2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全13件 (13件中 1-13件目)
1

「妹は結局見つからなかったのか」「はい。ただ、小八条第の隣には一町ほどもある大きな池があり、その水際に妹のものによく似た小袖の切れ端が落ちていたそうで。妹がこの辺りにいたことは間違いないと。それからもう二年ほどが過ぎているそうですが、兄は妹を諦めきれずにまだあの辺りに小屋を建てて住み着いているそうです。始終小八条第に目を光らせているので、その二年間にも妹に感じの似た女が数人入っていくのを見たのだとか。でも、いずれも出てくる姿は見ておりませぬ」「一体、それはどういうことなのだろう」 能季は蝙蝠扇を閉じて頬に当て、しばし考え込んだ。兵藤太も狩衣の袖で汗を拭いながら、そんな能季を見守っていたが、ふいに思い出したように呟いた。「そう言えば、小八条第の西の門辺りで、妙な男たちとすれ違いましたな」「どんな男だ」「身なりはその辺りの商人風でしたが、身のこなしがどうも。あれはおそらく武者でございましょう。それも、かなりの手だれの」「わかるのか」「すれ違った時、まるで隙がございませんでした」「その男たちは何者だろう」「それはわかりませぬ。でも、どうやらあの屋敷の辺りをうろうろして、それとなく様子を探っているような感じがしました。どなたの配下かまでは知れませぬが」「その辺りまで探れるか」「やってみましょう。若君を三条のお屋敷までお送りしたら、私はもう一度西八条辺りに行ってみます。行綱殿とお約束の夕方までには、一度戻ってまいりますから」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2014年09月30日
コメント(0)

「詳しく話してくれ」「妹は当時十六歳。実家は西寺の門前で染物をしていたそうですが、ある日屋敷奉公の口があるからと言って家を出たそうです。そして、それっきり戻っては来ませんでした。兄はそこら中の屋敷に行って妹について尋ねましたが、どこにも妹はおりませぬ。兄は諦めきれずに、それからずいぶんいろんな人間に尋ねたそうで、ようやく妹らしい女が小八条第へ入っていくのを見たという話を掴んだそうです」「その女は、確かにその男の妹だったのか」「はい。実家の染物屋は紫染めを西寺に納めておりまして、妹はいつも余りの染料で染めた小袖を身に着けていたそうです。高価な紫染めの衣を着た庶民の娘など、そうそうおりませぬからな」「そうか。それで、その女はそれからどうなった」「兄は小八条第に行って、妹を出せと掛け合いましたが、知らないの一点張り。何度掛け合っても埒(らち)があきませぬ。そのうち、言いがかりをつけるなと、それは恐ろしいほどの剣幕で。中には人相の怪しい者どもがたむろしているし、とてもそれ以上問答することができませんでした」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2014年09月29日
コメント(0)

兵藤太は少し眉を曇らせながら続けた。「出入りというより、入ったまま出て来ないと申しましょうか。そのような宴の前になると、よく若い女が屋敷の内に入っていく姿を見るそうです。でも、出てきた姿は見たことがない。屋敷内に留まっているような様子もないといいます」「女が姿を消す?」「はい。しかも、女たちはいずれも似たような姿形だそうで。身なりは遊女のようだったり雑仕女のようだったりと様々ですが、年の頃はいずれも十六、七歳。色の白い細面の、どことなく儚げでほっそりとした感じの女だったといいます」 能季の胸の中に、ふいに昨夜思い浮かべた面影が甦ってきた。だが、能季は慌ててその面影を振り払い、兵藤太に訊ねた。「その話は確かなことなのか」「ええ。あの屋敷の周辺でも、ここ十年ほどの間に二人ほど若い娘が姿を消しているのだそうです。私が話を聞いたのは、そのうちの一人の兄だという男で、妹を探しているうちにわかったことをいろいろ教えてくれました」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2014年09月26日
コメント(0)

「どういうことだ」 兵藤太は少し躊躇しているようだった。能季は兵藤太の方へ身を寄せ、声を低めて訊ねた。「道雅殿は何か不穏な動きでもしているのか」「いえ、表向きには何も。道雅殿は普段小八条の屋敷から出ることはほとんどございませぬ。とはいえ、全くの世捨て人になったわけでもないようで、時折屋敷を訪れる者たちがいるようです」「何者か」「別に、怪しい者たちではございませぬ。世に名の通った歌詠みばかり。どうやら、時々歌合せなどの風流な宴を開いているという話で」「そうか。それなら別におかしなことではないな」「ただ……他にも出入りしている者が」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2014年09月24日
コメント(0)

