2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全14件 (14件中 1-14件目)
1
真っ先に思いついたのは、この染殿についてである。 母は染殿の后と世間で呼ばれるほど、この染殿で過ごすことが多かった。もちろん、ここは母の父である良房の邸宅で、母の里でもあるのだから、時折そこで病気を癒したり物忌みのために篭ったりするのは当たり前のことだ。だが、母は異常なほどそれが多かったし、一度染殿に移るとなかなか戻っては来なかった。 また、母はやっと内裏に戻って来ても自室に篭りっきりで、滅多に人には会いたがらなかった。それがたとえ息子の清和帝であってもである。 もちろん、会えば優しくしてくれるし、嫌そうな素振りなど一度も見せたことはないから、清和帝を疎ましく思っているわけではないらしい。 それに、清和帝は即位した後もしばらく内裏には入らず、十六歳で元服するまで、大内裏の雅院にあった東宮御所で母と同居していた。元服の後は、母も共に内裏に移り、自分は仁寿殿、母は程近い常寧殿を常の住まいにしている。本来なら、もっと頻繁に会っても良いはずだ。 だが、いくら清和帝が母に会いたいと望んでも、滅多に対面のお許しは出ず、出たとしても短い時間だけだった。 それから、あの眼だ。 清和帝は今日も目の当たりにした母のあの眼を思い出した。それはまさに、無機質な玻璃の玉のようだった。 透き通るように美しいが、何も見てはいない。 たった一人の息子の自分さえも。
2007年05月30日
コメント(0)
華やかな染殿での宴が果てた後、寝殿に設けられた寝所に入った清和帝は、長い間寝つかれず、暗い天井を見上げながら考えていた。 それは、母のことだ。 清和帝は心から母を愛し、その美貌に強い憧れを抱いていた。母に比べれば、あの傲慢な高子の美貌など、足元にも及ばない。自分の母は、この世で最も美しく高貴な女人だ。そう思って、誰よりも母を大事にし敬ってきた。清和帝にとって、母の明子はこの世でただ一人の完璧な存在だったのである。 だが、今こうやって改めて母のことを考えてみると、清和帝の頭の中に、黒い雷雲のように、不可思議な疑問がいくつも湧きあがってきた。 それは、本当のことを言うと、既に幼い頃から徐々に気づいていたことだ。しかし、清和帝は母を完璧だと思うあまり、今までその疑問について考えて見ることを、自分自身に禁じてしまっていたのだった。 清和帝は夜具の中で身を捩り、寝返りを打った。 灯りも消し、蔀戸も御簾も全て下ろしてあるせいで、部屋の中は真っ暗である。若い女房が一人宿直につけられていたが、清和帝が伽には及ばぬから下がれと言うと、寝所から離れた片隅で自分の袿を引き被って眠ってしまったようだった。その女房の微かな寝息以外、辺りには物音一つしない。 清和帝はまた寝返りを打って天井を見上げ、今まで感じてきた母に対する疑問を数え上げ始めた。
2007年05月28日
コメント(0)
清和帝は居住まいを正し、うやうやしく平伏して、母に算賀の祝いの言葉を述べた。 明子はそれを黙って聞いていた。口元にはほのかに微笑を浮かべている。清和帝が口上を述べ終わると、明子は静かに頷いて清和帝の顔を見つめ、細い声で言った。「ありがとう」 その声は相変わらず甘く優しかったが、清和帝はそれを聞いて、何かぞっとするものを覚えた。 そこには何の感情もなかったのだ。 算賀を寿がれる喜びも、久しぶりに息子に会えた嬉しさも、何一つ感じられなかった。 清和帝は母の顔をじっと見つめたまま、黙りこんでしまった。今度母に会ったらあれも言おう、これも聞こうと思っていたことも、今は何一つ出て来ない。