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内川さんが学生だった頃、大阪市天王寺区伶人町の片隅にスラム地域があり、その地域の子どもたちを対象にした子供会を夕陽丘セツルメントという学生サークルが細々と活動を行っていました。
この夕陽丘セツルメントの子供会に内川さんが参加したのは、二年生の新学期が始まった頃だと記憶しています。同じクラスの友だちに誘われて軽い気持ちで見学に出掛けたのですが、貧しい身なりの子どもたちが集まっており、その中の一人の小学2、3年くらいの男の子がいきなり内川さんの背中に飛び乗って来たのです。予期せぬお出迎えに内川さんはビックリしました。
このとき内川さんはこの子の行動にたいしてどのような感じを抱き対応したのでしょうか。腹を立てて子どもを背中から振り落とした。それとも愛情をこめて胸に抱きしめた。内川さんはその男の子の温かい肌のぬくもりに新鮮な驚きと懐かしみを感じたのです。もうこんな感触を味わったのは何年振りだろう、と一瞬思い、その男の子をおんぶしたまま数歩歩きましたが、男の子はすぐに背中から飛び降りて集団の中に入ってしまいました。
夕陽丘セツルメントは大阪外大と大阪社会事業短大の合同サークルだったのですが、このサークルの新入部員歓迎のコンパも内川さんに忘れがたい新鮮な喜びを与えるものでした。その歓迎コンパは社事短の運動場で夜に焚き火を囲んで行われましたが、一人一人自己紹介を行った後、サークル仲間から質問を受け付けるのです。社事短の女子学生から4、5人の質問が内川さんにもありましたが、女の子との会話らしい会話も何年ぶりのことでしょうか。
内川さんはほぼ2年間程熱心にこのサークルの活動を続けましたよ。でも楽しいことばかりではありませんでした。子供会に集まってくる子どもたちの母親たちはスリッパの底のゴム貼り等の内職に忙しく、子どもたちを喜こんで子供会に出してくれるんですが、子どもたちは正直です。内川さんが受け持ったのは小学校中学年程度の主として腕白な男の子たちでしたが、面白くないと「おもろーないわ」といって蜘蛛の子が散らばるように瞬時に平気でその場を立ち去って行きます。
走りっこ、縄跳びに紙芝居、指人形作り、いろいろやりましたが大半が不成功に終わりましたよ。そんなこともあって部員は減ることがあっても増えることはほとんどありませんでした。そんななかで社事短のジーナちゃんは内川さんの良きパートナーとして子供会で1年間熱心に活動していましたが、どうしたことでしょう、短大の二年生になって子供会に急に現れなくなってしまったのです。
サークルのみんなは心配して、内川さんが彼女に連絡を取って事情を聞くことになりました。ジーラちゃんは、子供会に集まる伶人町界隈のバラック小屋に住む子どもたちが可愛くてたまらないといつも言っていました。ジーラちゃん自身がふたおやも分からないような環境で育ったからだとも言っていました。そんな彼女が子どもに接する姿には理屈を超えた「愛」が感じられたものでした。
内川さんが彼女の話に口を挟もうとしましたら、「マアくんにはこんな馬鹿な話が分かるわけないわよ」と言い、これ以上は話したくないし、自分のような人間がこのサークルを続ける資格もないと言い、席を立ちました。
二人はともに大阪の阿倍野駅を利用していましたから、二人一緒に阿倍野駅まで歩いて帰りました。その帰り道の途中、ジーラちゃんは彼にぽつりと言いました。
「マアくん、ごめんね。でも楽しかったよ」
それからは一度もジーラちゃんと顔を合わせることはありませんでした。夕陽ヶ丘の赤い夕陽にたたずむ彼女の後ろ姿を二度と再び見ることはありませんでした。
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