静岡の四季 0
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高尾の早春の日記の途中ですが、ちょっと旬な話題です3月22日昨日はお彼岸の中日両親のお墓参りに行ってきました。最近は、お墓の帰りに寄り道が恒例化している「渡良瀬遊水地」この時期はまだ、行ったことがないので、ネットで開花情報を検索していたら「ヨシ焼き」の実施日になっていました。いつか行ってみたいと思ってはいましたので、朝、4時起きして、朝8時半開始に間に合うようにでかけました東武鉄道・藤岡駅を降りて、渡良瀬遊水地方面へ歩いて行くと前方から煙が上がっていました。すでに開始されていました遊水地に着くと、あちこちから煙が立ち昇り始めて消防車が何台も停まっていました。土手にはすでに見物の人並みびっくりしました前日雨が降ったそうで、ちょっと点きが悪いとのこと渡良瀬遊水地は、栃木県、群馬県、埼玉県、茨城県にまたがる広大な敷地面積で、栃木県栃木市藤岡地区から歩きだしましたゴルフ場の境界にある遊水地メラメラと燃え立つ炎と立ち昇る煙に圧倒されました取材でしょうか、煙の中にヘリコプターが飛んでいます土手に続く見物の人並み
2015/03/23
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9月17日両親のお墓参りの後の寄り道は、渡良瀬遊水地が定番になりそうです ヤブツルアズキ(藪蔓小豆)小豆の原種だそうですツルマメ(蔓豆)こちらは大豆の原種だそうですヤハズソウ(矢筈草)ヤハズソウクサネム(草合歓)タコノアシ(蛸の足)もう少したつと真っ赤になります。その形がタコノアシに似ています。タコノアシタコノアシヒメジソ(姫紫蘇)ヒメジソ実は、ヒメジソを撮ろうとしたときに蜂に刺されてしまいました。木道のはるか下のほうに咲いているために腹這いにならないと撮れないので、ディパックを降ろそうと右手を後ろに回したとたんチクッ!痛っ!!背中近くに蜂がいたようです。いつもなら、86netさんにいただいた「オオスズメバチの焼酎漬け」スプレーを持っているはずがこの日は持っていませんでした。たまたま持っていた「キンカン」を急いで塗り続けましたしばらくして痛みが止まりましたが写真を撮るどころではなくなりました。駅に戻るにも1時間はかかります。歩いて行くと管理事務所があり蜂に刺されたことを話すと病院へ行くようにと病院を探してもらったら、下車した駅近くの病院は休みで隣駅の病院の電話番号を教えてもらい、タクシーを呼んで病院へ行きました。電話してから行ったのに、散々待たされてどんな蜂だった?振り返って一瞬みただけだったので、黄色くて小さいとしかわかりませんでしたアシナガバチだろうキンカンなんか塗っても何に意味もないよ明日になったら痒くなるから塗り薬とひどいときに飲む薬を5回分出しておくよもし、次に刺されたときには、ショックが出る場合があるから飲み薬を持って歩いて、すぐに飲むといいよ塗り薬を塗って治療はおしまい翌日から1週間ほど痒みに悩まされました。広大な敷地の渡良瀬遊水地、まだほんの少しだけ歩いただけで、これから奥のほうまで行くつもりだったのにアクシデントで歩くことができませんでした。何年か前にみた「ゴキヅル」を探したかったけど来年に持ち越しです。(完)
2014/10/21
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両親のお墓参りの後の定番寄り道になった渡良瀬遊水地明治時代、、渡良瀬川の氾濫により、上流の足尾銅山からの鉱毒の被害を防ぐために造られた遊水地栃木・群馬・茨城・埼玉4県にまたがる広大な敷地面積です。最近、明治政府の強引な政策に翻弄された旧谷中村の村民たちと、天皇に直訴した田中正造の足尾鉱毒事件のドラマが放映されていました。広大な敷地の中には、旧谷中村跡地が残っています。9月17日フジバカマ(藤袴)フジバカマヒメウラナミジャノメ(姫裏波蛇の目)?ガガイモガガイモヒシ(菱)の実アメリカイヌホオズキ(亜米利加犬酸漿)アメリカイヌホオズキアメリカイヌホオズキワルナスビ(悪茄子)ワルナスビウシハコベ(牛繁縷)ウシハコベハナイバナ(葉内花)?ザクロソウ(石榴草)ザクロソウマルバルコウ(丸葉縷紅)マルバルコウヒメミソハギ(姫溝萩)?アメリカタカサブロウ(亜米利加高三郎)カタバミ(傍食)カタバミマツカサススキマツカサススキヤブガラシ(藪枯らし)ヤブガラシヒメクグ?ニラ(韮)キツネノマゴ(狐の孫)キツネノマゴオオブタクサ(大豚草)スズメウリ8雀瓜)スズメウリ(雀瓜)スズメウリスズメウリチカラシバ(力芝)キンエノコログサメドハギ(目処萩)クコ(枸杞)ミヤマガマズミお彼岸のころ、必ず咲いてくれるヒガンバナ一株だけ鮮やかに咲いていました
2014/10/20
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9月17日両親の墓参りの後の寄り道定番になった渡良瀬遊水地遊水地へのそば畑 の道遊水地からうっすらと筑波山ワタラセツリフネソウ(渡良瀬釣舟草)渡良瀬遊水地で発見された、釣舟草の新種種子の形と小花弁の形に特徴があることから名付けられたとかワタラセツリフネソウ(渡良瀬釣舟草)クズ(葛)アキノウナギツナギ(秋の鰻攫み)サデクサヤナギタデ(柳蓼)アオヒメタデ(青姫蓼)アオヒメタデヒメシオン(姫紫苑)外来種のヒメジョオン(姫女苑)とは別の花で在来種です。関東ではレッドリストになっていますヒメシオンヒメシオンこれはなんだろう? ↓検索していたらホウキギク(箒菊)という似ているものがありましたこれは何だろう上記同様もしかしたら ホウキギク?これは何だろうもしかしてホウキギク? アキノノゲシ(秋の野罌粟)アキノノゲシ(秋の野罌粟)アキノノゲシユウガギク(柚香菊)ユウガギクユウガギクイシミカワイシミカワイシミカワ
2014/10/18
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暑さ寒さも彼岸まであの猛暑はどこへ行ったのでしょう。今年は、エアコンをつけないと寝られない暑さでしたが、 いまは虫の音が聞こえる時に寒さを感じる秋になりました。でもhimekyonの日記は、ひと月遅れの夏の花たちで賑わっています。8月14日父母の墓参りのあとに、立ち寄った渡良瀬遊水池信号機トラブルで列車に遅れがでて、乗り換えた私鉄でも沿線に人身事故があったりで、たどりつくのが遅くなり、ゆっくり花を探し回る時間はありませんでした。一気に載せます。ヒシ(菱)/コオニビシ実は、水の中の葉の裏側で成熟し、茎から離れて水面に浮いてくる実の形が、押しつぶされたような形で「ひしゃげる」からきたという説葉が「ひしゃげた」ような形だからという説この形から「菱形」が生まれたそうな実は食用になるそうだけど、食べたことはありません実のとげが普通は2本だそうで、この地のは4本にみえるので、コオニビシというのだそうです菱の名前は知っていましたが、初めて見たのは、数年前のこの渡良瀬遊水地だったような茎が膨れて浮き袋のようになっていますタコノアシ(蛸の足)蛸の吸盤みたいな花秋になると赤く色づき、茹蛸のようタコノアシアメリカタカサブロウ(高三郎)ラムサール条約に登録された渡良瀬遊水池できれば、在来種のモトタカサブロウであってほしいけど葉っぱが細いからアメリカタカサブロウかな・・種に翼がついているかどうか確かめてみなければアメリカタカサブロウシロバナセンダングサ(白花栴檀草)?ヌマゼリ(沼芹)?サデクサ蕾が白いし、溝蕎麦とちょっと違うなってサデクサ茎には面白い、歯車のような托葉がついていますアオヒメタデイシミカワまだ蕾イシミカワメドハギ(目処萩・蓍萩)昔は、占いの筮竹に使っていたことからが由来メドハギオオニシキソウ(大錦草)ガガイモヒメシロネ(姫白根)フジバカマ(藤)クサネム(草合歓)葉っぱが合歓の木に似ているからが由来合歓の木と同じく葉っぱが閉じるそうだけど、みてませんキツネノマゴ(狐の孫)コキツネノボタン(小狐の牡丹)?コガマ(小蒲)タマガヤツリ?orマツカサススキor全然違う名前?メハジキ(目弾き)子供が茎を切って瞼に挟んで遊んだことからが由来エゾミソハギ(蝦夷溝萩)シロネとはちょっと違うようなヒメミソハギ?でもないかな?オミナエシ(女郎花)短い時間だったけど、絞るように流れる汗に、へとへとになりながら、歩き廻りましたが、以前、出会ったことのある「ゴキヅル」をみつけることができませんでした。
2014/09/15
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7月19日に亡くなった母、まもなく1ケ月になりますが、月に1回訪れていた栃木県真岡市にある施設この日が最後の母との別れの日になりました。兄から「ターミナルケア(終末期医療)」に入ったから、長くはない」と連絡を受けて、23日に行く予定を繰り上げて行ってきました。栃木県の南東部で茨城県との境にある真岡市は千葉県から行くのは遠く、正直どの経路をたどったら、スムーズに行けるか、その都度ルートを変えて行ってみました。京成線-JR総武線-JR武蔵野線-つくばEX線ー関東鉄道常総線-真岡鉄道京成線-JR総武線-JR山手線-JR宇都宮線ーJR水戸線-真岡鉄道京成線-JR総武線-JR山手線-JR宇都宮線ーバス真岡鉄道への乗り継ぎが悪く、1時間半も列車がなかったり、真岡駅から施設へはバス便がなくタクシーを使って、帰りにバス停を探しながら2時間さまよって駅にたどり着いたりしていました。施設への来訪者は車利用者ばかりで、施設の人もバス便のことはわかっていませんでした。ダメ元で、施設の反対側へ歩いて行ったらバス通りがあり、真岡駅の近くまで行くことがわかり、しばらくは真岡駅からはタクシーで、帰りはバスで真岡駅近くまで戻っていました。そのバスの反対側の行き先は宇都宮駅、どんなものか乗ってみたら、宇都宮まで意外に近いことがわかり、ほぼ1時間に1本あることもわかり、列車の乗継、乗り継ぎを考えるとこのルートが一番良いことがわかり、やっとみつけた最適ルートでしたが、もう利用することはなくなりました・・・7月16日バスを降りて施設へと歩いていると、道路に2羽の鳥あわてて藪の中へ逃げ出しました。そっと追いかけてみましたが逃げ足が速い雉の雌、それとも子供?今年は雉の当たり年、これで5回目?かな逃げ足が速くて追いつきませんでしたコンデジの液晶画面で追いかけるのは難しいものです母が1年余りを過ごした施設最後なので撮ってみました施設の外の風景も庭の花もなにもわからずにただベットに横たわる母弱かった父に代わって気丈に頑張ってきた母なんの表情もない母この日が最期になるのかな・・・寂しいものですね施設の花壇に咲いていたハンゲショウ(半夏生)ハンゲショウミントの花も咲いていました母との最期の別れをして・・去りがたい気持ちを抑えて施設を後にしました。ヒヨドリジョウゴの花が咲いていました。ヒヨドリジョウゴ可愛そうな名前だけどヘクソカズラ(屁糞蔓)ヤイトバナ、早乙女花のほうがいいけどねオニドコロ(鬼野老)がいっぱい咲いてましたオニドコロ(雌花)オニドコロ(雄花)アオツヅラフジ(青葛藤)?アオツヅラフジ?の実ヨウシュヤマゴボウ(洋種山牛蒡)ヨウシュヤマゴボウヨウシュヤマゴボウガガイモの蔓が長く伸びて蕾がありましたアカメガシワ(赤芽柏)の花初めて見たようなこれはなんの実だったろう1ケ月も立ってわからなくなっちゃいました。ヒメコウゾでもなさそうかな?この道ももう歩くことはありませんので確かめようがありませんバスで宇都宮駅に着いてもうこの駅に降り立つことはないだろうな最後に「みんみん」の餃子を食べて帰ろうと30分ほど並んで食べました(夕方5時過ぎでも並ばないと食べることができません。)昔からある「みんみん」と「正嗣」「正嗣」のお店は駅から離れているので食べることなく最後になってしまいました。父も母もいなくなり、帰る故郷もなくなりました。1駅手前の生まれ育った町の駅近くにあるお墓参りだけになりました。生まれ育った故郷故郷は遠きにありて想うもの・・・もう半月すると母も父のもとへいくことができるでしょう父と母、天国で安らかな時を過ごしてくださいね親不孝な娘だったけどあなたの娘に生まれてよかった・・・
2014/08/17
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会社が3日間の夏休み昨日は、孫のみみりんと宇宙博へ行き、今日は、父と母の墓参りに出かけました。途中駅の信号機の故障で、列車が遅れて、最近は故障や事故が多すぎて、列車の遅れに振り回されているような・・お墓に1頭の蝶々ツマグロヒョウモンの雄のようなこの蝶々、父のような気がしました。母は、まだ49日の修業が終わらないから父のもとへ行けていないのでしょうお盆だというのに、だれもお迎えに来ないから寂しくなって出てきたのかな
2014/08/14
