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大阪の種苗店から取り寄せた和綿の種子を、4月末ポットに播いて本葉が出るまで育苗した後畑に移植した。棉は根瘤菌と共生関係が出来上がるまでの初期成長が極めて緩徐だが、暑い7月の気候になると急に成長が速くなる。和棉は他の棉に比べて繊維が短いこともあって、栽培は殆どされなくなってしまった。しかし、低温に対する抵抗性が最も高く日本の気候で良く育つ品種である。露地栽培の北限は仙台・新潟とされ、それ以南であれば標高の高い山岳地域を除いて栽培が可能である。播種後10日ほどで芽を出し、7月頃からよく成長する。そのままでは草丈が2mを超えるように大きくなり実着きも悪くなるので1.2mほどの高さで摘芯する。8月には黄または白色の花が咲き、花後にコットンボールができ30日ほどで弾け始める。棉の収穫は、ワタが垂れ下がるまで待ってから行う。和棉の栽培は好事家によって細々と続けられているが、近年和棉を使った手芸も広まりつつあり一部に人気が復活し始めている。コットンボール1個には8粒ほどの堅い種子があって、種子に付いたワタの中にある。糸に紡ぐには先ず、収穫した綿から種を取り除く必要がある。手で一つずつ外すのは大変な作業なので、一般には円筒状に加工した木を組み合わせた「綿繰り機」が使われる。ローラーの間に綿を入れると、ワタだけが通り抜け固い種は手前に落ちる。種子を取り除いた綿は均一な糸に紡ぐために、オロシ板に似ているがより歯の長い道具2枚で梳いて繊維をバラバラにする。この工程は、羊毛を梳くのと同じである。♪もずが枯木で鳴いている おいらは藁をたたいてる 綿びき車はおばあさん コットン水車も廻ってる (詞 サトウハチロー)綿びき車とは糸車のことで車は竹製、枠は木で作られている。ワタ梳きされたワタを単糸にひき、それを撚り合せて木綿糸を作る道具である。糸車はいとぐるま・糸撚り器またはその時出る音から、ブンブンとも呼ばれる。機織りの横糸を細管に巻き取る管巻き・撚糸・綿の紡糸と多様の用途をもった道具である。100年前まで糸車は主として農家の年老いた婦人に使われていたが、その操作にはかなりの熟練を必要とした。沢山のコットンボールから顔を出した綿を収穫したがそんな道具を持たないので、気長に綿から種子を一粒ずつ手で取り分け沢山の原綿ができた。折角取りだしたワタだが12月になったら孫の家族の樅の木にでも掛ける以外に、その用途を思い付かない。来年は栽培の数を減らして背丈を低く抑え、コットンボールが弾ける前に刈り取って陰干しにしてドライフラワーに加工したいと考えている。
2015年10月30日

秋から初冬にかけて庭を彩る植物の実には、赤色のものが多い。中国で赤色は最も縁起の良い色とされ、結婚式の新婦は赤い衣装を着る。お祝いの封筒には、赤色しかないし年男年女は、赤い下着を身に着ける習慣がある。このような中国の風習の一部が日本にも伝来し、年寄りの原宿と揶揄される巣鴨にも真っ赤な下着を専門に売る店がある。晩秋に赤く色づく庭の植物の実に、センリョウ・マンリョウ・ピラカンサ・ナンテン等がある。これらの植物の実の色も赤くて綺麗だが縁起が良いと言われるようになったのは、「センリョウ(千両)マンリョウ(万両)アリドウシ(有通し)」等のように植物の名前を合わせると語呂がよいこととナンテンは「難点」に通じるとして縁起物の植物とされたものである。センリョウとナンテン・ピラカンサは不思議なことに、10月の末の同じ時期に赤くなる。しかしマンリョウの実の着色は、遅れて未だ緑色をしている。ピラカンサはこれら赤く色づく実の中ではセンリョウに次いで小型で特に縁起の木とされてはいないが、枝先までギッシリと赤い実を付けた木は見応えがある。しかし枝に鋭い棘を持っていて、生花として飾るには難がある。マンリョウは余り使われないがセンリョウとナンテンは、縁起の良い切り花として正月飾りに無くてはならない植物である。12月に入ると先ずピラカンサやナンテンがムクドリ・ヒヨドリ・ツグミなどの小鳥に啄ばまれ、センリョウ・マンリョウは遅れて2月末頃小鳥の標的にされる。これらの植物の実は液果(漿果)で、果肉に発芽抑制物質を含んでいるためそのまま播いても発芽率が極めて低い。小鳥に食べられて消化管を通過することで果肉が取り除かれ、糞と共に排泄されると種子が発芽するようになる。そのため電線の下の側溝の隙間やブロック塀の土台の隙間など、吃驚するような場所に芽を出すことがある。センリョウを実生で殖やすためには、人為的に果肉を丁寧に取り除いて水洗いした後乾燥させずに播種することで、小鳥が撒いたのと同じ効果によって発芽率が高くなる。これらを庭へ植えたのは凡そ40年前だが、今では庭のあちこち株立ちとなっている。さらに以前は近隣の住宅の庭には見られなかったのに、今では多くの民家で見られるようになった。若しかしたら案外我が家の庭に植えたのものが元株で、付近へは小鳥が撒布したのかも知れない。
2015年10月29日

50年前に家内の実家の庭から、実生のサザンカの苗を貰い受けて庭に移植した。今では親木を凌ぐ大きな株になり、品の良いピンクの7枚花弁の花を咲かせる。親木は毎年低く刈り込まれているので、精々径・高さとも1mほどしかない。葉が見えないほどに群がって咲く園芸種のサザンカも見事だが、緑の葉の上にポツポツと疎らに咲く一重の花も風情があって捨てがたい。中国では山茶は椿を指し、サザンカの名前は茶梅と書く。ツバキの花を表す漢名の「山茶花」が日本に伝来した際ツバキとサザンカが混同され、サザンカの名前として誤って定着したものである。平安から安土桃山時代には山茶花は「サンザカ」と発音されていたのだが、江戸時代になって「ン」と「ザ」が倒置してサザンカと発音されるようになった。学名も英名も、Sasanquaである。日本が原産地で、江戸時代に出島に来た医師ツンベルクがヨーロッパに持ち帰へったことから西欧で栽培が広がった。秋の終わりから冬の、花の無い時期に花を咲かせるので貴重な花木である。野生種の花の色は部分的に淡い桃色を交えた白色だが、多くの園芸品種が作出されていて赤色・白色・ピンク・絞りなど多彩である。同じ仲間なのでツバキ・カンツバキと良く似ていて、知識が無いと見分けが難しい。ツバキは花全体がポタリと落ちるが、サザンカの花弁はバラバラに散る。正岡子規の俳句が、サザンカの特長を良く詠んでいる。 山茶花を 雀のこぼす 日和かな サザンカは開花時期から大きくサザンカ系・カンツバキ系・ハルサザンカ系の3系統に分類される。それぞれ開花時期が異なりサザンカ系は11月~12月、サザンカとツバキとの種間交雑園芸品種のカンツバキ系の開花は11月~2月、サザンカとヤブツバキが自然交雑によってできたハルサザンカ系は2月~4月に花を咲かせる。野生種のサザンカは6~7枚の花弁を持ち、白色または薄いピンク入った一重咲きである。園芸品種の花は一重咲き・半八重咲き・八重咲き・ラッパ咲きなどがあり、花色も単色・斑入り・暈かしなど多彩で豊富である。「花壇綱目」水野元勝(1681)には、ツバキの品種として66種収載されているが、サザンカの名はない。しかし14年後に著わされた「花壇地錦抄」伊藤三之丞(1695)には、50種ものサザンカの名前が出てくる。草本と異なる木本のサザンカの園芸種が14年間で一挙に作出されたものでは無く、江戸時代以前には既に栽培が始まっていたものと考えられる。日本の古名で、ツバキは「かたし」と呼ばれていた。古人も椿と山茶花の区別がつかなくて、サザンカは小型の椿と考えたものであろう。ツバキより木も花も小型なサザンカを、「こかたし」あるいは「ヒメカタシ」と呼んだ。 山茶花の 花や葉の上に 散り映えり」 虚子 11月3日、12月4日の 誕生花 花言葉 困難に打ち勝つ ひたむきさ
2015年10月28日

