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差し込んでいるのは未来からのひかり汚すまじ…2004年ですね酔っぱらい熊です。イランやイラクのこともありますからおめでとうは後にします。間抜けなことに冬眠できないんです。まだ年賀状を書き終わってないんです。投函は今朝未明になるでしょう。だから、誰のところにも届きません。おやすみなさい。今年も、相変わらずになりそうですね。 食べてすぐ寝るとウシになりますよ。おっぱいが大きくなってしまうんですって…。吉野屋の牛丼がカレーになってしまうんですか。
2003.12.31
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今年は、アメリカ・イギリスによるイラク戦争が起こり、自衛隊のイラク派兵問題とつづき、日本の進路が大きく右カーブしてしまいました。その間、いくつかの選挙があったため、否応なく政治を見つめてざるを得ない一年でもありました。今年の全半での楽天HP内では不愉快なできごともありましたが、そうした不快事がバネになって、信頼できる友人が何人もできたことは思わぬ収穫でした。困ったときに去る人来る人、人間がかいま見えたできごとでした。先日の日記でも書きましたが、日本の政治を預けている人々の言葉の不誠実さを今年ほど感じたこともありません。かつて日本の教育は「読み・書き・算盤」が基本で、国語・算数は教育の柱でもありましたが、最高学府をたぶん優秀な成績で出た人が「聞く力、話す力、説得する力」と三重苦をもっておられること、計算能力の高い人たちが勤めておられると思った銀行が破綻したり、国の赤字も天文学的数字になったりと、指導者たちの基礎学力を疑う一年でもありました。イラク問題の論戦で、国会で楽天のなかで、マスコミのなかでレトリックだけが飛び交っていました。レトリックとは「実質を伴わない表現上だけの言葉」という意味です。一見巧みな弁舌に見えても心にしみいるものがないのが特徴です。小泉総理や石破長官の、レトリックは巧みとも感じられないレベルのものでした。レトリックはギリシャ時代に政敵を論破する修辞法として発達したものですが、それ以前の基本は「読み・書き・算盤」です。国会内に教室でも開いて基礎教育をやり直すべきでしょう。インターネットの特徴的な性格として、日本国内のみならず海外にいる方々ともリアルタイムに情報交換ができるようになったのも嬉しいことですね。僕がリンクして中でも、何人も海外に拠点をもっておられます。日本人は、読むことに比べて表現力が弱いと、長い間言われつづけてきました。実は僕もその一人です。ところが、楽天で知り合った方々は、海外でも臆せることなく堂々とコミュニケーションを駆使しておられます。本当に尊敬してしまいます。こんな方々を国会国語教室の講師にお願いしたらいかがでしょうか。五郎さん、俊介さん、manaさん、そして外国育ちさん、うるとびーずさんも頼もしそうですね。算数は、秀さん、エムツーさん、経済はミドル英二さん、吉池さん、修辞法はshigezo.さん、翔子さん、…書き切れませんが、そのほかにも引く手あまたです。まるで、影の内閣ならぬ講師陣が揃ってしまいそうです。初夢ならぬ、最後っ屁のような大壮語になってしまいました。お許しを…。今年もたくさん天に唾を吐いてしまいました。こころなしか当地の雨が多かったような気がします。こちらの山々は雪が真っ白く照り輝いています。来年こそ平和と希望が訪れるように祈りたいものです。皆さん、よいお年をお迎えください。
2003.12.30
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以前の日記に書いたが、ある高齢の女性から一冊の本の依頼を受けている。自分の葬式の時に会葬者に配って欲しいという依頼の本だ。その女性は肺癌に冒されている。手術は受けるつもりがないということだ。自然に逆らって生きながらえるより与えられた時間を精一杯過ごしたいという意志だ。ドイツで暮らしていた頃の回想録と短歌集。ユーモアのセンス溢れる人で、とても楽しい文章だ。とても乗り気ではあったが、いつ完成させたらいいものか悩んでいた。ところが、この暮れになって急いでくれという連絡が入った。出版費用もすぐにでも振り込むという。急がされると、とても心配になってくる。万一、間に合わないということにでもなったら…。急ぎます、正月は、その本の制作で埋まってしまうかもしれない。皆さんには、少し不義理をするかも知れませんがご勘弁ください。
2003.12.29
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とにかくボスにはさからうなよ、と…。今日のサンデープロジェクトを見た人も多いと思います。「イラク自衛隊派遣は国益か。初実現!元外交官対決」ということで、 元タイ大使の岡崎久彦氏と元レバノン大使で「さらば外務省!」の著者の天木直人氏がイラク問題を議論しました。天木直人氏が「さらば外務省!」のなかでも述べているように、「アメリカのいいなりに追随するだけが日本の国益ではなく、ときには間違いを指摘することも大切で、日本の判断で自衛隊を出さないことも長期的には国益につながる。今度の派遣はイスラム諸国からはアメリカ支援としか受け取られず、親日感情を転換させることになるだろう。日本が世界でただひとつ通用する平和外交という切り札を失うことになる」ということを、各地の戦争や紛争を例にあげ具体的に語った。これに対して、岡崎久彦氏は「アメリカに従うことで今の国民の生活がある。(自衛隊派遣による)アメリカへの協力は国益に沿うことで、これまでも協力してきたから日本は発展できた。トヨタの自動車販売が全米で二位となれたのもアメリカの外交を支持してきたからで、ここで一度でも反旗を翻せば日本の国益は大きく損なわれる。今の国民が良い生活をできるのもこれまでの(アメリカ追従)外交があったからだ。とし、(自衛隊のイラク派遣において)日本の独自外交など行なうべきではない。というように、正反対の議論となった。また、レバノンという国はシリアに占領されている国で…と、暗に天木氏と自分の元大使としての位のちがいを匂わせるかの発言もあった。これに対してコメントを求められた塩川正十郎前財務大臣のコメント。内容には触れず、「まるで子どもの議論だな。理想主義をかかげるのはいいが、現実を見なけりゃいけんよ。そんなに政治は甘くない」と岡崎氏をたしなめたのではなく、天木直人氏を批判し、その発言に例をあげて反論しようとした慶應義塾大学教授の金子勝氏に、「あんたは学者だから…」と、学者では現実の政治を語れないという姿勢をしめした。このへんのやりとりをご覧になっていた方はどのように感じたのだろうか。僕は、日本の政治というもののレベルをしかと見てしまったようなうすら寒い気分になった。この人もつい先頃まで「塩ジイ」と呼ばれて人気のあった代議士だ。また、この人を選び「塩ジイ」の政治的感覚を支持し応援してきた多くの国民がいるわけだ。ということは、天木直人氏の意見に共感し頷く僕の感じ方が、国民の感じている方向と大きくずれてしまっているのだろうか、と暗澹とせざるを得なかった。岡崎久彦氏も塩川正十郎氏も、アメリカに従うことこそが唯一日本のとるべき道と一貫していたが、日本は我々の知らないうちに、アメリカの占領国家から隷属国家に堕ちてしまったのだろうか。自民党議員の多くが塩川氏と同じレベルでものを考えているとしたら、それを支持してきた国民は納得しているのだろうか。それとも、失望したと考えるのだろうか。 昨夜0時ちょうどに50000カウントに達しました。今朝8時53分のMドングリさんまでが句集のプレゼントに該当します。その間に入った方で、僕の句集を読んでいただける方はメールボックスにお名前と送り先を入れてください。楽天にHPのスペースをお借りして433日、1年と2ヵ月あまりで様々な方と交流できてとても楽しく過ごすことができました。皆さまにこの1年を感謝致します。 今年一年の選挙の垢は落としましょう、嫌な思い出はサルといいですね。 今度こそちゃんとしたボスを選びましょうよ。ね、ねっ!
