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7歳の娘。最近は朝ご飯に桜でんぶをのっけて食べるのが好きなようだ。今朝は、でんぶの袋をみつめながら、「賞味期限が切れてる」とつぶやく。なに、大丈夫だ、早く食え、とお父さん。「違うよ」と娘。よく見ると、袋の上の方にある「賞味期限」の欄が、袋を開けたときに切れて見えなくなっている。本当だ。かなり切れているぞ。
2007.11.30
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各県にある「東北」を探してみる。東北大学、東北高校、東北放送、東北○○局(国の機関)などのある宮城県はともかくとして、他の県はどうだろう。大きな企業や公的機関で探してみる。東北人の心は1つ。あちこちで「東北」を名乗って欲しいと思う。〔青森県〕○東北女子大学(弘前の伝統ある私学)○みちのく銀行なお、東北町、そして「日本中央の碑」もあります。〔岩手県〕○東北銀行〔山形県〕○東北芸術工科大学〔福島県〕○日大東北高校(郡山市)○奥羽大学(郡山市)○東日本国際大学(いわき市)ということで、秋田県の「東北」がすぐに探せない。もっとも、もっと大きい「ノースアジア大学」がありますね。
2007.11.29
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よくバスに乗るが、最近よく乗り合わせるようになった。運転士のアナウンスが軽やかで嫌みがない。「このバスは○○方面○○行きです。交通の事情で定刻に多少の前後が生じることがあります...」などと淀みなく言う。バス停での停車や発車もスムーズ。止まってから席を立って下さい、と優しく促す。バス停の少し手前で乗車しようとする客には、外部スピーカーで、「バス停の何番に止まりますからそちらで待って下さい」と明快に説明。そう。外部委託の運転手さんなのだ。運転士のプレートにマークがあるから、わかる。ちょっと前だと、停車してからゆっくり前に歩こうものなら、出口を閉めるような勢いで、何で早く降りないんだ、と言わんばかりの運転士や、乗ろうとしてノックする客がいても無視して発車する運転士、などさまざまだった。人間だから、いろいろ味もあるのだが、やっぱりサービスが軽快に伝わる方が、いい。仙台市営バスの民間委託は範囲を広げているようだ。■関連する過去の記事 民間委託の仙台市営バスを考える(07年7月26日)
2007.11.28
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朝一番の仕事で移動中に車中のラジオニュースを聞いてブッタマげました。ブラジルのサルバドルで、国内リーグの試合が終わった直後にのサッカースタジアムで、コンクリート製の観客席の床のうち、横1列分の床が抜け落ちた。観客が15メートル下の地面に落下して7人が死亡、数十人がけが。この日は6万人の観客で、事故当時は試合結果に喜んだ大勢のファンが、観客席で飛んだり跳ねたりしていたそうだ。このスタジアムは、建設から50年以上が経過しており大規模な改修工事は行われていない。ブラジルは、2014年に開かれるサッカー・ワールドカップの開催国だが、多くのスタジアムで老朽化が進んでいるほか、避難路やバリアフリーの設備が基準に達していないということで、スタジアムの安全性の確保が課題... ということ。(NHKニュースから要約)え~~ そんな事があるのか。確かに海外でビルの崩落などのニュース映像を見るけれど、スタジアム客席がストンと落ちるなんて。うろ覚えだが、20年ほど前に石巻市の市営野球場の外野フェンスが、観客の重みで倒れた事故があったように思う。そう言えば、土曜日の鹿島と浦和の熱戦でもサポーターは終始ジャンプしていたが、日本のスタジアムはさすがに大丈夫なのだろうか。仙台スタジアムはどうか。野球だって、日本ハムの稲葉ジャンプが行われるが。イーグルスだとリックの応援の時だ。冗談はともかくとして、ブラジルの施設老朽化は真剣に対応して欲しい。いや、とにかくブッタマげた。
2007.11.27
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落とし物や忘れ物の取扱方法を定めた遺失物法が改正され、来る12月10日に施行されるという。(警察庁サイトの説明)遺失物法の改正論議があるのは知っていたが、ついに施行されることとなった。■関連する過去の記事 自宅に百万円の札束!(06年5月3日)この過去の日記も福島県棚倉町の百万円事件について書いたのだが、実は改正遺失物法の施行日のことも、福島民報のウェブサイトに付いていた[PR]で知った。私の中ではなぜか遺失物法と福島とがリンクする。それはともかくとして、改正法のポイントは、○ 保管期間が3か月に(従来は6か月)○ インターネットで拾得物情報を公表○ 携帯電話やカード類の個人情報を含む物の所有権は拾得者に移転しないなど。
2007.11.27
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共産党が宮城県の総選挙小選挙区の候補者を発表した。全区擁立の方針を改め、立てるのは1区と4区だけ。共産党が力のある地区がよくわかる。改めて思う。4区の塩釜は強いのだ。1区は仙台の中心部だからと理由づけているが、青葉区と太白区で、従来県議の議席を保ってきたところ。全選挙区擁立方針をやめるのは中央の方針だが、この点は時代の変わりを感じる。
2007.11.26
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秋田県南部の海岸側の中心地である本荘と、内陸の横手を結ぶ横断鉄道の構想が、大正4年に横手本荘間72.8kmの免許が下りたことで動き出した。この時は本荘街道(国道107号)をルートと想定したが、同年12月に沼舘、大森などの市街地を経由するように一部変更。翌大正5年には横荘鉄道株式会社設立。大正7年(1918年)には横手沼舘間15.3kmが開業。軌間1067mmで蒸気機関車。沼舘の先は、大正8年に舘合、大正9年に羽後大森に延長。一方海側(西線)は大正11年に羽後本荘と前郷の間11.7kmが開業。横手側の東線は路線延長が進み、昭和3年に二井山、昭和5年には老方まで開業し、東線は38.2kmに。東西両線の結合まであと23kmとなったが、老方と前郷の間は無人の山間に近く、採算の面から工事は中止された。西線は1937年に国有化され、矢島街道(国道108号)に沿って奥羽本線院内に延伸を計画したが、38年羽後矢島まで開業して力尽きた。この路線は1985年から由利高原鉄道鳥海山ろく線となった。東線は羽後交通横荘線として残ったが、老方側から段階的に廃止、1971年(昭和46年)に横手沼舘間の廃止で全廃となった。■参考文献:寺田裕一『私鉄の廃線跡を歩くI北海道・東北編 この50年間に廃止された全私鉄の現役時代と廃線跡を訪ねて』JTBパブリッシング(キャンブックス) 2007年978-4-533-06847-8 C2026秋田の地図を開くとわかる。内陸との関係では、国道105(大曲経由角館街道)、107号(本荘街道、平和街道・北上、大船渡)、108号(矢島街道、鬼首街道・古川、仙台)が集結する拠点都市だ。横手と結ぶ横断鉄道の熱意は高かったと思う。しかし歴史を見ると、直線に近いルートになっていない。ルート選定と決定にも難があったように思える。秋田県南部の交通の歴史、横断鉄道構想などについて、深く調べてみたい。■関連する過去の日記 山形の鉄道建設熱を考える(続)(07年1月3日) 山形の鉄道建設熱を考える(07年1月2日)