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煙草は何でできているかご存知でしょうか、画像の葉っぱが、煙草の原料です、愛煙家の人達には、肩身の狭い世の中ですが、その方たちのために、今も栽培を続けている産地があります、昨日出かけた栃木県益子町から茨城県、福島県にかけての、八溝山地もその一つです、下の葉から順に刈り取って、乾燥させたものを出荷するそうです、茎の頭が折ってありましたが、茎の頭に花が付く前に摘み取って、葉っぱに栄養がいくようにするそうです、これが煙草の材料になる葉っぱだよと説明したら、みみりんパパの通っている理容室の理容師さんの実家が、葉タバコ農家で、収穫の時、葉っぱのヤニで手がベタベタになると聞いたことがあるとのこと、そっと触ってみました、確かになんかベタッとした感じでした、昭和60年ごろ、専売が解除され、誰でも栽培できるようになりましたが、自分で使用することは禁止さるているそうです、栽培農家は、JTから、無償で種を譲り受け栽培したものをすべて、JTに買い取ってもらう方法を取っているそうです、昔は、葉っぱを乾燥させる小屋があちこちに点在していたようですが、アメリカ産の種類を乾燥させていたことから、「ベーハ小屋(米国産の葉っぱ)」と呼ばれていたとか煙草は、紀元前からアンデス山脈で栽培されていたのが、1600年代に長崎県平戸市に初めて上陸したものだそうです
2014/07/21
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6月10日月1度の母の見舞いに故郷へとは言っても、生まれ育った地ではなく、施設のある栃木県真岡市ですが先月行ったときは、熱を出して咳も止まらずに、苦しそうでした。その日は午前中に姉も見舞いに来ていたようで、受付に名前があったので、姉に電話をしたら「98歳の歳を考えると覚悟したほうがよさそうだね」と覚悟を決めていましたが、容態は持ち直して、ベットに横たわって、うつらうつらとしていました。いつものように何もわからない母ですが、話しかけると、じっと見つめます。もしかしたら、言葉にはならないけど、娘だということをわかってくれているのかと淡い期待をもってしまいました。母にとって生きることが幸せなのかどうかはわかりませんが、なにもわからない母でも、やっぱり母は母です。8月の99歳の誕生日を迎えられるのでしょうか・・故郷は麦秋の季節でした。秋の紅葉もきれいですが・・・施設近くの農家の畑に咲いていた花ドクダミ、アルストロメリアとハナショウブ垣根越しから勝手に撮っています。ちょっと奥をのぞいたらこちらのお宅の奥さんとご近所さんがおしゃべりをしていたので声をかけて中に入らせてもらいました。ご主人が丹精込めて育てているそうですこのピンク色は初めて咲いた色だそうです黄色もなかなか咲かないとかこれは、外来種のキショウブではなさそうですハナショウブといえば、水辺に咲くものと思っていましたが普通の畑でも咲くのですね。コウリンタンポポどうも赤い色が毒々しくなってしまいます青梅がたわわに成っていました。ヤマボウシ(山帽子)バス停の近くにスモークツリーがありましたスモークツリービヨウヤナギ(美容柳、未央柳)ヒメジョオン(姫女苑)北アメリカ原産の帰化植物ヒメジョオン(姫女苑) ウサギアオイ(兎葵)?ナガエアオイ(長柄葵)? ヨウシュヤマゴボウ(洋種山牛蒡)北アメリカ原産の帰化植物コバンソウ(小判草)ヨーロッパ原産の帰化植物ハハコグサ(母子草)春の七草のゴギョウ、日本古来の野草ですウシハコベ(牛繁縷)日本古来の野草イヌタデ(犬蓼)日本古来の野草ヤブジラミ(藪虱)の実駅ビルの餃子街ショーケースの中は、市内の各餃子店のお土産用の餃子がならんでいます。 4店舗の餃子店が入っています。 4店舗の中の餃子店に入りました。JR宇都宮駅に着いて、真岡行のバスは1時間に1本から2本この時間は1本のみで行ってしまった後お昼ご飯を駅ビルの中の餃子街でやっぱり、いつもの餃子のほうが美味しいかな帰りに駅の反対側のいつもの餃子店にお土産用の餃子を買いに行ったら5時前でしたが、店内に入れない人が順番待ちをしていました。
2014/06/28
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3月26日父の墓参りと母のいる施設へ 前日に桜の開花宣言が出て、陽がさすと汗ばむほどの陽気でしたが宇都宮はまだ桜の開花はありませんでしたお墓の近くの公園に椿の大木が落花したばかりでしょうかきれいな椿の花がこちらは、himekyonが卒業した小学校の校庭の隅に咲いていた椿小学校の正門の脇の辛夷やっと咲き始めたところですhimekyonが小学生のときは、正門は別のところにありました50年以上も前のことですスズメノエンドウ(雀の豌豆)カラスノエンドウよりも花が小さいからスズメノエンドウマクロレンズを持っていかなかったので、この大きさがせいいっぱい カラスとスズメの間の大きさの花は、カスマグサというそうですまだ見たことがありませんスズメノエンドウコスミレ(小菫)かな?アスファルトの隙間から元気に咲いています コスミレ?
2014/04/02
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3月26日父の墓参りと母のいる施設へ栃木県真岡市にある施設は、広い敷地に特別養護老人ホーム2つ、介護老人保健施設、ディサービス、通所リハビリテーションなどが建っている大きな施設です。母は、去年の春、大たい骨を骨折して地元整形外科で手術後の受入先が見つからず、やっと見つかったのが介護老人保健施設です。詳しいことはわかりませんが、通称「老健」は、一定期間入所すると、また別なところを探さなければならないとか、しかし、高齢でもありそのまま入所していられることになったそうです、でも、4人部屋の他の入所者も何年も入所しているようです。誕生日になるとお祝いの色紙をいただき、ベットの上に飾ってありますが、3枚飾ってある方もいました。シュンラン(春蘭)別名/ジジババ、ホクロ母の施設に行く途中に立派な門構えの大きな屋敷があり、塀沿いの花壇に春蘭が植栽されていました。2月に訪れたときにすでにつぼみがたくさんついていましたので、今月は咲き出しているのではみごとに咲いていました。植栽とはいえ、あまりにも立派にたくさん咲いていたのには驚きでした。山へ登ると毎年、どこかの山で見ることができましたが、今年は山から遠ざかってしまい自生の春蘭をみることができるかどうか・・・・春蘭のいわれは、中国の春蘭に似ているからついたという別名・ジジババのいわれは、外花被片と内花被片が曲がっているからのようですホクロのいわれは、花に斑点があることからマクロレンズではなく、標準レンズに換えて撮れば花壇の様子が写せたのに横着しちゃいました。
2014/03/31
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3月26日父の墓参りと母の見舞い父のお墓はJR宇都宮線の線路脇の墓地にありますhimekyonが子供のころの小学校への通学路の途中にあり、その地は昔から「牛塚」と呼ばれていました。塚というからには、なにかいわれがあるのだろうと、検索してみたらありました。江戸時代から3度にわたり、発掘調査されていて、集団を治めた領主とか首長とかのヌシが転化して、ウシとなり牛塚となったとされています。発掘された副葬品の中の「鏡」は大和朝廷との結びつきがあるかなり位の高い首長だったのではと推測されるそうですが、今は跡形もなく現代の墓地に生まれ変わっています。子供のころは、雑木林だった記憶があります今日の画像は牛塚とはまったく関係がありませんが今年初の蝶々が飛んでいましたので写してみました。お墓は駅から10分もかからないところにあるので、駅を降りてから歩いて行きます行きはコミュニティバスが通る道路を歩き戻りは線路沿いを歩いてみましたこの日は、4月の陽気となり、暖かいというよりもちょっと暑いかなと思うほどの気温でした暖かさに誘われたのか、越冬から覚めた蝶々が飛んでいました。この日は、東京に桜の開花宣言がでたようですが、さすがに宇都宮までは届いていませんでした。土手にはツクシさんがブルーに見えるのはオオイヌノフグリです
2014/03/30
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今日は、お彼岸に行けなかった父のお墓参りと施設にいる母に逢いに行ってきました。父の墓は、himekyonが育った町にあり、母の施設は真岡市、離れているので電車の乗り換えが大変JR宇都宮線、JR水戸線、真岡鉄道、バスと乗り継ぎが悪くて、2時間半のロスで行きはタクシー利用帰りに1時間に1本のバスで宇都宮駅まで乗ってみると、意外に近くてバス代も電車代とほとんど変わらないことがわかり、今度からバスで行くことにしようかと。前回から、ノロウィルスやインフルエンザなどの予防のために、1階ロビーでの面会になり、3組の面会者がいましたが、2人とも母よりもだいぶお若い方のようだけど、「誰が来たかわかる?○○だよ、わかる?思い出して」と娘さんらしき人が声をかけていました。himekyonと同じ思いなんだなと・・・母は話しかけても何の反応もなく、目をつむって時々目を開けるくらいで、車いすにもたれかかるようになったので疲れたのかもしれないと、ほんの20分ほどいただけで施設を後にしました。宇都宮といえば餃子です、せっかく宇都宮駅に降りたので久しぶりに食べました宇都宮と浜松は餃子日本一消費量を争っていますが、浜松に奪われた日本一を取り戻したようですいろんな餃子屋さんがあって、元祖ってついているけど・・himekyonが高校生の時は、餃子専門のお店は「みんみん」と「正嗣」ぐらいだったと思うけどいつのまにか餃子の街になっていたんですよね 高校生の時、学校の部活帰りにみんなで「みんみん」へ行って、食べたのは水餃子でした好みで、酢、しょうゆ、ラー油で味付けして食べてスープも飲んじゃいます夕方5時ごろだったので、ご飯を食べるほどお腹が空いてなかったので、ご飯は頼まずに焼き餃子を追加以前行ったときは、駅ビルの地階にお店があって、1時間待ちぐらいだったような駅の東口にお店ができて、テントの中は順番待ちの人です宇都宮駅西口のバス乗り場に「餃子像」目立たないところにありました駅ビルや街の中心部に餃子館がありたくさんの店舗が入っていますが「みんみん」のとなりにも店舗がありました新しい店舗はこんなものまで建てています江戸時代、大相撲初代横綱「明石志賀之助」は宇都宮出身なのだそうです宇都宮駅東口開発が遅れてようやく駅前らしくなってきたような・・・みみりん家族は「正嗣」のほうがおいしいと言っていましたが、たくさんお店があるので、今度行ったときは食べ比べなければ
2014/03/26
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1月7日暮れに行けなかった父の墓参りと母のいる施設へ、青春18切符残り1回分を使って行ってきました男体山が見えてくると故郷へ帰ってきたと思う懐かしい故郷の山です小さな駅が新しくりっぱな駅になりましたが父の墓参りでしか降りることがなくなりました小学校もりっぱになりましたこどものころは、3棟の木造の建物と広い校庭に見えたのに今みると・・・なんてことない大きさと広さです父のお墓の湯のみがカチカチに凍っていました取り出すのが大変でした大好きだった日本茶を新しいのに入れ替えました親不孝ばかりしてしまったけど・・・親孝行もしないままに逝ってしまってこんな形でしか逢いに来られない母の施設はこの列車に乗り継いで娘が来てもわからない母おやつの時間だった母まだまだ食べることができる98歳の母行きはタクシー、帰りはバスバス停までぶらぶらと、ヒイラギの花を見つけました月桂樹のつぼみ、初見かな季節は移ろいで、あと何回逢いに行けるかな・・・夕暮れが迫る故郷長い人生の中のたった18年間それでも思い出がいっぱい詰まった故郷父の墓参りでしか訪れることがない故郷室生犀星の故郷は遠きにありて思うもの そして悲しく歌うもの「故郷の山は悲しからずや」は間違っていたようですので訂正しますを思い出した1日でしたマックスさんありがとうございました。
2014/01/08
