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M4シャーマン中戦車は5人乗り。車長、操縦手、副操縦手(機関銃手を兼ねる)、砲手、装填手。それぞれが連携し、自分の役目と責任をはたすことで戦車が動く。 戦場の経験がない者がいきなり戦車に乗せられて戦えと。敵地を戦車が進む途中、新人ノーマン二等兵(ローガン・ラーマン)は森に敵兵を発見しながら、それが少年だというので報告もせず見逃してしまうのですが、そのためにその少年兵が発射したパンツァーファウスト(対戦車擲弾筒)で僚車が撃破されてしまう。
仲間たちは、こんな奴がいっしょだったらたまったもんじゃない、と。お前は俺たちを殺すつもりか、と。
相手が子供だろうと、女だろうと、赤ん坊だろうと、武器を持った者はみんな殺せ。生き残りたいならみんな殺せ。殺される前に殺せ。
戦いを知らない平和な本国から戦地へやって来たばかりの男の子ノーマン二等兵。敵兵を見ても撃つのをためらってしまうのですが、ブラッド・ピットの軍曹が「お前が殺さなければ、俺たちが殺されるんだ!」と。
戦闘中に戦車の窓から、撃たれた敵の兵隊たちが倒れているのが見える。すると隣にいる操縦手が「あれを撃て!」と言う。「でも、死んでますよ」と答えると、「お前は確認したのか!生き返って撃ってくるかもしれない、爆弾を持ってるかもしれないじゃないか、撃て!」と言う。 ノーマン二等兵は「もう、こんなとこにいられない!」「こんなこといやだ!」と取り乱してしまうのです。
「自分や仲間が殺されないために敵を殺す」、このようなテーマはかつての戦争映画にはなかったものです。
「アメリカン・スナイパー」(2014)という実在のアメリカ海軍のSEALに属する狙撃手クリス・カイル(敵戦闘員を160名射殺)を描いた映画が公開され、まだ見ていないのですが、その原作がハヤカワ文庫から出ています。
そのプロローグで、しょっちゅう訊かれる質問として、「そんなに多くの人間をイラクで殺して、気がとがめないものか?」
それに対して、私はこう答えている、「少しもとがめない」「本気でそう思っている。初めて人を撃つとき、いくらかは臆病になるものだ。本当にこの男を撃てるのだろうか?本当に撃っていいのか?しかしその敵を殺してしまえば、それでよかったのだと思うようになる」
「そしてまた敵を殺す。ひとり、またひとりと。自分や同胞たちが殺されないために敵を殺す。殺す相手がいなくなるまで殺しつづける。それが戦争というものだ」と。
「標的を殺すことで、大勢の仲間の命を守った」
「今の私は、初めて戦争に行ったときの私ではない。
誰もが変わってしまう。戦場に赴くまでは純真な心を持っているが、突然世の中の裏側を目にする。
後悔はしていない。もう一度やってもいい。だが、戦争はまちがいなく人を変える。
死を受け入れるようになる。
SEALになることは、暗黒面に落ちることだ。完全に入り込んでしまう」と。
(クリス・カイル、ジム・デフェリス、スコット・マキューエン著 田口俊樹 訳)
「フューリー」のデヴィッド・エアー監督には第二次大戦に従軍した二人のおじいさんがいて、彼らはついに戦争体験を語ろうとしなかったそうです。
おじいさんが深夜に黙って一人で食堂に座っている姿を見た、深夜にうなされて飛び起きる姿を見た。
おじいさんたちが戦争で何を体験したのだろうか?、それを描きたかったと監督が発売されたブルーレイソフトに収録のメイキングで語っています。