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子供の頃南信州の実家にはスグリが植えられていて、タワラグミと並んで6~7月の子供のおやつ代わりになっていた。熟すのが待ち遠しくて未だ緑の果実を口にして、その酸っぱさに驚いて吐き出したりしたものである。孫たちは普段見たことも無いスグリを気持ち悪がって、手にとっては見るが口にはしない。15年前山荘の菜園の隅に植えたスグリの木に、今年も真円に近い小さな実がスズナリに成った。何日の頃からか実が赤紫色に熟すころになると夜行性の動物が、木は棘で自衛しているのに食べに来るようになった。動物が食事をした後には果汁だけ吸って吐きだされた皮が、うず高く積まれている。ハクビシンの集団が近くにいて庭に植えたスモモやプルーン・赤くなったトマトなども全て持って行くのでハクビシンの仕業と思っているが、ハクビシンや狸の大きさではあの棘だらけの藪の中には入れそうにないから犯人は鼠の類なのかもしれない。スグリは漢字で酸塊と書き、酸っぱい塊の意味である。名前のように熟す前は酷く酸っぱくて食用にはならないが、赤紫色に熟すと多汁の果実が甘くなって生食が可能となる。果実の中には種子が多数入っているが、丸ごと口中に入れても細かいので舌に触れるようなことはない。皮は堅くて、食べられない。西ヨーロッパ原産で明治元年に渡来したとされ、セイヨウスグリまたはグーズベリーと呼ばれる。寒さに強いが暑さに弱く、西日の当たらない涼しい土地が栽培に適している。太さ1cm弱の木で、樹高1,5mほどの叢立ちになる。5月~6月に、葉腋に小さな花を1~2個着ける。3~5裂した葉の付け根に棘があり、縁には鋭いぎざぎざがある。房状に花や実が付くフサスグリ系と房状にならないグーズベリー系統があり、スグリと言えば一般的に別名マルスグリ・オオスグリとも呼ばれるセイヨウスグリ(西洋酸塊)を指す。仲間に、アメリカスグリやアカフサスグリがある。日本での栽培は少なく市場に出ることは稀だがヨーロッパなどでは普通に栽培され、果実はジャムやゼリーに加工される。ドイツやフランスでは何処にでも見られ、中世には酸性の果汁が解熱に効果がある薬として珍重されていたという。葉酸やビタミン類を多量に含んでいる有益果実なので、もっと栽培利用されても良い植物である。グーズベリーには色々な品種があり、実の大きさや色は緑や赤褐色などがあるが大きく分けると西洋スグリとアメリカスグリに分類される。フサスグリのレッドカラントやホワイトカラントは房状に実を付けるのに対し、グーズベリーは1個から2個の実が枝に沢山スズナリになり枝に棘を持つのが特徴である。グーズベリーの名前の由来は、アメリカの先住民がガチョウ料理に古くからこの実を使っていたことが語源とされている。西洋料理の付け合わせで出てくる小粒で深紅のフサスグリは、一見甘そうに見えるがその酸っぱさは西洋スグリの比では無くそのままでは生食は不可能である。今年はスグリを狙う動物より早く、熟したスグリを収穫出来た。ビッシリと生えた棘に気をつけながら、スグリの一粒ずつを外して食べたが食べ切れなかった分は動物を寄せ付けないようにして処理した。穏やかでない花言葉が付けられている。 花言葉 あなたに嫌われたら死にます
2015年06月30日

ヒガンバナ科のサフランモドキはジャマイカ・グアテマラ・キューバ・メキシコに自生する多年草で、観賞用として弘化2年(1845)に渡来した。当時はアヤメ科のサフランと勘違いして、サフランと呼んでいた。誤りに気づいて明治7年に、モドキの冠を付けて区別したのだという。草丈25cmで花の直径は6cmほど、長短3本ずつ併せて6本の雄しべを持つ。柱頭はキキョウ科の花に似て、3分割する。花弁は6裂し、濃桃色から薄い桃色までの花色がある。茎が直立して、花は上を向いて咲く。乾いたあとに雨が降ったり水やりをした直後に蕾が出てくることから、別名レインリリーといわれる。仲間で常緑のタマスダレは白花だがサフランモドキはピンクの可愛らしい花を咲かせ、結実するとヒガンバナのように地上部は枯れて地下に径3cmほどの鱗茎が残り翌春芽を出す。タマスダレは植えっぱなしでも増えるほど丈夫だが、これに比べるとサフランモドキはやや弱い。サフランモドキは雌しべを香辛料にするサフランに似て食用と間違えやすいが、ヒガンバナ科の植物の特徴であるリコリンを全草に含み有毒なので注意する必要がある。サフランモドキは、多くが不稔性とされている。開花後数日すると3つに分かれた房に、膨らみの無い蕎麦に似た多数の種子ができる。もし蕎麦を栽培していたら、その近くにはサフランモドキを植栽しないようにしないと紛れ込む危険があるので注意を要する。タマスダレも同じように種子を付けるが、こちらは種子に厚みがあって膨らんでいて播種すれば確実に発芽する。サフランモドキは麟茎の分裂によって簡単に殖えることから、播種による増殖に成功した例の記載が見当たらない。4株のサフランモドキから種子を採取してきたので、ダメモトで取りあえず採り蒔きして見ることにした。 花言葉 清純な愛、喜び、期待花言葉にあるように、期待を込めて播種栽培に挑戦である。
2015年06月29日

リコール(Recall)制度とは国または地方公共団体の公職にある者を、任期満了前に国民または住民の意思によって罷免する制度で日本には、最高裁判所裁判官の国民審査、地方公共団体の長・議員などの解職請求などがある。首長に対してのリコール成立は、鯖江市長や阿久根市長の例がある。行政法上でのリコールの他に、欠陥のある製品を生産者が回収し無料で修理することについても使用されるが特に多いのが車の欠陥である。2009年5月オクラホマ州で、エアバッグが作動した際に金属片が一緒に飛散し運転手の頸動脈を切断した。この事故が、950万台にも及ぶリコールの引き金となった。リコールが発表された後の2004年にもマレーシアで、同じエアバッグで同様の死亡事故が発生している。エアバッグ(airbag)は衝突を感知すると0.1/10秒単位という速さで袋が膨らみ、移動体の運動エネルギーを吸収、あるいは衝撃を緩和させる装置である。車が衝突した際運転手や助手席の同乗者の生命を守るために、運転席ではステアリングに助手席はダッシュボードの上に装備されている。自動車部品大手メーカーのタカタは世界シェアの2位を占めており、世界に4千184万個を国内には784万個を供給している。タカタのエアバッグを装備した車が2009年5月オクラホマ州で、エアバッグが作動した際に金属片が一緒に飛散しドライバーの頸動脈を切断した。この事故が、その後950万台にも及ぶリコールの引き金となった。この5年後にもマレーシアで同様の死亡事故が発生しており、現在までに死者8人を含めて138人が怪我を負っている。Aメーカーの高級車と言われる車に乗っているが、2週間前にトヨタ・日産・三菱3社の車43万台に新たな欠陥が見つかったとしてリコール対象車の通知が届いた。「助手席用エアバッグのインフレータ(膨張装置)において、市場回収品を調査した結果、インフレータ容器に気密不良のものがあることを確認した。そのため、長期間使用する過程で大気中の水分がインフレータ内部に浸入してガス発生剤が吸湿し、エアバッグ展開時に正常に展開しないおそれがある。全車両、予防的措置として、当該インフレータ容器の気密点検を行ない、気密不良のものはインフレータを新品と交換、または、助手席エアバッグの機能を停止するとともに、助手席サンバイザ部に当該エアバッグが作動しない旨の警告を表示する。また、交換用部品が準備できた段階で、年式の古いものから順次新品と交換する。なお、交換部品については全数回収して原因調査を実施する。」とあり、リコールとなった最初の原因とは異なる内容のリコールである。昨日タカタの社長が謝罪会見をしたが、最初に欠陥が見つかってから既に6年も経過している。タカタ以外のメーカーはインフレーターに硝酸グアニジンを使用しているが、タカタは硝酸アンモニュームを使用している。アメリカではエアバックに使用した場合、硝酸アンモニュームは吸湿し易く想定以上の爆発を起こす可能性があると指摘している。メーカーは今回のリコールの原因を、「大気中の水分がインフレータ内部に浸入してガス発生剤が吸湿し、エアバッグ展開時に正常に展開しないおそれがある。」と認識している。タカタの社長は会見で、「硝酸アンモニュームが安全だと言う認識は変わらない。」といって今も使い続けている。ことは命にかかわる問題であり「認識」の問題ではなく、科学的に安全性を立証した上で使用すべきは当然のことである。リコールの点検予約時、作業は1時間とのことであったので持ち込みする予定であったのだが、昨日夜8時ころ「作業時間が4時間ていどになるので、デーラーでの引き取り納車に変更して欲しい。」と電話があった。リコールの通知発送後、作業について何らかの手順変更があったものと思われる。この車はエアコンのパイプ交換、アクセルペダルとコンピュータープログラムの書き換えですでに2回リコールがあった。命には関係ないが、ラジオなど音響部分が故障して有料交換したこともある。機械類には当たり外れがあるというが、この車はどちらかと言えば「はずれ」であったのだろう。所有者の負担はゼロだが、タカタが負担するのか自動車メーカーが負担するのかリコールには2千億円もの巨額が必要だと言う。
2015年06月26日

