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「葵」の帖で、予想どおり大渦にはまって、「男の深読み」をせざるを得ず、沈没どころか「御息所」の大きな岩に、押しつぶされそうな感じがしたのですが、何とか逃れた気分です。今はとりあえず、ボロボロに傷んだ手漕ぎボートを修繕するために、ひと休みしているのですが、いかんせん琵琶湖の北湖をボートで漕ぎ渡るのは、土台ムリな話かもしれません。 そこで、以後の「源氏物語」の周遊を、何とか軽快に進めるためにも、ボートを捨てて鳥人間ならぬ人力飛行機で、出来るだけ高度を上げて、全体を見渡しながら、適宜舞い降りて行くか、というようなことを考えています。そのまま北湖を周遊して南湖まで戻ってくるのが、当面の目標ですが、できることならさらに南行して、石山寺近くまで迫ってみたいという、ひそかな欲求もあります(なんちゃって!) それにしても、逐帖どころか逐字レベルまで高度を下げて、舌で舐めるように字句を追いかけていくというのを、延々と続けたのでは、話す私もさることながら、それとお付き合いする皆さん(もしおられたとして)も大変でしょう。しかし古今の古典文献の研究というのは、評釈だの注釈だのという形で、何度も何度も書かれたり、書き直されたりしてきたので、そうした気の狂うような先人の蓄積があって、今ではたかだか一冊600円程度の文庫本で、ごく手軽に1000年前の貴族社会のニオイを嗅ぐことができるのです(こちらにその気があれば)。 はたまた、円地さんの現代語訳と山岸徳平さんの校柱編を全巻揃えても、10000円に満たないことを考えると、テニスやゴルフで一日遊んだ場合の出費のことを考えれば、読書というのはまことにCheapな娯楽だと思うのですが、その10000円弱の出費で、すでに今年になって二ヵ月が過ぎているのです。 ところで、とくにここ最近は、いくら初見の印象を書きとめて置きたいなどと言っても、ブログにUPするために再読すれば、さらに新たな疑問や発見が沸いて出てくるという繰り返しで、初見の記憶などドンドン更新されて、わけが分からなくなってしまう。さらに云えば、こうして舐めるような低空飛行をしていると、もし仮にこのブログを読まれた人が、あとで「源氏物語」を初見で読まれた場合、いらぬ予見を抱かれてしまうのではないか、つまり私のおしゃべりが、余計なイメージを植えつけて、素で物語を楽しもうとするのに、かえって邪魔になることを怖れるのです。 まあしかし、このブログは前も触れましたが、「源氏物語」の紹介記事とか礼賛文ではもちろんありませんし、この先どうなるかは分かりませんが、ひょっとすると「源氏物語」否定の結論が待っているかもしれないのです。あくまで古典や異文化を受容する、あるいは好き嫌いに拘わらず、私たちを取り囲む周辺(歴史も地理も)を見渡すにあたって、こちらの思い込みをできるだけ廃し、なおかつこちらのポジションを、キチッと定めて思考する方法としての一モデルでも示せたらな、というのが私の希望なのです。何だかまた偉そうな話になってしまいました。 それでも、情けない話ですが、本文の基本認識についての誤りが、早くもすでに二、三あるのです(気づかれました?)。私の考えの、おおもとを覆すような誤りでは今のところないので、放ってありますが(初見でものを書くと、どういう誤りや記憶違いが起こるか、それが私の場合どう出てくるか、ということにも関心があって、そのままにしてます、なんてね)、もし仮に誰かと「源氏物語」で討論するとした場合、こうした誤認があるとフェアな議論ができないので、おおいに気になっていて、できれば書き直したいという欲求に駆られますが、基本的にはそうせずに、いずれまとめて訂正編をUPしたほうが、好かろうと思っているのですが、さて ―。
2009.02.28
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さてそろそろ、この「葵」の帖で再び登場した六条御息所(の物の怪)を、どう着地させるか、ということになってきたのですが、世阿弥の謡曲などを補助線にして、今段階の印象を言うとするならば、六条御息所(の物の怪)というのは、光源氏と対峙する女性なるものが本質的に具有する自然性を、暗示するために置かれた一種の霊媒(自然性と人を結ぶもの)のような気がするのです。彼女(の物の怪)が、後に死霊となってからも、光源氏の前だけに顕現して、他の人の前には姿を現さないというのは、もちろん彼が光り輝く貴公子=選ばれた人であるからでした。繰り返しますが彼が死んで後、こうした超常現象的な記述は、この物語には出てこないのです。 しかし― 、という反論があるかもしれません。後に死霊となって紫の上や女三の宮に取り憑き、おおいに苦しめたときは、周りの女房たちも僧侶たちも、それが御息所の物の怪だと認識していたのではないか、と。 これに対する反論は、実はわりあい簡単に出来るような気がしています。この物の怪が何であるかを喧伝して周ったのは、他ならぬ光源氏本人だっただろう、ということです。御息所が死亡してのち、彼女の(荒ぶる)御魂を鎮めるのに、源氏が意を尽くしたのは言うを待たないところで、当然その中には僧侶に対して、口固めすべき重大な彼女の秘密を語るという場面もあったでしょう。 ところが、この僧侶というのが、わりあい口が軽い、というのは、この物語の後半でも出てきますが、紫式部のそうした当時の僧侶や祈祷仏教に対する距離というのが、何となく推し量られておもしろい(寂聴さんゴメンナサイ)。しかしこれはずうっと先の話。 さて、このあたりがどうやら、この帖に描かれた御息所という、紫式部が投げてきた豪速球に対して、私が打ち返せるすべてのようで、ちょっとしんどかったですね。「葵」の帖、終盤で葵の上が死亡する直前、彼女が源氏に向ける眼は哀切を極めます。― (源氏が)「院などに参りて、いと疾うまかでなん。…」など、きこえおき給ひて、いと清げに、うちさうぞきて、いで給ふを、常よりも目をとゞめて、見いだして、臥し給へり。 ― 同上、下線筆者 「院などへ参上して、すぐに退出して来ましょう。…」などと(源氏が)仰せ置きになって、大そう爽やかに装束を整えてお出ましになるのを、女君はいつもよりは眼をとめて見送りながら寝んでいらっしゃる。 (円地文子訳、新潮文庫、下線筆者) それまで、沈黙させていた葵の上の、最後に記された仕草が、おおいに彼女の意志を含んだものに描かれているので、上のような長い議論をすることになってしまいました。この一見感傷的な一行があることで、あるいは末摘花にみられたような作者の冷淡さが、葵の上にかんしては(その不幸な人生のわりに)感じられず、ちょっと救われた感じがあったのでした。 ここでのこういう話は、ある程度予想していたとはいえ、それこそ糸が切れたタコのように、どこまでも飛翔していきかねないということが、今回書いていてよく分かりました。いずれにしても御息所とは、つづく「賢木」の帖でも、いきなり付き合わなければならないし、あわてて結論めいた話をするのは、だいいちMottainai! それとこの話にあまり深入りすると、「源氏物語」本来の姿を歪んだ印象(イヤにSpiritualな感じになるのは業腹です)にしかねないところがあるのです。物語はまだまだ長い、そして私たちと紫式部とのキャッチボールもまだまだ続くのです。 それにしても、ここ最近の話はちょっと疲れた感があって、おおいに気分を変えたい欲求がありますね。 というわけで、ここでいったんひと休みして、しばらくして「源氏1000年」のシリーズは、再開ということにしたいと思います。それが明日になるか、一カ月先になるか、一年後か(そんなにかかりません)分かりませんが、いずれにしても再開するときは、今回のように初見の印象というわけにはいかないでしょう。― 「源氏1000年」第一部 おわり ―
2009.02.27
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しかしここで、またまた大きなそして根本的な疑問が出てしまいます。紫式部は女性であって、この「男の深読み」でしゃべったような、男=オスの恐怖を、はたして知っていたのか、ということです。いくら「百千の心を持つ」女性といえども、この種の恐怖感覚は出産した本人ではなく、出産に立ち会った男=オス(しばしば腰抜けになる男が多い)の根底的な、生理的な恐怖に属するもので、そう簡単には女性には理解され難いものだと思うのですが。 しかしそれを言うなら、「雨夜の品定め」だって相当男的感覚に満ちた生理の話じゃないか、と言われてしまいそうですが、どうもそういうレベルの話ではなさそうです。 古来「源氏物語」男作説が、ささやかれたりしますが、こんなところでまんざら根拠の無い話ではなかったことが分かってしまいました。しかし、男作説は「源氏物語」全般を通観すれば、明らかにムチャな話で、この物語が色濃く女の手になる証拠は、はるかに大量にいくらでも出せる。この話は拡散するおそれが高いので、先ほどの「男の深読み」の中味とともに、いったん棚上げにします。 さて、ここでもう一人の登場人物の話をしなければなりません。他ならぬ葵の上のことです。今回、ブログにUPするために、しようがなしに再読していて、またまた気になる発見をしてしまいました(これももうすでに、よく知られたことかもしれませんが)。葵の上にかんして、紫式部はこの帖では(というより、ほとんど全編で)、ひと言もその口から、本人の言葉をしゃべらせていないということです(しゃべっているのは、取り憑いた物の怪だけ)。彼女にふさわしいパラグラフを探していて、それがちっとも出てこない(源氏や御息所は、いやほど書いてあるのに)。 これがはたして意図されたものであったかどうか。もともと源氏に好意を抱いていなかった数少ない登場人物の一人ということで、物語の中で語られることも少なかった女性なのですが、「葵」の帖では、その姿、仕草と、物の怪に取り憑かれて苦しんでいるうめき声だけで、彼女の心理さえ描かれていないのです。読み進みながら、周囲の女房や左大臣一家や源氏の立ち騒ぐ声に引き比べて、対称的な彼女の沈黙に途中から違和感を感じていて、これはいったい何なんだ、といろいろ考えているうちに、この物語とは別のことから、そんなことに思い当たりました。 別のこととは、彼女より400年ほど後、この沈黙を彼女は間違いなく意識して書いたのだろうと、おそらく確信して新たな劇を造った世阿弥の話なのですが。 世阿弥の謡曲「葵上」の内容は、例の御息所が夢で葵の上を打ち叩くシーンを舞台化したものですが、ここでは主役(シテ)は六畳御息所で、打ち叩かれる葵の上は、なんと床に置かれた一枚の小袖で表現されます。 T.S.エリオットでしたか、このA・ウェイリーの英訳謡曲集を見て(たぶん、彼は実際の能舞台は見てないでしょう)、「夢を表現するには、事物は明晰でなければならない。明晰であるからこそ、非現実が現実となって現われる」とか云ってましたが、世阿弥は御息所の見た夢を舞台にしたのでした。そういえばキリコやダリの超現実主義的な絵は、おどろくほど明晰であるがゆえに、夢(無意識の世界)を表現しえたのです。 床に置かれた一枚の小袖は、もちろん何もしゃべらないけれども、御息所(シテ)のすさまじい「うちかなぐる」所作によって、おそろしく雄弁にものを語っている(小袖が生きているように見える)。沈黙の雄弁というのか、この舞台の題名が「葵上」なのは、実は主役がこの小袖(葵上)であって、シテは小袖(モノ)が語ろうとしていることを、指し示すためにその周囲を舞っているに過ぎないことを、世阿弥は示唆したのではないか、とさえ思えてくるのです。 であるなら、その着想を世阿弥は間違いなく「源氏物語」の「しゃべらない葵の上」から得たのであり、紫式部が彼女に語らせない意図が何であるかを、彼は喝破したのではないか? 話がいささか飛躍していくのを怖れるのですが、「葵」の帖では、むしろ徹底して彼女にしゃべらせないことで、葵の上を通して示唆したいものが、紫式部にはあったのではないか。 それはひょっとすると、先ほどの「男の深読み」にも絡んでくるのですが、女性なるものの自然性を、沈黙という自然の本来的な属性によって、表現しようとしたのではないか(この場合の自然性とは、あるいは神と言い換えても好いのです。神は人の問いかけには一切答えません)。紫式部が最初からそれを意図して彼女を描いてきたとは、とても思えませんが、期せずして彼女は、葵の上を書き込んでいく途中から、沈黙にものを語らせる、という方法に気付いたのではないか、と思えてくるのです(そういえば夕顔もまた、途中でしゃべらなくなってましたね)。何だか紫式部が怖ろしくなってきました。― つづく ―
