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伊藤俊也監督の作品で記憶にのこるもののひとつに、水上勉の原作を映画化した「白蛇抄」があります。それまで「私の城下町」などで、清純派の印象がのこる小柳ルミ子がこの映画で愛に翻弄される女の役を演じて、イメージチェンジを果たすことになった映画です。先頃の日記で、タレントの実像とつくられたイメージによる虚像の差について書きましたが、彼女も見事に清純派から恋多き女への変身をとげたわけです。でも、実際の本人はまた別にさまざまな顔をもっていることでしょう。資料から、その「白蛇抄」のあらすじを紹介しましょう。小柳ルミ子演じる、石立うたは結婚して京都に住んでいましたが、火事にあい夫を失います。絶望して、福井にある若狭の心中滝に身を投じますが、華蔵寺の住職・懐海(宮口精二)に助けられます。そこでの世話を受けるまま、後妻として寺に住みつきました。懐海にはひとり息子昌夫(杉本哲太)がおり、彼は出家ずみの身で、高校を卒業すると本山に行くことになっていました。ある日、華蔵寺にうたの遠い親戚にあたるという、十五歳の少女鵜藤まつの(仙道敦子)が引きとられてきました。この寺での初めての夜、まつのは異様なの呻き声を耳にします。その声は隠寮から聞こえてきました。そこには夜ごとうたの体に執着する懐海がいました。そして、それを覗き見する昌夫。彼はうたに惹かれています。そしてもうひとり、うたが身を投げ救助された時に立ち会った村井警部補(夏木勲)も以来、彼女に魅せられていました。投身の時、うたが抱いていた石骨の中味に疑問を抱いた村井は、石骨をもちだそうとし、それを取り戻そうとするうたに力づくで情交を迫ります。その石骨はうたの死んだ赤ん坊でした。そこにかけつけた昌夫は、村井の後頭部に石を投げつけ、うたと逃げます。雨に打たれ、山小屋へ駆け込んだ二人はいつしか抱き合っていました。その日から昌夫は大胆になり、うたも日ごとに昌夫の体に溺れてゆきます。そうしたある日、懐海はうたと昌夫が密会している場所に、動ける筈もない体を引きずっていって殺されてしまいます。そして昌夫は本山に修業に出ました。懐海の死に不信を抱いた村井は、まつのに死んだときの様子を問いただし、うたと昌夫が愛し合っていることを知ります。うたは昌夫に会うべく京都に向むかいますが、昌夫もまたうたに会いたくて寺を飛び出していました。若狭に戻り、心中滝に立つうたの背後に村井が近づき、うたが懐海を殺したのではないかと詰め寄ります。口論となるうち、村井は誤って足を滑らせて滝壷へ落ちてしまいます。一方、華蔵寺に着いた昌夫にまつのは愛を告白します。それを振り切って外に飛びだした昌夫の前にはうたの姿が―。本堂に走ったうたを昌夫は追いますが、うたは「来たらあかん」と、そこにあった斧を持ちながら叫びます。その斧を奪った昌夫が激昂してふりかざした下に、うたは微笑みながら身体を入れ、血飛沫が舞います。そして昌夫も自殺し、心中を眼にしたまつのは本堂に火をつけ、寺は炎につつまれます。という、なんともやるせない粗筋ですが、初老、中年、青年の男たちと、少女、既婚の女の性と愛の姿をみごとに表現している作品として観ました。ビデオにもなったおり、たしか当地の図書館のライブラリーにも所蔵されていたと思います。 憲法改正に賛成します?! 今日の秀さんのページで「憲法改正」についての提言があります。これは、僕の現在の思っていることと全く同じ考えかたです。皆さんもぜひ読んでみてください。 「自民党に投票した人に」ついて 先の選挙で自民党に投票した人にという書き込みをしました。小泉首相が、選挙後に「自衛隊のイラク派兵について選挙で信認を得た」と発言したことについて、僕なりのアンチテーゼとして書いたものです。親しい友人のなかにも、幾人か自分は自民党に投票したと言う人がいました。投票した理由として、投票はしたが今までの習慣のようなものだったり、党というより個人的な人柄だけで判断して入れた、と言う意見が多かったのです。自民党員でも、こんど復活当選した加藤紘一氏のようにイラク問題には高い見識で発言している人もいますし、野党だからといって実際の本音がどこにあるのかわからない人もいます。僕の発言の本旨は、いちがいに投票者を責めるものではなく、信認を受けた方々に向けたものです。自民党への支持は「古い自民党をブッ潰す」とまで言って構造改革を掲げてきた小泉首相に、もう一度投票するから口だけで投げ出すんではないよ、という自民党支持者の支持であって、自衛隊のイラク派遣を支持してのものであったのかどうかは疑わしいと僕は思っているからです。もし、国民の支持をうけて派兵するという筋を通すのであれば、これに絞った国民投票をするべきです。コスト的には総選挙と併せてやれば良かったけれど、抽出方式でも可能でしょう。それで、「派兵賛成」が1票でも多かったら、国民も納得して認めるでしょう。
2003.11.30
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伊藤俊也監督の映画を観たことがありますか昔の映画では、梶芽衣子主演の「さそり」シリーズ、「誘拐報道」「花いちもんめ」など、近年では問題作となった「プライト」があります。テレビでは「美空ひばり物語」など記憶に残っていますね。「プライト」は東条英機と東京裁判の真実を扱った映画でしたが、東条の人柄を美化していると左翼側からの総攻撃を受け、上映を拒否する映画館まででましたが、僕には右翼美化とは受け取れませんでした。ものごとや人には、かならず多面的なものをもっています。最近の著書『偽日本国』では、戦後の日本政治の矛盾や歩みを鋭く批判しています。仕事にはとても厳しい人と聞きますが、ご本人はいたって穏やかで偉ぶらない親しみのある人です。僕とはひょんなことからおつきあいさせて貰っています。その伊藤俊也監督が永年の映画文化への貢献が認められて、紫綬褒章を受賞しました。それを祝う会にカミさんと招かれたのですが、そうそうたる俳優さんたち(十朱・松方・山城・梅宮・丹波・市原・小柳・奥田etc.etc…)と同席はちょっと気がひけます。さて、どうしたものか…。 夕べは「朝まで生テレビ」を観てしまいました。その主旨は、日本国内でも自衛隊の年内のイラク派遣を改めて問い直す声があがり始めています。総選挙後はじめて召集された臨時国会でも特別な審議が行われることもなく、小泉首相は「状況を観て」という答弁を繰り返すばかりで、国民に対する説明責任を疎かにしています。では、どのような状況になれば、自衛隊を派遣するべきなのか?そもそも、自衛隊は派遣すべきなのかどうなのか?派遣しないという選択はありえるのか?犠牲を覚悟で自衛隊をイラクに派遣する、そして、国民をあえてテロの危険にさらす、そこまでして守るべき「国益」とは一体何なのか?そして、「9・11」以降一貫して問われてきた、「日米関係」のあるべき姿とは?というものでした。討論参加者は、下記に記しておきます。ところが、今朝の新聞によると、「政府内では来年2月に派遣を決定」とし、「陸上自衛隊部隊を来年2月上旬から四波に分けイラク南部のサマワ周辺に順次派遣し、3月下旬までに陸自隊員を投入する。航空自衛隊のC130輸送機は1月中旬にクウェートに送り、イラク国内との輸送業務に着手する。政府は来月中旬までに「基本計画」を閣議決定する。」という強引さです。討論では、まず日頃は「日本は軍隊を持つべきだ」を持論にしている、まんが家の小林よしのりが「きょうは左翼の末席に座らせてもらって話をします。」と切り出し、笑いを誘っていましたが眼は本気でした。彼は、このイラク戦争に関しては一貫して正論を述べているという印象を受けています。右側保守を認ずる彼にしてもこの派兵には危機感をもっているのです。そのように、自衛隊派遣に反対する人の多いなかで、武見敬三(自民党・参議院議員)、森本敏(拓殖大学教授)、村田晃嗣(同志社大学助教授)の三名が賛成の立場で討論が展開されてゆきました。賛成意見については、「日米関係重視」という、予想される範囲を大きくでるものではなく、無理に正当化している印象しか受けません。せめて、少しでも納得できるものがあるかとの思いもあったのですが…。それだけ、イラク戦争の大儀については誰もが破綻していると認めているわけです。この社会は、いろいろな人がいて発言の自由も認められているわけですから、どのような意見があっても不思議ではありません。しかし、こと人の生命にかかわるものである以上、どのような意見でも発言には責任がともなうべきでしょう。自衛隊員のいのちはもちろん、小集団の敵による国内に向けての戦争行為(あるいはテロと呼ばれるかもしれませんが)により、民間人に死傷者がでた場合の責任をどのように負うつもりなんでしょう。敵の敵になる以上、彼らに日本を敵国と認識されてもしかたがないということになります。犠牲者がでたら、金でかたをつけるのでしょうか。仮にそうだとしたら、税金ではなく責任有る方々の懐から出してもらいたいものです。石破長官は調査団の報告を受けて、予想したとおり「イラク南部は相当に安定」と言っています。その報告を信頼するのであれば、ぜひご本人が現地にでかけ陣頭指揮をとるべきでしょう。派遣責任者として、小泉首相にも行ってもらいたい。こんな国民をなめ腐った政府を、われわれは頭に頂かなければならないのでしょうか。「朝ナマ」の出演者司会: 田原総一朗 進行: 渡辺宜嗣 長野智子 パネリスト: 姜尚中(東京大学教授) 穀田恵二(日本共産党・衆議院議員) 小林よしのり(漫画家) 小宮山洋子(民主党・衆議院議員) 小森陽一(文芸評論家、東大大学院教授) 田岡俊次(朝日新聞「AERA」シニアスタッフライター) 高橋和夫(放送大学助教授) 武見敬三(自民党・参議院議員) 宮崎哲弥(評論家) 村田晃嗣(同志社大学助教授) 森本敏(拓殖大学教授) 潮匡人(聖学院大学講師、元自衛官) 参考資料安倍幹事長、イラクに「陸自は必ず行く」 安倍晋三幹事長は28日、東京都内で講演し、イラクへの自衛隊派遣について、「我々が自衛隊を派遣しないということはあり得ないと、はっきり申しあげておく」と述べた。さらに「対米協力のためではない。国際社会における我々の責任、エネルギー資源を頼っている地域の安定というわが国の国益も含めて、大義名分があると思う」と意義を強調した。 石破長官「イラク南部は相当に安定」 調査団報告受けて防衛庁長官は、イラクから帰国した自衛隊の専門調査団の報告を受け、「イラク南部の治安状況は相当に安定しているという印象を受けた」と語った。さらに「医療、浄水、給水についてのニーズも再確認した」と述べ、派遣候補地であるサマワへの陸上自衛隊の派遣は可能との考えを示した。 「派兵には反対」自民・加藤紘一氏がTVで小泉政権批判 加藤紘一元幹事長は27日の朝日ニュースターの番組で、自衛隊のイラク派遣について「派兵には反対だ。イラク戦争は大量破壊兵器(WMD)があるからというのが大義名分だった。それで日本も米国に同調したが、WMDはなかった。大義はなくなった」と述べた。 さらに、「米国内でもイラクから軍事的に手を引けとの意見が半分ほど出ている。米国(との関係)を大切にすることと、ブッシュ政権の政策を支持することは違う」とも語り、対米支援に傾く小泉政権の姿勢を批判した。
2003.11.29
