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キジバトはドバト・カラスと並んで、都会で最も身近な鳥である。体の大きさに比例してその鳴き声も大きく、一般には「デデー ポーポー」と鳴く。今の季節には早朝5時頃から、盛んに鳴いて煩いと感じる人もいる。このキジバトの鳴き声だが、隣家のベランダと庇の間に何年もの間棲み着いている番いはイントネーションが異なり、「トウキョウ アッタカイ」と鳴いているように聞こえる。雌雄同色で茶褐色から紫灰色をしており、翼に黒と赤褐色の鱗状の模様が頚部側面には青と白の横縞模様がある。キジの雌の体色の似ていることが、名前の由来とされている。日本全土の平地から山地の明るい森林まで広い範囲に生息するが、ヒヨドリと同じように都市部でも普通に見られるようになった。ヤマバトという別名のとおり昔は山岳地帯に生息し人前に姿を現さなかったのだが、都市部での銃猟が禁じられてから人を恐れなくなり、1970年代には街中の街路樹や建造物に営巣するようになったが、ドバトに比較すれば警戒心は遥かに強い。樹上に小枝を組み合わせ、下から卵が透けて見えるほど粗雑な皿状の巣を作る。メジロやウグイスなどの小鳥と異なり古巣を利用することも多く、樹上に限らず建築物にも営巣する。野生の他の小鳥と異なり季節を問わず産卵・繁殖し、1回に2個の卵を産む。抱卵は雌雄で分業しており夜間は雌、昼間は雄が行う。昨日の朝、ヒガンザクラの高さ3mほどの枝に巣を架け抱卵しているキジバトを発見した。今朝5時前に写真を撮りに行くと親鳥の姿が見えず、1個の卵が下から透けて見えていた。雌雄の交代時間かと思い2時間後に再度見に行くと親鳥は近くの電線に止まっており、既に卵の影すらも確認できなかった。桜の木の下を一匹のネコが横切って行ったが、ネコが小さなハトの卵を狙うことは考えられず、恐らく近くのメタセコイヤの樹に営巣しているカラスの餌食にされてしまったのではないかと思われる。キジバトは案外巣に執着しないから、恐らくこの巣は放棄されてしまうに違いない。一般に平和の使者などと言われるが、豆など穀物の種子を食害するキジバトは農業者にとっては害鳥である。育雛には、そ嚢で生成されるピジョンミルクを与える。ピジョンミルクにはタンパク質や脂肪の他、雛の成長に必要な栄養素が含まれている。有名な哺乳瓶メーカーの名前は、実際には厄介者なのだが、平和の象徴とされるハトPigeonから採って付けたものである。多くの小鳥類の親鳥は植物性食であっても、育雛には昆虫などの動物性タンパクを必要とする。小鳥類の多くが春から初夏に繁殖するのは、この季節に幼虫が大量に発生するからだと説明されている。動物タンパクの昆虫を必要とせずピジョンミルクにより育雛できることが、繁殖期の限定されない理由として挙げられている。キジバトの営巣の失敗で最も多い原因として、卵や雛が他の動物に捕食されてしまうことが挙げられる。捕食者には、カラス・ネコ・アオダイショウが多い。昔は子供もキジバトの天敵であったのだが鳥より面白い対象が他にあるためか、最近の子供は鳥に関心がなく鳥に悪戯をしない。これら捕食者からの襲撃で抵抗している親鳥を見ることは無く、殆どが逃げ出して避難するだけであることが多い。突然のことに驚いて目を丸くしきょとんとする様子のことを、「鳩が豆鉄砲を食らう」という。鳩が豆鉄砲で撃たれても、大した衝撃はない。鳩は好物の豆がいきなり飛んできたこと驚いて、何かと見れば好物の豆が転がっている。なにが起こったかわからず、呆気にとられてきょとんとしている姿が目に見えるようである。
2015年05月28日

ロウバイ カリン関東では1月末頃、標高630mの山荘では3月の未だ冬の寒さが残る頃芳香を放ちながら咲く。蠟梅はウメやサクラと比較して疎らに小振りな花なので、見栄えは劣るが花の無い時期に芳香を放って咲く黄色の花は春を呼ぶ花として人気が高い。未だ冬の寒さの中で頑張って咲いた蠟梅が、結実して長径4cmもありそうな実を着けた。蠟梅は中国原産の植物で江戸の初期の後水尾天皇(1611~1629年)の時代に、朝鮮半島を経由して渡来したとする記録がある。漢名でも蝋梅と書き表わされ花の香りは強く木の下を通っただけで、ロウバイの花があることが分かる。花がウメに似ているとして名前に梅がつくが、ロウバイ科に属しウメが属するバラ科とは全くの別属である。唐の国から来たこともあり、別名唐梅とも呼ばれる。中国名が蝋梅であったことから、和名でもそのまま呼ばれるようになった。1596年に南京で上梓された「本草綱目」によれば、花弁に蝋の様な光沢があり臘月(旧暦12月)に咲くウメに似た花としてこの名がけられたという。花や蕾から抽出した蝋梅油には抗菌・抗炎作用があるといわれ、皮膚保護軟膏の「華佗膏」の香料に配合されている。蠟梅の花を知る人は多くても、緑の葉の中に付く実に気づく人は少ないと思われる。山荘へ来る客は、目の前にある実を見て桃か梨と勘違いする。果実の形は丁度今頃の、カリンの実に似ていなくもない。蠟梅の果実はイカ釣りに使うイカツノの角が極端に短くなったような形が果実の頭に付いていて、途中で退化することなく実が樹上で朽ちるまで同じ形で残る。ロウバイの種子は極めて発芽率が良く、実生で最も簡単に育てられる植物でもある。晩秋になって焦げ茶色になったさく果の中には、小豆程の大きさの種が入っている。寒さに遭わせたほうが良く発芽するので、秋に蒔けば春分過ぎる頃には芽を出す。幼苗は根が活着する前に-10℃以下の寒さに当たると枯死することがあるので、彼岸前には定植しておきたい。ロウバイの果実は、食用にはならない。ロウバイの種子には、抑制性神経伝達物質の放出を阻害して痙攣を誘発する有毒物質のカリカンチンを含んでいる。猛毒の「ストリキニーネ」は、マチンの種子に含まれる植物アルカロイドで生薬名「馬銭マチン」と呼ばれる。この成分は脊髄の反射機能を亢進し、硬直性の痙攣を起こす。また、延髄の血管および呼吸中枢に対して興奮作用を示す。静脈注射による致死量はマウス44mg/kg、ラット17mg/kgである。ロウバイの種子にも哺乳動物にストリキニーネと同様の薬理作用を発現する、カリカチンを含有する。葉には、キモナンチンというアルカロイドが含まれている。この物質はコロンビアに生息するダーツカエルの名前を持つ毒カエルの分泌物にも含まれており、シキミ・ドクゼリ・ドクウツギの中毒に似た症状を表すとされる。蕾は生薬の「蝋梅花」と呼ばれ風邪や喉の痛みに、鎮咳・解熱・鎮痛薬として用いられる。開花前の蕾を採集し、通風のよいところで陰干ししたものが使われる。あまり旨そうには見えないが子供たちが誤って、口に入れないように注意しないといけない。
2015年05月27日