2007.11.25
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カレンダーでは3連休。編集長は体調を崩し入院静養(2階寝室でゴロ寝)が続いています。外に出たのは、昨日やむを得ず行ったタイヤ交換の2時間ほどだけ。今日は仕事ですが、静養の成果どころか逆にひどくなったかも。極度の医者嫌いなので、薬とミカンと気力で直そうとしたのですが、失敗。天気の良いのが幸いです。タイヤ交換も妻の分1台だけで自分のは後回し。今日は降らんでしょうから。
2007.11.25
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奥州市が29人の方に奥州大使を委嘱したというニュースがあった(岩手日日記事)。吉田戦車さん。懐かしい。水沢の出身。俳優の村上弘明さん。作家の常盤新平さん。シチズン社長の梅原誠さん。行政学の西尾勝さん。NHKアナウンサーの阿部渉さん。多彩な顔ぶれだ。仕事や日常の活動などを通じて、奥州市に関するPRをしてもらう趣旨だそうだ。このような趣旨で「大使」を任命するやり方を一般に「ふるさと大使」と呼ぶとすれば、東北の自治体では既に結構取り組みが進んでいるように思う。拾える範囲でリストアップしてみると(敬称略)...----------宮城県(みやぎ夢大使)63人 中村雅俊、宍戸錠、荒川静香、生島ヒロシ、三木谷浩史 ほか岩手県(銀河系いわて大使) 一覧が見つからなかったが、あんべ光俊、日蔭温子ほか福島県(しゃくなげ大使)81人 養老孟司、湯浅譲二、服部克久、西田敏行、中村紘子、佐和隆光、小室哲哉、川渕三郎、小椋佳、大林素子ほか山形県・おいしい山形推進機構(おいしい山形大使) 中原果南、小林綾子、山辺有紀、ウド鈴木、ダニエル・カール----------市町村レベルも相当あるようですが、一覧がなかなか見つからない。北上市、宮古市、陸前高田市、など。村上弘明さんの名があちこちで出るようだ。委嘱先(大使)の一覧表が市のHPに出ているものとしては(敬称略)、○八戸市(八戸大使)83人 桂小文治、北村正任 ほか○いわき市(サンシャシン大使)37人 矢内廣、ケーシー高峰、石井ふく子、船村徹 ほか (伊東美咲さんはマダですか)○郡山市(フロンティア大使) 松本零士、湯浅譲二、西田敏行、中畑清、遠藤純男 ほか
2007.11.24
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先月、山形交通三山線の電車を展示している月山酒造資料館のことを書いた。2年前に家族で立ち寄って、写真も撮ったはずと思ったが、探しても出てこない。酒造資料館の奥に、たしか鉄道の資料を展示したコーナーがあって、館を出るとき、外に展示してあった車両の写真を撮ったと思ったのだが。子どもが乗降口の手摺りに手をかけている画像が、頭の中には残っている。その頭にしかない映像なのだが、ズバリ本当の写真に出会えた。ある本の表紙にズバリ載っているではないですか。なんとも幸運でスッキリできました。寺田裕一『私鉄の廃線跡を歩くI北海道・東北編 この50年間に廃止された全私鉄の現役時代と廃線跡を訪ねて』JTBパブリッシング(キャンブックス) 2007年978-4-533-06847-8 C2026療養中の病床で(休日自宅でゴロ寝、が正しい)読み耽っています。■関連する過去の日記 三山線とサイクリングロードのこと(07年10月21日) 月山トレッキング(07年10月20日)
2007.11.23
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寒いですね。まだタイヤを交換していないので夜9時台の帰途は少々怖いドライブだった。明日は道も凍るだろう。仕事は休めるだろうから、一日部屋にこもりたい気分。布団にくるまって、今読んでいる片倉小十郎の本を読破したい。一応、願望です。
2007.11.22
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昨日(20日)さいたま地裁で初公判があり、ふじみ野市の教育委員会職員2名の被告が過失を認めたという。昨年7月に、市営大井プールでボルト固定されていない吸水口に、7歳の女児が吸い込まれて死亡した事故。埼玉県警は市職員3人、業者3人の計6人を業務上過失致死容疑で書類送検。さいたま地検は今年6月に、開業や維持管理責任は市教委体育課にあるとして、2被告を起訴し、業者については不備のある施設の管理を任されたに過ぎないとして起訴猶予としたもの。犯罪論の中でも過失論は難しいが、特に監督過失は理論的に最も難しい。作為か不作為か、そもそも義務とは何なのか(安全体制確立義務、進言義務?)、実行行為は何か、予見可能性の程度はどうか。ホテル火災の場合などが例に挙げられるが、民間委託や指定管理者制度などの進んでいる公営施設についても、施設設置者と管理者との関係で、極めて難しい問題をはらんでいると思う。詳細を知らないから論評できないのだが、市教委側のみの刑責を取り上げたことは、ちょっと意外だった。なぜなら、直接の「気づき」は管理(点検)を任された業者に期待されていると思うからである。もっとも慢性的構造的な「見て見ぬふり」となっていた以上、施設を有し業者を監督する側こそ、改善と安全を保証する立場だったとみることもできそうだ。いずれにしても、私はこの事故は、気づくべきもの、気づいていたはずの事故。つまり完全に防げた事故だ、と信じている。刑事責任の帰趨は裁判でしっかり決着して欲しいが、ともかくも尊い命の犠牲の前に、施設に関わる者は「見て見ぬふり」「誰かがやるだろう」を絶対にやめて欲しい。ご両親のコメントに「自分の子どもや孫がプールを利用するとしたら、針金で留めたプールでも修繕せず開放したでしょうか」とある(毎日新聞記事)。涙が止まらない。■関連する過去の日記 地下鉄のエスカレーター点検(07年8月15日) 再びプール事故を考える(2006年8月11日) ふじみ野市プール死亡事故を考える(06年8月3日)
2007.11.21