標準原色図鑑全集山荘の菜園に、何匹かのモグラが棲み付いている。野菜の種子を播いた後の地表近くにトンネルを掘られると、発芽を始めた種子が持ち上がって枯死してしまう。先週末には、アヤメとキキョウの根を持ちあげてしまった。モグラ(土竜)は畑や庭にトンネルを掘り、ゴルフ場では芝生を持ち上げあちらこちらに土の山を作る迷惑動物である。モグラの習性によって畑の作物の根が持ち上げられて枯死することがあるし、畦に穴を開ければ逸水して水田が干上がってしまうことになる。体型はずんぐりとした胴体に、尖った鼻と棒状の尾を持っている。目は退化して小さくなり、殆ど視力は無い。四肢は短くて、平たく大きい前足の掌には土を掘るための鋭い爪がある。柔らかく上質の光沢がある毛皮は20世紀初期まで、上等な乗馬用ズボンやコートなどの用途に用いられてきた。小さな動物なので、毛皮として利用するには飼養する必要があったと思われ、飼育場から逸出して拡散した可能性も考えられる。前足は螻蛄(ケラ)に似て横向きのため、地上に出た場合には余り歩行の役に立たない。地上での動きは鈍いが泳ぎは上手く、水を泳いで移動をすることがある。全身がビロード状の細かい毛で覆われ、鼻先だけが露出している。地表付近にトンネルを掘ったり、巣の外へ排出された残土が積み上がることにより地上に土の盛り上がったモグラ塚を作る。肉食でミミズや地中に棲む昆虫の幼虫を餌にしており、植物は食べない。モグラのトンネルは巣であると同時に、獲物を捕るための罠の役目もしている。多くの場合トンネル内に入ってきた獲物を、感知し捕食している。モグラは日光に当たると死ぬとの俗説があり、時々地上で死んでいる個体を見ることがある。我が家の菜園でも、3回ほど死体を見たことがある。実際には昼間にしばしば地上に出ていて日光にも当たることがあるが、それによって死亡することはない。モグラは胃の中に、12時間以上食物が無いと餓死してしまうほどの大食いであることが知られている。地上でで死んでいる個体の多くは何らかの原因で巣を追われたモグラが、餌を捕ることができないため餓死したものであろうと考えられる。日本には北海道以外の全国に7種のモグラ類が生息し、すべて固有種とされている。「本草和名」に宇古呂毛知(うろこもち)の名前があるように、古くはモグラのことを「うころもち」と呼んでいた。これが江戸時代になると「むくらもち」もしくは「もぐらもち」と呼ばれるようになった。漢字では、「土龍」と書く。同じように地中を棲みかとするミミズは地龍であり、哺乳動物のモグラが土龍と書かれる。土龍は元々はミミズを指していたのだが、誤認されてモグラに使われるようになったとする説がある。しかし、漢方では古くからミミズを「…地龍」と標記して重用し、モグラの黒焼きは民間薬で土龍霜と言って来たので必ずしも誤用とは言い切れない。しかし漢方薬の販売業者であっても土龍霜と広地龍を混同していて、両者の区別には混乱が見られる。昭和初期まで日本各地の農村では、正月行事として土龍追い(もぐらおい)・土龍送り(もぐらおくり)・土龍打(もぐらうち)と呼ばれる豊作を祈る神事が行われていた。民間薬では、モグラの黒焼きを「土龍霜」と呼び、強壮・興奮・排膿に効能があるとされる。大和本草の鼴鼠(モグラ)の項に本草綱目から引用して「肉ヲ焼テ癰疽諸瘻ヲ治スト云ウ」との記載がある。モグラの語源は、モグラが土に潜ることから「潜る」を語源とする説がある。平安時代に編まれた辞書には、土を掘って盛り上げることを現す「うぐろもつ」「うごもつ」がある。モグラはそのような動作をすることから付いたもので、潜るという言葉は比較的新しい言葉とされ逆にモグラが語源となって発生した新しい言葉だとする説がある。トンネルを穿った土が地表をクネクネと曲がって盛り上がる状態が、土の中を龍が這ったように見立ててつけたのが土龍の語源由来と考えられなくもない。
2015年06月25日
特に梅雨の時期、土を掘り返したりすると必ずミミズが出てくる。余り人に好かれる動物では無いが、ヘビやナメクジに比較したらそれほどの嫌悪感を持たない。平安時代中期に編纂された「和名類聚抄」には「蚯蚓」の名前が収載されており、体を伸縮させて進む姿が弓を引くように見えることから付けられたとされる。古くから、「ミミズに小便をかけると男性器が腫れる」との言い伝えがある。田畑の土壌改善に役立つミミズを大事にするための、教えではないかとされている。徳富蘆花に「みみずのたわごと」題する小説があり蘆花への追悼文を書いた柳田国男も、「多摩川一帯の野の新しい村人等は、秋はみみずの神秘な歌を聞くたびに…。」と、ミミズが鳴くと思いこんだ文を書いている。「ジー・ジー」と地中から聞こえる鳴き声をミミズが鳴いていると言うことがあるが、ミミズは発声器官を持たないので音を出すことはない。この鳴き声は、ケラ(螻蛄)の声であるとするのが通説となっている。漢方処方ではミミズが、地龍の名前で重用されている。11世紀の中国の本草書「図経本草」には、天の龍に対比して地上の龍がミミズだとされ解熱・鎮痛・鎮痙・利尿・血圧降下・糖尿病の改善・血行促進・消炎・殺菌など多くの薬効があり中風や胸痺の改善に効能があることが掲載されている。地竜には広地竜と土地竜の二種類があり、何れも中国が産地とされるが土地竜は日本でも生産されている。地竜は薬事法で薬剤師または登録販売者が常駐しないと販売が許されない、第二類医薬品に分類されている。フトミミズを裂いて内容物をとり除き乾燥させたものが広地竜で、カッショクツリミミズの内容物を排出させた後丸ごと灰の中に入れ乾燥したものが土地竜である。地竜はエイコサテトラエン酸・アラキドン酸・エイコサペンタエン酸・トリグリセリド・ステロイド化合物・アミノ酸などを含んでいる。血圧降下や解熱作用があり、民間では解熱・鎮痙・利尿・解毒薬として利用されたほか、発熱性疾患・中耳炎・尿路感染症・浮腫に用いられた。現在中国産刻み地竜が、6,000円/500gほどで売られている。ミミズは薬用・釣りの餌や鑑賞魚の餌にされるほか、タンパク質やミネラル・コラーゲン・ビタミンなどの栄養価が高いとされ食材として使用される例がある。カリフォルニア州では、ミミズを使った料理コンテストなどが行われるという。ミミズは目や手足を持たず、多くの体節に分かれた細い紐状の動物である。先端に口があり成熟したミミズは、体の前の方にいくつかの体節にまたがった肥大した帯状部分を持つ。肺も鰓も持たないので、ガス交換は皮膚呼吸のみで行なう。多くのミミズ類は雌雄同体だが自家受精は行わず異なった個体と交接して受精するが、無性生殖を行う種もある。ミミズは土と共に有機物や微生物・小動物を食べ、残渣を粒状の糞として排泄する。一般に益虫として扱われ、良質な肥料となり土壌改良のために利用される。食物連鎖では動物界の最下位にあり、昆虫やモグラ・鳥・イノシシなどまで多くの動物の餌となっている。今でもメメズと呼ぶ地域が多いがミミズは「目見えず」が語源で、メメズになりさらに転じてミミズになったと言われる。
2015年06月24日