庭の紫陽花の株の下に、40年も前に植えたサフランが咲きだした。姿形はアヤメや菖蒲と全く異なるのに、アヤメと仲間の植物である。ただ花だけを漫然と見ていると春一番に咲く、クロッカスの花の狂い咲きかと錯覚を覚えてしまう。サフランは、西アジアと南アジアの中間地域原産である。ギリシャで栽培されたのが初めとされるアヤメ科の多年草で、その雌しべを乾燥させた香辛料も同じ名前で呼ばれる。別名は薬用サフランと呼んで、同属のクロッカスと区別する。日が当たると花が開き曇天の日は開花せず、また夕方日が落ちると花弁を閉じる。秋咲きもあるが通常早春2~3月頃に花を咲かせ観賞用として栽培されるものをクロッカスまたは花サフランと呼び、晩秋10~11月頃に咲いて雌しべを薬用やスパイスとして用いるものをサフランと呼んでいる。サフランの雌しべは細長く、花の外まで垂れ下がるのが特徴である。サフランの花色は紫の絞り一色だが、クロッカスは黄・紫・薄紫・赤紫・藤色・白・クリーム・白地に藤色の絞りなど多彩で豊富である。イヌサフランの名前が付けられ、9月下旬から10月上旬頃に開花する花がある。水耕でも単に机の上に放置しておいても開花し、花はサフランに似ているが薬用にもスパイスにも利用できず、「役に立たない」という意味が「イヌ…」の言葉には込められている。ところがイヌサフランの種子・麟茎からは、痛風の治療薬のコルヒチンが採取される。コルヒチンをスイカの種に施すと3倍体となつて、種無しスイカが作れることが知られている。さらにサフランの名前がついた6~9月に開花する植物に、サフランモドキがある。こちらはタマスダレ属の植物でサフランの花に似てもって非であるところから、「…モドキ」の名前が付けられた。ピンクの花で、全草に植物アルカロイドのリコリンを含有していて有毒である。サフランはアラビア語「ザアファラーン」に由来し、日本では漢字で咱夫藍と書く。サフランの有効成分としてカロテンの他、色素配糖体であるクロシン・無色の苦味配糖体・精油・クロセチンなどが含まれる。独特な香りの主成分は、サフラナールである。ヨーロッパでは、紀元前から雌しべが香料・染料として利用されてきた。古代ギリシアではサフランの黄色が珍重され、王族以外は使用が禁じられロイヤルカラーとされた時代もある。日本へは江戸時代に、薬として伝来した。明治36年(1903)に大磯町から大分県へ伝わったことから、現在も日本でのサフランの8割以上は竹田市で生産されている。サフランの有用部位は雌しべで、乾燥させて香辛料や生薬として用いる。1gのサフランを採るには160個ほどの花を必要とし、1g/1,000円と高価である。乾燥した雌しべには独特の香りがあって、水に溶かすと鮮やかな黄色に発色する。生薬名は番紅花で局方第二部にはサフランの名で収載され、鎮静・鎮痛・通経作用がある。麦角アルカロイドと同じように子宮筋を収縮させ流産の原因となるので、妊婦は摂取を避けなければならない。また授乳中の安全性については充分な情報がないことから、摂取を避けたほうがよいとされる。アレルゲンとして作用することもあり、アレルギーに対する注意も必要である。5g以上の摂取で重篤な副作用が発現し、12~20gが致死量とされる。 12月7日の誕生花 花言葉 陽気 喜び 歓喜サフランの色や香りが人の気持ちを高揚させ、明るくするところから付けられたとされる。
2015年10月27日

平安初期の歌人で六歌仙の一人文屋康秀の歌に、「吹くからに 秋の草木のしをるれば むべ山風を 嵐といふらむ」(山から秋風が吹くと、たちまち秋の草木がしおれはじめる。なるほど、だから山風のことを「嵐(荒らし)」と言うのだなあ)がある。この山風とは「秋の草木のしをるれば」とあることから、凩のことであろう。木枯らしは辞書に「木を吹き枯らす風の意。初冬に吹く強い風。日本の太平洋側地域において晩秋から初冬の間に吹く風速8m/s以上の北寄り(北から西北西)の風のことで、冬型の気圧配置になったことを示す現象である。凩とも」とある。気象庁では10月半ばから11月末にかけて西高東低の冬型の気圧配置になった時、北寄りの風速8/s以上の風が関東地方(東京)と近畿地方(大阪)で吹くとその風を「木枯らし」と認定し、特に最初の木枯らしには「木枯らし一号」の名前を付けて発表する。大陸から日本に吹いてくる冬の季節風が、日本海を渡る時に水分を含む。日本列島の中央部には連山があるために、日本海側ではこの水分を含んだ風が時雨となって雨や雪を降らせ水分を失い、山を越えた太平洋側では乾燥した空気となる。これが木枯らしで、空っ風といわれる強風なる。気象協会は2013.04.25に季節の言葉36選で木枯らし一号を、七五三・時雨とともに11月の言葉として選定して発表している。気象庁は24日の夜は東京で12.8mの北北西の風を観測した。気圧配置が西高東低の冬型となり季節風が強まったため、去年より3日早い木枯らし一号を観測したと発表した。25日の朝は街中に止めた自転車の列が、夜半からの強風にあおられてあちらこちらで将棋倒しになっていた。この36年間で木枯らし一号が最も早かったのは、1988年の10月13日である。この60年間で10月に20回、11月は40回の木枯らし一号が吹いていて、平均では11月8日頃となり不思議なことに暦の立冬に重なっている。木枯らし1号が吹いた月と東日本の冬の寒暖の傾向を見て見ると、10月に木枯らし一号が吹いた年では暖冬となった年は20%であった。11月に木枯らし一号が吹いた年の暖冬は、37%となっている。平年並の冬はどちらかと言えば冬らしい寒さの冬といえることから、統計上は10月に木枯らし1号吹いた年で暖冬になるのは2割、11月に吹いた年では4割弱である。これから見る限り早めに木枯らし1号が吹いた年では、暖冬よりむしろ冬らしい冬になりやすいとも言える。これからすると、今冬は平年並みか寒いと予想できる。気象庁の予報では統計上の予想に反して、エルニーニョ現象の影響によりこの冬は東日本や西日本を中心に暖冬傾向が続くとしている。暖冬と聞くとありがたく思われるが、関東では2~3月の気圧配置に近くなり前線が列島の南を通るようになるため日照が少なくなり曇りや雪が多くなる恐れがある。日照が無い分寧ろ、寒くさえ感じる。冬の晴天は空気の乾燥による弊害があったとしても、それを凌駕するほどの恵みをもたらしてくれる。今夏は真夏からいきなり秋に突入してしまったが、穏やかな自然の移り変わりを願うのは無理なことなのであろうか。 凩に 浅間の煙 吹き散るか 虚子
2015年10月26日