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幾千の種子の眠りを覚まされて 発芽してゆくわれの肉体 俵万智「独身の俵万智さんが出産へ」というニュースが報じられています。歌集『サラダ記念日』で、短歌を一気に若者の文芸にしてしまった俵万智さんの功績はいまさら言うべくもありません。おめでたということで、慶賀に堪えないということですが、相手が誰だか気にならないといったら嘘になりますねぇ。 焼肉とグラタンが好きという少女よ 私はあなたのお父さんが好きというから、この焼き肉好きの少女のお父さんなのかな。先日の僕の日記の中でも書いたように、彼女は新宿ゴールデン街で体験アルバイトをしていました。ここ数ヶ月は顔をみせなかったようですが、つわりだったのでしょうか。読売新聞に連載されている小説は、万智さんの「処女小説」というふれこみだったけれど、処女ではなかったんですね(もちろん冗談)。といっても40歳にもなっていたからそのほうが自然ですが…。その小説の内容が、色っぽいというべきかエロっぽいというべきか、複雑な読まれ方をしているようです。表現がとても「生」つまり直接的なんですね。へぇ、万智さんってこんなふうにしているのか、って言うくらいに正直なんです。万智さん、そんなことまで…、ちょっとサービスしすぎですよ。最近は女性が官能小説を書くことが珍しくなくなりましたが、女性の作品のほうが直接的な表現が多いのはなぜでしょう。僕は、想像力の違いだと思いますがいかがでしょう。男が官能場面を書くときは、女性に対しての幻想をイメージで膨らませて書くことが多いような気がします。それに対して女性は、経験を下敷きに書いていることが多いのではないでしょうか。それで生々しくなるのかも知れません。なぜ男が「想像力」で書くのか、それは殆どの男性は少年から青年にかけて自慰をおぼえるからです。少・青年期の男性はあふれそうになる性欲を自慰で調節していますが、そのとき必要になるものが「想像力」なのですね。それ自体は女性にもあることでしょうが、数の上からいったら圧倒的に男のものでしょう(って、自慢しているわけではないですよ)。青少年にとって必要悪といいましょうか、大事な儀式なんです。文芸は日記ではないから、作品はあくまで創作されたできごとです。しかし、万智さんの短歌はとても生活が生々しく表れています。 缶ビールなんかじゃ酔えない夜のなか 一人は寂しい二人は苦しい このへんに、くっきりと今度の妊娠の複線が込められているような気がします。 妻という安易ねたまし春の日の たとえば墓参に連れ添うことのなどと、男性の奥さんのことを思って作品にするとこのようになるのでしょうか。健全少女のイメージをもっていた万智さんファンにとっては、ちょっとショッキングなニュースだったのかも知れませんが、万智さんとて普通の女性ですから子どもをもつことは彼女の文芸の巾をひろげることになってゆくと考えれば、慶賀すべきことでしょう。独身というのも、彼女ほど稼いでいれば生活の心配はないでしょうが、子どもはやっぱりお父さんが欲しいでしょうね。こんどは子どものためのお父さんをつくるのかな。これも自然ななりゆきでしょう 今日の文のなかにでてきた短歌はすべて、俵万智さんの作品です。つまらない文章の後は、息抜きにシゲゾーさんの日記を読んでみませんか。僕の言いたかったことをとても歯切れ良く書いておられます。
2003.11.28
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忘年会のシーズンである。居酒屋、やきとり屋、料理屋、あるいは馴じみのスナックでと場所もさまざま、人数もさまざまといろいろであるが、宴会というのには一つの普遍的なパターンがある。まず料理が並び、必ずといっていいくらいにビールからはじまる。僕はビールも好きだからいいのだが、趣味嗜好好き嫌いを問わず、なぜか宴会の最初の飲みものはビールである。発泡酒や日本酒からというのもないし、もちろん水割りとかワイン、ブランディからは始まらない。そして主賓、ゲスト、幹事のあいさつ、乾杯。しばらく、静かに料理を食べ、酒になったところでお流れ頂戴となる。座が乱れはじめると司会役らしき人間が立ち上がっていよいよカラオケ大会。一見上手だが聴きたくもない歌を三曲も唄う人、おつきあい程度に一曲もそこそこにやめる人、図々しいご奴ともなると、ふだんから目をつけていた女の子の肩を抱いてデュエットを一度ならず唄う人。宴もたけなわとなるのは、だいたい二時間前後。あとはますます乗りに乗るグループと、こっそり時計を見はじめる人間とに分かれる。ぴしゃりと定時通りに終わるという例はまず皆無で、終わりはだらだら三三五五の散会となり果てる。そのあとがまた大変。「オーイ二次会だあ」とわめく幹事。お目当ての人とどこかに消えようとする二人。さっさと居なくなる下戸。まあ、こういったところがだいたい代表的な進行姿である。ところで、ここでいつもの人物観察。宴会でわっと面白く目立つ男、居ないと座が盛り上がらないというのは正直いってあまり女性にもてないタイプ。もてたとしてもカラもて同然。女というのもなかなか意地悪で冷静であるから、じっと男の様子を見ている。ふだん上役がなんだ、あいつがなんだなどと目上の人をやり玉に大きな口をほざいておきながら、本人の前ではゴマスリやたいこ持ちを務めているてあいなどは、とたんにイメージダウンだろうし、はしゃぎすぎはよほど欲求不満かと思われるのガオチであろう。女性も、二次会で自分の隣の席に僕をムリに座らせてくれるのはいいが、あまりにベタベタされるのはうっとうしくていけない。ほどほどに違う人とも話をしたいではないですか。僕にだって相手を選ぶ権利が欲しい。宴会というのは、パターン化されていながら、ずばり人の本音本性が垣間見える場所。くれぐれも気を許しすぎて、甘ったれるなといいたい。ちなみに、僕は集団的宴会というのがあまり好きでない。あくまで気のあった友人たちと会話を楽しみながら、カラオケもほどほどにという宴がいい。地区の役員会などの忘年会で、グラスに口をつければつぎ、泡もたたないビールを飲ませたり、そこに居ない人の悪口をさんざん聞かなければならない酒というのは悪酔いしそうで、イヤなのである。今年こそ、気のあった友人たちと文芸でも語りながらゆっくり飲める機会をつくりたいと思っている。誰か手をあげて。国会論議がもうひとつですねー。それにしても、こんな状態になったのに、まだ諦めていないんだ。どうしても自衛隊を派遣したいの、小泉さん。人をやるよりまず、総理自らを団長に、政府国会議員の調査団というのをつくって、イラクのどこが安全でどんな援助をもとめているか、調べてみたらどうでしょう。
2003.11.26
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こんなキウイは一卵性双生児というのでしょうか。わが家のキウイの籠のなかに林檎を同居させました。こうすると、キウイが甘く柔らかくなります。 林檎はエチレンガスを発生させるので、一緒に置いてあるほかの果物の熟成を早めます。ということはほかの野菜も早く痛んでしまうので、成るべくビニール袋などに入れて、冷蔵庫などに保管します。キウイもエチレンガズを出します。花を飾るときには、りんごやキウイを近くにおかないほうがいいですよ。早く枯れてしまいます。人間は大丈夫ですが、人もほどほどに熟成がすすんだほうが美味しそうに見えますね。逆にキウイや林檎は美容に効果があると言われています。僕が実証済みです(って、だれも信じないか。)。 エチレンガスは、じゃがいもの発芽を防ぎますので、じゃがいものの袋にはりんごを1個入れておくとじゃがいもの保存に効果があります。 こういうことは、果樹や花卉をつくっている人はよく知っていますから、果樹園付近を散歩するときに気軽に話しかけることです。教えたがり屋さんはどこにでもいるものですから…。 あっ、そうそう、誰もいない果樹園にはいらないように、今はやりのドロちゃんと間違えられますから。 切り口をUPしろなんていう人がいるんですから…。
2003.11.25
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見た目と実際の違いということはよくあります。タレントやスポーツ選手など、華やかな職業の夫婦に破綻するカップルが多い理由の大きな原因のひとつは、イメージと実像のちがいということがあるのではないでしょうか。僕もそういう職業の人を何人も知っているわけではありません。が、知っているタレントとおつきあいしてみて(もちろん単なるつきあいですよ)イメージとの落差に驚いたことが少なからずあります。女優さんで売れていても感じの悪い人もいました。感じの悪かった人の名は言いにくいけれど逆の場合は言えますね。例えば、魔性の女などと呼ばれ、女性から嫌われるタレントナンバー1にもなったことのある裕木奈江さんのときなどは、気配りのできるとても感じのいい女性という印象でした。プロのスポーツ選手、これは相手としては見かけ倒しのことが多いですよ。仕事で完全燃焼し切っているから、普段は抜け殻なんです。それに一流ともなれば、人間としてのズルさが必要なようです。例えば、囲碁将棋のプロ棋士は、子どもの頃から賭勝負をさせて、どん欲さを身につけさせるということもあるそうです。ハタ目からみて〈似合いの二人〉と思えるタレントやスポーツマン夫婦で意外に早く別離がくることが多いのは、実生活での生身の、のびきったゴムのような姿を見てしまうことの落胆度なんでしょうね。逆に、なんであんなハンサムにこんな不細工な女房とか、反対にブ男で、浮気モンで、甲斐性もない亭主に、どうしてあんなに優しくてソソとした美人妻がつくしているのだろうとか、世間が目ひき袖ひきする間柄という方が、こわれそうでこわれないものです。そういう意味で、お似合いのカップルというのは、かえってどこかで危険をはらんでいるカップルなのかもしれません。世間の目なんてものはあてになるものではありません。どこから見ても似合いのカップル。これは、磁石のプラス同士のようなもので、互いにけん制し合ったり、つい張り合って競争してしまうということで、精神的に休まる暇がなくなってしまうんではないでしょうか。長続きのする相手を見わける第一段階は、まず美男美女ということにこだわらないこと、趣味や人生観など、自分と相性の合いすぎる相手はさけること、多少見てくれは悪くて、この人大丈夫かなーと思うくらいがちょうどいいと思います。僕はそれにつきます、それでもときどき危機があるんですから…(T_T)。相性の顔つきとしては丸顔に長顔、ふっくら玉子型に骨ばった角顔というのはいいと思います。古来映画や漫才などでも、名コンビとうたわれる人たちは、皆このセオリーにのっとっているようです。総じていうと、お互いの優越感で結びついているより、互いのコンプレックスで結びついているカップルが絶対に長続きするはずです。人間、人の弱みをフォローしてあげるということは、けっこう気分のいいものですから、なんだかんだ言いながら優越感というぬくもりから抜けられないというものでしょう。まあ、あまり極端なグスの場合はベツでしょうが…。ところで、「自分のところは、理想的な美男美女カップルだからどうしよう」なんてうぬぼれている方はいませんか。大丈夫、世間から見ればご本人たちが思うほどには、見えていませんから―。
2003.11.24
