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種子植物は花弁・雌しべ・雄しべなどの生殖器官を持ち、花を開くのは受粉に因って結実し子孫を残すためである。中には一般とは異なった、不思議な構造の閉鎖花(へいさか)をつける植物がある。閉鎖花とは花が開かないまま自家受精を行い結実する花で、花冠の一部あるいは全体が開かず自家受粉してしまう。スミレやホトケノザなどが知られおり、その他センボンヤリ・キッコウハグマ・フタリシズカ・ツリフネソウなども身近に見られる。珍しいものではミゾソバのように地中に閉鎖花をつけるものもある。スミレは早春に花を開くが晩春になり花を見なくなる頃、盛んに薄緑色の蕾をつけるようになる。花は花茎を長く伸ばして葉より高く出て開花するが、薄緑色の蕾は花茎を伸ばさくて開花もしない。閉鎖花にも雄しべと雌しべがあるが、蕾のまま自家受粉して結実して種子を作る。「閉鎖花」をつける理由として、確実に受粉して結実するためだとの仮説がある。動植物に例外を除いて雌雄があるのは、異なった遺伝子を取り入れることで環境に適した形質を受け継いで生き延びるように進化するためだと結論付けされている。自家受粉を避けるため種子植物の進化には、同じ花の雄しべ・雌しべでは種子を作らない「自家不和合性」・雌しべと雄しべの成熟する時期が異なる「雌雄異熟」・個体によって雌蕊や雄蕊の形が異なる「異形花柱花」がある。その他雄花と雌花の着く個体が異なる、雌雄異株などもある。進化の方向とは逆に、このように自花受粉に頼る閉鎖花がみられるのは興味深い。スミレの場合、他家受粉と自家受粉の両方を行う。春には開花して虫に因って花粉を運ばれ他家受粉をして遺伝子の交換を行うが、晩春からは閉鎖花を作って自家受粉を行う。師走のこの時期に、路傍に咲くタチツボスミレを見付けた。通常晩春からのスミレの株に見られるのは、閉鎖花で開花を見ることは無い筈である。今年の11月から年の瀬にかけては異常な暖冬であったことにより起きた、不時現象(狂い咲き)であることに違いない。この時期には蜜を求めてスミレの花を訪れる虫の姿は無く、種子を結ぶことは無理であろう。折角咲かせたのにスミレにとっては残念ながら、言葉通りの無駄花になると思われる。
2015年12月28日

今年の冬は、西高東低の冬型気圧配置が弱いという。1月上旬まではシベリア付近の気圧が平年より低いため、強い寒気が日本に吹き込まない。地上の気温は上空1,500mの気温の影響を受けるが、この気温が平年より高い。そのため例年ほど寒くならず降雪量は少なく、冬の季節風も強くないとの予報が出されている。1月上旬まで暫くの気温は、このような高めの状態が続くと予報している。12月10日に、エルニーニョは11月が最盛期だったという気象庁の監視速報が発表された。太平洋赤道域の日付変更線付近から南米のペルー沿岸にかけての広い海域で海面水温が平年に比べて高くなり、その状態が1年程度続く現象がエルニーニョである。今年のエルニーニョ現象は18年振りという規模の大きいもので、エルニーニョが大きいとこの影響を受けてシベリア気団の張り出しが弱くなり、日本では暖冬となる傾向がある。シベリア気団の張り出しが弱いと「南岸低気圧型」の気圧配置となるので、全国的には少雪でも関東地方の太平洋側では雨が降りやすくなって気温が低ければ大雪となる場合がある。11月の稀に見る日本の暖かさは、エルニーニョが「一部影響していた可能性がある」とされる。海水面の温度は今後低下して行き、来年の春から夏にかけて終息すると見込まれている。そのため今冬は平年並みの寒さの日はあってとしても、通して見ると暖冬傾向にあると言う。今年の東京の最高気温の平均を平年と比較して見ると10・11月は1.6℃、12月中旬では2.8℃も高い。この12月中旬の気温の高さは、異常と思われるほどである。引き続いて関東地方の太平洋側の1月初旬は、かなり気温が高く曇りや雨(雪)の日が多い予報が出ている。暖かいと暖房費や防寒衣が要らないメリットがあり、春に収穫すべき野菜が育つため供給過剰となって野菜の価格が下がる。しかしその反動として、春野菜が品不足になるかもしれない。この暖冬の結果、植物の世界にも異変が起きている。今の時期には枯れている筈なのに開花していたり、花の時期ではないのに不時現象(狂い咲き)で花を咲かせる植物が目につく。6月頃から10月中旬までが花期とされる植物が、未だに咲き残っている。ムラサキツユクサは耐寒性多年草ではあるが、冬季には地上部が枯れて株で越年する。早朝に咲いて午後にはしぼんでしまう一日花であるが、暖かいとは言え寒さを増したクリスマス後は一日で凋むことなく終日咲いている。ホトトギスが未だ咲いていたり、ランタナも民家の庭先で元気である。道路の端には、晩春以後は閉鎖花をつけるスミレが咲いている。我が家のハイビスカスも、この時期に一輪開花した。至る所でツバキが咲いており、我が家に来て5年目のストレリチアは例年3月に開花していたのだが今年は12月中旬に開花した。2本目も花茎の首が直角に近く曲がって来たので、一両日中には開花すると思われる。植物は人のように暦を見て季節を判断することはできないから、自然の寒暖や日長が植物ホルモンに働くままに咲いているのであろう。
2015年12月26日

本来ロゼットで越年する筈の草本が、暮れも押し詰まっても未だ花を咲かせているものがあって吃驚する。ロゼットとは、八重咲きのバラの花弁のような配列の状態を言う言葉である。やや細長くて多少とも平らな構造や器官が一か所に集まり、放射状や螺旋状に配列するものをロゼットまたはロゼット状と表現する。ロゼットは節間成長しないため地上茎が無いか短くて、葉が放射状に地中から直接出ている根出葉の状態であり葉それぞれはロゼット葉(よう)という。ロゼットを作るオオバコやタンポポは、ロゼット葉だけしか出さない。このような植物は茎が高くなる植物との競争では簡単に負けるので、荒れ地か草刈り耕作など定期的に攪乱される地以外に繁殖できない。越年草本または多年草に、冬季のみロゼットの姿を取るものが多い。冬の間は、耐寒のため地表に張り付き、しかも光を多く受けられるように広く葉を広げる。春になると中央から茎が伸びて、背が高くなり、花をつける。伸びた茎にも葉をつけるものが多く、これを茎葉という。茎葉が発達すると根出葉を無くしてしまうものが多いが、いつまでも根出葉が残るものもある。ヒメジョオンは葉を落とすがハルジオンには残るので、成長の後の根出葉の有無で判別することができる。今年の11月からの暖冬異変で、植物の世界にも今までにない異変が見られる。多くの花木に不時開花(狂い咲き)現象が見られ、春物野菜が既に収穫期を迎えて農家では対応に追われている。我が家の菜園に8月播種した秋野菜は、芽を出したところに大群の害虫が発生して全滅してしまった。9月になってから、2度目に播種をし直したものも同じであった。例年だと低温で発育障害を起こして収穫は不能であるはずなのに、10月上旬に3度目に播種したものが丁度育って今収穫できるようになった。ヒメツキミソウ(姫月見草)の名で流通しているエノテラ アフリカン サン(昼咲き西洋月見草)は、耐寒宿根草でロゼットを作って越年する。幹線道路の日当たりの良い緩衝帯に、昼咲き西洋月見草が群生してロゼットを形成しているのに一部の株では未だ花を咲かせている。こんな植物界の異変は、何か大変なことの予兆ではないのかと考えてしまう。暖かいのは助かるが、暖冬の年は関東に大雪をもたらす例が多い。老体にとっては片付けに大変な労力が必要であり、大雪だけは何とか願い下げにして貰いたい所である。
2015年12月25日