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11月2日、2ケ月ぶりに施設にいる母に会いに行ってきました実は、9月半ばに風邪をひいてしまい、こじらせて1ケ月近くも直りませんでした。こんな時に、抵抗力の弱っている老人施設には行くことはできません父の眠るお墓と母のいる施設は離れているため、1日がかりです早めに出かけようとしたらハプニング、カメラのレンズ交換ができなくなってしまい新宿のニコンプラザ経由になり遅くなってしまいました。カメラのほうは、レンズのねじが緩んでひっかかっていて、しめなおして無事に直りましたが、普通はありえないとのこと、himekyonの扱い方が乱暴なためかもしれません父のお墓参りのあと、母の入所施設にたどり着いたのは、4時少し前行くたびに衰えていく母の姿をみるのは辛いものです。呼びかけてもほとんど目を開けることはありませんが、5月に骨折したところが完治していないのか、足が曲がったまま、ちょっとでも動かすと「痛い」と言って顔をしかめますあと何回会いに行けるのかなと思いながら、施設を後にしました今回は、お彼岸に父のお墓参りができなかったので、両方回るため、土日の割引切符を利用できるように、土曜日休みをとることができました。母の入所施設がある栃木県真岡市(もおかし)は、下館から真岡鉄道に乗り換えます土日祭日は、1往復のSL列車を走らせています。真岡駅に着いたら反対ホームから発車するところでした。思わぬ遭遇にホームを走りながらシャッターを押しまくりました鉄男さんならぬ鉄子さんではありませんので、追っかけではありませんが・・郷愁を感じるSLにちょっとうれしくなっちゃいました施設から駅に戻ると、またまた遭遇SLファンを乗せた1日の役目を終えたSLが車庫に入るところでした。真岡駅駅舎自体がSLをイメージして建てています電車の待ち時間SLグッズ販売と展示場を見学していましたSL動態展示館のSL今回は時間がなかったので、父のお墓への行きかえりと母の施設への行きかえりに見かけた花を少しだけ撮ってみました今年初見のジョウビタキと思ったらレンズがマクロのままで遠すぎて、手前の柿にピントがあっちゃってボケボケでしたマルバルコウ(丸葉縷紅)江戸時代に観賞用に熱帯アメリカから入ってきたものが野生化したもので繁殖力が強く農家では困り者だそうなマルバルコウアメリカアサガオ(亜米利加朝顔)熱帯アメリカ原産で穀物種子に交じって渡来したらしいですアメリカアサガオ花の色が半分に分かれていましたセンナリホオズキ(千成酸漿)久々にみましたこどものころよく遊びましたセンナリホオズキの花あらためてみるときれいな花ですセンナリホオズキの実こちらも熱帯アメリカ原産だとか熟してもホオズキのように赤くなりませんシロバナセンダングサ(白花栴檀草)北アメリカ原産ベニバナボロギク(紅花襤褸菊)?アフリカ原産茎から花が垂れるのだけど、まっすぐダンドボロギク(段戸襤褸菊)? 愛知県段戸山で発見されましたが北アメリカ原産ですどっちだろう意外にもわからない花がありましたアブラナ科の花ですが茎が紫色こちらもなんだろう畑には、ミチタネツケバナ(道種漬花)ヨーロッパ原産トキワハゼホトケノザ(仏の座)カラスウリ(烏瓜)は真っ赤ですが赤くなる前の状態は青いシマシマ模様ですカラスウリシマシマ模様が目立たなくなって黄色くなりますおなじみの真っ赤なカラスウリです(完)
2013/11/12
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10月6日、孫のみみりん家族と行った「日光のお出かけ日記」を書いたばかりですが、去年の8月、山友Sさんとの「日光寺社めぐり」を載せそびれていましたので、いまさらですが引っ張り出してみました。24年8月2日前後してますが、今回の寺社めぐりで最初に訪れたのは、三代将軍徳川家光の廟所・大猷院日光山輪王寺大猷院(たいゆういん)三代将軍徳川家光の廟所敬愛する祖父徳川家康の廟所をしのいではならぬとの遺命によって、彫刻、彩色を東照宮よりも控えて作られているそうですが、どこをとっても贅を尽くしています仁王門奥ノ院の廟所へは6つの門があり、門をくぐるごとに天上界へと昇っていくような印象に作られているそうな境内には315基の燈籠があるそうな四代将軍お手植えの槇御水舎3本づつの足が4隅を支えている豪華な建物崖の上から水を引いて龍の口から流れている二天門平成の大修理中 二天門を守護する広目天と持国天鼓楼鐘楼夜叉門夜叉門牡丹の彫刻が多いので「牡丹門」とも言われているそうな唐門総金箔張り、極彩色で作られています拝殿、相の間、本殿で構成された建物江戸時代の最高の技術でつくられた権現造りで純金に近い金箔が多く使われているので「金閣殿」とも言われている天上界から、寄贈されたたくさんの燈籠がならぶ人界庭園をみおろす展望所いたるところに燈籠がならんでいます皇嘉門(竜宮門)徳川家光の墓所奥の院への入り口の門陽明門と同じく、宮中から下賜された門の名前ながながと続いた「世界遺産日光寺社めぐり」歴史に疎いhimekyonですが、山友Sさんにお誘いいただいて、真夏の暑さの中5時間かけて寺社めぐりをしてきました。見学して発見したことがたくさんありました。また家に帰ってネットで検索したら、見落としていたものもたくさんありました。5時間かけて歩いてもまだまだ見ていないところもありました。機会があれば、もう一度見落としていたところも含めて見学してみたいと思います(完)
2013/10/18
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10月6日、孫のみみりん家族と行った「日光のお出かけ日記」を書いたばかりですが、去年の8月、山友Sさんとの「日光寺社めぐり」を載せそびれていましたので、いまさらですが引っ張り出してみました。24年8月2日豪華絢爛のきらびやかな東照宮をあとにして輪王寺へ日光山輪王寺、奈良時代に創建されて、明治時代の神仏分離により、二荒山神社、東照宮、輪王寺の二社一時に分離されるまでは、すべてを含めて日光山と呼ばれていたそうです黒門日光山輪王寺の表門皇族を門主とする門跡寺で、三代将軍家光のとき、天海大僧正が創建し、明治時代、本堂が焼失したとき、唯一焼け残った建物だとか三仏堂びっくり!こりゃなんだ~平成の大修理中のシートに描かれた三仏堂です鎌倉時代、山、神、仏が一体になっているという信仰が定着(男体山・新宮権現・千手観音)(女峰山・滝尾権現・阿弥陀如来)(太郎山・本宮権現・馬頭観音)千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音が安置されています修理中の間、地上26mの見学通路から特別見学ができるようになっています修理中の三仏堂の見学通路からの日光市内金剛桜三仏堂は、明治の神仏分離令により、二荒山神社からこの地に移設を余儀なくされてその時に隣接地から樹齢400年を超える山桜を移植し、枯れないように養生し、時の僧正が毎日祈りをしたら元気になり、根元から4本の幹が生えてきたという僧正が亡くなり、おくりなの「金剛心院大僧正・・」から金剛桜の名前が付いたとか※ おくりなは偉い人の死後に生前の得を讃えて送る称号で、戒名は死者が、仏門に入る名前のことだとか宗派によって法名ともいうそうです日本庭園 逍遥園輪王寺境内には、小堀遠州作の回遊式日本庭園があります輪王寺を後にして神橋へ神橋日光山開祖 勝道上人が急流の大谷川(だいやがわ)が渡れずにいたときに神沙大王が現れて、赤と青の大蛇を放つと、絡み合ってアーチになり、うろこに山菅が生えて橋を渡ることができたので、別名を「山菅の蛇橋」と呼ぶそうです乳の木(ちのき)と言われる橋げたを地中に埋めて補強材で支えるはね橋構造だったものを江戸時代、東照宮造営の時に石造りの橋脚に切り石で補強して現在の「木造反橋」にしたもの山口県岩国の錦帯橋、山梨大月の猿橋とともに日本三大奇矯と言われています神橋見学後 金谷ホテルにて食事をして帰宅となりました。これで完了となるはずですが、日光へ着いて最初に見学したのは、三代将軍徳川家光廟・大猷院(たいゆういん)前後してしまいましたが、懲りずにご覧いただければ幸いです続く
2013/10/17
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10月6日、孫のみみりん家族と行った「日光のお出かけ日記」を書いたばかりですが、去年の8月、山友Sさんとの「日光寺社めぐり」を載せそびれていましたので、いまさらですが引っ張り出してみました。24年8月2日重厚荘厳な陽明門から中に入ると、豪華絢爛の唐門が現れましたここは本社がある東照宮の中心になるところで、明治維新までは庶民は参拝を許されなかったそうです唐門本社の正門にあたるところで、江戸時代は高位な幕臣、大名だけしか通れなかったそうで今も、お正月、大祭の時の国賓以外は通れないそうです拝殿へは唐門からは入れません 唐門は、唐門四方軒唐破風屋根という四方に軒がある屋根です東西に昼間を守る龍、南北に夜を守る百獣の王のライオンや虎よりも強いとされる恙(つつが)が置かれているというが龍を撮ったのに恙は撮っていませんでした余りの出来栄えの良さに、龍は飛んでいかないように翼を切り、恙はどこかへ行かないように金具で足を止めてあるそうなすべてに葵の御紋がついています唐門の奥に拝殿、本殿があり、本殿は祭礼のみに御開帳されるそうです透塀外から拝殿がみえるように透かし彫りにされた塀、贅を尽くしています拝殿は工事中でした。中は入れましたが撮影禁止でした透彫りの塀透彫りの塀の上下には、極彩色の水鳥や植物が描かれています眠り猫余りにも有名な左甚五郎作の眠り猫家康公廟所奥院への入り口にあります大きく見えますが、実際は小さいです寝ているように見えて、足は踏ん張っているのだそうです寝ているふりをして、ことがあればいつでも起きる体制なのだとか舞う雀眠り猫の裏側に彫ってある雀です猫が寝ていれば、雀も舞う世の中は平和だということを意味しているのだとか奥社へは坂下門をくぐって石段を登りますが坂下門をくぐれるのは、将軍だけだったとか現在は、350年式年大祭記念の特別公開なのだそうです。家康公廟所へは207段の石段を登ります寒さに霜で崩れないように一段が一枚の石でできているそうです石柵は1枚石をくりぬいてできているとか、そこまでみていませんフタバアオイ(二葉葵)葵の御紋の原形となった植物です階段のそばの苔の中にありました 徳川家康の遺臣、松平正綱、秋元泰朝の奉納の狛犬東照宮造営にかかわったことにより、特別に奉納が許されたものだそうです奥社拝殿拝殿は、銅、真鍮で覆い黒漆で塗り地味なたたずまいですが、中は金箔の柱、極彩色の鳳凰などで飾られているそうだけど、ここでも見落としです鋳抜門唐銅(金銀銅の合金)で屋根、柱、壁を造り組み立てたものを居抜門というそうです宝塔徳川家康公廟所金、銀、銅の合金でできているそうな木造から石造り、大地震で破損して、五代将軍綱吉の時に今のものになったとか宝塔の宝珠東照宮の見学を終わり、輪王寺へ向かいます
2013/10/15
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10月6日、孫のみみりん家族と行った「日光のお出かけ日記」を書いたばかりですが、去年の8月、山友Sさんとの「日光寺社めぐり」を載せそびれていましたので、いまさらですが引っ張り出してみました。24年8月2日「三猿」のある神厩舎を後に陽明門をくぐります徳川家康の遺言で翌年、神として東照大権現となり日光に改葬されました当初は今のようなきらびやかなものではなかったそうですが、三代将軍徳川家光が、尊敬している祖父である徳川家康のために、21年忌に荘厳な東照宮に大造替えしたのが今に至っています。平成27年は、400年式年にあたるそうで、あちらこちらで「平成の大修理」が行われています10月6日に孫のみみりんと訪れたときは、陽明門は大修理のためにシートで覆われてみることができませんでした。陽明門京都御所十二門のうちの東の正門を陽明門といい、その名をいただいたものだそうです江戸時代初期の工芸、装飾技術すべてを施して作られたもので、一日中見ていても飽きないので日暮門ともいわれています 500を超える彫刻が施されて、重厚荘厳な造りになっています後水尾天皇の筆による「東照大権現」の勅額唐破風の上でにらみをきかす?陽明門には、霊獣と呼ばれる想像上の動物が194体あるといわれています門の正面と裏側に遊ぶ子供たちが彫られている、大きな瓶に落ちた子供を助けようと瓶を割ってしまった子供瓶を割ったことを叱らるのではなく、助けたことを褒める人の命の大切さを教えているそうな徳川家康は、子供は宝、正しい道を進んで世の中を平和にしてほしいとの願いが陽明門を支える柱陽明門の柱は胡粉が塗られ、グリ紋という渦巻き状の地紋を彫った12本の柱に支えられていますその中の1本だけ紋が逆さまに彫られています「魔よけの逆柱」と言われていますグリ紋自体に魔よけの意味があるそうですが、建物は完成した瞬間から崩壊が始まるところから一か所だけ違えて作れば、まだ未完成との意味合いがあり長持ちするという願いだそうですみみりんが今年6月の修学旅行で、訪れたときは、修復工事の前で、シートがかかっていなかったのでガイドさんの説明を聞いていたのですが今回はシートがかけられて通路が狭く、混雑で立ち止まることができずにパパとママに教えてあげることができなくて残念がっていました。みみりん、これが「逆柱」だったね狛犬随身像(神域を守る像)唐門からの裏陽明門裏側の陽明門上は麒麟だそうな額の下に二段に並ぶのは上が竜、下は「息」という動物だとか相変わらず、PCとの相性が悪くて、最近は画像がうまく登録できません
2013/10/14