身体が硬くなり、息苦しくなったが、なぜだか母からは目が離せなかった。 その時、清和帝の胸に、今まで必死に胸の中に抑え込もうとしてきたものが、俄かに立ちのぼって来た。 この人は、ずっと前からこんな風だった。まるで、魂が身体から抜け出して、別の世界でさ迷っているように上の空で、その美しい玻璃の瞳は何も見ていない。少なくとも、この世のものは……。 そう思えて、清和帝は急に母が恐ろしくなった。 美しすぎるものは、ものに魅入られる。 そんな言葉が頭の中に浮かんでくる。 清和帝が黙り込んだのを見て、基経は側の老女に命じて帳台の帳を下ろさせた。そして、清和帝を促し、低い声で言った。「母后様にはお疲れのご様子。そろそろ、寝殿へお戻りくださりませ」
2007年05月26日
コメント(0)
一間の中には年老いた女房が一人、静かに坐っていた。そして、清和帝が用意された繧繝縁の畳の上に坐ると、ゆっくりと帳台の帳を上げた。 中には、母の明子がいた。 久しぶりに見た母の姿に、清和帝は思わずはっと息を飲んだ。 白い単に紅の袴。その上に、息子とはいえ帝に会うためだろうか、略礼装の小袿をしどけなく引きかけている。だが、そのようなくだけた様子の時ですら、明子は驚くほどに美しかった。 ほのかに血の色が透ける白い面輪。非の打ちどころなく整った鼻の稜線。長い睫に縁取られた瞳は、不思議な淡い茶色で、まるで唐渡りの玻璃の玉のようだった。 髪も漆黒ではなく、わずかに薄く茶味を帯びていて、縒り合わされた細い絹糸のように艶やかに波打っている。本来なら忌まれるはずのその明るい髪も、瞳の薄い茶色に良く映って、明子をどこか人間離れした異界の者のように見せた。 その不思議さは、その珍しい容貌のせいばかりではない。 清和帝の目の前にいる明子は、驚くほど若かったのだ。 白く滑らかな顔には皺はなく、髪にも白いもの一つない。今年確かに五十歳になるはずなのに、せいぜい三十歳をわずかに越したくらいにしか見えなかった。 久しぶりに改めてその不思議な美貌を目にした時、清和帝は心の中で思わず呟いた。 あまりにも美しすぎる。とても人間とは思えない。まるで、魔性のものようだ……そこまで考えて、清和帝は慌ててその不吉な呟きを胸の中に押し込んだ。せっかくの五十の賀の祝いに、何という不謹慎なことだろう。
2007年05月25日
コメント(0)
基経は清和帝の言葉に少し眉を寄せたが、大仰に一礼すると、衣ずれの音をさせて下がって行った。 それから、半時ほど過ぎてからだろうか。 清和帝が苛々しながら待っていると、ようやく基経が戻ってきた。そして、清和帝の傍らに顔を寄せ、そっと耳打ちした。「母君がお会いになるそうでございます。ちょっと中座するような素振りで、席をお立ちくださりまするよう」 なぜ、今日の祝いの当事者である母に会うのに、こそこそしなければならないのだろう。清和帝は不愉快ではあったが、今すぐ母に会いたかった。それに、母はもしかしたらひどく具合が悪いのを無理して、自分に会ってくれるのかもしれない。そう思うと、ぞろぞろ百官を引き連れて東の対へ行き、母に気を使わせるのも気が引ける。 清和帝は周囲に畏まるニ、三の公卿に、少し疲れたから対の屋でしばらく休息すると言い残して、あまり目立たぬように席を立った。 基経は自ら清和帝を導き、東の対へ連れて行く。そこは寝殿と同じく清らかに磨き上げられた豪奢な佇まいだった。女人の住処らしく、飾られた調度類も奥ゆかしく美しい。かぐわしい伽羅の空薫きの香りが部屋中に満ち、とても病者が篭っている病室には思えなかった。 母屋の一番奥には、全ての御簾が下ろされ、屏風と几帳で幾重にも囲まれている一間がある。その真ん中には、帳の下ろされた帳台が置かれていた。ここが母の寝所なのだろう。 だが、母に仕えているはずの女房たちは、なぜか誰もおらず、基経は下ろされた御簾の一枚を自分の手で巻き上げ、一間の中へ清和帝を促した。↓奥にある白い帳の下りたものが帳台です。暗くて、ちょっと見づらいですが……でも、当時の室内は暗かったと思うので、かえってイメージが湧くかな?(伊勢・斎宮歴史博物館の展示より)
