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今日は、ワンサカ靴がありました。 はみ出て写ってないものもあります。 自転車も26台。 お迎え組や、自習組もいたので、 夜は教室に36人の生徒がいました。 試験後も活気がある。 いいことだ。 情報検索はこちら ↓
2008.10.31

中間テストの理科・社会の結果に注目している。 90台後半がいれば、とても親に見せられない点の者もいる。 学校、学年によって難度は異なるが、 点を目で追っていくと、子どもたちの事前の準備の様子が何となく見えてくる。 この二教科の学習の基本は、「教科書」 にある。 得点が50点にも満たない者は、ほぼ例外なく、教科書を読み込んでいない。 問題のエキスはすべて教科書にあるのに、何故活用しないのか、 不思議でならない。 30点以下に至っては、恐らく目を通しても一回程度だろう。 あるいは、全然見ていないかも知れない。 理科・社会の勉強法についてよく相談を受けるが、 私はまず教科書の読書を勧め、 その上で段階を追った暗記や演習の手順を教えている。 用語を覚えれば点が取れるかどうかは、問題を作る先生のクセによる。 一問一答のクイズみたいな問いを好む先生がいれば、 応用や短文記述、資料問題などを好む先生もいる。 だがどのような設問が並ぼうが、試験前に理解を高めておくことは共通であり、 そのためには時間とエネルギーが不可欠だ。 今回も直前にかなりの人数の補習をしたが、 前もって努力し、一定のレベルに達してから受けに来た生徒は少なかった。 私に丸投げし、得点をくれと言われても、そんなものはない。 得点とは、自分が頑張り知識を蓄積していく過程で、 少しずつ実感として得られていくもの。 その基本を忘れてはいけない。 学ぶ手順は決まっている。 教科書を何度も読み、流れや重点を知り、用語やその重点を覚え、 他のテキストで多角的に知識を補い、ベタ問題で問われるベクトルを知り、 数多くのパターンを演習しながら 「解」 のコツを身に付けていく。 流れの大筋はこんな感じであり、 そのどこまで攻めることが出来たか、 どれだけ時間を掛けて深くやったかが差になって出てくる。 途中、知識の定着を何度も確認し、暗記分野に自信を付けていくことも大切だ。 社会は図版・写真・年表・地図などの資料を、 理科は実験・観察の手順や注意、多用される図やイラストなどを、 しっかり押さえておく。 今までの社会・理科の試験で、「図」 がまったくなかったことがあるだろうか。 そう、必ず使われるのである。 しかも、何が狙われるかも決まっている。 すべて教科書なのだ。 壮大な計画をいくら紙に書いても、実践しなければ紙くずだ。 練習しなければ上手くならない。 だから、みな行動するのである。 納得のいく点を取るためには総合力が必要だが、 そんなものは初めから用意されてはいない。 コツコツと手順を踏み、自分の中に蓄えていく。 10個あれば10個覚える。 10問あれば10問解く。 試験勉強の基本はすべてそこにある。 7個でいいや、6問でいいやと思えば、 君はいつまでも、そのグループにしかいられないだろう。 やることを十分にやれば、90点取れる科目。 エネルギーを注ぎ、狙ってみないか。 期末はすぐ来る。 ★学習情報検索はこちらから ↓
2008.10.31

高校に進学するということは、 大きな海原に漕ぎ出す瞬間に似ている。 義務教育を終えた証に、そっと卒業証書を忍ばせ、 手製の舟を静かに海に浮かべながら、 期待と不安を感じている。 そんな航海の始まりの瞬間に似ている。 昨日、高校は心を再生する場ではないと語ったが、 それは心というものがあり、それを支えに自力で進んでいくという、 高校の厳しさと素晴らしさを忘れないでいて欲しいからだ。 航海に出る時には 「覚悟」 が必要だ。 何があっても自己の判断と責任で乗り切るのだという、「強さ」 が必要だ。 同時に温かい 「心」 も必要だ。 天気が荒れても、風向きが変わっても、 地図を頼りに、君が梶を握っていなくてはならない。 高校はあらゆる同世代のゲートではない。 君が選び、君が誇りを持って志願し、 その先に君だけの約束とも言える、熱い記録を残さなくてはならない。 進むのなら、過去を振り返り、まず今の自分を磨く努力をしてみる。 たった独りの航海は、君の精神が命運を握っている。 スタートの段階で、どんな姿でいられるか、 とても大切なことに思える。 一年前、『15歳の人生論』 という文章を書いた。 中学から巣立っていく君たちに伝えたいそのメッセージを、 もう一度ここに記したい。 塾という場で、何度も見送ってきた高校へ旅立つ仲間たち。 今、君たちにおいて、大切なものは何なのか。 振り返りながら、掴んでいなければいけないものは何なのか。 そんなメッセージを、もう一度託したい。 ・・・・・・・ 『15歳の人生論』 君は、人生というものを考えたことがあるだろうか。 みなに祝福され、生を授かった15年前。 君の瞳は何を見つめていただろう。 何度も泣き、何度も笑い、母の胸で鼓動を聴いていた頃。 君は「生」に安楽と不快があることを知り、いつも訴えていた。 涙で、そして表情で、一番身近な人に寄り添い、抱きついていた。 やがて歩くようになり、言葉を覚えた君は、動くことで「生」を刻んできた。 周りには安息と、興味と、発見があり、常に刺激で満ちていた。 体を壊せば母がいた。 食卓の母はいつも笑顔で、大きかった。 そして、どんな小さな悩みも聴いてくれた。 幼稚園の発表会で失敗した時、慰めてくれたのも母だった。 君はそんな経験を重ねながら、少しずつ友達の存在を知っていく。 会話をし、物の貸し借りをし、同世代の輪に楽しみを見つけていった。 そして、仲間と遊ぶことに夢中になっていった。 小学校に入ると、そこで色々なことを学んだ。 言葉も、文字も、道具も、そして様々な設備も、 広い敷地と教室に、何でも揃っていた。 新しいランドセルにカバーをつけ、体操着袋を引きずりながら、毎日元気に登校した。 クラスで友達ができ、いつも一緒だった。 泣かされたこともあった。 先生に誉められたこともあった。 君はそんな学校生活で、数々の価値あるものを学んだ。 悩むこと、耐えること、誉めること、相手に対して気配りをすること。 共感すること、引くこと、ルールを守ること、そして意見を述べること。 君はそれらをポケットに詰め込み、次第に考えることの大切さを知っていった。 君はいま、中学を卒業しようとしている。 楽しくもあり、闘いの場でもあった義務教育。 その終わりを迎えようとしている。 この世に生まれてから15年の間、辿ってきた足跡はみな違うだろう。 だがそこには、表現しきれないほどの感謝が溢れている。 数々の人に囲まれ、恩恵を受け、救ってもらった過去。 そんな中で君は自律を学び、成長してきた。 君にとって大切なものは何だろう。 15年間で育ててきた、価値あるものとは一体何なのだろう。 君はじっくり考え、今こそ描かなければならない。 やがて君は、思春期を卒業し、大人への入り口を迎える。 そこから先は、独りで考え、判断し、歩んで行かなければならないだろう。 君が成長すればするほど、頼れる親との距離は、自然と広がっていく。 甘える対象がなくなるということは、もの凄く大変なことだ。 今までとは違い、自分の力で壁を越えていかなくてはならない。 大人になるということは、責任が伴うことなのだ。 これから先の道程には、成功もあれば失敗もある。 挫折し悩むこともあるだろう。 だが、どんな時も、君は眼を輝かせていなければならない。 少年期、少女期の夢をしっかり持ち、そして、明日からの夢をもう一度描くのである。 成功は、君のゆるぎない軸と、汗が保障してくれる。 苦しければ泣けばいい。 童心に帰り、思いっきり泣けばいい。 その代わり、嬉しさを存分に味わうことを忘れてはいけない。 大人というものは、そういう体験を幾度も重ね、 自己解決しながら精神をを育てていく世代なのである。 君はこの15年の間、様々な機会を与えられてきた。 家庭環境は違っても、学ぶ機会はいつも均等に手の届く位置にあった。 君はその中で、何を得てきただろうか。 これから先の道において、それは輝かしい武器になる。 勉強ができる、できない、だけではない。 体験を通じ、得た、精神の育みというものが、新たな価値になっていくのだ。 行動力、判断力、精神力、力というものには色々な分野がある。 それはひと言で言えば、私は「生命力」というものであろうと思う。 学びから得た知恵と、環境の中で動き得た知恵から生まれるもの。 いわば、能動的な、背後から押す力のようなもの。 大人というラインを越える時。 そういった力が、どれだけ具わっているかが問われるのである。 君の人生は、まだこれから発展し続けていく街のようだ。 変化を受け入れ、より複雑に、より細密に君が築いていけばいい。 大事にしているものを守る勇気と、向上心を持ち。 君が目指す方向をしっかりと視野に捉え、雄飛していけばいい。 だがどんな時も、決して自己を研くことを忘れてはならない。 敬虔な瞳で、夢を持ち、言葉を聴き、真摯な心であること。 そして、何よりも自分に正直であること。 君がその大切さに気づいた時、可能性は天空に向け広がっていくのである。 君はこの先、数々の人と出会っていく。 その中で、未知のことを学び、苦悩し、恋愛をし、大きくなっていく。 人間関係は複雑だとよく言われるが、 人と人との付き合いは、本来泥臭い温かみがあるものなのである。 君には、他人の痛みが分かるだろうか。 相手の立場で、心を思いやることができるだろうか。 大人になり、歩んでいくためには、 それらの価値を、品格を持って身に付けることを忘れてはならない。 いくら自分に自信があっても、君の評価は君がすべきものではない。 他者がするものなのだ。 慕われ、素敵な人と評価される人間になること。 それもまた、君の人生における大きな命題のひとつだろう。 君たちには未来がある。 今、手にしているものをしっかり握り締め、貪欲に前を進んで行けばいい。 殻を破る勇気を少し持ち、堂々と姿勢を正していけばいい。 君の未来は、家族と仲間とともに育んだ空気の中から生まれる。 君はその空気を感じ、強い生命力を持たねばならぬ。 学び、悩み、考えながら。 やがて来る、大人のラインのために。 君は今、 価値ある体験を重ねているのである。 初出 2007.10.26 教育ブログはこちらから ↓
2008.10.31

中間試験の結果が上がりつつある。 毎回 「定期テスト得点結果」 という用紙を渡し、 生徒に自ら得点を記入してもらっている。 私が用紙を差し出すと、待ってましたとばかりに書き込んでいく生徒がいれば、 「えーっ、それ~?」と前置きし、自己弁解を始める者もいる。 今回はみんな悪かったとか、 範囲じゃないところが出たとか、 こんなつまらないミスで15点も落としただとか、 それはもう、大変だ。 まあ、自分の点を受け止め、次に繋げようとしているのならいい。 問題なのは、自分の点を忘れたり、誤魔化したりする者だ。 そもそも得点が分からないとか、覚えていないとかいう時点で、 試験に対する姿勢がどこまで本気か判るというもの。 必死に頑張ったのなら、自分でその得点をしっかり受け止め、 次へのステップにすることが大切である。 試験結果の集計は週末になるだろうが、 すでに最高点を出してきた者も、かなり出てきた。 きっと、 みんなの成果が教室に笑顔を咲かせるだろう。 教室も秋の彩り。 今年もあと2か月だな。 教育ブログはこちらから ↓
2008.10.30

