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蒼鬼 -あおいおに- ピィィィ――――ッ 頭上を横切る鋭い鳴き声に、清和帝はふっと我にかえった。 ……ヒュ―― ルルルルル 何かの鳥の声だ。清和帝はゆっくりと、寄りかかっていた脇息から身を起こした。 どうやら少しうたた寝をしていたらしい。 鳳輦は相変わらず、輿をかついでいる大勢の白丁の動きに合わせて、ゆるやかに揺れる。その上、周りを取り囲む大勢の殿上人や随身たちのせいで、辺りはひどくざわめいていた。 だが、輦の中は前後左右に下ろされた簾から柔らかな光が差し込み、まだ夏の名残を残してふうわりと温かい。その心地良さに誘われて、ついうとうとと眠ってしまったのだろう。 清和帝は目をこすり、小さく伸びをした。そして、鳳輦の前簾を少し上げて、外を覗いてみた。 晴れやかな秋晴れの陽光が都大路に満ち、八重九重に連なる桧皮葺の邸宅の屋根も、明るい日差しの中でいつもより照り映えて見える。築地の壁は眩しいほど白く輝き、その上からのぞく邸苑の木々はまだ色を変えずに、濃い緑の葉を豊かに繁らせていた。 頬をなぶって吹き抜けていく風はもう少し冷たいが、どこか落ちついた秋の匂いがしてかぐわしい。清和帝は胸一杯にその香りを吸い込んだ。 外の空気を吸うのは何ヶ月ぶりだろう。 行幸など久しぶりだ。内裏で暮らすようになってから、もう十年以上が経つ。だが、その間内裏の外に出られたのは、わずかな機会に過ぎない。 まだ若い清和帝には、あまりにも重々しい帝という身分が少し厭わしかった。東宮だった頃もたいした自由はなかったが、今は夥しい随身に文武の百官を引き連れてでなければ、どこにも行けはしない。 たとえ、母に会うためだけであったとしても……。 清和帝はそっと溜め息をついた。↓これが、天皇をはじめとする最も高貴な方々の特別な乗り物「輦」。写真は「葱花輦」(そうかれん=葱の花というか、宝珠のような飾りがてっぺんについている)ですが、「鳳輦」(ほうれん)もてっぺんの飾りが鳳凰の作り物になっているだけでほぼ同型です。「鳳輦」が最も格式のある乗り物で、天皇の公式の外出の際に用いられ、やや格の下がる「葱花輦」は私的な外出用だとか。
2007年04月28日
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次回作のご紹介…… タイトルは「蒼鬼 -あおいおに-」。 時は、平安時代の初期。 久しぶりの行幸先で、若き清和帝が目にしたのは……美しい我が母とまぐわう……鬼の姿だった。 野心に満ちた僧・真済と、伝説的な美貌をうたわれる染殿后との悲恋を、彼らをとりまく様々な人々の愛憎と共に描きます。 下敷きにしているのは、今昔物語等にある様々な鬼に纏わる説話の数々。元ネタが矛盾を孕んでいることもあって、歴史的には全く正しくありません!(苦笑)し、私の勝手なでっち上げもかなり混じっています。でも、あまり取り上げられることのない平安時代初期の歴史や、説話文学の面白さを少しでも感じていただければ幸いです。 しばらく短編が続いていたので、ここらでそろそろ長編はいかがでしょう。(笑) 何と、原稿用紙にして426枚! 私が今まで書いた中で、最長の作品です。 ごめんなさい。。。鬱陶しい?でしょうが、宜しかったらおつき合いくださいませ……m(__)m
2007年04月27日
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反省点いろいろ…… 九州のマイナーな土地が舞台になっていたのは、九州の文学賞だったため馴染みのあるネタがいいだろうと思って選んだからだったんですが、全国用としてはちょっと問題だったかなと思っています。 それに、この頃はまだ会話の書き方が良くわかっていなかったせいか、一つの会話文が長くて説明的すぎ。会話はやはりずるずるとした独白ではなく、適度な長さとキャッチボールのようなテンポが必要だということを悟りました。 また、全体のあちこちで出来る限り高野聖が父親であることを匂わせたつもりだったんですが、時間を置いて素直に読み直してみると、ずいぶんとわかりづらかったかも。