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10月6日、孫のみみりん家族と行った「日光のお出かけ日記」を書いたばかりですが、去年の8月、山友Sさんとの「日光寺社めぐり」を載せそびれていましたので、いまさらですが引っ張り出してみました。24年8月2日五重塔の見学を終わり、拝観料を払って表門をくぐります表門阿吽の仁王像が安置されているので仁王門とも表門の側面には、唐獅子や虎、麒麟などの豪華な彫刻が施されています模様の違う虎があるそうで、当時は虎の雌とされていた豹だとか、三神庫右から下神庫、中神庫、上神庫校倉造の建物で、春夏の千人行列の装束、流鏑馬の道具等が収蔵されているところだそうです上神庫上神庫の妻の象狩野探幽が、想像で描いた下絵の象をもとに彫られたものだそうです青銅製の燈籠、苔むした石燈籠が並び、神厩舎へと導かれていきます 神厩舎神様に仕える神馬(しんめ)がお勤めをするところで雨風の日以外、午前10時から午後2時まで厩舎にいるということは、この日もいたのですね東照宮の豪華絢爛な建物の中で、唯一素木(しらき)造りの建物猿は馬を守るといわれ、長押の上に猿の彫刻が8面飾られています素木づくりの厩舎にも妻の下には彫刻が施されています三猿長押の彫刻は、「見ざる言わざる聞かざる」で有名です幼少期には、悪いことは見ない、言わない、聞かないとの教えだとか 8枚の猿の彫刻は、猿の一生を描きながら、生き方を伝えていると言われています立派な御水舎(おみずや)参拝者が手と口を清める場所ですが昔は自然の川や湧き水で清めたそうですが、境内に独立した建物を建てたのが東照宮が初めてだそうです唐銅鳥居をくぐり陽明門へ向かいます三代将軍家光がその当時2000両を費やして建てられたそうです神社なのに柱の足元は、仏教様式の蓮の花弁が刻まれているとかネット検索ができえる便利な世の中なのに、himekyonは予習が大嫌い、いつも帰ってから調べるから後の祭りなのです輪蔵一切経典が八角形の回転式の書架に収められているそうです輪蔵回り燈籠オランダからの寄贈で回転するそうです燈籠の上にある葵の御紋が逆さまとのことでもなぜ?回り灯籠の屋根の隅の飾り釣燈籠これもオランダからの寄贈で、ろうそくをともすと回転するそうな鼓楼太鼓を収める櫓袴腰といわれる銅板に黒漆を塗り、金色の飾り 金具が施されている陽明門に対して左が鼓楼、右が鐘楼鐘楼は撮りそびれです古い燈籠には苔や羊歯、木も生えています南蛮鉄燈籠伊達政宗が寄贈した、ポルトガルから鉄を運んで鋳造した燈籠本地堂(薬師堂)家康が薬師如来の生まれ変わりとされているので、本地堂といい、本尊が薬師如来像であるために薬師堂ともいわれています内天井に描かれた龍の下で拍子木を打つと天井と床が共鳴して鈴のような音がでることから「鳴龍」といわれていますが撮影禁止でした本地堂陽明門へ続きます
2013/10/13
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10月6日、孫のみみりん家族と行った「日光のお出かけ日記」を書いたばかりですが、去年の8月、山友Sさんとの「日光寺社めぐり」を載せそびれていましたので、いまさらですが引っ張り出してみました。24年8月2日二荒山神社から次に向かったのは、東照宮江戸幕府初代将軍の徳川家康は、自分の亡骸は、久能山に埋葬し一周忌が過ぎたら駿府城と江戸城を結ぶ、真北の方向にある日光へ改葬し、北極星のように不動の位置に神として崇めるようにとの遺言を藤堂高虎と天海僧正に託しました。死後、1年後に日光へ改葬され、幕府安泰と日本の平和を守るために、神格化した東照大権現となり東照社に祀られて、その後朝廷から宮号を授与され、東照宮となり「日本之神」として、例祭には朝廷から例幣使が派遣されるようになったという、その名残が今も例幣使街道として杉並木が残っています(例幣使とは、神の祭祀に天皇の命で、神に幣帛(へいはく)(捧げもの)を奉献する勅使のことことだそう)楼門参道苔むした参道の杉木立の根歴史を感じます苔むした杉の大木と石垣です東照宮の境内へ東照宮境内に入るとまずは五重塔同じ神社の二荒山神社とは、色彩が違っています初層には、動物の彫刻が掘られていて、方角を表しているそうです拡大してみると、右が虎、左に兎がみえました五重塔の心柱(しんばしら)の耐震工法がスカイツリーに応用されているそうです4層から鎖で心柱を釣り下げ、下の部分は、床よりも10センチほど浮いていて、年が立ち建物の重みで屋根が沈んでも隙間ができないように心柱も下がり、建物が揺れても重心が中心になって揺れによる倒壊を防ぐ構造になっているそうです心柱スカイツリー完成で、注目を浴びての特別公開です参道には、スカイツリーと高さが同じ標識がたっています
2013/10/12
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10月6日に孫のみみりん家族と出かけた日光の日記は完了したばかりですが、去年8月、真夏の暑さの真っただ中、山友Sさんと歩いた「世界遺産日光寺社めぐり」いまさらですが、お蔵入りをしていた写真を引っ張り出してみました1999年に世界文化遺産に登録された二荒山神社、東照宮、輪王寺二社一寺日光二荒山(ふたらさん)神社奈良時代、男体山を御神体山として勝道上人が開山されました(それよりも古代にすでに太郎山には、祭祀の遺跡が残されているそうな)勝道上人像男体山、女峰山、太郎山の日光三山がご神体山として、男体山に奥宮があり、中禅寺湖畔に中宮祠があります。栃木県には二荒山神社が、日光と宇都宮にあるために二荒山神社の前に地名が入ります。日光は、二荒山の二荒を音読みで、ニコウ、これに日光をあてたものだそうですhimekyonの名前は、叔母が地元の宇都宮二荒山からいただいてつけたそうな神門拝殿奥に御本殿があります 夫婦杉 親子杉境内には杉の古木が御神木としてたくさん植えられています神楽殿ここからは、神苑 拝観料がかかります萬度(万灯のこと)毎年4月13日から5日間執り行われる弥生祭りに使われる万灯唐銅燈籠(化燈籠)夜更けに灯をともすと怪しく光り、刀で切りつけたあとが無数にあることから化灯籠と苔むした燈籠神輿舎弥生祭の神輿が三基収められています大黒殿二荒山神社の主祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)大国主命。福の神縁結びの神様招き大黒幸運の招き大黒として、毎月第二土曜日に縁日が開かれ、ご利益を受る参詣者でにぎわうとか運試し輪投げSさん、もう一息! himekyonはかすりもしなかった丸石人の心を丸く 角をたてず おだやかに 生きれば 自然に 人は幸せになれます朋友神社知恵の神弘法大師お手植えの高野槇御神木境内一の巨木日光銭洗所 弁財天日光に唯一ある銭洗い所二荒霊泉醸造の信仰があり、この水で銘酒がつくられているそうな二荒山神社本殿の後ろの山の洞窟から湧き出る「薬師霊泉」とその後方にある滝尾神社の天狗沢から湧き出る酒の泉を二荒霊泉に引いているそうなそのまま飲んでもよく、好みでブレンドして飲んでもよいそうな1年前の記憶を頼りにネットで検索して、忘れていることがいっぱい、見落としていたこともいっぱい日光みずして結構というな・・一度見ただけではみたとはいえないくらい、見どころがいっぱいでした続く
2013/10/11
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6月25日施設にいる母を見舞ったあと、歩いてみた焼き物の街益子の続きですぶらり益子の街歩き 1紺屋の日下田邸をあとにしてぶらぶらと歩いていると陶芸メッセの看板がなにがあるのかなと階段を上っていくと美術館と旧濱田庄司邸時間がないというか、それを目的で来ないとみてもわからないだろう美術館はパス奥にある、濱田庄司氏が母屋として使用していた家屋へ英国滞在などから、よい作品が生まれるのは、健やかな生活からと田舎暮らしに憧れて、東京に近いのに純粋な土地柄の益子を選んで移り住んだとか江戸時代後期の建物で、昭和5年に買取り移築されされたもので基本的な間取りをそのままに手を加えて使用したというこの地の少し先の道祖土(さやど)には、主に来客者宿泊用に利用されていた離れがあり、現在は参考館として濱田氏が収集した作品を展示しているそうだが、そこまではたどり着けなかった益子焼きは、江戸時代末期、茨城県の笠間で修行した大塚啓三郎氏なる人物が窯を開いたのが始まりで、主に日用品の水瓶、火鉢、壺などが造られていたが、濱田氏の花器、茶器の発表、「用の美」を推進する民芸運動により、全国に知れ渡るようになったとか現在は400を超える窯があり、大半の人は益子町以外から移り住んできた人達だそうな東日本大震災で被害が大きかったニュースは何度も目にしていたが、街を見る限りでは爪あとは感じられなかったかな土間を板張りにして囲炉裏を切り初期の頃は、ガラス戸の前に2基のろくろをおいて、作陶をしていたそうな土間に据えられたかまど機織り機濱田氏婦人は、ろくろの上の中2階で機織りをしていたとか居間登り窯益子焼きのシンボルは、斜面を利用してつくられた登り窯東日本大震災で、最大の被害は登り窯だったとか街のほとんどの窯が壊れて、今はその面影はないが、大勢のボランティアなどの協力で修復されたとか登り窯旧濱田邸の母屋からネジバナ(捩花)旧濱田邸の庭にたくさん咲いていました旧濱田邸を出て、ぶらりぶらり目についた歩道のマンホール陶器の街ならではですナツツバキ(夏椿)別名/シャラノキ(沙羅の木)ヒメシャラの街路樹の他にもあちらこちらにシャラノキもたくさん咲いていますヒメシャラトンボちゃんナンテン(南天)の花アカンサス園芸種だったけど、花言葉が芸術、巧益子にはぴったりの花なのかなアカンサス古民家を利用した民芸店個展の展示室は室内も上がることができました益子焼窯元共販センター5月と11月に陶器市が開催されるそうです500のテントが繰り広げられるとか昔ながらの益子焼の代表的な壺が並ぶ共販センター入口店内は撮影禁止濱田庄司氏はじめ、名だたる陶芸家の作品が販売されていました陶芸教室があり、体験したい気持ちもあったけど歩き疲れてヘトヘト・・・一周の街歩きの半分も歩けなくて施設から歩き出してほぼ5時間、山歩きと違って平地歩きは疲れます4時を過ぎて、駅に戻るのも・・・疲れた~うーん無理~ってなことで宇都宮行のバスを待って帰途に母の見舞いの帰りながら、久々の故郷栃木の街歩きでした機会があれば、また益子を訪れて回れなかった街歩きの続きをしてみたいな完
2013/06/28
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6月25日施設に入所した母の見舞いに、栃木県真岡市へ車社会の現在、公共交通機関を利用して移動するのは大変ですネットで施設のアクセスを確認するとバス停から5分、そのバス停を調べてもなくてバス会社に確認すると一番近いバス停を教えてくれたけど、本数も少なくどうもそこからは歩ける距離ではないらしい、施設に電話すると真岡駅からタクシーがわかりやすいです真岡駅に行くルートはいくつもあるけど、バス利用だと乗り換え時間が読めないため、乗り換え検索でヒットした電車乗り継ぎルートで行ってみることにしました京成線ーJR総武線船橋駅ーJR西船橋駅ーJR武蔵野線南流山駅ーつくばEX守谷駅ー関東鉄道常総線下館駅ー真岡鐵道真岡駅初めて降り立った真岡駅イベントSL列車が走る真岡鐵道駅舎がSLのイメージになっています真岡鐵道を走る列車、1両か2両で走ります3時間かかって着いた真岡駅、交番で道を訪ねてみても、やっぱりバス便はないようでタクシーで施設に向かいました寝たきりになった母、まだ入所したばかりでしたが、やせ衰えた体には床ずれが施設では、定期的に体位を変えてくれているようですが・・・体位を仰向けにするとき、トイレに行くとき車椅子に座るときに痛がるようです、ベットをエアマットに換える準備をしてくれていました。兄夫婦は、施設に入れて安心したのか、施設には行っていないようです冷たくなっている手を摩りながら、話しかけても理解できていないようで小さなミカンを3粒ほど、口に入れてあげたけど、もういらないとそれでも3度の食事は全部食べるとか、介護士の話だと歳の割にはしっかりしてますよ2時間ほどいて、帰りは駅まで歩いてみました途中の小さな公園に栃木県指定天然記念物という「太子の笠松」がありました大きな通りへでれば、どこかにバス停はないかと・・見つけたと思ったら1日1本ほとんど歩いている人がいませんが、歩き疲れて1時間半、なんとか駅までたどり着きました1時間に1本の電車は出たばかり、時刻表をみていたら反対方向へ4駅先に「益子」せっかくだから行ってみようかな焼き物の街 益子小学生の遠足で行ったことがあるが何十年前のことだろうその後、一度だけ行った記憶があるけれど、いつだったか記憶さえないもちろん列車で行ったことはない駅に降り立つとレンタサイクルもあったけど歩いてみよう街路樹のヒメシャラが咲いています街角に素焼きの置物作陶のお店?通りに面して鹿島神社益子の祭の山車 田町屋台毎年7月23日~25日の3日間開催される祇園祭6町会の山車が練り歩いて鹿島神社に集結するとのこと黒漆に彫刻の立派な山車です田町山車内町屋台暑くて傘を差していて、ガラス越しに傘が写っています旧日下田邸昔は庶民の藍染今は世界のジャパン・ブルーの藍染伝統を200年守り続けています藍を発行させる甕場東日本大震災の被害が大きかった益子この甕場も被害があったそうなタデアイ(蓼藍)藍は何種類もありますタデアイの花インドアイ(インド藍)別名/西洋駒繋ぎ旧日下田邸の看板のお庭にホタルブクロが咲いていましたPCの調子が悪くて、出勤時間になってしまいましたのでもう1日続きますやっぱりPCの購入を考えてみる必要がありそうです
