全63件 (63件中 1-50件目)
一昨日が6時、今日は6時半まで寝ていた。朝練もなし、見ておくべき小論文もなし、ということになると、例年のことだが、朝は段々遅くなる。今年の場合は一気に遅くなってしまった。やはり、何だかんだ言って、根は「真面目」なのかなとも思うが、そんなはずがないことは自分でも分かっている。かといって「不真面目」なのかというと、決してそうではない。そこそこの仕事もしたし、そこそこ、子どもを育て上げ、そこそこの安定した家庭を維持してきた。そこそこの倫理観や、信仰心も持ってはいるつもりだ。自分の根は「勤勉」でも「不真面目」でもない。「遊び半分」である。仕事も、子育ても、今のセミリタイア生活も、みんな「遊び半分」でやってきた。今、麻雀にちょっとハマっているが、これは「将棋」や「囲碁」のような「大真面目」なゲームではない。基本的には偶然性が支配するが、だからこそ、少し真面目に打たないと、トータルでは負ける。自分に合っているゲームだ。一つのことを追求すれば、他のことには目が入らなくなる。しかし、所詮、人間のやることは、すべてを意志や理性の力でコントロールできるわけでもない。その前提に立つと、失敗した人生を送った人間は、意志の力が弱く、理性的判断ができず、倫理観にも欠けた人間ということになる。それは、完全な「自己責任」を問われる新自由主義の世界だ。そんな世界はまっぴらだ。「遊び半分」は人生の運、不運を受け入れることだ。そして、おそらくは比較的運に恵まれきた人間の精神の在り方なのだと思う。それは、「俺は右を向くが、君は左を向いても一向に構わない」という孤独な個人主義の思想に根ざすものである。「遊び半分」で生きていられることは、ありがたいことだ。
2021.11.30
昨日は、結局、思ったより早く終わった整形から帰宅し、カップ麺を昼食にして、その後、射場に。一人だったので、的を2枚貼り、6本射ちにした。最初の60射は点取りで、550(+14-4)。後半、8点が3本も出た。そうなると、550前後だ。277-273。その後、やはり6本射ちで、スコアを取らずに練習。ここで、技術的なことを確認しながら射つ。昨日、考えたのはグリップ。「卵を握る」型よりも、少しベタ押しの度合いを強めて、五指を開き気味にしてみた。次に、引き手。たまたま「切れる」射が出たので、その射と同じくらい引き手を、もっと後ろに引く。少し左にサイトを動かしたが、その方がフォームがいい。その2点を改善して、58が出たところで終了。今日は、退勤後に練習予定。やはり最初の60射は今の二点を踏まえて点取り。その後、30~60射、技術的な確認と修正という練習スタイルがよさそうだ。
2021.11.30
などと一度言ってみたかっただけで、「多忙」とは無縁の生活を送っている身ではある。それでも今週は土曜日の遠征出発に向けて、何かと忙しい。まず、今日は整形、ホームドクターの掛け持ち。珍しく、寝坊して起きたら、6時近い。慌てて診察券を出しに行った。何とかいつも通りの6:22到着。14,5番。この順番だと、10時過ぎに行けばいい。最近また混み出している。かかりつけ医の方は、2週間分の眠剤をもらってくるだけだが、これは午後の最初に。帰りがけにちょっと射ってきたい。その他に細々とした用事と家事。明日は、普通の授業日で、明後日以降金曜までテスト。テスト監督も2時間ある。水、木と答案が上がってくるから、採点は金曜日までに終えて、土曜日に発ちたい。練習は今日から金曜までは毎日やりたい。一日60射でいいから、今の射の精度を上げておきたい。麻雀は土曜日には行けないから、水曜日。木曜日は、銀行が来るので午後は空いていない。その木曜日は、車で10分のところに六花亭のレストランがオープンするので、3時間目の監督を代わってもらって、繰り上げて行きたいと考えている。どのくらい本家の味が出せているか、ともかく一度行ってみたいのだ。まあ、麻雀くらい休んでもいいのだが、さてどうするか。まあ、そういうわけで超多忙、いや超欲張りなだけか。
2021.11.29
トライアンフ +7-6、+8ー5 27320-12 +6-0、+6-0 282トライアンフは、6点も7点も出る。それに対して20-12は8点は0本。弓は道具のスポーツである。道具に対して、信頼を持てるというのが、競技の必須の条件だ。結果を見れば明らかで、原因は分からないが、トライアンフはやはり大きな外しがある。昨日はちょっと迷ったが、来週の遠征は20-12で射つことに決めた。
2021.11.28
昨日は、うっかり初心者教室があるのを忘れていた。それで10時までしか射てなかったが、休まず射って60射。前半は8点が1セットに1本ずつ出て、274。まあ、このくらいの数字は出る。後半の6本を射ったところで、ふと思いついた。「今の射なら、トライアンフ、いけるのではないか」。20-12はさすがに10点を食ってくれない。規定ぎりぎりまで太いトライアンフならと、例によって山師根性が出た。車から取り出した。サイトは大体分かっていたが、最初に8点。そうだった。左右も少し調節が必要だった。次は10点が続き、3回目は結局+4-1。4回目は、すべてトライアンフで射ち、8点はゼロの+5。このくらいだと20-12と変わらないのだが、インナー9には全部入る。2/3はアウター10。ぎりぎりの9点がないだけでもずいぶんいい。278。訳の分からない8点が出ると思っていたが、結局、狙いをつけることにこだわりすぎ、緩んでいたのだろうと思う。そのあたりを今日は、昼から行ってじっくりと確かめたい。今日も午前は教室だしね。
2021.11.28
大相撲は、予想どおりだったが、照ノ冨士が阿炎を余裕を持って一蹴。14連勝で千秋楽を待たず、連続優勝を決めた。阿炎も善戦したし、のど輪で横綱を土俵間際まで追い詰めた。昨日、阿炎に勝機があるとすれば、そこからの引き、と書いたが、阿炎はあくまでも横綱を押し出そうとした。横綱は、そこから太い腕で阿炎を抱えると、阿炎の身体は浮き、逆に阿炎の方がツッパリを突然失って、倒れた。決まり手は押し倒しだったが、阿炎が勝手に前につんのめって転んだようにも見えた。これで、千秋楽の興味は結びの一番。貴景勝が横綱戦で意地をみせるかどうか。阿炎は、通常の前頭同士の取組みに戻って隆の勝戦。隆の勝も10勝で好調だが、正代戦か御嶽海戦が見たかった。その正代と御嶽海が結び前の一番。9勝の大関と10勝だが、優勝戦線に残るべきだった御嶽海という取組みより、今は阿炎の方がよほど見たい。もし、阿炎が昨日勝つようなことがあれば、そういう一番もあったろう。千秋楽前に優勝は決まったが、面白い場所だった。初場所、GoToがあったら行こうかな。
2021.11.28
13戦全勝の横綱照ノ冨士と12勝1敗の再入幕阿炎。優勝争いは、この二人に絞られたと思う。2敗貴景勝も、数字的にはチャンスはあるが、現実的には無理だろう。自分は、前半2日目が終わった時点の記事で、阿炎、照ノ冨士、御嶽海、貴景勝などの名前を挙げていたが、御嶽海は例によって脱落した。自分の予想も大分当たっている。弓もこうだといいのだが。さて、「阿炎ー照ノ冨士」の一戦は番付上は、普通はないはずの取組みである。こういう例外的措置を「割を崩す」と言うらしいが、語源は「本来の割り付け」つまり誰と誰が対戦するかという編成を崩す、ということのようだ。本来であれば、14日目の結びは「正代ー照ノ冨士」の大関、横綱戦であるが、これが吹っ飛ばされた。地元の大関、正代にとっては不名誉なことだ。何しろ大関ー横綱戦に見る価値がないと言われたのも同然だからだ。以前なら、絶対そんなことはなかったのだが、昨年来、徳勝龍などの平幕優勝が続いたことが大きな要因である。幕尻力士が、大関とも横綱とも対戦せず、13勝2敗で優勝してしまうのは、確かにどうかと思うし、ファンとしてはどちらが本当は強いのか、本割ではっきりさせてほしい。さて、阿炎は昨日、これも番付上はあり得なかった大関貴景勝戦で、一方的に勝った。貴景勝が悪いときの引き癖が出たのではない。当たり負けし、押し負けした結果である。さて、好調の大関に完勝した阿炎の力が照ノ冨士に通用するかどうか。阿炎に勝機があるとすれば、両手ののど輪だろう。あの長い手で下から喉を突き上げられて、突然外されれば、さすがの横綱も落ちる可能性はあると思う。いずれにしても楽しみな一番だ。今日は「弓→麻雀→相撲」という欲張りな一日である。
2021.11.27
昨日は9時から10時半までの練習。ストーブを焚いたり、冬はいろいろと準備に時間を取られるから、実質は1時間ちょっと。70本。例によって、3射×5回を1セットとして、4セット。1回目 +2-1=+1(+は10点の本数、ーは8点の本数。=の後は平均9からの+)2回目 +4-1=+3 274(30射合計)3回目 +4-0=+44回目 +8-0=+8 282 556(60射合計)最初は8点が1射ずつ出たが、3回目以降はゼロ。それでも3回目は9点の縁が結構あったが、4回目はそれもなくなった。「気合い」で射つのは変わらない。この前書いた通り、「狙う気」と「引く気」が合ったところ、もっと正確に言うと「押して狙う気」と「引いて狙う気」が合ったところで、放すという気持ちは同じだった。変わったのは、「気を抜くこと」を意識したことである。もちろん行射中に気は抜けない。行射と行射の間に、「気」を抜く。具体的には息を完全に吐き出す。そうすると、また次の射でゼロから「気」を入れつつ、「気」が合うのを待つことができる。4回目は、射自体のレベルが少し上がったように感じた。今日も9時から11時くらいまで。
2021.11.27
とは思うのだが…。窓の外は雪景色。寒いし…。まあ、妻の送迎があるから、その前1時間くらいなら。
2021.11.26
昨日は、3時限目が終了して、ちょっとゆっくりしてから退勤。腹が減って、昼食に持っていったコロッケとパンは10時台に食べてしまったし、昼休みの小論文指導も授業内に繰り上げた。駐車場がなかったので、同じビルの駐車場を借りている知り合いの塾の先生に電話。「ご無沙汰しております。いつでも、使っていいですよ。いやあ、先生お会いしたいですね」という話になり、麻雀は弓の時間を確保するため、3時までとしたが、予定変更。「もし、今日3時半ころでよければ伺いますが」「ぜひ!」ということだった。さて、麻雀である。最初は、先生、奥さんともう1名。親の白ドラ3を鳴いたのに、平気で通っていない筋を振ってくる。最後は、奥さんにかわされて浮きの2位。南3局の一人ノーテンが痛かった。1000点差。2回目は順調に進んで、トップ目だったが、東4局までいったところで「あっちに移ってもらっていい?」と先生。見れば有段者、熱ピタ、ガードの堅い寡黙な高齢男性の卓が割れたようだ。「こっち、こっち!」と手招きしている。最近、一番強い卓に回されることが多い。こういう場合、次に自分の席に座る人が自分の点棒を引き継ぐ。まあ、別にいい。次の人は、どうやら初心者らしく、いわゆる教えながら打つというかっこうだ。「いやあ、しかし、この前の発一色、綺麗だったね!」と有段者。まあ、根に持つタイプではないのでよかった。「いやぁ、だって3つ鳴いてたんでしょ?そりゃ振る方がが悪い」と熱ピタ。あれ?この前いなかったのに。どうやらその話はかなり伝わっていたらしい。まあ、そりゃ、ここのエースを自認する有段者が振りこんだわけだから、話題性は十分なのだろう。配牌が順調で、平和(ピンフ)系の手を3回ほど上がって親番。これが、連チャンで長かった。場積みはなしのルールなので分からないが、おそらく10本場くらいまで行ったろう。満貫を2回ほど上がり、5800、7700も1,2回。ダマが6割くらい。相手は、リーチでもダマでも上がられ、安い手も高い手もあるから、自分の手筋は読めなくなる。そうなると不思議なもので、逆に相手の手筋は的確に読める。ダマでもリーチでも聴牌前にその気配が分かるし、危険牌もほぼ分かる。今回はハネ満以上の手はまったく上がっていない。一番、自分では会心だったのは、もうたっぷり貯金のあった南2局、親番の手。リーチ、一通、ドラ1の親満。ピンズの一通で、待ちは東と4索のシャンポン。東は一枚切れ。ソーズはそんなに安くはない河だったが、4索の筋の1索、7索は切れている。聴牌は7,8順目。一瞬、混一色も考えたが、満貫で十分なので、聴牌即リーだった。上家から、13、4順目にほぼ無警戒で東が出て、ロン!自分の持っている点棒から考えると、当然ダマという選択もあるべきだったが、ここでリーチなら、熱ピタも有段者も降りるだろうと予想できた。降りればオタ風の東は出やすい。別に上がらなくてもいいが、高い手を自摸られたりすると、親被りになる。開けた牌を見て、有段者も熱ピタも「う~ん」と唸っている。彼らなら混一を目指す手だったのだろう。ただ、それをやると、引き次第で、一通は崩れる可能性が結構ある。リーチ、混一、ドラ1ならやはり満貫で変わらない。また、4索の対子切りは、十分に混一を予想させるし、索子が大体通ると分かる。このレベルでそれをやれば、もう出てこないだろう。それよりは、相手を降ろすリーチの方がいい。麻雀の中で大事なのは、河を読むこともそうだが、最も有効なのは、人を読むことだ。もう3,4回目なので、有段者、熱ピタの気配は大体読める。高い手をダマで待っている気配、なかなか聴牌せずイライラする気配、鳴いてはみたが、手牌は結構バラバラである気配……。こういうのが分かってくると、ラクだ。結果は+50の1位。一度も放縦せず、聴牌料も出さなかった。オーラスで、ハコテンすれすれの熱ピタが頑張って混一、トイトイ、ドラドラ、役役の倍満で有段者を直撃し、有段者はまたしてもハコ下だった。この気配も、十分読めていた。まあ、運もよかったからの結果だが、配牌やツモに恵まれない日でも、このメンバーなら、そう大きくは負けない気がする。