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東北各県の高卒者の就職内定状況をたまにチェックしている。以前にも書いたが、比較すると福島が好調。宮城と青森が低調なのだが、言い過ぎかも知れぬが、就職したくてもできない青森と、仕事はあるのに就職しない宮城。 産業の厚みと進路指導の成果。また生徒や親の意識もあるのだろう。例えば重回帰分析すればモデルを得られようか。そんなことを思いながら見ていると、現在は青森県の内定状況が好調なようだ。 ------------青森県 来春卒業予定高校生の10月末現在の就職内定状況(毎日新聞記事による) ・県内の求人倍率 0.7 ・前年同月比+0.14で、過去10年で最高水準となった。 ・しかし県外からの求人倍率も過去19年で最高の2.08(同比+0.53) ・景気拡大で首都圏や中部が労働力不足に対して、県内の雇用環境は依然厳しいことが改めて浮き彫り。----------宮城はどうなのだろうか。■関連する過去の記事 高卒者就職内定状況が改善(07年3月10日) 福島県の高卒内定率が全国一(06年5月17日)
2007.11.20
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東北6県の巨樹・巨木がずらりと262本。この本を読んでいると、今日明日のつまらんことに悩んでいる人間の、なんと了見の狭いことよ、と感じてしまう。■日野東、葛西英明『東北の巨樹・巨木』無明舎出版、2007年 978-4-89544-463-7400本以上を訪ねた上で掲載しているのだそうだ。風土豊かな東北の地域めぐりは、無数の切り口があるのだけれど、巨樹巨木でめぐる(紙上の)東北の旅、これもいいものだ。全部をとても紹介しきれないので、各県の本数を記すと、○青森 43本○秋田 35本○岩手 43本○宮城 50本○山形 53本○福島 53本山形県が多いような気がする。2年前に実際に訪れた山形県西川町の大井沢の大栗も、当然載っている。やっぱり日本一だそうだ。それに、トトロの木で有名な小杉の大杉(鮭川村)、マツの大きさ日本一の東法田の大アカマツ(最上町)、ヤナギの大きさ日本一の津谷の大柳(戸沢村)、全国2位の東根の大ケヤキ(東根市)、全国2位の飯豊山のヤチダモ(小国町)、などなど、スケールもすごい。最後に、コラムのページで勉強したことを記します。----------<巨樹と巨木の違い>一般には同様に使わている。環境省の巨樹・巨木林調査では、○巨樹 地上から約130cmの位置での幹周が300cm以上の樹木又はこれらが生息している樹林・並木等○巨木林 巨樹が複数生育している集団(樹林、並木等)と定義しているが、巨樹と巨木の区別は特にしていない。----------■関連する過去の記事 宮城県の古木の樹齢(06年11月23日)
2007.11.19
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一度は訪ねたい町。美しい写真で紹介する全国100の町。東北ではどこが選ばれているのだろう。■『一度は訪ねておきたい日本の町100選 小さな町小さな旅 北海道・東北』山と渓谷社、2007年8月978-4-635-60151-1----------福島県 喜多方、会津若松山形県 米沢、上山、金山宮城県 白石、登米、気仙沼秋田県 湯沢、横手、六郷、角館岩手県 水沢、江刺青森県 弘前、黒石(北海道) 江差----------と以上のとおり。さすがヤマケイで、きれいな写真を並べていて、感嘆。巻末には各町のガイドがあって、読んでいると楽しい。このうちでも特に、金山と六郷はとても興味をもった。いずれも清流の町。そして僕は訪れたことがない。この本でチャッカリ勉強した。金山(山形県金山町)金山はこの本の表紙にもされているが、大堰と切り妻の家並みが美しい日本の原風景のようだ。取り立てて輝かしい史跡や温泉はないが、通りすぎるには惜しい町。イザベラ・バードの記念碑があるが、女史はピラミッド型の丘陵のある、ロマンチックな場所と評した。家並みは金山型住宅と呼ばれ、金山杉と職人の技が融合した伝統美である。昭和30年代以来の美化運動、昭和61年には街並み景観条例を制定。観光振興を目的としたわけでもなく、町民自身が住みたくなる町、誇れる町を目ざしてきた。長門門は江戸時代の初めに一帯を治めていた最上氏が改易になり取り壊された金山城の大手門を移築したもの。■金山町ホームページ 画像にはバード女史がピラミッドと形容した山もでています。六郷(秋田県美郷町)町の至る所に湧水がある。田園の中に忽然と現れる集落が、大湧水群で知られる六郷だ。現在60を越える清水が湧いているという。この地は、奥羽山脈を源とする中小河川のなす扇状地の端にあるため、伏流水や地下水が湧出。ニテコ清水を活用したニテコサイダー、流しそうめんなどが名物。清酒も有名。また寺町でもあり、小さな町に県内では秋田市に次ぐ26の寺がある。■美郷町六郷観光情報ホームページ
2007.11.18
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簡潔に偏りなく正確に答えられることが、その地の歴史を本当に知っていることと言えるのだろう。それならば各県庁の説明がそうなっているはずだ。思い立って、東北各県の公式ホームページでの「県の歴史」をみてみた。■青森県 年表とコラムと写真で見る青森県の歴史これは秀逸。コラムもあって読みやすい。江戸時代後期の大名領図では、弘前藩、盛岡藩の中に、黒石藩と八戸藩が飛び地も含めて存在する様子が良くわかった。最新は新幹線八戸駅開業でした。ところで「コラム3」が「南部と津軽」と題されているのに、内容が「コラム1」の土器の話と重複している。間違いだが、「南部と津軽」に本当は何が書かれているかも興味が残る。■岩手県 岩手県のあゆみちょっと簡潔すぎか。アテルイや九戸政実なども取り上げているけれど、あまりにアッサリしすぎ。平泉文化の優位性や明治大正の偉人達などに触れても良かったと思うが。おそらく網羅的な歴史紹介としない意図なのだろうか。また、変な言葉遣いもあって(自主の回復、とか)残念。■宮城県 みやぎのあゆみこれは困る。「行政区画の変遷」と、明治以降のトピックだけ。いったいぜんたい、この豊かな地に人間がどう活動してきたのかを伝えるつもりがないらしい。■秋田県 論外。ナシだから。■山形県 山形県のプロフィール岩手県のようなスタイル。年表などもナシ。しかし、丁寧に流れを追って、また今に伝わる由来なども説明する姿勢には誠意を感じます。■福島県 歴史ここは、時代区分ごと、また年表、歴史探訪などメニュー形式になって内容豊かだ。中世、近世は読み物のような楽しさも感じる。会津藩以外の中小藩もなるほどこんなにあったのですね。年表が現代から遡る方式がユニークだが、19世紀以降と以前の記載の濃淡の差があまりに激しい。----------さて、お待たせの(誰も待っていないですが)ランキング。当ジャーナルの独断で。第1位 青森県。文化や生活も織り交ぜた郷土史の説明に心を感じます。でもコラムの間違いだけは早めに直してね。第2位 福島県。青森と甲乙付けがたいが、青森のように単一ページでまとめる方が私は言い(好みの問題だが)。「歴史探訪」を付したところは大変素晴らしい。第3位 山形県。第4位 岩手県。すみません。県公式サイトに掲げている「あゆみ」は、網羅性までは必要ないという意図なのだろうが、私はそうではなく、折角サイトを訪れた人に、風土、文化、政治など地域の歩んできた様を満遍なく(しかも簡潔に)伝えて関心を持ってもらうべきだと思うのだ。また、あっ○○県の歴史全体を見たい、年表で位置を知りたい、なんていうときにパッと使えるように、ということにもなる。詳しいのなら△△にあるよ、というのかも知れない。でもそれでは使えない。トップページから入れるところに歴史がなくてどうする。プロフィール以上の「歴史」を掲げるべきだ。青木さやかの写真集じゃないが、どこ見りゃいいんだよ! とストレスを感じさせる。従って、第5位宮城県、第6位は秋田県、となる。
2007.11.18
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築11年目の我が家に見張り番が登場。家庭用火災報知器の「けむタンちゃん10」です。はい、よろしく。義務化を受けて妻が4台購入したもの。4つで16,000円だったそうだ。日曜大工、ではなかった土曜大工で取り付けを命じられた編集長がさきほど作業終了。高所なので首が疲れました。一番大変だったのは階段を上りきった2階のホールの天井。胸の高さまでの壁の上から覗くと、回り込む方式の階段を下った1階の床が見えて、この壁(というより手摺り)の上で天井に取り付ける作業をしたので、高所に弱い編集長は緊張しました。義務に従って、この階段に1つ、2回の寝室2カ所に各1つ。それと義務ではないそうですが、台所に1つ。これは煙感知式ではなく熱式。商品名も「ねつタンちゃん」だそうです。この合計4台です。さっそく試験的に鳴らしたら結構大きな音。子どもたちは耳が痛~い、と。電池も10年もち、電池切れもアラームで知らせてくれるなど、結構スグレもののようです(商品の説明)。火の元は用心が一番です。タバコも吸わないし、家もオール電化なのですが、火災がないとは言い切れません。家族の安全は絶対条件だし、家も失いたくないので、設置義務化されたというだけでなくて心がけもしっかりとしていきましょう。けむタンちゃんたちは、見張り番をよろしくお願いします。
2007.11.17
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昨夜帰宅したらテーブルにお弁当。夕食はこれか。めずらしいな、と思ってよく見ると、これ子どもが作った折り紙のお弁当でした。ジャーン。上手なものですね。
2007.11.17
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食べられれば何でも良い、味の違いなど分からず、添加物も気にしない。安くて量が多けりゃ単純に喜ぶ。そんな私ではありますが、食材王国宮城の県民として、仙台牛のことを知らねばなるまい。本県は肉牛の一大産地。最高ランクに値する黒毛和牛の出荷頭数は全国第3位。年間約1万2千頭の食肉牛が出荷され、その約3割が仙台牛。仙台牛の定義。黒毛和種であること。仙台牛生産肥育体系に基づき個体にあった適正管理を行い、県内で肥育されたこと。そして、全国共通の審査基準の下、最高ランクのA5、それに次ぐB5と評価された肉だけが「仙台牛」と名乗る。全国に200以上ある銘柄牛の中でも特に厳しい基準だ。----------A5 B5 C5A4 B4 C4A3 B3 C3A2 B2 C2A1 B1 C1説明 1~5等級は肉質の良さ。5等級が最高。ABCランクは歩留まりの良さ。Aが良い。そして、A5とB5だけが仙台牛。C5、A4、B4、A3、B3は仙台黒毛和牛。----------全国肉用牛枝肉共励会で最高賞の名誉賞を94年度と01年度に受賞している。(以上は、HOTEKARAGO!仙台DC特別号 から)■関連サイト ○詳しい説明(全農みやぎサイト内) ○県内外の提供店(食べる)、指定店(買う)の説明(同サイト内) ○仙台中央食肉卸売市場(訳も分からないのだが、格付け情報や市況情報を見ていると何だか面白い)■関連する過去の記事 東北の誇り前沢牛日本一(07年11月9日)東北の銘柄牛を全部調べてみるとおもしろいだろう。いつか是非。
2007.11.16
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円通院の夜です。ライトアップされた紅葉が見事。ここは入り口なのですが、中を歩いて回ると、幽玄の世界に浸ってしまいます。琴の演奏もあり、また、紅葉が夜の湖面に映る様も一興でした。
2007.11.15
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青葉山の仙台城虎ノ門あたりから、東北大学植物園の正門付近を経て、愛子方面に通じる最上古街道跡がある。享保8年(1723年)の「仙台萩古地誌」に記されている。蒙古の碑は沿道に建てられた道しるべ石でもあったとされ、また残月亭跡付近に、後に北山に移された寂光寺があって蒙古碑はその門前にあった、という(東北大学植物園の史跡案内に説明がある)。「嚢塵埃捨録」(のうじんあいしゃろく)には、「仙台城中に古街道あり、昔の往還の街道で、出羽に往来せし街道」「羽州街道西南に一際高き松山あり、山の名を番山と云う」とある。最上古街道の延長が蕃山の山麓を通っていたと理解される。蒙古の碑から残月亭跡を経て西に進むと、尾根伝いの道が見事に残されており、工学部の構内を通って郷六館跡板碑に向かい、蕃山丘陵の山裾の史跡に延長することができる。城中の姫がお裏林を通って郷六御殿で遊んだという道でもあろう。■出典 高倉淳『仙台領の街道』無明舎出版、2006年(ISBN4-89544-443-0)■東北大学植物園サイトの説明■関連する過去の日記(仙台城と裏道) ○城砦システムとしての仙台城(07年5月29日) ○大梅寺(07年5月21日) ○仙台城秘密の抜け道の話(07年5月20日) ○青葉城の概要と略史(06年7月1日) ○仙台城を考える(06年6月28日)■関連する過去の日記(高倉淳先生関連) ○加美・中羽前街道を思う(06年04月12日)
2007.11.14
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晩秋の朝、私は早朝から松島湾を望む宿で、カメラを構えていた。刻一刻と明けゆく空と海を眺めていると、飽きないものです。これがその画像の1枚。どうでしょう、絶景ですな。しばらくすると海面はもう初夏のように輝き出す。一日の始まりだ。どんな時でもお日さまは東の空に上がってくれる。ありがたいものだ。皆さん、何があっても諦めてはいけません。明るい明日はきっと来る。眠い体を電車に乗せて仙台に出勤したのでした。
2007.11.13
