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今朝はカスケードで90射。点は取らず、スコープは見た。意識を引き手のリリースとその後の「抜け」に集中。真ん中が徐々に狙えるようにはなってきている。今日はこれから上がってきた答案の採点。夕食は焼きそばで、自分の担当だが、夕方ちょっと行くかもしれない。明朝も練習できるが、明後日は大腸検査。下剤をたっぷりと飲むので無理だ。まあ、できることを、出来るときに。久しぶりに弓に熱中している。まあ、弓キチなのは毎日なのだが、しょうもない暇つぶしとは違うモードに入っているのが分かって、楽しいのだ。
2021.06.30
今朝はカスケードで放す射、72本。 321 322 まだまだ。
2021.06.29
多分、明日の朝は起きたらすぐ射場に、ということになる。そんなわけで、今のうちに思いついたことをつれづれに。今朝の練習で、カスケードの「切れない射」の方がHBCより安定した。おそらく引き尺がベストマッチになるからだ、と思う。これ以上、カムで短くすることができないので、HBCはやはり断念。カスケードの場合、「切る射」もできるのだが、それは封印。ボタンを押した親指は「放す」のではなく「離れる」という感じで射つ。親指の付け根部分で押して、さらにちょっとだけそこを浮かすようにして射つのがコツだ。9本ずつ射って最後の2回は79、84。何とか324ペースにはなってきている。6射ではなく9射ずつの方が、身につくように思える。昼はピザ。といっても、市販の冷凍ピザに、トマト、新玉葱、ピーマンの超薄切りと、ベーコンを足して、さらにナチュラルチーズも加えてオーブンで焼いただけ、である。しかし、この「足して」がないと、どうにも貧弱なピザなのだ。昨日の昼はスーパーの寿司だったが、夜はたらこスパゲティ。これも市販の冷凍たらこスパゲティに、たらこ、青しそ、刻みのり、納豆を「足して」やると、すごく美味しくなる。さらに、フランスパンに前に書いたカレーバターを塗ってこんがりと焼く。両方とも担当は自分だが、だいたいこういうメニューになることが多い。まあ、安上がりだし、といって贅沢な感じもある。ピザやスパゲティは、子どものころに覚えた「洋食」のメニューで、そのころは滅多に食べられない「ご馳走」だった。それが、簡単に作れる今は、自分たちの世代の多くの人にとっては幸福な時代なのだろう。今日は夕方にもう一度射場に。
2021.06.28
ある型が見えてきたら、それを身体の回路に取り込むまでは、「反復」しか方法がない。これは、どんなスポーツにもいえることだ。たとえば、100m走のスタートをマスターしようと思えば、数百回、数千回とその動作を繰り返すことが、練習メニューの中に取り入れられる。アーチェリーの場合でも同じだと思うが、「射」という一連の動きの中で、どの部分に意識を置くかという重点の違いはあるだろうが、「射」のある部分だけを取り出して「反復」するという練習は、多分あまり意味がない。今、HBCで射っているが、一回の練習で60射~100射くらい「反復」する。その際、意識の重点はエイミングからの引き手の伸びからリリースに至るまでの「過程」。というより、すべてを「過程」として捉えることがまず優先されねばならない。「射法八節」という多分、弓道に由来する「解説」があるが、あれはプロセスの中で比較的重要な一つ一つの「場面」を捉えたもので、その「場面」を組み立てれば「射」がプラモデルのようにできあがるわけではない。あくまでも「射」は流れであり、その流れの中で、意識が自分の身体の動きを分節するのだ。そうやって例えば「引き手を後ろに引き、矢筋を通していく過程でロックが外れる」という「場面」を意識して練習するのは、逆説的だが、それを「意識」するまでもなくできるようになるためなのだ。などと、エラそうに書いたのだが、今は毎日が悪戦苦闘。やっとHBCで「無風」なら、何とか安定した「射」ができつつある。試合まであと2週間。昨日は2回射場に。3つのリリーサーと2種類の矢の組み合わせのベストをやっと決めた。あとはひたすら「反復」である。特に意識しているのは、「カチッ」をフルドローに至るプロセスの一つとして位置づけること。今までは、カチッと鳴ってから、改めてエイミングという感じだったが、何とかそれを「起点」ではなく「過程」と捉えるようにしている。もう一つは、多分コンパウンドアーチャーにしか分からないと思うが、サイトレンズ越しに見える「景色」の一定化だ。サイトレンズが毎回同じように動いてエイミングされていく「過程」は、「景色」として見えてくる。毎回、同じ射場の同じポジションに立って射っているとそれがよく分かる。その動きが的紙の中でのことなら、今度はどこの射場でも同じことになる。最初から最後まで真ん中につき続けることは、出来る人もいるのかもしれないが、自分には無理だ。ただ、その動きを極小化する努力は毎日していることだ。などと長々書いたのは、今朝は6時過ぎに整形に診察券を出してからの朝練。なのに、4時に起きてしまい、朝飯などいろいろ済ませてもまだたっぷり時間があったからで、明日からはできるだけ長く「無風」の環境で練習したいので、ここで駄文を綴る余裕もなくなる。しかも、今週は試験が上がってきて採点、評価という仕事もあり、さらに大腸カメラと前立腺のMRIなどの予備検査が入る。ここは、当分お休みかもね。
2021.06.28
昨日は、ワクチン接種の前、デパートで地域プレミアムクーポン5万円を購入。これで6万のクーポンだから、かなりお得だ。先月の自分のと合わせて2万円のプレミアム。その後、保健センターに妻を送って、接種の間に、接種完了のお祝いとしてケーキを個買う。初めての店だったので、どうかなと思ったが、まずまずの味だった。帰りがけ、イオンで弁当を二つ、夕張メロン。幸い、妻も摂取後、特にどうということはなかった。
2021.06.27
舞台は1920年代、世界恐慌、禁酒法時代のサンフランシスコ(多分)。「ペリーメイスン」は子ども時代、人気のテレビドラマだったのだが、確か「弁護士 ペリーメイスン」だったように記憶していた。ところが、このドラマではEBと呼ばれる老いた弁護士の探偵役として登場する。第一次大戦で、砲弾に倒れ瀕死の部下を、楽に逝かせてやるために射殺したPTSD、不名誉除隊、多分それがきっかけの離婚。息子の養育費に苦しみ、先祖代々の牧場に住んでいる。その牧場を自分のビジネス拡大のため買収したいヒスパニック系の女性実業家はメイスンの愛人。赤ん坊の誘拐事件と犯行が疑われ逮捕される父親、父親が釈放された後、今度は母親を。調査を進めるうちに突き当たる怪しげなキリスト教団の「シスター」と呼ばれる教祖とそれを取り巻く実業家たち、母親。腐敗した警察と真犯人の悪徳刑事。黒人として真面目に勤務する巡査。実は、破産寸前のEBが「正義のヒーロー」を演じきれないことに苦しみ、自殺した後、メイスンは弁護士資格を得て、誘拐事件の真相に迫っていく。ざっと思いだす限りを辿ったが、二巻前後編に4話ずつ1時間くらいのエピソードが入っている。HBOのテレビドラマ。原作がどういうストーリーかは知らないのだが、そういう昔の「ペリーメイスン」を知らない世代にも十分楽しめる。それぞれの登場人物に人生の問題があり、最終話でそれに解決の光がかすかにさす。メイソンは愛人に牧場を売却し、「シスター」は失踪後、どこかのウェイトレスとして人生をやり直す。人種差別の中、まずまずの地位を手に入れた黒人巡査は、メイソンに警察捜査の嘘を教え、最後には彼の探偵となる。「シスター」の母親はどこかで拾った赤ん坊を、誘拐の裁判が審理不能となり釈放された母親とともに「生まれ変わり」「復活」と詐称し、また妙な教団を作り、地方を巡る。見応えのある8時間。久々の出来のいいテレビドラマだった。
2021.06.27