例年より1週間ほど早く、山荘の庭に芍薬が咲いた。15年前に鉢植えを移植したものだが、清楚なピンクの花を見せてくれる。芍薬より20日ほど早く咲く牡丹も重厚で見事だが、昔からの一重の芍薬もまた牡丹とは異なった風情があって美しい。芍薬は牡丹の仲間であるが、牡丹は木本であるのに対して芍薬は多年生の草本である。冬に地上部は枯れ翌春芽を出し樹高60cmほどに伸び、牡丹に遅れて大形の紅・白色などの牡丹に良く似た花を咲かせる。アジア大陸北東部の原産で、日本へは平安時代に渡来したとする記録がある。別名で顔佳草(かおよぐさ)、夷草(えびすぐさ)とも呼ばれる。芍薬の「芍」には、輝くように美しい花をつける草という意味がある。当初薬として渡来したため、唐から来た薬であるところから古名は「エビスクスリ」と呼ばれていた。「薬草であって輝くように美しい花をつける草」が、芍薬の名前の由来である。和名は漢名の「芍薬」を、そのままシャクヤクと音読みにしたものである。古くから美人の譬えとしてよく使われる言葉に、「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」がある。この3種の植物は全て、婦人病の薬に用いられている。芍薬は冷え性・月経不順・産後の疲労回復に、牡丹は月経困難・便秘、百合は乳腺炎や腫れものの薬草とされる。「立てば…」は観賞して美しい花であるとする他に、芍薬・牡丹・百合を薬草として用いれば美人になれるからだとする解釈もある。牡丹は「花王」と呼ぶのに対し、君主の政務を補佐した最高位の官吏を引き合いにして芍薬は花の「花相」と呼ばれる。牡丹の台木として使用されるが、芍薬の花も牡丹に劣らず美しい。花には一重咲き・八重咲き・翁咲きなどがあるが、日本の芍薬は一重咲きが中心で、雄蕊が大きく盛り上がり花の中央部を飾るすっきりした花容である。芍薬の根は、消炎・鎮痛・抗菌・止血・抗けいれん作用があり、生薬として日本薬局方に収録されている。葛根湯・十全大補湯・芍薬甘草湯・大柴胡湯・当帰芍薬散など、多くの漢方方剤に配合される。芍薬の学名Paeoniaは、ギリシャ神話の医の神「Paeon」の名に由来する。オリンポス山から取ってきた芍薬の根によって、黄泉の国王「プルートー」の傷を治したとする神話に基づいている。中国の薬物書の古典「神農本草経」には芍薬の効能について腹痛・知覚異常を取り除き、刺すような痛みや発作性の痛みをとり、利尿の効き目があって神経の安定によいという記述がある。有毒成分ベオニフロリンその他を含み、摂食で嘔吐・胃腸障害を起こす。漢方では多用されて重要な生薬だが、民間使用には十分な注意が必要であり素人療法で安易に使用すべきでは無い。 花言葉 恥じらい はにかみ 謙遜
2015年05月26日

木天蓼とはマタタビの生薬名で、別名夏梅ともいう。山地の林縁に自生していて、例年5月末頃になると樹木に絡み付いた蔓の枝先の葉が半夏生と同じように白く変色する。この時期山間部をドライブすると、少し前まで緑一色であった森の縁が小さな白いハンカチを無数にぶら下げたように変化して見えかなり遠くからマタタビの木があることを知ることができる。葉が白変する時期は、マタタビの開花と重なっている。白変は昆虫を誘引するサインだとする説がある。マタタビには雄花のみ咲かせる雄株と、両性花を持つ株がある。マタタビの仲間に青果売り場で通年売られるようになった、オニマタタビとかシナサルナシの別名で呼ばれる果実がある。キウイフルーツのことで、略してキウイとも言われる。マタタビの葉が白変する時期に、キウイも開花する。キウイは雌雄異株であるため、同じ棚に雌雄の株を植える必要がある。棚に蔓を上手く這わせて栽培すれば、10~11月頃には雌株一本で1000個以上もの果実を収穫することができる。5月末~6月初め頃、新梢の葉腋に芳香のある白い花を多数下向きに咲かせる。開花期に棚下を通ると、ムッとするような香りに包まれる。開花しないと雄花か雌花かの判断はつかないが開花すれば、花の芯の周りに雄しべに似た黄色の葯と花糸を持ち、中心には盛り上がった子房と白い柱頭・花柱を持つのが雌花なので雌雄の花は簡単に見分けることができる。一昨年は5月13日頃かなり強烈な晩霜が下りて、キウイの新梢の多くが黒く変色して枯死してしまった。去年はその反動で大量に着果し、かなり摘果したのにピンポン玉程の実がコンテナに4杯も成り折角収穫した小さな実の多くは畑に穴を掘って廃棄した。今年は裏年に当たるため、去年に比較して着花の数が1/3ほどと少ない。キウイは大量に結実すると糖度が下がり、酸が増加することで食味を低下させてしまうと言われる。山間部の道路脇にマタタビの葉の白変が目立つようになった時期に合わせて、今年は晩霜も無く順調な天気が続いたため約一週間も早くゴールドキウイが開花した。我が家の棚には何度雄木を植えても育たないので、開花時期が合えば別の棚で栽培している緑色種のヘイワードの花粉を使って毎年人工授粉を行っている。今年はヘイワードの雄花の開花が間に合わなかったため、雄木しかない隣家の棚からゴールドキウイの雄花を譲り受けて2時間掛けて人工授粉を行った。受粉すると間もなく花弁を落とし、果実が膨らんでくる。理想的には葉っぱ7枚につき1個の実を残すと言うので、 勿体ないようにも思われるがピンポン玉ほどに大きくなったところで今年は思い切った摘果を実施したいと考えている。来週末には残りの1/3の花に授粉するために、また山荘を訪問しなければならない。
2015年05月25日

山荘の周囲ではヘビを、かなりの頻度で見かける。幸い今まで蝮に遭遇したことは無いが、山林入り口には「マムシに注意!」の看板がある。このマムシの名前を冠した言葉や植物は、意外と少ない。頭にマムシと付くのは、まむし指とマムシグサ位しかない。まむし指は「短指症」のことで、1万人に1人程度の確立で発症すると言われ手術療法以外に治療法はない。岐阜から名古屋にかけての方言に、おじょろまむしと言う言葉がある。表面はしおらしく淑やかに見えるが、内面的にはヘビやマムシのように恐い女性という意味で使われる。蝮の漢字に虫が使われているが、虫の字は蛇の象形文字であることに因る。マムシグサは今頃の季節になると明るい林の中や湿った場所に、50~100cmの偽茎を伸ばし特異な形の仏炎苞を開く。北海道から九州までの、各地に自生している。平たく円形の球茎を地下に持ち葉柄下部の2つの葉鞘部分が重なってできた偽茎を直立させて、白線のある紫色の仏炎苞を開き偽茎には紫褐色のまだらな模様がある。この偽茎がマムシの模様に似ているところから、付けられたのが名前の由来である。苞が緑色の個体は、アオマムシグサまたはカントウマムシグサと呼ばれる。仏炎苞は淡い紫色ないし淡い緑色で、縦に白い筋が入る。サトイモ科の植物は全草にシュウ酸カルシウムの針状結晶を含んでおり特にテンナンショウ・クワズイモ・コンニャクには多量に含まれる。生のまま口に入れれば口中から喉まで激痛がはしり、唾液を飲み下すこともできないほどになる。昨年山形県内で採取され東京都内で販売されたウルイの中に、有毒のマムシグサの一種が混入していて問題にな った。根茎を干したものが生薬の天南星(てんなんしょう)で、去痰・鎮痙の薬効がある。山荘の菜園の隅に、いつの間にかマムシグサが根を下ろした。近くの林にはマムシグサを沢山観るところから、動物が果実を運んで来て種を落として行ったものであろう。名前の響きは余り良くないが、茶花図鑑にはウラシマソウと並んでマムシグサも茶花として収載されている。昨年は家内の友人でお茶の先生が山荘に遊びにきて、鉢に上げたマムシグサを東京へ持って帰った。はたしてその株が今年花を咲かせただろうか、気にかかるところである。 花言葉 壮大
2015年05月22日