2003.12.28
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日本はイランに直ちに自衛隊を送るべきです。イランで起こった大地震による死傷者は数万人にのぼるといいます。阪神大震災でも経験していることですが、地震が起きたらはじめの数日の救援活動がとても大切なのは言うまでもありません。建物の下敷きになっていたり、閉じこめられている人の救助、火災の延焼対策、水や食料などライフライン対策、どれもどれだけ緊急に対応できるかで被害情況が著しく変わってくきます。イラクへの自衛隊派遣計画で小泉総理は、「国際貢献」「人道援助」などを強調していました。自衛隊でなければできない活動だからと、国民への理解を求めていました。言葉を真に受ければ、イラクよりイランに自衛隊を派遣するべきでしょう。幸いのことに、イラク派遣にむけて準備を整えていたはずです。イランは戦闘地域ではないので、懸案とされる銃火器も必要がないでしょう。輸送機に医薬品、衣料品、水処理機器など民生品を積んでただちに出発すべきです。できれば軍服も行動しやすい作業服にして、堂々と日の丸を掲げて行けばいいでしょう。イランで成果を収めることができれば、日本のいう「国際貢献」「人道援助」という言葉も、信憑性をもって国際社会から受け入れられることでしょう。万一、緊急に援助が必要なイランを捨て置いてイラクになど行ったら、イスラム諸国のみならず顰蹙と嘲笑を買うことは必定です。ぜひ、方針をすぐに自衛隊のイラクではなく、イラン派遣に切り替えてください。これであれば、国民も納得ができると思います。 こちらのページもぜひお読みください。「アフガニスタンからの緊急報告 中村 哲 医師」「この人の話」
2003.12.27
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その昔、一旗あげようと東京を目指した若者がいた東京へ行けばなんとかなる金持ちになれずとも食うには困らないだろうと田を捨て 畑を捨て 家も 家族も みんな振り切って東京を目指したものさ東京で見たものは窮屈で 騒々しくてみんな足早で みんなよそよそしくて雑踏の中にある とてつもない淋しさだったいつしか 雑踏の渦に流されながらこんなはずじゃあなかった こんなはずじゃあ と…東京の人はすごいこんな、四角い空の下でエネルギッシュに働いている 遊んでいる東京をうろついていた青春はただの野良犬だった。 遅ればせながら、伊藤俊也監督のパーティーの様子です。 なぜか、ボケている人がいます 挨拶をしているのは岸本加世子さん 監督 山城 松方 奥田 拓磨 大和田 宮内 内田 の各氏仕事を! とお願いしている松方さんです。 樹木希林 壇ふみ 五代夏子 (??女優) 小柳ルミ子さんは感涙して他人から借りたのデジカメで撮ったものですから…。
2003.12.26
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ひとつの決意を固めたとき、何かがふっきれたとき、家を捨てようとしたとき、こんな瞬間があるのかも知れない。鬼にも、仏にもなれず、うじうじと僕の今年が暮れようとしている。 今日はクリスマスですか。グリーティングカードありがとう。お酒もありがとう。今年の何よりの収穫は、皆様とのであいでした。来年こそ、よい年となりますように…。来年もよい年でありますように…。 ※おかげさまで、もう数日で50000アクセスとなります。 50000~50020カウントの間に入った、楽天会員の方は、 メールでご住所お名前を教えてくだされば、僕の川柳 句集を謹呈させていただきます。 ただし、読みたい方だけということでお願いします。
2003.12.25
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僕は高校を卒業して、東京・本郷の親戚がやっていた版下会社に住み込んだ。高校ではクラブ活動に熱中して、希望する大学の学力には足りないと判断されていた。東京に出ればなんとかなる、働きながら大学を目指そうと野心を抱いての上京だった。そのころ、東京は「東大紛争」に象徴される学園紛争で揺れに揺れていた。学園閉鎖や入学試験もままならない大学が続出し、将来への見通しもたたず僕は希望を見失っていった。本郷から後楽園までは歩いて20分ほどの距離だった。四六時中机に縛り付けられるような仕事で運動不足を感じていた。僕は後楽園のなかにあったスポーツジムに通い体を鍛えた。そこで出会ったのが三島由紀夫だった。そのとき僕は19歳、三島は40歳を幾つかすぎていたと思う。アントニオ猪木もおなじジムに通って身体を鍛えていたが、三島と猪木が出会ったところを目撃したことはない。三島はマッチョな男たちに気軽に声をかけていた。そこで親しくなった屈強な若者の何人かが、彼の主宰する「楯の会」に入っていったようである。当時、彼の書いた『憂国』も彼の主演で映画として上映された。作家としてもビッグネームであったが、その頃の僕は寺山修司の「天井桟敷」らの活動のほうに興味をもっており、三島の男の身体を眺める視線の気味悪さもあって、声をかけられてもあまり近づかないようにした。もっとも、僕は彼の好みのマッチョタイプではなく、三輪明宏のように美しくもないし、身体も小さかったので強く誘われることはなかったが…。三島の身体は、胸の筋肉にくらべ足腰のあたりはそれほど鍛えられているとは感じられなかった。マスコミに登場するときの姿は颯爽としていたが、ジムで汗を流しているときには、むしろ肉体の劣等感をひっしに埋めようとしているかに思えた。風呂からあがり、すっ裸で自らの姿を鏡に映し身体の確認をしているときの姿は、は虫類を思わせるものがあった。三島の作品「黒蜥蜴」が頭にあったせいかも知れない。「黒蜥蜴」は、丸山明宏・木村功らの出演で映画化(深作欣二監督)されている。三島は同性愛者だという噂は公然のものであった。この頃、三島はことさら男を意識し、彼を取り巻く学生たちと自衛隊に体験入隊を繰り返したり「楯の会」を結成したりしていた。汗を流したあとのジムの風呂場で、若者たちに葉隠れ精神を説きながら、その男たちの裸体を眺めるねっとりとした眼差しに、どこかに病的な危うさを感じた。三島の作品でとくに話題になったのは、裁判にもなった『宴のあと』だろう。これは、元外相有田八郎をモデルに描いた作品『宴のあと』がプライバシーに反するとして訴えられたものだ。この頃は、文学がプライバシーという概念で語られることはあまりなかったような気がする。書き得という状態だったと思う。三島の裁判によって、プライバシー権という問題が脚光を浴びることになった。
2003.12.24
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『宴のあと』のモデルとされた有田八郎は戦前、四内閣で外相をつとめたが、戦後は再軍備反対を唱え、革新候補として55年と59年の二度、都知事選に挑戦し、いずれも小差で敗れた人物だった。有田を支える料亭の女将の畔上とのロマンスはマスコミをにぎわせた。作中では、接吻の場面、寝室での行為、心理の葛藤、妻を踏んだり蹴ったりする場面などが描かれている。これに対して有田は、事実に反すると同時にプライバシーの侵害だ、と損害賠償を求める民事訴訟を起こした。三島側は、「すべては三島のフィクションであり、イメージによる描写であって、読者が、有田の私生活がそのとおり行われたと連想することはありえない」と主張したが、判決はフィクションを認めたうえで、次のように裁き、プライバシーの侵害を認めた。 「モデル小説の一般の読者にとっては、その小説のどの叙述がフィクションであり、どの叙述が事実であるかは明らかでないから、フィクションの部分を事実と誤解する危険性がある。しかも、『宴のあと』では、事実とフィクションとの境界を判別させようとする技法がとられていない。 モデル小説は、モデルの知名度が高ければ高いだけ、モデル的興味で読まれるものであり、しかも、本件では、作品の発表が有田の都知事選出馬とその後の離婚といった社会的に著名な事件の発生からわずか一年前後経過したにすぎない時であったので、当時のモデル的興味はきわめて強いものがあった。このような状況においては、本来なら主人公の私生活の叙述にすぎないものが、モデルである有田夫妻の私生活を写し、またはそれに着想した描写ではないかと連想させる結果を招いたことは否定できない。このことにより、有田が心の平穏を乱され、精神的な苦痛を感じたとしてもまことに無理からぬものがあり、小説に叙述されたところが真実に合致していると否とによって、さしたる径廷(けいてい=へだり)はない」〔サンデー毎日1999年7月11日号(岩見隆夫のサンデー時評より)〕この頃デモが行われたのは、大字構内だけでなく、大学につづくあらゆる道路上や公園だった。ベトナム戦争反対、沖縄返還、首相訪米阻止闘争などのスローガンで、若者たちは街頭、盛り場でも暴れまわった。角材を手にへルメットをかぶり国電や地下鉄に乗り込んだ。それを機動隊が挟み撃ちにするように追い回した。学生たちと同年代だった僕も、街を歩いているだけで職務質問を受け、身体に何か隠してはいないかとこずきまわされた。僕の住んでいた本郷2丁目は、神田や御茶ノ水駅から東大への間にあり、路地には東大に向かう学生や私服警官が市民に入り混じっていて、僕は学生一味と見られることが多かった。持っていたコーラの瓶も、火炎瓶に使うのではないかと疑われた。東京の歩道は、きれいに敷石がほどこされていたが、デモ学生たちの投石につかわれはじめたことから、すべて撤去されてアスファルトの味気ない道路に替わっていった。僕が東京にでてから、学生運動はますますエスカレートし、日本だけではなく、世界各国の若者が相呼応するかのように立ち上がり、「スチューデント・パワー」といわれた。五月にパリのソルボンヌ大学に赤旗とアナーキズムの黒旗がひるがえり、パリ市街に労働者・学生40万人の人々がくりだしたデモはこの時代を象徴的に語り継がれるものとして記されることとなった。既成体制への若者の挑戦はヨーロッパ、アメリカに、そして日本でも波打った。学生運動は大学や権力の古い体質、官僚体制への反発でもあったが、また学生違動は「代々木系」と「反代々木系」の対立というかたちでも激化した。「代々木系」は代々木にある日本共産党指導下の民青全学連、「反代々木」というのは、その日共指導に反発する新左翼グループだったが、これがまた分裂に分裂をくりかえし、「革マル」「中核」「社学同(ブンド)」「反帝学評」などのセクトに分かれていき、後にはそのなかでの内ゲバといわれる争いが起こり混迷していった。運動の方法論へのわずかな違いにもこだわり思想を精鋭化させてゆく過程で、わずかな躊躇も日和見として批判の対象にして大衆遊離を起こしていった。そして、連合赤軍に代表される過激派学生たちの運動へとつづき、完全に国民の支持を失ったのである。この頃、学生たちのなかに運動を先導する者たちの存在がひそかに話題にされることがあった。あるいは所属大学も身元もよくわからない学生(?)が、ことさら過激で妥協を許さない方針を提案し、結果的に内部分裂へと導いていった。その頃の大阪万博あたりから高度成長、そしてバブルの時代へと大量生産大量消費の物質優先の社会へと突き進み、日本中土地や株への投機に沸き立った、あだ花のような浮かれ時代を経験することになるのだが、やがてそのしっぺ返しを食うことになる。バブルがはじけてもう十数年以上にもなろうとしている。日本社会はいつしかテキサスの牧場とみまごうかのようにアメリカナイズされてしまっている。羊たちは牧場主の顔色をうかがう牧童たちの言うなりに右往左往して、太平楽がいつまでもつづくかのように、真実から眼をそらす日々を送っている。いま日本は大きな転換点を迎えようとしているが、学生たちも国民も、かつてみせた大きな渦を巻き起こすことはもうないのだろうか。三島は、右翼ともいえる思想をもって日本のアメリカの植民地化からの解放や国体護持などを唱え、復古的伝統文化に傾倒しているかにみえたが、その一方で東大に立てこもる学生たちとの話し合いにでかけたり、左翼学生たちとの討論を意識して行ったりもした。パフォーマンスもあろうが、彼の中では言葉は通じるものという想いがあったのだろうと思う。想いを伝えることの難しさを感じたのは、彼がもっとも期待した自衛隊員への呼びかけのときではなかったのだろうか。1970年(昭和45年)11月25日、「楯の会」の森田必勝ほか3名と自衛隊市ヶ谷陸上自衛隊東部方面総監部のバルコニーからクーデター蜂起を訴えたが、隊員から「ナンセンス」叫ばれ呼びかけへの無反応に失望した。受け入れられていないと悟った彼は、長官室で割腹自殺をとげた。45歳だった。介添えをして三島の首をはねた森田も三島に殉死した。僕は、テレビ中継に映っているバルコニーの三島由紀夫と、後楽園ジムでみかけた裸の彼との落差を埋めることができず、ただ唖然とテレビを見つめていた。