柚子・冬至・一陽来復と言えば、落語の三大噺のように聞こえる。冬至と柚子は江戸時代から繋がりがあり、さらに一陽来復もまた冬至と関わりのある言葉である。冬至は太陽の力が一番弱まる日であり、この日を境に再び陽の力が甦ってくるとされる。冬至を陰が極まり再び陽にかえる日という意から「一陽来復」といい、この日を境に運も上昇するとの考え方がある。また一陽来復には、悪いことが続いても回復してよい方向に向かうという意味もある。一陽来復は冬が終わって春になる、つまり新たな希望の年が巡って来ることを指している。また陰の気が極まって陽の気に復(かえる)るの意から、悪いことが続いた後で幸運に向かうことの意味もある。一年が冬至から始まるとされていた時代に冬至は現在の元旦と同じ意味があり、その日に明るい未来への希望を抱いたのであろう。「周易本義 復・本義」が出典で、「又自五月、姤卦一陰始生、至此七爻、而一陽來復。乃天運之自然。」(五月こう卦に一陰始めて生ずるより、此に至りて七こうにして、一陽来復す。乃ち天運の自然なり) ※姤卦は六十四卦の一つ。柔(女)が剛(男)に出会う様を示している。冬至は、二十四節気の第二十二。北半球ではこの日が、一年のうち日の出から日没までの時間が最も短く旧暦では、11月内にあたる。冬至は12月21か22日だが、22日に当たるのが多く2015年も22日であった。太陽の位置が一番低くなる日で、一年で最も昼が短く夜が長い。太陽の位置が一番高くなる夏至と比べると、日照時間は5時間近くも短い。「ん」が付く食べ物を食べると運気が上向くと言われたことから、「ん」が2つ入る南瓜(ナンキン)は運が良くなる縁起の良い食べ物とされた。また、一陽来復の冬至はめでたい日とされ、縁起を担いでその日に南瓜を食べるようになったのだとの説もある。ただしこの風習は比較的新しいもので江戸時代の文献には出てこないことから、明治以降の風習であろうと推測される。現在のように野菜の栽培や保存技術・輸入品が無かった時代には、冬期は野菜不足になりがちであった。収穫後比較的長期間保存可能なカボチャは、ビタミンAやカロテンなどを豊富に含んでおり、冬至にこれを食べて無病息災の祈願を行ったものであろうか。シャレ好きな江戸人が冬至は湯治で、「融通(柚子)が利くように」と言って始めたという説がある。江戸の人は冬至の日には運気を呼び込む前に、風呂に入って身を清めたという。風呂に入れる物に柚子が選ばれたのは柚子に独特の香気があり、「強い香りには邪気が寄ってこない」と信じられていたことから柚子を浮かべるようになったのだともいわれる。また、「柚子の大馬鹿十八年」ともいわれるように、柚子は実を着けるまでに長い年月かかることから「長年の苦労が実りますように」との願いも込められているのだという。我が家でも冬至には、庭になった柚子を採って風呂に浮かべた。柑橘系の独特な爽やかな香りは、気持ちをポジティヴにするとともに気分を亢進させ、苛立ちを抑える作用があると言われ、さらに意識を清明にして集中力を向上させる効能もあるという。 いたつきも 久しくなりぬ 柚は黄に 漱石22日には江戸の洒落人を偲びながら息災を願い、ゆったりと柚子湯に浸かった。
2015年12月24日

シロイヌナズナやイネを材料とした研究から、気温・乾燥ストレス・日長などの環境要因が開花時期を左右する仕組みが解明された。植物の生長点で葉を作る性質が花を作る性質に変化することを花芽分化といい葉が、萼・花弁・雄しべまたは雌しべに変化したものは「花葉」と言われる。したがって花は、茎の先や葉腋に着く。多くの植物は、一年のうち特定の時期に開花する。植物は日長と温度の変化から、季節を感知する仕組みを持っている。春に花を咲かせる多くの植物は冬の低温と長日が、夏から秋に咲く花は短日が開花の誘引となっている。一般に草本の場合は開花の1~2か月前、樹木・球根では数か月前に花芽が形成される。短日性植物にはアサガオ・ダイズ・イチゴ・コスモス・サルビア・ダリアなどが、また長日生植物にはカーネーション・エンドウ・ホウレンソウ・クローバーなどがある。長日性植物では多くの場合、低温も関与している。球根類の休眠打破には、多くの場合温度が関与している。チューリップでは、開花後の6月に花芽ができる。10月には花芽分化が始まり、低温に当たりその後の気温上昇で花茎を伸ばし開花する。日長との関係は少ない、とされている。花木では花の後新梢が伸びて花芽が形成され、多くは高温或いは低温が花芽分化に関与している。レンギョウ・ツバキ・ツツジ・ウメなどは高温で、アジサイ・バイカウツギ・モモなどは低温で花芽分化する。花芽分化にはその他に、栄養条件・ストレス・樹齢などが関与していることが解明されている。正常な発育を阻害するようなストレスが加わえられると、花芽分化する場合が知られている。気象台では「過去、最も早い記録あるいは最も遅い記録から、およそ1か月以上離れた現象」を不時現象と定義して、気象が生物に与える影響を調べる目的で不時現象(狂い咲き)を観測している。不時現象は、異常気象の年に発生しやすい。桜を例にとると、花芽は夏に出来た後休眠する。その後冬の寒さで休眠打破され、気温の上昇と共に花芽が成長し開花する。しかし異常気象や強風による落葉や毛虫の食害があると年内に開花してしまうことがある。師走も押し詰まったというのに、今年は多くの植物に不時現象が見られる。椿がいたる所で開花しており、我が家の庭でもボケ・ウンナンソケイ・レンギョウ・バイカウツギ・キリシマツツジ・ツバキなど多くの花木が花を咲かせている。今年は7月に記録的な猛暑と、8月下旬から9月には低温が続いた。不時現象の多発は花芽分化後にこれらストレスを受けたため休眠打破が起こり、その後の小春日和の連続で開花に至ったものと考えられる。冬のこの時期色どり艶やかな各種の花は心に潤いをもたらすが、本来咲くべき時期に再び開花するのか気にかかるところではある。
2015年12月22日
中国元代(1351年頃)の劇作家高明の戯曲に、「琵琶記」がある。蔡伯喈と趙五娘の人生の悲哀を描いた、わが国でも良く知られた物語である。「秀才の伯喈は新妻の趙五娘と両親を残して単身で上京し、科挙の試験を受け合格した。牛丞相に見込まれ出世した伯喈は、強引にその娘の入り婿にさせられてしまう。伯喈の郷里では何年も凶作が続いて、食べるものさえ無くなった。しかし五娘は舅姑に孝養を尽くし義理親には米を、自分は糠を食べて飢えをしのいだ。その事実を知り感動した姑は嫁と一緒に糠を食べたが、糠が喉に詰まって死んでしまった。やがて舅も、病気で死んでしまう。自らの髪の毛を売った金で二人の葬式を出した五娘は、琵琶を弾いて歌を唄い物乞いをしながら伯喈を探す都への旅に出た。牛丞相の邸の前に通りかかったところ、歌を披露するよう邸の中に招き入れられた。五娘は牛氏に、わが身の境遇を打ち明ける。それを聞いて家の不幸を知った伯喈は、郷里に帰って喪に服するため辞表を提出する。牛丞相の同意を得た伯喈は、五娘と牛氏をつれて帰郷し父母の墓の傍らに庵を建ててそこで寝起きし3年間墓守をして喪に服した。」その中の「第三十一出 幾言諫父」に「不想道相扌亞靶,這做作難禁架。我見你每每咨嗟要調和,誰知好事多磨起風波,相公,把你陷在地網天羅,如何不怨我天那,懊恨只為我一個,卻擔閣了兩下。」とある。「誰知好事多磨起風波」の「好事多磨」の磨は、「魔」と同じである。好事にはよいこと・喜ばしいこと・よい行いの意味 の他に、風変わりなもの・風流を好むこと・物好き・風流な様子などの意味がある。一般的には(こうじ)だが、好事に家が付くと「こうずか」と読む。その意味は変わった物事に興味を抱く人、物好きな人、風流を好む人となる。この場合のように事を「ず」と読む場合には禅宗の雑務を行う者や、太政官の総裁局に置かれ庶務に従事した職員が弁事(ばんず・べんじ)と呼ばれた例がある。高麗茶碗で白土にやや黄みを帯びたねずみ色の釉がかかり、淡紅色の円い斑紋が表れているものを判事(はんす)という。李朝の半使(通訳)が、日本に伝えたのでついた名称という。半使・判使・判事・判司とも書く。好事(こうじ)を使った成句にはその他に、好事不如無(好事も無きに如かず)がある。その出典は「巌棲幽事」(明陳繼儒撰)で、たとえよいことでもそれがあれば煩わしいのでむしろ何事もないほうがよいとの意味。「北夢瑣言」(五代孫光憲撰)にある「好事(こうじ)門を出でず悪事千里を行く」はよい行いはなかなか世間に伝わらないが、悪いことはすぐに遠くまで知れわたるという意味で使われる。好事魔多しとは「良いことにはとかく邪魔が入りやすい」という意味で、良いことには邪魔が入りやすいから、良いことがあったからといって有頂天になってはいけないという戒めの意を含む。「魔」は「邪魔」の「魔」と同じで、別に「好事、魔(邪魔)を生ず」ともいう。「好事魔多し」の成句を知っている人は多いが、これを続けて読む人が大半である。「好事魔」では、意味が通じない。出典を見れば理解できるように、読みは「好事、魔多し」である。またこの場合の好事は「好きなこと」では無く、「良い出来事」の意味である。人生は常に順風の中にあることはなく、逆風に遭って挫折する場合の方が多い。順風の時にこそ、逆風への備えをして置くべきなのは昔も今も変わらない真理なのであろう。
2015年12月21日