5月も下旬になると木々の枝葉が伸びて、庭が暗くなる。そのままに放置すると、樹形も乱れてしまう。昨日は日差しもそれほど暑く無く、気になっていた庭樹の枝葉の刈り取り整理を行った。稗つき節では ♪「庭の山椒の木 鳴る鈴かけてヨーホイ 鈴の鳴る時ゃ 出ておじゃれヨー」と唄われるが、ヘッジトリマーで山椒の木の剪定にかかったとたん一匹のスズメバチが飛び出してきた。良く見ると葉の影に「鈴」ならぬ、コガタスズメバチ特有のトックリの形をした巣ができていた。このコガタスズメバチの女王は攻撃性が少ないことが分かっていたので、大きな音を出してしかも木全体を揺すってハチには気の毒だが中断することなく予定の作業を終えた。スズメバチに刺されることによる死者数が毒蛇による死者数を上回るとも言われることから、ハチ全体に対する恐怖心が人々の間に広がっている。毎年7月の末ころから10月にはスズメバチが話題に上がり、巣の駆除などの様子が盛んにテレビで取り上げられるようになった。これほど話題にされるようになったのは、この10年ほどのことである。実際には既に春先から越冬した女王蜂が単独で営巣を開始するのだが、樹木に営巣した場合には5月末は枝葉が伸長する時期であり巣も小さいために気付くことが稀である。多くは、樹の剪定等の際に発見される。スズメバチは漢字で、雀蜂と書く。日本にはスズメバチ属・クロスズメバチ属・ホオナガスズメバチ属の3属16種のスズメバチが生息している。スズメバチの名は、その大きさが「雀ほどもある」または「巣の模様が雀の模様に似ている」ことに由来するとの説がある。伊那谷では「くまんばち」の名でも呼んでおり、巣の形から「かめばち」などの名もある。成虫の姿を観察すると分かるように胸部と腹部の間が極端に細くなっているため固形の餌を食べることができず、終齢幼虫が唾液腺から出す分泌液を餌としている。コガタスズメバチは、キイロスズメバチとオオスズメバチの中間位の大きさで攻撃性は低く比較的大人しいハチである。木の枝・植え込み・軒下等の開放空間に巣を作り、巣は最大でもバレーボール程度の大きさでそれほど大きくならない。初期の巣には特長があるので、ハチの種類を巣の形から同定することが可能である。女王バチが単独で巣作りをしている初期には、徳利を逆さに吊り下げたような形状をしている。やがて働きバチが羽化してくると、徳利の首の部分が壊されて無くなりボール状に変化していく。営巣場所と餌の種類の幅が広いため、キイロスズメバチと共に都会にもよく適応している。現役時代には東京23区でも自然が多いと言われる区の食品・環境・保健衛生部門を担当していたことから、スズメバチ・クロスズメバチ・アシナガバチ等全てのハチの巣の駆除依頼の窓口でもあった。年間依頼受理件数は4~5百件にも上っていた。当時今のような厳重な防護服が無かったため、昼間のうちに巣の出入り口の位置を良く確認しておいて暗くなってからクロロホルムを染み込ませた脱脂綿を巣の口に詰め込み、15分ほどして羽音が聞こえ無くなったら枝毎切り落とし駆除する方法を指導した。クロロホルムはヴィクトリア女王が出産時に麻酔に用いて無痛分娩を行ったことから、外科手術の麻酔剤としてヨーロッパで急速に広まった薬剤である。しかし心不整脈などの深刻な原因になり易いという毒性があり、20世紀の初めには麻酔剤としての利用は徐々に減った。現在はクロロホルムの発がん性が指摘されており、ドラフトチャンバーなど閉鎖領域以外での使用は慎重にした方が良く蜂の巣の駆除への使用は奨められない。スズメバチは幼虫の餌として大量の昆虫類を捕殺するので、ミツバチの巣を襲ったり人に害を与えない限り益虫としての面がある。現役時代にも被害が発生しそうもない場所にある場合は、出来る限りそのまま残すように指導してきた。除去したスズメバチの巣を、庁舎屋上に置いて害虫駆除に活用している自治体もある。家内は「危なくないの?」と言うが、比較的大人しいコガタスズメバチの巣であることもあり除去しないで暫く様子を見ることにした。
2015年05月21日

「知床旅情」は森繁久彌が作詞・作曲して、「しれとこ旅情」の題で昭和35年(1960)に発表した。加藤登紀子との競作で爆発的にヒットし、今もカラオケで歌われ続けている。♪「知床の岬に はまなすの咲くころ 思い出しておくれ 俺たちのことを 飲んで騒いで丘にのぼれば 遥か国後に 白夜は明ける」また「宗谷岬」は昭和49年に稚内の吉田弘が詞をつくり、船村徹がこれに曲を付けた。多くの人が競作し、NHKの「みんなのうた」で取り上げられた。♪「流氷とけて 春風吹いて ハマナス咲いて カモメもないて はるか沖ゆく 外国船の煙もうれし 宗谷の岬 流氷とけて 春風吹いて ハマナス揺れる 宗谷の岬」ゆったりした曲で思わず口ずさみたくなるが、どちらも歌詞の中にハマナスとピリカが詠み込まれている。ここで歌われるハマナスは漢字で浜茄子・浜梨・玫瑰と書き、バラの仲間で1.5mほどの高さに成長する。5から8月にかけて道東・道北一帯では自生のハマナスが、華やかなピンクの花を咲かせる。ハマナスは知床旅情で初めて日本全土に認知されたが、文学や歌に詠われるようになったのもそれほど昔からではない。明治以降になって初めて俳句や短歌に、玫瑰(メイグイ)の名前で頻出するようになる。玫瑰を 噛めば酸かりし 何を恋ふ 加藤楸邨果実は親指の頭ほどの大きさで赤く、弱い甘みと酸味を有し花には芳香がある。花の名前の由来になったともされる果実にはV.Cを豊富に含んでおり、健康食品として市販もされている。のど飴に配合される場合何故か、緑色に色付けされている例が多い。中国茶の一種として、花の蕾を乾燥させた玫瑰茶もある。ハマナスには浜辺の茄子が語源であるとする説と、赤く熟した果実の形が似ているところから浜梨と呼ばれたとの二説がありそれが東北弁で訛ったという。実際に果実を見れば分かるのだが、その形が梨に似ているようにはとても見えない。浜梨説を採るのであれば形よりむしろ、その味の方であったのかも知れない。山荘のハマナスは10年も前に清里の萌え木村オルゴール館の前の株から、10月に干からびた果実一個を貰ってきて自宅で播いて育てた株である。寒さに当てることで休眠打破されるので乾燥させないようにして冷蔵庫で保存し翌春用土に播くか、または採り播きすれば簡単に発芽する。盛んにヒコ生えを出し数年経った古い枝が枯れるので、株が次々更新されていく。日の出と共に早朝に美しく開花する場合が多いが、開花と共にコガネムシの仲間のハナムグリ(花潜)やハナバチ類が飛来し盛んに盗蜜をして花を食害するので、昼頃になると美しい花弁がボロボロになって見る影も無くなってしまう。 5月19日の誕生花 花言葉 素朴花言葉の素朴と異なり、濃い緑の葉の上に美しいピンク色をして咲く花姿にはむしろ華やかな感じを受ける。
2015年05月20日