西部劇などの映画でジーンズのズボンの尻ポケットからスキットルを取りだして、そのまま口を付けて呑む格好良いシーンがある。そんなシーンに憧れて、40年も前にドイツ製のチタンでできたスキットルを購入した。しかし酒量も減って旅行の途中で飲むことも少なくなった近頃は、すっかりスキットルの出番もなくなった。スキットルは日本では余り普及していないこともあってその名前を知っている人は案外少ないが、主としてウイスキー等アルコール濃度の高い蒸留酒を入れて持ち歩く容器のことでフラスクボトル・ヒップフラスコ・ウイスキーボトルなどとも呼ばれる。尻にフィットするように片側が湾曲していて、尻のポケットに収まり易い形をしている。旅行に携帯するほか、アウトドアで使用されることが多いので堅牢である。容量200ml前後の物が多く、主にオンスで表記されている。使われる材質には銀や錫と鉛の合金のピューターなどの他、ステンレスやチタンなどがある。ステンレス製は廉価な上錆びにくく強度もあるので扱いが楽な半面、金属イオンが溶け出し内容物にその臭いが付くので余り推奨出来ない。ピューターは錫を主体とした材質で柔らかいため、体重等の重さが加わると潰れてしまうというトラブルが発生する。さらに比重が大きいため、重くなる。チタンは耐食性と強度に優れ、然も軽いスキットルを作ることができる。さらに内容物に金属臭が移らないのが優れている。銀製に次いで、かなり高価である。スキットルはボーリングの起原と言われ、ピンに相当する9本の木柱の名前Skittlesが由来となっている。父の日は既に過ぎたがアルコールを嗜む人への記念の贈り物では銀製が、気軽な友人に対してはピューター製が奨められる。登山などアウトドアで使うひとには、少し重たくなるがチタン製が良い。飛行機での移動に際しては100ml以下の容器に入った液体物で、容量1L以下のジッパーの付いた再封可能な透明プラスチック製袋に入れれば機内持ち込みが許されている。利用できる透明プラスチック製袋のサイズの目安は、縦20cm以下×横20cm以下で1人1つと決められている。ただし度数が70%(70度)を超えていたり、総量5lを超える場合は持ち込みもカウンターで預けることもできない。空港での保安検査後は免税店で購入したものを、機内へ持ち込むことが可能である。かつてカナダ旅行の際ニューヨークで乗り継ぎがあり、成田の免税店で1万7千円出して購入した高級ブランデーのヘネシーを没収されたことがある。出国検査後の免税店で購入したブランデーの瓶から機内で飲むために、6 ozほどスキットルに小分けして持ち込んだ。機内ではサービスのビールを飲んだので、結局スキットルのブランデーは飲まなかった。飛行機が直行便で無かったため一旦ケネディー空港に着いてから、バスでニューアーク空港に移動してカルガリーへの便に乗り換えた。ニューアークでの保安検査でバック゛を開けるよう指示され、ブランデーが550ml近く残った瓶を引っ張り出された。黒人女性の検査官から機内持ち込みは不可なので、没収廃棄するが良いかと尋ねられた。この場で押し問答しても勝ち目は無いので、悔しかったがOKした。蓋を開けてブランデーの臭いを嗅いだ検査官は「good fragrance!」と、にんまりしながら廃棄する物が入った袋ではない別の場所にその瓶を置いたのだが、分けて置いたのは後から飲むためではないのかと勘繰ってしまった。所有を放棄したブランデーは台の端に移されてしまったが、スキットルの中身は没収されないで保安検査を素通りした。1万7千円もしたブランデーなのに、結局スキットルに分注した約200mlだけが残された。今でもサイドボードのスキットルに目が行く度に、ニューアーク空港で没収されたブランデーが下水管に行ったのか或いは保安検査員の胃袋に入ってしまったのか気になって思い出される。
2015年06月23日

二十四節気の第10は夏至で、一年で最も日照時間が長い。旧暦の5月中に、この日がある。現在は太陽黄経が90度のときを言い、毎年6月20日~22日頃がその日に当たる。暦ではそれが起こる日で夏至日というが、天文学ではその瞬間としている。1年で日の出が最も早い日と日の入りが最も遅い日は、夏至の日に一致しない。日本で日の出が最も早い日に当たるのは夏至より1週間前頃であり、日の入りが最も遅い日は夏至より1週間後頃になる。南半球と北半球では昼と夜の長さの関係が逆転するため、天文学的な夏至と関係なく「一年中で一番昼が長く、夜が短い日」を夏至と呼ぶことがある。そのため南半球が慣習としている夏至は、北半球の冬至に当たる。夏が短いヨーロッパの多くの国ではこの日に夏至祭が催され、早朝の薬草摘み・花や葉で冠を作り祭りの後川に流して1年間の健康を祈ったり、縁結の占いをする・火を焚くなどの風習がある。祭りの後飾り物を川に流すのは、日本の流し雛や七夕の竹飾りを川に流して祈る風習と似ている。中医学で犬肉には身体を温める作用があると考えられているため、冬には犬肉を食べる習慣のある国がある。中国のある地域の部族は冬ではなく夏至の頃に「狗肉茘枝節」と称して、犬料理とレイシを食べる行事が伝わっている。夏に犬肉を食べると逆上せるので、身体を冷やす効果のあるライチ(レイシ茘枝)と一緒に食べることが習慣となっている。韓国では浦身湯といって、犬鍋を食べる。日本でも冬至のカボチャ程ではないが、地域によっては夏至に蛸・小麦餅・半夏生餅・焼サバ・饂飩・無花果等を食べるのを習慣とする地域がある。今年の夏至は、今日(6月22日)である。2015年で最も昼間の時間が長く、反対に夜間の時間が短い日となる。夏至は1年を24等分した「二十四節気」の一つで、太陽の中心が黄道上の「夏至点」を通過する日である。東京の今日の日の出は4時26分で、日の入りは19時01分となる。これが今年の冬至では日の出6時47分で、日の入り16時32分なので、今朝は冬至より2時間21分早く日の出を迎えた。さらに冬至では、2時間29分早い日の入りとなっている。夏至では昼の方が、4時間50分も長いことになる。例年この時期は梅雨の真っ最中で、降雨や曇り空では昼間の長いのをそれほど実感できないが、今年は昨日までの上空寒気の張り出しが弱まり梅雨前線も陸から離れているため日の出から青空に夏の太陽が輝いている。昨年の冬至の頃を思い出しながら、昼間の長さを感じられる好機でもある。日本では殆どの地域で、一年を通じて太陽が顔出す。日光浴は、長波紫外線が皮膚色素のメラニンに与える害の方が多いと言われている。緯度の高い北欧ではこの時期、夜10時を過ぎても薄明るいのに公園には人の姿が全く見えなくて不思議な感覚を覚えたことがある。この時期車で街中を移動していると、都会の真ん中にある公園の芝生で寝転んだビキニのトップレスの若い女性が夏の太陽を浴びている光景をあちこちで目にした。メラニン色素を持たない白人にとっては、この時期の太陽は貴重なのであろう。
2015年06月22日

今年も生垣の縁に植えたヒメヒオウギスイセンが、雨の中で鮮やかな朱色の花を咲かせた。檜扇とは檜材で作った扇のことで、昔宮中で用いられたのは木製の扇であった。紙製の扇子は檜扇を簡略化して、普段使い用として作られたものである。根出葉の形がこの檜扇に似ていることが由来となって、檜扇・檜扇水仙・姫檜扇水仙の名前が付けられたアヤメ科の植物がある。ヒオウギは本州の山地や草原に自生し、剣状の葉の下部が檜扇のようになるのでこの名前が付いた。分枝した枝先に、橙黄色の地に暗紅色の斑点がある4cmほどの花を平開する。花後に5mmほどの大きさで数個が固まって着く黒い種子は、夜・黒・月などの枕詞となっている「ヌバ玉」である。ヒオウギズイセンは南アフリカが原産で地下に繊維質の球茎を持ち、切り花や観賞用として栽培される。根出葉は広い剣状で、葉鞘を持つ。茎は分枝せず、グラジオラスのように多数の花を付ける。ヒメヒオウギズイセンは、漢字では姫檜扇水仙と書く。ヒメヒオウギスイセンの花は濃い橙色をしていて姫「緋扇」水仙でも良いように思われるが、こちらはヒオウギスイセンより小型であることから姫を冠したとされる。朱色の花から受ける印象から、誤って緋扇としている例が多数ある。花の付き方は、檜扇水仙が茎の途中からグラジオラスに似た穂状花序の花を沢山付けるのに対して、ヒメヒオウギズイセンはヒオウギに似て茎の上部に2~3本に分枝した穂状花序をだし左右に1個づつ交互に連なって咲く。ヒオウギズイセンの花弁は6片で雄しべ6と雌しべは1本だが、ヒメヒオウギスイセンは雄しべ3と先端が3裂する雌しべが1本である。多くの人が両者を混同していて、何処にでも咲いていて何時も目にするヒメヒオウギズイセンをヒオウギズイセンと呼んでいる場合が多い。ヒメヒオウギズイセンは一度球根を植えると、放置しておいても毎年芽をだして殖える。各地で野生化して、路傍にも見かける。南アフリカ原産のヒオウギズイセンとヒメトウショウブがヨーロッパで交配され、南アフリカ産の植物でありながら耐寒性があり繁殖力も旺盛である。日当たりの良い荒れ地から明るい林床などの乾燥地帯、湿地にも耐える。世界中に野生化していて、明治時代にヨーロッパから渡来したものが日本でも野生化して各地に見られる。その旺盛な繁殖力から条例によって移入規制種として、栽培を禁止している佐賀県の例もある。雑草化しているが、お盆の頃に盛んに開花するので盆花として利用される。花を乾燥させ湯に浸すと、サフランの香りがする。ヒメヒオウギズイセンにはスイセンの名が付いているがヒガンバナ科ではなく、サフランと同じアヤメ科の花である。科が同じために、サフランと同じ香りがするのかも知れない。葉の姿はアヤメに良く似たアヤメ科の植物だが、球形の根茎を持つことから水仙の名前がつけられたという。朱赤色の鮮やかな花を咲かせ、地下茎を横に伸ばしてその先に球茎を作る。混同されるヒオウギズイセンの花色には、白・ピンク・赤などがある。40年も前に義母が、何処からか抜いて来たものを生垣の下に植えた。毎年芽を出して増殖していたのだが樹陰のため花を付けないこの植物を、長い間グラジオラスとばかり思いこんでいた。数年前に邪魔になったので一部を日当たりの良い所に移植したところ、それから毎年6月中旬になると朱赤色の花を咲かせている。株を持って引けば簡単に抜くことができ、園芸種のカタバミ(オキザリス)のように目の敵にするほどの厄介者でも無い。暫くはこのまま放置して、花を楽しみたい。 花言葉 楽しい思い出 謙譲の美
2015年06月19日

