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厳しさは相変わらずだけれども、こんなことを真剣に考えていられることもファン冥利ではないか。 まずは、3チームのCS進出ラインである。 SB(残6)Eagles(残8)CLM(残7)6-0 .538------5-1 .530------4-2 .5238-0 .525---3-3 .5157-1 .519---2-4 .5086-2 .5117-0 .5121-5 .5005-3 .50376-1 .50390-6 .4924-4 .49635-2 .4961---3-5 .48894-3 .4884---2-6 .48153-4 .4806次に、今後の日程を検討してみる。 日程HawksEaglesCLM9/30(日)攝津 F------10/1(月)---田中 B ? L10/2(火)木佐貫 E釜田 H*? L10/3(水)新垣 FダックワースL*? B10/4(木)---美馬 L*---10/5(金)大隣 B辛島 F---10/6(土)攝津 E田中 H*? L10/7(日)---釜田 M? E10/8(月)木佐貫 BダックワースM? Eイーグルスは単なる連戦ではなく、各地を転戦するから相当集中力が要求される(*印が本拠地Kスタ)。厳しい局面だが、頑張って欲しい。ソフトバンクとの2戦を必勝すると考えれば、進出ライン表のSBの上位2行は消えてなくなるから、互角に近いと考えることもできるが、勝ち続けることが前提だから、やっぱり厳しい。月曜は田中で勝ち、火曜日からのKスタ3連戦は投手陣の踏ん張りで何とか取りたい。初戦のSB直接対決がポイントだが、中軸の打棒爆発で大勝し、その勢いで3連戦で投手陣を楽にして欲しい。こうして4連勝で臨めば、土曜日の再びのSB直接対決が俄然盛り上がるだろう。3年前の歓喜を、ぜひ。
2012.09.29
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現在は「名字」と「名前」で表記する。これを「姓名」ともよぶが、もともと「姓」と「名字」は別物である。1 姓姓は5世紀末ころ天皇が自身に従う豪族に与えた「姓(かばね)」が始まり。朝廷における世襲の職業や地位、家柄を表すもので約30種類が存在する。(具体例)世襲の職業に → 連(むらじ)、造(みやつこ)有力豪族に → 臣(おみ)、君(きみ)官名が姓に → 国造(くにのみやつこ)、薬師、宿禰(すくね)姓は朝廷が各氏族や個人に与えた位を表すもので、天武13年(684)には「八色(やくさ)の姓」が制定され再編整理された。その目的は序列を表すことにあった。しかし奈良時代以降はほとんどが「朝臣」となり形骸化して意味のないものとなってしまう。2 氏同じ格付けがすべて「連」と呼ばれるため、区別として姓の頭に親族集団や血筋を示す氏(うじ)を付けて呼ぶようになった。氏は居住地名や朝廷における職業名に由来するものが多い。皇族の身分を失う際に与える場合も。(具体例)地名由来 → 蘇我、出雲職業由来 → 物部、犬養、秦天皇から賜る → 藤原、源、平、橘かくして「物部(もののべ)連(むらじ)」や「平(たいら)朝臣(あそん)」と呼んで個々の区別を付けた。これが氏姓である。氏姓は最初天皇に従う者が名乗り、広がって7世紀末には庶民にも氏姓が与えられるようになった。大化の改新では、豪族の氏姓を登録させ戸籍を作成した。戸籍調査は庶民に対しても行われ、その際に庶民にも氏姓が与えられた。ただし、支配階級との区別のため庶民用の氏姓を付けたという。庶民は氏姓を好まず使わない人も多かったようだ。よく「源平藤橘」と並べられるが、歴史に登場する順は、藤原、橘、源、平である。他にも氏を与えられた豪族がいる中でこれらを特別扱いするのは、強大な権力を誇ったことともに、その氏の広がりが名字の誕生につながっているから。平安末期にはこの4氏を名乗る者がほとんどの状態となり、名字の登場を促したのである。3 名字平安時代も末になると出自を同じくする者が各地に増え、例えば平安以降「朝臣」を多くの豪族が名乗ったため同じ氏姓ばかりが増えた。