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仙台中央警察署の跡地に鹿島がビルを建設している。その工事用外周フェンスに古い写真が掲げられている。かつてこの地にあった青柳文庫書庫だ。その手前の歩道上には青柳文庫の碑がある。碑のすぐ後ろのフェンスには、ご自由にお取り下さいとばかりに、青柳文庫の説明が入っていた。さっそく1枚いただいた。青柳文庫の説明がある(たぶん宮城県図書館だより「ことばのうみ」23号のコピーのようだ)。磐井郡松川村出身の青柳文蔵が天保2年(1831年)に創設した。蔵書は武士町人の別なく貸し出され、現代の公共図書館に通じる管理方法。わが国公共図書館の魁とされている。くわしくは上記資料を。
2007.11.12
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今日(11日)の河北新報記事に、東北電力酒田技術センターが光るプレートを開発、送電線の最上部に取り付けて、白鳥の衝突事故をなくすという。飛来数日本一の酒田ならではの取り組みなのだそうだ。生息数のランキングは(環境省、2006年1月)、----------1 最上川河口付近(酒田市)111002 佐潟(新潟市)48023 瓢湖(阿賀野市)33344 高野池(福島県鏡石町)19285 福島潟(新潟市)1865----------ということで、酒田や新潟は白鳥のパラダイスのようだ。環境省調査では、最上川河口付近は90年から06年まで、94年と96年を除く15回、日本一になっている。最上川の河口には最上川スワンパークがある。白鳥は秋に越冬のためシベリアから日本に渡ってくる。飛来地は東北地方に多いが、中でも酒田は、ボランティア団体や学校などの、餌付けやゴミ拾いなどの長年の活動の成果だそうだ。白鳥は状態の良い場所には必ず戻る習性がある。新潟まで南下していたものが学習効果で酒田に集まったとも推測されている。(読売新聞の記事など)庄内の冬は地吹雪などのイメージもあるが、白鳥を魅惑するすばらしい取り組みがなされている。最初は7羽の飛来。子どもたちの情操教育のために取り組みが始められたのだそうだ。冬の澄み切った青空に真白の羽根を伸ばすように、ひろがれ純真な取組み。伸びよ育てよ酒田の子どもたち。
2007.11.11
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この手の本を読むといつもヒヤヒヤする。日本の旧石器時代の説明のページ。今から4万年前から1万年前、との説明。ああ、良かった。50万年前とか、どこかの県の高森遺跡とか、北京原人と比べてどうとか、そんな記載も一切ないので。この本、子ども向けの本。上の娘も安心して読ませられる。(山岸良二監修『これだけは知っておきたい19 古代日本の大常識』ポプラ社、2005年)相沢忠洋さんが納豆の行商をしながら調査を続けて、日本列島にも旧石器時代があったことを発見したことが説明されている。これはぜひ子どもにも読ませたい。宮城の相沢忠洋と呼ばれた人のことは書いていないから、ご安心を(ちょっとクドいですな)。そして、そのページのコラムに「岩宿遺跡の旧石器より古い石器は...」と書き出しがあって、これもヒヤヒヤしたが、1984年に発見された岩手県宮守村の金取(かねどり)遺跡で、約9~8万年前と推定されている。この金取遺跡で打製石器数点が出土したのは、火山灰が降り積もった地層から。そして、2003年の日本考古学協会の科学的調査によって、この地層は九州の阿蘇山の大噴火による火山灰だとわかった。約9万年前のその大噴火では北海道にまで火山灰が降り積もったという。すごい。宮守村は現在は遠野市だ。(遠野市ホームページでの説明)なおこの説明では「9~8万円前」と書かれているのが、ご愛嬌だ。
2007.11.10
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前沢牛が14年ぶりに和牛枝肉の日本一に。東京食肉市場の全国肉用牛枝肉共励会で奥州市の後藤さんが和牛雌部門で日本一。審査会の後には、キロあたり1万1002円の高値で落札された。(前沢牛協会サイト)私は牛肉のことも市場取引の仕組みもよくわからない。ただ、日本一という誇りを、東北人みんなで喜ぼうじゃないか。14年ぶりなのだそうだ。ブランドを確立し、維持していくという地元の努力は相当なものだろう。がんばれ前沢の牛たち。
2007.11.09
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地図好きの私は東北道路地図のページをめくって眺めると、時の経つのを忘れられる。エコノミーな旅行もできるわけだ。ところで青森県の小川原湖を見ていて、アレッと気づいたことがある。市町村界がわざわざ湖の東岸をなぞるように引かれているのだ。普通、水面の中心部分を直線で引くなどすると思うのだが。猪苗代湖がそうだ。八郎潟の干拓し残した周囲の水面部分(承水路)もそうだ。十和田湖は境界が引かれていないが確定できない事情でもあるのだろう。小川原湖のように、湖岸にピッタリ境界線を引いているのは、他にない。つまりは、三沢市、六ヶ所村、東北町に「またがる」湖だ、とでも説明するのが通常の場合だろうに、この湖だけは、湖水面の全部が東北町ですよ、と敢えて主張しているように見えるのだ。小川原湖は青森県最大の湖で、全国でも11番目の広さ。汽水湖では全国第5位の面積。そして、非常に珍しいことに、「上北郡東北町大字大浦字小川原湖191番地」と湖面に住所(地積)が定められているのだそうだ。シジミやワカサギなど、豊かな沼で人足も頻繁に入るため、一連の土地のように考えられたのだろうか。このように小川原湖は東北町(旧上北町)に属している。旧上北町は面積約120平方キロメートルのうち過半が湖(約63平方キロ)ということになる。旧上北町は、昭和33年町制施行で浦野舘村から上北町に町名を変えた。平成の合併の相手となった旧東北町は昭和39年に町制施行により甲地村から名称変更。東北本線の駅名だと乙供だ。そして、あの有名な「日本中央の碑」がある。■国土交通省高瀬川河川事務所サイト「小川原湖の概要」■小川原湖広域観光協議会サイト
2007.11.08
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青森県の旧車力村(現つがる市)には、約100年前の悲劇に基づく国際交流が息づいている。明治22年10月30日、米国メーン州バス市の貨物船チェスボロー号が嵐の中、車力村沖合で座礁。漁夫たちは磯舟で荒れ狂う海に漕ぎ出し、波間に見えた溺死寸前の乗組員を救助し、浜に戻っても村人が総出で救助活動を行い、4名が一命を取り留める。村一番の健脚2名が青森県庁まで64キロの道のりを走り連絡、4名は無事に帰国できた。この史実を語り継ぎ、亡くなった19名を慰霊する白い十字架が、チェスボロー号記念公園に立っている。遭難救助100年を記念して、平成2年からチェスボローカップ水泳駅伝大会が開催されている。また、平成5年には、車力村とバス市が姉妹都市となった。悲劇から生まれた人間愛が、時を越えた国際交流となって息づいている。■出典 『ウォーキングマップ東北』法研、1997年
2007.11.07