高校は義務教育ではない。 入学を依頼する立場でありながら、 身なりも、姿勢も、己の精神すらも律せない常識のない者を、 ただ学力だけで受け入れ、一から育て直す機関ではない。 その高校にとって必要な生徒を入学許可とするだけだ。 基準は高校が自校の発展を前提に定めるところであり、 教育委員会が上から封じ込めるなど言語道断なことだ。 今回の神田高校の校長更迭が決定したというニュースには、 呆れて物も言えない。 そもそも報道では合否に「不正」があったとしているが、 一体何が不正なのか。 学校の方針に沿って基準を定め、生徒の合否を決めたに過ぎないことだ。 それを評論家の尾木直樹氏は、とんでもないことだと言う。 こういう生徒こそ公立が受け入れ、生徒に機会を与えるべきだと言う。 高校は何でもありのスクールではない。 毎年在校生の三分の一が退学していく荒れた学校に、 再建のための計画を組み、力を注ぎ実践している学校関係者のことを考えて、 本気でそのようなことを言っているのか。 学力検査が届けば、どんな身なりでも、どんな悪態をついても合格なのか。 身なりや態度が選考基準にないというのなら、 そんな基準を定めている神奈川県が追及されるべきだ。 調査書、面接、学力検査を点数化し、合計点で上位から合格にする。 確かに学力検査が高ければ、他が限りなく0点でも合格だ。 何でも点数化。 資格試験ではない、入学後共同生活を営む在校生を選定しているのである。 社会の多様化に伴い、人間を重視する動きの中、 どんな志で、どんな魂で、どんな意識を持って志望してきたのか、 また姿勢や意欲に展望が見られるかなどを、しっかりと受け止め、 むしろそれらを最大の合否基準にして然るべきだろう。 高校は精神を軸に、学び、自己を高めていく場所だ。 繰り返すが義務教育ではない上、精神を再生させる場でもない。 神奈川の教育委員会委員には、宮崎緑、具志堅幸司、渡邉美樹といった、 馴染みの顔ぶれもいる。 委員の決定によれば、不合格になった22名も希望すれば入学を許可するらしい。 何を考えてるのだろうか。 あなたがたは現状を調べ、本当に責任を持って判断したのかと言いたい。 教育委員会には問い合わせや批評の電話が殺到しているそうだ。 大半が、校長の裁量を否定し更迭したことに対する意見である。 受験の仕組みもそうだが、何か基準からずれると、 いつもこのようにゴタゴタが露呈する教育界。 受験というものは売る側が生徒であり、買う側が学校だ。 「ぜひ入学させてください。精一杯勉学に励み、高校生活を充実させます」 と、生徒が襟を正し志願するものである。 その基本を忘れ、何でもありの風潮を根付かしているのが、 今の課題に蝕まれた教育の仕組みであろう。 非を是認してはいけない。 ダメなものはダメと、徹底して論破すればいい。 そして何でも受け入れるという無責任なシステムを放置してはいけない。 人材に乏しい非現実的な状況で、何が出来る。 そんな受け皿で培養され、 奇麗事で固められ、 社会に出て困るのは子どもたちなのだ。 教育ブログはこちらから ↓
2008.10.30

10月13日より「ブログ村」のランキングに参加しています。 参加直後は伸び悩んでいましたが、 「教育ブログの塾・予備校教育」部門で、先週は4位から2位へ、 そして昨日より《ランキング1位》となっています。 全国235サイト中での順位です。 このバナーは各ブログでよく見掛けるかと思いますが、 クリックして頂くと、加点される仕組みになっています。 全国の「教育ブログ・ランキング」では、 現在、2521サイト中、31位。 ベスト10を目指そうと思ってはいますが、それには今の3倍が必要。 支持して頂ける方を大切に、 いい記事を書いていきたいと思っています。 クリックし、ぜひ「ブログ村」を訪問してみてください。 教育以外のあらゆるジャンルの役立つブログが、 23万も閲覧できます(画面上部の「にほんブログ村」から一覧が見られます)。
2008.10.30

模試や市販の模擬テストは、普通 「解答用紙」 が別になっている。 その形態には利点があれば欠点もある。 利点として考えられるのは、 解答欄を埋めながら自分の答案を作成する 「訓練」 が出来ることだ。 設問の条件に沿って、 番号やマスの大きさなどに注意し、解答を書き込んでいく。 出来上がったものは、自分自身の力が集約された一枚のカードになる。 答案をどう仕上げるかという感覚は、 時間と向き合い、こういう形態の練習を何度も積んでいくことで身についていく。 だが今回の主題は、その形態の欠点についてだ。 授業で時間を計り模擬テストをする。 さあ制限時間が来て、答え合わせと解説をしようという時に、 第一の問題が起きる。 解答用紙に小気味よく○が付いていくが、 彼らが見ているのはその 「用紙」 だけ。 問題と照合し、確認するということをしない。 「ア」 「b」 「ない」 「○○×」 「ウとエ」。 こういうものに○を付け、「イエ~ィ」 などと悦に入っている。 また間違えていても、「ウ」 に×し、脇に 「ア」 と書くだけで、 何をどう間違えたのかを確認しない。 おまえ、その 「ア」 って何だよ。言ってみろ。 私はその都度指摘し、答え合わせの意味合いを説くが、 言われる前に率先して行う生徒は皆無に近い。 計算問題も、「0.5」 などと正解を朱書きしながら、 何故そうなのかが分かっていない。 板書した解説を答案の欄外に懸命に書いている者もいるが、 おまえ、 それを書き込むのは 「問題用紙」 の方だろう。 問題に線を引き、重点をくくり、 解法の手順や理論を、「問い」 と 「解」 というセットで捉えていくのだ。 なまじ解答用紙があるから、このように分散してしまう。 直接書き込む形態であれば、視線はもっと問いを捉えやすいのだろう。 そして第二の問題は、 終了後、問題と解答用紙が分離し、正しくファイル出来ない点だ。 書き込み式のプリントや、冊子形態の問題集と違い、 意識して綴じる習慣を付けておかないと、後の確認に不手際が起きる。 問題用紙なら再トライも出来るが、 ただ○や訂正の答えが書かれた答案だけあっても、 くその役にも立たない。 まとめると、 模試形式の解答用紙が別に用意された問題では、 答え合わせは必ず 「問題用紙」 と照合して行うこと。 解説を聴き要点を記録する時は、問題用紙に書き込み、一点に集約させること。 問題と解答用紙は正しく綴じ、再度活用できるようにファイルすること。 以上が、注意点である。 解答用紙は、ルールに沿って答えを羅列しただけのものだ。 学び、知り、理解するという行為は、 問題との接点の部分にある。 どこに視点を置き、何を加工し残していくべきか、 常に考えながら向き合って欲しい。 教育ブログはこちらから ↓
2008.10.29

生徒たちに伝えるべき内容は、学年によって違う。 受験にしても、定期試験にしても、部活も、検定の重要性も、 指導計画も、学校での姿勢のアドバイスも、勉強法であっても、 みな学年ごとにその内容は異なる。 私は以前より、 学年ごとに集めた 「集会」 のようなものを行いたいと思っている。 学年が共有すべき教室での在り方、 今、君らがすべき 「旬」 な学習へのヒント。 そういったものをメッセージとして与え、且つ、細部に渡る指示を徹底させる。 例えば11月の中2生なら、 期末があり、北辰申し込みの締切があり、漢検がある。 成績が決まる試験である以上、 提出物や評定への意識改善も説かなくてはならない。 入試制度の変更を全員で再確認し、家や学校生活での時間管理の大切さや、 期末前の対策授業の意味合いも再認識させなくてはならない。 授業への注意事項、具体的な勉強法、 2年生なりの、トライアルの意味と日程なども伝える必要がある。 もちろん全員に共通して渡すべき 「もの」 もあるだろう。 これらは、学年が変わればまた違った内容になる。 それらをまとめて通達・配布するのではなく、 飽くまでも同学年の中で、個人にとって生きた情報として、 彼らの器にリアルに浸透させていきたいのだ。 重要度や順番も、学年ごとに異なる。 そいつをぜひ最優先させ、強調させたい。 そんなことを考えて、はや一年が過ぎた。 生徒間の日時の調整がなかなか上手くいかない。 学年全員が揃うことに意味があるだけに、難しい。 もしスケジュールが組めれば、 私は屋上でその集会をやってみたい。 毎月でなくても、年に4、5回も出来ればいい。 夜、星を見ながら、君ら同世代の仲間たちに語りたい。 事務的な内容を飛び越え、 きっと様々な思いが言葉に託されるであろう。 統率を強くし、全員で共通のテーマを共有していく。 手法は色々あるが、 良き思い出創りとしても、ひとつ考えていることだ。 教育ブログはこちらから ↓
2008.10.28

10日ほど前、 ゴミ箱のゴミを回収したら、捨ててあった。 授業時に生徒に配った 「GOAL通信」 である。 これは、塾から家庭へのお知らせ。 日程とか情報とか、 大事な連絡を書いてるんだがなぁ。 どうして親に渡してくれないのだろう。 カバンにずっと入れたままだったり。 でも、塾で丸めることもないだろうに・・・ 教育ブログはこちらから ↓
2008.10.28

「埼玉県公立高等学校入試改善について」というページがある。 県教育委員会のサイトの一部だが、 平成22年度入試についての案内が、Q&A方式で解りやすく書かれている。 現在、中学2年の生徒は、この改正の元年に当たり、 一体どう変わるのかということを、しっかり確認しておく必要がある。 「入試日程が遅くなる」 「前期募集で約8割の合格者が決まる」 「前期で課されていた総合問題が廃止される」 「調査書が点数化され、学力検査の得点に加算される」 「学力検査は、各教科100点満点になる」 などは結構知られているが、 細かい部分まで一応チェックしておきたい。 例えば、 「学力検査はAB二種類の問題があり、高校による選択制を取る」 「自己PR書は不要になる」 「後期募集は3教科300点満点で行う」 「出願は前後期とも、学校ではなく本人が行う」 などは、あまり知られていない。 特に学力検査にABの選択問題を県が作り、高校に選ばせるという部分は、 ちょっと注意である(ページのQ36~38)。 A問題を基本とし、B問題は2割程度応用問題に差し替えるという。 そこそこレベルの高い高校は、Bを指定してくることが予想される。 だが、過去問がない。 対策、準備が大変難しく、来年の今頃は、色々な情報が飛び交っているであろうと思われる。 これらをすべて考えれば、前期で決めることがベストであり、 そのためには、現中2生は、 今からどれだけ幅広く応用問題を押さえられるかが生命線になるだろう。 いきなり5教科の試験なので、理・社の実力が運命を決めそうだ。 くどいようだが、今年の受験生と条件が違う。 理・社をないがしろにしておくと、 出願の段階で高校のランクを落とさなくてはならないということも、十分考えられるのだ。 また内申書や面接なども得点化され、 しかも内申を今以上に重視するとなっている以上、 現在の学校での学業と活動実績、あるいは計画的な検定試験へのチャレンジ、 そして北辰でしっかり実力を計っていくことが大切になってくる。 冒頭のページはぜひじっくり読んでいただきたい。 そして今すぐ、自分のための行動に出よう。 1年後は、もう受験の追い込み期だ。 教育ブログはこちらから ↓
2008.10.27

嫌いなんだよな・・・・ 死ぬほど 数学が嫌いなんだよな 公式だ定理だって 何でこんなことしなきゃいけないの 君はいつも疑問を持って 嫌々問題を睨んでいる 因数分解が 平方根の有理化が 何の役に立つのさ ただ試験で試され 解けなければ劣等生と言われ さらに自分のために 喰らい付いていく価値が見い出せない 大量の計算の宿題 君は机の隅に押しやり 上に雑誌を置いた 嫌いなんだよな・・・・ 死ぬほど 国語が嫌いなんだよな 漢字もことばも 普段不自由していない だのに試験では 知らないことの暗記合戦 作者の言いたいこと? どうでもいいじゃん 主人公の心情の変化? 都合よく変わってんじゃないよ 読書なんか好きなものが適当に読めればいい 与えられたレポート 本と用紙は ずっとカバンに入ったままだ 嫌いなんだよな・・・・ 死ぬほど 理科が嫌いなんだよな 自然だ科学だ現象だって うざいったらない 将来役に立つって? それが冗談ぐらい私にも分かるよ 飽和水蒸気量 オームの法則って お母さんも知らないから 試験に出てくる 面倒な実験装置と化学変化 色の変化なんて どうでもいいじゃん みんな黒くしちゃえば テキストは足元で埃にまみれている 嫌いなんだよな・・・・ 死ぬほど 英語が嫌いなんだよな 日本人なのに 何でこんなに英語をやらなきゃならないの 次から次に 英単語が登場し もうどうでもいいって感じ SだVだ 過去分詞だ 不定詞の何とか用法だって 私のアレルギーはいつになったら良くなるのさ 耳からネイティブ聴いても もう感動しなくなった 読解テストのための演習プリント 君は落書きをし 丸めて捨てた 嫌いなんだよな・・・・ 死ぬほど 社会が嫌いなんだよな ヨーロッパの気候だ産業だって ここは日本だよね 信長が死のうが 白河上皇が何しようが 私に関係ないじゃん 試験で考えを述べよって言われ 格好よく述べたら×だった 世の中の動きに注意しなさいと言われるけど 何を見りゃいいのさ ねえ 君の社会の答案は 何枚も引き出しの奥に押し込まれ 君の手で二度と開かれることはない 嫌いなんだよな・・・・ ならば どうしよう 学ばなくてはいけない世代 辛いよな その教科に初めて出会ったときの空気 一日かけて復元してみないか ランドセルを背負い 懸命に大人になろうとしていた自分 何度もノートに下手糞な字を書いていた 笑顔の自分が きっと そこにいる 君の今は 完結ではない 明日のために 過去を探ってみよう 誰にも足跡がある 君は 自分の足跡に誇りを持っているか 現状を避けて解決しない世代 そんな岐路に 今 君は立っている 過去の流れ そっと感じてみよう 輝いている時代 素敵な解答は 君のためにいつもそこにある 教育ブログはこちらから ↓
2008.10.26

