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能季がようやく父の頼宗に会えたのは、月が中天に差し掛かる夜更けのことだった。 今宵は確か、弘徽殿で管弦の遊びがあったはず。音曲の技に優れている父は、つい長々と引き止められていたのだろう。 父が帰宅したことを真砂が伝えてきたので、能季はさっぱりとした夏直衣に身なりを整えて、父の住む寝殿へ向かった。 父は既に帳台の中に入り、寛(くつろ)いだ様子で脇息に寄りかかっている。能季が御前に進み出て、頭を下げながら疲れをねぎらうと、父は笑いを含んだ声で言った。「そなたも今宵の管弦に加われば良かったものを。月はまだ細いが、大そう冴え冴えとして美しかった」 そう言って微笑む父の顔は、今宵の月のようにまだ十分に美しかった。 父は若い頃から廟堂でも指折りの美男として知られ、大そうな色好みとして宮廷女房たちの憧れの的だったのだそうだ。 六十歳を過ぎた今も、鬢(びん)の髪には白いものが少なく、はっきりとした二重瞼の眼差しにはどことなく艶なものが感じられる。 ただ、その色白の顔に刻まれた深い皺だけが、父の年齢と今までの生涯で味わってきた苦悩を物語っているようだった。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2014年06月30日
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四条宮とは今上の中宮藤原寛子のことである。 寛子は頼通の娘で、師実の同母姉に当たる。行綱は師実の供で四条宮のところへ行くうちに、そこに仕える女房の誰かと仲良くなったのだろうか。 まだ二十歳にもならないのに自分の女のことを自慢げに吹聴する行綱に、行綱よりずっと年上の兵藤太は少し面食らったようだった。 能季は二人の顔を見比べる。 目元涼やかで鼻筋の通った兵藤太に対して、行綱の方はまだにきび痕の残るにやけ面だ。だが、こと女の扱いに関しては、堅物の兵藤太よりお調子者の行綱の方が上手らしい。 行綱は兵藤太に続いて立ち上がりながら言った。「私は道雅殿の女周りのことについて聞いて参りましょう。女のことは、女に聞くのが一番。女房の世界は噂話が命ですからな。それに、四条宮は今一番雅な御所だと評判で、あちこちの御所やお屋敷とも女房が行き来したり、始終文を取り交わしたりしているそうです。きっと何か面白い話が聞けますよ」 得意げに鼻を蠢(うごめ)かせている行綱と呆れたような顔の兵藤太に、能季は苦笑を押さえながら言った。「よかろう。道雅殿について、それぞれに探ってみてくれ。明日の夕方、またここで会おう」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2014年06月24日
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しきりに考え込んでいる能季に、行綱が訊ねた。「道雅というお方のことを、何かご存知ですか」「いや、私はほとんど何も知らない。もちろん、親戚筋の人だから名前くらいは知っているが、実際にお会いしたことはない。それに、宮中でも噂一つ聞いたことがないな。道雅殿はもう長い間出仕すらしておられないようだから。そなたは何か知らぬか?」 能季は兵藤太に問うた。兵藤太は首を横に振りながら答えた。「残念ながら、何も存じませぬ。でも、殿ならいろいろとご存知ではありませぬかな。お若い頃は、宮中の行事などで何かとご一緒したこともおありでしょうから」「そうか、父上ならきっと何か知っておられるだろう」 能季ははたと膝を打って立ち上がった。そして、行綱と兵藤太の二人に言った。「私は今から父上の所に伺って、道雅殿について聞いてみる。そなたたちも何か道雅殿に繋がるような心当たりはないか?」「それでは、私は道雅殿のお屋敷の辺りで、いろいろと聞き込みをして参りましょう」 兵藤太もきびきびと立ち上がりながら答えた。 行綱はちょっと考えていたが、やがてにやにやと照れ笑いを浮かべながら言った。「もうすぐ日が暮れますからな。夜には夜なりの聞き込み場所もあるわけで」「何のことだ?」 不審げな兵藤太の問いに、行綱はさらににやにやと笑いながら言った。「これでも、通う女の一人や二人や三人や四人はおりますからな。最近通うようになった女の一人が、四条宮の御所で女房勤めをしております。その女は気働きが良く、顔も大そう広うございますから、私が命じればいろいろと探り出してくれましょう」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2014年06月23日