考えてみると、読書よりもずっとレンタルDVDを観ながら過ごす時間が長い。だから新たなカテゴリーを作った。映像文化については、テレビっ子世代の始まりだったから、昔から好きだった。 高校の時、学校をよくサボっては150円の名画座に通い、違う映画になる入れ替えの時も何とか外に出ずにやり過ごし、そのうちに「もぎり」のおばちゃんと顔見知りになり、フリーパスになった。一度、数えてみて面倒なのでやめたが、多分3年間で500本の映画を観ている。よく現役でまともな大学に入れたものだ、と思う。 そのころ、テレビで深夜劇場などを観ながら、家で毎日好きなときに好きな映画が映ればいいな、などと夢想したのだが、いまやその夢が現実化してしまった。 ビデオテープだった時代から、TSUTAYAに通い、1週間に4,5本は借りていた。TSUTAYAが勤務先のそばからなくなり、今通っているのは、通勤時に通るショッピングモールのGEO。相変わらずのDVDレンタルのヘビーユーザーで、もう10年くらい通っている。受付の女の子はいつのまにかおばさんになっている。ネット配信は利用していない。テレビはインターネットテレビではないのだ。 今、二人で観ている海外ドラマは「ブラックリスト」のシーズン2。実は、自分は2回目なのだが、別に構わない。その他に、自分で観ているドラマや映画があり、最近、というか昨日、見終ったのが「ペリーメースン」。久々に面白いドラマで、これについては、後日、このカテゴリーで書こう。 GEOは、もう10年ほど前から株主である。といっても最低単位の100株なのだが、株主優待でレンタル料が半額になる。この優待のいいところは、とにかくどういう場合でも半額になるところで、新作5本で1000円という割引料金が500円、時々やるセールの準新作100円は50円、旧作50円は25円。ただし延泊してしまうと、株主割引はない。 これも数えたことがないので分からないのだが、おそらく1週間で10本以上、年間だと300~500本くらい借りている。コロナでこれまでの7泊が14泊に延びたのはありがたい。仮に年間500本でどのくらい得したかを試算してみると、旧作が300本として1万5千円。新作はほとんどセットで借りるから、40セットで2万円。もう10年は株主だから35万円。もちろん株価を大きく上回る。 ほかにもいろいろ優待とか配当はあるが、この優待は、本当にお得だ。
2021.06.26
例によって、リリーサーはSPOT FOGの調整をフェザータッチ、つまりはギリギリのところに持って行こうとし、その結果、怖々引くのが嫌になり、またもやHBCを持ち出して・・・という具合に、つまりは、いつもの通り、あちこちに巡っている。それとは別に、矢の方も、AC-NAVIではなく、再びCARBON1に戻してみることにした。ただし、ヴェインは40mmのスピンウィング。これは、NAVIと同じ理由で、通常のヴェインだとどうしてもレストに干渉してバラつくという現象が起きやすいからだ。一昨日、昨日とヴェインを剥がして、フィルムヴェインに貼り替える、という結構、根気の要る作業をした。とりあえず9本。この本数だと試合で、飛び出した矢からパラパラとヴェインが舞い散っても対応できる。実際、ヴェインの微妙な角度と接着の具合で、そういうことが起きる。今朝は、5時半には射場に立つ予定。昼は、前回抽選で外れた妻の地域プレミアム商品券が、補正予算で復活し、引き換えが届いたのでデパートに。新茶も買う予定。それから、妻のワクチン接種2回目。妻から体質を受け継いだ娘は、一週間ほど調子がよくなかったので、帰りがけにお弁当でも買って、ということにしている。
2021.06.26
次年度からは非常勤と決まり、何だかちょっと気の抜けたような感じの日々が過ぎている。何だかんだ言っても、仕事は自分の一つのペルソナであり、それが半減以上となると、ちょっとガックリではあるのだ。もう一度、どう生きていこうかな、と考え始めている。このコロナのままならない状況が終わったら、という気分もあるが、「ままならない」のはコロナだけでもない。気力、体力、経済力・・・つまりは生きる力自体が、ままならないのである。といっても、幸いなことに、病人というわけではないし、貧困に喘ぐという状況でもない。年金にぶら下がる困った子どももいない。妻とは仲良くやってきているし、これからもそうだろう。新たなことを始めるのは億劫で、かといって今までやってきたことを続けるにしても、段々レベルが下がっていく。いい例が、弓だ。点数は年々下降線で、現状維持が精一杯というところだ。まあ、ゆっくりと次年度以降のことは考えることにして、とりあえずこれから朝練!
2021.06.25
昨日の東京感染者は618人。今までなら、何日連続で前週の同じ曜日を上回ると大騒ぎしていたマスメディアは、もちろん報道していないわけではないが、一面ではなく、小さな見出しの扱いだ。有観客開催に向かって突き進むオリンピックの主会場である東京のこの状況は、今までなら一面トップ扱いだろう。しかし、ワクチンの職域接種や、会場での酒類禁止に結局決まったとか、どうでもいいような見出しが並ぶ。地方テレビ局は、海外選手団の事前合宿が始まっただとか、オリンピックに向かうさまざまな動きの報道の比重が大きくなっていく。この一連の態度は、もはや感染者数は気にしないんです、というメッセージで、実際「専門家」は問題は医療逼迫を招く「重症者数」であるとか、ベッドの使用率だというようなことを言っている。そして、前にここで書いたように、選手村での飲食の規制の緩さとか、そういう些末な問題に軸足を移している。「自粛警察」的同調圧力の向かう先は、今や来日するオリンピック関係者だ。「なし崩し」のお手本を見ているようで、腹立たしい限りだ。
2021.06.24
昨日、かかりつけ医で2回目のワクチン接種。少し早めに着いたが、1時予定の接種を12時半過ぎには完了した。接種直後は1回目と同じくどうということもなく、夕方、少し熱っぽい感じがして、左肩も痛くなってきた。体温は36,9℃。まあ、自分の平熱は36℃くらいなので、微熱くらい。接種2日後の娘から、どう?とメール。娘自身は血圧が90を切り、かかりつけ医に行ったそうだ。それで自分も測ってみると98-72で、やはりちょっと低いが、そう心配することもないと思った。今朝起きると、体温は36,4℃。血圧は128-72で、まあ、元に戻っている。今日の仕事は1時間の授業だけだが、問題ないだろう。今は、朝食を済ませ大谷先発のジャイアンツ戦を見ながら、のんびりと過ごしている。雨なので朝練はできないのだが、まあ、大谷も見たいし、どうしようかな、というところだった。その大谷だが、球速が出ていない。剛速球投手から、並みの速球投手に変わってしまったようだ。160kmをガンガン投げて、スプリットで三振、という姿が見たいのだが、そうもいかないようだ。抑えて投げた方がコントロールは明らかにいい。もう2本ヒットを打たれているが、0点で抑えている。今の大谷の「表看板」は打者としてのホームラン。今日も打って、さらに勝ち星をつけてほしい。
2021.06.24
昨日、管理職に呼ばれ、次年度の仕事について話を。今の職分は今年度まで、次年度からは非常勤ということに決まった。学園全体での65歳以上の嘱託教員についての統一的な扱いを決定したそうだが、まあ、しょうがないだろう。自分の他に2名がそうなる。姉妹校にも結構いるようだ。来年度からは国保だね、まあ、年金の停止部分が増えるし、年間100万近かった共済の積み立て貯蓄もできなくなるから、実際の毎月の手取りはあんまり変わらないんじゃない、ということは何とかなるかな、などと妻と話していた。非常勤ということは、他の学校との掛け持ちも可なのだが、一応、声を掛けられていただいているところには、その旨だけは伝えておこうかと思う。だが、今のところは、「なんちゃって」専任でもちょっときつくなってきたので、授業時間だけの仕事でも、せいぜい10時間くらいがいいところだ。小論文指導や、入試問題作成からはやっと開放される。正味の授業だけなら、予習もたいして要らないし、年間で350時間の5/6、つまり300時間程度だろうか。これで、セミリタイアライフからフルリタイアライフに一歩近づくことになった。今までは1/2リタイア、次年度からは3/4リタイア。仕事は1/4くらいの比重になる。自分でも、次年度はどうしようかと迷っていたところなので、向こうで決めてくれてちょっとホッとした。
2021.06.23
クィバーには、ヴェインを貼り替えたCARBON1が6本、AC-NAVIが9本。それを、連射。隣に人がいるとできないので、朝も一番乗りでだ。中りを気にしないためスコープは置かない。射つまでの、一連の動きについて、自分がどうなのかを、ひたすらチェックする。まだ、正解は見つからない。神経を研ぎ澄ましていると、一回、一回全部違うことだけは分かる。しかしどうすれば最も安定するフォームになるのか、まだ分からない。・・・と、まあ、こんな練習を昨日からしていて、ここで駄文を綴る暇がなくなってきた。今は雨がぱらついていて、ちょっと自宅待機。朝食を食べ、毎朝の薬を飲み、昼食のサンドイッチを二人分作った。昨日、出勤中に息子のお嫁さんのご両親が、名水を汲んできて、道の駅のレタス、トマト、キュウリなどと一緒にいただいた。本当にいいお付き合いができていて、ありがたいことだ。朝4時に、出かけたそうで、やはり若いなぁと思う。自分たちには、とてもとてもそんな気力はない。まあ、弓には行くんだけどね。名水を沸かしたコーヒーは旨い!