得意教科をおろそかにしてはいけない。 苦手なものを克服することだけが勉強ではない。 勉強には、色々なことを幅広く学び、総合的な力を蓄えるという目的がある。 君は自分の得意とする、あるいは比較的好きな教科に、 どの程度の比重を置いて学習しているのだろう。 勉強にはバランスが大事だと言われるが、 すべてを偏りなく平均化しろということではない。 得手不得手を前提に、どこに時間とエネルギーを注げばいいのかを、 配分良く定めていくということだ。 苦手教科に50時間費やし、果たしてどれだけの成果が出るのか。 そのうちの半分を、他のすべき作業に分配出来ないか。 中には短時間でリカバリー出来る部分が多数あるのではないのか。 こういったことをよく考え、全体の底上げを使命に、 バランスのいい攻め方を重視していたい。 得意教科は野球で言えば 「3番、4番バッター」。 ここが凡打していて、理想的な勝負が出来るだろうか。 得点源が何であるかを知り、その主軸をどう活躍させるかが、 全体の勝敗を左右していく。 勉強は野球と違い、助っ人が振るわないのでクビというわけにはいかない。 決められたメンバーの中での采配なのである。 得意と思える教科を徹底して攻めるべきである。 満点を狙えるくらいにまで極めていくのである。 それは各教科の細かい単元にも言えることだ。 脈がある、それなりに分かっているつもりの単元を、 再度突き詰め、得点出来る第二、第三の武器にしていく。 チームの弱点と思えるバッターに特打ちし、次に期待するのも手法だが、 野球の練習のように、それぞれが同時に何かをしているわけではない。 君の時間は常に一人にしか向けられない。 その間、上位打線が何の練習もせずに寝ていては、 軸となる力が錆び付いてしまうということを理解しよう。 苦手もやり、配分よく得意の確認も忘れない。 そのさじ加減が大事なのだ。 もし苦手がまったく伸びないのなら、 一度得意なものに特化した勉強をしてみたらどうか。 7対3の配分を、3対7に変えてみる。 苦手の配分が3になることで、君は特に重点だけでも押さえようとするだろう。 そのことにより、学びの質が向上していく。 ダラダラと7の比重を掛けることだけが王道ではない。 常に全体の総合力を磨くことを、肝に銘じていたい。 教育ブログはこちらから ↓
2008.10.26

100という数は、 それが何なのか、状況がどうなのかによって、 大きく見え方が変わってくる。 入試まであと100日。 もう100日しかない。 宿題の漢字の書き取り。 まだ100個もある。 一円玉貯金。 まだ100円しかない。 太字用語の暗記。 もう100語暗記できた。 山登りの目標地点まで。 もう100メートルもない。 嫌なこと、辛いこと、面倒なこと、時間が迫っていること。 これらには否定の意識が働く。 好きなこと、楽しいこと、手応えのあること、達成感の持てること。 これらには肯定の意識が働く。 「否定的な見方ではなく、肯定的な見方をしてみよう」 よく本などにはこう書かれているが、 考えてみれば、この意識は「観察」から来る本心であり、 無理に肯定することで済むというものではない。 むしろ、観察の後の 「では、どうする?」 に重心を置き、 そこに肯定的な考えを描いてみることが大切に思える。 以前に、次のようなことを書いた。 入試までに100日になった時の考え方。 「あと100日しかない」→「だからもう間に合わない」 「あと100日しかない」→「だから始めなければならない」 「まだ100日もある」→「だからまだ始めなくてもいい」 「まだ100日もある」→「だからまだ間に合う」 これを見ると、 左の項目だけではストーリーが完結していないことがよく分かるだろう。 肝心なのは右側の判断の展開なのだ。 二番目と三番目を比較して欲しい。 二番目は「もう・・・しかない」と否定的な見方をしているが、 それを受け止め、「だから・・・しなければ」と肯定的に結論付けている。 逆に三番目は「まだ・・・もある」と肯定的な見方をしているが、 その結論を、「だから・・・しなくていい」と否定的なものにしている。 第一印象をいかに肯定的に捉えても、 「まだ100日もあるんでしょ、余裕じゃん」と結論付けていては、 行動に繋がることはない。 大切なのは、事実をどう観察するかではなく、 それを受け止め、具体的にどう判断し、どう計画行動に出れるかなのである。 「○○だよね、じゃあ君はどうしようと思う?」 こういった質問に理想的な回答を熱弁出来る子どもなど、そうはいない。 どういった考えや分析を施し、どう語れるかという力量は、 育った環境によって自然と身についているものだ。 親がどう生き、また節目でどう語り合ってきたかという経緯が、 性格とミックスされたかたちで子どもたちに引き継がれている。 良い、悪いではない。 それらを前提に、語り、子どもの行き先を見守ってあげなくてはならない。 子どもが自分で思考し決めた路線は、 価値が見出せるならば徹底して支持してあげる。 だが決断がずれ、不安定な進行であるならば、 そっと語り、子どもの意思を活かしつつ修正してあげる。 それが親の役目である。 子どもが大きな命題にぶつかり、動こうとしている。 その時の親のサポートの「位置づけ」はとても重要だ。 「こうかな」 子どもの思いを親は安易に否定も肯定もしてはいけない。 ストーリーがあるのである。 その思いが後にどう完結するのかという、未来があるのである。 だから親は、何故そう思うのかということを受け止め、 その上で、上質な大人の選択肢をヒントとして与えてあげればいい。 常に先を見つめ、子どもの歩むストーリーを支えてあげたい。 それが子ども育むということに繋がる。 私はそう思っている。 100という数字を見てどう思うかはバラバラだ。 諦める者も、奮い立つ者も、それはみな自分をよく考えているから。 「もうダメ・・・」と子どもが漏らしたなら、 その理由を訊き、動機付けのメッセージを託してあげよう。 つねに陽転思考せよと言うのは、大人社会の通念。 十代前半の子どもに、 自分が40年掛けて築いた理想を、瞬時に与えきれるかどうか、 親ならばこそ踏みとどまり、反芻してみる必要がある。 明日からのストーリーがしっかり描けるのか、 レールから外れていないか、 笑顔の期待できる方向に進もうとしているのか。 その機微を汲み取り、 温かく見守り、言葉を掛けてあげればいいのである。 考え、歩くのは子ども。 その動きを止めてはいけない。 親は標識になり信号になり、常にそばにいるだけでいい。 本物の達成感も、本物の挫折も、 本人が自力で動くからこそ、 そこに素敵な接点が生まれるのである。 教育ブログはこちらから ↓
2008.10.25

部活があるから勉強が出来ない。 だから成績が上がらない。 この考えを正当化しようとしている限り、 君の成績はいつになっても上がることはないだろう。 大半の生徒は部活をやりながら勉強もしている。 部活が避けられないやり甲斐のあるものなら、 そして勉強も大切だと感じるのなら、 君は逃げることなく、 そいつたちとどう共存していくかを、真剣に考えなくてはならない。 毎日疲れ、夜になると眠くなり、机に向かう気が起きない。 みんなそんな中で頑張り、10分、20分の時間を創っている。 時間がないと言うが、夜はどう過ごしているのか。 疲れて出来ないと言うが、それは自分で楽をしたいという逃げではないのか。 考えてみる価値はあると思う。 勉強するしないは、君の判断で決まる。 学校の授業や部活のように、決められたスケジュールに管理されることもない。 どう取り組み、どこまで追い掛けるかも自由だ。 それだけに100%責任が問われる。 真剣になろうが、甘えて楽しようが、 君の判断で、その中身の在り方が決まってしまうということだ。 土曜、日曜はどう過ごしているのだろう。 部活があると言っても、平日に比べ自由に使える時間は捻出しやすいはずだ。 その貴重な時間に、 君は、集中的に何かに取り組もうと考えたことはあるか。 過去を振り返り、反省して欲しい。 しっかりやっている友もいる。 実際に、土日の過ごし方は、大きな力の差になっていくのだ。 学校の授業はどうだろう。 塾はどうだろう。 決められた枠の中で、君は真剣に向き合っているか。 授業にはどうも集中できない、自宅ではやる気が起きない。 そんな生活を続けていて、成績だけは上げたいと思うのなら、 それは無理だ。 学ぶということは、自分を磨き、財産を築いていくこと。 そのためには、環境をコントロールする力が必要なのである。 夜、時間がないから出来ない、ではなく、 どうしたら時間を手に入れられるかを考えてみる。 かったるいからつい好きなことをしてしまう、ではなく、 どうしたらその習慣を断ち切り、 勉強に価値を見い出せるかを考えてみる。 そういう発想が、君を育て、伸ばしていくのである。 学生の生活の軸は、「学習」 だ。 「遊び」 でも 「部活」 でもない。 学習を大切に感じながら、そこに日常の張りとして様々な物事が存在している。 君の費やすエネルギーの行き先が、どこか狂い始めているのなら、 一度振り返ってみよう。 毎日、10分の学習時間を創ることは出来るはずだ。 それが出来るのなら、20分はどうかと考えてみる。 しっかりやっている仲間は、一定の時間を日常としている。 必要と感じるから、自分でノルマを決め、向き合える。 大人になるために、辛抱が出来る。 要するに自分を大切にしているのである。 君は自分をどれだけ磨こうとしている。 逃げていては掴めない素晴らしいものがある。 今は辛くとも、出来ないとカベを作らず、 与えられた境遇の中で工夫を凝らしながら、 より良い 「かたち」 を作って欲しい。 部活も、テレビも、授業も、遊びも、 みな共通に与えられたもの。 それらをどう使い、どう活かし、勉強との位置づけをどうするかは、 君が決める。 10分という隙間時間は、 一日の中にきっと10回はあるはずだ。 教育ブログはこちらから ↓
2008.10.25

こいつを使ってるのは私だけだが、 対策や補習では結構有効だ。 だが使い方を誤ると、かえって盛り上がり騒がしくなってしまう。 その点が改善すべき点だ。 ルールを告げる審判は私。 忠告をきかない者には、カードと一緒に、 お持ち帰りの課題をあげるようにしている。 レッドはめったに出さない(去年一人いた)が、 状況により、今後飛び出るかも知れない。 普段の授業中も胸に忍ばせ、巡回することがある。 わざとチラチラ見せると、私が通った付近はみな異様に姿勢が良くなる。 私語も一切なく、真剣そのものだ。 それはそれで良いのだが、講師に訊けば分かるだろ。 普段からしっかり取り組んでいる者は、 私が離れても変わらないものだ。 教育ブログはこちらから ↓
2008.10.24

先日の改装とともに、目立つ位置に移設した。 塾に来た生徒は必ず目にしているはずだ。 中学の定期試験も今日で終わるが、 大事なのはこの試験直後の過ごし方。 「息抜きを」などと言って、 せっかくの緊張感やリズムをリセットしてしまわないこと。 腑抜けになるぞー。 期末は1か月後にやって来る。 また一からやり直すのではなく、 学習時間を意識し、歩調をしっかり保ち続けること。 素敵な年末は、今の過ごし方で決まる。 いつもこの標識を目にし、緊張感を持ち続けていよう。 『生徒のための標識解説』 標識の青い人物は、コンタクトレンズを探しているのではありません。 プールに飛び込む瞬間でもありません。 何かにつまずき、辛さの余り、倒れ伏しているところです。 「ああ・・・俺はもうダメだ・・・」とか、 「ちくしょう・・・どうしたらいいんだ・・・」 などの言葉を当てはめて見てみましょう。 赤の斜線は、そういう考えや行為は禁止ですよということです。 その通り、下に文字がありますが、 「日曜・休日を除く」という部分は、受験生には通用しません。 受験生は、 「日曜・休日は特に」と置き換えて標識を読み取ってください。 禁止行為を犯せば犯すほど、基本的にあなたの可能性は消えていきます。 「根性」「必勝」「やれば出来る」「よし、頑張るぞ」 といった言葉に、犯さずに済むヒントがありそうなので、 壁に貼り、家で何度も唱えてみるといいでしょう。 なお、「挫折」が読めない人は、辞書で調べてください。 「すわおり」と読んだ人がいますが、まったく違います。 教育ブログはこちら ↓
2008.10.24