そこで氏を更に区別する必要から、個人を特定するものとして、在地領主が居住地や官職に由来する名称を名乗りだした。例えば領地の地名をとり、「何処何処の太郎」と呼び、やがて自らそれを名乗るようになるのである。代表的な例が平安末期武蔵国を拠点とした武士団「武蔵七党」とされる。横山党(主な名字は横山、海老名、愛甲、大串など)、猪股党(猪股、人見、甘糟、岡部)、野与党(鬼窪、西脇、柏崎)、村山党(大井、宮寺、金子、山口)、西党(由井、平山、小川)、児玉党(児玉、本庄、塩屋、小幡)、丹党(加治、勅使河原、安保)。各党は数十余の家で構成され、互いの領地に干渉しないことを確認していたが、自領を示すために地名を名乗りあったと言われ、最初に名字にあたる呼称を用いた事例とされている。これが次第に広がり、14世紀頃に家を継承する名称として定着したのが名字である。そして、フルネームとして「家」を表す名字と「出自」を表す氏姓の両方を使って表す方式ができた。(具体例)織田(名字)上総介(官名)平(氏)朝臣(姓)信長源頼朝は、自分と主従関係を結んだ武士の領地を保障し、これら御家人の特権として家紋と名字を与えた。名字をもって御家人と下級武士を区別したのである。名字はすでに平安末より武士領主に使われており、地方に基盤を持つ彼らは、領主権の主張も込めて、領地名に由来する通称を用いた。頼朝はこれを公式な名字付与で統制しようとしたのだが、西国などでは勝手に通称を名乗るなど、幕府の思惑は外れ、名字が広がることとなった。鎌倉幕府は惣領制で惣領に一族を統括させたが、室町時代になり庶子分家の小領主が増えると彼らは領地内の農民に名字を与えて味方に付けようとする。名字を武士の特権としたい幕府は名字禁止令を出すが効果はなかった。室町時代になると武士の間では後継ぎだけが名字を継ぎ、庶子は別の名を名乗らせた。無用な家督争いを避けるためである。しかし足利家8代義政の家督争いが応仁の乱に発展したように、幕府の衰退の一方で農民の台頭により名字も農民にまで広まった。村落を治める小領主は、力をつけて寄合の合議で自営自立の体制を設けた領地内の農民を味方につけるため、自分の名字を与えるなどの懐柔策をとったからである。秀吉は兵農分離を打ち出し、刀狩り、人掃令など、農民からの成り上がりが生まれない社会をめざした。家康はこれを受けて、武士のみを名字帯刀御免(江戸時代の表記は「苗字帯刀御免」)の対象として、農民から名字を取り上げる。それまで多くの庶民が名乗るようになっていた名字を公式に名乗ることは禁じられ、その代わりに、基本的に自由とされた家紋が社会に根を下ろしていくことになる。4 明治の改革このようにもともと名字と姓は異なるものであるが、現代はともに「家」を表す名字を意味する言葉として用いられている。明治政府は明治3年(1870)平民苗字許可令を布告。しかし多くの人はすぐには名字を名乗らなかった。実は許可令の背景には税制と兵制の確立のために戸籍整備が急務だったことがあり、政府は明治4年に戸籍法を発布して翌年実施(壬申戸籍。調査結果3311万人)、名字の登録を促した。実名と通称の併記は禁じられ、名字の勝手な変更も認められなくなった。現在の「名字プラス名前」の形が公式になったのもこのときである。同居する家族が別々の名字を名乗るなど混乱があったが、以前名字なしとしている者が多かったため、政府は明治8年に平民苗字必称義務令を発布し、祖先の苗字が不明の場合は新たに設けるべしとし、名字の公称許可から公称義務化を明示した。なお、そもそも「家」の概念誕生には結婚形態の変化がある。古代日本は夫が妻を訪ねる通い婚が普通であった。夫婦は同居せず子は母方集団で育てられる。平安末以降、嫁取り婚が一般的になり夫婦と子どもは同居するようになる。その結果、父子で代々財産や地位を継承することとなり父親を長とする「家」の概念が生まれたのである。5 氏、姓、名字(再整理)姓で区別できずに氏をつけて(氏姓)、さらに区別のために名字を使うようになったことから、戦国時代には次のようなフルネームとなった。徳川(=名字)右大臣(=官位)源(=氏)朝臣(=姓)家康(=名前(実名))さすがにすべてを呼称はせず、また名前を呼ぶのは失礼にあたるため官位や通称で呼び合った。(1)名字家の名。直系血族を表す。