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能季は首を捻りながら呟いた。「その、裏、とは何だろう」「ずいぶん昔の世間の噂を、あの兄が面白おかしく話したのですから、確かなこととは請合えませんが……その時、一人の身分の高いお方の名前が取りざたされたそうです。そのお方が、以前からあの皇女様に懸想しており、手ひどく振られたのを逆恨みして、あのような形で復讐なされたのではないかと」「そのお方とは、一体誰だ」「藤原道雅殿」「道雅……」 それでは、怨霊が言っていたあの者とは、道雅のことなのだろうか。 道雅は儀同三司藤原伊周の嫡男だった。 伊周の父は、道長の兄の藤原道隆だから、能季の父の頼宗とは従兄弟にあたる。父親同士が従兄弟だから、能季と道雅とはまたいとこの間柄になるわけだ。 その上、頼宗は道雅の妹の一人を正妻にし、能季の異母兄姉たちをもうけていた。 父と年齢も近く義兄弟であるなら、時折屋敷を訪れあったり、宮中での噂をしたりしてもいいはずだ。 それなのに、不思議なことに能季の身の回りでは、道雅の名はほとんど口にされることがなかった。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2014年06月18日
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「それで、盗賊は捕まったのか」「ええまあ、一応はと言いましょうか」「歯切れの悪い言い方だな」「兄にこの話をしたのは、検非違使庁に長年勤める平時道という老人だったのだそうです。その時道がいうには、大和国に盗賊の探索に行く途中、柞(そま)の森というところを通りかかった時、素振りの怪しい一人の男を見つけたのだとか。時道はその男を奈良坂まで連行し、さんざんに締め上げました。そして、とうとうその男に、自分が為元の屋敷に押し入って女房をかどわかした盗賊であると、白状させたのだそうです。時道は喜び勇んで、その男を京へ連れ帰りました」「そして、莫大な恩賞を賜ったというわけか」「ところが、そうではなかったのですよ。確かに、検非違使庁はその男を受け取り、役所の奥で高貴な方々も加わって様々に詮議なされたようです。ところが、その後時道には何の音沙汰もなし。せっかく捕まえた男もいつの間にかどこかへ姿を消し、その後処刑されたのかどうかもよくわかりません。せめて大夫くらいには昇進できるだろうと思っていた時道は、当てが外れて大そう落胆したのだそうです。まあ、時道は兄が話を聞いた時ちゃんと大夫の位にあったそうですから、全く何の恩賞もなかったわけではないようですがね。でも、当時は世間もずいぶんそれを不審に思ったようで、この事件には何か裏があるのではないかと、もっぱらの評判になったとか」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2014年06月17日
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「その兵部命婦が育てたという皇女は、花山院が亡くなった後どうしていたのだろうか」「なんでも、上東門院様(注1)の御所に出仕していたのだそうです。叔母の養女になっていたとはいえ、帝位についた方の御娘ともあろうお方が女房勤めとは、何ともおいたわしいことで」「それで、なぜ為元の屋敷に?」「為元は花山院に大そう近しく仕えていたのだそうで、その縁で時折里代わりにしていたようです。おそらく、盗賊に入られた夜もたまたま宿下がり(注2)でもしていて、あのような難にあったのでしょうか。薄幸なお方はどこまでいっても薄幸なのかもしれませぬな」 世が世であったならば、雅で安楽な生活が保証されていたはずの皇女。その皇女が実際にたどった人生を思い、能季は深い溜め息をついた。「そうか。あの怨霊は花山院の皇女であったのか。そのような身分の高いお方が、あのような悲惨な死に方をすれば、恐ろしい怨霊になってしまうのも無理はない。しかも、あの花山院の皇女であれば尚のこと。だが、あの怨霊の言っていた、あの者とは一体誰のことだろう。盗賊はその後どうなった?」「そのことでございます。さすがに亡くなったのが尊い皇女様だとわかったので、朝廷も手をこまねいているわけにはいかなくなりました。そして、とうとう朝廷から宣旨がくだされたのです。この盗賊を捕まえて突き出した者には、莫大な恩賞を与えると。勇み立った検非違使の役人どもは言うに及ばず、巷(ちまた)の雑民どもまでこぞって盗賊探しに躍起になり、世間では大変な評判を呼んだのだそうですよ」注1…じょうとうもんいん。藤原道長の娘、藤原彰子のこと。一条帝の中宮となり、後一条帝・後朱雀帝の二帝を産んだ。注2…やどさがり。通常宮中や御殿などに住んでいる妃や女官・侍女等が、休息や療養・服喪などのために、実家へ一時的に帰ること。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2014年06月13日