雌花キウイフルーツは、一般にはキウイと呼ばれている。キウイはネコが好むと言うマタタビの仲間で、雌木と雄木の区別がある落葉蔓性植物である。サルナシ・マタタビ・キウイフルーツなどがアジア東部に約60種分布しており、日本にはサルナシやマタタビと呼ばれる4種が自生している。産地は温帯から亜熱帯で、熱帯果実ではない。標高600mを超える場所に位置する山荘は、冬期の最低気温が−10℃より低くなることがある。しかしキウイには耐寒性があるので、十分栽培が可能である。殆ど気にしなくても良いほど病害虫に強く、放任でも生育旺盛で花芽や果実がつく。植える際注意しなければならないことは、雌雄異株なので実を採るためには雄株と雌株が必要となることである。面白いことにキウイとベビーキウイとも言われるサルナシの花粉は、相互に着果させる能力がある。マタタビの仲間であれば、お互いにどの種でも受粉するのが面白い。キウイは一般的に新梢の基部の4~5節に、それぞれ3花程度をつける。ただゴールド種は、それよりも多くの花芽を付けるようだ。雌雄の株があっても栽培上確実に着果と肥大をはかるためには、人工授粉が重要だとされる。山荘の周りにゴールド種とヘイワード種の棚が2つあるが、ゴールド種の棚には何回植えても雄木が育たない。ヘイワードの雄花はゴールド種の開花より、7~10日も遅れて咲くことが多いので殆ど受粉の役に立たない。毎年これらとは別の棚に育てたゴールド種の花を採取し、直接雌花につけて受粉させている。ヤマモモも雌雄異株だが、風媒花の花粉は2kmも飛散すると言われている。都会地では街路樹や庭樹として雄木があちらこちらに植樹されているので、雌木だけ植えても十分着果する。キウイは虫媒花のため雄木と雌木の距離は10mが限界とも言われ、同じ棚に這わせるのが普通でありさらに着果を確実にするためには人工授粉も行うと言う。しかし長年の経験から雌木と雄木を同じ棚に這わせている場合には、敢て人工授粉を行う必要は無いようにも思われる。我が家では雄花が無いため、人工授粉の作業を行わなければ全く着果が望めない。その年の気候で開花時期に幅があり、適期を見計らって山荘を訪問するのには気を使う。一昨年は5月の中頃になってからの晩霜を受けて新梢が枯死した影響で殆ど実がならなかった。反動で昨年は葡萄の房状に、大型コンテナに4杯も収穫した。摘果しなかったこともあって、ピンポン玉程の大きさものが大半でこれら小さいものは全部廃棄してしまった。昨年より約10日も早く開花したが昨年多く実を付けたため、今年は雌花が少なかった。隣家の雄花を貰い受け、5月23日に半日掛かりで授粉作業を行った。受粉後20日して急速に肥大した果実は、現在ウズラの卵より大きく成長している。約10日遅れて開花したヘイワードは、未だソラマメ程度の大きさしかない。栽培のマニュアルでは、受粉後50日までに成熟果の80%程度までに肥大するのだという。病害虫は比較的少ないのだが、カミキリムシの幼虫の通称テッポウムシが幹に入りこんだのを知らないでいるとあっという間に棚全体が枯死してしまうことがある。幹におが屑状の瘤を見付けた場合は、スポイト等で穴にスミチオンの原液を注入すると親指大もあるテッポウムシが這い出して来るので捕殺する。 花言葉 剽軽キウイの花が何故、剽軽なのか理解に苦しむところである。
2015年06月18日

山荘の庭に鉢から下ろして植えた梅花空木が、樹高4mにも伸びた。甲斐駒ケ岳を背景にして、枝全体に4cmもある純白の花を次々と咲かせている。5mを超えるほどに成長したヤマボウシも、純白の4枚の苞を広げて妍を競っている。既に終わったが、この株の下には姫空木の大株が白い花をいっぱいに咲かせていた。晩春から初夏にかけての山荘は、白い花に包まれる。色彩のある花も美しいが、白の花はなぜか初夏に合う。古くは桜より愛されたウメの花は、多くのもに梅花の冠をつけて名前とされている例が多い。植物では無いが石見銀山に咲くウメの花から分離したことが由来となって、梅花を冠した酵母がある。この酵母は、2012年に発酵飲料・食品製造用として特許を取得している。花姿がウメの花に似ているからとして、梅花と冠した植物がある。清流の水中で咲くキンポウゲ科の梅花藻、イカリソウの仲間だが属の特長である距を持たず白やピンクの花を咲かせる梅花錨草、地下茎が地中に広がって繁殖し五加木(ウコギ)に似た5つの小さな葉を付けることから五加木葉黄連の別名がある梅花黄蓮、アジサイの仲間で枝咲きの両性花(装飾花と普通花が咲く)という変わった性質があって花が全て下向きに咲く梅花甘茶、ツツジ科の梅花下野(バイカシモツケ)などである。この内のどの植物を見ても、それほどウメの花に似ているとは思えない。梅花甘茶の花はむしろ茶の花に良く似ているし、別名利久梅の名前がある梅花下野は花弁が細長くヒラヒラしているので全然ウメの花には見えない。バイカウツギの花もそれらの花と同じで、どう見てもウメの花に似ているとは思えないが最も好きな花の一つである。日本に自生するものは2m程度の樹高で花も多くは付けないが、欧米で改良された園芸種では放任すると高さ約4mにもなる。6月から7月枝先に、キリリとした純白の花を群がって咲かせる。名前のように、茎の中芯が空洞になっている。漢名では、「山梅花」である。ウメは5弁だが、梅花空木の花弁は4枚で白く大形の3~4cmもある花を群がって咲かせる。この花には、微かな芳香がある。梅花空木は広い場所であれば剪定をせず放任することが、最も数多くの花を咲かせるコツである。しかし狭い庭では、ブッシュ状に広がって樹形が乱れてしまうので整枝のための選定が必要になる。今年伸びた新梢に来年花が咲く、花芽は真夏の8月に形成される、刈りこむと極端に花着きが悪くなることを考慮して古い枝の更新を考えて間引くように剪定するのが良い。 花言葉 気品
2015年06月17日