2009.02.26
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「夕顔」のとき、夕顔の枕辺にあらわれた「いとをかしげなる女」は、かぎりなく六条御息所が疑わしいけれども、結局ハッキリとは特定されなかったのですが、今回葵の上のお顔や声に現れたのは、紛れもなく御息所なのでした。 ただ、ここでも物の怪の姿は、光源氏だけが見た幻視と捉えることもできるので、御几帳の内にいるのは源氏と葵の上だけなのです。さらに源氏が、― 「かくのたまへど、誰とこそ知らね。たしかに、のたまへ」と、のたまへば、たゞ、それなる御有様に、「あさまし」とは、世の常なり。人々、近う参るも、かたはらいたう思さる。 ― 同上、下線筆者 「そうおっしゃっても、私にはどなたか分かりません。はっきりとお名乗り下さい」と仰せられるうちにも、御息所そのままの御様子にお見えになるので、浅ましいというはおろか、お側近く女房たちが参るのさえ、もしや気づきはせぬかと落ちつかずお思いになる。(円地文子訳、新潮文庫、下線筆者) 仮にうつつの現象であったとしても、源氏は我が身の秘密として、この御息所の物の怪を、周囲の女房や左大臣家の人々には知られたくないわけで、これはあるいは光源氏自身の「内心の恐怖の投射」ではなかったか、という「夕顔」のときの命題が再び成り立つのではないか。 というわけで、ここからはまたぞろ、「男の深読み」ということになるのですが、「夕顔」で現われた物の怪が、源氏が夕顔の突然死を目の当りにして感じた、「死の恐怖」の投射であるとすれば、ここで感じた彼の恐怖とは何であったのか? 私は、それは生まれ出る恐怖、あるいは「生の恐怖」であったかもしれないと思うのです。この場面、彼は葵の上の産屋の中に入っているわけで、またまた古代神話の話になりますが、天孫降臨した邇邇芸命(ニニギノミコト)の妻、木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤビメ)が、出産に際して産屋の周囲を塗り固め、火を放って出産したり、火遠理命(ホオリノミコト、山幸彦)の妻、豊玉毘売神(トヨタマヒメ)が「見るな」というのを、ホオリが覗いたところが、八尋和邇(やひろわに)の姿で、生んでいるのを見て腰を抜かす、というように、古来、産屋ないし出産の現場は男子禁制の場所でありました。 期せずして、彼はまたもや禁止のハードルを飛び越えているわけですが、なぜ産屋あるいは出産の現場は禁止区域だったのか? ちょっと難しくなりますが、それはたぶん女性なるものの自然性が、もっともあらわになる瞬間だったからでしょう。爾来、人間社会の周辺をあまねく取り囲んで、人智の及ばぬモノとしてそこにある自然性を、古代人は魂と呼んで畏れ奉ったのでした。出産とは、自然が人間社会の周囲だけでなく、女性の身体を通して、内部にも浸透していることを、古代人たちは薄々感じていたので、だからこそ、軽々には「な見たまひそ(見てはいけません)」になるわけです。 源氏が出産の現場に立ち会ったかどうかは、もちろん分かりませんが、上記の幻視の直後、葵の上の出産が始まっていることをみると、彼が直前の葵の上の姿に「生の恐怖」を見たのではないか、その恐怖の投射が、御息所の幻視となって現われたのではないか、というのはまるきり空虚な話ではないと思えてくるのです。― つづく ―
2009.02.25
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しかしそっちの話に入るまえに、もう一方の葵の上に取り憑いた「物の怪」の話をしなければなりません。もうお気づきかと思いますが、これまでは六条御息所におこった出来事だけを、意図的に選んで話してきました。今度は当然、源氏と葵の上におこった出来事を追いかけねば、フェアじゃないですよね(ちょっと疲れますね)。 御息所が、伊勢下向と光源氏への思慕との間で、心惑うたびに、身重の葵の上に「いと執念き」物の怪が取り憑いて、おおいに苦しむという話は、すでにしてきました。で、いよいよ物の怪が姿をあらわす段となるわけですが、葵の上が、にわかに産気づいて苦しんでおられるので、験者どもにおおいに祈祷させたところが、物の怪は、― さすがに、いみじう調ぜられて、心ぐるしげに泣きわびて、「少し、ゆるべ給へや。大将に聞ゆべき事あり」と、のたまふ。 ― 同上 さすがに、はげしく調伏せられて、苦しそうに泣きながら、「少し、祈祷を緩めてくださいませ。源氏の方にお話したいことがあります」と、(葵の上の口が)おっしゃる。 というわけで女房たちは、光源氏を葵の上の側近く、御几帳(みきちょう)の陰に案内する。ひょっとすると、遺言でもするのかと、付き添っていた父の左大臣や母の大宮殿も、少し側から離れて控えなさった。源氏が御几帳の帷子(かたびら)を引き上げて、葵の上をご覧になると、お腹が大きくなって大変お辛そうだけれど、素のお顔のままのせいか、いつになくかわいげに思われた。 さて、源氏が手を取り、かける言葉もなく悲しんでいると、普段は大変よそよそしく、まともにお顔を見もしなかった葵の上の眼が、随分気だるそうに彼を見つめて、たちまち涙をこぼされる。取り乱した源氏が、いろいろ慰めたり励ましの言葉をかけていると、葵の上の口から、― 「いで、あらずや。『身の上の、いと苦しきを。しばし休め給へ』と、聞えむとてなん。かく参り来むとも、更に思はぬを。物思ふ人の魂は、げに、あくがるゝ物になむありける」と、なつかしげにいひて、… ― 同上 「いえ、そうではないのです。『(ご祈祷で)体が、あまりに苦しくて。で、しばらく休めてください』と、申したのです。こうして参ったのも思いもよらぬことで。不吉なことを思っている人の魂は、まことにフワフワと我が身を離れていくものでございます」と、懐かしそうに云って、― 嘆きわび 空にみだるゝわが魂を 結びとゞめよ したがひのつまと、のたまふ声・けはひ、その人にもあらず、変り給へり。「いと怪し」と、おぼしめぐらすに、たゞ、かの御息所なりけり。 ― 同上 嘆き悲しんで、空中に乱れ飛んでいる私の魂を、どうか元の身に引き止どめてください。(あなたには)どこまでも従っていく女ですから。と、おっしゃる声や気配は、葵の上のそれではなく、別人である。「これは、どうしたことか」と、怪しみ驚いてご覧になると、それは紛れもなく御息所の姿であった。 この生霊の歌う和歌の部分、相当私の意訳が入っています(原文は山岸徳平校柱、岩波文庫)。すいません。「したがひのつま」を円地さんは「着物の下前の褄(つま)」と訳されてます。自己同一化はダメと言ってる本人が、その誘惑に勝てません。― つづく ―
2009.02.24
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彼女がこの物語で、いわゆる狂女(物狂い)に類する女を描いたのは、御息所だけでなく「髭黒の大将の北の方」や「夕霧の奥さん、雲井の雁」あるいは「宇治十帖の浮舟」なども入るのかもしれません。いずれも当時の社会状況におかれた男女のしがらみのなかで、極度の抑圧状態におかれた結果、発現した常ならぬ状態、一種のヒステリーとして描かれているのですが、六畳御息所のように具体的な「物の怪」に象徴される、離人症的な記述はなされていない(この三人では、物の怪のような怪奇譚は存在せず、はなはだ世話物的物語に終始しているのです。そのぶん今どきの私たちには、何の違和感も沸いてこない)ので、やはり紫式部にはこの人に対して、ある特異的な関心があったのでしょう。 これはやはり、彼女の内心に点滅する情欲や嫉妬心と呼応するものを、御息所の心理と行動に見出しているからで、先にあげた清少納言や作中の末摘花の記述のしかたをみれば、そういう側面があったのを忘れるわけにはいきません。しかし先にも触れたように、だから彼女が人に倍する情欲の固まりであったとか、極度に嫉妬深い女性とするわけにはいかないのは、この「葵」の帖での御息所と物の怪の、上記のような犀利な描きかたをみれば分かる。 ここに出ているのは、むしろこうした心理現象や行動の発現に対する、彼女の恐るべき好奇心の強さであり、さらにそれを当時の知見で、自分が使えると判断した物差しで、どこまでも表現しつくそうとした執着力です。こちらの執着心ということであれば、これはおおいに認められる。 ところが、このあと実は困ったことが起っているので、葵の上が無事出産を済ませたという噂を聞いたとき、御息所は心ならずも、― 「かねては、いと危く聞えしを、平らかにも、はた」と、うち思しけり。― 同上「前には命も危ういように聞いていたのに、安産でさえあったのか」と張り合いなくお思いになる。(円地文子訳、新潮文庫) さらに、続けて、― あやしう、我にもあらぬ御心地を、思し続くるに、御衣(おんぞ)なども、たゞ、芥子(けし)の香に、しみかへりたり。あやしさに、御ゆする参り、御衣着かへなどし給ひて、こころみ給へど、なほ、おなじやうにのみあれば、… いとゞ、御心変りも、まさり行く。 ― 同上 そんなことを心ならずも思ったのを怪しんで、魂が我が身から離れていったような心地のした時のことを、思い出していると、着ているご衣裳などに、芥子の香りが染み付いて離れない。気味が悪くて、御髪を洗ったり、ご衣装を着替えなどなさって、いろいろ試してご覧になるが、いっこうに香りが取れる気配もないので、… いよいよ心病いが、重くなって行く。 芥子(ケシ)とは、ご存知のとおり麻薬(アヘン)の材料となる植物で、平安時代は修法(ずほう)のおりに、さかんに用いられた由で、当時の仏教というのが、信仰の対象である以上に、病調伏のための魔術的手段という捉えられ方もしていただろう、ということも推し量られるのですが、ここでの文脈で言えば、葵の上に取り憑いた物の怪を調伏するために、さかんに焚いたであろう芥子の実の香りが、野の宮(斎宮の別院)で伏せっている六畳御息所の衣や髪に、いつのまにやら染みうつっている。 心理的なロマネスクとしては、ゴシックホラーばりで、とても面白いのですが、紫式部の怜悧な眼と記述力(Realism)を強調してきた私としては、ちょっと困ってしまうのです。― つづく ―
2009.02.23