伊藤左千夫の純愛小説「野菊の墓」に、コットンの収穫場面が描かれている。「兄夫婦とお増と外に男一人とは中稲の刈残りを是非刈って終わねばならぬ。民子は僕を手伝いとして山畑の棉を採ってくることになった。これはもとより母の指図で誰にも異議は云えない。…棉は末にはなっているが、風が吹いたら溢れるかと思うほど棉はえんでいる。点々として畑中白くなっているその棉に朝日がさしていると目ぶしい様に綺麗だ。「まアよくえんでること。今日採りにきてよい事しました」民子は女だけに、棉の綺麗にえんでるのを見て嬉しそうにそう云った。」日本でも明治から昭和の初めにかけては綿花の栽培が盛んに行われたが、安価な綿花が入ってくるようになって日本の綿花栽培は衰退した。現在綿花の栽培は個人やグループで小規模に行われているが、統計上は国内自給率0%となっている。和綿生産の復活や国内での紡績・染色・タオルなどのコットンを使う二次産業企業が地場での栽培を団体化した「全国コットンサミット」があり、NPO法人などを利用した手芸としての糸紡ぎや、エコ活動と連動した栽培が見られる程度である。木綿(棉)は、ワタの種子から取れる繊維のことで、英語ではコットン(cotton)という。単に棉(綿)とも言い厳密には摘み取った状態のものを棉、それから種子を取り除いた後の状態のものが綿だが区別しないことが多い。ワタは、アオイ科の多年草の総称である。多年草だが、日本では冬を越せないため一年草として栽培される。霜が降りるまで次々と花を咲かせ、樹高も2mを超すことがある。木綿とは、種子を包んで付いている繊維のことである。伸びにくく丈夫で、吸湿性があって肌触りもよい。このため下着などによく使われるが、縮みやすいのが欠点である。木綿は主成分は、セルロースである。本来塊状の繊維全般を指す語が綿(わた)であり、布団や座布団に入れる繊維は種類に関係なく全てに対して綿(わた)あるいは中綿と呼ぶのが正しい言葉の使い方である。綿花のさく果の内部は隔壁によって4室に分かれており、各室にある数個の種子に綿毛が密生している。この綿毛は外皮細胞が変形したもので、綿の種類によって長短に分かれる。未熟の綿毛の中芯には水分が詰まっているが熟すと内部の水分がなくなって中空になり、管内の水分が乾燥すると綿毛は自然に捩れを生じる。現在綿花は収穫機械コットン・ピッカーなどにより収穫されるが、開発途上国では手摘みされている。さく果の皮は非常に堅く4裂した先は鋭く尖っているため、手摘みの場合手に刺し傷を負うことが多い。ドライフラワーにしたいと思い、大阪の種苗店から綿花の種子を取り寄せて一袋30粒ほどをポットで育て5月の連休明けに定植した。もう少し草丈の小さなものを想像していたのだが、全てが背の高い大株に育って10月下旬になろうとするのに未だ盛んに花を咲かせている。綿花の収穫は開花してから約2か月必要なため、今開花しているものは実らずに枯死してしまうと思われる。意に反してドライフラワーとして飾るには大きすぎ、さらに大量に採れた木綿の始末に頭を悩ませているところである。
2015年10月23日

猿は猿知恵、と言う言葉がある。動物の中でサルの外形はヒトに最も近くヒトに次いで高いと言われる知能も、人間のレベルには全く届かないというところから出た言葉である。一見気が利いているようでも生意気で、どこか欠けている程度の知識のこと或いはそんな人のことをいう。中国の古い話に、「500匹のサルが、ある島に住んでいた。気候も良くて食料も豊かな島であったのが、ある日その内の1匹が、海の向こうにはもっとすばらしい場所があるのではないかと考えて沖へ向かって泳ぎ始めた。いつまで経ってもそのサルが帰って来ないのは、良い場所を見つけて棲み付いたからだと思った500匹全てが海に入って行き遂に島にサルは居なくなってしまった。」とあり、これが猿知恵の出典になったと伝わっている。猿はヒトより毛が3本足りないことで、ヒトになれなかったとも言われる。ヒトと少ししか違わなく人間に近いが、毛3本ほど知恵が足らないという意味なのであろう。この「ケ」とは「毛」ではなく、善悪の見分け・情・躾の「ケ」だとする考え方もあるようだ。また異なる意見では、躾けの替わりに「やり遂げ」を入れている人もある。これらは至極尤もらしく聞こえるが出典は明確でなく、所詮理屈の後付けに過ぎないような感じがする。日本には室町末期から江戸初期にかけて成立した、桃太郎・かちかち山・猿蟹合戦・舌切雀・花咲爺という代表的な五つの昔話がある。お伽噺と言われるこれらの話は、テレビ時代の現代でも語り継がれ多くの人の記憶に残っている。この中の猿蟹合戦はずる賢い猿が騙した上で蟹が殺害されたが、その蟹の子供に仕返しされるという話である。「猿と蟹がそれぞれ、柿の種と握り飯を拾う。猿は今食べられる握り飯が食べたくて巧言を弄して蟹の握り飯と交換する。蟹は柿の種を庭に植え育てて、柿の実を沢山実らせる。猿は今度は柿を食べたくて、木に登って採ってあげると言う。赤く甘い実を自分で食べ、渋くて青い実を投げつけ蟹を殺してしまう。蟹の子供は栗・蜂・臼の力を借りて、猿に復讐をする。」お伽噺のこの場面でも猿の浅知恵が、その身を滅ぼしたことが書かれている。しかし猿知恵とは言いながら、野生のニホンザルの知恵は驚くほどである。日本の山里では、動物による農作物被害が深刻である。山荘の近辺ではサル・イノシシ・シカ・ハクビシンなどが耕作地を我が物顔に闊歩して作物を収奪し、そのため耕作を諦めて荒れ地になる田畑が増えている。イノシシ・シカ・ハクビシンは電気柵で撃退できるのだが、サルには通用しない。渋柿の実が色付いて赤くなり始めると集団でやって来て、毟り取って少し齧って捨てて置く。齧り傷の付いた柿は、暫くすると熟して甘くなるのでそれを食べる。キウイも、然りである。枝にある中は堅く酸っぱくてとても口にできないのだが、キズを付けて落としておくと何日かで熟して甘くなり食べることが可能となる。すっかり学習したサルは今年、山荘を何日か留守にしている間に大量のキウイを落とした。不思議なのは、近頃サトイモの親芋を食べるようになったことである。シュウ酸の結晶を大量に含有している生のサトイモはとても口にできない筈なのに、何年か味見している中に餌にすることを学習したものと思われる。サルの浅知恵か悪知恵なのか、学習して次の世代に伝えあまり知恵達者集団になって欲しく無いものである。
2015年10月22日

この虫でさすれば疣が消えるとの俗説があったことから、疣毟(いぼむしり)が「いぼうじり」となりさらに「う」が音変化してカマキリの古名となった。平安時代末期に編まれた梁塵秘抄には、「囃せば舞ひ出づる疣毟、蝸牛」と出ている。カマキリは中国では、螳螂と書いてtángláng(タンラン)と発音する。中国から出た、蟷螂の斧と言う言葉がある。齊莊公出獵。有一蟲、擧足將搏其輪。問其御曰、此何蟲也。對曰、此所謂螳螂者也。其爲蟲也、知進而不知却、不量力而輕敵。莊公曰、此爲人而必爲天下勇武矣。廻車而避之。(斉の荘公が狩りに行ったときにカマキリが前足を振り上げ車の輪を打とうとした。荘公が「これは何の虫だ」と問うと、「カマキリという虫で、進むことしか知らず、退くことを知りません。自分の力量をかえりみず相手に立ち向かっていきます」と答えたところ荘公は「この虫が人間だったら天下をとっていただろう」と言った)」とあるのに基づく。強がることの譬えにも用いる。) …「韓詩外伝」巻八和名カマキリの名前の由来については「鎌切」という表記があることからわかるように、「鎌で切る」から「鎌切り」となったという説と、「カマキリ」は、「鎌を持つキリギリス」の仲間の意味で、この「キリ」はキリギリスの「キリ…」と同じだとする説とがある。異名には、いぼじり・いぼむしり・かまむし・かまぎっちょう・おがみたろう・とうろう等があるが一般的にはカマキリと呼ばれ、漢字の蟷螂をカマキリと読ませている。 蟷螂が 片手かけたり 釣鐘に 一茶雄は細身で軽く飛んで移動するが、雌は雄より大きく身体が頑強で重いために雄のように飛翔することはなく翅は単に威嚇のためにだけ使用される。共食いすることが、良く知られている。雄も食べられまいとして雌の背後からソット近付いて交尾するのだが、それでも交尾中またはその後に雌が雄を食べてしまうことでも有名である。動かない物や死んだ物には興味を示さず、生きた餌以外は食べない。棘々の鎌状の前脚で獲物を捕えて、動けないように抑えつけた後大顎で齧って食べる。小春日和で暖かい日には、住宅街の庭にも卵を持って腹の膨らんだ雌カマキリが姿を表す。動きは緩慢で、前足の前に指を出したり体に触らなければ攻撃してくることは無い。長男が車の下に居たカマキリを道路の向かい側のブロック塀に移動させたところ、丁度下から這いあがってきたショウリョウバッタ(精霊蝗虫)と鉢合わせしてしまった。哀れにもショウリョウバッタは一瞬のうちに抑え込まれ、カマキリの強靭な顎で噛みつかれ動かなくなってしまった。次の山口誓子の俳句は2句とも「いぼむしり」と読ませている。 蟷螂の 鋏ゆるめず 蜂を食む 蜂舐ぶる 舌やすめずに 蟷螂
2015年10月21日

