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大野隆之

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 ある世代以上で、テレビなどほとんど見ない私のような者は「旅立ちの日に」という歌を知らなかった。実は息子の小学校の卒業式で聞いたらしいのだが、特に覚えていなかった。今回聞き直してみると、私などの世代には赤い鳥「翼を下さい」とイメージがかぶるのだが、なかなかいい曲である。成り立ちも、荒れた中学校を合唱教育で正常化させ、その卒業式に先生方からのプレゼントして歌われた、などすばらしいのである。

 この歌がまたたく間に全国に広がったのには、様々な偶然やマスコミの関与などがあったようだが、それだけでなく、80年代から90年代、さらに今に至る日本の空気に、非常にフィットする楽曲だったからだと思われる。この歌は全くの無味無臭、一切の歴史性や風土性を排除しており、生活感がない。「山並み」のかわりに「武甲山」だの「秩父連山」などだったら、あくまでも発祥の秩父市立影森中学校の歌に終わっただろう。それはそれで良かったとも思うが。

 この歌が成立した1991年前後というのは、特異な時代であった。国際社会においては89年ベルリンの壁崩壊から、91年ソビエト崩壊に至る冷戦の終了、89年の天安門事件。まさに激動である。冷戦終了後フランシスフクヤマが「歴史の終わり」を出版したのが92年であった。まさに世界の最後の対立は終了したのであり、これからは市場経済と民主主義が世界の唯一の価値観となり、やがて国家はその役割を終え、地球市民が現れる。実際そのような理念の実践として、ユーロ圏実現の第一段階として、資本移動の自由が開始されるのが、90年であった。今となっては噴飯物だが、実は私も21世紀というのはそういう時代になるのだなあ、などと思っていた。今でも鳩山元首相などは信じていると思われる。

 一方の日本は、経済指標的には91年初頭に終了しているのだが、まだバブルの気分が残っていた。恵比寿ガーデンプレイスや京都駅再開発が計画されるのが91年前後である(ともに完成は94年)。少しあとだが六本木ヒルズの再開発事業が開始されるのは93年であった。一切の歴史性や風土性を欠いた、どこの国だかわからない、お洒落で無機質な空間。このような時代感覚と「旅立ちの日に」の歌詞はまさにマッチしてた。風土や郷土を持ち出すのはださださであり、未来は明るいのであり、自分らしく生きればきっと幸せになれる。「旅立ちの日に」はそのようなバブルの時代認識と見事にマッチしていたのである。

 このように記述すると、あたかも私が作詞者である当時の校長先生を批判しているという誤解を招きかねないが、そうではない。秩父市立影森中学の教師から生徒たちのプレゼントとしての「旅立ちの日に」は素晴らしい楽曲である。私が批判しているのは、濃密で具体的な関係性において初めて可能になるこの歌を、全く関係ないのに安易に導入する他の学校教員である。(続く)









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Last updated  Feb 25, 2012 12:37:07 AM
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