2013/06/27
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5月21日認知症の母が転倒して大腿骨骨折で入院している病院へ駅から歩けるかと調べもしないで行ったら、看板も見当たらないガソリンスタンドで聞いたら・・・その信号を右に曲がって、ずっと、ずっと、ずっと、ずっとーーー歩いて行くと左側に・・歩いても、歩いても看板すら出てこない一本道、間違えるハズはないのに他の病院の案内板は出ているのに汗ダラダラで歩くこと1時間、ようやくありました。大きな病院なのに案内の看板がどこにも見当たらなかったこれなら最初からタクシーで行くべきだった個人情報保護法の観点から、病室に名札を掛けず、受付でも病室を教えてもらえないとのことあらかじめ姉から聞いていた病室へ行ってみると別の患者さんそこへ看護師さんが通りかかり、病室を移ったとのことで、母の病室へ小さな母が、一回りも小さくなってベットに横たわっていましたばあちゃん、○子だよ4月に行った時には、娘がわからなくても頓珍漢ながら会話ができたのにお世話になります。お世話になります。もう会話にもならない・・・昼と夜が逆転していて、昼間寝て、夜に目が覚めて看護師さんを呼ぶらしく大部屋にはいられなくて個室へ移ったというhimekyonが行ってまもなく眠ってしまいました車椅子と靴があり、リハビリしているようだけどガリガリに痩せた足、立って歩けるようになるのだろうか今は長くは入院することができないそうで、転院先を探さなければならないが認知症のある患者の受け入れは難しいとのことこの状態では、兄夫婦は面倒をみられないだろう、母を受け入れてくれるところはあるのだろうか・・・8月がくると98歳父が弱くて、自分を犠牲にして、苦労して苦労して、生きてきた人生大事にしてきた兄からも疎まれて最後の最後まで安らぎのない人生なのだろうかあとホンの少しの人生を優しく見守ってほしいと願うしかない母のような生き方はしたくないと反発して生きてきた親不幸して、親孝行をしないままここまで来てしまった人一倍、子を思いやる母なのに、その血を受け継がず息子たちに辛い思いをさせてしまった1時間も歩いてたどり着いた病院、近くには郊外型大型ショッピングセンターがあり、隣の駅からシャトルバスが出ている帰りはシャトルバスを利用しようと歩いていると一面真っ白な公園、近づいてみるとシロツメクサとキツネアザミ(狐薊)が咲いていた
2013/05/27
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4月1日施設にいる母に会いに行った帰り、寄り道した渡良瀬遊水地午後4時過ぎ、広大な遊水地を回ることができず、駅から一番近いところをちょっとだけめぼしいお花には出会えませんでした。谷中湖の辺は、少し藪になったところがあり、以前行った時のイメージとは違っていました広大な遊水地に広がるヨシ原東日本大震災以来、放射能汚染問題で中止していた早春のヨシ原野焼き今年、3年ぶりに規模を縮小して再開されたそうですヨシ焼きをすることにより、病害虫が駆除され、また大きな樹木が育たないため渡良瀬遊水地に生育する貴重な動植物たちも生きることができるといいますまた、ヨシは夏の涼に欠かせないヨシズの原料でもあり野焼きをすると良質なヨシが芽吹くといわれています確かに震災前に訪れたときから比べると荒れた感じがします渡良瀬遊水地自体は自然のものではなく、群馬県、栃木県、埼玉県、茨城県にまたがる広大な土地に目的は洪水を防ぐためとの名目で、造成されましたが、明治時代初期の足尾銅山鉱毒事件をきっかけに無毒化するためのものとされています国会で足尾銅山鉱毒を訴え続け、明治天皇に直訴したりと足尾銅山鉱毒事件と関わって生涯を閉じた田中正造氏がいましたその120年後の今、放射能という目に見えない恐怖に侵されている日本があります(画像は全部ピントがあっていません・・)ノウルシ(野漆)トウダイグサ科の植物で、池や沼のほとり、湿原の明るく湿ったところに生えますが河川敷の開発や埋め立てなどで、いまは絶滅危惧種に指定されています葉や茎を切ると白い液体がでて触るとかぶれることから漆に例えたとか丸みを帯びた内側お囲むような形をした葉の中に花がつくので杯状花序というそうですこの仲間には、高山や尾瀬に咲くハクサンタイゲキがありますハクサンタイゲキ(白山大戟)別名/オゼヌマタイゲキ(尾瀬沼大戟)ミヤマノウルシ(深山野漆)去年7月尾瀬ヶ原に咲いていました~~~~~~トウダイグサ(燈台草)こちらもトウダイグサ科の植物です同じ日、母のいる施設のそばの荒地に咲いていました 燈台は部屋を明るくする燭台のことで花の形がお皿の上に燈芯を立てたような形にみえるところからついたとかナツトウダイ(夏燈台)同じトウダイグサ科の植物です3月に高尾で撮ったもので重複していますが同じ種類なので再掲載です蜜が出る器官を腺体といい、三日月型をしているのは夏燈台だけですタカトウダイ(高燈台)去年の8月千葉成東にて撮影したものこちらもトウダイグサ科夏燈台に似ていますが蜜腺は三日月型はしていません寄り道大好きのhimekyon、そこだけにという選択ができずにいつもどこかへ行くついでの中途半端になってしまいます。バタバタと短い時間ながらも、少しだけ収穫があった渡良瀬遊水地でした三度目の正直ではなく四度目は、渡良瀬遊水地を目的に歩いてみたいと思います桜満開木通の花野辺の花野鳥と茱萸の実完
2013/04/21
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4月1日施設にいる母に会いに行った帰りに立ち寄った渡良瀬遊水地夕方遅く、広大な遊水地のほんの入口しか歩けませんでした珍しい野鳥さんを見つけたわけではありませんが・・・画像もボケボケで、載せるほどの写真を撮っていませんが・・・ウグイス(鶯)ヨシ原に鶯の声が・・近い、近い、どこだろう~いた、いた、いた~しかし、よしの茎が邪魔をして頭が隠れちゃってますホオジロ(頬白)こちらもヨシの茂みの中に鳥のさえずりを言葉にかえることを聞きなしといいますホオジロは「一筆啓上 つかまつり候」とか「源平つつじ白つつじ」himekyonはさっぱりわかりませんヤマガラ(山雀)人懐こくて、手のひらから木の実などを食べに来ることも学習能力があり、平安時代から専用かごで買われていたとか江戸時代から神社の境内でおみくじの芸をさせていたとかヤマガラカラスの巣?怖いぐらいに群れをなしてカラスが鳴いていたので多分夕暮れ6時ねぐらへ帰るサギナワシログミ(苗代茱萸)?の実藪化した谷中湖湖畔茱萸は何種類かあるけどこの時期実になるのはなんだろう夏茱萸、秋茱萸、苗代茱萸、唐茱萸、蔓茱萸・・図鑑を見ると茱萸に種類がいっぱい今頃実になるのは苗代茱萸かな?ナワシログミ?田植えの頃に赤い実がなることから苗代茱萸
2013/04/20
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4月1日ショートスティにいる母に会うためにふるさとへ帰りに寄り道した渡良瀬遊水地午後4時を過ぎて広い遊水地のほんの一部しか歩くことができず花という花には出会えませんでしたわざわざ渡良瀬遊水地へ寄り道してまで撮る花ではないですねどこにでもある雑草といわれている花ばかりです桜満開木通の花オオジシバリ(大地縛り)別名/イワニガナカントウタンポポ(関東蒲公英)日本たんぽぽをみつけると嬉しくなって写真を撮りたくなります頑張ってるねスズメノエンドウ(雀の豌豆)スズメノエンドウ(雀の豌豆)の繁茂カスマグサとの違いはどこだろう・・カラスのエンドウ(烏の豌豆)ナズナ(薺)とヒメオドリコソウ(姫踊子草)の繁茂ナズナナズナ子供の頃はペンペン草といい実を鳴らして遊んだ記憶がありますスイバ(酸葉)別名/スカンポハナイバナ(葉内花)?orキュウリグサ(胡瓜草)トキワハゼ(常盤はぜ)ツメクサ(爪草)爪草
2013/04/18
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4月1日ショートスティの施設にいる母に会いに行った帰り道寄り道した渡良瀬遊水地午後4時を過ぎて、訪れる人もほとんどいない遊水地にカラスの集団の鳴き声だけが響き渡ってちょっと不気味でした前の日記・桜満開アケビ(木通)葉っぱが3枚のミツバアケビと葉っぱが5枚のアケビがありこの木は葉っぱが5枚のアケビですこちらはまだ蕾のミツバアケビ続く
2013/04/17
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4月1日昨日は、ショートスティの施設にいる認知症の母に会いに行ってきました宇都宮は桜が満開でした施設の近くの小さな公園の桜97歳こんなにきれいな桜が咲いているのにわかりません娘のhimekyonのこともわかりません気丈だった母がこんなになってしまうのですね陸上自衛隊、航空自衛隊がある故郷の地ヘリコプターの飛行訓練のようで、一定時間ごとに何回も何回も・・帰りはまたまた寄り道です渡良瀬遊水地へこちらも桜が満開でした夕方4時すぎ、風も冷たくなってきました駅に戻る途中の小学校の桜6時半近く・・真っ暗、だれも歩いていませんでしたタイトルを入れてなくてUPしたら消えてしまいました出勤時間になり、文章書き直しする時間がなくなりましたので写真のみです
2013/04/02
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9月21日季節はずれですが・・・父のお墓参りのあとに寄り道した渡良瀬遊水地いつものことながら、家を出るのが遅くなってお墓参りが済んだのが2時近くやめればいいものを、やっぱり寄り道したくなりました電車を乗り継いでたどり着いたら3時半すぎ5時には門が閉まってしまうようで、ゆっくりお花探しとはいきませんでした一面のそば畑ソバ(蕎麦)の花意外なところにヒヨドリジョウゴ(鵯上戸)メドハギ(蓍萩)?アメリカタカサブロウ(亜米利加高三郎)在来所のタカサブロウを探しているけれど・・・今回も帰化植物のよう在来種の種には翼があるというキツネノマゴ(狐の孫)イシミカワ(石見川・石実皮・石膠)ブルーや紫、ピンク色に色づいて綺麗な実ですイシミカワヤブマメ(藪豆)ヤブツルアズキ(藪蔓小豆)アイノコセンダングサ?オオニシキソウ(大錦草)ダンドボロギク(段戸襤褸菊)ウリクサ(瓜草)?ウリクサ?アゼナアゼナ(畔菜)?チョウジタデ(丁子蓼)?チョウジタデ?と蟻マルバルコウ(丸葉縷紅)カラスノゴマ(烏の胡麻)カラスノゴマワタラセツリフネソウ(渡良瀬釣舟草)ネットで検索すると、ツリフネソウの新種で渡良瀬遊水地にあるのはすべてこの種とのことヒメアカタテハ?イチモンジチョウ(一文字蝶)?ねぐらへ夕日あっという間に日が落ちて駅に着いたときには真っ暗いつも思うこと家を早く出れば、もっともっとゆっくりお花探しができたのに・・・ 大雑把のO型人間・himekyonは、細かいところを観察できませんいつも名前が特定できなくて?だらけの日記です間違っているものはぜひ、ご指摘くださいね
2012/11/08