5月も中旬を過ぎるようになると、市街地の路傍の草むらに蛇苺の実を見つけることが多くなる。春先に5弁で径1.5cmほどの黄色い花を咲かせていたのが、結実したものである。ヘビイチゴは日本全土の田の畦や路傍などのやや湿った日当たりの良い場所に自生する、バラ科の多年草である。名前は漢名の「蛇苺」を訓読みして、ヘビイチゴとなったものである。中国名の由来は不味くて誰も食べないが蛇だったら食べるのだろうと考えたから、またヘビが食べるようなイチゴで食用にならないから、あるいは湿り気があってヘビが居そうな所に生えるからだなどとの説がある。また毒のあるイチゴだとして「ドクイチゴ」の別名もあるが、食用にされないだけで実際には有毒では無い。ヘビという忌み嫌われる名前が付いているが、薬草として漢方に処方される。生薬名は蛇苺(じゃも)といい、解熱・通経に用いられる。民間療法では果実を焼酎に漬けたものを虫刺されや汗疹の痒み止めとして用いるほか、飲用して解熱や神経痛などに用いるという。虫刺されで、最も強烈なのはブユの吸血である。ブユは体長約3mmで、黒っぽく丸い形をしている。春に羽化した成虫は交尾後、水中や水際に卵塊を産み付ける。卵は約10日で孵化し、約1週間で羽化する。成虫は基本的に冬季を除き活動するが、特に6月~9月には活発に活動する。夏場は日の出前後と日没前後に活発に吸血行動をするが、直射日光の下では殆ど活動しない。曇りや雨など湿気が高く気温が低い日は、時間に関係なく活動する。蜂と同じで黒や紺などの暗い色には好んで寄ってくるが、黄色系の明るい色の衣服には寄ってくることが少ない。良く似た昆虫で顔の周りを飛び回り、うっかりすると目や耳の中に飛び込んでくるクロメマトイ等がいるがこれらは吸血しない。ブユの幼虫時代は渓流で生活するため、ユスリカと共に環境のバロメーターにもされる。自然環境の豊かな、渓流の近くや山中などに多い。幼虫は水質汚染に弱いため、住宅地や汚染の進んだ環境にはほとんど見られない。蚊と同じで、メスだけが吸血する。蚊は、吻を突き刺して吸血する。一方ブユは皮膚を噛み切って吸血するため、多少の痛みを伴い中心に赤い出血点を伴った丘疹が現れる。吸血の際唾液腺から毒素が注入されるため吸血直後はそれ程痒みを感じなくても、患部が異常に赤く膨れて激しい痒みや疼痛、発熱など「ブユ刺咬症」と言われる症状が1~2週間も続く。慢性痒疹の状態になると、完治まで数年に及ぶこともある。場合によってはリンパ管炎やリンパ節炎を併発したり、呼吸困難で重篤状態に陥ることもある。予防には頭に防虫網を被ったり、長袖や長ズボンに手袋や脚絆を着けて素肌を露出させないことが重要である。また蚊を対象とした虫除けスプレー等は効果が無いので、虫よけ薬剤を使用する場合にはブユ専用のものを使うようにする。吸血されてしまった場合は、傷口から毒を抜いてステロイド外用薬を塗布する。山荘の菜園では気をつけていても、毎年必ず何回か吸血の被害に合う。都会の人には自然環境が良くて羨ましいですねと言われるのだが、ブユの吸血だけは勘弁して欲しいところだ。山荘に通うようになってからの何年かは瞼や口唇を吸血されて、お岩さんになったりタラコ唇になったものである。プロパンガスを契約している業者の奥さんがデコボコに腫れた顔を見て、虫刺されの特効薬だと言って分けてくれたのが「ヘビイチゴの焼酎漬け」であった。たしかに患部に塗布すると清涼感はあるのだが、再々点けて見たが特段治癒の効果があるようにも思えず瓶に入ったそのまま14年間も下駄箱の隅に放置されている。この地の農家の人は肌を露出したまま農作業をしているのに、プユに刺されたことが話題に上ることは無い。尋ねると昔から刺されているから、体が慣れていると言う。確かにこの5年ほどは吸血されて痒みはあっても、当初ほどに腫脹しなくなったのは免疫ができた結果であるのかも知れない。民間薬の蛇苺の焼酎漬けより、度び重なる吸血の方が効果が高かったらしい。 花言葉 可憐 小悪魔のような魅力
2015年05月19日

エゴノキは、漢字で斉墩果と書く。別にロクロギ・チシャノキの名前があり、古名はイチシ・知佐・知佐之木などと呼ばれた。斉墩果は誤用で漢名ではオリーブを指しており、日本では誤ってエゴノキにこの名前を当てたものと思われる。英語ではJapanese snowbellで、白い小さなベルを吊り下げたように咲くエゴノキの花の形をピッタリ表現している。南信州伊那谷ではチシャの名前で呼んでおり、エゴノキという呼び名を知ったのは大学入学のために東京へ出て来てからである。日本全国の雑木林の林縁部に、普通に見られる。陽樹のため、暗い林内では見ることは無い。幹の途中が大きく曲がることにより、ゴツゴツとした癖のある樹形になることが多い。白い清楚な花が樹全体を覆って咲くと、雑木林の一角が明るく感じられる。林縁部で自己主張している姿はegoismの象徴のようにも見えるが、名前の語源は英語から来たものではない。名前の由来は実にサポニンを含んでいて口に含むとエグイため、この名前が付けられた。別名のチシャノキは、実の形とふら下がっている姿を動物の乳に見立て「チチナリノキ」と言ったものが転訛したとする説がある。ロクロギは、材が傘の柄に使われたことによる。樹の近くを通ると香るほど、花には強い芳香がある。5片の花冠は深く裂けるが全開せずつぼんで咲き、雄しべ10本とこれより長い花柱を持つ。長さ2cmほどの楕円形をした果実には、大きい種子が1個ある。熟すと果皮は不規則に破れて、種子が露出する。庭木などとして植栽されるほか、材は緻密で粘り気があるところから将棋の駒などの素材とされる。また果皮にはサポニンを多く含んでいるので、昔は若い果実を潰して石鹸の代用として洗濯に用いた。エゴサポニンは有毒で、溶血作用・胃腸障害を起こす。このサポニンの魚毒性を利用して実熟果皮を擂り潰したものを川に流し、魚の捕獲に使ったといわれている。子供の頃実際に試したことがあるが、一匹の魚も浮いて来なかった。今ではエゴサポニンの魚毒性の強さは、漁に使えるほどのものではないというのが通説になりつつある。この種子をヤマガラが好み、一旦地中に埋めて貯えておき後から掘り出して食べる。この他にもカケス・シメ・ヒヨドリ・ヤマガラ等の小鳥が餌にする。山荘の庭に5mを超えるほどに成長した実生の白花エゴノキが、今年も一杯に花を付けた。芽出しの頃は何の木か分からずそのまま放置していたものが、4年目頃から真っ白に花をつけるようになった。近くにはエゴノキを見ないので、もしかしたらヤマガラが遠くから運んで来て我が家の庭に埋めて忘れてしまった種子から芽が出たものかも知れない。白花は勿論園芸種の赤花も、エゴノキの種子は極めて発芽率がよい。10月末に種皮が裂開したら種子を採り出して、採り播きし乾燥させないように管理すれば翌春には殆どの種子が発芽する。寒くなる前の秋口には、定植可能な大きさに育つ。 知左の花咲ける盛りに愛しきよし その妻の子と朝夕に 笑みみ笑まずも (万葉集 大伴家持) 花言葉 壮大
2015年05月18日