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あきれたことに、光源氏はこの間妊娠で伏せっている葵の上を差し置いて、心配して(という名目で?)御息所に何度か逢っているのです。前回会わなかった御息所が、なぜまたまた一夜を過ごしたのか、紫式部は書いていませんが、その結果、御息所の伊勢に下るという決断は再びグラグラと揺れだす。それに呼応するかのように、葵の上に取り憑いた物の怪は、ますます激しくなってたいそうお苦しみになる。そのことを聞いた御息所は、― 「身一つの憂き嘆きよりほかに、『人を、悪しかれ』など思ふ心もなけれど、物思ふに、あくがるなる魂は、さもやあらん」と、おぼし知らるゝ事もあり。 ― 同上(下線筆者) 「我が身一つの辛さを嘆くよりほかに、『葵の上の容態が、もっと悪くなればいい』などとは、心にも思ったことがないのに、不吉なことばかり考えていると、フワフワと我が身から離れて、舞い上がっていく魂なら、そうしたこともあるかもしれない」と、思い当たる節があった。 前にも触れましたが、この当時「心」とは目とか鼻とか口と同じく、身体に固有の器官の一種、したがって身体の死とともに、心も失われるものと考えられていたのに対し、「魂」は個別的な身体を離れて、自由にこの世もあの世も飛びまわり、ときに人に付着すると考えられていたらしいのですが、そのあたりの仕分けが上の文章にはハッキリと出ていますね。「物思ふ」のモノは、例の身体感覚とは別個に存在するがゆえに、理解しがたい不吉なもの、という意味でのモノと考えられるので、上のような訳しかたをしてみました。 くどいようですが、古代農耕共同社会で人同士をつないでいた「魂」という共有物は、平安の都市社会では失われ、人のコントロールがきかない不吉な存在と認識されていたのです。 で、日常身体に現われるコントロール不能の、もっとも身近な感覚とは、夢でありました。鬱々と伏せっている御息所が、― うちまどろみ給ふ夢には、「かの、ひめ君と思しき人の、いと清らにてある所に、いきて、とかく、ひきまさぐり、現にも似ず、たけく厳(いか)きひたぶる心出できて、うちかなぐる」など、見給ふ事、度かさなりにけり。 ― 同上 うつらうつらとまどろんでいるときに現われる夢には、「かの葵の上らしい人が、清らかに寝ている所に、私が行って、何かと彼女を引っ張ったり、まさぐったりして、起きているときにはありえないような、猛々しい怒りが次々とこみ上げてきて、彼女を打ち倒して叩いている」というような夢を見ることが、たびかさなった。 夢が、うつつの感覚ではコントロールできないように(たまにできると強弁する人もいますが)、魂は、不吉なことばかり考えに耽っていると、うつつであっても、身体から抜け出ていくことがある、つまりコントロールできなくなるというのは、今どきでいう精神病理学の離人症の平安時代的表現であるともとれますね。げんに精神医学の治験を援用して、御息所と紫式部を論じた評論もある由ですが、かといって、だから紫式部は世に伝えられる以上に、執着心や嫉妬、情欲が強い人だっただろう、というような議論は私の場合は、ちょっと待ってェや!ということになるのです。 要は紫式部が、平安時代に知られていた通念や知見に対して、どのようなアプローチと新たな発見を見出していたか、ということが肝心で、作中人物の性格を、即、作者に同一化することが危険なのは言うまでもありません。まして彼女のように「百千の心を持つ」といわれた人物に対しては。― つづく ―
2009.02.22
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というような状況の中で、葵祭りの野外風景が展開されるわけですが、このあたりの描写と主要人物の絵模様は、ぜひ本文を読んでみてください。 立ち並ぶ見物人たちの喧騒と、車にかしこまってチョイ見する風情の宮廷の女たち、さらには酒に酔った従者たちの言い争う声など、正しく紫式部の観察眼と描写力の冴え渡るところですが、彼女はその間に御息所の従者、左大臣家の従者、さらにそれに付き従う光源氏の従者の動きと心理を的確に描き分けていて、この車争いの原因は、結局葵の上その人の頑ななる性格から出てくるものだ、という源氏の述懐で締めくくる。引きますと、― 「なほ、あたら、重りかにおはする人の、物に情おくれて、すくずくしき所、つき給へるあまりに、身づからは、さしも思さざりけめども、…つぎつぎ、よからぬ人の、せさせたるならむかし。」 ― 同上「せっかく重々しく落ちついていられるのに、やさしさの足りない気質で、他人の心を細やかに測れないところのある方なので、御自身にはそれほどとも思われないことであっても、…自然その御気風に倣って、お付きの不心得な者どもが次々と不埒なことを仕出かしたのであろう」(同上) これはあるいは葵の上個人の気質というよりも、左大臣家の気風のバリエーションともみえますが、とにもかくにも源氏はボコボコに恥をかかされた御息所を気遣って訪ねてみる。しかし御息所としては、その高い格式ある気質ゆえにもちろん会おうとはなさらない。 さてここから御息所の恨みが延々と語られると同時に、葵の上に物の怪が取り憑くという展開になります。ここで面白いのは、葵の上の患いを「御物の怪めく」と動詞的な表現していることで、さまざまな物の怪・生霊(いきすだま)が外部から入ってきて、彼女を苦しめている、という図柄が、当時の人々の病や患いに対する理解のしかたであったのでした。外部から侵入してきたのであれば、調伏して外に追い出そうという発想になるわけで、げんにさまざまな物の怪が憑人(よりまし)に憑いて名乗るなかに、― 人(憑人)に更に移らず、たゞ、みづからの御身(葵の上)に、つと添ひたるさまにて、… 片時離るゝ折もなきもの、一つあり。「いみじき験者どもにも従はず、執念き気色、おぼろげの物にもあらず」と見えたり。 ― 同上 執念深く葵の上に取り憑いて、なかなか姿を現さない物の怪がいる、さてこそ何者ということで、女房・従者たちがさまざまに推測するなかに、二条の方(紫の上)六条の方(御息所)などは、源氏と深い間柄なのだからおおいに怪しい、と噂する。 このあたり、すでに帝も知るほどの公然の秘密であった、紫の上や御息所と光源氏の関係は、自然女房・従者の上のような推測となって現われてくるわけで、それがまた周りめぐって御息所の耳に聴こえてくるという仕儀になります。 もともと光源氏の夜離れがちなつれなさを、情けなくもはかなくも思っていた御息所に、例の「車争い」で従者まで巻き込んで、左大臣方の葵の上が、そもそも格上であるべき御息所の車を壊して、公然と世の笑いものにした、さらにはそれを見て見ぬふりをした源氏方の振るまいも許せないということで、鬱々としていた御息所にとって、我が身の生霊が葵の上に取り憑いている、という噂は耐え難いものであったでしょう。 ここから、御息所の離人症ともいうべき、心理の起伏が語られます。― つづく ―
2009.02.21
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さて「葵」の帖は、あの有名な葵祭り(賀茂祭)での「車争い」から幕を開けるのですが、この物語、ほとんど全編が御簾の内外で繰り広げられる、男女の心理のやりとり(それと立ち昇る香の薫り)で占められているので、このようにたまに出てくる都の野外風景というのは、描かれる中味のすさまじさとは別に、私たちをちょっとホッとさせるところがありますね。 このたびの葵祭りは、例の帝の代替わりに伴なう、賀茂斎院(今回は弘徽殿后腹の女三の宮、新帝の妹)の御禊(ごけい、賀茂川での禊ぎ)の儀式を含むので、例になく華やか、かつ厳かに行われ、さらに祭りの主役たる勅使(帝の使者)として光源氏も立つということで、否が応でも盛り上がらざるを得ない、という設定です。地方の老若男女、山賤(やまがつ、山賊?木こり?賤民?)などさえ、都に子供連れで見物に来るとあって、またそのお目当ては紛れもなく、ヨン様こと光源氏なのでした。 このあたり、外の喧騒が左大臣家でお産に備える、葵の上の女房たちにも聞こえ、さらに源氏に想いを抱くさまざまな女たち(とくに六条御息所)にとっても胸騒ぐ出来事なので、それらは必然的に祭りの喧騒へと、彼女たちを引っぱり出していく仕儀になっているのです。偶然の出来事が必然のドラマを生み出す、というのは紫式部の物語上手の手腕がもっとも発揮される部分の一つだと思うのですが、彼女はすでに「紅葉賀」の冒頭、光源氏と頭の中将が舞い唄う「青海波(せいがいは)」試楽の場面で、宮中貴族(敵味方)一同が会して、さまざまな思いをえがく、という設定をやっていますね。 私は何となく映画「ゴッドファーザー」冒頭の、娘の結婚式の場面を思い出してしまいました。主な登場人物(敵も見方も)が一同に会し、さまざまな思惑を秘めて、ながながと続くパーティーのさなかに、すでに引き続く凄惨なドラマを予感させている、うまい演出だと思ったのですが、彼女は1000年前にその手法をわが物としていたのでした。 ところで、この「車争い」の場では、その前に光源氏と六条御息所、葵の上の置かれた状況が、詳しく書かれていて、光源氏は桐壺帝から六条御息所との間柄をかなりきつく叱責されている。引きますと、― (桐壺帝)「故宮の、いと、やむごとなく思し、時めかし給ひし物を。かるがるしく、おしなべたるさまに、もてなすなるが、いとほしきこと。 … 心のすさびに任せて、かく、すきわざするは、いと、世のもどき負ひぬべき事なり」 ― 同上「故東宮がこの上なく大切に思われて、ご寵愛も格別であったのに、そなたが軽々しく、並々の思い人のようにお扱いしているのはまことに心苦しいことだ。…こんな気まぐれのはしたない浮気沙汰は世間の非難を受けることであるぞ」(円地文子訳、新潮文庫) ということは、彼と六条御息所との関係は、すでに公然の間柄であったわけで、帝は関係することを怒っているのではなく、元東宮妃という身分柄に対して、光源氏が粗略に扱っていることを叱責しているのです。 対する源氏は、まことにもっともと恐れ入っているわけですが、公然には絶対できない秘密(藤壺との関係)を持つ身柄、さらには六条御息所の私的要素(情欲の強さと嫉妬深さ)を知り尽くしている彼にとしては、分かっていても眺め放っておくしかない状況なのです。 したがって、次に描かれる葵の上との関係は、六条御息所その他の好きわざを、彼が別に隠そうともしないので、彼女のほうも今さらことさらに咎め立てする気も起こらない、というまことに冷え冷えとした夫婦関係なのでした。― つづく ―
2009.02.20
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行きつ戻りつしているうちに、とうとう「葵」の帖まで来てしまいました。「葵」とつづく「賢木」の帖は、「源氏物語」序盤の大きな山場を成していて、それまで少しずつ語られてきた人物たちが、いっせいに衝突して動き出し、あるものは死に、あるものは別れ、あるものは怒り、あるものは絶望するというふうに、いったんギュッと収束されて、その後思い切り拡散するというような、きわめて密度の濃い部分となっています。 筋を追うだけでも、けっこう大忙しなのですが、大きくたどれば「葵」では、 桐壺帝の禅譲で、代が朱雀帝に代わり、六条御息所は、帝の代替りにともなって斎宮になった娘に、同行して伊勢に下るか迷う。そのおり葵の上は妊娠して出産が迫るが、物の怪が憑いて苦しんでいる。看病にいそしむ源氏の眼前に、葵の上に取り憑いた六条御息所の物の怪が姿を現す。葵の上は源氏との第一子(夕霧)を何とか無事出産するが、産後の肥立ちが悪く、結局あっけなく死亡してしまう。悲嘆に暮れる源氏だが、その慰めとなった紫の上と、ついに初めての契りを結ぶ。 ― ついでに、「賢木」の帖もたどってみると、 退位した桐壺院はほどなく死去し、にわかに政局が左大臣派にとって厳しくなる。前帝の后であった弘徽殿の大后とその父の右大臣が政権を牛耳り、左大臣派は中枢からはずされる。そんなさなか、源氏と心ならずも(?)三度めの逢う瀬を遂げた六条御息所は、結局娘とともに伊勢に去る。源氏は故院の妻、藤壺に執拗に迫るが思いは果たせず、危険を承知で相変わらず右大臣一族の朧月夜と三日と開けず逢う瀬を重ねる。ある日ついに右大臣に現場を押さえられ、弘徽殿の大后の大きな怒りを買う。 ― といった具合でしょうか。 とはいえ、このブログは「源氏物語」を逐帖ごとに追いかけながら、イッチョマエの解説みたいな話するのが目的ではなくて(今までは結果的にそうなっていますし、今後もごく便宜的にそうなるのかもしれませんが)、あくまで私の初見の印象と、できればこの物語が読まれた平安時代のニオイのようなものが、多少でも嗅ぐことができればと思っているのです。 しかし前にも少し触れましたが、私にとっては序盤の大きな関門が待ち構えています。再びここに現われる六条御息所の物の怪のことです。 「夕顔」の帖に現われた六条御息所の物の怪について、紫式部はここで御息所の物の怪を、意識的に朧写しているという西郷さんの解釈を引き、さらに私なりに平安時代の読者は、社会通念上の「物の怪」という概念を、今と違ってごく普通に実在するものとして捉えていた。したがって、「夕顔」の帖で語られる中味で、実際におこったことと、主人公たちの想念に現われたことは、今よりずうっと明晰に仕分けされて、読まれていたのではないか、という話をしました。 ところが、「葵」の帖ではそうした曖昧さは紛れもなく、ハッキリと彼女の「あくがれ出でた魂」として記述しているのです。この豪速球をどう打ち返すべきか、ずうっと思案していたのですが、今だ決めかねています。場合によってはスクイズバントで(人によってはファウルプレーと言うでしょうが)、失敗しても取あえず塁に残る、という手も考えられるのですが(なんちゃって!)。― つづく ―