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日本の民謡の代表とも言えるのが、山形の最上川舟唄。これは実は昭和11年に原型ができた新創作民謡だ。以下は井上ひさしさんの説明なので、ちょっと過激なのですが。(出典 赤坂憲雄編『東北ルネサンス 日本を開くための七つの対話』小学館、2007年第6章 ふたたび吉里吉里へ =井上ひさし×赤坂憲雄)日独伊の三国同盟ができたとき、音楽では日本は敵わないんじゃないかと考えた人がいた。たしかにベートーベン、ワーグナーや、ヴェルディ、プッチーニなどに比べると、日本には大した音楽がない。ドイツやイタリアに負けるな、日本にも隠れた名曲があるはずだ、というので、NHKと政府が東北民謡視聴団を組織して東北の名曲を探し出した。その団長が柳田国男で副団長が折口信夫。池田弥三郎、町田嘉章、中山晋平(作曲家。「砂山」「しゃぼん玉」など)、信時潔(作曲家)など20数名で組織した。最初にみんなが感心したのは松島の「大漁唄い込み」だが、その後は不漁続き。しかし一行が山形の東根温泉で、左沢のリンゴ農家後藤岩太郎の歌う「最上川舟唄」を聞いて、びっくり仰天。中山晋平は、ヴォルガの舟唄以上だと絶賛。後藤は、地元の詩人で当時役場職員の渡辺国俊と最上川舟唄の原型となるものを作って歌っていた。酒田に全国から舟が入って諸処方々の唄が集まって、その良い所を全部集めて編曲してしまったのだ。大江町のホームページに説明がある。同ページに誕生秘話も。
2007.11.06
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平泉に花開いた文化をどう理解するべきか。平安時代の終わりの1世紀、京都では白河・鳥羽・後白河の院政の時代に、東日本には平泉の世紀が花開いた。東北史の中で唯一、東北一円を統一した政治権力であり、バックボーンとして宗教的理念で統一しようとした。これほど長期に、しかも組織的に地方の政治文化経済を充実させた歴史は日本にない。日本史で都以外で政権といえる実態をもった唯一の歴史だ。南は白河の関から、北は外が浜(津軽半島)までの全域に統一政権を実現した。金色堂や紺紙金銀字交書一切経など、東アジアの仏教文化を最も華麗で贅沢な形で実現したのは、奈良でも京都でもなく平泉だった。しかし平泉は奇跡ではない。金と良馬を産する豊かな東北に、学者や文化人を集められるような統一権力が現れたのだから。平泉を倒した鎌倉も、文化的には平泉にはるかに及ばない。また、鎌倉のような武家政権が幕府とか柳営(りゅうえい)と呼ぶ政治的組織も、平泉が先駆的な役割を果たしている。初代清衡の政庁後の柳之御所は、漢語の柳営に由来する。中国では匈奴経営のための軍律の行き届いた第一線の陣営を細柳営と呼んだ。それで日本では幕府を柳営とも呼ぶのだ。その名で東北全土にわたる武家支配を実現したのが平泉だから、平氏政権や鎌倉の先駆なのだ。すなわち、朝廷公家の歴史から武家乗れ騎士にてんかんするのは、平家や鎌倉からではない。まず東北で平泉が始めたものを、都や西日本がまねて、最終的には鎌倉が平泉を模倣した。そう理解すべきなのだ。蝦夷と呼ばれ政治も文化も無縁と考えられた地から、かくも日本を揺り動かすような流れが始まった。まさに平泉の世紀と呼ぶにふさわしい。平泉の仏教思想は、中尊寺建立供養願文にあるように、敵も味方も、獣も虫も、すべての命を供養し、法華経の功徳で地上極楽を実現しようとする、かなり明確な精神に基づいている。四代の肉体を現実に地上にとどめたことにもハッキリしている。おそらく京都経由でなく直接中国から仏典や書物も入り、知識人も集まっただろう。そんな中から高度な思想が生まれ、願文が現れたのでないか。そして重要なことは、この理想がひとり平泉だけではなく、東北全体に行き渡らせていたこと。白河から津軽までの道には一町仏が並べられ、また平泉はこの道の中央に位置し、道は中尊寺の山内を通ったという。旅人は一町ごとに巡礼して中央の中尊寺や毛越寺に地上極楽の詣り納めをしたのだろう。また、東北の一万余の村には中尊寺を小さくしような分寺を置いた。このように責任政権が村単位に寺院ないし文化拠点を置いた例は他にない。平泉の思想は、仏教の究極をばかまじめに実現しようとした、何か宮沢賢治にも近いような、東北人の思想の源泉のような気もする。■出典 赤坂憲雄編『東北ルネサンス 日本を開くための七つの対話』小学館、2007年 (第5章 はじまりの東北 =高橋富雄さんとの対話)この本は「東北学」を提唱する民俗学者赤坂氏(東北芸術工科大)が七人の賢人と対話した記録集である。単なる地域学の対象空間の一つと見るにとどまらない、それ自体意味を持って完結した地域、あるいは時に原風景として時にアンチテーゼとして日本と日本人の心を形作ってきた地域、そんなのが東北ではないか。7つの角度から光を当てて、その原像を浮かび上がらせようとする興味深い対話集である。高橋富雄さんは、20年以上も前に東北から説き起こす日本史を主唱された。中央から眺めた断片的な東北像ではなく、東北を中心に歴史を見ていく。古代の一時期、ヤマト中心の西日本と日高見や蝦夷の東日本とが2つの日本を形成していた。だから、東北を日本と日本史に定位させることでこそ、初めて日本を正しく理解できると主張されている。戦後のある時期までは、中央中心の従来の史観にない発想は、相当の勇気があったのではなかったか。東北の歴史をまさに切り開いた高橋名誉教授の業績に、我々は学ぶところが多いと思う。■関連する過去の記事 発進!平泉を世界へ!(07年9月30日) 骨寺村荘園遺跡(07年2月26日) 都市平泉の予想図(07年1月28日) 平泉への道(06年1月11日) 義経伝説と東北の歴史ロマン(05年12月8日)
2007.11.05
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NHKの番組サイエンスZERO「日本人の起源に迫る」(11月3日)を見た。曖昧模糊とした縄文人と弥生人の関係を解き明かしてくれるか、蝦夷とは何かの説明もあるか、などの期待をもって、ノートを取りながら見た。放送大学を受講するような気分で。しかし結局は人類の起源やグレートジャーニーの説明、日本人がどこから来たかの説明などがあったが、縄文人と弥生人の関係などに細かな説明はなかった。ゲストとして解説されたのは、国立科学博物館の篠田謙一さん。科学番組であり、分子生物学の最先端とその面白さを伝えることがメインなのだろう。それでも折角の勉強なので、以下に整理する。1 手法と分布状況 ミトコンドリアDNAは、16500個の塩基配列によってグループ分けされる。そして、人の姿や形を決める核DNAが両親から受け継ぐのと異なり、母親からしか伝わらない。兄弟は同一。父は異なる。母の母も同一だから、母方はずっと同一のDNAである。 日本人の場合は16のグループに分けられる。16人の母にさかのぼるということもできる。 もっとも16のグループ(16人の母)も更にもともとは共通の母のはず。数百世代に1回の割合で突然変異が生じるからである。