この時期になると必ずどこかで目にする句に、「目には青葉 山ほととぎす 初かつお」がある。山梨県の信州との県境に近い現北杜市白州町山口に生まれ芭蕉とも親交があった山口素堂の有名な句だが、人によっては季語が3つも重なった上字余りの句として悪作の代表例にすることもある。昭和58年(1983)に国道20号線の山梨と長野の県境の山梨県側のドライブインの敷地に、島口完なる人物が16.5tの御影石の自然石にこの句を刻んだ句碑を建立した。元々この場所には表面を研磨した黒御影の2m大の句碑が立っていたのだが、その句碑の左となりに巨大な句碑を並べて建てたものである。新たな句碑には初出の「目には…」と刻字されているが、古くて小さい碑には「目に…」と彫られている。この場所は中央自動車道の小淵沢インターから下りて来たところであり、中央自動車道が完成する以前からここを通る度に句碑を確認していたのだが、今年になって句碑が二基とも突然撤去され消えてしまった。多くの人に尋ねても何処へ移設したのか要領を得なくて、明確な返事は返ってなかった。山荘を訪問する度にいつも6kmほど離れたスーパーに食料品の買い出しに行くのだが、15日は臨時休業で店舗の模様替えをしていたので買い物は出来なかった。仕方ないので併設の白州道の駅で草餅を購入し入り口を出て右を見ると好きな花色のアヤメの大群が目に入った。少し廻り道をして花を観賞した帰途、ふと横を見ると見覚えのある石が目に入った。これこそ探していた、素堂の句碑であった。新国界橋の袂からはるばる運ばれて来て道の駅のトイレ入り口の正面に、今年になって移設したという。月に2回以上はスーパーへ寄るのだが、隣接の道の駅のトイレには用事がないのでそちらまで足を延ばすことがなかったため発見が遅れたものである。この句碑は田中角栄の文字で、金丸信が句碑建設の世話人となって昭和58年に建立されたものである。角栄と言えば1976年(昭和51年)航空機売り込みで全日空に働きかけロッキード社からの5億円の受託収賄罪と外国為替・外国貿易管理法違反の容疑で、同年7月27日に逮捕された。1983年(昭和58年)10月東京地裁からロッキード事件の懲役4年、追徴金5億円の実刑判決が出された。控訴したが、有罪判決を受け刑事被告人のまま死去した。一方の金丸信は1980年の衆参同日選挙が行われた際、「世代交代論」を唱えたことがきっかけとなって田中との仲は悪化した。金の問題では東京佐川急便からの5億円のヤミ献金が発覚し、1993年3月脱税の容疑で逮捕された。その後に自宅の家宅捜索によって、数十億の不正蓄財が発覚した。裁判途中、脳梗塞で死亡した。林家木久扇言うところの「お主も悪よのう…」の二人で、然も険悪な仲になっていた時期なのに句碑の中で二人の名前が同居しているのも面白い。因みに元の設置場所はドライブインが閉店し、その後開店した複数のコンビニ店も続けて閉店しており、立ち寄って見る人もいなくなったため北杜市に寄贈したものだと言う。国道20号線白州道の駅駐車場トイレ入り口の真向かいに、従前と位置関係が逆に二基の句碑が移設された。新国界橋袂にあった時は台座が自然石だったように記憶しているが、新たに設置されたものは全面を玉石で積んでコンクリートで固めてある。以前の台座の方が、風格があったような気がする。
2015年05月17日

蚊の声す 忍冬の花の 散るたびに 蕪 村この時期になると草むらの中から脂粉に似た甘い香が漂って来て、近くにスイカズラが咲いていることを知らされることがある。スイカズラは常緑蔓性の木本で、別名はニントウあるいはニンドウである。忍冬と書き、冬の寒さに耐えて常緑であることが由来の名前と言う。本名のスイカズラは、漢字で吸葛と書く。この植物が水を多く吸い上げるからとする他に、昔子供が花の蜜を吸って遊んだことに由来するなどの説がある。砂糖の無い時代に砂糖の代わりとして用いられたとの説もあるが、この説の真偽のほどはわからない。花を良く観察すると、白色の花と黄色の花が同居していることに気付く。サツキやウメ・木瓜・ハナモモなどの咲き分けとは異なり、初めは白色で次第に黄色に変化する性質の花である。白色と黄色の花が同居する様子から白を銀黄色を金に見立てて、中国では「金銀花」の名前で呼ばれる。雄しべは5本、花柱1本の花を咲かせ、花弁は筒状で先端は上下2枚の唇状に分かれて上唇はさらに4裂し、咲き初めは白いが徐々に黄色に変化する。スイカズラの仲間は180種もあり、そのうち日本にあるのは20種ほどである。日本全土の陽地の丘陵地から低山帯まで、普通に見られる常緑の蔓性植物である。スイカズラの蔓は右巻きで、木などに絡み付いてよく延びる。若枝には褐色の毛がびっしりと生えているが、後に毛はなくなる。蕾は漢方で金銀花と言われ、秋から冬の間の茎葉は忍冬といわれる生薬である。どちらにも抗菌・解熱作用がある。リナロールやジャスモンなど揮発油・タンニン・ルテオリンやイノシトール・苦味配糖体・フラボノイドなどを含んでいる。鎮徑・利尿・抗炎抗菌作用があって、解熱・解毒・発熱・血痢・伝染性肝炎・化膿性疾患・神経痛・リューマチなどの関節筋骨の疼痛に煎液を用いる。煎液の嗽で、口内炎・歯槽膿漏に有効とされている。花と蕾をホワイトリカーに漬けると、綺麗な淡黄色の、何とも言えない特有の甘い香りのある忍冬酒となる。味醂に漬け込むと香りが移るので、素晴らしい調味料になる。忍冬酒には利尿作用があり膀胱炎・腎臓病・各種の皮膚病・強壮強精に効果があるとされている。若芽・若葉を塩を入れた熱湯で茹でた後、充分に水に晒しアク抜きをしてからあえもの・煮物・油炒めとして利用できる。煎汁を浴剤にすれば、腰痛や痔の痛み、湿疹・汗疹ただれに有効で美容にも効果があるとされる。 花言葉 愛の絆
2015年05月15日

初夏には白い花が多いように、感じる。菜の花に始まって水仙・レンギョウ・ヤマブキなど、春には黄色の花が多かったように思うのは我が家に限ったことではないような気がする。これからも9本のヤマボウシが樹一杯に星形の花を咲かせるが、その中の一株を除いては全て純白の花である。15年前に山荘の石垣の上に植えたヒメウツギが、何年間も切り詰めを行わなかったため一畳ほどの大きさに広がって今丁度満開となった。近くに寄って見ると将にウツギの小型版なのだが、70cmにも盛り上がって固まって咲く花は離れて見ると降り積もった雪にも似て「姫」より寧ろ「雪ウツギ」の名前の方がぴったりの気もする。ウツギと同じで極めて頑健で、一旦根付けばそのまま放置しておいても毎年花を咲かせる。然も寒暑どちらにも耐えるので、ズボラ人間にはうってつけの植物である。ウツギは「空木」で、成長すると幹の髄が抜けて空洞になることが由来である。ヒメウツギの場合は、幹が細く空洞になることはない。葉が茂るため枝を持ちあげないと、幹を確認することは出来ない。東京一円では4月頃から開花するが標高630mの山荘の庭では、5月の連休になって漸く垂れ下がった円錐状の花序に径1.5~2cmの白色の5弁花を下向きに多数咲かせる。ウツギの名前が付けられた植物は6科11属を数えるが、空木の名前に反して多くの種類では幹の髄が詰まっている場合が多い。ヒメウツギはウツギと似ているが、開花期がウツギより3週間ほども早い。樹高もかなり低く70cm~1mで株立ちの枝は枝垂れるので半円形のお椀を伏せたような樹形になる。ウツギの葉裏は有毛でザラつくが、ヒメウツギでは葉裏が無毛なのが特徴である。従来ユキノシタ科に分類されて来たが、アジサイ科とされることも多い。園芸種にはピンクの花を咲かせるものもあるが、一般的には白花である。挿し木で簡単に殖やすことができるし土に接した枝から簡単に発根するので、根付きの枝を切り取って鉢に上げても良い。ヒメウツギは関東以西から、四国・奄美を原産とする落葉低木である。空木によく似ているが樹高が低い上に花も小型であることから、小形の意味で名前を「姫の空木」にしたものである。姫ウツギの10.5cmポット苗が通販では、390円ほどで売られている。ウツギの花言葉 秘密 秘めた恋 夏の訪れ 古風 潔白
2015年05月14日