2021.06.23
昨日の練習試合。300-290。風が強く、2回目は誰も300を越えられなかったのだが、SPOT FOGを使った1回目は、もう少し何とかしたかった。今朝は、整形に診察券を出した後、練習予定だが、雨が怪しい。まあ、その時は、ギリギリまでSPOT FOGのトラベル調整をしようと考えている。やはり、フェザータッチにしないと、切れない。公認試合まであと3週間。この間の練習はリリーサーに迷うことなく、フォーム、特にバックテンションをどこで使うかについて習得したい。練習目的を点数ではなくフォームだけにおく期間が少なくとも10日は必要だ。
2021.06.21
今日の試合は、バックテンションをドローイング直後にやる、新たな試みを。リリーサーを何にするのかは、少し前に行って、20本くらい射ってから決めようと思う。雨含み。風は6m。結構キツいな・・・さてどうなるか。
2021.06.20
今日は父の日。娘からは昨日、辛口の日本酒が届いた。息子は、妻が2,3日前に「そろそろ父の日だよ」とメールすると、「そうなのよ。だけど学生に感染者出たから、オレ、「父の日参観」行けない!」と返信が。どうやら、息子は自分が父親になった途端「父の日」が「自分の日」になってしまったらしい。まあ、それもいいかな(笑)
2021.06.20
結局、オリンピックはなし崩し的にやることになると書いたのは、5月25日の投稿だった。だが、この時点では、無観客の「英断」という政治的パフォーマンスをやってのことと思っていたが、現政権の程度の低さを完全に見誤っていた。無観客どころか、緊急事態宣言解除でイベント上限数を1万人と倍増させた上に、オリンピックの観客数もそれに準じるという方向である。しかも開会式は関係者を含め2万人。総理大臣のオリンピックへの執念は普通ではない。開催について、分科会有志は反対するはずだったが、上手く丸め込められ(まあ、御用学者なのだから、結局はそうなるとは思っていたが)、「無観客」を恐る恐る主張している。「無観客」でなければいけないとは言わず、「望ましい」と言っているだけだ。それでも20数名の「専門家」の危惧を、結果としてはまったく無視して、政権はオリンピックに突き進む。小規模な反対デモはあるようだが、マスメディアは黙殺している。新聞社も系列テレビ局も、実はオリンピック協賛企業なのだから、表だって反対は主張できない。それどころか、出場予定のアスリートの「お涙ちょうだい」のエピソードを垂れ流し始めている。「始まってしまえば、バカな国民は全部忘れてオリンピックに夢中になる。そうなってしまえば、感染の第5波が来ても、オリンピックとの因果関係は証明されていないといって突っぱねればいい」というくらいのことは考えているだろう。現政権はなかなか腹黒いし、それを糊塗しようとすらしない。今までも、政権は「開催の決定権はIOCにある」という契約の文言を盾に、自らの責任を認めようとはしなかった。こんな馬鹿げた理屈はない。現代世界には国際連合などの国家を越えるグローバルな組織はいくらでもあるが、国家主権を越えるグローバルな主権など存在しない、というのは政治学の常識だ。現に、国連が制裁を決議しようが、それは内政干渉だと突っぱねる国は、いくつもある。まして「世界的パンデミックという状況を鑑み、開催を断念する」と日本が世界に発表したとして、それを誰が咎めるとというのか。もし、IOCが咎めれば、たちまちIOCは世界のならず者組織と指弾され、オリンピックというイベントはもうできなくなるだろう。G7各国の支持を得たと総理は胸を張ったが、開催しないという決断であっても、いや、その方が本気で各国は支持しただろう。御用学者でさえ言ったように、こんな時に開催するのは「狂気の沙汰」だと、オリンピックの中継で大きな利益を得るテレビ局を抱えるアメリカ以外は、みんな思っているからだ。各国は仕方がないから参加するのである。そして、自国での水際対策により、日本由来のウィルスを持ち込まないように、きちんと対策を立てるだろう。日本の「バブル方式」などというバカげたやり方は、それこそ泡沫のような頼りないものとみんな知っているからだ。おそらく、このオリンピックは「日本」というかつての経済大国が衰退していく歴史的な起点として記述されることになる。とはいえ、庶民の一人としては、自分もテレビで結構見るだろうし、それなりに楽しむことにもなる。さすがに、会場観戦はしないが、その隙を縫うように、小旅行にも出かける予定だ。それは自己矛盾だろうという批判は当たらない。自分がコロナについてどう考えてきたかは、このカテゴリーの駄文をみてもらえば分かるだろう。よく「人の命とオリンピックとどちらが大事なのか」などという愚かな反対論を唱えるのがいるが、それを言うなら「現代交通システムと人の命はどちらが大事なのか」という反対も成り立つ。毎年数千の交通事故死者は、現代交通システムの必然であり、それをゼロにはできないのだ。要は、何をどうしようが人はやがて死ぬのであり、それは人の存在にとっての本質であることは、すでにパスカルが言ったことだ。「私は自分の死を知るが、全宇宙はそれを知らない」「死」をリスクと捉えることに反対はしないし、そのリスクをできる限り少なくしようという点で言えば、合理的なことなら、自分もそうしている。しかし、リスクはゼロどころか、この歳になればそこら中に転がっているのだ。その中で、オリンピックであれ、なんであれ、コロナで一人も死なせてはならないと本気で思うのは、「健康のためなら死んでもいい」と考えるくらい愚かなことである。
2021.06.20
今朝は風と雨が来ないうちにと思って、5時に射場に。さすがに一等賞だった。一昨日からのSPOT FOGで射っていたが、その時バックテンションの意識のタイミングを変えてみた。今までは、ドローイング→エイミング→バックテンションの意識だったのだが、バックテンションを十分張ってから、アンカリング→エイミングとやると、十分伸びて射つ感じで、中りはそこそこだったが、射って気持ちがいい。それでも狙いすぎると縮こまる感じが出てくる。その時は弓を下ろしてやり直す。悪い癖で、ふと、このやり方なら、カスケードはどうなんだろう?と考えた。こういうのを世間では「魔が差す」というのだ。まあ、しかし、たかがリリーサーを変えるくらいのことだから、人生に決定的な影響などないのである。中る!狙える!という射を12本で終了。
2021.06.19
昨日の病院。胃カメラは何も問題なしだったが、前立腺PSAが4.3と相変わらず基準値4.0よりも高い。ドクターはもう少し経過観察してもいいということだったが、この際、はっきりさせておいた方がいいと思い、7/2にMRIなどの検査をすることにした。その検査結果次第で、生検のための1泊2日の入院検査ということになる。まあ、8月夏休みがあるので、そのあたりと思っているが、ガンの兆候がなければ、その検査はなし。生検でガンがあったとしても切除するかどうかは分からない。前立腺ガンは成人男性の50%くらいが罹っていて、進行が遅い。だから、放置していてもかまわない場合もある。亡くなった父親は、肺気腫の症状が重く、療養型入院を2年くらいしていたが、それでも前立腺ガンが見つかると、ずいぶんと気に病んでいた。やはり、「ガン」という病気が「死に至る病」だという思いの強い世代だったのだろう。それを懸命に治そうとして泌尿器科にも行ったが、肺気腫の方がはるかに心配だった。自分の年齢はちょっと微妙で、ガンを放置するか治療するかが微妙なところらしい。だからドクターも経過観察でもかまわないと思ったようだが、ガンの確率は25%だと言う。それなら、はっきりさせた方がいいと思った。どちらにしても、これからの話なので、まあ、普通に仕事をし、弓を射ち、自分も妻もワクチン2回目が終わるので、7月末は墓参りをかねた小旅行と思っている。
2021.06.19
今日は半年に一回の胃カメラ。2年前に発症した胃のモルト型リンパ腫は、その年の7月の段階で「寛解」ということになったが、検査だけは半年に1回ということになっている。見つけてくれたのは、モルト型リンパ腫の権威で、まだ若いドクターだったが、自分を診てくれた直後に岡山に引っ張られ、今は院長預かりのような身になっている。いずれもホームドクターの弟子、孫弟子で。血便が出て、大腸ガンの疑いで紹介してもらった。大腸検査したとき、こちらから希望してついでに胃も検査してもらった。大腸の方はポリープを一つ取って、結果は陽性。ついでのはずの胃の方が引っかかったのだから、分からない。この時、セミリタイアして2年目で、病院に行く時間もたっぷりあった。そうでなければ、大腸はともかく、ついでに胃もなどとは考えなかっただろう。また、モルト型の権威のドクターがいたのも幸運だった。検査時点で浸潤はほとんどなく、放射線治療でOKということになった。それくらい初期のリンパ腫を見つけることは珍しいらしく、冗談のように診断はステージ1だけど実際は0,5くらいかな、せいぜいと言っていた。見過ごせば、リンパ腫は転移しやすいから、今どうなっていたか分からない。
2021.06.18