2021.11.26
今日は、時間割交換で、1時間目2年現代文から。3時間目に3年現代文。それで仕事は終わるが、昼休みは小論文指導になるだろう。それから、昨日うっかり忘れていた年賀状印刷を頼みに行き、麻雀に。前回、役満を上がって以来、一週間ぶりだ。その帰りに弓に。30分くらいは射てそうだ。できれば1時間やりたいが、昼休み前に小論文を片付け、4時間目の空き時間に年賀状を頼んでしまえば可能。弓の後は、相撲。今、楽しんでいることを少しずつ詰め込んで、全部やろうという欲張りな一日である。
2021.11.25
銀の時計をうしなへるこころかなしやちよろちよろ川の橋の上橋にもたれて泣いてをり(室生犀星『小景異情』その3)さて、今日1時間目に生徒が口頭で発表する「銀の時計とは何か、自由に論じなさい」という課題について、ここで自分も考えておきたい。「銀の時計」というものを童話的なもの、すなわち幼児的なものの象徴と捉える見方もあるが、自分はその見方をとらない。ひょっとすると、「銀の時計」が登場する童話もあるのかもしれないが、この時代にそれが、現実に存在する大人用の「高級品」であることを考えると、そうは解釈できないだろう。単に「時計」ではなく、「銀の」とある。もちろん銀よりも金の方が高級であり、金時計なら、大きな会社の社長とか国会議員の先生とかが懐中時計として持っていそうだ。では、「銀の時計」を持っている「大人」とはどういう人か。例えば、市役所である程度までは偉くなった役人の永年勤続の記念品などということもあるだろう。つまり、能力のある庶民が、真面目にそれなりのところで長年働いて、そのご褒美として手にするもの。そういうまともな生き方。それが「銀の時計」が象徴するものではないか。「銀の時計を失う」とは、そういうこの時代のモデルである立身出世的生き方を、もはや人生の価値とはしない生き方を選んだ一人の詩人の嘆きと読める。この詩が、例の「ふるさとは遠きにありて」という詩に続くものであることを考えると、また「ちょろちょろ川」が養家の近くを流れる犀川である可能性に思い当たると、次のように解釈できる。犀星は帰郷し、自分の不幸な生い立ちを思いだしている。犀川の橋の上で、子どもの時にその小さな流れを見た自分は、今の自分でもあり、子どもの自分でもある。詩人として成功することもかなわず、金の無心に帰郷している今の自分は、とっくに「銀の時計」を人生の到達点として手にするような生き方を失ってしまっている。子どもの時、この小さな流れを飽くことなく見ていた自分は、そんな考えもなく、ただ家に居場所がないから、ここに来ていただけだ。しかし、今、考えてみると、自分はその時にすでに自分は「銀の時計」を失ってしまっていたのであり、そうとも知らず、飽かずこの流れを眺めていた「自分」はいとおしくもあり、かなしくもある。以上が、自分のこの詩の解釈だが、誰しも何かを失いつつ生きているのが、人生というものではないか。流れる星は、今が綺麗でただ、それだけに悲しくて流れる星は、かすかに消える思い出なんか残さないで君の欲しいものは何ですか僕の欲しかったものは何ですか(吉田拓郎 『流星』より)
2021.11.25
「ながら」は連用形接続の接続助詞で、現代日本語では「動作の並行」を意味することが多い。古語では他に「逆接」という大切な意味があり、これも「彼は子どもながらに、切なさを感じた」という文の意味が了解されるのだから、現代日本語にも一部は残っている。さらに、「【まるごと】のながら」と自分が呼んでいる使い方があり、「壺ながら得てしがな(壺のまま全部手に入れたい)」のように、体言接続で用いる。などということを書く予定ではなかったのだが、以上は、話の枕である。昨日、昼寝の後に、今日が事務に提出締め切りの扶養者等の書類を書いたが、相撲をテレビで見「ながら」だった。おかげで、「阿炎ー宇良」という11日目屈指の一番を見逃してしまった。あ、始まるなとは分かっていたのだが、年金と給与を足して、控除額を計算式に当てはめて・・・という結構面倒なことをしていたすきに、大一番はあっけなく終わったらしい。自分の若いころは「ながら族」などと言われ、「ながら」は能率の悪いやり方とされていた。しかし、今、そんな言葉は聞かなくなっている。むしろ、一度に複数の情報を処理する能力が高いことが、賞賛されもする時代だ。シーズン3まで見終った「Good Doctor」では、命に関わる手術を「それで、リアとの関係は修復できたの?」などというプライベートな会話をし「ながら」、やっている。設定では全米屈指の外科医たちの物語だ。多忙な彼らは仕事と私生活を「並行」しながら生きている。普通の人びとも、電車に乗りながらスマホをいじっている風景は、まさに「ながら」族であり、自分たちが若かったころに音楽を聴き「ながら」、勉強するという「ながら」とはまったく違う様相だ。人間の一日を俯瞰すれば、実にいろいろなことをやっているわけで、生の本質は、全神経を集中して、やり遂げることではなく、いろいろなことが尻切れトンボのままに、行われ続けることかもしれない。だとすれば、「ながら」はそれにかなった生き方とも言える。
2021.11.25
昨日は、息子の方の孫娘の「生活発表会」。昔は「学芸会」と呼んでいたものだ。午後1時半から、YOUTUBEでリモート中継があるというので、妻と二人でPCの前に。こういうこともあるし、最近は、今は海外ドラマや映画もオンデマンド配信が中心で、蔦屋などが次々にDVD貸し出し事業から撤退している(あのスペースは一般店舗にした方が収益が上がるそうだ)から、今度、我が家で何かほしい家電があるとしたら、文句なくインターネットTVだ。居間用、寝室用と二台はほしい。さて、孫娘の出番は年少少組で(最近は幼園は2歳児の取込競争が激しく、どこでもそういう組がある)、合奏、斉唱、遊戯の三つ。午前、午後の二部制だが、午後のを案内された。二部制にしたのは、多分保護者観覧を制限しているからで、2歳児でも7時から登園していたというから、相当疲れたのではないか。案の定、同級の男の子は、今にも眠りそうで、かろうじて立ちながら、コックリコックリやっている。もう一人は行き倒れのように床で眠ってしまい、先生が毛布か何かかけている。まるで『八甲田山死の彷徨』みたいだ。月齢が幼く、しかも早産、未熟児で生まれた孫娘は、何が行われているのかまったく理解できず、舞台の一番端っこで先生に抱きかかえられながら、それでも時々、相撲の四股のように踊りを踊ったり、カスタネットを舐めたり、舞台前、舞台裏、いろいろなところに脱走を試み、その都度、先生に抱きかかられて戻されたりしているうちに、演し物は終了した。面白かった。それが終わると、もう4時近い。娘から預かっていた、息子の嫁さんの実家へのお土産を届けに。車でも歩いても5分はかからない近所である。もちろん、先方もリモート生活発表会を見ていて、ちょっとお邪魔してひとしきりその話題で盛り上がる。帰宅後は相撲中継を見ていたが、阿炎は1敗を守り、北勝富士など2敗力士もみな勝ったが、御嶽海が負け2敗に後退。これは貴景勝と照ノ冨士の一騎打ちかな、と思っていたら、その途端に貴景勝も負けて1敗に。どうやら、照ノ冨士独走での千秋楽となる気配だ。今日からまた仕事だが、今週は今日、明日の2日間。明日は、仕事→健康麻雀→弓というハードスケジュール?だが、今日は仕事→年賀状印刷をいつもの店に→帰宅→相撲という緩い一日。遠征は来週土曜日。金曜日は胃カメラで、その翌日出発し、日曜日の午前の試合で、正午には終了なので、珍しく1泊2日。復活した高速土日割引が使える。
2021.11.24
「気」という概念は、中国のものだというが、日本にもそれが入ってきて、より洗練されたものになってきている。最近「気合い」という語は、専ら「気合いを入れる」などの慣用的表現でしか、見られなくなっている。猪木の「闘魂注入」などに見られるように、ぼーっと生きている人間の精神を痛みによって覚醒させるという意味で使われるようになった。どちらにしてもダラダラとせずにピシッと何かをやり始める時に「気合いを入れる」のだ。などと書き出すと文化論みたいだが、実は「練習日誌」である。「照準を合わせて」、「そこからブレのないようにして」、「静止状態を保ち」射る。というふうに自分の「射」の理想型を考えてきたのだが、どうも間違っていたかもしれない。もちろん、ピープサイトがあり、そこから覗くレンズサイトがあり、その18m先に的がある。10点の直径は1cm、1円玉だ。いくら6倍のレンズでもそこにピタリと合わせて、というわけにはいかない。ズレるし、震える。それを無理に止めて射れば、緩む。緩めば、さらに中りは大きく外れる。10点どころではない。直径4cmの9点、6cmの8点、8cmの7点にまで外れる。CPは10cmの6点が最低点で、そこを外すと0点だが、下手をすればそこまで外す。実際の自分の射を記述すれば、弓を上げ、下げつつフルドロー状態に。それからレンズサイトを覗いて大体の位置を確認し、ピープサイトから覗ける状態にしてアンカリングする。その時、10点についていることはない。そこからさらに引き、といっても構造上、それ以上長くは引けないので、引きの力を増していくと、10点に次第に近づいてくる。もう少しだな、という時にカスケードのボタンを押す。その時に、一瞬緩みがちになるので、気をつける。少し下がるが、ボタンを押したままさらに引くと、どう言えばいいか、一種の均衡点のようなところに達する。その瞬間、引きつつボタンを離し、解除するとリリースされる。押し手はあくまでも支えるだけで、微妙にも動かさない。弓は前方に飛び出しつつ落下する。その時は、矢はもう的に刺さっている。と、まあ、こんな具合だが、一種の均衡点というのは、狙う力と引く力が、それぞれ最大値になって均衡するようなところであり、いわば「気合い」の一点なのだ。「気合い」とは、引く力(気)と狙う力(気)が、唯一そこでガチッと合うところで、それが合えば、10点を射抜きやすいし、少なくとも9点から外れない。だとすれば、最終的に優先するのは、目で捉えた現象、つまりサイトのドット(点)が10点に合っている、ということではなく、引く「気」と狙う「気」が出合う、その一点ではないか。とまあ、そんなふうに言語化したわけではないが、昨日の練習を振り返ると、そういうことをやろうとしていたように思える。5回、15射で1クールと考えて、3クール、最後に射た。10点はそれぞれ5本、4本、5本。8点に外したのが2クール目の1本。その射は「気」が合わなかった。9点は微妙に「気」がズレていて、10点でもそういう射はある。まあ、それは今のところしょうがない。しかし、「緩む」射は皆無だった。「射」を静的モデルで考えず、動的モデルとして捉える。なんかカッコいいかも。