植木に付いていたものを知らずにうっかり植えたり、外で綺麗と思って庭に植えた植物が意外に繁殖力が強くて閉口することがある。綺麗に見えても庭へ植える際には、考慮が必要な植物がある。雑草ではドクダミ・スギナ・ヤブカラシ・ヘクソカズラがあり、草花では虫取り撫子などがその典型である。同じように繁殖力が旺盛な草花に、梅雨の時期に愛らしい紫の花を咲かせるムラサキツユクサがある。ムラサキツユクサは株でも種子でも増殖し、さらに風雨で倒れて土に着くと茎の節から根を出し新たな株を作る。うっかり切り花にして花瓶に挿したままにして置くと、10日もすれば発根するほど生命力が強い。家内が茶席に飾られていたムラサキツユクサを貰い受けて来て、植えつけないまま暫く放置していた。暫くしても枯れないムラサキツユクサを流石にかわいそうに思って、山荘の隅に植えた。今では1mを超えるような大株になり、庭のあちこちに飛び火してキキョウ・ホトトギス・リンドウなどの草花を凌駕するようになってしまった。根を張っていて、抜こうにもなかなか抜くこともできない。多年草のムラサキツユクサは、北アメリカにおよそ20種が分布しているとされる。一般的に広く栽培されているのはムラサキツユクサとオオムラサキツユクサから作出された園芸品種で、日本へは明治時代に渡来したとされている。日本に自生するツユクサとは属が異なり、別の植物である。耐寒性があり、花壇などに利用される。草丈は90cmほどで初夏~秋が開花期で、茎の頂点から3枚の花弁の花を咲かせる。花は1日で凋むが、次々と新しい花を咲かせるので一日花には見えない。天気のよい暑い日は半日で凋み、曇天で気温のあまり上がらない日は夕方まで咲いている。花の中心にある雄しべは通常6本で、細かい毛が生えている。花色は紫色が基本で、他に白やピンク、赤紫などがある。朝靄や梅雨などしっとりした雰囲気が良く似合い、露の玉を滑らす葉には野趣があり艶っぽい。逸出した個体が、林の縁など日当たりのよい場所にも自生しているのを見ることがある。ムラサキツユクサは観察が容易なことに加えて核や細胞壁もはっきりと観察可能なため、タマネギの鱗茎葉と並んで表皮細胞の実験観察に使われる。高校の生物学の授業で、浸透圧や減数分裂の観察などに使用される。この観察が生物学に興味を持つかどうかの分かれ目にもなるので、重要な役目を持った植物とも言える。顕微鏡で雄しべに生えている紫色の毛を拡大観察して見ると、細胞が数珠玉のように一列に連なっているのが良く分かる。花色には紫・白・ピンクがあるが、一般的には紫が多い。花径2~3cmの紫色の三弁花が茎先に集まって咲く。 紫の花を取って手で揉むと、紫色の露が出る。この色が万年筆に使われるインクの色ににていることからインク草の別名がある。高さ50cmほどで、小さい花の「紫露草」と、高さ1mほどで、大きめで色数豊富な花の「大紫露草」があり両者は植物学上では厳密には区別されるが、一般的には両方とも「紫露草」の名で呼ばれることが多い。名前は紫色の花が、雑草のツユクサに似ていることからつけられたものである。6月15日の誕生花 花言葉 恋ではないけど好き
2015年06月16日

まだ少し先になるが、夏至から数えて11日目頃を雑節で半夏生という。今年は7月2日が太陽黄径100度になり、その日に当たる。その頃は梅雨の末期に当たり、高温多湿で天候不順な頃とされる。農家ではこの日までに田植えを済ませ、その後には田植えをしてはいけないという習慣があった。この時期に農作業をさせないようにするため、三重県の熊野地方や志摩地方にはこの日には妖怪のハンゲが徘徊するという言い伝えが残っている。丁度この時期に生え出すとして、雑節から名前をとって半夏生と名付けられた植物がある。サトイモ科のウラシマ草を非常に小型にした草姿をしている。烏柄杓(カラスビシャク)が、正式の名前である。ウラシマ草では釣り糸に見立てた付属体は大きく垂れ下がるが、カラスビシャクでは上に伸びたままで垂れることはない。畑や道端に自生する草高20~30cmの多年草で、地下の塊茎から伸びる長い葉柄の先にトリの足形の3枚の小葉を付ける。実際には雑節の半夏生よりかなり早く5~7月ころには生じ、緑色の仏炎苞の中の花序の上部に雄花を下部に雌花をつける。仏炎苞を柄杓に見立てたが小さ過ぎて人の役には立たないので、カラス用の柄杓だとして「カラス」の名前が冠されたものとされる。カラスビシャクは繁殖力が強く種子や塊茎で殖える他、小葉の基部や葉柄にムカゴをつけることでも繁殖をする。マムシグサなどと比べると小型で一見脆弱そうにも見えるが、繁殖力はずば抜けて強く一旦畑に入ると退治し難い雑草でもある。北アメリカでは、侵略的外来種として問題となっている。有史以前に中国から帰化した史前帰化植物とされ、北海道から九州まで広く分布している。恐らく人為的に広げたものであろうと考えられている。サトイモ科の植物の多くはシュウ酸を多量に含有していて有毒だが、カラスビシャクには薬効成分があり漢方では半夏といわれる生薬にされる。丁度この時期に花のすぐ下にある葉の表面が、花弁の役目を果たすために白く変化するドクダミ科の多年性落葉草本植物がある。こちらもハンゲショウ(半夏生・半化粧)と呼ばれている。しかし古くからカラスビシャクを生薬名で半夏とよんでおり、ドクダミ科の方は葉の半分が白くなることから化粧と関連付けて名前を付けたものではないだろうか。故に、「半化粧」と書くのが正しいのではないかと思われる。カラスビシャクは、ヘソクリという変った別名を持っている。農家の主婦がカラスビシャクの塊茎を採集して薬草として売り小金を得たことに由来するとか、あるいは塊茎の一部が凹んでヘソのように見えることからヘソのあるクリ(丸い塊)を語源とするとの説がある。カラスビシャクの塊茎の外皮を除去するなどの加工をしたものが生薬の半夏といわれ、鎮吐・鎮静・去痰などに効能があり漢方に処方・配合されている。半夏は強いえぐみで飲み難いため、多くの場合生姜を加えてエグミを抑えている。 花言葉 心落ち着けて花言葉の由来は半夏が持つ薬効の、鎮吐・鎮静・去痰作用などから付けられたものであろうか。
2015年06月15日

植物が花芽を付ける条件には、光周性・温度・年齢・栄養条件・ストレスなどが関与している。キュウリ・トマト・ソバ・ジャガイモなどは日長や温度条件に関係なく一定の発育段階になると花芽を形成することが知られている。ジャガイモは、植え付けて2か月ほどすると開花する。同じナス科のナス・トマト・ピーマンなどは、開花の後結実した実を収穫するために栽培される。不思議なことに同じナス科であるのにジャガイモは花を咲かせても実をつけることは稀で、一般的でないので果実を見たことのある人は非常に少ないと思われる。昔から良く知られている、男爵に結実したものを見たことは無い。良く確認しないで男爵と並んで作付けが多いメークイーンにも実が付かないと信じ込んでいる人がいるがこれは間違いで、私の菜園では毎年メークイーンの何株かに必ず実が付く。ジャガイモを栽培している人の中には、今でも花を咲かせると株の勢いが弱まって芋に栄養が行かなくなるので蕾のうちに摘み取ることを実行している人がいる。しかし開花させても蕾のうちに摘み取っても、芋の収量には全くと言っていいほど影響が無い。従って敢て摘み取ることの必要性は、全くないことになる。ジャガイモは「貧者のパンHope is the poor man's bread」といわれ、国連によって2008年が国際ポテト年の宣言がなされた。栄養価の高さと繁殖力の強さが、増え続ける人口を養う「秘密の宝」として期待を集めている。貧者のパンの語源は、イギリスの神学者で詩人のジョージ・ハーバート(1593~1633)の言葉、「希望は富者の物ではなくむしろ貧者の生きる糧である。ここで貧者とは一般大衆のことである」に由来している。被子植物が自家受精を防ぐための数種類の遺伝的性質を総称して、自家不和合性と呼んでいる。正常に発育した花粉が同じ個体の正常な柱頭に受粉しても受精に至らないこと、あるいは正常種子形成に至らないことを自家不和合と呼ぶ。一般的に両性花で観察されるが、クリなどの雌雄同株異花などでも見られる。自家不和合性の植物では、同一または類似の遺伝子型を持つ個体の柱頭に花粉が到達しても、花粉の発芽・花粉管の伸長・胚珠の受精・受精胚の生育のいずれかの段階が停止し、結果として種子が形成されない。雌しべと花粉との間の自己認識作用によって柱頭上・花柱内・子房内で起こる現象とされ、ナス科植物では花柱内で起こる。自家不和合性は被子植物が自家生殖を防ぐための重要な手段であり、新しい遺伝子型を作成することで地球上に被子植物が広がっていった一つの要因であるとされている。一般的な自家不和合性は、配偶体型と胞子体型または同形花型と異形花型に分けられる。かなり多くの植物は、自家和合である。被子植物における自家不和合性と自家和合性の割合は、半々程度と推定されているジャガイモは芋を地中に植えると萌芽後2週間で主茎の頂部につぼみが出来、その後2週間で開花する。花房は十数個の花からなり、花は白、青、紫、赤紫など品種によって異なる。花は咲くが、受精して結実する事は殆どない。稀に風媒によって受粉し、ミニトマトに似た果実ができる。ジャガイモは、種子からでは無く地下の塊茎で栄養繁殖をする。芋で繁殖が可能であるため、実を付ける必要が無くなったものであろう。同じようにヒルガオ科のサツマイモは、芋から萌芽した茎を植えて繁殖を行うので種子を必要としない。サツマイモにもヒルガオに似た花を咲かせるが、自然のままでは殆ど結実しない。
2015年06月12日