2007年05月23日
コメント(0)
染殿に入った清和帝は、寝殿の母屋の東に設えられた立派な休息所に腰を下ろした。 寝殿の全ての庇の間には、清和帝が引き連れてきた文武百官が居並び、庇に入りきれなかった者たちは、簀子はおろか庭先にまで溢れ出している。清和帝の傍らには基経が控え、その指示に従って、若く美しい女房たちが次々と珍しい果物や飲み物を運んでくる。百官の中には早くも詩を吟じたり、楽器の弦を整えたりしている者もいて、染殿では清和帝の行幸を祝う盛大な宴が始められようとしていた。 だが。 清和帝は辺りを見まわした。傍らの几帳の陰にも、北庇との仕切りの御簾の向こうにも、明子の姿はない。そのうち出てきてくれるだろうと辛抱強く待ったが、その気配すらなかった。思い余った清和帝は、傍らの基経にそっと囁いた。「母上はいかがなされた」 その囁きを聞くと、基経の冷ややかな眉はわずかに曇った。だが、それを悟られまいとしたのか、基経はわざと微笑を浮かべて言った。「東の対に、おわします」「お加減が悪くて臥せっておられるのか」「いえ、それほどでもありますまいが」「では、なぜこちらに来てはくださらぬ」「そのうち、お出ましくださいましょう」 薄笑いを浮かべたはぐらかすような基経の言い方が、清和帝の癇に障った。清和帝は少し語気を強めて言った。「私は母上に五十の賀のお祝いを申し上げるために、この染殿までわざわざやって来たのだ。母上に今すぐお会いしたい。差配せよ」
2007年05月22日
コメント(0)
清和帝は明子に会えるのが嬉しかった。 母と子であっても、身分の高い者は常に乳母や女房たちに囲まれて育てられ、実の母に面倒を見てもらうことなどほとんどない。ましてや、母の明子は尊い帝の后の地位にあり、清和帝自身も物心ついた時には既に東宮という重い身分になっていた。 それに、明子は病弱で、何かというと里の染殿へ帰ってしまう。清和帝はいつも母を恋しく思い、一緒にいてくれないことを嘆いていた。 だが、清和帝は母を憎んでいたわけではない。むしろ、その反対だった。清和帝は母の明子をほとんど崇拝していたのである。 明子は美しかった。その美貌は世に轟き、その姿を見た者は誰もが明子の美しさに讃嘆した。男だけでなく、女さえも。 清和帝は母に会うたび思ったものだ。この吉祥天女のような美しい人が、本当に自分の母だろうか。清和帝はいつもうっとりと母を眺め、その側近くにいられるだけで幸せだった。 明子は口数が少なく、対面してもあまり声を掛けてくれることはない。だが、清和帝は母のか細く甘い声音が好きで、その声が聞きたいといつも耳を澄ませた。そして、少しでもその身体に触れたくて、乳母に叱られるまで母の袖に縋り、その膝に甘えたものだった。 そんな清和帝も、今はもう二十歳も半ばを越え、数多くの妃を持ち、子供もたくさんいる。だが、そんな年になっても、明子の前では、清和帝はまだ幼い息子のままだった。久しぶりに会う母の面影を思い浮かべ、清和帝はそっと微笑んだ。
2007年05月21日
コメント(0)