出自を同じくする者が各地に増え、「氏」を区別する必要から、在地領主が居住地や官職に由来する名称を名乗ったことに始まる。(2)官位身分や家格を表す位。幕府や朝廷の任命で取得し、武士の序列や権威づけに使われた。戦乱期は勝手に自称したが、徳川幕府は公式に官位名を整備。これで互いを呼び合った。(3)氏親族集団や血筋を表す。地名、職業に由来、また、天皇から賜った。(4)姓朝廷が各氏族や個人に与えた。奈良・平安のころは「朝臣」がほとんどとなり形骸化。平安中期に名字が多用されるようになると、姓を称するのは次第に廃れた。(5)名前(実名)元服の際に付ける。名乗(なのり)とも。父親等の一字を用いることが多い。通常は口にせず、通称(源九郎など)や字(あざな。元服の際に本人の好みで付けられる呼称)で呼んだ。通称は、官位を持たない人が使った呼称で、生まれ順(太郎、三郎)や、何之助、何之介など官職風の呼び名を用いた。(網本光悦『決定版知れば知るほど面白い!家紋と名字』西東社、2012年3月 による。)■関連する過去の記事 名字の都道府県別ランキング(2012年9月28日) 都道府県名と同じ名字(2011年12月19日) 各県の名字ベストテンと特色ある名字、珍しい名字(2011年12月18日) やっぱり多い鈴木さん(2006年5月9日) 姓と苗字の違い(06年8月23日) 苗字と名字の違い(06年5月22日)
2012.09.29
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各県別に多い名字のランキングである。下掲書からとったが、明治安田生命保険の全国同姓調査より、と本の中に明記されている。名字の都道府県別ランキング1位2位3位4位5位北海道佐藤高橋佐々木鈴木伊藤青森工藤佐藤佐々木木村中村岩手佐藤佐々木高橋千葉菊池宮城佐藤高橋鈴木佐々木阿部秋田佐藤高橋佐々木伊藤鈴木山形佐藤鈴木高橋斎藤伊藤福島佐藤鈴木渡辺斎藤遠藤網本光悦『決定版知れば知るほど面白い!家紋と名字』西東社、2012年3月 解説から何点か拾う。東日本は武家由来の名字が多く、「藤」の付く名字も多い。北海道は東北や北陸から入植した人が多く、ランクの傾向が似ている。東北地方は佐藤、鈴木、佐々木が上位。佐藤は武家の名字で鎌倉時代に領地の農民に与えたことから広まった。秋田と山形では県民の7パーセントが佐藤。関東地方は鈴木が多い。北陸地方では、新潟が東北地方に、他の3県は近畿に似た分布(山本が3県とも1位で、ほかに田中、吉田、中村など)。甲信地方は伊那郡発祥の小林がめだつ。長野県3位の丸山は武田氏の分家。望月は静岡と山梨で各3位だが、佐久郡望月から出た武家が発祥。静岡4位の杉山は家康の家臣に名が残る。近畿は田中、山本、中村が多い。「藤」を含む名字は少ない。中国地方では藤井(広島3位、山口4位)、三宅(岡山2位)、山根(鳥取3位)、原(島根5位)、前田(鳥取5位)などが特徴的だろう。四国は特有の名字が多く、大西(香川3位)、村上水軍に由来する愛媛4位の村上。また、山下(香川4位)、浜田(高知4位)など。九州は、古賀(佐賀3位、福岡4位)、松尾(長崎3位)など。宮崎は、1位黒木、2位日高、3位甲斐、4位河野、5位長友、とユニークだ。■関連する過去の記事 都道府県名と同じ名字(2011年12月19日) 各県の名字ベストテンと特色ある名字、珍しい名字(2011年12月18日) やっぱり多い鈴木さん(2006年5月9日) 姓と苗字の違い(06年8月23日) 苗字と名字の違い(06年5月22日)
2012.09.28
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猛暑の後2日ほど秋めいた日が続いた。もうすぐ10月だ。秋と言えば、秋季高校野球東北大会だ。各県で出場校が決まっている。今年は10月5日から9日で、福島市での開催だ。来春の選抜には、東北の代表2校の外に、東北絆枠でプラス1校が選出されるという。これも楽しみだ。秋季大会の各県代表。(当ジャーナルの余計な寸評を付けました)------------青森 青森山田、青森北、光星学院(山田は5年ぶり5度目の優勝。青北は準決勝で弘前東を振り切って18年ぶりの代表。)