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口々に囁かれる呟きを耳にして、さすがの真済も胸に堪えるものがあった。言われていることが全て当たっているだけに、真済も言い返すすべが見つからない。歯を食いしばったまま黙り込んでいる真済に、追い討ちをかけるように真雅が言った。「何か申し開きをせぬのか? 日頃の大言壮語はどうした?」 真済はぎろりと白目を光らせて真雅を睨みつけたが、敗北の衝撃の激しさのあまり、いつものような辛らつな反論は何も口から出て来なかった。そのような真済に、名虎は未だ怒りで唇をぶるぶる振わせながら怒鳴りつけた。「お前の顔などもう二度と見たくない! 今後この京の都でお前を目にしたら、袋叩きにしてくれるからそう思え!」 真雅も薄笑みを浮かべながら同調した。「我ら真言宗としても、そなたをこのままにはして置けぬ。しばらくは、どこぞで謹慎していてもらおうか。高尾に戻っても良いが……さて、高尾の衆もそなたを受け入れてくれるかな。この度のそなたの大失態は、高尾の者たちにとっても手痛い打撃となるだろう。あちらでも袋叩きにあわねば良いがの」
2007年11月30日
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真雅の後ろを囲むようにして立ち竦んでいる大勢の僧たちの顔色も変わってきた。確かに真雅の言う通り、これからの真言宗の行く末を考えると、今回の真済の祈祷の大失敗は致命的だ。僧たちは急にそわそわとしはじめ、小さな声で囁きを交わした。「これからは、内裏に出入りするのも難しくなるでしょうな」「それくらいならまだ良いが、今まで祈祷を依頼なされていた権門の方々の元へも、行きづらくなることでしょう」「せっかく真雅様が取り結んできた藤家との縁もこれまでか」「そればかりか、真済様が恵亮に大敗したおかげで、天台の衆はこれから日の出の勢いになるのは目に見えておる」「何ということだ。これから我らは一体どうすれば良い?」「こんな羽目になったのも、勝手に祈祷を始められた真済様のせいだ」「そもそも、何ゆえこの東寺の真雅様を差し置いて、真済様が祈祷を行われたものか。越権も甚だしい」「そうそう、高尾の神護寺で大人しくしておられれば良かったものを」
2007年11月29日
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名虎は真済を面罵する言葉を、次から次に口から泡を飛ばしてがなり立てた。自分が揉み手をして真済に惟喬親王の護持僧になってくれるよう頼み込んだことなど、すっかりどこかへやっている。今回の祈祷の依頼さえ気が回らなかったことも忘れていた。 名虎の背後に恭しく身を屈めていた真雅も、深刻な口調ながら、こちらへ向けた目を満足げに光らせながら言った。「たいしたことをしでかしてくれたものかな。このようなことを予測していたからこそ、私は何もせずに静観しているべきだと言ったのに、そなたは私の話も聞かずに勝手に祈祷を始めてしまった。この責任をどうとるつもりかな。そなたの祈祷がこのように大失敗してしまったことは、今頃はもう京の都中に広まっていることであろう。これからはそなたに祈祷を依頼する者などいなくなるだろうのう。そればかりか、我ら真言の者たちの評判も地に落ちた。宗祖弘法大師が精魂込めて築き上げ、我ら弟子たちが必死に守り伝えようとしてきたこの真言宗は、これから一体どうなる?」
2007年11月28日
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ふと気がつくと、遠くから寺の回廊をどしどしと鳴らして近づいてくる大勢の足音が聞こえてきた。 真済は疲れ果てた身体をゆっくりと起こし、それでも気力を振り絞って、何とか座禅を組み、石張りの冷たい床に端座した。 誰かの手によって堂の扉が開かれ、急に差し込んで来た外の明るさに、真済は弱った目を守ろうと僧衣の袖をかざした。 金堂の扉を開けたのは、真雅だった。恐懼したように身を屈めてはいるが、こちらに向けられた口元には残忍な微笑を浮かべている。