特に、若党のことはあまり父親に語らせるべきでなかったと、今になって思います。(私自身の設定としては、若党の気持ちなどは彼が死ぬ前に父親に語ったことというつもりだったのですが)全部を台詞で表そうとせず、どうしても言わなければならないことだけを選んで、他の方法で表現するべきだったのでしょう。 それから、作者はすべてわかった上で書いているので、初めて読んだ人がどの程度までこちらの意図を理解できるのか、書き進めていく間にだんだんわからなくなってしまうんです。こんな時、客観的に見てくれる人がいたらなあと思ったのですが……わたしは小説を書いているということを周囲の人にほとんど言っていないし、きついことを言われるとひじょーにへこむたちなので。。。そういう人を見つけるのはなかなか難しいですね。
2007年04月25日
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四作目の連載もようやく終わりました。皆様、長い間お読みいただき、どうもありがとうございます。 この作品は、地元の新聞社主催の賞に応募しようと書き始めたものです。ところが、この賞は枚数の縛りが厳しい上、上限も50枚。一旦書き上げてはみたものの、その時には既に90枚を越えていたので、どう考えても50枚にまで切り詰めるのは不可能……ということで、急遽この賞への応募はあきらめ、代わりに小説現代の新人賞用に書き直しました。 どうやら私は短編というのが苦手みたい。普通に何も考えないで書くと、どうしても90枚くらいになってしまいます。それ以下にしようと思うと、何だか物語の一場面を切り取っただけのような作品になってしまうんです。 残念ながら、この作品は第一次選考も通過できませんでした。でも、私的には結構お気に入り♪ 読み返すと、時々涙が出てくることも。まあ、誰しも自分の作品は子供みたいなもので、自分で書いたものは一つ残らずお気に入りではあるのでしょうがね。^^;
2007年04月24日
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おまけ……濡衣塚の由来。 聖武天皇の御世(735-749)のこと。筑前国の国司として、佐野近世という人が都からこの地へやってきました。ところが、都から連れてきた妻は間もなく死んでしまったため、近世は筑前の女性を後妻として迎えます。でも、この後妻は性悪で、先妻の生んだ近世の姫君を嫌い、とうとうこの継娘を亡き者にしようと図ったのです。 ある日の明け方、漁師が近世の元へ来て言いました。「姫君が毎晩私の元へ忍んで来るのですが、その時私の漁師衣を盗んでいくので困っています」 もちろん、これは姫君を陥れるために、後妻が漁師に大金を掴ませて言わせたこと。でも、近世が驚いて姫君の部屋に行ってみると、何と姫君は潮でびっしょりと濡れた漁師衣を引き被って眠っているではありませんか。この衣だって後妻が眠り込んでいる姫君にこっそり着せ掛けておいたものなのに、近世はすっかり姫君がふしだらな盗人だと思い込んでしまい、その場で姫君を斬り殺してしまったのでした。 ところが、翌年になって、近世の夢に亡き姫君が現れ、このような和歌を詠みます。ぬぎきするそのたばかりのぬれ衣はながきなき名のためしなりけり(私が脱ぎ着した、あの私を陥れるための嘘の濡れた衣は、これから先ずっと私のような無実の罪の例として語り継がれるでしょう)ぬれ衣の袖よりつたふなみだこそなき名をながすためしなりけれ(あの濡れた衣の袖から落ちる涙のような潮こそ、いわれのない浮名を流すということを示しているのです) この歌を聞いた近世は自分の過ちを悟り、後妻を離縁して里へ返した後、自分は出家して肥前の松浦山へ篭りました。後に、近世は松浦上人と呼ばれる高徳の僧となったということです。 この物語から「濡れ衣」という言葉が生まれたと、江戸時代の筑前国の有名な儒学・本草学者である貝原益軒が、「筑前国続風土記」という史書に書き残しています。濡衣塚のあの巨大な石板が、亡くなった姫君の墓石だったとのこと。でも、この石板は、実際には南北朝時代のものだそうです。ちょっとがっかり……。↓怒る近世とすすり泣く姫君の図。石堂橋につけられているレリーフの一枚です。奈良時代の話の割に、風俗はちょっと近世風ですが……。