2021.11.24
今日は孫娘の幼稚園の「生活発表会」。一昨日、孫娘の名前で、案内状が郵送で来た。何だ?と思ったら、QRコードを読み取り、YOUTUBEにいけば、そのライブが見られるらしい。やはり、保護者(父母)のみ来園可能というところは多く、祖父母のためのサービスらしい。昨日帰った娘の方の孫とは違い、遠方で年に1,2度しか会えない孫なので、これは見てあげなくちゃいけない。1時半から。ということで、今日は練習を午前中で切り上げ、昼食を家で取って、できればPCの画面で、妻と二人、楽しもうかと思っている。
2021.11.23
何でも、自分たちの年金は「賦課方式」と呼ぶらしく、「積立方式」とは違って、あくまでも現役世代が、せっせと支払ってくれている仕組みになっているらしい。これが、物価や賃金上昇を前提にして初めて成り立つ方式だということは、中学生でも分かる理屈だ。今と比べると物価も賃金が上がり始めた1980年に働き始めた自分は、「積立方式」であっても、運用がうまくいけばそこそこだったかもしれないが、それ以前に働き始め、徐々に後期高齢者となり始める団塊世代なら、最初の賃金はさらに安く、「賦課方式」の恩恵を最大限受けている世代だ。しかし、この2,30年、賃金は上昇せず、少子化で現役世代の数は減り、国民年金を税金で補填しても、なお年金支給率は下がり続けている。この先の世代は、55歳役職定年、65歳まで再雇用、いや、70歳までは、という状況の中で、退職金、年金は減り続ける。さらに、非正規の無年金、あるいは国保だけ、という人たちも増えてくるだろう。経済論者たちは、賃金も物価も上がらないのは日本の生産性が低いからだと、誰も彼もが言うが、その生産性はどうやって高くなっていたのかを忘れている。確かに優秀な技術力で日本製品は世界を席巻したが、それを支えていたのはホワイトカラーの長時間労働だった。「24時間、働けますか」というコピーに表れている、無茶苦茶な残業時間、しかもそのほぼすべてがサービス残業という名の違法労働。これが日本の生産性を支えていたのである。一部上場の大企業でもそうだったのだから、中小企業は推して知るべし、であり、自営業などは文字通り24時間臨戦態勢でやっても、赤字続きで、銀行がそっぽを向き、あえなく倒産というところはいくらでもあった。日本人正規雇用の年間平均労働時間は2400時間(これも調査の仕方によってはそれより20%ほど多い)から、1800時間に激減した。結局、長時間労働で支えていた生産性は、まともな労働時間になれば低下する、という当たり前のことが起こっただけなのである。元々、過重とは言えない労働時間の欧米や、新たな長時間労働の中韓が、技術力で日本に追いつけば、日本の生産性は下がるほかない。そのとばっちりで、自分たちの年金は同じような賃金で同じような働き方をした5,6年上の世代に比べると少ないし、さらに5,6年下の世代は自分たちよりももっと少ない。考えてみると、国民の祝日もやたらと増え続け、全部挙げてみよ、と言われても無理だ。そのおかげで欧米並みの「バケーション」も可能にはなった。しかし、そもそも「労働の多様化」で、祝日が休みにならないサービス業の就労者が増えている。最近はテレワークが推奨され、そうなるとまた24時間一日中働いているような状態が再来しているとも聞く。「勤労」という古めかしい道徳臭のする名前を冠した今日の祝日も、一体何人のひとが実際それを楽しめているのかと思うと、暗澹とした気分にもなる。
2021.11.23
孫と娘は、昼の飛行機で、無事に帰った。焼き肉屋など、ここ3日、食べ過ぎだったので、昼はうどんを半分ずつ。一杯のかけうどんだ。あ、かき揚げもあったけど。とにかく、孫疲れを取るのが、今週の優先課題だが、弓の練習は明日から再開。真ん中の狙いを、どうリリースまで維持するかが課題。今朝も、孫は娘に連れられて、6時半ころ降りてきた。娘はまた二度寝に戻り、孫に朝食を作ってやり、それからひと遊び。孫もさすがに遊び疲れたのか、「じいちゃん、相撲見よう」と突然言い出す。2日前の大相撲ダイジェストが録画したままだったので、それを見た。そう言えば、大相撲は2日目が終わった時点で、楽しみだと書いた御嶽海、阿炎は今日勝ち越し、一敗キープだ。北勝富士も二敗。貴景勝は全勝。少し面白くなってきた。ダメだろうと書いた正代は4敗目。後から、ひょっとしてと名前を挙げた高安は横綱戦、まったく歯が立たず4敗。これは予想を外した。前回、役満を上がった麻雀の方は、今週は木曜日にでも行こうかな、と思っている。小論文指導がほぼなくなったので、木曜日は1時半くらいから打てる。後は土曜日。さっき、元同僚からパークゴルフのお誘いがあったが、残念ながらお断りした。金曜日は、妻のピアノの送迎がある。それでも、麻雀がなければ多分行ったのだが、趣味はあとひとつくらいあればいい。そちらの方は、まだどうなるか分からないが、今のところは手一杯だ。妻は金曜日がピアノだと気づき、今「子犬のワルツ」の練習中。大分、腕前を上げたが、発表会となると欲も出るのか、さらに高いレベルを目指している。これから、久々にゆっくりと風呂。そうそう、昨日は、遊園地の後、温泉ホテルの日帰り入浴。露天風呂に行ったら、知らないおじさんが孫に「これから飛行機飛ぶよ!」と教えてくれて、離陸の瞬間を、露天から眺めるという珍しい体験もできた。
2021.11.22
慌ただしい時に追われ孤独にさえ気付かない夜人は嘘を自分につき年のせいにしてみたりするとんと御無沙汰 どうしてました?気にはしてても ついつい気後れ 憶病風外は雨 外は雪 外は晴 外は鬼とんと御無沙汰 ぼくの内なる恋心(吉田拓郎『とんとご無沙汰』より)今日、ようやく孫が帰る。「ようやく」といっても、二泊三日。文字通り「慌ただしい時」に、というよりも「孫」に追われていた。「遊ぶ時は本気で遊ぶ」という、自分のこれまでの生き方が、孫との関係でも反映されてしまう。「じいちゃん、サッカーしよう」「じいちゃん、キャッチボールしよう」「じいちゃん、野球しよう」「じいちゃん、仮面ライダー見よう」「じいちゃん、お風呂入ろう」・・・・・・この2日間、無数の「じいちゃん、~~しよう」に応じていたら、当然の結果として疲労困憊した。今度、娘夫婦のところに行くのは3月か4月だが、その時も自分は孫と遊んでいるだろう。どうもそれが自分の適性だと娘にも見抜かれている。とりあえず自分に孫を任せておけば、その数時間は休めるし、他の仕事の時間も取れる。まあ、自分もその方が楽しい、というのも否定しようもないのである。昨夜は息子のところにラインのビデオ通話。ちょっと孫娘の体調が悪く、昨日予定していた七五三は延期になったが、息子たちも元気に暮らしている。そちらの方の孫には、年に1,2回しか会えないので、今のところ「じいちゃん、~~しよう」地獄にはならない。できれば、来年GOTOを使って格安で行ってきたいと思う。ついでに、東京でちょっと贅沢をしてきたい。昨日は、地元のインドア三回目の試合。その時は、ちょうど「子どもの国」で孫の射的につきあっていた。普通、なかなか中らないのだが、孫は3発命中させて景品をもらった。やっぱり、その種のゲームが得意なのも、自分の遺伝子が入っているのかもしれないね!さて、娘と孫は昼の飛行機で発ち、今日の午後から、再び夫婦二人の日常、平和が戻ってくる。仕事の方は、来週の試験問題はもう作ってあるし、特講は終了したし、で特に忙しいこともない。「慌ただしい時」は、たまにあるくらいでよくなったようだ。「歳のせい」だろう。
2021.11.22
記憶の最古層には、父や母と一緒に寝ていた、2歳の自分がいる。母は子守歌を歌い、父は「おはなし」をした。2歳の自分は、闇が恐かったが、それでもこの上なく幸福な眠りについた。昨日、昼前に娘と孫を空港に迎え、帰宅後、すぐ焼きそば。それから、孫といろいろ遊ぶ。孫は、明らかに「じいちゃん大好き」で、一時も解放していくれない。晴れていたので、外の公園にも連れだし、かなり先の、通称クルクル階段も登った。その間に、母娘の会話も十分できたらしい。そんなふうに、自分にとっては目の回るような午後が過ぎ、夕食は馴染みの焼き肉屋に。ここも、もう1年以上ぶりである。コロナでどうなったかな、と心配していたが、予約で満杯、という貼り紙があった。今は、元通り繁盛しているようだ。昼もそうだったが、5歳になった孫は、ほぼ大人の一人分を食べる。おまかせコース二人前に肉を三種類追加し、四人とも満腹。帰って、一緒に風呂に入り、風呂でもひとしきり遊んで、やれやれと出ると、「じいちゃん、サッカーしよう」「もうじいちゃん疲れたから寝るよ」「じゃあ、オレも寝る。じいちゃんと寝る」8時に自分のベッドで孫と寝る。「おはなし」をしてあげると、本当に眠ってしまった。さすがに、自分のシングルベッドでは落下しそうなので、9時半ころ二階に抱き上げてママと一緒に。今、起きてきてママはグロッキー状態。3時に起きて、じいちゃんのところに行こう!と言っていたらしい。自分も6時までは寝ていたので、それはさすがに無理だった。その後、ママと下に降りてきて、預かり、ママは再び二階に。トーストとウィンナー、ヨーグルトで朝食を食べさせ、今はドラえもんの映画で何とかなっている。これから3時間くらい孫の相手をすることになりそうだ。まあ、何とかもつだろう。それにしても、孫は昨夜の「おはなし」覚えているだろうか。
2021.11.21
昨日は給料日。といっても準常勤講師の薄給から、毎月8万ほど共済に貯金していて、残りが振り込まれるだけだから、ほんのわずかな額だ。ひと月分の年金の方がずっと多い。それでも、長年のサラリーマン生活で、我が家の月次会計は給料日を起点としている。昨日は孫も来るので、給料とは全然別の口座の郵便局で、現金をおろしてきた。買い物は、日用品を含め、ほぼクレジットで済ませるので、現金はあまり必要ない。こんな生活になるとは思っていなかった。勤めたころ、自分より5年ほど先輩の教師は、給与の銀行振り込みを頑なに拒否して、給料袋でもらっていた。彼曰く、ひと月に一回、夫としての威厳を示せる機会を失いたくない、と。そんなもんかな、と思った覚えがある。いずれにしてもその頃は、給料日から2週間も経つと、財布の中身が段々薄くなり、次の給料日を待ちわびていた。カードはまだまだ普及していなかったのである。毎月20日、というのが給料日で、今日、土曜日が20日なので今月は昨日が給料日だった。出勤日ではないので、給与明細表しか入っていない給与袋はもってきていない。次年度、非常勤になるが、振り込みは20日で同じ。共済貯金はできなくなるので、振込額自体は増える。まあ、どちらにしても「年金+預貯金取り崩し+給料」という70歳までの平均的生活者が続くことになるだろう。その中では、わりと恵まれた方だとは思うが、どちらにしても、なるべくスーパーなら高齢者割引の日を選んで買い物をする「庶民」であるには違いないし、別にそれで不満はない。
2021.11.20
企みどおり、二度寝をして、先ほど起きた。レタス、キュウリ、トマト、生ハムの簡単サラダに、ピザ、ポタージュで二度目の朝食。今朝は、掃除、片付けなどいろいろあるから、今日、明日、明後日は練習はなし。弓は昨日ケースに入れ、車に積んである。昨日は9時から1時間。とにかく、エイミングを付け、そこからなるべくズレがないように引き、十分力を貯めて放す。どうしても、カスケードの場合、ボタンを押すところでズレが出やすい。下がっていく。そうなった場合でも、もう一度エイミングを立て直し、10点に向かって引き、放す。10点に「付けて」というより「向かって」という感じになる。押し手が無意識の調整をしてくれることが多く、10点を射抜くのはこのパターンが相変わらず多い。本当はそれではダメだ、と思っている。ズレなければいちばんいいのだが、ズレを前もって、予想して右上に付けて、そこからボタンを押すのもいい。やはり、しかし、本当はそれでもダメだ。10点に付けて、そこからまったく動くことなく引いている過程で、ボタンを押し、解除する。その射が理想だ。理想型は明確になったから、それが実現できる筋肉の動かし方を見つけたい。孫が帰ったらそのテーマで。