岩手 盛岡大付、水沢、一関一(盛付は8年ぶり優勝だが春夏秋と3連覇。水沢は互角の戦いで初優勝こそ逃したが14年ぶりの代表は見事。)宮城 仙台育英、東北、仙台商(常連私立2校のほかは石巻商業が大崎中央を破り第3代表に。代表は3年ぶり)秋田 能代、西目、大館工(能代は逆転で6年ぶりの優勝。金足農は苦杯。)山形 酒田南、山形中央、米沢中央(酒南は3年連続の優勝。米沢中央は羽黒を下し7年ぶり代表。)福島 聖光学院と白河が決勝へ進出。福島東と光南は3位決定戦へ。------------このような状況だ。結構公立高校が躍進している。例えば、青森県では青森北。岩手の公立2校代表は、9年ぶりだ。秋田県は3代表とも県立高校となった。山形中央は(意外と)県立。福島も、4強のうち聖光学院以外の3校は県立だ。もちろん、私学だ公立だと二分法で論じ立てる気はないが、さまざまな球児たちに活躍してもらいたい。最近の東北では、光星や聖光のように常連私立が台頭していると同時に、例えば秋田のように、公立高校が夏も春も代表になることが多い県もある。みんな頑張れ、東北の球児たち。
2012.09.25
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なんでかフラメンコを初めて聞いたのは学生の頃だ。ラジオの真打ち競演だったように思う。ダジャレを連発するだけといえばそれまでだが、実際に会場にいるならば、客を惹き付ける巧みな話芸が盛り上がるのだろう。そして、こんなに時代が変わっても素晴らしくも生きている。紙に書いてみればただのダジャレだが、なんでか心に残り、今でも聞いてみたくなる。日本人の感性と笑いのツボをしっかり抑えているのだろうか。笑い文化論はともかくとして、私は何故かふと思いたち、堺すすむさんのホームページを見てみた。「なんでか村」の汽車をクリックすると、「旅で出会った風景」が紹介される。それが、なんと仙山線の風景なのだ。乗車の際にボタンを押すとの案内に心が安らぐ思いがするとの感想。山寺や面白山も紹介されている。また、山形駅ホームだと思われるが、「かもしか」や「485」の画像がある。いつの時代なのだろうか。なぜ仙山線なのか、説明はない。しかし、おそらく堺さん御自身が仙山線に乗って大いに惹かれるものがあったのではないだろうか。仙台から山形に移動する日程の中でふと目にしたのか、あるいはカメラを携えた休日の旅だったのか。何にしても、われらが仙山線を取り上げていることに、うれしさを感じる。師匠に敬意を表して拙いナンデカをひとつ。仙山線のトンネルの中でカモシカの親子が遊んでいた。その時、山形行きの快速列車が時速100キロでトンネルに突入してきた。脇によける隙間などないのに、カモシカの親子は助かった。♪ナ~ンデカ。それはね、カモシカたちは101キロで反対側の出口から走って逃げたから。もちろん堺さんのネタのパクリでした。
2012.09.23
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長いタイトルですみません。ちょっと期待が入ったもので。それにしても、昨日の藤田の5安打に続いて、牧田の2本塁打と7打点は素晴らしい。中堅どころが日替わりで大爆発。気持ちいいですね。牧田は大砲候補とのかけ声が毎年春には高いのですが、そろそろ本物になりつつあるでしょうか。記録をいうと、1試合あたりの最多打点は11(飯島滋弥)が日本記録で、これは2つの満塁本塁打を含むようです。すごいですね。イーグルスのチーム記録は今夜の牧田が塗り替えたのでしょうか。
2012.09.19
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すごいですね。大敗の前夜の意趣返しのような連打爆発。爽快な勝ちをもたらした今日の立役者は藤田です。CS進出の3位に食い込めるかどうか。週末のSB連戦に向けてもう負けが許されません。今日の勢いを駆って、進めイーグルス。藤田さん、堅守に好打でよろしくおねがいします。ところで記録の話ですが、上には上があって、1試合個人最多安打のプロ野球記録は7本(大下弘)だそうです。イーグルスではタイ記録で2人目とのことですが、1人目は、誰でしょうか。リックか鉄平あたり?