真雅の後ろからは、数人の僧に肩を支えられた名虎が、逆光でもはっきりとわかる憤怒の形相を浮かべて続いていた。その後ろには、東寺中の者が勢ぞろいしたかと思われるほど、大勢の僧たちが従っている。 名虎は僧に勧められた敷物の上に乱暴に腰を下ろした。真済は何も言わずに名虎の顔を見つめていた。その顔は最初は怒りで紅潮していたが、そのうちだんだんと表情の険悪さが増すに連れて、何とも言えないどす黒い色に変わっていった。そして、東寺中の者が見守るなか、とうとう爆発した。「一体、これはどういうことだ! あのような死にかけの恵亮にすら、不甲斐なく惨めに敗れるとは! お前が必ず我らに勝利をもたらして見せるというから、この度の祈祷をすべてお前にまかせたというのに! 口ほどにもない! お前の口車に乗せられて、お前を惟喬親王の護持僧にしてやった私が馬鹿だった。これほどまでに、頼み甲斐のない者であったとは、惟喬親王や主上に申し開きも出来ぬ」
2007年11月26日
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「何と、恵亮が死んだ? それはなぜだ」「恵亮殿は激しく大威徳明王咒を行っておりましたが、なかなか験が現れませぬ。一緒に祈っていた者たちもそろそろ諦めようかという心持ちになってきたそうでございます。ところが、恵亮殿は何が何でも惟仁親王方に勝利をもたらせてみせると言い放って、やおら独鈷を振りかざしたかと思うと、自らの頭をそれで打ち砕いたとか」「何と、自分で自分の頭を。して、恵亮はどうなった」「そこら中に脳髄を撒き散らし、炎を上げて燃える護摩壇の炉の中に頭を突っ込んで、そのままお果て為されたそうでございまする」「何という壮絶な……」 右近の馬場で絶句する良房と共に、東寺にいる真済も頭を抱えてその場に伏してしまった。 自らの命に代えて、惟仁親王方の勝利を祈願するとは。 真済には信じられなかった。いくら先の短い身とはいえ、自分の頭を独鈷で打ち割るなどという凄まじい祈祷をする者がいるなど、真済は考えたこともなかった。そのような必死の祈りを、大威徳明王も哀れと思って、御力をお貸しになったのだろうか。 真済は敗北の衝撃で、しばらく頭を上げることさえ出来なかった。そんな真済を、護法童子たちは憐れむような眼差しで見守っていた。↓これは、比叡山の西塔にある恵亮堂。↑の祈祷の際、恵亮さんが自分の頭をかち割ったという血染めの独鈷が、今でもここに残されているのだそうです。ほ、本当だったのね~(@_@)。。。
2007年11月22日
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「大威徳明王……」 真済は絶句した。 大威徳明王は戦勝祈願や怨敵調伏に最も強力な験をもたらすことのできる明王だ。確かに、恵亮は大威徳明王の呪法に通じている者と聞いてはいる。だが、大威徳明王御自ら出現なさるほどの力を持っているなど、信じられない。 黙り込んでしまった真済に、勢多迦童子は宥めるような口調で続けた。「私は不動明王にお仕えする者ではございますが、たかだか卑しき眷属に過ぎませぬ。自ら姿を現された大威徳明王に、どうして私ごときが太刀打ち出来ましょうか」「そんな馬鹿な。この私より強い法力を持っている者などいるわけがない。大威徳明王を自在に動かすことなど、あの恵亮ごときに出来るものか。私ですら、不動明王御自らにお会いしたのはただ一度だけ。それほどの法力を、あの死に損ないが持っているはずがない」 わなわなと震えている真済の耳に、剣の幻の中から、良房に告げる基経の声が聞こえてきた。「ただ今、真言院から、左方勝利を祝う僧たちが参りました」「恵亮か。おお、よくやった。早速ここへ通せ」「いえ、恵亮殿は参れませぬ」「それはどういうことか」「私が先ほど真言院へ遣わした者が探ってきたところによると、恵亮殿は既に身罷られました由」
2007年11月20日