2009.02.19
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さて、源の内侍騒動のあと、つづく「花宴」の帖では、光源氏が敵対側の弘徽殿(右大臣派)に、酔ったまぎれで忍んで美女を見初める。天下第一の禁止を破って、不義の子までもうけた彼にとっては、敵対側の寝殿といえども、禁止のハードルとしてはそれほど高くなかったのでしょうか。 この帖の右大臣派(弘徽殿女御の妹)、六の君(朧月夜)とのアバンチュールは、この長い物語の中でも彼のプレイボーイ的振るまいが、もっともストレートに描かれているシーンだと思うのですが、すごく若やいだ声で、歌などを口ずさんで歩いてくる、貴女らしき人を認めて、源氏は― いと嬉しくて、ふと、袖をとらへ給ふ。女、「おそろし」と思へる気色にて、「あな、むくつけ。こは誰そ」と、のたまへど、「何か、うとましき」とて、…やをら、いだきおろして、戸は押し立てつ。…「こゝに人の」と、のたまへど、「まろは、皆人に、ゆるされたれば、めし寄せたりとも、何條事かあらん。たゞ忍びてこそ」と、のたまふ声に、「この君なりけり」と、聞き定めて、いさゝか慰めけり。 ― 同上 すごく嬉しくなって、スッと女の袖を押さえられる。女は怖じた気配で、「まあ、怖い。あなたは誰です?」と、おっしゃってはみるものの、源氏は「何を怖がることがあるものですか」と言って、…やおら、細殿に抱き下ろして、戸を閉めてしまった。…女は「ここに人が…」と、おっしゃるけれども、君は「私は、誰にも許されていますから、人をお呼びになっても、どうにもなりませんよ。ただ大人しくしてらっしゃい」と、おっしゃる声が「この人は源氏の君だわ」と、女は聞き定めて、ちょっとほっとした。(円地訳を一部変えてます) ずいぶん調子のいい話ですが、女も女で、相手が今はときめくヨン様(?)ならぬ、光源氏と分かると態度がおおいに軟化する。このあたり、当時の身分制も一応視野に置かなくてはならないのですが、高貴な男から懸想された場合、女はムゲにそれを拒否できないという社会認識があって(空蝉や夕顔がそうでした)、だからこそ天上人に準じる光源氏ならば、仮に「あさましい」ことになったとしても、社会通念上は一応非難されない、という意味での安堵感が含まれているのです。 しかし、その後の経過をみていると、この女(朧月夜)、若いというせいもあるのでしょうが、右大臣派と対立する相手と知りながら、源氏に負けず結構積極的なので、どうやら危険や禁止のハードルが高いほど、思いもセックスも燃え上がるという、例の源氏の「お癖」を彼女は共有しているようにも思われます。 よく考えてみると、当時の光源氏は、正妻の葵の上は例のとおりのよそよそしさ、期待の紫の上はまだ子供、藤壺の宮はもちろん気楽に合える立場ではなく、快楽の共有を究めあえた夕顔はすでに死亡して、私的生活面では相当抑圧状態にあったのではないか。お互いに危険を危険と知りつつ、むしろそれであるがゆえに高い満足と危険を、積極的に共有できる相手というのは、彼女が初めてなのでした(夕顔には高いハードルはなかったのです)。 もちろんそのあとには、高い代償が待っていたのですが。― つづく ―
2009.02.18
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とはいえ、藤壺の宮との密通の結果、生まれた赤子を(それと知ってか知らずか)、桐壺帝が抱いて光源氏に語りかけるシーンは、御簾の後ろに控える藤壺も交えて、大きな劇的場面を造り出しているので、引いておきますと、― (帝が)「御子たちあまたあれど、そこをのみなむ、かゝる程より、あけくれ見し。されば、思ひわたさるゝにやあらん、いとよくこそ、おぼえたれ。いと、小さき程は、みな、かくのみあるわざにやあらん。」 ― 同上「私には御子たちはたくさんいるが、そなただけは、このように小さいときから、日頃見ていたものだ。そのせいか、そなたの幼顔はよく覚えているが、この子は本当にそなたによく似ている。ごく小さいときは、みんなこのようなものだろうか。」 これを聞いた光源氏の反応は、― 中将の君(源氏)、面、色かはる心地して、恐ろしうも、かたじけなくも、うれしくも、あはれにも、かたがた移ろふ心地して、涙落ちぬべし。 ― 同上源氏の君は、顔色が変わる心地がして、空恐ろしくも、勿体なくも、嬉しくも、あわれにも、さまざまにかき乱れ、入りちがう思いが色に出て移ろっていくように思われ、涙が落ちそうになられた。(円地文子訳、新潮文庫) 同じく藤壺の宮は、― 宮は、わりなく、かたはらいたきに、汗も流れてぞおわしける。 ― 同上母宮はどうにも耐えられないほど恥ずかしくて、汗にあえておいでになる。(円地文子訳、新潮文庫) ここの桐壺帝の述懐は、後々「若菜」の帖で、ありありと源氏の想念によみがえるのですが、それにしてもこのときの源氏と藤壺の心理を記述する紫式部の筆致は怜悧で、日本語のながながと形容詞を連ねていく特色が、そのまま源氏の移ろいゆらぐ心のリズムと重なって、例えば昨日もふれた在原業平を評するに「体貌閑麗、放縦不拘」(日本三代実録)といった漢文調では表わしえない、日本語表現を彼女が強く意識しているのがわかりますね。 ところで、断っておかないといけないのですが、このブログであちこち取り上げている原文は、私が原文に通暁しているということではもちろんなくて(あたりまえで、訳文さえ今回が初めてなのですから)、現代訳を通して気になった部分を、実際はどう書いているのか確かめたくて、抜き取り式に書いているに過ぎません。 古典とはやっかいで、話が面白いと、思わず自分と登場人物を同一化して、今の倫理観や世界観で読み込むということになりがちですが、これは逆に今どきのものさしでは絶対受け入れがたい要素を古典に見い出すことになりかねず、「源氏物語」を平安貴族社会の放蕩物語、あるいは仏教由来の宿世を描いたものと裁断して、まったく今日的に受け入れない読者を生み出しかねないのです。 この場合、有効な心の持ちかたというのは、古典を自分の国のもの(したがって、無条件に自己同一化できるもの)と思わず、云うなれば異文化の受容をするというくらいの感覚で臨むのが、ちょうど適当な感じがします。ひらたく云えば、今ここにある「イスラーム文化」や「一神教社会」をどう捉えるか、というようなレベルの接しかたならば、ある程度あやまたず平安貴族社会のニオイ程度は嗅ぐことができるのではないか。 何だか偉そうな話になってしまいましたが、私の都合では、原文をそこここに挿入するというのは、自己同一化した想像力が糸の切れたタコのように、かってにフワフワと飛んでいかないように、原文の錘を適当に吊り下げておきたい、という願望があるのです。もちろん、もし仮にこのブログを読まれる人があるとすれば、私のくだくだしいゴタクなどより、抜き取った原文だけでも味わってもらったほうが好いかもしれません(白状すると原文の書写って、けっこう手間がかかるのですよ)。― つづく ―
2009.02.17
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この頭の中将の性格は、はるか先、源氏の栄達とともに、大臣に昇進した後も、ほぼ一貫しているので、体育系らしく手をつけた相手には、しっかり子供をこしらえる。この当時、世俗的繁栄の条件として、子沢山ということも大きな因子だったわけで、しかるべき子孫はことごとく面倒をみて、一族の繁栄の証しとして、周囲にはべらせておくわけです。 これは競い合うように数多の女に手を出し、何人かとは狂熱の恋も交わしながらも、子孫に恵まれなかった光源氏とは対称的ですね。物語全体を通してみても、確認できるのは藤壺の宮との不義の子(後の冷泉帝)、葵の上との子(夕霧)、明石の方との子(明石の女御、後の今上帝妃)の三人だけであり、このあたり紫式部の意図が何やらありそうです。まあしかしその話は、もう少し先にしましょう。 頭の中将、少し怪しいとは思っても、自分自身があちこち手をつけているので、しかるべき筋で申告があった場合は、すべて認知して面倒をみる。例の近江の君も、そうして左大臣家に入り込んできたわけで、にぎにぎしく迎えてはみたものの、実際に本人の人となりを見たとたんガッカリして、あとは彼女が殿中で物笑いの種になっても放っておく、というより自ら彼女を笑いの種にして、いっこうに気にするところがない。このへんは手をつけた相手とは、どんなに疎遠になっても、気配りを欠かさない源氏とは対称的で、彼と源氏は若いときからの間柄とはいえ、基本的な部分で相容れない性格的な違いがあるのです。 その違いとは、ひと言でいえば、世俗と皇孫の違いとでも言うべきでしょうか。持てる威光はすべて生まれながらにして備えていた光源氏に対して、頭の中将は世俗的勢力争いの渦中で、左大臣一家の息子として生まれてきたわけですから、光源氏的な世界観や人生観は、もとより想像の外であったでしょう。紫式部は世俗と皇孫の違いを、二人の性格の違いとしてハッキリと書き分けているのです。 さて本編にもどって「若紫」以降、「葵」までの帖を眺めてみると、シリアスな話とヲコ系の話が交互に進められているようにも思えます。整理すると、「若紫」では紫の上を見初めたあとに、藤壺の宮との二度目の密通と妊娠「末摘花」で、頭の中将を巻き込んでのヲコ話「紅葉賀」で、藤壺の皇子(不義の子)誕生のあと、源の内侍騒動「花宴」で、弘徽殿(右大臣派)の后の妹(朧月夜)との密会をへて、「葵」「賢木」とつながって行くわけで、このあたり読者心理を手玉に取るというか、硬軟の話を自在に描き分けているやに思われます。あるいは紫式部自身が、自分の心理的緊張をほぐすために、挿入したのかもしれません。 紫の上は、このあたりでは、まだ子供で(この子供時代の描きかたは巧みですが)、物語の主役を演じるのははるか先、中心は何といっても、藤壺の宮との二度目の密通と妊娠出産でしょう。しかし何度も繰り返しますが、彼女との最初の逢う瀬が描かれてないので、彼女と源氏の思いや行動に感情移入するには、ちょっと難しい面があるのです。むしろ初めにも書いたように、これは帝の后との密通という天下第一の禁止を破る、光源氏の英雄的性格を描くための、あらかじめ設定された筋書きであるとも取れ、密通の結果としての妊娠出産も、物語の筋としては必然的結果ではなかったか? この時代より100年ほど前に、稀代の好き者と言われた六歌仙の一人、在原業平(825年~880年)は天皇家の嫡流でありながら、薬子の変により臣籍降下したとされ、光源氏のモデルともされるのですが、「伊勢物語」では、伊勢斎宮の恬子内親王(やすいこないしんのう)などとの禁忌の恋が伝えられ、源氏の時代にはこのような掟破りは、少なくとも物語の中ではよく知られていたでしょう。ということは、さらなる読者興味を沸き立たせるストーリーとして、上のような構想が出てくるのは、ある程度必然であったと思えるのです。 つまりこのあたりまでは、あらかじめの物語の構想にそって、描かれているように私には思われ、またたぶん当時の読者も、同じような予定調和(めでたしめでたしの)の予感のもとで、ワクワクドキドキしていたのでしょう。これは何も紫式部を、くさしているわけではありません。いつごろから当初の構想から大きく飛躍し、人物たちがひとりでに動き出していったかということが大事なのです。― つづく ―
2009.02.16