昨日朝練の後半、どうにも中らないHBCに嫌気がさして、SPOT FOGを取り出してみる。シンプルな親指トリガー型。数年前、JPの店舗で買った。以来、時々取り出しては使っているが、試合で使用したことはない。4mの風の中、射ってみると、317、316とまずまず。クオリティエンドも半分くらい。明後日の内輪の練習試合で試合デビューさせてみようと考えている。狙いは少し下目につくのだが、そうひどい状態ではない。フェザータッチよりは、少し重く調整してある。感じとしては、親指を置いて、狙い始めた瞬間切れるくらい。そうなるとセットアップが重要で、いつも同じ姿勢でエイミングまで持っていかないといけない。まあ、それはどのリリーサーでも同じことだ。今のところ「親指を置く」という動作が、一番安定する。
2021.06.18
昨日は、退勤後の練習はやめた。どうも、最近は仕事の後は、射場に足が向かない。以前なら、朝の課題を、もう一度ということで、一日2回、合計3時間前後というのは、そう珍しくもなかったのだが、やはり年なのかとも思う。明日は胃カメラなので、その前にあまり疲れたくない、というのもある。胃カメラは年2回、大腸カメラは年1回。明日は、その他に前立腺肥大があるから、泌尿器科、経過観察で放射線科にも回るから、午前中いっぱいかかる。来週は二回目のワクチン。来月は大腸カメラ、定期健康診断と、何だか病院巡りの予定ばかりだ。その間に誕生日が来て67歳である。まあ、今年を入れて後4年、70歳までは、仕事は続けたい。来年度からは非常勤でもいいのだが、頼まれれば、そうもいかないかもしれない。70歳まで働くなんて、思ってもみなかった。何だか、政府の目論見にはまっているようで、面白くないが、仕事自体は面白いので困る。7月11日の遠征に向けて、今朝はこれから射場に。1時間半くらい。
2021.06.17
今朝は断念したが、昨日は雨が止んだタイミングで60射くらい。11本あるNAVIを、スコープを置かずに、フォームだけの意識でいろいろ射ってみた。いろいろなことを試したから、中らないのはしょうがないのだが、最後にエイミングがついた後、人差し指の力を抜き、中指と薬指だけで引く感じにすると、わりと集中した。50m先だと見えないので、30mで久しぶりに最後は8本。10点が7本で、ミスした1本も9点の縁。この方法は、手首を曲げるとダメなのは知っていた。だから、手首はまっすぐのまま、できるだけ指の重心だけを変える。まだ、過程なのでこれで決着するかどうか。退勤時は雨は上がりそうなので、射場にと考えている。
2021.06.16
なぜか、フォークソングの大御所のように言われている小室等の歌で一曲だけ、歌詞がすごくシュールでいいなぁ、と思う歌がある。「雨が空から降れば」。雨が空から降ればオモイデは地面にしみこむ雨がシトシト降ればオモイデは地面ににじむ黒いコウモリ傘をさして街を歩けばあの街も雨の中この街も雨の中電信柱もポストもフルサトも雨の中しょうがない雨の日はしょうがないしょうがない雨の日はしょうがない公園のベンチに一人オサカナを釣ればオサカナもまた雨の中なぜ、公園のベンチでお魚が釣れるのか、よく分からないのだが、このシュールな面白さが直感的に分かるのは、子どもだ。だから「みんなの歌」の人気曲になった。まあ、そういうわけで今朝は雨。昼休みに生徒から解説のリクエストがあった問題を解き、サンドイッチを作り、それでもまだ止まないから、朝練は断念した。しょうがない、雨の日は。
2021.06.16
今日からまた仕事。別に嫌ではない。嫌どころか、最近は仕事を待ちわびているような気分もあり、これはどうしたことだろうか、と我ながら思わないでもない。「檸檬」と「山月記」。教えるのが楽しい教材である。「内面の時代」と「自由競争社会」。自分はこの二つの小説のテーマを、こう読んでいる。肺結核はイヤな病気だ。スプレプトマイシンという特効薬が現れたのは、戦後の話であり、日本人で夭逝する文学者の1割くらいは、肺結核で亡くなっている。「これは、キツい病気でね。罹っても、すぐは死なない。ただし十何年か後には必ず死ぬと分かってる。転地療法くらいしかないんだよね。大体、十代か二十代で罹って、三十代で亡くなる。そりゃ、人間だからみんな死ぬんだけど、十代後半で初期症状が出るのは、キツいよね。世の中で何かになりたいとか、何かをやりたいとか思っても、三十代までしか生きられないと分かってしまうんだから」他方、自由競争社会というのもなかなかラクではない。それはいつも評価される社会である。「李徴の時代の中国は、官僚の社会で、優秀な人材は誰でも官僚になれた。一浪、二浪とかいうけど、そんなのはザラで、三十代、四十代でもまだこの試験(科挙)を受け続ける人もいたらしい。生まれや身分は関係なく、誰でも受けられたからね。そういう意味では、完全な自由競争社会。今と同じだよね。東大だって受けるだけなら誰でも受けられるんだから。で、そういう試験に李徴は十代で受かって、いきなり地方の自衛隊と警察の長官みたいな地位に就くんだけど、まあ、中央じゃないんだよね。それでも少し我慢して、周りとうまくやれば、李徴もさらに偉くなったはずなんだけどね。でも、受かるまでは、点数を取ればいいんだから、頭がよければ簡単なんだけど、その後出世するかどうかは結局『他者の評価』次第でしょ?詩人もそう。いくら天才的な詩人でも同時代の他者に評価されなければ、成功できない。つまり、自分の人生がどうなるかっていうことは、結局大部分は『他者が自分をどう評価するか』ってことに委ねられてる。これ、似てない?現代社会と」まあ、こんな導入をしてから授業に入るわけだが、ここからは精読になる。一字一句、辞書と格闘しながら丹念に読んでいく。自分の授業のスタイルの基本はそういうやり方だ。それが、大げさに言えば生き方のスタイルに通ずるところがあるから、仕事を待ちわびているのかもしれないね。
2021.06.15
一昨日、駄文を書こうとして、スタート画面に。516アクセス。びっくりした。大体、誰も読むわけないよね、と思って書いているのだ。だから、普段のアクセスは200くらいがいいところで、平均すれば150というところ。500を越えた記憶はない。まあ、そういうことも時には起こるのかもしれないが、あまり起こらない方がいい。いろいろ面倒そうだ。今朝は200弱。ちょっと安心している。
2021.06.15
現在の勤務は、火~木の3日間。授業がTT2時間を含めて6時間、毎週の会議が1時間、特講が授業換算すれば3時間。合わせて10時間だが、特講以外は50分なので、まあ、8、9時間。というのは、普通のサラリーマンなら残業なしで済んだ楽勝の1日分くらいだ。そんなの働いているうちに入らないだろう、と言われそうだが、それでも仕事は仕事であって、決して休みの延長ではない。授業も、特講も入念に準備するし、相当早い時期に先のことをやっておく。7月初旬の3年定期試験は、一昨日もう作り終わったし、今週中に印刷も完了する予定だ。そういうなかで、日曜日だけは家でも仕事をまったくしないようにしている。やはり、日曜日は休み、というのが長年のサラリーマン生活で身に染みているから、一週間の生活のリズムというかメリハリのためにも、セミリタイア後も、なるべくそういうふうにしている。というわけで昨日は、朝練にゆっくり出かけた。7時から9時くらいまで。HBCで少しよくなっているが、まだまだ。エンド47~57くらいまで。その後は、天気もいいし妻とメロンウォッチャー、娘のところにも二個送る。その後、いつものソフトクリーム。コロッケを買ってきて昼飯。昼からは海外ドラマを見て、1時間ほど昼寝。夕食はチカの天ぷらなど。何の変哲もない日曜日だが、だからこそ日曜日らしい一日だった。今日は、まだ休みだが、整形に。今週は金曜日に胃カメラ。
2021.06.14
昨夜は、一昨日買った夕張メロンが、すこしいい匂いがしてきたので、食べてみた。ちょうどいい頃合いで、この時期のメロンとしては甘く、美味しい。あとは1/3個ずつ、2回楽しめる。これからひと月くらいは、毎日、スーパーに行って「ウォッチング」を続けることになる。少し小ぶりだが7個入りの箱を沖縄に、2個入りのを鹿児島に。あと2軒あるが、それはもう少し個数が店頭に並んでから、なるべくいいのを選んで、ということにした。今朝は、今、菊池雄星の先発を見ながらPCに向かっているが、7時くらいに射場に。朝食はもう終わった。弓友からいただいた、「塗って焼いたらカレーパン」で食パン半分とサラダ、コーヒー、ヨーグルト、野菜ジュース。パン以外はいつもと同じだが、このパウダーが固まったような「塗って焼いたらカレーパン」はなかなかいける。一緒にもらった弓友が「バターにカレー粉まぶしたら、同じ味になるかな」と言ったのを、自分は「バアサンにカレー粉まぶしたら」と聞き違え、大笑いになった。そういえば、一昨日の夜はやはり弓仲間からいただいた自家菜園のチンゲンサイの肉炒め。これも美味しかった。どうということはないのだが、先週は、職場でもスイーツをもらったり、いろいろな人から、いろいろなものを、いろいろな時にいただく。こういう贈答というのは、何を、ということよりも「贈答」自体に、意味があるのだろうと思う。そう言うと大げさだが、人間はモノやコトバの「贈答」でつながるのだ。だから、もらえば、またどこかのタイミングでお返しするのが普通で、もらいっぱなしということはあまりない。オセアニアの北方の島々の人々の間の「クラ交換」は、文化人類学の有名な話だが、「交易」とは別に首飾りなどを贈るために、島から島へ舟で巡り続ける。同じモノがぐるぐる回るだけなので、意味がないように思えるが、それが島々の連帯性を作り出すのだそうだ。
2021.06.13