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急にがっくりと肩を落とし、真言を唱えるのを止めてしまった真済に、背後に居並んでいた僧たちも驚いて黙り込んでしまった。真済は俄かに立ち上がると、僧たちにむかって低い声で言った。「しばらく席を外せ」 僧たちは互いに目を見合わせつつ、それでも押し殺した真済の声の迫力に押されたのか、ぞろぞろと下がって行った。 真済は一人きりになると、不動明王の根本印を結び、短く真言を唱えた。たちまち、剣の幻の中から金色の光が溢れ出して来る。そして、見る間にそれは二つに分かれ、矜羯羅童子と勢多迦童子が姿を現した。真済は恐ろしい形相で勢多迦童子を睨みつけて言った。「これは一体どう言うことだ。お前は一体何をしていたのだ」 勢多迦童子は少し俯きはしたものの、凛々しい童顔の顔色も変えずに、淡々と答えた。「私はお言いつけ通り名虎の馬を操っておりました。そのまま行けば、もちろん勝利したことは間違いありませぬ」「だが、そうはならなかった。一体、さっきのあのていたらくはなんだ。小さな竜巻ごときに巻き込まれて、馬から振り落とされでもしたか」「ただの竜巻であったならば、どうして私が振り落とされなどしましょうか」「それはどういうことだ」「あの竜巻は、ただの竜巻ではございませぬ。あれは、大威徳明王が御自ら姿を変えて、示現なさったものでございまする」
2007年11月19日
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そのような右近の馬場の様子を、真済は凍りついたような無表情で眺めていた。 護法童子の剣の力が狂ったのだろうか。こんなことになるなんて、信じられない。何かの間違いだ。 真済は剣の護法童子に詰め寄って、その手から長剣を引っ手繰った。そして、その面を袖で拭い、顔を近づけてもう一度幻を見つめた。 間違いない。 右の幕屋の中では、身体中傷だらけになった名虎が、ようやく息を吹き返したようだった。惟喬親王が宥めようとするのも聞かず、辺り構わず怒鳴り散らす大声が、剣の幻の中からでもよく聞こえる。「これは一体何としたことだ! 真済め! あれほど己の法力を自慢していながら、肝心の勝利を落とすとは、口ほどにもない! あのようなうつけ者を頼りにしていたのが、悔やまれるわい。見ておれ、京の都はおろか、高尾の神護寺にも居られぬようにしてくれる。いや、まて。その前にせいぜい罵倒してやらねば気が済まぬ。ものども、これより私を東寺まで連れて行け!」 引きとめようとする惟喬親王を振り切って、名虎は舎人たちに担がれて右近の馬場を出て行った。後に残された者たちの囁きも聞こえて来る。「あれほど世間を騒がせていた真済の法力も、結局はたいしたことはないということか」「そうですな。瀕死の恵亮にすら勝てぬとは。真言の衆も、これでは面目が丸つぶれ。いっそ、何もせんでおった方が良かったかもしれませぬな」「これからは、真言の僧にはうっかり祈祷も頼めぬ」 そう口々に痛罵する囁きが、さざなみのように真済の耳に響いて来た。
2007年11月17日
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一方、右方の幕屋は、人々がまるで凍りついてしまったかのようだった。唖然とした口を開いたまま、身動き一つしない。中央の幕屋の前で、白目をむいて昏倒している名虎を省みる者もいなかった。「誰か、名虎のじいを介抱してやってくれ」 そう言う惟喬親王の幼い甲高い声だけが幕屋にこだまして、さらに哀れを誘う。その声にはっとした数人の舎人が、気を失った名虎に駈け寄ってその身を担ぎ上げた。 右の幕屋へ運び入れられていく名虎の背後では、先ほどの竜巻の名残の微風に、半ば下ろされた御簾が揺れている。簾の奥に隠された竜顔は見えないが、御手に持っておられる扇をぴしりと激しく鳴らされたところを見ると、文徳帝の心中も察せられるというものか。 安堵のあまり、しばらく腑抜けのようになっていた良房は、ようやく気を取り戻し、数人の公卿たちを引き連れて文徳帝の幕屋に入って行った。そして、長い間何やら談合しているようだった。 右近の馬場に詰めかけていた人々も、それぞれの思惑に従って、数人で寄り固まって声高に喜び合ったり、逆にこそこそと姿を消したりし始めていた。
2007年11月16日