2021.11.20
健康サプリとして唯一通販で買っているのが、AJINOMOTOのグリナという睡眠補助剤だ。テレビでもよくCMが出ているが、もう10年近くになるだろうか。元々は、妻がちょっと不眠気味で、かかりつけ医から弱い睡眠剤を出してもらったときに、先生が「これを一緒に飲むといいよ。あとグレープフルーツジュースと寝酒を一杯。そうすると朝まで気絶したように眠れる」と勧めてくれた。その後、自分も眠剤を処方してもらい、同じくグリナを、妻と半分ずつ飲んでいる。普通、酒と一緒に眠剤を飲め、などという医者はいないのだが、この先生の言うことは聞くようにしている。何しろ、母の肝臓癌を見つけて、あちこち伝手を頼って名医を探してくれ、国立がんセンターの医師を紹介してくれた。それで手術をしてもらい、母は5年余分に生きることができた。自分のモルト型リンパ腫を見つけるきっかけを作ってくれたのもこの先生で、ごく初期だったので、こちらは寛解している。朝練があるので、どうしても早く目が覚めてしまうのが習慣になっている。最近は10時就眠で4時ころ目が覚め、5時ころにはもぞもぞ起きだし、という感じだ。朝練はできない季節なので、ここで駄文を綴ったり、教材の予習をしたり、生徒の小論文に朱を入れたり、朝食を妻の分も用意したりしている。睡眠に関して、最近欠かせなくなっているのが、午睡(ひるね)である。二日に一回くらいのペースだが、3~5時くらいで1時間近く。午睡ができると、体調がいい。できないと、就寝が早まるだけなので、どちらにしても最近調子は悪くない。昨日は2~3時くらいの1時間。眠剤に頼ってはいるが、まあ、いいやと思っている。歳を取ると、寝続ける力も衰えるようで、8時間ぐっすりなどということはない。旅行や遠征でホテルに泊まると、ヒマを持て余すので、テレビか有料の海外映画などを見ている。これは、二度寝のためであり、あまり面白いと寝られなくなるので、適度につまらない方がいい。英語、日本語字幕がいい。というのは、ある程度英語は聞けるので(海外ドラマにはまって以来リスニング能力が上がった)、目をつぶっても筋はたどれる。たどれるが、あやしくなってくる。つまり、ストーリーを勝手に作り始める。自分の考えでは、これは夢と同じような脳の作用が始まっていることであり、だから眠れる。必須なのはオフタイマーで、ドラマが終わるころには電源が切れ、部屋は暗くなり、静かでなければいけない。二度寝じゃなくて、普通に寝るときも同じだ。たいてい、就寝のお伴は海外ドラマである。さて、グリナをもう半分飲んで、海外ドラマでも見ながら、これから、二度寝をしようかと思っている。今日は、孫が来るので、体力を蓄えておかないといけない。さっきヨーグルトとクラッカーを飲み残しのコーヒーで軽く食べたが、二度寝したらちゃんとコーヒーを淹れて、ピザとサラダくらい作ろうか。二度寝のお伴は、最近はまっているシカゴP.D。
2021.11.20
室生犀星『小景異情』その3銀の時計をうしなへるこころかなしやちよろちよろ川の橋の上橋にもたれて泣いてをりたったこれだけの短い詩だ。文語定型、七五調だが、「こころかなしや」の七音は、次に続く五音がなく、一種の破調といってよい。「うしなへる」は四段已然形+完了連体形で「こころ」に掛かる。「かなし」は終止形で、「~~よ」くらいのニュアンスの終助詞(あるいは間投助詞)「や」が続く。一応、文語なので古典のような文法知識も教えておく。というのも、古典できちんと文法を教えているかどうか、怪しいものだ、と思っているからだ。担当は、自分の大学の後輩だが、文法は暗記という主義で、言葉の構造という意識がない。そうでなければ「く・から、く・かり、し・・・」などという形容詞の活用表の教え方などしない。「かなし」のところで、こう教え直した。「あのね、形容詞の活用は、く・く・し・き・けれ、とだけ覚えればそれでいいからね。あとは、く+あり=かり、という「ラ変」(ら・り・り・る・れ・れ)だから、それを知っておけばいいの。分かった?く・く・し・き・けれ、とあと、ラ変!」生徒は狐につままれたような顔をしている。形容詞の活用をどう教えるかで、古典文法の捉え方が分かる。く・から、く・かり・・・などと教えるのは活用表丸暗記主義の教師であり、意味も分からず丸暗記することが勉強だと思い込んでいる。そうやって覚えてきた教師は、生徒にもそうやって教える。TTの新人は、そうだ。それでいて、平然と間違いを教えるから、もう見限った、という話をこの前書いた。生徒には教えるが、教師には教える義理はない。「間違い」というのは、係助詞「や」「か」がなくても、疑問文、反語文の文末は連体形、という古典文法の基礎(といっても、ほとんどの文法教科書には載っていない)を一度指摘したのに、今度は自作の小テストで、正解を終止形としていた。こうなると、もう「どうすべき?(『べき』は、適当の助動詞『べし』の連体形)」という感じだ。話がそれた。「ちよろちよろ川」って固有名詞じゃないよね?誰が、そんなふうに呼ぶんだろうね」という発問。なかなか答えがでてこない。「じゃあ、オマエが15年後くらいかな、おじいちゃん、おばあちゃん、旦那さん、5歳くらいの生意気な男の子、っていう家庭を作ったとしてさ。その中の誰が、近所に流れている小さな川を『ちよろちよろ川』って呼びそう?」「・・・・子ども、かな」「だよね、でなけりゃ認知症のおじいちゃんかな、はは」「だからさ、『橋にもたれて泣いてをり』っていうのもこの子どもが、ってことでしょ?きっと」「昔だからね。時計はすごい高級品、一部のエリート以外の普通の大人は誰も持ってないし、まして子どもが持つようなものじゃないんだよね。だったら、この『銀の時計』って何?銀製だからね。間違いなく高価なものだよ。多分10万円くらい、その時のお金でね、大卒初任給が100円くらいの時代だから、分かるでしょ?どのくらい高級品か。だから、銀の時計は、時計そのものじゃなくて、何かの象徴かもしれない」「さて、何の象徴、だと思う?」「今回はこれが宿題。一応、書いておくよ」「銀の時計」とは何の象徴だと思うか?その理由とともに、自由に述べなさい。(2~3行)という板書。実際に、この問題を考えるための前提となる事柄は、もう少し多く話したが、それは面倒なので省略。大事なのは「思うか」というところで、詩の解釈にあらかじめ用意された正解などなくて、自分がどう感じ、どう解釈するかからしか文学鑑賞はスタートしない、ということは十分に強調しておいた。前項で書いた「授業」はライブだという意味が、少しお分かりいただけただろうか。授業前に、考えていたのは「誰が、近所に流れている小さな川をちよろちよろ川って呼びそう?」という発問だけである。そこから板書課題につなげる大まかな予定だけ。後は成り行きで「こころかなしや」の破調を説明する前に、古典文法の教え直しをしたり、といろいろ。自分でもどういう展開になるかは分からないから、現代文は面白い。
2021.11.19
次年度からは、自分も「非常勤講師」という身の上になるのだが、これは教員カーストの中の最下層であって、普通は校長まで務めた教員は、非常勤講師にはならないで、フルリタイアということになる。しかし、教師の仕事の本質が「教える」ことであり、そのことが「授業」を通して最も鮮明に追求されるのが、学校教育という場だとすれば、非常勤講師は雑多な「夾雑物」のない、純粋に仕事の本質を実践できる職分であるとも言える。もちろん「非正規」であり、若い人がこの立場で働き続けることは、気の毒というほかない。ポスドクと呼ばれる、大学教員などもそうだ。息子はようやく正規雇用ではあったが有期という雇用を抜け出して、今の大学から終身雇用になった。高校では「非常勤」は、通常は定年後再雇用の一つであり、やはり65歳までという年齢の縛りがかかることも多い。だが、自分の出身校などではあくどく非常勤で若い人を雇っている。自分の職場では、今は70歳までは契約は更新でき、70歳を過ぎても「特例」で雇うことは結構ある。授業時間は少ないが、カリキュラム上必要な授業、例えば芸術教科や家庭科などでは、非常勤頼みという高校は結構ある。現在の最高齢は77歳、立派な後期高齢者だ。さすがに五教科では少ないが、よほど評判のいい力のある教員が特例的に雇用される。というわけで、自分も68~70歳の3年間は、とりあえず「非常勤講師」となることは既定路線で、健康で頭もしっかりしていれば、それ以上続けられるだろう。最近もどこかに書いたが、非常勤は対生徒関係がほとんどすべてで、対教師関係の比重は軽い。教科会にも参加しない。ちゃんと教えれば、生徒に信頼され、手を抜けば信用されない。性格的に、授業の手抜きはできないので、自分はちゃんと教える方に分類される。「ちゃんと」というのは、単に「内容を正確」に、ということだけではない。興味・関心を引きつけ、知的刺激を与え続けるということである。だから、授業はジャズの即興演奏に近いと思う。楽譜どおり弾いたのでは、よほど上手くなければ面白くも何ともない。その辺は経験がものを言う。しかし、若いうちは、少なくとも正確にということから外れないようにしないといけない。「教科の力がない教師」などというのは形容矛盾のはずなのだが、実際にはゴロゴロいるのだ。圧倒的に勉強量が足りない。指導書をうる覚えで授業するなどというのは、教師として犯罪的だということを知らない。しかし、そういうことがまかり通ってしまうのも、事実なのだ。なお、その上で言うと、生徒に適度に無関心でなければならない。自分の場合は、過度に無関心かもしれない。小論文指導などは、他のどの教師よりも量的にも質的にも高いレベルで指導をするが、途中でその生徒がどこの大学を受けるのだったか忘れたりする。名前もなかなか覚えない。しかし、受験学部は忘れない。それによって練習問題がまったく違うからだ。おかげで、医療系の知識とか、経済学、社会学などの知識もずいぶんと習得した。それが、次の代の生徒の指導に生きた。指導した後の、合否は一応気にはするが、受かった生徒とともに涙したりすることはまったくない。あ、やっぱり受かったね、という感じだ。たとえ受からなくても、知の世界の入り口に導けたのだという自負はある。つまり、生徒を支配しない。これは教師に必要な人格の基本的在りようだと思う。しかし、多くの「いい先生」は、生徒に「寄り添い」、生徒と「ともにある」ことが無条件でいいことだと思っている。自分が生徒なら、力もない教師に寄り添われるのはうざったく、余計なお世話だと感じるだろう。正確な知識すら教えてくれないなら、最初から放っておいてくれた方が余程マシだ。だが、多くの生徒は自分のような批判力を持っていないから、自分に寄り添ってくれる先生がいいと思っている。そのことが、自分の成長をどれだけ阻害するかに気づかない。教師が目指すのは、生徒の成長であり、人が成長する傍らにいることは楽しい。そう、「傍ら」にいること、なのだ。成長のエンジンは生徒自身の中にある。無理やり、牽引する役割は教師のものではない。「成長させる」のではない。「成長する」のである。16回も続いた「教師という職業」は、今回で終了。ちょっとこの項でも書いたが、自分の体験してきた教師のさまざまな姿態を、またどこかで書いてみたい。名づけて「教師百態」。
2021.11.19