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皆さん、休日は、どうしてらっしやいますか。今日は良い天気ですから、採りいれの遅れていたキウイ、大根を抜きました。キウイはおよそ500個くらいあるのでしょうか、籠が重くて一人では運べない量です。キウイが持ちきれないほど穫れましたこのように、きちんと答えられる休みはいいのですが、僕はたいがい仕事か休みかわからないような日々を過ごしてしまいます。忙しい仕事がつづいた後ほど、ただ、ぼんやりと起きて漠然と過ごし、何となく飯を食ってまた寝るという、実にもう何とも下らない休日を過ごしているわけで、これが待ちに待った休みかと思うと、寂しい、情けない休日になってしまうわけです。うるとびさん一家などは、日記を拝見するかぎり実に有効なうらやましい休日をエンジョイしています。もしかしたら、あの一家には休日しかないのではないかと思うほどです。ところが、だいたいの日本人というのは実に妙チキリンな人種で、休み休みと大騒ぎするくせに、いざその休みをどう使うかという段になると、どうも下手で、上手じゃないようです。休日という言葉は、読んで字のごとく休日、決してそれが余暇とかバカンスに発展しないのですね。くそまじめにただ休むだけです。でなければ、くそまじめに駆け足旅行でヘトヘトになるくらいですか…。とにかくだれもかれもがテッテイ的にただ休んでいるわけで、とくに華麗に日常を過ごしている入間ほど、休日はジミに過ごす人が多いようです。休みにうれしがってイソイソとしている人は、いまや、イモの類なのであって、家庭菜園や読書にワインなんてのが高級な過ごし方です。と、なんにもできずに過ぎて行く休日を強がってみせている僕なんですよ。と書いたら、夢子さんからお小言をいただいてしまいました。あの方はイモではなくて、ご主人のヒモなんでしょう。 大根のくちびるのようにも見えました
2003.11.23
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昨日の日記で「ダーク」「悪」もほどほどに必要ととる方が多かったと思います。若干補足しますが、「ダーク」とか「悪」という定義も、実はあいまいであることが多いと思うのです。世間では「悪」として認知してきたものも、あるきっかけを境に見直されるということはよくあるケースです。毒きのこから薬効がみつかるというようなケースです。ブッシュ大統領がイラク攻撃に際して「正義」という言葉をさかんに使いましたが、この「正義」も、ミサイルを撃ち込まれた人たちから、国際世論から、本当に「正義」と認められるものであったかどうか。東京犬さんが、宮台真司さんの「社会が抱えるダークサイドの量はつねに一定である」をあげているように、どのような現象にも陰影があり、社会のなかで「影」とどのように上手につきあうことができるかが、成熟した社会のあり方ではないかと思うのです。今日のテレビ番組で政府高官が、(アメリカにも若干の誤算はあったが方向は間違っていない戦争だったから)テロなどの脅迫に屈せずに戦うことこそ…、と語っていましたが、大規模に戦えば戦うほどテロを拡散し、あらたなテロリストを生み出してゆくのではないか、完膚無き光あふれる世界をつくろうとすれば、必ずその裏側に強い影の世界ができると思わなければなりません。テロを「悪」とするならば、その「悪」が悪として人々から認識出来ない反対方向に導くことこそ政策として求めたいのです。「悪」と思っていたものが、「平和」から突き放されるから生まれた「悪」であり、彼らが本当に望んでいるのは「正義」であり「平和」でもあるのかも知れないと、考えるところにイラク問題の解決への糸口があると思うのです。 もうすぐ冬がきます
2003.11.22
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「地回り」ヤクザという言葉があります。goo辞書によると「地回り」は、(1)ある盛り場を根城としてぶらぶらすること。また、そこをぶらついているならず者。ということになっています。彼ら「地回り」が支配していたことで有名なのは、新宿ゴールデン街があります。ゴールデン街では、作家、詩人、漫画家、映画、演劇などに関わる文化人が夜な夜な、安酒を飲みながら議論に明け暮れるという場所でもありました。そのいわゆる文化人だったなかから、昭和51年、作家の佐木隆三さんが直木賞、中上健次さんが芥川賞を受賞しゴールデン街は一躍脚光をあびたものです。近年では、「不夜城」を書いた馳星周さんも上京後ここで働いていたり、俵万智さんが社会勉強のために時々働いていることもありました。いわゆる団塊の世代に生まれた僕は、全共闘の学生運動で全国が揺れていたときに東京に出ました。志望大学の入試も中止されて、大学を諦めざるをえない人たちも大勢いた頃のことです。もともと勉強嫌いだった僕は、それを口実に大学を諦めてしまいました。貧乏な若者たちも、安い定食、そして酔うためだけの酒を求めて、しばしば「新宿ゴールデン街」に繰り出しました。ここでは、丼一杯のご飯で、サンマの半分だけとか、クジラ肉ステーキ、納豆などをおかずを一品だけ注文して食べるのですから、一食100円もしない食事です。浮かせたお金では酒にあてました。ある時、友人二人で入って支払いの段になって、二人とも払うお金が無くて、僕を人質に友人が金をとりに行ったこともあります。両方ともそのくらいは相手が持っているだろうと踏んでいたのです。人質になった僕も当時は紅顔の美少年(?)、経営者のママが優しく、「上で休んでいったら…」と声をかけてくれましたが、「結構です」とジッと身を固くしていた記憶があります。上で休むということは付加的な意味もあったわけです、惜しいことをしたなー。三坪か四坪ただけの店なのに三階まであり、馴染みになると二階で飲食させてくれました。友だちと二人で朝まで飲んで、ビール1ケース、ウイスキー一本が空になっていたこともあります。そんなときの経営者は三階の狭い部屋で寝ていたようです。三階はチョンの間とも呼ばれ、仲良くなった店の人とのひとときを過ごすためにも利用されました。隣の部屋(家)とは、ベニヤで仕切られて音は筒抜け状態ですから、静かに静かに愛し合ったことでしょう。ウブだった僕は経験がありません。こうした「街」を支配していたのが「地回り」と呼ばれる人たちです。ヤクザですから、陰では違法行為もしていたのでしょうが、原則としてトウシロ(一般人)には手をださないという不文律のようなものがありました。問題を起こした店には客が寄りつかなくなりますし、トウシロは大事な客ですから賢明な配慮でしょう。そのかわり問題を起こす客は、店からつまみ出されどこかに連れてゆかれました。彼ら地回りたちは、街のダニともみられていましたが、一方で外部からの無法者の侵入から守る役目も果たしていました。ここは何々組のシマなどというものがしっかりとあったようです。警察も彼らの力関係を適当に利用して、よほどの悪質な行為でないかぎり、取り締まりもほどほどに手を抜きバランスをとっていたようです。話しは変わりますが、モデルをしている女性たちに、回虫をわざと体内に棲まわせダイエットをしている方法が流行ったことがありました。回虫が食物を腸で横取りするから太らないのです。回虫が増えすぎると、別の障害の原因になりますが、ヒトの回虫も生きるために共存をこころがけ、あまりムチャなイタズラはしないということです(あまり信用しないでください)。まだ因果関係ははっきりしていませんが、人類から回虫の駆除がすすむのと比例して、アトピーが増えてきたとも指摘されています。地回りもこれに似たところがあります。新宿の地回りの力が衰えるのと比例するように、中国マフィアなど外部勢力の台頭がいちじるしくなってきました。僕はイラク問題がクローズアップされてきたときに、フセイン政権に。この回虫か地回りのような印象を抱いていました。イラク国民にとってあまり良くない政権には違いありませんが、この強権によって国の安定が保たれている面もあると…。全体主義共産国家の呪縛から解放されたロシアも、ひとときの開放感と相前後して、マフィアが蔓延しました。彼らは国家中枢にまで食い込み犯罪の病根は深く広がっていると聞きました。たとえ悪いと思う政権であっても、外からそれを排除しようとするときには、よほど慎重に、後の結果までも十分に予測しながらすすめないと、より大きな混乱を生むことになります。むしろ内部から国民の意志による崩壊を待ったほうが賢明ということは枚挙にいとまがありません。今度のイラク問題で、パンドラの箱をこじあけたアメリカはイギリス、日本など同盟諸国にも、予測のつかない危険を共有させたことになります。ことに日本の社会や国民は有事を想定したシステムになっていません。平和が保たれてこそ社会として機能できるのです。ここで自衛隊を送るようなことになれは、派遣される自衛隊員はもちろん、テロ攻撃を受けることも辞さないと判断された国として、国内とて安全とは言えなくなります。国民もろともが予測のつかない不安な状態に置かれることになります。長くなりますから、今日のところはこのくらいにします。
2003.11.21
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11月も後半になってようやく冷え込んできて、風邪をひく人が増えてきたようですね。昨日はタイミングよく配置薬業者がきて、風邪の初期症状から高熱がでたときのものまで数種類、高そうなものを置いていきました。そんなに使うほどひくつもりはないのに…。めったに病になどにおかきれない僕も人並みに鼻風邪をひきました。ここ二、三日グジグシしています。昨夜は半徹で仕事をしたので今日は熱っぽいです。風邪は薬を飲むより寝るのが一番とわかってはいるのですが…。ところで、自己流の風邪を治す方法はいろいろありますね。たまご酒とか…。僕は誰かに口移しすれば治ると信じていますが、手頃な人が訪ねてきません。カミサンですか? 彼女に今寝込まれたら困るのです。風邪というものは、実に不思議な感染のしかたをするもので、絶対うつるまいと心に決めてかかると、相手が風邪の主のようなひどいひきこみの人でも、案外うつらないものです。あ、ヤバイなと後でうがいをしたり、体調に気を配ったりするせいもあるかもしれませんね。風邪を防ぐにも精神的な要素があるような気がします。しかし、気のゆるんでいるときなど、ふとしたはずみに思いもかけない人からもら(感染)っちゃうことがあるんです。僕は外で飲むと風邪をひくことが多いような気がします。よく、悪友に誘われて飲みにいった先でもらってくるのです。うつされるようなワルイコトもしてないのに、お金を払って風邪をひくのではわりにあわないです。僕にうつした相手がそれで治っていれば、少しはすくわれるのでしょうが―。ところで、この人にならうつされてもいいと思う人はいますか。僕は吉永小百合さまかな。みなさんはいかがでしょうか。聞いてみるとうつされたいと思う相手ってのは、身近でも一人や二人いるものですね。何もしないのにあんたの風邪がうつったぞ。さあ、責任どうとってくれるとせめてみたい人。僕の悪友。うつった相手を何人もこしらえて、犯人さがしのように詮索をして遊んでいました。それがしばらくたってからブゼンとした表情で、「オレに風邪うつした相手、やっとわかったよ」といいました。「へえ、いったい誰」「いちばん気を許してた相手、ウチの家内だった。だいぶ前からひいていたみたいなんだ。つまり獅子身中の虫だったというわけだ…。オオ、寒い。」と方を震わせている。(それみたことかいい気味だ。)ン、まてよ、僕にうつしたのはおまえか?