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年明けから、我ながら何をトチ狂ったか、「源氏物語」に取り憑かれたようにして、感想めいたことをしゃべり続けているのですが、この調子だといつ終わるのかも見当がつかず、あれこれ思案しています。 もともとは生まれて初めて、「源氏物語」を(現代訳ですが)通読したということで、その初見の印象を忘れないうちに、記録しておこうという程度の気持ちだったのですが、ブログにUPしようとすると、一応念のため本文に戻らざるを得ず、本文を再読すると新たな気分がムラムラと湧いてきて、そちらの話が長くなる。そうすると今度は最初の新鮮な気分が、どんどん薄れて忘れてしまうのではないか、という不安が出てくるというわけで、どうも困りましたね。 このように一つのテーマを、我ながら長々としゃべり続けられるということには、何か理由があるのかと途中何度か考えもしたのですが、思い当たる節はいくつかあります。 一つは、このブログを始めたきっかけとも絡むのですが、荒川静香さんやイチローのような天才とは、いかなるものなのか?という関心が、紫式部についても共通して色濃くあること。 二つは、このブログの根本的なテーマで、ちょっと偉そうになりますが、私たち(私、日本人、人間、動物、生物、存在)とは「何であり、どこから来て、どこへ向かおうとしているのか?」という疑問に、彼女は相当Commitしているらしく思えること。 三つ目には、何よりも書いていて面白いこと、といったところでしょうか。 というわけで、なかばはしゃぎすぎの気配で、しゃべり続けているのですが、ここまで私が取り上げたテーマは、はなはだ自分の趣味に引き寄せて、ことさらにヲコ系のパラグラフを多用している気配があります。一つは「もののあわれ」に代表される「源氏物語」にこびりついた、ある種固定観念を私なりの感覚で取り払いたいという、下心があってのことなのですが、あまりそちらに偏すると途中で沈没する恐れがあり、また、もしこのブログを読まれる人がいるとして、肝心の恋愛系の話がまるきり無いのでは、「つまらない!」と思う人は、たぶん相当出てきそうです。 というわけで、そろそろ自分の立ち位置をハッキリさせて、この先どう進めていくか、決めないといけないのですが、今だ迷っています。 滋賀県に琵琶湖という大きな湖があります。浜大津から一人ボートで漕ぎ出たところが、途中意外と寄るべき所が多く、気づいてみると南湖と北湖の境、堅田のあたりまで来ていて、広々とした北湖の水平線を眺めながら、生きて戻るなら今、しかし戻ったら初見の記憶は二度と戻らないだろう、という幾分感傷的な気分で考えあぐねているのです(なんちゃって!)。 実は「夕顔」の帖で、思わぬ深読みをした結果、この先沈没する可能性が相当高い。紫式部が投げてくる七変化の変化球と直球を、とりあえずまともにセンター返しで打ち返したつもりが、早晩ものすごい剛速球が「葵」の帖あたりで返ってくるのが分かっているので、ためらっているのです。六条御息所の生霊の取り扱いを間違えると、私の今までの話は論理的には、全部破綻してしまうでしょう。 しょせん、相手にするには大きすぎる対象に、徒手空拳で突っ込むのは、神風ならぬ我が身では、最初から無理な話ではあったのかもしれません。古典とは恐ろしく厄介なのです。 とはいえ、この1000年前の物語について、しゃべり続けることの魅力は、はじめに云ったような理由で、きわめて大きく、抗い難いものがあるのです。まあ基本的には、このブログのテーマとそうかけ離れていくというわけでもなさそうだし、途中で自分があえなく沈没するのを、我から見届けるというのも、これまた一興かな、ということで、続けていくことにしますか。 何だか、つまらない話をしてしまいました、すいません。
2009.02.14
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たわいない一連の事件のあいだの、三人の動きと思ったことが次々活写されて、それがそのまま三人の性格を現している。物語上手とはこういうところに出てくるので、今どきのドラマや映画でもこうした気の利いた場面にはなかなか出会えません。最後は内侍を一刀両断に切り捨てます。 ― このましう若やぎて、もてなしたるうはべこそ、さてもありけれ、五十七八の人の、うちとけて、物思ひ騒げるけはひ、えならぬ二十の若人たちの御中にて、物おぢしたる、いと、つきなし。 ― 同上 「身奇麗に若やいでつくっているうわべこそ相当に見られるが、五十七八の老女が格別に美しい二十の若人の間に入って見栄を捨てて驚き騒いでいる様子は、物怖じしているだけに、いっそう不似合いにもおかしくも見えるのである。」(円地文子訳、新潮文庫) このあとも、しばらくすったもんだがあって、結局二人ともみっともない姿で、内侍を放り出したまま、いっしょに殿中を去るのですが、そのへんのくだりは本文を読んでみてください。 この「源の典侍」というユニークなあだなる大年増、あとにも例の車争いのおりや、はるかくだって後、七十の老婆となって源氏の前に現れ、あいかわらず、シナ垂れかかる風情に、源氏がおおいに戸惑うという場面が出てきますが、これは紫式部が「ヲコ話」のために作りあげた架空の人物というよりは、おそらくそれに近い女性が、実際に殿中にいたであろうとも想像されます。 これは若いときからその種の教育を受けて、宮中を生き抜いてきたわけですから、このアダなる仕草というのは、もう身体に染みついてしまって離れない、という姿なのです。今どきで云うと、一種の玄人筋の女性とも思え(もちろんそれとは別に、都には春を売る女たちは平安時代にも数多くいたでしょう。ここで大事なのは典侍が、しかるべき血筋と知識も教養も持っていて、殿中にいたということなのです)、桐壺帝の趣味というか性格も何となく推し量られるのですが、そういえば今でも七十過ぎても、「いと艶なる気色」を振りまく女優さん方おられましたな(失礼!)。― 閑話休題 ― 頭の中将の話です。こうして絵に描いたような青春時代を光源氏と過ごして、後の須磨流遇の際も自ら忍んで源氏に会いにいくほど、無二の親友に見える二人ですが、このブログをUPするために、今回読み直していて、あることに気がつきました。 これは深読みというよりは「ウラ読み」の類なのですが、頭の中将の友情というのは、本人の意識はともかく、左大臣一族にとっては、最初から仕組んだものではなかったか、ということです。上の話のような秘密の暴きあいなどは本人同士の戯れであるにしても、その前の「若紫」の帖で、瘧病(わらわやみ、マラリア)を患って北山の寺に籠もったとき、兄弟を引き連れてわざわざ見舞いに行ったり、先ほどの須磨流遇先へのお忍びなどみても、これは何がしか左大臣の意向が働いていると考えられるのです。 世俗の目的達成を第一義とする左大臣一族にとっては、しかるべき人たちの動静を、あらかじめ早くからつかんでおく、というのはごく普通の考え方であったでしょう。若いときから頭の中将が、そのあたりの機微をつかんで動いていたとは、もちろん考えられないのですが、何時頃からかそうした意志を本人も持って動いていたでしょう。とくに須磨流遇先への訪問は、左大臣一族にとっても、右大臣派に圧されて危機に瀕していた時期だっただけに、ある種密命を帯びた、それだけに危険も秘めた訪問だったと思うのです(本文にも、それを匂わせるくだりがありましたね)。 さて、では紫式部はそのあたりの機微を意識して書いていたのかどうか、今の段階では私には分かりません。しかし偶然であったにしても、彼女は道長一族の世俗的な政治的振るまいは、逐一身近で見ていたはずで、観察力に秀でた彼女がハッキリとは意識せずとも、世俗世界での当時の人間の振るまい方を、相当精確に写し取っていただろうとは、かなりの確信をもって言えるような気が、私にはしてきました。― つづく ―
2009.02.13
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昨日あげたような左大臣、右大臣両家の世俗的な勢力図の中にあって、頭の中将は「桐壺」の帖から登場しているのですが、「帚木」ではすでに光源氏のワル友達のような関係になっていて、お互いにおどかしっこや、自慢話(主として女に関する)をし合って、何かにつけて競い合いをしている。すでに二人とも若妻を娶りながらも(それが政略的であるがゆえに)、ほとんど家には寄り付かず、殿中で男同士のヒソヒソ話に打ち興じている、というのは、まさしく青春の若さがなせる仕儀で、ほほ笑ましくもあるのですが、やっている中味は相当悪い。 このあたりは、結婚済みということをのぞけば、我らが学生時代や、かつての旧制高校の男たちの振るまいとほぼ同然で、若さというのは悪さのハードルの競い合いを演じているようなものです。この場合つねに先行していたいのは他ならぬ頭の中将で、彼の気質としては「やんごとなき」貴公子に対して、後れを取ることは許されないのです。 ところが、この後れを取らないという観点が、彼の場合どういうふうに現れてくるかというと、ひらたくいえば数の勝負となってくるわけで、結果として殿中の若女房には(まるで犬が電柱に云々するように)、かたはしから手をつけて何となく悦に入っている気配がある。これぞ世俗の代表である彼の面目躍如といったところですが、いっぽうの光源氏は並々の女房には目もくれない(数には関心がない)ので、頭の中将は何かにつけて光源氏の動向が気になって仕方がない、という仕儀に相成ります。 例の「雨夜の品定め」でも、当初は源氏のひそかな逢引きを何とかあばこうとするが、源氏のあいまいな応対で何も出てこない、というわけで「若紫」以降、彼はひそかに源氏を尾行する。彼にとっては、どこかの貴女とひそかに美味くやっているに違いない光源氏というのは、あいまいそのもので許せないたちのもので、要は白黒ハッキリ決着をつけて、源氏をヘコましたいのでした。 「末摘花」の帖では、源氏の後をつけてきた頭の中将が、逆に末摘花の家を伺っている姿を源氏に見つかって、ヘコまされる。しからばということで、つづく「紅葉賀」の帖では、「源の典侍(ないし)」なる大年増(おおどしま)に対しては先回りして、源氏がしのんでくる現場を押さえようとする。二人の寝屋に音を立てながら近づくので、源氏はめんどくさくなって屏風のうちに隠れようとするが、このあとの三人の風体の描きかたもまた冴えていて、― (頭の中将)ひきたて給える屏風のもとに寄りて、「ごほごほ」と、たゝみ寄せて、おどろおどろしく騒がすに、内侍は、ねびたれど、いたくよしばみ、なよびたる人の、さきざきも、かやうにて、心動かす折々ありければ、ならひて、…「この君を、いかに、しなし聞こえぬるにか」と、わびしさに、ふるふふるふ、つと、ひかえたり。 ― 同上 頭の中将が、隠れている源氏の屏風を「ごほごほ」と、たたんで、大いに騒がしくさせると、内侍はさすがに年を取っても、アダっぽい女なので、今まで何度もこうした場面に遭遇していて、実は内心ワクワクしながら…「このかたは、源氏の君をどうするつもりなのか」と、つらくて震えながらも、(頭の中将を)つかまえている。 一方、源氏の君は、― 「たれと、しられで、出でなばや」と、おぼせど、しどけなき姿にて、冠などうちゆがめて、走らん後手思ふに、「いと、をこなるべし」と、おぼしやすやふ。 「誰とも分からないうちに、出てしまおう」とも思うが、みっともない姿で、歪んだままの冠を被ったまま、逃げ去る自分の後姿を思うと、「大変な笑い草だ」と思ってためらってしまう。 一方、中将の君は、 ― 中将、「いかで、われと知られ聞こえじ」と、思ひて、物もいはず。たゞ、いみじう怒れる気色にもてなして、太刀を引き抜けば、 ― 同上 「どうしても私とは知られまい」と思って、黙ったまま、ものすごい形相で、太刀を引き抜いたので、内侍は ― 女、「あが君あが君」と、むかひて手をするに、ほとほと笑ひぬべし。 ― 同上 「あなた、あなた」と、頭の中将に向かって手を合わせるので、(中将は)もう少しで吹き出しそうになった。― つづく ―
2009.02.12