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8月2日てくてく歩いた日光仏閣巡り観光が目的でも、花に目が行くhimekyonお花もいっぱい見つけました、思わぬところで見つけると感動もひとしおです明るいところで撮ったのはなんとか見られるものの、小さな花、暗いところのは、何度撮り直してもブレブレ・・・家に帰るまで気がつきませんでしたが、カメラをチェックしたら・・・手振れ防止がoffになっていました、ドジなhimekyonですぐ・や・じ・い・・・ イワタバコ(岩煙草)石垣に1株発見したときには驚きと感激が一緒になって!!!!!Sさんは花に興味がないけれどhimekyonが花好きなのを知っているのでよかったね!!って・・・苔にイワタバコ岩についたイワタバコイワタバコ一つ見つけると次から次と目につきます帰るまでに一番たくさん目にしたのがイワタバコだったかもしれませんそれほどたくさん咲いていました、トキワナズナ?(常盤薺) 別名/ヒナソウ(雛草)多分あっていると思うけど間違っていたらコメントをお願いします春に咲く花、この1輪は、咲き残りでしょうか・・・北米原産の外来種ですなぜ、日光に?ネットで検索すると明治時代、アメリカの貿易商が日光に別荘を建てた際運んできた荷物の破損を防ぐために、木箱の隅々に草などを詰めてきたといいその中に混じっていたのではないかと・・日光の気候が合ったようで春にはあちこちで群生して咲くそうですhimekyonも数年前、40年ぶりに姉と日光中善寺湖と田母沢旧御用邸を歩いたときにたくさん見かけましたコバギボウシ?(小葉擬宝珠)ネジバナピンクのきれいな1輪だけが咲いていて何度も撮り直したけど色がでませんでした・・・ピンとも合っていませんやっぱり手振れ防止がoffは痛かったそれよりもこんなときは三脚もほしくなりますが、この日の目的は、寺社巡りで目的が違いますので・・・ミヤマタニソバ?(深山谷蕎麦)これも同定できませんが、たぶん・・・ハシカグサ?石垣に這って咲いていたの同定できませんが・・・・フタバオイ(二葉葵)葉っぱが葵のご紋に似ているからですさすがに東照宮葵のご紋がいっぱいこれは植栽?それとも自生?家康公の廟所への階段脇に群生ですのでどうなのでしょうか?花の時期は終わっていますキッコウハグマ(亀甲白熊)白いかわいいお花が咲きますがこの花茎は閉鎖花(花が咲かずに種ができる)でしょうか・・・なかなか花に出会えないキッコウハグマですハグマとつく植物は、背丈が高いものが多いと思いますがこのキッコウハグマは、小さな植物です葉っぱが亀の甲羅に似ているからですミゾホオズキ(溝酸漿)こちらもあちこちで見かけましたうっそうとした杉林で、山から冷たい水が湧き出して、湿気がほどよくあるので生育しやすいのかもしれませんねニガナ(苦菜)トチバニンジン(栃葉人参)の実が赤くなっていました ヤマユリ(山百合)杉の大木の下に咲く山百合、周りに香りが漂っていましたヤマユリ(山百合)あちこちに咲いているヤマユリ、そばへ寄るといい香りがしてきますヤマユリ(山百合)これは植栽ですが、それでもたくさんの花をつけてみごとな山百合ですキササゲ(大角豆・木豇豆)水気を多く含むために雷よけの木ともいい、徳川綱吉が植栽したといわれていますキササゲは花が黄色いとのこと、これは白いのでアメリカキササゲかもしれません蝉の抜け殻まだ蝉時雨とまではいきませんが・・・これからは賑やかになりそうです苔に一葉の紅葉が・・・秋の紅葉の季節もいいですね 目的の観光もたくさん写真を撮りました。いつかUPできる日があれば・・・完
2012/08/04
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8月3日てくてく歩いて6時間、疲れました~昨日は、山友Sさんと、日帰りで日光・寺社巡りの観光へ行ってきましたたまには観光の1日もいいものです。東照宮・陽明門 Sさんとは、2000年の夜明け「新年は西穂山荘で」山行ツアーで、知り合って以来12年来の山友さん、数年前、北岳の下山中に転倒して骨折、4ヶ月入院してから、ハードな山歩きができなくなっています。来春で70歳、もっぱら、ツアーでお遍路さんをしたり、海外旅行へ行ったり、最近は年に2.3回会うだけのお付き合いになりました。仙台に牛タンを食べに行ったり、鎌倉へ豆腐懐石を食べに行ったり、最近は「格安ふぐ懐石」が続いて、半年振りの再会そろそろ、どこかで会おうか~とメールしたら、深大寺はどう?この猛暑のなか、とても都内は暑くていや、少し遠出で日光あたりは?himekyonの思惑は、中禅寺湖あたりか、奥日光をぶらりの思惑だったけど1日かけて神社仏閣めぐりをしたいと・・・下界と暑さは変わなそうと思いつつも、まっ、いいかっ、新宿駅=東武日光駅-バス…大猷院…二荒山神社…東照宮…輪王寺…神橋……金谷ホテルで軽食…東武日光駅=浅草駅JR特急「日光1号」行きは、Sさんが出やすいように、新宿からの特急を設定何年か前から、東武線にJRが乗り入れるようになったけど、高い!!往復200キロ超だから、「大人の休日倶楽部」が使えるかと思ったら乗り入れだから使えない、さすがに往復利用は考えてしまう・・・帰りはSさんが金券ショップで浅草までの安い切符を購入していて東武線(スカイツリー線に改称)で浅草へ三代将軍家光公の廟所・大猷院東武日光駅の観光センターで、最後を金谷ホテルにするコースどりを確認したらこのコースどりが一番スムーズに廻れるということでまずは、世界遺産めぐり循環バスで西参道へ朝10時、観光客はまばら、平成27年家康公400年に向けて、あちこち平成の大修理中大猷院も修理中でした鳥居をくぐって二荒山神社へ広い境内はすでに観光客でいっぱいになりつつでした二荒山神社東照宮・「みざる・きかざる・いわざる」眠り猫の裏側は雀・世のなかが平和でありますように東照宮奥宮・家康公廟所東照宮・五重塔特別公開 スカイツリーにも利用された「心柱制振」が平衡を保っている凄さ!床下の心柱 スカイツリーとほぼ標高が同じ場所で ちょっとお茶休憩平成の大修理 輪王寺・三仏殿修理内部です見学できる修理現場、7階まで登って、日光市街俯瞰神橋は時間切れ、渡ることができませんでした 金谷ホテルでコーヒーブレイクの予定が、時間も4時半を過ぎていたので軽く食事を鴨肉カレーセット2520円高い!?車窓からの夕焼けボケボケです車内で飲むのは初めて心地よい揺れにほろ酔い気分のhimekyon疲れたけど楽しく歩けた1日に乾杯! どうもほとんどがブレブレ、変だなと思ったら、手振れ防止のスイッチがoffになってました700枚近く撮っているのに使えるのはわずか・・・泣けてきます(ーー;)たくさんのコメントをいただいたフォ○蔵さん、himekyonだけではなかったようですね。夕べも相変わらずでした。画像登録ができず、朝バタバタのUPです
2012/08/03
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6月7日8日千葉県自然観察指導員研修で那須へ行ってきました主目的は、去年5月にオープンした那須御用邸の一部を一般に開放した「平成の森」の「学びの森ゾーン」の自然観察会参加でした。1日目は沼ッ原湿原自然観察、2日目は平成の森「学びの森」インタープリターによる観察会宿泊は、国民休暇村那須朝4時22分の日の出すっきりとは行きませんでしたが、朝3時半起きして撮りに出てみました小丸山展望台からうっすらと雲が赤くなりましたが・・休暇村駐車場からの朝日月と那須の山那須連山朝の朝日岳雲那須ロープウェイ山麓駅那須岳ロープウェイ山頂駅弁天橋と那須岳 写真の整理が追いつきませんのでおいおい・・・
2012/06/09
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那須に来ています。鶯が鳴き清々しい朝です今回は登山ではありません
2012/06/08
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2月3日日光・雲龍渓谷へ長年の思いが叶った氷爆の雲龍渓谷想像をはるかに超える、自然の造形美に圧倒された1日でした プラネットさん提供の画像です氷爆!雲龍渓谷を行く1氷爆!雲龍渓谷を行く2氷爆!雲龍渓谷を行く3いよいよ核心部ですこれは想像を絶する大氷柱群ですもう、言葉がでませんプラネットさん提供の画像です氷柱の中に入りますガイドさんから、いつ崩れるかもわからないので、氷柱の真下には立たないこと注意を受けて、おそるおそる中へ下はガチガチに凍ってツルツル12本爪アイゼンが効きます、でもやっぱり怖い!気温が上がると解けて落ちて固まって、また落ちてを繰り返す解けて落ちても一晩でまたもとの大きさになるそうなその年によってできる場所が違うので、歩く場所も変わってくるというこれだけの氷柱群安全?に見られるのは限られていて1月下旬から2月初めだけだとか完全結氷の雲龍爆高さ150m3段の滝1月29日には、栃木県警察日光署と栃木県山岳救助連盟の30人が雲龍爆で救助訓練をしたというサブガイドごろすけさんからアイスクライミングの人が見えますよ~望遠にしてみたら・・いました~一人で登っているけどロープの確保もしてないで大丈夫なのかな?初心者はここまででUターン中級以上の人はこの奥まで行けるそうだけどピッケルが必携になるという来年は中級コースも募集するという行ってみたい!!ごろすけさんからみんなここで最後に振り返って別れを惜しむんですよ見返り美人ではなく見返り渓谷偉大なる自然ありがとう~さようならまたきますね~堰堤を登り返してお昼ごはん雲龍渓谷に別れを告げて帰りは危険回避で林道を歩いて戻りますプラネットさん提供の画像ですガイドさん、前日も同じコースを案内しているとか氷点下6度で、強風で凄く寒かったそうそのあと雪が降ったようで、林道には雪がラッセルして歩きます。珍しい標識です今は赤薙山といわれている山大正時代は赤那岐山と言っていたようです木々の間から日光市街が奥は群馬の山並とか尻セードは楽し~九十九折の林道をショートカット楽しみながら下りました危険なこともありましたまず、ち○るさんがアイゼンをひっかけて転倒しばらく歩いていると・・いきなりhimekyonの足がとられ・・うっ!顔面から雪の中に突っ込みましたなんだ、なんだ、まっすぐ降ろしたはずのアイゼンの前爪が刺さって前にのめり「家政婦は見た!」状態で、一瞬宙に浮いたように突っ込んだとか・・・もうびっくりなんてものではありませんでした。危険なところではなかったものの一歩間違えたら・・・慎重に歩いていたはずなのにちょっとした油断だったのかな・・・土石流の痕跡山の斜面がそっくり落ちています日向砂防ダムを渡ります崩れた斜面がダムを埋め尽くして、川の水は下を流れています女峰山砂防ダムを渡りきると今回の最大の難所の急降下がありました土砂流出を防ぐネットを引っ掛けないようにトラバースすると長い長い急斜面が・・・ようやく朝の出発点に無事たどり着きました6時間よく歩きましたね~帰りの列車の中から日光連山の女峰山・赤薙山雲龍渓谷は両山の中腹にあります 完
2012/02/08
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2月3日 日光・雲龍渓谷10年ほど前に知り行ってみたいと思っていたけど、一人では行けるところではなく、やっと念願がかないました。去年「山と渓谷」の雑誌に取り上げられて今や大ブレークの雲龍渓谷土日ともなれば狭い渓谷に100人以上の人が列を作って見学とか・・しかし、渓谷とはいっても標高1500m、危険が伴うため、アイゼン、ヘルメット、場所によってはピッケルも必携です何度も渡渉を繰返しながら、稲荷川を遡り、たどり着いた氷爆、自然の造形美にただただ圧倒された感動の1日でした 氷爆!雲龍渓谷を行く1氷爆!雲龍渓谷を行く2寄り道した早川谷の巨大氷柱氷柱の内部氷柱の中に入りましたガイドさんのニックネームが「ころすけさん」サブガイドさんが「ごろすけさん」ごろすけさんから、つららを食べるとおいしいですよって~ほんと?食べられる?ポキッ!ヒャー冷たい!うんうん、おいしい~ 純氷です凍った岩を飛び越えますストックで安全確認しないと落っこっちゃいます・・・さてさて本日、初めての本格山登りですどこまで登るんだろうあちこちで氷柱が見られますヒャ~登りついたら雲龍渓谷がどーんと目の前にプラネットさん提供の画像ですいよいよ核心部へ向かいますせっかく登ってきたのにまたまた堰堤脇の階段を下ります上のほうは陽が差しているのに、雪がちらついていますわー見えてきましたガイドさん、あれがそうですか?いえいえ、あれは「友知らず」というんですよまだまだワクワク!!わー、氷柱の塊だ~足元はガジガジに凍ってるすぐ下が川落ちたら・・・・慎重に慎重にでも上を見たいよね~あっ、見上げたら岩が落っこちてきそう・・・2年前ち○るさん夫妻と歩いた裏磐梯のイエローフォールも凄かったけどここは渓谷全体が氷爆になっている凄い、凄い、凄い・・・この言葉しかでてきませんその年によって氷爆のできるところが違うとか歩くところも右になったり左になったりと・・氷のカーテン~おばけくらげつらら解けて凍って、また解けてこんな形になりました~カーテンの向こうにまだあるよ~ もう少し続きます
2012/02/07