2003.12.23
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友人に、「最近の歌謡曲はどうも曲になじみにくくじっくりと聴けない。」と言ったら、「それは、歳!」と、即座に断定された。言われたままではシャクなので、娘のCDを聴きながらジャケットにあった詞を読んでみた。「おゝ、なかなかいい感性してるじゃーないか。そういえば、一時代前の歌謡曲の詩はワンパターンが多かった。涙、星、雨、夢、虹、訣れ、などを繋ぎあわせただけの詞がよくあったナー」。しかし、最近の曲は詞はよくてもリズムにはどうものれない、やっぱり…か。アメリカの大統領だったレーガンは、あるとき奥さんの名前を思い出せず、ジョークとみせかけ電話で本人に聞こうとしたが、家の電話番号も思い出せずに自分が異常だということに気づいたということだ。そのしばらく後でアルツハイマー宣言をして話題を呼んだ。僕も忘れっぽくなったと、思うことはよくある。一歩家を出ると、家庭のことも妻のこともすっかり忘れる。病気の前兆だろうか、きっとそうだ。以前に、永六輔が講演で「物忘れ」について語ったことがあった。ある精神科医師が「アルツハイマー相談会」を開いた。自覚症状が強く、もしや自分もと心配した人たちが大勢集まったそうだ。その人たちを前に、精神科医が「これから私が治療したい人だけ残ってもらいますから、心当たりのある人は手を挙げてください」と言ってから質問をしたそうだ。はじめに「小学校のころ宿題を忘れたことのある人」、「忘れものをして、家に取りに帰ったことのある人」と言ったら、大部分の人が手をあげた。すると、「今、手をあげた人は大丈夫です、昔からモノ忘れのケがあっただけです。それが今もつづいているだけの人です。」それで大部分は安心して帰ったそいだ。しかし、頑固な数人が残った。そこで次の質問をした。「ゆうべの食事を聞きます。ゆうべ何を食べたかではなく、夕食を食べたかどうか思いだせない人、この人は残ってください。」すると、全員が部屋を出てしまったとのことである。実は、僕は夕食を食べたかどうか思い出せないことがある。友人などと、ちょっと一杯がしっかりの一杯になって、次の日思いだせないのである、夕食を食べたかどうかが…。こんなことが川柳でもある。自分のノートに心当たりのない下手な句がいくつも並んでいる。どうも酔ってつくったらしいのだが、もしかしたら他の人の作ったものを書き写しただけではないかと考えたりする。僕にしては下手すぎる、いや、こんな下品な句をつくるはずがない…。(ところがどうひっくり返しても大概自分で書いたものらしい。)僕はエッセーも川柳も、頭で書くと言うより指が動くままに綴られることが多い。事実だったかフィクションだったか、でるとこまかせで、もういいかげんなものである。あったことなかったこと適当にまぜてつなぎ合わせていることなど日常茶飯事だが、脳のメモリーが足りないからどうしようもないのだ。これも僕のアルツハイマー症状なのだろう。ところであなた、ご伴侶の親の名前覚えていますか。家のこと忘れていませんか。自分の歳を言えますか。ああ、何か忘れているような……。
2003.12.22
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[MAGCHIMERA WARTIME]を編集発行している藤澤みどりさんからメルマガ通信が届いています。詳しくは下記にアドレスがありますから読んでください。時間のとれない方のためにメルマガより抜粋したものを要約して、お伝えします。 いま、石川島播磨重工の技術者たちも自衛隊機の整備のためイラクに派遣されようとしています。そのことについては会社からも自衛隊からも箝口令が敷かれていますが、同社の社員から実情が報告されています。イラクで日本人外交官ふたりが殺害された翌日、ティクリートに向かう同じ幹線道路で、韓国の企業オム電気の社員ふたりが、同じように銃撃されて亡くなりました。日本でも、自衛隊の航空機など装備補修などで民間人が極秘で派遣されることになるようですが、韓国とほぼ同様な事態が進行していることが見えてきます。韓国技術者で犠牲になったうちのひとり、キム・マンスさんの高校3年生になる娘さんが、集会で手紙を朗読しました。その内容を紹介します。「ハラボジ」というのは尊敬する「おじいさん」を意味する朝鮮語です。少女は尊敬と親しみを込めて大統領をこう呼びかけ、国軍を送らないでと訴えています。父親を失った悲しみの淵から、いま何が起きているのかを必死で考えたのであろう少女の手紙を、ひとりでも多くの人に伝えたいと願いここにお知らせします。 故キム・マンスさんの娘、キム・ヨンジンさんの手紙(チョ・ホジン記者による日本語訳を、読みやすくするために添削しました)ノ・ムヒョン大統領への手紙 キム・ヨンジン父は、私たち双子の娘たちの大学登録料を用意するため、イラクに行くと言いました。私たち家族は、(イラクは)戦争がつづいていて危険だと止めました。しかし、父は、“マスコミでも安全だという話しだし、オム電気でも大丈夫、危険はないと言っている”といいました。“安全でなければ私は行かない”と言ったので、私たちは父の安全を信じて送り出しました。イラクに行ってから3日後の11月30日、父が亡くなったらしいということを聴きました。そのことを初めて知ったのはTVニュースでした。父の会社や政府からでもなく、家族には関係機関からは何の連絡も誰の知らせもありませんでした。それで、しかたなくノ・ムヒョン大統領ハラボジに問い合わせの手紙を書きました。そうして、一日遅れてオム電気と外交通商部の人が訪ねてきたのです。大統領は(韓国として)父が亡くなったことへの遺憾を表明し、最善をつくして家族を助けると約束してくれました。私が世の中で一番愛する父が、イラクの砂漠で亡くなってから13日が経ちました。父は今、大田(テジョン)にある葬儀場の冷凍庫で、イラク人から撃たれた銃弾のあとを残したまま冷たく横たわっています。まだ葬式を執り行っていませんが、私は皆さんに今の気持ちを伝えたいと思い喪服を着てソウルまでやって来ました。高等学校3年生の私ですが、この場に立つことになったのは父の死を受け入れるにはあまりにも苦しく悲しいということを知ってもらいたいからです。イラクから帰られたオム電気の会社の同僚の方たちが、数日前に殯所に来てくれました。父の遺影の前で、その方たちが現地の様子を語ってくれました。それによると、イラクは行く前に聞いていたような安全な場所では全くなかった。おじさんたちが働く砂漠の作業場のすぐそばでは、連日ミサイル爆撃と銃撃戦が止まなかった、ということです。比較的に安全だというバグダッド市内も、武器を持って歩き回るイラク人たちが頻繁に往来しているという話でした。私たちの父を含むオム電気の労働者たちは、危険なことを知らずに派遣されてそのような場所で働いていたのです。会社が最初に言った「安全だ」という言葉と、現地での身辺保護と米軍の警護を受けるという約束を信じて…、けっきょく一度も約束通りの待遇を受けることがないまま、働かなければならなかったということです。私たちの父が被弾し亡くなったのは、こうした常識では納得しがたい状況の中ですから、もしかしたら予定された死ではなかったでしょうか?会社の人たちが言いました。イラクに到着して間もない頃のイラク人たちは、韓国人たちにはかなり友好的だったといいます。「それなのにどうして、イラクの人たちが私の父を殺したのですか?」と私は尋ねました。すると、私たちがやる送電工事がアメリカ企業の受注を受けての工事だとわかってから、イラク人たちの態度が急変したようだと言うのです。そして、韓国政府がアメリカの要請を受けてイラクに派兵する方針を決めてから、韓国人に対するイラク人たちの感情が、ますます悪化してしまったようだともいいます。私は、韓国の平凡な高校3年生です。イラク戦争だとか、イラク派兵だとかいうことには自分は無関係だと思っていました。しかし、今、少しずつわかってきました。全世界が反対したアメリカの戦争で、イラクでたくさんの人々が死んでいるということを…。そして、大韓民国のイラク派兵が決まったことによって、韓国人もイラク人たちの怒りの標的となってしまったということを…。その最初の犠牲者が、私が世の中で一番愛する父なのだということを…。ノ・ムヒョン大統領ハラボジは、イラクに銃を持った国軍の方々を送ることが、私の家族を助けてくれることだと思っているのですか。私たちの父の死だけでは不足なのですか? 大統領ハラボジにとって、国軍の方々の命は大事ではないのですか? その国軍の方々の家族に、私たちの家族が経験している苦しみと悲しみを同じように抱かせようとなさるのですか?ノ・ムヒョン大統領ハラボジ。私たちの父の死と悼み、家族たちを慰めるために最後まで最善をつくすという、約束を守ってください。そして、私たちの国軍の方々を、イラクへやらないでください。私たちの父の死を無駄にしないでください。お願い致します。母は、もう涙が枯れて、われを失ったままです。私たち姉妹には、このできごとは本当に耐え難いです。言葉もなく冷凍庫で眠っている父を思えば思うほど、この無慈悲に胸がはり裂けるように痛みます。国民の皆さん、どうか父の死を記憶してください。父の死が無駄にならないために。韓国人記者の日本語訳が少し読みにくかったので、綴りを読みやすく添削してあります。原文を読みたい方は、下記のページでお確かめください。━━━━━━━━━━━━━━━━━━編集発行 藤澤みどり[MAGCHIMERA WARTIME]http://www.chimerafilms.co.uk/children_mag00.html’Children of the Gulf War’ photo exhibition UK tourhttp://www.chimerafilms.co.uk/children.html━━━━━━━━━━━━━━━━━━ PS公明党の神崎代表の「当初は危険と思っていたが、決してそういうことはなかった」という発言に、現地で取材している「綿井健陽 Web Journal」さんが、HPで裏付け証拠写真を掲載しています。政治家の言葉って、本当に油断も隙もないですね。これを信じてしまう人がいたらどうするんでしょう。
2003.12.21