2007年04月21日
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そう言うと、高野聖は笈を背負って歩き出した。そして、もうあまり顔の見分けもつかないくらい薄暗くなった夕闇の中で、ふいに一度だけ振り返り、何か言ったようだった。 さらば、だったのか。 それとも、もっと別の言葉だったのか。 新発意にはよくわからなかった。だが、そう何かを呟くと、高野聖は足早に石堂橋を渡り、寺町へ続く門の向こうに消えて行った。 新発意は高野聖が去った後も、桜の木の下に立ち竦んだまま、長い間高野聖のことを考えていた。だが、辺りがもうすっかり闇に包まれていることに気がつくと、寺でどれほど叱られるかと恐ろしくなり、急いで承天寺へ戻ろうと早足で歩き出した。 その時だった。 ふいに、新発意は高野聖の手の感触を思い出した。 新発意の両手をしっかりと握り締めた大きな手。痩せてごつごつと荒れ果ててはいるが、確かに感じたような気がする……親指の付け根の辺りにひどく硬いところがあるのを。 新発意は石堂橋を駈け渡り、寺町を抜けて博多の町へ飛び出して行った。そして、一心に辺りを見まわしたが、既に人影の消えた宵闇の大通りには、高野聖の姿はどこにも見えなかった。 (終)↓これが現在の石堂橋。残念ながら、あまり情緒のない近代的で殺風景な橋ですが、『濡れ衣』の語源となった物語を示したレリーフがつけられています。
2007年04月19日
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そして、新発意の頭を撫でながら言った。「お前、『かるかや』の説経が気に入ったか?」 新発意が頷くと、高野聖は優しい声音で言った。「お前の父はこの『かるかや』ばかりをいつも語っておった。これは親子別れの話じゃからの。我が子を捨てた者にとっては、特別な演目だったのだろう。我が子を捨てるということは決して許されることではない。子から恨まれ蔑まれるのも当然だ。だが、お前の父はいつもお前のことを気に掛けていた。もうこれくらいの背丈にはなっただろうか、端午の節句にちまきは食わせただろうかなどと、他愛のないことを言ってな。それだけは、覚えていてやってくれ」 高野聖は、最後にもう一度新発意の頭を撫で、懐から小銭をいくらか取り出して小さな手に握らせた。だが、その手を取った時、幼い手があまりに荒れているのに気付いて驚いたようだった。 新発意が毎日の水仕事の話をすると、高野聖は黙って笈の中から蛤の殻に入った塗り薬を取り出し、丁寧に新発意の手に塗ってくれた。そして、しばらくの間新発意の手をぎゅっと握り締めたまま、その手に覆い被さるようにして俯いていた。 新発意の手に、何か生暖かい水のようなものが、僅かに滴り落ちた。 高野聖は顔を上げると、新発意の視線を避けるように後ろを向いた。そして、新発意へ背を向けたまま言った。「寺の暮らしは辛いだろうが、どうか辛抱してくれ。そして、もし良い折りがあれば、お前の姉にもわしのした話を聞かせてやって欲しい」
2007年04月16日
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「お前の父は旅の途中よく言っていたものだった。自分が出家したのは、道心に目覚めたからではない。仏に縋って救われることを夢みはするが、それは叶わぬことだと身に染みてわかっている。ただ、自分の罪を自分の身に背負い、その罪と共に諸国を廻って我が身を責め、落魄れ果てた姿を晒し続けることだけが、自分に許された唯一の道だと。わしもお前の父に従っただけだから、元々道心などありはしない。だが、お前の父が死んだ今、わしはその罪を引き継いで背負って行こうと思う。これからも、貧しく賤しい高野聖のままでな。お前の母を不幸にした罪はわしにもある。