全419件 (419件中 1-50件目)

般若心経を読んでいると不思議な気持ちになる。300字くらいしかないこの文章をどれだけの人が、その意味を理解しようとしてきたのだろうか。そして何を理解したのだろう。読んだ人たちにどのような影響を与えたのだろうか。経典として残っているのだから、時代を乗り越えてきたには違いない。科学のない時代にも人びとは人生の意味を見出そうと努力したに違いないのだ。 ・生命誕生のなぞは未だに解明されていない。解明できないかもしれない。ただ生物には活きていかなければならない目的はない。目標は人びとが自分で創るもでしかない。夫々の自分の人生を活きて死ぬ。炭素に還るだけだろう。生命は奇跡でも何でもない。 ・へ2・・・生命は仕組まれたストーリーでしかない。より壮大な因果律の中に埋没していく運命でしかないのだろう。般若心経が言わんとしているものが、そこにある気がする。未だよく理解できないでいる。また死ぬまでの宿題だ。
2021.06.30
コメント(0)

それがどれほど些細なものであっても、時には決定的なダメージにもなるだろう。それは、ひとりの人間を死へ追い込むだけではないかも知れない。計り知れない不幸を招くかも知れない。人間のプライドとはそういうものだ。どれだけ大きな敗北をしても、「みじめな失敗」をしないことだ。何が「みじめ」なのだろうか。それはその人の価値観や世界観で違うだろう。時として、個人と同じように国民は茫然自失の状態に陥ることがある。そして、すべき判断を誤るのだ。そのチャンスを逸するのだろう。かって多くの政党が戦争阻止にすべて賭けるあまり、肝心の戦争そのものに対する準備が不足したようにだ。何が本当の「みじめな失敗」だったかを学ばないものにそれに備えることはできないだろう。歴史は「流れる」としか考えられないものには、常に「みじめな失敗」が付き纏うだろう。北朝鮮の挑戦も、日本の遣ろうとしていることも、「みじめな失敗」にならないとも限らないだろう。そのリスクは必ずあるだろう。只そうしないための論理があらねばならない。無謀な行為がもたらすものは計り知れない結果となるものだ。ささやかな誕生日。ケーキが出るが、妻子の趣味である。今年はフライドチキンをべた。コーヒーカップのプレゼントがあった。
2021.06.30
コメント(0)

屋久島。種の絶滅の急激さとは、環境の急激さに必ずしも比例せず、緩慢な環境変化が進行し、ある臨界点を超えた瞬間に一気に絶滅するのだという。たとえば、水生の生物は、じりじりと死んで行くのではなく、ある許容範囲を超えると一気に絶滅するパターンをとるのだ。それまでは、元気に泳いでいるのだという。他の種は平気だったりする。たった1乃至2度の境界線でしかないという。或いはその差はコンマ以下もある。徐々に進む環境の変化に対して生物は、寧ろ鈍感でさえある。危険なものから逃れようとする余り、その時期を見失うのかも知れない。自分に口実を与えて何時までズルズルと日々を過ごしてしまっている自分がいないだろうか。やがて、自分だけの「ヘイフリックの限界」が待つだろう。身体を張ってひとは、生きているだろうが、上を向いたり、下を向いたりして前を見損なうらしい。 今の自分に気づかないまま時は流れて、その時は深まるのであろうか。いつもここに戻ってくる。そして繰り返す。生きている限り。
2021.06.30
コメント(0)

フナ広場。怠惰に生きている所為か理解するスピードが気にかかる。恐らく緩むと腐敗するか、リセットが早まる。問題は自分の処理能力でもある。些かADHD傾向があるかも。殊に強制されると余計纏まりがなくなるだろう。今同時進行がいくつもあるがこれが個性かも知れないと自分では思っている。中々進捗しないのは、オーバーワークかも知れないが、或る意味嘲笑ものであろう。「ジョークのようで、ジョークでない」のではなく、ジョークのつもりで書いている。どう受け止めるかは自由だ。さて、歴史は客観的に語る権利を持つが、現在の国際社会にはその権利も能力もないようだ。あるとしてもマイナーであろう。更に、日本人の意識は、前時代的なステージだろう。裸の現実を見なければ何もならないのに、せっせと自分たちの墓場を掘っている。もう21世紀にはいり21年過ぎて、いよいよ文明はリセットされるだろう。所謂右脳は、いくつもの現象をみているだろう。左脳が「ことば」に翻訳できないだけだ。理解のスピードに係わるだろう。そして、大規模な文明のリセットは、悲劇か喜劇か一方か双方だろう。ひとの話を聞かない風潮が拡がっているのは、脳で聴いていないからだろう。ビジュアルでも理解できなければ、そのスキルは間違いだ。ひとが専門を手に入れたと同時に知的に去勢されるらしい。
2021.06.30
コメント(0)

フナ広場。私たちは、自己認識による苦しみと、罪の意識や、羞恥心や、疎外感や、フラストレーション等と闘っており、そのために甚大な代価を払い続けねばならない。そのコストを埋めながらも他人のために尽すという誇り高い精神を持っていることを忘れてはならないだろう。この利他的行動が、人類の進化になくてはならない原動力でもある。新生児は、自分と周囲の世界の間に境界があることに気づかない。自分が介添えをする人たちから独立し、切り離されていることを理解しない。例えば、「いないないばあ」で劇的に証明される。母親が手で顔を隠すと子供はその真似をする。併し子供が手を下ろした時、母親がまだ顔を隠していると、子供は、びっくりしてしまう。2-3歳の子どもなら、1歳の弟妹がかくれんぼをしてもすぐ見つかることを知っている。1歳児は、見つかる前に隠れたところから飛び出してくるだろう。1歳児は、自分と他人との意味が判らない。これらは、脳の発達のプロセスが関与している。3歳児が屋根の上にトナカイがいたといっても、うそをついているわけではない。その子は、ほんとうになにかを見たのか、話を聞いただけなのか、たんに想像しただけなのかをおぼえていない。その子がおぼえているのは、頭のなかで考えたというだけなのだという。「幼いこどもはうそをつかない」人間社会も、こうしたまだ未成熟な脳のプロセスを進んでいるのではない
2021.06.30
コメント(0)

マラケッシュ。ジャマ・エル・フナ広場。「世界に一つだけの花」の歌詞は、槇原敬之作で2003年紅白のトリだった。この自己肯定は、この時代のことばの軽さと危うさを感じるだろう。芭蕉の句に、「よくみれば なずな花さく 垣根かな」道端に生えた雑草が春先に小さな白い花を発見した感動を詠んでいる。加藤周一に「小さな花」という詩がある。「どんな花が世界中でいちばん美しいだろうか。春の洛陽に咲き誇る牡丹に非ず、宗匠が茶室に飾る一輪に非ず、チロルの山の斜面を蔽う秋草に非ず、オートゥ・プロヴァンスの野に匂うラベンダーに非ず。 1960年代の後半に、ベトナム戦争に抗議してワシントンに集まったヒッピーが、武装した兵隊の一列と相対して、地面に座りこんだとき、そのなかの一人の若い女が、片手を伸ばし、眼のまえの無表情な兵士に向かって差し出した一輪の小さな花ほど美しい花は、地上のどこにもなかったろう・・・ 一方には史上空前の武力があり、他方には無力な一人の女があった。一方にはアメリカ帝国の組織と合理的な計算があり、他方には無名の個人とその感情の自発性があった。権力対市民。自動小銃対小さな花。一方が他方を踏みにじるほど容易なことはない。しかし人は小さな花を愛することはできるが、帝国を愛することはできない。・・・権力の側に立つか、小さな花の側に立つか、この世の中には選ばなければならない時がある。・・・」(1979年作)加藤は、「知的活動を先に進める力は知的能力ではなく、一種の直感と結びついた感情的なもので、いくら頭がよくても駄目なんで、目の前で子供を殺されたら、怒る能力がなければなりません」と語る。不条理に対する人間としての怒りを失ったら、それはもう人間ではない。小さな花の側に立とうとする人間がいるから、明日に夢をもてるのだろう。
2021.06.30
コメント(0)

マラケッシュ。ジャマ・エル・フナ広場。信仰の出発点でいきなり最終回答を与えてしまって、答えに至る道筋を各人で自発的に「発見」させる物凄い発想がある。イスラム教は、異なる宗教の間のややこしい問題を、実にシンプルに権力と支配の関係に還元する。異教徒が支配下に入れば、異教徒のままで、待遇には確り差をつけて服従させる。その待遇に不平を言わない限りかまわない。教義をめぐって、異教徒はイスラム教に反する主張をしなければいい。ただし「なにがイスラム教に反するか」の判断基準と判定の権限はイスラム教徒の側にある。勿論軍事的な優位を確保してという前提がある。まさに同じことを、戦後の日本人はアメリカの占領政策で体感している。中国も、キリスト教国も同じ戦略をとっているだろう。これは、点と点の距離でもある。遠いか近いか、それは、物理的には距離として可能だが民族間では難しい。ドイツの教会の門柱に刻まれた建築の基準になったという二つの点の空間に魅入ってしまった。権力と支配は、あらゆる社会に見られる構造である。それが彩るものは文化の質ではないだろうか。息苦しくなると、ひとは、他人との距離を知ろうとして来たのだろう。あの光源氏でさえ、いつか女たちから襟裳との真夏のあつ苦しいだけの残り香でしかなくなるのだろう。点から点のまでの距離は、人間が創り上げた空間でもあるだろう。
2021.06.30
コメント(0)

嘘とまこと、虚偽と真実の使い分けだと言われるが、だからこそ精確な記録を残す必要がある。外交文書もあとで真実が明かされて学ぶことができる。敗戦時に旧日本軍は自分たちのしてきたことを消し去ろうとしたと言われる。自分たちの遣って来たことを恥じたからではなく、悪事をなしていたからだろう。国民に知られたくなかったのだ。勇ましい軍隊だというイメージを壊したくなかったのだ。 ・それは形を変えて、現代でもある。権力は自分たちの行為を正当化しようとする。自分たちの遣ることは間違っていなかったと言いたいからでもある。然し権力は腐敗する。それは人間社会の宿命でもある。洋の東西を問わず、世界中の歴史がそれを証明している。だからこそ情報の公開が求められてもいる。イタリアの豪華客船の座礁事故も、船長の拙劣な行為が早速公開されている。 ・へ2・・・3.11時の政府と安全保安院と東電との直後の話し合われた時の議事録が残っていなかったというニュースが流れている。NHKの昨夜7時のニュースで流れたから、全国民が知っていることでもある。この未曾有の歴史的出来事で政府が何をしたか、世界が注目している大事件でもあるのに、それがどういう対応を政府がしたのか、検証できないということは、何のための政府か解らないことでもある。これは戦前とかわりはない。軍国主義社会なのか。三流国でしかない。
2021.06.30
コメント(0)

企業の都合というのは得てして利益優先のそれでしかない。理由を言わないのは、文句を言われそうだから避けることが多い。利益があるから遣っていることではあってもそれが必ずしも二兎を追うわけにいかなくなることもある。改善なのか、改悪なのかその内容を開示すべきだろう。 ・自分で垂れ流しをしているようなことでは根気もなくなる。 ・へ2・・・いつまでも同じ場所にはいられない。環境か自分かと言えば、タイムラグの起きないようにする工夫は必要なのだろう。巧く遣っていた人が、そうはいかなくなる。何が起きているのか、知ることは必要だ。それが予見することにつながる。 何のために辞職を逡巡していたか分からない。それが国際政治学者のやることだろうか。公私混同を指摘されることだけも政治家の資質はない。
2021.06.30
コメント(0)

英米文学でも「自然」はもっとも重要なテーマの一つだ。イギリスでは、パストラルと呼ばれる田園文学の長い伝統がある。アメリカ文学も「白鯨」や「老人と海」や「ハックルベリー・フィンの冒険」等の名作も多い。勿論日本にもある。「奥のほそみち」「武蔵野」「山の人生」などがある。本来山里の民であった日本人は、自然は身近な存在であり、自然の事物のなかに魂のありかを認めようとさえした古代シャーマニズムがあった。平安時代の花鳥風月や老荘思想に影響された隠者的自然観を持ち、やがて西欧文化と交わるのだ。日本的自然観と環境論的自然観とは基本的には相違している。同じネーチャーでも、何故こうも違うのだろうか。ながい宗教観の違いに由来するだろうか。全く手に負えなかった祖先持つものたちと、シャーマニズムをもたなかった文化の相違だろうか。 アフリカから始まった人類のルーツは、地球上に足跡を残している。 南極大陸から離れたオーストラリア大陸はユーラシア大陸に向かって動いているのだろう。日本列島から、オーストラリアまで9時間40分らしい。まだまだ地球は広い。
2021.06.30
コメント(0)

マラケッシュ。ジャマ・エル・フナ広場。一つのことをやり遂げることは何でも大変なのだろう。どうもすべてが中途半端に思えないでもない。真剣さも、いつまでも続かないのは、段々難しくもなってくるから。調子がいいのはいつまでもというわけにはいかない。いつまでも新築の家であって欲しいが、段々痛みも出てくる。車もすぐに中古車になる。 ・人間だって、いつまでも若いわけではない。謙虚な気持ちも段々怪しくなっている。昔から他人には期待しないことにはしてきた。こうあって欲しいと思うことがそうはならないことばかりだったから、いつか疑うことか多くもなった。昔は、戸締りをして鍵を閉めて外出することはなかったが、いまでは、そうするのが当然でもある。 ・へ2・・・田舎で子どもの頃は、近所の人たちと仲良くしていたが、福岡に来た30数年前からは、いつの間にか都会風の暮らしになってしまった。美味しいものがあって残っても隣に差し上げることもない。棄ててしまう。お互いそういう暮らしなのだろう。3.11や、大災害でもないと、そのことに気付かないでいる。戦争もあって欲しくはないが、贅沢な暮らしが人間らしさを忘れさせてもいる。
2021.06.30
コメント(0)

マラケッシュ。ジャマ・エル・フナ広場。顕著な優れた遺跡だから世界遺産にもなる。プラハ~ウイーン~ブタペストと、このパンデミックが始まる1月中旬に、この三都市をツアーしたが、ハプスブルク家の歴史を読んでいると、この三都市が、三姉妹のように思えてくる。650年のハプスブルク帝国の支配があり、そして没落した。その後、ヒトラーの侵略があるが、それも一瞬の悪夢でしかない。 ・皇女エリザベートと皇妃エリザベートの物語を読んでいると、中央ヨーロッパの栄枯盛衰が、日本史とかなり違いもする。それこそ、別次元の世界が、東西南北の国で繰り広げられたのだ。豪華絢爛な貴族社会の人生がある。そして、彼女たちが必ずしも恵まれた人生を生きたのでもない。白百合のよう美しい皇妃であったらしい。そして暗殺された。皇女は、一族最後の運命を生きている。 ・へ2・・・ヒトラーとの戦いをした人たちでもある、中欧の第二次世界大戦が重い。多くの血が流れたEUの歴史は、人間の欲望の証左でもあろう。
2021.06.30
コメント(0)

今が収穫期のミニトマト。梅酒は、1カ月経過。「狐憑」・憑きもの。きつねは出て来ない。比喩。・狐は載せただけ。・シャク。弟の霊。悦ばない人間がいる。長老には邪魔になる。中心人物になっていく。働いていない。飽きられる。活きている資格がない。・丹念に書いている。呆けたように。木偶のように。人間のパターンとして中島は書いている。・中島は、「人間のスタイル」として書いている。・才能が枯渇していく。衰えて行くところで終わる。・芥川では刹那的に終わる。・「山月記」月に向かってトラの姿の吠えている絵がなければならない。・変身・・・一度目の変身、呆けたようになるのが第二の変身。・古譚では、その特徴は、「物に憑かれた」。「変身」。である。カフカ的である。・モチーフが似ている「カフカ」の変身。・ものを語ることに目覚めたシャク。からだがバラバラにされたものを見る。・荒唐無稽の話を始めるきっかけ。弟の死体。・太宰「思ひ出」。俺にはぼんやりということがない。ぼんやりとしたとき作家になろうと思った。アンニュイ。自意識が消えてぼんやりした時。・ぼんやりしている時に意味がある。その文脈が出てくる時。・つまり、作家のいうぼんやりは、意味がある。・精神の空白。ある状態を書く場合の準備をしているとき。小説には起伏がある。・俄かにあることを始める。・村上春樹は、野球を見ていて作家になろうと思った。も解らないということでしかない。・有触れたことを書くと才能は枯渇する。・発想力を減退したらどうするか。そのことをつねに小説家は考える。・象徴的な作品。・「狐憑」シャクの肉をほおばった青年は、同化すること。シャクを継ぐものがいたのではないか?という解釈もできる。輪廻転生。・輪廻転生のこと。
2021.06.30
コメント(0)

マラケッシュ。ジャマ・エル・フナ広場。<作品> 「木乃伊」・一葉は半年間、龍之介からは一年間、太宰、梶井、漱石、堀辰雄、今回中島敦は7回目の講座になる。石井教授が女子大を来春定年退官されるとのことで、今年の十二月までという予定になっている。・「木乃伊」パリスカス。輪廻。牛の血を飲ませて殺す。・レジュメ。・全集の3冊目に年譜がある。・今日の分は、出典が解からない。英文・研究されていない。・蔵書目録。・P. Myers Ancient History(古代史)・神話伝説大系 目次参照・エジプト神話説話集・中島・孤島・「セトナ皇子」・中島敦の研究は遅れている。・「文字禍」は、もとは「文字」を推敲した。レジュメあり。・両方とも出典は同じではないか。・「名人伝」も何かに憑かれる話。・作家は、「憑かれるもの」に興味を持っていた。・「新古今集」について、中島は、熟知している。・「文字禍」・・・「しゃっくり」が出てくる。森鴎外にも「しゃっくりする男」がある。・「ことばを吐き出す」のと「しゃっくり」が繋がっている。・昭和10年代の作品。発想そのものは、早い時期からあった。・新古今の中に 幽玄がある。「木乃伊」ぼんやりしている。と繋がる。・新古今と「木乃伊」の作品との繋がりを考えた方が良い。・中島敦は、横浜の先生をしていた。・無文字社会から文字社会へ。稗田阿礼。表記する文字がなかった。文字社会へと移行する。古事記以後以前の世界が中島の頭にあった。・開化とは外発的である。つまり、そとからの文化を学んできた歴史が日本にある。中国から学んだ。・漱石の考えとの違い。・憑きもの、「文字禍」。「狐憑」
2021.06.30
コメント(0)

マラケッシュ。ひとは拠って立つ環境によって人格を形成していくその要素は複雑で一概に同質ではないが、寒い地方の人が冬季鬱が多いとか、暖かい地方の人が長生きするとか、環境による影響が関係していると思われもしている。同じ環境でも一人一人措かれた地位は大きく違いもする。親の投資の少ない子どもたちもいる。童話では継子いじめのテーマが多い。それでも同じ兄弟でも、性格が違うというのはひとの感受性の違いでもある。環境のダメージを受けやすい人とそうでもない人もいる。 ・貧乏でも平気な人もいれば、拘り過ぎる人もいる。針は常識の範囲であれば誰も思う感情の中だ。国家の勢いもある。高度成長の時代の国民の自信というのも変なものだ。個人にとって余り意味のないことだが、妙に付和雷同をしてしまう。政治家の煽動に押されてしまう自立性のない国民は未だ多くあるだろう。 ・へ2・・・日本的形質はいくつもあるが、然しだからといってみな同じではない。程度の差でもあるが。必ずしも風土だけではないが、3月に日本では自殺者が多い。寒いという自然環境が生きることへのネガティブ・マインドになりがちなのだろう。確かに太陽光のパワーは絶大だろう。毎日のように晒されている社会的環境も明るい材料を欠いてきている日本の現状がある。試練に立ち向かうだけの勇気だけは持ちたい。 政治のことは、お上が決めるから庶民は、それに従えといわれた時代が長い。戦後民主化されたといっても占領軍から半強制されたものだったし、戦争の責任者たちが生き残っている。半殺しにされたが古い観念は生き延びたのだろう。忠臣蔵とか、ハリウッド映画とか、妙な文化だった。ヒーローが生まれない社会にされたのだろう。植民地政策は、利口な人間を作らないようにする教育がされる。愚かな国民は再生産されるのだ。
2021.06.30
コメント(0)

去年の1月中旬に中央ヨーロッパのツアーから帰って、海外には行けなくなってしまった。特別その頃の予定をしていたわけではないが、もしあったら残念だっただろう。何しろ今行かなければ、生きてツアーもできない年齢になったからである。人間は、単純ではない。簡単には諦められないこともある。 ・トランプ氏や、バイデン大統領が、世界を動かしていることは、理解できるところはあるが、やはり老害ではないだろうか。菅政権もある。保守の重鎮たちがしていることは、わが身の保身のためではないだろうか。権力の座の旨味があるのだろう。上からの政治が日本国民を苦しめてきた根幹でもある。戦後とともに生きてきた私たちの人生被害が、脳裏にある。 ・へ2・・・毎日のように繰りかえされる家庭悲劇がある。そして老人たちの余生は平穏だろうか。天災もあれば、人災もある。昔は子殺しが多かったが、最近は親殺しが多い気がする。昔は尊属殺人で重罰だったが、それがなくなったからではあるまい。古い道徳規範が良かったというつもりはないが、箍の外れた社会である。この一年、結構長くて普通ではなかった気がする。さて、これから一年をどう過ごせるだろうか。
2021.06.30
コメント(0)

マラケッシュ。深い洞察力というのは、容易に得られるものではない。見せかけの社会というのは巧妙でもある。一つの謎が解けてもまだ先がある。裏の裏というのがあり更に裏もある。裏社会の巨悪に辿りつくまでに消されたミステリーは、またその裏があるかも知れない。迷宮の洞窟に嵌まれば出口はない。トルコのカイマクル地下都市を見物して、迫害や盗賊から逃れて地下に住まなければならなかった人たちの悲劇に胸が詰まった。 ・長い間歴史の中に埋もれていた。トルコ人でさえ、地下都市があることさえ知らなかった。日々の暮らしの中で次々に起きてくる難題があったに違いない。私にも自分の目の前の課題しか考えてはいない。学生も自分に与えられる問題について如何に早く正解を考えるしかない。3.11に対する世界の同情も身内のことではない。 ・へ2・・・たとえ日本列島が沈没し、日本人が死んだとしても世界は驚いてもすぐに忘れるだろう。般若心経の菩提とは、悟りの果ての智慧のことである。つまり、ひとは「無智亦無得 以無所得故」なのだ。そこには大きな隔たりがある。つまり33段ある。最後の「故に」というのは、あの「成功ゆえに没落する」の「故に」でもある。数学では「∴」というが、解の前の決まり文句だ。悟りを開いた菩提は、「あのくたらさんみゃくさんぼうだい」の境地に至るのだ。 自分の思い通りにならないのでだだをこねている赤ん坊のような態度をとっているのではないのだろうか。
2021.06.29
コメント(0)

マラケッシュ。不思議というよりも異様な雰囲気のある都市である。愚痴ばかりではだれも見向きもしなくなる。読者受けを狙って漱石は書いていたし、村上春樹も同じだろう。計算している。漱石は数学が得意だった。計算しているからできるのだ。ふつうのひとは計算できないのではないがしない。暦だって頭にない。昨日との違いが分からないで暮らしている。そうミームで仕立てられた。オートコンベアの上が楽に生きていける。 ・寝るより楽はなかりけり。なんで忙しい医師や弁護士になったのだろうと悔やんでいる人もいるのだろう。成功ゆえに没落する。他人の飯には骨がある。兎角この世は住みにくい。面白い話には落とし穴がある。祭りの後の悲哀を感じるしかない。 ・へ2・・・世の中は、随分評判と事実は違うと、何となく感じていた。解っていたのではないが、その疑問はいまでもある。一面から見るだけでは、足りないのではないだろうか。黒白だけでは物事はすべて判断できるわけではないから、その時々で評価も違う。
2021.06.29
コメント(0)

マラケッシュ。他の動物に比べて、ヒトの脳は巨大化した。60kgで、200gというのが平均値らしいが、ヒトは、1400gくらいある。7倍だ。それは単なる倍数でしかない。実際はそれ以上に、ヒトの進化は、私たちのイメージの想定外だ。いまや74億人に大繁栄した生物といえども末路がないわけではない。その成功ゆえに没落もする。図書館で、暫く雑誌などを読んだが、借りてくる本は止めにした。今度のツアーで借りた本が返せなくなっても困る。 ・潤沢で有利なものがあったとしても、それを利用できなければ意味がない。人の行動はアイロニカルなものになりがちだ。都合のいいように物事は運ばないが、自分のもつ有利な形質を活かすことは大切なことだろう。日本人の胃の消化酵素の中には欧米人には無い消化酵素があるそうだ。それは海藻類を先祖が良く食べていたからである。乗りの消化酵素がそれらしい。人間のからだは、長い歴史で作られた組織でもある。その地に適応できたから生き延びて来られた。 ・へ2・・・地産地消の価値は意外と大きいのだ。言葉や文化も、簡単に考えるべきではない。母国を失くしたひとびとが浮草のような一生を送った例は沢山あるだろう。そこに生きているから、生き延びられもする。そういうものが体の中にあるのだ。目には視えない世界が、私たちの生命を支えてもいる。俗説で潰されそうな人生にするかしないか。
2021.06.29
コメント(0)

公開講座を利用させて貰っているのは、学生の時からで、阪大で初めて公開講座がされるというのを新聞で読んで参加したのがきっかけだった。それから折に触れて、社会人になってからも、あちこちの講座で聴講して来た。全く解らないという話はなかったのは、市民に向けた講義がされたからだろう。講師がどういう研究をされているか、それがどのように社会に係わっているのか。それを知るだけでも聴く意味はある。 ・勿論中には手抜きの講座もあったが、遊びで研究している人はいないのだから、聴く価値のないものはない。大学と市民の意識のずれは如何ともし難いところがあるが、最近は大学も市民との隔てをしている垣根を低くしていると思う。素人に解るように話すのは難しいだろうが工夫をしないのもおかしい。 ・へ2・・・この社会が、どこまで市民の意識向上に努力しているかで、私たちの勉学への環境も違ってくる。日本経済の経済成長が停滞しているのは、バブル以後から今日まで政治の責任でもある。勿論国際社会の景気変動の背景もあるが、 国の指導者たちが、なすべきそれだけの努力をしていないからでもある。誰の責任か明確にできない社会は破綻するしかない。陰でこっそり甘い汁を吸おうとしている連中ばかりではないだろうか。
2021.06.29
コメント(0)

環境に適応しながら生きているとすれば、当然時代は変化しており、そこに暮らしていく人間も環境に応じて生活を変化させねばならない。私たち自身のこころも体も、その環境によって変化もしている。脚の長い現代の若者には、江戸時代の腰に差していた脇差は、歩き難いに違いない。今では丁髷も相撲取りくらいでしかない。50年前、今の私たちのこうした日常の在りようを想像できたであろうか。恐らく誰にもできなかったことだろう。 ・時代は物凄い速さで変化もしている。世界観や、価値観も変化する筈だ。平等な社会で、学力を競うことで、競争するのが公正な方法だと当時は多くの人たちに思われてきたが、果してそれは正しかったのだろうか。読み書きを覚え、数学を学び、歴史やその他の学問もしたが、肝心の生きるために必要なスキルは殆んどなかった。誰にも教えられなかったからでもある。この社会で無駄死にをしないために、それに対応するスキルがないということが、私たちには大きなダメージにもなってきたことはいえるだろう。 ・へ2・・・然し、どうやらそういう必要なスキルを受けている人たちが、殆んど世界中を探してもどこにもいないのかも知れない。ただほんの一部の上流社会の中であるくらいのスキルかも知れない。できもしないことを言っても仕方がないのだろうか。そうかも知れない。 悲しいかな政治家たちに社会的な責務のスキルがないことだ。ビジョンがない。それはそれを作るだけの構想がないからだ。何もないのに国家のリーダーになっているからだ。誰も彼らの脳みそを鍛えようとはしなかったのだろうか。国家に優れたリーダーがいなければ、百年の計どころではない。下手をすると戦前の日本のような、国民不在の国家にもなりかねない。
2021.06.29
コメント(0)

人もモノであり、モノはいつか滅びる。破壊されるし、朽ちもする。嫌なことを言うのも、美しいばかりではないからで、花が綺麗なだけの世界でもない。何故この世界が美しいと思えるのだろうか。この世界を形成しているすべてのものが、造形美に溢れていると言って過言ではない。初めは歩くためにデジカメを持参したが、最近は撮るために歩いていたりする。 ・どこにでも被写体があるというのは何と恵まれているだろうか。関心のあるものが沢山あるのは人生に彩りを与えてくれる。死にたくない気持ちも起きる。この世に花が無ければ、面白くない人は大勢いることだろう。人間ばかりだったら。殺し合いばかりするかも知れない。昆虫や小動物を視て愚かだと人間は思っているが、自分たちも更に高見から視ているものがいるかもしれない。 ・へ2・・・観察することは、観察されることもありえることでもある。自分のサイズでしか視えないからだ。自分で知ったモノしか驚けない。宇宙が一つとしか知らないものには、それはそれで終わりだろう。ビックバンしか考えることができない人類のサイズでしかない。アジサイを視て美しいと思う。それは一つの宇宙にも視えてくる。
2021.06.29
コメント(0)

大英博物館。どんなことが起きるか分からない時代だ。挫けない決心がいる。何があろうと生き抜くという勇気がなければならない。あらゆることに気を配り、準備しなければならない。「対岸の火事」ではないことばかりだ。世界経済は荒れ模様になりつつある。温暖化もある。 ・日本も戦場になるのではないだろうか。経済格差が広がり憎しみが増幅している。親子の断絶や、亀裂がやがて社会に拡がりつつあるのではないだろうか。豊かな自然を失ったダメージがボデーブローになり、原因をつくった人間たちに報復し始めただろうか。 ・へ2・・・ただカモメのように群がり餌を食うだけの存在に人間たちはなり下がっただろうか。だんだんゼロに近づきつつある。眠い目を擦りながら、考えている。どこに行こうとしているだろうか。朝は来るのか?挫けないでいられるのか?もうタイムリミットは過ぎているかも知れない。気付かないだけだろうか。 時間よ、とまれ! とまる筈はない。
2021.06.29
コメント(0)

話の中でぼんやりと理解したことを文字に落とさないとどうも本当の理解に為っていない気がしてしまう。頭が悪いのだろうか。人の記憶のメカニズムを未だ好く理解でいていないようだ。文学の講座もそうだが、時々サッと解からない処が在るのはそれだけ文学から離れていたからでもあるだろう。日本文学を軽く見ていたこともある。文学で飯が食えないという腹があったし、学生時代には、文学が権力に迎合しているという印象を持っていたからでもある。 ・二元論で物事を判断するという悪い癖が抜けないでいる。宗教は好きでも嫌いでもないが在るのはあるから仕方がないと考えるようになってから、二元論では解決できないことを知った気がする。私は、日本人であるが、その存在としては、それ以外のものであり、外国人でもなく、宇宙人でもなく、ただの人間である。表現というのは面白い。一つものが他の物にもなるからだ。 ・へ2・・・厄介な親父が、なくてはならない存在にもなる。それは親父が必要な時に変化するからだろう。無用の長物も、或る時変化もする。昼行燈も必要な時があるということだ。じっとその時を待つしかないが、要らない時もある。どれだけ文学を知ったところで、それは何だろうか。研究者が研究の成果を上げれば業績に為るが、素人では教養でしかない。明治の上士たちの論語の教養も役に立たなかった。知らない下士たちが次代を担ったのだ。中世の文字も読めない庶民がステンドグラスで神の世界をイメージしたのも想像力のちからでもある。
2021.06.29
コメント(0)

どうも日本人は自己表現ができない環境なのだろうか。それでも昔の日記は自分のことばかり書いており、環境には無関心のように見える。むしろ宣教師をはじめ外国人が見た日本の生活ぶりが書かれたものが多い。日本人は自分の庭からみる風景を愛したのであって、旅に出ることは芭蕉のように野たれ死にを覚悟しなければならなかったのだろう。立派な料亭はあってもそれはごみごみした街角の一角でしかなかった。汚い溝川が近くを流れていたりする。悪臭がするのも気にならなかったのだろうか。どぶさらいをするだけの心の余裕もなかったと見える。 ・遊郭や売春宿しか発想できなかった文化の貧困が大衆を毒したのだろうか。それは徳川幕府の無能を示すものでもある。日本人は自分の庭や、部屋の中を気にするくせに、街全体の景観には無頓着のように思える。おそらくお城より高い建物を発想するものさえいなかったのだろう。一つの家族に支配されたというのもどこか発想のなさを感じる。それだけ重圧でもあったのだろう。そこに諦めが生まれただろうか。中国の高官から日本の政治家と語るべきものがないと揶揄された歴史があるが、それは国民の耳に達することはなかったのだろうか。 ・へ2・・・自己満足するものは自滅するだけだ。世界を知らないものもまた滅ぼされる。中国もそうして干された。万里の長城は、何のための壁だろうか。あっさりと破られた。そして反対側の海から侵略されたしまった。それは、彼らの傲りでしかない。それこそ、「お盆の上の砂」のような民族ではないのか。別に非難しているのではない。傲慢は傲慢なのだろう。彼らの世界観が一流だとは思えないし、日本人も同じだろう。西欧を見てきながら、何を学んだというのだろうか。異教徒との、アジア人め、と罵倒されているのに何を阿ることがある。眼には眼をではないのか。それくらいのプライドがなければ何事もできはしない。 それこそ人間は平等だと宣言しながら、自己卑下するようなことばかりしているのではないだろうか。中国が自国は開発途上国だから、排出ガスの規制を猶予せよというのは、アメリカと同じようにおかしな話だ。都合の悪いことにふたをするような話だ。それは卑怯な話だ。人口が多く、或いは超大国だという国家の為すべきことではない。それさえできないようなら、さっさと国際社会から出ていくべきだろう。責任を果たしてこそリーダーの資格がある。それはあの舛添都知事の今更の話でもある。
2021.06.29
コメント(0)

マラケッシュ。明日の針は、ゼロから無限まで振れる。明日の欲しいものに明日があるだろうか。明日の欲しくないものには非情無限の宇宙だろう。生命のあるものは、プライドをもつべきだ。死の瞬間まで闘わねばならない。恐怖に慄くことがあったとしてもやがて時は過ぎていく。弱い人間であることを恥じることはない。その弱さゆえに勝ちえた智慧もある。誰も嗤いはしない。
2021.06.29
コメント(0)

マラケッシュ。ひとは、追い込まれないと本当の自分の力を発揮できないところがある。死に直面するとか。それほどではないにしても、ある緊急事態がないと出て来ないものがある。それがそう度々あっては堪らないし、有るものでもない。作家たちの作品の中にもそれを感じることがある。一葉のジャンプもそれがあったのだろう。漱石の「修善寺の大患」もある。ひとは不治の病を体験して生きることに目覚めた人も大勢いるに違いない。自分がどんなに太平楽であったか、どん底に落ちて知ることもある。 ・簡単に頭が切り換えられる訳ではない。その状況下というのは想像だけでは済まないものがあるのだろう。その気にならないとできない。自分の脳内のニューロンネットワークがあるに違いない。脳内ホルモンがドバっと出るには、それなりのプロセスが要る。安穏としているときには神経も緩んでしまう。碌なことは思い描けない。ストレスがなければできないことばかりだろう。フォーリン・ラブにもTPOがある。 ・へ2・・・動物に備わった遺伝子には、通常の時と、非常の時の想定があって、その非常の時に出るパワーは、あるいは最期の時なのかもしれない。よく大物釣りの時の魚の最期のファイトがあると聴く。人間の最期も間際になれば安楽のホルモンがでるらしい。にやりと笑うシーンも創り事ではないのだろう。ネズミも猫から噛まれると脳内ホルモンが出て即死するパターンを持っている。緊張感がないということは、その高見に立てないということだ。それが有難いことなのかそうでないのか?その時、なぜしなかったのだろうかと、あとから後悔することばかりだ。アウシュビッツに収容されていたユダヤの人たちをドイツ人たちに見せしめのために強制的にの見せたとき、多くのドイツ人たちは知らなかったと涙を流したというが、収容されたユダヤの人たちは、「あなたちは、知っていた。」」と。それは真実ではないだろうか。ナチズムが何をしているかみんな知っていたのに、止めることができなくなっていた。勇気がなかったからだろうか。戦争を煽っていた人たちが、終戦になるとごろりと態度を変える。人間の弱さを政治家たちは知っているから利用するのだろう。民主主義の戦いは、まさにその人間の弱さとの闘いなのだ。
2021.06.29
コメント(0)

マラケッシュの花。ひとの進化の奇跡的な合成物とは、ことばである。そして、その習得が生きる上で必要不可欠な道具でもある。ことばの力を借りないと生きていけない。ひとは誕生して言葉の習得までには長い時間がかかる。そのために可愛く生まれてくる。どんな悪人も赤ん坊には勝てないくらい可愛いと思うように仕組まれている。ことばは日常の道具であり、これを上手く使わないと苦労もする。言語としての日本語の未来に限界があるかも知れない。 ・世界では、多い民族が生き残りをかけているが、それぞれに独自の言語をもっているが運が悪いと淘汰もされていく。国家でも個人でも、旺盛な関心を持ち、順応できるひとがことばの原理を習得する。「脳」という科学的な視点が人間としてのより豊かな生活を約束する。生き残るのは、どの民族かではなく、混血になるだろう。 ・へ2・・・少し眠ったら、元気が出てきた。頭もすっきりした。睡眠が人間に及ぼすものは小さくはない。ことばをどこまで習得しているのだろうか。どうも、その意味がよく理解できていないようだ。国会中継でも言葉の習得ができていない人たちが、訳の分からない議論をしているように思えてならない。週末に、ワクチンも済んだのでこっそり高野山参りをしてきたいと思っている。
2021.06.29
コメント(0)

ロンドン郊外。「イギリス、湖水地方を歩く」(谷村志穂著)を読んで思うのは、ひとに優しい風景があるからであり、ポターの作品もそうした自然の中から生まれた。どんな優れたエッセイより、目に見える風景のすばらしさには勝てないだろう。そして、その風景を守ろうとしている人々の決意の中に文化もあるのだろう。その精神のない社会では、絵になる景色も消えていくのではないだろうか。人口だけの問題だろうか。それは違うと思う。風景や、景観が国民みんなのものであるという発想がないのではないだろうか。例えば、田圃にしたところが、その田圃の中に足を踏み入れる人が日本にどれだけいるだろうか。 ・トレッキングをして、著者は書いているが、書きながら、ウォーキングする作家がどれだけ日本にいて、ものを書いているだろうか。自然に触れながら仕事のできる環境に日本はないだろう。自然の姿を自分の目で体験しないものが、自然保護にどれだけ熱心になれるだろうか。これだけ環境破壊や、地球の温暖化が叫ばれているが、どれだけに人が、立ち上がって自然破壊を阻止しようとしているだろうか。元々自然への感動がない人たちではないだろうか。それは余りにも悲劇でしかない。日本人には自然への回帰の道がないのだろうか。 ・へ2・・・生きている限り、その可能性はあるのだろう。ただそれが遠のいているのは確かだろう。多くのものを破壊してしまい、元に戻らないものも多いからだ。絵になる風景が消えている。恐らく想像以上にこの世界は汚れてしまった。絶滅した危惧種も多い。これから種としてのヒトと仲良く共存していた種も消えていくのではないだろうか。それは自然という美しい世界が地上から消えていくことでもあるだろう。ひとの歩く道を消してしまおうとしているのではないだろうか。それを思うと悲しい。
2021.06.29
コメント(0)

黙っていても、世の中は動いているし、毎朝太陽は昇ってくる。それで感謝しろといわれても有り難いとも思わずにいたが、よく考えてみたら、自分は何もしないのに、してくれることがなんと多いことだろうか。遊びまわって夜寝て、朝になれば何となく元気が回復している。碌なこともしていないが、動けばつかれることばかりある。 ・今日は、何をしなければならないか、仕事もしていないので時間はいっぱいある。社会奉仕デモした方が好いが、どうもその気になれないのは、自分の責任もあるが、社会がそうしたことをできにくくしているところもあるのだろう。何故一流の学者でなければならないか。多少は解ったがエリートの成れたわけではないし、なりたいとも思わない。得あれば損もあるからだ。 ・へ2・・・おバカな世間や、家族と一緒に暮らしている。家に5匹の猫がいるが、それぞれ宿主のところへ毎日挨拶に来るし、気を使っている。黴菌の総合庁舎の汚い猫たちと暮らしているがもう3年以上になる。ある意味でできる共存なのだろう。鳥渡手間がかかるだけだ。今朝は昨夜風呂場から脱走して猫を迎えに外を探していたら、自分から近寄ってきた。これまでツアーの準備をしていなかったので、週末に行く準備もそろそろはじめなければならないし、今日は定期検査もある。朝が早いので朝のウオーキングはしないつもりでいる。
2021.06.28
コメント(0)

マラケッシュのオリーブ。こころということばは遣い方で多様な意味を持っている。からだと対比されている時と、からだと一体になっても使われる。精神だったり、脳のことだったり、書き手のイデオロギーで違いもする。ことばが素直に使われるとは限らない。アイロニカルに遣われたりする。厄介なのは書き手に誤魔化しがあったりすること。カムフラージュもある。何しろ、拠って立つものは多様に過ぎるだろう。訳のわからないものにもなる。 ・こころも精神も、脳のニューロンのしからしむるところでもある。何しろ書いている人間が解かっていない作用の機序がある。何故、こころがこんなのも複雑なのだろうか。変幻自在でもある。どれだけ長い小説だとしても、子の一瞬の出来事を網羅することできない。まして一日、一年のことを、ことばでは表現できはしない。ひとつの風景ですら、誰にも表現できないスペースだろう。こころを伝えようとして、常に挫折を覚えなければならない。それは宿命でもある。 ・へ2・・・日本でも知られた韓国のタレントが自殺したそうだ。9人目だという。日本でも、毎年3万人以上のひとが自殺している。韓国も隣国であり違うところも多いが、似たところもある。ひとつの現象からだけでは説明できるわけではないが、必ず、そうなる背景がある筈だ。何故自殺するのだろうか?自分の問題にしないでいる人間には到底理解できない。理解したいとも思わないでいられる人は、幸運なだけだろうか?それとも、その報いがあるだろうか?それも自分のこころ次第だ。
2021.06.28
コメント(0)

「自然は、沈黙した。うす気味悪い。鳥たちは、どこへ行ったしまったのか。みんな不思議に思った。裏庭の餌箱は、からっぽだった。ああ鳥がいた、と思っても、死にかけていた。ぶるぶる体をふるわせ、飛ぶこともできなかった。春がきたが、沈黙の春だった。・・・だが、いまはもう音ひとつしない。野原、森、沼地・・・みな黙りこくっていた。」(「沈黙の春」より) 単なる寓話が、真実を語ることもある。人間の優れた形質は、予見することにある。これらは、魔法にかけられたのでも、悪魔に襲われたのでもない。すべては、人間がみずからまねいた禍だった。 いまや、温暖化の齎す影響は世界中のどこにも見られる現象であるが、それに対して明確な認識をもち、危機感をもっているものが政治を動かしているのではない。その一見ゆるやかにすすんでいるように見えるが、ある限界を超えると大きな衝撃となって押し寄せるだろう。「ポイント・オブ・ノーリターン」が。 「警告」が、いつか「現実」になる。
2021.06.28
コメント(0)

マラケッシュの市内観光。文字を持たないとしたら目や耳で見聞したものを記憶するしかないだろう。それには限界がある。文字を知らないということが如何に知識を制約しただろうか。無知のために大きな損害を蒙ってきただろう。与えられて環境でどうにでも変わった人生でしかない。自分たちの置かれた環境だけでなく他国を見聞でき、書物で、あるいはネットで広く知ることができるようになり、少しだけだが世界の隅々が見ようとすれば見れるようになっている。ただそれをどう生かすのか、効率のよい社会ではない。 それこそどうでもいいことを知らしめるだけの自由ではないだろうか。肝心なことは秘匿している国家機密もあるだろう。正しいデータが公開されなければ判断も間違うだろう。この世界は大多数の人たちの知る世界ではない。一部の者たちの世界を掌握した社会であって安全装置はない。アクセルだけのリスキーな国際社会でしかない。人間は理性的な動物ではなく、理性があるとしてもそれは、限られた環境でしか働かないだろう。 それでも絶望するわけにはいかない。種としてもヒトには生きる目的がないのだという。それが現代の生物学の結論でしかない。目的は人類が決めなければならない。エントロピーに逆らって生きている生命は、生き延びるために何をしなければならないだろうか。 何かのヒントを世界中で探している。それが徒労に終わらないことを祈りたい。
2021.06.28
コメント(0)

現地ガイドは自転車で居庸関長城を越えてモンゴルまで旅をしたと言っていた。そういうこともできるのだろう。自動車でなく自転車というのはすごいことだろうが。それが当たり前のことなのかもしれない。自分の足を使って旅をするのは一番自然な旅でもあるだろう。忍耐力を養うのは日ごろの鍛錬でもあるだろう。 ラクダに乗って、砂漠を行くのはどんな気持ちがするだろうか。高い視座は思うだけでもわくわくする。こどものころ馬に乗せてもらったことがあるが、なにか特別な気持ちがしたことを覚えている。血が騒ぐだろうか。日本人の祖先もモンゴルから来たのかもしれない。 ラクダをみていると、その目が語る話を聴きたくなる。「お前たちはどこから来たのだ」「そしてなにをしているのだ」「おれと一緒に旅をする勇気などないだろうなあ」「どうせ、けちな生き方をしているのだろう」・・・「おれの話を聞く気があるわけがない」「哀れな人間どもよ」。
2021.06.28
コメント(0)

マラケッシュの市内観光。どんな感情が生じるときでも興奮するのは同じで、違うのは強さだけらしい。それを適切な思考と合わせるのが脳の役目だ。ところが感情がかかわると、脳はそれほど慎重ではなく、然もいい加減なのだ。適当に合わせることも平気でやる。その結果、興奮した原因を、実際とは違うものと思い込んでしまう。これが恋愛でも惹起する。 それを証明するための実験もあるくらいだ。十分に汗をかくくらい長いエアロバイクを漕いでもらい、運動のあと、ポルノビデオを見て性的な興奮のレベルを報告させた。かなり時間をおいてと、直後と、短い時間をおいてと、の三グループに分けられた。彼らの脳は、ビデオのエロティックさのレベルを誤認したのは、短い時間をおいてビデオをみたものが他のグループよりもはるかに高く評価した。 どうやら普段街で声をかけられても相手にしないが、ジムで運動をした後の出逢いが脳が勘違いを起こしやすいということだろうか。有名な実験として、晴天と雨天で学生を呼んで、自分の生活全般への満足度を質問したものだが、雨の日よりも晴れた日のほうが、学生の機嫌がよかった。天気が満足度に影響したらしい。 その時の気分で変化してしまうことがあるということだろう。機嫌が悪い時には人生には危険が満ち、人と対立するのはすべて自分の責任のように思え、少数民族に好感を持てなくなることもあるらしい。
2021.06.28
コメント(0)

マラケッシュの市内観光。美徳は必ず報いられ、悪い人間はそれに見合った罰を受けると、夢みたいな考えを信じるひとはいないだろう。誰もが顔をしかめため息をつき、いわれなき不幸で無垢な犠牲者がいることが、世界中で起こっていることを知ってもいる。けれどもそんな他人の不幸を前にしたとき、彼らに対する感情が、自分の高潔な信念を裏切ることがあるに違いない。こうした臆病者の行動は珍しいことではない。自分を守るために他人を責めるという特技を凡人はもっているのだろう。 共産国のホテルに聖書があった。中国語と英語で印刷されたものだ。ホテルに聖書はつきものだが、これも信仰の自由を保障し民主国の顧客サービスの一環なのだろうか。大した気の使いようだ。中国のキリスト教信者からの寄付かなんか、なのだろうか。 起初、神創造天地、地是空虚混沌・・・。 それにしても、中国に対するカルチャー・ショックは広範にあることだろうか。何か当たったらしく熱が出てきたようだ。想定外のことであふれている。それこそ、内に閉じこもっていては何事も始まらないということらしい。 いつまでも臆病者の行動ではいられないだろう、ということだけは確かだろう。
2021.06.28
コメント(0)

マラケッシュ明治以来の伝統とは、上からものを考えるという政治・文化であり武士や公家たちの視点でsかない。それでは現実の状況そのものが大転換していく時代では、その核心を捉えることなどできはしない。政治家たちは、どれほど日本の政治・経済・文化を理解しているだろうか。菅内閣は、延命しか考えていない。本当に今五輪開催が必要かだろうか。憲法改正にしても、国民大衆が、今それを望んでいるだろうか。それは、国民が本当に憲法改正を必要とする時でなければならないのだ。そのための硬性憲法でもある。 ・いずれどちらかを選択しなければならない時が来るかもしれないが、アメリカにしろ中国にしろ支持すべき国家だろうか。資本主義か、社会主義か、どちらでなければならないことではあるまい。自国の国益を優先しているだけの大国に追随することはできない。世界は一つのp精神ではないだろうか。政治を捨てることのできない五輪など意味はない。 ・へ2・・・民主主義の歴史的課題である平和が遠のいている。むしろ逆コースが目立っている。日本だけではないが、まだこのパンデミックでさえ、混乱を極めている。何をすべきであるか、何をすべきでないかでもあろう。2億人余りの感染者と、4百万人余りの死者が出いるのは、1年半も経過して最早j人災でしかない。
2021.06.28
コメント(0)

マラケッシュのピザ店。あちらでテレビに日本人が出てきたので驚いたが、顔だけは知っていた。物には表と裏がある。表より裏が強いものもあるだろう。しかし小理屈であってはならない。物知りは物知りでしかないことを自覚すべきだろう。利口そうな奴は間違うものだ。自惚れるからだろう。上の写真は天安門の裏側だ。もちろん毛沢東の写真は掲げられてはいない。必要ないと考えたからだろう。写真で物事が上手くいったことなどありはしない。写真に威力はない。只の写真に過ぎない。しかしそれを利用する人と利用される人たちもいるのだろう。 広告塔は利用するために造られるがすぐに古びてしまう。風化するからだろうか。どんな巨木も水脈がなければ枯れてしまう。大きいだけに倒れると周囲に影響を及ぼしてしまうものだ。老人はボケて徐々に飽きられて死んでいく。それはそうして過去とさっぱりと別れることができるためでもある。枯れていくものは醜くあらねばならない。臭く厭らしい。では、批判する目はどうだろうか。肯定と否定があって、アクセルとブレーキがなければならない。 人々を愚弄してはならない。それができるのは自分が愚弄されるに値する人間だからだろう。死んだ人は何をすることもできない。人の心に残ればいいだけではないだろうか。祀り讃えられるひとはお墓の中でくしゃみをしていることだろう。人間はいつも愚かな人間でしかなかったのだから・・・。
2021.06.28
コメント(0)

マラケッシュのピザ店。美味しかったが、少ししか食べれなかったのが残念。ことの深刻さに比べて個人の身勝手さが腹が立つが、それは仕方がない。自由とは他人の権利を害さない限り、憲法で保障されている権利である。「公共の福祉」とは、誰が決めるのかそれは、法治国家では、裁判官でしかない。そこに正当な法手続きと公正な裁判が為されねばならない。要は、法の範囲内の処理がされるかであろう。法外もある。 それを海外旅行をする時に実感する。コモンセンスが通じるところだろうか?それは50vs50だろう。必ずしも土俵が用意されているのではなく、その土俵を信じている日本人が甘いのだと思うからだ。かってにアクセスしてくるのを止められない。それはそれが前提でブログをしなければならない。いつまともな話ができるのかわからない。自分以外は他人であり、他人は勝手な価値観を持ち世界観をもって生きているのであり人権もある。莫迦か悧巧かも自分で決めている。他人の迷惑など歯牙にもかけないだろう。 そういう私も死ぬまで身勝手に生きているに違いない。だから他人を責められないが、腹が立つのは事実だろう。時々真剣にもなるからだ。普段はどうでもいいから、嘲笑はするが見逃している。まあ好きにやればいい。くだらないのは自分だからだ。
2021.06.28
コメント(0)

「宇宙の中では人間など、ジャガイモやパイナップルやヤマアラシと、重要性はあまり変わらない存在である」という。「われわれ人間が、この意味のない宇宙で生き残る術を探しながら、いつかは死んで滅んでしまうはかない存在であるという恐ろしい考えに気づいたときに感じる恐怖を抑えるためにそなわったもの」が脳の健全なうぬぼれ機能だというのだ。(ビスジンスキー) ひとには、自分を過大視せずに、慎重な態度を保ってリスクを検討するという「リアリティの窓」と呼ばれる機能があるからこそ、大きすぎる願望や、常軌を逸した競争に振り回されずに済むのだというのだ。 うぬぼれ屋の工夫によって救われている。自尊心が傷つくのを上手く避けている、そしてうまくいかなくても納得のいく言い訳ができるので、安心して何にでも挑戦できるらしい。教育の場でよく使われている。できないのは能力が足りないのではなく、努力が不足しているせいだといったほうが、簡単にあきらめずいい結果を招きやすいという。自分に欠陥があると思うとますますできなくなるためだ。そう考えると、脳が念入りに現実を捻じ曲げるといううぬぼれの機能がなければ、朝起きる気がしなくなるかもしれない。
2021.06.27
コメント(0)

マラケッシュのピザ店。旅行社のツアーに参加して思ったことは、少し複雑でその思いが伝わるだろうか、と思っている。率直にいえば、必ずしもこのような観光ツアーでは両国の友好にはならないだろうということだ。寧ろ双方の違和感を招くだけではないか。反日は、その逆もあるのであり、相互の理解ができなかったための蔑視が両国に存在した事実を看過することはできない。これは、現実にあったことであり、改善されなければ続いていくことにもなる。 もし中国人が日本に観光旅行をするとして、どんな対応をしているだろうか。それを誰がチェックしているのだろうか。それはちゃんとできているだろうか?民間のツアーで一市民として参加したに過ぎないが、非常な不快感を覚えることがいくつかあったが、そのことに中国人は気づいているだろうか。もし、それが日本人の常識でも中国人の常識ではないというのなら、それは誤った認識なのだろう。 ホーチミンやシンガポールを旅行した時と大分違う感触だった。ホーチミンの時は大卒のしっかりした歴史観を持ったガイドで、いくつか観光地を客観的に説明してくれた。今度のツアーでは、中国語を殆ど聞かない味のない旅だった気がする。それはこのツアーにきちんとしたコンセプトがないためでもあろう。中国人は、或いは中国政府は、日本人観光客に何も配慮をしないつもりらしい。ただ見て帰れなのだろうか。なぜ日本人の市民の感情を知ろうとしないだろうか。それはどうでもいいと思っているだろうか。そのもてなしのこころがなければ民間のこころの交流はできないだろう。政府肝いりの民間交流だけがすべてではないだろう。 少なくとも、私個人は万里の長城よりも大きくて高い壁を感じてならなかった。北京は見慣れた排気ガスの街であり、故宮は四角い刑務所であり、明の十三陵は暴君の墓であり、万里の長城も、日本と中国の間に横たわるものに似ているだけだ。
2021.06.27
コメント(0)

自分の世界を守るために壁を作ろうとするだろうか。それは気休めでしかないだろうか。それがあまりに高すぎたりすると自分を閉じ込めてもしまう。スパイスの足りない料理は美味しくない。なにがスパイスになるかわからないから厄介だ。思いはおそらく通じることはないだろう。理解しえたといっても一時のことでしかない。 宮沢喜一氏。テレビで対談している画面をみてショックを覚えた。あのような姿で対談したというのは異常ではないか。明らかに面相が変わっている。隠しようもない顔であろう。それであえて対談の意コモン・センスのなさがまかり通る世界なのだろう。それが人々を狂わせている。 それこそボン・サンスのかけらもない世界なのだろう。私たちの感性はズタズタにされてもいるのだろう。そのことに気付くこともなく生きているとすれば、それこそハリー・ポッターの世界とどれだけ違うだろうか。オリバー・ツイストと同じ環境にいるのだろう。
2021.06.27
コメント(0)

フィリピンと台湾の話を聴講したが面白かった。何故戦後二度も女性大統領がフィリピンで可能だったのか。台湾のエスニシティやクォータ制などのことについて説明された。来週は中国経済について講座があるらしい。タイミングのいい話を聴くことができそうだ。 フィリピンの Hospitality は100以上の言語を持つ国で他人を受け入れるという風土から培われたものだろう。それでもその眼は腐ってはいない。 「スペインは良くなかった。アメリカ人は悪かった。日本人はもっと一層悪かった。しかし最低なのは二度目のアメリカ人だった」のだという。 女子大に早めに着いたので、会場で待っていたが、今日は雨が降っている関係で参加者は少ないようだ。寒気がないので熱はないのだろう。咳も大したことはない。どうやら常連さんになり、名前を覚えられてしまったようだ。挨拶されるようになった。
2021.06.27
コメント(0)

北京。ガイドブックには、「北京の数えきれない名勝旧跡は、人々を魅了させてる。今日の新しい北京は、人々が憧れる観光地である」「王府井大街、西単文化広場を漫ろ歩いて、中国と世界の美食をほおばることは、人生の大きなたのしみといえるだろう」とも。そう書いてある。 光と影があるのはどこの国もある。それは確かだろう。北京だけが特別ではない。それが名実ともに世界が認めることがなければならない。安心してご気楽な観光地にならなければ、集客はできないだろう。東京もかっては怪しげな町であっただろう。世界の観光客を心からもてなすだけの国家でなければ、そっぽを向かれるだろう。折角の料理もそのもてなしの心がなければならない。それは、Hospitality だろうか。 変貌するのはモノだけではなく、ひとのこころも豊かでなければならない。求められるものにこたえる努力をすべきだろう。
2021.06.27
コメント(0)

美徳は必ず報いられ、悪い人間はそれに見合った罰を受けると、夢みたいな考えを信じるひとはいないだろう。誰もが顔をしかめため息をつき、いわれなき不幸で無垢な犠牲者がいることが、世界中で起こっていることを知ってもいる。けれどもそんな他人の不幸を前にしたとき、彼らに対する感情が、自分の高潔な信念を裏切ることがあるに違いない。こうした臆病者の行動は珍しいことではない。自分を守るために他人を責めるという特技を凡人はもっているのだろう。 共産国のホテルに聖書があった。中国語と英語で印刷されたものだ。ホテルに聖書はつきものだが、これも信仰の自由を保障し民主国の顧客サービスの一環なのだろうか。大した気の使いようだ。中国のキリスト教信者からの寄付かなんか、なのだろうか。 起初、神創造天地、地是空虚混沌・・・。 それにしても、中国に対するカルチャー・ショックは広範にあることだろうか。何か当たったらしく熱が出てきたようだ。想定外のことであふれている。それこそ、内に閉じこもっていては何事も始まらないということらしい。 いつまでも臆病者の行動ではいられないだろう、ということだけは確かだろう。
2021.06.27
コメント(0)

芸術の奥深さは容易く理解できるものではないだろう。その作品の迫力に圧倒されるが、それが芸術という世界でこそ真価が問われるべきだろう。芸術の権威は、政治の権力とは違う。しかし、権威と権力は結び付きやすい。お互いに利用しあうところが必ずある。仏教も、儒教も常にその道を歩いてきた。 日本でも大学が政治に妥協したとき、国民は不幸な時代を強いられた。今は大学に権威はない。あると信じているものがあるとすればそれは認識違いだろう。日本の大学は世界の大学でUTでさえトップ10位にさえはいっていない。かなり評価が低い。それだけ開かれた大学でもない。どれだけ世界レベルの教授がいるだろうか。それは何故だろうか。これだけアメリカ留学しているというのに、お喋りだけの英語力でしかないからだろうか。基本ができていないだろうか。 それは独創力ではないか。自立でありユニークな発想力ではないか。それが弱いのは何故だろうか。理由はいくつもあるだろう。自閉症なのだろう。自惚れ屋ばかりなのだろう。相手を間違った生き方をしているだろう。スキルがないだろう。道具をもたなすぎるだろう。安易すぎるだろう。どうやら足りないものが多すぎるようだ。 恵まれた奴が仕事をしなくなるのは、安直に仕組まれた罠にかかるからでもある。この社会は善意でも悪意でもなく厳しい生存の原則に従っている。謂わば自然の摂理に従うまでだ。騙されるより騙すやつが生き残るだろう。それを確りした目で見ながら目的意識を持たねばつぶされるだけだ。
2021.06.27
コメント(0)

物言わぬが金なのだろうか。言えば言うほど襤褸モデル。成程そうかもしれない。誤解されることはよくあるだろうから仕方がない。どちらが勝ってかわからないが強い奴の意見が通るだろう。それでも理屈は理屈である。思うことを曝け出すことだろう。相手が自分より利口だとは中々認めようとはしないのは常だろう。 記憶力だけが能力と思いがちな選抜主義では物にはならない。それは中国でも、日本でも言えるのではないか。上の言いなりになる人物を登用したために国を滅ぼしたともいえるだろう。次から次に起きてくる新しい事態に即応できる能力が必要だろう。サクセスストーリーだけ読んだ人間には、挫折の対処法がわからないかもしれない。世の中は挫折の連続であり、それをどう乗り越えることができるかその知恵を出せる人間でなければならない。うまく世の中が運ぶ時なら誰だってリーダーになれるだろう。 他人の造った青写真でやろうとしても生の問題を解決することはできない。狂気は身近の問題でもある。ひとの行動をコントロールしている人の脳のやっていることを知らねばならない。
2021.06.27
コメント(0)

メコン川。母なるメコンは、大いに意味のあることばだった。皮相的に見ていたと思った。中国もまだ表面的でしかないだろう。だから読み解くことはできない。ここ数日毒気にあたって脳がぼーっとしていた。やっと小さなトンネルを通過中だったどこに出るかわからないと思ったら自分のPCの前にいたから a mind of its own のエリアでしかない。 少し長く生きていると、どうにか何かをみても、脳が挫折しないくらいの使い方はわかってくるらしい。自分のおバカに対して甘くていられる特質は人間特有のものではないにしても心理学者によればそれがなければ生きていけないくらい重要でもあるらしい。自殺する人は、自分の心を自分でコントロールできると思いこんでいるのではないだろうか。 私の北京ツアーのシリーズは大量の写真をストックしたことで益々訳がわからないものになりそうである。もともと私のブログはまとめるつもりがないからハチャメチャだが他人のために書いているのではない。時々耳の中が痒くなるだけである。人間は誰でも妄想を抱くだろう。自分が他人より利口ではないかと信じてしまう。ままありがちな人間の傾向らしい。そういう気分に左右されているときは碌な考えが浮かばないがそれが大そうなものに思えるから不思議である。だから妄想でもある。 中国のことは中国人が考えればいいが、それだけでは足りないものがあるだろう。それは他国が自国をどうみているかという視点である。立派なことをしていると思っていた中国人のやった文化大革命の熱風が何だっただろうか。どこの国でも愚かなことはやってきたし、現在も続いている。それを浄化できる装置をもっているかだろう。そしてその自浄装置が動かねばならない。見せかけの装置ではだめだ。最近の日本の政治をみているとそれが働いていないようだ。使わなければだんだん錆びてしまうらしい。 時々汗臭くなった体をシャワーで洗わねばならない。人間にはヘイフリックの限界がある。新陳代謝による古い細胞は体にしみ出す垢になるのだ。清潔にしないと臭いがしみ込んでもしまうだろう。悪癖が忌まわしい人間にもしてしまうのだろう。
2021.06.27
コメント(0)

若い時には、確かに欲望もあったし快楽もあったが、老い耄れてきたが、昔に戻りたいとはあまり思わない。勿論過去に戻ることはできないが、若いころが良いことばかりではなかったし、二度としたくないこともたくさんある。まだテストの夢を見る。自分の準備ができなかったからいい点など取れるはずはない。どうすればいいか分からないまま悩んでばかりいた。自分は頭が悪いのだと諦めていたのはなぜだろうか。 ・20歳まで生きてみようとだけ思っていたが、それが理由などなかった。何故か中学のころ実篤の本ばかり読んでいた。広辞苑で言葉を勉強したのは大学に入ってからである。熊本の田舎で戦後教育を受けたが、教師に恵まれたわけではない。それでも、四馬の譬えで言えば、私はそれほど利巧ではない。 ・へ2・・・父母が死んで30年以上になる。今度は、私の番であるが、残すものがない。兄弟がいないというのは、いいことも悪いこともあるに違いない。孤独昆虫である。一人で死んでいくことに違和感はない。それこそ敗戦直後から75年が過ぎようとしているが、時代ともに生きてきた。
2021.06.27
コメント(0)

メジロ。柑橘系を庭の木において、野鳥の0来るのを待つのも楽しい。近くのゴルフ場の森には野鳥がいて、そこから来るらしい。まずメジロやヒヨドリたちが常連である。お茶を沸かして、お供え。ブログを開いて、今日はいつものと同じではない日でもある。午後から出かけなければならない。夕方福岡を出て、羽田から全日空で22時発シドニーまで、誰かと違いエコノミークラスで、9時間40分の旅になる。人生も同じだが、クラス違いでかなり違う快適さでもある。 ・人それぞれの運命かも知れない。快適に暮らしている人もいれば、悲惨な人生もあるに違いない。自業自得もあるのだろうが、自分で危ない道を歩く人もいる。因果応報がべっとり貼り付いている。自分がエリートだと自惚れている人間ほど、過ちを冒しがちだ。それも広い意味で、成功<ゆえに>没落もする。さて、朝のウオーキングも、今朝はしない。 ・へ2・・・私のブログはもう10年以上経過したが、友だちつくりをしていない。 他人と交流するためにブログもあるのかも知れないが、私は、余りと言うか殆どしていない。以前はしていたが、面倒くさくなってしまった。気疲れしまうらしい。長くなるほど疲れてしまうのでやめた。もともと他人とは違い過ぎるのだろう。自惚れているのではない。気を使ってくれるから余計疲れるのかも知れない。さて、長い空の旅をしなければならないが、機内ではうとうとしていたいと思っているので、出掛けるまで、普段通り時間を過ごしていようと思っている。
2021.06.27
コメント(0)
全419件 (419件中 1-50件目)
![]()

![]()