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 現在研究途中の内容は「「カクテル・パーティ」後章における対話構造」と「戯曲「人類館」改変と東京タワー事件の関連」、それから「沖縄における旧制中学校校歌の研究」なのだが、今のところ校歌がおもしろいので、ほそぼそと勉強を続けている。

 近年校歌研究では、環境学の領域の論文が多い。「校歌に歌われた景観」とか「校歌と気象・風土」みたいな感じのやつである。一方私の関心対象と重なる研究もあり、渡辺裕「歌う国民」中公新書などは非常に参考になった。これは主に学校唱歌を中心に論じており、唱歌やその影響を受けた小学校校歌が、中央集権的な国民国家形成のための重要な装置だったことが、分かりやすく論じられている。

 その本の中に気になる記述があった。「仰げば尊し」が絶滅寸前らしい。「君が代」に気を取られているうちに、そのような事態が進行していたのか。しかも前掲書によると、2005年の「女王の教室」というテレビドラマ以後、「仰げば尊し」の逆襲が始まってるとかいう話である。おいおいそんなんでいいのか。

 「仰げば尊し」が減り始めたのは1970年代から80年代らしい。歌詞が難しい。「仰げば尊し、わが師の恩」が押しつけがましい。「励めよ」「身を立て、名を上げ」などが、過度に教訓的だ、そうである。ええええ?

まあ最初の「歌詞が難しい」はそうなのかもしれない.実は私もさっきテキストを確認するまでは「いと疾し」を「いとおし」だと思っていた><。だがしかし、そういうのを分かりやすく教えるのが教育であり、学校だろう。難しいのを教えるのをやめましょうということで、教育の暗黒時代が始まったのである。

 「押しつけがましい」については、びっくりしてしまう。そりゃあ嫌いな先生だっていたが、卒業式の趣旨には、当然ここまで指導してくれた恩師に対する感謝が含まれている。また二番の「たがいに睦みし、日頃の恩」は友人に対する「恩」をさしている。友達同士で照れくさいのであるが、ここまで頑張ったのもお前らのおかげだよなあ、ということである。さらに「身を立て、名を上げ」の部分は単に自分が偉くなりたいということではなく、ここまで育ててくれた親の恩に報いるべく努力するということである。この自分の勝手気ままをいましめ周りの人々に感謝して旅立つというのを、「個人の自由」に対する「押しつけ」などと考えるから、社会がこんなにダメになっちゃったのである。

 自由には責任が伴う。「個人の自由」といっておけば教師は責任を取らなくていいのである。実際にはちゃんとした先生も多いのであるが、「仰げば尊し」をおしつけとみなすような立場にはまず教員(組織)の無責任さがある。仰がれちゃうと責任が発生しちゃうからである。学校では当然生徒の自由は制限される。そのかわりしっかり社会に出られるような教育を行うのが教師の責任である。

 「仰げば尊し」の衰退と「ゆとり教育」の始まりが期を一にしているのは偶然ではないだろう。「ゆとり社会」が完成したので、教育現場もまったりしましょう、というのならわかるが、現状の社会はかつてないほどの競争社会である。学校ではそれに耐えるべく、トレーニングの場でもあらねばならない。たしかに現状の格差社会は行き過ぎている。当然是正する必要があるが、これは一朝一夕にはいかない。そうしている間に生徒たちはどんどん卒業していくのである。「君たちの自由にしなさい」は気楽でいいが、教師は「仰げば尊し」と歌われて恥ずかしくないような教育を施すべきなのである。

 やや話がずれたが「仰げば尊し」にかわる新しい定番の卒業の歌が1991年に出現した「旅立ちの日に」という歌である。(つづく)





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Last updated  Feb 21, 2012 11:38:40 PM
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お子さんラボっ子だったのですか?  
えっ、そうです。
4月7日でめでたく還暦を迎えるのは宮里淳子テューターの事なのです。
何という偶然なのでしょう。
お子様は現在何才なのですか?

「沖縄県立図書館八重山分館 廃館」について、書きました。
是非ご覧になってください。

(Feb 23, 2012 08:24:27 PM)

Re:「仰げば尊し」と「旅立ちの日に」1(02/20)  
紫藻 さん
やはり朝日はこう書くようです。
http://www3.ic-net.or.jp/~yy-image/g04t/px/subtabidatinohinikiji.htm
あえて対立軸を創作して伝播させる。大本営発表が小本営発表になっただけ。 (Feb 23, 2012 09:36:16 PM)

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