2012.09.18
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NHKニュースでやっていた。いじめ認知件数が宮城は多い。中高は減ったが小学校が前年比40%も増えたというのだ。まずはデータを。平成23年度いじめ認知件数(国公私立) 都道府県小学校中学校高校特別支援計千人あたりアンケ-ト実施率全国33124307496020338702315.090.2%青森県2704546257915.187.4%岩手県12412379123382.393.6%宮城県934649131817226.794.3%秋田県1032454313923.694.1%山形県75135131183592.887.4%福島県47873741750.896.5%文部科学省平成23年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」結果から 「いじめ」についての認識度や教委・学校のアンケートに臨む姿勢などから、客観的な事実とは(かなりの程度に)乖離があると考えるべきだろう。それにしても、こうして数字が出ている(そのような当局の努力自体は大切で評価されるべき)以上、数字の絶対値を信頼した物言い(地域比較など)は極力避けるべきとしても、経年的な趨勢はある程度有益かも知れない。(もちろん、こうした数字だけが独行すべきでなく、アンケートにもあるように、相談状況、学校の対応や取組状況を可視化することがきわめて重要だ。当ジャーナルとして信頼度の低い「いじめ件数」だけをもって地域比較などの物言いをするつもりではないことをご理解いただきたい。)かかる観点から、そして冒頭のNHKの報道ぶりも気になることもあり、前年のデータを拾ってみる。平成22年度いじめ認知件数(国公私立) 都道府県小学校中学校高校特別支援計千人あたりアンケ-ト実施率全国35988323486617342752955.690.4%青森県2714677378185.188.6%岩手県宮城県秋田県1193025924824.397.0%山形県113137127223993.087.9%福島県文部科学省平成22年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」結果から ところで、この文科省HPの平成22年度結果は、今回発表されている平成23年度調査結果における前年度データと異なっている。今回発表の資料における前年(平成22年度)は総数で77,630件、千人あたり5.5で、実施率90.7%とされているのだ。不思議な気もするが、今回発表の前提となる調査で前年分が訂正(補遺)されていると考えよう。アンケート実施学校数が約1200増えているので、被災3県分を遡って追加したのかも知れない。NHKが言っている宮城の小学校で件数40%増加とは、対前年(H22)か、それとも前回調査(H21)の意味だったのか、聴き漏らした。ちなみに、文科省サイトで公表されている平成21年度の件数は次の通り。平成21年度いじめ認知件数 都道府県小学校中学校高校特別支援計千人あたりアンケ-ト実施率全国34766321115642259727785.1青森県2655046768425.2岩手県1981767354522.9宮城県10136441021317726.7秋田県2182774615424.7山形県1081688523632.7福島県43825801830.7文部科学省平成21年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」結果から 宮城で4割増とは、おそらく平成23年度との対比だろう。その対比されている23年度のデータは一覧表としては公表されていないことになる。NHKの取材なのか、県教委が別途発表しているのか。なお、アンケート実施率の少ない地域がある。東京(平成23年度72.7%←平成22年度77.1%)、長野(79.6←77.8)、京都(75.7←87.5)、沖縄(77.1←70.5)など。社会的事情だろう。例えば私学が実施しないなど(他にも背景ありそうだが迂闊に記載は控える)。この2年度間でも、高知(93.5←73.8)のように実施校を増やした県もある。更に言えば、大変申し訳ないが福島県の数値はどうだろうか。調査体制や意識の点で他と違う事情があるのではないか。各都道府県でも当然データを把握してあるはずで、県教委や知事部局(私学)で公表するしないで、対応が分かれているのではないだろうか。この辺は有る意味で高校進学状況を公表や議会報告する都道府県教委とそうでないところと分かれていることと類似していて、教育によせる地域の意識の高さを反映するかも知れない。
2012.09.17
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盛夏の新郷村探訪では、こんな企画があってとても楽しかった。画像は、スタンプラリーの台紙と、呑気に景品のヨーグルトを飲む娘たち。八戸、三本木、奥入瀬をまわる家族旅行の3日目は、お父さんの独壇場という日程。家族に呆れられながらも、キリストの墓や黒又山をぜひ見てから仙台に帰ろうとワクワクしていたのだった。基本的な順序としては、朝に十和田湖の宿を出てから新郷村に入り、キリストの墓。昼は田子町ガーリックセンター、午後には秋田県に入って黒又山と大湯環状列石を見学して十和田ICから帰路につくと企てていた。前日の十和田市内の観光情報のコーナーで、新郷村の4か所を回ると景品がもらえることを知った。これはズバリ。ぜひ行きましょう。そんな訳で、予定にない新郷温泉館にも足を伸ばしましたが、山あいの風景を楽しむ恰好のドライブとなり、良い旅でした。家族はほぼ寝ていましたが、このヨーグルトは美味かった。■関連する過去の記事(家族旅行3日目「お父さん企画の日」の関連です) みろくの滝(2012年9月9日) 田子町ガーリックセンター(2012年8月22日) 大湯環状列石とストーンサークル館(2012年8月21日) 黒又山(2012年8月20日) 大石神ピラミッドと新郷村の旅(2012年8月19日) キリストの墓(2012年8月18日) 新郷村とキリスト伝説を考える(2010年12月12日) ストーンサークルと十和田文化圏を論じた諏訪富多さん(08年9月14日) 大湯環状列石(ストーンサークル)(08年1月25日)
2012.09.16
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酒田市の阿部市長(もう市長じゃない)が総選挙出馬に向けて14日正式に辞任。山形3区は、民主現職の和嶋未希氏と、自民現職加藤紘一氏の構図とみられているが、阿部氏が自民の公認を求めつつ無所属でも出ることが決定したわけで、自民に亀裂が生じている。加藤氏には公然と世代交代論も飛び出すなど、足下で批判がでていた。公認再調整の声もあるが、このまま分裂選挙の可能性もある。次期総選挙は自民に追い風とも言われる中での加藤王国の崩壊。大物市長の国政進出と、拠点都市の市長選挙の行方。などなど、猛暑の夏から政治の秋へ、時も移ろいそうだ。
2012.09.15
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9月に入っても連日の30度。この夏はもう夏バテを通り越して、亡霊のように生きている感じだ。9月も半ばですよ。読書の秋とか、もうすぐイモ煮会の心配などする季節なのに。誰のおかげか今朝も快晴。外に出るのが気が重いくらいだ。さあ、出かけるか。
2012.09.14
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我が家の中一の子。英語の宿題をしていたのだが、a my pen とやったり、What で始まるところを Do you にしたりと、最初だから仕方ないだろうが混乱している。これをどう理解していくかだが、やっぱり非ネイティブの英語学習としては、品詞や文型、文法などを修得することが結局は早いと思う。これは私の持論で、かつて英語の教師とは少なからず議論したことがある。とは言っても、最初から文法論を初めてもしょうがないので、さしあたりは、「動詞がどこかにあること」とか、「形容詞は名詞に付くか be動詞の後に来る」とか、主な品詞の使われ方ぐらいを教えてはどうかと思うのだが。学校では、品詞のアプローチではなく、文として教えようとしているのだろうか。どうも、子どもは、単語たちが同じレベルで踊っているように捉えている。品詞に分ければ、ぐっと楽に思えるのだが。親の視点でモノを言うとかえって混乱するだろうから、基本は静観。訊かれたら教えるけど、どうしても文法を語ってしまう親だ。
2012.09.13
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夏にお世話になった関西の友人に、ぜひ石巻か女川のサンマの刺身を食べて欲しい。復興支援の御礼も込めて、とれたての宮城の味を。そう思って生サンマの直送便を考えた。郵便局やデパートでチラシをもらってきたのだが、家に帰って少々考え込んでいる。悩みその1 さんまがそのままの場合と、刺身用(頭はなくて、たぶん3枚おろし)とがある。刺身が苦手かも知れないから、焼きさんまにできるように、そのままの姿が良いだろうか。その2 生さんまの場合、15本とか20本とかがあって、値段も手頃なのだが、はたしてもらった方で困らないだろうか。家内によると、どうせ近所に分けるからいいんじゃないの、というのだが。迷っている。
2012.09.11