教室のイメージ写真で使用している「机」と「椅子」。 実はこれ、手のひらに乗るほど小さな模型である。 数年前、コンビニで売られていた懐かしグッズの一つだ。 パーツを簡単に組み立てるだけなのだが、 非常にリアルでよく出来ている。 机・椅子・カバン・筆箱・ノート・体操着袋の6点。 机や椅子は、ちょうど私が中学の頃に使っていた型に近い。 質感や色合いも忠実に再現されている。 机の中には道具箱や教材が入っているが、これはちょっと整理されすぎだ。 現実はもっとゴチャゴチャ押し込み、修羅場に近かったような。 カバンと体操着袋は脱着でき、袋の「しわ」もリアルである。 机の脇にフックが付いているのも嬉しい。 組み立てた当初は、面談のテーブルに飾っていた。 椅子を机に裏返して乗せ、「掃除中」などとふざけては、 子どもたちも楽しそうにいじっていた。 こいつを見ると、小学生、中学生の頃がふっと思い出される時がある。 仲間と一緒にいる教室の風景が、何だか見えるようだ。 机の落書きも、貼り付けたシールの跡も、 ジャラジャラと何かを溜め込み詰め込んだ、宝箱のような机の中も、 今思うと懐かしい。 人は様々な経験を経て、大人になってからも、過去の学びを振り返るものだ。 学びの原点とも言える、学校の「机と椅子」。 これからも、この教室に置き続けていきたい。 教育ブログはこちら ↓
2008.10.24

掲示して2週間。 どうだろう、名前を覚えたかな。 大事なニュースは、これからもどんどん貼り出していく。 教科書の知識を超えた情報や、役立つ知恵を君たちに与えていきたい。 それがこの教室の在り方だ。 学校で、皆が知らない知識を、得意げに語る。 そんな力の源になる、小さな発信源でありたい。 雑学や社会の常識なども、カードにして掲示していこう。 国民の祝日、全部言える? 「兆」より大きい数の単位、最後まで知ってる? 「イオン」って何? 正しい敬語の使い方、身についてるか? 裁判員制度って、いつから始まるどんな制度? 海岸線の長さ、日本は世界何位? 埼玉の県の木は? 県の花は? 英語の「スパイラル」「パラボラ」って? 宮崎駿の作品、いくつ言える? 今、1ドル何円? 君たちのコミュニティ。 年内に大きく変えていく。 教育ブログはこちら ↓
2008.10.24

試験勉強というものには、ストーリーがある。 決まっている日程に合わせ、仕上げていく、日々の物語がある。 自分の完成度を色々と天秤に掛け、何をすべきかを割り出し、 配分を決め、時間を計り、自分流の脚色と手順を組み立てていく。 作業というものには必ず深浅がある。 その割り振りを効率よくするために、まずは計画がある。 ストーリーは計画に沿って進めるものではあるが、 計画というものは、決して万能ではない。 初期の計画は話の目次のようなものであり、 ストーリーを実行する上で、必要ならば修正していけばいい。 何よりも実行し、手元に収穫を残していくことが本題。 だから計画を練り直し、より良いかたちに組み立てていくことも、 立派な第二の計画なのである。 試験勉強のストーリーが断片的で、まとまらない者は、 この計画修正が下手か、初期の計画にこだわってパンクしてしまう者に多い。 段階を踏み、達成度を冷静に観察することはとても重要だ。 試験勉強は試験のための準備期間と思われがちだが、 実はそうではない。 試験勉強の最後に「試験」が用意されているのであって、 すべてが一連のストーリーであり、記録なのだ。 10達成した者と、3しか達成出来なかった者。 試験の結果は、その度合いにより、事前にある程度判明している。 要するに、試験勉強の密度や完成度が最後の判定を左右するのである。 だから準備ではなく、 ストーリーがどう残せるかが、むしろ本番なのだと認識したい。 私は以前、 試験勉強は作品であり、試験当日がその発表会だと書いたことがある。 コツコツと製作し、磨き、仕上げ、 どんなものを抱えて当日に登校するのか。 大きな重い、軸のしっかりした堅牢な武器を具えたものなのか。 小さくしかも未完成で、パーツが崩れかけているものなのか。 発表会は、その出来栄えが忠実に評価される。 自信を持つということは、 その場にどんな作品を出し、過程の苦労をどれだけ語れるのかということ。 だからこそ、自分が経てきた物語を、 しっかりと誇らしく記録しておかなくてはならない。 試験勉強は単なる準備ではない。 どこまでこだわり打ち込んで来たのかという、 完成を競い合う本番なのである。 走り高跳びは、助走がなくては跳べない。 試験も同じだ。 未完ならば、手を加えればいい。 起承転結などこだわる必要もない。 こういう手順で、こうして、ここを深く押さえた。 経緯に自信を持ち、語れるように仕上げてごらん。 ストーリーは君だけのものだ。 教育ブログはこちら ↓
2008.10.23

私立高校の個別相談が、来月にかけてピークを迎える。 受験生にとって待望の 「確約」 が、飛び交う季節になった。 11月の北辰結果を待つ者も多いが、 先週出た10月の結果までで勝負できる者は、積極的に交渉に出向きたい。 2日前にも女子が二人、併願確約が取れたと報告に来た。 公立高校が第一志望であっても、受験戦略は水面下で動いている。 みな出遅れないよう、日程をしっかり組み立てて欲しい。 日頃から北辰の大切さを語っているが、 この時期になるとその得点の価値が分かるものだ。 偏差値0.1でも、基準に届いていなければ確約はもらえない。 漢字の「、」の打ち忘れだけで、受けたい高校に出願できない。 内申点が非常に悪くても、北辰が基準を満たしていればOKなのだ。 だから、北辰を真剣にやれと何度も言ってきた。 なのに対策には来ないで、どこかで時間を潰している者。 さらには、今回は受けないと、常に逃げてきた者。 1点の価値がどんなものか、地道に真剣にやってきた仲間との開きを、 君らは今こそ感じているのではないか。 私立の内定がなかなか決まらないと、公立受験への影響も心配される。 確約を計画的に取るということは、安心と自信を得ることであり、 受験をスムーズに進めるために、とても大切なこと。 今までの北辰が満足いくものでないのなら、 11月で必ず好結果をたたき出すことだ。 昨日も一人、理科が伸びずに悩んでいると相談に来た。 色々やったが、結果がどうしても伴わないという。 その受験生には今日と来週に補習をするが、 こうして自分の課題を探し、対策を真剣に考えることが何よりも大事なのだ。 準備期間はあと10日。 その間に中間テストもある。 待ってはくれんぞ。 北辰の話は中3生だけではない。 今の中2・中1生にとっても、大切なハードルだ。 偏差値が安定し、それなりのレベルを受ける者は、 みな早期から北辰の場数をしっかり踏んでいる。 3年になり、さあ受けてみようかという者は、相対的に伸び切れずに終わる。 そのデータの意味を、よく考えてみよう。 しかも今の中2以降は、県の受験制度が大きく変わる、節目の学年。 学校の成績はもちろんだが、 北辰の持つ価値を今一度見直して欲しいと思う。 中2は12月に実施、受付は11月前半になる。 中2生は来年の今頃、先輩たちのように確約に奔走しているだろう。 今からしっかりやるか、 受験の学年になってからでいいと思うか。 本人は大抵、自ら受けようとは考えないもの。 親御さんの判断が路線を変えていく。 回帰という記事に、昨年の様子が書かれている。 その生徒たちが今、確約を取り、 自分の結論に向けた、ラストランに入ろうとしている。 教育ブログはこちら ↓
2008.10.22

高2のTさんが連日頑張っている。 試験が近く、課題の教科を何とかしようと懸命だ。 彼女は、今年の初夏から再度塾に通い始め、今は週1回数学を習っている。 日曜は中学生のテスト対策と同時進行で、ずっと自習していた。 自分のために時間を活かせる、素晴らしい子である。 画才があり、一時美術系の学校を目指していたが、 受験したのは普通科の進学校だった。 学校のレベルもそれなりに高いので、気を抜いている暇がない。 得意の英語を活かし、国立文型をターゲットにしたいが、 そのためには、センターに絡んでくる数学が今の課題だと言っていた。 昨日も授業のあと自習していたようだ。 日曜はすべての補習が終わり、暗くなったころ、 教室には一人Tさんの姿があった。 「もう、そろそろ終わりにするか」 「はい」 彼女はとてもしっかりした、礼儀や温かみの分かる生徒だ。 中学部を巣立っていく時にもらった手紙は、 今も大切にしまってある。 受験まであと1年と少し。 この教室は、君が必要ならばいつでも使える。 自分を磨き、仲間を大切にし、 さらに大きな目標を視野に入れていて欲しい。 今度は同期の仲間を連れて来い。 ご馳走しよう。 桜咲く季節は、すぐやって来る。
2008.10.21

中間試験が迫っている。 塾生の大半は、今週22日から24日の間が試験日だ。 今日はその補習と授業が重なり、過密だった。 午後3時半から休みなしで午後10時半まで、 7時間の指導スケジュール。 生徒は都合8人。 みな少しでも点を取ろうという、意欲を持った生徒たちだ。 午後7時半からの2時間は、5人クラスの授業。 うち3人が4日後に試験を控えていたので、 攻めたい単元のフリー授業とした。 H君は、理科のエネルギーを中心に、途中から歴史の総合問題へ。 N君は、苦手という社会の第一次大戦から戦後にかけての歴史対策。 K君は、理科の運動の計算問題の徹底攻略。 W君は、公民の国会・内閣の発展演習と弱点確認。 A君は、地理の一問一答と重点のチェック。 5人が5様の学習をしており、 私がその解答確認と、チェックと、解説フォローを適宜行うという、 軽業とも言える指導を実践した。 何をやりたいのかはその場で訊く以上、 もちろん予習も段取りもない。 だが彼らはある程度基礎が出来ている、高い意識のある生徒たち。 仲間の解説をしていても、それを聴き入り、 自分の糧にしようという姿勢が随所に見えた。 総合的な力は、そういった貪欲な姿勢によって培われていくものだ。 彼らの定期試験や北辰の結果は高い。 定期試験では学年2位、3位、北辰では学年1位、社会の満点が3人、 偏差値で65~70超えがユニットを組むグループだ。 それだけに高レベルの問題を仕向けなければならない。 また、それだけに質問のレベルも高い。 解く速度も速いので、矢継ぎ早の対応が必須となる。 全員が集中しバラバラの課題を解いている空気は、 狂気というか、緊張の塊のようだった。 2時間のあいだ、5人で解いた問題は33枚。 みな違う内容ゆえに、私の意識も複数のものが同時進行で進む。 何とか対応出来たが、私としても貴重な経験だった。 こういう授業は、ハイレベルの意識を持っている生徒だから出来る。 彼らはサボらず、間を置かない。 次々と課題を求め、最高のテンポで解き、答案を突きつけて来る。 だからこそ出来る。 だからこそ、自分の攻めたい課題に取り組ませた。 しっかり攻め続け、収穫を持って帰った君たち。 試験で努力がスパークすることを期待している。 その後、個別で理科を見たO君。 君もよく頑張ったな。 3時間の中で、最初出来なかったものが、 最後には即答出来るレベルにまで成長した。 反復が命だ。 家で何度も何度も、執念で反復してみなさい。 努力は定着につながる。 定着は自信につながる。 自信は結果を生む。 結果は次へのエネルギーになっていく。 まずは目の前の課題を、一気に呑み込め。 やれば出来る高い可能性を持っている。 君が思うように伸びない原因は、私は分かっている。 浅いからだ。 表面をなぞるだけで、深いキズを描いていないのだ。 思いっきり深く抉ってみなさい。 これでもかというくらいに、徹底して極めてみるのだ。 ミスが起きないくらいにまで、繰り返し練習するのだ。 自分の努力に手応えを感じるころ、 きっと自信が見えてくるぞ。 最後の即答で完答出来たことが、 君の今後の勉強法のヒントになって欲しい。 努力は定着につながる。 定着は自信につながる。 自信は結果を生む。 結果は次へのエネルギーになっていく。 3時間の補習。 最後には、教室には君と塾長しかいなかった。 努力をかたちに変えろよ。 そう君に伝えたい。 ブログ村で情報検索! ↓
2008.10.20

成績というものは、与えられたチャンスの活かし方で決する、 素直なものである。 ここが重要だ、 ここをやっておきなさい、 ここが出るぞ。 指導者に色々と語られ、それをどこまで真剣に自分のために活かせるか。 結局はその姿勢の差が、得点となって返って来る。 点を取りたくないのなら、適当に聞き流せばいい。 だが塾に通い、1点でも多く結果を出したいのなら、 どうすべきかは、自明の理だろう。 今日の中2のテスト対策。 社会は、江戸の三大改革から明治維新までが範囲だった。 私が「ここが狙われるぞ」という部分は、 思い付きではなく、試験の型を知った上での言葉。 それをどう受け止め、しっかり押さえるか否かは、君たちの判断だ。 三大改革の業績比較、 修好通商条約が不平等条約と言われる理由、 開国による交易と暮らしの変化、 一揆と打ちこわし、 化政文化の中心人物と特色、 明治新政府の方針とその具体的な政策、 地租改正の内容と資料、 殖産興業と官営模範工場、 文明開化と福沢諭吉。 今回の範囲で、これらをすべて外して問題を作ることは、普通はあり得ない。 ということは、 これらのうち幾つかが試験で試されるということなのだ。 対策で私が、「ここが出るぞ」といくら語っても、 ただ聞き流し、メモすら取らない者が相変わらずいる。 自分で段取りが組め、どこが重要かが分かっているのなら我流でやればいい。 だが蓋を開ければ30点、40点という現実ならば、 目の前の可能性を集めることにもっとエネルギーを託しなさい。 過去問や問題の切り口を数百と見てきた私が、 ここが出ると言っているのだ。 明治新政府の政策で「殖産興業」を語り、 さらに官営模範工場として、「富岡製糸場」を説明した。 板書し、漢字のミスに注意せよと念を押し、 教科書のイラストを見せながら、この資料が出るぞと皆に説明した。 その直後に、「殖産興業」と「富岡製糸場」を答えさせる問題を配った。 巡回し答案を覗いてみると、半数しか書けてない。 皆の作業をやめさせ、姿勢と気合について説く羽目になった。 「お前ら、ふざけるなよ」 一体何をやっている。 出る部分を見極め、学習し、蓄積するのが君らの仕事だろう。 何のために日曜に対策に来ているのだ。 対策ではないのか。 点を取るための方策を貰いに来ているのではないのか。 「地租改正」「福沢諭吉」の漢字に注意せよと、 板書し、力説したにもかかわらず、 なぜその後の確認で間違える。 「地祖改正」「福沢論吉」では点は取れないのだ。 すべて君らの意識の問題だろう。 せっかくここに来て何かを得ようとしているのなら、 確実に知識を蓄え、命がけで修正を重ねなさい。 一の説明でしっかり理解できる者もいる。 試験で何点取れるかなどは、 その事前の準備段階での真剣さと執念の度合いで決まるもの。 苦手だから。 全然分からないし。 今回やばいよ。 だから何だ。 そんな愚痴を言う暇があったら、すべきことの視点を大切にせよ。 点になる知恵を逃していては、納得のゆく結果は転がって来ない。 成績を上げたいのなら、与えられたものをしかと受け止め、 エネルギーに変えていくのだ。 それが出来ないのなら、対策の席に座る意味はない。 時期受験生の中2に対し、 今日はいつになく強い思いを感じた。 なお、中1生は結局誰一人として来なかった。 用意したプリントは破棄し、準備し待機していた講師は残念そうに帰っていった。 君らのために先生は着替え、時間を作り、 君らのために段取りを組んで待っていた。 君らの成績を上げ、君らの笑顔を実現するために。 連絡もない。 そんなものだろうか。 それで納得の得点が取れるのなら、見せてもらおう。 試験結果を見て、君自身の努力の成果が見えない時は、 いつになく深い、厳しい面談をしようと思う。 それがこの教室で色々な人に教わり、学んでいる君の義務だ。 泣くなよ。 君のために、言うべき時は言う。 真剣に語る。 ブログ村で情報検索! ↓
2008.10.19

起床したのが一昨日の朝8時。 昨日は24時間完全に起きて活動していた。 もう41時間以上一睡もしていないのだが、 眠気もなく、思考も一切鈍っていない。 睡眠不足に対する免疫があるのだろうか、 こんなことを年間100回もやっている。 学習と睡眠についての本を読むと、 どれも暗記や理解定着のためには、 睡眠時間の確保が絶対条件のように書かれている。 昨日私は一睡もしていない状態で、 日の出前から対策授業の段取りを組み、教場のセッティングをし、 朝9時から午後3時過ぎまで対策授業で教壇に立ち、 その後夜9時まで英検の立会いを一人でやっていた。 対策授業では計算が伴う単元もあったが、何ら支障なく普通にこなしていた。 慣れであろうか。 個人差であろうか。 こんなことをしたらたちまち体を壊してしまう人も多いだろう。 だが私はこの仕事を始めてから何年もの間、風邪などで休んだことがない。 体調不良や過労で倒れたこともない。 まあ、熱が40度あっても休まない、と言うよりも休めない。 這ってでも行くだろう。 生徒が来れば、教室を開け、迎え入れるのは私しかいない。 体を張ってやっているという自負を、常に持っているつもりだ。 喉が痛い、そんなのはざらだ。 頭が、首が、腰が、胃腸が・・・・。 だから何だと、自分に言い聞かせている。 午前中不調でも、教室に行き、授業をし、生徒の笑顔に接していると、 帰る時には自然と調子を取り戻している。 結局は精神力なのだろう。 不思議である。 寝なければ偉いことになるという訳でもない。 こうして、頭を使いながら健全に暮らしている者もいる。 いいサンプルだろう。 このあと少し寝るが、明日も試験対策。 朝6時半には起きなくてはならない。 そして明日も居残りで、徹夜作業の予定だ。 世の中にはもっとハードな方もいるかと思うが、 自分の体と限界を共存させながら、私は時間の価値をかみ締めている。 「毎日、9時間寝ないと死んじゃう~」 とか言って、自分に甘え、腑抜けになっている生徒を見ると、 マシンガンのように語りたい自分がいる。 成長期の子どもと大人は違うとは言え、 時間管理は自分でいくらでも操作できるのだということは、 ぜひ語っておきたいことだ。 私はこのリズムで年間1000時間を捻り出している。 平穏であることが常識ではない。 常識は自分で編み出せばいい。 他者に負けじと闘うのは自分。 君の意志が貴重な時間を生み出すのだ。 こんなおじさんもいるのだ。 しかも死んではいないぞ。 2年前に卒生からもらった言葉。 「塾長ねろー」が何だか懐かしい。 今でも変わっていない自分に苦笑。 ブログ村で情報検索! ↓
2008.10.19

1 事務的報告 本日と明日は、中学生の中間テスト対策が行われる。 今日18日土曜は中3(午前9時開始)、 明日19日日曜は中2、中1(午前9時半開始)が対象となる。 中3生にとっては内申の決する大切な試験。 中2、中1生にとっても、理解の開きが顕著になる要の試験。 塾に通い、成績を上げることを視野に入れているのなら、 個別相談会のある受験生(特例)を除き、全員必ず出席のこと。 事情があるのなら、遅れて合流するなど、 試験成功への意欲をしっかり見せるように。 また、途中参加や早抜けの場合は、事前に申告すること。 今回はお知らせプリントを配布していないが、 その分、念を押すように、スケジュールの詳細を教室に掲示してきた。 入念に確認し、時刻などの間違いがないように。 2 現実に対する本音 中3生は意識も高まり、みないい感じで参加してくるだろう。 常連の数名を除き、ほぼ全員定時に集まって来ると確信している。 昨日も、教室は何時から開いていますかと何人かに訊かれた。 8時半には開いていると答えたが、実際には私は今まだ教室にいる。 泊まりで準備するので、本当は何時でも可なのだ。 だが、中3生の前向きな姿は、指導する側の機運をも高めてくれる。 どこをどうサポートしようか。 今から入念な計画を立てるところだ。 さあ、課題は日曜の中2生だ。 対策が日曜になるのは久々のことだが、 一体、どれだけのメンバーが集まって来るのか。 生徒たちの意欲と姿勢に、今回はすべてを委ねている。 家庭に通知を配っていないので、サボろうと思えばいくらでもサボれる。 だが、力の差がはっきり出てくる2学期。 ここで真剣になれるかどうかは、そのまま受験のコースを決定しかねない、 大きな意味を持っている。 私は敢えて個別に日時確認は取っていない。 すべて生徒たちの意欲に任せた。 やるか、やらないか。 1点でも多く奪おうと、どこまで自分に賭けているか。 その答えが日曜にはっきりするだろう。 当日、定時に集まったメンバーを、私はしっかり記録するつもりだ。 そして、中1生。 君らは一体何を考えている。 範囲表は最後まで集まらない、来るのかどうかも分からない。 挙句は、提出物が終わらないので来ないつもりだと? 中学生活で成績を築いていく手順が、まだよく分かっていないようだな。 中学生にとって定期試験というものは、一大イベントなのだ。 普段サボっている者も、みなそのために襟を正して向き合う。 君らはその試験を何と心得る。 中1の段階で提出物がどうのこうのなど、 自己の計画のいい加減さを真剣に受け止めなさい。 今からそんなのでどうする。 他のメンバーにも、対策がいつあるのか分かっていない者がいる。 君らのための対策だぞ。 先輩たちはもっと真剣に自分のために闘おうとしていたぞ。 親御さんも日程を知らない。 本人は価値観が分からず、参加意思がない。 以前、君らには全員、対策には出るようにと釘を刺している。 それでも出ないのなら、どんな秘策がある。 さあ、成績が上がるんだろうな。 1点の可能性はどうすればものに出来るか。 また一から説かねばならないか。 もし全員欠席ならば、極めて残念である。 君らのために先生たちもスケジュールを組み、朝から教室に来る。 準備をし、プリントを用意し、指導の段取りを組み、 机に並べて君らを待っている。 いいか、欠席は自由だ。 だが休むのなら、事前に理由を添えて正しく報告に来なさい。 報告なき時は、実施を前提に段取りを組む。 それが中学生のスタイルだ。 塾に通い、勉強している意味を考えなさい。 休むのなら、土曜のうちに連絡をすること。 いいな。 塾・教育のブログ村へはこちら 情報検索にご利用ください ↓
2008.10.18

勉強で学ぶ内容は幅広い。 だから、単元による好き嫌いが出て当然なのだ。 そのことを現実で一番感じているのは、子どもたち本人である。 我々指導する立場の者や、親たちは、 それをどこまでしかと受け止めているだろう。 因数分解が出来ない。 物理分野の理論が把握出来ない。 英文を見てもその構造がさっぱり分からない。 彼らも最初はかじり、それなりに頑張ったのだ。 分からないのである。 まったく興味がないのである。 大人たちは、まずその心理を受け入れ、 そこから最善の接し方と、処方箋を掴ませてあげなくてはならない。 これは奇麗事ではない。 数多くの子どもたちと接し、経緯を見守ってきた、 私の教育の帰結点でもある。 ある簡単な定理を学び、問いを解いていく時、 定理に興味を示す子もいれば、定理すら覚えられない子もいる。 普通ならば、一度で理解し次へ進めるものが、 五回、六回と繰り返し吹き込んでも、理解出来ない。 そういう子もいる。 大人は覚えることを前提に考える。 だが、興味を持てない子どもたちは、壁をつくり、 学びの手順やルールそのものを拒絶していく。 そして、何もせずに諦めることが、一番の安心になっていく。 子どもたちの心を汲み、そこにどんな手が打てるか。 大人が真剣に考えれば考えるほど、陳腐なマニュアルが重宝なものになる。 白け切っている子どもたちに、「こうすればいい」 という言葉は、 結局、「こうしろ、そしていい加減先に進めよ!」 という、 強制の響きを持つようになる。 好きなところから、できる分野から。 こういう導き方をする師もいるが、 それは違う。 絶対に違う。 学びの手順や強弱を子どもに任せても、何も解決はしない。 好きなところをやり、その後人が変わったように夢中に勉強を始めるだろうか。 急に分からない分野に没頭し始めるだろうか。 学びというものは、自身で吸収していくもの。 何を軸に置き、何を大切に膨らましていかなくてはならないか。 それは、大人がこだわり指し示すべきものだ。 嫌いな、出来ない分野も、今ここでクリアすべきことが手順であるならば、 絶対に導く手綱を緩めてはいけない。 心を汲み取るということは、 相手の得手不得手を呑み、楽な方向に導くことではない。 常に成長していく先を見据え、ビートを工夫しながら先導していくことだ。 組み立てを根本からいじるのではなく、 接するあり方を受け手にリンクさせていくことにある。 大人のビートが不変ならば、子どもはついて来ない。 そしてやがて、興味を得ることなく崩壊していくだろう。 力で押さえようとしても、 これが正道だといくら説いても、 子どもたちに、動こうとするための 「価値」 が見えない限り、 歯車のような精密な回転は生まれたりはしない。 そのことを師や親たちはもっと素直に受け入れなければならない。 素直に認めなくてはならない。 その上で、どうすれば回転していくのかを、 五歩も六歩も退いた地点から、じっくりと認めていかなくてはならない。 分数計算の概念が分からない。 歴史の時代感覚が何度やっても身につかない。 英文法が死ぬほど理解出来ない。 子どもたちも最初は理解しようと試みた。 だが、興味を持てずに、今は手の届かないところにある。 これではまずいと思っている者。 「もういいかな・・・」 と、糸を手放そうとしている者。 彼ら子どもたちの心を汲み、明日へ送り出せるのは、 我々大人たちのシグナル。 我々大人が医師ならば、患者である子どもたちの症状をよく聴き、 最善の処方箋を温かく与えてあげたい。 自分がどういう状態なのか、正しく把握し伝えるのは子どもの役目。 我々は独断で病の深部まで手を伸ばしてはいけない。 子の語りや様子をしっかり記録し、 何をどうすればいいのかを、安心できるかたちで持たせてあげればいい。 数百という分野に覆われ、溺れかけている子どもがいる。 必死に立ち上がろうとしている子どもがいる。 歯車のような回転を思い描きながら。 心を掴んであげること。 傷みを分かってあげること。 師も親も、絶対に忘れてはいけない。 ブログ村ランキングに参加しています。 ぜひ役立つ情報を探してみてください。 ↓
2008.10.17