種子島の昔話に、アリの宮城(みやじょう)という昔話がある。「魚売りの吾一が、大雨で流されそうになっていた一匹の蟻を助けた。次の日同じ場所を通りかかると、大男が出て来て「昨日は蟻を助けてくれてアリがとう」と声をかけてきた。お礼をしたいと言う大男に連れられ崖の小さな穴に入ると、そこには見た事もない世界が広がって立派な蟻のお城があり、蟻のお姫様から大変な歓迎を受けた。すっかりご馳走になって家に帰ろうとすると、「この小袖を着て袖を一振りすると、望むものが何でも出てきます。しかしこの着物は誰にも見せてはいけませんよ」と言って土産に小袖をくれた。家に帰って小袖を壁の穴に隠して置いて一人でコッソリ振って、金銀財宝その他望みの物を出した。仕事をしないで昼間から酒を飲んで遊んでいる吾一を妻は怪しみ、吾一が留守の間に壁の穴から小袖を見つけ出した。妻は「愛人の着物」だと思い嫉妬心にかられて、囲炉裏で燃してしまった。燃え上がった小袖から家にも火が付き、家はすっかり燃え落ちてしまった。無一物になった吾一は「無い袖は振れぬ」とすっかり落胆したが、再び魚売りで生活費を稼ぎその後も夫婦仲良く暮らした。」アリの宮城(みやじょう)はテレビの日本昔話で、1983年05月07日(昭和58年05月07日)に放送された。前段は童話浦島太郎であり、後段はツルの恩返しと落語の芝浜が混ざったような物語である。願う物が何でも出てくる袖の設定は、打ち出の小槌と同根の話しである。浦島太郎では悲劇で終わるが、アリの宮城では結末がめでたしでまるで古典落語の芝浜である。このアリの宮城では袖がキーとなっていて、「無い袖は振れぬ」と出てくる。袖のない着物は袖無といい、古くは手無とも呼ばれた。江戸期には下賤の着るものとされ,鎌倉時代には布肩衣ともいわれた。男物は、小袖の上から補助衣として着用された胴着である。袖無羽織はちゃんちゃんこ・でんち・さるこなどの別名もある。江戸時代に鉦を叩いて飴を売り歩いた、清国人の服装からついた名称だという。 袖無を著て 湖畔にて 老いし人 虚子現在旅館で着る浴衣や羽織にはポケットが付いている場合が多いが、江戸時代の着物にはポケットが無かったため袖をポケットにして銭入れをしまっていた。袖が無ければ銭入れも持っていないことになり、銭が無ければ貸したくても貸せない。持ち合わせが無ければ、たとえ何とかしたくてもどうすることもできないというところから「無い袖は振れない」と言う言葉ができた。作り話か落語のネタかだろうと思われる、こんな話がある。後輩から食事をご馳走してくれと強請られた人が「無い袖は振れない」とことわると、後輩は「おれが貸すから…」と言ったのだという。日本の借金とされる数字は毎年増え続け、ついに1,000兆円を突破した。これを国民一人当たりにすると、約815万5000円(2015年4月1日)の負担額になる。日本の政治は幻の袖を振って、負の財宝をどんどん出しているようにも見える。この気の遠くなるような借金を将来どのようにして返していくのであろうか心に掛る問題である。
2015年12月18日

今年の松茸は9月初めに出始め、中旬には豊作の予想が出るほどに発生した。例年だと9月中旬からボツボツ出始め、10月10日前後の金木犀の香る頃最盛期となり11月初めまで出る。今年の8月初めは猛暑だったが、月遅れのお盆過ぎには急に気温が下がって長雨が続いた。すっかり秋が来たと勘違いして、金木犀も9月中旬から香り初めた。信州伊那谷の実家がある地域は、昔から全国でも有名な良質の松茸産地である。今年も9月中旬にはテレビで、入山禁止の松茸山への侵入や盗難について特集していた。泥棒に入るのは山を良く知った人間で、一般の人にはたとえ明るくても探し出すことは困難なのに夜間の暗闇の中で盗って行くのだと言う。算用数字では数の大きさは幾らでも表すことが可能だが、漢字で表す最大の数の単位は10の68乗だという。数字の桁の数を桁数と言い、1桁は十の位で・百は2桁・千は3桁・万は4桁……・十万・百万・千万・億・兆・京(けい)・咳(がい)・抒(じょ)・穣(じょう)・溝・澗(かん)・正(せい)・載(さい)・極(ごく)・恒河沙(ごうがしゃ)・阿僧祇(あそうぎ)・那由多(なゆた)・不可思議と続き最大の無量大数は、不可思議の万万倍で10の68乗である。無量大数は漢字文化圏において、名前がついている最大のものである。無量大数がいくつを示すかは時代や地域により異なり、一般的には10の68乗を指す。日常生活で必要とされるのは精々万の単位までで、億や京の単位が必要になることは学問以外では殆どないので無量大数が示す大きさが異なっても実害は無い。数を表す時には、桁と言う言葉が使われる。桁の本来の意味は家などで、柱の上に横に渡して垂木を受ける材を指していう。また算盤の珠を縦に貫く棒も桁である。この算盤の桁から転じて、位を指していうようになった。したがって、算盤で数の位取りを間違えることを桁違いという。桁違いは本来の意味の他に価値や規模などが他と比較にならないことやその様子に使われるようになり、桁はずれという言葉も生まれた。中央道伊北インターを出て国道146号線を西進すると、伊那市ますみが丘にグリーンファームセンターがある。バラック様の建物だが農家が持ち込む季節の野菜や、花卉・野菜の種子・時季によって松茸など各種茸・蜂の仔・いなご・干物類、時季に因って骨董市などが催されるので通る度に覗いて見ることにしている。11月下旬に通り掛かって商品を覗いて見て、吃驚した。今年は9月末で松茸の発生が終わってしまったと言うのに、袋詰めの各種リンゴが一杯に並べられた商品台の真ん中に盛り籠に入った見事な松茸があったのだ。今時松茸?と値段を見ると、¥2500,000の値札が付いているではないか。暫く感心して見ていたが2,500円では安すぎるし25,000円では高い。ましてどんなに幻の松茸であったとしても2,500,000円もの金を出してこれを食べる人はいない。どう考えても桁が違っているのではないかと、思い切ってレジのオネエサンに買う人がいるのか訊ねてみた。オネエサン曰く、「ああ、あれはディスプレーで、売り物ではないんですよ。」との答え。9月下旬に大量の松茸がこの棚で山盛りになって販売されていたのですっかり騙されたのだが、再び松茸をよく観察して見て漸く納得がいった。その出来栄えは実物に良く似ているのだが、実は飲食店のショーウインドウ等に飾られる蠟や合成樹脂の見本と同じで、松茸に似せて作られた人工物だったのだ。2と5の間に(,)が抜けているし、桁違いではと思ったのはセンターの人のジョークだったのだ。それにしても、思いきった値段を付けたものである。
2015年12月17日