兵藤太の方は、そんな能季の逡巡には全く気づかず、がたごとと揺れる牛車の中でことの首尾を淡々と語っていた。「行綱殿はまだ屋敷にお戻りではなかったので、若君の文は行綱殿の兄上にお願いしてまいりました。少し時間はかかるかもしれませんが、通い所はあらかた知っているそうですから、いずれは手に渡りましょう。それから、少し調べてみたところ、道雅殿は今、右京八条にある小八条第におられるようです。今朝、その辺りに住んでいる者たちに聞き込みをしてまいりました」「そこまでやったのか。さすがに話が早いな。私など、昨日の夜遅くになって、ようやく父上に会えた。おかげで今朝は寝坊だ」「頼宗様の方はいかがでございましたか」 能季たちを乗せた牛車は、人目に立たぬよう女房車風にやつしているので、牛車の簾は全て下ろされ中はひどく蒸し暑い。じっとしていてもどっと汗が噴き出してくるようだった。 能季は蝙蝠扇でしきりに胸に風を入れながら、昨夜父から聞いたことを兵藤太に話した。兵藤太は難しい顔をしてそれを聞いていたが、やがて頭を捻りながら言った。「そうですか。そういうお方なら、あのような噂も、もしかして本当かも」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2014年09月18日
コメント(0)

真砂はなおもしばらく黙っていた。だが、やがて俯いたまま小さな声で呟いた。「一度だけ。一度だけお聞きしてみてくださいませ。わたくしを妻にしていただけるかどうか」 真砂は顔を上げて能季の瞳を見た。その眼差しに、能季は思わず胸が痛むのを覚えた。「兵藤太様がわたくしのことなどまるでお気に留めてはおられぬことを、わたくしはよく存じております。でも、もしほんの少しでも望みがあるのなら……」 そこまで言うと、真砂は耐え切れなくなったのか、手で顔を覆って部屋を走り出てしまった。 能季は真砂が哀れで堪らなくなった。 どれほど想いをかけても決して結ばれることのない哀しみ。 そんな報われない想いを、能季もまた味わっていたから。 せめて、自分が幼い頃から姉のように親身に仕えてくれている真砂には幸せになってもらいたい。 能季は真砂とのことを話してみようと、兵藤太が戻ってくるのを自分の部屋で待ちかねていた。ところが、いざ兵藤太が戻ってくると、なぜか何も言えなかった。師実の屋敷へ行くための牛車の用意が整い、共に同乗して向かい合うと、尚更胸が詰まって言葉が出てこない。 もし、兵藤太がきっぱりと断ったとしたら。 兵藤太は主人には従順で忠実だったが、こと自分自身に関してだけは頑固で、決して言いなりにはならなかった。能季どころか頼宗にいくら諭されても、兵衛府へ滅多に出仕しないくらいなのだから。今までの様子からすれば、兵藤太の拒絶は十分ありえることだった。 もしかしたらという一縷(いちる)の望みを持ち続けることは、人に希望を与え心を温めてくれる。 だが、その望みが全くなくなってしまったとしたら。 その絶望の暗闇の重さは、人を押し潰してしまうのではないか。 真砂が味わうかもしれない絶望を思うと、能季はつい気後れしてしまっていた。 仕方がない。いつか、良い折を見て。 能季はとうとうそう自分に言い聞かせていた。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2014年09月17日
コメント(0)

真砂は急に頬を真っ赤に染めると、せっかく広げていた装束をなぜか畳み始めながら言った。「何をおっしゃいます」「近頃、兵藤太の顔ばかり見ている」「そんなことはございませぬ」 真砂は俯きながらも、きっぱりと言い張った。だが、頬はますます染まり、声は上ずっている。 そんな真砂が哀れになって、能季は何気なく呟いた。「そうか。そなたにその気があるのなら、兵藤太にそなたとのことを話してみても良いかと思っていたのだが」 能季は真砂や兵藤太の主人だ。主人であるからには、自分に仕えてくれている者たちの幸せに心を砕き、彼らに安穏な生活を保障する義務がある。 能季は兵藤太が家族を持とうとしないのをずっと気に病んでいた。 この真砂なら、まだ女童の頃からずっと能季に仕えていて、その女らしくて優しい気質もよくわかっている。少し小柄だが、艶やかな髪の豊かさもつぶらな瞳の愛らしい顔立ちも、十分美女の部類に入るだろう。 能季は俯いている真砂の顔を見つめながら、もう一度聞いてみた。「どうする? もちろん、そなたの気持ち次第だが」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2014年09月12日
コメント(0)