紅葉の便りが聞かれるようになると、夏の間日除けとして頑張ってくれたヘチマの果実の収穫期である。沖縄では、ヘチマをナーベラーの名前で呼ぶ。ナーベラーの語源は、ヘチマの完熟果実の繊維を「鍋洗い」に用いたことが由来とされる。九州南部や沖縄では、若い果実の皮を剥いて汁物や煮物などにして食べる。ヘチマ(糸瓜・天糸瓜)はインドが原産のウリ科の一年草で、江戸時代に渡来したと言われている。果実から繊維が得られることから糸瓜(いとうり)と言われていたものが、後に訛って「とうり」となった。江戸時代の人にも、シャレ好きの粋人が多かったのであろう。「と」はいろは歌の「へ」と「ち」の間にあるので、「へ・ち間」の意味で「へ・ち・ま」と呼ばれるようになったのだという。現在も漢字で「糸瓜」と書いて、へちまと読ませる。果実は成熟と共に強い繊維が発達するので、これを取り出してタワシとして利用される。ヘチマの中にはウリ科植物に特有のステロイドの一種であるククルビタシンを非常に多く産生するものがあり、自家栽培したものから嘔吐や下痢等の食中毒の発生事例もある。繊維をタワシとして利用するには、外皮を溶かして繊維を取り出す必要がある。水中に1か月も浸漬すると外皮は腐るので流水で水洗いして乾燥させれば、繊維だけを取り出すことができる。科も網の成り立ちも全く異なるのに、同じように網を作る植物がある。辞書や百科事典にもその名前は出てこないから、数寄者が勝手にアミホウズキと名前を付けて呼んでいるのに違いない。ホオズキ(鬼灯、酸漿)は、ナス科ホオズキ属の多年草で別名カガチやヌカヅキとも呼ばれる。根は生薬の、酸漿根と呼ばれている。ナス科植物の例に漏れず、全草にアルカロイドが含まれている。酸漿根には子宮の収縮作用を示すヒストニンが含まれており、明治時代まで堕胎薬として用いられていた。ホウズキは、萼が袋状になって果実を包んだものである。この袋が赤く熟したら採取して水に浸漬して袋を腐らせると、萼の外皮が融けて網が袋状に残る。ヘチマタワシと異なりホウズキには実用的な価値は無いが、繊細な網袋の中に赤い果実が透けて見える様子は、何とも言えない自然の造形の不思議さを感じさせてくれる。
2015年10月20日

伊藤左千夫の小説「野菊の墓」に、その題となった次の一節がある。「まア政夫さんは何をしていたの。私びッくりして……まア綺麗な野菊、政夫さん、私に半分おくれッたら、私ほんとうに野菊が好き」「僕はもとから野菊がだい好き。民さんも野菊が好き……」「私なんでも野菊の生れ返りよ。野菊の花を見ると身振いの出るほど好もしいの。どうしてこんなかと、自分でも思う位」「民さんはそんなに野菊が好き……道理でどうやら民さんは野菊のような人だ」 民子は分けてやった半分の野菊を顔に押しあてて嬉しがった。二人は歩きだす。「政夫さん……私野菊の様だってどうしてですか」「さアどうしてということはないけど、民さんは何がなし野菊の様な風だからさ」「それで政夫さんは野菊が好きだって……」「僕大好きさ」ここに出てくる野菊はノコンギクのことではないかと言われるが、ヨメナも類似していて見わけが難しい。ノコンギクの花言葉は「忘れられない想い」だが、ノコンギクもコンギクの花言葉もこの「野菊の墓」から持って来たような気がしないでもない。ノコンギクは秋から霜が降りるまでの期間、北海道を除く日本全土の野原などに普通に見られる多年草でキクと同じように地下茎が伸びて増殖・繁茂する。茎は直立40~100センチ、上部で枝分かれする 茎頂に数個の周辺に淡紫色~紫色の舌状花があり、中央に黄色の管状花をつける。ユウガギクは葉が3~4対に浅裂するが、ノコンギクは葉縁に粗い鋸歯を持つ。若芽や若葉は山菜として薄く衣をつけて天ぷらで、塩を入れた熱湯でかるく茹でて水に晒し和え物・汁の実・油炒めなどにしてたべることができる。秋に日本の野山で普通に見られ、花の色が紺色をしたキク科の植物が名前の由来である。コンギクはノコンギクより、色が一層鮮やかである。秋に濃青紫色の花弁と黄色い筒状花の小花を沢山咲かせる多年草で、ノコンギクの園芸品種である。近似種のヨメナは枝分かれが少ないのに対して、コンギクやノコンギクは枝分かれが多い。旧愚酔庵主から10年も前に一株分けて貰ったコンギクが、山荘の庭一面に広がって可憐な花を咲かせている。この花は林縁や土手に咲くノコンギクより、ずっと鮮やかな紫紅色をしている。外気の最低温度が5℃近くにまで下がるようになると、庭一面に咲いていた様々な秋の花が終わり今は数種類のコギク・リンドウに加えてコンギクが咲くだけとなった。コギクの花も可愛いが、コンギクの如何にも楚々とした野性的な花姿は捨てがたい。花言葉 純情 秘めた恋
2015年10月19日

かつては山荘の周辺一帯でも猖獗を極めたセイタカアワダチソウだが、近頃は特定の場所以外に目にしなくなった。この北アメリカ原産の帰化植物は秋の花粉症の原因として大いに喧伝されたものだが、虫媒花のセイタカアワダチソウにとっては全くの濡れ衣であった。セイタカアワダチソウが瞬く間に日本全土に広がった原因は、養蜂業者が花の少ない時期の集蜜用として全国に種子を散布して歩いたなどの話が伝わっている。異常とも言える猛繁殖は米軍の物資に付着して人為的に種子散布されたなどの他に、セイタカアワダチソウの根から放出されるシスデヒドロマトリカリアエステルという特異物質が寄与していることが突きとめられている。このシスデヒドロマトリカリアエステルには周囲の植物を駆逐し、自己の勢力範囲を広げたりする作用のあることが知られている。東北帝大で生物学の初代教授となったH・モーリッシュが、オーストリアに帰国後「アレロパシー」(1937)を出版した。アレロパシーの概念を「植物が放出する化学物質が他の生物に阻害的あるいは促進的な何らかの作用を及ぼす現象」としている。現在は「他感作用」あるいは、「遠隔作用」と呼ばれている。アレロパシーは植物が成長の場を確保するために、根や葉などから自己以外の植物の生長を抑制する物質を分泌する現象である。最も代表的な植物としてセイタカアワダチソウやヒメジョオンなどが知られ、昔から蕎麦にも雑草抑制の作用のあることが知られている。アレロパシーは、忌地などによる連作障害の原因の1つでもあると考えられている。作物が固有の物質を分泌し、これが同種または近縁の作物の発芽や生育に阻害的に働くとされる。忌地の解決策としては輪作方式を採用することが,最も望ましいとされる。植物体からのアレロパシー分泌には直接抑制物質を飛散あるいは溶出したり、植物が朽ちて分解されそれらが抑制的に働く場合などがある。畑や菜園ではアレロパシー植物の混作や輪作、刈り取り枝葉での地面被覆等によりアレロパシーを活用出来る。セイタカアワダチソウのアレロパシー物質は根に存在し、水に不溶で気候の影響を受けずシスデヒドロマトリカリアエステルを放出し土中に蓄積する。セイタカアワダチソウのアレロパシーは、他の植物の発芽を抑制することで自己を増殖させているとされるが、成長した雑草を枯らす目的で除草剤の代用として使用しても効果は望めない。一頃土手や休耕地・荒れ地の一面に黄色の花を靡かせていたセイタカアワダチソウだが、目にする機会が減ったのはアレロパシー物質が土中に溜り自らもアレロパシーの影響を受け始めた結果だと言う。所謂、忌地と同じ現象であろう。
2015年10月16日