横浜山下町にあるマリンタワーと同時期に運営営業が開始された氷川丸は、日本郵船が1930年(昭和5年)に就航させた総トン数11,622tの大型貨客船で北太平洋航路で長い間就航していた。建造から既に85年を経過しているが、豪華な内装は当時利用した人々の面影をも偲ばせるものがある。船名の氷川丸の「氷川」の名称は、さいたま市大宮区にある氷川神社から、この船に祭神が勧請されたことが由来となっている。氷川丸が勤めを終えて除籍となって山下公園前に繋留された後も、引き続いてブリッジの神棚に氷川神社が祀られている。大宮氷川神社は約2、400年前に出雲大社から勧請したとされる古社である。伝承によるとこの神社で、日本武尊が東夷平定の祈願したとされている。荒川流域を中心に約280社ある氷川神社の総本宮でもある。 初詣参拝は200万人を超え、全国ベスト10に入る。氷川丸は1929年9月30日竣工し、1960年12月21日に役目を終えて除籍された。一級の設備とサービスの優秀さによって、著名人たちに愛用された船として知られる。船客のなかには、世界の喜劇王チャールズ・チャップリンや秩父宮夫妻の名前も見える。多くの貨客船が、太平洋戦争で喪失したが、氷川丸は三回も機雷に触雷しながら奇跡的に沈没を免れ、戦後も昭和35年(1960)まで北太平洋航路で運航を続けた。戦前建造された船としては、現在残っている唯一貨客船として当時の造船技術を伝えており、貴重な産業遺産として平成15年(2003年)に横浜市から有形文化財に指定されている。平成19年度には、経産省大臣から「近代化産業遺産」の認定書が交付された。1960年に運航を終了するまでに北太平洋を254回横断して、船客数は延べ25,000余名との記録がある。退役後スクラップされる運命であったが、保存を望む声によって山下公園前の湾に係留され保管されることになった。保存に先立って、大規模な補修が1961年に実施され、山下公園前の横浜湾内に係留された後の所有者は氷川丸マリンタワー株式会社になり、ユースホステル・見学施設として運営された。船内では船上結婚式・ビアガーデン・ライブサロン・コンサート・パーティ・年越しカウントダウンなどの催事・イベントが実施され多くの観光客を集めた。時代の変遷とともに次第に入場者数が減少し採算が取れなくなったことにより、2006年に氷川丸の運営を終了した。氷川丸の譲渡を受けた日本郵船は部分的な修繕・内装の修復を行い、事業内容を船内公開のみに限って2008年から再開した。時を同じくしてみなとみらい線が開通し東横線が乗りいれた事もあって暫くは氷川丸への入館数が増加したが、次第に減少傾向にあり昨年の入館者は2.3000人であったという。昭和38年に見学のために初めて入艦したが、もっと混雑していたように記憶している。現代の若者は資料館等を巡るより、お手軽に巨大テーマパークに集まる傾向がある。今回は平日の早朝だったこともあって入館者が極めて少なく、館内はひっそりとしていてゆっくりと見て廻ることができた。受付に坐る女性はみなとみらい線開通の効果が次第に薄れて来て、今年の入館者はもっと少なくなるかも知れないと話していた。
2015年06月11日

ボツボツ花の盛りを過ぎるが、休耕田や土手に派手な赤とピンクの花の群生を良く見る。私もこの花が好きで、毎年種子を4袋も購入して菜園の隅で咲かせている。雛芥子・虞美人草・ポピー・アマポーラ・雛罌粟等の名前で呼ばれる1年生の草花である。ケシやオニゲシに比べると茎葉・花とも華奢である。アマポーラは、スペイン語でヒナゲシ(フランダース・ポピー)を指す。同名のメキシカンポップスが流行して有名になつたが、意味を知らない人も多い。早咲き遅咲きがあって、開花時期は 4~6月頃。ヨーロッパから、江戸時代に渡来した植物である。花弁は非常に薄く繊細で皺があり、竹を割った時に出てくる竹紙に似ている。表面に剛毛が生えた蕾は最初下向きに垂れ下がって付き、開花の時期を迎えると直立し2つに割れて花が出てくる。極楽鳥花(ストレリチア)は初め蕾が直立していて開花が近づくと首のところが直角に曲がって水平になって開花するが、植物によって異なった特徴があって面白い。この花は、スペイン語ではアマポーラと呼ばれる。切無く歌われるアマポーラの曲の日本語訳は、♪ひなげしよ、美しきひなげしよ、いつだって僕の心は君だけのもの。君が好きだ、僕の愛しい子、花が昼の陽射しを愛するように。ひなげしよ、美しきひなげしよ、嫌な顔をせずに私を愛しておくれ。ひなげしよ、ひなげしよ君はどうして一人でいられるのだろうか。…。である。草丈は種類によって50cm~1m位になる。葉は根出葉で、羽状の切れ込みがあり無毛である。初夏に花茎を出し上の方でよく分枝し、茎の先に直径5~10cmの赤・白・ピンクなどの4弁花を開く。現在売られている種子には、八重咲きの品種も多い。ゴボウ根を持つ植物の特徴で移植を嫌うので、9月下旬に直まきし種子が見え隠れする程度に極薄く覆土する。細かい事を芥子粒に譬えるが、種子はかなり細かく重ならないように蒔くのは難しい。発芽したら間引いて、株間が30cm位になるようにする。漱石は新聞連載小説の第一作を、「虞美人草」の題で連載した。この題には特別な意味が無いと、漱石自身が後に語っている。虞美人草の名前は、中国の伝説に由来している。秦末期に活躍した武将項羽には、虞と言う美人の噂高い愛人がいた。項羽が劉邦に敗れて垓下に追い詰められた時に、死を覚悟した項羽が詠んだ垓下の歌に合わせて虞が舞った。「力拔山兮氣蓋世 時不利兮騅不逝 騅不逝兮可奈何 虞兮虞兮奈若何 (力は山を抜き、気は世を覆う。時利あらずして騅逝かず。騅逝かざるを如何せん。虞や虞や汝を如何せん) 垓下歌「史記」巻7項羽本紀第7」美人の虞をヒナゲシの花に譬えたもので、ヒナゲシはそれほどに美しい。 花言葉 恋の予感 いたわり 思いやり 陽気で優しい 忍耐 妄想 豊饒種類や花色によって、異なる花言葉が与えられている。
2015年06月10日

大武川の土手道でお笑い芸人のさんまが使う「アホちゃいまんねん、パーでんねん」は、落語家の月亭八光が小学生時代に考えたものをさんまが5000円で買ったギャグだという。購入費は親の八方に渡り、八光は貰っていないとボヤイているという。実際には関西弁に、「…まんねん。」と言う言葉は無いらしい。このギャグと、良く似た響きの名前を持つ植物がある。ツルマンネングサ(蔓万年草)という名前の、ベンケイソウ科の多年生植物である。ベンケイソウ科の植物の多くは茎葉が多肉質で、切って捨てても枯れないという意味から古くは伊岐久佐(活草=いきくさ)と呼ばれていたが後になって、立ち往生した武蔵坊弁慶のように「強くて枯れない」草だとして弁慶の名前がついたのだという。マンネングサの名は、常緑多年草であることが由来とされる。漢名で、オモトを万年青と書くのも同根である。冬は、地面にへばりついて越冬する。中国・朝鮮半島が原産で、日本へは古い時代に観賞用として渡来し野生化定着したものと言われる。道端や河川敷によく生育しており、繁殖力が旺盛で地を這うようにして次々と殖えていく。40年も前知らない間に家内が何処かの路傍から取ってきて庭に植えたものが蔓延り、目に付く度に取り除いても未だに絶滅させることができないでいる。おまけに山荘が完成した15年前に自宅で手入れ不能となったサツキ盆栽を鉢から山荘の庭に下ろした際、付いていたツルマンネングサまで移植してしまったらしい。気が付いたら抜き取るようにしているのだが、今や庭の全域に広がってしまった。都市近郊に多く、河原や石垣などにもよく見られる。茎は紅色を帯び、花をつけない茎は地を這う。3枚の葉が輪生し淡緑色~黄緑色をしており、黄色の花は直径1.5~1.7cmで日本のものは普通結実しないとされている。最初の花が茎先につき、その下に次々と側枝を出して星形に横に開いた黄色い小さな花を沢山咲かせる。路傍の誰も見向きもしないような雑草だが食べることができ、薬草にもなる有用植物である。食べても特に味があるわけでは無く旨い植物でもないので日本では積極的には食べられていないが、隣国韓国では日常的にサラダやナムルで食されている。全草に薬効があり、古くから生薬とされて来た。漢方では垂盆草と言われ、主な成分は垂盆草配糖体だが必須アミノ酸も多く含んでいる。中国医学では垂盆草に解熱解毒及び鎮痛・腫瘍消失・黄疸消失・湿邪排除作用があり、湿熱・黄疸・小便不調時に使用するという。30年間肝炎治療に用いた結果を分析して、70.4~74.4%もの治療効果があるとの論文が発表されている。 花言葉 静寂
2015年06月09日