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18世紀以降、我が国で10人以上の死者・行方不明者が出た火山活動噴火年月日火山名犠牲者数備考1721(享保6)6月22日浅間山15噴石による1741(寛保1)8月18日渡島大島1467津波による1799(安永8)11月8-9日桜島150余噴石・溶岩流「安永大噴火」1781(天明1)4月11日桜島死8不明7高免沖の島で噴火、津波による1783(天明3)8月5日浅間山1151火砕流、土砂雪崩、洪水による1785(天明5)4月18日青ヶ島130-140当時島民327、以後50年無人島1792(寛政4)5月21日雲仙岳約15000山崩れと津波「島原大変肥後迷惑」1822(文政5)3月12日有珠山50-103火砕流による1856(安政3)9月25日北海道駒ヶ岳21-29降下軽石、火砕流による1888(明治21)7月15日磐梯山461(477とも)岩屑なだれにより村落埋没1900(明治33)7月17日安達太良山72火口の硫黄採掘所全壊1902(明治35)8月7日伊豆鳥島125全島民死亡1914(大正3)1月12日桜島58溶岩流、地震「大正大噴火」1926(大正15)5月24日十勝岳144(不明含む)火山泥流による1941(昭和15)7月12日三宅島11火山弾、溶岩流などによる1952(昭和27)9月24日ベヨネース列岩31海底噴火(明神礁)、観測船第5海洋丸遭難全員殉職1958(昭和33)6月24日阿蘇山12噴石による1991(平成3)6月3日雲仙岳43(不明含む)火砕流「1991年雲仙岳噴火」石弘之『歴史を変えた火山噴火 -自然災害の環境史-』(世界史の鏡 環境1)(刀水書房、2012年)とても興味深い本だった。地球は生きている。その活動の発露である噴火が、有史以前の段階からいかに人類や社会の歴史を動かしてきたか。現代もなお、大規模自然災害には、我々は基本的に無力だ。あたりまえのことだが、そんな地球の上で生を受けて社会をつくって暮らしている。巻末の日本の噴火史を上記に掲げた。
2012.09.10
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田子町ガーリックセンターを出てから、国道104号を秋田県に向かって走ると、急峻な地形でつづら折りの道に出くわします。県境の峠付近は意外なほど平坦で牧場などがあり、そんな景色を眺めながら十和田(大湯)方面へ移動したのでした。さて、田子町の集落も途切れようとする頃に、国道に看板があり、左に折れていくと「みろく(弥勒)の滝」があるというので、立ち寄ってみました。暑い夏の日ですが、森に囲まれた滝は、静かに美しく流れていました。すぐそばまで車で行けるので便利でした。ほかに数組の観光客。ちょっとした木造のレストハウスがありますが閉鎖されていました。
2012.09.09
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仙台第二高校の進路資料で大学入試合格状況を見てみた。まずは、データを。仙台第二高校 大学合格状況(過去3年間) 種別平24年3月うち現役23年3月うち現役22年3月うち現役(b/a)(a)(b)(c)(d)(e)(f)国立大学218137221129233125.628公立大学201116102012私立43590397131374103東北大学10675894812568.708東京大学126127126.500医学部医学科合格(平成24年3月) 国公立44(うち現役16)、私立他11(うち現役2) 以前から仙台市内の県立上位進学校は、浪人率が非常に高い。私は率直に学校側の意識にあると見ていた。すなわち、教員の意識や同窓生の醸成してきた伝統的な学校生活・進路に対する態度文化、である。入学する生徒が山形や秋田に比較して全体として見た場合に、学力や意欲で劣っていると言うはずはなく、しかしながら例えば秋田高校や山形東高校の現役進路達成状況(つまり浪人比率)とは大きな開きがあった。仙台の閉鎖性や非開明性を象徴するようなナンバースクールの文化も、共学化を契機に変わって欲しいと願っている一人だ。その観点から、上のデータをどう考えるか。合格状況であって現実の進路状況とは異なる点があるだろう(特に私立)が、まず国立合格者の現役比率は、53.6% → 58.3% → 62.8% と上がっている。これを有意と見るかどうか見解は分かれるかも知れないが、過卒合格者実数(a-b)が 108 → 92 → 81 と下がっていることからも、浪人にまわる全体数は一応着実に下がっていると言えそうだ。これを東北大学で見ると、半分が浪人だったのが7割になり、浪人に回って合格した数も、57 → 41 → 31 と減っている。やはり共学化の進展と無関係ではあるまい。山形東高を比較例として挙げる。山形東高 大学合格状況(平成24年春) 種別現浪計うち現役(b/a)(a)(b)国立大学183135.738東北大学6552.800医学部医学科合格 17(うち現役6) もちろん個々の生徒が主体的意欲を持って卒業後に希望を叶えるべく受験準備をすることを悪いというつもりは全くない。人生をどう考えるか自由だ。例えば医学科に浪人で入学する人が多数いる現状からしても、主体的浪人生が一定程度あることは直視すべきことだ。