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2月3日寒波襲来で連日の寒さのなか、氷爆を求めて日光へ寒さならではの氷爆10年も待ち望んていたんだもの、寒いなんて言っていられない!! 早川谷の氷爆雲龍渓谷東照宮の東側を流れる、日光連山の女峰山を源流とする稲荷川粗い堆積岩でできている山肌は水を含むと一気に崩れ落ち、土石流が発生するため、昔から暴れ川と言われて、すでに大正時代から砂防ダムの工事が続いているといいますその上流部にあるのが雲龍渓谷1月下旬から2月初旬までのわずかな期間、岩肌からしみ出る水が凍って渓谷全体に氷爆が現れます。しかし、わずかな気温の変化にも氷爆は崩れ、危険と隣り合わせています。今回は、鬼怒川でアウトドアのガイドをされている「ネイチャープラネット」さんのツアーに参加することになりました。朝6時20分発の東武日光行きの電車に乗り、北千住でち○るさんと合流、一路日光へ寒さが厳しく空気が澄んでいるからか、車窓からは、富士山、筑波山、浅間山がくっきりとみえました。しかし、日光へ近づくと男体山、女峰山、赤薙山の山頂部はガスがかかっていますもしかして雪が降っているのか・・・8時26分、東武日光駅に着くとガイドさんがお出迎えhimekyonたちのほかに埼玉からの5人グループが参加で、サブガイドさんをいれて総勢9名で出発、あとでわかったことですが、今回は偶然にも参加者全員60歳以上でおひとりが70歳とか、驚きの老年パワーです。ゲート行きは左にある林道を登っていきます車がすれ違えないほどの狭い道路をゲートまで車で移動2台のタクシーとすれ違い、ガイドさんいとも簡単にバックしてタクシーをかわします。このタクシーも氷爆のお客さんを運んでの帰りでしょう・・・土日には道路の両脇は車の行列で、100人ぐらいが入山して氷爆までは大渋滞になるとか林道を1時間半歩きますまずは、舗装された林道を1時間半歩きます。陽も差して道路の凍結もやわらぎ、滑ることなく歩けました。日向砂防ダム展望所までくると、女峰山、赤薙山の山並みが見渡すことができます日向砂防ダム展望所帰りはあの下の砂防ダムを渡って戻ってきますからね~少しづつ道路にも雪が増えてきて、渓谷入口の洞門岩に着きました。ここからはアイゼンをつけます。川へ降りて渡渉を繰返しながら、川を遡りますアイゼン装着です頭にヘルメット、足は12本爪のアイゼン完全武装のhimekyonですちょっと雲行きがおかしくなってきた・いよいよここからが本番洞門岩にびっくりするほどのつららがびっしり・・・凄い!感激の声をだすもいえいえ、序の口ですよ~もろい堆積岩が今にも崩れ落ちそうです稲荷川を渡渉しながら遡ります今回は山登りというほどではありませんが、それでも徐々にきつい登りや下りがでてきました。アイゼンをつけての登り降りは大変です。最初の難関の堰堤越え、アクロバチックに狭いトラバースの綱渡り~最後は木の幹に抱っこして渡り終え全員無事に通過堰堤を流れ落ちる水は巨大な氷のドームになり、中を水が流れ落ちています水の流れには氷に模様が~凍っているところを飛び越えて渡りますが一人落ちましたそれでも、氷の状態はよいので飛び越えるのは楽です蛇行した早川谷にも巨大ツララ荷物を置いて見物です 続く
2012/02/06
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昨日は、山歩きを始めてから長年の夢だった日光・雲龍渓谷へ凄い! 最高!感動!感動!感動!言葉を知らないhimekyonですしかし、言葉はいりません。これだけで充分です 興奮冷めやらぬhimekyonです往復6時間 歩いた甲斐がありましたこの自然の造形にただただ圧倒されました「12本爪アイゼン、ヘルメット必携」のガイドツアーち○るさんと一緒に参加しました1月のち○るさんの展覧会のあとで日光に滝が凍るところがあって行きたいと思ってるんだけどち○るさんからの話で、もしかして、それ雲龍渓谷じゃない?himekyonも行きたかったのよ、でもひとりでは行けるところではないし毎年行きそびれて、もう10年くらいになるかなじゃ、行ってみようか平日のツアーがみつかったよ~去年、旦那とそのツアーに参加しようとしたんだけど、那須へ行く途中だったから時間的に無理であきらめたのじゃ、そのツアーにしよう~とんとん拍子で決まっての参加になりました。今回クライミングはありません~ 昨日は早朝4時起きでの出発流石に眠いです続きは後日に
2012/02/04
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11月1日の表日光霧降高原流石に咲いていたお花はほとんどありませんでした撮ってきたものは日光だけに咲く花というのではなくどこでもみかける花ですが・・・ 山の中には咲いていなかったリンドウ霧降の滝をあとにして日光駅へ歩いていたときに一輪見つけたら・・ススキの中にたくさんみつけましたハナタデ(花蓼)サクラタデの葉の形が違ってましたノコンギク(野紺菊)シロヨメナ(白嫁菜)でいいのかな?別名/ヤマシロギク「日光の花」ではシロヨメナの別名がヤマシロギクになっているが「野に咲く花」図鑑をみるとイナカギクの別名がヤマシロギクになっている日光では鹿が食べないので増え続けているとか・・・ノハラアザミ(野原薊)ゲンノショウコ(現の証拠)ゲンノショウコの実別名のミコシグサの由縁ヤマハッカ(山薄荷)ミズヒキ(水引)ウシハコベ(牛繁縷)クズ(葛)咲き残りですねフクオウソウ(副王草)今年は何度かみています地域によって、絶滅が危惧されているようですが・・・日光ではたくさん見かけましたヤクシソウ(薬師草)ムラサキシキブ(紫式部)オトコヨウゾメニシキギ(錦木)マユミ(真弓)マムシグサ(蝮草)の実わからない実もありました遠くてわからないけれどカマツカにも似ているような・・・ウメモドキにも似ているような・・・
2011/11/09
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11月1日に歩いた隠れ三滝マックラ滝三脚の取り付け器具クイックシューを忘れて手持ちで挑戦のマックラ滝何度撮ってもブレブレ、50枚ほど撮ったけど・・・・あきらめてマックラ滝を後にして、次の目的地へところどころ色づいている登山道モミジの紅葉が目立ちます近づくと、やっぱり葉っぱが痛んでます台風の影響だったのか、それとも夏の暑さのせいなのか・・それでもきれいに色づいていました玉簾の滝の展望台に着き東屋の手すりにカメラを固定して撮ってみたけどブレちゃってシャッタースピードを遅くできませんでしたあれ、人がいる・・・えー、近くまで降りられるの?どうやって降りたんだろう・・・東屋をあとにして、流れに沿って下っていくと小さなプレートが木の幹に付いていました前回、姉と来たときには見落としていたようです足場の悪い岩場を飛び石づたいに歩いて滝のすぐ近くまで行ってみましたやっぱりブレて、白い筋の滝が撮れませんでした小さな流れが勢いよく落ちて、弾けた水が光に輝いていましたがうまく撮れず・・・長い年月、水の流れに洗われて、剥き出しになった木の根逞しい!もう一息シャッタースピードを遅くできなかったかと・・滝の流れも、瀬を過ぎると穏やかな流れに見上げれば、空には雲が踊っているよう~ひときわ目立つ紅葉の先に丁子滝への分岐が新しい4本組の丸太が架かっていて向こう岸に渡り、少し登った先に丁子滝4年前は簡単に渡れたような・・ 2段滝の下の滝ロープを伝って降りないと下の滝が見えない残念ながら水の流れの中に入らないと全体の滝は見えないようだ隠れ三滝を後にして、霧降の滝入り口、つつじヶ丘へ歩きます途中、樹林帯が切れたところから日光連山が同定はできないけれど赤薙山、女峰山あたりかな・・・後ろの丸い山は男体山?位置が違うような・・・真っ青な空に長く尾を引いた飛行機雲11月に入った日光、寒いと思ったら汗ばむほどの陽気でした
2011/11/06
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11月1日の日光 霧降高原今年は台風の影響で奥日光・小田代ヶ原には小田代湖が出現したとのニュースで行ってみたいと思いながら、日程が合わず、紅葉は麓へと降りてきてしまいました思い立ってでかけたのは、霧降高原ドジなhimekyonは、三脚の雲台にカメラを固定するクイックシューを忘れて重い三脚は無用の長物になってしまいました。がっくりですが・・でもって折角の素晴らしい滝を手持ちブレブレで撮るっきゃありません・・マックラ滝日光三大の滝、華厳の滝、龍頭の滝、霧降の滝日光には他にもたくさんの滝がありますが4年前、姉と歩くまでは、霧降の滝の奥にある隠れ三滝の存在を知らないhimekyonでした水しぶきが凄くてこれ以上近づけません5つ違いの優等生の姉と落ちこぼれのhimekyonコンプレックスのかたまりのhimekyonは、世間のように姉と仲良く話したことがほとんどありませんでした。それでも45年前の高校生の夏、姉と日光裏見の滝と日光植物園に行ったものの喧嘩して別々に家に帰宅4年前の春、40年ぶりに日光中禅寺湖畔のイタリア大使館を訪れてわだかまりが解けその秋に霧降高原の隠れ三滝巡りをしました。翌年は、奥鬼怒へ行きたいねと話していた姉だったのに、足を悪くして普段の生活でやっと歩ける状態になってしまい、一緒に歩く夢は消えてしまいました。前回は、霧降の滝入り口から三滝めぐりをしましたが折角なので、霧降高原まで行き、丸山~大山を歩きながら降りてこようと・・・しかし、バス待ちをしていたら、前に並んでいたおじさんから、上の方は紅葉は終わってますよって聞いて軟弱himekyon、今回は、三滝入り口から逆周りで歩きました
2011/11/05
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昨日は最高のお天気 11月とは思えない寒さを感じない1日でした4年前、姉と歩いた霧降、隠れ三滝を歩いてみました。姉は足が悪くなってもう一緒には歩けなくなってしまいましたが、思い出の地を一歩一歩踏みしめて、歩きました。今回は20数年ぶりに霧降の滝も訪れてみました。霧降の滝は、2年前に亡くなった友達と訪れたところ、こちらも思い出の地でした。ところが、ドジなhimekyon、いつも急遽なお出かけ、前日は決算でバタバタしていてどこへ行こうか決めていませんでした、 天気予報を見て夜中にザックに荷物をつめて出かけたのですが、現地に着いて三脚をセットしようとしたら・・・無い!無い!!無い!!!三脚の雲台にセットするクイックシューがありません大きな三脚が持てないときに持つ小さな三脚の雲台が形状が違うため、クイックシューをはずして、別のザックに入れたままにしてしまいました。というわけで、折角滝を撮りに行ったのに、手持ちでの撮影になってしまいました。 霧降の滝からの帰り道バス停に行くと2時間もバスがありません駅まで歩くことにしました。歩くといいこともあります素敵なお宅をみつけました。勝手に写真を撮ってしまいましたが観光客を乗せた地元のタクシーの運転手さんも車を止めて、案内していたくらいのみごとな紅葉でした
2011/11/02
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10月14日地元の旅行会社のツアーに参加して那須へ紅葉を探しに行ってきました。今年5月に一般公開された「那須平成の森」まだ5分の色づきという紅葉でしたが、それでもきれいに紅葉していました。駒止の滝であった花と実ハイキングというよりもほんとに観光旅行です色づき始めた園内、少し傾斜した石ごろの遊歩道を30分ほど歩いて駒止の滝へ大きな木の紅葉真っ赤になるのはもう一息です緑色が少し残っている紅葉薄日が差しているもののきれいな青空ではないため、鮮やかな色がでません紅葉は、やはり太陽が大事な役割を果たしているようです先日訪れた北八ヶ岳・白駒池は、主にドウダンツツジの紅葉でしたがこの地は、モミジ、カエデが多いようですこの紅葉は、ハウチワカエデでしょうか森の中、いち早く色づき始めるツタウルシウルシでしょうかドウダンツツジの赤もありました太陽がほしいです大きなドウダンツツジの木も真っ赤になっていました
2011/10/17
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10月14日地元地域新聞に載っていたバスツアー「那須平成の森ハイキングと紅葉の那須ロープウェイ」駒止の滝今年5月から那須御用邸の一部が一般に公開されたばかり新たな名所になりつつありますが、車がないと行けませんバスツアーなど何年も参加していないのでちょっと抵抗があったけど、一人では行けないところにひかれて参加しました。手付かずの自然というイメージを勝手に持って、期待して行ったものの時期的なものなのか、それとも期待するほどの珍しい木や花はないのか・・・ごく普通の野草や雑草というものが咲き残っていました。一般無料開放「ふれあいの森」ではなく、有料ガイドゾーン「学習の森」には貴重な動植物が生息しているのだろうか・・春の芽吹きの時期に「学習の森」のガイドウォークをしてみたいと思うhimekyonです フクオウソウ(福王草)久々の出会いです初めてみたときは、シロバナニガナ?でも花が下向き、もちろん葉っぱも違うし・・・ネットの検索サイトで教えていただいたときに知らない花がたくさんあることを痛感しましたフクオウソウ三重県福王山で発見されたので山の名前から付いた名地域によっては、絶滅が危惧されているとかゲンノショウコ(現の証拠)ゲンノショウコ 別名/ミコシグサゲンノショウコの実実が熟すと割れて上の形になりますこの形がお神輿の形に似るのでミコシグサの別名がありますナギナタコウジュ(薙刀香?)?花穂が反り返って穂の片方だけに花をつけるので薙刀にみたてて付いた名ナギナタコウジュの花ナギナタコウジュの花ノコンギク(野紺菊)?この種のものは区別がつきませんイヌタデ(犬蓼)ノハラアザミ(野原薊)この時期はノハラアザミでいいのかなこの葉っぱ、ちょっと変・・・上の画像のノハラアザミのすぐ近くに咲いていました。たけぽさんから、クルマアザミではないかとコメントいただきました。図鑑には載っていませんでしたが、ネットで検索しましたらたくさん載っていました。ノハラアザミが変化したものだそうで、ノハラアザミの総苞は葉が変化したトゲがたくさんあります。それが先祖がえりで変化したのではと解説したものもありました。変種ではなく変化とありました。ありがとうございました。アキノキリンソウ(秋の麒麟草)ヤクシソウ(薬師草)ウマノアシガタ(馬の脚形)に似ているけど写真だけ撮って花以外みていませんでしたスカシタゴボウ(透かし田牛蒡)に似ているけど特定できませんダイモンジソウ(大文字草)イヌホオズキ(犬酸漿)ヤマトウバナ(山塔花)?イヌトウバナ、ミヤマトウバナがあるけど茎の先に花が集まっているのでヤマトウバナ?それともぜんぜん違う花?那須岳ロープウェー山麓駅に咲いていました。ヤマハハコ(山母子)那須岳ロープウェー山頂駅にドライフラワーになっていましたアオハダ(青膚)の実インタープリターのお兄さんに教えていただきましたアオハダマユミ(真弓)の実ガマズミ?コバノガマズミ、ミヤマガマズミがあるようですが・・・ヤマボウシ(山法師)帰りに寄ったお土産屋さんの裏庭にひとつだけ実がなっていました。おいしそう~食べられますが、食べたことはありません 限られた時間をできるだけ歩き回りたいと、お昼のお弁当はバスの中で食べましたごく普通にみられる、野草、雑草ばかりでしたが、春から夏はどんな花が咲くのかな1日かけて、学習の森を歩いてみたいです