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だが、その時だ。 突然、それまで晴天だった空が俄かに掻き曇り、急に物凄い大風が吹き始めたのである。 その風は見る間にぐるぐると渦を巻くようにして立ちのぼった。そして、竜巻のような形になると、疾走する名虎の馬の前に立ちふさがったのである。 名虎は馬を励ましてその竜巻をつきぬけようとした。だが、あっという間に竜巻の中に巻き込まれ、名虎は馬と共に宙に舞い上がった。そして、空高く跳ね上げられたかと思うと、恐れ多くも帝の幕屋の真ん前に叩きつけられたのである。 赤兎に乗っていた能雄は、軽い身のこなしを生かして、巧みに竜巻をよけた。そして、もはや遮るもののない馬場を悠然と疾走し、とうとう馬場の末端を駈け抜けた。 怒号のような歓声が、右近の馬場を揺るがすように響き渡った。 緊張と興奮のあまり、思わず立ち上がって幕屋から身を乗り出していた良房は、おのれの目が信じられないのか、袍の袖で目蓋を拭った。そして、左方の勝利を見て取ると、急にへなへなとその場にしゃがみこんでしまった。 良房の隣に座していた基経は、ふと不審な面持ちをしながら席を立って出て行った。 左の幕屋に詰めていた貴族たちは、もう大喜びである。互いに、泣き笑いしながら、手を握り肩を叩き合っている。
2007年11月15日
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この馬に乗って出て来た騎手がまた、馬場の人々を驚かせた。それは厳めしい武官ではなく、まだ初冠したてのような美しい少年だったのである。 人々の間で交わされている囁きによれば、この少年は伴能雄という名で、近衛の少将として出仕し始めたばかりらしい。だが、昨夜夢で神からのお告げを受けたと言って、良房に騎乗を願い出たのだという。良房もそれを聞くと、このような年少の者にも関わらず快諾したのだそうだ。 人々の期待と不安の中、二人の騎手はゆっくりと駒を進め、二頭並んで位置についた。 右近の馬場中の人々が、一斉にごくりと息を飲む。 その瞬間、二人の騎手は同時に激しく馬に鞭を入れ、あっという間にそろって馬場へ飛び出した。 名虎の馬より首一つほども体が大きい赤兎が、まず先頭に躍り出た。だが、名虎の方も負けてはいない。すぐに馬を励まして後を追いすがる。 能雄は小柄な細身の身体を半ば宙に浮かし、まるで揺れる木の枝に掴まっている猿のように、軽々と馬に跨っていた。そして、その軽い身体を生かして、力の強い赤兎を巧みに疾走させる。 名虎は必死の形相で馬に鞭を当て、横腹を蹴り、何とか赤兎に追いつくと、今度は逆に空を駆ける勢いで赤兎を抜き去った。その上、見る間にぐんぐん差を広げて行く。 さすがに、それまで馬に任せるように軽く跨っていただけの能雄も、あせって馬の尻に激しく鞭をくれ始めた。 良房はもう気が気ではない。手に持った扇をへし折らんばかりに握り締め、幕屋から身を乗り出すようにして馬場を見守っている。血走った目はぎらぎらと光り、側にいる者は恐れて近寄ることさえ出来ない。 左の幕屋の前を駆け抜ける時、馬上の名虎はそのような良房をちらりと見て、口元に不遜な笑みを浮かべた。
2007年11月14日
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やがて、東寺金堂の床に斜めに差し込んでいた日の光が、ひときわ明るく短くなってきた。 傍らで護法童子の差し出す剣をちらりと眺めた真済は、大仰に僧衣の袖を払って立ち上がった。 まもなく、最後の競馬が始まるようだ。護摩壇に向かって座った真済に従って、大勢の僧たちもそれぞれの座に戻り、再び祈祷が始められた。 真済はまた大声で激しく不動明王の真言を唱えながら、剣の面に映る右近の馬場の様子を見つめていた。 右近衛府の馬場では、最後の一番が始められようとしていた。 右方から引出されたのは、何の変哲もない茶色の駄馬だった。だが、その馬に乗って現れたのは、何と名虎本人だった。 名虎には、たった一つだけ取り柄がある。それは乗馬が非常に巧みだということだ。 