しかし、当ジャーナルが以前から主張しているのは、修学年限で希望を達成しようとする生徒を支援する力が弱い「進学トップ校」では困るということだ。宮城の進学校に入った若者だけが「浪人希望率」が高いわけではないだろうに、ハッキリと浪人の結果が多いのは、現役進路達成を重視しない(むしろ浪人を是とするかの如き)風潮があったからに他ならない。それに甘んじてきたことが問題なのだ。宮城県では共学化や学区撤廃の効果を客観的に検証するのだという。ぜひ、当ジャーナルの拙見もご参照いただきたい。■関連する過去の記事 今春の各高校の大学合格実績 概略(2012年5月29日) 宮城県の高校の進学実績を考える(2010年11月20日) 宮城の県立高校の「現役」進路実現力を考える(09年8月25日) 宮城県の県立高校の進路実現力を考える(09年8月21日) 共学化の方針を堅持(09年2月5日) 県立高校共学化論議を考える(08年12月18日) 梅原市長の高校男女別学の主張を考える(08年11月13日) 高校の進学状況 福島県のデータ(08年8月3日) 宮城県の伝統校の進学力を考える 青森県との比較(08年8月1日) 改めて宮城県の伝統校の進学実績を考える(08年7月31日) 公立高校の学区撤廃を考える(08年7月30日)(宮城県の方針) 宮城県立高校の男女共学化を考える(4)真に学校を思うなら(05年12月11日) 宮城県立高校の男女共学化を考える(3)妙案登場!?(05年12月7日) 仙台市梅原市長の「仙台一高・仙台二高別学維持」発言に思う(05年11月30日) 宮城県内の公立高校の男女共学化論議を考える(2)歴史(05年11月28日) 宮城県立高校の男女共学化を考える(1)序論(05年10月28日) 宮城の進学率と公立高校を考える(05年9月6日)
2012.09.08
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現代美術館、アート広場など、空間全体が芸術都市となっていました。暑い日でした。県外からの旅行者がかなり居るようでした。
2012.09.08
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さまざまな改革を行って一人ひとりが個性と能力を発揮する豊かな社会をつくろうとした人物。河井継之助記念館のリーフレットにそう紹介されている。いくつか紹介の文句を拾ってみる。------------現代人は、学べ!本当の武士道幕末の越後長岡藩が輩出した風雲児の生涯をたどれば、彼の目指した改革と社会がわかる。河井継之助の人間的魅力を知れば、君もあなたも、今を生きる元気がもらえる。日本の精神とは、越後長岡の常在戦場の精神とは、米百俵の精神、互尊独尊の精神が、越後の長岡にある。戊辰戦争、長岡空襲、中越地震からの復活の歴史がある。------------記念館の紹介文そのものに、この地の精神を称揚しようとする長岡の心意気を強く感じる。
2012.09.06
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三本木農業高校前で撮影しました。左手は廃止された十鉄の三農校前駅。映画のシーンで出てきたはずですが、思ったより小さい駅でした。ホームも狭くて短い。駅の脇に立っているのはバス停。学校はこの画像の真ん中当たりで、国道を曲がって正門に入っていきます。壮大な校地で、まるで大学のようです。それにしても、迂闊だった。八戸から十和田市内に向かうのに、県道20号を経由して一旦六戸町中心部へ。さらに六戸町から農道で県道三沢十和田線に出て、つまりなるべく十和田観光電鉄と併走して三本木に向かおうと思ったのでした。ところが、七百で十鉄の踏切を渡る、はずが踏切が踏切でなくなっている。鉄路側が封鎖されて道路が自由に往来できるのだ。3月に既に廃止されていたのだ。しかたないことだったが、それでも十鉄と併走する県道は、美しい田園地帯や針葉樹を眺めながらの味のあるドライブでした。
2012.09.03
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八戸の旅の一コマです。種差天然芝生地。写真は岩礁から撮ったので、ゴロゴロが目立ちますが、芝生地はかなり広くて大変爽快でした。■関連する過去の記事(八戸の観光関係) 葦毛崎展望台(2012年8月28日) 八食センターのお昼(2012年8月27日) 蕪島神社(2012年8月25日) 八戸キャニオンを見てきました(2012年8月17日) 日本一低い場所 八戸キャニオン(2012年3月20日) 七子八珍(2012年2月17日) ウミネコの八戸(08年3月17日) 種差海岸(07年6月13日) 壮大なる八戸キャニオン(07年4月15日)
2012.09.01
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