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頭の中将、左大臣派一族の御曹司として、若いときから何かにつけて、光源氏とは友情とライバル意識がある。絵に描いたような体育会系のはげしい気性で、何事につけて白黒ハッキリさせないと気が済まない。なおかつ、たんにこうした運動部の気性だけでなく、頭も切れて目先も利く。 光源氏が、固有名詞というよりは、限りなく普通名詞に近いその命名からも、天国の御殿をこの世に造りだすために編み出された、理想化された人物設定なのに対し、云わば世俗的なエリートの代表として描かれているのです(数あるこの物語の登場人物の中では、今どきの私でも好感の持てる数少ない人物の一人です。つまり1000年も経てば、共有できる要素は世俗だけしか残らないということですか?)。 世俗的なというのは、桐壺帝を取り巻く左大臣派と右大臣派の綱引き、源氏が後見なき更衣の子として、この世に生まれてきたときの勢力図というのは、右大臣派がすでに娘の弘毅殿の女御を宮中に送り込んで、帝の子も得ている。例の摂関制の構図では、この子が東宮(皇太子)になることによって、外戚たる右大臣派一族が権勢を振るうことができるのです(例の六条御息所が先の東宮妃で、この東宮がすでに若死にしているという設定も、邪推ですが陰謀めいた匂いを感じさせますね)。 光源氏は桐壺帝の更衣に対する異常な寵愛によって、右大臣側から見れば、いわば宮廷内の撹乱要因として生を受けたのであり、左大臣派にとっては、この輝く日の御子は勢力巻き返しのねらい目ではあったでしょう。 左大臣が描く巻き返しとは、さしあたって息子の頭の中将に、右大臣家から嫁(弘毅殿の妹、四の君)をもらって、右大臣派を懐柔する。かたやで臣籍に降りた光源氏が元服したのを機に、にわかに一人娘の葵の上を添い伏しの妻として嫁がせることにする。前にも触れましたが、彼女は本来ならば現東宮(弘毅殿の女御の子)の后になってもおかしくなかったのです。 左大臣側は、息子の頭の中将を光源氏の幼友達として、早くから接近させていたので、娘の添い伏しの婚姻というのは、たぶんに左大臣一族の政略に基づくものでした。左大臣の源氏に対する気の使いようは、異常というより、何となく滑稽な感じがしないでもないので、例えば「紅葉賀」の帖では― (源氏が)つとめて、出で給ふところに、(左大臣が)さしのぞき給ひて、(源氏が)御装束し給ふに、名高き御帯、御手づから持たせて、…御衣の、御後ひきつくろひなど、御沓を取らぬばかりにし給ふ。 ― (山岸徳平校柱、岩波文庫) 義理の息子に、要職を勤める大臣が、衣装の背後を手ずから整えたり、履物を取り並べんばかり、という姿は、世俗の目的達成のためには、周囲の目などいっこう気にしない、一族の気風が現われていて、平安の読者はただちにそのモデルを連想したでしょう。これは左大臣個人のキャラクターではなく、一族の気風が彼をして、そうした振るまいをさせるのです(会社人が組織として動くとき、その中の人間は個人的気分とは関係なく、おのおのの役柄を演じるのと同じです)。 冒頭の「桐壺」の帖を読んだ当時の読者は、ただちに上のような勢力争いの構図を理解したはずで、この物語は昔からの夢物語を装いながらも、当時の人たちにとっては、すぐれて同時代の政治情報物語でもあったのでした。紫式部は慎重に言葉を選びながらも、現実の宮廷内の勢力図を、示唆連想させる物語を語っていたわけで、見ようによっては「源氏物語」に主語が省かれて、人物特定に往生するというのは、あるいは相当意図的に施された仕組みであったかもしれず、宮廷の女房たちは暇にまかせて、この物語を読む以上に、この「人物当てっこゲーム」に熱中していたのかもしれませんね。― つづく ―
2009.02.11
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この仮借ない記述というのは、ものごとを怜悧に見つめて、「あまりなるまで」リアルな描写ができる彼女の特質で、彼女の巨大な天性であるのですが、ここではそれが裏目に出て、リアルに描かれれば描かれるほど、末摘花がだんだん惨めにみえてくる。紫式部も途中からそれに気づいたかとみえて、主人公に言い分けのようにして彼女の面倒を看させる、という仕儀にしてあるのですが、いかんせん同情にもとづく付き合いというのは、「施し」であっても対等なお付き合いとは云えず、彼女に対して失礼な、という印象を免れないのです。 紫式部にそのような性格の一面があったというのは、例の「紫式部日記」に出てくる、有名な清少納言にかんするくだりで、中宮彰子が懐妊して、いよいよ道長方が全盛を極めようとするとき、落ち目の定子側の清少納言を、それこそ完膚なきまでの仮借ない記述で、彼女の弱点を書き並べています。ちょっと長いのですが、― 清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人。さばかりさかしだち、真名かきちらして侍るほども、よく見れば、まだいとたえぬことおおかり。かく、人にことならむと思いこのめる人は、かならず見劣りし、行く末うたてのみ侍れば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなる折も、もののあわれにすすみ、をかしきことも見すぐさぬほどに、おのづから、さるまじくあだなるさまにもなるに侍るべし。そのあだになりぬる人のはて、いかでかはよく侍らむ。 ― 「日本古代文学史」西郷信綱(岩波全書)から転用清少納言と言うのはとても偉そうに威張っている人である。さも頭が良いかのように装って漢字を書きまくっているけれども、その中身を見れば稚拙なところが多い。他人より優れているように振舞いたがる人間は後々見劣りするであろう。(中略)そういう人間の行末が果たして良いものであろうか (Wikipediaより) ここでは、弱点を詳細かつ正確に記述する、という行為そのものが、書いている本人のいやらしさに結びついているわけで、末摘花については、そのように意図したわけではなかったにせよ、はからずも彼女の性格の一端がでているようにも思われます。 ところが同じようなヲコ話の代表である、先にも触れた「近江の君」は安心して笑い飛ばせる。この違いはどこから来るのかというと、近江の君はどうやら終わりのほうで、左大臣家で自分がどういう位置づけなのか、何となく自覚している気配があることで、本意ではないにせよ、ヲコ役に徹することこそが、自分がこの世界で生きていける道だ、ということを見い出していったように書いてある。 最後に彼女が登場する場面、地方の受領の娘に過ぎなかった「明石の上」が、須磨流寓中の源氏に見い出されて、娘を宿す。その娘が入内して、晴れて明石の上が源氏のパンテオンに招き入れられたのが、彼女はうらやましくてたまらない。彼女の論理では明石の上と自分は対等であるべきなのです。というわけで、女房たちと双六に興じているとき、彼女はサイコロを振るたびに「明石の上!明石の上!」とマジナイをかけていたとか、このあたりタフなヲコ女の面目が出ていて、私は好きですね。 こういう人物印象の差がどこから来ているのかというと、仔細な描写をおこないながらも、作者がどこまで登場人物にSympathy(共感)を覚えているか、という違いだと思うので、紫式部は一般にすべての人々にしかるべきSympathyを感じることのできる稀有の才能の持ち主だったと思うのですが、末摘花だけは基本的に受け入れがたい側面を(清少納言がそうであるように)感じたのではないか。 というわけで、多少(私の場合)我慢を強いられながら、読み進まざるを得ない「末摘花」の帖ですが、むしろここで大事なのは、光源氏と左大臣家の長男、頭の中将との関係です。これがあるから、この帖は読めるようなものです。― つづく ―
2009.02.10
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さて先を急ぎます。 「夕顔」のあと、いわば正編ともいうべき「若紫」以下が続いていくわけですが、これが正編と云われるわけは、本編(第一部、第二部)のヒロインというべき紫上が、ここから出てくるからで、ざっと「源氏物語」の第一部(「桐壺」から「藤の裏葉」までの三十三帖)の構造を考えると、主人公が姫と出会って理想の御殿を夢見るが、途中失敗もあり危機に陥る、しかし結局無事返り咲き、いよいよ夢の御殿が地上に誕生する、といったところでしょうか。 ここまでのストーリーの下敷きは、いうまでもなく昔物語や神話の英雄物語と同じ、試練を経ての再生、つまり古代以来の「成年式」=死と再生の儀式構造がこだましているわけです。しかしここでまた古代祭式や神話の話を持ち込むのは、あまりにも私の趣味に「源氏物語」を引きつけすぎて、ちょっとクドい感じがしないでもないので、しないことにします。 「若紫」の帖の主たる話は、もちろん少女時代の紫上を、光源氏が偶然見初めて、思い通りの女性に育てあげる希望を抱く、ということなのですが、そこにはたんなる美少女趣味ではなく、彼女が藤壺宮の兄、兵部卿宮の娘であることで、源氏にとっては母である桐壺帝の更衣の面影もちらついているわけです。 ここでもまた光源氏のマザコン、ロリコン趣味が指摘されもするのですが、私はむしろ紫式部がこの話に紫上を登場させた意味のほうを考えます。それは「夕顔」までで彼女が明らかにした、成熟した女の三者三様の情欲と嫉妬という、女社会にへばりついて逃れようのない地獄が、まったく存在しない理想のパンテオン(神殿)構築のために、紫上を登場させたであろうということで、はなはだおとぎ話的な着想にみえます。あるいは、これは当時彼女の周辺を取り巻いていた、女房たちのため息から出てきた構想かとも思えるのですが。 しかしここで大事なのは、むしろ主人公と藤壺が、侍女、王命婦の手引き(洋の東西を問わず、侍女や随身が活躍するのは、王朝物語の基本形のようで、主人公たちは何しろ言葉一つでも、ちょっとした仕草でも、重大な結果を生むかもしれない、という制約の中にいる結果、従者たる人間が主人公の代弁や旗振りを演じる。あるいは主人公の真実を知っている結果、話の本筋にまで介入してくる、というのはしょっちゅうです)で、二回目の逢う瀬を遂げることで、私たちはここで始めて、具体的に彼と藤壺の現場に立ち会うことになるのです。さらに重大なのはここで藤壺が源氏の子を宿す、ということで、彼女はたちまち本筋に躍り出てきた感がします。 つづく「末摘花」の帖、「源氏物語」中もっとも有名なヲコ話(笑わせ役)のヒロインとして、末摘花は描かれるわけですが、私は正直云って、末摘花にかんする記述は、ここにかぎらず、どうも好きになれません。古色蒼然たる家系の末裔として、いわばこの世に捨て置かれたも同然の無知な姫君を、侍女のふとした話から主人公が懸想する。 この話のポイントは、当時逢う瀬は夜だったことで、要は顔が見えない、彼らは相手を写メールのような映像ではなく、交換する手紙や和歌のできばえ(このできばえには書かれた内容だけでなく、むしろそれ以上に手紙に焚き染められた香の趣味や字面の美しさなど)や、逢う瀬の最中に交わす会話の妙で判断しているので、逢っている(寝ている)のに相手が誰だかハッキリとはわからない(あるいは途中でわかった!?)、などということも、後に好敵手である右大臣家の娘(朧月夜)を懸想したときに起っていますね。 というわけで、何回かの末摘花との逢う瀬のあと、とうとう彼女の顔を見ることになる。この帖の最大の見せ場なのですが、その描き方といい、また彼女の性格の造形といい、紫式部の仮借のない描きかたは、読んでるこちらが鼻白むほどで、何となくイジメの感じがしないでもないのです。― つづく ―
2009.02.09