昨日、補習についての記事を書いたら、 早速大勢から申し出を受けた。 新たに希望してきたのは全部で9人。 試験まであと一週間強。 スケジュール的に回すのがギリギリの状態だ。 意思表示をしてきた生徒には力を貸したいと思う。 だが責任指導するには、これ以上受けられない状態になった。 今日、教室の告知も消すつもりだ。 みなの積極的な意欲は買うが、 補習についての私の考えを、一度ここに記しておきたいと思う。 補習は、飽くまでも「補習」。 君が自分で取り組み、その結果として不安が残ったり、 あるいはここだけがどうしてもダメだという部分を、補強するのが目的だ。 今の実力よりさらに上を目指したい。 そういう高い意欲に応えるのが補習の趣旨。 十分に闘わず、未熟な状態で醜態を晒すのなら、 私から与えるものはない。 その意味をしかと感じて、私の前に座りなさい。 努力せずに要領よく結果だけは欲しい。 そういう生徒もいるかと思うが、 範囲の用語さえ覚え切れず、その場で用語の練習をしているようなら、 補習の意味などない。 ここで敢えて言っておくが、 レベルを最初にチェックし、事前の努力の成果が見られない生徒は、 その場で席を外れてもらう。 その覚悟を持って私の前に来なさい。 昨日もある中2生を補習指導したが、やはり基礎がまったく分かっていない。 分からないから補習を申し出るというのは解るが、 達成に向けての気合を事前に投入し、 ここまでやりましたという説明が出来るようにしてから来なさい。 私は得点となる重点ポイントは伝えるが、 君らの実力判定はせんぞ。 何を装備し、どう工夫すれば、君の目指す点に届くのかは、 君が真剣に考えながら、君が自己責任で手を打っていくことだ。 教科書を目の前に差し出され、範囲を言ってみろと言われ、 正確に伝えられないようなら、私の補習を受ける資格がないと思いなさい。 試験一週間前なのだ。 範囲は私が教えるものではない。 これから勝負に出る君が準備すべき、最低限のものだろう。 学ぶのは君なのだ。 全然分からないという台詞も、私の前では禁句だ。 一から十のうち、一体どこが不明なのか、どこを強化すべきなのか、 ギリギリまで分析してから、実力を机に広げに来なさい。 その代わり、真剣にすべきことをこなし、更にやる気を見せる生徒には、 高得点を与えよう。 中3には特に厳しいぞ。 待っている。 ブログ村を覗いてみよう。 役に立つ情報が満載です。 ↓
2008.10.16

テキストがある 君はほとんど開いていない 君は10ページほど眺めただけで、そのままだ 君は半分ほどザーッとやり、挫折した 君は気になるところだけじっくり取り組んだ 君は何となく一冊を終えようとしている 君は不十分ながら、一通り終えることが出来た 君はもう一度見直すべき部分を探し始めた 君はじっくりと確認しながら、二巡目に入った テキストの達成度には個人差がある。 また、使い方にも個人差がある。 大半の子どもたちは、テキストは一回やれば終わりと思っている。 二回、三回と反復していく意味がよく分からないのである。 一回やったから、もう「ものにした」と感じるのだろう。 だがこれはフィニッシュではない。 過程における一つのゴールであり、まだ続きがあるのである。 きのこ狩りに行って、きのこをいっぱい集めてきた。 これが一回目の作業だ。 家に帰り、袋から出し、分類、検証していく。 辿ったルートも調べ、次に活かせるように記録しておく。 これが二回目の作業であり、正しい収穫はそこで生まれる。 障害物競走で例えるならば、 一回やってみて上手くいかなかった障害物を検証するということ。 梯子くぐりで時間をロスしたのなら、 そこに集中し、どう工夫して改善すべきかを考えなくてはならない。 そしてもう一度実際にやってみるのだ。 テキストで学ぶということは、 知識を得て、理解を深め、演習を通じて解法の「慣れ」を身に付けることだ。 大事なのは、それがどこまで達成出来ているのかということ。 未達ならば、まだ続きの作業があるのだ。 テキストを終えるということは、一つの区切りであり、 「さあ、一度見直せよ」 というサインなのである。 書き込み傷んだなら、もう一度購入し、やり直してみればいい。 完成というラインは自分で引けるが、 達成度は試験によって他者が判定する。 君の手元にあるテキストは、どこまで使い込んでいるだろう。 同じテキストが100人に渡されても、 使い方によって、成果は何十倍にも変わってくる。 君の成果はどの程度か。 テキストはぼろぼろか。 手を付けずに隙間だらけではないか。 サインを見逃すなよ。 その一冊に、君は何文字書き込んでいる。 ブログ村を覗いてみよう。 役に立つ情報が満載です。 ↓
2008.10.15

教室の入り口のボードに、 「中間テスト理社SOS補習、希望者は塾長まで」 というメッセージを書いた。 数日前ブログでも伝えたが、今のところ4人から申し出を受けている。 自分で課題を受け止め、前向きに対応したいという彼らの姿勢は評価したい。 分からなければどうしようかと戦術を模索する。 結果を出すためのセオリーだ。 どこを料理すれば点が取れるのだろう。 そういう点に繋がる視点や技術を、どうやったら得ることが出来るのだろう。 真剣に考え申し出てきたのなら、最高の処方箋を与えてあげたい。 対策というものは、ただ頑張ってもだめだ。 得点するための道具を揃え、そいつを使い込む練習を重ねなくてはならない。 その両輪が安定してこそ、高い成果を掴めるのである。 みな、道具は何で、練習メニューは何だということが、 本当に分かっているのだろうか。 頑張ったと言いながら、蓋を開けてみれば30点しか取れない。 そんなヤツはいないか。 手順があるのだぞ。 100%出るものがあるのだぞ。 君はそういうチャンスを拾おうとするのか。 面倒だからと勝手に自己解決し、今回も逃げるのか。 二週間後に成績表に点数を書いてもらう。 隠さずに自慢げに書ける点を、君は確実に取れるか。 取れないのなら、取る自信がないのなら、 今から一週間が君にとっての闘いだ。 しっかり働き、不動の牙城を築きなさい。 自分の笑顔のために、準備を惜しんではいけない。 試験前の精一杯の働き。 課題と向き合い、考え、より高いステージを目指す姿。 それは、学び突き進んでいく君の義務なのだ。 ブログ村を覗いてみよう。 役に立つ情報が満載です。 ↓
2008.10.15