外気温が高い間は風呂にじっくり浸かるより、ぬるめのシャワーで済ませることが多かったのだが10月も中旬を過ぎると湯船にゆったり浸かりたくなる。入浴すると体が温まって抹消血管が広がり、新陳代謝が高まり体内から疲労物質の乳酸排泄を促すとされる。一般的に入浴の効能として挙げられる疲労回復は、疲労物質の「乳酸」が排出されるための効果である。日本人の多くが好ましいと感じる42℃以上の湯では、緊張・興奮の交感神経が刺激されすっきり目覚めた状態となる。ぬるめの37~40℃の湯では副交感神経が刺激され、落ち着いた気分になる。湯に肩まで浸かった時には体表面積全体で、500kgから1tもの水圧がかかるのだという。風呂の中ではこの水圧がかかることにより、内臓が刺激され内臓運動が活発化する。脚には全血液量の約三分の一が集まり、この血液が心臓に送り返されるため「脚は第二の心臓」と言われることがある。陸上では重力があるため脚の血液が心臓まで上がり難いのだが、入浴により足にかかる水圧で血管が細くなりポンプアップ効果により、血液が心臓に向かって押し上げられることになる。その結果、下肢の血液やリンパ液の循環が活発になる。湯に肩まで浸かると浮力により体重は約10分の1になり、筋肉が緩みリラックス状態になる。25℃以上の泉温があるか、または指定された19物質の中の一種以上を含有する場合を温泉と言うが当然温度や含有物質によって効能効果は異なる。温泉の一般的効果として神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え性・病後回復期・健康増進などがあげられている。さらに含有物質によっては、痛風・動脈硬化症・高血圧症・慢性胆のう炎・胆石症・慢性皮膚病・慢性婦人病などに効能効果がうたわれている。温泉の一般的効果とされているものの多くは、温泉水でない入浴でもその効果は期待できるものである。しかし飲泉でなく入浴で何故、痛風・動脈硬化症・高血圧症・慢性胆のう炎・胆石症など内臓や内部疾患に効果があるのか良く理解できない。理屈はともかく家庭でも合成された入浴剤で無く、昔から利用されて来た自然の植物を用いた風呂を楽しむ方法はある。昔から薬湯として病人のために、薬草やホウ砂・重曹・湯の華などの硫化物が使われて来た。これらの薬湯は健康な人にとっても血行が良くなり、湯冷めをしないなどの効果がある。この内入浴に用いられる薬草には、植物の葉・実・根・皮などがある。雑草として身近に生えていたり、普通捨てられる蜜柑の皮・大根の葉・蓬などが入浴剤として有用である。温州蜜柑の皮は陳皮と呼ばれる漢方薬で、陰干しにしてカラカラに乾かした皮から溶出するVAやVCが体を温める。夏蜜柑や八朔の皮でも同様効果が期待できるが、油成分に含まれるリモネンによってヒリヒリと感じることがある。陰干しして乾燥させた大根の葉は血行を促進し、体を温める。入浴後も保湿効果が持続して、発汗が促され老廃物の排出効果が期待できる。蓬は6~7月に葉を摘み取り乾燥させて用いるが、そのまま生葉でも良い。血行を良くし、体を温める作用がある。山荘の畑の隅に植えたペパーミントが、一面に蔓延って来た。初めはハーブティーや若葉を紅茶に浮かべたりウイスキーのロックに添えたりして楽しんでいたのだが、殖えたことで次第に畑の邪魔になってきた。刈り取って捨ててしまうのも勿体なく一計を案じて、大量に刈り取ったものを束ねてデッキの屋根の下にぶら下げて陰干ししておいた。乾燥したペパーミントの葉の一部を洗濯ネットに入れ、大鍋で20分ほど煮出して風呂に入れた。ミントの香りには、気分のリラックスや安眠などの効果があるともされる。ぬるめの湯であったのだが風呂から出た後暫くは汗が出続け、想像以上に身体が温まった。ハロー効果からか、今秋2回目のミント風呂で家内はゆっくり眠れ痛い足が改善したと言う。暑い時期に刈り取り・陰干し・取り込みをして、煮出し・後始末まで一人で行うのは面倒だが、こんなに喜んでもらえるのなら来年もまた刈り取ったら捨てないで有効利用しようと思っている。
2015年10月15日

バナナは実芭蕉と言われるように、バショウ科の多年草である。バナナの栽培の歴史は熱帯モンスーン気候のパプアニューギニアから始まったとされているように、低温抵抗性が無く0℃で枯死する。バナナの「木」は高さ数mになり一見木本のように見えるが実は草本であり、バナナは正確には果物ではなく果菜に分類される。長大型のキャベンディッシュやラカタン、小型のレディやシマバナナなど流通しているバナナは全て熟すと黄色だが、植物園の温室や好事家が栽培する葉と果実に縞模様の斑が入るバナナがある。4.5号鉢に植えられた苗(高さ約80cm)が、1本2万円ほどと高価な値段で流通している。昭和30年以前のバナナが高価な時代ではなく非常に安価で購入できるようになった現在、キャベンディッシュを2万円分購入したら一体何本ほど購入できるだろうか。斑入りバナナには、Musa Florida_AeaeとMusa Dwarf NamWa variegataなどの種類がある。フロリダでは一般的に斑落ちすることは無いというが、日本国内での栽培では場合によって葉身の白い部分が褐変して観賞価値を損なう場合が多くしかも耐寒性に乏しいので本州では露地栽培で冬を越すことが困難である。一方Musa Dwarf NamWa variegataは斑入りのパターンが多様な上、低木性で地域によっては通年露地栽培も可能であるところから通常の緑葉バナナと同じように育てることが可能である。しかし何世代か継代すると、普通の緑葉バナナになってしまう場合が多い。原産地の環境では緑葉ドワーフ ナムワの一部が斑入りになる必要があったものが、環境の異なる場所で栽培されているうちにその必要がなくなって、光合成率の高い緑葉に回帰したと考えることができる。斑入りバナナは一般的には観賞用として栽培されるが、食用にしても美味いとされる島バナナ以上に美味だという。ハワイ産のコアエ(Koae)種は古くからハワイで栽培されていた貴重な斑入りバナナで、かつては王族しか食べることを許されなかったという。斑入りバナナの特徴は、葉にも果実にも白い斑が入ることにある。果実には白い縦縞の模様が、見た目に鮮やかである。相模原公園の温室サカタのタネグリーンハウスで休館日の14日に、斑入りバナナ「ゴリラ」の収穫があった。トルコキキョウ展が開催されていた一階ロビーにいた多くの人が全く関心を示していない中、初めて見るそのユニークなバナナの模様に一人見入っていた。熟していないとは言えこのバナナの奇抜な模様を見て、黄色に馴染んだ者にとっては当然ながら食指は動かない。バナナを食すなら矢張り、黄色の物のほうが断然旨そうだ。 ふさふさに バナナ成り居るをまのあたり見てゐる 吾等馴れむとすらし マラッカにて 斉藤茂吉
2015年10月14日

「蓼食う虫も好きずき」と譬えられるタデの全草には、特有の香りと辛味があって香辛料として薬味や刺身のツマなどに用いられる。特にアユの塩焼きには、タデの葉をすりつぶして酢でのばした「タデ酢」が添えられる。こんな辛くて苦い蓼を好んで食べる虫がいるように、人の好みはそれぞれだと言う意味を表した言葉である。他人の悪趣味について言うことが多い。こんな「…好き好き」と譬えに使われるタデの仲間に穀物とされる蕎麦があるが、蕎麦はイネ科と異なるところから擬穀類に分類されている。蕎麦は中国から朝鮮半島を経て渡来したとされ、奈良朝以前から栽培されていたと考えられている。900年代には蕎麦は、「蕎麦麦」や「黒麦」と呼ばれた。日本の古書「本草和名(918)」や「和名抄(932)」には、そばを曽波牟岐(そばむぎ)としている。「蕎麦麦」の語源は物の角を意味する古語「そば」と「むぎ」からできた言葉で、角のある麦という意味である。後にそば麦からむぎが省略されて、「蕎麦」と呼ばれるようになった。また、蕎麦の異称の「くろむぎ(黒麦)」は平安時代以降には使われなくなり、後にライムギの異称として使われるようになった。蕎麦は人にとって重要な作物で、野生植物から人に都合がいいように少しずつ改良されてきた。日本で蕎麦が栽培され始めた歴史は古く、文字や書物がなかった頃とされる。日本で蕎麦の栽培に関する記録として「続日本紀」養老六年(722)に、「夏の日照りで農作物の育ちが良くないので、応急策として蕎麦を栽培させた。」とする記述がある。蕎麦の実を製粉したものが蕎麦粉で、蕎麦や蕎麦掻き・クレープ等にして食用にされる。種を蒔いてから発芽までの期間は通常三日程度で、20日前後で蕾ができ花が咲く。約75日で収穫可能であるため、凶作の年には応急策として蕎麦栽培が奨励された。北海道の開拓が進められた明治以降、最初に栽培されたのは蕎麦であった。蕎麦には夏蕎麦と秋蕎麦があり、春に種を蒔き夏に収穫するのが夏蕎麦で夏に播種して、秋に収穫するのが秋蕎麦である。秋蕎麦の畑では、9月から10月にそばの花が満開になる。小さく清楚な白い花が一面に咲き乱れる。蕎麦の花には雌しべが長く雄しべが短い長柱花とその逆の短柱花」とが、凡そ半々に存在する。これは、植物学上異型植物といわれる。長柱花同士や短柱花同士では受粉ができない仕組みになっていて、花の構造の違いは受粉と大きな関係がある。結実するためには長柱花には短柱花、短柱花には長柱花の花粉が必要なのである。日本で栽培されている蕎麦は、殆どが白い花を咲かせる。ネパールやヒマラヤには、赤い花を咲かせる蕎麦があった。日本へ移入されたアカバナソバは蕎麦粉採取用としてより、むしろ観賞用として栽培されていた。ネパール原産の「アカバナソバ」から、信州大学の氏原教授が育種した品種で、茎高40~50cmの晩生種で10月頃に濃い赤色の花を咲かせる「高嶺ルビー」という品種がある。当初は伊那谷を中心に栽培されていたが現在は全国に広まり、各地でアカバナソバ祭りが開催されるようになった。高嶺ルビーは観賞用としては勿論、食用としても「こしが強く粘り気があり噛めばかむほど風味豊か」と称賛されている。山荘の近くの畑でも、アカハナソバが満開となっている。無風の秋晴れの下、蕎麦の蜜を求めて吸蜜昆虫が畑一面に真っ赤に咲いた蕎麦の花の上を忙しく飛び回っている。この蕎麦の刈り入れが終わる頃には秋も深まり、周りの山々の木々も秋の装いを纏う様になるのだろう。
2015年10月13日