エルニーニョ現象が起きると太平洋側で低気圧が発生しやすくなるため、太平洋側の降水量が多くなる傾向がある。そのため、台風や大雪につながることがある。それを裏付けるように、今年は現在までに27個の台風が発生している。今年の24節季の大雪は12月7日であったが、雪の陰も見えず12月とは思えないほどの暖かな日が続いている。12月12日には菜園の畑仕舞と、凍結防止の水抜きや戸締りをするために一泊で山荘へ出かけた。流石に早朝は零℃近くまで冷え込んだが、日中は無風で暖かな一日になった。暖炉の暖気が残って、夜は夏と同じ薄い布団でないと暑くて寝苦しい程であった。翌日は物音一つしないシンとした朝を迎え、薄暗がりの外へ出て見ると異常な暖かさに驚かされた。小鳥の声も聞こえないのはシトシトと降る雨の所為で、傘が無くても気にならないほどの霧より僅か大きい程度の雨が落ちていた。異常に暖かくその上すっかり葉を落とした白樺の枝に雨滴が着いている景色からは、まるで木の芽起こしの春の雨のような錯覚さえ覚えた。日本人は雨に対して季節やその降り方で、異なった多くの呼称を持っている。それだけ自然や四季に対して、豊かな情感・詩情を有している民族であると言えるのだろう。徒然草の第137段では「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。雨に対ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行衛知らぬもなほ、あはれに情深し」とあり、また枕草子26段心ときめきするものには「待つ人などある夜、雨の音、風の吹きゆるがすも、ふと驚かる。」とあり、また99段には雨のうちはへ降るころ、今日も降るに、御使にて、式部の丞信経まゐりたり。例のごと、茵さし出でたるを、常よりも遠く押しやりて居たれば、「誰が料ぞ」と言へば、笑ひて「かかる雨にのぼり侍らば、足形つきていと不便に汚くなり侍りなむ」など、雨が情景描写や主要な題材として使われている。晩秋から冬に降る雨には、多数の呼び名が使われている。雨混じりの雪を水雪・霙や雪に変わる前の凍るように冷たい雨は氷雨・凍るような冷たい雨を凍雨・すぐに通り過ぎる雨を運び雨・師走に降る長雨を年末梅雨・この時期の雨全般を冬時の雨・冬至の頃に降れば冬至雨・冬の終わり頃「三寒四温」の四日間に降る雨を四温の雨・山茶花の花の散る頃に降れば山茶花散らし・寒の入りから立春の間の雨は寒の雨・寒の入りから9日目に降る雨は寒九の雨・大晦日に降る雨は何故か鬼洗いである。晩秋から初冬に降る、にわか雨や通り雨を時雨という。一般的には多くが死語となっていて、俳句など特殊な分野に生き残っている「…時雨」と言う言葉には、その降り方や時間・場所などによって誠に多くの名前が付けられている。降り方では、横なぐりに降るのを横時雨・雪混じりで降ったり止んだりするのは雪時雨・山向こうの時雨の雲が山越えして来て降るのはめぐる時雨・烈しく降ってさっと通り過ぎる村時雨・北風に乗って降る北時雨。これが降る時間では、夕方に降る夕時雨・わずかな時間降るほろ時雨・夜に降る小夜時雨・陰暦10月に降る十月(神無月)時雨など。降る場所では、山に降る山時雨・山茶花の時期に降る山茶花時雨・磯や波打ち際に降れば磯時雨など。その他月明かりがあるのに降る月時雨や深まった冬には冬時雨・その年初めて降れば初時雨・北風に乗って降るのは北時雨・晴れているのに一部で降れば片時雨・朝のうちわずかずつ降ったり止んだりを繰り返す降り方は朝時雨である。特に北山の方から降ってくるのを北山時雨といって、京都の風物詩となっている。それにしてもこの季節、春雨と錯覚するような雨が降るのは珍しく矢張りエルニーニョの影響なのかも知れない。 天地の 間にほろと 時雨かな 虚子
2015年12月16日

もともとは野外・野山で、植生を焼き払う事を野焼きと称していた。枯れ草や藁を生のまま肥料にすると酢酸などを生じ、作物に悪影響を与えることがあるので焼却してカリ肥料として用いる。また、観光のイベントや人工の植生を維持するために行われるものや焼畑をして農地に供するためになされることもある。平成13年に施行された「廃棄物の処理及び清掃に関する法律と同施行令」により、風俗慣習上又は宗教上の行事を行うために必要な廃棄物の焼却や、農業、林業又は漁業を営むためにやむを得ないものとして行われる廃棄物の焼却など以外の野焼きは禁止されている。同法により違反した者は五年以下の懲役若しくは一千万円以下の罰金又はその両方を科せられる。法律では適法な焼却施設以外でごみを燃やすことを、「野焼き」と定義している。ここでいう野焼きは地面で直接焼却を行う他、ドラム缶・ブロック囲い・素掘りの穴・法で定められた基準を満たしていない焼却炉での焼却行為なども含むため一般家庭での焼却行為はほとんど「野焼き」に該当する。外での焚き火が全て禁止されているわけでは無く「野焼き」の例外として、国や自治体が施設管理を行うために必要な河川敷の草焼き、道路そばの草焼き、災害の予防・応急対策または復旧のために必要な廃棄物の焼却、火災予防訓練・しめ縄・門松などを焚く風俗習慣上または宗教上の行事を行うために必要な焼却、農・林・漁業を営むためにやむを得ないものとして行われる焼却が除外されている。作物残渣を畑に残すと病虫害をその土地に温存することになり、翌年の作物に影響を与える。特にトマト・ナス・ピーマン・シシトウなどのナス科やウリ科の植物、キヌザヤやエンドウ豆など連作を嫌う植物の残渣は畑に埋めるより焼却して滅菌と殺虫を行った方が良い。別荘用地を隣り合わせて2区画購入し、一区画のうちの約70坪を開墾して菜園として利用し空いた場所の到る所に草花を植えた。花の季節は綺麗なのだが、「花の色は移りにけりな…。」と小野の小町も嘆いて詠んだように、草花はあっという間に枯れてしまう。そのあとに枯れて残された大量の草花の残骸と、植木の剪定で出た枝で菜園は山積みになってしまう。これらの処理は野積みにして腐るのを待つより、焼却した方が手っ取り早い。これらの焼却も厳格に言えば法の野焼きに該当するのだろうが、特段届け出もせずに無風で近隣別荘の住人が留守の間を見計らって焼却処分することにしている。枯葉や野菜の蔓や茎等の焼却は病害虫の駆除に効果があり、灰には肥料として利用できる。早朝7時に、菜園の真ん中に積み上げた枯れた菊や女郎花、野菜の蔓や茎、剪定枝などの山に火を付けた。殆ど肌に感じられないほどの風であったが、自宅に向かって煙が棚引き隣の山に漂った。近隣6戸は留守だったので、煙で迷惑をしたのは山で騒いでいた猿位であろうか。煙の中に8時間もいたため臭いが体に染み込んで、家人から煙り臭いといわれるほどであった。
2015年12月15日