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意識的に「朧写」された文章を、細密画像のようにPan Focusして見てみようなどということは、量子力学の世界と同じく、分け入って行けば行くほど、むしろボヤけてしまうのかもしれず、私たちにできることはといえば、せめて平安時代の読者と同じ程度には読めるかな、ということでしょう。紫式部は一人時代を突き抜けて、孤高の世界を歩んでいたのではなく、それに共鳴する読者、いわばタフな読者と批評者(その中にはもちろん彼女自身も含まれています)に囲まれて書き綴っていたと思うのです。 で、廃院の中で起ったことは何かといえば、一組の男女の睦み合いの最中(もしくは直後)に女が死んだ、という一点に尽きます。この突然死に対する光源氏の反応が、人智を超えた病とか事故死という場面に遭遇した際に、当時の人々の共通認識にそって、それは外部から来た「物の怪」のしわざである、と考えるのは不思議でもなんでもなかったのでした(今でも自分が何かとんでもないことを仕出かしたとき、思わず原因を他に求めるということはよくあることで、心理的にはこれを「転化」とかいうんですか)。 繰り返しになりますが、問題はその「物の怪」が、六条御安所であるようなないような、「朧写」によって描いていくうちに、むしろこれによって「物の怪」が外部から来たのではなく、光源氏自身の内心の恐怖から出てきているものではないか、と紫式部は気づいたのではないか。彼女の文章が、古代的な夢物語や当時の風俗であった「物の怪」を素材とするとき、ときに驚くほど現代的な相貌を呈するのは、それぞれの素材に、彼女なりの当時の知見を総動員して、そのつど自分なりの新たな発見を見い出していったからでしょう。 「夕顔」の帖で六条御息所が登場するのは前段のほうで、源氏の想念としても彼女が現われるのは、先にも触れたように、美しい女が源氏の夢枕に現われる直前まで、夕顔が突然死してからは、六条御息所は源氏の想念としても、この帖では現われてこないのです(美しい女は、その後、うつつに幻視として一回、夢にもう一回現われます)。もし彼がこの美しい女を、ハッキリと六条御息所の生霊(いきすだま)と確信しているのなら、その後彼女に対する想いが(ショックで二十日ほども寝込んでいる間に)、多少でも出てこないとおかしいでしょう。 ここでの意図的な「朧写」によって、紫式部は主人公の内心の恐怖を、六条御息所に象徴されるような生霊(現実の六条御息所ではありません)として、彼の心内に棲まわせるように仕組んだかと思われます。 ではその光源氏の「内心の恐怖」とは何だったか、ということになるのですが、それはたぶん「源氏物語」全体のテーマでもあると思うので、ここでは保留しておきます、なんちゃって(もうすでに最初に言っちゃってます!)。 それにしても、この突然死のあとの源氏の弱りかたと、対称的な随身の朝臣(あそん)惟光(これみつ)の若いわりに、いやに落ち着き払った采配ぶり、この男、目さきも気配りも気が利いていて、しかも自身の利得も忘れない、今どきの会社でもなかなか得がたい人間ですよ(少なくとも私の周辺にはおりまへん!?)。 この帖は、これまた何の説明もなく、夫に連れられて任国に下っていく空蝉と、源氏との別れの歌の交換で締めくくられているのですが、三者三様の女の括りとしては、まことにふさわしく、しかも六条御息所だけは、大いなる予感だけを残して、語られることなく終わっています。 いささか「夕顔」の帖に足をとられた感があります。かつて文学史などで、「源氏物語」の研究書をチョイ見するとき、ややもすると夕顔や六条御安所が熱心に語られすぎて、かえって本体の全体像を誤解する危険が大きかったなというのは、今回通読してみて痛く感じさせられたことでした。あたりまえの話ですが、文学研究書というのは本文を最低でも一回は通読している人でないと、読んではいけないのですね。― つづく ―
2009.02.07
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昨日の深読みのつづきです。 源氏の夢枕に美しい女が現われて、かたわらに寝ている夕顔を、しきりと掻き起こそうとする、というところで「ものにおそはるゝ心地して」はっと目が覚めてみると、灯が消えている。夕顔の傍に仕える(たぶん隣の部屋)右近を呼んで、紙燭(灯)を持って来るように源氏が命じたときの、夕顔の状態はといえば、― この女ぎみ、いみじくわなゝき惑いて、…。汗もしとゞになりて、われかの気色なり。 ― 同上円地さんの訳では「…女君は、ひどくわななき怯えて、汗もしとどに正体もない様子に見える。」とあり、人事不省の状態であることがわかります。この汗びっしょりで、震えが止まらない状態というのが、医学的治験によれば、どのような状態を指すのか、これこそお医者さんでもある日経新聞の、かの連載作家にお聞きしたいところですが、もし恐怖におそわれて、わなないているのであれば、「汗もしとゞに」というのは、何となく変な気もするし(むしろ総毛だって、寒イボが出るはず)、要は血圧上昇と、それにつづく急速な降下による、脳の急性虚血性~(?)症という状態でしょう。 しかし、そっちのうんちくは、その方面の専門家諸氏にお任せするとして、私の興味は、その間の光源氏の心理状態と行動を示す記述です。一見、夢枕に現われた美しい女が、夜離れがちになった恨み言をいい、夕顔に取り憑いて、殺したというふうに読めますが、この美しい女の姿もしゃべる言葉も、厳密に光源氏しか認知していないので、すべてが現実ではなく彼の心内の投射と見ることもできるのです。 爾来、「物の怪」とは、古代以来、人智の及ばぬ病とか自然現象を把握し、それを鎮めるために、古代人が考えついた「方法」と云えなくもないので、それは平安時代においてもまだまだ生きていたのです。 むしろ古代より平安の都のほうが、より煩さに現われもし意識もされたのではないか、というのは西郷さんの指摘です。古代農耕共同体的社会で「御魂」は、集団に共有されていたのに対し、日本史上初めていろいろな集団や個人が集まってきた平安の都では、すでに人々に共有されるべき御魂は存在せず、かえって個別的に付着する「物の怪」が跋扈するようになったのではないか、と(私なりの解釈ですが)云われます。有名な話では例の菅原道真が大宰府に左遷されて客死したあと、都に天変地異や疫病が発生すると、道真の恨みの御魂のせいとばかり、宮廷あげて加持祈祷に励んだというのも、人智の及ばぬ事態に、かつては共有された御魂を鎮めることで対処したのに対し、平安の都では特定の個人の御魂=「物の怪」を調伏するというふうに意識されていたのではないか。 まあしかし古代の「鎮魂論」は話しだすと、きりがないので、これぐらいにしましょう。要は光源氏の時代、病とか不慮の死というのは、内部からでなく外部から付着しておこる、というのはごく普通の意識のされ方だっただろうということです。 してみれば、「なにがしの院」で起った一連の事態は、起った出来事と光源氏の心象風景を分けて捉えるべきで、ひょっとすると平安時代の読者は、今よりはるかに正確に、ここで起った事実を読み解いていたのではないか。 それにしても、紫式部は賢いというか、狡い。出来事だけを並べて、事柄の関係を一切説明しないので、どちらとも読める。「空蝉」の帖では、空蝉の家族関係が結構複雑であるにもかかわらず、誰がどうしたという記述は、少しもぶれることなく非常に明晰なのですが、「夕顔」の帖については、ほぼ間違いなく彼女は意図的にぼかして書き進んでいるのです。西郷さんはこれを「朧写」という言いかたをされていますが、Soft Focusのことでしょうか。― つづく ―
2009.02.06
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はじめて「源氏物語」を(現代訳で)通読した初手の感触を、他からの雑音が入って忘れないうちに、書いておこうと思ってはじめたこの話ですが、知らぬ間にこの長い物語を、今どきの小説に対するのと同じような読み方をしているのに気がつきます。 これは例えば「古事記」や「伊勢物語」を読むとき、こちらのほうから思いっきり古代に近づいていかないと、決して言葉が立ち上がってくるということがない、といういわゆる古典文学を読むときの感覚とはまるで異なるので、紫式部は恐ろしいほどに、むしろ彼女のほうからこちらに近づいてくる、いつの間にやら1000年の時空を飛び越えて、私たちを背後から、心理的に絡め取っているのではないかという感覚に陥ります。 古典の読み方として、現代の感覚や倫理観を、そのまま過去に投射することは、たいへん危険なので、だからこそ、あらでもの平安時代の時代的社会的風景を、私なりの生かじりの知識で、ながながと挿入したりしているのですが、この「夕顔」の帖だけについては、どうしても今どき風の心理的な深読みをしてしまいたい誘惑に駆られます。 光源氏が夕顔に抱く気安さというのは、六条御安所との対照において感じられた印象なので、だからこそ「夕顔」の帖に彼女は登場するのです。では夕顔とは源氏にとってどんな女だったのか? ここで、今までに描かれた空蝉、六条御安所と比べて、夕顔の特色はどこにあるのかというと(厳密には藤壺も入らないとおかしいのですが、省かれている)、すでに男を知り出産も経験している点では、前の二人と同様に成熟を遂げた女性なのですが、大きく違うのはひたすら彼女の若さでしょう。 前の二人が光源氏よりも、たぶん7歳以上年上の女であるのに対し、夕顔は19歳と源氏に比べて2歳と、ほとんど同年といっていい(大学の1回生と3回生の差)。さらには「雨夜の品定め」における「下の品」にあたる身分で、空蝉にはもうちょっとで逃げられ、六条御安所には、たまらない窮屈を感じていた(要は主導権を何となく相手に握られていた)源氏にとっては、格好の相手だったでしょう。― 「いざ、たゞ、このわたり近き所に、心安くて明さん。かくてのみは、いと苦しかりけり」 ― 同上 「さあ、この近くの別の所で、もっと心ゆくまで、ゆっくり夜を明かそう。こう隣の家が近くては、気分が落ちつかなくて」とは源氏が夕顔を、「なにがしの院」なる廃院に、連れて行くときの誘い言葉ですが、人気のない廃院であればこそ、彼の「心安く明かす」という思いは達成されるのです。廃院に移った朝まだきから、その日の夜まで丸一昼夜何が行なわれたのか、紫式部はもちろんあからさまには書きませんが、最初お互いに名前も明かさずにためらっていたのが、その日の夕方には― 「奥の方は、暗う、ものむつかし」と、女は思ひたれば、端の簾垂(すだれ)をあげて、そいふし給へり ― (下線筆者)同上ようするに、ピタッと源氏にくっついて離れなくなっていたというのは、完全にお互いが快楽を共有している姿であり、これはお互いの若さゆえの充足感であったでしょう。大事なのはそれぞれ男を知っている成熟した女だとはいえ、空蝉には思いなかばで逃げられ、六条御安所にはおそらく激しい狂態を見せられた(想像ですよ)光源氏は、夕顔にいたって初めて互いに快楽を共有する歓びを知ったのではないか。 ここから先はなんとなく、いつぞやの日経新聞の連載小説めくのですが、若さとは性愛の究極を性急に求めて止まないのであり、夕顔を取り殺したのは、六条御安所の生霊や、もちろん廃院に棲みついた物の怪などではなく、他ならぬ性愛への好奇心の塊であった、この本人たちではなかったかと思えてくるのです。 実は今回読み返していて、最初これは光源氏が、その若さゆえに性愛のはてに取り殺してしまったのでないか(その結果現われたのが、心理的な代償としての夢枕の美しい女ではないか)、とも思っていたのですが、そうすると先ほどの互いに快楽を共有する歓び、という新たなテーマが完成されなくなってしまう。そんなテーマなんか、ここにはないと怒鳴られてしまえば、それまでですが、三者三様の男と女の結びつきを考えた場合、紫式部がそれぞれに新たなテーマを付け加えずに、これらの情欲の嵐を、たんに羅列したとは私には思えないのです。古来いわれるように「帚木」「空蝉」「夕顔」の三帖は一連のセットとして読まれるべきで、そうするとこの三者三様という構造が見えてくる(受験時代に私が読んだのは「夕顔」の、しかもたぶん抄訳の中味だったようですね)。 三者三様とは、1. 源氏におおいに惹かれながらも、彼に惑溺した場合の危険を察知して、そのもとをすんでのところで去った空蝉2. 豊穣すぎる我が身の情欲の強さを、おそらく若い源氏の肉体で初めて知って、その情欲の噴出をコントロールできない六条御安所3. 若さゆえの性愛への好奇心から、究極の快楽の果てまで身を任せ、いわば「愛の死」を遂げた夕顔 ということになりますか。えらいことになりましたな。― つづく ―
2009.02.05