連休2日目。昨日は、朝練、定期試験作成、妻を歯医者に送迎の間にまた射場。3時に、銀行の担当が変わったので挨拶に来る。今、NISAでやっているダウジョーンズインデックスに連動する投信は、ずいぶん利益を上げてくれているが、まあ、NISAの範囲だからたいしたこともない。それでも1年で、2ヶ月に一度の年金手取り分くらいだから、大きいといえば大きい。もうしばらく続行ということにした。その後、昼寝。歯医者の間、スーパーに行き、夕張メロンを一つ買った。980円。まずまずの値段になっている。毎年、子どもたちと弓友、沖縄に送るので、6月のこの時期から、妻と自分は店頭のメロンウォッチャーと化す。7月の声を聞くと、値段も下がり、美味しいのだが痛みが早い。だから、6月のほどほどの値段を見極めて、クール便で送る。店から送ってもらう場合もあるし、自分たちで包装して送る場合もある。我が家の年中行事の一つだが、この間「試食」と称して、毎年10個くらいは夕張をいただく。デパートで二個1万円とかいう超高級なものは、とても買えないが、相対的にはかなりお得なメロンを探して、送って、喜んでもらうのは、そう言うと大げさかもしれないが、人生の楽しみの一つだ。
2021.06.12
うっかり忘れていたのだが、7/11の遠征試合に行けることに昨日気づいた。前週が大腸検査、定期試験。病院通いも、仕事も一段落している時期だ。土日二泊で行けばいい。妻のピアノの先生のコンサートがあるのだが、そっちはちょっと勘弁してもらうことにして、土曜の朝、出発してタラタラと一般道を行こうかと思う。高速は、夏の割引が多分ないというのもあるのだが、基本的には忙しくてなるべく早く着きたい時に使えばいい。といって、そんな時もあまりないのだ。最近は、車で孫のところに行く場合でも、あちこち寄りながら、途中で一泊して、ということも多い。いろいろな事柄で、目的を速く達成するということを、あまりしなくなった。以前は、弓のためにいろいろなことを詰めてやって、時間を作って、というライフスタイルだったのだが、セミリタイア後はそうでもなくなった。仕事でも趣味でも家事でも、ちょっと時間を取って、「丁寧に」と言ったらいいのか、いや、「ダラダラと」と言う方がいいような気もする・・・だから、まあ、「丁寧に、ダラダラと」やっている。さて、これから、丁寧にダラダラと朝練。6時から8時くらいまで。
2021.06.11
左の7点に矢が集まったかと思うと、次は右の7点に。まるで、横風に曝され、沈没寸前の小舟のようだが、昨日は微風というレベルだった。原因は「脱アンカリング」。やっぱり、ずっと言われてきた理論は正しかった。というわけで、「脱アンカリング」などという馬鹿げた夢想は、潔く撤回。ちゃんとアンカリングして、その上でエイミングができることを、少しずつ身体に覚えさせるほかない。あ~あ、いい考えだと思ったんだけどな。
2021.06.10
政府は9日、経済諮問会議を開き、経済財政運営の指針「骨太の方針」の原案を提示した。今朝の新聞記事だが、この「骨太の方針」という奇妙な日本語が登場したのは小泉内閣のころである。「骨太」とは、「骨格が強く頑丈な」という意味の言葉で、調べてみたら「骨細」という反対語もある。これは「痩せて華奢な」という意味だ。英訳ではほぼ例外なく「Basic Policy」、つまり「基本的方針」であり、そこに「骨格が強く頑丈な」という含意はもちろんない。これは、政府が自ら提出する方針が「しっかりしたものなのだぞ」と言いたいがために、作り出した日本語で、非常に「政治的」な言葉遣いである。初めて聞いたときから、強い違和感を覚えた記憶があるが、その違和感の正体は「基本方針」と言えばいいものを、わざわざ「骨太の」と言い換える政治的思惑を感じたからだ。「国と地方の基礎的財政収支を黒字化する財政健全化」についての「骨太の方針」は、小泉内閣以来、どんどん先延ばしされ、現在は2050年だそうだ。確か最初は2020年だったはずだ。こんなに空手形を連発し、しかもそれが空手形ではないのだぞ、と虚勢を張らざるを得ないから「骨太の」などという、センスのかけらもない形容をした、というだけのことである。それが日本の政治とマスコミのレベルだ。
2021.06.10
ハイデガーは、「死」を現存在の絶対的不可能性とし、我々の本来性を「死へと向かう存在」と定義した。そして、その本来性を忘れ、娯楽やスポーツ、政治や金儲け、恋愛、ギャンブルなど、つまりは「気晴らし」としかいいようのない事柄でその日を暮らす人間のあり方を批判した。そんなこと言ったて、お前もナチスドイツの片棒を担ぎ、フライブルク大学の総長になるためには幾分かは、学内政治にも憂き身をやつしただろうと批判したくもなるのだが、彼の言っていることは間違っていない。しかし、そういう自分も、やれ朝練だ、仕事だ、旅行だとコロナをすり抜けるようにいろいろなことをしていること自体を楽しんでいる。「気晴らし」を生きている一人だ。そうでなければ、こんなところで駄文を綴って暇を潰したりはしない。しかし、それにしても、現在の日本の「老後」と「死」をめぐる週刊誌の見出しを見れば、「死」すら「情報」となって、消費されていることがよく分かる。「コロナで変わった死ぬ前の『準備』」、「こんな死に方だと家族がバラバラ」、「医者に病院に、あなたが支払う命の値段」。今朝の週刊現代やポストの見出しだ。中身はきっと立ち読みすることになる。日本では、「死」さえ、どう上手く立ち回って、「お得」に死ぬか、という情報になり、それが週刊誌やネットで「消費」される。「消費」の主体は、自分を含めて、もうすぐ「死」が到来する人々であり、そういう記事を読んで、「そうか、自分もきちんと終活を始めないと」などと考え、エンディングノートなどを買ってきて、お墓の整理をする。彼らは、自分の死すら、それを先取りして「消費」するのだ。その典型は「生前葬」だろう。一連の「死」をめぐる騒動はもともと「需要」があったのではない。団塊より上の世代は、葬儀でも何でも一定の制度化された手続きに従ってやっていただけだ。「団塊の世代」が「需要」を生み出した企業戦略にまんまと乗ったのだと思う。この世代はその圧倒的人口ボリュームによって、何歳になっても「消費」のセンターであり、先端であった。といえば、聞こえもいいが、その実は高度資本主義の戦略に無批判に踊らされ続けてきた世代である。まあ、「習い性となる」わけで、彼らは「死ぬ」までそういう生き方をするのだろうが、ポスト団塊世代の近代個人主義者としては、そんな生き方、いや、そんな死に方は御免被りたいものだ。
2021.06.09
昨日は短縮版特講で、60分講義×2の連チャン。いつもより1時間早く、7時半には帰れたが、それはそれで疲れた。夕食は餃子。ニラ、挽肉の餡で40個作ってあったが、揚げ餃子6個、水餃子2個。今朝は3時ころ目は覚めたが、5時まで布団の中にいた。レタス、トマト、キュウリ、生ハムのサラダと、トーストにせずパンにバターと自家製苺ジャムを塗って半分。飲み残しのコーヒー。今日は2時間目からなので、9時には出勤。その前に弁当を昨日の餃子で作り、一階居間の掃除を軽めに。お花の先生が来る日だ。これで朝練を入れると、時間的に苦しいな、と思って気象予報を見ると、退勤後でも風は弱い。3m。これなら、朝より、退勤後まっすぐ射場に寄って、射ってきた方がいい。なにしろお花のお客さんが来るので、3時までは帰宅できない。チノパンと半袖のポロシャツで出勤して、そのまま射ってくることにした。「脱アンカリング」はなかなか難しい。横方向にばらつく。やはり、どこかに引き手の甲を付ける位置を定めないといけない。顔向けを一定にして耳が触るくらいの場所がいいかもしれない。今日の練習課題。
2021.06.09
昨日行った整形では、ワクチン接種をかかりつけの患者に限って行っていて、昨日も10時半ころ、通常診療をちょっと中断してやっていた。そこに、接種希望者がやってきて、「ここでやってるって聞いたけど」と。大規模接種の予約がなかなか取れない人のようだ。受付の答は「7月末まで、当院の予約は満杯で、今は、受け付けていません」。7月末まで満杯なら、第二回目が終わるのは8月になる。個人病院ではそういうところが多い。これなら、7月末に完了は無理だろう。自分の住んでいる市はやはり8月、高齢者の60~70%の接種を終えた時点で完了と言っている。ところが、今朝の新聞では、札幌市は「高齢者の80%が接種できる体制が整った段階」をもって完了とする、という考え方で、完了は7月末。要は国の要請につじつまを合わせただけで、実際のところ「体制が整った」から希望者が全員接種を終えたことにはなるはずがない。もっとひどいのは隣の江別市で、同様の「完了」の定義に従って6月4日に「完了」したと言う。接種希望者は把握できていないから、そこも自治体によって違い北見市などは100%、室蘭市などは70%とバラバラだ。それというのも、国が何をもって「完了」とするかについて、明確な定義を自治体に示していないからで、別に自治体がごまかしているわけではない。つまりは、とても無理だから、ゴールを勝手に設定しろということらしい。まったく酷い話だ。
2021.06.08