昔はどこの漁師の家でも、冬の保存食として干しダコが作られていたという。足だけを一本ずつ洗濯バサミに吊して干す方法もあるが、タコの姿そのままに竹串で足を張って干す風景は漁村文化の一つでもある。タコは干してもタコだが、イカを姿干ししたものはスルメと名前が変る。雑魚と書いて、ざこと読ませる場合がある。タコには鱗がないところから膚(ハダ)の魚の意味で、「膚魚(ハタコ)」と言われていたものがタコに変化したのだとの語源説がある。スルメは古くから日本・朝鮮・中国南部・東南アジアで作られて来た。日本では縁起物とされ結納の品の一つに寿留女と表記され、昆布(子生婦)と対で女性の健康や子沢山を願う象徴として使われる。江戸中期頃になってスルメのスルが、「金をする」を想起させることを嫌って言い代えられた言葉である。同じように擂鉢は、アタリ鉢と言い代えられている。イカの干物が「スルメ」でその材料は「スルメイカ」だが、古くは加工前のイカも「スルメ」と呼んでいたのだという。群れて泳ぎ墨を吐くところから「墨群れ」と呼ばれていたものが、後にスルメに変化したとの説がある。後に干物と言い分けるために「スルメに使うイカ」から、スルメイカという合成語ができたのだとされる。平安時代に編纂された辞書「和名類聚抄」には、「小蛸魚」の項に「ちひさきたこ、するめともいふ」とありその時代にはタコとイカを区別せず同じ「するめ」の名前で呼ばれていたことが分かる。この時代には、タコの干した物も生と同じスルメの名前で呼ばれていたのだという。スルメ語源説にはスルメイカで作った干物であるから、スルメと呼ぶようになったとの説がある。そうするとこのイカが、なぜスルメイカと呼ばれていたのかが疑問である。スルメの名前は干物語源説では無く、逆にスルメイカが語源となったのだとする方が正しいと思われる。スルメはケンサキイカで作ったものが最も高級で一番スルメ、スルメイカのスルメは二番スルメと呼ばれる。イカは鮮度が落ちるのが速いがスルメにすれば日持ちが良く「幸せが長く続く」、あるいはタコと比較しても足が沢山あるところから銭のおあしに懸けて「長者になれるように」との縁起から結納や祝儀に使われる。「寿」は長寿・幸せを「留」は嫁ぎ先に留まる、「女」は良妻になれるようにとの願いが込められている。タコの足はイカより2本少ない8本であるため、祝い事には使われなかったのだろうか。スルメは松前漬の主役であり、裂きイカはビールの肴に愛用される。一方タコの姿干しは、スルメほど一般的でないし食べ方も限られている。
2015年12月14日

奈良時代以前には自動詞「紅葉・黄葉する」は、「もみつ」と言われその連用形が名詞となり「もみち」となった。平安時代になり小れが濁音化して「もみぢ」となった。大伴家持は紅葉を、「毛美知」と詠んでいる。言等波奴 木尚春開 秋都氣婆 毛美知遅良久波 常乎奈美許曽(物言わぬ木でさえ 春には花咲き秋には紅葉して葉を散らせる この世にはうつろい変わらないものはないということだ)秋に落葉する広葉樹は秋が深くなると、赤葉・黄葉・褐葉等してやがて散る。樹木の葉は葉緑素(クロロフィル)を含んでいるために、春から秋の間は緑色をしていてクロロフィルが光を吸収して光合成が行われる。日照時間が短くなると老化反応が始まることでクロロフィルが分解され、葉に蓄えられた栄養が幹へと回収される。栄養が十分に回収されると植物ホルモンエチレンの作用で、葉柄の付け根にコルク質の離層が作られる。そのため、葉から茎への物質移動ができなくなる。紅葉する葉では光合成作用が弱まりクロロフィルやカロテノイドを分解しはじめると、光合成で生産され葉に留まった糖から赤色素アントシアニンを作り葉は赤変する。一方イチョウやポプラのようにクロロフィルが壊されても、アントシアニンがつくられない植物がある。黄葉は、「カロテノイド」色素に由来する。カロテノイドはもともと葉に含まれているが、春から夏にかけてはクロロフィルにより隠されている。クロロフィルの分解が進んでもアントシアニンがつくられないので、黄色色素のカロテノイドが目立つようになる。紅葉・黄葉・褐葉の様々な色の発現は、植物によって色素を作り出す能力の違い・気温・水分・紫外線などの自然条件による酵素作用発現の違いなどが複雑に絡みあって起こる現象とされる。モミジの落葉の色に違いがあるのは同じ枝の葉であっても、その位置により日光を受けやすかったり受けにくかったりして合成されるアントシアニンの量に差ができ、いろいろな濃さの紅葉となる。紅葉する樹として、カエデ類・ナナカマド・ウルシ科の植物・イワシデ・ニシキギ・カマツカ・ドウダンツツジ・サクラ・カキ・ナンテン・ヤマブドウ・ツタなどがよく知られている。春新芽が伸びる時期に赤葉を出すものとして、アカメガシワ・ヤマザクラ・カナメモチ・ナンテン・カエデ類の野村や出猩々類などがある。幼葉にクロロフィルの量が少ないことに因ると思われ、成長するとやがて緑葉に変る。紅葉の色の美しさはカエデ類が知られているが、ドウダンツツジ(満天星)の紅葉も決してカエデに劣らない。ドウダンツツジの鮮やかな紅葉が、モミジに比してそれほど語られることが少ないのは樹高に関係していると思われる。モミジは8m以上にもなるのにドウダンツツジは精々大きくても3m以内で多くは刈り込みされて1m程度であり遠望で認識されることが少ないことがその理由であろう。生垣に植えられたドウダンツツジが目の覚めるような赤色に染まっていたが、その上空に楠の枝が張り出している場所では未だ多くの葉に緑色が混ざっていた。
2015年12月11日