さすがに、惟喬親王の後見人自ら競馬に参加することははばかりがあろうと遠慮していたが、この最後の大一番にはもうなりふり構ってはいられない。それに有能な騎手はもう既に良房方に全て押さえられていて、名虎方の騎手を引き受けてくれる者はいなかったらしい。 一方、左方から引き出されて来た馬を見て、馬場の人々は一斉に賛美の溜め息をついた。それは、赤みがかった茶色の毛並みの、驚くほど巨大な馬だった。 この馬は、今回東国から連れてきた中で、最も足が速く力も強い牡馬である。良房はこの馬を見るなり大層気に入り、すぐに中国の故事にならって赤兎と名づけた。そして、大事な競馬にも出走させず、そのまま帝に献上するために秘蔵していたのである。 だが、この一番には是が非でも勝たねばならない。それで、家司に命じて染殿の厩から連れて来たのだった。
2007年11月07日
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真済はにやりと笑って、さらに激しく真言を唱え続けた。 次の一番も、その次の一番も、勢多迦童子は馬を快走させ、右方に勝利をもたらした。そして、とうとう五対五の引き分けに持ち込み、あとは最後の決戦を残すのみとなったのである。 小休止をとって一旦護摩壇を下りた真済の元に、名虎から祈祷の礼を述べる使者がやってきた。 惟喬親王方が奇跡的に連勝し、とうとう引き分けに持ち込んだことを披露すると、東寺の僧たちは一斉にどよめき、口を極めて真済を褒め称えた。「やはり、真済様の法力は無双でござります」「天台の恵亮ごときでは相手になりませぬ」 真済は僧たちの拝礼を受けながら、仏頂面をしてこちらを見ている真雅に目をやった。真雅はさすがに祈祷の様子が気になるのか、いつのまにかまた僧坊を出て金堂の隅に座っていた。使者の言葉を聞くと、唇を噛んで俯いている。真済はわざとそちらには目もくれず、右近の馬場に戻る使者に薄く微笑みながら言った。「名虎殿へお伝えくだされ。次の競馬も、もちろん勝利してご覧に入れましょう。我ら真言宗はこぞって惟喬親王のお味方でございます。真雅殿と良房殿との繋がりは、この際どうぞお忘れくださいまするよう……」 さすがに真雅の怒りを恐れて、数人の僧たちが真雅の方へ目を向けた。しかし、真雅は俯いたまま反論一つ出来ないようだった。
2007年11月06日
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真済は悔しそうな真雅の思い浮かべてつい含み笑いをもらしながらも、名虎へ惟喬親王勝利の祈祷をはじめたことを知らせる急使をたて、大急ぎで作り上げた護摩壇に向かった。そして、後ろに従えた大勢の僧たちの先頭を切って、一心不乱に不動明王の真言を唱え始めた。 盛大に焚かれた護摩壇には、もうもうと煙が立ち込め、時折身の丈に余るほどの炎が立ちのぼる。 やがてその中に、薄っすらと不動明王のお姿が見え始めた。真済はそれを見てにやりと頷くと、さらに激しく真言を唱え続けた。 傍らにはまだ高尾山から従えてきた二人の童子がいる。真済は真言を唱えながら、剣の護法童子を差し招いた。童子は手に持っていた剣を真済に差し出す。その氷の面には、鮮やかに右近の馬場の様子が浮かんでいた。 競馬は既に始まっているようだ。だが、まだ中盤に差しかかるところ。今からでも十分間に合う。真済はもう一人の勢多迦童子を差し招くと、心の中で命じた。 今すぐこの馬場へ向かえ。そして、自ら手綱を握って、惟喬親王方に勝利をもたらせ! 勢多迦童子は頷くと、ふわりと金色の粒子に姿を変え、剣の面の幻の中へ入って行った。そして、幻の中でまた元の童子の姿になると、項垂れた名虎の馬の首に跨り、たてがみを引き据えて元気づけ、やにわに馬の横腹を蹴りつけた。 老馬はびっくりして駆け出す。勢多迦童子は半ば宙を飛びながら、強引に馬のたてがみを引っ張って、ほとんど引き摺るように哀れな老馬を疾走させた。 そして、見る間に前を走っていた駿馬を抜き去ったのである。
2007年11月05日