2003.11.20
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最近はワインが安くなったので、家ではワインを飲むことが増えた。近々、W君の店(あ・びえんと)でソムリエを招いてボージョレヌーボなど、選りすぐりのワインの飲み放題、食べ放題という企画があるので参加するつもりだ。気取ったところで飲むのはあまり好まないが、彼の店は気の毒なくらい気取っていない。飲み放題とはいえワインで5000円はちょっと痛いが…。僕がいつも飲んでいるのは赤ワインが主で、好みの銘柄もあるのだがワインの質まではよくわからない。とにかく、美味しくて安いものがいいワインだと決めつけている。質はわからないが舌には少々自信がある。以前、あるお祭りでのワイン銘柄当てゲームで5種類のマッチングをすべて当てて賞金をせしめたこともある。ワインもピンからキリまであって、年代物になると相当高級品ということになっているらしく、「ロマネコンティ」という目の玉がとび出るほどの(一本十万円前後、年代によっては数十万円のボトルもあるという)ワインもあるが、果たして値段に相当するだけの味があるのだろうか。こんどの会でソムリエ氏の薦めるものと、僕の美味いというものを比べ確かめてみたい。以前もどこかの「ワインの夕べ」に出たことがある。そのとき知ったかぶりの男に「Mさん、どんなワインが好み?」と聞かれ、洒落のつもりで「五一ワイン」と答えたら、「へえ、五一ねぇ」と軽蔑の眼差しを向けられた思い出があるが、「五一ワイン」はともかく僕にはなんといっても安くて美味いのが高級品なのである。もしかしたら、彼はワインそのものより、ワインによって醸しだされるムードとか、ブランド嗜好だけにこだわっていたのではないだろうか。そういう神経質、偏狭な好みの人は肌にあわない。だいぶ前のことになるが、ワイン騒動があった。高級品とされていたワインに不凍液が添加されていたという事件である。もっともらしい能がきをたれ、舌の先の敏感さを誇っていた方々が、それと知らずに不凍液を飲まされていたのですから、お気の毒より、滑稽だった。冬は凍えずにすんだだろうか。ワインを買うときにはラベルをみて、国産か輸入品かとチラと確かめるが、輸入物にも安いものがたくさんあるが味のバラツキが多い、つい安心感から国産ラベルを買うことが多い。過去には、純国産のはずが外国の安物をブレンドしていたり、輸入濃縮ブドウ果汁に水を加えて醗酵させていたりしたことがあったが、最近は消費者の目がうるさくなったのでそんなことはないだろう。うるとびさんたちと小諸のマンズ工場で飲んだワインやもろみ酒も美味かったけれど、もろみ酒の市販はされていないそうだ。つまり、工場門外不出の生の酵母そのままなので、それをぶどう液に加えるとその工場のワインに似たものができてしまうからだということだ。日本酒にもにごり酒があるが、あれとは違うのだろうか。熟成した人は、ワインのラベルではなく味で飲んでいるはずだよね、穴沢さん。お薦めメモ・アルプスワイン 「信州コンコード」(赤) フルーティで口当たりが良い。女性向きか。・マンズワイン 「シャルドネ・マセラシオンリミテド1995」 酸味あり・ボディ感あり。・信濃ワイン「スーパーデラックス白」 甘みと酸味のバランスが良くドイツワインが好きな人向き。・井筒ワイン「無添加白ケルナー」 甘みと苦みあり。煙ったようなニュアンスあり。・林農園五一わいん「桔梗ヶ原メルロ1996」 やや苦味あり。コクもある。色も濃い目。
2003.11.19
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選挙で「自民党」に投票した人にお願い衆議院選挙で自民党は有効投票数の43.5%の支持を集めました。その獲得議席は56.0%ですから、いずれにしても小泉政権にとって好ましい結果でしょう。ちなみに公明党は1.5%の支持票でなんと3.0%という倍の議席を確保するのですから、この選挙上手は見事と認めないわけにはいきません。2.9%の支持票で0.3%の社民党、8.1%の支持で0%の共産党はこのさい、意地を捨てて公明党に選挙のご指導を受けたらいかがでしょうか。政策まで変える必要はありませんが…。実は、ここで強調したいのは、もっともワリを喰っているのが支持政党なしの票なのです。もし、支持政党なしの票で無所属候補の惜敗率に割り当てる仕組みになったら、勢力図はだいぶ様変わりすることになるでしょう。これでは、何のために小選挙区にしたかわからなくなるといって変えないでしょうね、既得権者は…。しかし、どの政党も選挙制度をうんぬんするなら、ここまで言わなかったらやはり党利のことしか考えていないということになります。いずれにしても、大量の死票を生みつづけるこの選挙制度が、有権者の政治離れにいっそうの拍車をかけているのは間違いないでしょう。と、過ぎた話題はひとまず置いてと、いよいよ日本もテロの標的としてクローズアップされてきました。日本は、世界でも有数な大都市過密国家ですから、東京や大阪などの大都市は狙うとしたらとてもたやすいターゲットになるでしょうね。テロリストの脅迫に屈すれば彼らを一層増長させてしまうでしょうから、ここは断固とした姿勢をとるべきでしょう。その断固とした姿勢が、小泉首相の「(自衛隊派遣について)有権者の支持をうけたから(安全な地域へ)派遣する」だとしたらピント外れもはなはだしいでしょう。支持した方々にはぜひ、派遣まで賛成して投票したのか否かを首相に示していただきたいのです。僕は「政権党」に投票してないので、政府に要望はできても小泉さんに抗議する権利がないのです。でも、「政権党」に投票した人たちは一株株主のようなものですから、堂々と主張できると思うのです。報道によれば、自衛隊を派遣したら首都をテロ攻撃すると警告しています。これが脅しだけでなく、万一ほんとうに実行されたら自民党に投票しなかった人までが分け隔てなく巻き込まれることになりますから、これはまことに不条理といわざるを得ません。声明文をだした連中は世界規模の組織のようですから、実行されたらオーム事件とは比べものにならない惨事になるでしょう。すでに、国連をはじめとして攻撃にあっていますから、信憑性が0とは言えないでしょう。また、彼らが直接手をくださなくても、彼らに共鳴した者たちが実行する可能性だって捨て切れません。そうなったら自衛隊をイラクに派遣するどころか、首都を守らなければならなくなるかも知れません。首都が戦場状態になったら想像もつかないコストを払わなくてはならなくなります。コストを最小限に納めて、結果的にアメリカをも救うには、戦事国に自衛隊を派遣することより、平和的解決に主導的自主的な力を発揮するべきでしょう。(真の盟友であるなら)アメリカにイラク攻撃への大義のみつからなかったことを率直に認めさせ、国連主導でイラク国民自身の手によるイラク復興に力を貸すべきでしょう。アメリカの手先同然と見られる行動から、自立した善意の国としての行動へと自主性を発揮できれば、どこからも憎まれることはないでしょう。今ほど、日本国憲法前文にある「名誉ある地位」を試されているときはないと思います。自民党支持者であっても平和な世界を望んでいることを、ぜひ首相に進言して欲しいのです。僕は、自民党に投票した人たちとて平和を望んでいるはずだと信じたいのです。 天使に願いが届くでしょうか
2003.11.18
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優しさってなんだろう。日本女性には西欧の男に憧れるという現象は、うるとびーずさんがアランドロンに憧れたり、とむぼさんが彫りの深い西欧的男性を好ましいと思ったりするように、(西洋美意識的な)形の良さもあるのだろうが、もうひとつは女性に対する愛情表現にあることは確かだろう。古いかたちの日本人男性はおおむね形にあらわれた愛情表現は苦手のようだ。僕の友人で若くして妻を亡くした男がいる。その頃、彼の家に寄ると妻はオバさん扱いだった。口の聞き方もぞんざいで、何をするにも自分で決めて、勝手に行動するという亭主関白ぶりだった。ふたりに子どもは居なかったが、妻も控えめな人で言われるままに彼の面倒をみていた。ところが、その妻が重い病にかかり数ヶ月の闘病のすえ、彼をおいて亡くなってしまった。失ってはじめて、妻が彼にとってどんなに大切な存在であったかを彼は実感することになった。こんなことなら、もっと優しくしておけば良かったと、僕と深夜まで飲んだときに男泣きに懺悔した。それから数年して、幸いにも30歳代の女性が彼の伴侶として家に入ることになった。彼からすると20歳近くも歳が離れていることになる。まあ、うらやましくないと言えばウソになるが、息切れしないかと彼への同情心も少し。彼女と彼は交際中から僕のところによく遊びにきている。彼女は僕の前でも平気で彼に甘え、自分の食べかけのものを彼の口に入れたり、幼児言葉で話しかけたりする。彼の方はさすがに自重気味ではあったが、まんざらでもないように彼女に応えてあげている。僕は目の前でいちゃつく彼らを、内心舌打ちをしながら見つめていた。けっして妬いていたわけではない。僕には、いくら仲良くても男女が人前でベタベタいちゃつくという行為がどうしても馴染めないのだ。あるとき彼に問いただしたことがある。「おい、可愛がるのもいいが、人前では少し自重しなよ。50男がデレデレとするのは見栄えがよくないぞ。歳を考えろよ、歳を…。」とたしなめた。すると、彼はこう答えた。「言っていることはわかるよ。俺は亡くした前の妻のことをどうしても忘れられないんだ。心のなかで大切に思っていたのに、何一ついい思いをさせてあげることができなかった。だから、今度だけはそんな思いをさせたくないと思っているんだ。亡くなった妻へのお詫びの気持ちもあって、今の彼女を精一杯可愛がってあげるんだ。この歳になるといつまでつきあってあげられるかわからんから…。」身勝手な言い分のようにも思うが、気持ちがわからないではない。僕もそんな立場になったら同じようになるかもしれない。最近はこの楽天に登場する夫婦たちをみても、めいっぱい妻に優しく、家事までもきちんと分担しているような夫が増えてきたように感じる。が、我々中年世代ではまだまだそう実践できている夫婦は少ないのではないだろうか。僕の長男はイギリスに留学していた頃、現地の人たちとの交流で女性への応対を学んできたのだろうか。結婚した妻に、労りや感謝の気持ちを素直に自然に口にする。時間のあるときには台所も手伝うのも平気なようだ。この点は父親の悪癖がまったく遺伝していない。「お父さんにはちゃんとしつけて貰ったから、反面教師としてだったけれど…」などと親には悪態をつくくせに、「○○(妻)は本当に良くやってくれている、僕が仕事に専念できるのも彼女あってのことだよ。お父さんもお母さんに感謝しなければダメだよ」と、サラっとのろけついでにお説教までしてゆく。僕などは、妻にやさしい言葉をかけたことはほとんど無いそうだ。これは妻がいつも言っているから本当だろう。自分では、それなりに気づかいしているつもりだが、こころとはうらはらの態度にでてしまうことはよく自覚している。一言「ありがとう」と言えばよいのに、「うん」とか「ああ」で済ませてしまう。熟年離婚が増えているそうだ。だいたい妻が夫に三行半をつきつけるというパターンのようだ。これからは夫婦は阿吽の呼吸だといって、(愛情を)口にせずともわかっているはずだ。という旧来の日本人型亭主は世の中に通用しなくなって、排斥されていくのだろうな。旧い日本では、西欧人のようにどんな場にも妻を連れ立ってスマートにエスコートするなどという習慣は、パフォーマンスじみてできなかったが、そんなんでは、女性たちの西欧男性志向がますます進んでしまうことだろうな。僕も、理屈ではわかっているけれど……。 カメラ修理の見積もりが届いた。新しいのを買うのとどちらが得なのか、う~ん…
2003.11.17