コガタスズメバチの女王は夏の終わり頃、未受精卵を産む。この未受精卵から生まれる蜂は、全て雄蜂になる。受精卵からは全て雌蜂が生まれ、このうち次世代女王蜂候補には幼虫時代に栄養液十分与えられ女王蜂になる。女王蜂以外はすべて働き蜂になり、働き蜂は産卵能力を持たない。新女王蜂と雄蜂は10月頃に巣を出て交尾し、交尾の後雄蜂は死んでしまう。交尾後の新女王も巣には戻らず昼間もあまり日光が当たらず、温度変化の少ない東向きから北向きの斜面などにある枯れ木の隙間などに入って越冬する。新女王蜂は5月初めに冬眠からさめて活動を開始するまでの半年以上の間、体内に貯めた栄養だけで長い越冬生活を送る。世代交代は新女王蜂だけが行い、巣に残った最初の女王蜂と働き蜂の全ては気温の低下と共に死んでしまうので越冬することは無い。不思議なことに働き蜂は例外として微小な寄生昆虫「ネジレバネ」に寄生されると、働き蜂としての仕事をしなくなり死ぬことなく越冬する。翌春冬眠から覚めた女王蜂は、単独で営巣を開始する。巣作りや幼虫の餌の狩猟は働き蜂の役割であるが、働き蜂が誕生するまでの間は巣作りや幼虫の餌の狩を女王蜂が行う。働き蜂誕生後もある程度の規模に巣が大きくなるまでは、働き蜂と共に巣の維持や狩猟を行う。何らかの原因により女王蜂が死ぬと働き蜂が代わりに産卵するが、働き蜂は受精嚢が無く未受精卵なので雄しか生まれない。雄蜂は働かないため、やがて巣は滅びてしまう。スズメバチの巣に殺菌解毒・鎮痙・鎮静作用があるとされ、漢方では「露蜂房」と呼んで粉末や黒焼にして煎じるか酒で服用する。スズメバチの巣が営巣されると縁起が良いとされ、蜂が居なくなるまで待って巣を魔除けのお守りにしたりする。8月から10月は蜂の数が最大に成り、新女王の誕生時期となるため最も蜂が興奮しやすくなる。この時期に巣から新しい女王蜂と雄蜂が飛び立つと、巣は次第に活気を失って12月までには巣の活動が終了する。我が家の山椒の木に営巣したコガタスズメバチは、10月20日に巣の上8mほどのところで50匹以上の2つの群が2時間ほど乱舞していた。恐らく新女王と雄蜂が、交尾のために巣立ったと思われる。その後も巣に出入りする働き蜂の数は、変らなかった。既にアシナガバチの巣は、10月の初めまでには親蜂の姿が見えなくなった。しかし我が家の庭のスズメバチの巣では、12月になっても働き蜂が出入りをしている。今年はレンギョウやスミレ・タンポポ・ギボウシなど多くの植物に、狂い咲きが見られるほどの異常な暖冬であった。例年より10日以上も遅くまで蜂が巣に出入りしているのは、そんな気候が影響しているのは間違いない。6月庭樹の剪定中に山椒の枝にスズメバチの巣を確認してから、危険だから巣を除去してと言われるのを無視してずっと見守って来たのだが師走に入って春やり残した枝木の剪定作業が気になりだした。12月9日は、外気が零度を記録して今冬一番の寒い朝となった。8日には巣を揺すると50匹程が出入り口からわさわさと湧いてきたのに、9日の朝は揺すっても巣の中でコソリとの音もしなかった。絶好の時期到来であったので代執行による、強制移築を敢行した。蜂が居なくなったら飾りにしようと考えていたのだが、高枝鋏で枝を切った時落下させて残念ながら巣の外殻の一部が欠けてしまった。開いた穴からは、数匹の蜂が転がり出てきた。どのハチも体を9の字に曲げており死んだように見えるが、微かに足が動くのが生きている証拠であった。選定の邪魔にならないサザンカの葉の上にそっと巣を移し剪定作業を始めたが、巣に日差しが当たり外気が13℃になると仮死状態から冷めた10数匹が、剪定作業をしている周囲を勢いよく飛び始めた。しかしジッとしてやり過ごすと蜂はやがて巣のある方へ移動し、いまさら巣の修復をしても仕方ないと思うのだが数匹は早速破損した巣の修復に取りかかっていた。5月から毎日居間のガラス越しに巣を観察してきたが、巣を移したことでこの作業もなくなり家族からは危険だと責められないで済むようになる。
2015年12月10日

金色のちひさき鳥のかたちして 銀杏ちるなり夕日の丘に(イチョウの葉が、まるで金色の小さい鳥が舞うように、散っていくことよ。夕日に照らされて輝く丘に。)中学の国語の教科書で習ったこの歌は、初冬になって金色に輝く銀杏の落葉を見る度に思い出される。作者は与謝野晶子で、明治三十八年(1905)明星一月号に発表した歌である。後年晶子はこの歌の五句目を改めたので、「丘の夕日に」と学んだ人も多い。イチョウの名前は、鴨脚の中国語読みを語源とする説がある。漢字で銀杏・公孫樹・鴨脚樹と書き表すが、1綱1目1科のイチョウ属という珍しい植物である。雌雄異株で、春に新葉の展開とともに穂状の雄花と花柄の先端に二つの雌花を開く。ソテツと同じように、運動能を具えた精子によって受精し結実する。鴨脚樹は、葉が鴨の脚に似ていることが由来。種子を播いてから孫の代になって漸く種子を実らせることから公孫樹孫といわれ、銀杏、種子が杏に似て然も白いので、「銀色をした杏の種」の意が由来とされる。日本へは薬種として伝来したとされ、室町後期の丹峯和尚の手紙文例集「新撰類聚往来」に記載が見られる。黄葉する樹には、イチョウやポプラが知られている。これらの木の葉には、緑色のクロロフィルと黄色のカロチノイドが含まれている。秋の初めまでは、カロチノイドはクロロフィルの強い緑色に隠れているため葉は緑色をしている。気温が低下してくるとクロロフィルが分解されて来てカロチノイドを覆い隠していたベールが次第に薄れ、黄色に変化することが解明されている。ポプラに比べてどの地にも普遍的に見られるイチョウの黄葉は、樹上にあっても地上に落ちた後もはっとさせられる美しさを持っている。不思議なことに同じ街路に植えられた並木でも、殆ど散ってしまった樹もあれば未だ緑の残る樹もあって樹によって黄葉・落葉の遅早がある。高尾を通る20号線の有名なイチョウ並木の葉は殆ど散ったのに、横浜市の神奈川県運転免許試験場付近では未だしっかりと黄変した葉が樹上で頑張っている。黄葉散らしの北風が吹きぬける中、110年前の与謝野晶子の気持ちを推し量りながら黄葉の下を通り抜けた。
2015年12月09日

先月末一年振りに高校の同期生4人で、実家近くの温泉宿に一泊した。翌朝は一帯が、一面の川霧に包まれて夜が明けた。霧は水蒸気を含んだ大気の温度が下がり露点温度に達した際に、含まれていた水蒸気が小さな水粒となって空中に浮かんだものである。気象観測では視程が1 km未満のものを霧といい、1km以上10km未満のものは靄と呼んで区別している。暖かく湿った空気が冷たい空気と混ざって発生する霧は蒸気霧とよばれ、冬吐く息が白くなるのと同じ原理である。暖かい水面上に冷たい空気が入ると水面から蒸発が起き、その水蒸気が冷たい空気に冷やされて発生するもので実際は冷たい空気が暖かい川や湖の上に移動した際にみられ川霧とも呼ばれる。南アルプスと中央アルプスに挟まれた狭隘な谷が伊那谷で、中央を天竜川が流れている。天竜川の流域には、秋から冬にかけて川霧が良く発生する。昭和40年代頃までは夏のスイカ、秋の柿、冬の蜜柑は誰でもが気軽に食べることのできる果菜であった。40年以降バナナの輸入が増加し通年安価に食べられるようになるなど多様な果実が巷に溢れるようになるに連れて人の好みも変化してきた。平成生まれの孫はバナナ・スイカ・ミカンなどをあまり好まず、柿にもは全く向きもしない。昭和一桁生まれの人間には、これらはおやつとしてまた貴重な食べ物でもあった。人は柿に対しては特に好き嫌いが強いらしく、子供も孫も全く見向きもしない。柿には、甘柿と渋柿とがある。種の有無に関わらず渋くないものを完全甘柿といい、種があって熟すと甘くなるものは不完全甘柿、核の周りの一部だけ甘くなるものは不完全渋柿、熟柿になるまで渋いものは完全渋柿と甘渋で4パターンに分類されている。柿の渋味は水溶性タンニンによるもので、水溶性タンニンは唾液にも溶けるため渋味として感じるが甘柿のタンニンは不溶性であるため渋味を感じない。未熟な柿は全て渋いが、柿が熟すとタンニンが不溶性に変化するため渋さを感じなくなる。渋柿を甘くする方法には皮を剥いて干し柿にする、40℃のお湯に1日浸ける、ドライアイスを入れた袋に2~3日入れておく、ヘタに焼酎を付けて新聞紙に包みさらにビニール袋に5日間入れておくことでタンニンが不溶性に変り甘くなるので食べることが可能となる。渋柿を干し柿にすると甘味が強くなり、その甘さは砂糖の約1.5倍だという。糖度は甘柿より渋柿のほうがはるかに高いため、甘柿を干し柿にしても渋柿ほどには甘くならない。干し柿の表面に付く白い粉は、主にマンニトール・ブドウ糖・果糖・蔗糖などが析出し結晶化したものである。中国ではこれを「柿霜」と呼び、漢方では咳や喉の痛み・口内炎に効果があるとされている。柿は「説文解字」に記載があり、中国で古代から栽培され6世紀の「斉民要術」には干し柿の作り方や灰汁を使った渋抜き法が記載されている。日本に柿が伝わったのは弥生時代といわれ、「延喜式」(927年)には祭礼用の菓子としての記載がある。伊那谷名産の市田柿は小粒なため乾燥が早く黴難いので、干し柿にするのに適している。市田柿を東京へ持ってきて伊那谷と同じ方法で干し柿作りをしても、産地と同じような干し柿にはならない。干し柿を吊るす頃になると、伊那谷は天竜川の川霧が発生するようになる。一説にはこの霧と気候が、あの上品な味の市田柿を作るのだと言う。今年は暖冬で黴の心配をしていたが天竜の川霧をいっぱいに受けて順調に干し上がれば、12月中旬には表面に白く粉を吹いて中が飴色になった市田柿が店頭に並ぶようになる。
2015年12月08日