14年前に山荘の庭に植えたガマズミが、今年も大手毬に似た可愛らしい花を咲かせた。桜・梅・杏など多くの花木の花が終わったこの時期、緑の中に咲く白い花は誠に目立って清々しい。秋にたわわに実った赤い実も観賞したいのだが、例年ヒヨドリに先を越されてしまい見ることはできない。ガマズミ(莢蒾)は、山地や丘陵地の明るい林や草原に普通に見られる高さ3mほどの落葉低木である。5月に本年枝の先から散房花序を出し、独特の香りがする白く可愛い花を多数着ける。直径5~8mmほどの5弁の白い花は、雄しべ5本が花弁の外に長く突き出る特異な形をしている。秋には4mm程の赤く艶のある、美しい果実を沢山つける。未熟な実は酸っぱくて食用にならないが、霜に当たると甘酸っぱくなって食べられるようになる。花も実も美しく観賞価値があるのだが同じ仲間の、オオデマリやチョウジカマズミなどに比べて庭木として利用されるのは少ない。 果実はそのまま生食できるしホワイトリカーに漬け込んで果実酒にするほか、漬け物の着色や衣料の染色としても利用される。果汁は飲料として開発され、「ジョミ」の名で商品化されている。材は堅く、民具の柄などに利用されていた。和訓栞(1775年以前)には既に、「古名ヘミ・ヘキミと呼び今はガマズミと呼ぶ。」との記載がある。蒾(ずみ)は染めの意で、果実が染料として利用され「蒲染め」といっていたのが訛った。獲物を求めて山中を歩き回るマタギが食料としてガマズミを探して食べたことから、山の神からの授かり物「神の実」と言っていたのが訛った。ガマズミの幹や枝を鎌の柄に使っていたことから鎌に染めが付きやがて転訛して、ガマズミになった。ズミの実は酸っぱいことから酢実が転化して、ガマズミになった。莢迷(ガマズミ)の音読みキョウメイが「カメ」に転じやがて「ガマ」となり、それに酸実(スミ)が付いて「がまずみ」の名になったなど、名前の由来について多くの説があるがどの説を採ってもしっくりとこない。生まれ育った南信州では「ようどめ」と言っていたが、ヨウゾメの訛ったものであろう。その他にムシカリ・ズミ・ソゾミなどの方言でも呼ばれる。果実酒にするときれいな深紅の色になるガマズミ酒は、疲労回復や利尿、滋養強壮に効果があるとされている。 花言葉 結合 無視したら私は死にます昭和50年12月に発売された都はるみの北の宿からの三番の歌詞に♪「あなた死んでもいいですか 胸がしんしん泣いてます」とある。ガマズミの花言葉「無視したら死ぬ。」と言うのは、この花を贈られたら注意しないと怖い結末になるかも知れない。
2015年05月13日

山荘の菜園の隅に15年も前、南信州の実家の山から掘り取ってきて植えたウドが今年も柔らかな芽を出した。例年連休明けころが採取の時期だが、今年は10日ほども季節が進んでいる感じがする。10年前に一度根を掘り出して植え替えたのだが、毎年株の上に土寄せをするため次第に株の位置が高くなり今では1m以上も高くなってしまった。ボツボツ又植え替え無いと土寄せも儘ならなくなりそうであるが、後期高齢者となった今では太い根を掘り起こすにはかなりの重労働で気力と体力が必要である。茎3cmほどの瑞々しいウドが、20本近くも収穫出来た。天然のヤマウドは、栽培した白化ウドに比べて格段に香り・甘さ・歯応えが違う。ウドはウコギやタラノメの仲間の多年草で、北海道から九州まで分布している。暖地では3月ごろから、寒冷地は6月ごろ芽を出す。その若芽は香りや歯ざわりが良い上、ほんのりとした甘味があって、野趣に富んでいることから山菜として愛好される。キュウリ・ワカメ・ウドの酢味噌和えは、酒のつまみにぴったりである。根は生薬の独活と呼ばれ、薬用にされる。古くアイヌは「チマ キナ」(かさぶたの草)と呼び、根をすり潰したものを打ち身の湿布薬に用いたと伝わっている。乾燥した根茎は発汗・解熱・鎮痛・抗炎症・駆風・利尿などの作用があり、漢方に配合される。煎じ液を風呂に入れると血行が良くなり温まることから、民間療法で神経痛や冷え症に使われる。ウドは地中から30cmほどに伸びた若芽を採取するが、成長が早いため採取出来る時期は極限られる。時期を過ぎたウドの芽は急速に3m近くにも伸長し、堅くなって食用にならなくなる。堅く大きく伸びたウドは食べることもできないし材にもならないことから、図体ばかり大きくて何の役にも立たない人を指してウドの大木と言う。浅井了意の「浮世物語」(1661~1665)には、「赤恥をかきて笑わるるなり。まことに独活の大木…。」とあり、江戸時代初期には既に「ウドの大木」という慣用句があったことが分かる。和名抄(源順、931-938)に「独活一名独揺草、和名ウド・別名ツチダラ」とあるがウドの語源は不詳とあり、これに続いて「タラノキに葉が似ていて、土の中から採取するのでツチダラになったのだろう」と書かれている。タラの芽は茎頂の若芽を摘み取り、ウドは土中の若い茎を切りだす。両者はいずれもウコギ科の、よく似た植物である。成長したウドの茎は太く節くれだっているが、芯が中空で何もないことから「ウツロ(虚)」と言われたという。このウツロがウツまたはウロを経て、ウドへ転訛したのではないかとの説がある。日本では独活をウドと読ませるが、漢名で独活はセリ科のシシウドのことで和名のウドはウコギ科であって全く異なる植物である。明の李時珍の著した「本草綱目」には独活について、一本の茎が真っ直ぐに立ち上がり、風が吹いても揺れない。故に、独活という。日本のウドは一本立ちすることは殆ど無く多くは株立ちで、その茎はそれほど真っ直ぐではなくむしろごつごつ折れ曲がりながら伸びる。このことから中国書にある独活は、日本のウドについての説明でないことが明らかである。本来セリ科の植物群の漢名である独活を、ウコギ科の植物に当ててウドと読ませたものである。中国で独活の名を持つ植物は、10種以上もある。ほとんどがセリ科の植物で、日本に存在しないものが多くウコギ科のウドに該当する漢名はない。うっかりすると人によってはアレルゲンになることがあるので、アレルギーのある人は注意が必要である。 雲間より 薄紫の 芽独活かな 芭蕉
2015年05月12日

山荘の直ぐ裏手に、南アルプスからの水が流れる清流がある。10年前までは解禁になると多くの釣り人が渓流釣りを楽しんでいたのだが、7年前に河川改修をしてから全く魚影を見なくなり今では釣り糸を垂れる人の姿を見ることは無い。その川の両側の土手にオニグルミの大木が、数え切れないほど生えている。毎年多くの実を着けるのだが、所有者が居ないのか熟れて落果に任せており時々拾う人もいるが多くはリス等の餌になっている。「おに」という語葉はおぬ(隠)が転じたもので姿の見えないもの、この世ならざるものであることを意味している。鬼とは人にたたりをするもののけ・幽鬼などで醜悪な形相と恐るべき怪力をもち人畜に害をもたらすとする想像上の妖怪のことである。源氏物語帚木に「ものにおそはるる心地して~」とあるように古くは「もの」と呼んでいたものが、平安時代末期に「おぬ」→「おに」に転訛した。植物には鬼の名前が付いた鬼芥子・鬼百合・鬼蓮・鬼女蘭・鬼灯・鬼麻・鬼薊・鬼胡桃・鬼山芹菜・鬼の醜草など多くのものがある。植物名に鬼と名前が付いている場合、似た植物の中の大型のものにつけられている場合が多い。オニグルミは日本では九州から北海道の、山間の川沿いなどでよく見られる。大型の奇数羽状複葉で、特に初夏の開花時期には垂れ下がった雄花序が目立つ。雌雄同株で葉の開出とほとんど同時に雌花は頂芽から苞の中に赤い花柱が出た穂状の花序を直立させ、雄花序は前年の葉腋から長さ30cmもある多数の雄花を下向きに垂れ下げる。種子は食用にされるが殻が厚く非常に堅いので仁を取り出すのは容易ではないが、味は濃厚で保存性が良い。クルミの語源はクルクル回るからとか、または黒い実からの転訛説などある。近縁のヒメグルミより核の部分が固く、凹凸が大きいためにオニの名がついたという。クルミの木の下には、他の木が育たないと言われる。オニグルミの下に他の樹が少ないのは、クルミの果皮にユグロンという物質を持っているためとされている。生物相互作用のひとつとして生物が化学物質を出して、他の生物に影響を及ぼす現象をアレロパシー(他感作用)という。一般的には、高等植物による高等植物への阻害的な作用である。セイタカアワダチソウやヒメジョンも、アレロパシーを持っている。一時荒れ地を席巻したセイタカアワダチソウの姿を見ることが少なくなったのは、当初は他の植物を駆逐して増殖するのだがやがてセイタカアワダチソウ自らもその物質によって衰えていくのだと言う。鬼胡桃の殻が冬用タイヤのスタッドレスに使われていることを知っている人は、案外少ない。オニグルミの実は生薬名を胡桃仁と言い、疲労回復・滋養強壮・咳に用いられる。果実が未熟で青いときに採取し、厚い外側の皮を摩り下ろして生のまま使用する。しもやけ・わきが・水虫には絞り汁を患部に擦り込むように塗ると効果があるとされる。 胡桃割る 夜のまとゐに 加はりし 虚子
2015年05月11日