キク科シオン属の多年草にクジャクソウという、華やかな名前が付けられた植物がある。北アメリカ原産でわが国への伝来は遅く、昭和30年代(1955)になって初めて導入された。花壇での栽培や切り花として用いられるが、30年前と比べて民家の庭に見ることは少なくそれほど栽培が広がっているようには見えない。よく分枝して株立ちし、茎の高さは1mを超え、9月頃から分枝した枝に無数の花を咲かせる。一般的には白花が多いがピンクや紫の花もあり、別名でキダチコンギク(木立紺菊)と呼ばれることもある。孔雀草という呼び名は、花をいっぱいに着け長く伸びた枝が扇を広げたように枝垂れた姿が、尾羽を広げた孔雀の姿に似ているとして付けられた名前である。ただ孔雀草の呼び名は先輩格の他の植物にも数種類があり、まことに紛らわしい。同じキク科紅黄草属(マンジュギク属)のマリーゴールドは、江戸時代の寛永年間には早くも日本に渡来して孔雀草の名前で呼ばれていた。こちらは花が華やかなところから、孔雀の名前が付けられたものであろう。同じく北アメリカ原産で明治初頭に伝来したとされるキク科のハルシャギク(波斯菊)も、孔雀草と呼ばれている。初夏に細長い花茎の先に、コスモスに似た頭状花をつける。花は鮮黄色で中心部は濃赤褐色となり蛇の目状の斑紋をつくる。シダ植物のクジャクシダ(孔雀羊歯)は、葉の枝分かれが羽状複葉になった羽片を扇のように広げた姿がクジャクの尾羽を思わせることから付けられた名前でクジャクソウとも呼ばれている。今ではクジャクソウといえば、新参者Aster hybridus Asterの通り名となっている。北アメリカ原産のキク科の多年草で、9月頃から霜が降りる頃まで次々と長期間咲いている。白花は白孔雀(しろくじゃく)の名前で呼ばれシロクジャクの他・クジャクソウ・クジャクアスター・ミケルマス デージーなど多くの別名がある。茎が細くて草丈が高くなるため、開花時期には必ず倒伏して茎の途中から地面に着いてしまう。これを防ぐためとして6月初めに切り戻しを行うことを奨める人もいるが、この花の特長を生かすには長く伸ばした方が観賞価値が高い。切り戻しをしないで倒伏を避けるには、50cmほどのところで支柱で支えてやれば良い。さらに摘芯を繰り返して行うことで、花が多く着く。15年前山荘の庭に植えたものが4株に増えたが、株分けしなければならないほどには大株に育たない。乾燥や日当たりの条件が合わない所為かもも知れない。接写して見ても、画像が映えない。個々の花を見るより名前のように、矢張り全体を白孔雀に見立てて見た方が素晴らしいと思える花である。9月5日 11月23日の誕生花花言葉 いつも愉快 一目ぼれ そんなに嫉妬心を起してはいやです
2015年10月09日

割腹はいちもんじ(一文字)に、襷がけはじゅうもんじ(十文字)にする。同じ大文字と書いて「おおもじ」と読めば、アルファベットで使う大きな字形の文字である。京都をはじめ奈良市・箱根町・三島市・笛吹市・大館市・四万十市・福知山市・池田市・佐野市など各地で行われる送り火は、だいもんじ(大文字)焼きと読む。文字をもんじと読むのはこれ等の他、文字の国(中国の異称)・文字の獄(中国の諸王朝で起こった筆禍事件)・文字の法師(禅僧が学問僧をあざけっていう語)などがある。草花の花の形が「大」の文字に似ているところから、大文字草と書いて名前をダイモンジソウと読む植物がある。この植物はユキノシタ科の多年草で、別名イワブキやニワブキとも呼ばれる。花弁は上側の3弁、下側に2弁の5弁花である。上側の3弁はほぼ同じの長さ1cmで下側の2弁は倍の2cmほどの長さになり、「大」の字に見えなくもない。長男はどう見ても「火」の文字にしか見えないと頑張っているが、火文字草では火事を連想させて具合が悪かったものなのだろうか。ダイモンジソウは北海道から九州の海岸から高山までの広い範囲に分布し、特に湿気のある岩上で自生する。葉の大きさや形状・切れ込みの度合いなど幅広い変異がありそれぞれの特徴からミヤマダイモンジソウ・アカバナダイモンジソウ・ハマダイモンジソウなどに分類されている。秋に株元から花茎を伸ばして、その先端に数輪から十数輪の花を咲かせる。基本となる野生種は白または淡い紅色だが、園芸品種には濃い紅色・ピンク・緑色などの花色がある。花弁が糸のように幅の狭いものや幅が広く弁に切れ込みのあるもの、八重咲きなど多彩である。草丈は20cm、根出葉が地際からたくさん出る。葉面に白く微細な毛がある葉の色は濃緑色や、褐色を帯びた緑色が多い。冷涼な気候を好み、適度に湿度がありしかも水捌けのよい環境を好む。同じ5弁の花弁を持つユキノシタの花と、見分けがつかないほどに似ている。しかし山野草としては栽培が幾分気難しいダイモンジソウの方が山野草としての人気が高く鉢植えで楽しまれるが、庭の樹下で幾らでも増えるユキノシタを鉢植えで楽しむ人は少ない。箱根仙石原75号線の姥子温泉バス停からロープウェイ姥子駅までの坂道の西側石垣には吃驚するほど多くのダイモンジソウが自生している。花を採る人も無く、雑草のように蔓延るこの野草に関心を示す人が少ないこともあるのだろう。昨年11月に姥子温泉にあるS化学株式会社の保養所に宿泊した際、保養所の石垣から数株のダイモンジソウを貰い受けて来た。夏に家を開けることが多いので、水枯れを心配してミズゴケ単用で植え付けて見た。今年は例年になく多雨の年であったことから、鉢植えの水遣りには困ることはなかった。過湿を心配したのだが元気に蒸し暑い夏を越して、今月になって花茎を4本伸ばし30輪ほどの白い花を咲かせた。夏の干天さえ続かなければ山荘の石垣に移植したいのだが、思案のしどころではある。 11月8日の花 ダイモンジソウ(大文字草) 花言葉 自由・好意・不調和・情熱・節度
2015年10月08日