世界では約80のグループに分類されている。 そして、地域によりグループの分布に偏りがあることから、どのように人が移動してきたかがわかるのである。2 日本人の場合 16のグループのうち、日本人の約3分の1を占め、最も多いのがD4グループ。世界では中国北部や朝鮮半島に多い。中国北部がおそらく故郷で、半島を経て日本へ。 Fグループは東南アジアから日本へ。 M7aグループは世界でも日本にしか居ない。沖縄九州など南に多い。このグループと兄弟のような関係にあるM7bとM7cは、24000年前にMグループから分かれた集団である。これら3グループが重なり合う所は東シナ海である。現在は海だが当時は氷河期で海面が低く陸続きだったろう。 B4グループは日本人で2番目に多い。中国南部、台湾など南から来た。アジアに人類が入ったかなり早い時期に来たグループ。3 世界のグループを見ると 世界の人類の約80のグループには、何個かの「母の中の母」とみなされるグループがある。ここから枝のように他のグループが派生しているのだ。N、L3、R、Mなどがそれで、これらも更にさかのぼればアフリカの共通の祖先に立ち返る。 現在では、人類の動きがかなり明確にわかっている。すなわち、約20万年前に新人と呼ばれる人類がアフリカに出現。6~7万年前に紅海を渡り(氷河期で陸続きか)、R、N、Mなどのグループに分かれた。東南アジアには約5万年前に入り、やがて日本にも渡来する。さらに一部はヨーロッパへ。また北上してバイカル湖方面に向かったグループもあった。これがやがて北から日本にも入ってくるのである。人類の旅はさらに進み、陸続きのベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸へ。南アメリカ大陸の先端までは約1000年という早さで到達した。また、2~3千年前には太平洋にも進出し、約1500年前に、壮大なグレートジャーニーは終わる。4 縄文人と弥生人 1万数千年前から狩猟と採集の縄文人。2800年前に稲作文化の弥生人が大陸からやって来た。 ミトコンドリアDNAでみると、現代では世界で日本人だけのM7aグループは縄文人にもみられる。しかしN9aなどはみられない。弥生人(渡来系)では、逆にM7aはないがN9aがみられる。 縄文人と弥生人の後に大量の流入はないから、現代日本人のミトコンドリアDNAグループは、これら縄文人と弥生人を材料として形成されている。■関連する過去の記事 縄文人と弥生人(07年6月5日)
2007.11.04
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往年の日本代表をそろえたドリームチームと宮城代表の夢の決戦。グランディ21宮城スタジアムで今日の午後ありました。5年前のW杯決勝トーナメント雨のトルコ戦とは全く違った、ノンビリした秋空。お世辞にも緊迫感のない雰囲気。「がんばれ~日本代表~!」という子どもの声もよく響く。代表チームはさすがに俊敏さは見えないが、それでもパスのセンスなどはなるほどと思わせることも。相馬、前園、小倉、福田、中西など日本を沸かせたスターたち。最初は動きも硬かったようだが、見事に先制は確か沢登。画像は2点目。得点者は...え~と、忘れました。その後、宮城選抜が2点を返す。次の画像はその2点目がオフサイドだろうと抗議する松木安太郎「選手」です。この前後にさかんに両手を広げてアピール。たしかにオフサイドだと思った。中では若手に属する相馬もサイドを走らされては、ベンチを向いて苦笑していた。足が動かね~よ、とでも。下の娘と観戦した秋の午後でした。
2007.11.04
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旧会津藩の藩士と家族1800人が、新潟港から大湊に上陸したのは、明治3年6月10日。会津藩は賊軍として領地を没収され、明治2年11月に、旧盛岡藩のうち下北地方、三戸郡と二戸郡の各一部を与えられて家名再興を許された。総勢で17300人が移住したという。親藩は斗南藩。北斗以南皆帝州の詩文からとった。一説には南斗六星(射手座)が語源で、薩長を討たんとする会津藩士を意味するとも。斗南藩は公称3万石だが、現実は7千石ほどで、挙藩流罪の旧藩士家族の生活は苦しかった。むつ市斗南丘(となみがおか)には藩士の墓などが残る。また、小川原湖の東に斗南藩記念観光村がある(三沢市)。現在は道の駅みさわとなっているようだ。廃藩置県後の斗南県の広沢安任が日本初の西洋式牧場開牧社を設立した場所。広沢は斗南県の弘前県との統合を強く要望し、この結果現在の青森県の原型ができた。弘前藩は激論の末、藩主津軽承昭(つぐあきら)の決断で、列藩同盟を脱退して征討軍についた。八戸藩2万石は盛岡と同族の南部氏だが、藩主信順(のぶゆき)が島津からの養子で列藩同盟に加入したが戦争には消極的で戦後も懲罰はなかった。■参考 加藤貞仁『戊辰戦争とうほく紀行』無明舎出版、1999年
2007.11.04
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昨夜の日記を書いた後だが、今日の各紙の報道を見ると、私の見方は間違いのようだ。小沢氏は連立実現に前向き、福田首相に「決めてくる」と告げて民主の役員会に臨んだ、とさえ報道されている。早すぎる最終カードに固執した両首脳が、結局政局停滞を確定的にしてしまった結果。言下に否定しなかった小沢氏の党内求心力の低下も懸念される。とザッとこんな風だ。小沢氏の「持ち帰り」は実現を狙った本心からのものだったのか。そして、政策協定の部分は全く空振りなのか。確かに、連立はともかくとしても政策協定の部分で合意があるのなら、すぐに両者記者会見をするか、少なくとも一定の成果を示唆しておくのだろうから、何の成果もない会談という理解が正しいのだろう。とすれば、今週この会談に2度も対応した小沢氏も前向きな意志を持っていたということになるか。私は衆参のねじれを背景に、政治の停滞を打破する政治的妥協は必要だと思うし、会談もそのような意味での政策協定を狙うものと理解しようとしていた(昨夜の日記)。なんか虚しい感じ。
2007.11.03
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すごく良い天気ですね、今日は。利府町のグランディ21ホットハウススーパーアリーナ(一息で書けない長さ!)に行ってきました。子育て応援団 すこやか2007 というイベントです。もともとこの手の公共系イベントは大好きな私。プレゼントや試食コーナーを子どもを連れて歩き回るのが何よりの楽しみです。最近は子どもたちも喜んで同行するとは限りませんが、今日は下の娘と出動。クイズラリーの第3問でこんな選択肢がありました(画像)。昨夜の大連立破談の福田総理と、なぜか東国原知事も登場。わが親子は全問正解で、すばらしい景品もゲットできました。ここで正解を書けませんが、正答でも誤答でも景品はもらえます(言って良かったかな)。皆さんもどうぞ!