日本の家電は世界のどのメーカー製品と比較しても、優れた技術力によって機能・故障が少ない等優れているとして海外でも信頼を得て長年日本の経済成長の牽引役を担ってきた。しかし技術が追いついてきた外国製品はその安さもあって、日本の電気産業は海外メーカーとの競争に勝てず10数年前から旧来の経営に陰りが出始めてきた。特に盛田昭夫亡き後のソニーの凋落は目を覆うばかりだが、シャープ・東芝・日立・ビクター・パナソニックなど大手の家電メーカーも例外では無く赤字営業に転落して経営立て直しに四苦八苦している。大きく値を下げソニー株で、大損をした人も多い。盛田昭夫の肝入りで設立され、死後長男英夫が理事長職を引き継いだ鈴渓学術財団(学術振興や海外留学奨励が目的)と愛知県教育委員会所管の盛田国際教育振興財団は、2008年頃より資産運用が厳しくなり13年12月に解散した。英夫がそれほどに資金繰りに行き詰まって財団の基本財産に手を付けたのは、大規模スキー場開発・米国コロラド州の大規模スキー場買収・F1レースへの参戦など相次ぐ事業の失敗と関係している。ソニー生みの親の盛田昭夫は、寛文5年創業し酒造業を営む第14代当主の長男として生まれた。性格は「社交性に富み、非常に親しみやすい」と言われる反面、十五代目造り酒屋の跡取りとして厳格な家長であったと言われている。井深大と共にソニーを共同創業し世界企業に育て上げ、トランジスタラジオやウォークマン等を発売するなどソニーの存在を世界に知らしめた。さらに画期的なブラウン管(トリニトロン)の商品化を実現し、この製品は世界に2億8000万台が出荷されたという。それらの功績により1992年(平成4年)名誉大英帝国勲章を、平成11年(1999)には勲一等旭日大綬章の死後叙勲を受けている。常滑市小鈴谷の盛田株式会社の工場内に2008年4月、170年前の醸造蔵を改装して製品展示販売と杉樽を並べた食堂「盛田味の館」が開店した。ここには菜めし田楽・焼おにぎり・みそ煮込みうどん・おでんなどの定食の他、みそ風味ざるそば・かけそば(焼きおにぎり付き)などの他多彩なメニューがある。休祭日には見学者も多く食事のためには行列ができると聞いていたが、訪問日が平日の月曜日であったせいか昼飯時にも関わらず空いていた。食堂内には「酒・みそ・たまり・しょうゆの製造工程」がモニターに映し出されていて、隣接する工場で造られた清酒の利き酒や食品の味見をすることもできる。「盛田味の館」に入って直ぐ右側には、殆ど入る人を見かけない盛田昭夫常設展示場がある。2004年盛田昭夫五周忌に東京・中部国際空港・海外で開催された、「人間・盛田昭夫展」の資料が展示されている。「盛田味の館」には貼られているポスター一枚に「ソニー」の文字が見えるだけで、他にソニーに関する物は何もない。盛田味の館を訪れた人の中には、盛田第十五代当主がソニーの共同創業者であったことも知らないまま帰る人も多いと思われる。ソニー株を全て手放したソニー共同創業者の一人の二代目は現在盛田株式会社の名誉会長・CEOだが、その経営も思わしくないとされる。
2015年12月07日

7月初めに講習予備検査と高齢者講習(75歳以上)受講通知が届いて直ぐに、指定教習所に受講申し込みをしたのだが非常に混んでいて結果的に12月になってしまった。毎日決まってしなければならない用事は無いのだが、自動車教習所の往復と受講時間を合わせ6時間を超えて束縛されることに多少の面倒臭さがある。しかしこの「予備検査と高齢者講習等」を受講しないと、免許更新の手続きができない。講習室で講習内容についてと注意事項の説明を受けた後、時計と携帯はポケットやバックに収納させられる。これは、次に行われる予備検査の内容に関わってくるからである。予備検査場は講習室とは別に準備されており、荷物を持たないで移動させられる。予備検査場の机上には鉛筆と、4枚綴りの回答用紙が伏せて配布されている。予備検査の内容は、判断力・記憶力の状態を知るための簡易な内容となっている。検査前に注意事項が何回も繰り返されるのだが、受講する人の中には一向にその注意が入らない人がいて少しイライラさせられる。最初の検査は、今日の年月日・曜日と今の凡その時間を推定して記入することである。次にプロジェクターで白板に1画面4種類が4画面次々と写し出されて、これを記憶させられる。それぞれの絵を見て、描かれた物の名前とジャンルの説明がされる。一人の男性はコートの絵を見て、とてもコートには見えないので丈をもう少し長く描けとクレームをつけていた。担当者は「ハーフコートと思ってください。」と窘めていて、思わず失笑してしまった。次いで乱数字が7列ほど並んだ表から、指定された数字を斜線で消去する作業が連続して2回ある。この作業に注力することで前に覚えた絵を忘れていないかを検証するもので、検査の正確さや作業の多さを評価対象とした作業では無い。この作業が終わると続いて覚えた16の絵の名前を、回答用紙に記入することになる。検査中の質問は手を挙げて行い声を出すことを禁止されているにも拘らず、後ろに座った80近い女性が声に出して絵の名前を言いながら記入していた。これが雑音となって集中できず、いらいらが先に立って2個が思い出せなかった。続いて16それぞれの絵のヒントが書かれた2枚目の回答用紙に記入する検査では、16全てを間違いなく記入することができた。次に時計の文字盤を描き、指定された時刻を針で表す絵を描く。最初の年月日・推定時間の記入では正解数に1.15、絵の記憶は1.94、時計の描画は2.97を乗じて加えた数値で判断する。評点、49点未満は記憶力・判断力が低くなっている。49点~76点未満が記憶力・判断力が少し低くなっている。70点以上は、記憶力・判断力に心配ないの3段階に評価される。「記憶力・判断力が低くなっている」と判定されても運転免許の更新手続きはできるが、確認期間内に基準行為(信号無視・通行禁止違反・通行区分違反(右側通行等)・通行帯違反・進路変更禁止違反・転回・後退等禁止違反・踏切不停止・しゃ断踏切立入り・指定通行区分違反他6項目)が確認された場合、臨時適性検査(専門医の診断)を受けなければならなくなった。予備検査が終わった後の雑談で採点していた担当者が、「完璧で驚きました。!」と話しかけて来た。記憶力・判断力で何の心配も無いと言われたのに、実車では、カーブでスピードを出し過ぎだとダメ出しを受けた。前々から「老人暴走族」の異名で呼ばれたこともあり、これを機会に少しスピード控えめで運転しようと胆に銘じた所である。
2015年12月04日