大武川の土手上の道路沿いが花畑今の時期日本全国の河川敷や道路沿いの土手に、黄色の花を群生して咲かせる大金鶏菊(ダイキンケイギク)の群落を目にする。山梨県内を流れる富士川やその上流域の釜無川、支流の大武川も例外では無い。オオキンケイギクは、1平方mあたり3000~5000粒の種子を産するほど繁殖力が強い。そのためカワラナデシコ等の在来種を駆逐して生態系に悪影響を与えるとして、平成18年(2006年)に特定外来生物に指定され外国からの持ち込みや栽培が原則禁止された。日本生態学会からは、侵略的外来種ワースト100に選定されている。これにより個人が庭などに植えて楽しむことも禁止され、無許可で栽培すると懲役または罰金などの処罰の対象とされることになった。オオキンケイギクの名前の由来については、花の色を鳥の「錦鶏」に見立てたとか花が「金色に輝き、花弁の形が鶏の鶏冠を思わせるところからとの説がある。キンケイ(錦鶏・金鶏)は中国南西部からチベット・ミャンマー北部が原産とされる黄色の毛髪状をした冠羽と襟首の明るい黄色と黒の飾り羽が特徴のキジ科の鳥である。鶏の鶏冠は必ずしも黄色では無いので、錦鶏の冠羽から連想してキンケイギクになったとする方が自然であるような気がする。観賞用として明治初期に北アメリカから持ち込まれたものだが、平成になってから急に各地で目に付くようになった。オオキンケイギクは遠目にはキバナコスモスによく似ているが、葉の形が異なる。花期は5 ~7月で繁殖力が強く根はよく発達し、荒地でも生育するため土手や荒れ地の緑化に利用され花が美しいので移植されたり刈り残されたりしたことで広がった。 栽培が禁止される直前まで、高速道路の法面などにワイルドフラワーとして播種されたことも加わって各地に広がっている。全国各地の自治体でボランティアを募集して、毎年根絶作戦が展開されている。最も確実な退治方法は5月の未だ花が開花しないうちに根から引き抜き、ビニール袋に入れて口を縛り必ず枯死させる。生のものは移動禁止になっているためであり、種の飛ぶのを防止するためでもある。8月以降は種が飛散し、却って殖やすことになるので駆除作業は行わない。除草作業が継続して行われても、絶滅することはなかなか困難である。園芸店で販売されているワイルドフラワーの種子の中に、混入している場合がある。カナダバンクーバーのビクトリアに観光名所として有名な植物園、ブッチャードガーデンがある。16年前に訪問した際、入り口の売店で買ってきたワイルドフラワーの種子袋の中にオオキンケイギクの種子も入っていた。それを山荘の裏庭に蒔いて生えた花の中に、オオキンケイギクがあって現在も毎年花を咲かせている。10年も前に栽培が禁止されたのだが、初夏には白い花が多い中に咲く黄色の花を捨てられず今年も3株がこっそり花を咲かせている。何れこの花は、処分をしなければならないと考えている。 花言葉 いつも明るく きらびやか
2015年06月08日

山荘の北東側に八ヶ岳の眺望を塞いで、標高887mの独立峰を持つ中山が横たわっている。長さは、8kmにも及ぶだろうか。この山中には多くの野生の動物が生息しており、畑を荒らす厄介者となっている。サルの群れは一週間ほどのインターバルで畑や民家周辺に現れるし、車の運転中には道路沿いで良く見かける。イノシシやシカは、夜間の里をわがもの顔に跋扈して畑を荒らし廻る。果菜が実るとハクビシンの標的となって夜毎荒らされ、収穫は皆無になることもある。イノシシを家畜化したものがブタであることは、良く知られている。イノシシの家畜化は、8,000年以上前からユーラシア大陸の東西で行われたと考えられている。東アジアでは中国の新石器時代から、ブタの家畜化がされ、日本では10箇所以上の弥生遺跡からブタの骨が出土している。ブタが野生化すると全身に剛毛が生え、牙が伸びるなど先祖返りすることがある。イノシシとブタが交配して生まれた仔は、イノブタと呼ぶ。遺伝子解析によると、イノシシの8割以上がイノブタであるという。ブタの知能は、イヌと同等以上だと言われている。猟期には有害鳥獣駆除対策として地域の猟友会の会員が時折山に入っているのを見かけるが、知恵のあるイノシシは銃では中々仕留めることができないのだという。今年の4月から5月初めまではイノシシが掘り起こした跡を見ることが少なかったのだが、この時期になってあちらこちらの山裾の落ち葉溜まりが1mの深さにも掘られているのが目に付くようになってきた。我が家の70坪ほどの菜園にもイノシシが襲来して、折角作った収穫目前の作物を滅茶くちゃにして行く。防御のために電気柵を張って自己防衛しているが、広い田畑の持ち主では経費もかかって全域に設置することも困難である。福島第1原発事故の影響で、福島ではイノシシ被害が激増しているという。住民の避難によって飼育放棄され逸出したブタとの間で交配し、イノブタが激増しているのだという。相馬市では原発事故前の2010年度には6頭だった捕獲頭数が、14年度に364頭へと激増しており全体数が増えていることが推測できる。原発から20km圏内の相馬市では土を掘り起こされるなど、毎晩イノシシに荒らされる水田もあり住民の自衛による防御では対応できないと被害の深刻さを訴えている。その打開策として、JAそうまの支部長・役職員39人が罠猟の狩猟免許を取得したという。第二種狩猟免許を取得するには時間と講習料や受験料が必要だが、費用はJAが全額負担したのだという。免許を取ってみたものの経験が無いため、罠の仕掛け方やイノシシの処分方法が分からないため今季は捕獲が不可能であった。さらに捕獲しても放射線汚染があって食用にならないため、焼却などによる処分が必要となる。そのため猟友会から実技指導を受け、併せて捕獲イノシシを焼却処分するための施設が完成するのを待って来季には本格的捕獲対策を行うという。山荘のある地域では第一種狩猟免許を保有する人がいても、他所者の初級者は足手纏いになるとして仲間に入れてもらえないのだと聞いた。狩猟免許を持っていても、ペーパー免許の人や猟友会に加盟していない隠れ狩猟家もいるに違いない。これらの人への実践指導は、免許取得の支援より遥かに有効で即効性がある。公的機関で免許取得のための時間と経費を負担しろとまでは言わないが、せめて初めての免許取得者には広く門戸を開いて実体験をさせ技を伝えて行く努力をして欲しいものだ。猪食った報い、という諺がある。猪(シシ)は肉(シシ)で、禁忌とされた肉を禁を犯して食べることを悪事になぞらえたもので、悪いことをした場合その埋め合わせをしなければならなくなるという意味である。
2015年06月04日

今年の5月は降雨が少なく、真夏のような暑い日が連続した。6月に入って3日目に、漸く何日振りかの雨の朝になった。これで暫くの間は、土埃も舞い上がることがなさそうである。昨日は午後から強い南風で例年だと爽やかな緑の風を感じるのに、長期間降雨が無く乾燥しきった市街地の風は妙に埃っぽい臭いがしていた。3日は月齢15.9で満月だが、2日も月齢14.9で肉眼では満月に近く見えるはずであった。5月の満月は曇り空だったためじっくり観察出来なかったので6月こそはと期待していたのだが、2日は朝から空がどんよりとした薄雲で覆われ、時折雲間から太陽が顔を覗かせる程度の曇り空になってしまった。昨日の月の出の時刻は6時19分であったが、その時刻の東の空は雲に覆われて残念ながら月の姿を見ることは出来なかった。今年に限らず6月の満月は梅雨に向かう季節の関係で、例年見られないことが多い。諦めていたのだが約2時間後に二階のベランダに出て見ると、東南の空のゆっくり移動する雲の切れ間から真円に近い月が顔を出していた。日本語では空の月も暦の月も同じ月だが、英語では空の月はmoonで暦の月はmonthと使い分ける。英語のmoonや暦の月monthの語源は古典ギリシャ語の「暦の月メンシス=mensis」が語源とされる。実際の季節の感覚と陰暦6月ではかなり季節感に隔たりがあってピンとこないものもあるが、6月の呼称には実に多くの呼び名がある。弥涼暮月(いすずくれつき)という、文学的な響きがする別名がある。新暦の7月と言えば日中晴れれば、かなりの蒸し暑さがある。日が沈んで月が上る頃は涼しくなることから、陰暦6月の別称としてこの名前がつけられた。季夏は晩夏の意味で、6月の異称でもある。蝉の羽月(薄物を着始める時季)・常夏月(常夏=撫子が咲き競う月)・夏越しの月(夏越しの祓が行われる月)。その他にも、鳴る神月・松風月・林鐘・未月・建未月・溽暑・炎陽・風待月等がある。旧暦の6月を日本では水無月と呼んだが、新暦でもそのまま6月の別名として最も多く用いられている言葉である。水無月という名前の由来については、梅雨が明けて水が涸れて無くなる月であると解釈されていることが多い。その他に田に水を張る必要のある「水張月」、あるいは「水月」だとするもの。水無月の無は「の」の意味の連体助詞「な」であり、「水の月」であるとする説などがある。新暦6月の異称として用いられるようになってから、「梅雨で天の水がなくなる月」「田植で水が必要になる月」といった解釈がされるようになったものという。間もなく降雨の季節に入るが、今月の空は金星(宵の明星)の動きが気にかかるところである。中旬頃プレセペ星団と大接近し20日には、月齢3.5の細い月と木星に接近する様子が見られるとの情報がある。宵の明星がこの日だけでも恥ずかしがって雲の上に隠れたりしないで、昨夜の月のように姿を見せて欲しいものである。 戸口から 青水無月の 月夜哉 一茶
2015年06月03日