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「結婚しない女と結婚できない男が増えている」といわれるようになって久しいですね。結婚できない男ということでは、ぐるっと周囲を見回しただけでも40男が片手では足りないほど数えられます。では、彼らが不細工かといわれると、なかなかどうしてイロ男も多いし、性格も悪くないのに、とおもうような人たちが、大勢売れのこっています。売れ残るって言葉は昔は女性に使われたことばですが、すっかり男性用に衣替えしてしまったようですね。そういえばだいぶ前に梓みちよが「売れ残っています私」というような曲を歌っていたような気がします。売れ残りを強がっていても、やっぱりさびしい、といった内容でしたね。男の場合は、強がって売れ残るというより、結婚したくてもできないという場合が多いのでしょう。以前週刊誌に、風俗などで手軽に発散できるようになったから、彼女がいなくても困らないなどというような記事がありましたが、それはウソですね。SEXだけが結婚ではないし、たとえば長野県にはソープランドはありませんが、それでも「行き遅れ男」は多いのですよ。やはり、もっとオーソドクスなものが原因しているのでしょう。つまり、異性とのコミュニケーション術ですね。最近の男の子は、小さいときからテレビゲーム、パソコン、ビデオ、DVDなどに囲まれて育っています。こうしたメカを相手にしているときには、相手の気持ちを考えてあげる必要がありませんね。パソを叩いて、「痛かったでしょう」なんて…。また、ものわかりのいいお母さんと、夜中にならないと家に帰らない父親(僕もそのクチだったなぁ)。つまり、これでは人対人のコミュニケーションが育たないのは当然ですね。身近な異性は母親だけという環境で育つと、いつもかゆいところに手が届くように接してもらえてしまうのですが、よその女性はそうはいかないですね。会話も、母親にはモノを依頼するだけだから、中・高校生くらいになると会話を楽しむというところまでしている子供は多くないでしょう。恋人どうしとなると、会話が発展しなければ先にすすまないし、イキたいところにも誘えないですよね。そのうちに、会話恐怖症になってゆくわけです。僕も、男だけの兄弟だったのでよーくわかります、いやホント。ここから、結婚できない青年へのアドバイスです。会話を上手にするためのいちばんのポイントは「あいづち」です。実は、僕も知る人が知る口下手です。会話は、口の回転速度にあわせて脳も回転しなければなりませんが、僕は回転が悪く、どうしても一テンポ遅れてしまうのです。遅れると、相手はその先に行っていますから、焦ってよけいにシドロモドロになってしまうというパターンです。ちゃんと話せているときは、相手がテンポを合わせてくれているのでしょう。しかしですよ、「あいづち」だけなら慣れだけですむ。たとえ、頭の中がスッカラカンであっても、タイミングよく頷きさえすればいいからラクです。僕は、この手でなんとか今までコミュニケーションをとってきたような気がします。いえ、女性相手ということではないんですけれどね…。あまり僕の好みではないのですが、赤川次郎の小説が若い女性に好まれるのは、小説の登場人物のあいづちのうちかたが上手なんですね。もちろん小説だから、態度だけではなりたちません。会話の、受け方が上手なんです。「うん」「なるほど」「そうか」だけではダメですよ。相手の言葉に対して、気のきいた受け言葉が返せるようになれば最高です。僕は、この年になるまでそれがうまくできませんでした。好き嫌いは別にして、若い女性たちが好む小説などはだいたい会話のテンポがいいのが多いような気がします。つまり、そういう小説が格好のコミュニケーションのテキストになると思うのです。若者よ、小説を読みましょう。
2003.11.16
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書店をぶらぶらするのが好きです。平積みの本や、楽天仲間が薦めてくれる本などを立ち読みで確認(端から買うほど余裕がないので)します。文芸書、PC関係書は知りたい部分を立ち読みでチェックします。最近デジカメ万引という言葉がでてきました。必要なページをデジカメで撮影して、家で読むというやつです。もしかしたら、僕の姿勢もそれと同列かも知れないなどと恐縮しています。外交や戦争問題を扱った本も平積みされています。気になるけれど、買いたくない本は手にとって斜め読みします。そのひとつに『反米論者を撃つ』(田久保忠衛/古森義久)がありました。著者の田久保さんは産経新聞の記者をしている人です。「反米的」な発言をしている人を、実名をあげてめった切りしているという本です。そのなかで、右翼論者とされてきた小林よしのりと西部邁が強烈に批判されています。これは主に「わしズム」で、アメリカのイラク戦争に反対したのが発端のようですが、そのことでは小林よしのりと西部邁のほうが先見の明があったということではないでしょうか。「反米論・親米論」がどうしておこるのでしょうか。僕が不思議でならないのは、敗戦後に近い時代ならともかく、今日の小泉内閣にいたるまで、歴代日本政府がなぜ卑屈とも思えるほど対米従属の姿勢をとってきたのか、ということです。日本人は、どこかでアメリカコンプレックスを植え付けられてしまったのでしょうか。対米で弱腰になる理由で何となく説明できそうなのは、工業国日本の最大のお得意様がアメリカだということ。(北朝鮮など)他国の脅威から守ってくれているからということ。なるほど、商売というものは腰が低いにこしたことはないでしょう。しかし、アメリカからだって買ってあげているのです。また、貿易格差があっても、堂々とものを言っている国はあります。同じ敗戦国にしてもドイツと日本の違いは歴然としています。たとえば女性問題、ドイツの米軍基地周辺にたむろし、米兵の相手をする女性たちは売春婦だけだということです。ところが、日本ではOLなど普通の女性たちがたむろして、米兵たちの相手をしてあげている、ということです。彼女たちは往々にして、お金をもらうどころかホテル代まで出してあげているという報告を雑誌で読んだことがあります。それに対して、米兵たちは彼女たちのことを、Yellow Cab(イエローキャブ=タクシー)、bitch(雌犬)、street girl(街の女)などと呼んでいるそうです。もし、僕の娘がそのなかに含まれているとしたら、怒りのあまり卒倒してしまうでしょう。もちろん、そんな女性はごくごく一部の人だと信じたいのですが、男のなかにもいるとなると…。アメリカ人に対する屈折した劣等感を植えつけてきたのは、ずっと続いてきた日本政府の対米隷属政治にあるのではないかとさえ、思ってしまうのです。誤解して欲しくないのは、僕は反米主義が正しいと言っているのではないのです。アメリカに対して一方的な姿勢ではなく、もう、対等な友人として自立してもいいのではないかということです。もし、間違ったことをしたときにはそれを諫めたり忠告してあげるのが、本当の親友です。それは、人でも国でも同じではないでしょうか。男女間のことも同じです。アメリカの男性とのつきあいをファッションや一方的なSEXの提供者としてするのではなく、対等なパートナーとして愛し合えばいいのです。異性として言うべきことはきちんと伝える、拒否すべきことはしっかり拒絶する。そうした双方向の関係であってこそ、侮蔑的な呼び方から解放されてゆくのではないでしょうか。国の平等も、人種間の平等も、男女間の平等も、お互いの意見をきちんと伝えあえるコミュニティーができてこそ成り立つのだと僕は思うのです。ちなみに、僕は語学が苦手ですから外国人とのコミュニティーが下手です。外国で、平気で生活されている人たちを尊敬してしまいます。言葉をつかわなくてもよいコミュニケーションなら少しは、とは思うのですが……。
2003.11.15
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年賀状を注文にきた老人をみて、突然ある女性人形作家のことが甦った。その人はすでに亡くなっているが、時代の人物をモチーフに日本の創作人形を作っていた。ちょっと目にはよくある日本人形であったが、生きているのではないかとさえ錯覚する人形の科(しな)やどこかエロスを感じる表情は好事家にも人気があり、ウイーンで行われた「ヨーロッパ国際創作人形展」で優秀賞を受けるなど、一時この地域では天才的ともてはやされていた。腕は良かったが寡作であったため、人形で生活できるほどではなかった。また金銭感覚に疎く、男出入りも少なくなかったということである。生涯独身であったが子どもが一人あり、その子どももある分野では天才肌の芸術家だった。ひょんなことから僕と親しくなったこともあり、母親のことをよく聞いた。「俺の親には近づかんほうがいい」と、あらかさまにもいった。ことに、彼の母親が亡くなった年の初盆の晩に聴いた話しは衝撃的で、忘れられない。彼によると、自分はある料亭の旦那とのあいだの子どもで、認知こそされていなかったが、成人するまでの養育費はその旦那から貰っていたということである。しかも、ほかにも父親に相当する人物が二人ほどおり、それぞれが大店の店主であった。自分が実際に誰の子であるのか正確なところはわからないが、その父親たちにも認知しない子どもとして、密かに認められているのだという。年賀状を注文にきた老人も、その父親として僕が聞いていたひとりだった。彼女の人形に使う衣装は、西陣や友禅の職人に注文して生地を織らせるほど徹底しており、人形一体の生地代がときには数十万もかかることがあったという。そうした材料代や、金銭感覚のない浪費癖のために、ときどきまとまったお金を父親にあたる人に無心していた。母親のその姿が、子どもの頃いやでたまらなかったそうだ。親子の住まいは古びた借家で、家中ちらかり放題だった。しかし8畳間ほどの母親の寝室は小綺麗にかたづいており、不釣り合いなほど大きな三面鏡が据えられていたということである。年に数回ほどだが、母親のもとに「父親」が訪ねてくる日には、彼は母親に小遣いをもらって家をでて、夕方に「父親」が帰ったころを見計らって戻った。家に帰ると、母親は一心にスケッチをしているのが常だったそうだ。母親は描いた絵を見せたがらなかったが、ある日母親のタンスにしまわれていたスケッチブックをみて、彼は仰天したそうである。目や口、指や足というように、人間のパーツのスケッチとともに、春画に見まごうようなスケッチが様々な角度で描かれていて、ことにそれぞれが美しいエロスに満ちていたということだ。ところが、その表情はどうも母親の顔であり、しかも、いままで見たこともないような歓びと恍惚を湛えており、子どもごころに興奮と嫌悪感が入り混じりその一晩は眠られなかったということである。それいらい彼は母親をこころのなかで成人するまで軽蔑してきたということだ。母親が死んで、彼はその絵すべても骸とともに棺に、納め火葬に処してしまったという。残された人形が十数体ほどあったが、それもだんだんと彼の生活費に換えられていった。のちになって彼はいう。「振り返ってみると、俺の母はあのスケッチをもとに人形を作っていたのだろう。あの人形たちは、俺の〈きょうだい〉たちだったのかも知れない。」彼の母親が亡くなってしばらくしてから僕に、形見の三面鏡をいらないか、ともちかけられたことがある。僕は、そんな大事な物を貰うわけにいかないから大切にしなさいと固持した。しかし、彼はそれもどこかに処分してしまった。勝手な想像ではあるが、あるいは彼は三面鏡のなかに母親の情事を見てしまったのではないだろうか。手元に置くかぎり、その姿が身から離れられないという怨念にとらわれてしまったのかも知れない。その後、彼は借家を出て越していった。いくつもの病気を抱えていたため、生活保護の申請をすすめた。何故か僕は母親の葬式の手配などの面倒をみて、そのうえ彼の借金の保証をした銀行に肩代わりをするハメになった。それまで芸術肌の彼からずいぶん学んていたこともあり、保証を頼み込まれたときに断れなかったのだ。肩代わりのための費用の幾分かを親しい友人の世話になるはめにもなった。それを機に彼との交際は絶った。彼はその後も才能を買ってくれる人たちに少しずつ迷惑をかけながら細々暮らしていると風のたよりに聞いている。こころならずも絵のモデルになったかも知れない老人の、寂しくくたびれた横顔のどこからも、かつての艶は感じられなかった…。当時繁盛していた店も大型店に押されて寂れている。その老人がそろそろ、できあがった年賀状を受け取りにくるころだ。 文章とは何の関係もありません。単なるサービスです。
2003.11.14
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『菊と刀』を書いたのはルース・ベネディクトというアメリカの女性です。1944年といいますからまだ戦争中ですね。この時点でアメリカは日本への勝利を確信していて、戦後統司をどのようにすすめるかを模索しはじめていました。そこで、文化人類学者だった彼女に日本人の考え方を研究させたのです。この研究があったから、日本がメチャクチャにならずにすんだのかもしれません。ブッシュ政権が、イラクの戦後処理としては利権のことしか考えていなかったのと較べ、なんと見通しに差があったことでしょう。彼女が研究したものは、日本人さえも知らなかった日本人の意識だったといわれています。彼女によると、西欧文化は罪の文化で、日本文化は恥の文化だと結論づけました。なるほどと思える分析です。もちろん、現在ではこの考え方のなかにある欠陥も指摘されていますが、興味深い内容です。「罪の文化とは行動の前提に神があり、神への罪の意識が行動パターンを決める。一方恥の文化とは、他人が自分の行動をどう思うかを基準にして自分の方針を定める。行為の善悪は問題にならない。」としています。彼女の間違いは、罪の文化は恥の文化に優ると決めつけていることです。もっとも、戦時中のことですから、日本も「帝国は神国で何にものにも優れた国」と言っていたのですから、どっちもどっちですが…。この頃の西欧人は、キリスト教がアミニズム(自然崇拝)から始まった宗教の最高の発達段階だと考えていたようですし、白人は有色人種や黒人より高い段階の進化をしているという思想をもっていました。今でもその尻尾をひきずっている人たちがいて、イスラム圏での失敗を繰り返していますね。当時の思想家や学者にもこうした考え方はありました。たとえば、ダーウィンはヨーロッパ人を進化の最高段階にあるとしていたし、マルクスはアジア的停滞として、アジア人よりヨーロッパ人のほうが進化を遂げているとしています。当時のドイツなどの科学技術の発達からすれば、そういう錯覚もありかなとは思いますが…、いまとなっては笑止ものです。現在、スポーツはもとより科学技術などの分野では黒人や黄色人種が優っていることが多いことを考えると、人種によっての進化に差があるという考えは誤りであって、むしろ人間は環境によって適応していると考えたほうが正しいでしょう。では、科学技術の進歩と自然への共生とどちらが地球上に人類を生きながらえさせると考えれば……もうおわかりですね。罪の文化と恥の文化を考えるときに興味深いのは、SEXへの姿勢です(体位のことを考えたあなたはエッチ)。キリスト教では、SEXは罪深いこととして、子どもをつくるためのみ許されたわけです、基本的には―。だから、いまだに避妊はイケナイコトとされているわけです。一方、恥の文化では人目を気にして、人前でのSEXの話題やそれらしい行為を恥として慎むように教育したわけです。ことに女性に対してはSEXを自ら求めたり語ったりすることを恥ずべきこととするような風潮さえあったわけです。その結果、もう皆さんおわかりですね。禁酒法時代のアメリカ状態です。西欧では、禁止を犯し、神に禁じられたことを行うことによって自我の力の表明になり、自尊心を支えるという考え方が生まれ、より高度に性を謳歌する文化も育ってきたわけです。恥の文化圏としては、恥ずかしいことを題材とする芸術家、たとえば歌麿や北斎などに代表される浮世絵画家は春画を描きまくったし、信仰物にもSEXをモチーフにしたものが多数できていることはご存じのとおりです。禁止とか、恥とかいう抑圧されるものは、バネを押し下げる力となり、放たれるときにはより大きな瞬発力をもってしまうものです。まわりくどく書いてきましたが、人にとってマイナス状態とはバネを押し下げている状態と考えるべきなのです。体力が落ちているとか、気力が萎えているというときには、いまバネが押しさがっているのだなと考えるべきでしょう。誰でも、高く飛び上がるときには腰を落とします。腰を落とした状態があってこそ、飛翔できる、あなたは今腰を落としていますか。僕は重いカレンダーなどをもちすぎてギックリ腰すんぜんです。