知っているか知らないかで、点が決まる瞬間がある。 試験というものは、○か×かの世界。 どんなに勉強し、たくさん覚えても、 その時間内に答案に書き記すことが出来なければ、 知らないのと同じ評価が待っている。 だが、何をマークし、何を押さえればいいのかと、 効率や要領ばかり追う者は、 結局答案を満足ゆくように埋めることは出来ないものだ。 本番で満足のゆく手応えを残すためには、 人一倍量をこなし、どんな角度にも対応できる、 強い安定性を求めていくしかない。 授業で生徒に問いを投げかけると、その反応は様々だ。 知らないと諦める者、熟考する者、思い付きをどんどん口にする者。 それぞれに学びに対する姿勢が鮮明に表れている。 思い付きで言う者に対し、私は手厳しい。 一つ言っては間違え、「じゃあ」 と次の思い付きを口にする。 お前は答案に答えを幾つ書くのだ。 3つも書いて 「この中のどれか」 などどコメントを添えるのか。 基本的に、試験というものに正解は一つしかない。 普段の学習の中で、 その正解に絞り込む訓練をどこまで出来るかが、とても大切になってくる。 なかなか思い出せなくて、生徒が言う台詞に、 「先生、最初の一文字!・・・」 というのがある。 これも試験では通用しない行為だ。 執念で答えたいという気持ちは買うが、 答案上ではコミュニケーションが取れないのだということを自覚すべきだろう。 問われたことに対し、いかに正確に即答出来るか。 受験生にとっては、それは今後の仕上げ期に意識しておくべき生命線でもある。 いかに知っているかではなく、 いかに○を重ねられるかが問われるのである。 だが一つ心得ておかなければならないことは、 ○を得るためには、まず 「知る」 という行為が必要だということだ。 それも通り一遍の知識ではなく、 枠を飛び出るくらいに幅広く吸収せねばならない。 どんなことも、知って初めて可能性が芽生える。 仲間が1000の知識を持っていたら、 自分は1001の知識を奪い取るのである。 仲間が闇雲にどんどん覚えようとしていたなら、 自分は今の知識を再構築し、安定を図ることを忘れてはいけない。 最後は総合力で決まる。 自分の頭にどんなものが機能化されているかで決まる。 あれこれと、攻めてばかりでは勝てない。 慎重に守ってばかりでも勝てない。 そのために、「攻め」 と 「守り」 のバランスを大切にしたい。 最高の仕上げを意識していたい。 ○のもらえる答案を、どうしたら築けるのか。 技術だけではない底力と作戦が、 日々の訓練の中で、これから大きな意味を持ってくる。 ブログ村を覗いてみよう。 役に立つ情報が満載です。 ↓
2008.10.14
国語の知識分野を強化するために、恰好の教材がある。 学校で使用している 『国語資料集』 である。 大体どの資料集にも、終わりの方に、 「難読漢字」 「同音異字」 「同訓異字」 「四字熟語」 「慣用句」 「ことわざ・故事」 などがリスト化されている。 本文の方まで遡れば、文学史や古典、和歌、漢詩などの解説もある。 しかも詳しい。 これらを使わずに葬ってしまうのは、何とももったいないことだ。 先日も何人かの生徒に、 「四字熟語が載ってるプリントありませんか」 と訊かれた。 定期テストの範囲に入っていたためだ。 迷わず資料集を勧めたが、 彼らは 「そう言えばそんなのがあったなあ」 という感じであった。 恐らく学校でも開くことがないのだろう。 資料集を暗記演習として活用するには、 該当ページを一度コピーし、綴じるといい。 そうすれば書き込みやチェックが自在にでき、また持ち運びにも便利だ。 暗記用ファイルがあるなら、そこに収納してもいい。 こういったジャンルの問題も塾にはあるが、 まず知識を蓄えるために、とにかく覚え、書けるようにしよう。 学校教材というと、受験とは別物と捉えている生徒も多い。 教科書も使い方を工夫すれば、素晴らしい教材になる。 私はよく 「索引」 を活用しなさいと言うが、 さあ、みんなどこまで使い切っているだろうか。 英単語の総ざらい、文法・基本文の確認、理・社用語のチェック、 社会資料確認、履修漢字などは、 いつでも確認出来るリストが載っている。 使い方がうまく呑み込めない者は、一度訊きに来なさい。 そして手持ちの教材類の総点検をしてみるといい。 使えるものは、最大限使ってみることだ。 掘り出しのリストが眠っているかも知れない。
2008.10.13
定期試験で点が取れる者と取れない者がいる。 その差はどこで出るのかと言えば、 事前の準備学習の方向と完成度であろう。 毎回95点ラインを取ってくる者がいれば、 20点、30点が限界の者もいる。 その中間の、50点から60点でいつも安定している者もいるだろう。 みなそれなりに対策を立てているのに、 なぜ成果に開きが出るのだろう。 試験前に当たり、その違いをはっきりさせておきたい。 点を取りたければ、時間を掛け深く学習することだ。 すべき内容は二つ。 一つは知識の暗記定着。 もう一つは、パターン演習による解法訓練である。 この二つがバランスよく高密度で具わってこそ、 安定した結果が手に入る。 好成績の者は、これらの完成のためにいつも時間を掛けている。 逆に点が取れない者は、この二点がことごとく未完成なのである。 知識の暗記定着とは、 「暗記したよ~」 とか、「頑張ったんだから」 などという、 自身を正当化できる次元を指さない。 範囲表に網羅されている出題可能性を、すべて拾い、 即答出来るほど安定した知識として頭に刻むことを指す。 理社であれば用語や定理・法則の知識。 英語であれば語彙や構文、文法の知識。 範囲表に書かれたA~Zまでを、徹底してこだわり、 それらをただ表面上で準えるのではなく、 クイズ・タイムショックのように、 即答出来るレベルにまで自身で反芻していく。 その反復するという行為の深浅が、定着と精度を決めていく。 点が取れない生徒の多くは、その行為を中途半端で終えている。 一度やり、二度やり、覚えた気になって勝手な合格ラインを引いている。 完成というものは、手の届かない所にあるから「完成」なのだ。 100点ラインを死守しようという者は、 十分出来ているものにさえ、十度、二十度の負荷を試みている。 二度で不安な状態と、二十度で確信出来る状態。 試験問題を前にしてどちらに軍配が挙がるかは、容易に判断がつくだろう。 やり尽くしてからラインを引くか、 勝手に逃げるようにラインを引くか。 結局はその差が点になって出てくる。 解法訓練にしても同じである。 知識が安定していなければ解けない上、 パターンの理解も当然非効率だ。 仮にやるにしても、10問と100問とでは意味が違う。 10問ではただ法則を学び、解く方策をかじっただけだ。 20問、30問とこなすことで、設問のベクトルが見えてくる。 100問こなすということは、そこにさらに即解の技を装備し、 どんな問いにも対応出来るという免疫や自信を付加していくこと。 普段30点の者に次の目標点を訊くと、 40点前後の答えが返ってくる。 100点取ろうとは思わないのか。 100点など絶対に取れない別次元の得点と、勝手にラインを引いてはいないか。 確かに100点は至難の業だが、 それに近い得点は、本人の工夫でいくらでも取れる。 暗記定着をどこまで追求していたか、 解法訓練にどれだけ時間を掛け、何問解いてきたか。 過去の自分を振り返り、 楔を打て。 暗記は量を押さえると自分の自信になっていく。 何往復も繰り返し、 辛くて涙が出るくらい、定着訓練をしてみなさい。 いつも90点を取る者たちは、決して頭がいいわけではない。 90点を取るための工夫をし、懸命に努力しているのである。 何度も涙し、汗をかき、 自分の可能性を大事にしているのである。 君はどれだけやっている。 完璧と誇れる装備を、どれだけ私に語れる。 なあ、言ってみろよ。 俺は、私は、こいつだけは他には負けないと。 攻め込むことを忘れ、自分に負けていないか。 点を取りに行くのは、君だ。 試験はすぐ来るぞ。 今日も、明日も、 時は止まらない。
2008.10.12
授業ノートは、綺麗に書く必要はない。 これは私の持論で、生徒たちにも機を見て伝えている。 ノートというものは情報が集約されたものであればいい。 書く目的は知り理解することにあり、 そのツール作成の過程として、ノートに記すという行為がある。 板書を丁寧に書き写し、色を使い分けカラー版にしている者がいる。 非常に見栄えがよく、丁寧に学習しているように見えるが、 ノートを使いこなすという機能を考えれば、 非常に効率の悪い無駄な作業である。 ケースに溢れるほどの何色ものペンを忍ばせ、 文字は一画ずつ綺麗に書き、 ラインは丁寧に定規で引き、 カラーペンで書き損じては、修正液で消している。 その間に先生は次の説明や指示をしている。 生徒たちの様子を見て待ってくれる先生もいるだろうが、 対策などの限られた時間の枠では、情報はどんどん流れていく。 書くという目的は何なのだろう。 ノートの目的は、得た情報を的確に控え、残していくことにある。 10のポイントを丁寧に記したものよりも、 たとえ乱雑であっても、 20のポイントをメリハリを付けて記したものの方が、価値は高い。 だから常に筆記のタイミングやスピードを意識し、 正面を向いていなければならない。 俯き書いている時間を、極力短くするということだ。 よく、「ノートは後で自分が見て分かるように丁寧にまとめよ」と言われるが、 これは小学生に対する考え方であろう。 中学生になり、情報量も難解な部分も圧倒的に増えてくれば、 それに準ずる工夫も必要だ。 そこを正しく踏まえて立ち向かわないと、 綺麗で見栄えはよいが、常に中途半端な内容のノートが残っていくことになる。 私は、授業ノートは 「メモ」 的な機能で十分だと思っている。 ポイントを押さえ、師の言葉の強弱に注意し、 重点を簡潔に控えていく。 だが、その行為もよくよく考えて見れば、必要条件ではない。 基本は自分の頭なのだ。 すべて頭に入り復元出来るのなら、そもそもノートなどいらない。 それが出来ない故の補助的な道具として、ノートがあるのである。 頭の引き出しに収めきれない情報や、その強弱を、 文字を使って再確認出来る状態にしておく。 ノートの機能は本来そこにある。 理想は、メモ書きしたものを、後にまとめ直すことだが、 なかなか計画的に出来るものではない。 ならば授業ノートを再度開き、チェックし、加筆していけばいい。 不明な点が出てきたなら、師に再確認しどんどん補足の文字を書き込んでいけばいい。 色分けなど、その時にすればいいことだ。 再度言うが、 ノートは授業中に丁寧にとることはない。 その場で 「保存版」 を作ろうと思ってはいけない。 板書と言葉から重点を逃さずに捉え、 それをしっかり記録することに集中していればいい。 多少乱雑で、メモ状態になっていても構わない。 ポイントがどこまで網羅され、 何が重要で、何が発展内容で、互いの関係性はどうなのか。 再度目にして、そういったことがスーッと入ってくる書き留め方を意識していたい。 ノートは一度書いたら終わりではない。 何度も書き加えながら、 自学習の中で、理解しやすいように加工していけばいいのである。 成績は、重点がどう理解されているかで大きく変わる。 ノートの筆記は、そのための手段に過ぎない。 美的な作品である必要はないのだ。 保存版は手元ではなく、頭に収めていくもの。 何度もひも解き、手を加え、頭に刻んでいくもの。 決して書くことで終わりではない。 ノートに色を付けるのなら、 頭に情報としての色を注ぎ込んでみなさい。 そういう視点が大切なのだ。
2008.10.12
戦場で敵が攻めてきたら、 さあどいつを倒そうかなどとは考えたりしない。 ただ、目の前にいる敵を斬る。 そして一歩進み、構える。 戦では当然の風景だが、学びとなると、それが出来ない。 知らない手強いものが攻めてきたら、 君は、さあどいつから取り掛かろうかと考える。 目の前にある物も、端の方にある物も、 みな同じ敵として総括しようと試みる。 全部やらねばと、大きく構えようとする。 だからダメなのだ。 だから、一つもろくに倒せないのだ。 目の前にある物は何なのだ。 見えるだろう。 そいつを一気に攻略してみなさい。 英語も数学も社会も、すべて強烈ならば、 君には一掃出来るもの凄い力があるのか。 そんな力がないのなら、目の前のすべき課題に立ち向かえばいい。 迷わず、立ち向かえばいい。 勉強しなければ。 だが、何から始めればいいかが分からない。 君が漏らす悩みは、ただの甘えだ。 勉強というステージでは、迷うための理性はいらない。 こいつを倒し、ものにして、次の課題を見据えていく。 そういう本能のような行為が、視野を決定づけていくのである。 考える前に、向き合ってみればいい。 泥臭く、ひたすら攻めていけばいい。 全体がどうのなどというのは、 一つ一つの達成によって組み換えられていくものだ。 だからこそ、今君が見つめる目の前の敵に、敬意を払い、 最高の戦いを挑むのである。 攻め込まれ、すべきことの洪水に閉口しているのなら、 考える蓄積よりも、具体的な作業の蓄積を優位に定めよう。 作戦や計画というものは、 実際に凌ぎあっている部分が生きていてこそ、意味を成す。 単語100と、理科用語と、数学演習と、国語語彙暗記が進入してきた。 自身のテリトリーが一気に侵される。 ならば君は、照準を定めた一点に徹して、そいつを迎撃していればいい。 単語100がターゲットならば、 それを100%叩くことに徹していればいい。 何をどうするか、どういう手順で全体に対応すればいいのかなどは、 上級の戦術。 君がすべきことは、 一つ一つに対してどこまで四つ相撲が取れるかということなのだ。 課題が100あろうが1000あろうが、 向き合うのは常に一つ。 すべての基本に通ずる大切なことだ。 君は机に向かう時、そんな意識を感じたことがあるか。 ペンを持ち、向き合っているものがあるならば、 すべき課題が目の前にあるならば、 まずそいつを潰してみよう。 全力で戦ってみよう。 全体のバランスなどというものは、 後からついて来る検証。 君が一つ潰したことで、その配分は大きく変わるのである。
2008.10.11
明日は夕方から、中3受験生の合同保護者会がある。 参加の申し込み受け付けは今日までなのだが、 先ほど名簿をチェックしたところ、12名の親御さんから申し込みがないようだ。 仕事などで忙しいのだろうか。 受験追い込み期に入り、今後のスケジュールや手順、学習法など、 進路に絡む大切な話を計画しているだけに、 伝える機会が得られないことは心配でもある。 後日、資料はお渡しするが、もし「出席票」の提出をお忘れなら、 特別に明日の正午まで受付を延ばすので、連絡していただきたい。 なお、進路の個別相談も随時受け付けている。 希望される方は、予約制になるので、お気軽に連絡を。 ということで、明日は生徒の自習は夕方5時までとなる。 今日も3限で終わった中学があり、昼からずっと自習している生徒がいた。 連日、みなの気合は凄まじい。 日々どれだけ貴重な時間の密度を上げていくかが、 これからの力の開きを物語っていく。 みな、頑張れよ。 三連休、自慢できる凄い計画は立てたか。 あまり足を運ばない者も、ぜひ明日はここに来い。 明日は差し入れデーだ。
2008.10.10
学習というものは、塗り絵である。 苦労し、時間を掛け、何度も何度も塗り込んでいく、 君だけの塗り絵である。 薄く色をつけ、それが擦れて消えそうになったなら、 また重ねて塗り込んでいく。 不安な部分を埋めるように。 自分の傷をいたわるように。 丁寧に、一途に、手探りしながら、 君の求める「かたち」を、「完成」を探しにいく。 方法は問わない。 どう塗っていくか、その順番も問わない。 だが二つだけ、意識すべきものがある。 一つは時間が限られているということ。 そしてもう一つは、 完成した塗り絵は、「作品」として評価されるということだ。 時間は無尽蔵にはない。 ある時までに、君は自分の妥協点を求めなくてはならない。 何度重ねて塗れたのだろう。 風化しない確かな色を、どこまで出し切れたのだろう。 決められた時間の中で、君の塗り絵は必ず出品されていく。 そして他者の手で、その強さと精度が判定されていく。 学習で得たものを、どれだけ残せるのだろう。 クレパスのようなものを手に、 君は自分の求める「かたち」を探しにいく。 描いたデッサンがあるのなら、それを丁寧に準えればいい。 白いキャンバスならば、まず完成の構図をイメージすればいい。 だが塗り絵は、君が君の手で重ねなくてはならない。 一つ学んでは描き、 また一つ知っては描いていく。 苦労し、時間を掛け、何度も何度も塗り込んでいく、 君だけの塗り絵なのである。 無限の学習の中には、曖昧なものが幾つもあるだろう。 君はそれを埋めていく作業を惜しんではいけない。 クレパスを紙面に向けることで、君の過去は未来に変わっていく。 どんなに有意な智慧も、どんなに素敵な発見も、 作品に還元し、エネルギーに変えていくには、 君の描こうとする行為と汗が必要なのだ。 10000本の薄い線描で、かたちが見えてくるのなら、 1本目を、 2本目を、 3本目を、 4本目を、 5本目を、 6本目を・・・ それぞれ真剣に見詰めていなくてはならない。 こだわっていなくてはならない。 1回にたった1本の線であっても、 回数を重ねれば、一定のかたちになっていく。 やがて、強さを持ってくる。 完成はすべての力の集合体。 薄く消えそうならば、また重ねて塗っていく。 何度も、何度も。 反復し、確認するように。 学習には決められたかたちなどなく、終わりもない。 手元に記録を残すために頼れるのは、自分しかいない。 学びによって得た智慧の安定は、 君が、君のこだわりで定めていくのだ。 限られた時間の中で、 どこまで描き、塗り込めるのか。 君の視点は、クレパスの尖端に向いているか。 重ね塗りは、何本目か。
2008.10.10