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花山院の恐るべき執念を思ってか、それとも夕闇の迫る釣殿の薄暗さのせいなのか、能季はぞっと寒気がするのを覚えた。 だが、あの花山院ならそんなこともあるのかもしれない。 花山院は狂疾の気の著しかった冷泉院の皇子で、その血をもっとも濃く受け継がれていたと言われていた。冷泉院のように常に正気を失っておられるわけではないが、何かと常軌を逸した振る舞いの多いお方だったのだ。 その上、出家後に比叡山をはじめ各地の山寺に篭って、大そう激しい修行に励まれ、恐るべき法力を身につけたというもっぱらの評判だった。 そんなお方なら、あるいは娘たちの命を無理矢理奪って、あの世へ率いていくこともありえるのかもしれない。「しかし、その盗賊に連れ去られた花山院の皇女という方はどなたなのかな」 黙って行綱の話を聞いていた兵藤太が呟いた。能季も頷きながら問う。「花山院の皇女は皆死んでしまったのではないのか」「いや、ただ一人だけ生き残っておられた方がいたのですよ。実は、亡くなった皇女というのは三人だけ。母親の中務が産んだ下の女宮だけは、生まれてすぐ中務の妹の兵部命婦という女に下げ渡されていたのだそうです。なぜそんなことをなさったのかはわかりませんが、花山院は兵部命婦にこうおっしゃったとか。この子はそなたの子とせよ。私は今後一切この子には関知しないことにする。それで、兵部命婦は皇女を引き取り、ずっと手元で育てていたのだそうです。世間では、花山院は自分から皇女を手放して関わりをもたないと言った手前、その皇女まで一緒にあの世に連れて行くのはさすがに断念なされたのだろうと、もっぱらの評判だったそうです」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2014年06月12日
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だが、逆にいえば花山院という名は、藤原摂関家に縁のある者にとっては何とも後味の悪いものだった。能季は何となく因縁めいたものを感じながら、行綱に向かって呟いた。「花山院にそのような皇女がおられたのか」「はい。花山院は晩年になって、数人の御子をもうけられました。ただ、それもちょっと外聞の悪いことで」「どういうことだ?」「実は、花山院はご自分の乳母である中務という女に手をつけられたのですよ。乳母というからには、もうそれなりの年でしょう。それだけならまだしも、その後何と中務の実の娘にも手をつけ、母と娘の双方に数多の御子をお産ませなさったとか。さすがに、それは人倫に外れるおぞましい振る舞いだと、当時はずいぶんかまびすしい噂になったのだそうです」「ということは、盗賊に連れ去られた皇女というのは」「はい。中務とその娘は、数人の男宮の他に、それぞれ二人ずつ女宮を産んだのだそうです。花山院は晩年にもうけた御娘たちをたいそう鍾愛しておられたとか。その御心があまりに強すぎたのでしょうか。恐ろしいことになりまして」「それは、どういうことだ」「花山院は今から五十年ほども前に亡くなられたのですが、ご危篤に陥られた際、しきりにこんなことをおっしゃったそうです。私が死ねば、この女宮たちは庇護者を失って、いずれも落魄(おちぶ)れ果ててしまうことだろう。皇女ともあろう者をそんな不幸に合わせるくらいなら、私が皆一緒にあの世へ連れて行ってしまおう」「まさか、そんなことが」「ところが、花山院が崩御されてから四十九日を迎える前に、その皇女たちは本当に皆次々と亡くなってしまわれたのですよ」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2014年06月10日
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花山院とは、今上(後冷泉帝)から数えて五代前の帝であった方だ。 冷泉帝の第一皇子として生まれ、幼くして立太子した花山院は、十七歳で即位した後は当然長く帝位に着くべき立場にあった。 ところが、妹の産んだ一条帝の早い即位を望んだ藤原兼家らの陰謀によって、二十歳にもならないうちに退位することになったのである。 それも、溺愛していた妃の死に打ちのめされて絶望しているところに付け入られ、ほとんど陥れられるように出家してしまったためだったのだ。 その証拠に、共に出家しようと誘った張本人である兼家の息子の藤原道兼は、花山院の剃髪を見届けた後は、最後にもう一度親に会いたいからと京へ戻ったまま帰って来ず、結局出家もしなかった。 しかしながら、こんな強引で悪辣な手段で無理矢理もぎ取った一条帝の即位は、その後の摂関家に大いなる幸いをもたらすことになる。 藤原道長の我が世を望月にたとえる隆盛も、一条帝の即位なくしては成り立たないものだった。 子孫である能季たちの現在があるのも、すべて花山院の哀れな犠牲の賜物であろう。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2014年06月09日
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「それで、何か詳しいことがわかったか?」 真砂が置いていった冷たい白湯を勧めながら、能季は行綱に問うた。 堀河殿の釣殿にいるのは、兵藤太を含めた三人だけ。壁がなく見通しの良い釣殿は、涼を取るだけでなく、内密の話をするにもうってつけの場所だった。 行綱は白湯をごくごくと喉を鳴らしながら飲み干すと、口元を拭いながら答えた。「まず、盗賊が押し入ったという屋敷は、下野守の藤原為元という者の屋敷だったのだそうです。そして、そのかどわかされた女房というのが、ちょっと口をはばかるようなお方でして」「なに? 為元に仕える家女房ではなかったというのか」「はい。実は、その時ちょうどさる高貴なお方が、この屋敷にあずけられていたのですよ。賊はこともあろうに、そのお方を人質に取ったのです」「そのお方とは誰だ」「それが……何と、花山院の皇女様だったのですよ」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2014年06月06日