だが、母の明子は別だった。 明子は幼い頃から身体が弱く、宮中に入ってからも度々療養や物忌みと称して、この染殿に里住みすることが多かった。そのせいで、明子は世の人々から染殿の后と呼ばれている。明子の常の住まいは内裏にある常寧殿だが、少し身体の具合が悪いからと、数ヶ月前からまたこの染殿に移っていた。 今日、清和帝がこの染殿に行幸したのは、その明子に会うためなのだ。 清和帝の母、明子は今年で五十歳になる。それを寿ぐ算賀の祝いが、清和帝によって華々しく営まれたのは、つい昨日までのことだった。 賀の祝いとは、唐の国から伝わった風習で、年寿を祝賀する儀式のことだ。四十歳からはじめて、十年ごとに四十の賀、五十の賀と祝っていく。儀式では、親王以下高位の公卿たちが次々と祝賀を述べ、翌日には後宴が開かれる。華やかな祝宴では、朝廷の百官が得意の管弦や和漢の賀詞を競って披露し、宴席はいやがおうにも盛り上がっていった。 だが、その儀式にも後宴にも、主席には明子の姿はなかった。明子は、再三の清和帝の懇願にも関わらず、身体の調子が悪いからと、染殿を出ようとはしなかったのである。 だが、病気ならば仕方がない。清和帝は母の出御を諦め、かわりにその病気快癒と長寿を祈って、大規模な祈祷も催した。碩学の高僧を五十人も招いて法華経を講ずる、盛大な斎会である。 その斎会も昨日無事に終わり、清和帝は母に五十の賀の様子を報告し、自らも直接賀の祝いを申し述べるために、今日この染殿にやって来たのだった。↓5/15に、念願の葵祭見物に行ってきました。お祭りの行列を見た後、京都御苑の中をうろうろしていたら、こんなものが! どうやらこの辺りが染殿だったようです。ちなみに、この「染殿井」は京都御苑の北東辺りの森の小道沿いに、非常に地味~に立っています。もし行く機会があったら探してみて♪
2007年05月19日
コメント(0)
清和帝は今までこの染殿に何度も来たことがあるが、その度になぜか背筋が寒くなるのを覚えた。 広大な敷地には、諸国から集められた銘木、銘石が惜しげもなく配置され、龍頭鷁首の華麗な舟を何艘も浮かべることのできるような巨大な池もある。池の中ノ島には赤い唐橋が架けられ、その周辺には季節ごとに様々な景色を愛でられるよう、たくさんの草花が巧みに植えられていた。 中心に聳える巨大な寝殿は、すべて選びぬかれた建材が使われ、輝くばかりに磨き上げられている。その寝殿に従う殿舎の棟々も、桧皮葺の屋根から隅の柱に到るまで、寝殿と変わらない贅沢な造りだ。 だが、それにも増して贅沢なのは、殿舎の中に惜しげもなく飾られた調度や、塗籠や蔵の中に蓄えられた宝物の数々だった。当代一の絵師や細工師に作らせた屏風や飾り棚をはじめ、献上された各家伝来の古宝で、屋敷の中は埋め尽くされている。普段使いの角盥や燈台にすら、厚く漆が塗られ金銀の豪華な蒔絵が施されていた。 そのような、この都で最も華やかで豪奢なはずの邸宅が、なぜだか身体の芯から凍えるような、じっとりと濡れた手でそっと首筋を掴まれるような印象を与えるのはなぜだろう。 それはまるで、かぐわしい名香が満ちているはずの部屋の中に、どこからか死人の腐臭が忍び入ってくるような、そんな不気味さだった。 清和帝はこの染殿に来るたびに、そんな不快さを感じ、時々気になって夜眠れないことさえあった。だから、良房が是非にと招いても、なかなか足を踏み入れる気になれなかったのである。↓平安時代のお部屋の調度品♪
2007年05月18日
コメント(0)