5月も終わる頃山裾や明るい渓流沿いの土手に、真っ赤な実を付けたヤマグワの樹が目立つようになる。黒紫色に熟すと、甘酸っぱくなって食べられるようになる。桑の実が熟す頃になると何故か、童謡「赤とんぼ」を思い出す。熟した桑の実を毎日摘んで食べた子供の頃の記憶が、鮮明に残っているせいかも知れない。三木露風は兵庫県に生まれ、小・中学生時代から詩歌を新聞雑誌に寄稿した。20歳には代表作の「廃園」を出版するなど早熟で、北原白秋と並び称されるほどであったという。家庭的には不幸で、未だ母の恋しい年頃の5歳の年には両親が離婚して祖父母に引き取られて育てられた。流石に悪戯盛りの子供を年寄りでは面倒を見切ることができなくて、子守娘を雇った。私も地域で評判の悪童で手に負えず、専門の子守を雇って面倒を見て貰っていた事が記憶の隅に残っている。今も多くの人に歌い継がれる童謡「赤とんぼ」は、露風の詩に山田耕作が曲を付けたものである。♪秋夕焼け小焼けの赤とんぼ おわれてみたのはいつの日か山の畑の桑の実を 小かごに摘んだはまぼろしか十五で姐やは嫁にいき お里の便りも絶えはてた夕焼け小焼けの赤とんぼ とまっているよ竿の先「これは、私の小さい時のおもいでである。「赤とんぼ」を、作ったのは大正十年で、處は、北海道函館附近のトラピスト修道院に於いてであった。或日午後四時頃に、窓の外を見て、ふと眼についたのは、赤とんぼであった。静かな空気と光の中に、竿の先に、じっととまっているのであった。それが、かなり長い間、飛び去ろうとしない。私は、それを見ていた。後に、「赤とんぼ」を作ったのである。家で頼んだ子守娘がいた。その娘が、私を負うていた。西の山の上に、夕焼していた。草の廣場に、赤とんぼが飛んでいた。それを負われてゐる私は見た。そのことをおぼえている。北海道で、赤とんぼを見て、思いだしたことである。大分大きくなったので、子守娘は、里へ歸った。ちらと聞いたのは、嫁に行ったということである。山の畑というのは、私の家の北の方の畑である。(三木露風:赤とんぼのこと抄)」「お里のたより」については、子守の姐やが嫁に行ってからは彼女の里の便りがなくなったと解釈するより、子守の姐やが知らせてくれていた父や母の様子とする説が正しい気がする。赤とんぼとは脈絡の無い桑の実が、突然出てくる。中国の古書には蚕が食べる葉のある神木として、「桑」の漢名が当てられたとある。日本では蚕が食う葉から、クワに転訛したとする名前由来説がある。養蚕の盛んだった昔は、どこにでも桑畑があった。6月半ばになると手の平より大きな緑の葉陰に、濃紫色に染まったクワの実が熟す。子供にとっては格好のおやつで、手や口の周りを紫色に染めながら貪り食べたものである。日本には蚕の餌とするため畑に植える畑クワと、野山に自生するヤマグワとがある。今の時期真っ白な花を咲かせるヤマボウシを別名でヤマグワと呼ぶことがあるが、こちらはミズキ科でクワ科とは何の関係も無い木である。露風が小籠に摘んだのは、実家の北側の畑に植えられた桑と書いているので養蚕用の桑であることに疑いの余地は無い。ヤマグワは葉のギザギザが尖っているので、栽培の唐桑(カラグワ)とは区別がつく。5月に円柱形で垂れ下がった雄花序と、長楕円形の花柱の無い雌花序をつける。ヤマグワには、短い花柱がある。山桑は桑製品の名前で床柱・茶棚・碁器など、高級工芸品材として使用されてきた。山桑は真直ぐに伸びるので樹高10m以上、枝下だけでも5~6mを形成することもある。原木の直径60cmで、200万円以上で取引されているという。今どきの子供はエドヒガンザクラ等になる桜の実や、桑の実に見向きもしない。今は未だ赤色で食べられないが、桑の実が熟したら今年も採取してジャムにしたいと考えている。 桑の実や 花なき蝶の 世捨て酒 芭蕉
2015年06月02日

蓮の「花托」は花弁が散ると生長しながら「果托」に変化し、受粉した雌しべも成熟して褐色化し硬い果皮を持つハスの実になる。秋になると肥大した花托は、アシナガハチ蜂の巣に似た形になる。穴に入っている種子が、ハスの実で椎の実のような形をしている。実には甘味と苦味があり、生のトウモロコシのような食感がある。昭和26年(1951)に千葉市の落合遺跡で発掘された、2000年以上前の古代のハスの実から発芽・開花したピンク色のハスは古代ハスと呼ばれ、その子孫が全国に受け継がれている。富士見町井戸尻遺跡にも、古代蓮のハス池がある。果托を乾燥させたものは、花屋でドライフラワーとして売られている。名前の由来は果托の形状が蜂の巣に似ていることからはち巣となり、はすに変化したとの説がある。ハスとスイレンは良く似ているが分類上はハス科とスイレン科に分かれており、ハスの花は水面上に茎を伸ばして咲くがスイレンは水面で咲く。ハスは一般的には地下茎が分岐して殖えるが、スイレンは種子で殖える。ハスの葉にはロータス効果と言われる撥水性があるが、スイレンには無い等の多くの違いがある。ハスを栽培するには蓮の実から発芽させる方法と、レンコンから育てる方法がある。レンコンから栽培する方が簡単だが、ハスの種子は発芽率が極めて高いので手入れを怠らなければ種子から殖やすことが可能である。千年以上も閉じこもって生育条件の良くなる時を待つ種子は極めて堅い殻に包まれていて、水にしずめても給水しない。そのため、湿気の多い土の中でも発芽しない。発芽を促すためには、給水出来るように手助けをしてやる必要がある。先ず種子の平たい底の方をヤスリなどで削って、中の白い仁が見える程度殻に傷を付ける。ヤスリの無い場合は、ザラザラしたコンクリートの上で磨っても良い。発芽の状況を観察するためには、栽培容器は透明な方が良い。削り終わった種子を、八分目ほど水を入れた瓶かコップに中へ鎮め明るい場所に置く。真夏の太陽の下で容器の水が高温になり過ぎると種が煮えてしまうので、毎日減った量の水を加え温度に注意して管理する。5月初めに種を水に鎮めると水温26~27℃では1週間で発芽し、3週間で葉を展開する。次いで発根を始め、2本目の葉茎が水の外まで育ってくる。根が5cmほどに育った頃が、植え替え時である。用土には加水し元肥に固形発酵鶏糞を入れ、よく捏ねたものを使う。用土を容器の底に3cmほど敷き、苗を置いたら1/3ぐらいまで土を入れる。定植後は水切れをしないようにし、化成肥料は葉が枯れる頃に肥料が切れるよう9月末まで月1度施す。水さえあれば寒冷にも耐えるので、冬季の休眠期にも日光に当て水を切らさないように気をつける。5月連休前に水に沈めたハスの種子が、1月経って植え替え時となった。普通は定植後、3年で開花する。古代蓮の子孫として貰って来た種子にどんな花が咲くか楽しみである。 蓮白し もとより水は 澄まねども 千代女
2015年06月01日
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