「ウリ坊」が行方不明だ。 昨日教室を改装している時に、居ないことに気づいた。 今までにも何度も迷子になったが、 その都度色々な所から保護されてきた。 棚の奥から。机の中から。 木の枝にぶら下がっている時もあった。 だが今回は、教室を隅々まで捜索したが、発見出来ない。 本当に行方不明の状態なのだ。 この子である。 「ウリ坊」は、わが塾の開校初日から、 教室のシンボルとして、皆に可愛がってもらって来た。 私が亥年であり、また我が息子の受験の守り神として家庭に居たこともあり、 開業と同時に皆の集まるここに引っ越してきた。 延べ300を超える人たちに触れられ、 塾生の支えとなり、そして彼らの頑張りを常に見守ってきた。 多くの生徒に欲しいと言われ、 数年前は名前も募集したことがある。 一体何処で迷子になったのか。 知っている人は、教えて欲しい。 教室の魂であり、また皆の守り神でもある彼を、 無言でいいから返して欲しい。 いつも欲しいと言っていたガオちゃん、御免な。 どうも迷子になっちゃったみたいだ。 ベランダにも、トイレにも、ホールにも、郵便受けにもいない。 建物の周辺も探してみたけど、いなかった。 でも、もう一度探してみるよ。 帰って来るといいな。 机よりも、電話よりも古くからいた「ウリ坊」。 何年もの間、手にしてきたみんなの笑顔が、 迷子で消えたいつもの定位置に残っている。 元気に帰って来て欲しい。 沢山の仲間たちが、卒生たちが心配している。
2008.10.09

トライアルの再追試を受けなかった者に与えた課題。 それぞれが期限に合わせるように提出してきた。 一日二日で出来る量ではない。 各自がその意義を受け止め、取り組んだ結晶であり、 今後に繋がる価値のあるものとして評価したい。 みなよく頑張った。 生徒に渡す前はこんな状態だった。 それが、回収された時にはこんな状態に。 手垢と汗にまみれた課題。 皆の努力と頑張った様子が、 一つ一つの傷みに染み込んでいる。 意味のある、素敵な光景だ。 残念なのは、未提出が中3生に二人いること。 彼らにはしっかりと対応したい。 そして告げたい。 この傷みが何を意味するのかを。 仲間はみな、しっかり手渡しに来たぞということを。 この教室に籍を置く以上、 それは伝えなくてはならない。
2008.10.08
80点で「成功した」と思う生徒がいれば、 「まあまあかな」と思う生徒もいる。 「超うれしい」と体で表す生徒がいれば、 「あーっ・・・・」と落胆する生徒もいる。 同じ得点を手にしても、 納得出来るか出来ないかは、生徒本人の定めるラインによって決まる。 70点に目標を定めていた生徒には、80点は成功であろう。 だが、90点に目標を定めていた生徒には、80点は失敗なのである。 我々のように指導に係わる者や、親御さんたちにとっては、 こういう対目標のリアクションは日常茶飯なことだ。 よく見る故に軽視しがちだが、 これは成績の伸長に大きな意味を持っている。 試験を受け、結果が出て、それを本人がどう受け止めているか。 それを周囲が如何に捉え、どのようにフォローしていくかということが、 次へのステップを決定付けていく。 誉めることで伸びていく子どももいる。 これでもかと厳しく責め立てることで、大きく伸びていく子どももいる。 我々はそこを見抜き、常に個に対応した意識と言動を忘れてはいけない。 50点に対するリアクションは、親は同じであっても、 子どもにとってはその都度違う。 頑張って取った50点なのか。 平均点は何点で、順位はどうなのか。 本人は納得しているのか、後悔しているのか。 本人にとって誇れる得点なのか、改善を要す得点なのか。 こういったことを正しく見抜き、 子どもの心理に沿うように接してあげることが、 その後の行為の位置づけを安定させる、力になるのである。 本人は懸命に頑張ったのに、親のラインには届かず否定された。 本人も失敗したと感じているのに、親の配慮で肯定された。 次に繋がるのはどちらか。 大人なら分かるであろう。 子どもたちが試験の結果を受け、そこで示す様々なリアクションは、 得点を超えた品評会のような響きがある。 子どもがどう思うかまでが、その試験のストーリーなのだ。 だからこそ、子どもが感じている思いを吸い上げ、 意義のある言葉と指針を示してあげることが大切なのだ。 子どもの感想こそが、試験意義や目的を決定付ける結論なのである。 80点で「成功した」と思う生徒がいれば、 「まあまあかな」と思う生徒もいる。 「超うれしい」と体で表す生徒がいれば、 「あーっ・・・・」と落胆する生徒もいる。 我々塾人も親御さんも、 その最初のリアクションの目撃者ではない。 だが、想像し、その時の高揚感を感じてあげるべきだと思う。 ニンマリしたのか、俯いたのか。 本人の引いたラインを超えたかどうかで変わる、熱い駆け引き。 我々には見せないドラマが、得点の奥にはあるのである。 そういった機微を汲み取り、互いに波長をシンクロさせながら、 次のステージの切符を与えていくこと。 ただ示された得点よりむしろ、 大切なことだろうと思う。
2008.10.07
忙しくてなかなかPCに向かえない。 家の方は壊れているので、ゆっくり深夜に更新することも出来ない。 弱ったもんだ。 一部中学では中間テストが終わった学年がある。 北辰(3年生)も昨日行われ、段々と試験の嵐に踏み込みつつある。 結果について、上がった下がったと会話が交わされるが、 予想採点であるならば、あまり深く考えずに軽く記録しておこう。 答案が返され、平均や順位を知らされた段階で、 よく分析し、失点を確実に自分の力にしていけばいい。 だが今年の受験生は頼もしい。 一つが終了すると、視点をすぐ次に移せる生徒が何人もいる。 これは結構大切なことだ。 失敗を悔やみ、いつまでも引きずってはいけない。 成功に慢心し、油断してもいけない。 戦いはその時その時の状態で決まるもの。 だからこそ、視点の置き方は大切なのである。 さあ、中間、期末、検定、模試と、 立て続けに攻めて来るぞ。 準備は万全か。 君の視線は揺るぎなく、次のターゲットを見据えているか。
2008.10.06

教室のルールとして、履物の整頓というものがある。 履いてきた靴は正しく下駄箱に入れ、 帰るときは使ったスリッパを、ちゃんと元に戻すというものだ。 生徒数が増えると、これが中々統一出来なくなる。 全学年守られていないというわけではない。 守らないのは特定の学年であり、しかもある期間に集中して現れる。 具体的に言えば、毎年、中2から中3の初期だ。 主に男子に多いが、彼らはいくら注意しても直そうとしない。 帰った後のスリッパの散乱は、ひどいものである。 中2に至っては、女子も一部マナーが守られていない。 昨日は比較的中2が多かったのだが、 生徒たちの帰り際に、ある生徒と立ち話をしながら観察していると、 何とも情けない光景を目にしてしまった。 下駄箱の前に立つや、 片足ずつ足でスリッパを放り投げていた生徒がいたのである。 下駄箱の下の段に適当に放り込まれたスリッパは、 ごちゃごちゃになり、山積みになっていた。 中2の女子である。 一緒に話していた仲間も、適当に脱ぎ捨て、仕舞おうともしない。 まったく手を使わず、脱ぎさらして帰っていった。 他にも同様に散らかし放題の常連がいる。 一人がやると連鎖的に次々と悪態をさらす。 「正し片付けよう」と張り紙をしていても、 その前で、それを見ながら堂々とやる。 こんな光景だ。 カッコいいとでも思っているのかね。 情けないぞ、中学生。 君らはここに教わりに来ているのではないのか。 皆が共同で使うものは、協力し正しく丁寧に管理する。 それがカッコいい大人というものだ。 君らが使ったものは、また次に誰かが使う。 こんな状態で使いやすいかよ。 ルーズな行為に美しさはない。 よく最後まで自習している生徒が帰るときに、 一足ずつ丁寧に整頓してくれることがある。 小学生が直してくれたこともあった。 こんな簡単な自分の後始末も出来ずに、情けないとは思わんか。 正しく整頓し、最後まで礼を尽くすのは、 学びに来たという自分を確認するために大切なことなのだ。 こんな行為をすることで、 今日の学習が台無しになってしまうということを自覚しなさい。 君らは学校でもそうなのか。 病院でも家でも、好き勝手に散らかしているのか。 女子だから、男子だからということではない。 君らは他所において礼儀を学び、 共同で社会生活を学んでいく年齢なのである。 親御さんは知らないのだろう。 親が言っても聞かないとはいえ、 共同の場での礼やマナーは、親からの躾けと教育なしではどうにもならない。 中2の男女、中3の男子は特に、 一度、ご家庭で確認を願いたい。 挨拶から始まり、教わるということに尊さを感じ、 きちんと礼儀正しく帰っていく。 理想とは言え、それに近い生徒もいる。 だが一方で、こういう状況が毎回起きているのも事実。 毎日直しながら、どうしたものかと考えている。 塾の学びは、机に向かう時だけではない。 玄関から入り出て行くまでの一連の所作に、 自分でどんな心を保持し、弁えていられるか。 そんな精神的な、言わば姿勢の軸のようなものに、 正しい、そして成果の出る、 学びへのヒントがあるのだろうと思っている。
2008.10.04
今日は、明日の北辰に向けた対策を実施する。 前回9月の北辰では自己ベストが多数出た。 特訓を越えてきた夏の頑張りが、成果を生んだ。 私の指導する理科・社会でも、自己最高を出した生徒がかなりいた。 偏差値65以上。 理科8名。 社会7名。 社会は偏差値75の満点が3名いた。 指示したポイントをしっかり押さえた成果だ。 今回はその結果を前提にして、各自が凌ぎ合いを行う。 いつにない、ハイレベルな闘いだ。 理、社はもちろん私が指導するが、 こうすれば点が取れるというノウハウを、 時間の許す限り、最大限生徒たちに吹き込むつもりである。 生徒の気合もピークに達している。 今日は高校の個別相談や、見学会が多いが、 終了後ここに駆けつけ、対策の補習を受けたいという申し出が何人もあった。 皆がそれだけ真剣に自分を研こうとしているのなら、 私もとことん付き合おう。 数日前にコピーの記事を書いたが、 北辰の過去問は入れ替わりコピーされ、もうボロボロだ。 そこまで使い込み、結果を出さないわけにはいかない。 全員、さらなる成果を記録できるように、 今日は仕上げとして、最高の集中と真剣な表情を見せて欲しい。 私は今教室にいる。 皆はもうまどろんでいるころだろうが、 私は気合で君らに負けるわけにはいかない。 何年もここで教室を開け、生徒を迎え入れ、 試験や受験に送り出してきた、経験と記録がここにはある。 何をしたらいいか。 何をしてあげるべきか。 私は寝ずに、君らのために用意しようと思う。 共に闘い、素敵なかたちが残せたら、 私も嬉しい。 偏差値67以上。 前回は、 理科4名。 社会6名。 今回は合計で15名をクリアする。 そのための執念を、結実させよう。 朝8時から入室を許す。 気合を見せた一番には、プレゼントを用意している。
2008.10.04
復活します。 1日ブランクを空けてしまいましたが、 後ほどから再開する予定です。 何だか一人相撲をしてしまいましたね。 受験生も追い込みに差し掛かり、伝えるべきことは沢山あります。 そして多くの塾生とそのご家庭のために、 時間を捻出して意味のある更新をしたいと思います。 やはり、毎日メッセージを残さないと、 何か落ち着かない。 今はそんな気持ちです。
2008.10.03
種々の事情が重なり、 また、考えたい(いや、考えなければならない)こともあり、 しばらく更新が途絶えそうです。 日々ご訪問いただいている方々には大変申し訳なく思いますが、 書ける状況になりしだい復活したいと思います。 状況により、不定期更新があるかも知れませんが、 よろしくお願いいたします。
2008.10.01
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