香り松茸、味湿地という諺がある。湿地はシメジと読むマツタケ科のキノコのことで占地、湿地、占地茸、湿地茸とも書く。諺の意味はキノコで香りが最も良いのは松茸で、味が良いのはシメジだという意味である。珍重されるマツタケだが、味はシメジの方が勝っている、翻って人でも物でも、それぞれに長所があるという譬えにも使われる。マツタケはアカマツに、シメジはコナラなどに菌根を形成して生活するので人工栽培ができない。シメジの菌糸の成長最適温度は25~26℃で、子実体は15℃前後で発生する。マツタケの場合は22~25℃と若干低くほぼシメジの発生と同時期に顔を出す。諺にもされる貴重品の松茸の、その香りを楽しむ方法の一つに土瓶蒸しがある。食材が何であれ土瓶を使って作る蒸し物は土瓶蒸しだが、土瓶蒸しと言えばマツタケの土瓶蒸しがその代名詞となっている。多くの土瓶蒸しのレシピには、主役のマツタケの他白身魚・えび・鶏肉・ミツバ・ギンナンなどが具材として挙げられている。これらの具材とダシ汁を、土瓶蒸し専用の一人用土瓶に入れて蒸して造る。スダチやユズの果汁を土瓶に付属する猪口に搾って入れ、土瓶からつゆを注いで吸い物風に味わいながら具も味わう。古墳時代から松茸が食用にされていたことが分かっており、桃山時代には武士の松茸狩りが記録として残っているし、江戸時代になると庶民の口にもマツタケが入るようになった。今年は例年より10日も早く金木犀が咲いて、仄かな香りが漂い始めた。金木犀の開花はマツタケの子実体が成長を始める温度と同じであるため、松茸狩りの目安となっている。実家は伊那谷の有名な松茸産地にあり、不作の年でもほどほどの収穫がある。前日に弟夫婦が50本超の松茸を採取をしてきていたのだが、それでも良品を12本採ることができた。自宅に持ち帰り定番の松茸ご飯・天婦羅・焼き松茸・すき焼きにして食べたのだが、長男が使うことが無いのに土瓶蒸し用の器を準備していたので初めて下ろして土瓶蒸しを作った。出し汁は、若干濃い目に作るのがポイントである。松茸は傘と軸を離し、それぞれを薄切りする。白エビ・銀杏・三つ葉・蒲鉾等を一人分ずつ入れ土瓶に入れ、味付けをした出し汁を注ぐ。マツタケ以外の具材を入れて蒸し器に土瓶を入れ、煮えて来たらマツタケを入れ再度蒸せば出来上りである。ただ余り香りの強い具材を入れるとマツタケの香りが引き立たなくなるし、鶏肉は味が下品になるのであっさりした具を使うことがポイントである。長男は初めて食べた土瓶蒸しの香りに、いささか興奮していた。
2015年10月07日

日本ではリンドウを古名で、「えやみぐさ(疫病草・瘧草)」と呼んでいた。リンドウの古名として、和名類聚抄に疫病草の名前が出てくる。日本には、約18種が自生している。鉢植えで栽培されているのは亜変種の、キリシマリンドウであることが多い。春に細い芽が伸びて笹に似た細い葉をつけ、茎は次第に立ち上がる。夏の終わり頃から次第に茎は横に倒れ10月頃から先端に小さな蕾をのぞかせる。蕾は渦状に巻いた状態で、日毎に伸び小春日和の日差しのなかで、青紫色で5裂した筒状の花を数輪咲かせる。全国の野山に、自生し、9~10月に開花する。チューリップ・福寿草・ハスの花などと同じように太陽光に当たると開花するが、曇天・降雨で日光が当たらないと花弁を閉じた儘になる。釣り鐘型のきれいな紫色で、茎上部の葉腋に上向きに群がった花を咲かせる。草丈は50cm~1mの高さになる。草地や溜め池の土手などにも自生していたが、生育環境の変化もあってリンドウを探すことは難しくなっている。山中湖周辺や箱根仙石原周辺には、自生の物を目にする機会が無くなった現在でも道路端に可憐に咲くリンドウが普通に目に付く。知り合いの山中湖の別荘に行った際、隣地の草原に咲くリンドウを見付け数株を山荘の庭へ移植した。移植後15年を経過して、定住の地を提供したのにその場所を嫌ったリンドウは、庭のあちこちに子孫を殖やし続けている。今年も10月に入ると同時に、可憐な花が開花した。園芸店からエゾリンドウの栽培種を購入して植えたが、1年で消滅してしまった。山中湖産の野生のリンドウは土地が合ったのか、年々勢力を伸ばし続けている。切り花として売られているのは、別種のエゾリンドウの栽培品種のことが多い。承平年間(931年~938年)に作られた和名類聚抄には、間欠的に発熱し悪感や震えを発する瘧(おこり)の薬とするとされている。ただし本草綱目啓蒙(江戸後期の本草学研究書 48巻 享和3年(1803)刊)には、竜胆とは異なるオケラ(生薬の白朮)の異名として出ている。竜胆は神農本草経の上品に「一名陵游。味苦寒。生山谷。治骨間寒熱.驚癇邪氣。續絶傷。定五藏。殺蠱毒。久服益智不忘。輕身耐老。」と紹介されている。枕草子第六四段には「草の花は撫子。唐のはさらなり、大和のもいとめでたし。女郎花。桔梗。朝顔。刈萱。菊。壷菫。竜胆は、えださしなどもむつかしけれど、こと花どもの、みな霜がれたるに、いとはなやかなる色あひにてさし出(で)たる、いとをかし。また、わざととりたてて人めかすべくもあらぬさまなれど、かまかつの花、ろうたげなり。名もうたてあなる。雁の来る花とぞ文字には書きたる。かにひの花、色は濃からねど藤の花といとよく似て、春秋と咲くがをかしきなり。」と出ている。清少納言が活躍した平安中期、長保3年(1001)年頃には既にはりんどうの名前が定着していたものと思われる。生薬「竜胆」の原料であり漢方では、竜胆瀉肝湯・疎経活血湯・瀉青丸などに用いられる。竜胆は胃液分泌を促進して胃腸の機能を高め、食欲不振・胃酸過多・胃痛・胸やけ・消化不良などに卓効がありこれらの症状を緩和させる。リンドウの名前は漢名の「竜胆」に由来し、この根は生薬の熊の胆と同じように苦くこれを例えるなら竜の胆の苦さに匹敵するとして付けられたものと言われている。日光の二荒山神社には、神がウサギに姿を変えて教えてくれた薬草の話が伝わっている。昔、行者が山奥で雪の下から何かを掘っているウサギを見て「何をしているのか?」と聞くと「これで主の病気を治すのです」とウサギが答えた。訝しく思いながらも行者は同じ根を掘って持ち帰り、病人に与えるとみるみる病気が治ったという。その後その根は、多くの病人を救うことになった。後でその根はリンドウの根であることが分かったという。 誕生花 9月13日・10月23日・11月25日の誕生花 花言葉 正義と共に、勝利を確信する
2015年10月06日