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行綱がようやく家綱からの情報を持ってきたのは、二日後の夕方になってからだった。 何でも、家綱は最近淀あたりの遊女に入れ揚げていて、よく京を留守にしているらしい。それで、行綱はわざわざ淀まで行って家綱を探し出し、ようやく話を聞いてきたのだった。 思いのほか時間を取ってしまったことをしきりに詫びながら、行綱は汗を拭き拭き話し始めた。「やはり、兄はいろいろと聞き知っておりましたよ。ずっと以前、検非違使庁の連中と博打(ばくち)をうちながら酒を飲んでいた時、検非違使の間で伝わっている様々な昔話や噂をたくさん聞いたのだそうです。その中に、あの盗賊が女房をかどわかしたという事件の話があったとか。あの通り、兄は話し好きの噂好き。話のねたになることなら、何でも頭に溜め込んでおりますからな。その時聞いたことも、よく覚えておりました」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2014年06月04日
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能季にとって、兵藤太の存在は本当にありがたいものだった。 物心ついたときから兵藤太が常に側にいてくれたおかげで、能季は母のいない寂しさをそれほど味わわずに済んだ気がする。 従者というより、父であり、兄であり、友であり……兵藤太は能季にとって誰よりも身近で大切な人間だった。 おそらく、血のつながりのある実の父や異母兄たちよりももっと。 だが、そうだからといって、このままにしていて良いのだろうか。 能季に仕えるために、兵藤太は自分の人生を棒に振ってしまっているのではないか。 一家を構えて家族を持つという平凡な幸せも、本気になれば当然得られるであろう自分自身の栄達も、兵藤太は能季のために全て犠牲にしているように思えた。 それでいいのか……釣殿から去っていく兵藤太の後姿に、能季はそっと心の中で呟いていた。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2014年06月03日
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どうしてこれほど自分に献身的に仕えてくれるのだろうと、能季は時折考える。 女のことだけではない。兵藤太は己自身の栄達すらまるで考えてはいないようだった。 兵藤太は能季の母の乳母子(注)である。 能季の母は藤原親時という受領の娘であり、兵藤太とその母である乳母はずっとその身近に仕えていたのだそうだ。 だが、母は能季を産んだ後の肥立ちが悪くて、間もなく亡くなってしまった。それで、能季は父の手元に引き取られたのだが、その時兵藤太は能季の守役として一緒に付いてきてくれたのだという。 能季の父の頼宗は、晩年に妻にした能季の母を大そう寵愛していたそうで、その乳母子である兵藤太のこともよく気に掛けていた。 だから、兵藤太は父の推挙により、兵衛府に相当の官職を持っている。兵藤太という呼び方も、兵衛府に仕える藤原某家の長男という意味で、難しい名前など覚えられない幼い頃の能季が呼び習わしてきた渾名(あだな)だった。 しかし、兵藤太の方は、他の者なら伏してありがたがるような官職にも、まるで関心がないようだった。できるだけ能季の側を離れたくないからと、兵衛府にはほとんど出仕もしない。 父の頼宗は、有能な兵藤太が自分の才覚を活かそうとしないことを残念がりつつも、ただ能季に仕えることだけを考える無欲なその態度を大そうゆかしくも思ったらしい。それで、能季のことに関しては、やがて全て兵藤太に任せるようになっていったのである。*注…乳母子=めのとご。貴族の家庭では、子育ては実の母親ではなく乳母がほとんどを担う。授乳するということは、乳母には養い君とほぼ同年代の実子がいるはずで、これが乳母子。(乳母の産んだ他の兄弟も含んでそう呼ぶこともある)貴族の子供たちはたとえ同じ母親から生まれていてもそれぞれの乳母の元で育つため、実の兄弟間の愛着や交流があまりない場合もあった。それに対して、養い君と乳母子は乳母の手元で一緒に育つため、実質的な兄弟のような気安さや愛着を抱きやすい。そのためか、乳母子は養い君が大きくなると、その側近や侍女として末長く仕えることが多かった。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2014年06月02日
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