖縄に生きた文学


夏化粧/池上永一


鯨岩/又吉栄喜


うらそえ文芸8号


干刈あがたの文学世界


新報文芸


*古波蔵信忠『三重城とボーカの間』


*竹本真雄『燠火』


又吉栄喜『陸蟹(おかがに)たちの行進』


目取真俊『署名』


*『うらそえ文芸』第5号


日本平和学会「戦争と文学」分科会


又吉栄喜「海の微まど睡ろみ」


目取真俊「群蝶の木」


大城立裕「水の盛装」


新川明『沖縄・統合と反逆』上


新川明『沖縄・統合と反逆』下


久志芙沙子「滅びゆく琉球女の手記」


*てふてふP「戦い、闘う、蠅」


日本・沖縄・ドイツの国際シンポジウム


「文学」と「映像」再論


全国で売れる沖縄本


又吉栄喜「落とし子」


「現代思想」臨時増刊号


崎山多美「水上揺籃」


大城立裕「クルスと風水井」


目取真俊「希望」


大城立裕全集


最終回


船越義彰「小説遊女たちの戦争」


学術系


オキナワの少年試論マイナー文学の視座から


「滅びゆく琉球女の手記」論


堀辰雄事典三項目


沖縄戦とメディア


PDF版リンク(鏡花研究)


雑文


RPG-BEST5


バラライカ研究


沖縄文学と方言


国際シンポ「複数文化の接触」にむけて


ブンガク研究の時代?


倉庫


第二倉庫


まなざされる沖縄/生きられる沖縄


ウルトラマン研究


0~10


ウルトラマン略年表 ver.2.2


11~20


金城哲夫研究文献目録ver.2.1


21~29


金城哲夫論序説


「全人教育」および小原氏に関するメモ


金城哲と沖縄ー「ウルトラQ」を中心として


掲示板過去ログ







Feb.04


Mar.04


Apr.04


04、oct.nov.


des.2004


Apr 20, 2005
XML
テーマ: 戦争反対(1197)
カテゴリ: カテゴリ未分類
 前回の「国旗・国歌」の論評は、純粋に形式論であり、そこそこ筋は通っていると思うが、血は通っていない。今日は全く私的な感情を書く。

 まず、教員というのはおいしい仕事である。普通お客様には「ありがとうございました」というものであるが、教員はお金をもらって、「ありがとうございました」といわれるのである。こんな仕事は、他には医者とか、弁護士とか、限られた職業であろう。

 しかも業務内容が楽しい。おそらく小学校教員は小さい子供がすきなのだろうと思う。しっかりした授業、指導を行えば、純粋な子供たちが尊敬してくれる。中には生涯に渡って親しく付き合うこともあるだろう。

 私の場合、一度教員から逃げた。学生時代、千葉大学の国文学科の卒業生の大半は中学教員か、高校教員になっていた。当時は教員採用試験に落ちるということは極めてまれで、まあ運転免許の試験と同じような難易度であった。しかし私が4年生のころ、千葉県の高校は非常に荒れていた。私はそういったあれた学校で、十分な指導を行える自信は無かった。たまたま卒論が上手に書けて、指導の先生が大学院を薦めてくれたので、当時千葉大は修士課程までしかなったため、都立大学に入った。

 就職して十年になる。学生たちは素直であり、さえない容貌の中年男の私を慕ってくれる。最近ゼミ生以外の学生の名前と顔が一致しない場合が多く、反省している。

 さて、入学式卒業式についてである。教員にとっては、毎年一回ずつある入学式、卒業式であるが、児童、生徒、学生にとっては、それぞれ一生に一度しかない大切な儀式である。入学生の一部は緊張でドキドキだし、卒業生の中には感極まって涙ぐむものもいる。このような晴れの儀式で、対立を起こすような教師は、教師ではないと私は思う。個人的には様々な思想信条があるだろう。しかし教え子にとってはたった一度の大切な日に、どうして混乱を生じさせることが出来るだろうか?

 仮に共産主義が政権をとり、国旗は赤旗になり、国歌が「インターナショナル」になったとしよう。個人的には苦痛であるが、私はその場合には、赤旗に敬礼し、精一杯の声で「インターナショナル」を歌いたいと思う。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  Apr 21, 2005 01:05:11 AM
コメント(4) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: