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ミサゴ。ひとの免疫システムというのは、元来子孫を残すためであり、ウイルスやその他の病原微生物から、人体を守るだけのために創り上げられた。他の野生動物で、数年間も他者の介護を必要とするヒトのような存在はあり得ない。すぐに捕食者か仲間の栄養になる。免疫は、漸次衰えて行くようにプログラムされている。加齢によって細胞は劣化し、その特異性は内外ともに障害を生じ始める。外からの侵入に対して、非自己を認識できなくなり、更に自己を非自己と捉えてしまうようになる。つまりバクテリアやウィルスが感染しても、其れを排除できなくなるし、自分自身の身体の一部さえそうでないと認識してしまうのだ。これが、自己免疫疾患の状態だ。 私たちが、人間をみることができるのは生きている人間であり、死んだひとたちではない。勿論記憶や、映像や、ことばとして残る「容」はあるが、それは、「真のひと」ではない。語り合えるのは、生きている人間とだけだ。然し、思えば何と瞬間のことであろうか。懐かしいひとたちは、遂に過去のひととなり、尊敬すべきひとは、もう眼にすることもできない人たちばかりだ。愛するものはいるが、それをもう素直に自分の口から言うことはないだろう。今は、もう誇れるものはなにもない。のこすべき優しいことばも彼方に忘れている。在るのはささやかな日々でしかないだろう。せめて、知ることとあと僅かな時間。ひとは、勝つことのない自然へのチャレンジ。自然の摂理とともにあり、種としてのヒトのプログラムを生き抜くだけ。
2021.10.31
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農民を百姓といっていた。「水呑み百姓」とも、「三反百姓」とも、貧しい農民の代名詞だった。そして小作人は過酷な人生を生きていかなければならなかった。長塚節「土」は、そうした暮らしの小説でもある。祖母が、「一粒のコメにもお百姓さんの汗と涙が込められている」とよくいっていた。腰が曲がり、祖母の足の爪が鋏では切れなかった。農作業に耐えた爪だった。 ・何が幸せなのだろうかと思う。懐かしい故郷の里山を歩いている若いころの自分をイメージする。美しい秋の渓谷をのんびりと下っていくような気分だろうか。欲望に執着せず、心が和やかなときの気持ちだろうか。何も起こらない無事が一番だと昔の老人たちが言っていた。欲を深くするから不幸になるとも。 ・へ2・・・未だ、「科学」を手に入れて、せいぜい100年でしかない。未だ何も知らない赤ん坊の知識でしかないのだろう。地球の生物たちの寿命を圧縮しようとしているのではなかろうか。「あと10年」と思い悔いのない晩年にしたい。秋になってしみじみ思う。
2021.10.31
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宮古島。他人の考えに便乗することに慣れてしまっている。ついそれが自分の考えだと思ってしまっている。コピーライターの人生だ。中国のデモも、自分が何をしたいのか解かっているのだろうか。他人のことは言えないが。意外と安易に暮らしている。そしてもう黄昏だと慌てたりする。ガンの告知で絶望もする。誰でも死ぬ。然し自分の番になって慌てない人はいない。或いは訳が解からないままかもしれない。黙って死んで逝った人ばかりだ。言う間もなかったのだろうか。 ・何度も、この世とお別れを言っている。他人には気づかれたくないだけだ。そっという。それは自分にもいっている。単身赴任で5年近く横浜で暮らしたが、もうそろそろか、と思いながら、日光から箱根まで色々名所巡りをしながら、九州から関東にも簡単に来れなくなるだろうと、「これが見納めかもしれない」と思いながら物見遊山をした。 ・へ2・・・文学講座で、読書は自分の頭で読めと言われる。浅いも深いもない。自分の世界観で読むしかない。それは自分流の理解でしかないからでもある。それが個性でもある。すぐに辿りつく山を登るか、一生かけて読む価値のある聳え立つ作家や作品であるかでもある。そして自分は、他人とは違う人生でもある。自分の頭で考え悩みながらよちよちの人生だ。 自分の感性にきづくことは、解っていても他人の力に頼ろうとするように教えられてきた。その方が楽だからでもある。だが、それは自滅するだけでもある。自立がなければ流浪の民になるだけだ。
2021.10.31
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ゴーヤチャンプルー白人社会の暴走はあるのだろうか。奴隷社会をまたやりたいのではないのか。虐げられて人々の苦悩は彼らには届かないらしい。もともと寒い土地で、皮膚の色を変えた民族の末裔でしかない。そのトラウマの反動でもあるのだろう。敵を作ることで生き延びてきたミームがあるのだろう。混乱と秩序とを繰り返してきたが終わるがあるのだろうか。 ・誰が大統領になってもアメリカは、アメリカでしかないし、アクションがあればリアクションがあるだけ。針は振れる。これまでアメリカがしてきたことの報いもある。奢りは自滅の原因になる。韓国でも大統領の不祥事が伝えられているが、日本ではどうなのだろう。政権の腐敗はないのか。 ・へ2・・・歴史は繰り返されてきた。奢れる平家久しからず。必ずなにか弱点がある。それを指摘できるだろうか。致命傷になる前にしてほしい。世界はまたchaosに向かうのではないのだろうか。キナ臭い。子猫は成長できるだろうか。私の膝の上で仄かに温かい。
2021.10.31
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来間大橋。ルソーのことば 「社会の基礎を検討した哲学者たちはみな自然状態にまでさかのぼる必要を感じた。しかしだれひとりとして、そこに到達した者はいなかった」(『人間不平等起源論』) 「虚栄心を生む者は理性であり、それを強めるのは反省である。-人間が苦しんでいる人を見て、「おまえは滅びてしまえ、私は安全だ」と密かに教えるのは学問である」 「ある土地に囲いをして、「これは俺のものだ」と宣言することを思いつき、それを信じるおめでたい者たちを見つけた最初の人間が政治社会の真の創立者であった」 「各構成員の身体と財産を共同の力すべてによって保護する結合の一形式を見出すこと、それにより各人が全員と結びつきながら自分自身にしか服従せず、以前と同じく自由であること、これこそ根本問題であり、社会契約がそれを解決する」(『社会契約論』) 「人民が十分に情報を持って審議するとき、市民が相互の意志を伝達しなければ、わずかの相違が多く集まってつねに一般意志が生まれる」「民主制という言葉の意味を厳密に解釈すれば、真の民主制はこれまで存在しなかったし、これからも決して存在しないだろう。多数者が統治して少数者が統治されるということは自然の秩序に反する」 「統治者が市民に向かって「おまえの死ぬことが国家に役立つのだ」というとき、市民は死なねばならない。
2021.10.31
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宮古下地島空港。人びとは真面目に生きていると思う。それでも何故思うような世の中に為らないのだろうか。自分の理想とするものは自分に都合のいいものでしかないだろうか。普遍的妥当性のあるものを見つけることは出来ないだろうか。尖閣諸島の問題にしろ、50年もすれば、事態は変わっているかも知れない。国境問題は解決しているかも知れない。そうならないとは言えない。国と国との問題も、国家意識が強いからに外ならない。 ・世界戦争が、人類の破滅に為ることは誰でも予想することでもある。地球を知るための講座が、繰り返し大学で開催されている。みなそれほど違う世界観や思想を持っているわけではない。 ・へ2・・・ 勿論、世界戦争があればどうなるかわからない。これまでの人類の歴史が崩壊しかねない。それはだれでも知っているが、どうにもならないのだろうか。私たち一人一人にその負うべき責任があるのだ。なぜ日本に原爆投下があったのか、いまだにアメリカ政府の正式な見解はない。言えないのだろう。本当のことを知れば友好もあったものではあるまい。知らないほうがいいのかも。その時次第で敵に味方にもなるだろう。人間は信用しないのが合理主義でもある。
2021.10.31
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和白干潟のクロツラヘラサギ。和白干潟には、もう渡り鳥の渡りが始まっている。これから寒くなるに従って、野鳥の数も増えてくるので、風が冷たくなるが、見る楽しみがある。バード・ウオッチャーもカメラを持ってきていたようだ。干潟は野鳥の餌の宝庫であるとともに、自然の浄化もしてくれる。荒っぽい埋め立てが博多湾でもされてきた。湾内の土砂を掘りそれを埋立て利用して、その大きな穴が酸欠で腐敗して拡がっているという。それで今度はその穴を埋め立てるそうだ。何のことはない。掘って埋め立てる。仕事を増やすだけではない。自然を破壊している。そんなことをしている。人工島も、どんな影響が生態系にあるか、実証されるのはこれからである。諫早湾の埋め立てにしろあとからでは遅い。研究者の力が弱過ぎるのではないだろうか。知的社会が活かされる社会でありたいものだ。
2021.10.31
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宮古島のトウキビ畑。これまでの発見は地上にあるものの中から生まれてきた。夢も自分の知っているものからである。自分が何ものかであるかは自分で決めてもいる。社会的動物だとしても、個人としては、社会的ステータスは一生の中の一部でしかない。そして最後に残るのは、自然人としての自分の存在だろう。公私ともに生涯現役の人もいるかもしれないが例外でしかない。人はみな平等であるが、自分の人生に目標をイメージし、その一生の中で普遍的価値を見出せるかだろう。 ・人のからだは同じ法則で化学反応によって、生命を維持しており、遺伝子の設計図に従って活動している。勿論環境による影響もある。どんなDNAを自分はもっているのか殆どの人が知らない。そこまで科学は進化していないからだ。「知らず識らずの裡」にことは進んでいく。知らぬが仏だ。確かに成り行き任せの自分の人生でもある。意識下で何か起きているか大半は知らない儘だ。 ・へ2・・・それこそ小心な自分がいる。大自然の中に活きている昆虫と変わりはしない。ミクロとマクロの世界の中とはいえ、果てしもないスペースを奇跡のように生きている。価値があろうとするほど虚しくもある。それ程の存在でもない。それこそ種としてのヒトが束になっても、宇宙を語るだけのメジャーを持ってはいない。それでも、脳の俗説の何かにしがみ付きたくはない。複雑系として、その想像力の限界まで努力したい。
2021.10.31
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通り池。これまでの発見は地上にあるものの中から生まれてきた。夢も自分の知っているものからである。自分が何ものかであるかは自分で決めてもいる。社会的動物だとしても、個人としては、社会的ステータスは一生の中の一部でしかない。そして最後に残るのは、自然人としての自分の存在だろう。公私ともに生涯現役の人もいるかもしれないが例外でしかない。人はみな平等であるが、自分の人生に目標をイメージし、その一生の中で普遍的価値を見出せるかだろう。 ・人のからだは同じ法則で化学反応によって、生命を維持しており、遺伝子の設計図に従って活動している。勿論環境による影響もある。どんなDNAを自分はもっているのか殆どの人が知らない。そこまで科学は進化していないからだ。「知らず識らずの裡」にことは進んでいく。知らぬが仏だ。確かに成り行き任せの自分の人生でもある。意識下で何か起きているか大半は知らない儘だ。 ・へ2・・・それこそ小心な自分がいる。大自然の中に活きている昆虫と変わりはしない。ミクロとマクロの世界の中とはいえ、果てしもないスペースを奇跡のように生きている。価値があろうとするほど虚しくもある。それ程の存在でもない。それこそ種としてのヒトが束になっても、宇宙を語るだけのメジャーを持ってはいない。それでも、脳の俗説の何かにしがみ付きたくはない。複雑系として、その想像力の限界まで努力したい。
2021.10.31
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来間島。この社会では、到る所に失意が溢れ、大きな口を開けてひとびとを引き摺りこもうとしている。いつかはその時が来るだろうか。そのための宗教かも知れない。自分の心を奮い立たせなければ、この試練を乗り越えられない。日々目にしているものは失意の時を迎えた人たちの話ばかりだ。身近な人たちが、失意がなく逝ったといえるだろうか?それは到底いえないだろう。病に倒れ、悲しみの中でこの世を終わっている。そうでないひともいるのは、確かだろうが、それは稀有なことだ。したいこともせず、忍耐に耐えて一生を終えただろう。その憎悪さえ知らないのは、無情だろうか。知らぬが仏で生きてもいる。活きている時間を無駄にしてはいないか。失意に負けてはいないか。問うのは日々の中にある。
2021.10.31
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来間大橋。梶井「のんきな患者」は、<「檸檬」ふたたび>、と講師。「檸檬」は彼の作品として代表作であるが、実は作家はそうは思っていなかった。「檸檬」を書いた時には描き切れなかった。梶井も「檸檬」を書いた時と「のんきな患者」を書いた時では違っている。それだけ社会性を持った。到達したというべきか。内面の葛藤から這い出そうとしている。然も、そして死んでしまった。残されたものは断片でしかない。「のんきな患者」は、小説として完成したが、それよりも「檸檬」に対する世間の評価は、むしろ高いといえる。 ・梶井は、もし生きていたら、いまもなお評価され大成したのだろうか。それは分からない。シュールリアリズムの詩人のような感性を持っているといわれる。一般の読者よりも、専門家である一流の評論家や、文学者に影響を与えている。青年らしい瑞々しい感性が、描くものは破壊である。テロリストの匂いがする。重篤な肺病を患い未来に絶望していた。 ・へ2・・・死と向き合った青年が放つエネルギーは、並みの魂では見つめられない。問題の所在を把握できるだろうか。自信はない。逝く者たちには勝てない。時は不可逆に進んでいるが、それを遡ることができるのは人間の特権でもあるだろう。それができるかだろうか。
2021.10.31
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睡眠不足の影響は大きい。脳に満腹を伝えるレプチンが減少し、胃から食欲を増進させるホルモンが分泌される。空腹感が増し、特に炭水化物への欲求が強まリ、このホルモン異常は、エネルギーの消費も抑制してしまうのだ。体はエネルギーを取り込み、蓄えようとして肥満になる。さらに耐糖能低下を招き、運動意欲もなくなる。 ・睡眠不足は、生活上の行動変化となり、体内ではホルモンの作用を乱して肥満になり易い体質を形成する。やがてメタボリック・シンドロームのシステムを準備してしまう。睡眠不足は、何かのきっかけから始まることが多い。ぐっすり眠る為にどれだけ工夫をしているだろうか。少なくとも不眠症にならないために、努力する価値はある。適度の日常的な運動が有効な手段になる。運動不足になり易い環境が身体を動かすことを阻害してもいる。 ・へ2・・・規則正しい食事と、運動とするように心掛けている。歩くのがそれほど苦痛ではなくなった。すると睡眠不足も少しずつ解消して来たようだ。自分にとって、最適と行かなくてもベターな生活態度をテストしている。自分の体調と環境の変化がある。1年間を通して、自己管理表を作成中である。運動と食事とストレスがある。そして、まだ睡眠時間を加えなければならない。試行錯誤で遣っている。基礎データを作らないことには始まらない気がしている。
2021.10.30
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西欧中世事典では、部族(Stamm)という概念から始まっている。基礎的なカテゴリーのひとつである。「家族、ジッぺ、共同体、集落の集団」が言語共同体、文化共同体であるとみなすものを部族とみなすという。血のつながりの観念が想起される。日本に於いても家を中心とした結束によって血族による一族が形成され、それがやがて淘汰されながら発展し近代国家の基礎になった。こうした部族が血統共同体であるという観念は、政治的イデオロギーの根幹をなす要素でもある。 ・何故私たちは、他人と同じことをしようと思うのだろうか。集団の一員として生きることに安心感を持つからだろうか。集団で行動するある種の魚にはセロトニンが出て快感になるという話を聴いたことがある。自分の育ってきた人間を信用しようとする傾向は、自分が幼いころから親しんできた環境から来るのだろうか。ルーツを探せば過去に遡及してしまうのだろうか。 ・へ2・・・西欧の中世の教科書を読んでみたい。近いところからよりも遠いところの方から遣る方が遣り易いこともある。
2021.10.30
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来間大橋。「地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはないだろう。」 レイチェル・カースン(1907~64年) 海洋生物学者。62年「沈黙の春」により、世界で初めて環境汚染を警鐘した。豊富なデータと深い洞察力、自然への愛情に溢れた名著。他に「我らをめぐる海」「センス・オブ・ワンダー」など。 世の中には、崇敬する人もいるものだと思う。だが、多くではない。そういう先祖ばかりだと、もっと違う世界だろう。レイチェル「人生にあきてつかれたり、孤独にさいなまれる」ことがないとは言えないが、私だけではなく、何かに耐え、そして乗り越えようと努力もしているのだろう。障害はつきものであり、何時も腹がたつが、それを我慢しなければならない。それは、きちんとできていれば覚悟もある。「地球の美しさ」をどこまで私たちは知っているだろうか。「センス・オブ・ワンダー」の本をもっているが、彼女が見ているのは、誰でも知っている世界である。孫と海辺に行って感動して書いている。誰でも知っている自然で暮らしていた。そして計り知れない自然に触れたのは心だったということだろう。そして、彼女は科学者でもあったのだ。感動はどこにでも転がっている。それはやはりセンスなのだろうか。
2021.10.30
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東平安名崎。人間の一生もよくできている。無駄のないように合理的に仕組まれている。年令をとると、ひとはスフィンクスの三本足にもなる。智慧を学びながら生きなければならない。そしてみな其々、一からスタートする。胎児は、太古の魚から始まる。数百万年のプロセスを刻んで蘇り、一人ひとり、一つのともしびを地上に誕生させるのだ。 ・1400gの脳は、あらゆる可能性を持った未来を生き抜くためだ。そのために支払われたコストは決して安くはなかった。比較しようもない高価なものだろう。それを徒に使ってはならない。未だ未成熟な社会である。ヒトが人を育てることさえ充分ではない。完成された人間をつくりだすことができないでいる。みな不完全でしかない人生を歩いてもいる。 ・へ2・・・ヒトは減数分裂という戦略を選んだ。そのために地上に現在70億人の世界人口を生みだしてもいる。やがて100億人を超えるただろう。何故そうしなければならないのだろうか。蓋然性があるだろうか。これも減数分裂のためだろうか。加齢によって起きる現象もひとのいのちのタイムリミットを教えている。脳も体も老化していく。枯れ木のように生気を失う時が来るだろう。多くのことが同時にできなくなる。五感が劣化していく。脳は委縮して広い視野と深い洞察力を奪い去るのだ。残りのともしびを見つめることのできるものだけが、そのヒトの価値を理解できるだろう。
2021.10.30
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来間大橋。人は歳をとると、からだの衰えや多くの生理機能が低下してくるのだから、ネガティブな思考になるのは当然でもあろう。故にそれを見まいとする傾向がある。見た目で若返りをしても、所詮悪足掻きでしかない。表面的に若造りをして誤魔化しても「ヘイフリックの限界」を停止させることはできない。少なくとも、現在の科学的常識ではそうである。老化が、進行するということは、臓器萎縮と細胞数減少という決定的なものだからだ。それは、更に老化色素の蓄積、細胞膜の硬化などにみられるようにあらゆる生理機能に及んでいる。殊に脳の老化があるだろう。生命とは、ある意味で蝋燭の火のように全身を燃やして生きているようなものかも知れないだろう。余りにに激しく燃えるものは、燃え尽きるのも早いのかも知れない。人間の活動もエネルギーの消費だ。コストの投資とそのコストの支払いがある。人間は、成長し、ある時点から老化を経験する1クールの一生なのだ。老化というと嫌がられるの世の常である。生についての学問はあっても死に対する研究はまだ始まったばかりだ。生と死はパラレルに考えるべきだという考えが漸く叫ばれ始めた。日本では高齢化社会が近い。これからますます社会にはネガティブモードが充満することになるだろう。明るい未来など考えられない時代が来るかも知れない。おそらくそうなる可能性は高い。ネガテイブモードを換えることは容易いことではない。人類の進化は、死という戦略なしには考えられないからだ。謂わば、進化に係わる問題でもあるだろう。ネガティブモードが、人間の淘汰にも役立ってきたのだ。どう生きるべきだろうか。悩みは深いが、選択する知恵を知らねばならないだろう。
2021.10.30
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来間大橋。種としてのヒトは、つかの間の地上におけるニッチを獲得した名誉ある地位にあると言える。それでも、ヒトは、ほんの一瞬のニッチである。ニッチは凹みの意味がある。自分の居場所を探している人間にもニッチがないと生きていけない。自分の存在できる居場所を探さすべく奔走していると言えなくもない。生きる意欲は、日々の暮らしの中で自分の存在を認識するところから始まっている。自分の日々は、いくつかのパターンの再生を繰り返すことでもある。鳥渡遅いウオーキングになったが、爽やかな風が吹いて気持ちが好かった。堀辰雄「美しい村」で、 淋しいけれど、毎日、気持ちのよい朝夕堀辰雄のオリジナルを見つけること。ひとは理解し難い。殊に作家ほど。理解しようとしなければなおさらだ。長い隘路を行かなければ解からないのだろう。
2021.10.30
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来間島。<作品> 「永日小品」・元日 ・「蛇」 ・「泥棒」 ・柿 ・火鉢 ・下宿 ・過去の匂い ・猫の墓 ・暖かい夢 ・印象 ・人間 ・山鳥 ・「モナリザ」 ・火事 ・霧 ・懸物 ・紀元節 ・儲口 ・行列 ・昔 ・「声」 ・「金」 ・「心」 ・変化 ・クレイグ先生。・漫然と見ていたら分からない作品。・大阪朝日から依頼された。・「元日」、「紀元節」・・・別記載された。その日に合わせて記載された。・「蛇」から始まる・・・意味がある。伯父と甥の関係。覚えていろ。伯父さんの声。漱石の作品には裏がある。「金」、「こころ」・何故、「蛇」の次が、「泥棒」か。伯父が泥棒。・金のこと・・・丸を書く。「こころ」にもある。・「永日小品」は、簡単な作品群ではない。・「夢十夜」と違い「永日小品」は、無構成のように見えるが、そうでないところもある。・よくある解説のような、漱石の単なる身辺に題材をとった作品ではない。・「神々の復活」を漱石は読んでいる。・「三四郎」・・・モナリザ・・・火事。連関。・「モナリザ」・・・女性の秘密がある。・男に興味がある。「三四郎」。男のことしか書かない。圧倒的に男である。・「声」・・・小説的。幻想が破れる。単なる事実ではない。・「心」・・・百年の恋。結婚と恋愛は違うと漱石は考えていた。・漱石には、差別意識が強くある。・作品群には、いくつかのカテゴリーに分類でできる。ロンドンの回想など。・キーちゃん・・・漱石の実在の友人。「柿」 に出てくるこども。・heirloom 家宝・Procession 行列・キルト・ピトロクリ の間違い。・「山鳥」・青桐・・・梧桐・「儲口」 メモがある。・"I am a man!" おれは人間だ。 人間の意味。作家は話の種が増えた側にいるか。・漱石はどこにいるのか。漱石の意識はどこにあったのだろうか。現実を冷ややかに見てはいないか。・「柿」・・・友人キーちゃんの側に漱石がいるのではないか。金持と貧困。貧富の差。落差を書いている。・「毬と柿」 仕返しをする。「泥棒」の後に柿がくる。連句。連想。連想中枢が漱石は発達していた。・「蛇」から「泥棒」・・・「柿」へ。「蛇」はどこからくるかわからない。「泥棒」は手の内が分かっている。対比がある。・「蛇」・・・明解に読み説いた人はまだいない。蛇のような心。印象的に書いている。暗示している。・「アダムとイブ」。まっすぐな人間がある時からねじれてくる。変化を書く。・「渦」ということばの描写が出てくる。伯父と甥の財産をめぐる争い。漱石のメモがある。・「それから」の後に「門」がある。連想タイプが漱石にある。・「泥棒」・・・「柿」にも泥棒が出てくる。「毬」を泥棒され、そのあと仕返しをする。・「元日」は別。1年前の話。メモ。元日だから目出度いわけではないと漱石は考えている。・「元日」の仕返しに「蛇」をわざと書いた。・1月15日ころ・・・女の正月。「蛇」「泥棒」。蛇から始まる意味がある。・「永日小品」・・・佐々木充「漱石推考」 永き日や太鼓打つてのゆるむなり(漱石の俳句)・・・本妙寺。・無限の時間を閉じ込める。・ロンドンの回想。・「変化」交友関係。・漱石は、敬愛している。「変化」・「クレイグ先生」。現実から過去の回想に戻る。・「永日小品」には、回想が織り込まれている。・百年・無限時間・無時間。恋愛のモチーフ。・「文鳥」女の比喩。文鳥の死。鳥が女のモチーフ。・異界への導きとして獣が出てくる。・「金」現実的な側面を描いている。尊い仕事を得たものは色を付ける。金・・・唯物史観。仕事には貴賎があるという考えを漱石は持っていた。・金の物神化。・マルクス「資本論」・・・漱石は賛成しないと書いている。「こころ」。恋愛と金と「変化」が隣り合わせになっている。・連関性・・・連想的。・「火鉢」・・・灰に丸を書く。「金」にもある。・はたして「永日商品」に構成はあるのか。・「火鉢」・・・庄野潤三「火鉢」論。湯に行って気分が変わる。「とうとう湯に行った。」・俳句的な表現。蕪村にもある。感覚的。どう文章にするかを漱石は考えている。・どう読むかが分かる。・「とうとう・・・」が重要。・変化を書いている。湯に行ったことによる変化を書いている。・他の作品にもこの変化がある。敏感であるかどうか。作家的な発想があるかどうか。・「下宿」・・・異教の女と男。男・・・だけが生気がある。男の登場で変化する。アグニスとの関係。物語を隠している。「門」に繋がる。・「過去の匂い」・・・アグニスをどう読むか。この小説が動く。Kがアグニスを引き取ったのか。関係は。Kが必要な理由はないか。・「印象」ネルソン提督の像。印象派の絵画風に書いている。ターナーを知っている。抽象的に書く。意図的に書いている。具象性を排除している。・「山鳥」・・・人間のこと。「モナリザ」もひとのこと。・「火事」・・・夢のような話。昨晩と違う。「霧」につづく。夜の話から始まっている。「夢十夜」の構想。・「懸物」・・・三代の違い。それぞれの違いを書いている。・「紀元節」・・・関係がないが、分岐点にしている。・ロンドンは漱石には忌まわしい思い出だったが、「ピトロクリの谷」は違っていた。・「変化」・・・「クレイグ先生」に繋がる。・「変化」あとにもの「変化」がある。キーワードがある。「変化」。
2021.10.30
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キンモクセイ。家の周りにはキンモクセイが花咲かり。いい香りが漂う。みんなと同じであって、それでも他人とは同じではないものがあるのだろう。それでもそれほど我慢はできないで消えていく泡のように。子猫の話題が増えていくのだろう。私も次々に心が移ってしまう。そして同じでもどこか違う。書いているが、時々見えていない。とんでもない文章になっているかもしれない。 ・高速道を運転している時、高い長い壁で、それこそ高いビルしか見えないところを走っていると高速道の下の風景が見えないが、上の方だけは見えるのを見て、これがすべてが見えていないということであり、高齢者の世界でもあるという思いがした。かゆいところに手が届かないことだってある。 ・へ2・・・これまでふつうにみていたことが見えないし、見ているのは上半分でしかない。他人の企みなど解りはしない。世の中や、相手が悪人だとしても情報は半分か、半分以上解らないのだ。知ろうとしないこともある。情報は少ないからだ。目からの情報が落ちている。然し、よく見えることがある。それは他人の気持ちだ、感性で生きている。見えずとも。
2021.10.30
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来間島。或る意味コストのないものはない。ブログもただであって、それを利用できるためのシステムもある。引き合わない取引をしていることだってある。高慢な女のために無駄なことをする男たちもいる。多寡がだが、それが欲しいだけのことなのだろう。高いものについている。自己卑下した男たちが、自虐的なことをしているに違いない。 ・何でもしかねない男が、大統領になろうとしているのではないだろうか。首相の座だって欲しい奴はうじゃうじゃいるのだろう。そして破廉恥なことも遣りかねない。何もできない人間の方が罪がない。空威張りしても仕方がない。毎日泥の中を餌を探し回っているクロツラヘラサギも絶滅危惧種でし飽かない。 ・へ2・・・昼と夜が、ひっくり返りつつあるが、もともとヒトの祖先は夜型だった。木の上で暮らしていたから、遠くへ行くこともできなかった。来週末、出雲大社に日帰りツアーの予定である。今度の地震で影響はあったのだろうか。子猫が毛布の上で眠っている。こんなに小さいが、呼吸をしている。ヘイフリックの限界から見れば、はるかに私よりも細胞は元気だろう。
2021.10.30
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漓江下り。これから何をするか、「次のことを考える」のが、好景気をつづけるコツであるそうだ。うまくいかなければどうしたいいかを考えるし、次に何をするかであり、それを真面目に考える。考え過ぎることはないのだろう。いつも次のことを考えておく。遣ることがあるということは、生きることのエネルギーの基になる。 ・遣ることがあり、それができなくなって人間の寿命が尽きてもそれは悔いることのないものだ。次にやることを冷静に考えられるかでもある。それが問われてもいる。時々何も考えていない。何をするか解らなくなる。そして時間を無駄にしてきた。好不調は人には付き物であり、好調を如何に続けられるか。 ・へ2・・・これは茂木健一郎のツイ―トにあった。「次のことを確保しておくことが、人生の景気を保つ」のだそうです。少なくとも、それだけのことを考える心の余裕が必要だということだ。
2021.10.30
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来間島からみた来間大橋と与那覇前浜ビーチ。もうリタイアして16年になるが、病気もあって仕事ができないので、もっぱら長生きに専念してきた。娘たちが就職したこともある。医師からウオーキングを進められて、毎日の日課にした。何度か教育入院をして、やっと理解できたのは、自分のからだと病気との因果関係だ。まだ生きてこれたのは、公開講座とツアーがあったからかもしれない。 ・父母は、69歳と53歳で亡くなっている。親たちの投資があったからだろう。医学のサポートを受けるというチャンスが両親には不足していたのだ。父母は、同月同日に亡くなった。母が先だったので、父は随分苦労をした。男やもめに・・・。父と二人で、熊本のぽっくり寺にお参りしたことがある。そして心筋梗塞で急死した。そのあと、なんども父の死を忘れてしまうことがあった。 ・へ2・・・親よりも長生きしているのだから感謝すべきなのだろぅ。思いがけず海外ツアーもしてきたが、訪問先を決めていたのは妻がしていた。五大陸を回ったのだからいうことはない。そして、このパンデミックで、どこへも行けなくなった。まだ何があるか知らないが、死ぬまでが人生でもぁる。
2021.10.30
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来間島。「私とは何か。」の科学的な解析が進みつつあるが、まだ誰も人間としての理想の a life span を燃焼しきっていない気がする。歴史を無視している訳ではないが・・・。ゲノムにしろ先端科学は、人間の生き方を変化させ価値観を激変させるに相違ない。もうすぐ衆院選だ。民主党が勝つだろう。人間は、愚かさと隣り合わせの危うい時代を生きている。間違いを糺す時が来るだろうか。常に正義が勝つとは限らないのが人間の歴史だ。あとで気付くだけだ。然し、過ちは繰り返される。「種としてのヒト」も a Life span がある。福岡市の現在の気温は16℃のようだ。元気で外を歩くというのは、なんと幸せな時間だろうか。何も考えないでシャッターを切っている時とか、できることができるから楽しいのだろう。絶望しないでおれるのはいつまでも続くのではない。
2021.10.30
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宮古島。サトウキビばかりだが、これにも歴史があるのだろう。おそらく水事情もある。観光地として発展するのはいいが、問題は、やり過ぎて自然破壊をすることだ。地価が上がっているらしい。一つ間違えば、人生は一変する。そうならないようにと願うが、そうはならないことばかりだ。運がいいのも、それほどつづかないだろう。何れは尽きてしまう。自分が好いのもそれは自分が作っているのかも知れない。ほっとして、勝手なことを言うのも知らぬが仏もある。まあ、そういう時があってもいいのではないか。おれは運がいい。そう思える時があるだけでも、幸運かも知れない。あいつはいい奴だったと思う。思えるだけでも楽しいではないか。 ・今日は、まあ、「そこそこ」の一日になりそう。それはどうやら最悪ではないし、死にたくなるような悩みもない。日々特別のことをしているわけでもなく。日常は、まあ、狙ってやっていることがそれほど外れたとは思わない。これで好いことはないのだろうが、好いことにしておこう。 ・へ2・・・広い空間に立つと、気分がいい。いつも隅から隅まで見えているところにいるわけではないが。隅が観えないのもいい。山が見えないずっと広がる平野に立ちたいときもあっていい。まわりに人の臭いがしない場所もいいではないか。カネのない世界で住んでみたい。然し、恐らく一人ぼっちになれば他人が恋しくなるだろう。
2021.10.30
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インド。・バラモンは「マヌ法典」を徹底させることで、シュードラの人びとが、最下位の身分で現世を甘んじて生きることへのあきらめを植え付けようとした。「マヌ法典」は、バラモンの地位を確立するために書かれたのだ。そして12世紀には、イスラム軍団の侵入がはじまり、仏教寺院は次々に破壊され、インド仏教はそれによって最後の大きな打撃を受けた。そして、13世紀には、「滅びた」と言われる。 ・へ2・・・日本でも、明治期に「廃仏毀釈」があった。明治政府は神道を国教としようと仏教を排斥した。そのとき、多くの寺院や仏塔が破壊され、国宝級の貴重な仏像や仏具も大量に焼かれた。そういうなかで、篤い信仰心をもった人びとが、仏像を守ろうとして池の底に隠したり、地中に埋めて守ったという、伝承が各地に残っている。市井の人々の篤い信仰があったからだろう。そして、インドでも、イスラム軍団の侵攻からブッダの像を守り抜いた農村の人々がいた。 ・措かれた環境と個人の資質で如何ようにも人間は変化する。しかし仏陀ののこした真理があるとすれば、それを読み解く力があるかでもあろう。それは仏教だけではない、キリスト教にも、ヒンドゥー教にも真理があり同じ課題がある。 ・へ2・・・人間はそれ程豊かな才能がある訳ではない。知る得ることは限られている。準拠枠の中で生きている。そこでどれだけ広い識見を持つかによる。受難を経て人びとが知る真理だからこそ尊いといえる。
2021.10.29
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来間大橋。・バラモンは「マヌ法典」を徹底させることで、シュードラの人びとが、最下位の身分で現世を甘んじて生きることへのあきらめを植え付けようとした。「マヌ法典」は、バラモンの地位を確立するために書かれたのだ。そして12世紀には、イスラム軍団の侵入がはじまり、仏教寺院は次々に破壊され、インド仏教はそれによって最後の大きな打撃を受けた。そして、13世紀には、「滅びた」と言われる。 ・へ2・・・日本でも、明治期に「廃仏毀釈」があった。明治政府は神道を国教としようと仏教を排斥した。そのとき、多くの寺院や仏塔が破壊され、国宝級の貴重な仏像や仏具も大量に焼かれた。そういうなかで、篤い信仰心をもった人びとが、仏像を守ろうとして池の底に隠したり、地中に埋めて守ったという、伝承が各地に残っている。市井の人々の篤い信仰があったからだろう。そして、インドでも、イスラム軍団の侵攻からブッダの像を守り抜いた農村の人々がいた。 ・措かれた環境と個人の資質で如何ようにも人間は変化する。しかし仏陀ののこした真理があるとすれば、それを読み解く力があるかでもあろう。それは仏教だけではない、キリスト教にも、ヒンドゥー教にも真理があり同じ課題がある。 ・へ2・・・人間はそれ程豊かな才能がある訳ではない。知る得ることは限られている。準拠枠の中で生きている。そこでどれだけ広い識見を持つかによる。受難を経て人びとが知る真理だからこそ尊いといえる。
2021.10.29
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来間大橋。何故こうした複雑な世界になったのだろうか。説明の出来ないことはないが、それは簡単ではない。知れば知るほど解からないことも増えてくる。終わりのない議論が繰り返されるのは、視点が違えば評価も変わるからだ。不毛の議論ばかりされて結論の出ない歴史が、更に積み上げられている。厖大な遺物が、人間の未来を塞いでいる。宗教だけでは、この世界は救われない。 ・へ2・・・それこそ、あっという間に状況は変化してしまう。ブログも、それほど注目されなくなったが、消えていく運命だろうか。それはありえる。消えないものはないからだ。生き残る価値が見出し得るかである。単に商品価値があるかないかでもないと思っている。未来への鍵は、意外な所にあるだろう。それは騒がれるばかりがそうではないのだ。人間由来を見詰めることが出来ているかだ。
2021.10.29
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人は生れた時は一人ではないが、自分を知り、社会の中で人びとの中で暮らしていかなければならない。花のようには生きていけない人間の宿命でもある。知的生物とは周囲のものを犠牲にして生きようとする。利己的な遺伝子は自己の生命を守ろうとして他を食うのだろう。貪ってはならないだけだ。 ・群れて飛ばなければ休む場所も食べるものも手に入りはしない。離れた鳥は飢えて死ぬ。奇跡の水の惑星で生命は生きている。宇宙は、真空であり、冷たい果てしのない世界なのだ。そして人類も滅びていくだろう。一瞬の光のように生きている。そしてその中で自分という僅かな転寝の夢を見ている。 ・へ2・・・そして夕暮れて死に場所にいそぐ象のように、時々空を見上げる。誰もいつか消えてしまう。未だ洞窟は見えないが、それがあることを私は知っている。どうして知っているのだろうかなど考える必要もない。独りになって死ななければならないという声がする。 あるとき鉄橋で鉄道自殺をした若い女のバラバラになったからだを川の中で探し回る巡査の顔を見たことがある。ずぶぬれになったその姿は能面のようだった。
2021.10.29
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与那覇前浜ビーチ。 対岸は、来間島。人間は文化を高めて今日を築いたのであり、子は親を凌いで更に進化する。私たちの世代よりも親たちはもっと幼稚な科学だったし、私たちも現代のような科学を学校で学んではいない。社会科学では一概に進化と言えるかどうかは分からないが、生物学者は退化も進化のうちだというだろう。時代認識も個人によってばらつきはあるとしても、若者たちが未来のカードを持っている。それは単に年齢だけで決されないが、コンセプトしては言えると思う。 ・金太郎飴であったとしても、歴史ドラマも受け手が違う認識を持っている。製作サイドがどうであろうと、それを変えることはできない。ただ、その意図するものが何であったかを明確にすべきであり、それが公平に批評されるだけのものでなければならない。人物に対する偏った思い入れは排すべきだろう。史実に基づいてなされるべきだ。 ・へ2・・・既成概念でものを考えている人間たちはそこにおいて行かれる。他の人が書いたものでものを考えるようでは、新しい視座は生まれない。自分の頭を使うべきだ。そうすれば必ず時代認識が違う。それを無視してはいないか。新鮮さのないものには感動はない。明日はないかも知れないと、思っている人がどれだけいるのだろうか。それは杞憂で終わるだろうか。呑気に生きているのではないか。それは、余りにも傲慢だろう。消えていく文化がある。それは一部ではなく、突然変異のないのが殆んどだ。
2021.10.29
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宮古島は、サトウキビ畑とハイビスカスの島でした。あるのに知らないというのは哀しいことだ。他人から羨ましがられるような幸運なひとが不幸だったりするのは、人間の心持でもある。当然だと思うようなことが意外とそうではない。水も空気も、家庭も、そして家でさえ。何か足りないものが在ると、そればかり考えてきたところがある。青い鳥なのだろうか?創られたイメージが先行して、素直な自分の心を見失いがちだ。人はみな同じではない。成長の速度も違うし、自分を活かすのは容易ではない。 ・社会が期待した人間になろうと努力しても、切り捨てられる人たちが大半だ。期待されない人間が出来てしまう社会システムが出来上がっている。いま科学の恩恵を受けていないひとはいないだろうが、社会から切り離されている人びとが居るのも事実だ。人を人とも思わない人が居るのは社会が創り出した。鳥渡仔猫を見ようとデジカメを持って外に出たら、つい周辺を歩いてしまった。 ・へ2・・・外に出て歩けばなにか発見できる美しい造形がある。私たちの物理的な眼が視ているものは、再生され脳でイメージしている。創り出されたものだ。人間は幸福でさえ自分の脳で創り出すのだ。そして不幸も同じだ。60兆の細胞と100兆の微生物が共生し、人間は動いている。眼のさきに愛するものや美しいものをそう創作する能力が備わっている。幸せを作るのは自分自身である。
2021.10.29
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与那覇前浜ビーチ。ないものはないのであり、在るもの、残されたものを大切に遣うしかない。あるものしかない。自分のからだも、時が経過して、老化もしている。1メートル先にみえるひとも1億分の1秒で、過去の姿を視ているという。時は一瞬も止まってはいない。既に過去に為りつつあるのであり、現在は、未来と過去のほんの・・・の間でしかない。それも止まらない現在だ。 ・なにを成し遂げることなく、過ぎて行く存在でしかない。それが「空」でもある。だからこそひとは、自分の存在を認めようと必死になるのでもある。未だ命はある。朝のさわやかさを感じることができる。生命力も、生きることのパワーも感じる。これ以上のものがあるだろうか?私は欲が深すぎる。自分の欲望のために一生を台無しにもするだろう。 ・へ2・・・大切に遣うべき命だ。目の見えない少女が、生きていて好かったとテレビでスピーチしていた。そう感じることができる人は幸せでもある。才能も健康もあるのに心を閉じてしまっている若者もいる。大事なことを忘れている。あり過ぎると見失いがちな幸福もあるのだ。太陽も、銀河も、やがて終わる時が来る。自分の寿命を活かしきったものが、この一瞬の輝きを知る。オクトーバーサプライズというらしいが、これも演出の一つなのだろうか。何かが動いているのだろうか。これだけネガテイブ・キャンペーンをやって、大統領が決まるというのも、しこりがのこらないはずはない。それでもサクセスストーリーというのだろうか。まさかまさかの映画を見ているような展開である。飽きないのかもしれないが。何れにしてもただでは済まない。あっさり首相が決まる日本は、国民が自分で選んではいない。韓国も大変だし、これから2か月間。
2021.10.29
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宮古島まもる君。少なくともまともな翻訳レベルではない物を私たちはこれまで甘受してきたのではないかという懸念がある。少なくとも、私はアクション・フレーム・オブ・レファレンスの中の、極めて制限された社会で生きてきた。だから、初めから狭い視野でしかない。あとは、空想力でしかない。私は、戦後生まれの日本人であり、粗製濫造の人間形成という文明を生きてきたのであり、マスプロの洗礼を受けた人間のひとりに過ぎない。謂わば幼稚なアメリカ型教育を受けて大した能力も無い。細々と生きることを半強制されてもいる。人並みであるかどうかは別として、在り来たりの余命を愉しむだけ幸いだと言えなくもないだろう。それが、諦観かも知れず、本懐とすべきかは知らない。何れにしても、50歩百歩の世界でしかない。現在、個人的趣味でいくらかの本を読みながら、ブログを投稿している。気がつくのは、外国語の翻訳レベルに疑問があることと、ワードにしろ漢字変換レベルの疑問である。日本語は、切捨てられようとしているのだろうか。マクロ的にみれば、多くの杜撰の所以で消えて行く文化がいくつもあるが、日本語も相なのだろうか。論文の殆どが、言語の壁を乗り越えられずにいる。
2021.10.29
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与那覇前浜ビーチ。ガストン・バシュラールは言う。「科学的精神とは、知の修正であり認識枠の拡大である。・・・この精神構造は、自分の歴史的過誤の意識である。・・・科学の知的生活の全体は、この認識の微分に弁証法的に働きかけるという、未知の世界との境界線上における営みである。・・・これは、誤謬の訂正、体系の拡張、思考補完がくりひろげる弁証法である。」と。すなわち、私たちは、人生のうちで何度も、自分の理性の再構成をしなければならないのだ。それは、今日の科学の未完成状態を心のなかに思い浮かべてみるだけでよい。私たちは、今日の科学の革命的な特徴は、ひとの精神の構造に深刻な反作用を及ぼすという現実に晒されることを知っている。
2021.10.29
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与那覇前浜ビーチ。暴力が正義の仮面を被っている。ベトナム戦争ではアメリカ軍の数万の戦死者が地方の若者たちだった。彼らは正義の戦いをしアメリカの軍旗の下に散っていった。そうではなかったと言う人がいる。それは各論に過ぎない。9.11を口実にテロとの戦いをキャンペーンしてイラク戦争で戦われた今回の戦いはどう歴史が評価するかだ。ブッシュは正しいことをしたか。そのひとつの答えが、オバマ政権の誕生だろう。そしてオバマは何をしたか。何ができたかというべきか。 ・へ2・・・それを評価するのはアメリカ国民だけではない。世界が評価することになるだろう。それが客観的な評価でもある。暴力とは一方にとっては成立するが、他方にとって不正義になる。強大であるだけ罪は深いのだ。圧倒的な火器の差でアメリカはイラクを制圧し、フセインを殺したではないか。何故、それですまなかったか、考えてみれば誰にでもわかる。アメリカは病んでいる。アメリカの正義が、世界の正義ではない。それを糺すだけの勇気のある国家がいないだけだ。強い国に逆らえば痛い目にあうのを怖れた臆病ものたちがいるだけだ。彼らは決して公正な正義を主張しない国家主義だろう。 ・そういう国家はそれこそキング牧師のような人の命も守れない。国家の政策に反対するから悪いのだ。そう抗弁するだろう。強いものが勝つ。弱者は従属し、へつらって生きていればいいのだろうか。ガンディーの非暴力主義をキングは指示したというが、それは正しかったのだろうか。ガンディーはカーストを認めていた。 ・へ2・・・私たちは、どちらを向けばいいだろうか。検証しなければならないことが、沢山ある。そうしなければ、多くの血が流れるだろう。冷静な判断ができないような社会がつくられている。人間を家畜のように囲いの中に追い込もうとさえする。それはいつも正義の名の下に行われる。人間は騙されやすい生き物でもある。信じる者に裏切られる。
2021.10.29
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与那覇前浜ビーチ。この一年間。思うようにできなかった。人生被害を受けた人も多い。まあ、生きていただけでも、悪くはないが、重い病気を抱えてきたようだった。お人好しの日本人。世界のどこにも頼れる国はない。かって日本には無数の「愛国者」がいた。我が子の生命さえ国に差出す父母がいたのだ。少年たちは、必死の戦場にさえ駆り出されることを逆らえなかったのだ。それを愛国心だと信じさせられてもいた。教師は、軍国主義の尖兵として働いた。ドイツも同じだ。ナチズムは狂った教師たちによって拡大した。教育は、時として狂気の両刃に剣である。敗戦後70年間は何であったか。またぞろ再軍備をしようというか。平和主義は国民のこころに確固たる信念になっているだろうか。髪を染め、臍を出して街中を歩いていても驚くには当たらない。しかし、こころの荒廃は、すべてを崩壊させるに違いない。平和を忘れた時、国家はどうであったか。人びとが、強者に諂う時、戦争の為に目を塞ぎはしなかっただろうか。すべてが、遺物に為るかも知れないと懼れることはないだろうか。ひともいつか鉱物の塊となるだろう。
2021.10.29
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与那覇前浜ビーチ。宮古島は、これから開発が進んでいくのだろぅ。自然がどこまで守られるかだろう。それこそ呆れてしまうくらいトウキビ畑ばかりだったが、これも歴史があるのだろう。そのサクセスゆえに没落するというのは、「資本主義は」が、主語になる。然し、それはあらゆることに共通するものだ。成功は一つの結果だとしても、そこですべては終了するのではない。ハッピーエンドは、作家の作った終わりのない物語の始まりでもある。「ショーン、カムバック」なのだろう。過去は彼を知るものの郷愁に過ぎない。時は不可逆に進んでいく。ローマ帝国も、オスマン帝国、イギリスの繁栄も夢と消えた。そしてアメリカの時代も終焉を迎えようとし、次代を担う国家が、どこの国家になるのだろうか? ・はたして、国家という概念さえ、いつまで通用するか分からない。勝者と敗者の区別もそれが通用した時代のことでしかない。再生医療が進めば現在の医療システムも一変することになるだろう。その後の世界の社会システムの構成も認識も逆転することになるかもしれない。科学者の成功はそれゆえに没録を招くことにもなる。成功するからに他ならない。 ・へ2・・・つい何かをうまく熟し、成功しようと努力してしまうが、それに執着するほど、その他のものに歪が起こりがちだ。未だに続いては要るが、化石燃料時代の消費もそうして齎された結果に過ぎない。そしてそのことのゆえに地球は温暖化し、地球の寿命を短縮することにもなる。自然の作り上げた炭素の循環システムで100万年のサイクルを、破壊して来たからだろう。そのリアクションがあるのは当然だ。
2021.10.29
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与那覇前浜。生まれおちる場所が違えば出自も違う。親の投資を得られない子もいる。その人にとって学ぶことがなんであるかで違う運命かもしれない。体の弱い者が野を歩き海を渡ることはできないし、体を鍛えることもできないだろう。虐げられた子が他人を愛するなど並大抵ではできないだろう。それは試練であった。何がその人にとって学ぶことになるかは時と場所でも違うだろう。相手も選ばねばならない。 それにしても間の悪いことが多いことだろう。波長が合わずに折角のチャンスを逃すこともいくつもあるに違いない。どれだけ聞いておかなければならないことを両親から訊きそびれただろうか。そして両親の亡くなった年齢に達しようとしている自分を思うと切なくもなる。 これから何をしようというのだろうか。黙っていればいいだけではないだろうか。所詮それだけのことではないか。より豊かな大地に育ち、より多く陽ざしを浴びた者が大きく育つだけではないだろうか。大風が吹けばなぎ倒されるだけではないか。より多くエネルギーをもつものが高みに達し、より遠くへ行くだろう。人間の努力とは何なのだろうか? 病をえて入院し、中庭のベンチでよく考えていたものだ。もし悪性ならば命にかかわり死ぬだろう。この風景を微塵も変えることができはしない。生き延びることができたとしても、何ができるだろうか。生物は少しも変わらず生きて営みを続けている。どれだけ喜怒哀楽があったとしても、ただそれだけの営みでしかない。 未練を残さないようにするために何をすべきだろうか。それを考えるべきだろう。学ぶべき時を逸してはならない。死は常に付き纏う衣服のようなものだ。裸では生きていけないようにあるのだから・・。近くに無花果が実をつけていた。
2021.10.28
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こどものころよく眠るのは、昼間刺激的なことが多くあり、学んだ新しいことを編集し定着するために必要とされるらしい。老化すると脳が硬直化し、昼間の刺激的な出来事を避けるようになり、新しいことを学ぼうとしないからだという。定着させるための睡眠時間は要らなくなり、減少する。所謂「離脱体験」にしろ、「超常体験」にしろ、脳機能の変調や錯覚の所産だ。科学的に証明できる。宗教体験にしても、仏教やキリスト教で共通するのは、30日間くらい断食して、瞑想をした時に顕れると言う。体験者の脳の中の内部モデルが完成しており,栄養不足に陥り、脳への血流不足により脳内物質の状態が混乱し、脳機能が変調を来たしているのだ。外界への運動指令、感覚入力が遮断され、実体験は内部モデルをリアルな夢のシュミレーションに移行するという。脳がつくりだしたイメージは、あの「マトリックス」を思い出す。ひとは、自分の生活を守ろうとする。それは、本能だろうか。危機に直面して慄き恐れるのは自分の生命の危機を感じるからだ。昆虫には、「フィードバック制御」しかない。危機を乗りこえる為に進むか、障害物を避けるだけだ。高度な意思決定や感情の形質はない。然し、果たして人間は脳システムに見合うような能力を発現しているだろうか。高度な振舞いが為されているだろうか。脳が作り出したシステムは、まだそのパワーは暗闇の中を彷徨い続けている。
2021.10.28
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与那覇前浜ビーチ。来間大橋。懐かしいものが消えても行く。ただそれを受け入れて行くしかない。誰が撤去を決めたのだろうか。多分新しいブランコはできないのではなかろうか。まだ分からないが、告示もないので分からない。あえて異議を唱える者もいないだろう。もう、ここの子どもたちもあらかた成人してしまった。私の脳には夏になると朝、皆で集まってラジオ体操をした記憶が残っている。 ・古いものが捨てられ、新しいものが生まれ続けている。昨日までの常識がもはや、今日のものではないことも多いのだ。次つぎに破壊されては知らない風景が形成されていく。それに対して何ができるだろうか。時は止められない。子供たちは大人になり、ブランコを懐かしがらないかも知れない。私の感傷でしかないだろうか。 ・へ2・・・去年まで、キンモクセイは好い香りを振りまいていた。個人的に防虫剤を散布して利して木を守っていたが、福岡市の所有地の公園だから仕方がないが、突然幹だけ残して剪定してしまった。今年は、寂しい秋である。
2021.10.28
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与那覇前浜ビーチ。来間大橋。恐らく相当無神経に生きてもいる。プライドも義理もへちまもない。何が何だかわかったものではない。そういう世界で暮らしてきた。非人情の社会。朋もなく、家もない。それは固定観念からの脱却。私たちはどれだけ自由だったか。のびのび生きたか。何に対して惧れを抱いていたか。それは勇気か疑問。泥濘の中でしかない。 ・凋んでしまった花を眺めていた。随分と肺活量が少なくなっている。歩くスピードも、記憶力もなくなっている。頭皮が硬い。すべてが遅い。気付くのが遅すぎた。もし、それに気付いていたとしても何ができただろうか。 ・へ2・・・教義を何万読んでもそれは何だろうか。どれだけ理解したところで、真理を悟ることができる訳ではない。分かるもの真理の保証はない。知ろうとしなければなお分からないことばかり。時間つぶし。
2021.10.28
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前浜ビーチ。こんな青空は、そうみられるものではない。それが、私のこれまでの人生でもあるのだろぅ。今日は、今年最後の。定期診察日だったが、なんとか。本当は、診察を受診してからにしたかったが、先のことを心配しても仕方がないのだ。 その軽さを感じて生きているが、振り返ることのできない現実がある。こころの寒さを感じているだけでは、何もできはしない。苛立ちだけでは、一歩だって進みはしない。ひとびとの悲鳴が聞こえる。苦しみを生みだしている悪臭はどこから来るのだろうか。我慢して食べているひともいる。日々の単調な旋律は脳細胞を狂わせてしまうのでしょうか。いつまでも繰り返している。ドアーを開くフレーズは、いつも同じで無ければならないだろうか。捩じれてしまったコンセプトで世界を語ることができるのか?世界で争い続けている人たちの中に入って行き、「もうやめろ!」と説得出来る力などどこにもない。腹を空に向けて足をバタバタしているだけだ。日本人の感性は、どこに行ったのだろうか。底の浅いことばで、喜怒哀楽を表現することができはしない。まあ、そのうち腹を切り裂いて出てくる未来の子供たちがいる。それを私たちは見ることができるかは知らないが、いつかそう日が来るだろう。そう願うばかりだ。
2021.10.28
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前浜ビーチ。ヒトの本性とは、ダーウィンのいう「普遍性特性」とゴールトンのいう「遺伝」と、ジェームズ のいう「本能」と ド・フリースのいう「遺伝子」と、パブロフのいう「条件反射」と、ワトソンの 「連合」と、クレペリンのいう「経過」と、フロイトのいう「形成期の経験」と ボアズのいう「文化」と、デュルケームのいう「分業」とピァジュのいう「発達」と、ロレンツの 「刷込」と・・・ひとつでも欠けると、ひとは自由になれない?
2021.10.28
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前浜ビーチ。ひとがもっと自由でいたら、屹度良い仕事をし、健康にもなる。それができないのはしゃかいがそうしないからであり、人間たちが、自分たちの社会のみえない拘束に縛られていると思い込んでいるし、実際できないようになってもいる。何故そうしなければならないのだろうか。勝手なことをしたら、地球は崩壊するだろうか。要らないひとばかり増え過ぎたからか。どうもそれはわからない。 ・手足を喪って、自分の脳だけで生きろと言われても何もできはしない。イメージばかりでは虚構の世界でしかない。何故もっと自由でいられないのだろうか。ありもしないことのために、自由を奪われているのではないか。恐れというだけで凋んでいる。まるで古代と変わらない。宗教だろうか。善が悪にもなる。 ・へ2・・・今朝夢を見た。若い研究家がもっと自由であれば・・・といっていた。それはもしかしたら、若いころの、もう一人の自分ではないだろうかと思った。
2021.10.28
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前浜ビーチ。読経や礼拝は儀式でしかないひとつの方途に過ぎない。仏教の本質にかかわるものではないのだ。 生存に、おいて生じるあらゆる苦しみは、欲望や執着に起因している。だから、苦しみを滅するためにには、欲望を減じればよい。そのためには、正しい行いをするように励んで生きることである。 ・いくら儀式を行っても、本人が依然として欲望を捨て、日常において正しい行いをしていなければ、すべて無意味なのだという。解り易い教えだ。 ・「悟り」とは、この世が「空」であることを体感することであり、最高の境地である「涅槃」とは、欲望を捨て去って澄み切った心身に達することをいう。この段階にいたることを仏教では救いだというのだろう。こういう認識と行為によって現在の自己を救うための教えだという。解り易いことばだ。自己執着で何ごとも得られないし、もともと宗教を政治に利用すること自体が間違いなのだろう。儀式にこだわる宗教は形骸化したものでしかないのだろう。 ・へ2・・・愛情も愛着に変わると、いずれ悲しみを生む執着、渇愛になるのであり、広い心を持つことでいつくしみのこころが生れ、それを仏教では慈悲という。日本仏教は、真の仏教をどれだけ理解しているのかわからない。それは日本の僧侶たちの中国由来の戒律のなさに基因しているのではないだろうか。
2021.10.28
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宮古島まもる君。島中に20数台の像が、各所で島民の安全を見守っている。自分の常識と謂わば、つねに闘ってもいる。昨日までの常識が中てにならないことを知っている。常識も風化するし腐敗もする。時には新しい知識を阻害するかも知れない。美しい花も、数日後には萎れてしまう。ゲーテの恋も、詩の中の世界でしかない。犬や猫を、人間のように愛する人たちがいる。昆虫さえ愛する人がいる。人間の糞尿さえ研究の対象として宝物のように思うひとがいても可笑しくはない。常識とは程遠いことをするひとがいても、だからといって嘲笑できるかわからない。常識もいつか非常識に為るかも知れない。かって私たちは、中国は非常識の国だと思っていた。そう政府は公言してもいた。毛沢東思想は、マルクス・レーニン主義は、資本主義を経由したと言われていた。私たちは、常識に翻弄されているに過ぎないだろうか。常識とは何だろうか。凝り固まった常識で、これから山のように降りかかろうとする人類に対する難問など乗り越えられるはずもない。これからは、私たちが創り上げた社会の取巻く腐った常識との闘いになる。
2021.10.28
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末は、大将か総理大臣か、が子供たちの憧れの的だったが、いまは随分違うらしい。スターやスポーツマンが持て囃されたが、それは、よほど体躯の恵まれた人たちで、むしろコンプレックスのほうが多いのは、メディアの影響がある。面白い映画といえばハリウッド映画しかなかったし、かなり占領軍の文明支配に毒されて育ったらしい。ただそれが悪いばかりではなかっただろう。 ・戦前が、酷過ぎたのだ。まともな時代はない。それがアジアの宿命でもある。酷い身分制度が、国民に偏見を刷り込ませたのだ。大それたことを考えるな、するながそれだ。教科書通りの素直な人間が、どれだけ明るい未来を生きてきただろうか。文科省のトップは、研究者たちの成れの果てだろうか、実際はそうではない。悲しいかな、いまだに適材適所だったこいとはない。 ・へ2・・・これまで多くの選挙で投票したが、当選した人が殆どいない。当選しない人を選んだわけではないが、どれだけ選挙システムが公平かでもある。選挙の時だけの政治家たちではないだろうか。それこそ、中国がいる。アメリカも現在は同盟国だが、いtまでもそうではあるまい。日本人も同一民族でもコンセンサスがあるとは言えない。ぼちぼちやっているが、一寸先は闇だ。今日は、定期診察日だ。
2021.10.28
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宮古島。講演の中で或る神経科学の医学博士が、Jobs スピーチの、 " Don't be trapped by dogma.・・・ " の箇所に感動したという。大阪で恵まれた研究所から、この言葉を聞いて、女子大に来る決断をしたのだそうだ。 ・科学者は、意外と単純な話に感動する。フイールドがなく表現力についても言える。自己表現が下手でもある。分かるものだけが解かればいいという不遜なひともいる。上記の先生がそうだというのではなく、一般論である。折角のテーマの面白さが半減してしまう。スキルがないのではないだろうか。何しろ或る大学の医学の講座で「患者にどう接したら良いか」という講座さえある。まともな患者との会話ができないで適切な治療ができる筈もない。常識のない頭でっかちの医師ロボットが製造されている。 ・へ2・・・医師や科学者たちが隔離され、甘やかされているからではないだろうか。教義にばかりとらわれていては真実は見えない。
2021.10.28
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宮古島。ひとの夢や発想も、自分の脳がそれまで生きて蓄積した経験の中から生まれてくるのだろう。或る一つの思考もジャンプをしてもその前提になった連想がある。だから未来で起きることを予想することはできない。過去の経験を下敷きにしては成り立たないことが起きるかだ。人間の寿命もそういう意味では今までと違う発想でひとの未来は苦悩するのではないだろうか。いつも国家も人も悩みはついて回る。拭えない欲望があるからだ。 ・生命のとった減数分裂も細胞という存在から発している。予想のできないことがいつも待っている。それは必然と偶然の間で起きる。元々未来がどうなるか、予想することはできないのだ。無数の可能性の中から選ばれる選択はまた更に起きる無数の条件という偶然の出来事に左右される。高度に進化した科学もエネルギーの消耗を繰り返している。人間の知識の集約をできずにいる。それこそ種としてのヒトの進化もワンシーンで終わる運命だろうか。 ・へ2・・・どれだけ叡智を積み上げてもそれを整理できなければ成し得ないことがある。山は見えても何時までも辿りつけないかも知れない。日々、何かを創り上げたいと思い続けている人たちがいるが、それとどく発想を得ることができないでいる。それは捉われている固定観念から離れられないからでもある。自分に見えないものを信じられないからだ。信じられないことをすることができないでいる。
2021.10.27
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前浜ビーチ。生物は、本来肯定的であることは大事な資質なのだ。それが加齢と共に物事を否定的に受取るようになるのも、或いは遺伝子からのミッションだろうか。20代をピークに、30代から所謂増悪期に入り、様々な細胞のコピーの障害がでてくる。そうして老化していく。如何に、自分の環境を良い状態に保てるかと物事を肯定的に考えられるかだ。それは、一部のものが有利な場所を占有してしまうからでもある。アメリカ社会をみれば、その「貧富の差」は、度を超えている。不公平さは、やがて社会不安を起こすだろう。それは、日本、中国も今後その傾向が強まるに違いない。逆境を経験しない者が、長じて些細なことで頓挫するのは、よくあることだ。自分の身心を包む袋を薄くしている。それでは、少しの傷で破れてしまう。少しづつ自分のこころの皮膚は鍛えるものだ。現実の社会を裸足で歩くことを経験することだ。他人の作った乗り物だけで生きようとしてはならない。被差別者が、立場が変われば差別者になり易いことだ。被抑圧者が、抑圧する側になりやすい。すべてのことが、僅かなことで反転もする。安易に否定するよりも寧ろ肯定的に生きることは難しい。それは哲学的でもある。世の荒波を避けるものが一番溺れやすいのだ。立ち向かう勇気のないものには、あるのはながい時間があるだけだ。
2021.10.27
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前浜ビーチ。7キロ、虚構と現実が乖離ていることは史実がはっきりしないからだ。事実を押し隠してきた権力者が都合の悪い現実を歪曲させた。歴史ドラマで描かれる世界も大方は、史実とは違う。お抱え作家たちのフィクションに過ぎない。それがまことしやかに描かれている。それをまた拡大解釈した尾鰭がついて喧伝される。史実が少ないのは、如何に時の権力者が事実を隠そうとしたからだ。証拠隠滅を図ろうとする。水に流そうとする。そうはいかない。 ・天皇や、歴代の為政者や、信長、秀吉、家康、それにつづく将軍たちにしても、どこまで史実が残されているだろうか。記録を残すという思想がないのは文化のレベルの低さから。不都合な現実がある。不確かな事実を基にした議論は無意味だ。文春に載せられる記事の多くがそういう曖昧な知識の羅列でしかない。一々書きたくもない。 ・へ2・・・安易で陳腐な歴史観を教科書にしている。国民が歴史に関心が少ないのは、それだけ確りした歴史に関する教科書を作ろうとしない政府の責任だ。そうせ真実ではないと国民は思っている。価値あるのであればいつかはその真実に目覚める時が来る。知りたいのは真実であり、それが未来に通じる知恵を示すからだ。 つくしい
2021.10.27
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