グリーンファーム 初狩前島密は、日本の近代的郵便制度の創始者として知られている。日本全国に、ハガキであれば52円という廉価でしかも短時間で届けてもらえる極めて優れた制度である。従来飛脚が書状を東京〜大阪間144時間かけて配送していたものを、78時間に短縮した。現在は、さらに短時間になっている。ハガキ・手紙などの書状を指し出すのは、郵便局の窓口を除けば郵便ポストと呼ばれる入れ物である。郵便ポストの正式名称は、郵便差出箱である。英国では郵便箱ポストはポストボックス(post box)、米国ではメールボックス(mail box)という。現在はほとんどが、金属製の箱型のものになっているが、1970年代までは通称「丸ポスト」「丸型ポスト」と呼ばれる円筒状のものが多く使われていた。極く稀には旧型の、円筒形のポストも現役として残されている。都市部に設置されたポストでは、「はがき・手紙とその他の郵便物」のように複数の投函口を持つものが多い。ポストの色はイギリスなどでは赤色、アメリカなどは青色、ドイツ・フランスなどヨーロッパ大陸では黄色が主流だという。ポストに赤色を採用しているのは英国から郵便制度を導入した、或いはイギリス領であったりした国の場合が多い。日本は郵便制度を英国から導入したため赤色が基本であるが、郵便制度が始まった明治4年(1871)に日本で最初に誕生したのは、角柱型木製の黒ポストであった。一説に「郵」と「垂」を読み間違えて、垂便(便を垂れるところすなわち便所。)と思った人がいたとも伝わる。実際には黒色では目立たないことや夜間見えにくいという難点もあって、明治34年(1901)に鉄製ポストを導入した際に赤色に変更したものである。円柱状の郵便ポストは、1859年にイギリスに登場したのが最初とさされる。現在でも、イギリスおよびイギリス旧植民地を中心に多く使われている。日本では、1901年に初めて鋳物製のポストが設置された。最初は雨除けのため差出口に回転板を取り付けたが、故障が多く4年後に庇をつけたものが出て丸型ポストの完成形となった。省力化のために「郵便差出箱1号(角型)」が登場すると、丸型ポストの生産・設置は1970年でその使命を終え四角い箱型のポストへの置き換えが進んだ。箱型ポストは中に郵便物を貯める嚢を吊るしておき、嚢の交換をするだけで収集できるのに対し、丸型ポストは下部の小さな取出し口から郵便物を掻き出す手間がかかることも廃止の理由とされた。合理化からの切り捨てを生き延びた丸型ポストは、町の景観としての希少価値から保存される傾向がある。ポストマニアは、全国の丸型ポストを探索して情報交換もしている。国道20号線を大月インターで下りて甲府方面に走ると、初狩駅前三差路手前右側の民家の角に一基建っている。また中央道伊北インターを出て国道146号線を西進すると、伊那市ますみが丘の住所に道路に面して産直グリーンファームセンターがある。センターの右側道路との角に一基が建っていて、ご丁寧に「このポスト現役活躍中 ご安心ください」の立て札が並んで立っている。こんな立て札が必要なのは現在殆ど角型のポストに置き換わっており、丸型1号の姿を見たことが無い40歳以下の人には、これを郵便ポストであると認識することができなくなってきている現れであろうと思われる。鄙びた町の景観としては機能型の角型ポストより丸型の方が、情緒も風情もあって捨てがたい。
2015年10月05日

杜鵑草(ホトトギス)はユリ科の多年草で、この仲間は東アジアに20種ほど分布する。多くの園芸品種があり花色も豊富なため、素人には品種の特定が難しい。品種名のホトトギスは日本固有種で、北海道から九州にかけて低山の半日陰に生える。乾燥に弱く、水切れによって葉が茶色に焼けて酷くなると株ごと枯死する。草丈は40cm~1mで茎には、上向きに褐色の毛が密生し多くはやや垂れ下がる。葉は細長い楕円形で互生し、全縁で茎を抱く。9月~11月が、開花時期である。通常葉の脇毎に白地に紫の斑点の付いた花を、1輪~3輪上向きにつける。花の後にはさく果ができ、飛散した種子から繁殖する。花弁にある斑点がホトトギスの胸にある模様に似ていることから、トリの杜鵑の名前を貰ったものである。40年も前に野草好きな人から、一鉢のヒカゲツツジを頂いた。春になるとヒカゲツツジの株脇の鉢土から、ホトトギスの特長の油点のある葉を持った芽が育って来た。そのまま放置したところ棚の上の鉢から斜降して、白花のホトトギスが見事に咲いた。ヒカゲツツジの前の持ち主の庭は多くの山野草で埋め尽くされていたので、庭に咲いたホトトギスからの零れ種子が鉢に着いて来たものである。たった一茎のホトトギスが3~4年もする間に庭一面を占拠して、花の時期にはまるでホトトギスの絨毯を広げたように咲くようになった。もとは白花一色であったのだが次第に紫の斑点が濃いもの・薄いもの・何のシミも無い真っ白な物、雄しべだけピンクのものなど多彩な花が誕生した。しかし庭一面に広がったホトトギスであるが5年を経過すると次第に株の数を減らして行き、現在では庭に一本のホトトギスを見ることがなくなった。15年前に山荘の庭に数株移したのだが、こちらも同じ運命をたどっているように見える。移植後暫くは庭一面に増え続けたのだが、このところ数を減らしているのである。「植物から放出される化学物質が、他の植物や微生物・昆虫に対して阻害的あるいは促進的な何らかの作用を及ぼす現象」をアレロパシーと定義しているが、化学物質のシス-デヒドロマトリカリエステルを放出している植物としてはセイタカアワダチソウが有名である。セイタカアワダチソウは一時期ススキや蓬などを駆逐して全国の荒れ地を席巻したが、今では限られた場所にしか見られなくなった。着床当初は根が分泌するアレロパシー物質によって他の植物を駆逐して増殖したのだが、やがて自らも発育を抑制され自然淘汰の運命にあるとされる。植物には一般に、「いや地」と言われる連作障害があり、これもアレロパシーの一種とされる。これから考えると、同じホトトギスの仲間のタイワンホトトギスは毎年株が大きくなるのにホトトギスにも連作障害があるように思える。永年可愛がってきた花であり消滅しない内に新たな場所へ移植して、種の保存をしたいと考えている。 花言葉 秘めた思い
2015年10月02日

猿・猪・ハクビシン・鹿などの害獣が徘徊して作物を荒らす場所でも、イノシシの侵入に注意すればサトイモの収穫は期待することができる。サルやタヌキも悪戯するとの報告があるがイノシシの侵入さえ防御することができれば、動物の収奪からはほぼサトイモを守ることができる。イノシシがサトイモを食べたとの報告もあるが、山荘の菜園では食べるより掘り起こす方が多いのでサトイモを掘り起こす目的は畑に棲むミミズや昆虫などであるようにも思える。サトイモの原産地はインド・中国で、南方民族の移動に伴ってイネより早く縄文後期には日本へ伝来した。タロイモ類は熱帯アジアでは、主食として重要な地位を占めている。高温多湿が栽培に適し、乾燥すると枯死してしまうことがある。日本では畑で育てる場合が多いが、奄美諸島以南では水を張って湛水で育てる。湛水状態での栽培では、畑で育てるより収穫量が2.5倍にもなるという。連作を嫌うので、少なくとも3年間は同じ場所に作付けしないようにするが狭い家庭菜園ではなかなか難しい。旱魃が酷いと葉茎が枯れてしまうことがあり、不作となって品質も悪くなる。特に夏の乾燥に弱いので、水遣りに注意する。8月~10月にかけて急激に肥大し子芋だけでなく孫芋も殖えるが、10月末の寒さで発育が止まる。霜が降りる直前に収穫しないと、腐敗に繋がる。毎年給水には気を使うのだが、今年は稀に見る多雨の年でスプリンクラーを動かしたのは3回しか無かった。例年8月の干天が続く頃の里芋畑では葉が黄変し外側の茎が枯れることもあるのに、今年は何処の畑を見ても立派に育っている。今年はサトイモが豊作で品質も良く、価格もそれなりに安く供給されることが期待できる。サトイモは生ではえぐ味や渋みが強い。生のサトイモにはたんぱく質に結合したシュウ酸の針状結晶が多数あるため非常にエグミが強い。加熱してたんぱく質を変性させることで、この渋みやエグミは消える。サトイモの皮の下2~3mmの場所にある細胞内には特に多くのシュウ酸カルシウム結晶が含まれていて、僅かな外力によって壊れて針状結晶へ変わり外部へ飛び出る。素手で扱うと、皮膚にこの針が刺さることで痒くなる。ゴム手袋を着用するか手に塩や重炭酸ソーダを付ければある程度防ぐことができる。日本ではサトイモは煮物の材料として極めて一般的で、この時期になると東北地方発祥の芋煮会が各地で開催される。Aバラ薄切り牛肉200g・醤油少々・酒少々・蒟蒻B里芋200g・醤油大・ささがきゴボウC舞茸・エノキ茸・斜め切り長ネギD醤油・砂糖・酒適宜 (以上一人分)蒟蒻は手で一口大にちぎり、下茹でする。牛肉を、醤油と酒で軽くいためる。芋を中火で煮る。炒めておいた牛肉とゴボウを加え丁寧にアクを取り除く。サトイモが固めの状態で蒟蒻を加える。里芋が柔らかくなったところで、舞茸・エノキ茸・長ネギを加えて調味。煮えたら一旦火を止めて、数時間後にもう一度温め直すことで美味しい「芋煮鍋」ができる。この時期山荘への来客に上記のレシピで「ひこじいの山賊料理」として提供するが、なかなか評判が良い。今年も62株のサトイモが菜園で、電気柵の効果でイノシシの被害を受けることなく元気いっぱいに育って1か月後の収穫を待っている。
2015年10月01日
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