山の木々が緑を増し、一週間前には浅葱色の山の至る所に咲き誇っていた桜も今では全く識別が不可能になった。この時期になると例年、山口素堂の「目には青葉 山郭公 初松魚」を思い出す。俳句の入門書では、季重なり・字余りは正当な俳句では無いとされている。しかしこの句は名句と言われながら季語が3つ重なった上、字余りでもある。上五に「は」のない「目に青葉」として知られていることが多いが、上五は字余りなので語呂よく読んだものが流布されたものであろうという。昨年まで国道20号線脇の空き地に素堂が作った元の句と、「は」を除いた目に青葉の二つの句碑があった。実際には「目には…、耳には…、口には…」の意味の句であるから、「は」を外しては本来の意味が失われてしまう。平安時代には郭公と書いてホトトギスと読ませており、この句もヤマカッコウではなくヤマホトトギスと読むのが正しい。天文六年(1537)の夏に北条氏綱が小田原沖でカツオ釣りを見物していたところ、跳ねたカツオが船の中に飛び込んできた。これを見た氏綱は、「戦に勝つ魚が舞い込んだ」と吉兆を喜んだという。その後天文15年(1546)にはカツオが飛び込んだ予兆の通り、河越城の戦いに勝利し覇権を確立した。この故事からカツオは縁起の良い魚とされ、江戸っ子が縁起物として初鰹を珍重するようになったのだという。 まな板に 小判一枚 初鰹 其角江戸っ子は無理しても初物を食べたのであろうか、これを揶揄した川柳がある。 目と耳は ただだが口は 銭がいり初物は量も少なく値も高いが、旬の時季になれば味や値段も安定する。しかしそれを待つのは野暮というもので、初物に手を出すのが粋と言われた。この季節のカツオは辛子酢味噌で食べるのが習わしになっていた。 初鰹 銭と辛子で 二度泪金を出すのに泣いて、更に辛子の辛さに涙を流したと揶揄している。昭和58年に田中角栄が揮毫した書を彫った句碑を、金丸信が発起人代表者となって国道20号線を山梨県から長野県に向かう国界橋の左側の空き地に建立した。もともとこの敷地はドライブインでその後コンビニエンスストアが開店したのだが、十数年前に閉店してそのままになっていた。その後別のコンビニが開店したが数年で閉店してしまい、今もそのままである。昨年の6月には二基の句碑が並んで立っていたのに、今年に入ってから二基共忽然と消えてしまった。識者に聞いても、撤去した理由は判然としない。
2015年05月10日

月はそれ自体が、元々文学的な存在である。また月を表す様々な言葉も、同じように詩的でロマンを感じさせる。その一つに、残月と言う言葉がある。残月と同じ意味で使われる言葉には他に有明の月・有明・ 昼の月等がある。要するに夜が明けても、空に月が見えている状態のことである。これを直截的に4時49分の30分前と言ったのでは、余りにも趣に欠ける。5月4日は満月だったのだが、残念ながら夕方から空が真っ黒な雲に覆われてしまい真円の月の姿を見ることは叶わなかった。然も夜遅くなってかなりの雨と強い南風が吹き荒れた上に、布団に潜り込んできた6年生の男孫の寝相も悪く良く眠れなかった。翌日は前日の予報の通り雲は多いものの朝から初夏の太陽が顔を出し、午後から暑くなる兆候が見えた。午後になると幾分雲は少なくなったのだが雲の多い状態は夜まで続き、5日の夜7時半には東の中天の雲の切れ間から立待月の眩いばかりの光が時折漏れて来た。6日の早朝4時少し前に起き出して昨夜の雲が嘘のように払われ薄い水色に染まった西の空を見ると、残雪がメッキリ少なくなった甲斐駒ケ岳を傾き始めた残月の光が見事に照らし出していた。この月の姿を見ている人は多くても、甲斐駒ケ岳の残雪と共に見ている人はそんなには多くないと思いながら素晴らしい景色に暫し見とれていたものである。自宅では滅多に空を見上げたりしないのだが標高が630mある山荘に来ると、空気が澄んでいるせいか月も星も都会とは比べ物にならないほど美しく見えるのでつい早起きして空を見上げてしまう。当日は我が家の山荘に7人が宿泊したのだが、十七夜の月の姿を見たのは結局1人であった。芭蕉の句に、有明の月を詠んだものがある。 あさむつを 月見の旅の 明け離れ 芭蕉日の出36分ほど前の薄明るくなって星が見えなくなる時刻を「明け六つ」と言い、日が暮れて星が見える時刻は「暮れ六つ」と言った。芭蕉が詠んだあさむつは、「明け六ツ」と掛けたものである。つまり月見をして一晩中歩いていたら、朝になって白々してきたという酔狂を描写している。もう少しで消えてしまう月の姿に詩情を感じるのは、今も昔も変わらないようだ。6月は3日が満月に当たるが、言葉通りお天気次第で見ることができるかどうかの保証は無い。
2015年05月09日