わしがもっと強い男であったなら、お前の母を奪われることもなく、生涯守ってやれたはずなのだから」 高野聖は立ち上がって、地面に敷いていた筵を巻き上げ、笈にくくりつけた。新発意は高野聖に問うた。「これからどこへ行くの?」「さあな。わしは高野山の札を檀家衆に配る役目をおって諸国を廻っておるが、当節ではどこへ行っても高野聖など歓迎されぬ。この筑前でも十日ほど過ごしたから、そろそろ他国へ出る潮時じゃろ」「また来てくれる? また、説教節の『かるかや』を聞かせてくれる?」 高野聖はゆっくりと首を横に振った。「いや、もうこの筑前に来ることはなかろう。故郷の桜も、もうじっくりと見納めた。これでもう悔いはないからな」
2007年04月13日
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高野聖は新発意の顔をじっと見つめながら言った。「お前の母は、父の心中を感じ取っていたのだろうな。好きな男が何を考えておるかくらい、勘の鋭い女なら見抜いてしまうものだ。だが、お前さえいなければと言ったのは、決して母の本心ではない。そんなことを言ったのは、ただ病気で弱った心と今際の苦しみのせいに過ぎぬ。お前の母は、それはそれはお前を可愛がりいとおしがっていた。愛する男のただ一つの形見だからな。それに、父が全てを捨てて家を出たのも、お前のせいではない。それは父自身の弱さのせいだ。愛するものを信じ切ることが出来なかった愚かさと、我が子を自分の手にかけようとした畜生にも劣る所業の招いた罰だったのだ」 高野聖はだんだん薄暗くなって来たことに気付いて、あたりに散らしていたササラや手拭いを片付け始めた。「思えば、わしもお前の父と同じ愚か者だ。わしは妻を主人に奪われながら、妻を憎むことも主人を見限ることも出来ず、おめおめと主家に仕え続けた不甲斐ない男よ。その上、主人を追って筑前を去り、身寄りのない妻の行く末を守ることもしなかった。お前の母はわれらのことをどう思っていたのだろうな。どう思いながら死んでいったのだろう。もう死んでしまったのだから、それは永久にわからぬが。わしはそれを考えながら、これから旅を続けて行くつもりだ。それがせめてもの供養になるかも知れぬ」
2007年04月06日
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新発意は自分の両手を眺めた。高野聖は続けた。「だが、お前の父はずっと一人で疑い続け、それはだんだんと大きくなって行った。そして、とうとうあまりに愚かなことをしでかそうとしたのだった」「どういうこと?」「あれは、ひどく暑い夏の日だったな。お前の父はお前を連れて、供も連れずに外へ出た。わしはそれが何となく不審に思えたので、こっそり後をついて行った。草のぼうぼう生えた脇道をずんずん歩いて行くので、後をつけるのが大変だったよ。着いた先は、お城の外れにある草ヶ江の葦の原だった。わしが葦に隠れて見ていると、お前の父はしばらく汀でお前を遊ばせていたが、そのうちゆっくりと近づいて行って、お前の後ろからその細い首に手をかけた」 新発意はびっくりして、今そうされたかのように首を竦ませた。「わしはもう必死で葦の原を飛び出し、主人にしがみついた。そうされて初めて、お前の父は自分がしようとしていたことに気付いたようだった。呆然と目を見開いてな。だが、お前が側で泣き出した声を聞くと、そちらを見ることも出来ずに、ただ黙って逃げるように城の方へ歩いて行った。わしは置き去りにされたお前を背負って、屋敷へ戻ったのだったが……お前の父が家を出たのは、その翌日のことだった」↓お城の傍らにある「大濠公園」。ここは元々自然の小さな湾だったのだとか。それをお城の堀の一部として利用していたそうですが、今は湾の入口を閉じて大きな池になっています。福岡市民お馴染みの憩いの場です。この池の後ろ側辺りが「草ヶ江」。大昔は湿地帯だったようですが、今はマンションや店舗が立ち並ぶ賑やかな町になっています。
2007年04月04日
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