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このような言葉は、ときとして右翼や国粋主義者が使う言葉で、多くの人にとって不快語になるだろう。しかし、こともあろうに「ミサイル防衛導入」を決定したということに及んでは、この言葉は小泉・石破体制のためにあるのではないかと思ってしまった。石破長官は「ミサイル防衛システム」が、ミサイル防衛に対処する唯一なものという。しかし、この技術はアメリカ内部でさえ技術的に確立されているものではない。命中しやすく操作した実験でも5回に1回の失敗が出ている。しかも、アメリカは中国・北朝鮮から発射されたミサイルがアメリカ本土に届くまでの距離を想定して研究している。日本ができることは、アメリカに向かう途中のミサイルを撃ち落とすための中継基地としての役割ではないか。しかも、初期投資だけで1兆円もかかるともいわれるこのシステムを、アメリカから買って守ってあげるとは、なんとお人好しなことだろう。そして配備後の軍事費の肥大化がはじまる。このシステムのメンテナンスと装備の更新に莫大な費用負担が予想されるという。こんなムダ金があるなら、金をばらまき誰とでも仲良くしていたほうがまだましというものだ。これほどまでして仮想敵国をそだてなければならないのだろうか。第一、万一戦争状態が想定されたら中継基地をたたくのが一番効果的ではないか。アメリカより先に日本が狙われる。日本全土をカバーして守ることなど可能とは思えない。そして仮にミサイル防衛に効果があると仮定して、このシステムを運用する限りアメリカに日本の防衛の首根っこを握られることになる。もし将来、アメリカと敵対するようなことになったらどのように日本が守れるというのだろうか。これからの戦争は、大国同士が正面から戦うというケースは不可能になるといわれている。殺戮兵器の技術が発達しすぎて、戦えば敵味方双方に致命的な傷をのこす結果がみえるからだ。可能性があるとしたら、アルカイダ手法に暗示されるように攻撃相手の内部に潜り込んで、テロと呼ばれる攻撃をしかける方法が通常手段になってゆくだろう。パレスチナ、アフガン、イラクなど、第二、第三のアルカイダ志願者が生まれる下地も拡大している。これには、ミサイル防衛システムはなんの役にもならない。むしろそこが狙われる恐れだってなきにしもあらずだ。このように素人考えでもわかる愚を、国民の信任を得た優秀な人材が集まる政府が判断できないはずがないと思うのだが、もし、別の思惑があるとしたらひとつしかない。経済効果だ。この膨大な金のかかるシステムは、アメリカの貿易赤字を劇的に埋める効果がある。もうひとつ、日本国中瞬時にシステムが発動できるインフラ整備と維持管理により、コンピューター関連や防衛産業は、自動車産業以上の活況を呈することになるかもしれない。もうひとつ軍事費に国費が大きく傾くことによって、日本の国力の衰退がすすむことになるだろう。国民の反発の大きい徴兵制を導入しなくても、失業者を自衛隊員として吸収するといった軍事国家の後追いのようなことまでおきてくるかも知れない。ただひとつの良い面は、経済大国として日本に卑屈にしたがわざるを得なかった国々からは、対等の関係として認められるようになるかも知れない。こんな暮れに、どさくさまぎれのように、今までの政府が成しえなかった重大で危険な決定をつぎつぎにしていくリーダーに本当に行く末をまかせていいのだろうか。小泉内閣に期待したのは政治経済の構造改革で、日本のアメリカ州化改革ではなかったはずだ。まさか、いまさら国粋主義者のような発言をしなければならないとは思わなかったが、もう一度だけ言わせてもらう。「ミサイル防衛構想」導入は、売国奴のやることだよ。選良諸君! 夕焼けがいつまでも平和の色であって欲しい
2003.12.20
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いよいよ雪の季節ですね今テレビドラマ「北の家族」が5夜連続で再放送されている。「遺言」ね明日で最終回。ビデオに撮りなおして、夜中に観ているのだが、粗筋がわかっていながら同じ場面でホロッと涙が滲んでしまう。これは「北の家族」ファンにとって誰にでも共通の現象のようだ。なかには、さだまさしのスキャットがイントロに流れてきただけで涙がでてくるという「パブロフの犬」状態の人もいるそうだ。この泣かせ上手は、どこからきているのだろう。もちろんドラマの背景が北海道ということも、構成や筋だてが完璧といってもよいほど優れていることもある。そしてキャスト。田中邦衛演じる五郎を中心とする黒坂一家は言うにおよばず、周囲を固める脇役のキャストもすばらしかった。ドラマと同時に家族も成長し、ドラマを見続けた人たちにとって、黒坂家は自分の親戚かもうひとつの家族を見つめるようにドラマを観ていたのではないだろうか。「初恋」で純が東京で暮らすシーンがあったが、やはり北海道に戻ってからのドラマのほうが地に着いた感じてしっくりとした。ドラマと同時に俳優さんたちの人生もドラマと同時進行しており、たとえば地井武男が演じていた役で妻が癌で死ぬ場面があったが、実際に地井武男の奥さんが癌で亡くなっている。僕はこのシーンは倉本演出にしてはやや演技過剰とおもって観ていたが、現実にドラマとまったく同じように私生活が進行していたことを総集編で知って、驚いた。純の恋人シュウ役の宮沢リエが自殺未遂騒動を起こしたときも、純役の吉岡秀隆に電話で救いを求めたようなことがあったが、ドラマに出演している俳優たちのとっても、家族のような空気が流れていたのではないだろうか。いいドラマには、ドラマを感じさせない空気がある。じっくりと熟成された酒のように気持ちよく酔わせてくれる。 ワインでも飲みながら泣きましょうかちょっと前日の日記が、みっともないのでお口直しに…。
2003.12.19
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はずかしい落日だなー中国旅行で集団買春をした建設会社の幹事役3人を中国当局が国際手配をしたという。いまだに恥のかき捨てをしているわがニッポンのセックスアニマルたちの行状は情けない。いっそのこと手配写真を公表したらいかがだろう。と、個人的感情として思うのだが、先の留学生たちの破廉恥踊りへの抗議デモさわぎと今度の買春の国際手配、どうも中国国内の政治事情の匂いが感じられてならないい。どちらの事件も対外的配慮の欠如した破廉恥なできごとではあったが、デモまでして抗議する問題か、国際手配までしなければならないことなのか、ちょっと釈然としないところがある。このところ中国に広がりつつある反日的機運の高まりは、この2件があったからというより、これまでの積み重なった鬱積が集約された形であらわれているのではないだろうか。先の留学生のいた大学には、まだ日本人留学生がいるが、日本人への誤解を解くためにも大学に残ってデモをした彼らと話し合うと言っている。こうした態度こそがもっと大きく報じられるべきだろう。くだんの建設会社のかたをもつつもりはないが、注文しなくても「買春ツアー」が組み込まれる海外旅行は、過去も現在もなかば公然と韓国や東南アジア諸国では行われており、その斡旋収入が現地ガイドの大きな稼ぎともなっている。日本の旅行会社も、このへんの裏事情を知ったうえで旅程を組んでいることが多いのではないだろうか。旅程表には「買春」とは書いてないが、宴会のコンパニオンとそのまま「個人的交渉」が成りたつ仕組みになっているようだ。「買・売春」は日本人だけの特徴かというと、どの国の男どもも平等(?)にスケベであることには変わりがない。ただ、集団で「恥のかきすて」を行うのは日本人くらいかも知れない。金になりやすい、カモになりやすいから日本人アニマル向けコースがあちらこちらの国でセッティングされているのである。当然、中国にもそんな組織ができていたのだろう。今、日本国内で中国人による犯罪が急増しているという。そのことと絡めて、「強盗・殺人のほうがよっぽど重大な犯罪なのになんで買春ごときが…」という意見もあるが、それとこれとは分けて考えるべきであろう。いまさらの観もあるが、中国旅行にかぎらず、「金で性を買う」ということを恥とすべきモラルを確立すべきであるが、もう一歩すすめて選挙の連座制のように「買春斡旋」のシステムを黙認する旅行業務自体を罰則をもうけて禁止させるべきだろう。中国では建設会社に斡旋した幹部2人に無期懲役、残る12人に2~15年の実刑判決という重い刑罰を与えた。国際手配といい、重罪的判決といい、妥当性には疑問を感じないわけではないが、一罰百戒としての意義はおおきいのではないだろうか。これを機に、恥ずかしいことは個人的に、できたらお金を使わずに、こっそりといかがでしょうか、ご同輩。
2003.12.18
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先日書いた伊藤俊也監督と知り合ったきっかけは、8年ほど前に僕の書いたある一行に眼をとめてくれ、取材されたことがきっかけだった。それは福井の丸岡町が募集した「日本一短い母への手紙」への一遍だ。ある日、「突然で驚かれるかも知れませんが、一筆啓上に応募した作品のことでお話を伺えないでしょうか」という電話があった。それが伊藤俊也監督だった。監督は福井のご出身だ。午後3時の約束でOKをすると、時間ピッタリに見えた。福井で作品を読み、その足で4、5時間車を飛ばして来たという。その時の話しは作品のことより、違う方向に発展していったような気がする。結局、伊藤監督が僕の作品をモチーフとして映画化するということは無くなり、関係もそれきりになると思っていた。ところが、その伊藤監督から丁寧な手紙を戴いた。自分の手で映画化できなかったけれど、後輩の監督がひきついでやることになったというようなことだった。僕がどんな返事を書いたのか覚えていないが、お礼に僕の川柳作品集を一冊添えて送った。すると、それにも感想の手紙をくれた。そんなこともあって、たまさかに手紙の交換がはじまった。ちょっとエポックとなったのは、伊藤監督作品で東条英機と東京裁判を描いた『プライド』という映画が話題になったときだ。この制作には、中国や韓国などから抗議がおき、それに呼応するように日本でも左翼陣営から上映禁止運動などがおきた。「東条英機を賛美」する映画だと決めつけての抗議である。僕の地元の映画館でも上映されず、僕は東京まで観に行ってきた。どのように東条英機を美化して描いてあるか確かめるつもりで観たのだが、終戦付近の史実に沿って正確に描いたという印象で、内容的に何等言いがかりをつける筋合ではないと思えた。たとえ東条であろうと、政治から離れての家族の中ではふつうの父であり親であったろう。そうした普通の人間の部分が良くないということなのだろうか。よく、ドラマで犯人をとことん悪人顔で描くことがあるが、あれは疑問だ。たとえ殺人犯であっても、ある人にとってはとても優しい一面をもっていることだってある。優しいから、あるいは弱いから、犯罪を犯してしまうこともあるはずだ。一国のリーダーとしての東条の過ちは万死に値するものではあるが、私人としての全人格までも否定するべきだろうか、政治家・軍人東条と私人としての東条はわかて考えるべきだと僕も思う。実はこの頃僕は、中国映画『南京1937』の当地で上映する主催メンバーだった。この映画は南京大虐殺をモチーフに映画化したものだが、これもたぶんかぎりなく史実に近いドラマであろうと思える、戦争の残酷な一面があますところなく描かれて衝撃的な内容であったが、ストーリーとしても優れた映画だった。ところが、『南京1937』の上映に反対する右翼の映写幕切り裂き事件など、妨害事件があちこちで発生、映画館は上映中止に追い込まれていった。僕は、このときの左右両派のおとなげなくヒステリックな姿勢に、つくづくうんざりした。映画を観てから気に入らなければ内容を批判すればいいのである。観もしないで、自分の主義とちがうからと妨害するのは、民主主義の否定であり、自分の狭窄さをさらけ出しているにすぎない。また、かりに偏向映画だから見せないほうがいい、という考え方は、観衆の眼を信頼していない態度で愚弄するものだ。良い、悪いを判断するのは観衆であり、「映画=影響力」と短絡的な人たちよりはずっと賢いはずだ。こんな意味の内容の手紙は伊藤俊也さんにも送り、僕は『南京1937』を大勢に観てもらう努力をするから、監督は胸を張って『プライド』上映をすすめて欲しい、というように書いて送った。こんなこともあって、いっそう親密感が増したのかも知れない。伊藤監督は、『プライド』を補足する形で『偽・日本国』(幻冬舎)という本を書いている。少し中味の濃い内容だが、これを読めば伊藤俊也という人がどんな思想の人かわかる。単純右翼が期待し、単純左翼が排斥するような人物ではないことがよくわかる。ご子息がこちらに転勤したのをきっかけに、ご夫婦で当地に遊びにみえたこともある。監督としての演技にはかなり厳しく、女優さん泣かせだということを聞くが、普段は偉ぶったところがまったくない。(あたり前かも知れないが)話題も豊富で、きさくな人である。先日の会でも、小柳ルミ子さんが監督に花束を渡したあと、感極まっておもわず泣き出した。彼女にとっては『誘拐報道』『白蛇抄』で、歌手から演技派女優へと開眼させてくれた恩人なのだ。それをずっと忘れない彼女も偉い。会場で、僕は小柳ルミ子さんのすぐ近くにいたので様子を知っているのだが、彼女は遠くにいる伊藤監督の挨拶や話しを、少しも聴きもらすまいとするかのように、テーブルの上の料理や飲み物にもまったく手をつけず、眼で監督の姿を追い、言葉をじっと真剣に聞いていた。離婚騒動やテレビ上で作られたキャラクターの印象とちがう、「わたしの城下町」の頃の楚々とした純真な部分をいまだにもっているのではないかとさえ、僕には思えた。と、これを書いているところに電話が鳴った。受話器をとるとなんとその伊藤俊也さんではないか。「先日は遠いところを来て戴いて、とてもうれしかった…」から始まって、会の後のことまでご心配くださっていたようで、何とも恐縮至極。僕たち夫婦のほうが、珍品貴賓な方々と近くで拝見できたうえ、さまざまな体験をさせて頂いて感謝すべきなのに…。