人は様々な自然現象や自然の事物に理屈を付けて、信仰や縁起の対象にしている。多くの樹木もその名前や性質から縁起が良いとして、庭に植えられるものが多い。めでたいとされる木の代表は、ユズリハ(譲葉)であろうか。この樹の名前は、新葉が生え揃ってから古い葉が散るところからつけられたものである。葉の新旧交代が、多くの落葉樹と異なる。この樹は新葉が出てから古い葉が散ることから、家業や家の代が順調に引き継がれることを願って植栽され正月飾りとして鏡餅に添えて代々続くことを祈念する。ユズリハの花言葉も、若返り・譲渡・世代交代である。ユズリハの葉は緑葉のままで散るが、ブナ科の樹木の多くは黄葉して枯れた後も散ること無く枯れ葉が冬芽を囲んだまま越冬し、新芽の萌芽が始まってから枯れ葉を落とす。特にブナ科の樹木の中でカシワの葉は大きく、芳香があり邪気を払うといわれ「柏餅」の材料に使われる。大きくて丈夫な葉は食器代わりに使用され、供え物として神事・慶事に用いられたと伝わっている。カシワを植える方角は西が吉とされているが、夏は大きな葉が日差しを遮り春まで落葉しない枯れ葉が西寄りの冬の強風を遮ってくれる。春まで落葉しないカシワは頑丈で頼もしい木であるとして、鬼門に植え「鬼門封じ」に用いるという慣わしもある。日向から半日陰にも生育し成長は遅いが、丈夫な性質を持ち放任で育つ。放任すると10m以上になるが、強く剪定しても何処からでも芽吹くので高さを抑えることができる。地元の人からはクスサンが着いて庭樹には不適だと注意されたが、15年前に山荘のシンボルツリーとして8mほどのカシワの木を玄関前に植えた。幸い近隣の栗の木の葉は丸坊主にされたが、カシワには全くクスサンはつかなかった。しかし山荘のある北杜市では冬の間甲州の空っ風と言われる八ヶ岳颪が吹き荒れ、縁起が良いとされるカシワの枯れ葉は冬季に吹く連日30mにも及ぶ強風によって、12月中にはその大部分が千切られて吹き飛んでしまう。横に伸びた枝から千切れて飛んだ大きな葉は、隣地に吹きだまりを作って誠に厄介でもある。数年前から黄葉の時期に合わせて、今年の新枝を全て剪定して落とすことにした。カシワの葉には、しばしばブナハマルタマフシによる虫瘤(虫えい)が現れる。虫えいは7月上旬から出現し、8月中旬~9月下旬に落下する。落下時瘤の中の幼虫は体長約1mmで未成熟だが落下後虫えい内で終齢に達し、10月上旬~下旬に蛹化・羽化した成虫は越冬芽に産卵越冬して翌年葉に見苦しい虫瘤を作る。このような習性から移行性の殺虫剤を使用しても、完全に退治することは困難である。しかし幸いにも越冬芽の着いた枝を剪定に寄って完全に除去することで、永年悩まされた葉の見苦しい虫瘤から完全に解放された。今年もカシワが黄葉の時期を迎えたので老体に鞭打って樹上の人となり、半日掛かりで今年の新枝を完全に除切した。これで強風で鳴る枯れ葉の音・千切れて飛ぶ落ち葉・来年の新葉に付く虫瘤に悩まされることは無い。
2015年12月03日

総工費160億円をかけて駅前再開発で整備された公園やバスターミナルなどの公共施設と商業施設との複合施設「オアシス21」は、名古屋駅前にある。2002年(平成14年)10月11日に、グランドオープンした。オープンに先立って施設の愛称を公募したところ6609通の応募があり、そのなかの多くは「心安らぐ場所」という意味に因んだものが多かった。心安らぐという意味から「オアシス」を選び、さらにオープンが21世紀の最初の年に当たることから「21」とを合体させて「オアシス21」の名称にしたのだと言う。この場所の吹き抜けの地下広場の真上地上14mに、船を象ったというガラスの大屋根がある。約2,700平方mの広さの「水の宇宙船」の名前で呼ばれる展望台は、無料入場である。デッキのガラスの上面は6~10cmの深さの池になっていて水が張られており、薄いベールのように緩やかに水が流れている。池の周りには200mほどの園路があって、周遊できる。夜にはライトアップされ、幻想的な景色を浮き立たせるという。オアシス21の象徴的建造物の「水の宇宙船」は、地下への輻射熱の軽減・雨水の再利用と井戸水の活用・氷蓄熱システムによる夜間電力使用による省エネシステムとして設計されているのだと言う。第1回名古屋まちなみデザインセレクション(2012年)で市民投票によって、「水の宇宙船の上とそこからみた名古屋テレビ塔」が「まちなみデザイン20」に選定された。「水の宇宙船」の軸は名古屋城の方角を向いており、デッキからはサンシャインサカエと三越百貨店の観覧車を見ることができる。京都・大阪には度々出かけるが、名古屋で下車することは先ずない。数十年振りに友人S氏に会うため降り立った名古屋駅前は、再開発により変貌著しく今浦島で一人では行き先を探すのに戸惑うばかりである。鳴り物入りでオープンした「オアシス21」が完成してから10年余を過ぎて、市民の関心が薄れているように見える。訪れたのが月曜の昼下がりとは言え人の姿が殆どなく、偶に傍若無人な中国人の集団が大声を発しながら行き交う位である。費用対効果を再検証して将来の街づくりに生かすことも必要ではないか思うのは、私一人では無い筈と感じた。
2015年12月02日

季節外れに花が咲くことを狂い咲きと言って、別に返り咲きともいわれる。普通サクラは春に咲くが、季節外れの秋に咲くことがある。季節外れに開花する現象は、サクラに限らず多くの植物に見られる。サクラの場合真夏の頃に葉を落とすことがあると、狂い咲きが起きやすい。自然のサイクルの中で落葉樹は、落葉した状態で休眠し冬を越す。この休眠を起こす物質は、葉で作られることが判明している。秋になる前に落葉してしまうと、休眠誘発物質が十分に蓄えられないため休眠しない。桜の花芽は夏にはほぼ完成しており、落葉した状態で何日か小春日和の日があると休眠していない蕾は春と勘違いして開花してしまう。気象台ではこの現象を狂い咲きとは言わず、不時現象と称している。過去最も早い記録あるいは最も遅い記録からおよそ1か月以上ずれて起きる現象と定義づけて、植物と気象との関わりを観察している。この言葉は、国語辞典や広辞苑第三版には出てこない。不時には季節外れのという意味があり、不時と現象を繋げた造語で「不時の現象」の意味で狂い咲きと同じある。サクラは春に開花するのが普通だがジュウガツザクラ・コブクザクラ・フユザクラ・シキザクラなどの種類では狂い咲きではなく秋の落葉期にも咲く性質を持つ。シキザクラの開花期は10~11月と、4月上旬との2回ある。いずれも春の開花の方が花は大きく多く咲くので、秋より見応えがある。シキザクラ(四季桜)は、神代桜・王仁サクラ・石割サクラ等と同じエドヒガンとマメザクラの交雑種と考えられている。花は五枚一重で、薄く淡い紅色である。春は開花と同時期に新芽も芽を出し、秋は葉を落とす時期に開花する。樹高は、あまり大きくならない。フユザクラは、冬から3月まで咲いて春にも再度開花する。これらの桜は萼筒が異なりシキザクラは細く一重、フユザクラは紅色の太めで花は一重、ジュウガツザクラは紅色で八重、コブクザクラは漏斗型で八重といった特徴がある。コブクザクラはヒガンザクラの交雑種とされ、低木で葉も小さい。花は淡紅または白色で多少八重咲きになり、10月頃から咲き始め4月に盛りとなる。ジュウガツザクラはマメザクラとエドヒガンとの交雑種で、栽培の歴史は古く江戸時代からとされる。晩秋から咲き始め冬のあいだも少しずつ咲き、4月上旬には多く咲く。花は白色から淡いピンク色で、小さな一重咲きである。豊田市川見町には、シキザクラが1,200本以上もあることで有名である。過日友人のS氏に、60数年振りとなる熱田神宮を案内して貰い参拝した。名鉄神宮前駅から最も近い市バス停「神宮東門」から入ったのだが直ぐ左に数本・文化殿前に2本・祈祷殿横等にすっかり落葉したシキザクラが目立たない花を咲かせていた。折しも七五三の参拝で賑わってはいたのだが、ひっそりと咲くこの花に注目する人は殆どいなかった。
2015年12月01日
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