2003.11.13
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田中康夫が盛んに使った言葉に「現地主義」「現場主義」があります。「現地」を自分の眼でたしかめるということは、身につけた自己表現のために欠かすことのできない条件です。しかし、自分の眼に頼りすぎてもいけない。だいじなことは、たしかな事実を見ているのだとみずからに言い聞かせながらも、同時に、これは何かの間違いかもしれない、という疑いをさしはさむことなのです。人間は誰でも仮説的概念によって動いています。それらの仮説的概念は、けっしてつねには正しくありません。「事実」というものが、つねに〈それを見たり観察した人にとっての事実〉である、ということです。ひとによって「事実」がちがうのは避けられないことです。たとえばAという一人の人を、Bというひとは「おじいさん」だといい。Cは「若造だったよ」といい、Dは「貧相な男だった」といいEは「立派な人た」というようなまったく別々の判断をくだすことはよくあります。この場合Bが少年であり、Cは長老であり、Dは成金男であり、EはAの善行を見ている人であったとすれば、一見矛盾とおもわれる見方も説明がつくわけです。政治家をみるときにはつくづくこうした仮説的概念によって見ているような気がします。Aという政治家の評価をするときにたまたま、〈腰をひくくして話しかけてくれた〉というだけで、腰の低い如才ない人だという仮説的概念ができてしまうということはよくあります。また、僕のように性格が悪いと、本当はこころから国家国民のために尽くしている人かも知れないのに〈このヘラヘラと人におべっかをつかうのにはきっと下心があるにちがいない〉などと、逆の仮説的概念で判断してしまうこともあるわけです。過去の失敗を踏まえて、僕は人を一面だけで理解しようとしないことにしています。例えば政治家で「憲法問題」を口にしても、「改憲」即、右翼という見方はしないでおこうと思っています。じつは僕も憲法に絶対触れるべきではないとは思っていません。「憲法第9条」は日本が誇るべき立派な法律だと思いますが、日本の現状や自衛隊をどのように位置づけるかということから、現実的に考えるとそれだけでは済まないかなと考えるようになっているからです。あまりにもゆがんだ拡大解釈がすすみすぎています。むしろ「憲法第9条」の精神をもっと補強して、拡大解釈のできない憲法につくりかえる、ということなら飲んでもいいのではないかと思うのです。それには、今のように小泉政権に国民がなびいているときではダメだなぁとは思います。石原慎太郎もよけい危ない。国民の意思は、本心と違う強いものに惹かれてしまうところがあるのでしょうか。憲法に手をつけるとしたら、信頼できる安定政権ができたときしかないでしょう。当然、海外派兵など絶対にできない、アメリカの軍事補給も×です。世界に対して、軍事によらず外交を行うことを堂々と宣言して、協調できる国との公益を優先してゆくという筋書きであれば国民の多くも改憲に賛成できるのではないでしょうか。と、こんな夢ものがたりをいうと「甘い」とどこからか叱声が飛んできそうですが、ひとつのものにしがみつきすぎると、おおきな流れを見過ごしてしまうことがあるのではないかと、こんどの選挙結果をみて思ったのです。それにしても、死票率みましたか。公明党と社民・共産両党との1票の効率の違い。みなさんのご意見も伺ってみたいものです。
2003.11.12
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選挙の結果がでましたね。自民党に圧勝させたくないというバランス感覚で民主党が伸びたけれど、自民党も負けてはいない。というのが、選挙結果のようです。森内閣以来の少ない獲得議席数だと言っても一番勝っているのだから、勝ちは勝ちとして認めざるを得ないでしょう。民主党も政権が逆転してこそ勝ったといえるのではないでしょうか。結果的には、社共保の小野党の目減りぶんがそっくり民主党に移ったということですか―。いつも思うのは、選挙制度からはじまって選挙の仕組みが政党のため(だけ)につくられていて、しかも政権党や大政党がものすごく有利に選挙を戦える仕組みになっています。恣意的に二大政党化にもっていくための小選挙区制ですが、これは死票率が増えるため「投票してもどうせ変わらない」とする選挙民を増やす結果にもなってしまう傾向になるので、本来の民主主義からすれば問題の多い制度でしょう。大政党へのエコヒイキということでは、選挙制度の内容はひどいものがあります。ここでは書ききれないので機会があればとりあげてみたいと思いますが、例えばポスターにしても大きさが決められていて、(一定の議員数をもった)政党は別サイズの、しかも政党の宣伝をするための(実際は候補者の)ポスターをつくれます。無所属の候補や個人レベルの候補者はただでさえ組織力や政党助成金などの補助も少ないのに、様々な制約の選挙法に手足を縛られながら闘うしかないわけです。選挙の戦い方という面で、僕がこのところの選挙でずっと気にして注視しているのは、公明党です。というのは、僕の感覚からいうと、政党としてはもっとも嫌われているタイプでありながら選挙に強い。嫌われ仲間としては同じような組織政党でありながら共産党がズルズルと後退しているのと対照的ですね。たしかインターネット内での政党の嫌われ度アンケートでは公明党のほうが上のはずです。しかし、選挙には強い。この秘訣はなんでしょう。社民党の退潮は感覚的に理解できます。社会党時代に大企業や官公労の労組に依存してきた政党なのに、労組が労使協調路線、支持の大多数が見放すように民主党よりに変わった結果、北朝鮮問題などでもミソをつけたとなれば退潮するしかないでしょう。村山内閣、土井議長という砂上の楼閣で夢をみているうちに土台はすっかり波にさらわれて、その後ようやくのびてきたマドンナたちも育たないうちにスキャンダルなどで立ち枯れさせては尻貧も当然でしょう。辻本問題で土井党首の対応のまずさはその象徴でもありました。でも、憲法9条にしても少数意見の尊重にしても、弱小政党が皆無になってしまったら怖いと、個人的には思っています。このところずっと言われてきた無党派層ということば、無党派にも大きくは2種類あると思います。政治的無関心層と、政治には関心があるが政党政治に失望して離れた無党派層。現在は、後者のほうが多くなってきているでしょう。今度はその無党派層の票の多くが民主党に流れたとみていいでしょう。無党派にとって、投票の決め手は政策の中身より政治的パワーの流れをみているところがあります。なぜ、政策の中身を重視しないかは、掲げても実効される可能性が低いからです。政権を獲ってこそできることを、その可能性のほとんどないところがどんなに言っても絵に描いたモチにしか見えないわけです―。それに、組織の論理のなかで裏切らたり無視されつづけたという失望感も加わるわけです。たとえば、公明党と共産党の大きなちがいもそこに隠されています。政策だけみればむしろ共産党のほうがよく練られて、理想に近いと思うことがよくあります。しかし、実現の可能性となると、公明党のほうが現実的で(政権党とベッタリなぶんだけ)実現性が近い、と思えるわけです。いうなれば、1億円の宝くじより確立の高いパチンコに手をだすような選択肢が働くわけです。もちろん、こうした心情的なものだけでなく、公明党の開発してきた同党ならではのしたたかな選挙戦術が下敷きにあるわけで、ここも大きな違いになっています。このへんを書くと面白いのでしょうが、誰でも読めるHPで書いてしまってはせっかくのマル秘情報がマル秘でなくなるので、べつの機会に…(と、気をもたせておきましょう)。 関くん、とりあえずはご苦労様。これが小選挙区法での現実だよ。 出たのは自分の判断ですから、誰に責任を負わせることもできない。今後、地道に一からたちあげることだね。まだ若いんだから…。
2003.11.10
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日記で、田中長野県知事の「陰の内閣の閣僚名簿搭載」について疑義を書いたところ、大勢の方から反応をいただいた。ただ、誤解しないでいただきたいのは、これによってただちに知事として不適格だと烙印を押したわけではない。パフォーマンスやマスコミ受けの問題だけが何かと話題になるが、現実的に起こっている問題では、これまでの知事像の常識を超えた優れた活動も実践している。その一つとして、このたび導入された「住基ネット」の問題がある。図書館に行って目当ての本を探すときに司書に訪ねると、たちどころにその棚に案内してくれる。僕のように記憶力が著しく劣る人間には、司書はもう魔法使いのように尊敬しているのだが、聞いてみたところ図書館には「日本十進分類法」という分類方法があるという。一応書いてみると、000 総記300 社会科学400 自然科学500 技術・工学・工業600 産業700 芸術800 言語900 文学というように分かれていて、例えば000の総記でいうと、010 図書館、020 図書・書誌学、030 百科事典、040 一般論文集・公演集、050 逐次刊行物、060 学会・団体・研究調査機関、070 新聞・ジャーナリズム、080 双書・全集、090 郷土資料・貴重書・その他特別コレクションと分類されている。例えば『天声人語』を探すと「049」に分類される。9―主題が多岐にわたるもの4―論集0―総記というようになるそうである。植草甚一という作家名で調べるとすると、「914・6」つまり、6-現代の作品、4-随筆、1―日本、9―文学となるそうである。数字の組み合わせで、本の番地がたちどころにわかる仕組みになっていて、この分類法を覚えておけばどこの図書館に行ってもそんなに困らないそうだ。もちろん、僕には数字と言語のとりあわせなど、覚えられるはずもないのだが…。これで思いつくのが、すったもんだのすえ導入した「住基ネット」。人間をこんなふうにコードで分類したらずいぶん便利だろうなぁーということで以前から「国民総背番号制」などで導入を狙っていたものだ。これを図書館なみにすれば、番号からどの町に住む、どんな家の、どんな仕事の、いつ生まれた人で、郵貯はしているか、交通違反や過去の犯罪歴などなど記憶させようとすればできるから、管理したい人にとってはとても便利なものである。住基ネットに係る本人確認情報はもう少し簡略化して(住所、氏名、生年月日、性別、住民票コードほか)悪用しにくくしてあるということだが、消費税同様一旦導入すると後から変更してゆきたくなるのがこうした制度の常だ。すでに日本全国で一斉に導入され、(管理者にとって)よほどの跳ねっ返り以外は、皆さんもれなくコンピュータで管理されている。これが漏れると、個人情報が悪用されるおそれがあるため導入前には大論議になったが、総務省は安全で秘密漏洩の心配は全くないとしている。これを田中知事は疑問視して、ある町と村への侵入実験を(県の専門家を使って)したところ、結果について「かなり深刻な状況」らしいことが分かったということだ。こうして、言葉だけでなくハッカー実験をしてしまうところがすごい。要するに、少なくとも長野県では外部からの侵入が可能であるということが判明したわけだ。どのようにしたかは、「実験対象の町村が完ぺきなシステムにならないと、侵入を誘発することになってしまう」ということで、公表の内容をどう伝えたらいいのか苦慮しているとのことだ。また、知事は「情報の漏えいだけでなく、情報が変質してしまう」ことを「深刻」の例として挙げた。総務省は「漏洩はありえない」としているように、このような便利なものを管理する立場の者が実験までして、危険性を指摘するなどということは、田中康夫というヘンな知事でなかったらできなかったことだ。この一例でもわかるように、知事としては型破りな仕事をしている。こうした公開主義が日本全体の地方自治に波及してゆけば、大臣などという棚のうえにのって陣頭指揮をとらなくても実質的な成果が得られてゆくはずだ。すくなくとも長野県という県政においてはトップとして思い切った手腕を発揮できるわけだから、ここで地道(?)に実績づくりに邁進して、他地域への波及をさせて欲しいと願うわけだ。今回は、僕らしくもなく固い話題になってしまいましたが、一応「田中知事批判」のフォローの意味も込めて…。明日は投票日ですね。どうか、よ~く公約を比較して、日本の「平和路線」が守られるような選択をして欲しいと願うものです。速報本日、僕が盗まれた「デジカメ」が発見されました。草むらのなかに捨ててあるものを、さる方が拾って通報してくれました。FCカードに名前を書いてあったので、電話を調べてくれたということです。雨にかかったらしく、カメラは作動しませんが、とにかく修理に出してOKであれば感謝感謝ということです。バイクはちょっと大きめなスクーターを注文しましたが、お金が無くてまだ引き取ってありません。トホホ…。