2011/10/16
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昨日は久々にバスツアーに参加して那須平成の森へ行ってきました。今回はカメラの設定を間違えたようでシャッターが下りず、糸を引くような滝の流れがでませんでしたやっぱりツアーだと時間に忙しくてゆっくり写真を撮ることは難しいです日光国立公園「那須平成の森」昭和天皇のご成婚後のご静養の場として大正15年に御用邸として設置された場所豊かな自然を維持しながら、国民が自然に触れ合えるようにと、今生天皇のご在位20年を機に、御用邸の敷地半分が環境省に移管されて環境整備されたのち、今年5月に一般公開されました観瀑台からの駒止の滝入り口のフィールドセンターからゆるい上り坂を30分落差20mの駒止の滝高さ10mの観瀑台からはるか下を見下ろしますこの観瀑台ができるまでは、幻の滝といわれていたそうです那須平成の森車でないと行くことができない場所地元の地域新聞に掲載されていた、地元トラベル会社のツアー観光旅行のツアーは苦手ですが思い切って参加してみました今年3度目の紅葉を求めての旅3度目にして、素晴らしい紅葉にめぐり合えましたこれでもまだ5分の色づきだそうです 那須平成の森は一般無料公開の「ふれあいの森」とガイドゾーン「学びの森」に分かれています「学びの森」は、放牧や薪炭林として利用されてきた二次林が長期間伐採されずに自然が戻り、多くの動植物が生息しているといいます今度は、事前予約して、「学びの森」の自然に触れ合いたいと思います自力で行ける方法を考えなければ・・・
2011/10/15
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早いもので、すでに今日は3日休みもあっというまに最後の日になってしまいました人気blogランキングへ ←応援してね(*^_^*)宇都宮駅前の夕景・コンデジで昨日は、午後から年老いた両親に会いに実家へ親不孝のhimekyonせめて年数回、顔を見せに行くだけだけの親孝行のまねごと・・・施設に入っている93歳の父は・・みんな忘れてしまって、穏やかな顔をしていました94歳を過ぎてもいまなお元気な母だけど・・・気が強いだけにいっしょに住む兄からは、苦労話を聞かされました。 宇都宮駅前のトイレ兄の車で施設へ行き、帰りは宇都宮駅まで送ってもらい初詣を兼ねて、街の中心部にある二荒山神社にお参りをしてきました懐かしい二荒山神社高校生のころ、学校帰りにいつも食べていた「水餃子」いつのまにか宇都宮名物になっていた「餃子」を食べてきました。前回来たときも長蛇の列・・・やっと席につくと、隣の席の若者がスープに浮かぶ餃子を小皿のたれにつけてスープを残したまま、席を離れていきました。水餃子+焼餃子+ごはん=580円店員さんに聞いてみました昔、学校帰りに、本店で食べていた水餃子は、スープの中にラー油、酢、醤油を入れてスープも一緒に飲み干していたんですが、、、今は違うんですか?今はいろいろな食べ方があるようで、お好きな食べ方でもちろんスープですから、味をつけて飲み干していいんですよ。。みみりん家族に生冷凍餃子を買って・・・2日も終わりました 人気blogランキングへ ←応援してね(*^_^*)
2010/01/03
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昨日は、落ち込むhimekyonにたくさんのかたから暖かいお言葉をいただきありがとうございました。こんなにも涙を流したのは、初めてかもしれません、彼女は「後悔」という大きな錘をhimekyonに残して逝ってしまいました。元気印、後ろを振り向かないhimekyonも今度ばかりは後ろを振り向いてます悔やみきれないこの悲しみが癒えるのはいつの日か・・旅行が好きだった彼女のためにも元気印でまたたくさん歩いて彼女に報告していきましょう10月14日に出かけた奥日光・切込湖刈込湖へのハイキング切込湖・刈込湖と竜頭の滝 切込湖・刈込湖・・光徳牧場から涸沼まで静寂の切込湖・刈込湖小峠から下山までの紅葉山を歩いたあとの温泉は最高、電車・バスを利用すると近くに温泉がないことがしばし今回は湯元温泉に下山だから温泉に入れる~と温泉グッズまでザックに入れていたのに湯元温泉に下山したのは2時半温泉に入って帰るにはちょっと早すぎでもったいない・・・おば様たちとはここでお別れして湯滝にも行ってみたかったけど歩いていく時間はなし竜頭の滝だったら、温泉も入れるし・・・3月スノーシューで戦場ヶ原を歩いたときは龍頭温泉は休みだったので電話で確認してバスで竜頭の滝まで行くことにする竜頭の滝上でバスを降りて、滝の上流から写真を撮りながら確か、以前は岩の上に降りられたと思うけど立派な柵で降りられないくなっているhimekyonはチビだから、三脚を立てても柵が入ってしまって・・・なかなか難しい紅葉はイマイチなかなか、ぴったりのときに出会うことは難しい・・天気も快晴とはいかずきれいな色の紅葉には出会えなかったけど4時過ぎていて写真を撮るには暗すぎだったかも・・竜頭の滝は、朝日に当たる紅葉を撮ったほうがいいのかな・・ここからの紅葉はまだ早すぎたみたい真っ赤になるのは、もう少し後になるのかな・・・龍頭温泉「憩いの湯」に入って真っ暗になった日光をあとに以前は準急・区間快速列車があって、早めに帰宅できたのに、今は各駅停車になってしまい、帰りは、特急利用で浅草へ人気blogランキングへ ←応援してね(*^_^*)ちょっとハプニングはあったけど一期一会の出会いもあって、楽しいハイキングになりました。終わり
2009/11/04
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北の国からは雪の便りが届いて、いよいよ冬到来・・・そろそろストーブをださなければ・・それにしても、まだ10月の日記を書いています人気blogランキングへ ←応援してね(*^_^*)湯元の白樺と紅葉10月14日に歩いた奥日光・切込湖・刈込湖ハイキング切込湖・刈込湖と竜頭の滝 切込湖・刈込湖・・光徳牧場から涸沼まで静寂の切込湖・刈込湖 凍えるような刈込湖をあとにして、湯元へ山の斜面にもやっと赤い紅葉が・・・湯元への登山道は・・りっぱな階段が続きます。これがきつい!これでもか、これでもかと続きます。湖からすぐに階段があったのは、記憶にあったけど、こんなにあったかな・・・2人のおばさまたち、元気ですhimekyonはもうフーフー樹林帯にもポツポツと紅葉が目立ち始めました刈込湖ではちょっとだけ雨にあたったけど太陽も少しだけ戻ってきて・・・紅葉も輝きはじめましたきれいな紅葉に出会うたび立ち止まっては、ため息登って登ってやっと小峠に着きました見上げると崖の上にも紅葉があれ、登山道を大岩が塞いでる2年前の台風で落ちたものらしい・・・人が歩いていたら・・・想像しただけで、怖い!! 湯元温泉の源泉ようやく湯元にたどり着きました。前半は紅葉もほとんど終わっていたけど後半はきれいな紅葉にも出会えて旅は道連れのおば様たちとは、ここでお別れ一期一会の楽しく歩けたハイキングでした。お疲れ様~って微笑みかけてくれている、癒しのズミ?の実当初の予定では、湯元温泉に入って帰ろうかと思っていたけど時間が早いので、バスで竜頭の滝まで行って滝の写真&温泉に変更人気blogランキングへ ←応援してね(*^_^*)
2009/11/02
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日記があっちに飛んだりこっちに飛んだりめまぐるしく変わる見苦しさをお許しくださりませ今日の日記は10月14日に歩いた奥日光・切込湖・刈込湖です人気blogランキングへ ←応援してね(*^_^*)切込湖明日は休みだけど、雨予報、どこへ行くあてもなく、ネットで天気予報を見ていたら、午前中は晴れに変わってるこんな日に家にいたら、後悔するんだろうなそういえば、日光も中禅寺湖あたりが紅葉しているとニュースでやっていた戦場ヶ原はどうだろう、高山はどうだろう、切込湖・刈込湖はどうだろう・・・頭の中で考えていても始まらない思い立ったら吉日!!でかけよう~浅草6時20分発の電車に乗るには家を5時に出なければ間に合わないネットで時刻を調べて電車に乗ったはずなのに、浅草へ着いたら発車までの時間がない、走って走って、なんとか飛び乗ってホッとするしかし、いつもの感じと違う・・・電車の行き先が会津田島になっている。変だな、前2両が東武日光行きのはずなのに・・・周りの人たちも日光へ行くような雰囲気ではない。。車掌が回ってきたので聞いてみると前と後の車両の行き先が逆に変わったというやっぱり向かい側に座っていた女性も同じことを考えていたそう下今市駅での車両切り離しで、日光行きの車両に乗り換え、無事に日光駅に着くトイレを済ませてバスの発着所へ行くと行列!平日というのに凄い人こんなに並んでいたら座れそうもない、いろは坂を立っているのはちょっと・・・と思ったら、臨時便がでますとのこと、2台とも満席になっちゃった。いろは坂はまだまだ色づきがない半分くらいの人たちは中禅寺湖のバスターミナルで降り、戦場ヶ原入り口の赤沼でほとんどの人たちが降り、光徳牧場で降りたのは、himekyonと2人のおばさんたちだけだった。おばさんたちも同じコースを歩くと先に出発していった。himekyonが歩き出すと先ほどの2人が舗装道路のほうから戻ってきて道を間違えちゃいました。埼玉から来たという2人、心細いから一緒に歩きましょう。旅は道連れ~8年前、一度ツアーで歩いたことがあるけど、すっかり忘れている急登が続く!(ヘロヘロ)こんなにきつかったかな、ここハイキングコースよね・・・天気予報に反して、ちょっと曇り空、太陽が当たっていたらもっと紅葉がきれいだろうなそれとももう終わりなのかな?にぎやかにおしゃべりしながら歩いていたら、山王峠に着いちゃったこのおばさんたち、2週間前にも戦場ヶ原を歩いたそうだけど、電車の中でおしゃべりをしていたら、会津田島方面に行ってしまったそうやっぱり前と後ろの車両の行き先が変わったのを知らなかったとか・・・山王峠まで登り一辺倒だった登山道も、ここから涸沼まで、一気下りくだりが得意だったhimekyonも最近は慎重に・・一人歩きが多いと、怪我でもして歩けなくなったら命取りだからね。そんなに急いでどこへ行く~でもないのよ、himekyonの場合は、登りが弱いから、その分くだりで時間調整してるみたいなもん一度ね、登りが弱いので早く歩けないって言ったら、努力すればいいでしょって、冷たく言われたことがあったっけ・・・涸沼に降り立つと今にも雨が降りそうな曇り空天気予報外れたかしらね寒い!看板が出ていたすり鉢状になっていて、冷たい空気が底にたまるから寒いのだそう紅葉も山の上から色づくのではなくこの付近だけは下から色づくんだそう確かにもう終わっている・・・落葉松の黄葉がきれいに色づいている赤い紅葉もきれいだけど・・・落葉松の黄葉もしっとりした感じがいいね~山の上を見上げると・・・ダケカンバの葉が落ちて白い幹の色が雰囲気をだしている葉の落ちたダケカンバ、大好き!!人気blogランキングへ ←応援してね(*^_^*)光徳牧場から歩く人はいなかったけど湯元方面からのハイカーと連れ違い始める・・・続く
2009/10/31
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