染殿は、平安京の丑寅の隅、東京極大路と土御門大路の交わる角にある。 帝の皇子や賜姓皇族の邸宅ばかりが建ち並ぶ、都で最も高級な住宅地である北辺坊に、良房は贅を尽くしたこの大邸宅を築いた。 それはおそらく、良房にとって己の権力と誇りの象徴であったに違いない。 大伴、紀、橘といった古来の名族たちを薙ぎ倒し、同じ血を引く藤原氏の他家を脇へ追いやり、藤原北家隆盛の礎を築いた父の藤原冬嗣から受け継がれた野望は、良房にとっても生涯を賭けた宿願であった。そのために、良房はどれほど多くの血を流してきたことだろう。 この山科の地に都が移されてからこのかた、叛乱や謀反、宮中での陰湿な陰謀は絶えることがなかった。そして、そのすべてに、公にしろ隠密にしろ、冬嗣と良房は深く関わってきたのである。 彼らの姦計によって、無罪の罪を得て遠流に処せられ、彼の地で無念の涙を飲んで死んでいった者が、一体幾たりいるだろう。橘逸勢などは、死して恐ろしい怨霊となったと、公然と噂されているほどだ。 それだけではない。未だに生きてはいても、良房に対する怨念を燃やしつづけながら、苦難と屈辱の生活を送っている者など、もう数え切れない。 そのような怨念を全て背負いながら、良房はそれでもただひたすらわが道を切り開き、自らも夥しい血を流しながら、今の藤原北家の栄光と繁栄を勝ち取って来た。 その象徴が、この一条四坊の広大な大邸宅、染殿だったのである。 清和帝は、鳳輦に乗って、祖父の館の巨大な門をくぐりながら思った。 この館には、一体どれほどの怨霊が住みついていることだろう。↓「染殿」は、現在の京都御苑(御所があるところ)のほぼ真ん中辺りにあったようです。この写真は御所の築地と門ですが、染殿もこんな感じだったんでしょうか。
2007年05月12日
コメント(0)
清和帝は高子の入内のみならず、良房を臣下としての位を極める太政大臣に任命し、ついには帝に代わって政務を行う摂政の地位までも許した。 だが、その優しい祖父はもうこの世にいない。 良房は長患いのはてに、四年ほど前ついに病で死んだ。 良房のあとは当然養子の基経が継いだが、基経は良房とは違う。基経はただ清和帝を、権力を手中に集めるための持ち駒の一つくらいにしか思ってはいないのだ。それは、あの冷たい眼差しを見ればわかる。 清和帝は、いつもにっこりと微笑みながら暖かく見守ってくれた良房が、恋しく懐かしかった。 清和帝を乗せた鳳輦が、ひときわ大きく揺らいで止まった。 清和帝はまたそっと簾を持ち上げて、外を覗いた。高く築かれた築地に続く、見覚えのある巨大な門構え。どうやら、物思いに耽っている間に、行幸の目的地である染殿に到着したらしい。 その時、また鋭い鳶の声がした。 清和帝が見上げると、あの鳶がまだ鳳輦の遥か上空を舞っている。そして、しばらく染殿の棟々の上を旋回すると、鳶はふいに都の西北にそびえる愛宕山の方へ飛び去って行った。 清和帝はなぜかその様子が気になって、基経に隠れるようにしてその鳶を眺めていた。 麗らかに晴れ渡った秋の青空に、一点付いた黒い染みのような鳶の姿。 それは、なぜか禍々しい何かの験(しるし)のような気がして、清和帝はその鳶が見えなくなるまで、目を見開いたまま見送っていた。
2007年05月11日
コメント(0)
高子は清和帝の女御である。 高子も基経と同じく長良の子として生まれたが、父親の死後、兄と同じように良房の庇護を受けるようになった。そして、やがて即位した清和帝の後宮に送り込まれ、女御となった。清和帝と高子の間には、一粒種である東宮、貞明親王がいる。 だが、清和帝は基経と同じく、はじめからあまり高子のことが好きになれなかった。 高子は並外れた美貌の持ち主である。その上、和歌や管弦の教養も、女としての嗜みも申し分ない。だが、清和帝より八歳も年長な上に、気性が激しくどこか傲慢だった。 それに、あの噂もある……。 清和帝は、在原業平の横顔を思い浮かべた。今はもう五十歳を過ぎていて、髪には白いものが交じり、顔にも深い皺が刻まれてはいるが、際立って整ったその白い横顔には、昔日の美貌の面影がまだ色濃くうかがえる。すでに入内して幾年も経つ高子の方も、清和帝と逢う時はいつまでもどこか上の空だった。 