アーチャーの方がもし読んでいたら、何だ、それ?と思うだろう。昨日の練習。HBCであれこれやってみる。まずドローレングスを半インチほど縮めた。カスケードと比べて、フックの位置が遠いので、その分ドローレングスが長くはなる。1cmあまりなので、まあ、半インチでどうかという感じ。次に、今まで両肩を持ち上げ、上から下ろすように、引いていたのを、的につけそこから水平に持ってくるように改める。こう書いただけで、フォームの根本的見直しをやってるな、と思う方は多分コンパウンドアーチャーだ。46ポンドくらいだが、下ろして引く、という重力を借りた引き方でなくても、大丈夫になってきた。その上で、的からなるべくズレないように、フルドロー。この後、アンカリングという動作があるのだが、リカーブだった高校生の時に、アンカリングは一定に、と何度も先輩に指導されていた。確かに、リカーブではドローレングスが毎回変わらないように、押し手の方向と引き手の位置は、常に一定していなければならない。しかし、コンパウンドの場合、今の弓はドローストップのおかげで、確実に同じドローレングスが保てる。しかもピープとサイトレンズの2点照準だから、極端にいえば、そこさえピタッと決まれば、どう射とうが中る。パラ選手の中には口で引くアーチャーもいるが、そうであってもピタッとつけば、中るのだ。中らないのは、そこがうまくつかないか、ついても維持できないかのどちらかが原因で、とにかく矢は狙いが狂ったとしても、その時点でついた方向に飛んでゆく。もう一つの中らないケースは、ついているが、狙いを維持しようとした結果、緩んでしまい、つまり、ドローレングスが短くなっている場合がある。これだとレットオフのかかるコンパウンドでは相当狂う。ドローレングスが違えば発射力が相当違うからだ。さて、自分の場合は、これまで「緩まない」ようにと頑張って引いてきたが、結局「狙いが下がってしまう」ことに悩まされていた。どうすればフルドローの後、狙いが下がらないかをいろいろ試しているうちに、ハイアンカー気味にすれば、何とか下がらないで維持できることに気づいた。今までは人差し指と中指の股を顎の骨に付けていたのだが、そのもう少し上でやってみると、下がらなくなった。そのまま手の甲を返し気味にして引くとHBCはきれいに切れる。押し手の力を多少抜くこともできるようになった。弓はきれいに離れ、回りながら落ちていく。理想に近い。そうか!アンカリングへの拘泥が諸悪の根源だったのかと思った。というわけで「脱アンカリング宣言」である。さて、しかし、これで人が変わったように中るようになるかというと、今までの経験が、それは違うぞ、と教えてくれる。自分で考えた射の理論やフォームはろくな結果にならないという経験をいやというほど積んできた。ろくなことにならないと分かっていても、今朝は、少しワクワクしつつ、早めに出て、これを試してみようと思っている。まあ、そういうのが自分らしい生き方かもしれないね。
2021.06.08
毎度の4連休だが、それでも土日はやはり「休日」感が大きい。試合もあるし、7月はピアノコンサートが二つ。最近でも「つつじ」や「藤」などを見に出かけたり、いろいろだ。それで、食事の方は、出来合いの惣菜で済ませることが多い。最近はスーパーの握り寿司が多かったのだが、さすがに飽きた。昨日の昼はピザ。自分の担当。スーパーの冷蔵品。マリゲリータなのだが、とてもじゃないが、そのままでは無理。それで、生ハムを載せ、その上にトマト、茄子、ピーマンの超薄切りを載せ、さらに刻んだナチュラルチーズを載せて、オーブントースターで焼く。夜はおでん風煮付けとトンカツ。妻の担当。カツはスーパーの惣菜。レンジで1分温め、それだけではベトッとしてしまうから、その後オーブントースターで3分焼く。この「1分+3分」は、コロッケでも唐揚げでも同じで、揚げ物をアツアツで、しかもカリッとした食感でいただくための「黄金律」である。当然キャベツの千切りも添える。まあ、どちらかが健康な状態で「お一人様」になっても、というか妻がそうなら問題はないだろうが、自分がそうなっても、スーパーの何だかわざとらしい模様をプリントした発砲スチロールのトレイの惣菜をチンして、そのまま食べるような食事は、できればしたくない。というか、一人で食べるのはやはり味気ない。
2021.06.07
「試合日誌」というカテゴリーもこれで50回目。まあ、3年で50試合。よくやってきた。いや、最初はカテゴリーを作ってなかったから、70試合以上だろうか。昨日は地元の非公認試合、今季初戦である。50m×2で争う。以降の試合はハンデ戦となり、670がハンデの基準点。自分の左での最高点でもー18になるが、今季は今日の点数でハンデのスタートが決まり、以降の試合では、ハンデを1点でも縮めることが目標になる。風が出そうなので、最初からカスケードの黒で。当初はHBCで、というゲームプランだったが、変更。試射は、54点のクオリティエンド。まあ、悪くない。ところが、本番の一射目、カスケードを「放す」時に、何だか「引っかかった」感じがして、離れなかった。アタマでは放していても、実際は離れない。というのが、トリガーリリーサーで大きく的を外す典型的なケースなのだが、これが初っ端で出てしまう。どこに行ったか分からなかったが、畳に当たる音だけは聞こえたので、ロストアローは免れたようだ。43のスタート。その後も48などが続く。4エンド目から、HBCに変更。トリガーレスだと少なくとも引っかかる心配はない。後半2エンドは57-56で、辛うじて307。2回目もHBCでスタート。風が出てきたので、本当はカスケードに戻したいのだが不安だ。53のスタート。最後のエンドは風が強くなり50。313で終了。トータル620でハンデは-50になった。やはりカスケードは、いざというときにダメなのかもしれない。というか、こういう迷いが出た時点でダメなのだ。今までの努力が水の泡になったが、まあ、リリーサーを取り替えることに関しては、慣れているので、今日の練習からHBCで。
2021.06.07
昨日は妻のワクチン接種。自分と違い、大規模接種会場。たいした副反応もなく、無事終了した。送っていってから、ちょっと足を伸ばして、いつものアップルパイを買いに道の駅に。これで、医療従事者の娘と自分たち夫婦は一回目の接種が終わり、息子夫婦と娘の旦那さんはまだこれからということだ。報道では昨日時点で高齢者の一回目接種は20%くらい。これを加速させることに、政権は躍起になっている。確実なのは2回目の接種が20%になるのは7月5日前後ということだ。それで、7月末までに90%くらいを目指すとすれば、3500万の高齢者の7割、つまり2500万弱の高齢者が、あと25日で1回目のワクチン接種を終えなければいけない計算になる。つまり1日100万回。政権のスローガンと見事に平仄が合う。というより、そういう逆算で出てきた数値が1日100万回なのである。これに加えて、例によって、過疎地域で64歳以下の接種対象者の接種が始まったとか、摂取券の配布前倒しを検討とかいう報道を重ねていくのだが、1日100万回が画餅なのに、なぜそういうことになるのかが分からない。つまり、政権が本当に狙っているのは、ワクチン接種が順調だという「イメージ」の演出である。それは「イメージ」だから「虚」であり、その「虚」に頼ってオリンピックを強行しようとしているとしか言いようがない。昨日は水泳や体操などオリンピックの人気種目の国内最終大会が大きなスポーツニュースとして報じられ、オーストラリアのソフトボール選手団が来日、練習開始というのもあった。「開催」を既定事実化しようとする戦略である。しかし、御用学者だったはずの分科会委員長が、突然「パンデミックのもとでオリンピックをやるのは普通ではない」と国会で答弁し、政権は飼い犬に手を噛まれた格好だ。これまで緊急事態宣言とその解除に当たって、「専門家の意見を参考に」というのが「錦の御旗」だったのに、その御大が突然「この中でオリンピックなど狂気の沙汰だ」と取れる発言をしたのだから、「冷や水を浴びせかけられた」などというものではない。「真冬の湖に凍りづけにされた」ようなものだ。何でそうなったかは分からないが、首相と委員長が二人並んで会見するなどということは、もうないだろう。まあ、なんだかんだ言ってもオリンピックはやるのだろうし、その直前には「感染」は収束に向かっているというイメージが無理にでもばらまかれ、ワクチンを接種した高齢者たちはチケットを求めて騒ぐのだろう。我が家はそういう騒ぎとは無関係に、「今度、いつ孫に会いに行こうかね」などと話している。
2021.06.06
今回の連休は、やるべき仕事もなく、楽ちん、と思っていたが、今日、試合だということに、昨日気づいた。てっきり来週か、再来週と思っていた。まあ、だからといって、別にどうということもない。地元の非公認試合の一つである。遠征を伴う公認試合とは、自分の中では位置づけが全く違い、練習の一環。とはいえ、ちょっと困ったのは、昨日の練習で最後にHBCを久々に取り出してみると、思った以上に感触がよかったこと。クオリティショットが連続する。カスケードでやっていたが、やはりショットの後の「引き腕が真後ろに飛ぶ」快感は、まったく違うのだ。ただし、昨日は全くの無風。練習の一環だから、最初はHBCで、そのうち風が出始めたらカスケードと考えている。試合の朝で困るのは、朝練に行くわけにもいかない、ということだ。行くと、試合の前だからムキになって射ってしまう。そうすると、試合ではもう引けなくなるくらいに。まあ、それでも7時くらいに出かけて、ゆっくり射ちながら、試合開始9時を待つことにした。