2003.11.08
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「人は皆、生まれながらの道化師だ」といいますが、田中康夫さん、そこまで道化をやる必要があるのでしょうか。今度の民主党を自分の信念において個人的に応援するのはかまわない。ただ、知事にいながら閣僚名簿に名を連ねるという行動は県民への背信行為ですよ。たとえ県民益につながるといっても、ここではそれは詭弁にしかなりません。あなたと県知事候補の候補として伊那の地にこられて始めて会ったときに、僕はあなたに直接確認しています。「世の中には無所属で当選して、ほとぼりの冷めるか冷めないうちに既製政党に入る節操のない人がいるが、あなたはそういう人ではありませんね?」と。それに対して、「わたしはそんな器用な生き方はできません。あくまで一県民として歩みます」と答えたのをよもやお忘れではないはずです。ましてや、二度目の選挙のときの民主党長野県連の日和見的な煮え切らない姿勢には共々ずいぶん失望したはずです。たしかに県知事としてのあなたは期待以上の役割を果たしてくれています。そのことに関しての信頼感は揺るぎのないものになりつつありますし、県民の多くが県政の風通しが良くなったことを感謝しているはずです。僕も県民として委ねてよかったとつくづく思っています。ここまできた以上、後戻りはできないのですからこれからもやってもらわなければなりません。これまで話題にされた多少の道化ぶりもむしろご愛敬として、僕たちはいつでも守る側に立つ覚悟できましたが、こんどの行動は完全なイエローカードですよ。長野県も、ようやく吉村県政時代にたまったウミをとりさり、さまざまな大手術を進行中です。巨額な借金を抱えた県にとって、今は体力勝負の状態ですね。停滞は一刻もできないはずです。本当に民主党からあなたの力を求められて、長野県のやり方で国を変えようとするのなら、アドバイザーなりオブザーバーなど冠のつかない身分でも十分のはずです。今度の件では、政党の都合で単なる人寄せパンダとしての役割を負わせられているのではという危惧をぬぐえません。それに所轄の大臣が実際に知事と兼任できるほどの軽い役職(単なるお飾り)だとしたら、それこそ力の発揮もなにもあったものではないでしょう。小泉政権の軽さ危なさを思うと、僕も心情的には今回は民主党に政権を獲らしてあげたい気分です。しかし、民主党もこの大事な時期の選挙で、高速道路の民営化が最大の目玉というのでは、あまりにも人気取り優先だけの姑息さミエミエ公約でお茶を濁しているとしか感じられません。もし、通行料の目減りぶんを消費税の値上げで補うことになるとしたら、庶民にとっては本末転倒ものです。そして、政策の目玉というならもっと大事なことこそ浮上させるべきです。そのひとつ、選挙後に予定されているとする自衛隊派兵や憲法問題などは将来の日本の進路を大きく変えるかもしれない大切な問題だということは、十分すぎるほど認識しているはずです。日本が、いまや護憲を叫んでいるだけではすまされない時代になっていることは確かです。しかし、時計を逆回しして紛争の解決に武力をつかうことができるように道筋をつける、などという小泉的時代錯誤は絶対に許されるべきではありません。日本は、今こそ憲法9条の精神を世界に普及させる努力をすべきではないでしょうか。本土の警備や災害復旧などに自衛隊を有機的に活用できる法律、憲法九条をより補完して、明確に国際紛争の解決に武力を使うことを拒否することのできる、実効ある法律に補強できることが明確な場合にかぎって、法の改正を視野にいれるべきでしょう。たしかに、それらのことを言っている政党もあるにはありますが、護憲だけをスローガンにしている弱小政党にまかせるのでは力不足はあきらかです。ましてや与党に与しているご都合政党においては一層信頼できません。そういった意味では一定の力をもった民主党に健全な大人の政党に育って欲しいという願いは、あなただけでなく国民の多くも抱いているはずです。しかし今の民主党は、あまりにも方向の違う人たちを内包しすぎていると思います。あなたが入っても、もうひとつの違った方向が加わるだけのような気がします。あなたが民主党に力を貸すことで、日本の転落に歯止めをかけようと本音で考えるとしたら、今の唐突なやりかたでは無理があろうと思います。ましてや知事という大事な役職との兼務には首を傾げざるを得ません。もどかしくても一枚一枚、紙を積みあげる国民レベルの運動を組織して、政府や各政党により強い圧力をかけてゆくことでこそ、目的を果たすことのできる可能性がでてくるのではないでしょうか。県知事として率先して進めてきた実績を国や各政党に示すことで、影響を与えたほうがより効果的ではないかと思うものです。あらためて言います。あなたは、日本の地方自治に希望を与えうる長野県知事であると同時に、先の知事選挙で県民と約束してきた公約を誠実に果たすべき重責を負っているのです。また、支持してきた県民や、無党派層、市民運動の仲間たちのオピニオンリーダーとしてあるためにも、フリーハンドな立場で行動すべきです。既製政党のご都合主義にのせられて、軽はずみな行動をとるのはどうかやめていただきたいのです。 まだまだやるべきことがあるのでしょうが…
2003.11.06
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人間のサイズといったら、何を思い浮かべるだろう。たとえば、男のサイズ。あっ、ニヤリと笑ったな、エッチ。そういうことではないの。昔から気に入らないことのひとつに3Hがある。いわゆる3高というやつで、結婚相手として女性がもとめる男の条件だ。まず、背が高いこと。背が高いというだけで、ほかの欠点が相当クリアーされてしまうものらしいのである。もっとも、ジャイアント馬場ほど高いとベツもんだいであろうが…。そして、高学歴。いまどきはバカでもチョンでも大学に行くから、そこそこの有名大学出ということになるだろう。昨今実力主義ということで見直しの気分もでてはきたが、まだまだ女性も企業も高学歴信仰からは抜け切れていないようである。そして高収入。もちろんお金はあるにこしたことはない。僕もカミサンには毎日のように稼ぎが悪いと尻を叩かれっぱなしである。しかしだよ、スポーツなどのプロ選手はベツにしても、ケタ外れに稼ぐ奴はたいがい裏でアコギなことをやっていたり、とんでもないケチだったりするものだ。これはもうヒガミ半分で言うが、一代の大金持ちに性格のいい人がいるはずはない。まっ、少しはいるだろうけどさ。と、書いてきてなんだかミジメである。どれ一つとして僕には当てはまらないからである。たとえ悪くいわれても、ひとつぐらいあてはまって欲しいものだが…。とひがんでいたら、強力な助っ人があらわれた。もちろん女性である。「私はジャガイモのような人が好きよ。味のある顔なら裏オモテがあればよろしい。男はなんと言ってもハートよ、ハートの大きさ。愛情度、包容力、情熱、許容量。男のサイズの優劣なんて、その人の精神力で決まるものなのよ。Mさんの許容量は並以上はあるから胸を張っていていいわよ。」もちろん見え透いたお世辞とわかっていても嬉しいではないか。こう断言してくれた人は、近所で短歌をやっている女性なのだが、女優さんのような気品をもっている。そう、女優さんといっても大勢いる。似ている人でいったら北林谷栄さんなんだけれど、みんな知っているかなー。年齢は僕より二回りほど上であるのもちょっと残念だが、僕はなんといっても許容量があるから…。
2003.11.05
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異性の匂い僕は香水の匂いがあまり好きでない。先頃の日記で紹介したアレン・ネルソンさんは解脱した人のように穏やかな表情だったが、話しをしているときコロンの匂いがきつくて、それが気になった。印刷の第二工場のすぐ隣の棟にタイの女性が住んでいた。部屋を出て半年もたつがまだ部屋の中は香水の匂いが強く残っている。日本人にくらべて、外国の人たちのほうが強い香水をつかうことが多いと感じる。ある女性が、昔恋人だった男性と偶然居酒屋の客同士で再会した。酔った勢いで女性のアパート近くまで送ってもらったおり、久しぶりにキスを交わそうという雰囲気になった。男性の顔が近づいてきたとき、思わず顔を背けてしまったそうだ。男性はやっぱり嫌われたままかと、哀しげな表情をみせて帰っていったという。ところが、女性には嫌いという感情はもう消えうせてないという。「不思議ね、酔っていたから懐かしさのあまり許してもいいかと思ったのに…」という。実は元彼の顔が近づいてきたとき、体臭を感じ、それが厭で顔を背けたという。元彼とは同棲までした間柄、その頃は彼の体臭も平気だったはずだ。新しい恋人がいる彼女には、昔の彼氏の匂いはうとましいものとなってしまっているようなのである。当然、新しい恋人の匂いは好ましいとは思っても厭ではないはずである。男は、けんか別れした彼女であっても、日が経つにつれて良かった思い出のみが甦ってくるものだが、女性はどんなに燃えた過去があろうと別れた相手は異邦人、すっかり他人になってしまうのだろうか。昔の女を懐かしむ男は「退屈している男」であり、昔の男を懐かしむ女は「現在ひどい孤独」にみまわれている女だと言った人がいるが、むべなるかな。
2003.11.04
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宅急便が何かを届けてきた。開けてみるとワインと「初恋はがき大賞」入選のお知らせという連絡文が入っていた。そういえば、うるとびーずさんに催促されて締切日の前日に駆け込み応募したことを思い出した。葉書一枚に、短歌でも俳句でも、川柳やエッセーでもイラストのようなものても何でもいいという、まるで異種格闘技のような企画だった。はっきり言うと僕の川柳はまともに書くほどわかってくれる人が少なくなるという困りものだ。エッセーなら普遍性があるからだいじょうぶだろう。それにしても、マラソン選手も100メートル選手も棒高跳び選手もおなじプールでどうぞというようなおおらかな企画だなぁと…(´・ω・`)?。葉書一枚へのエッセーは、文字数からはちょっと辛いが、ざっと下書きをして、それを要約して応募した。川柳もついでに一枚書きおえた。入選ということは版権は主催者側に行くわけだから、作者の僕でもそのまま発表はできない。幸い、短くする前の下書きがあるから恥をしのんでそれを紹介してよう。 金木犀の香り ―初恋―小学校3年生頃だった。近くに仲の良かった同級生の家があった。春には、田んぼのれんげの中で花の蜜を吸ったり、ママゴトに興じたりして遊んだ。父親同士が友人だったこともあり、家族ぐるみのつきあいだったがその頃、女の子の父親は長いあいだ結核で伏せっていた。夏になったら父親の病状がいっそう悪化したとのことで、女の子の家に遊びに行くことを禁じられた。その初秋、とうとう女の子の父親は亡くなった。葬式を終えてから数日後、父に連れられてひさしぶりに少女の家を訪れた。女の子はゴザを持ち出して庭の金木犀の下に敷き、ふたりぶんのカルピスを運んできた。小春日和が心地よかった。「○○ちゃん、ちょっと来なさい。」母親が家の中から少女を呼んだ。僕は女の子が家に上がった隙に、女の子のコップに自分の口をつけた。「ドキン、ドキン」と鼓動が高まり息苦しさを感じた。母親から渡されたお菓子をもって戻ってきた女の子が、金木犀の花を皿に盛り、ママゴトのように「はい、おとうさんご飯ですよ」と、僕に差しだした。そのように病気のお父さんに食事をはこんでいたのだろうか、僕はおずおずとそれを受けとった。そのとき、通りかかった近所のおばさんに突然声をかけられた。「あら、仲が好いこと。お似あいね。」僕は悪いことを見つけられたような気がして、その場に皿ごと花びらを投げ捨て、逃げるように家に走り帰った。しばらくすると、女の子の家族はそこを引き払い、母親の実家に引っ越して行った。今年の春、数十年ぶりにそのとき女の子だった人と桜の公園で再会した。いまでも当時の面影が残るもののお互いに白髪の混じる年になっている。今でも金木犀の香りとであうと、甘酸っぱくあの日の出来事が甦る。 ○○○さん、読んでくれているかな?