まだあの男のことを想っているのだろうか。 そう考えるのは、若い清和帝にとってあまり愉快なことではない。だが、高子を拒むことは、清和帝には許されないことだった。それは、良房の長年の宿願であったのだから。 清和帝は優しかった祖父のことを思い出した。 明子の父であり、清和帝には祖父に当たる良房は、いつも彼を帝としてこの上なく大切にしてくれ、孫としても常に側にいて可愛がってくれた。 母の明子は身体が弱く、清和帝とはあまり一緒に過ごすことが出来なかった。母に会えぬ寂しさや、その温もりを慕う人恋しさも、良房がいつも慈しんで育ててくれたおかげで、どれほど慰められたことだろう。 良房は清和帝にとって最も近しい肉親であり、その望みであればどんなことであっても叶えてやりたいと思うような恩人でもあったのだ。
2007年05月09日
コメント(0)
傍らで、大きな咳払いの声がする。 横を見ると、騎馬で鳳輦に従っていた叔父の藤原基経が、鋭い眼差しでこちらを睨んでいた。 清和帝は慌てて簾を下ろし、輦の中へ戻った。基経はどうも苦手だ。清和帝は居住まいを正して坐り直しながら思った。 基経は清和帝の母、藤原明子の弟である。弟といっても本当の弟ではない。基経は明子の父である藤原良房の養嫡子だ。 元々は良房の兄である藤原長良の三男として生まれたが、その冷徹な頭脳と沈着俊敏な人柄を買われて、嫡子に恵まれなかった良房の養子となった。以後は、良房の片腕として宮中で采配を振い、今の藤原北家の隆盛を支えてきたという、相当の切れ者である。 だが、切れ者だけに、清和帝にとっては常に煙たい存在だった。物心ついた時から、何かにつけて側にはいてくれたけれど、いつもどこか監視されているようで落ちつかなかった。 本当の姉弟ではないから、母の明子とあまり親しくはないのは仕方がないと思うが、実の妹である藤原高子ともあまり仲が良くないのはなぜだろう。基経のあのどこか狷介な人柄のせいだろうか。それとも……。
2007年05月08日
コメント(0)
その時、再び鋭い鳴き声がした。 清和帝が簾の隙間から空を見上げると、その目の前を一羽の大きな鳶がふいに横切った。清和帝の乗る鳳輦の轅を肩にになっている白丁の頭すれすれに舞い降りたかと思うと、あっという間に再び空高く舞い上がる。 鋭い声と大きな羽ばたきの音に、数人の白丁があっと声を上げて驚いた。中には帝が鳳輦の簾の隙間から顔を出しているのに気づいて、恐れ慌てて眼をそむける者もいる。 清和帝は鳶をそんなに間近で見たのは初めてだった。 羽は鳶色というより黒に近く、ばさばさと音を立てて羽ばたく翼は、清和帝が思っていたよりずっと大きかった。逞しい足の先には、怖いほど尖って鈎型に曲がった爪が光っている。 それに、ほんの一瞬だったが、鳶の鋭い目が自分の眼を射貫いたような気がして、清和帝は何となく恐ろしかった。 なぜ、普通空高く舞っているはずの鳶が、こんなに低く舞い降りてきたのか。それも夥しい供人に取り囲まれた帝の乗り物に。鳳輦の屋根の頂きにとまる金色の鳳凰の飾りを、えさになるような小禽と間違えでもしたのだろうか。 だが、鳶はそれきり舞い降りては来ず、清和帝の乗る鳳輦の遥か上空で、ゆったりと円を描きながら舞っていた。↓秋に京都へ行った時、三条大橋の上をたくさんの大きな鳥が舞っているのを見ました。これ、鳶でしょうか?(ちょっと見づらいですけど)上の文章ではありませんが、鳶なんてあまり近くで見たことがないので、何だか怖いというか、禍々しい感じがしました。それにしても、なんでこんなに人通りの多いところに、こんなにたくさん集まってきたのでしょう???不思議でした。
2007年05月06日
コメント(0)
全14件 (14件中 1-14件目)
1