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しかし彼女は、嫉妬と妄執を代表する六条御安所の性格に、もう一つ重要な要素を付け加えているのです。 西郷信綱さんによれば、それは彼女が死んだ東宮との間に儲けた一人娘が、伊勢斎宮になったのを機に、同行して伊勢に下った、というくだりで、これは「夕顔」事件ののちに、例の葵上方との賀茂の祭り見物の車争いで、六条御安所の魂が悔しさのあまり、「あくがれ出でて」産気づいた葵上に取り憑き、おおいに苦しめたという出来事の後の話になります。 ちなみに「斎宮(さいぐう、いつきのみや)」とは、天皇の代替わりごとに、伊勢神宮に巫女として仕える未婚の皇女のことです(ややこしいですが賀茂神社に仕える未婚の皇女は「斎院(さいいん)」と呼びます)。 当時の社会にあって伊勢神宮とは、どういう捉えられ方をしていたかといえば、本文中にもあるとおり、西郷さんは仏法の及ばぬ罪深い場所という理解が成されていたのではないか、と指摘されます。それが証拠に彼女は朱雀帝が退位して冷泉帝に代替わりしたときに、娘の斎宮(秋好中宮)を連れて都に戻るのですが、彼女は長くいた伊勢の深き罪を何とか調伏するためと称して、ほどなく出家しますね。さすがの光源氏も出家者(尼)にはよう手を出さなかったので、これは当時の社会規範としての仏教の重みを明瞭に示しているのです(この場合、紫式部が仏教をどう捉えていたかというのは、別の問題です)。 帝(天皇)の依って立つところの本願であるべき、天照大神を祀った神社が、平安中期すでに仏教によって、社会通念的には片隅に押しやられ、むしろ罪深い地として理解されていたというのは、その後「更級日記」の菅原孝標女が伊勢神宮の何たるかを、すでに知らなかった、という有名な話でもおおよそ推定できますね。 「魂」が本人の統御を離れて、「あくがれ出でて」人に取り憑く、というのは平安時代には、ごく普通の通念として信じられていたというのは、宮中でも夜な夜な鬼が現われて都人を苦しめる(今昔物語)、というような噂が絶えなかったという話でも明らかなのですが、紫式部はこれまた当時周知の「遊離魂」の題材を、昔物語風の面白話にするのではなく、六条御安所に特異的な心理現象として描いているので、それは死んでからも紫上や女三宮に取り憑いた(らしい)という、妄執の地獄をさまよう姿として、光源氏の生涯全般にわたって影を落としています。これは見ようによっては光源氏の不安心理の象徴であるようにも見え、それが証拠に六条御安所の物の怪の映像や発せられる言葉は、厳密に光源氏の前だけにしか現れません(これはあとで重要な伏線になります)。 「夕顔」に始まる六条御安所の話は、そうした特異的な彼女の性格を表わすための、さまざまな仕掛けともいえ、はるかのち死霊となって女三宮に取り憑いた(らしい)最後の姿には、かつての格調高く高貴な女性の痕跡は跡形もなく消えて、まさしく鬼の形相とも思える凄まじい描きかたになっていますね。加持祈祷によって調伏された彼女(らしい)物の怪がしゃべるには、― 「かうぞあるよ。いとかしこう、取り返しつと、一人をば、思したりしが、いと妬かりしかば、この辺りに、然りげなくてなむ、日頃侍ひつる。今は帰りなむ。」 ― 同上「このとおり私ですよ。まんまとうまく(紫上の命を、物の怪である私から)取り返したと、(源氏が)一人で思ってらっしゃるのが、かぎりなく妬ましくて、この女三宮に、さり気なく、お憑きしていたのですよ。今回は退散することにしましょう、さらばじゃ。」 これは「魂」というのが個人の身体とは別個に、かつて古代農耕共同体に共有されていた何かであって、時空を自由に飛びまわって、ときに人々の身体に付着すると信じられていた、古代人の記憶とも照応しあっているのです。しかしここでの「魂」は時間が経つにつれて六条御安所という特定的な個性が失われ、ごく一般的に人や家の周辺を飛び回っている「魂」により近寄っていったように描かれていますね。 ここには平安初期から始まったとされる祖霊信仰の痕跡も認められるのですが、妄執の塊りであった彼女の「魂」も、次第に祖先という一般的な祖霊の中に組み込まれていった過程を表わしているのです。 さて、彼女の「いと、物を、あまりなるまで、思ししめたる御心ざま」という表現は、たんに物事をとことん突き詰めて考えなさる御性格というよりも、とことん物事に執着なさる御性格、とも解されるので、これは情に厚い反面、嫉妬深いという、豊饒すぎる感情の両面を示す言葉ではないかと思うのです。 光源氏が例によって(元皇太子妃という高貴な身分ゆえに)執着してものにしたところが、成熟した女性の身体の豊かさと微妙さに惚れてはみたものの、彼女の情の厚さと表裏一体の源氏に対する強い執着心に、たまらない窮屈さを感じたのではないか。若い源氏にとっては、新しい体験ではあったものの、この豊か過ぎる彼女の身体と感情の噴出に、底知れぬ一種の畏れを感じたのではないか。― つづく ―
2009.02.04
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ずいぶん話が逸れてしまいました。 ここまでは、なかば面白半分のヨタ話でしたが、次に話すべき「六条御安所」については、彼女が登場する「夕顔」の帖のヒロインとも含めて、ちょっと姿勢を正して話しなければなりません。 天下第一の禁止である帝の后と密通するという掟破りを設定することによって、宮廷中を自由に飛びまわれる英雄を仕立て上げた紫式部ですが、数ある相手の中で彼女の主たる関心が、成熟した女性にあって、その理由が嫉妬と欲望の根源を見極めたいという、彼女を含めた宮廷社会=女房社会の願望であったのではないか、という話をしてきました。 「空蝉」の帖は気の利いた良くできた短編というような言いかたをしましたが、それにつづく「夕顔」の帖は、先にも触れたとおり奇談に満ちていて、しかもその語り口が巧みなので、ついついゴシック・ホラーのノリで読み了せてしまうのですが、今回あらためて読み直してみると、語り口にも展開にも分かりにくい点がいくつもある。 先に「六条御安所」は格調高いが謎に満ちた人という言いかたをしましたが、この人の住民票的な出自は別に謎でもなんでもなくて、さる大臣の子として生まれ、桐壺帝の時代の東宮妃(皇太子妃)となって、一女も儲けるが、東宮が若くして死んだという高貴な家柄。しかし彼女の出自については、こうした記述では解決されない性格が付与されています。― 女は、いと、物を、あまりなるまで、思ししめたる御心ざまにて… ― 同上六条御安所は、何かにつけて物事を、とことん突き詰めて考えるたちの人で…、というような意味だと思うのですが、「源氏物語」中、嫉妬と妄執に狂う女の代表として、昔からおおいに関心も持たれ、能や浮世絵の登場人物としても、繰り返し取り上げられてきた人物です。 ところが先にも触れたように、この人と光源氏の馴れ初めのシーンは、なぜか省かれているので、私たちは「夕顔」の帖で、いきなりこの人と付き合わされることになります。「夕顔」のストーリーは前にも触れたので、ここでは省くとして、光源氏と夕顔の寝屋に現われた生霊(いきすだま)が、果たしてほんとうに六条御安所だったのかという疑問が出てくるのです。話の筋からいうとどうしても、彼女が夕顔を取り殺した、という展開に読めるのですが、紫式部はここで夢枕に現われる生霊を― 宵過ぐるほど、すこし寝入り給えるに、御枕上に、いとをかしげなる女ゐて… ― 同上宵を過ぎたころ、少し寝入られた光源氏の枕上に、たいそう美しい女が座っていて…、と書いていて、けっして六条御安所とは特定していない。このあたりも昔から論争のあったところのようで、もっと一般的な「物の怪」ととらえるべきなどの議論もあるのですが、そうなると、この「夕顔」の帖の冒頭に出てくる― 六条わたりの御忍び歩きのころ… ― 同上六条御安所のもとへ、しのんで通っていらっしゃったころ、という記述は余計なものとなるはずだし、まして途中六条御安所との逢瀬がだんだん夜離れがちになっている、という話も、さらにまた生霊が枕辺に現われる直前に、光源氏が― あまり心深く、見る人も苦しき、御ありさまを、少し取り捨てばや ― 同上あまりに心深く、相手が息苦しく感じるほどの、六条御安所のご気性を、少しは取り除いてあげようか、と「夕顔」の気安さと引き比べながら思ったりする、という源氏の心理がわざわざ挿入してあるのも、何となく不自然です。 このあたり紫式部は、ずいぶん手の込んだ仕掛けを施しているように見え、六条御安所であるようなないような、西郷さんによれば「虚実皮膜の境い目を」わざと綱渡りするようにして、書き進んでいるやに思えます。この事実関係の説明を省いて、出来事だけを並べるという手法は、T・S・エリオットがObjective Correlative(客観的相関物)と呼ぶところの、事実の選択と配列だけをもって読者の心理を誘導するやりかたで、彼女の得意とする方法ではありました。― つづく ―
2009.02.03
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くりかえしますが、この場合の子宮というのは、成熟した女性の身体感覚といった意味で、すでに男=オスを知り、出産も済ませた女の身体というのは、まさしく女ざかりであって、17歳の源氏たちにとっては、我が身の強い渇望だけを満たす相手ではなく、より微妙な女の感覚を知る好い機会であったでしょう。 紫式部の関心が、成熟した女性の感覚に傾き、また全体にそちらの女性群に魅力的な記述が多いと思うのは私だけでしょうか。これもまた私の妄想ですが、ここでもやはり当時の嫉妬と欲望渦巻く宮廷社会の女性たちの主たる話題の中味に、彼女も無関心ではいられなかったので(彼女自身、末席とはいえ女房社会の一人でしたから)、成しうるならば、これら嫉妬と欲望の根源を見極めたいという、強い願望があったのではないかと思うのです。 そこで対照されるのが「葵上」で、光源氏の添い伏しの妻として、源氏が元服のわずか12歳のときに、自身も15歳ほどで結婚させられる。もとは東宮(皇太子)にも召しかかえられるかというような、誇り高い育ちであったのが、なかば少年の相手であるうえに、自身もまだ男=オスなどたぶん何も知らないという状態では、最初から不幸な取り合わせであったとしか言いようがないでしょう。同じような意味で、この物語のヒロインである「紫の上」もまた、作者自身もため息をつくような夢のお姫様で、嫉妬と愛欲に苦しむ女を演じるには「若菜」までの長い時間が必要でした(ついでにタネを明かしますと、処女が愛欲の嵐に最初から巻き込まれるという設定は、「宇治十帖」の「浮舟」まで待たねばなりませんでした)。 これは「源氏物語」とはまったく関係のない話ですが、私自身がさるご婦人方から聞いたところでは「女は子供を生むと、あちらも深くなる。一人めより二人めの後のほうが、もっと深くなった気がする」とか(あちらとか、もっととか、このブログは禁則文字が多くて頭にきそうですが)、要はそういうことらしいです。男の私が想像するに、成熟した女の身体とは、さかんに女性ホルモンが分泌される状態をいうので、出産が女性にとってかつてない痛みをともないながらも、ある瞬間から歓びに切り換わるらしいのは(でなければ誰も子供を生まなくなる)、女性ホルモンに刺激された脳内物質が、さかんに快感物質を放出するためでしょう。 セックスについても、先にあげたような生物生理的な理由で、本来異物は忌避するべき個体どうしが、ある瞬間から接触するのが快感に切り換わるというのは、種の保存のために他者という異物感を、脳内麻薬によって心地よい感覚へと転化させているからで、どうやらそうした設計図は、あらかじめDNAに組み込まれているらしい。というわけで、例のR・ドーキンスのような「生物とはDNA保存のための単なる乗り物に過ぎない(生物機械論)」のような話も出てくるわけですが、まあこれは別の話。 ともかく女の人はそういう意味で、否が応でも原始脳の感覚(自然)により接しやすい環境(毎月のものと出産)にあると思うのですが、これはどうも男=オスのように射出すればおしまい、というようなシンプルな造りではなくて、環境を介してどんどん進化していくもののようです。まあ中には、ほとんど先天的に快感物質に恵まれた女の人もいるのかもしませんが(最近でも、相当知的レベルは高いのに、何かにつけてすぐ間違いを起こす、という元キャスターがいましたな。間違ってたらごめんなさい)。― つづく ―
2009.02.02
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