2003.11.03
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昨日は結婚式に出席してきた。この歳になると友人とか知人の結婚式はあまりなく、義理出席のものばかりだ。義理出席の結婚式を短く書こうと「ぎりこんしき」とキーボードを叩いたら「義離婚」「死期」とでた。縁起でもないと叱られそうだ。義理婚式はどうしても冷めた眼で進行を眺めてしまう。あらかじめお断りしておくが、これから書くことは一般論としての話で、昨日の新郎新婦のことではない。昨日の花嫁花婿は、もうとびきり素敵で申しぶんないカップルでしたよ(身内の人が読んでいたら誤解なくね)。最近は、結婚式・披露宴も工夫を凝らした、実質的で個性ある方法が増えてきたが、こちらのような田舎の、しかも長男ともなると形通りワンパターンの披露宴が多い。僕の価値観で少しだけケチをつけてみよう。会社の上司の祝辞、馴れないから長くなるのはしかたがない。しかし、あまりにも見え透いたお世辞は聞いていてこそばゆい。成績優秀、真面目で仕事ができて…とはじまり、「片目を瞑って相手をみよう」などと教訓的な諺でしめる。成績優秀、真面目で立派なカップルなら、あえて諺で教訓を垂れることもないのでは、と思うのはヘソマガリ?両家を代表しての挨拶で、「粗酒粗肴ですが…」にはいつも気になる。目の前にあるお酒も料理も、両家でつくったものではなく、プロたちが誂えた立派なものである。へりくだり過ぎではないだろうか。ちなみに息子の披露宴のときの謝礼で僕は、「粗酒粗肴と言うべきかも知れませんが、今日、二人のために出席してくださった皆さんのために、料理はここ(会場)の料理人たちがこころを込めて造ってくれたものです。お酒は高いものは出ていませんが、それぞれ乏しい予算の中で精一杯吟味して準備してくれました。こころを込めて準備してくださった○○(会場)の方々にも感謝します。……」と、会場のスタッフにも謝辞をした。その効果あってか、会場のスタッフがイキイキと動いてくれ、良い雰囲気ですすんだ。予定より長時間になったためオーバーした酒のぶんの料金も追加請求されなかった。花嫁のお色直しという着せ替え、一生に一度のこと、文金高島田もウエディングドレスも着たいという気持ちはわからないでもないが、選んだ相手をまだ決めかねているようで落ち着かない。問題は中身なんだから、どちらかにして、じっくり見せてくれないものだろうか。花嫁が会場にいないあいだにスピーチなどを指名しているが、スピーチする人も拍子抜けするのではないだろうか。もっとも、どうでもいいようなスピーチばかりではあるが…。花婿から花嫁へのキスも、人前でみせつけないで、後から好きなだけ部屋でしたらどうだと言いたくなる。僕が親だったら、たとえ娘の好きな男であっても手塩にかけた父親の前で、これみよがりにして欲しくないんだなぁ。ふたりで初めての共同作業という立派なケーキ入刀もなんとなく空々しい。どうせならケーキを手作りで作ってきたらどうだ。キャンドルサービスも拍手を強要されているようで…。一生に一度のことならもう少し趣向の違った方法をみせてくれないか。そして最後に、披露宴後の余った料理や酒類の始末のこと。料理は折りに入れて持ち帰るというケースも多いが、栓を抜いたビールや酒、シャンパン、ワイン、持ち帰って飲んだら1ヶ月はかかるぞというほど残っている。別の会場の片付けをみていたらバケツに空けていた。オォ、もったいない。あれだって精魂こめてつくった人がいるだろうに…。と、ことごとくケチをつけたくなってくる。これは新郎新婦の顔もはじめて見るような結婚式にでる、貧乏性でヘソマガリな繰り言であることは重々承知しているのだが…。あっ、これはもちろん昨日の結婚式のことではありませんよ。くれぐれも誤解ないようにね、ご近所の皆さん。おふざけな文章のあとで恐縮ですが、東京犬さんの日記を読んで感じたことを書きます。補記東京犬さんの今日の日記に掲示板を閉鎖している理由が書いてあった。そこに紹介されていた作家の宮内勝典氏の「海亀日記」に飛んでみた。今頃気づいたのが残念だが、僕にとって共感度が深い文章が書かれていた。「非戦」という本が生まれるまでの出来事が簡潔にまとめられているので関心のある人は読んでもらいたい。先のアフガンからイラク戦争にいたる経緯では、「反戦・非戦」について、楽天内の掲示板でもさまざまな議論があった。議論はあったが、論争といえるものは少なかったような気がする。論点が噛み合っていなかったからである。枝葉末節、あげあし取りのような部分をことさら拡大して議論をもちかけるというディベートな論者が多かったような気がする。それに嫌気をさして掲示板やHPを閉じてしまった人もいたが、振り返ってみるとあれは何だったのかという虚しさが残ってしかたがない。と、今日のところはこのくらいにしておこう。
2003.11.02
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私の国アメリカは悲惨な体験をしてきたのにもかかわらず、今も戦争をしています。ニューヨークでの大きな多発テロを機に、アフガニスタン、イラクでも戦争が行われ、イラクでは憎しみをいっそう拡散してしまいました。また、パレスチナやチェチェンなどでも悲惨な戦闘行為はつづき、人々は自分のいのちを爆弾とする絶望的な戦いをつづけています。人類の緊急な課題は、どのようにして平和をつくっていくのかということです。私がお話した通り、兵士というのは戦争のために働いているのであり、戦争によって平和を生み出そうというものではありません。私たちは、平和のためにいったい何ができるでしょうか。新聞を見ると、誰かが何かをしなくてはいけない、なんて書いてありますが、誰かに求めるだけでは平和が訪れるようなものではありません。ガンディーは「兵士というのは寝るところや食べるものに不自由しても、それでもなお献身的な人たちだ」と言ってます。ただし、「上官の命令にたいして」「人殺しのために」ですが…。沖縄にも話をしに何度も行きました。沖縄の人たちは戦争で苦しんだ体験があるだけにたいへん平和に関心をもっています。基地をなくすために、平和のために、アメリカ政府、そして日本政府に積極的に、平和的に立ち向かってきました。しかし、いまだに軍隊が目の前に存在しています。彼や彼女が働く近くでは、タッチ・アンド・ゴー(離発着)訓練が行われ、より効果的な人殺しの訓練が行われています。これで日本が平和だと言えるでしょうか。特に沖縄のように数々の苦しみをつづけてきた地方に負担を押しつけておいて、米軍のためのサービスはますます手厚くなっています。私は沖縄に駐留している米軍基地の撤去を支持します。沖縄に駐留している米軍は「人殺しの訓練」をしているのです。日本を守るためにいるなどとは誰一人思っていません。解決策はあります。本当は兵士も故国に帰りたいのです。自分たちをピースキーパーと呼んでいる軍隊は、すべての戦車、すべての銃、戦闘機を捨て去り、ガンディーのしていたような眼鏡を支給し、髪の毛はそり、平和を求める行進させればいい。こうすれば平和は非暴力的に維持することができます。それができないなら、せめて基地を最小限に無くす方向に日本の政府も国民も声をあげてゆくべきです。もし私が敵国の司令官ならまず、攻撃しそうな兵士の多いところ、武器の多いところ、人の多いところ、爆弾が効率よく使えるところに照準を定めておきます。アジアでいったらどこの国がつごうが良いかおわかりでしょう。(今の日本は平和ですが)次世代の人たちが、あるいは三世代、四世代、先の沖縄の人が暴力的になるかもしれないということを私は心配しています。国にいつまでも人質のように見放されたままなら自分たちで米軍基地を撤去させようと立ち上がるかも知れないからです。その時には多くの血が流されるでしょう。ですから、私たちや平和を訴える人たちが、問題が大きくなる前に精力的に取り組まなくてはなりません。平和的な方法で、隣人たちと共存するために、軍隊を世界から無くさなくてはいけません。憎しみから平和は生まれません。戦争から平和は産まれません。観念からも、無関心からも生まれません。とことん話し合い、相手を知り自分を知ってもらい、お互いの違いを尊敬し理解し合う、足りないものを補い合うことでみんなが望む世界に近づけるのです。戦争で苦しみ死んで行くのは老人や母親、子供たちです。兵士たちも戦場で死んでいけるのは幸運かもしれません、後の想像を絶する苦しみを知らずにすむからです。殺戮を行った兵士たちの多くは正気に戻ったときから地獄のような苦しみがまっているのです。戦場にいた誰もが、なんの見返りもない苦しみを味あわなければならないのです。政治家も、皆さんも、戦争で平和が求められるという幻想だけは捨てて欲しいのです。勝ち負けにかかわらず、民間人はもちろん兵士たちにさえ地獄の日々が待っていることを知って欲しいのです。アレン・ネルソンさんのお話をまとめた内容を、要約して紹介しました。ネルソンさんは現在も要望があれば各地にでかけ体験談の講演をつづけています。殊に高校生など、若い世代に戦争の実態を知って貰いたいと熱意をこめて語っておりました。
2003.11.01
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