2003.12.17
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東京プリンスホテルで行われた映画監督・伊藤俊也さんの紫綬褒章祝賀パーティーに招かれてカミさんと行ってきました。 ホテルにはすでに映画関係者が大勢おり、そのまんなかにジャンパー、ジーパンででかけた田舎者夫婦が入っていったのですからさぞかし目立ったことでしょう。テレビ局のカメラマンたちが、なんだこの二人はという眼でジロジロと見ていました。幸い会場入り口付近で監督ご夫妻にバッタリと会って、ご夫妻の部屋をお借りして着替えをさせていただきました。会場は700人近い映画や芸能関係者がいて、田舎者はひたすら飲み食い、そして「あれが俳優の○○かいな」と、珍しいものを見つけるようにキョロキョロしていました。近くにいるきれいなお姉さんたちも女優さんらしいのですが、僕はそちらに疎く、顔とお名前が一致しません。松方弘樹、大和田伸也、津川雅彦、陣内孝則、小柳ルミ子さんらはすぐにわかりましたが、隣にいた金髪長髪の賑やかなおじさんが内田裕也さんだったとは…。樹木希林さんも向こうにいましたが、内田さんがいたせいか近くにきてくれませんでした。僕の近くにいて一緒に写真をとったかわいいお姉さんは岸本加世子さんだったんですね…。年よりずっと肌も容姿も若かったです。岸本さんはテレビドラマの「美空ひばり物語」で好演したのですが、そのエピソードを伊藤監督と山奥に遊んだおりに話してくれました。樹木希林さんがお母さんの役をしたのですが、身内の加藤さん側からのクレームで大変だったという内輪話など、監督ご夫妻が遊びにみえたときに信州長谷の囲炉裏端で興味深く聞いたものです。奥田瑛二さんは気さくな方ですね、隣で気軽に話しかけてくれました。瑛二さんと一緒に写真を撮ってウキウキしていたカミさんです。松方弘樹、山城……さん、らもお近くで拝見しましたが、年相応になっていました。今日は、昨日できなかった仕事がたまっていますからとりあえずこのくらいで…。そのうちに会場の写真もUPできるかも知れません。伊藤俊也監督の最近作で物議をかもしたものに、東条英機と東京裁判を描いた「プライド」がありますが、これについてもまた別の機会にとりあげましょう。
2003.12.16
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イラクのサダム・フセイン(元?)大統領が拘束されたというビッグニュースが駆けめぐっていますね。生きて捕まったということですが、さて、誰がどのように裁くのでしょうか。イラクに新政権が樹立していれば、その政権によって過去の罪状か裁かれるということになるのでしょうが、新政権はまだ姿が見えていません。国連が裁判をするのでしょうか。まさか国際法に違反して戦争を仕掛けたアメリカが裁くということではないでしょうね。フセインが裁かれるということは、アメリカも国際法を違反している疑いが強いのですから、裁かれなくてはならないことになります。それとも、ここでも強者の論理で口をつぐんでしまうのでしょうか。さて、お手並み拝見というところです。 話は変わります。当地に常円寺という大きなお寺があります。そのお寺に並んで小さな公園があり、そこに市民たちが建てた「平和の塔」があります。「平和都市宣言をさらにすすめる市民の会」という長ったらしい会によって建てられたものです。会は、特定の団体や政党がつくったものではなく、広範な市民が参加しています。よくいうところの共産党から自民党まで、宗教も、仏教もキリスト教も、そのほかの宗教も実行委員に参加して、歴代市長が会長として参加していますから、この手の会としては理想的だと自負しています。僕はセクト主義というものが嫌いです。世界や家庭、そして自分に平和を願う気持ちは特定の人たちのものではないはずです。そのような主旨で、みんなに門戸をひろげ呼びかけました。もちろん、僕もその会の設立に参加して、世話人の一人として運営に関わってきています。毎年夏にはさまざまな行事を行い、もう15年ほどになります。活動内容を伝える会報は、市の協力により全戸配布されています。「平和の塔」には、原爆直後に燃え残っていた火の保存してあったものを分火してもらって、ガスによりずっと燃やし続けています。ガスの火は強化ガラスによって囲われていますが、いままで二度三度不届き者によって破損のうきめにあい、再度火をわけて貰いにいきました。(全国に何カ所か分火保存してあります。)壊されるたびに、報道されて、市民の募金額が大きくなってゆきますから、会の邪魔をしようという意図があるとしたら逆効果だと思うのですが…。「市民の会」の代表委員の一人でもある、常円寺の住職は角田泰隆(つのだたいりゅう)さんといい、駒澤短期大学仏教科の教授も兼務しています。その角田さんも代表委員のひとりとしてお骨折りくださっています。その角田さんが、この会報に寄せてくれた文章もなかなか「想い」のこもった内容です。会報はまだ市民の手に届いていませんが、タイムリーな内容でもありますので、角田さんの文章の一部を一足早くご紹介しましょう。角田さんお許しを!
2003.12.15
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「市民の会」の代表委員の一人でもある、常円寺の住職は角田泰隆(つのだたいりゅう)さんといい、駒澤短期大学仏教科の教授も兼務しています。その角田さんも代表委員のひとりとしてお骨折りくださっています。その角田さんが、この会報に寄せてくれた文章もなかなか「想い」のこもった内容です。会報はまだ市民の手に届いていませんが、タイムリーな内容でもありますので、角田さんの文章の一部を一足早くご紹介しましょう。 愛己利他 インドの古い経典(『相応部経典』)に、ある国王と王妃の次のような話が出てきます。国王パセーナディが王妃マッリカーに尋ねます。「マッリカーや、あなたにとってこの世でいちばん愛しい人は誰かね?」当然、王は「王様、あなたでございます」という答えを期待していました。ところが王妃は、ちょっと考えて、答えました。「はい、王様。私にとっていちばん愛しいのは自分自身でございます。」王が返す言葉を失っていると、王妃は尋ね返しました。「王様、あなたにとっていちばん愛しい人は、誰なのですか?」 王はしばらく考えた後、「私にとっても、私自身がいちばん愛しいのかも知れない。」と答えたのです。このような会話の後、何となく気が晴れない王は、お釈迦様のところへ相談に行きました。王は、お釈迦様にこのことを話し、同じ質問をお釈迦様にしたのです。「釈尊よ、あなたにとって、いちばん愛しい人は、誰でしょうか。」それに対してお釈迦様は次のように答えています。「どの方向に心で捜し求めてみても、自分よりさらに愛しいものはどこにも見いだされない。そのように、たにんにとってもそれそれの自己は愛しい。だから他人を傷つけてはならない。」(『ウダーナヴァルガ』)実は、ここから角田さんの話の核心に入ってゆくのですが、全部披露してしまっては会報を手にした人たちの楽しみが減ってしまいます。何を伝えようとしているのか、お考えください。次のようなメッセージも書いておりますので、つけ加えておきましょう。今日、イラクでは連日のように悲惨な事件が起きています。これはまさに戦争です。政治的・宗教的・経済的な種々の複雑な要因がそこにはあるのでしょうが、人々は皆平和を求めているはずです。それなのに戦争が絶えない現実は痛ましい限りです。国家を護り、宗教を護り、家族を護るために、自ら爆弾を抱えて命を捨てる若き殉教者達を見て、宗教とは何かを考えさせられます。本当に国を護り、家族を護り自分を護ろうと思うなら、他国を護り他国の家族を護ろうと思わなければならない、つまり、戦争や暴力はけっしてしてはならない、それが仏教を開かれた釈尊の基本的な教えです。仏教の経典に、 自己を護る者は、他の自己をも護る。 だから自己を護れ。 そのような人は常に害を受けることなく、賢者である。 (『増支部経典』)
2003.12.14
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ちょっと不謹慎かも知れないが、戦争と平和という問題を恋愛論と重ねて考えてみました。恋愛には、プラトニックな欲望とエロティックな欲望の二つがあります。一般的に恋愛初期の段階では相手を想い、自分の中で相手を理想的なものとしてつくりあげてゆくプラトニックな精神状態から入ることが多いのでしょう。「ロメオとジュリエット」のような関係はその典型といってよいですね。少女期の女性はとくに恋に恋する、相手にお構いなしに理想像をつくりあげてゆくことがあるようですね。男の場合も多くはプラトニックな「片思い」から入りますが、物理的(?)にエロティックな欲望(性欲)が先行することがあります。それを乗り越えるのが、人間としての理性であったり、自慰行為であったりします。ときにはSEXへの欲望がおおきく上回って、好き嫌いにかかわりなく過ちを犯してしまうこともなきにしもあらずでしょう。朝、後悔をするというやつですね。しまったと思いながらそれを塗布するために心にもない愛情表現をとってつける、というもので、これは泥沼状態になりやすいパターンですね。ふつうの場合は、プラトニックな欲望とエロティックな欲望は裏表のものであって、両者の関係がバランスよくあってこそ、正常な恋愛がなりたっているのでしょう。だって、愛し合っているふたりが一生プラトニックな関係でいれるはずもないし、また愛情もなくてSEXだけでつながっていれるものでもないですね。少し乱暴な譬えになりますが、イラクへのアメリカの戦争行為は手込めにしてしまえば後は何とでもなるなどという強姦男の身勝手な論理だと思います。たしかに国際外交は、理想やきれいごとだけでは通らないということは、だれもが不承不承ながら承知していることです。「平和」という言葉をお題目だけであげていても、悲しいかな今度のような狼藉にはなすすべもありませんでした。もっと大声をあげることも、ときには急所蹴りのような行動にうつすことも必要でしょう。それにしても、百歩千歩ゆずって相手がふしだらにみえる性悪女だったとしても、力の差をかさにきて乱暴に手込めにしたら、一生恨まれるのがおちですよね、簡単な論理がなぜわからないんだろう。ましてや、同じ屋根の下に住む罪のない家族たちまで巻き込んで傷つけてしまっているのですから…。大暴れしてメチャクチャにした後で、土足で入ってきて猫なで声でなだめたりものを買い与えても、関係の修復が容易ではないのは当然です。この際、後遺症をおさえる現状解決が大事です。狼藉の原因はひとまず置くとして、傷ついた状態にあるイラクをどのように復興させてあげるのかの対策を練らなければならないのは、誰にも共通している認識ではありましょう。しかし、どのように誰が手を差しのべるかはとても慎重にしなければならないと思います。イラクの人々は外傷のみならず精神的にも傷つけられているのですから…。狼藉者と同じ立場で、同じような振る舞いで、どんなに良かれと思う援助をしても、心の底から感謝されることはないでしょう。ヘタをすると逆恨みされたり、噛みつかれたり、命だって狙われるかも知れません。それにしても、アメリカは「狼藉を支持した国だけに後でいい思いをさせてあげよう。支持しない国は仲間はずれだよ…!」などといいだすのですから、開いた口が塞がらないという感じがします。憲法の精神ではありませんが、日本が相手にも感謝され将来にわたって国際的に名誉ある地位を与えられるためには、狼藉をした友達に謙虚に詫びるように進言し、そのうえでしかるべく援助をみんな(国連など)で協力し合って行うのが筋ではないでしょうか。ちょっと乱暴なたとえでしょうか……。 水彩画俊介さんの、御茶ノ水博士 特別講演 「私達の敵は誰か?」がとても痛快でした。海外から日本を見ているから、構造がよりくっきりと見えるのでしょうか。