2021.06.06
昨日は、妻をピアノのレッスンで送迎。今日は、コロナワクチン接種で送迎。このところ連休は、こういう感じだ。一回の送迎で1000円、家計からいただけるので、それはそれで結構いいバイトみたいなものだ。まあ、時給換算では随分安いのだが。この連休は、持ち帰らなければならない仕事はほとんどない。定期試験は返却し、入力まで終了したし、火曜日に特講があるが、とっくに予習済みで、せいぜい一回見直すくらいで、何もすることはない。昨日は雨で近射しかできなかったから、今日はこれから少したっぷり射ってくる。100射くらい、仲間とちんたら話しながら射つと2時間はかかる。帰ってきて、大谷の先発試合を見る。まあ、6回くらいまでだから午前中はそれで潰れるだろう。昼食後、ワクチンセンターに。だいたい往復2時間見ればいい。その間、ブックオフで休み中に読む本を物色するか、射場でもう一度射つか。
2021.06.05
「すき焼き」は自分の中では、かなり上位のご馳走に分類されている。子供の時から、時々は食べていたのだが、そのころはすき焼きといえば豚肉だった。もちろん牛肉は高くて手が出なかったということもあるのだろうが、神戸とか松坂とかいうブランド中肉以前の時代で、牛を食べる食文化がなかった、ということもあるのだろう。昨日のすき焼きの肉は地元の和牛。一昨日、スーパーで買ったものだが、グラム500円くらいの肉。二人であまり食べないから、200gくらいでいいか、とうことになった。昨日、白菜を買い忘れて、ちょっと行ってくるわ、という時、「やっぱり、もう少し牛肉足そうか」ということになった。まあ、オージービーフでも、と思ったのだが、行ってみると、昨日と同じ肉が賞味期限近いということで半額に。それなら、ということで買って帰ったのだが、何だか得したような、損したような、よく分からない気分だ。いつものように、簡易コンロとすき焼き鍋を用意し、おいしくいただいたが、やはり買い足した肉の1/3しか食べられなかった。130gくらいが限界のようだ。ステーキなら100gで十分である。ともあれ、子どものころにはご馳走であったものを、気楽に食べられるというのは、幸福感をもたらす。そういう意味では、バナナもアイスクリームもフルーツの缶詰も、すべて自分にとってはやはりご馳走で、幸福感を得やすい世代なのかもしれない。
2021.06.05
「パンデミックという状況でオリンピックは普通はやらない」という尾身氏の言葉が、いろいろと取り沙汰されている。「普通はやらない」というのは、裏を返せば「やるのは異常だ」ということだ。ところが、政府もIOCもJOCもこの「異常性」を一向に認めようとしない。尾身氏の言葉で余計だったのは「だから、やるなら相当の覚悟が必要だ。そもそもやる意味を国民に説明する必要がある」といった内容のものだ。「やるなら」という条件をつけた時点で、「無観客なら」とか「バブル方式なら」というやるための「条件」を政権はでっち上げようとする。今は観客を少しでも入れるような素振りだが、「無観客」という「決断」をすれば、それが「相当な覚悟」ということになるだろうと、多分思っている。「やる意味」については、どんな事柄でもそれなりの意味、価値はあるのだから、語彙力の乏しい総理の代わりに、誰かがいくらでも作文できるだろう。高齢者へのワクチン接種を7月までに完了するという虚言も、メディアがさっぱり検証しないのだが、人口の多い地域で大規模接種センターを作っても、政府が言うように90%達成にはほど遠いだろう。おそらく70%以下になるというのが自分の予想だが、90%にしたところで、国民の30%弱にすぎず、それが集団免疫を得る水準ではないのは明らかだ。しかし、始まってしまえばそんなことは誰も問わなくなると思っているし、実際そうなるだろう。「始まってしまえば」メディアはオリンピック一色になる。もちろん、選手の感染対策、役員の夜の街への外出などのワイドショー的関心を煽る報道を含めての話だ。「始まってしまえば」、もう誰も「やるべきではなかった」とは言わなくなる。そんなことをいまさら言っても仕方がないからだが、しかし、政治は結果責任というなら、その検証こそが絶対に不可欠だ。
2021.06.04
自分ながら、よくやるねぇ、と思うのだが、先ほど射場から帰宅。射場滞在時間はほぼ30分。行き帰り、コンビニに寄ったから移動時間も30分。雨はポツポツからボツボツ、パラパラ、バラバラという降り方に変わっていったが、屋根の下で5Mくらいの狙う近射。サイトは50Mのまま。的紙を貼り付ける鋲だけを畳に10cm間隔で横に3個、その10cmくらい上に、もう3個刺しておく。それで狙うと、矢は15cmくらい上に刺さる。リカーブの近射は、一箇所を狙うがそんなことをしたらたちまち矢が壊れる。引きを保つというより、さらに引く感じで狙い、放ち、押し手を放す。だいたいそれが目指す射なのだが、今回は押し手に意識を集めた。押し手が余計な仕事をしないように、意識が監視する。「余計な仕事」というのは、つい、的のセンターからのズレを修正しようという動きのことだ。それをやると、引きが甘くなり、緩む。緩むと少しの緩みなら矢は上方7点くらいのところいく。だから「小手先」で物事を何とかしようとするのは弓でも禁物なのだ。自分なりの判定では、ほぼすべての射で緩みは出なかった。まあ、近射で緩むようなら、もうどうしようもないのだ。雨は今、ザーザー降っている。
2021.06.04
今週は定期試験で、昨日2時間だけが「仕事」だったにもかかわらず、結構疲れた感じだ。やはり、生きていくだけで疲れる歳になったのかもしれない。昨夜は、10時ころソファに座ったまま寝落ち。気づくと11時半だった。それから、緩慢な動作でベッドに潜り込み、朝は4時半に目が覚める。まあ、最近では随分と眠った。だいたい6時間半通して寝たことになる。それに、その前に海外ドラマを見ながら、30分ほど昼寝している。昨夜、ちょっと腰の辺りに蕁麻疹が出て、抗アレルギー剤を飲んだ。ワクチンの副反応なのか、昨夜食べた随分と痩せ細ったサンマのせいなのか、微妙なところだが、いずれにせよ今朝はもう何ともない。さっきから、台所の窓から見える空とにらめっこ。雨はポツポツという降り方で、まだパラパラではない。行こうと思えば行ける。最悪の場合、屋根の掛かったところで近射だけでもいい。昨日の練習は、エンドで50~57点。ゲームだと310台がせいぜいだろう。クオリティ・エンドは全体の半分強といったところ。つまり、あまりよくないのだが、射の感触自体はつかみかけているな、という実感はある。仕事の方は、定期試験を昨日返却。3年67、2年75の平均点で、2年生が予想よりも随分とよかった。最低でも50点台で、下がいない状態。これだと平均は上がるし、こちらが想定している75点という合格点に達した者が多い。2,3年ともに次は小説教材。2年生は『山月記』、3年生は『檸檬』。3年生は、ほかにリベラリズム、リバタニアニズム、コミュニタリズムという三大政治思想についてまとめ、その説明を次の定期試験で課すことにしている。自分は決して政治的人間とはいえないのだが、現代の社会状況を、政治思想の面から正しく捉えることの出来る有権者に育ってほしい、という思いがある。前政権から始まった新自由主義的政府は、一見リバタリアニズム的に見えるが、社会保障制度などの実態は十分リベラルといっていいというのが現代日本社会の実相だろうと、自分は考えている。来週はちょっと短縮になった特講を含めて、フルタイム。久々だ。明日は妻のワクチン接種。付き添う、というより送迎するだけだが、副反応がたいしたことがないといい。雨はポツポツからボツボツという感じに変わってきているが、とりあえず射場に。
2021.06.04
アーチャーなら324というのはちょうど区切りのいい数字と分かる。36射を9点平均で射てば、324である。昨日朝の練習で一回目はこの324だった。カスケード黒。56-56-51-56-55-50、という内容で51,50のエンドで7点2本とか、6点、7点が出ている。こういうエンドをなくさないとなかなか330は越えられない。メジャーリーグでは先発して6回を3点以内に抑えると「クオリティ・スタート」というそうだが、それに習って自分なりのクオリティゲームなどを策定してみた。クオリティ・ゲーム=324以上クオリティ・エンド=7点以下のないエンドクオリティ・ショット=9点以上この規定だと、クオリティエンドの最低点は48だが、それでも例えば10-10ー10-8-8-7=53よりはいいという判断だ。強風の場合は、クオリティゲームは312以上、エンドは6点以下がない、ショットは8点以上、と一段階下がる。こう決めると練習でゲーム点数を取るよりも、1エンド、1ショットごとの質を判定しながらやれると考えた。さて、今日は風もなく、ワクチン筋肉痛はあるけど、どのくらい射てるだろうか。
2021.06.03