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真雅は昨日決まったばかりの宮中の一大事を、それもわざと伏せておいた自分の失態まで、高尾の山奥にいたはずの真済に知られているのを聞いてうろたえたが、遠慮会釈もない真済の言葉にさすがに激怒して言った。「何を言う! 天台の衆にばかり肩入れする良房殿を、こちらから見限ってやったまでのこと! それに、天台の恵亮は病で明日をも知れぬ身で、わざわざ山を降りて来た。この世での最期の名残に、手柄を譲ってやったのだ」「それはまあ、お優しいことですな。私などには考えも及びませぬ。だが、このようにこの東寺で手をこまねいているばかりではどうしようもありますまい。良房殿がそのようなお方なら、その敵である惟喬親王の側について、これからの真言宗の行く末を謀らねばなりませぬ。その上恵亮が重病とは、こちらにとってはなおのこと好都合。今すぐここで祈祷を催し、惟喬親王の味方であることを示しておくべきでしょう。そうすれば、祈祷が成功して惟喬親王立太子の叶ったあかつきには、我ら真言宗はその第一の功労者となるは必定。違いますかな?」 朗々と響く声でそう言い切る真済に、周りにいた東寺の僧たちもこぞって頷いた。この者たちも、真雅の此度のていたらくを、内心苦々しく思っていたのだ。 真雅は真済に言い返す言葉も見つからず、歯噛みしながら拳を握り締めていたが、勝手にするがいいとありきたりな捨て台詞を残して去って行った。
2007年11月03日
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真済は護法童子たちに担がれて高尾山を飛び下った後、真っ直ぐ東寺へ入った。 突然現れた真済に、東寺の僧たちは皆驚いた。 だが、真済はそのような騒ぎを気に留めた様子すらない。そして、早速僧たちに命じて、金堂に大急ぎで護摩壇を築かせると共に、勝手に東寺の主だった者たちを集めて祈祷の準備をし始めた。 大騒ぎになった表の様子に驚いて、奥の僧坊に篭っていた真雅も出て来た。この寺の長者である自分を差し置いて、我が物顔に僧たちを使いまわしている真済に、真雅は不快な表情を見せながら言った。「これはこれは。珍しいお方を目にするものかな。お出でになるとわかっていれば、迎えの者など寄越したものを」 わざとらしい真雅の歓待ぶりに、真済も薄い笑顔で応じた。「急の大事が起こりましてな。お許しも得ずにまかり越しました」「そなたは確か神護寺にいるはずではなかったかな。して、この東寺に何用か」「これは異なことを承る。今日は右近の馬場で次の東宮を決する競馬が行われる大事な日。まさか、そのことを御存じないはずはござりますまい。それなのに、祈祷の用意すらなされていないとは。一体今まで何をしておられたのです。それに、惟仁親王方は全て天台宗に牛耳られてしまったとか。しかも、真雅殿はその祈祷所にすらお入りになれなかったそうでございますな」
2007年11月02日
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その良房の声を、真済は東寺の金堂に設えられた護摩壇の前に座ったまま聞いていた。 真済の隣には、後ろに居並んで共に真言を唱えている他の僧たちには見えないが、銀色の剣の衣を身にまとった護法童子が跪いていて、手に持った長い剣を真済の方へ差し向けていた。その水が滴るほどの冷たい輝きを帯びた剣の面には、右近の馬場の様子が幻のように浮かんでいる。 良房の宣言を聞いて、右近の馬場中がどよめいた。 幕屋に詰めた貴族たちはざわめきながら、それぞれに思惑を秘めて、集まって話し合ったりどこかへ姿を消したりしている。 名虎は相変わらず右の幕屋でふんぞり返り、大きな声で得意げにしゃべりたてていた。その隣では、真済の遣わした矜羯羅童子に背後から両手で包むようにしっかりと守られた惟喬親王が、無邪気に高坏に盛られた唐菓子をつまんでいる。 それに対して、良房はきっと口を結んで、左の幕屋に呼びつけた家司に何やら命じていた。 その様子を見ながら、真済はほくそ笑んだ。 すべては思惑通りに進んでいる。
2007年11月01日
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