「ただの夢でございますよ。きっとお疲れになっていたのでしょう。三条のお屋敷からは、師実様にはお変わりないとの文が参っております」 能季にそっと薄物の単を引きかけてやりながら、兵藤太は宥(なだ)めるように肩を叩いて文を手渡した。 師実の世話を頼んでいる乳母には、兵藤太のところに毎日密かに様子を知らせてくるよう頼んでいる。兵藤太はその文を持ってきてくれたのだろう。 だが、文を読んでも、能季はどうにも師実のことが気になって仕方がない。額に浮かんだ冷や汗を拭いながら、能季はようよう身を起こして兵藤太に言った。「今、何時か」「もう昼でございます」「そうか。寝過ごしてしまった。だが、とにかく早く師実の様子を見に行きたい。何となく胸騒ぎがする。兵藤太、そなたには急ぎ、文を持って行ってもらいたい」 角盥や手拭いを抱えて入ってきた真砂が手水の支度を整えている間、能季は手早く文を書いて兵藤太に渡した。昨夜父が教えてくれた道雅縁(ゆかり)の女たちについて、行綱に調べてもらうためだ。 きびきびと部屋を出て行く兵藤太の後姿を、真砂は思わず手を止めてうっとりと見送っている。 能季はそんな真砂の様子に、つい何となく聞いてしまっていた。「真砂、そなたは兵藤太が好きなのか」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2014年09月10日
コメント(0)

夢から覚めると、目の前に兵藤太の顔があった。「いかがなさいました」 兵藤太は心配げにこちらを見下ろしている。 辺りはすっかり明るくなり、巻き上げられた御簾の向こうからは、じりじりと焼け付くような夏の日差しが伝わっていた。「嫌な夢を見た」「うなされておいででしたが」「師実が大宮川でたくさんの野犬に襲われて……」 夢の中の凄惨な光景を思い出して、能季はつい身震いをしてしまった。 血まみれの手を伸ばしてこちらへ助けを求める師実の姿が、脳裏に焼き付いて離れない。 早く、何とかしなければ。あの夜からもう四日が経つ。師実の命は一体いつまで持つのだろう。あの怨霊は十日と言ったが、本当にそれまで保ってくれるだろうか。 能季の胸は激しく波立ち、それに比例するように心は重く重く沈んでいく。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2014年09月08日
コメント(0)

父は静かに見送っていたが、ふと思いついたように言葉を投げた。「そなたには、そのような姫君はいないのか」 能季が振り向くと、父は半ばからかうように、半ば心配するように微笑んでいた。 能季はふいを衝(つ)かれてどきりとしたが、すぐに取ってつけたような微笑を浮かべて答えた。「残念ながら、おりませぬ」「そうか。私がそなたくらいの年頃には、あちこちに通い所があったものだが」「私は父上のように女にはもてませぬから」「何の。そなたがその気になりさえすれば良いだけのこと。宮中でも、女官たちがそなたの噂をしているのをよく耳にする」「私はどうもそういうことは苦手で。そういう面でも、私は父上の不肖の子でございます」 二人は顔を見合わせて笑い合った。 だが、父にもう一度挨拶をして寝殿から出た能季の顔からは、微笑はすっかり消えてしまっていた。 自分の部屋のある東の対に戻ってきた能季は、簀子の欄干にそっともたれて月を見上げた。 今宵の美しい月を、あの方も眺めたのだろうか。あの壺庭に面した庇(ひさし)の間で、あの夕べと同じように。 能季の胸の中に、滑らかで冷たい黒髪と、震える儚い唇の感触が甦る。 その面影を確かめるように胸を押さえながら、能季はいつまでも月を見上げ続けていた。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2014年09月05日
コメント(0)

父は重苦しい溜め息を吐いた。常に蚊帳(かや)の外に置かれる者の悲哀を、父はずっと感じ続けてきたのだろう。 能季は父の気持ちを引き立てるように言った。「きっと、父上には知らせるほどのことではなかったのでしょう。国の大事ではなし、ただ盗賊が悪事を働いたとか、そういう類いのことですから」 父は能季の心遣いに気づいたのか、ちょっと微笑んで言った。「そうだな。だが、こんな話をして、そなたの友人とやらは道雅殿の婿になるのが嫌になったのではないかな」 能季も父に合わせて声を立てて笑いながら答えた。「そうかもしれませぬな。友人にはよく言って聞かせましょう。女など数多(あまた)いるから、よくよく選んだ方が良いと」 ふと外を見ると、上げられた御簾の向こうに微かに浮かんでいる月は、既にずいぶん傾いている。父は少し疲れているように見えた。 もう寝殿を辞去した方が良いか。 能季は父の前に手をついて言った。「いや、お手間を取らせました。こんな時間まで父上をお引止めして申しわけございませぬ。でも、久しぶりに父上と長くお話できてうれしゅうございました」「私こそ、久しぶりに楽しかった。若い者は親の元になどそうそう寄りつかぬものとはわかっているが、時には老人を慰めるために話しに来ておくれ」 そう言って、父は穏やかで優しい笑みを浮かべた。 その老いた慈顔に、能季はふいに胸を締め付けられるような気がして、込み上げてきた涙を隠すように席を立った。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2014年09月03日
コメント(0)