ワクチンの副反応もなかったので、昨日は予定通り、夕方妻と「鼓童」のコンサートに。「鬼出御座(オンデゴザ)」という和太鼓の集団が分裂したのだが、妻はその時代を含めて三回目、自分は二回目である。30年ほど前、初めて見たのだが、その迫力に圧倒されたのをよく覚えている。和太鼓という伝統楽器にこんな凄い力があったのかという思いだ。それはプロの演奏家でも同じで、小澤征爾など凄い人たちが鼓童のための曲を書き、また一流の舞台芸術家たちも演出を手がけている。何といっても圧巻は、最後の演目。大太鼓の連打、強打のシーンだ。背中の筋肉が激しく、しかし的確に動き、リズムとエネルギーが相互に高まりながら、クライマックスを迎える。以前見た時よりも少し人数が減り、迫力もその分減じたように感じたが、それでもわざわざ音鑑に入って年25000円の会費を二人分払った価値はあった。音鑑は、いまだにどうしようもない組織で、1年以上の入会を前提に、年6回くらいのコンサートに無料でいけるのだが、中にはあまり気が乗らないものもあり、今年度で言うと、PMFと前衛的な日舞は行きたいが、南こうせつは死んでも行きたくない。いや、死んだら行けないのだが、あの高音はともかく、客に媚び、むりやり手拍子や一緒に歌うことを強要する、その実、高みから客を小馬鹿にしたようなトークは虫唾が走る。「つまごい」でかぐや姫と吉田拓郎のジョイントがあったのはもう15年も前で、大学生の息子と一緒に行ったのだが、かぐや姫の時はほとんど会場の外にいた。聞く価値がない。そういうのを並べて一山いくらの野菜じゃあるまいし、1年分を一緒くたに買えというのは、実に客を見下した態度としかいいようもない。だから、絶対に入りたくない団体なのだが、「鼓童」見たさに今年度だけは入った。なにしろ一般販売がないので仕方がないし、どこか別のところに出向くよりは安い。もう一つ悪口雑言を並べると、「客席での会話はお控えください」というプラカードを持った主催者とおぼしきおばさんが休憩の間、ずっと立っている。マスク越しの小声の会話が、いったいどういう感染を引き起こすというのか。まあ、百歩譲って「大声での」という一言をつければいいとしても、館内アナウンスや、場内電光板で十分ではないか。自分たちの前にいたおばさんはちょっと会話が多いところに向かってその看板を押し出すようにしている。これじゃまるで「自粛警察」である。「音鑑」や「演鑑」という団体は、もともと民青系の芸術団体で、今でも日教組上がりの教員の再就職先らしく、善意の押しつけが大好きなところだ。その独善性が自分たちの思想的限界であることにまったく無自覚だ。ともあれ、「鼓童」は十分楽しめた。
2021.06.03
昨日は、一回目のワクチン接種。特にどうということはなかったが、人が多くでびっくりした。いつもの医院玄関前の駐車場は満杯で、職員用駐車場に案内され、入ってみると20人以上の患者がいる。通常診療の時間外なので、みんなワクチンである。市のHP一覧にも載せず、本当にかかりつけ患者だけが来ているはずなのだが、それでもこの混みようだ。HPに掲載したばかりに、事務がひっきりなしかかってくる電話の応対に追われ、仕事にならない医院もたくさんあると聞いたが、それもわかる。人口25万人の都市だが、過疎地域でやっている年齢を区切り、場所を指定して接種の案内を出す方式の方が、まだしもスムースにいっただろう。どうせ高齢者は暇だし、時間の都合はつけられる。決めてもらえば、おとなしくそこに行くという人は多いだろう。その日時、場所で都合が悪い人だけが専用ダイヤルに電話する方が、賢いやり方だった。まして、コールセンターなどでは予約がいっぱいになってしまったことを告げて、高齢者に罵詈雑言を浴びせられるなどの辛い仕事が多いそうで、そういう話を聞くと、「オマエ、どうせそのうち死ぬんだからジタバタするな、みっともない!」と一喝してやりたくもなる。自分にはできない仕事だ。混んでいたわりには、接種までの流れはスムースで、1時予約の20分前ころに行ったのだが、12時50分には接種が終わっていた。ただし、ドクターの問診で、「あ、そういえば蕁麻疹出たって言ってたよね」「はい、鯖が特にひどかったですね」「じゃあ、15分なんだけど一応30分終わってから待機ね」というやりとりがあった。まあ、慎重に診てくれるのだから、ありがたい。痛み自体は、接種の時は何でもなかったが、今は結構な筋肉痛。筋肉注射なのだから、しょうがない。まあ、弓を引けないほどでもないから、今日も朝練に。痛み以外に疲労感、倦怠感、発熱など、よく言われる症状はない。しかし、「倦怠感」などは、かなり主観的で人によるとしか言えず、これを副反応とすることにも疑問がある。そんなことを言えば、20代のころはいつも倦怠感を抱えて生きていたようなきがする。ともあれ、一回目は無事終了。次の予約は自動的に三週間後。その間に胃カメラがあり、二回目の後は大腸カメラだ。一病息災というが、こんなに自分が病院通いする身になるとは思わなかったな。
2021.06.03
一応、週20時間と見なされている現在の講師という立場の仕事だが、表面上は週20時間を大きく下回る。そもそもすべての授業と講習と会議を足しても、フルである週だとしても、自分の場合、10時間、いや本当は1時間ではなく50分が単位だから500分、つまり8時間強がいいところだ。 今週は、試験で監督はまったくゼロ。明日の授業2時間だけである。 しかし、実際は今週でも、採点に2時間すでにかけていて、今日持ち帰る答案で、また2時間。入試問題作成で2時間。とまあ、表面上の仕事時間の3倍くらいの持ち帰り。それでもたかだか8時間だろうが、と言うかもしれないが、普段でもこんな感じで家でいろいろとしているので、規定を越えそうな週も時々ある。 そもそも時間管理されていないので、実際のところどうかと言っても無意味なのだが、とにかく給与は格安だ、と自分では思っている。自分のもらう本来の年金の7割程度。高卒初任給レベル、と言えば大体分かるだろう。 まあ、それでも幾分か家計の足しにはなっているらしく、我が家の総資産は車を買ったり、家を直したりした分くらいしか減っていない。 「持ち帰り」については、自分はさして苦でもない。というか、持ち帰らないと、試験作成や教材研究はできない。一人で集中してやる時間が必要だ。専任はそこを大きく勘違いしている人間が多い。教材研究は指導書を斜め読みしてすませている。酷い場合は、指導書をコピーしてノートに貼って授業に行く。指導書など、まったく参考にならないというだけの知識量がある教員は数人しかいない。 また、持ち帰ろうが帰るまいが、教師という仕事は全人的なものなので、意識は常に教えるというところにある。それにしては生徒の名前をなかなか覚えないのだが、本質は誰に教えるかより、何を教えるか、だと自分は思っている。例えば、今回の「現代文B」の「憲法への招待」という文章で扱ったのは、平等と自由の問題だった。 「所得が平均値の半分以下のAと2倍以上のBに実質的平等を確保するには、どのような『異なる取り扱い』が必要か。また、その取り扱いの正当な根拠は何か。全文を参考にして論ぜよ」というのがメインの記述問題。満点の解答者は数人。 解答例。 AとBの所得税を累進課税によって、Aからより多く徴収し、Bからはより少なく徴収する「取り扱い」が必要である。これによって、Aから徴収した税を使って、社会的弱者や経済的困窮者の『健康で文化的な最低限度生活』(憲法25条)を保障できるという正当な根拠があり、『実質的公平』を達成する適切な手段だといえる。 とまあ、こんな具合なのだが、運動会で生徒が可哀想という理由で、タイム別のグループを作り、徒競走をするなどという「異なる取り扱い」は、なぜ馬鹿げているのか、などという現在の問題を考える契機になる。最近で言えば、ワクチンを首長が先に接種したとかで騒いでいたが、この「異なる取り扱い」には正当な根拠があり、それを堂々と言わなかったのが問題なのだ。「みんな同じ」という「形式的平等」論者、あるいは「平等」という概念自体が常に他者との比較の上で成立する問題であって、近代を作ったもう一つの概念である「自由」とは性質の違うものだ、ということを知らない人間がいかに多いかを知る契機ともなる。先の例で言えば、タイム別のグループを作って競争させられる子どもたちは、決して「自由」ではない。 そして、そんなことは指導書には決して書かれていないのだ。
2021.06.02
どうやら、政権はワクチン接種を無理にでも進めれば、オリンピックも、衆院選もすべて何とかなると思っているようで、各地に大規模接種会場が作られ、医療関係者が動員されているようだ。そもそもコロナに関わる医療従事者が、非常に少なかったし、関わろうにも一般のクリニックのレベルでは関われないような伝染病指定をしてきたことが問題なのだが、これは項を改めて論じたい。昨日、自称「意識の高い医療従事者」の娘も「意識の低い高齢者」の老親に、なんやかやと言ってくる。「医者は、カコナール(鎮痛解熱剤)を予め飲んでおく人が多い」とか「あ、それからアレグラ(抗アレルギー剤)も」とか。娘は自分が一昨日接種し、それに当たって、友人の医師などに情報を収集したようだ。まあ、こちらを心配してくれてのことなのだが。妻がいろいろな残薬を調べたらどれもこれもみんなあった。「あったよ」と返信すると再び「前の晩から飲め」とかいろいろ。妻が「仰せの通りに」と返信しておく。今朝は普通通りに起き、6時くらいに射場に。昨日は早く行きすぎてちょっと寒かった。接種前に風邪は引けないので、十分厚着で行こう。ワクチンはかかりつけ医で、1時から。その帰りに職場によって今度は2年生の答案を回収して帰り、採点の予定。これは、明日の朝までにはつけて、できれば明日の授業で返却したい。
2021.06.02
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