タケノコは竹の芽のことで、日本や中国などで食材として利用される。竹の種類は約70種類もあるが、一般的に食用とされるものとしては皮が黒班と粗毛に被われ3~4月が時期の孟宗竹、皮が淡紅色で4~5月に生える淡竹、皮に薄い黒班があり最も遅く5~6月に生える真竹の3種類が知られている。一般的にはタケノコと言えばモウソウのタケノコを指し、都会人は他の2種については馴染みが薄い。3種の中で最もアクが強いのはモウソウチクで地中から掘り取るが、他の2種は地上部を手で折るか鎌で刈り取る。モウサウタケと異なりアクが強くないのでそのまま料理に使用可能である。マダケの皮は今でも、羊鑒や牛肉を包むのに経木替わり利用される。肉を計る際に竹の皮を台計りの上に置き肉を乗せて計量したので、乾燥したマナダケの皮は高い値で売れた。雨が降った後はタケノコが多く出ることから、ひとつの物事が多く発生することを譬えて雨後のタケノコという。またタケノコの皮は成長に連れて一枚ずつ剥がれて落ちることから、身の回りの衣類・家財などを売って食い繋ぐ極貧の暮らし方を譬えてタケノコ生活という慣用句が生まれた。最も良く知られ食べられているモウソウのタケノコは、三国時代に孟宗という名の子供が病気の母のために寒中にこの竹林からタケノコを探して廻り掘り採って食べさせたことが名前の由来だという。タケは一年で幹の太さが決まり、木が太るようにその後に幹が太ることはない。モウソウタケの来歴については延暦20年(801)京都寂照院の道雄上人が唐から持ち帰ったとか、安貞2年(1228)に道元禅師が宋から持ち帰ったなど諸説がある。全国へ広まったのは、1736年に琉球を経由して薩摩に移入してからだとされる。ハチクは勝宝3年(750)頃にはすでに日本にあったとされているが、伝来起源については不明である。マダケの原産は、中国あるいは日本の2説があるが何れもはっきりした根拠は無い。タケノコを日本では元々「竹の子」と書き表していたが、中国から漢字の筍の文字が入ってきたため「竹の子」も「筍」も同じ意味で使われるようになったものである。成長が早いため旬日で竹になることから、「筍」の字が当てられたとの説がある。促成栽培の早取りでは寒中の1月から販売されるが、拳程の大きさのものが一本数千円と高価である。これらは料亭や高級料理店で粋人が人より少し早く季節を先取りして楽しむものであって、旬の時期のものに比較して味も香りも落ちると感じるのは持たない者の僻みであろうか。タケノコは4~5月には春の味覚として、どこの家庭でも一度は食べる食材である。孟宗竹は琉球で栽培されたていたものが、薩摩に持ち込まれて広まったとする説がある。実際には沖縄でモウソウの竹林を見ることは無いので、鎖国時代の寛永16年(1639)~嘉永7年(1854)の間にこっそり中国から移入されたものを琉球経由と偽ったものであったかも知れない。モウソウタケのタケノコはずんぐりとした釣鐘型で、外皮は薄茶色でしっとりとしていて毛羽だち先端は黄色く、切り口が白くて瑞しいもので、根元の赤い粒々が小さくて少ないものが良質なものとされる。たけのこのえぐみの成分はシュウ酸で、体内で血液中のカルシウムイオンと強く結合するため毒性があ「シュウ酸は」毒物及び劇物取締法により医薬用外劇物に指定されている。アクを抜くには皮付きのまま穂先の部分を斜めに切り落とし、さらに切り口から皮の部分を縦半分に1本の切れ目を入れ、たっぷりの水に糠一つかみとタカノツメ2~3本を入れ強火にかけ、沸とうしたら弱火で1時間以上茹でる。茹で汁の中でそのまま冷ましよく水洗いし、綺麗な水と一緒に冷蔵庫に入れておけば1週間はもつ。標高400mの南信州伊那谷では、漸く孟宗竹のタケノコが最盛期を迎えた。過日朝掘りの泥付きタケノコが、段ボールに一杯送られて来た。大鍋3つでも入りきらない量なので、皮を剥いて米糠一握りと鷹の爪を入れて2時間掛かりで灰汁抜きをした。タケノコご飯を筆頭に、若布と味噌汁・煮物・微塵切りしてブタの挽肉と併せて餡かけラーメンにしたりして連日故郷の味を堪能している。 筍の 運否天賦の 出所かな 一茶
2015年05月08日

外気温が連日25℃近くなると、いよいよサトイモの植え付け時期到来である。サトイモが属するサトイモ亜科には、70属と2300種の仲間がある。サトイモ科の植物の花そのものは小さく、花弁があっても目立たないかまたは花弁さえ無い場合もある。花は肉質の太い柄の上に並んでつき、肉穂花序と呼ばれる。穂全面に着くものが多いが、穂の先端に花のない付属体があり、多様な形になる。サトイモ科の植物は穂の根元から花の穂を包むような形の仏炎苞を持ち、独特な色をしているので目立つものが多い。一般にサトイモに花が付くことは珍しいが、条件によっては蒟蒻に似た花を咲かせることがある。マレー半島辺りが、原産と言われる。サトイモは熱帯アジアなどで主食とされているタロイモの仲間のうちで、最も北方で栽培されている品種群である。一般に小芋(塊茎)を食用とするが、改良により茎が食用になる種もある。小芋が多数できる「石川早生」系統の生産が、全体の8割とされている。日本に伝来したのは早く、すでに縄文時代には伝わっていたとされる。山地に自生している山芋に対し、里で栽培されることから里芋の名が付けられたとする説がある。里芋は寒さに弱く発芽と生育の適温は25~30℃で多湿を好み、乾燥すると極端に収量が少なくなる。また連作障害があり、次の作付までには3年以上間隔を開ける必要である。サトイモは、発芽までに1か月以上の期間を必要とする。芽出しをしてから、植える方法。芽出しをしないでそのまま植え、マルチ掛けをする方法。または芽出しもマルチも掛けないで、そのまま植える方法などがある。芽出しをしないで植えると、発芽までの間に腐敗して株抜けになってしまうことがあるので面倒でも芽出しをしてから植えた方が無難である。標高100m以下の関東地方であれば、彼岸前には地中に保存した種芋を掘り出して芽出し作業を行う。芽出しの方法には様々な指南書があるが、掘り出したら発泡スチロールの箱に詰めて籾殻で覆い、ビニールを掛けて加温すれば連休頃には3cmほどに芽を伸ばす。里芋は収穫するまで5か月以上を必要とし、途中追肥と土寄せを2回以上実施するので畝幅は1m必要である。株間は長靴の長さを目安に30cmほどの間隔で植え付ける。マニュアル本には圃場の土作りについて難しく書かれているが、施肥など植え付け準備を厳密に行ったことは無いが毎年栽培成績は良好である。2週間前に予め苦土石灰を撒布しておき、植え溝に30cm間隔で芋を置いたら芋の間に化成肥料・発酵牛糞と発酵鶏糞を置いて土を被せる手抜き省力栽培で、吃驚するほどの収量を上げている。サトイモ栽培の成否は順調に芽出しができれば、30%は成功したと言える。20%は茎葉の成長に合わせて行う、土寄せである。後の50%は、十分な灌水である。特に8~9月にかけては芋が肥大する時期に当たるので、水切れを起こさないように管理することが必要である。葉が萎れるような状態では、十分な収量は期待できない。親イモの周りに沢山の子イモ・孫イモができ、これらは「芋の子」と呼ばれる。サトイモは桶に沢山入れて板か二股の棒でかき回すことで、綺麗に皮が剥ける。この状態から狭い所に大勢の人が犇めき合うことを指して、芋の子を洗うようという。このようにして皮が剥けるのは掘りたての間で、年末になると包丁で剥かないと皮が剥がれなくなる。皮を剥く際手が痒くなるのは、サトイモにシュウ酸カルシウムの結晶が含まれているためである。シュウ酸カルシウムの大きな結晶が僅かな力が加わることによって壊れて針状結晶へ変わり、外部へと飛び出る。イモを素手で扱うと皮膚にこの針状結晶が刺さることによって、痒くなる。細胞内に作られたシュウ酸カルシウムは集合して、大きく脆い結晶の固まりとなる。サトイモがシュウ酸カルシウムを蓄えるようになったのは、外敵から身を防御するためだとされている。15年も継代栽培している食用と種用のサトイモ約50kgを玉ねぎの網に小分けし、自宅の庭に掘った1mほどの穴に埋めた。例年春分の頃掘り出して、芽出しを行う。殆ど失敗すること無く毎年冬越しするのだが、今年は雑に埋めたせいか一つの網が殆ど腐敗してしまっていた。サトイモは寒さに弱いので芽が伸びて、十分に暖かくなってから植え付ける。以前はサルもイノシシも一切手をつけなかったのだが、5年前から植えつけたサトイモをイノシシが掘り起こす被害を受けるようになった。金網の囲いや狼の尿等を試したがあまり効果がなかったので、3年前に電気柵を設置したところ全く侵入が無くなった。今年は桜の頃は天候不順で日照時間も例年の65%程度しか無く雪の舞った日もあったのだが、中旬過ぎてから連日好天で逆に季節は10日も進んでいる。甲斐駒ケ岳の頂上に現れる星形も、スッカリ形を崩してしまった。寒さが増してきた頃新芋で作る芋煮鍋は、楽しみの一つでもある。熱い鍋を囲みながらの一杯を思い描きながら、4月の25日に65個の種芋の植え付けを終えた。月遅れの七夕飾りに付ける短冊に文字を書くため、8月6日の早朝にサトイモの葉に溜まった露を集めたものである。子規もこんな経験をしたのだろうか。 芋の露 硯の海に 湛へけり 子規
2015年05月01日
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