最近の練習は、3射×5回=15本を1回として、4回+αというのが多い。50mの時は、6射×3回=18本で、それを4回+αだった。歩く距離も違うので、インドアになった途端、スマホの歩数計は3000くらいになっている。15本でちょうど150点満点。点取りはしていないが、頭には入っている。昨日の最初は+7-1=+6、この意味はアーチャーなら多分分かるだろうが、9点を基準に数え、10点は+1、8点は-1だ。2回目は+9-3=+6。最後、ちょっと285を意識したら、途端に8点、そして7点。相変わらず弱いメンタルだ。それでも、トータル282は練習シーズンベストのはずで、まあ、満足だ。右で一番よかったときは、当たり前の点数だった。エンド56点を基準に、+-を勘定していたのを覚えている。しかし、そこに近づきつつはある。285が見えてくると、570が見えてくる。地元のハンデ戦の基準である。ハンデ戦は、それなりにみんな楽しめるので地元の試合では採用している。今までーハンデだったシーズンが3回はあった。去年は+ハンデでしかも二桁。やはり、大体いつも280を射てないと、一桁にはならない。点数を争うゲームだが、3射で半エンド。そのたびに矢取り、というのは、昔は面倒だったが、今はちょうどいい感じである。今日は、明日の孫襲来に備えて、買い物などがあるが、それでも9時くらいから1時間は練習を。
2021.11.19
昨日の時点で、九州場所で幕内下位では、阿炎と北勝富士、上位では貴景勝、御嶽海が面白い存在になるんじゃないか、と書いたが、この4人とも4連勝である。何であっても、予想が当たるのは気持ちがいい。調子に乗って、もう一人挙げておくと、高安である。昨日は、水入りまでいきそうな3分半の相撲。焦って前に出ず、組みもせず、手四つの状態でじっと待っている。相手は何とか仕掛けようとするが、ピクリともしない。こういう高安は初めて見た。結局、相手が根負けしてまわしを取りに行ったところを、逆に上手を取って投げた。相手の若い力士は息が上がっていたが、高安の方は何事もなかったかのようである。かなり稽古をしてきたのだと分かる。一敗してしまっているが、ひょっとすると上位を食う相撲が見られるかもしれない。阿炎もこの位置では強い。横綱、大関との対戦は、普通は組まれない幕尻に近い15枚目。10連勝くらいはあるかもしれない。北勝富士はそこまでではないだろうが、8勝2敗くらいで後半戦を迎えられそうな感じだ。北の富士コラムでは、御嶽海が強いが、まだ100%信用していないとあった。それはそうで、よさそうだなと思うと、次の日コロッと負けることが多い。ただ、調子に乗ると恐いものなしの無敵状態になるから、連勝していくと分からない。照ノ冨士は、4日のうち2日、ちょっと危ない相撲があった。特に大栄翔戦は、危うかった。あの相撲だと爆弾の膝を痛める可能性がある。そうなると途中休場で優勝争いは混沌とするだろう。などとまたエラそうに書いたのだが、実は昨日は三役の取り組み前に寝落ち。さっき録画していたダイジェストで見たのです。
2021.11.18
「緑一色」という役満は、「オールグリーン」という英語の訳である。というのは、この役満、元々日本にも、本場中国にもなかったもので、日本を占領して、majong(麻雀)を楽しんでいたGHQの米兵たちが、作ったという俗説がある。昨日、二半チャン目。卓を囲んだのは、有段者、わりとベテランの女性、初心者卒業くらいの女性。東2局。上家が親。自分の配牌には「発」が2枚、6索が2枚、8索が1枚、3索が2枚、4索1枚。序盤、下家から「発」が出た。一鳴き。中盤に3索、8索の最後の1牌が、これも下家から出てポン。誰が見ても、緑一色と分かる鳴き方で、手元は6索2枚、4索1枚と西。終盤、4索を自摸り、聴牌。まあ、このメンツならこれでもまだ気づかずに出す人もいるかもね、と思ってはいた。対面が字牌を鳴いて、聴牌かイーシャンテン。ダメかなと思った途端、親の上家、有段者が「リーチ!」と宣言。困ったな、まあ、ここは全部勝負、と覚悟を決めた途端、リーチ牌に4索が。「ロン、緑一色です」。「あ・・・ええ!?」。どうやら、有段者は緑一色に気づいていなかったらしい。コイツ、弱いじゃん、というのが正直な感想だった。その後、親の倍満を下家から上がり、二人がハコテン状態。もちろん、ぶち抜きのトップで終了。有段者は用事があるらしく、ここで帰った。ひとしきり、さっきの役満としては、出ることも少なくマイナーな部類の緑一色の話。ここは上がり牌と一緒に写真を撮ってくれて、壁に役満名と名前と日付を書いた短冊が貼られる。何でも今月は3人目の役満らしい。「発」など盛大に鳴かせてくれた下家のベテラン女性も、昨日、国士無双を上がったとか。ここでは、大三元などもよく出るそうだ。何しろ「白」ポン、「発」ポンで、平気で「中」を振る初心者が多いと言う。「いやぁ。○○さん(有段者)から出るとは思ってもいなかったんだけどな」と言うと、「○○さんは、緑一色なんて気づきもしませんよ」と先生が言う。ちょっとトゲのある言い方だ。どうやら、先生も有段者がさほどではないことは分かっている。そのくせ、卓を囲んだ女性陣に講釈を垂れたりするのが気に入らないらしい。まあ、こちらとしては、決して雀力が強いとは言えない女性陣から上がるよりはよかったのだ。ふた月で二度目の役満。昨日は2位が1回、1位が3回だった。何だか、ちょっとついている。年末ジャンボでも買おうかな!
2021.11.18
昨日は、朝に2時間近く練習。久しぶりに弓友と話し、23-12を試した。が、よく見ると、シャフトの凹みが結構ある。リカーブ時代のものだから、一つ的で射っていたのだ。20-12も試した。こちらは大丈夫だが、さすがに細い。トライアンフがダメ。しかし、さすがに遠征で、4本しかないFATBOYは使えないだろう。なにしろポイントが抜けやすい。そうなると、細くても20-12かなぁ。
2021.11.18
中日スポーツの北の富士コラム「はやわざ御免」は面白い。大鵬柏戸時代の後の横綱で、もう70代後半だろうが、思いのほか達者な機知に富んだ文章である。長く相撲に関わってきた元横綱だけに、相撲を見る目も確かだ。朝のピザとコーヒーを片手に、まとめて4日分を読んだが、やはり自分が思っているのと同じようなことを書いている。まず、稽古不足で、攻防のあるいい取り組みが、幕の内前半戦はほとんどない。その中で、下位にいる阿炎、北勝富士などが3日間勝ちっぱなしで、ひょっとすると終盤までいいところにいきそうな気がする。特に阿炎は、去年コロナで飲みに行ったか何かでお咎めを受け、幕下まで陥落。その後7場所振りの再入幕だそうで、顔つきもきりりとしていて楽しみだ。地力はあるから、この位置だと安定している。上位、三役では御嶽海、貴景勝も全勝だ。この辺りが粘って横綱についてくれば盛り上がるだろう。ご当地だが正代はすでに1敗。内容を見てもあまりいい相撲とは言えない。などと評論家みたいなことを書いたが、テレビ観戦も孫が来れば中断しそうだ。DVDで「鬼滅」でも見ることになるね、きっと。
2021.11.17
来年度は、非常勤講師となることはもう既定事項だ。まあ、週に10時間程度なら、十分にできそうな気がするが、入試問題作成は勘弁してもらいたい。教科会を授業時間換算してという話もあるが、授業の1時間分では割が合わない。いや、別にそれでもやれと言われればやるのだが、いつまでも自分に作問のお伺いを立てるような在り方はどうかと思うのだ。昨日は授業が4限の1年、TTという名の新人指導。相変わらず勉強がまったく足りない。今日も基本的なことを間違えている。一応、指摘したが、これで2回目。そこまでの面倒を見ることもないから、ダメなヤツと見限ることにした。5限の2年現代文、7限の3年漢文の代講。4:45~8:00までの特講。いつもは7限はないので、2時過ぎにいったん帰宅の途に向かい、3時から4時まで昼寝をして、また戻るのだが、今日はそれができなかった。特講は評論、漢文で、時間が余ったので、多訓多義語で重要なものを解説した。生徒が問題を解く時間と合間の休み時間の1時間くらいを除いて、2時間以上は解説授業になる。つまり喋りっぱなしだ。帰宅後、いつも以上に疲れを感じた。3年はこの後、理社の集中講習が入るので、本年度の特講は今日でオシマイ。冬期講習も教科が多いので2コマだけ。年始講習は、古典担当の現教頭に任せて、検査入院の予定だ。授業も1月でオシマイ。2,3月は2年の2時間だけ。あ、TTはあるけどもう指導しない。まあ、そう考えていくと、ここ30年くらいは、特進の受験国語指導の中心だったが、そろそろそこから降りる算段を始めないといけないな、と思った。「もう、特講はやめようかな」と妻と話す。「そうだね、いつまでもパパがやってもね~~」。それでも特進現代文の授業からは降りられそうもない。そうなると、小論文指導という+αがついてくる。最近は志望理由書なども点数化される推薦入試も多くなったので、そこから入ることになる。今年は、延べにして100本以上は優に見ている。なにしろ、一人20本くらいは普通なのだ。それだけ書かないと、本番で合格する小論文は書けない。しかも、これはすべて対面個人指導となる。そろそろ今年度の推薦入試も終わりに近いが、9月以降は毎朝5,6本の小論文に朱を入れ、昼休みに対面で指導している状態だった。これは非常勤講師となれば、サービス残業には違いないのだが、生徒が自分を頼りにしてお願いします、と言ってくれば断らない。タダ働きだからといって、そこを断るのは、教える人間として正しくないと思う。特講をやった方が、授業換算されてお金にはなるのだが、お金にならない小論文はもうしばらくやるから、特講の方は勘弁してほしいというのが本音だ。他のコースの講習なら、終わるのも五時台、いくらでもやっていい。勉強ができないと思っている生徒たちだが、ちゃんと教えればできるようになる。仕事は、もはやいくら稼ぐかなどという問題ではない。どっちに転んでも、週3日、せいぜい10時間の授業、いくらも稼ぐことにはならないのだ。
2021.11.17
今週は、土曜日にやってくる娘と孫のために、いろいろなことを前倒しにして、仕事や趣味を。まず、12月からの定期試験だが、昨日で試験問題は作成終了。後は、印刷だけという状態だ。印刷は、今日のうちにしてしまいたいが、無理なら木曜日に。貧乏性なのか、試験の前週で作成というのは、気持ちがよくない。妻が、居間でPCに向かって問題作成をしていると、「そういうのがなくなったらヒマだよ~~」と言う。まあ、その通りだ。自分で問題を一から作って、解答をして、採点する。当たり前のことのようだが、そうでもない。作問や解答を指導書任せにしてしまう教師は結構多いし、一問一答のレベルでしか作れない教師もいる。ともあれ、自分はそういうことを含めて、教えることを面倒だとか、嫌いだとかは思ったことがない。できれば、来年度も無理のない範囲で仕事はしていきたいものだ。どうも今より授業を増やされそうな状況だが、せいぜい10時間と思っている。今回の3年生は、20行の論述問題。これは、前もって問題を教えておいて、考えさせる。結局、現代文は「暗記」ではなく「思考」なのだ。ただ、論述となると点数は取れない生徒もいるから、漢字のサービス問題もちゃんと出しておく。後は、共通テストに向けた応用問題。非市販教材の中に、ちょうど教えた教材の筆者のものがあったので、それを出題する。応用問題にしても、筆者やテーマについて、教えたことがあるものをなるべく選ぶ。今日は、忌引きで授業を1時間引き受けたから、いつものように授業と特講の間に高速で帰宅して、1時間ほど昼寝をするのは無理だ。空き時間で試験の印刷をするつもり。特講、授業とも予習は完了しているが、直前にもう一度さらっと見ておく。この立場になって、そういう時間がやっと取れるようになった。以前は、問題も解かずに教えるということもよくあったが、あれはあれでスリリングで面白かった。今、1年のTTを見ているが、やはり圧倒的に教師の側の勉強が足りていない。あの予習量と知識量では、いい授業にはなりようがないのだが、専任の新米は雑用も多く、どうしようもないところもある。明日は、行事で授業はなし。つまり、2,3,4時間目がなく、休日である。お花の日なので、昼からは家にいられず、強制的に?健康麻雀に行くことになる。孫が来るから、有段者と打つ土曜日には行けない。まあ、メンバーは初心者だらけだが、麻雀は運の要素もあるから、それなりに面白いのだ。名前は知らない、というか覚えないのだが、顔見知りにはなってきているので、気安い。自分が卓に入ると、緊張するらしく、それはそれで歓迎されているようだ。明後日は、妻を病院に送った後、出勤。それで今週のお仕事はオシマイである。金曜日、これといった予定はないのだが、孫が来る準備。いろいろ片付けたり、食材を買いにいったりと結構忙しい。こちらからは数回行ったが、孫が来るのは正月以来だ。まあ、娘は医療従事者の端くれだし、旦那さんは準公務員の研究職だから、二人ともコロナ下ではなかなか出かけにくいということもある。土曜日の昼前に娘と孫が飛行機で来る。チャイルドシートはもう簡便なものになっている。それはリサイクルで買っておいた。その夜に、久々になじみの焼き肉屋。ここは安くないが美味い。チャイルドシートの20倍は払うことになるだろう。孫の希望と言うが、怪しいものだ。娘が、背後で洗脳?している可能性は決して低くない。二泊三日というせわしない日程。日曜日の弓の試合は欠場。孫と本気で遊ばなければならない。今週の弓は、木曜くらいしかできないか。それとも、明日の麻雀を早めて、帰りに射場に寄るか。金曜日もちょっとだけ行くか。仕事の準備はできたから、後は遊ぶことしか考えていない。こういう日々が来るとは思わなかったなぁ。