「道雅殿は、それからどうなったのですか」「それなのだ。その二日後、何と花山院の皇女を殺害したのは自分だと自首して来た者があったのだよ。自分はあの夜為光の邸宅に押し入った強盗の頭目で、確かに花山院の皇女を殺害したのは自分であると、検非違使庁に出頭してきたのだ。そなたも知っての通り、死罪となるような凶悪事件は検非違使では扱えない。こちらで詮議するとのことで、この男も土御門殿へ率いて行かれた。それ以後その者がどうなったかわからないが、真犯人が見つかったということで、道雅殿には一切お咎めなしとなった。もっとも、翌年の除目で、道雅殿は左近中将から、五位相当でしかも閑職の右京権大夫に左遷された。もちろん、道雅殿はその頃出仕もほとんどしていなかったから左遷されても当然かもしれない。だが、仮にも中関白家の人間をそこまで落すとは、きっと何か仔細があるのだろうと思ってね。私は折を見て父や兄に訊ねてみた」 父は少し声を低めた。 父は真相を知っているのだろうか。 能季も少し身を父に近づけて聞き入った。だが、父は苦笑いのようなものを浮かべて続けた。「しかし、何度訊ねても、お二人とも道雅殿に関しては口を開こうとなさらない。私はきっと何か公にはできない理由があるのだと思ったのだが、それ以上何を聞いても答えてはくれないし、また訊ねてもならないのだと思って、以後このことに関しては触れないで来た。我ら藤原氏のことは全て、氏の長者たるこのお二人だけが差配してきたからね。私など入る余地も権利もないのだ」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2014年09月02日
コメント(0)

能季は勢い込んで父に言った。「それはどんな事件だったのですか」「あまり良い話ではない。ある日、三条の大宮川辺りで、女の死骸が見つかってね。しばらくして、その女を殺した下手人である盗賊を、検非違使の役人が捕らえてきた。一件落着かと思いきや、その後密かに奇妙な噂が流れてきたのだよ。私も小野宮の実資殿(注)から耳打ちされただけで、自分で検非違使庁に行って確かめたわけではないから、しかとしたことはわからない。だが、実資殿が言うには、下手人を検非違使庁で拷問にかけたところ、とうとう事の真相を白状したのだそうだ。自分は盗賊ではない。花山院の皇女を殺したのも、自分ではない。自分は命じられて皇女を誘拐しただけで、殺したのはそれを命じた人間だと」「もしかしたら、それが道雅殿」「そうだ。今は滅多に出仕もしない人間だとはいえ、従三位の位にある高官で、しかも藤原氏の中枢に近い血筋にある者。そんな男が女を惨殺した。しかも、花山院の皇女を。下手人だとされていた男は隆範という名の法師だったのだそうだが、この男はしばらく前から道雅殿に雇われて様々な悪事に手を染めていたらしい。隆範の供述を書き取った調書は、すぐに土御門殿にある私の父と頼通殿の元に届けられた。それを見たお二人は大そう驚かれ困惑されたそうだ。こちらで内密に隆範を尋問したいと申し入れがあり、隆範は検非違使から土御門殿へ移されたのだが、その後のことは杳(よう)としてわからない。実資殿のところにも何の連絡もなかったそうだ。全てのことはお二人に任せられ、ことは公から伏せられた」*注=小野宮の実資…藤原実資。本来の藤原氏北家嫡流である小野宮流の継承者。当時の超一流の知識人であり、『小右記』という膨大な日記を残した。↑ 実は、この大宮川の女の死骸の一件は、彼のこの日記に詳しく書かれているんです。ちなみに、彼は「自分こそが藤原氏の嫡流!」っていうプライドがあったせいか、日記の中では権力を握った道長たち九条流の人々には結構批判的です(~_~;)↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2014年09月01日
コメント(0)
全13件 (13件中 1-13件目)
1
![]()

![]()