2007.11.03
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帰宅して夜のニュースを見て知った。今日(2日)午後、福田首相は30日に続く党首会談の場で小沢民主党代表に大連立を打診。小沢代表は持ち帰って役員会に諮った後に、福田首相に正式に断ったという。ニュースが報じた街頭の声は、何で今さら連立なのか、国民の選択肢を奪うものだ、大政翼賛の復活か、という感じで総じて否定的だった。密室で物事が決まるというダーティな印象を忌避したい感覚もあるのだろう。私も基本的にはそう感じる。しかし、冷静に考えると、国政の停滞を回避するために提案した(とされる)福田首相の行動は理由のないものではない。そもそも衆院と参院のねじれ現象が生じる可能性のある現行憲法下では、いかに衆院の優越が規定されているとしても、参院が自ら譲歩する姿勢を敢えて取らない以上、法案の成立(衆院再議決を含む)までには相当の時間を要し、政治空白と政局の不安定を招くことになる。願わくは参院が形式的台頭を主張せず、内閣や与党の姿勢に対して修正を求めるなどして政治的調整を促進するか、あるいは民主党が受け入れられないのなら参院では迅速に否決して衆院再審議に割く時間を与えるべきなのだろう。しかし今回の通常選挙で示された自民への批判票は相当なものだった。参院が謙譲の姿勢を取ることは、国民も許さないだとう。となれば、一定の政治的妥協は必要なのである。党首会談を密室政治と酷評する人もいるが、互いの政党の基本方針を確認しつつ、政治空白を埋めるという共同の全国民的利益を考えて妥協することは非常に意義のある政治家の行動である。誤解を恐れずに言えば、そもそも衆参ねじれの政治情勢を「選択」したのは国民である。国民もこのことは冷静に考えなければならない。政治空白で失う国益は大きいのである。せっかく二大政党的状況になっているのに、国会議員が総選挙での審判もなく勝手に政権交代や連立を組むのはおかしいという感覚はわかるが、かといって解散もすぐにできないのだから(すればまた空白を生む)、現実的判断を尊重しなければならない。さて、本題の連立打診と拒否の話にもどるが、小沢氏は連立を飲むつもりはなかっただろう。民主党の全体の雰囲気も連立は反対だろう。上げ潮ムードだから、早く総選挙に臨んで堂々衆院単独与党の王道を極めたいだろう。なのに小沢氏がわざわざ持ち帰って役員会に諮ったことについては、福田氏のメンツを立てたから、などとされている。対する福田首相にも大連立の成算はなかっただろうが、イラク特措法期限切れに関する対応のアリバイづくりのためと、ゆさぶり戦略なのだろう。かつて野中広務は悪魔と呼んだ小沢の自由党を招いて自自連立を組み、結果的に自由党を解体させた。与党に吸い取って相手の団結を断ち切るという戦略だ。今回の福田首相にはそこまでの底意はなかろうが、出方を見るつもりは多少はあったかも知れない。町村幹事長は「首相が国を憂えてした真摯な申し出に対して、小沢氏がこんなにもすぐに拒否したのは、意外であり残念だ」などとコメントしていた。自分なりに自党を擁護して見せたのだろうが、これほど浅はかなコメントもない。小沢氏が断ることは予想通りだ。町村氏のコメントだと表面の言葉とは裏腹に、いかにも福田首相が相手に拒否させるために申し出たように聞こえてしまうのだが、福田氏が単に拒否させるためにこんな重大な提案をするはずはない。私は首相と小沢氏が明示か黙示か合意した上での、申し出と拒否の舞台だったのだと思う。小沢氏としては自身の持論である国連中心主義の恒久法の実現に道筋をつけられる。民主党内をまとめることにも好都合。福田氏としては、真摯に国益を考えたのはたぶん本当だと思うし、敗北者を印象づけたとしても同時に柔軟な展開の可能性を示した。与党内にも他の決定的な打開オプションはないのだから、誰も首相の行動を非難しない。小沢氏はそれを承知したから、わざわざ一旦保留して福田氏の提案を丁重に扱ってあげたのだ。こうして両者は今後のレールを引いた。恒久法案を早期に通して、政治と外交の空白をまず埋める。そして、年末の総選挙を迎えるのだ。
2007.11.02
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岩手日報(web)を読んでいたら、岩手県庁では昨日11月1日からウォームビズ。重ね着して暖房費の節約と環境負荷の軽減を図るという。一昔前に戻るだけのことなのだが、生活の環境を管理できると誤信しきってしまった現代人には辛いことかも。岩手県庁の率先した取り組みに敬服します。行き先の見えない時代。せめて心は温かく...
2007.11.02
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JRの「駅からハイキング&ウォーキングイベント 東北」を見ている。10月から12月の55コース。表紙の喜多方市熊野神社の写真も美しい。どのコースも、綺麗なイメージ写真と惹き付けるコメントがあって、読むだけでも楽しいです。とっておきイベントコースが青色で表示されており、○ 日本の原風景「骨寺村荘園遺跡」を歩く○ 藤沢周平ゆかりの地・城下町鶴岡をめぐるなんてのは是非行ってみたいです。実はもう過ぎているのだが。ネーミングも良く考えるものだと思う。○ 一国二城の謎を探索。伊達政宗家臣片倉小十郎の城下町白石を歩くチト長いが、歴史ロマンに触れて、うーめんスペシャルメニューも食べられるそうだ。もっと長いのが、○ 自然美蒼ヶ島渓谷と天領の郷ウォーク-天領の郷「はなわ」の自然・人情で癒やされてください-というのがある。水郡線磐城塙駅が起点。塙町は江戸時代天領で、代官陣屋が置かれた。名代官寺西重次郎封元が説いた寺西八ヶ条が今に受け継がれている、とのコメント。初めて知った。訪れたいです。ところで、やっぱり気になる。10月8日のコースに、○ 伊達の奥座敷・秋保温泉&ノルディックウオーク(仙山線愛子駅起点)があり、ウ「オ」ークと表記。他のコースでは全て「ウォーク」と表記なのだが。また気になった。■関連する過去の記事 やっぱりウ「オ」-クなのね(06年9月28日) ノルディックウオーク+温泉in秋保(06年9月28日)キヤノン、そして徳用シテイ、思い出しますね。どうでも良いことでした。
2007.11.01
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