2021.11.16
昨日は午後に2時間ほど。最初は23-12。これでもまずまず中るのだが、やはり、時々赤に行く。30射で4本。しかも1本は7点だったので-5。10点は10本ほどあったから275くらいか。点取りはしていなかった。次に、リリーサーを青に換えて、FATBOYに、サイトがさらに4mmほど上がる。FATBOYは22くらいで、ちょっと径が細い。しかし、中りは悪くない。30射で8点は2本。これなら、今のところ十分。どうして8点になったかも分かる。引いて、真ん中に持って行こうとするのだが、最初に押すときにズレが大きいのを無視すると、修正しきれない。また、そうなると付いた途端に射つ、パンチングショットになりやすい。10点は11本あったので279。まずまずだ。少し、反り返って射つくらいの方が、ズレは少なくできる。自分の意識では反り返っているつもりでも、客観的に見れば、前屈みの姿勢がよくなったと見えるのだろう。自分の身体意識と、傍から見た身体は、かくも違うものだ。全体として、押し手を「しゃくる」ような射は減ったが、まだある。これをやめるためには、引き切ったときに真ん中についていることが必要だが、まだそのポイントがつかめきれない。課題ははっきりしてきたから、後は2週間かけて、それを追求するだけだ。問題は、FATBOYで使える矢が4本しかないこと。ポイントのない矢もあるし、あっても羽根がフェザーでない。4本で試合というのは、この矢が固い的面だとポイントが抜けやすいこともあり、不安だ。試合までに何とかできるかどうか。ダメなら、23-12か20-12で行く方がいいだろう。数点落ちそうな気がするが、課題が解決できれば、そう変わらなくなるように思う。
2021.11.16
息子夫婦から、送られてきた美味しいコーヒーを開けて、飲んでみた。広島の有名なコーヒー店で挽いた豆だ。やはり普段のスーパーで買ってくるUCCやKEYの豆よりも段違いに美味しい。もったいないから、いつもよりも少なく淹れる。コーヒーはどんな豆でも淹れ立てが美味しくて、一度淹れたのを後から温めるのは、不味い。といっても普段は面倒なので5,6杯分作っておき、大半はレンジで温めて飲むことになる。以前はコーヒーメーカーを使っていたが、あれは結局コーヒーを煮詰めてしまい、ことのほか不味くなる。今朝は2,3杯分にしておいて、今、2杯目を飲んだところだ。よほど不味い時は、コーヒーミルクを足すが、これはまったくその必要はない。それと食パン半分をこんがり焼いて、バターと自家製のぶどうジャム。とりあえず、それだけにしておいて、整形に診察券を出してきたら、サラダか何か作ろうかと思う。それとも、林檎を1/4ほど食べるか。いろいろな食品が、原油高に起因する運送費の高騰で、値上がりしている。パンもコーヒーも以前より、はっきり高くなった。このままだと、日本はスタグフレーション、つまり不況のままのインフレーションに陥る。すでに、東京の無料食品配布や子ども食堂の利用者は、去年の数倍になっているそうだ。そういう映像を見ても、18歳以下の子どもにとにかく10万円差し上げますという政策がいかに愚かであるかが分かるだろう。歳を取って、あまりものを食べなくなった。5kgの米が2ヶ月たっても、まだなくならない。米は夕飯でしか食べないし、二人とも茶碗に半分くらいだ。だから、値上げしてもお米くらいは美味しいのを、と言っている。主食費よりおやつ代の方がはるかにかかるんだけどね。
2021.11.15
基本的には、ただの暇潰しとしてこのブログを利用しているのだが、アクセスレポートは見ている。昨日、一番読まれた記事は、2年以上前に書いた「寄り添う その3」だった。なぜ今更そんな昔の記事が読まれたのか分からない。考えられるのは、無作為に読んでみたら気になったので、何度か読みなおした人がいた、ということくらいである。以前は、誰が読んだかも分かるような機能があったが、なくなったらしい。一度、中断して再開したのだが、中断以前の読者の方が読んだのかもしれない。何でもかんでも寄り添おうとするのは、現代の無縁社会を表している、という内容だったが、その考えは今でも変わらない。寄り添うべき人に寄り添えばいいのだが、そういう人がいないという中で生きている人もまた多い。しかし、「寄り添う」ことは人間の本質的欲求だから、誰でもいいから誰かに寄り添おうとする結果として、妙なことが起こる。皇室を離れた宮家の次女が、新郎とともにNYに旅だった。それを見送る人たちがいる。もちろん彼らは知人ですらない。バッシングの果てに、披露宴もままならず、新郎の職業生活も不安定なまま旅立とうとしている新婚夫婦に、テレビで見ただけなのだが、空港まで行って寄り添ったつもりなのだろうか。本人たちにとっては、彼らの行動ははた迷惑な話だと思うが、そういう想像力は働かないらしい。これがただの野次馬根性なら、まだしも健全である。話題の新婚夫婦を一目見たいというのは、低劣だが、これもまた人間の本性的欲求だろう。しかし、彼らに頼まれもしないのに感情移入して、本気で同情し、せめて自分だけは旅立ちを見送り、「お幸せに!」と大声で叫ぶというのは、どこか精神的に病んでいるのではないか。「寄り添う」ことと、「差別」は実は同じようないびつな精神から出来しているのではないかと思う。
2021.11.15
昨日の練習は12時半から2時間。時間帯が違うと、別のメンバーが一緒になって、それはそれで楽しい。弓友が、後ろから見ていたら、トライアンフの矢飛びがどうにも変だという。左右に振れているらしい。それで、矢をFATBOYに変えてみた。サイトも当然違うが、今度は真っ直ぐ飛んでいくと言う。それならと思い30射。8点は2本しか出なかった。点数は多分270台後半。今の自分としては悪くない。トライアンフはいくらちゃんと射っても9点のぎりぎりとかいうのが結構あったが、FATBOYだとそれがなくなった。そういうことだったのか、と思った。あまり狙わなくても10点を食うことも結構あったが、とにかく今は10点を狙い、なるべくそこからズレのないように射つことを心がけている。その後23-12を試したが、やはりトライアンフのようなことは起きなかった。今日は整形。先週のギックリ腰になりかけたことを報告して、それなりの治療と座薬を出してもらうが、その前か、後に1時間ほど射ちたい。
2021.11.15
昨日は、9時過ぎから40分くらいしか練習できなかった。相変わらず、8点が頻繁に出る。これを何とかしたいのだが、結局、狙いをどう維持できるかしかないので、テーマはそれだけだ。パニックが治ったから、やろうと思えばできる。今日は、久々に昼食後、午後の時間帯で2時間ほど射ちたい。テーマは同じ。カスケード青とトライアンフも同じ。変えたのは3連的を射つ順番で、中→上→下という昔の順番にした。腕の角度が最も自然な位置から射とうと思った。どうしたら緩まず、しかもエイミングを動かさずに、リリースまで持っていけるか。やることはシンプルなのだが、それは簡単ではない。とりあえず、12月の公式遠征試合が目標だ。
2021.11.14
昨日は11時から2時まで、健康麻雀に。4時までなのだが、腰のことを考え、一応2時までとした。卓は有段者と女性二人。女性陣の中では実力派である。最初の半チャンは、女性二人が好調で、自分は聴牌まではいくが、その後降りざるを得ないような状況が続く。有段者は派手に放縦を繰り返し、ハコテン状態。自分は原点ー10くらいの3位。面白かったのは、2回目で、盛り返してきた有段者と自分のトップ争い。オーラスで、親の有段者が32500点、自分は29500点。1000点、1300点では届かず、2000点ならツモで同点、2600点ならツモれば、3900点なら誰から出てもトップ逆転かな、というところでリーチが女性陣から次々に入る。多分、ただ上がるためのリーチで1位を取りに行っていない。自分もドラを重ねてリーチ。これで、誰から出てもトップだ。有段者はベタ降り。が、結局誰も上がれず流局。点数をチェックすると、自分も有段者も29500。自分はリーチ棒と有段者からのノー聴罰符で変わらず29500。有段者は3人にノー聴罰符3000点で29500。競技麻雀のルールでは、同点流局の場合は、上家が勝つので、自分が1位、有段者は2位。リーチ棒は全部自分がもらうことになる。こういうのは初めてだった。3半チャン目は、自分が配牌に恵まれて、東2局で中ドラ3の満貫を上がる順調なスタート。どうも、今日はリーチはダメだと思ったので(1回目で4度かけて上がりゼロだった)、ほとんどダマテンで上がり続けた。放縦も一度あったがダントツのトップで終了したところで時間。結果は3位1回、1位2回。有段者は4位、3位、2位1回ずつで、今回は完勝だった。麻雀は手牌やツモは純粋にツキなのだが、どういう手に仕上げ、その手で勝負するかどうかの判断には技術がある。その判断は、自分と相手のその時点での持ち点、順目、局目、自分の手の点数、相手の予想される点数、捨て牌(河)などだが、女性二人は、かなり経験を積んでいて、効率的に手は作れるが、結局はただ勢いだけの麻雀で、いつも強気で押すだけ。それで1局目は好調だったが、恐くなかった。2回目からは、自分の上がりにこだわりすぎて、二人とも終盤での放縦が増えていった。せっかくの聴牌を降りたくないというレベルである。有段者はさすがに、そういうことはないのだが、配牌とツモがダメな日だったのだろう。いくら上手くてもそういう日はある。加えて、多分1回目は相手を舐めすぎていた。勝負を分けたのは3回目の、自分が久々にかけたラス前のリーチ、三色、ドラ1の手。やたらピンズが安い場で、自分の河の迷彩も6ピンなどたくさん高めのピンズが捨ててあり十分。シャボ聴の9ピンを誰がふってもおかしくないところで、有段者が放縦してくれた。これで彼は3位に沈んだ。このくらいのレベルで打つ麻雀は、勝っても負けても実に面白い。次は、水曜日。妻のお花の日なので、我が家に4時に帰ればいいから、久々のフルタイムで打ってこよう。土曜日は孫が来るから、今週末は弓も麻雀もなし。
2021.11.14