2003.12.13
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小泉首相が自衛隊の派遣説明に「日本国憲法の前文」を参照しました。短かく簡潔な文章ですから全文を読んで欲しかった。だって、意味が違ってしまったではないですか。赤い部分たけ読むのと、全文読むのとどのように違うのか、よく読んでみましょう。日本国憲法前文 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。 われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
2003.12.12
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旧約聖書のなかで、アダムとイブが蛇にそそのかされて「知恵の木の実」すなわちリンゴを食べたために、神の怒りに触れるというくだりがある。林檎を食べると、とたんに性にめざめたり、不必要な羞恥心を覚えてしまったりと、悪知恵がついてしまうということにどうしてなったのかは知らないが、聖書によるとりんごの一口がさまざまな煩悩の始まりらしい。神様はアダムとイブを純粋無垢、汚れのないままでおいて、平和で苦しみのない生活を送らせたかったのだろう。ところがへんな知恵がついてしまったばかりに、人間は苦から逃れようとして、ますます知恵を働かせ、苦しみをいっそう深くしていくのだ。苦しみの反対側にある快楽というりんごの味が忘れられないのだからしかたがないのだが…。ここでいう知恵とは悪知恵のことで、悪知恵とは命の法則に反した所に生まれるゆがんだ知恵ということだ。それかが「我意識」と連なってエゴの元になっている。聖書によると、エゴと悪知恵は生命の法則に反したもので、それゆえに神の怒りにふれなければならないということだ。これは旧約聖書、キリスト教のなかにでてくる考え方だが、仏教でも「色即是空」ということばのなかに、同じように自我という欲がエゴになってむゆく過程が語られている。ちょっと難しいが自己流に「色即是空」を説明してみよう、「色」は色ごとではなく肉体のこと。人間は「空」なる次元の根元的なもののあらわれ(わかりやすく言えば受精すること)となって、母親の胎内のなかで生命の形成をはじめる。そこにおける生命は、根元的なものからの働きかけを受けるのみで、これは意識の「受」の状態、まっさらのことなんでしょうね。やがて、オギャーと生まれるときに「苦」を味わい、母の胸で介抱されて「快」を味わう。新しい生命は生まれた瞬間から苦楽を体験してゆくことになるわけだ。その生命は成長とともに、他と自分をわける意識を持ち始め、自我が生成されてゆき、そのなかからエゴが生まれ育ってくるというわけだ。キリスト教も仏教も、苦から逃れようという意識(つまり便利さ快適さを求めてゆく過程)でいっそうのエゴを生んでゆくというシステムにはまってしまうのだよ、ということでは一致する。僕はイスラム教についてはほとんど知らないが、以前イスラム教に詳しい人に聞いたときには、基本的にはイスラム教も共通していたような気がする。どこかの人々がいうように狂信的な怖い宗教ではけっしてない、平和と尊厳の希求が根元のはずだ。どの宗教も、人間として生まれた以上、エゴからは抜けられないものだと教えている。だからこそエゴをできるだけ抑制し、エゴに走った生き方をしてはならないとも教えている。僕は無宗教に近いが、なるべく自然と共生したいという観点から文明というもの考えるとき、やはり宗教と共通するものを感じることがある。文明の利便さというものは、わずかな苦からも逃れようとして際限もなく発達してきているが、これは考えようによっては人間のエゴだろう。このまま往くとどこかで破綻が訪れるのではないだろうか。歩きながら電話をしたり、メールを交わしたりすることが、人間の幸せにとって必要なことなのだろうか。石油にとっぷり頼った生活がどれほどつづけることができるのだろうか。苦(不便)から逃れようとすると必ずどこかにエゴがはじまる。すべての戦いはエゴを抑制できなくなったところから始まってゆく。そういった意味で、戦争はエゴの集大成ともいえるものだろう。今度のイラク戦争はそれを見事に象徴したものになってしまった。戦争のための正義と大義というものも、やはりエゴを包むコロモのようなものでしかないと感じる。政治も根本的な解釈をしているかぎり許容範囲にあるが、エゴに満ちた拡大解釈をつづけていると、どこかで神や仏の大罰が待ち受けているような気がする。う~ん、今日は宗教家になってしまったような…。ところで、先にもいったように僕は菩提寺はあるが、傾倒している宗教はない。どの宗教の話を聞いても、共感をするがいいとこどりだけで深入りを避けてきた。お坊さんにも牧師さんや神父さんに親しい知人が何人かいる。この文章もそれらの人たちからの付け焼き刃のような聞きかじりで書いているが、若干は聞き違いの解釈があるかも知れない。しかし、エゴの本筋としてはまちがっていないと思うが、いかがだろう。 最後にこの画像がでてくるところが僕の煩悩が抜けないところでしょうね
2003.12.11
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先日の「自衛隊派遣」を説明する小泉首相の記者会見を、少しでも納得できるものがあればと期待していました。残念ながらいつもの小泉的レトリックを象徴的に披瀝したものでしかありませんでした。憲法の前文をもちだす手法も、都合のよい部分を自分に都合よく解釈しただけです。これではオーム事件のときの広報担当大臣という人のレトリック小泉版といったレベルのものでしかありません。このような言葉のまやかしで、日本が半世紀以上守ってきた平和憲法のもとに国際貢献してきた(たとえば青年海外協力隊など)地道な活動で信頼関係を熟成してきたことを無に帰すかもしれない転換点になってしまったことに、彼の危機能力へ対応できる限界が確認できてしまったわけで、哀しみさえ感じます。彼は「人道・復興支援のための活動であり、戦争や武力行使に行くのではない」と述べていますが、これは自衛隊員よりふさわしい人たちが大勢います。たとえば医師、技術者、学者、また現地に危険があれば周辺諸国に滞在して、イラクの人たちを支援したり指導したり、サポートすることだって可能なはずです。また「日本国民の精神が試されている。危険だからといってカネだけ出せばいいという状況にない」と、精神論をもちだしていますがこれも精神論の解釈を間違えています。いまこそ対米最重視という隷属した精神的呪縛から解放されるべきです。また、あたかもカネだけだせと誰かが求めているような言葉のすり替えも姑息です。軍人でないからできる人的支援の道をはじめから閉ざして、自衛隊派遣ありきという袋小路でものをすすめていることになぜ気づかないのでしょう。そして「願わくば、敬意と感謝の念をもって自衛隊の諸君を送り出していただきたい」と締めています。それには送り出す意味が正義と大義にもとづくものであって、大多数の国民に納得できることが前提になるわけです。いまでかけることが、イラク国民に、日本国民にとって、正しい選択だと実感できてこそ「敬意と感謝」がもてるというものです。なお考え方が偏ってはなりませんから、派遣に賛成する意見にも耳を傾けてみましょう。ヤフーニュースから、賛成意見だけを拾ってみました。・同志社大キャンパスで文学部3年の春田祥吾さん(21)=2人の外交官が亡くなった今、派遣をやめたらテロに負けることになる。憲法9条だけでなく、憲法前文でうたう国際平和への貢献も重視すべき」と派遣を肯定し、「米国追従でなく、日本の意思で活動を」と注文を付けました。(「派遣をやめたらテロに負けることになる」という考え方は、殴られたら殴り返さなかったら負けたことになるというチンピラ的発想であって、殴られたら、なぜ殴られたのか考え、彼が暴力を振るわないように対策をとるのが頭のいい方法です。憲法前文は全文を読めば「武力にたよらない紛争の解決」をうたっています。重火器をもってでかけて武力によらないと言っても、相手から理解されるものではないでしょう。)・会社員福井英樹さん(32)=大津市=「殺された外交官の死を無駄にしないためにも派遣に賛成。見えない敵と戦うのは困難だろうが、できるだけ安全な場所を選んで派遣を」。(これも、目には目をの発想から抜けられていません。できるだけ安全な場所を…などとは本来派遣論と矛盾しています。被害が大きく治安が悪いところを改善できてこそ派遣に意義がでてくるのではないでしょうか。)・旅行会社に勤める兼森大輔さん(26)=大津市=は「米英などとの関係が大切。金だけ出します、はもう通用しない。人道支援に限ってなら派遣は仕方ない」。・酒造会社勤務、和田一孝さん(26)=は「各国が軍を送っているのに、日本だけ言い逃れはできない。イラクに絶対に安全な場所はない。テロ組織より強力な武器を持たせるべき」 ・会社員芝本美和さん(37)=は「日本は復興に協力すべきで、そのための派遣をしなければ国際的非難を受ける。イラク国内が不安定な時期の派遣には疑問もあるが、国の立場としてやむを得ない」。 (これらは、どれも小泉首相の説明の範疇を追認しているだけで、実のある説得材料になっていません。国際的非難といいますがむしろ自衛隊を派遣することによる非難への説明になっていません。復興支援を自衛隊以外でやろうということが国際非難になるのでしょうか。)小泉内閣の「派遣ありき」が、憲法の精神を大きく歪めてしまったことが、何より日本の未来にとっての痛ましいエポックになり得るでしょう。これがイラク一国のことのみならず日本の将来にとっての、おおきな不幸の始まりであるかも知れないのです。
2003.12.10