つい最近、といっても15年前くらいまでは、書き込みのないまっさらな教科書原文をコピーして、そこに傍線を引き、それを5mm方眼の用紙に貼り付け、手書きで設問を作り、試験問題を作成していた。今は、教科書原文のDiscがあるので、それをUSBにコピーして、PC画面上で、線を引き、あるいは空欄を作り、作問していく。これだけはずいぶん便利になったものだ、と思う。問題文を自分は横書きにしてコピーし、そのまま作問し、最後に縦書きにする。解答用紙はエクセルで作るよりも、5mm方眼で手書きにする。その方がはるかに速いし、B4一枚に収められる、というか、いつ作ってもB4一枚に収まるような作問ができる。そのあたりは年の功というものだ。現代文でも、古典でも圧倒的に記述問題が多いので、生徒は50分の試験時間を目一杯使う。2年だと、書き切れず一部白紙のままの答案が散見されるが、3年はびっしり埋めることは埋める。そうなると、採点は大変だが、作問の甲斐があったな、と感じる。記述は行数指定が多くなってきてる。昔から、東大や京大の記述は、字数ではなく行数の指定が多く、ほとんどは2~4行である。そもそも、字数を指定して書かせることに、あまり意味があるとは思えない。「~を説明せよ」と言われて、例えば3分で、とか5分で、というのはあるだろうが、何語でなどと言われれば面食らってしまうだろう。論述問題も出すが、これは、いきなりだと無理なので、あらかじめこういう問題を出すからね、と予告しておく。要は試験で出すか、課題とするかの違いだけで、試験の場合はせいぜい字数で400字、課題の場合は1200字まではある。採点は国語の中では速い。最近は、誤採点もほとんどない。あと何回、試験問題の作問をするのか、見当もつかないが、少なくとも教師をやっているうちはつきまとう仕事だ。これを、指導書の問題そのままで出すのは、国語教師として失格だと思っている。【追記】10:00さきほど、2,3年の試験問題はほぼ完成。後は、印刷して解答用紙を作るだけ。再来週の試験だが、今週中に作ってしまいたい。
2021.11.14
先ほど書いた、「小景異情その2」の鑑賞文。小景異情 その2 について(朗読のヒントとして) まず、詩の解釈はあくまでも一人一人の読者に委ねられているということであり、解釈の深浅はもちろんあるだろうが、その時点でのその人の解釈から、出発するほかないのだということを前提として言っておきたい。 というのは、この詩について、東京で詠んだものか、それとも故郷、金沢で詠んだのか、という不毛な論争があるからだ。萩原朔太郎は、この詩を東京で詠んだ望郷の詩と解したが、後に「文学者」たちが、さまざまな資料と読み合わせ、この詩を金沢で詠んだものとした。しかし、この詩が人口に膾炙され、中学校教科書にも掲載されるようになった時点で、室生犀星自身は、その問に「東京」とも「金沢」とも答えたことがあると語り、それはどちらで読んでもらってもかまわないのだ、という趣旨の発言をしている。どんな芸術においても、作品が公開され、作者の手を離れてしまえば、その評価、解釈は鑑賞者に委ねられるのだという当たり前のことを犀星は言ったに過ぎず、東京・金沢論争は、その当たり前のことを、つまり文学鑑賞の自由を忘れ去っている。 以下、自分の解釈を提示しておく。 冒頭二行は特に有名で、正確に言えば、この部分だけが「人口に膾炙している」と言ってよい。 ふるさとは遠きにありて思ふものそして悲しくうたふもの 5・7・5、7・5という不安定な七五調の韻律で、作者の揺れる心、故郷に対する思いが提出される。それは「望郷」であると同時に「悲哀」と言っていい。 よしやうらぶれて異土の乞食となるとても帰るところにあるまじや 「よしや」は3音の強い破調を作るが、その意味も強い。「万が一にも」ということであり、その後に続くのはまた5・7・5、7・5の定型だ。「落ちぶれて、異土(故郷から遠い東京)で乞食同然の身となったとしても」という強い逆接仮定条件の後、「帰ってはならないところだ」という、これも強い禁止の助動詞「まじ」が、「や」という強調の意味で解される間投助詞(ないしは終助詞)に続く。これほど、強く帰郷を断念するのは、過去に帰郷した際に、よほど辛い思いをしたからだろう。実際、犀星は詩人として食うや食わずの生活が続き、何度も金沢に帰り、養父に金を無心している。養父としては、妾のしかも自分と血のつながりもない犀星に、気持ちよく金を与えることなどなかっただろうし、養母は酒乱で、まともに話ができる状態ではなかったようだ。(犀星が足軽頭だった男の妾腹の子であり、さらに生まれてまもなく、住職の妾に押しつけられた私生児であった、というのは有名な出生の逸話である)とすると、犀星の故郷に対する感情の根底に「憎悪」がある。「愛着」と「憎悪」というアンビバレンツ(二律背反)こそ、犀星の「望郷の念」である。 ひとり都のゆふぐれにふるさとおもひ涙ぐむ 再び、7・5の定型の繰り返し。「都」はもちろん「東京」であるが、「おもひ」の仮名書きは、「ふるさとは遠きにありて思ふ」という詩の出発点とはまた別な感情のように読める。つまり、ここで「おもひ」を持つのは、犀星ではなく、上京し、そこで仕事を得、家庭を築き、人生を送る無数の「故郷喪失者」たちだ。彼らにとって、「ふるさと」はただただ懐かしく、そこを思うと「涙ぐ」まずにはいられないような土地なのである。彼らの中に、「故郷への憎悪」などはない。 そのこころもて遠きみやこにかへらばや遠きみやこにかへらばや 「そのこころもて」は7音だが、5+2音の構成で、やはり破調である。ただし、「よしや」ほどは、破調の韻律は強くないと感じる。むしろ次のリフレインを「遠いみやこ(金沢)に帰りたいものだ」という意味に解せば、それは実現しようもない「憧憬」である。つまり、普通の故郷喪失者が抱く「望郷の念」においては、故郷がどこまでも美化されるが、犀星にとっての故郷、金沢(「みやこ」)は、根底に憎悪の念を持ちつつ「望郷」されるほかない。犀星も、できることなら小京都と呼ばれた金沢を、美しい幼年時代を過ごした思い出の地として、心に思い描きたかったのではないだろうか。人は強く「希望」を語るが、実現しようがないことを知っている「憧れ」は、弱々しく呟くだけであろう。 以上、現時点での自分の解釈を、「分かりやすく」ということをまったく考えず、書いたので、内容に関して質問があれば聞いてください。まあ、こんなふうに朝から仕事もしてるわけです。
2021.11.13
昨日も仕事が入ってしまい、しかも腰はまだちょっとしんどくて、今朝はやっとウィークエンドを迎えた現役世代の気分である。5時に起きて、久しぶりに、ミニトマト、ピーマン、玉葱、ウィンナー、生ハムで一手間加えたピザとコーヒー。その後、火曜日の代行授業の予習。今回は「古典B」としてやるので、漢文演習。孟子とその文についての吉田松陰の批評。複数の文章資料から作問するという入学共通テストの模擬問題である。やや難しい。次に、2年生の課題として出していた「小景異情」その2、「ふるさとは遠きにありて思ふもの」という人口に膾炙された犀星の詩の鑑賞文を書き上げた。というと、奇異に思う向きもあるかもしれないが、自分はその手の課題を出すときには、その都度必ず自分も書いて、提示することにしている。前回は「山月記」で、「李徴はなぜ虎になったか」という課題を書いた。そもそも自分が書けもしないことを、平然と課題として課すというのが国語教師のどうにもならないところで、そんなヤツにはなりたくないのだ。で、今日はもう腰の状態は悪くないのだが、念を入れて、麻雀はおやすみにするか迷っている。昨日、やっとCX5が戻ってきたので、弓を積みなおして、とりあえず、久々に射場にとは思っている。8時半ころ行って1時間は射てるだろう。
2021.11.13
その政策が正しいかどうか、分からないが、自分たちとしては心待ちにしていたGOTOトラベルが2月には再開されるらしい。今回は平日の方がお得で、3月ならほぼ仕事を空けられるから、どこにでもいける。記事についたコメントを見ると、どうせ旅行に行く人は行くし、行けない人は行けないのだから、税金の無駄遣いというのが、世論の大勢のようだ。相変わらず、旅行を楽しむちょっと余裕のあるソーシャルクラスへのルサンチマンが支配している。しかし、旅行業界が大打撃を受けているのは事実だし、GOTOという後押しがあれば、これは確実に経済対策にはなるだろう。つい最近まで、なにかといえば「人流」、「人流」と騒いでいたが、人が動かないと経済は回らないのである。別に、経済を回すために旅行に行くわけではないが、去年は大きな旅行を3回、GOTOのおかげでできたし、楽しかった。今年のようなワクチン接種もなかったし、その中での旅行だったが、そもそもコロナという感染症について、マスコミの取り上げ方やそれに何も考えずに乗っかる世間がおかしかったので、それに対するアンチテーゼの気持ちもあった。そもそも「移動の自由」という重大な基本的人権の抑制を、「要請」という曖昧極まりない形で行ったことのエクスキューズとして、ちょっと感染者数が減ると、今度は国民のご機嫌伺いのようにしてGOTOは企画されたのだ。ところが、国民の方は、政府に成り代わったつもりなのか、「要請」よりもまだひどい「自粛警察」と化してしまった。これじゃまるで戦時中の町内会婦人部と同じだ。「贅沢は敵だ」といって、近所中の家を見て回り、ちょっといいものがあったりすると「供出しろ」と恐喝する。あれだって、警察が直接やったわけじゃない。国民の側が、「自発的に」財産権という基本的人権を抑圧したのである。今でも、老健施設などは、旅行禁止、子どもが会いに来るのもダメ、結婚式も行くな、葬式は親ならいいが、帰ってきたら二週間自主隔離せよ、というところが実際にある。職員同士、誰も抜け駆けしないよう監視している。コロナに細心の注意を払っているのではない。他者の人権を押さえつけて、己の「権力意志」を満足させたいだけである。そういう状況で、本当に権力のある者は、そんなことは守ろうともしない。毎晩、料亭で何やらよからぬことを企んでいる。権力も何もない市民としては、本当は団結して、デモでもやって抗議しなければならないのに、相互監視という最悪の状況を自ら選んでいる。だとしたら、自分は、バカめと思って自分の生活を楽しむだけだ。それで何が悪いのか、と思う。まあ、天罰でギックリ腰になりそうだけど。
2021.11.12
毎日、仕事も遊びも弓も楽しくやっていたら、オマエ、ちょっと調子に乗り過ぎてんじゃないのか、と神様が怒ったのか。まあ、そんなことはないだろうが、昨日、掃除をしていて、寝室のベッドの下に掃除機を突っ込んだら、ギクッと。すぐ座薬を使い、痛みを最小限に。家事は大体これでオシマイというところだった。動けないほどの酷い状況ではなく、何とか車で出勤したが、授業は切りのいいところで中断し、その後は自習課題を。その間に、昼に見るはずだった生徒の小論文を3人分くらい指導して、何とか切り抜け、さっさと退勤した。その後は、ほぼ寝っぱなしにして、夜に座薬をもう一度。今朝は、痛みは大分引いたが、まだ中腰で手を伸ばす動作などを迂闊にすると、ギクッとなりそうな感じが続いている。経験上、今日一日おとなしくしていれば何とかなるはずだ。というわけで、今日も2時間目の代理授業があるので、それだけこなして帰ってこようかと思う。無理はいけない。いろいろ考えたが、たぶん代車の影響が大きい。座り込む形のシートはどうもダメのようだ。なるべく車に乗らずに、今週末も用心しながら過ごさないといけない。車ももうすぐ戻ってくる。なにしろ来週末には二泊三日で孫がやってくる。本気で遊べるように、月曜日に整形で何とかしてもらうつもりだ。
2021.11.12
荒天で一昨日の特講はなくなり、今日も3時間目だけなのだが、昼休みに生徒の小論文指導があり、そう楽な仕事の週でもない。今週だけで20本くらいみている。しかし、今日は授業を半分にして、あとは自習させて、小論文指導を、と考えている。4時間目がないので、昼をさっと切り上げて、健康麻雀に行く予定だ。木曜日も比較的強いメンバーがそろうと聞いているのだ。その帰りがけに、三日ぶりに射場に。どうも弓を引く気になれなくなっている。明日も授業は同じ扱いにして、妻のピアノのお迎えがある。まあ、次年度からもこの小論文指導は継続となるかもしれない。ちゃんとやれる人間がいないのだ。それならそれで、きちんとした手当がでるかといえば、そんなものはないだろう。ただ、授業を担当した生徒が見てほしいと言えば、やはり断れないから仕方ない。弓は、この前の練習ではわりと狙うことができたので、その継続。
2021.11.11
例の18歳以下への10万円給付は、960万円という世帯収入の条件つきで、自公が合意し、つまりは公明党の無茶苦茶な公約に自民が屈し、実施されることになった。あまりにもばかばかしくて、論評する気にもなれないのだが、これで支持を失うのは公明党ではない。そもそも、公明党は創価学会以外の公明党支持者なんて聞いたことがないから、支持の減りようもないのだ。それに引き換え、自民は無党派層からそっぽを向かれるだろうから、相当票を減らすだろう。誰が見ても、目的も不明瞭で、効果も期待できそうもないバラマキ政策は、将来に禍根を残すこと、必至である。しかし、それにしても18歳は「こども」なのか。成人年齢の引き下げで、18歳には選挙権が与えられ、少年法の適用ではなく刑事罰が科されるのではなかった。この点をみても、公明党の公約がいかに非常識かは分かるだろう。960万という上限は児童手当の上限と同じだが、児童手当は15歳までである。それなら、今回も15歳とした方が、よほどマシだった。それより上の年齢には、高校教育の無償化もすでに実施済みだし、大学の給付型奨学金の拡充にでも充てる方が、困窮学生の支援としても効果がある。いくら、困窮していても学業不振の学生に、ただでお金を配ることはない。960万円は、首都圏で大企業の40歳ならその程度は年収はある。つまり、支援対象からアッパーミドル層を外した、ということだ。自分も最後はその程度の年収だったが、生活は苦しくはなかったから、妥当なのかもしれない。まあ、今はその1/3なのだが、それはセミリタイアの身としてはしかたない。しかし、年収1000万円と2000万円では、明らかにソーシャルクラスは違うとも言えるので、特に夫婦でそれぞれ年収500万くらいの家庭は、なぜ自分たちは外されるのかという不満は出るだろう。懸命に働いてきたのに、という思いはあるはずだ。一方、いずれにしても、そのレベルの家庭なら、10万円はボーナスの誤差の範囲内ともいえる。つまりたいした額でもない。そういうはした金で、怨嗟を買うのはかなわんなぁという思いもあるだろう。つまり、この愚策は、もらう方からもたいしてありがたがられず、他方、支給のない子どもがいない困窮家庭や単身家庭からは大きな不満が出るばらまき方になってしまっていて、政権にとってもいいことは一つもない。新聞はその評価を避け、自民公明の妥協点に焦点を当てた報道を垂れ流しているが、社会の公器としての役割を投げ出しているとしか思えない。
2021.11.11
もう14回目になるこのタイトルで、何を書きたかったのか。自分の経験した唯一の職業である教員という仕事を振り返りたかった、というのが大体のところだろう。「准常勤講師」というのは現在の職位であり、いわゆる定年後再雇用の一つの形である。定年後、年金が出るまでの間の再雇用義務は、現在は65歳までとなり、さらに70歳までが努力義務となった。定年制自体を廃止した会社など、さまざまな再雇用の形が時々WBSなどで紹介されるが、終身雇用制自体が崩れていく社会では、定年という概念自体が意味がなくなるだろう。能力のある人間はステップアップしていくし、そうでない者は、解雇規制が緩和されれば淘汰されていく。自分で起業した場合はそれが当然なのだが、被雇用者、つまり公務員もサラリーマンもやがてそういう時代が来るだろう。そのこと自体に、自分は反対ではない。授業能力が救いようもなく低く、担任を持てば必ず保護者のクレームが入るから持たせられず、そうであるにもかかわらず恬として恥じない教員を見てきたからだ。さて、「准常勤講師」は別に自分の独創ではない。公立でいうところの「ハーフ」という形での雇用だ。「講師」という職位は「専任講師」、「常勤講師」、「准常勤講師」、「非常勤講師」の4種類がある。「非常勤講師」の職分は授業だけであり、割り振られた授業をこなせればそれでいい。契約は1年更新で、生徒の評価が低ければ、次年度は契約しなければいいわけで、最も雇用側としては便利な存在だ。授業時数も専任でどのくらい持てるかがまず基本であり、それで賄いきれない授業を任せる。講習を担当すれば手当は出る。「准常勤講師」は、一応週20時間という労働時間での契約である。自分は、これを定年後再雇用のスタンダードにしたのだが、契約はやはり1年更新。基本的には非常勤と同じで、授業が仕事の中心だが、教科会だけは出る義務がある。しかし、教科会などろくにやらない教科もあるから、そうなるとまったく非常勤と同じだ。授業時数は10時間が目安。準備やテスト作成、採点などを入れても、夏期、冬期などの休みを考えれば、週20時間というのは「名目」であり、「実質」は10時間がいいところだ。ただし、講習などは手当はない。週20時間でも従業員500人以上なら厚生年金などに加入できる。学園の規模が大きいので、自分の学校は可能だった。自分の学校の就業規則では、65歳まで可能な職位だが、自分は例外的に今年度、67歳の年度までそうなった。これは自分で決めたのではなく、頼まれてそうなったのだ。教科会や入試問題作問などの中心であり、ほとんどの特進3年生の小論文も個別で見ている。この職位の中で、一番実質的に働いている。「常勤講師」にはいろいろな問題がある。私立の多くでは、この職位で若い教師をいつまでも安く使うところが少なくない。ちょうど、公立の臨時採用教員に似ている。契約は1年更新。そうなると、仕事はどんどん押しつけられる。担任、部活顧問、公立だと臨時採用教員が進路の責任者などということもある。酷い話だ。しかし、終身雇用の身の上になるまで文句も言えない。自分のところでは、一応職位はあり、週30時間労働だが、適用例はない。「専任講師」は、終身雇用でないところを除くと「教諭」とまったく同じ給与体系で、もちろん昇給もある。私立では試験雇用期間として1年間はこの職位が多い。また再雇用のフルタイムもこの職位を適用するが、その場合、昇給はない。公立はこの枠の人数は決まっていて、そこに入れる人間は基本的に評価が高い。しかし、1年か2年で、その後は非常勤に回ることも多い。さて、次年度は非常勤講師となるのだが、どうなることか。次回に。
2021.11.10
2年生が修学旅行なので、授業は2時間カットだが、金曜日に3年の授業を引き受けたので、その分が増える。毎週火曜日の特講は、今日を入れてあと2回。今月後半からは、火曜日は5時間目で終了、ということになる。今日は5時間目がないので、早めに帰ってきて、いただいた蕎麦で昼食、昼寝をしてから4時にまた出勤の予定。冬期講習は年内だけ。年初は前立腺の生検のための入院だから、できない旨、伝えてある。そもそも自分のような職分の教員が、一番大切な3年の特進を担当すること自体がおかしい。ちゃんとできる人間が、いないということだ。今週は、水曜日の健康麻雀はやめておいて、土曜日だけにしようかと思っている。水曜日は初心者同然の人たちばかりで、まるでお店の人が打っている感じであまり面白くないのだ。再来週、試合はあるが、孫が来るから出場取りやめ。それまで、さっき書いたように「愚直」に真ん中を狙って放す練習を続けるだけ。今日も8時半に射場に行き、1時間半くらいは射ちたい。
2021.11.09
一昨日、弓友に再びいただいた蕎麦を昼食にして、昨日午後に射場に。外れたストリングを直してもらったが、別に問題はなかったらしい。引くと、引っかかる感じは消えていて、たぶん何かの加減でストリングが外れかけていて、そのために引っかかっていたものらしい。1時間ほど射ったが、特に中りは変わらない。ただ、いずれにしても今の精度では550台が目一杯なので、真ん中を狙い、そこからズレずに引いて、「放す」というカスケードを使っての射を我慢強く続けるしかない。エイミングが下がることを予定して、そこから真ん中に中てるという「ズル射ち」にならないようにするだけだ。昨日のこうせつじゃないが「夜明けの風は必ず吹く」からね!
2021.11.09
昨夜は、音鑑の例会で、妻と南こうせつのライブに。昭和フォークといっても、実は様々であり、井上陽水と吉田拓郎、南こうせつでは、その方向性が全然違う。陽水の本質は、メロディメーカーであり、その美しいメロディは、今も色褪せない。拓郎は、本人はロックと言っているが、実態はフォーク・ロックというべきで、アップテンポな名曲が多く、時々垣間見える歌詞のラディカルさが何といっても魅力的だ。その時々の名ギタリストを有するバンド・ライブが生命線だ。それに対して「四畳半フォーク」と称されるかぐや姫は、当時の若者の私生活が歌詞のテーマであり、歌詞は「望郷」「失恋」「懐旧」などがテーマで、何も新しいものはない。こうしてみると、まったく演歌と変わらない。コード進行も、意外にメジャーコードからの進行が多いが、マイナーコードの入れ方は常套的で、やはり演歌そのものである。そもそも音鑑に入ったのも6月の「鼓童」を聴きたいばっかりに、最低限の義務である1年間の会費を払ったわけで、自分でこうせつのチケットを買って行くことは絶対ないと思っていた。2006年の拓郎とかぐや姫(再結成)の「つまごい」に、高校時代はヴィジュアル系ロックや街頭フォークをやっていた息子と行ったが、息子もかぐや姫はあまり好まず、いまだに拓郎ファンらしい。あのときは、かぐや姫のステージで聴衆は潮が引くように、トイレや飲食物を仕入れに会場の外に向かっていき、拓郎が始まると再び、会場内に戻るという人の流れだった。さて、南こうせつである。演奏よりもMCの長いんじゃないかと思うくらいだったが、さすがにMCは巧みで笑わせてくれる。聴衆のほとんどは団塊かポスト団塊。その世代ならではの話題が多い。あまり喋らず、曲を積み重ねていくスタイルではない。というか、そうすると聴衆が飽きてしまうことをよく知っている。演奏は「赤ちょうちん」に始まり、「妹」、「マキシーのために」などかぐや姫時代の名曲を要所に入れた構成で、最後はもちろん「神田川」。70歳を過ぎたのに、声はまったく衰えていない、高音の伸びも相変わらず若々しい。バンドは、ベース、ピアノ、ヴァイオリンを加えた4人構成で、こうせつのギターも重要な構成要素である。そのギターは思ったよりうまかった。アンコールは最近、コロナ下で出した5曲構成のCDのタイトル曲だそうで、確か「夜明けの風」とかいう新曲。「どんなに闇の時が続いても、必ず夜明けの風が吹く。今できるのは、それまでひたすら、懸命に生きるだけ」みたいな、聞いているこちらが恥ずかしくなるようなひどい歌詞だった。あれなら、グループを割った伊勢正三の作品だが、「22歳の分かれ」とか「なごり雪」とかをやった方がよほどいいのだが、それは嫌なのだろう。まあ、それでも十分楽しい時間が過ごせたから、何も文句はない。
2021.11.09
英語は"with draw"、よくDSという記号が使われるが、これは"don't start"で、競技の最初から棄権した場合をいう。昨日の試合は、最初から変だった。しっかり狙って射った射が6時7点で始まる。そのエンドは53、その後54,54,57と少しだけ持ち直したが、3エンドまで毎回8点が出ていた。まあ、270をできるだけ越えて、次の30射で挽回、と思って矢取りから帰ってきたら、ストリングが外れている。切れたわけではない。また、射った時に外れれば、いくら何でも分かるから、矢取りの間に外れたとしか思えない。そういうわけでWDということになった。途中でストリングが切れた試合は経験したが、外れるというのは初めて。一昨日辺りの練習から、引くときに一回ストリングが引っかかる感じはあった。バスケーブルを2本束ねて、横に出すための棒(名前が分からない)が少し位置が悪いとそういうことは起こるので、試合が終わったら調整しようと思っていた。後は、雨が降るとそういことは起きる、が、室内ばかりだったからそれはない。心配しているのは、カムが曲がってしまっていること。まあ、弓友に見てもらうことにしたので、結果は今日分かる。午前は整形で時間がないので、弓をもらうだけ。午後に射場で確かめるつもり何でもなければいいが、最悪は弓の買い換えである。いずれ競技用のもう少しスペックの高い弓がほしかったので、それはいいのだが、とりあえず射てる弓がないのが困る。右ならあるが、たぶんドローウェイト30~35が限界で、その強さでも10本を越えると、押し手が震え出す。さて、どうしようか。
2021.11.08
全63件 (63件中 1-50件目)

![]()
![]()