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戦闘下の初の自衛隊派遣=政府イラク支援で基本計画を決定>ということで、先ほど小泉首相の記者会見がありました。イラクに自衛隊を派遣するということは、政府自ら憲法違反を犯すことになります。こんな下品なタグはつけたくありませんでした。内容についてのコメントは後ほど書きます。 先日の日記に、「詐欺」について書いたところ、まるで掲載待っていたかのように、次のようなメールが送られてきました。もちろん全く心当たりのない内容ですから相手にするつもりもありませんが、仮に請求があったらしかるべき所に届け出て処置をしてもらうつもりです。メールのタイトルは、「MerryXmas!!」として添付画像がついています。内容は「AVモロ画像」とのことですが、好きそうな人を選んで送りつけているならお門違いもはなはだしいのです。僕は、実物ならともかく、お金を払ってまでこんな画像を拝見しようとは思いません。だから、善意に解釈すれば間違いメールでしょう。ただ、不特定多数に送りつけているとしたら、あなた犯罪ですぞ。間違って、お金を振り込んでしまうお人好しがいるかも知れない。第一、お金を振り込めって、銀行名、支店名、口座番号、口座名義人の名前が記してなかったら調べようが、もとへ、振り込みようがないでしょう。自宅を訪問するって僕の自宅を知っているのでしょうか。暮れになると、あなたのところにも手を変え品を変え、このような得体の知れないプレゼントが届くかも知れません。どうぞお楽しみください。あなたの「未払記録」につき平成15年12月末日までに正式な関係書類を持参の上、あなたの自宅に訪問致します。---------------------------------------------------------------------------- 1.. あなたがで後払い会員登録した下記通信料金が未払いのままです。 2.. 支払期限が過ぎておりますので、料金(延滞利息等を除く)には年14.5%の割合で計算した延滞利息が別途加算されています。 3.. 訪問を拒否する方は支払いの約束をして頂きます。----------------------------------------------------------------------------ここをクリック訪問を拒否する方はこちらそのまま送信してください----------------------------------------------------------------------------あなたの「通信履歴」----------------------------------------------------------------------------あなたの「申込記録」 ■登録日時 :平成15年6月2日(月)午後11時12分 ■支払期限 :平成15年6月9日(月)午後3時 ■SITE・名 :AVモロ画像 ■商品名 :銀行振込後払い会員 180日 ■期間 :180日 ■料金 :34,800(延滞利息等を除く)----------------------------------------------------------------------------※注意 a.. 当方は法人ではありません。独自の判断で回収致します。 b.. あなたの自宅に訪問する際、交通費、調査費用等は当方が負担致します。 c.. 原則的に、午前9時から午後8時までの間に訪問致します。 d.. あなたが留守の場合は訪問時間が大幅に前後する場合があります。 e.. 本状到着までにお支払いの場合は、行き違いにつき何卒ご容赦願います。----------------------------------------------------------------------------Undisclosed-Recipient:;@m-kg202p.ocn.ne.jp
2003.12.09
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先日の日記に、「詐欺」について書いたところ、まるで掲載待っていたかのように、次のようなメールが送られてきました。もちろん全く心当たりのない内容ですから相手にするつもりもありませんが、仮に請求があったらしかるべき所に届け出て処置をしてもらうつもりです。メールのタイトルは、「MerryXmas!!」として添付画像がついています。内容は「AVモロ画像」とのことですが、好きそうな人を選んで送りつけているならお門違いもはなはだしいのです。僕は、実物ならともかく、お金を払ってまでこんな画像を拝見しようとは思いません。だから、善意に解釈すれば間違いメールでしょう。ただ、不特定多数に送りつけているとしたら、あなた犯罪ですぞ。間違って、お金を振り込んでしまうお人好しがいるかも知れない。第一、お金を振り込めって、銀行名、支店名、口座番号、口座名義人の名前が記してなかったら調べようが、もとへ、振り込みようがないでしょう。自宅を訪問するって僕の自宅を知っているのでしょうか。暮れになると、あなたのところにも手を変え品を変え、このような得体の知れないプレゼントが届くかも知れません。どうぞお楽しみください。あなたの「未払記録」につき平成15年12月末日までに正式な関係書類を持参の上、あなたの自宅に訪問致します。---------------------------------------------------------------------------- 1.. あなたがで後払い会員登録した下記通信料金が未払いのままです。 2.. 支払期限が過ぎておりますので、料金(延滞利息等を除く)には年14.5%の割合で計算した延滞利息が別途加算されています。 3.. 訪問を拒否する方は支払いの約束をして頂きます。----------------------------------------------------------------------------ここをクリック訪問を拒否する方はこちらそのまま送信してください----------------------------------------------------------------------------あなたの「通信履歴」----------------------------------------------------------------------------あなたの「申込記録」 ■登録日時 :平成15年6月2日(月)午後11時12分 ■支払期限 :平成15年6月9日(月)午後3時 ■SITE・名 :AVモロ画像 ■商品名 :銀行振込後払い会員 180日 ■期間 :180日 ■料金 :34,800(延滞利息等を除く)----------------------------------------------------------------------------※注意 a.. 当方は法人ではありません。独自の判断で回収致します。 b.. あなたの自宅に訪問する際、交通費、調査費用等は当方が負担致します。 c.. 原則的に、午前9時から午後8時までの間に訪問致します。 d.. あなたが留守の場合は訪問時間が大幅に前後する場合があります。 e.. 本状到着までにお支払いの場合は、行き違いにつき何卒ご容赦願います。----------------------------------------------------------------------------Undisclosed-Recipient:;@m-kg202p.ocn.ne.jp
2003.12.08
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西村陽子さんの活動が先日の「信毎」に記事として載っていました。記事などより紹介しましょう。西村陽子さんは、長野県の千曲市出身です。県内の学校や養護学校の教員として働いていましたが、青年海外協力隊員としてヨルダンに赴任したおりにNGO(非政府組織)「アラブの子どもと仲良くする会」の活動を知り入会、イラクに滞在して現地の病院の医療活動のボランティアとして活動しています。彼女のおもな仕事はイラク・バクダッドから、900㎞離れたヨルダン・アンマンまでバスやタクシーを乗り継いで、抗ガン剤や抗生物質などの薬品を購入してきて、バクダッドの二つの小児科病院の白血病癌病棟まで届けることです。アンマンまでは砂漠道で、強盗やゲリラが潜む地域を丸2日かけて往復するわけですから、過酷で危険がともなう仕事です。現地の人々に信頼されている陽子さんでさえ「私も、いつ狙われるかも知れない不安感がある」と言います。ここ2ヶ月ほどバクダッド市内の商店に並ぶ商品も増え、ビルや学校の壁の修理や公園の植樹など、イラク人により復興も少しずつすすみはじめている一方、治安の悪化も著しく、バクダッドでは毎晩銃声や爆発音が聞こえるといいます。現在、イラク在留日本人はマスコミ関係者も入れて20数人、最近の外交官殺害のような事態にも在留邦人は驚くことはなかったということです、それだけ自分たちの身近に危険が迫っていることをひしひしと感じていたからだといいます。陽子さんも「いざというときの覚悟はできている」と話しています。いま、イラク国内では日本がイラクに対してどのような活動をしようとしているのか見極めようという空気があるようです。イラク人の間には「戦後、戦争を放棄して平和を手に入れ、経済発展を遂げた日本の姿に、自分たちの未来を重ねる人が多い」と言います。そのうえで、「イラク人が復興のために日本に望んでいるのは、技術や資金」だと訴えています。イラク人たちに自衛隊派遣について話すと「アメリカの要請なら来るな。軍服を着ていたら撃ち殺す」と言われるとのことです。外交官2名の殺害は、日本国内の動きへの牽制的な意味合いがあってのことで他の日本人にただちに危険がおよぶことはないかも知れませんが、自衛隊派遣が行われたら、現地に残る民間人たちにも危険に陥れることになりかねません。彼女らは「信頼関係」以外に守る武器を何ももっていないのです。陽子さんは医療ボランティアの傍ら、戦禍にあった子どもたちに、日本の子どもたちからの絵や手紙の交流の橋渡しもしています。その合間に、折り紙を教えたり、子どもたちの心のケアーにもつとめています。仮に、西村陽子さんのようなボランティアが、派遣しようとする自衛隊員と同じ数だけイラク入りしたら、きっと、イラク人の心に日本への尊敬と好感度が強く焼き付けられることでしょう。派遣費用が、イラクへの医薬品や学校、福祉施設などにあてられるとしたら、おそらく驚くような早さで復興はすすむことでしょう。本当にイラク復興のことを考えているとしたら、イラクの人々の声に耳を傾けるべきです。民衆のこころの支持を受けることが、イラク復興のカギになると西村陽子さんのケースは教えてくれているように思えます。西村陽子さんのことが、「森住卓さんのホームページ」に載っていますから読んでみてください。うるとびーずさんの日記には、イラクの青年からのメッセージがあります。それも併せて読んでください。
2003.12.07
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詐欺のノウハウオレオレ詐欺が流行っているそうだ。最近も詐欺師の主犯格の男が捕まったと報じられていた。手口はだんだん巧妙になり、被害者はお年寄りだけに限らないそうだ。これはたしかに犯罪だが、ちょっと憎めないところもある。その手口は実に人間の心理を巧みに利用していて、騙された人には心外だろうが、端から見ているぶんにはいやはやよくやるもんだと思わず感心してしまった。被害者以外の人にとっては、なぜ肉親の声がわからないのか? とか、「なぜ、そのあと本人に電話して確認しないのか?」とか、いいぶんはあるのだろうが、電話の声はなかなか確認しにくいものだ。突然肉親の一大事がおこれば動転してしまうのが普通の心理だろう。得体の知れない請求書も一種のオレオレ詐欺と考えられるような気がする。アダルトサイトの代金などを請求されると、身に覚えのある者としては「アレ、チラッと見ただけなのに……」と、なかには払ってしまう奇特なひともいるのだろう。以前に話題にした「住基ネット」への進入実験を長野県が行なったことに対して国は、大変危険なことだと不快感をあらわしたが、以前に総務省は99%大丈夫としていた。1%の危険をどう考えるかという議論はあるが、僕はこのオレオレ詐欺の手口を使えば1%とはいえないような気がするがどうだろう。たとえば、監督官庁の人間を装って関係者を装えば、縦関係に弱いお役所は相手に気を許し、重要な情報を提供してしまうかもしれない。また「システム担当のものですが、システム変更に伴って動作確認を行っています。ついてはIDとパスワードの確認を……」などと理由をつけてアカウントを聞き出すことだって可能だろう。 ↓につづきます
2003.12.06
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うえからのつづきです 結婚詐欺同情もするが笑ってしまうものに「結婚詐欺」がある。これは、プライドもあって被害届を出す人が少ないので、表にでにくいが、実数は多いのではないだろうか。行政書士の二瓶くん詳しいのかな。近年にも、A県職員が莫大な公金を横領してチリ人の女性に貢いだ事件があったが、これなどはスケールの大きい結婚詐欺の典型だろう。「結婚詐欺」にあいやすい女性は、知性があって容姿端麗の人が多いという。並な人よりまさかという女性が簡単な手口でコロリと騙されるということだから、僕のページを読んでいるまさかな女性は注意したほうがいい。(^~^;)まさか相手の結婚詐欺師の手口は、それほど高等テクニックを使うのではなく、ひたすら具体的な言葉を並べ立てて説得するのだそうだ。女性は、具体的な言葉をちりばめられると、騙されるのではないかというのは、具体性があると不安感が消えて、非常に説得しやすくなるということだ。デートなどのあと女性と別れるとき普通の男は「また連絡するよ」などという。ところが、詐欺師は二度と会うつもりがなくても「では、また明日の3時に○○で逢おう」などと言う、これでその時間までのトンズラタイムが稼げるわけだ。もっと巧妙な男であれば「明日の午後10時までに仕事を済ませて行くから、チゲ鍋でもつくって待っていてくれ」とでも言えば、それまでの時間は疑う余地がなくなるのではないだろうか。もちろん、これらは僕が実証したことではないので、念のため…。あまり書くと、嫌疑をかけられかねないから、このヘンにする。ところで、僕の結婚は、騙したのだろうか騙されたのだろうか。夫婦喧嘩のたびに「だまされた!」と言われるのだが…。イラクへの自衛隊派遣問題になるが、「安全な地域へ人道的支援」のために自衛隊を派遣するという「特措法」のしたで、自衛隊を派遣することを決めるのは詐欺にはあたらないのだろうか。
2003.12.05
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「イラク復興支援特別措置法」の主旨は、イラクの戦後復興に寄与するために人道的支援を行う。そのために日本国憲法に抵触することのないように、非戦闘地域でなおかつ安全な地域に要員を派遣する。というものです。昨日の報道では、派遣が内定したとのことです。また、テレビで政府側の見解を伝える某学者は、イラクに事態が変わってきたことを認めたうえで、しかし、(国益に沿って)状況に応じた毅然とした対応をとらなければならない。絶対安全といえる地域はなくなったから行かないというのではなくて、戦争とはそういうものだ、多少の犠牲もあり得るという現実を直視し、首相は国民にしっかりと説明して派遣しなければならない。と述べています。言葉の妥当性や、派遣の是非はとりあえず置きましょう。もし、国民の2割しか派遣に賛成していなくても、あるいはその2割に先見の明があったと、後から認められる確率も数字の上ではあるかも知れないと納得したとしましょう。さてしかしです。イラクの「戦後」のためにつくった「特別措置法」はどうなるのでしょう。自民党の議員のなかでさえ、この派遣にこの法律ではそぐわないと認めているのです。「日本国憲法第9条」が拡大解釈を延々とつづけてきた結果として、自衛隊の現在があります。これも、「紛争の解決に武力の使用を永久に放棄する」というたてまえからすれば、明らかに矛盾しています。僕は、(現状の数は多すぎるとしても)日本に自衛隊のような組織が一定程度あることは現実問題として、ある程度やむおえないと思っています。災害出動や沿岸警備のために予防的な組織をもつためには、現憲法の拡大解釈より日陰者のようなあいまいな組織より、誰が解釈しても「ここからここまでは自衛隊の仕事」と厳しく規定した法律の制定という選択もありえるだろうと理解します。ということを踏まえて、先の派遣問題に戻りますが、事態が変わったから「特別措置法」を守れなくてもしかたがない。という結論は、ことの次第では法律は無用ということになり、あまりにも将来に不安を残すことになります。こんな解釈ができるなら、憲法を変えるより危険な「なんでもあり」状態になってしまうからです。過去にヨド号ハイジャック事件のときに超法規措置という言葉が現れましたが、こんなレベルではありません、事態によっては法律を無視できるというのなら、もはや平和憲法は不要ということにほかなりません。大楽観論として、自衛隊派遣がイラクではうまくいったとして、これからアメリカの関わる紛争に、あるいは日本として不快な国との紛争に、情勢次第では法律を無視して軍隊を送ることができる、という前例をつくることになります。こんな何でもありの国が、法の遵守を国民に求めることができるでしょうか。また、国際的に国としての信頼を得られるでしょうか。たとえば、サリン事件を起こした宗教の指導者として獄にある彼が「命は大事だ、正直に生きなさい。」と裁判で国民に諭して説得力をもつでしょうか。しかも今度の場合は、国民全体に与える影響は比べようもなく大きいのです。無駄だとは思いながらも小泉首相にメールで、「自衛隊のイラク派遣への意見」を送りました。「皆様の貴重な意見を参考にして今後の政策に生かしてゆきます」という主旨の返事をいただきました。その同じ日の報道ですから、つまり聞き置くが無視するということです。法律の遵守も、国民大多数の声も、情況によっては無視していいのだと、宣言されたようですが、「情況によって何でもどうぞ」といわれて、何をしたらいいのでしょう。そんな恥ずかしい国民になっていいのでしょうか。さて皆さん、どうしましょうか。
2003.12.04
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幸福の青い鳥を探して(その1) 殺された外交官の悲劇に、人間の幸せとは何かということを漠然と考えている。イラクで殺害された奥克彦参事官と井ノ上正盛イラク大使館3等書記官の不幸は、とてもやりきれない出来事だけれど、これは悲劇の始まりになるかも知れないと感じている人は少なくないだろう。安全な場で「派兵論」をとなえる人とちがって、責任感や使命感の強い人は、職責を全うしようとすると危険の場であっても飛び込み、命を失う。そのいっぽう、国内では何事もないかのように政治に全く関心を示さない若者が街に溢れている。どちらが幸せであろうか。目的に向かっての死と、目的を見失ったまま漠然と生きることを比べるても、簡単には計れない。「幸せ」というものを考えるときに思い浮かべるのにメーテルリンクの「青い鳥」という物語がある。誰もがよく知っている童話だが、簡単にあらすじを思い起こしてみよう。貧しいきこりの子供チルチルとミチルは、クリスマスの夜に魔法使いの老婆に頼まれて、幸せの「青い鳥」を探しに、不思議な世界に旅立った。夜の国、幸福の御殿、未来の国などをめぐって、ようやく捕らえた青い鳥は、どれも色が変わったり死んだりして、とうとうふたりは目的を果たすことができずに家に帰ってくるのだった。しかし、子供たちが家に入ると、家の鳥かごの中に探し求めていた青い鳥がいたことに気づいたのだった。ここで、皆さんにも考えてみてもらいたい。作者のメーテルリンクは、この物語から何を伝えたかったのだろう。子供の頃考えたこたえと、大人となった今のこたえと同じであろうか、あるいは変わっているのであろうか。ごく普通の考え方としては、幸せというものは実は家庭の日常のなかにあることを教えているように思う。実際、幸福の御殿に行ったチルチルとミチルは「健康の幸福」、「よい空気の幸福」、「両親から愛され愛する幸福」、「だだっ子でいられる幸福」といった、家庭内の幸福を見つけた。これらの幸福は、「金持ちのぜいたく」、「見栄ぼうのぜいたく」、「何もしないぜいたく」などより大事なものだと二人は気がついたのである。では、僕たちが子供の頃、そして僕たちの子供たちが「幸せの青い鳥」が家の中にいるということに納得しただろうか。むしろ、その正反対に、「幸せ」というロマンは家庭の中にはない、家の外側の世界にある、という漠然とした直感を感じていたのではないだろうか。子供の頃の僕が、この物語を読んで感じていたことは、たぶんほかの子供たちと同じように、チルチルやミチルが気づいた「家庭の中にこそ幸福がある」こととは逆であり、二人が「青い鳥」を探すために歩いた未知の世界のほうに不思議な魅力を感じていた。早く大人になって未知の世界に旅立ちたいと考えていたのである。ときとして、大人になっても家庭の外に「青い鳥」を見いだそうとすることさえ続いていたのかも知れない。
2003.12.03
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幸福の青い鳥を探して(その2) ごく普通の倫理観のなかでは、大人になって分別がついてくると、社会の道徳や価値観は、「青い鳥」の物語にある理解と同じように、とても素直に〈幸福とは家の中にある〉、〈幸福とはこうあるべきだ〉と短絡的に決めつけてしまうことがよくある。人は幸福感は多面的で、相対的なものだということを忘れ、自分の価値観で他人の幸不幸を決めたがるものである。その拡大したものが国際政治にもよくある。現在自分たちの置かれた社会からみれば、とても可哀想な人たちや国が、世界中にたくさんある。いや、「100人の村」によれば、可哀想な人や国のほうがはるかに多いようだ。アマゾンの奥地に住んでいた人々に、資源開発と引き替えに文化的生活を持ち込んで、それまで現地にはなかった病気や隔離政策で滅びさせていったように、幸せというものは力の強い者の思いこみであることを人間は何度も経験してきている。眼でみた姿がすべてではない、どんなに貧しく過酷な環境に生きても、人はそのなかから幸福を見いだしているものだと考えるべくではないだろうか。ひどい圧政が行われている国の物理的な不幸もあるが、体制のありかたは基本的にはその国の人たちが選択すべきことである。ひどい圧政というものは必ずいつか崩壊する。50年も100年も続くなどということはあり得ない。日本に眼を向けてみよう。若者たちは、イラクで荒廃と混乱のなかにいる若者たちよりはるかに恵まれている。しかし、成熟し、「社会の成長」という目標を失った日本という家庭のなかに、「青い鳥」を見ているのであろうか。われわれ大人たちが、「青い鳥」がいっぱいいる世界を願ってつくってきた社会は、子供たちの眼には何の魅力もない、たいくつで退廃した社会〈家庭〉としか映っていないのではないだろうか。思いこみの「幸福」社会を営々と築いてきたのではないだろうか。僕は、今イラク問題でのアメリカの対応を批判しているが、彼らがすべてが悪だとは思っていない、思い切り好意的に考えれば、第二次世界大戦後、日本統治での成功例の幻想を抱いたまま、ベトナムで、ソマリアで、アフガニスタン、イラクで失敗をつづけているとことんトンマなお人好しともとれる。アメリカにとっての善意の押しつけが、多くの場合当事国にとっては別の苦痛を押しつける結果にもなっているが、その一つひとつをアメリカ国民は〈善意〉だと思(いこもう)としているのが実情かも知れない。もちろん、その裏側には大きな利権への打算や陰謀があることをうすうす感じていたとしてもだが……。
2003.12.02
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幸福の青い鳥を探して(その3) 秀さんの最近の日記に「バカが伝染るシステム」ということが書いてあったが、小泉首相や福田官房長官は、自衛隊イラク派遣の意味を国民に話しても、その真意は理解できないだろう。国民のあさはかな意思では到底はかれない高度に政治的で複雑な事情があるから、アメリカと共同歩調をとろうとしている。それを、とてもじれったいとこと思っているだろう。先の「バカが伝染」理論によると、実はこれがすでに“思いこみ”というドグマに陥っていることなのだろう。不幸なことではあるが「バカが伝染ってしまった」状態なのだ。イラク情勢も、ここまで混迷してしまうとアメリカが完全撤退してしばらく大きな混乱を経なければ落ち着かないかも知れない。間違うと世界を巻き込む不安定要因の震源地にさえなってしまうかもしれない。皮肉な結果ではあるが、結局はアメリカに骨抜きにされた国連を再構築して出さざるをえない事態が早晩くることだろう。アメリカがとことん意地を張り、力での統治が何年にも長引くことになると、事態はとんでもないところまで発展しかねないと、不安を感じてならない。国連が部隊を出す事態になっても、なお日本は自衛隊ではなく、文民の手で復興支援を(イラクに)させてもらうべきであろう。それが、もっとも日本の力が発揮できる支援になるはずだ。しかし、どちらにしても今度の二人の悲劇につづく犠牲は避けられないかも知れない。
2003.12.01
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